2009年05月31日

旅:<9-STATES>







プライベートでの
次なる旅路を来月下旬に予定している。


メイン・デスティネーションは、九州。

その名の通り、9-STATES。

旅路名も<9-STATES>。




九州と東京は飛行機を用いる。

現地ではレンタカーという形態である。

移動種類は決まった。


だが、それぞれの行き先と逗留先が決まらない。


三泊四日という行程で、

ただやみくもに全九州を走り回って踏破する
ことが目的ならば
それはできようが、

そういう旅ではないからして、

どこを見て、どこに泊まり、
どう移動するかをプランニング
しなければならないわけである。



まず条件がある。

絶対条件として
薩摩は不可避であるということだ。


これは
或る事情があって致し方ない。


薩摩嫌い&西郷隆盛嫌いのダモシとしては
忸怩たるところだが、

これもまた旅。



旅は、余儀ないものである。




薩摩すなわち鹿児島を
エントランスとして

どう周るか

ということがテーマになるのだ。








*****







<余儀なく薩摩>という状態に陥る前は、

話は早かった。



九州でも未踏の
興味レベルの高い福岡を基点に、

北九州から関門海峡を渡って
下関や

金子みすゞの仙崎、
錦帯橋の岩国を経て

広島へ

というプランを描いていたのである。




だが、
<余儀なく薩摩>が現れたことで、


それは一変。


そもそも
九州の中でも南の端っこの鹿児島へ
行かざるを得ないということは、

福岡から入るならば
羽田から廉価な飛行機スカイマークが
あったという好条件も消滅するわけであり、


旅路としてかなり苦戦を強いられる。



それのみならず

なにしろ九州の一番下である
薩摩のロケーションの悪さは、


その後の九州路移動を難儀なものとする。





しかし今や、

薩摩をエントランスに
三泊四日の行程をプランニング
しなければならないわけである。




そうなればもう、

根本的には<九州オンリー>
となるか、と。





マップを見てみたい。





9.jpg




九州の位置関係が分かる。





まず九州という旅路で

のっけから取捨選択で
消しとなった地は、


宮崎県

大分県(湯布院を除く)



佐賀県

である。




熊本はある意味で
先般オフィシャル案件といえども
出かけたわけであるし、

次回は

<ファイナリー、通潤橋>

というミッションがある上、

今回は外しとなろう。




ダモシ的に好きな<長崎>は
今回行きたいと感じている中で、


では、

どういった行程を採るのか、と。






まず薩摩。

ここに逗留することを回避できないか?

と考えた。



要するに
羽田から鹿児島へ入るものの
<余儀なく薩摩>に関しては

桜島その他を急いで周り、

"済ませ"、

さっさと他県へ移動するという戦法だ。



だが、

ここで鹿児島のロケーションの悪さが
手かせ足かせとなる。



鹿児島から熊本へ移動するだけでも
高速を用いて三時間弱かかってしまう。


例えば
午前中に鹿児島に着いて

急いで"済ませても"

いくらなんでもコンテンツも
そこそこある鹿児島を見て回れば

3PM-4PMにはなるだろう。


それから他県
(そもそも行くつもりはない宮崎は除き)



熊本

へ移動しようものならば、

到着は6-7PMになり、

そこで宿に泊まっても
ただ泊まるだけ
というビジネストリップの様相を
呈してしまい、


旅自体がシャビーなものとなってしまう。



考えた。


そしてワイフに言った。




<どうも、鹿児島。
 一泊せざるを得んぜ、これ>


と。



そしてダモシは告げた。



<鹿児島に泊まるなら、
 指宿をおいて他になかろうよ>


と。



だが指宿。

これがまた最悪のロケーションである。


鹿児島中心部よりもさらに南下。

それこそ
九州という島の
桜島を挟んだ左側のほぼ最南端。

枕崎などの世界観である。



ここに逗留するのは良いが、

このロケーションであれば
翌日の九州北上に
より多くの時間的スペンドが

余儀なくされてしまうことになる。




困った、と。




そこで出たアイディアが

<霧島>泊である。


霧島もむろん捨てがたい温泉地。

しかも
鹿児島から北上する
熊本寄りになる。


ここであれば
翌日の北上にアドバンテージになる、と。




ただ、

<余儀なく薩摩>
という世界観の手かせ足かせの中で

己が消費者の心理的便益を満たす素材としての

<指宿の砂むし風呂>こそが救いであり、


それゆえに
指宿逗留が捨てがたい側面もある。



判断が難しいところである。








*****







問題は、

鹿児島を初日の逗留先とした場合の

残り二泊の行き先である。




現時点で二案ある。


プランAは
<あくまでも長崎に行く>タイプ。


長崎に行くならば、

二日目は大強行軍となる。

鹿児島から
熊本、福岡を通過して
関門海峡を渡って
一気に下関へ行く。

そして戻り、福岡に逗留する。


そうすれば三日目の朝に長崎へ移動する
ことができる。



鹿児島(指宿)から関門海峡を渡り
下関までは約五時間以上の長旅。


しかも
そこからまた北九州市を経由して
博多へ入って逗留となると

とんでもない疲労が予想される。




プランBは、
<長崎をあきらめるパターン>。


どのみち
福岡&北九州&関門海峡(下関)は
マストであるからして、

長崎へ行くならば
二日目に福岡に逗留することが前提になる。


そのAプランが非現実的だとなれば
長崎はあきらめるということになる。



その場合、どうなのか。


二日目は、熊本の黒川温泉が出てくる。


今や湯布院以上に旬な温泉街、黒川。




<ファイナリー、通潤橋>での
熊本の旅では

阿蘇と通潤橋がメインのため、

黒川温泉へは行かない。


となれば、

鹿児島からの移動で
位置的に考えられるのは
(熊本市内や
 そもそも除外されている宮崎を除いて)

黒川温泉となる。


だが、

指宿から黒川温泉までの
所要時間も五時間半に達する。


かなり厳しい強行軍であることには
違いない。



それでも

関門海峡踏破と
それを経てから福岡へ戻って逗留
というAパターンよりも、


黒川温泉一本かぶりで

そこに着けば
あとはもう湯に浸かるのみ

という

このBパターンの方が
身体的負荷は少ないと考えるのが
妥当か。




そして三日目で下関まで行ってから
最後は福岡の逗留して

福岡から羽田へ飛行機で戻る
というパターンがBである。





いずれにせよ

<湯布院>は、

鹿児島から向かうには
非現実的として

取捨選択から余儀なく外れることになろう。




<どうしても湯布院>とでもなれば、

それこそ
長崎と同じパターンで

福岡を経て
三日目に湯布院となるが、


それでも福岡から湯布院という
移動ルート自体が
これまた時間的スペンドが多く
ストレスフルになると想定されるがゆえ、


今回は<湯布院>は候補から外れる公算が
高い。








それにしても、

AでもBでも
やや無理があるような気はする。


<指宿>からの距離がありすぎるのである。

となれば、
初日の鹿児島の逗留先は
<霧島>が現実味を帯びてくる。



霧島から黒川温泉への所要時間は
ぐんと減り、

約四時間十分。





<余儀なく薩摩>での逗留先選択から

砂むし風呂をあきらめて
指宿を除外して

霧島をピックアップする方が

ベターなのかと思えてくる。






とにかく
九州の位置構造が悪い。


よくよく見ていると

南の最下部の鹿児島と
真ん中の熊本の間ですら


距離がある。



例えば市街地でいうところの
鹿児島と熊本。

その間の所要時間は三時間弱。


高速でこれは遠すぎる。




左で折れ曲がる地形の
熊本→長崎間がわずか二時間強で、

熊本→福岡間が一時間半、

福岡→長崎間が二時間半

であることを考えれば、

鹿児島の位置の悪さが際立ってくる。




鹿児島をエントランスとして

九州を
車で移動することを考えた場合、


鹿児島の位置関係が
最大のネックになり
手かせ足かせとなってくることが


分かる。






常に
ぱっぱっぱっと
旅のプランニングができる
ダモシであるが、


今回は


<余儀なく薩摩>のせいで


たいへん難儀しているところである。





例えば
九州への外国人旅行者の数(04年データ/数値は約)。

福岡 32万人
大分 14万人(別府と湯布院)
長崎 13万人
熊本 13万人

となっているが、

宮崎 3万人
鹿児島 3万人
佐賀 2万人


とコンテンツの弱い佐賀はともかく、

宮崎と鹿児島は
やはりロケーションの悪さ
(他県へのエクスカージョンへの不便性)

が致命傷になっている気がするわけである。





エクスカージョンへの不便性。


コンテンツ的には
割と存在している方の鹿児島の、

これが難点になっていると

一つには考えられよう。





ロケーションの悪さが
エクスカージョンの不便性につながる。


都市、観光を考える時、

欠かすことのできない重要なポイントであろう。


















posted by damoshi at 22:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダービー/レヴュー






重どころか不良となった馬場での
日本ダービー。


府中の杜の雨でのダービーといえば、

ミホノブルボンが勝った
92年を思い出す。


その頃、
ダモシも未だ若い二十代中盤で、
結婚した年である。


そしてその頃、競馬場を席巻していたのが
武豊を筆頭とする
"現アラフォー世代"(の二十代の頃)である。


その中の一人に
アラフォーの横山典弘もいた。


いわゆるダモシと同じ
現アラフォー&バブル世代。



だから
ダモシ世代にとっては
横山いわゆるヨコテン(横典)は
今ではシンパシィを伴う
同世代ということになるのだ。



その横山といえば、

やはり
バブル世代&日本競馬人気ピークの時代の
<90年中野コール・ダービー>
で一番人気に推された
メジロライアンを思い出させる。


横山&ライアンは
一番人気に推された90年の日本ダービーで、

逃げた中野栄治&アイネスフウジンを
直線で猛追するも
捉えきれず二着に惜敗。


それが伝説的な<中野コール>を生んだ。



同じ90年の掉尾。有馬記念。

ここでも
横山&ライアンは
ホワイトストーン、メジロアルダンに次ぐ
三番人気(実質的には差のない一番人気)
に推されるが、

今度は
ラストランとなった武豊&オグリキャップの
奇跡のランの前に二着惜敗。


ここでも追い込みは届かなかった。


大川慶次郎氏の
<ライアン! ライアンッ!>
という絶叫は今も記憶に残る。




往年の柴田政人を例に見るまでもなく、

一流騎手であっても
ダービー・ジョッキーになることは
容易ではない。



ダービーは、運も大きく作用する。



ロジユニヴァースは

今朝の
ダモシが察知した
アトモスフィアでは、



数日来の雨による馬場の悪さ

力が必要になる

という点



皐月賞惨敗によって
プレッシャーがなくなり
走りやすくなった点


プラス



横山が
ダービーで勝つという意味では
うってつけのシチュエーション
と思われる点



が重なって、


ダモシ自身も推した。




それは<最終見解>でも記載したが、

そこで記載した各項目一点ずつ以外も
馬券は買っており、


基本的に
横山&ロジユニヴァースからの組み合わせで


<前残り>を選択したことで

ロジユニヴァース&リーチザクラウン(武豊)
の組み合わせも購入していたから

適中したわけだが、



道中、

最初の第一コーナーの様相を見た瞬間から
三度

共に見ていたワイフに告げていた。




<ロジだな、ロジ。絶好の位置だわ、これ>


と。





そもそも馬に力はあった上、

ダービー・ポジションといわれる
第一コーナーの入り方で
最高のポジションをとっていた
横山の騎手としての一流さが加わり、


それにプラスαとして

馬場状態、天候、レース展開などの
すべてが

今宵は横山&ロジユニヴァースに

味方したといえよう。




武豊とリーチザクラウンの
二番手での走り(これが実質的な逃げ馬になった)は

完璧に
横山&ロジユニヴァースの味方をしたともいえる。


今宵は
武豊は横山の露払いをしたのである。





まさに
横山&ロジユニヴァースにとっての

良い意味での<運>であり、


ダモシの馬券適中も
良い意味での<運>である、と。







馬券的にいえば、

予想とは別次元で購入した
アントニオバローズ。


ワイフも同調し、

アントニオバローズ流しで
馬連をほぼすべて買っていたから、

紙一重で万馬券といったノリの
三着躍進。


アントニオバローズの三着は、

リアルに
よく頑張ったと褒めて良いだろう。





馬券に関係なく、

ウィニング・ランをして
観衆の御礼を示す横山典弘の感無量の表情は


アラフォー同世代としても

感慨深く

目頭が一瞬、熱くなった。





<ヨコテンが遂にダービー、勝ったか…>

と呟きながら、



ダモシはワイフと出逢ったバブル時代を
思い起こしたのであった。




やんちゃなヨコテンも、

今宵のインタビューでは
年齢相応に
年をとっていた。



<年、とったなぁ…>

と思わず呟いたが、


翻って

己もまた他人が久しぶりに見て
二十代の頃と比べられたら


<年、とったなぁ…>と言われるのであろう。







気持ちよく今宵は
横山典弘に、おめでとうと言いたい。





来週は安田記念。


ウオッカは出てくるのか否か。










posted by damoshi at 16:30| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダービー最終見解







見解というほど予想はしていない。


メンバー的にも
今回の日本ダービーは、

予想するのがムダになる危険性が高いからである。



だから
皐月賞同様に

<マンハッタンxアントニオ>

という
ジュニア絡みの記号がある

アントニオバローズを取り上げる。


アントニオバローズ。
その父はマンハッタンカフェ。

アントニオは
ジュニアのミドルネーム。

ジュニアの<本妻>は
ニューヨーク。


ということで、記号を取り上げるわけだ。

皐月賞同様、惨敗の目があるが、
それもそれで致し方なかろう。



予想的にあえて触れるとすれば、
ロジユニヴァースか。


そろそろ鞍上・横山典の
ダービー制覇があっても良いという判断と、

一番人気に推されながらも
惨敗した皐月賞で評価を下げている点を考慮。



東京競馬場は
木曜日以来の
<梅雨の予告編>的な

ダモシ大嫌いなジメジメ&雨&ダークスカイの様相で
その馬場は重か
良くて稍重。


となれば得意としそうな馬も多々あれど、

ここでは
セイウンワンダーを取り上げて、


ロジユニヴァースxセイウンワンダーの馬連を。


アントニオバローズには
隣のジョーカプチーノとの組み合わせで馬単。


さらに
アントニオバローズと

外国馬ブレイクランアウトの

それぞれ単勝。




逆に今回は、
アンライバルドがすんなりと
皐月に続いて勝利して二冠達成とは
認めがたく、


大混戦と読みたい。



展開のポイントになるのは、

武豊xリーチザクラウンが
どのように逃げるか。



スローで逃げるか、飛ばすのか。


武豊の策略次第で、

結果は大きく異なってくると考えられるか。











posted by damoshi at 08:58| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1983→2009 | 西武球場







今宵、26年ぶりの西武球場。


後輩二人と
ワイフにジュニアを伴い向かったが、

リアルに疲れたところである。




そもそも疲れ果てていた。


相変わらず疲弊している中で
昨日は昨日で
パシフィコ横浜でゼネラル案件があり、

そこで
いくらダモシでも
これはもう倒れるよという世界の
大量の重い荷物を背負っての帰宅で、

帰宅と同時に倒れ込み、

風呂で居眠りし、


<もう、本気でダメだ! 疲れ果てたぁっ!>

と叫んで床についたのが9PMという有様。





その流れを経ての
プライベートのようやくのウィークエンドだが、


西武球場、


これがもう、遠いこと遠いこと。




距離的には大したものではない。


だが、そこは埼玉。

ほとほと埼玉には申し訳ないが、
道路が劣悪すぎる。


道中、踏切の連続。

道も狭く
信号も多いという有様で


世田谷/田園都市エリアからは
余裕で二時間はかかるのである。



これでは甲斐国の甲府へ行くのと
遜色がない。


いくらなんでも
同じ首都圏にありながらも

この<遠い>感はいただけない。




10AMに出発して
12PM過ぎに到着。

2PM開始の試合に向けて
駐車場はちょうどぎりぎり最後の入庫で
間に合ったが、


試合がまた、よりによって延長12回フル・ヴァージョン。



2PM開始で終了したのが6PM過ぎ。

それから戻るも
これまたもう酷い大渋滞。




<こんなローカルでなんだこれは!>

と怒ると、

その先にはまたも踏切という有様。



後輩を立川と、田園都市でそれぞれ降ろしたが、

ダモシが
拙宅の門をくぐったのは10PMを過ぎていた
という悲劇。




10AMに出て10PMに帰宅する
<デー・ゲームの観戦>なんぞ、

通常はあり得ないであろう。



それこそ甲府から
東京に出てきて
東京ドームでのイベントを楽しんで、

渋谷あたりでショッピングをして、

それからまた甲府に帰る
というパターンでこそ


10AM出発-10PM帰宅

であろう。




返す返すも

田園都市と西武球場

という

"そんなに遠くないはず"の位置関係で

この有様である。




もう行かないであろう。

西武球場へは
東京の山の手や横浜エリアなどからの
アクセスが

あまりにも悪すぎる。




例えば川越などもそうだが、

埼玉は、

根本的に
東京の世田谷(京王、小田急、東急沿線)や
田園都市、横浜エリアからの

アクセスが異様に悪い。



しかも距離的には大きなものではないから

よけいに腹が立つのである。

なぜこんなにアクセスが悪いのか、と。




このアクセスの悪さ。

これが
埼玉の致命傷でもあろう。



アクセスが悪いと
地元民以外は行きたいとは思えないからである。




要するに、
タテに縦断する高速道路がないのである。


それが
特に
東京都内でもオールモースト埼玉の
東大和や福生、羽村、狭山などの
北部多摩系と

西武球場近辺、所沢
などへのアクセスの悪さにつながっている。



タテに縦断するそれがないにも関わらず、

主要なヨコ系の幹線道路である
甲州街道、青梅街道、新青梅街道その他を
すべて横切って通過して北上しなければならない

という致命傷。





川越も一度散策で出かけてみよう
とは思っていたが、

もうやめた。


アクセスの悪さから、

あまりにも無駄に時間がスペンドされるのが
目に見えているからである。





世田谷ネイティヴの後輩も

呟くように言っていた。




<改めて思いましたよ。
 西武球場は遠いですね、これ…>


と。






西武球場。

これは移転した方が良い。


せめてぎりぎり
西武新宿線の小平より新宿寄りに
するべきである。


もしくは調布にあるサッカー・スタジアム近辺。




それは
横浜スタジアムも言えることで、


横浜スタジアムの立地の悪さと
環境の悪さを考えれば、


新横浜に移転すべきであるという
論を持っているダモシだが、


西武球場こそ
いくらなんでもアクセスが悪すぎるゆえ、

移転した方が良いと思うところである。




あれでは、

・所沢
・春日部
・熊谷

ナンバーの車で駐車場が支配されるのも頷ける
わけであり、


それはまさに
地元エリアの者しか来られない/行きにくい
を象徴しているのである。




1983年を最後に

西武球場を訪れていなかった。



あの当時、何度も訪れたり、
アルバイトをしていたのは、

そのエリアにいたからである。



それこそ今の居住地に当時もいたら、

西武球場へ行くなどという
思考は生まれ得ないであろう。


それほどアクセスが悪い。



例えば東京ドームや横浜アリーナ、
日本武道館、神宮球場などなどは


アクセスが良いのである。



それが首都圏のチーム、首都圏の興行の
根幹をなす要素である。



西武球場のように
首都圏のチームのホームでありながら

一般ゼネラルな世界観では
完全ローカルに位置する劣悪なアクセスでは、


広くファンを招き入れることはできないだろう。






26年ぶりの西武球場は、

忌憚なく
あまりのアクセスの悪さに驚いたと同時に、


よほどのことがない限り
もう二度と行くことはないだろう

という結果に終わったところである。




同じ首都圏にありながらも

且つ
プロのスポーツ・チームのホームでありながらも

このアクセスの悪さ。



いくらなんでも酷すぎる。

道路構造含めて
なぜ今までこれを放置しているのか

西武という組織に対して
大きな疑問を覚えるところである。




ダメだ、これでは。







seibud5.jpg




懐かしい最寄駅。

この駅で降りて
アルバイトに向かっていた。





seibud3.jpg



しかし
駅を出るとすぐに見えた球場は、


今やドームになっている。


そこに当時の面影はない。



球場へ向かう徒歩ルートや
周辺の空気感は同じでも、

ドームという構造自体が
ノスタルジーをぶち壊す。






seibud1.jpg



今宵は巨人戦ということで、
立ち見も出る超満員札止めとなった西武球場。


西武ファンのピュアさは
昨秋の日本シリーズの際にも掲載した通りだが、

今宵もまた
そのピュアさが見られた。



ファン構成は、

むろん埼玉県民が主体で
沿線的には西武池袋、西武新宿線が
メインとなろう。


近年、
多摩都市モノレールが開通したことで

アクセスのヘルプがなされた効果か
都内の多摩エリアのファンも
取り込んでいるか。



駐車場にも多摩ナンバーは多々見られた。





seibud7.jpg



アルバイトしていた当時と
変わらぬ通路。

この通路の一角に更科そばがあった。


残念ながら
店は変わっていた。






seibud6.jpg




seibud4.jpg





今宵は延長12回、2-2の引き分け。



そもそも
延長は12回までという
ニッポンのルールは違和感を覚える。


球場内で後輩に言ったが、


こんな無意味なルールはやめた方が良い。


そもそも
延長になること自体、
招かざることである。

とろとろとだらだらとやって
やたらと時間的スペンドが多い
ニッポンの野球。


野球観戦で

通常の試合でも3時間半に至る世界観は異常。



イベントは2時間〜3時間が限度である。



延長は12回までという制限がある場合、
そのまま引き分けになるケースが
大いに考えられる。


ある程度のレベルのチーム同士になれば

今宵の巨人vs.西武のようになってしまうからである。


なぜならば
双方、そこそこの中継ぎ投手がいる。

それをつないでいくことで

一人1イニングなどで
投げさせていけば

よほどのことがない限り
オフェンスする方が
ディスアドバンテージになる。


つまり点が入らない。


そうなれば場は弛緩する。

打てない。


客は早く帰りたい。

打てない。


でも投手交代は頻繁に行われ、
そのたびに時間がスペンドされる。


投手がコマ切れに出てくるから
オフェンスはアジャストすることは
難儀になり、

結局打てず、点がとれないという事態に陥る。



それもこれも12回までと決まっているからである。



やるなら無制限にすべきである。

勝負が決するまで無制限とすることで
12回までの場合の投手起用法と異なる
それが生まれ、

攻撃的な展開が見込まれる。





ダモシの論理では、

延長無制限とすることの方が
延長12回までに決着のつくケースが多いはずだ

というものである。



だらだらした<引き分け>狙い的な野球を

見せられるのは

実にたまらない。





延長は無制限か、やらない。

このいずれかに徹する方が
ベターなのは言うまでもなく、


なぜ12回までなのかが
さっぱり理解できないダモシである。



中継ぎが2-3人いて抑えが一人いれば、

7〜8回から既に
延長12回までを見越した算段が立つわけで、



それは結局、守りの思考である。


いかに攻めるか、
いかにして点を相手より多くとるか
ではなく、


いかにして守るか。



これがテーマになっているように見える野球は

ダモシは
ほとほと嫌いなのであり、


巨人にも西武にも今宵は大きな不満を

覚えた次第である。





特に西武。

これは酷い。
とても昨年日本一になったチームとは
思えないほど雑である。


今年は厳しいな、と言わざるを得ない。


伝統的に西武は
こんなに雑なチームではなかったはずである。


西武には今宵、大きな失望をもった。




巨人もしかり。
勝つのだというハングリー精神が
微塵も感じられない。


最初だけ打って、中盤から後半はまったく打たない。

この展開は
昨年の日本シリーズ第七戦から
何ら変わっていない。


これでは厳しい。







seibud2.jpg





巨人、西武双方の中で
やはり今が旬なのは、坂本か。


そのセンスとモメンタムは

ルーキー時代の
デレク・ジーターを彷彿とさせる。

(ショートで一番という点も同様)。









*****









明日は日本ダービー。



これがまた
まったく読めない。

ほとほと予想しても分からない。




そして明日はワイフのバースデイ。



明日も朝からビジーで
出かける模様である。




今宵も身体疲労が著しい。


日本ダービーの買い目を決めたら
早々に眠りたい。










posted by damoshi at 00:14| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

ディスカバー・ジャパン-20 <神泉の聖水>







遥拝から登拝へ。


壮大なヒストリーを刻み
多くの人々を受け入れてきた霊峰富士。



登る者が
その前に詣でる場所。


一つは、
富士のセンター・ラインに
大鳥居と参道を擁して
威厳重々しく佇むは、富士浅間神社。


もう一つは、
その水で身と心を清める場所である

忍野八海。





<のざらし紀行>兼
<ディスカバー・ジャパン>の
シリーズ-20は、


霊峰富士の目前にある神の泉たる忍野八海。





0oh6.jpg







*****






本栖湖、精進湖、西湖

そして河口湖。


西側から
富士五湖のうちの四つをめぐる
一本の道路はR-139。


R-139をそのまま進めば
富士吉田市を通過して北上。

例の都留を経て
大月(中央フリーウェイ)に着く。


河口湖を過ぎてR-139からそのまま
R-138に移動して進めば
富士五湖の東端、山中湖になる。



東へ向かうR-138と北上するR-139の
間に挟まれる形で存在するのが忍野村。



西(河口湖方面)から走ってくれば
その右側に、

東(山中湖方面)から走ってくれば
その左側に、


富士の儀容が目前となる。



そこに忍野八海はある。




ちょうど地図上で見れば、
真下(南)が山中湖で、

さらにそのまま真下へ行けば沼津(静岡)
という位置関係である。




忍野村の観光案内から引用すると、
忍野八海を一言で表せばこうなる。



<霊峰富士の胎内より湧き出でる八つの泉は、
 昔から「神の泉」と崇められ、
 いくつもの「伝説」が語り継がれています>。



富士の雪解け水が流れてきて、
湧水となって昇華する。

それを支えるのが八つの泉というわけである。






0oh1.jpg



まず人々を迎えるのは富士の水。

雪解け水が流れてくる場所。
手を水に入れることができる。
水は冷たい。


このエントランスを経て泉に向かう。


それは池だが、
ただの池ではなく神の泉である。


だから、

"ものすごい"透明感がある。


霊峰富士の水が
聖水であるということも頷くことができる。




透き通った神の泉と聖水を数枚。




0oh2.jpg



0oh3.jpg



0oh7.jpg




この清冽なイメージをナメたら
命を落とす(出てこられない)

中は洞になっていて深さもある泉。


神の泉ゆえ、畏れるべきものである。





0oh4.jpg



0oh5.jpg







*****







0oh8.jpg




富士の湧水を飲むことができる。

ここに
ペットボトルが売られていて
なみなみと注いで150円で
持ち帰ることができる。




むろん、持ち帰った。

そして飲んでいる。







*****





異なる日の画像から。

この日は雨が降っていた日で、
甲斐国全体での晴天記録が途絶えたときである。


甲府は<青空の法則>が続いている。

甲斐国全般も
あまたある行脚の中で
たった二日だけが雲雨天だった。




0oh10.jpg



0oh11.jpg







:::::



<忍野八海>

入場無料。

東名御殿場IC→山中湖方面へ走り→東富士五湖有料道路へ。
同山中湖ICで下りてから河口湖/富士吉田方面へ走り、
途中で忍野方面へ入ればすぐ。

世田谷/田園都市エリアから
トータルで約2時間。








posted by damoshi at 13:12| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

呉越同舟





まずはこのマップをご覧頂きたい。



kasomap.jpg

(C.全国過疎地自立促進連盟)



ニッポンの46都府県の過疎地を捉えたマップから
甲斐国内のそれを見たものである。




右の道志村、丹波山村、小菅村は
ダモシは既に周っている。


身延町もしかり。鰍沢町は通過している。


今宵、

甲府市内でのゼネラル案件を終えて、

霞ヶ関と共に
ダモフィーロで向かった先の
最初の行き先が

マップ内左下の過疎エリアである
早川町である。




甲府市内から約二時間の長旅。


最後はもう山道も山道。

これぞ限界過疎の道中は
土砂崩れのために道路封鎖の憂き目に遭う他、

周囲の山々自体も岩盤崩落で抉られ、

狭い道の横も
垂直に切り刻まれて
今にも崩落しそうな岩盤むき出しの様相の中、

辿り着いた。






甲斐国=山梨県。

それは
自殺者数でニッポン・ナンバー1。


むろん青木ヶ原樹海を擁することで、

他県からやってきて
そこで自殺することで増える自殺者数なわけで、

県民にとっては迷惑この上ないであろうが

数値的な事実は事実である、と。



一方で、

度々
港北エリアで取り上げるように
横浜を筆頭に、

箱根や鎌倉、江の島などを擁する
神奈川県は


自殺者数で最下位。



今宵、終日共にした霞ヶ関曰く


<神奈川はお金持ちとハッピーな人が多い>

ではないが、

それは誇張ではない。



その神奈川は、

大阪と並び

ニッポンで二つしかない

<ノー過疎>の府県である。



そこにも共通する何かがある。




それでも甲斐はまだ過疎が少ない方であろう。


例えば異国の"北の某"などは、
そのほとんどが過疎である。


東京都は2エリア。

桧原村と奥多摩町で、
ダモシはいずれも訪れたことがある。

これが過疎か、といった世界だが、

それでも腐っても東京。



そこは甲斐の過疎とは異なる。


"北の某"のそれとも雲泥の差である。



とにかく
"北の某"では
訪れたそのほとんどのエリアで

<不幸感>と<終わった感>で充満していたが、


甲斐の過疎には

それがない。



ここが不思議なところだが、

当たり前のことだが、
幸せの物差しは人それぞれであるということだ。


そんな当たり前の言わずもがなのことを

改めて感じさせてくれるのは、

甲斐の過疎及び限界過疎である。




こう言っては何だが、

好意的なニュアンスでの
"こんなところでも"


人は生きている。


そして
彼らはハッピーそうである。


実際、ハッピーなのであろう。


その笑顔がとてもきれいだ。


こうして過疎まで周っていると

選挙はこうなるだろう

という疑似選挙運動といった世界である。






良い意味での、

<こんなところに人が住んでいる>
<こんなところでも人は生きている>

そして
<ハッピーそうだ>。



これで良いのだろう。



だが、

根っからの都会っ子ダモシは
そういうところには住めない。

生きることなら、
ダモシはどこででもできる。

外国でさえ普通に生きていた。
どこでも生きる自信はある。


そういう次元のことではなく、

心理的便益として
満たされるか否かということになるわけで、


ダモシは
そういうところには住めない

ということになるわけだ。





端的にいえば、<渡良瀬橋>の世界である。









*****








今宵、霞ヶ関と呉越同舟。


終日
ダモフィーロ内で個室的世界観で

ロード・ムービーを共にして
コミュニケーションしたことで得られる

呉越同舟。







goetsu4.jpg



言うまでもない甲府の<青空の法則>。


目覚めて
ホテルの部屋から見る。






goetsu1.jpg



ここまでくれば
エブリデイ善光寺。


そのご開帳は、残り一週間を切った。





goetsu2.jpg



この糸が、御本尊とつながっている。

柱に触れることで、七年に一度の勝縁。



ダモシもまた触れた。

ロジャー・クレメンスが
当時のヤンキー・スタジアムで

ベーブ・ルースに触れるように左手でそっと。






goetsu3.jpg



お賽銭を、その柱に埋めた。






goetsu5.jpg



某限界過疎の地にて一景。



途中のリアル山道。

今宵、土砂崩れにより道路封鎖。
周囲の山々も岩盤崩落のままにむき出し。

垂直な道路脇の岩盤は今まさに崩落せんと

ダモフィーロを囲んだ今宵。




<夜と雨の中は、絶対に走りたくないぞ>

と忌憚なく感じる世界観であった。




それでも人は生きている。

それでも軽自動車は走っている。



それでもダモフィーロは足を踏み入れた。








エリアでいうところの早川町から、

冒頭のマップで見える
右下<山中湖村>の一つ上にある<忍野村>へ。



山梨県の山々の中をぶった斬り横断。


マップで見れば
横に走れば行くことができるように見えるが、


その間は山である。


少なくとも
身延町から旧上九一色村までは

山越えとなる。



山を越えれば本栖湖(富士五湖の一つ)。


本栖湖から青木ヶ原樹海を抜ける一本道を
ひたすら走ると河口湖や忍野村へ辿り着くわけだ。






goetsu6.jpg



本栖湖。

富士が見えているのだが、
どこにいるか分かるであろうか?





アップにすると、



goetsu7.jpg



富士の頂が見えよう。









*****







今宵の
ファイナル・デスティネーションは、


忍野村。



そこには忍野八海という存在がある。

これはまた別途フィーチャーする。





今宵のファイナル・デスティネーション、

忍野村で見る富士。






goetsu8.jpg







今宵の長い長い呉越同舟の旅は、

霞ヶ関を厚木で降ろし、
さらに東名を戻って田園都市に9PM着で終了した。






I'm so tired. である。














posted by damoshi at 01:13| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

のざらし紀行:特別編〜5/24/09の甲府から







のざらし紀行の特別編。


これまで紹介したことがあるところも
今宵初めて掲載するところも

いずれも

5/24/09の甲府から。






まずは石和。

オークスは昨晩予想を掲載したが、
取り上げた筆頭三頭と次点二頭は
すべて六着までに来たが、

本番で三着に入り込んだジェルミナルだけ
外していたから

不的中に終わった。





noza1.jpg



妙に混んでいたウィンズ石和。

駐車場が満車で
10分ほど待つハメになった。


なぜこんなに混んでいるかといえば、
ニッポンの中での
ウィンズのロケーション的に

大穴的な位置にあるから

というのが筆頭要因であろう。



駐車場には、

山梨ナンバーはもとより

所沢ナンバー
沼津ナンバー
松本ナンバー

などが多く見られた。




そもそも

なぜ石和なのか。


これもまた甲斐国の謎であり
七不思議である。



なぜ石和にウィンズがあるのか、と。


それこそ大月でも良かろう。

あるいは
位置的に長野の松本でも良いのではないか?

浜松でも良いだろう。



だが、やはり位置的に石和か。


静岡と長野の真ん中。
東京都下と東海地方の真ん中。


そういう位置関係が甲斐国にウィンズを
設置する理由として成り立つが、


甲斐といっても大月ならば
東京に近いし、

都留や富士吉田では
長野の人が来られない。


そういうことからも

石和が選ばれた理由としては
考えられるか。



ゆえに

色々な土地の人が押し掛けるから
広大な駐車場も満車になってしまうのであろう。






noza2.jpg









*****







武田信玄を祭神とする武田神社。


武田信玄公に
リスペクトを示す神社。



二月に続き掲載。




noza4.jpg



noza5.jpg



お守りを買うという
ミッションは、


善光寺か武田神社か思案したが、
こちらを選んだ。





noza3.jpg



ヤングレディも参詣。





noza6.jpg



noza7.jpg








*****






武田神社からほど近い位置に

信玄公夫人の廟所たる
円光院がある。


これもまた二月以来の掲載だが、

ここがまた良い。





noza8.jpg



今回は未公開の
上から見た円光院の一景。





noza9.jpg



noza10.jpg






さらにその近くに、信玄公墓所がある。

むろんお参りした。





noza12.jpg



noza11.jpg



周りは明るい陽射しを受けて花が咲く。



noza13.jpg









*****








今回の宿の近くには、

芸術の森がある。


森の中には
文学館と美術館が静かに佇んでいる。


緑豊かな瀟酒な空間である。






noza14.jpg


noza15.jpg


noza16.jpg


noza17.jpg




甲府といってもナメてはいけない。

山梨県の県立の美術館は大きく、
文学館もその企画モノは秀逸。




甲斐国ゆかりの作家として
樋口一葉も登場する

(当欄で一月頭に
 オトナの散歩&遠足での
 <本郷>で掲載)。



企画展は
全国的に今年はフィーチャーされている

太宰治。




noza21.jpg








*****







最後に甲府の緑と猫を。


甲府の緑はリアルに鮮やかである。


そして猫もまた
過ごしやすそうに
警戒心緩やかに生きている。





noza18.jpg




noza19.jpg






旅の途中で猫に逢うと、

家の猫を思い起こす。

そして、逢いたくなる。


ポポ、ジャック、2号、ケロ。


特に
ダモシに甘えるジャックは、


ダモシが旅に出る朝になると
必ず

甘え目線で見上げて
すり寄ってくる。


そして
ワイフとジュニアと共に
玄関まで見送るのである。



猫は気ままとはいうが、

それは
実際にはそうであるが、

ダモシの家の猫は

手前味噌ながら

ニッポンからニューヨーク、

そして
ニューヨークでの生死の分水嶺からの
奇跡の生還、

ニューヨークからニッポン

などなどを経てきて戦友
であることもあってか、


人間への依存度が過剰に高い。




まるで子供であり、

甘えるだけの
若い時分の恋人としての
ヤングレディのようである。


ダモシだけならいざ知らず、

最近は
家族で旅行で家を空けて
帰ってくると、


意図的に食事をしないという
行為に出る。



食事をしなければ痩せてしまう。

一日、二日…。


そして
顔は明らかに怒っている。



<なぜ、二日も家を空けて
 放っておいたのか>と言っている。



だから
ふだん以上に可愛がるのである。


そうすると、

深夜、

目を離したスキに
かりかりとキャットフードを食べる音がする。


部屋から顔だけ出して
そぅっと見てみると、

それがジャックだったりするわけである。





毎日一緒にいるのに、

たった一泊で

且つ
海外というわけでもなく

東京から近い山梨なのに、


ジュニアや猫たちに逢いたい

というのは困ったものである。





それもこれも

旅が頻繁に続いている
(家を空けている)


からであろう。





今、

ホテルの部屋の窓から
甲府の町を見下ろすと、

そこは住宅街。



灯りはほとんど消えている。


皆、眠っているのであろう。




ワイフとジュニアと猫たちも

眠っているだろう。




ダモシも

もう少ししたら眠ろうか。



明朝はバイキングだ。















posted by damoshi at 01:23| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

青空の法則







今宵三度目の温泉浴場で湯に浸かり
湯上がりに一杯、ビールをぐいっと
やっているところである。





雨の田園都市から
甲州街道へ都内を縦断。


調布から中央フリーウェイに入った朝。


雨。




フロントガラスを
大粒の雨が打ちつける。


世紀の愚策<休日1,000円走行>
に便乗する皆々様を尻目に

ダモシは
ビジネス・トリップで中央フリーウェイを
走った。




甲斐国に入っても、未だ雨。

上野原、大月、
そして一宮御坂。


ウィンズ石和で馬券を購入してから

甲府へ。



甲州街道。

甲府市内に入る頃
空が突如として明るくなるや否や、

雲が急いで流れ、

青空がダモシを迎えた。





<ダモシx甲府=青空の法則>は

ここまで
回数を重ねても、

且つ
今宵のように
雨の予報であっても、


生き続けた。


甲府市内に入った途端に

劇的に
青空が広がった。



まったくもって不思議である。




"北の某"国が
ダークスカイ&陰鬱のイメージしか

ダモシに残さなかったという悲劇とは

雲泥の差の

甲斐国(特に甲府)。




<青空>
そして
<暑い>という

明るいポジティヴなイメージしかない甲府。



その差は大きい。





それにしてもなぜ、

ダモシが甲府に行くときは
いつも晴れるのであろうか…。


果たして明日はどうか。





0nashi2.jpg



甲州街道。

石和から甲府へ入る頃合い。

空は突如、青に化身した。





0nashi3.jpg



いつもの善光寺。今宵の様子。

暑い。
なにしろ暑い。



甲府が<青空>のイメージならば、

善光寺はまさに
<猛暑>のイメージである。


そもそも
一般的に言われるところでの<盆地>ゆえ
暑い甲府だが、


それにしても
特にこの善光寺はなぜか暑い。



それもまた七不思議に値する。




なぜ善光寺はいつも、暑いのか。




<ダモシx善光寺=猛暑の法則>








*****








0nashi4.jpg



武田信玄の夫人が眠る地から

甲府市内を眺める景。

暑さが伝わるか。
とにかく暑いのである。甲府は暑い。


好きだ。

暑くて、明るいのが、好きである。







0nashi5.jpg



佇むダモフィーロ。

甲斐国出没率が今年は
著しく高い。


とにかくダモシのところに
やってきて
ダモフィーロに化身して以来のこの車は

過剰労働といって良いほど

走りまくっている。


もはや愛しのパートナーである。






0nashi6.jpg



夜が来る頃合い、

宿の部屋から見た空。


まるで
フロリダのスコールのような
一過性の強い雨が

7PMになって降り注いだ今宵の甲府。



それはダークな雨ではなく、

気持ちのよいシャワーである。


シャワーは、
晴天の中で一時的に降り注いでこそ
シャワーである。







0nashi1.jpg




例の<週山>。


週末は山梨にいます。


これは今やダモシのための
キャンペーン・コピーか、


こうなるからこその
予めのキャンペーン・コピーか。




前週は木曜夜に甲府に入り、

金曜は
怒濤のトラブルの中を甲府を筆頭に
甲斐国内を富士まで走って
東名で戻り、



今週は
日曜の昼に甲府に入り

明日、

予定では
甲府を皮切りに
今度は身延ラインというまた甲斐国の別世界
(以前、身延山久遠寺を取り上げた)を
走り、


そこから甲斐国を横断して
さらに
富士五湖と青木ヶ原樹海を横断してから

東名で戻る。







*****








6月、

ジュニアの空手の大会が二回ある。


会場は横浜アリーナということで
今度は全国大会のようである。


その前日には藤沢でローカル大会が
あるようだ。


二日連闘となるジュニアだが、

前回の
初戦敗退の雪辱を期して臨む。




ダモシはそんなジュニアに、


武田信玄公の本丸でもある
武田神社の

<勝>のお守りを購入した。



むろん、

二月以来二度目となる
武田神社への参拝を果たして

ジュニアの健やかなる成長と
我らのハッピーを祈願した。








この後、

武田神社、ウィンズ石和その他含め

今宵の甲府から
<のざらし紀行・特別編>をお届けしたい。



















posted by damoshi at 23:54| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

束の間のサタデー、諸々。





昭和&バブル時代よろしく

相変わらず
24時間戦えますか状態で

霞ヶ関の子守りで疲れ果てている。


よふやく今宵は
プライベート・タイム。



明日のサンデーは、

またまた、またまた甲斐遠征で泊まりである。


いよいよもう宿は替える。


二月来の甲斐国行脚の中で
甲府滞在時は

甲府ホテルのみを常宿としていたが、


もうそろそろ替えよう、と。



甲府ホテルは良い。
甲府においては良い。

地方のビジネス系ホテル特有の
シャビー感がないから選んでいた。


・シャビーではない
・価格は妥当
・朝食もついている
・ロケーションが良い(駅至近)

に加えて、

他と比べて
大きなアドバンテージになっているのが

・駐車場。


駐車場がついているホテルであっても、

それは
ホテルのものではなく
隣接するものであったり

無料ではなかったりするケースが、

甲府市内のホテルには多い。



ホテルの専用駐車場が
宿泊者は無料で停めることができる点は、

こと
甲斐国行脚案件において
車が欠かせないダモシにとっては

大きなアドバンテージだったのである。



駅至近であることや
オフィシャル案件各所とも至近であることもまた
しかり。


交通量が多いことと
信号が異様に多いことから

奇妙なほど大渋滞し
円滑なドライビングが遮断されてしまう
甲府市内中心部にあっては、


上記の要素は重要になってくるわけである。




kofuhotel.jpg


ここで
夜を何度過ごしたであろうか。



明日はホテルを替える。


・格的には同列
・部屋的にも同格
・駐車場が無料ということも同条件

である。


違いは何か。

甲府駅からは歩くことはできない距離である
ということが一つ。


だがそれは、車で動く分には問題ない。

オフィシャル案件の場所との距離は
車でわずかに3分程度。

甲府駅までも車であれば5分程度。


新たに泊まるホテルの
アドバンテージは何かといえば、


・朝食バイキング付



・温泉大浴場付

ということである。



甲府ホテルは朝食付にすると
和洋いずれかのそれを選ぶ。

いわゆる定食であり、
定められた一定量となる。



だが、新たに泊まるホテルはバイキング。

食べたいだけ食べることができる。

そのポイントは大きい。



そして温泉。

日曜の夜、ビジネス・トリップで
一人過ごすホテルで、

ゆっくりと温泉に浸かり

物想いに耽る

という愉悦を享受することができる。





そろそろ甲府ホテルが飽きた

ということもあるが、

わざわざ日曜に
ビジネス案件で一人で行くわけである。


ホテルの中での夜くらい

一人静かに温泉に入りたいぜ

といったところと、


24時間戦うためにも
朝からバイキングでわんさか食したいぞ

といったところでの選択である。









*****









そのホテルにチェックインする前に
ゼネラルなオフィシャル案件が
甲府市内であるわけだが、


さらにその前に

東京から移動する流れで

オークスの馬券を購入しなければならない。



<どこで買うかな>と考えていたが、

そういえば
山梨県にもWINSがあることを思い出した。


石和である。

甲斐国の石和。

甲府市内へ入る前に
まずは中央道から一宮御坂ICで下りて

石和へ向かい
WINSで馬券を買おう、と。



石和は先週の甲斐国行脚の際に
足を踏み入れた。



isawa.jpg

(石和温泉駅前の様子)。





"こんなところ"といっては何ではあるが、

なぜ
いわゆる石和=山梨県笛吹市に
JRAウィンズがあるのか。



そして
それがあることは当然昔から知ってはいたが、


明日、初体験となる。

そろそろ的中させたい馬券。

オークス、石和。



甲斐善光寺の七年に一度の勝縁に触れたダモシ。


ここのところ不的中続きだけに
明日のオークスは勝てるか否か。





buena.jpg




"普通に"見ていて、読んで、分析すれば、
ブエナビスタが本命ということに
異議もなければ、

<ブエナビスタが最も勝つ可能性が高そうだ>

となろう。


そして
同じく"普通に"見れば
その対抗はディアジーナであろうことは
分かるであろう。



4枠7番ブエナビスタ
x
4枠8番ディアジーナ


7-8、8-7の馬単。


馬券はこれだけで良さそうだ。



そして桜花賞組では、

(距離延長での)上がり目が期待される
2枠3番レッドディザイアも
視野に入るか。


7枠14番ジェルミナルは

桜花賞での最後の直線で
ブエナビスタに差された後に
気を抜いた点が気がかりである。


あれは意図的に力を抜いたのか。

まともな勝負で負けたのであれば
既に勝負付けは済んだと見るのが
妥当であろうが、

あの最後の直線での気の抜けようが
気になる
(少なくとも余力残しに見えた)。


一応、イキ。



桜花賞組ではない馬。

つまり
ブエナビスタと勝負していない馬。

その筆頭が前述したディアジーナ。

ディアジーナはしかも
ブエナビスタ未勝利及び未経験の距離を
既に走っている。

つまり1,800mと2,000mを走り勝っている。

その点はアドバンテージといえよう。


ブエナビスタは1,800mで負けている。
勝利はすべて1,600mのマイルで、
2,000mは未経験(1,800m以上は未経験)。


2,400mのオークスにおける
ブエナビスタのディスアドバンテージを
重箱の隅を突くように問えば

未体験距離である

ということか。



しかしその父は、

ダモシ渡米年
(98年までの本妻時代の最後の一年)

のダービー馬・スペシャルウィーク。


それは2,400mのダービーはもとより
同距離のジャパンカップ、
長距離の天皇賞・春も制した名馬。

心配はない。


だが、母のビワハイジ。
これが懸念される。
ビワハイジ自身、1,600m以上に勝っていない。



桜花賞の強さそのままに

オークスでも走ると断じるには
未だに穴はある。



それに引き換え、ディアジーナは万全だ。

父はあのメジロマックイーン。

ダモシが
好きなサラブレッドの一頭。






・ブエナビスタ
・ディアジーナ

・レッドディザイア
・ジェルミナル


の四頭は
"普通に"可能性的に
よりウェイトが高く

人気になるのだろう。



もう一頭いないのか。

となると
やはり桜花賞とは別路線組から

8枠17番のデリキットピースか。



キャリアは未だ二戦(二勝)。

だが、明らかにオークス狙いの戦略が匂う。

二戦はいずれも2,000m。

前残りの多い今回の東京競馬場開催にあって
先行するであろう
(二番手か三番手を走ると想像できる)
デリキットピースが、


逃げるであろう
ヴィーヴァヴォドカに惑わされずに

自分のペースで二番手を走って
レースを作れば

チャンスは出てくるのではないか。




以上の五頭、つまり

・ブエナビスタ
・ディアジーナ

を主軸に

抑えで

・レッドディザイア
・ジェルミナル

という四頭の本命サイド路線プラスαで

・デリキットピース

を加える

という算段か。



しかし
桜花賞組ではジェルミナルを外したい。

これを入れるならば
逆にブロードストリートを
取り上げたい。


さらにいえば8枠の
デリキットピース以外の二頭。
これも侮ることはできない。



・ブエナビスタ
・ディアジーナ
・レッドディザイア

を筆頭三頭にして順列通りに
ウェイトを置き、

次点で
・デリキットピース
・ブロードストリート

抑えで
・サクラローズマリー
・ワイドサファイア


この七頭をどう組み合わせるか

といったところか。



今夜さらに推敲したい。









*****








束の間のプライベート・タイムの今宵。


疲れた身体と
相変わらず風邪の治らぬ身体に
鞭打って朝一番で起きて、


ジュニアと二人で出かけた。


以前から約束していた映画鑑賞である。


<超・仮面ライダー電王&ディケイド>。





映画館で映画を鑑賞すること自体、

米ニューヨーク時代に観た
<ワールド・トレード・センター>(06年)以来
三年ぶりだが、


ニッポンの映画館での映画鑑賞となれば、

それこそ
やはり98年以来だから

もう11年ぶりとなる。



ニッポンで映画館で最後に観た映画は
<タイタニック>だった。



港北エリアの複合型映画館。

ジュニアと二人で
映画館で映画を観るのは

これは初体験。




映画のパンフレットと
ライダーのソフビを買ってあげた。




0eiga2.jpg




そして夏休みには

歴代の仮面ライダーが全員登場して
ショッカー軍団と全面対決する映画と、

劇場版・侍戦隊シンケンジャーの

二本立てが公開されるのだが、

その前売チケットを買うと
小さな人形がプレゼントされるということで、



<これは夏休みに
 マミーと行きなさい>と

購入してあげた。


プレゼントがつくというヴァリューは

ダモシのような
バカ親を釣るには最適なのである。




0eiga1.jpg





だが、合理的だ。

今宵のライダー映画は一本。
当日券はダモシが1,800円で
ジュニアが900円。


合計は2,700円。


夏休みの二本立ては
前売で<親子ペア・チケット>を買えば
2,000円であり、

それにプラス、人形が付いている。



どうせ行くなら、

前売チケットを買う方が
明らかにアドバンテージである。





さて、映画。

映画は楽しんだ。
面白かった。




0eiga4.jpg



今年甦って公開される
<宇宙戦艦ヤマト>を彷彿とさせる/意識したのか

こういうシーンがクライマックスになっていた。

テレビとは異なる
映画のダイナミズムを生かしていた。


<宇宙戦艦ヤマト>まで観たくなってしまった。







映画といえば

公開予定のもので観たいのは

<劔岳 点の記>である。




0eiga3.jpg



2,999mの劔岳に賭ける男たちの野望。


映画案内をそのまま記載すれば、



◇◇◇
陸軍参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎は、
日本の地図の最後の空白地点を埋めるため
「劔岳の初登頂と測量をせよ」という
最難関の命令を受ける。

だが、ガレキだらけの尾根、雪崩や暴風雨など
想像を超える困難が、測量隊7名の行く手を阻む。

そんな中、
創立間もない日本山岳会の劔岳登頂計画が…。

陸軍の威信にかけても初登頂をという
プレッシャーのもと、
柴崎たちは無事2999メートルの
劔岳頂上に到達し、
地図作りの任命を果たせるのか…?
◇◇◇




今週、霞ヶ関某所で
たまたま手にとった紙媒体に
出演者のインタビューが
掲載されていたが、

CGなしで
リアルに出演者がこの山を登ったという。

邦画も力を取り戻しつつある昨今。

ダモシ好きな
ヒストリカルな実話をもとにした小説を
基盤とした映画は

観たいところである。



その

<ひたむきに歩め、
 前人未到の頂きへ。>

というコピー自体が既に

ダモシ好みである。









*****








ヒストリカルな事件や実話を
題材あるいは基軸とする
ノンフィクション・ノヴェルや
ノンフィクションは

そもそも好きなダモシ。


それは

トルーマン・カポーティの<冷血>から
最新の
<運命の人>(山崎豊子)まで

日米その他を問わない。




その<運命の人>。


先般も当欄に記載したが、
先行で刊行された(1)(2)巻は双方

読み終えた。

(3)(4)巻の発刊を待っているところである。





unmeihito.jpg




あくまでも小説だが、

実話をベースにしている上に

実在の人物が分かるように
書かれていることから、

ストーリーのテンポなどによる
サスペンス・フィクション
としての軽妙さと、

ヒストリカルな事件が基軸である
ということでの
ノンフィクション的な重々しさが

絶妙に交錯した展開で

一気に読ませる。




あくまでもフィクションの形態を
採ってはいるが、

登場人物が

実在した誰かがすぐに分かるように
名づけられているから

入りやすいのである。



米のニクソン大統領はそのまま出てくるが、

日本勢では、

佐藤栄作=佐橋首相
大平正芳=小平正良
田中角栄=田淵角造
福田赳夫=福出武夫
横路孝弘=横溝宏
楢崎弥之助=奈良本議員
三木武夫=二木

等々と

まるで
テレビゲーム・ソフトでの
野球やプロレスで
実名がつけられない場合の当て名がごとく

誰かすぐに分かるようにされている。


実際には
"三角大福"
(三木・田中・大平・福田)だったものが

小説の中では
"二角小福"となっていることなど笑いを誘う。





実際に起こった事件だけに
その結末は既に分かっている。


それでも

(3)(4)巻が早く発刊されないかと
感じさせるほど

ノヴェルとしての面白さがある。




主人公のアクの強さと
"24時間戦えますか"ぶり、反権力志向
などは共鳴できるが、

(主人公自身が措った手法)が
やや稚拙だった面と
そこにマインド的な焦りがあったことが
トラブルを巻き起こした
一つの要因になっていて、残念である。


ただ、

対霞ヶ関

という部分での


露呈される
<霞ヶ関>の伏魔殿ぶりと世間知らずぶりには
大いに頷くところであり、

官公庁体質、官僚性質と
現在身を以て対峙している側としても


さっさと選挙を行い
民主党政権になり
あらゆる事柄で<脱官僚>に移行して頂くと同時に、

あるいは
いっそのこと
"北の某"の例えば最北端あたりに

その機能を丸ごと全面的に移転隔離
及び国民による管理をすれば

(首都機能のうち"霞ヶ関"をそのまま
 最北端の僻地へ移転隔離すれば
 好き勝手できないであろう
 
 =遊びも暗躍もできない環境に追いやり、
  テキパキと正当な事務処理だけを
  行うよう業務徹底させる
 =業務レポートを毎日国民に公開する
 =そのギャラは働きぶりに応じて国民が決める)


たいへん愉快であるぞ?

と思っているダモシとしては、


読みながら

功罪あれど
主人公側というか
対霞ヶ関側(反霞ヶ関側)に
シンパシィは抱くところではある。








*****








といったところで


諸々のサタデー。



束の間の
わずかな半日の休養での諸々である。








明日は、

石和ウィンズ現地レポートその他



また甲斐国からお届けしたい。













posted by damoshi at 21:30| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

燃ゆる富士






今宵、

またまた吾輩は甲斐国であった。



またまた
牛に引かれて善光寺。



そして
未だ

<ダモシx甲府は、いつも晴れ>が

継続している。




富士景も

もはや
ここまでくると

いずれ頂上へ上らなければならないと
思えるほどに


毒を喰らわば骨の髄まで的な

各所からのものとなっている。





<本妻復帰>の昨夏以来の、

一連の富士との絡みは
6月か7月まで続くかといった状況である。



ゴールは見えている。

その関係性のゴールは確かにある。


そのゴールまで

富士と大いに絡んでいくであろう。






富士はニッポン一である。

それは、まぎれもない。


これは単に高さの問題ではないのである。

そのフォルム。

世界に例を見ない単独峰としての儀容の突出性。




まだまだ関係は続こう。







0520fuji1.jpg



また、だ。

また善光寺。

善光寺のこの写真は何度も掲載しているが、
空が青ではないケースは
一度もないはずだ。




なぜ

ダモシが行くときの甲府は
サニースカイになるのか。






0520fuji4.jpg


富士関連の某ファシリティ。

その昔、
これは富士の頂きにいた。

そのバックもまた青空。





0520fuji2.jpg



富士の溶岩。






そして、

各所からの今宵の富士。





0520fuji3.jpg




0520fuji5.jpg




0520fuji7.jpg







そんなヒマのある人はいないし、

何の得もないが、

<ダモフィーロを探せ>。



0520fuji6.jpg







甲斐国からの富士。


のみならず、

今宵は駿河からの富士を。



まさにそれは、燃ゆる富士。






0520fuji8.jpg




0520fuji9.jpg




0520fuji10.jpg







富士は、甲斐か駿河か。















posted by damoshi at 23:17| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

そういうしているうちに…







木曜の夜、甲府ホテルの部屋で記載して以来か。



それこそ、
そうこうしているうちに


翌金曜日から昨日まで
対霞ヶ関で丸三日忙殺されていた。


甲府で朝を迎えた金曜日。

のっけから
対霞ヶ関で
ダモシ自身久しぶりにブチ切れた中、

その日の相棒と甲斐国行脚の最中、

丸一日中

車中で携帯電話で喧々諤々外交。



いま、ここ(甲斐)にいる意味がない

といった状態で
一日を終えたわけである。


甲斐路行脚は
その都度、その日の相棒がこなしたが、

朝にフル充電されていた携帯ですら
夕方には電源切れになる始末。

朝からブチ切れて
遂に本気になってしまったダモシを気遣い、

相棒は機転を利かせて
山中のコンビニに車を急停車させて
携帯充電器を仕入れてパスした。



土曜、日曜。

日曜は閑散とした霞ヶ関に
怒りのダモシとダモフィーロが
乗り込み、

ダモシ軍も三名に増強された中でバトル。


本気になったダモシの
怒濤の論破で終了したらもう3時。


帰路、R246の世田谷エリアで遅めのランチとばかりに

路肩に車を置いた
わずか四分の間に


例の"嫌われ者"民間依託された取締員の暴挙により
ドアに駐車違反のステッカーが
貼付されるに至り、

そもそも金曜以来血圧が上がりっ放しの
ブチ切れダモシは

これまたブチ切れ。


三十分間の猛抗議と相成り、

路上には見物人の波。



核心は一つ。


<四分間の"停車"で私は違反者になり、
 ほれ、見ろ、あそことあそこ、
 少なくとも四分以上停めている者には
 ステッカーを貼らない、貼っていない現状。

 これを不公平というのだろうが。

 これを不公平と思わないのか否かを

 "人間"として聞いている。幼稚園児でも分かるぞ?>


ということである。


輩はもはや機械である。

依託を受けているその輩の
会社の責任者を現場に来させた。



<要するに応えて頂きたいことは一つ。

 四分停車した私が駐車違反で、

 四分以上停車している別の車が
 駐車違反になっていない。

 これを不公平というのだが、
 どう答えるのか、君たちは>


ということである。


輩の答えは分かり切っている。
予想された答えである。



<人間がやっていることなので、
 順番に取り締まっていく中では
 どうしようもないのです>


といけしゃあしゃあと回答する。


<ほれ。だから、キミたちは
 自分たちの都合が悪いことになれば
 "人間だから"と言う。

 取り締まりも
 人間がやっていることだということだろう?

 だったら、
 人間としてそういう不公平な取り締まりをしていて
 おかしいと思わないのか?

 四分しかいないわけで、
 悪質な違法駐車ではないのだし
 すぐにこうして来ているわけで、
 そこを酌量して取り消すとかしたらどうだ。

 赤ちゃんや子供が急病になって
 四分だけ車から離れた。
 あるいは
 急な発作で四分だけ車から離れた。

 こういうケースでも
 機械的に駐車違反だとするわけですか。

 人間がやっていることでしょ、すべて。
 社会は人間で動いているのだよ?>


<取り消すことは、できない>


<それはできない、とか、
 物理的にとか、そういうことは
 勝手な都合であって、私には関係ない。

 不公平な取り締まりをしている事実がある中で、
 どう思っているのか、と。
 どう説明するのか、と。

 ルールブックを見せろ。

 非人間的に機械的にすべての駐停車車両を
 取り締まれ、というルールブックを見せろ。

 そして、
 不公平な取り締まりをしています
 というのを、ならば認めればいいでしょ>


と主張した。



その日の相棒も激怒して

駐車違反のステッカーを
輩のポケットに差し込み


<いらないから、持って返ってくださいね、これ>

とアピール。


逃げる輩。

<あなたたちのモノだから受け取れない>

と宣う。


ダモシ、怒る。

<私のモノじゃないよ。
 こんなもの私は所有していない!>

<そもそもこれはあなたのモノでしょ。
 あなた方が貼ったのでしょ>

と言う。


だが機械も答える。

<貼られた時点であなたのモノなのです>

不埒な論理だ。


<そんなロジックはないよ、キミ。
 あなたが持っていたモノを
 勝手にこちらに貼っただけでしょ。

 カエルを持っていて、
 いらないからと俺に勝手に寄越して、
 その後で
 そのカエルはあなたのモノだと言うことなんぞ
 通用しないよ。

 カエルはいらないから、カエルは>


さらに言うダモシ。



<そもそも、だから、最初から言っているように。
 不公平で申しわけありませんと
 素直に詫びれば良いわけでしょ?

 私が人を殺しました。
 で、あなたも人を殺しました。
 でも私だけが犯罪に問われ、
 あなたは問われない。

 これ、不公平でしょ?>

と。


すると機械、

小難しそうな顔を演出して
考える仕草をする。


ダモシ、笑う。


<ワッハッハ。あなた。

 考えることかいな。

 何を難しい顔して考えとるんじゃ。
 考えるフリをするのはやめなさいよ。
 みっともない。

 考えるまでのことでもないでしょ。
 幼稚園児でも分かるよ?>



<さっきの係員の名前も聞いた。
 で、あなたの名前と会社と電話番号。
 それを教えなさい。

 ね?名を名乗りなさい。

 アイ・アム・ダモシ!
 ワット・ユア・ネーム!>

と追求。




すると、

あちらの方でも
一般人と取締員がモメている。



当たり前だ。


こんなやり方をしていたら
モメる。


これでは権力の加護のもとでの、暴挙である。





<実際、モメごと多いでしょ?
 なぜ多いかマーケティングしてるのか?

 教えてあげようか?

 きちんとルールを提示しないからだよ。

 ね?

 こうこうこうで、こうだから、
 取り締まるのですよというルールを
 明文化していないからですよ?

 且つ、この不公平感。

 昔チョークで書いたでしょ。
 チョークで書いてから何分後とか、
 誤差が生じないように車かバイクで動くとか。

 なによ、いったい。
 なにを徒歩でトロトロ歩いて調べて、
 で、見てたけどね、作業の仕方。

 もう、最初に見た瞬間から写真撮って
 すぐに貼ってるじゃない、ステッカー。

 そのやり方と作業ぶり見ていると、
 極論すれば停車後10秒でやっているわけだ。

 そのあたりの不公平感を
 どう処理するのかを聞いているわけですよ。

 そもそもどういうセミナーを受けてるのよ>



延々と続いた。


ダモシはもはや

昔の阪急ブレーブス/上田監督か

はたまた
今の広島/ブラウン監督か。



沿道の人々はしかし、

ダモシに好意的視線であった。

もっと言ったれ、と。


<私は怒っている。人間だからね、私は。

 人間に対して同じ人間が
 こういうやり方で取り締まりをしたら、
 必ずトラブルになりますよ?
 ということを言っているわけです。

 あなた。人間として聞くが、
 自分でやってておかしいと思わないのか?>


と。



おかしいぞ、と。




メディアでは、
映像などで
怒るドライバーが悪いという流し方で
切り取るのが通例だが、


実際には

普通に、
ああいうやり方をしていれば、

人間ならば怒る。




そもそもこの交通関係の取り締まりだが、

警察によるスピード違反にしても

委託業者による
駐車違反取り締まりにしても


不公平なのである。

アンフェアである。




誰もが思うであろう。


もっと悪質なスピード違反や
駐車違反はいる、と。


軽微なそれを捕まえ、

悪質なそれを捕まえない。


この不公平なスキームがある限り

必ずトラブルは起こる。




係員、二人。壮年だ。

問われてビクビクしていた。
当たり前だ。


おそらく彼ら自身も

<おかしい>と思いながら
あの作業をしているのだから、

ロジックで責められると何も言えなくなる。


だからこそのヘッジが、

<己の、機械への化身>なのである。




ダモシは己が職業として、

ああいった

<心のない>仕事は絶対にしたくない。


そう強く思うわけである。



己が職業にプライドと自信を持っていない
輩は

そもそも頭に来る。


そういう輩に
なぜダモシが違反者として
ステッカーを貼られなければならないのか、と。



最後に聞いた。


<あなたたちはなぜ、

 俺がルールブックだ!

 と自信をもって言えないのだ>

と。




取り締まり
ステッカーを貼ることが仕事ならば、

それに対して誇りを持って取り締まって欲しい。


毅然としたそういう自信を
ロジックと伴って示せば

ダモシとて



<そうか! OK! 分かった!>


となり、話は早いのだから。






とにかく、

民主党が政権をとり
まずは霞ヶ関を何とかしてもらわなければ

厳しいだろう

この国は。




同時に、

この取り締まりに関しても

このていたらくで
進めていくならば、

今後もトラブルは消えないであろう。





そしてダモシはもう体調不良も

いいところである。


先週頭からずっと体調不良であったが、
週末返上の
霞ヶ関の子守りのおかげで

最悪な状態である。

ハナ、咳、熱。

もしや新型か?
とも思えるが、


ダモシの身体は
そんなにトレンドに敏感でもなかろう。





そして

ウオッカは競馬の秩序を守り、

新型フルーは感染者が拡大し、

民主党は鳩山新代表となった。




そんなこんなのここ数日である。






血圧の上がる
そんなこんなの日々にあっては、


もう


富士しかなかろう。



そして

R-246の夕陽しかなかろう。




ということで、

金曜日の富士と今宵のR-246の夕陽を。







yoshidafuji5.jpg



金曜日の朝。

ホテルの部屋から見る富士。



右を向けば、


yoshidafuji6.jpg


南アルプス。



甲府の特権が、これである。





そして

甲斐国内では
ダモシが最も好きな富士景。


それが

迫力のダイナミズムたる
富士吉田市から見る富士である。





大月方面からR-139を南下。

都留を経て
富士吉田市に入ると左折。


富士吉田市の市街地へ向かう
直線道路で


真っ正面に屹立する富士の儀容。



これが好きである。






yoshidafuji2.jpg





yoshidafuji1.jpg





車を運転していると
真正面に出てくる富士の、

このダイナミズムは

何度見ても


<おぉ…>と唸ってしまうほどである。






yoshidafuji3.jpg





yoshidafuji4.jpg








最後に、

いつもの
オールウェイズ、R-246の夕陽


である。



心が落ち着く、凪の時である。





0518yuhi.jpg
















posted by damoshi at 22:45| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

週山、又山








<週末は、山梨にいます>。



甲斐国のキャンペーン・コピーである。


そう言われても、

<So What?>で済みそうな
微妙な土地。


端的にいえば、それが山梨ともいえるわけだ。



それが
箱根だったり、伊豆であれば、

<ほぅ。ヴァケーションですか?>

となり、



それが熱海であれば、

<おやおや、不倫旅行ですか?>

となり、



それがニューヨークならば

"週末"にいるには

あまりにも
現実離れしていて


<ええっ!?>となろう。






<週末は、山梨にいます>に対する反応は概ね、


即座に
<So What?>とはならない微妙さ。


すなわち、

<え…? あ、あ、そう…。で?>

という世界観か。



いかにも山梨らしいのだが、

甲斐国をナメてはいけない。




まだまだ

<ディスカバー・ジャパン>シリーズには

含<のざらし紀行>としての
甲斐路の掲載コンテンツが

残存しているわけである。





"週末"いるには、

箱根や伊豆、熱海が相応しく

甲斐には相応しくないが、

甲斐は甲斐で
のざらし紀行で

未だ見ぬ強豪と出逢う意味では
大いなるインタレストが
潜んでいる、と。






<週末、山梨にいます>



山梨のオフィシャルな
観光エクスポージャーでの
セールス・コピーだとすれば、



ダモシの場合は


<又(また)、山梨にいます>


であろうか。





吾輩はまた、今、山梨にいる。


今宵、

10PM過ぎに甲斐入りした。





ホテルから望む甲府駅ホームがちらっと見える構図。




kf1111.jpg






明朝から

甲府圏内と都留、富士吉田などの
甲斐路で

10件以上のオフィシャル案件での

信玄詣があるため、


いわゆる"前泊"しているわけである。






今週末の府中には、

秩序を守ることができる
数少ない存在の


ダモシお気に入りのウオッカが登場する。




信玄詣をして、ウオッカ勝利を願うとしやう。













posted by damoshi at 01:22| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月10日

猛暑の府中から







今年一番の暑さだった今宵は、

昨晩掲載の通り
<五月の府中>を象徴する絶好の条件となった。



競馬自体への興味はもう
11年前までとはほど遠く薄れているのが
現実である。


正直、
戻ってきたニッポンでの
競馬に関しては面白みを感じられない。


・サラブレッドが走る
・ギャンブル

としての競馬であれば
何ら変わってはいないであろう。


だが、

そこに

・スポーツ
・エンターテイメント
・カルチュラルな装い
・ソシアル性

を加味した場合、

80-90年代と今を相対的に見れば、

前者の方が圧倒的に
面白みがあった。


安直な部分では

・スターホースの不在

が最も大きな要因の一つではあるが、

それだけではないのは当然である。




ダモシの場合は、

一つには

<真剣に予想するのがバカらしくなってきた>

という部分がある。



要するに、

何でもありになってきているのである。


人気薄=実力がない馬

とは言いきれないが、

一方で
その昔は<単枠指定>というものに
象徴されるように

強い馬は強いのだ
という秩序があった。


その"強さ"の秤が


・これまでの戦歴
・持ち時計
・コースとの相性
・距離適性
・騎手の巧拙

その他、各種要件によって分別される。


それらに加えて

・ローテーション
・状態

など

"近々の様子"を踏まえて、


専門紙記者、競馬記者、ファン

それぞれの印を打ち、予想する。



それらの相対的数量によって
オッズもまた決まってくる。


そのオッズを参考にするのもまた
ファンの領分である。



ところが、

今宵のGI東京シリーズ開幕戦の
NHKマイルカップが好例だが、



もう

真面目に、真剣に、
前夜に、カラーペンやマーカーを用いて

アナライズした上で

予想を立てるということの

意味合いが

まったくムダなものになってしまうような、




<そもそも何故、10番人気の馬が勝つのか>


<且つ、何故、揃いも揃って
 人気薄の馬が二着、三着に入ってくるのか>


<しかも、
 一番人気、二番人気、三番人気の馬が
 揃いも揃って惨敗するのは何故なのか>


という結果になるに至り、


ハナから


・印
・分析
・予想


なんぞ

無用の長物ではないか、と。




何となく
ウオッカ以外、

本妻復帰後のニッポン競馬を見ていると

こうした傾向が顕著で、


次第にダモシ自身も

真面目に、真剣に
アナライズして、予想して、ベットする

ということに

時間と労力をスペンドすることが
バカバカしくなってきて、


今宵にしても

先般にしても

公言するほどに<適当に買っただけ>
という世界になっているわけである。




ちなみに今宵のNHKマイルカップ。

三連単は
まあもうここまで出して良いのか?
と思えなくもない

238万1,660円。


こういう三頭の組み合わせを、

<真面目に、真剣に
 アナライズし、予想し、ベット>できた

人がいたならば、

率直に聞きたい。


なぜ、そういう予想が出来たのか?

と。

適当ではないのか?

と。

確信をもって
その予想をしたならば、

その意図とロジックはどういうものなのか?



お伺いしたいところである。





まあ、いい。




秩序のない何でもありの様相。

そして
絶対的エースの不在。


エンターテイメントとしての
面白みが薄れた競馬。



となれば、


東京競馬場のGI、

しかも五月という絶好の時節にも関わらず

今宵の観客はわずかに五万人強
というのも頷くことができよう。



言ってしまえば、

あの頃は
普通に

GIレースといえば十万人規模の動員があった。


観客動員の減少と
JRAの売上減少は歩調を合わせてきたのが


ダモシ渡米以降の趨勢といえよう。



ダモシxダイスキー松坂

同様に

ニッポン不在1ディケードの中での
<縁のない関係>の象徴が、


ダモシxディープインパクト。



ディープインパクトがいかほどのものか。

そして
その存在が

売上や社会現象的にも
どこまで

ハイセイコーやオグリキャップほどであったのか、と。


そう揶揄したくもなるが、

まさに
一本かぶりそのものの
ディープインパクトが引退して以降、


ぎりぎりウオッカが
秩序を一時期示した程度で、


あとはもう

横並びというニッポン特有の世界観に
埋没した競馬界。




ワイフも普通に口をついて出た台詞としての、


<こんなに人が少なかったか…?>

という素朴な疑問は、

ある意味でリアルである、と。





それに輪をかけて、

あの頃と比べて
東京競馬場を埋めたファンの


<競馬に対する熱>が

奇妙なほどに低かったこともまた
気になった点である。




グゥォォォォ〜

という熱がない。



これは
すべてがすべて

あの
<中野コール日本ダービー>を
基準にしているわけではない。


あれを基準にすれば
どんな熱狂も競馬においては
相手にならない。



・オグリキャップのラストラン

・中野コール日本ダービー

・トウカイテイオーのJC制覇と
 一年ぶりのレースでの有馬記念制覇

・春の天皇賞での
 メジロマックイーンvs.トウカイテイオー

その他

あまたある興奮とは
比較にならないほどの熱の低さ。



腐ってもGI。

季節も絶好。

だから
五月の府中は
GIが毎週続くわけである。


にも関わらずの

わずか五万人強という希薄な動員力と
ファンの熱の低さは

考察に値する、と。





fuchu9.jpg




11年前までのGI開催の東京競馬場は、

こういった
馬場内の芝生広場でさえ

足の踏み場がないほどに
埋め尽くされた。








*****








競馬を取り巻く環境もまた

不在の1ディケードで様変わりしたのであろう。


ファンの関わり方の変化ともいえよう。

そもそも

・コアなギャンブル層

は、時代の変遷に関わらず

常にギャンブルとして競馬を見て
接していることで

大きな変化はないだろう。

競馬オヤジ、ギャンブル・オヤジである。




そうではないファン層というものが
80年代後半から90年代初頭にかけて
<武豊xオグリキャップ>
という記号と共に出現した。


時代もバブル。

サラブレッドのぬいぐるみが売られ始めた頃合い。

要するに

・スポーツ
・ソシアル&カルチュラル
・エンターテイメント

として競馬を見る層である。


宮本輝の<優駿>に感動した世代でもある。


極論すれば、
この層は馬券が当たろうが当たるまいが
どうこうない。


ギャンブラーと異なり

一攫千金も狙うこともなければ
大きなお金をスペンドすることもない。


ただ、感動が欲しい。

己が好きな馬が勝って欲しい。






そして昔から変わらぬ
もう一つのファン層は、

文学的に競馬を捉える層である。

カルチュラル層といっても良い。

寺山修司や山口瞳その他もろもろ系含み。






もとより、

ギャンブルとしての競馬にも
こういった
カルチュラルな要素が介在することは言うまでもない。



また、

欧米的な競馬観もある。

米競馬に親しむことで
ダモシはそれを得た。


同じ競馬でもまったく異なるのは、

プロ野球と
メジャーリーグの違いに等しい。


また、
ディック・フランシスなど
西洋のサスペンス小説での競馬シリーズで
感じられる競馬もまた

別の視点を与え賜う。





ファン層様々な競馬。


その中で競馬場を俯瞰した時、

昔からそうであったように
ここには


<ファミリー層>という

これまた異次元のファン層が存在している。



そして
昔以上に、

その層は競馬場に来やすくなった。


競馬自体の市民権が

80年代後半-90年代初頭で
確立されたからである。



ダーティなイメージがあった競馬が
明るくクリーンなものになれば、

必然的に

ファミリーでやってくるという行為の
後押しをする。



それが、

ギャンブラーたるお父さんの
本質的な願望とは異なるにせよ、


且つ

ファミリーで来た場合
自分一人や仲間で来た場合のようには
予想活動や談義、馬券購入を
することができない

という手かせ足かせも生まれる。



それでも、

競馬へ行く

という行為を

家庭というファクターの中で
正統化=エクスキューズする
最適な方法論の一つとして、



ファミリーで競馬場へ行く


という作法は生まれ得るわけであり、


それをまた
容易くしているのが

現在の競馬場

ともいえるわけである。






<12時になったら、滑り台に行くから>

という
エクスキューズを発して

子供を放ったらかしにして
競馬新聞に見入るお父さん。


彼はすかさずその場を立ち
馬券を買いに行った。


12時になって、
お父さんは
仕方なしに子供を遊戯スペースへと
連れていった。


お母さんは
芝生に敷いたシートの上で

自分の本を読んでいる。




こんな構図がティピカルである。



まだまだ、

米のように
バーベキューを行いながら

オトナのベット

を楽しむといった風情は、

ない。




1レースごと終わるたびに

ファミリーで
陣取っているシートに戻ってくる
お父さん。


戻ってきては

ちょっと会話しただけで
真剣な眼差しで
競馬新聞に見入り、

また馬券購入へと出かけていく。





(<そんなに一生懸命予想したって、
  当たらんぞ?>)


というダモシの密かな揶揄が漏れる。





fuchu16.jpg




fuchu18.jpg





お父さんは大変だ。

子供と共に
ミニ新幹線に乗って遊ぶ。


競馬どころではなかろう。





fuchu15.jpg



ファミリー層のスペース。

子供用遊戯具や
街の公園以上の公園遊具が揃う

緑の空間。



もし子供と共に
このスペースで遊んだならば、


競馬どころではないのは

言うまでもない。




それでも
お父さんにとっては、

競馬に行く
競馬場に行く

ことの
エクスキューズのツールとしては

充分成立し得るものとして
無視できないところであろう。





fuchu14.jpg



要するに
メイン・スタンドではなく

馬場内の広大なスペースはもう
子供向け&ファミリー向けなのである。

エクスポージャーも

ハナからそうなっているわけである。










*****








ダモシが揶揄する

<真面目に、真剣に、
 分析して、予想する面々>は、

それでも

まだまだ多い。



今宵のような結果になれば、

それこそ
アナライズすることも
バカバカしさを感じなくはないのだが。




fuchu3.jpg


その筆頭場所がパドック。



fuchu5.jpg


パドックを周回する馬を
真剣に見て分析するファンたち。




fuchu4.jpg



<あんな上からパドック見て、
 当たるならワケないでしょ…>

とワイフは忌憚なく述べる。





ファン層の中にはもう一つ、ある。


それは
<お父さん一人>ヴァージョン。



つまり、構図的にはこうなる。



・子供がある程度の年齢になった
(中学生以上で、同伴でのお出かけはもう
 することがなくなった頃合い)

・妻とも冷え込んでいる

・ふだんは
 会社が終われば家にまっすぐ帰らず
 会社の同僚と飲み屋でクダを巻く

・家ではすることがない
 =
 会社の仕事以外、
 己のライフワークがない


ケースで迎えるウィークエンド。

ヒマである。
することがない。

パチンコか競馬、となる。


妻からも

家でゴロゴロしていないで
出かけたら?

と言われて、

渋々

二千円ばかしを
妻が差し出す。


それを手に競馬へ行く。

昼は一人、
競馬場の中で立ち食い蕎麦を食す。


どうせ、毎週当たらない。


妻からも

<どうせ、また外れたのでしょ>

と心の中で揶揄されている。


お父さんは

<ふぅ。また明日から会社か>
とため息を漏らすが、

実は会社が楽しく
そこだけが己の存在証明可能な場所。


マンデー・ナイト早々から

居酒屋へ同僚と出かけて
明日なき発展性のない話でクダを巻く。



という世界観である。


徹底的にイヤミだが、

ダモシが最も嫌うパターンが
これである。


現実に、この存在はいるだろう。


悲哀が漂うが、

それもこれも自分のせいだから
何もsuggestionすることはない。






<せめて、競馬くらい当たってくれ>


<せめて、夢のない日常と己に、
 競馬くらい夢を見させてくれ>


と思うか否かは分からぬが、

毎レースごと絶叫する。



<そのまま〜っ!>


と。






fuchu7.jpg




fuchu6.jpg






市井の人々の

慎ましやかな夢の

幾千、数万、数億が
この最後のゴール板直前で

差し切られて

散ったことであろうか。





fuchu19.jpg










*****







さて、府中。


巨大な府中駅は
やはり11年の月日は長く、

思い出すのに難儀した。




<そういえば、伊勢丹があったな>

<駅ビルはどこから入ったかな>



ダモフィーロでの
道路走行は比較的アジャスト容易ではあったが、

伊勢丹駐車場に駐車して
競馬場を終えてから

所用のために伊勢丹や駅ビルを
訪れる際に

やや難儀したわけである。


また、

府中駅から東京競馬場への歩行ルートも

さすがに11年ぶりということで
思い出すのに
手間がかかった。


(昨年の単独訪問時は
 京王線の競馬場駅から直結だったため、
 98年までの本妻時代のメインである
 府中駅→競馬場という歩行ルートは
 今宵が11年ぶりであった)。






fuchu1.jpg



少なくとも
このビルは当時はなかったと記憶している。



<本妻>復帰にあたり、

実はこの府中も居住地として
候補になっていた。





駅から旧甲州街道を渡り、

住宅街へ入っていく。


その過程で大国魂神社などを通過する。




fuchu25.jpg



fuchu24.jpg




約10分程度で競馬場。





fuchu2.jpg




fuchu23.jpg




長い地下通路を歩き、

外に出れば一気に視界が開ける。



野球場へ行き、
通路を経て
グラウンドを見渡す瞬間に等しい

開放感。





fuchu22.jpg




fuchu21.jpg






ターフビジョンは、

ギネス認定の
世界最大のスクリーン。


(6月には川崎競馬場に抜かれるが)。




saidaiscreen.jpg






東京競馬場はそれこそ

ダモシ不在の1ディケートの間に
見事に改築されたのである。


ここまでキレイで大きくはなかった。

敷地は変わらぬ広さだが、
スタンド等が
さらに新しく綺麗になり、

大きくなった。






fuchu20.jpg



fuchu10.jpg










*****








東京競馬場の想い出は尽きない。


何度も記載している
<中野コール日本ダービー>だけでも

シリーズ化できる。

その年のブームだった
<紀子さん>絡みで

新卒ルーキー時代の同期の女性の中にいた
<紀子さん似>の女性と

ダモシと
同期の男の三角でのこの日のダービーでの

<意図的演出はぐれちゃった>事件や、


他の女性との東京競馬場、

他の男友達との
ジャパンカップでの
<はぐれちゃった>事件、


和製ラムタラと呼ばれた
フサイチコンコルドが勝った
ダービーの日の
ワイフとの初のダービー生観戦、


ワイフはもとより
当時の仲間たちとグループで
出かけた日の

のっけから
<ダモシ、一万円紛失>事件


その他もろもろ。





そして、

それと同様か
それ以上の想い出を

米の競馬場でも作ったわけであり、


それがあるからこそ、


ある意味で

またこうして再会を果たしても
ノスタルジー
一色にならない理由でもあるのだろう。






東京(東京競馬場)

米(ニューヨークやマイアミ)




競馬に関してもまた

想い出と過去と今と未来は

周回するわけである。




彼らが主役ではなく、

あくまでも

ダモシ自身が軸であり

ダモシが動くことで
それらが周回するのである。






それは今月末に、

ワイフ、ジュニア、後輩たちと共に
出向く


<26年ぶりの、想い出の西武球場>

や、



さんざん愛した
ダモシにとって最高のスタジアム
<ヤンキー・スタジアム>の

いつか行くであろう
新ヤンキー・スタジアムもまた


同様である。






newyankee.jpg



ニューヨークから届いた
新ヤンキー・スタジアムの
最新画像。








:::::






季節はローズ。


東京競馬場のローズ。



fuchu12.jpg






fuchu8.jpg



揶揄したものの、

ダモシx競馬は浪漫派である。


どうあれ、

競馬から血脈のロマンや
カルチュラルな浪漫がなくなっては

元も子もない。


そう思っているわけである。



ただのギャンブルなら、

減ったとはいえ
数万もの人々を
ウィークエンドに集めることもなかろう。




ただ、

今宵のような結果はいただけない。


いくらなんでも
今宵のような
一〜二〜三着をやっていては、


ダメである。





























posted by damoshi at 21:54| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

五月の府中、甦るのは<愛人>ニューヨーク







表題の、五月の府中。


といえば、

七月と八月に匹敵するほどの暑さと
それを凌ぐ太陽の熱の強さに加えて

真夏にはない

爽やかな暑さがイメージされる。




すべて
98年までの本妻時代に
東京競馬場で得たイメージである。


初台
中野新橋
上北沢
小金井

といったワイフとの<本妻・東京>時代。

特に
京王線一本で行くことのできる
上北沢時代と

当時の愛車
ダモーヴァでわずか10分程度の
小金井時代は


競馬専門紙ケイバタイムスを主宰していたこともあり、

頻繁に出かけていたことも
何度も記載した通りである。




五月の東京競馬場開催が

ダモシは
もっとも好きである。


GIシリーズが本格化するのもこの東京から。

日本ダービーまで
怒濤の毎週連続GIとなる。



春が終わり、

入梅までのこの五月の

ある意味での絶好の時節。


府中の杜はサラブレッドで染まり、

コースの中の
大欅はまたそのロールを持って
誇らしげに屹立し

走り去るサラブレッドの無事を見守る。





度々記載している
ダモシの中での
日本競馬の頂点である

<中野コール日本ダービー>(90年)も

五月だった。




30度の猛暑。
だが、風は爽やか。

そんな中、
プロ・スポーツ史上最高の観客を動員した
あの日。



あの日の熱が
そのまま

五月の府中

をイメージづけているのである。




また、もう一つ。


翌91年。

トウカイテイオーが皐月賞に続き
クラシック二冠を達成した
日本ダービーの日。


あの日は、

渋谷WINSで馬券を買って
中野新橋の部屋に戻ったが、


時にまたもや猛暑。




アパートメントの建物ルーフトップに
上がったダモシは、

ウォークマンを耳に

裸になり、眠った。



深い眠りについて目覚めると
出走時刻になっていた。

慌てて部屋に下りると

トウカイテイオーが

<地の果てまでも駆けられる>走りで
圧勝。


その直後、洗面台のミラーで
己の顔を見たダモシは仰天。


まさにラテン系も凌ぐ

南米までも駆けていくかのような
真っ黒焦げに日焼けしていたのだった。





それ以降は、

ミホノブルボンが勝ったダービーの日の
冷たい雨など

絶好のサニースカイ&猛暑

といった図式の記憶は希薄だが、



90年と91年の、
五月に行われていた頃の日本ダービー開催日

が、



ダモシにとっての

<五月の府中>のトラウマとなっているわけである。





昨年の梅雨時、安田記念の日に、
たまたま東京に滞在していたことで
自身10年ぶりの東京競馬場との再会を果たした。


そんな雨の東京競馬場は、

イメージにはない。



そもそもダークスカイやジメジメ、
陰鬱、寂寥、錆びた感&寂れた感を嫌悪する
ダモシである。



行くなら五月のサニースカイの府中。


そう決めている。


決めていた。






明日が絶好である。


明日の東京は

予報の中に<曇り>という文字がない
サニースカイの<晴れ>である。


且つ

最高気温は28度。




これがその通りになれば、

まさに
ダモシの中にある

五月の府中のイメージである。





<明日、府中に行こう>。



夜になって決めた。




ワイフと共に行く東京競馬場は

98年以来11年ぶり。

渡米する直前が最後である。



ジュニアと行くのは初。

ジュニア自身は、

米競馬
・ニュージャージーと

"北の某"国の
・サツホロ
・オビヒロばんえい

という海外勢を経て、

初のニッポン国内競馬場行。




緊急決定に、

夜になりダモシは
明日持参する

・お菓子類
・飲料類

を購入してきた。


ワイフは至急、明日持参する

・お弁当



仕込みと
おにぎりのための米とぎを

深夜行うのであった。





拙宅からはわずか15km程度。

だが、そこは都内の道路である。

混雑するであろうから
40分程度は掛かるであろう。



朝の

・侍戦隊シンケンジャー
・仮面ライダーディケイド

のジュニアの視聴を終わってから

8:30AMには出発する所存である。







車で行く東京競馬場自体、


ダモシにとっても
98年以来であり、


あの一帯を走るだけで
エモーショナルな回顧となろう。





まだまだ米からのニッポンへのアジャスト、

本妻復帰の各種事案は

完全終了していない。




すべての<再会>遂行を果たしたときこそ

アジャストである。




むろん、

それが完遂する以前の

大逆転での
<愛人>復帰極秘プラン

その他各種プランは同時進行しているわけで、




メビウスの輪にある中で、


ならば

己がメビウスになれば良い

という思考の変化を最近は持っているところで、



どちらが主導権を握って動いているのか

ということである。


己が動いているようでいて
実は動かされているだけなのではないか?

というメビウスの輪ではなく、


己自身がまわっているという

そもそもの
ダモシ・イズムである

ローリング・ストーンで考えれば、




<愛人>も<本妻>も

すべて俯瞰して包含したところで

己がいつなんどきでも動くぞという

そもそもある
"感じたら、動き出せ"論は


忘れてはならぬ、と。





これもやはり、そもそもだが、

"北の某"にしても

大阪にしてもそうだが、


己が動いたからこそ生まれた

あるいは

己が動いたからこそ最悪のケースを招いた

という


すべての中心と回転軸は

己である

という思考。




それは

対<愛人>

すなわち
ダモシにとっての

本気度レベルでは

最強の相手であり、相手だった

<ニューヨーク>

というものは、


スキあらば、

こちらから
メビウスの輪として仕掛けてやる

という感覚を

今も、常に、消えずに持っているわけであり、

潜航しているわけである。




ただし、

その過程で

<本妻>が手放さなければ
事態は変わる。

加えてニッポンが
奇跡的に
あのレベルになれば

<愛人>など、必要なくなるわけである。





アジャストと再会は、

己が仕掛けているこれもまた実験であり、


加えて

常に新規アプローチで

新たな旅路を続々と行っている。



その意図はいかに?

という回答は
ハナからダモシの中にはあり、

すべての行為と選択は

最初から戦略立てられている中で

順調に進められているだけのことである。





戦略と戦術通りに進めるのみである、と。

既に
哲学はそもそも持っているわけで、


異なるのはゴールである。


そして
ダーウィンの進化論たる

<生き残る者は、強い者ではなく、
 変化できる者である>

に等しく、


多岐多種に渡るゴールのいずれに

辿り着くかは

戦略立てて進めていく中での
状況と環境に応じて


己自身がいかようにも変化し対応し、

そうすることでまた
おのずと
A-B-C-D-E-F-Gのゴールの

どれに行き着くのかは


見えてこよう、と。




その中には当然、

<愛人>ニューヨークの存在は

常にある



ということである。






<五月の府中>との再会が

<愛人・ニューヨーク>にどう
結びつくのかは

一筋縄ではいかない。



ただ、

ひとつには

そこ(東京競馬場至近の小金井)にいた11年前、

渡米の夢を引き寄せて、
ニューヨークへ飛んだのである。




それから10年後、

ニューヨークはダモシの愛人になり、

ダモシもまた
ニューヨークの愛人になった。

そして別離した。




最後は、

ニューヨークは
ダモシにとっての移動祝祭日になった。



ダモシが

ニューヨークにとっての

移動祝祭日になる

というミッションは、


当然

この先も残り続けるのである。














posted by damoshi at 01:20| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月09日

ディスカバー・ジャパン-19 <金沢・総集編:コンテンポラリーKANAZAWA>







金沢も締めたいと存じている。


言うまでもなく
石川県の県庁所在地。


加賀藩を擁し
そもそも百万石という石高を誇り、

東阪名、京都と共に
五大都市を成していた金沢。

今やニッポン五大都市といえば
東京、大阪、名古屋、福岡、仙台
となるが、

その昔は
福岡と仙台の代わりに
京都と金沢が入っていた。





そんな都市だから
街並の中には
古都風情がふんだんに鏤められている。


逆に
"鏤められている"となるのはなぜかといえば、

その一方にある
現代性の方が
どちらかといえば
メインになっていることと


現代性:新



古都風情:旧


が線引きされているからでもある。




本来、

古都は古都として
"鏤められている"のではなく、

古都風情が全面に漂っている

(鎌倉などが好例)

わけだが、

金沢の面積的な狭さなのか、

古都風情部分と現代性部分が
それぞれ
エリアごと
コンパクトに存在し、


それぞれが線引きされているわけである。



むろん京都も線引きはされているが、

どちらかといえば
古都風情部分のウェイトが多い。

それは鎌倉も同様で、


いわゆる繁華街:
マーケット・ヴァリューの高いエリア



現代性部分となるわけだが、


鎌倉などは
その部分は圧倒的に少なく

ほとんどないと言っても良い。



鎌倉の場合はゆえに

線引き云々もなく、

完全なる古都となるわけだが、


金沢の場合は
近い将来の北陸新幹線開通による

東京からのダイレクト・アクセスを
見越した

マーケット・ヴァリュー確立への

エリアごとの
コンペティティヴな闘いも存在し、


それによって
現代性部分のウェイトが
拡散しているともいえるわけである。



よって、

古都とはいっても

世界遺産認定へのドリームを
持っているとはいっても

古都風情はあくまでも

"鏤められている"世界観にあり、

どちらかといえば
現代性部分のポスチャーが強いと

ひとつには

認められる希有な都市といえよう。





つまり金沢は、

通り一遍の

<新旧混在>等ではなく、

<新旧の線引き>であり

且つ

<新:現代性部分、のウェイトが高い>

都市

という一考察が成り立つことになる。





あくまでも

ダモシが歩いて見て感じたところにおいて

である。





むろん、

兼六園や茶屋街だけ訪れたならば、

<あぁ、やっぱり古都ね。いいわね>

で終わろう。









*****








分かりやすく線引きされている

新旧。



新の代表格の一角は香林坊。

いわゆる繁華街である。





kzw8.jpg



kzw9.jpg



kzw11.jpg



kzw10.jpg




主砲は、渋谷ならぬ<109>。

これは
KOHRINBO 109。


KOHRINBO 109と香林坊アトリオの
東西両横綱を擁する
ショッピング・エリアで、

ブランド店が並ぶ。




atrio.jpg


(香林坊アトリオ)



starbucks.jpg










*****









JR金沢駅を基点に

兼六園をゴールにした場合


<近江町市場、金沢城公園>側と

<香林坊>側からの

エントランス手法がある。



都市構造の基本として、

・ホテル
・オフィス

それぞれのグループの立地と、

・中央郵便局

のロケーションが、

一つのポイントになる。


盛り場たる<繁華街>は通常、
それらと共同体であった。

つまり
同一エリアに位置していたのである。


近年、各地で見られる傾向の一つが
そういった商業施設の郊外化で、


ここに

ある程度の規模を擁する都市の
ジレンマがある。


要するに大都市ではないが
そこそこの都市。

中途半端な規模の都市における

繁華街の攪拌。

これが悩みの種でもあろう。


本来は
メインとなる交通の要衝たる
ターミナル駅周辺に

・ホテル
・オフィス

がグループを成し、

その周囲を繁華街が絡む。

その繁華街側(駅の南北/東西でいえば)の
半径2km以内に

・中央郵便局
 (もしくはメインの大郵便局)

が位置するという構図である。



それはマンハッタンでも同様で
グランド・セントラルもしくは
ペン・ステーション周辺の構造は
都市構造の基本的要件を満たしている。


東京も、
東京駅や渋谷、新宿などの駅周辺は
そうなっている。

甲府ですら、そうである。


首都圏を除き、

ニッポンの各県においては
これに加えて
官公庁も軒を連ねることになる。


狭いからだ。

都市部が狭いから
それらが同一エリアに固まることができるのだ。


だが近年、それも崩れつつある。


先般記載した城下町のポスチャーと

必ずしも現代の都市構造は

同一ではなくなりつつある、と。



郊外にヴァリューが生まれ得たからである。


特に
狭い地方都市の都市部においては

甲府などが顕著な例だが、

異常なほど
メイン駅周辺の交通事情が悪い。


つまり大渋滞するということである。


狭い上に
その地方の物事が動くあらゆるモノが
そこに集中してしまうと

皆が皆、そこに車で集まるから

逆に身動きがとれなくなる。


しかも
それがストレスフルになるから

朝晩の大ラッシュを逃避して

リラックスしたOFF(自宅生活)を送るための
心理的便益を満たすものとしての


<郊外>にヴァリューが生まれる

という構図である。



それに歩調を合わせるかのように
商業施設は商魂逞しく

<郊外でこそ、売れる>とばかりに

大型店を郊外に打ち立てる。



となるが、

次第に都市部から人の姿は消えてゆく。

ビジネス・デイのデイタイムだけが
地方都市の都市部における
動態時間ということになってくるわけだ。



再開発によって

その逆を採った他国の事例もある。


"北の某"の首都サツホロである。

シャビーこの上ない
田舎のローカル駅だったサツホロ駅が

ニッポン資本が入ることで
JRタワーに生まれ変わり、

ヨドバシカメラや紀伊国屋書店が
大型店を持ってきたことで

駅周りの活況が生まれた顕著な例である。


しかも官公庁、警察署、
そして中央郵便局にホテルと

要件を満たすことになったわけである。



一方で
ススキノ寄りの
活況を呈していたエリアが

逆に苦しくなるという世界。




金沢は

香林坊という
駅から離れた

ススキノ的なエリアであるが、

逆に
かつては廃れていて、

近年盛り返した。



しかも

金沢の場合は
北陸新幹線を見据えて

JR金沢駅周辺エリアもまた
開発を進めている。



ダモシが

<ヨドバシカメラや紀伊国屋、
 あるいは百貨店は?>



タクシー・ドライバーに問うたのは、


今こそ金沢駅周辺に

三越や
ビックorヨドバシorヤマダ電機

及び
紀伊国屋やブックファースト、リブロ
などの大型書店

がやってくれば

香林坊を逆転し得るのではないか

と感じたからである。



なにしろ
ホテル関係は

ダモシが投宿した金沢駅ターミナル内にある
新しいヴィアイン金沢



kzw24.jpg



を始め、

ANA、JAL両ホテルもあるからだ。






さて、香林坊。

ホテルでいえば

ダモシの好きな
エクセル東急がある。


香林坊には

新聞社などの各メディア、
各都市銀行の金沢支店が並ぶ。




香林坊とJR金沢駅は

今後も

近江町市場のある武蔵が辻エリアと
共に


金沢の
<マーケット・ヴァリュー三強>

としてエリア覇権を競い合うか。


むろんそこに割って入るのが、
郊外である。







kzw1.jpg



これに似た絵は何度か掲載した。


JR金沢駅東口。
北陸新幹線開通を見据えて整備されたドーム。




kzw2.jpg


駅舎を俯瞰する。




この周囲に、


hotelkanazawa.jpg


ホテルが並ぶ。




kzw19.jpg



ダモシが投宿したホテルは
この駅の中にある。











*****








ここでブレイクで、

古都風情を数枚。






kzw23.jpg



kzw25.jpg



kzw22.jpg



kzw20.jpg




kzw3.jpg








*****







香林坊から兼六園へ。

それは一本道。まっすぐである。


その一本道の両側を
中央公園、金沢市役所、県庁舎支社、
金沢21世紀美術館と連なり、

最後に石浦神社を分水嶺に

兼六園に入る流れになる。



JR金沢駅エリアに御す、

もしくは
それ以上のメイン・エリアであることが
理解できよう。






このストリートは、


kzw18.jpg



石浦神社を
分水嶺として兼六園で古都になる以外は、


ある意味で
モダーン・アートの世界観が漂う一角である。




kzw15.jpg



kzw14.jpg



kzw13.jpg



kzw21.jpg



kzw12.jpg





これらを過ぎると
モダーン・アートの終着点と
古都分水嶺の真ん中に


金沢21世紀美術館がある。




kzw17.jpg



kzw16.jpg




現在、

<愛についての100の物語>展、開催中。


ある種、"パーク"になっていることから
地元の人々の
例えばママ&キッズの散歩道としても一計。




21marumi.jpg










*****








最後に、


古都・金沢の地元の小径で多く
存在する


川と橋を。





kzw4.jpg



kzw5.jpg



kzw6.jpg



kzw7.jpg




観光エリアではない

こんな
地元の小径に

潜んでいるものが面白いもので、

ここにいる人々や
ぽつんとある古本屋、蕎麦屋がまた

良かったりする。






金沢では

既載の通り

まずは<ここで食さねば>
ということで、

近江町市場

で食した他、


当然ながら
香林坊(の小径)でも肴を得、


さらに
現地で話題だった
オープンしたての九条ラーメンを食した次第。



熊本も松山もしかりで

山梨などは複数回だが、


最も好きなフードである
チャイニーズは、

必ず各地のそれは食さなければ
気が済まないわけである。



傾向としては

チャイニーズ・トータルとしては
別だが、


ラーメンに関しては
静岡より西のラーメンは
ダモシは
あまり好きではないようである。


根本的にトンコツが苦手なのであろう。


そもそも東京っ子であるからして

しょうゆラーメンが基本なのは
ダモシの趣向である。



(ラーメンに関しては別途、
 山梨の項で記載する)。








金沢。


良い都市には違いない。



だが一方で、


これは

・季節



・どこへ訪れたか

によって、

印象は大きく異なると感じられる。




それは兼六園もしかりだが、

主砲・兼六園へ訪れる季節と
タイミングを誤ると、


金沢全体の印象が悪くなる危険性も
持っている都市。


忌憚なくいえば、そういうところか。




熊本のようなパワーは、やや欠ける。



ダモシ的に忌憚なくいえば、

金沢はもっと
<古都>に徹するか、

モダーン・アートに特化すべきだ。




特に後者。

美術大学も著名で、

先述した
香林坊から兼六園までの一本道に
見られるポスチャー、

さらには小径含め、



オールド・ファッションドを超えたところでの
現代性があるわけだ。


そこに見られるのは

MoMAのような世界観。



金沢という響きのイメージの良さと
相まって、


ダモシならば、

金沢の都市全体を
モダーン・アートなポスチャーで固めよう。



つまり

金沢の都市開発のキーは
モダーン・アートである、と。


コンテンポラリー・アートといっても良い。


あるいは
やり過ぎくらいにやっても良いならば、


古いが、都市のAOR化。




単に、

北陸新幹線開通だからといって

ハシャいで
観光云々での収入を描いて


中途半端に"商業施設"を立ち並べるよりも


都市構造から景観まで
徹底的にコンテンポラリー/モダーン・アート

にする。



そもそも古都的部分は
茶屋街他

線引きされた上で生きているわけで、

そのままで良い。



その古都的部分の延長線上に

単に
現代性部分があるのではなく、


一歩



方向を一工夫して

逆に
モダーン・アート&コンテンポラリー

にするというストラテジーである。





ギャラを頂戴できれば

<北陸新幹線開通へ向けた
 金沢市の都市開発計画書>

は、


100ページくらいでも

数日で作ることはできる。





まあ、あくまでもダモシ的意見なので

当地の人々には出てこない
発想であろうし、

ここまで思い切ったことは
できないであろうが。





しかし都市構造やポスチャーの形成は、

こういった思考も交えて
行わなければならないわけで、


役人や"識者"だけでは
限界はあるということだけは

言っておきたいところである。


他とは異なる都市づくりが出来ない
都市が多い原因の一つが

これである。




まあ、いい。






観光だけで一泊二泊なら、


こういう論点も生まれないし、


単に楽しめば良いわけだ。






Oz Magazineとは異なる

旅ガイドとして

特集・金沢を

俯瞰で
総集編として掲載した所存である。









:::::






<古都・金沢>



kanazawafukan.jpg



新横浜ベースの場合(ダモシ事例):
東海道新幹線<米原>で乗り換え。
北陸本線で金沢へ。
約4時間。

東京駅ベースの場合:
上越新幹線新幹線<越後湯沢>で乗り換え。
特急列車で金沢へ。


東京首都圏からはいずれも直行はない。

北陸新幹線開通は期待されるところである。

東京

軽井沢

長野

富山

金沢

という主なルートが形成され、

それは
福井を経て

新大阪へ至る全長260km。



アルプスをぶち抜いて
東京-新大阪を最短距離で結ぶ
中央リニア新幹線同様、

期待される二大新幹線である。



東京-金沢に関しては、

開通前の現在と
開通後の予測では

<金沢滞在時間>が約2時間40分

延びるということになるらしい。


それが何を表しているかといえば
その2時間40分は
消費が増える可能性があるということである。


開通による新規雇用効果は五万人。

経済効果額は年間約1,600億円
(開業後10年目の効果額推計)。


データはいずれも
北陸新幹線側のものだが、


これだけの効果予測がある中では

金沢市が今後
都市開発を進めるのは頷けるわけである。


金沢城などは顕著で、

その再整備活動はまさに
新幹線開通に歩幅を合わせていると見て良い。




金沢から東京。

北陸新幹線開通した場合の所要時間は、

ドラマティカリーに短縮されて
2時間22分になる。



これはもう、
充分に日帰り観光可能な距離圏になる
ことだけは間違いない。





新大阪から(ダモシ事例):
サンダーバード号という特急列車利用で
金沢まで乗り換えなし直行。
約2時間半。
(新幹線開通の場合、1時間05分に短縮される)。












posted by damoshi at 22:56| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ディスカバー・ジャパン-18 <兼六園>






石川県金沢市といえば、

誰の胸にも去来する存在の筆頭は、兼六園。


香林坊や金沢城、近江町市場なども
浮かぶであろうが、

一般ゼネラルでの通奏低音においては

兼六園ほど
金沢をシンボライズするものはないだろう。






いわずもがな、

水戸偕楽園、岡山後楽園と共に
<日本三名園>として誉れ高い名園である。




0kr1.jpg




松の向こうに水亭を望む。






かような園は、

フォーシーズンズによって
趣は異なる。


ここは桜満開の春と紅葉の秋、

そして
雪景色の冬が良いだろう。




且つ、

桜満開のわずかな期間は

無料で
しかも夜間も特別開放されることから、


ベスト・シーズンともいえよう。




訪れのは、まさにそのベスト・シーズン。


おかげで夜の景も愉しむことができた。









*****








先般掲載した際に触れた

古都・金沢の
世界遺産登録への道程。


街並、その景観を含めての
トータル・アプリケーションとなろうが、


世界遺産になった暁にも

主砲として成り立つのが兼六園であり、

翻って
兼六園なくして金沢の世界遺産トライはない、と。




タクシー・ドライバー言うところの


<兼六園頼み>は


日本ハムの
<ダルビッシュ一本かぶり>にも近い様相である。



それだけの存在ゆえ

兼六園だけを目当てに
金沢を訪れるヴァリューもあるわけであり、


他の太刀持ち露払い共々

旅行者は皆、

兼六園はマスト・シーとしてそぞろ歩く。





0kr4.jpg




0kr6.jpg





兼六園のバックボーンは

既に掲載しているから省略するが、

その面積は11万4千平方メートル。


後楽園が13万3千平方メートル
偕楽園が12万9千平方メートル。


東京の浜離宮が25万平方メートルだから

日本三名園はいずれも、
浜離宮の約半分程度で

そう広くはない。


日比谷公園より少し狭いレベルである。




だが、

いずれの名園も
その広すぎない面積が
適度なコンパクト感を与え賜う。




(むろん、比較対象が広いだけで、
 それらは充分広いが)。






0kr5.jpg





0kr21.jpg



兼六園のシンボルの一つ、唐崎松。



第十三代藩主・斉泰が、
近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から
種子を取り寄せて育てたという。


雪の降る季節には、

雪の重みから枝を守るために
風流な雪吊りがなされるという。







0kr7.jpg




0kr8.jpg




園内には
池と古い亭が点在している。


庭の目的としての、観月の宴。


それを行うに値する設計になっている。





0kr15.jpg



こちらも
兼六園を象徴する光景。


兼六園内で最も大きな池、霞ヶ池。


前述の唐崎松や
水亭の代表格である内橋亭その他

名勝の多くがこの池の周りを固めていることで、

回遊しての眺望を堪能することができる。



これが夜になると、なお良い。





0kr2.jpg







春。

桜満開の兼六園は、

既載の通り枝垂れ桜が垂直に下がり

真下から見上げれば
その夜枝垂に満月が重なり、


格別のムーンストラックとなる。





0kr3.jpg









兼六園。


ここは、

何も考えずに

無心のままに歩き佇む庭。



夜にまた訪れて見上げれば、満月。


観月の宴となる。








:::::




<金沢・兼六園>



0kr32.jpg



特別名勝。

JR金沢駅から徒歩約30分。

数値だけ見れば遠く感じるが、
まったく遠く感じないから
ぜひ歩いて散策しながら目指して欲しい。





0kr10.jpg



0kr33.jpg



0kr31.jpg




0kr30.jpg













posted by damoshi at 15:00| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

ディスカバー・ジャパン-17 <熊本・総集編:熊本市街地を往く>








<ディスカバー・ジャパン>シリーズ、

熊本をまずはフィニッシュとして
これまで取り上げていない部分を俯瞰して
総集編としたい。




kumamotocover.jpg




ポスターのようなものを作った。


熊本。

シンボリックなワードはまずは
<水の都>そして<森の都>。


さらにヒストリカルなパーツ。


400年浪漫は熊本城。

加藤清正、谷干城、小泉八雲、夏目漱石……。

ここはまさに
400-yrs Back To The Futureの趣で、


良い意味で
現代性は皆無な中で、

この都市は

過去が未来であり
未来が過去であるという

本来的には二律背反たるものが

実に巧妙に相容れているという世界観の発露。



それが、

一つには熊本といえよう。



天草や通潤橋、
さらには黒川温泉へ詣でれば

その感はより強まると自覚した。




<変わらぬ良さ>という安直なワードではなく、


400年前が既に現代であった、という意味での
二律背反がここにはある、と。









*****








熊本に親しんでいたから、

幼児期に
ニュース映像で観た

大洋デパート火災には大きな衝撃を受けた。





<父親の故郷が通潤橋なので>。


ダモシは
タクシー・ドライバーに告げた。



<ああ、そうでしたか!>と悦に入るドライバー。


よそ者、都会人が
ビジネス・トリップでやってきた
とだけ思っていた彼は

途端に

ダモシに対してリラックスした。




ダモシは加える。

<子供の頃に観た
 大洋デパート火災のニュースに
 大きな衝撃を受けましたよ。

 なにせ私も行ったことがありましたから。

 あの大洋デパートはどこにあったのですか?>






当時、地方都市のデパート火災が相次いだ。


昨日掲載した
熊本城セピア写真で
ダモシが訪れた三年後の1973年に

大洋デパート火災。



その前年には
当時住んでいた大阪の
千日デパートが焼けている。



二つの大きなデパート火災で
衣服が破れた状態で
飛び降りる女性客たちの姿と
スモーク溢れる映像は、

子供ダモシに
大きな衝撃を与えたのである。




子供ながらに、

己が行ったことのあるデパートが
焼け落ちる姿は

恐怖この上なかったのである。





大洋デパートは特に、

熊本にあって
ナンバー1の百貨店だったことで

その衝撃度は増したのである。




ドライバーは応える。



<大洋デパート火災をご存知でしたか。

 今はダイエーですよ>。




熊本市街地には

上通と下通という
二つのアーケードがある。



そもそも城のある街のポスチャーの基本、

それはアーケードである。



つまり、城下町の構造である。


城があり、

大名や侍が住む地としての侍街



商業が栄えた町人街と商人街。



城下町はそのまま現代に残っていることは
稀だが、

構造的には残っている。



前者の侍街が、
城の至近距離にあたり
現代では県庁などの官公庁や
その地を代表するホテル、オフィスになっていて、

後者が
現代の繁華街のアーケードになっている


というわけである。




甲府城や松山城、熊本城を望む至近距離に
かつての侍町としての
官公庁舎や代表的なホテルがあり、


金沢城の裏手側至近距離に
金沢近江市場のアーケードがあるのと


同じである。



(注:
 松山と甲府は城至近に県庁があったが、
 熊本は例外で
 熊本県庁は別エリアにある)。






熊本における商人と町人の街、


それが
繁華街の上通&下通アーケードと

その周辺の
鶴屋百貨店、パルコなどになる。




大洋デパートが生まれ変わったダイエーは

その
下通にある。





kmoto2.jpg



上下それぞれの名を冠した"通町"。

その分水嶺にある
繁華街のメイン部分が

度々記載している"通町筋"というわけである。




kmoto11.jpg


アーケードの模様
(下通)。



kmoto14.jpg



上通。
夜は11PM頃に静まり返る。






甲府や松本と比べれば
夜は遅くまで賑わっている。

(むろん、東京や大阪より早いが)。





大洋デパートだった
現ダイエーは、


先般の寄稿で既に掲載済みである。



それが

<不思議なこだわり>で掲載した
"巨大書店"のあるダイエーのことである。





当時、鶴屋百貨店と岩田屋伊勢丹も

市内にはあった。



だが、

大洋デパートはダントツで
消費者便益を満たしていて、


熊本を象徴する代表的百貨店として
君臨していたのだった。





kmoto9.jpg




kmoto13.jpg





今では、

老舗として当時からあった鶴屋百貨店が
熊本を代表する百貨店となっている。


(上写真二枚でメインに映っている建物)。



この百貨店前が、

空港からバスで来た場合の
中心部乗降駅である


<通町筋>に当たり、

ここから帰路
空港へ向かうためのバスに乗るのも
この前から

ということになるわけだ。







kmoto12.jpg



ダモシが投宿した
熊本を代表するホテルたる
熊本ホテル・キャッスルも、


熊本城と繁華街に挟まれた真ん中、

旧・侍町に位置している。






城と城下町。


その特徴を顕著に示す
熊本市街地の構造が

これで理解できよう。






その通町筋から北を見れば、

熊本城がいるというわけである。




kmoto10.jpg










*****







熊本市内には、

閑散としたJR熊本駅周辺は除き、


町人&商人街としての
上述紹介エリアとは別にもう一箇所、

基点がある。




それが前述した百貨店で名前が出てきた
岩田屋伊勢丹=現・くまもと阪神
がある


交通センター・エリアである。






kmoto1.jpg




左が、くまもと阪神(百貨店)。

右が、交通センター。




都市人口約70万人の熊本市の
バス交通の要衝の一つでもある
交通センター。



交通センターにクローズアップして
見た構図は以下。




koutsuucenter.jpg



この中にはホテルもあれば、

至近距離に
物産センターがあり
熊本土産が揃っている。




この交通センター、

バス・ターミナルとしては

西新宿よりも大きいニッポン最大で

その規模は何とアジア(東洋)でも
ナンバー1ということで、

驚嘆に値する。



熊本の交通の要衝はこちらであり、


松山同様に
不思議なのだが、


なぜ

JRのメイン駅

(熊本駅)が

"あんな"外れにあるのか、と。



なぜ

本来は交通の要衝として
その市内のターミナルたるべき


JR松山駅と

JR熊本駅が


それぞれ
"へんぴな"場所にあるのか

理解が出来ない。


本来は
JRのメイン駅は、その都市の象徴たるべきであろう。


にも関わらず、

松山もそうだったが、

JRのメイン駅周りに
コンビニエンス・ストアすら存在せず


人も歩いていない


という悲劇的なポスチャー。




これは
忌憚なく、いかがなものかと言わざるを得ない
わけである。



それもこれも、城の功罪の

ギルティの所以か。






seirei.jpg




その熊本。

前述の通り都市人口は約70万人。


正確には
70万人を切っている。


それが

政令指定都市に認定されない理由なのか?



1990年代以降に
政令指定都市になった市を見てみる。



千葉市(1992年)

さいたま市(2003年)

静岡市(2005年)

堺市(2006年)

新潟市(2007年)

浜松市(同)

岡山市(2009年)


となっている。


むろん
これらの中には
市外と合併して無理矢理人口を増やした市も
含まれている。




タクシー・ドライバーが言う。



<隣の益城町と合併しようとしたのですが、

 住民投票で
 益城町の人たちが熊本市に組み入れられることに
 反対したわけです。

 市になると税金その他、
 もろもろ変わってくるので
 益城町のままを望んだ人が多かったわけです>。




ボストンのフェンウェイ・パークの
収容人員とほぼ同じ人数の人口が
過半数で熊本市編入を拒んだわけである。



益城町は、上益城郡の一翼である。
上益城郡益城町となる。


この上益城群をさらに進み熊本市から離れること
約40分で

通潤橋のある
上益城郡山都町に辿り着く。




市内から空港へ行く道すがら

この益城町は通過する。






果たして熊本市。

政令指定都市になるか否か。


現在の人口数は
神奈川県の相模原市とほぼ同じである。










*****








といったところが、


熊本市の概観である。





最後に

やはりこの地のゆかりの人、

小泉八雲こと
ラフガディオ・ハーンを。





hern.jpg




kmoto7.jpg




アーケードから入る小径にある
小泉八雲の旧居。



ギリシャで生まれ19歳で
ニューヨークへ渡った八雲。


日本上陸は、横浜。

島根の松江住まいを経て、

夏目漱石同様に
熊本第五高校の英語教師になるべく

熊本へやってきた。



その後、神戸住まいを経て
終の住処である東京へ移るのだが、

東大の講師として働いてもいた。


八雲が職を辞した後、

その後がまとして
東大に赴任したのが夏目漱石である

という因縁もまた興味深い。



熊本は

歴史において
重要なパートを占めていることになる。





八雲が一年間住んだ家。

それが
熊本市内中心部に残されているわけである。


漱石よりもまた随分と良い場所に
住んでいたと思われる。











:::::







熊本。


次のデスティネーションは、

ファミリーでの
<通潤橋>であろう。



むろん、黒川温泉も行きたい。






今回の熊本、

締めは


ラフガディオ・ハーン旧居の庭に
ひっそりと咲いていた


肥後椿。






kmoto8.jpg






















posted by damoshi at 13:35| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

ディスカバー・ジャパン-16 <坊ちゃん、熊本へ往き、吾輩になる>







夏目漱石は、
英語教師として松山に赴任した。




bocchan1.jpg


松山城下の緑深い山腹にある
愛松亭に住んだ。


次に、
近所の愚陀佛庵へ移住。

そこへ正岡子規が転がり込んできて

ゴッホとゴーギャンか否か分からぬが
50日強、同居した。


その愚陀佛庵と、

最初に住んだ愛松亭の間に

明治建築の極みともいえる荘厳な建物がある。




bocchan2.jpg



萬翠荘。

旧松山藩主の子孫の別邸。



これら一連の山腹のファシリティを
下る途中に、

既載した

<坂の上の雲>ミュージアムがあり、

下り切ると一般道(メインの幹線道路)となり、
そこが中心部になる。





漱石はこの地で、道後温泉の湯も愉しんだ。



昨秋、鎌倉特集で掲載した際に触れた
<円覚寺>に詣でた翌年に

漱石は本妻・東京を離れ、

松山へ移住したわけである。



後に

この松山時代(1895-1896年)を
モチーフに


<坊ちゃん>を仕立てたのである。




wagahai16.jpg






漱石は松山の後、

熊本五高の教師として熊本へ赴任する。


季節は春。




路面電車のある松山から、


こちらもまた
路面電車のある熊本へ。






wagahai15.jpg



松山の路面電車から、




wagahai14.jpg



熊本のそれへ、

時間旅行。










*****








仙台は<杜の都>。


同じ発音のモリノミヤコでも

熊本のそれは<森の都>。




池田の停車場に下り立った漱石は、

人力車に乗って
五校の教授になっていた親友・管虎雄の
家に向かう途中、

眼下に広がる熊本市街地を眺め見た。



そのとき発した言葉が、


<あぁ、熊本は森の都だなぁ…>。






熊本は以来、<森の都>とも形容されるが、


実際には
より多くの共鳴を持って語られるのは、


<水の都>である。




ニッポン国内において
都市人口70万人以上クラスの都市
の中でも

まことに希少価値が高く

希有である

熊本のアドバンテージ。



それは、

上水道に使う水のほとんどを
地下水で賄っているということである。



ホテル・キャッスルの
レストルーム&バスルームにも
注釈が記載されていて


ダモシは当初、<?>と感じた。



その注釈は節水を促すものだが、

なぜかといえば
上水道のほとんどを地下水で
賄っている希有な都市であるから


ということである。




それもそのはず

熊本城下に流れる坪井川、
白川や緑川以下、

多くの川がある熊本市内。




要するに
そもそもミネラル・ウォーターなんぞ
不要の世界観で、

熊本は
ミネラルなどが適度にとけ込んだ地下水を
水道水として用いているわけである。


水が旨いはずだ。



まさに熊本の水は、

天然の

ナチュラル・ミネラル・ウォーター。




これをずっと飲むことができるためにも

水源たる地下水の減少を
防がなければならない。



だからこその、節水なのである、と。





むろん、

水と森も関係性はある。



緑豊かな森、

そして天然のミネラル・ウォーターを
擁する基盤たる
数多くの川。




よって

熊本市内は

例えば
熊本空港と熊本市内を結ぶ
バスやタクシーの所要時間に


日と時間によって大きな差異が生まれるわけである。





なぜか?


川が多い=橋が多い

からであり、


且つ

ニューヨーク同様に

その橋が一方通行だったりするからである



と、


地元民やタクシー・ドライバーに伺った。





wagahaikawa.jpg







さて、漱石。


水の源泉の一つ
坪井川沿いを

熊本城から東へと歩いていく。



途端に

いずれも瀟洒な門構えの
学校が現れはじめる。


女子高、そしてチャペル。

お嬢様が通っていそうな学校群。




一角を左に曲がる。


と、そこは

<吾輩ストリート>。




wagahai1.jpg





このストリートの途中で
小径を曲がれば、


夏目漱石が熊本時代に住んだ家の中で
最も気に入っていた旧家がある。




その名は、夏目漱石内坪井旧居。






wagahai4.jpg





wagahai2.jpg





熊本五高勤務時代の漱石は、

正岡子規へのレターで

<教師を辞めて
 単に文学的の生活を送りたきなり>

と書いていたという。



<文学三昧にて消光したきなり>と。







熊本に渡ってから三年目。

この家で
漱石夫人は長女を出産。


漱石は父親となる。





souseki.jpg



嬉しかったことだろう。


漱石は句を詠み、したためた。



<安々と 海鼠の如き 子を生めり>。


それが壁に残っている。








wagahai11.jpg



鏡子夫人は
字を書くことが下手な己のようには
この子がならぬようにと、

漱石の意見を聞き入れて


<筆子>と命名した。


上の写真の井戸が、
筆子が産湯に浸かったものである。






wagahai6.jpg




wagahai5.jpg







*****







熊本では、
教え子・寺田寅彦から
熱狂的な崇拝を受けた漱石。


この家に押し掛けてきた寅彦は


<物置でも良いから
 是非とも書生としておいて欲しい>

と懇願。




しかし、


koya.jpg



この馬丁小屋を見て、消沈。

おずおずと引き上げた。




"物置でも良いから"と言っておいて、

この程度の
馬丁小屋にすごすごと退散するようでは

寅彦も性根が据わっていないと感じるが
いかがか。




<吾輩は猫である>では、

漱石自身がモデルの登場人物で
英語教師の苦沙弥の

その元教え子・寒月の

モデルがこの寅彦とされている。




この馬丁小屋は漱石の内坪井旧居の
裏庭あたりに位置する。





以下、

旧居内部と表庭を写真で追っていきたい。






wagahai12.jpg




wagahai7.jpg



漱石と猫。

文机にて。





wagahai8.jpg




wagahai13.jpg





旧居内には

過去の生活現物はもとより、

生原稿など
漱石関連の貴重な資料が展示されている。






wagahai9.jpg




wagahai10.jpg











*****









漱石の興味深い点は、

この熊本でも
自身が旅を行っていることである。



それは後に小説
<草枕>等に昇華するわけだが、


一連の旅はやはり

ダモシとしてもシンパシィを抱くものであり
興味深いものである。





阿蘇の噴煙を目指して登るが

"往けど萩、
 往けど薄の原広し"という環境と

風雨等の厳しい気象条件に苦戦した
<阿蘇の噴煙を目指して〜二百十日紀行>、




正月の来客の多さに辟易して
"please leave me alone"とばかりに
逃避行へ出て、

峠の茶屋で

例の<お〜い!>と声をかけ

その後
延々と小天温泉まで歩いた
<峠の向こうにある浪漫〜草枕紀行>



など。






sousekitabi.jpg




旧居内には、

それら旅の行程も残されている。









*****








漱石は熊本五高で

四年三ヶ月教鞭をとった後、


文部省(当時)のミッションにより
英国へと旅立った。



帰国後、東大勤務を経て作家になる。


熊本時代に夢を抱いていた

<モノ書きだけでの生活>を成就させた。





処女作の<吾輩は猫である>から

<坊ちゃん>
<草枕>。


熊本、松山での暮らしは
大きなインスパイアとなって

漱石を後押ししたと考えて良いであろう。




これらを書いた後、漱石はサラリーマンを辞め、

ペン一本の生活に入り、



<三四郎>
<それから>
<門>
<こころ>
<道草>


を連発し、ヒットメイカーとなっていった。





この文豪をしのぶミュージアム及び記念館

として、



熊本の内坪井旧居は1978年、

熊本市指定史跡となった。









:::::






<夏目漱石内坪井旧居>


熊本城エリアから徒歩約20分。

入場料:200円

9:30AM-4:40PM

(12/29-1/3休館)





wagahai3.jpg




sousekikyuka.jpg











posted by damoshi at 22:52| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ディスカバー・ジャパン-15 <1970、夏。ダモシx熊本城〜甦ったタラップ降り。ワープした、谷干城。宮本武蔵の井戸>






昨日、
ウルトラの母宅へ行き
昔のアルバムを紐解いた。


一冊に、
<(兵庫県)尼崎在住時代>の一群がある。


その冒頭、

昭和47年8月。
つまり1970年、夏。

熊本遠征の写真グループが目に留まる。



エアラインは、ANA。

当時より
ダモシの趣向は
JALではなくANAだったことが窺える。


あの
ニューヨークとの<愛人関係最後の日>に
米国ANAが働き

ダモシが10年に一度の
リアルぶち切れを発症した大騒動


<米の行かないで攻撃
 〜米ANA、ラディソン・ホテル嘘つき事件>

があってもなお、


ダモシは可能な限りANAをチョイスしている。




写真は、

熊本空港にANA機から降り立った
ダモシとウルトラの母、ダモシの妹
三人が、

その機体とタラップの下でポーズをとっている
様を映し出している。





<タラップ降り>。



あの頃の、70年代の定番。




先般の熊本行きで、

羽田エアポートで強要された
往路での乗り込みの際のタラップ上り。



あの頃を、思い起こさせた。



熊本へは
既載の通り、

1988年の夏、

ウルトラの父と二人で
名古屋の小牧空港から向かって以来

21年ぶりの訪問となったわけであり、



エモーショナル熊本城への訪問もまた

そのとき以来ということだったのである。








*****








すぐに馳せ参じた熊本城。


その城内ではなく
城下に

加藤清正のスタチュはある。


それは既に掲載した。



そして
熊本城といえば欠かせない重要人物。


西郷隆盛のモメンタムに屈せず

熊本城を死守して
攻略させなかった谷干城。



そのスタチュもまた、存在している。




まずは現在のそれ。



damokm4.jpg



隣には


damokm3.jpg




幕末維新の思想家・横井小楠をセンターに、

ゆかりの人たちで固めた
<維新群像>のスタチュがある。


米へと海を渡った横井。


『尭舜孔子の道を明らかにし
 西洋の器械の術を尽くさば、
 何ぞ富国に止まらん、何ぞ強兵に止まらん。
 大義を四海に布かんのみ』

と語った。


米を経て維新の夜明けに影響を与えた。


熊本に生まれ、
江戸に育ち、米で世界を吸収した男ならではの、

維新群像。






さて、

これらのスタチュは
熊本城内にあるわけではない。



むろん至近距離だが、城下である。

正しくは

もともと存在していた
隈本城と千葉城のエリアにあるわけだ。




ちなみにこの千葉城ゾーンからは、

熊本城の天守を望むことはできない。







さらに
ちなみにだが、

この千葉城跡は現在、

NHK熊本の位置になる。




chibaj1.jpg



chibaj2.jpg






ここはまた、剣豪・宮本武蔵ゆかりの地である。




chibaj3.jpg



これは武蔵の井戸。


諸芸に優れた有能な武人だった
宮本武蔵は1640年、

細川公の賓師となり
その邸を千葉城に賜った。


1645年にここで卒するわけだが、

武蔵がここに住んでいた頃に
水をくんでいた井戸がこれである。





そして、武蔵の住まい。

宮本武蔵の旧居跡。




chibaj4.jpg



chibaj5.jpg




城の外堀、坪井川は長く周回しているが、

その川沿いに
旧家はあったということだ。



前述の通り細川家(肥後藩主・細川忠利)の
インヴィテーションによって
熊本にやってきた宮本武蔵。

十七人扶持、三百石を受けて
千葉城跡に住んだ。


ここで武蔵は剣術と兵法を指南した他、

美術工芸にも秀作を多く残したという。









****








要するに

千葉城と坪井川により近く

熊本城の天守とは
ほど遠い位置に、


谷干城のスタチュは存在しているということである。






ところが。



昨日発掘した写真を見ると、
その位置が異なることに気がつく。




これだ。





damokm1.jpg



(右から二人目が少年ダモシ、六歳)。




熊本城の天守がすぐ近くに見えるだろう。


谷干城のスタチュは
前述したものと同じである。



スタチュに刻まれている注釈文を参照してみる。





◆◆◆

(中略)
熊本鎮台司令長官となり、
西南戦争に際しては篭城策をとり、
五十二日間にわたる薩軍の猛攻に耐えて
勇名を馳せた。

のち貴族院議員となり、
一九一一年に没した。

この銅像は(中略)、
昭和四十四年(一九六九)に明治百年を記念して
再建された。朝倉文夫の作品である。

◆◆◆







つまりこのスタチュが建てられた(再建された)
のは、

昭和44(1969)年ということになる。


最初は1937年に建てられたようだが、
第二次大戦で金属供出のため消滅。

その再建がなされたわけだが、

セピア色の写真で
ダモシと共に映っているそれは、

前述の通り1970年。


となれば、

再建された三年後のこととなる。



この写真から39年後の今の谷干城が
先の写真である。




場所が異なるのはなぜか。


スタチュ横に刻まれている文には
再建年度は記されているが

これが
<移転した>とは一言も書いていない。





ではなぜ、

1970年には熊本城天守のそばにあったそれが、

2009年には
それを望めない位置(城下:千葉城)にあるのか。




谷干城は、ワープした。


そう考えるより他ないわけである。




一つの推測としては、

1970年の写真に見える
谷干城がいた位置には今、


先に掲載した

復元再建された
絢爛豪華な本丸御殿があるということである。






ダモシが不惑に入って以降
遭遇している<メビウスの輪>の中にあり、


谷干城はワープして、


ダモシを混乱させたわけである。








とまれ、谷干城。


坂本龍馬のインスパイアを受けて
倒幕派になり、

戊辰戦争では31歳の若さで指揮をとった強者。


海外にも出征し、
なにしろ西南戦争で西郷隆盛に
熊本城を攻め落とさせなかった点は白眉だ。


しかもその後、

・陸軍士官学校長

・学習院院長

と歴任し、

第一次伊藤内閣の農商務省を務めるという
エネルギッシュな人物である。



西南戦争60年を記念したイベントの中で

熊本城の大立役者として
真っ先にスタチュが建てられたのは


当然といえよう。




加藤清正はもとより、

この谷干城の存在なくして

熊本城は語れまい。









:::::







damokm5.jpg





damokm6.jpg






<谷干城スタチュ>


熊本城下。

熊本ホテル・キャッスルや
鶴屋百貨店、メイン・アーケード等がある
市内中心部(通町筋エリア)から徒歩圏。

熊本城よりも市街地寄り。

このスタチュから坪井川沿いに
外堀と熊本城壁を歩いていくと

加藤清正スタチュに当たる。

観覧無料。








最後に、

1970年の熊本城。


その天守の石垣を上り、
途中で写真を撮ってもらった

ダモシを

セピア色の写真から。






damokm2.jpg












posted by damoshi at 12:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

ディスカバー・ジャパン-14 <現存天守〜松山城>








壮年の明るい男性。

汗をかきながら城山を上ってきた。




<ちょっと待って。これが大事なんだ…>。


そう言って、
鞄から一枚の遺影を取り出した。


それが、
亡き細君のものであることはすぐに分かる。



<あ。奥さんの…>。





ここが
二人の想い出の地なのであろうことも
容易に想像がついた。



男性が立ち止まり
奥方の遺影を取り出し
案内者に写真撮影をお願いした場所もまた、


その男性と
亡くなられた奥方二人にとっての

想い出の場所なのであろうこともまた、しかり。




思わずダモシもその場で
込み上げるものを堪える。



未だ若さの残る壮年男性。


元気さを装ってはいるが、

亡き妻との想い出の松山を

エモーショナルな
回顧の旅をする中で




ひとり

宿に入れば

ふっとした脱力感に襲われることであろう。





<連れてきたよ>


<ほら、また来たよ>


と妻の遺影に声をかけ、

せめてもの
デイタイムの明るい陽射しの下だけでも

愉しかった二人の時代を思い起こして
旅をしよう。





壮年男性は
天守の前に着くと、

案内人に一礼した。



<ここまで(案内してくれて)、

 有難うございました。>



そう言って

奥方の遺影を再び
バッグに

大事そうに仕舞い込んで


天守入口へと歩を進めた。






その天守は、

<現存天守>。




ニッポン国内の城においては、

ほとんどが
復元再建された天守である中で、



わずか12基しか存在しない

<現存天守>。



それは、

戦国時代末期から幕末までに築かれて

現在も
当時のままに姿を残す天守のことである。




つまり

明治維新以前に建てられ
焼失、破壊なく
現在もそのまま保存されている

歴史的建造物。





まさにそれは、


<オリジナル・トゥエルヴ(Original-12)>。




その<現存天守>を誇る城が、


この四国・松山にある


松山城。





0matsu9.jpg






それは


国宝:石手寺

重要文化財:道後温泉


と並ぶ、


愛媛県の県庁所在地にして
四国最大人口を誇る松山市の


クリーンナップたる重要文化財。










*****










城。




先に掲載した熊本城。

これは"日本三名城"の一つである。



だが、

名古屋城や大阪城に等しく

その天守は<現存天守>ではない。



後年に復元再建されたものである。




城を見る時、

天守が築かれた当時のままであるか否かは

ヒストリカルな要素で鑑みても

大きな意味合いを持ってくる。




世界遺産の姫路城

国宝の犬山城に松本城。



これらはやはりいずれも現存天守である。




国内に12基しか残っていない現存天守を誇る
城をまとめてみる。


そのいずれもが国宝か重要文化財である
という豪華ラインナップとなる。





世界遺産にして国宝の
姫路城(兵庫県姫路市)。

これは現存するニッポン最大の五重天守であり、
天守にある鉄砲狭間の数も
ニッポン史上最多という
国内最大の軍事力を誇る天守というオマケつき。



次いで
ダモシもその美とスケール感は
大いに感銘を受けた

犬山城(岐阜県犬山市)。

現存天守の中で最古の城。
これも国宝。



国宝はもう二つある。

一つは

松本城(長野県松本市)。

大天守の下にある小天守は
ニッポン最古で、
関ヶ原の戦い以前からあるというから
驚嘆である。

まるで黒塗りハイヤーのような
高級感のある大天守が特徴。





彦根城(滋賀県彦根市)も国宝だ。

三重の天守としての破風の数は
史上最多を誇る。

外側にゴールドの金具がつけられていたり
花頭窓という
ペントハウス的な飾りも史上最多。

まさにセレブ度ではナンバー1といえる城。




以下、

■松江城(島根県松江市)
■弘前城(青森県弘前市)
■丸岡城(福井県坂井市)
■丸亀城(香川県丸亀市)
■宇和島城(愛媛県宇和島市)
■高知城(高知県高知市)
■備中松山城(岡山県高梁市)

と現存天守は存在する。





そして松山城。


現存天守の中で
最も歴史が浅い(新しい)1850年の
天守創建。



サンダーストームによって
一度は破壊された天守。


それを再建したのが幕末。


よって、現存天守に入るわけである。




そもそも城の天守は
有事の際の防衛要塞が主目的である。


すなわち住環境、エンターテイメント要素はない。

レストルームやベッドルーム、
リビングルームはない。



だが、この松山城の天守には床の間が
各フロアに複数ある、と。


なぜか。



それは
ここがもともとは
"お座敷"として建てられたというわけである。


そのような構造は、
安土城と大阪城のみというから

ヒストリカルな面でたいへん貴重なファシリティ

ということになる。








*****









まずは

坊ちゃん列車(路面電車)が走る
主要幹線道路沿いにある
愛媛県庁の

脇から上るコースが一般的。







0matsu1.jpg




0matsu2.jpg




明治的な香り漂う愛媛県庁。




<歩いて上ることはできますか?>


ダモシがそう問いかけると、

警備員は応えた。


<ええ。大丈夫です。
 今日ですと30分くらいで行けると思います>



なるほど?

"今日ですと"?

ということは、日によって異なるのか?


疑問を覚えたが深くは問わずに
歩を進めるダモシ。



その背中に
初老の警備員の声が重なった。




<どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ>。





山を登る。

そんな感覚である。




どうやら

一般的には

もっと東に位置する
エントランスから
ロープウェイで上っていくらしい。




ダモシが採ったルートは、

<県庁裏登城道>。


その名の通り、ある意味で登山道である。


もっともタフなルートといえよう。

途中、ダモシですら休憩を摂らなければ
一気に上がり切ることは困難だったほどである。







0matsu3.jpg








*****








0matsu4.jpg




次第に近づく頂上。


とにかくこの松山城は、

天守位置の標高が高い(161m)。


この標高は、
現存天守の中ではニッポン最高峰という
格を持っている。


これを上るわけである。






0matsu8.jpg




戸無門(重要文化財)。

本丸の大手エントランスで
最初に設けられた高麗門。


要するに
門の扉がないことから
戸無門と言われているという。



歩いて上ってきて

ようやく
最初に出逢う門でもあり、


ここからが


<もうすぐか?>と

安心感の一つを覚えて
上っていく足にも力が入ってくる。




それまでは、

<本当に辿り着くのか?>と感じられるほど

普通に山登りの世界である

(整備された道はあるが)。








0matsu5.jpg





乾門・乾門東続櫓。

慶長年間に正木城から移建されたものとされ、

松山城の裏の門の中で
最も重要な構えとなっている。




この乾門からの侵入者(敵)に対する

本丸防衛のための
重要な門構えとなっているのが、

紫竹門(写真下/重要文化財)。




0matsu12.jpg




この門を通過すれば、一気に天守が目の前になる。





息を切らせて到達した
山の頂上。


そこからは
松山市内のパノラマ眺望があり、


向こう正面を望むと

現存天守が誇らしげに屹立しているわけである。







0matsu7.jpg



松山市内を望む。

観覧車の向こう、
なにやらドームのようなスタジアムが見える。



これは

<坊ちゃんスタジアム>。


野球王国・愛媛らしい
独自名勝の、三万人収容野球場。







そして天守を望む。




まずは
司馬遼太郎氏著の

<坂の上の雲>から引用。





◆◆◆

城は、松山城という。
城下の人口は士族を含めて三万。

その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、
丘は赤松で覆われ、
その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にのび、

さらに瀬戸内の天を背に
三層の天守閣がすわっている。

古来、この城は四国最大の城とされたが、
あたりの風景が優美なために、
石垣も櫓も、そのように厳くはみえない。

◆◆◆





その、天守は以下となる。






0matsu10.jpg




0matsu50.jpg




0matsu51.jpg





現在、

黒船来航150周年という
メモリアル・イヤーを迎えているのが

横浜。




その黒船来航の翌年に落成したのが

この松山城天守である。



これは前述した様々な
ブランド・ヴァリューの他に、

江戸時代最後の完全なる城郭建築であり


我が国最後の完全城郭建築でもある。



それはまた、

ニッポンを代表する連立式城郭という冠を頂く。






0matsu11.jpg




0matsu13.jpg




頂上の茶屋にて。









*****








先述した
一般ゼネラルな視点でのエントランス
(登頂口)は、


新興繁華街
(松山市内におけるニッチなエリア)

にある

<東雲口〜松山城ロープウェイ・リフト>である。





0matsu20.jpg



0matsu15.jpg




このエリアには東雲学園という
中学・高校があり、

これがまた洒落ている。




0matsu55.jpg



こんな門構えの学校。

生徒は誇らしいであろう。

実に見事である。






そして、

このエリアから市街地へ歩いていくと
その途中に


この冬、

一般ゼネラルに
エクスポージャーが増えるであろう


NHK連続ドラマで登場する

<坂の上の雲>関連の
ミュージアムが出てくる。





0matsu16.jpg




0matsu17.jpg





話題になる前の今から、

要チェックの松山。



そしてミュージアム前にいる

正岡子規に秋山兄弟。


原作は司馬遼太郎。










*****








最後に、

ここ松山城でも出現した

女同士グループの

<歴女>たちを。






0matsu6.jpg




0matsu14.jpg











:::::





<松山城>




0matsu52.jpg



築城主:加藤嘉明
築城:1602年
天守建造:1850年

入城料:500円
時間:8:30AM-5PM


JR松山駅からの場合は、遠い。
路面電車利用で
エントランスまで約20分。


ベターなアクセスは、

市内行政&ホテル中心部
(県庁、三越、ANAホテル付近)を
基点とすること。

そこからは
県庁裏登城道も
ロープウェイ口も

徒歩で行くことができる。







城のある街は強い。



忌憚なくそう思える。


それは
市内の活気が薄い松山であれば

よけいにそう感じるところである。




城の威光。



これは侮ることはできない、と。











posted by damoshi at 22:17| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。