2009年07月27日

富士ダモシ写真、追加







己がキャメラでは

撮ることはできない

己自身の画像。



富士ダモシ写真。

一行の中の一人から届いた
苦悶するダモシを。





damofuji2.jpg



富士登山中、

苦しんで休むとき、

必ずとったポーズがある。


とった、という能動ではなく、

こういうポーズになってしまう
という余儀ない受動であるが、


それがこの写真にあるポーズである。


立って休んでも

座って休んでも

金剛杖の先端を両手で掴み、

その先端部分を
己が額に押し当てて

それで支えて

立つ/座る


というポーズである。



とにかく顔を下げたくて
しょうがない。

息は切れている。酸素はない。

意識は朦朧としている。



そんなとき、

自然とこのポーズになるのだ。



いま改めて見ると

笑いが込み上げるポーズだが、

もう
あのときは

このポーズこそが世界最強

と思えたのである。







damofuji6.jpg



途中の休憩スポットで。

もはや

うなだれている。


そして
誰もが無言で放心状態である。


険悪なムードにもなりかねないほど
疲弊し、

口も聞けない状態。


うなだれるしかない。

次の歩を進めるまでの間、

うなだれるしかないのである。








damofuji5.jpg




ダモシはもはや風前の灯。


完全にグロッギー状態。

ここまでくるともう、
<金剛杖両手掴み&額支え>すら
できないほどになっている。


岩がなければ

倒れている。


そんなシリアスな状況である。









*****








ダサダサなシーンばかり

見せてしまっては、

ダモシの名誉にかかわる。




ということで、


別次元の写真を。






damofuji4.jpg




崖から飛び出たベンチにて。

下はむろん、雲海。

フライング・ダモシになりかねない
シチュエーションである。






damofuji3.jpg



誰かにすぐに

今の画を届けるならば
携帯キャメラしかない。


下界へ携帯を向けるダモシの図。







最後に、


空とダモシ、高度2,700m。





damofuji1.jpg

















posted by damoshi at 01:00| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月26日

ダモシ、乱入一歩手前






疲れた。

今宵、疲れた。



ウィークエンドも、
あるいはオフでの旅路においても、

完全オフがもうあり得ない状態が
続いている。

プライベートで阿蘇にいようと
オフィシャル案件の電話が入り、
宿でメール処理する。

土日も拙宅仕事場で
デスクで格闘するのは当たり前。


土曜は
ジュニアと本屋さんめぐりをして
その前後に仕事をするという有様。

次の旅路の経路を模索する一方で
また仕事。


今宵は、

早朝から先ほどの帰宅まで
ジュニアの空手の大会。

大会会場で
ジュニアの出番以外は
持ち込んだコンピュータで仕事。



もはや

一分一秒もムダにできない

といった状態が続いている。



スキあらば遊び

スキあらば仕事をし

その合間合間に
ささっと読書をしたり
ぱぱっとモノを書いたり

といった
タイム・イズ・マネーは相変わらずだが、



それでも

サンデー

まるごと

ジュニアの空手大会でスペンドとなれば

それはそれで疲れるわけである。



その間、仕事もしているわけで、

且つ
空手ではエキサイティングな状況になり、

声も枯らすことになるからだ。







*****






今宵は他流試合ではなく、

同団体の全国大会。


東京側として全国大会に臨む場合の

最大の敵は
やはり大阪となる。


どう足掻いても

東京vs.関西

という構図は、


ニューヨークvs.西海岸

同様に

相容れないものがある。



特にこちら側の東京は

東京といってもダウンタウンではなく
田園都市線主体の山手であるからして

そもそも品が良い。



一方は、関西。



東京側のマミー軍団が
口を揃えて


<関西には圧倒されてしまうわ>

と述べるのもムリもない。



子供などは特に、

あの
関西弁を耳にするだけで

やや腰が引けてしまうであろう。



関西弁を、強面で、"顔"で凌駕し得るのは

ダモシくらいか。





結論からいえば、

ジュニアは
組み手すなわち格闘において

ベスト8止まりに終わったわけである。



ただ、

関西勢には勝った。


それが成されただけ

まだマシだが、


準々決勝で破れた相手が、

前回の
(他流試合ではなく)同団体の
関東大会で

破れた

同じ相手だったことと、


その相手の戦法に

ダモシはもう
ブチ切れ寸前となり、

乱入一歩手前と相成ってしまったわけである。







*****







何度か記載している通り、

同団体の大会ルールは

<お腹>のみがポイントとなる
ものである。


すなわち
他流試合でのフルコンタクトや

ある意味での"なんでもあり"ではなく、


お腹へのパンチ、キックが
決まった場合のみ

ポイントとなり、

時間内に2ポイントとったら勝ち。


もしくは
時間切れで判定となった場合は

1ポイントでもとっていた方が勝ち

というものである。




他流試合で銅メダルを得た際、

ジュニアが
なんでもありルールで

水を得た魚のようになったことは

既載した。




問題はこの

<手かせ足かせ猪木アリ・ルール>で、

ふだんから
このルール用の練習をしている者と
相対した際の

苦戦である。



それでも徐々にアジャストしているジュニア。


関西勢を序盤で撃破しての
準々決勝。


相手は

まさに
このルールで強い子供。






まずその前に

今大会の、環境設定を説明したい。



今回は、

<セコンド禁止>ルールが採用された。


要するに

己が子が闘う場に
降りてきてはいけないということで、

親は二階の観客席から応援することが
義務づけられた。



ただ、

これにはミソがあり、


大会の設営や備品準備などを揃える
"お手伝い"をした親は
専用のTシャツを身にまとい

セコンドとしてアリーナ内に入ることが
許されていた。




ダモシも
大会前日の土曜の準備の手伝いを
依頼されたが、


そもそも

too muchやODを遥かに超えるほど

一分一秒たりともムダにできない
ビジーさに包まれている現状では、


それを引き受けることは不可能。




ということで、


ダモシがセコンドとして入り

声をかけることは

事実上、不可能となった。




親がそばにいられる

もう一つの条件は、

その親も同団体で空手をやっていて

この日の競技種目である
親子ペアの型(演武)に出場した者に限られる。


ワイフは出たから、

ワイフは道着のまま
ジュニアのセコンドにつくことができたが、


ダモシは

"締め出し"を食ったのであった。






こういう環境設定が前提である。









*****








二階席から

おとなしく見ていたダモシだが、

次第にエキサイト。


気づけば二階席最前列に進み出て、

手すりから落ちんばかりの勢いで見つめる。




その見つめる先には、

ジュニアだけではなく、

姑息な闘い方を押し進める
二人の子供の姿があった。




子供A:

逃げてばかり。小さい。

だが、
逃げてばかりの中で
出せる唯一の技である
左キックで
相手のちょっとしたスキをついて
お腹に入れて1ポイントを得る。

そして
そのまま逃げ切り、判定勝ちするというのが
パターン化している。



子供B:

出場選手中、最も大きい身体。
幼稚園児のくせに妙に身体がデカい。

だが、動きは緩慢。

そして真摯さが感じられない。

つまり
イヤミ技である
"前蹴り"ばかりやって

相手を突き放すのみ。






勝ち進めば

準々決勝で子供Aと、

準決勝で子供Bと、

それぞれ当たることが
分かっているから、


ダモシの目は虎視眈々と

姑息な

点数稼ぎ選手を追っていたのである。






そして準々決勝目前。



遂にダモシが動いた。



二階席から階下に降り、

強引に
アリーナ内に歩を進めた。


そして顔で
ワイフに

<こっちに来てくれ>と伝える。




<次の相手は、アイツだろう。>


<いいか。
 アイツは逃げてばかりだ。
 だが、攻めて攻めて攻勢する中で
 アイツは一発狙いで
 左ミドルで腹に入れてくるからな。

 ガードを忘れるなと伝えてくれ>



とワイフに告げるダモシ。



そして

そのままヤンキー座りで

そこに居座った。





闘いのゴングが鳴った。


いつものように

前へ、前へ、
オフェンシヴに攻め続けるジュニア。



子供Aは防戦一方。



だが、

ダモシの予感は的中した。


苦し紛れに放った
子供Aの左ミドルが、


ポン




ジュニアの腹に入ってしまった。



無念。

1ポイントが入ってしまう。


その後も攻め続けるジュニアだが、

徹底的に逃げる子供Aを攻めきれず
タイムアップ。



判定で、0-1で敗れ去った。



悔しいのか、涙するジュニア。



ダモシは怒り狂う寸前。




何が頭に来るかと言えば

子供Aの父親である。



ユルい。ほとほと、ユルい。


その父親ときたら、

それまでの試合でもそうだが、

終始ニヤニヤしながら



<○○ちゃぁん、左ぃ〜>


とばかり声をかけている。



要するに、

この親子の戦略は姑息にもほどがあるのだ。



左ミドル以外の技は出せない。

否、

おそらく
このルールで

<勝つ>ことだけを主眼に入れて
空手をやっているのではないか、と。


逃げ回っても良い、と。

相手が攻めてくるところを
一本、左だけ入れて、

あとは逃げて判定で勝てば良い、と。



そういう心構えが露骨に見えるのである。




それでは、

空手をやっているという本質から鑑みると

本末転倒である。




<勝てば、それでいいのか?>と。



逃げ回っているばかりで

シュールにガチンコで
男と男のぶつかり合いをせずに、


ちょこんと一発入れるだけの

点数稼ぎのスタイルは

たいへんポスチャーがアグリーであり、

見ていて不快である、と。





それは子供Bも同じだが、

前蹴りで相手を引き離すばかりで

真摯に闘おうとしない。




そういう精神は

空手の本質に、

格闘技の、

否、

広義での<スポーツの本質>に

大きく悖るのである。




断じて、それは潔くない。


みっともない。



こちらは一生懸命向き合って

真摯にぶつかっていっているのである。


にも関わらず、

勝てば官軍か?


逃げ回り、

一発だけの点数稼ぎで勝利する。



そんな不遜な態度に腹が立ったわけである。





<左しか出来ないぞっ!>


<○○、ほらっ!蹴らんかいっ!>


<ドツいたれっ!>


<ほれ、相手ビビってるぞっ!>


<逃げるだけかっオラっ!
 まともに勝負せんかいっ!>




ダモシの怒号が飛んだ。




勝負が決したあと、


<それで、ええんかいっ! ああっ!?>


と言葉でドツいた。




ワイフもブチ切れだ。


<逃げ回っているだけじゃないかっ!>

<勝ちゃあいいのかっ!>




もはやワイフが制止しなければ、

ダモシは
その子供Aの父親の

ナメた発声と台詞とニヤニヤ顔に
ブチ切れていたから、


その父親の頭を

ポカリ

とする勢いであった。




それがされていたら

たいへんな乱闘が勃発していたであろう。



その父親は空手をやっているわけだから、

さながら
猪木vs.ウィリー・ウィリアムズのような

プロレスvs.空手

の臨時異種格闘技戦が
等々力アリーナで開戦していたと想定され、


そうなれば

ダモシの秘技、

100m助走つき
ジャンピング・ニーパートが

火を噴いたであろうことも

想像に容易い。






ダモシは関係者にも当たり散らす始末。



<こんな姑息な手法で勝ちなら、
 こんなルールでは、もう出ないぞっ!>


<もう出るなっ!
 これからはフルコン(なんでもあり)
 だけに出ろぉっ!>


<おかしいだろっ!
 こういう教育はおかしいぞっ!>




なんだかもう、

ブッチャー&シーク&
タイガージェット・シンのトリオのように

ダモシ&ワイフ&ジュニアが成り上がり

ダモシの狂乱/罵詈雑言
収まらぬ状態のまま

アリーナから
控え室まで怒号が飛んでいた

という有様。








*****







他流試合&なんでもあり

の方が

ジュニアにはフィットしていることは

以前も記載した。



だが同時に、

ワクをハメずに
オープン・ルールではない


<手かせ足かせ猪木アリ状態>も

今後も出す

という方向性は先般既載した通りである。



興奮するあまり
<もう、出すな!>宣言をしたが、


会場内で会議したが、

これまで通り
今後も
手かせ足かせ猪木アリ状態大会にも

出させることにした。




ダモシは新たな指令を出した。




<あの野郎とスパーリングしろ!>。




要するに相撲の出稽古である。


同団体の道場で
子供Aが常時来ているエリアにも
出稽古で出かけろ、と。


そして子供Aを指名して

徹底的にスパーリングで圧倒しろ、と。


そして精神的に追い込め、と。


且つ

子供Aの
唯一無二の戦略である


<左ミドル一発オンリー&あとは逃げ回る>



慣れろ、と。






ダモシは告げた。


子供Aのサウスポー対策に

<構えを変えて撹乱しろ>。


そして

<やはり、ライダー・キックか
 電キックをやれ>

と。



幻惑、である。



プラスαで、

<意図的に距離をとり、
 ヤツと同じように、相手を見ろ。
 そして挑発的に
 来い来い来いと
 猪木戦法をやれ>


と。




さらには

場合によっては

攻めてこない子供Aに対して
挑発するように
寝転んで
来い来い来い、とやれ


と。







ワイフは言う。


<一度、アイツをギョフンと言わせたい>

と。




さよう。



だが、一方で

大会はこの

手かせ足かせ猪木アリ状態ルールのもの

ばかりではあい。




9月と10月には、

今度は
<なんでもあり祭>が夢の島で、

さらには
<なんでもあり>の全国大会が
国立代々木競技場である。


それと時を同じくして、

やはり
同団体の
手かせ足かせ猪木アリ状態ルールの

また関東大会がある。




それらがジュニアの

コンフューズにつながりかねない危惧もある。



対策も、

手かせ足かせ猪木アリ状態ルールに
合わせるのか、

且つ
その中でも
子供Aへのリベンジに集中して練るのか、


はたまた

<なんでもあり>に集約して練るのか。




そのあたりは非常に難しいわけである。





しかし、

それ以上に難しいことがある。



それはダモシの扱いだ。


もし仮に
また次回、子供Aがこのような作法であり、

あの父親がまた

あのユルさで

<○○ちゃぁん、左ぃ〜>

とニヤけた顔で言った時、


ダモシが
二階の観客席最前列にいたならば…。



次はもう

我慢ならず、

そこから一気に

ダイビング・ボディアタックか

ヘビー級の重みたっぷりの
プランチャ

or

トペ・スイシーダ

を放ってしまいそうであり、


それをどう抑制するか

誰がストップをかけるのか、



それこそが

難しいと思うわけである。





あぁ。

それにしてもフラストレーションである。


これをどう解消すれば良いのか。

この分ではダモシが
日常で誰かに八つ当たり

ということにもなりかねず、

大いにこれもデンジャラスといえよう。








:::::






rannyu4.jpg



rannyu3.jpg



今宵、猛暑の東京。

等々力緑地と等々力アリーナ。
正確には川崎市になる。

9月にはこの緑地のスタジアムで
世界陸上直後の
スーパー陸上が開催される。





rannyu2.jpg



"関西"は圧倒したジュニア(黒ヘッド)。





rannyu5.jpg



ベスト8での優秀賞では、
本人も満足度は少ないか。

他流試合での銅メダル時のような
喜びはない。


だが、

本人は力は出し切ったし
真摯に闘った。

それはそれで間違いない。


少なくとも、

彼は逃げない。

点数稼ぎは絶対に、しない。

ダモシがそれをしない人間なのだから
直系遺伝子のジュニアが
それをするワケがない。






rannyu1.jpg



闘い終えて、東の空。


今宵の空、雲はまた独特。






ジュニアのさらなる精神修行として、


これはもう

やはり



富士山

へ行かねばならない。



























posted by damoshi at 23:03| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月25日

<移動祝祭日>&<愛人>の使者、特使






ジュニアの米国パスポートが
Expiration Dateを迎えたため、


昨日

赤坂の米国大使館へ出かけてきた。


相変わらずの長蛇の列はビザ関係。



はからずも
あの
2006年頭から3月にかけての
長きに渡る東京出征と東京裁判を
思い起こさせた。


一度惨敗し、

メキシコからの人間ロケット

ナイアガラの滝眼下の激流を泳いで渡る

等での

米再入国と家財、猫たちの奪還を
リアルに計画した

三年前の年頭三ヶ月。





<何が何でも差し戻して、
 大逆転で勝利するのだ>

という強固な意志で

対米という相手にも関わらず
驚異のゴリ押しと
ニューヨークで後方支援する仲間たちの
強烈なる意思の

統一


によって、


そのセルフィッシュ性と強権発動性では
世界一の米をも凌駕して

大逆転勝利をモノにした

あの時。




同じような境遇の人々も

昨日の
その長蛇の列の中にもいたであろう。



とにかく

対米

という戦線においては、


世界一のエゴイズムとセルフィッシュ性をも
超越し得る

苛烈なる
何が何でも勝つのだ
オレが一番だ


という

宇宙規模のエゴイスト性とセルフィッシュ性を
もってして

臨まなければならない

ことを肌で理解したのもまた

あの最後の闘争だった。




それは

ニューヨークという世界一苛烈なる大都会で

九年弱
闘ってきた/生きてきた

からこそ
身についていた所作で、



あの東京出征と東京裁判での
米との最終闘争は、


己が
三十路の青春のすべてをスペンドしてきた
九年弱の

総決算でもあったのだ。



当然、

ムダな時間のスペンドを異様に嫌う
ダモシのこと。



そこで大惨敗したままで、

家財も猫たちも友人も
すべて米に奪われる結果になるとなれば、

発狂しかねず、


仲間にも家族にも含めて

<どんな手を使ってでも勝つのだ!>


という"退路断ち"の覚悟も持っていたと

自ら認めることができるわけである。





そういう異国、米、ニューヨークとの

闘いは

次元であり、


それはゆえに
身体的な苛烈さにおける

対富士

というものとは次元もレベルも違うものの、



闘いに臨むタフさという意味では
近いものがあるといえるわけであり、

対富士という世界観の中で

途中

ダモシが
己自身でそれを回顧することになるのもまた


頷くことができるわけである。








*****







さて、ジュニアの米パスポート。



ジュニア自身の
米での
バース・サーティフィケート(出生証明書)
の原本を提示しなければならない。


それは、ある。

常にリビングに掲示してあるから
それを持っていけば良い。



ジュニアの生まれてすぐに取得した
米のパスポートも持参する。



そして
両親すなわち
ダモシとワイフのパスポートに免許証。



すべてを提出するのだが、

さすがに
パスポートともなれば


そもそも

<米国人>
<米国市民>

へのサービスとなるからして、


ビザ関係など
<外国人>

へのサービスを提供する

窓口とは異なる。




だから

米の空港での入国手続き同様に

米国市民だから
手続きも待ち時間も少なく
スムーズには進行するのである。


言葉的な問題も、

米国市民向け窓口だから
すべて英語なため

基本的に言語的なやりとりでの
ムダな時間的スペンドも回避できる。



それが外国人向けのサービス
すなわちビザ関係であれば

いちいち

一対一のやりとりでも

言語的な戸惑いが生じるから

一件一件の処理も遅れ、


それがひいては
全体的なスムーズな進行を阻害する
要因にもなってしまう。



かくして

待ち時間は少なめでの

進行と相成り、

あとは
四週間後に郵送でジュニアの
新しい米パスポートが届くのを待つ

だけとなったわけだが、



その現場で、

アプリケーション

すなわち
ジュニアのパスポートの再発行/再申請
をするための申請書を

書かなければならないということで、


ダモシは書いていた。



当時の米時代を思い出す。

当然ながらすべて英語であるからだ。

米国人と
それ以外の国の人の米国市民たちが
いる

そのサービス・エリアで、


英語の書類にペンを走らせていると、


米時代の生活やビジネスを
思い起こさせ、


必然的にそこで緊張感が甦ってくる。





ニッポン人のダモシにとって、

ニッポン国内での所作と
異国での所作には


心を高揚させる緊張感と
ビリビリするまでの刺激感では


後者に

圧倒的なアドバンテージがある。




闘いもそうだが、

すべて
そういった緊張感と刺激、

ノルカソルカのSink or Swimの

アトモスフィアこそが

己を沸き立たせる。






<あぁ、この感覚。この空気感。
 懐かしいな…>


と、


いかにこのニッポンが

ヌルヌル、ユルユルか

ということへの

やはりまたぞろ出てくる

苛立ちや物足りなさ、食い足りなさを

改めて実感してしまうことにもなる。






むろん、それがすべて悪いわけではない。

コドモにとっては
ニッポンが良い面も多々ある。

米にも

ニューヨークにも

悪い面も多々ある。




コトは、

そういった

単純な善し悪しのレベルは超えている。




それが

ニューヨークという
移動祝祭日にドップリ浸かってしまったことの

功罪でもある、と。



だからこそ

ダモシにとって
ニューヨークは<愛人>なのである、と。


だからこそ

ダモシにとって
己がホームの東京は
<本妻>なのである、と。




ある意味でそれは

<ヴィヨンの妻>的でもある、と。


太宰的様相もある、と。




コトはそれだけ

心理的な部分で複雑な
各種感情を織り交ぜさせられてしまうほどの

ことである、と。




単に愛人と本妻
という括りだけではなく、

ダモシにとって

ニューヨークと東京という両者は

"セザンヌと蛙"のような二律背反でもあり、

一方では
表裏一体でもある、と。





そしてそれは、


富士以上に分かりづらいのである。









*****








そんな中。


ニューヨークが

<移動祝祭日>であり

<愛人>としても、

常にダモシの周囲で
存在感や空気感を漂わせているのは、


ニューヨークで関わった事象や人が

ある一定のタイミングや

ドラマティカリーな所作をもってして

眼前に具体的に
その姿を現すことがあるからだ。






<なぜ、ここで、このタイミングで?>

と思わざるを得ない

目に見えざる力。



それが

移動祝祭日と愛人には働いているわけである。






<この縁、おそらく切れないぞ…>と。






ダモシが
難しい顔をして

英語のアプリケーションに記載をしていた時にこと。



米国人及び
ニッポン人以外はいない

そのスペースで、



まるで夢の中の声のように

耳の遠くから
優しい静かな物腰の声が聞こえてきた。





<ダモシさんではないですか…?>




夢ではないぞ?

静かだが、
リアルな今現在の、ナマの声だぞ?



0.5秒の間に察したダモシは、


アプリケーションから
ゆっくりと顔をあげ、


しかしそれでも慎重に

声の方向を見た。





と、


そこには

家族ぐるみでおつきあいを
させて頂いていた同世代の
ニッポン人夫婦の姿が

在った。



一気にフラッシュバックが起こり、


ニューヨークの拙宅でジョインした
ディナーのことや、


ニューヨークを去る
ぎりぎりの時点で

最後の晩餐をした夜のことなどが


甦った。





<あぁ! ○○さん!>


とダモシも快哉をあげた。




米国人及びニッポン人以外の外国人が

支配していた

米国市民向けスペース内に

日本語の旧友を温める談笑の声が
響き渡った。




彼らも

ダモシ軍団のように

ニッポンに帰国した、と。



しかも帰国してきたのが一ヶ月前。

米永住権の
グリーンカードの返却のために

この米国大使館を訪れているという。



わずかな時間で
旧交を温め、

メールアドレスや名刺を交換し、


改めての再会を約束して別れた。





帰りのダモフィーロ車中。

ワイフが言う。



<こうして逢うわけで…。
 普通、逢わないでしょう。

 ニューヨークの人とは、
 不思議な再会の仕方が多い。

 やっぱり何かあるんだ>



と。





ニューヨーク時代に

・夫婦ぐるみ
・家族ぐるみ

でつき合っていた人たちで

ニッポンに帰国してきた数もかなり多い。




しかも

偶然再会したり、

偶然
ニッポンでの居住エリアが近かったり





やはり

<この縁、おそらく切れないぞ…>

と感じさせるケースが多いのである。





彼らと再会すると

異口同音なのが、


ニッポンのユルユルさ、<楽>さ加減。

それはもう
互いに失笑するほどのレベルで


ニューヨークでの日常の緊張感は
皆無なのがニッポンである、と。



ある意味で、

ダサダサだよな、と。
ユルユルすぎるよな、と。




それが未だ若く独身であったりすれば、

やはり
渋谷で再会した男性のように、



<もう一度、ニューヨークに出ます!>


となる。



ニッポンでは刺激が明らかに足りない、

否、

そもそも
刺激なんぞニッポンにはまるでゼロ

だからだ。





一方で、

その食い足りなさを持っていつつ、


さらには
移動祝祭日として
常に存在感を誇示するニューヨークを
抱えながらも

この踏み応えのない日常を

歩いているのは、

世代的に見れば

相対的且つ圧倒的なボリュームで

ダモシ世代=アラフォー世代

が多いのである。




いずれも

コドモが小さいこと。


いずれも

コドモが米で生まれたこと。


いずれも

コドモが幼稚園に入る前くらいで
帰国することを選択した


というケースである。





そこではもう安易に

再び米へ

再びニューヨークへ

という選択を即座に採ることは

できないのが現実である。




だから

何度も記載しているが、

その満たされない環境の中であっても

己が奮い立つような存在を
見つけ出して

それと本気で闘えるレベルにまで


己自身はもとより

相手(存在)をも高めてやろう

という気概が必要になってくる。





平たくいえば

<目標>を持つということである。




夢ではない。

<夢>では、断じて、ない。



<夢>は

米に出ること
ニューヨークで闘うこと

そして

そのために

そこで生きていけるような
体力や経済力や
心身のパワーを持つべき


という次元の話である。





それぞれ我々アラフォーは、

そういう意味で

ニューヨーク時代とは異なる
存在証明と所作が

ニッポンである、と。



苛烈なまでに闘い
己中心で生きていたあの頃と、

いま

こうして
コドモの行事やイベントに

"パパ"的所作を持ちながらも
参加し、


"夏休み"だの何だので、

車の渋滞に巻き込まれながらも

コドモを喜ばせるために
遠出する


等々。




そういった

別次元での

ある意味で究極の
<ささやかなる幸せ>を思う存分堪能する中で、



それでもなお、


己自身のチャレンジングや未知との遭遇

〜すなわちそれが<旅>であもる〜

へと

奮い立たせていく。





そういったバランス感覚は

アラフォーである以上、

既に身についているわけである。




その上で、ではどうするか?

という部分がまた


<夢>の世界観になってきて、


ひいては

いつか再び米へ、再びニューヨークへ

という

永遠に消えぬ
<移動祝祭日>&<愛人>への

関わりへと結びついていく

と。






そういう意味では

”お立ち寄り”&"拉致"となった
北の某国とは

雲泥の差で

ニッポンには多々、

救いようはある

という中で、



<本妻>復帰、丸一年を迎えたわけである。






忌憚なく、

取捨選択が成功し、

ダモシ自身は今、

ニッポンを大いに楽しんでいる。

いっぱい興味あるモノがある。





それを見いだせたのもまた、

異国を経たからであろう。



さもなくば、

富士には見向きもしなかったであろう。









ときどき、

ドラマティカリーな形で
再会する

ニューヨーク時代につき合っていた人々。




彼らの

一定のタイミングを置いての

暫時登場は、


ある意味で


<移動祝祭日>&<愛人>たる
ニューヨークの


"使者"であり"特使"でもある






昨日、気づいた。






己自身の可能性は

常に

いつなんどきでも
思っているが、


<己は何でもできる>

<限界はない>

といったところで、



まだまだ

今後も何かあるぞ

と思わせるのは、



<移動祝祭日>&<愛人>側も

そうやって

ダモシに

何かを送り続けているからである。

















posted by damoshi at 16:12| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

相次ぐ山岳事故。山について一考。






ダモシが富士登拝をした直後から
山岳事故が相次いでいる。

まさに
その富士山で
若い男性二人が死亡した。

彼らは
ダモシと同じルートで登り、
ダモシとは異なる
初心者ルートで下りようとしていたらしい。


そもそも今年は
山開きの日に山頂まで
行くことが出来ないのは12年ぶり
という異質な気候になっている富士。


ダモシが登った日もまた
タイフーンのような暴風が吹き荒れ
ヘビー級のダモシですら
美徳のよろめき状態に陥り
身の危険を感じたほどである。


その高度はむろん日本一。




山岳事故は近隣異国でも
このところ続発している。

北の某国の
トムラウシヤマとビエイダケ
(いずれも2,000m強)で
日本人ツアー登山客のシニア数人が死亡。

同国の、
富士の1/3にも満たない高度の
タルマエサンでは23歳の若者が滑落。
未だ発見されていない。


ニッポン国内に目を転じれば

山形の蔵王では
保育園児と
救助しようとした50代男性が
滑落して死亡した。




これら一部の山岳事故を
取り巻く状況の前提として
我々が理解すべきことは、


そもそも
近年の登山ブームにより
死亡者数も
過去最高を記録しているという

全体的な傾向がある

ということである。



それを念頭に入れて、


山に限らず

ブームと趨勢によって
人の不理解が生じて

命を落とすことが多くなるケースが

往々にしてあるということを
考えなければならない。




蔵王のケースでは、
報道によれば
山の関係者は以下のように言ったようだ。



<痛ましい事故だが、
 登山道は遊歩道と異なり
 柵をつけるべき道ではない。

 現場は中級以上が対象の険しい登山道。

 六歳の園児が先頭に立って
 登山するような場所ではない>


と。



まさにその通りであろう。


北の某国でのシニアのトラブルもそうだが、
根本的に
我々一般人の素人(対山という部分での)が、

どのような心持ちと姿勢で

山と対峙したのか

ということが

最大の問題になる。




むろん、

蔵王のケースでいえば
子供たちのイベントとして

北の某国のケースでいえば
旅行会社主催のツアーとして

という枠組みがある以上は

基本的には
その主催者や企画者、現場監督に
レスポンシビリティが
発生するのは当たり前だが、


一方で

それに臨む人々自身の
レスポンシビリティも無視できない
わけである。



どういう心持ちで臨んだのか?

という問いを消すことはできない。




<ナメていたのでは?>


という問いである。




都市やランドマークへの観光と

山や海と対峙する観光は

完全なる別物である、と。



そういう強い危機意識と
それに伴うリスクヘッジを
きちんと措ったのか?


と。



それは富士で死んだ若者二人も同様である。




ダモシと一行は
そういう意味では
己が身体的能力は別として

山に対する危機管理をきちんとしていた。


オトナたちのパーティ。

そこに
0.1%でもナメた態度があれば

山は激怒し、

風雲急を告げるであろうことも

理解している。




ヒマラヤをも踏破した経験者を
隊長として任命したことは

最大のリスクヘッジである。


もしその経験者としての隊長が
いなかったならば、

ダモシの唇が紫に、顔色がブルーに
それぞれ変色し

意識混濁の中で休憩を何度も採る際も


危険を即座に察知して

アメの部分では
即座に

ダモシのザックとカメラを
己がテイクオーバーして
ダモシの負担をなくすと同時に


オニの部分では
休憩時間を過度にさせて
身体が冷えることでの危険を回避すべく

まだ休みたいダモシを叱咤して

<これ以上は身体が冷えて危ないから
 行きましょう!>

と歩を進めさせた。




これらがなければ


忌憚なく

ダモシはリタイアもしくは
最悪は死に至る危険性は

大いにあったわけである。




今週、

パーティ一の一行で反省会を開催したが、

そのあたりは誰もが納得するところである。



そして、

メンバー構成も重要である
ということである。



要するに

苦行の中では

よほど人的バランスが良くなければ

必ず険悪なムードになり
一行の流れが乱れる。

会話もなくなる。

顔は疲弊している。

登山には個人差があるから
それぞれのペースで
勝手にやりはじめたら

もうアウトである。




対山、という環境下での

人的バランスを欠乏することでの
アトモスフィア的劣化
(険悪化→それぞれ勝手なペースでの登山に劣化)





生死の分水嶺にもなる、と。




必ず理解しなければならないのは、


対富士は

観光ではないということである。


それは他の山も、海も、川も、滝も

同様である。





ニューヨークから

ウルトラ・スーパー・ローカルの
北の某まで


都市レベルや町、村などまでのレベル差と

そこに存在する危険のレベル差は

苛烈なほどあれども


そこはすべて
大小問わず
どんな土地にも必ず危険は存在するのだ

という理解をもって

その地と対峙することはもとより、





自然という存在が相手となれば

当たり前のように

事前に
弱虫に見えても良いから

己が弱虫になるほどに

危機意識を持ち

心持ちをアジャストさせなければならないのである。






歴史がそれを証明している。


強い者、生き残る者は

ある意味で
弱虫とも思えるほどに
危機管理をし、

リスクをヘッジした上で

事に臨む、と。




負けられない

負けたくない

死ぬことはできない



という絶対条件がある中では、


どんな選択や行為も

そうならないような
事前の
根回しや交渉、マーケティングは

微に入り細に入り
必要なのである。





そのあたりの認識と理解が、

少ないケースが近年多いことが

山岳事故が増えていることにも
つながっているのではないか


と感じもするところである。







絶対根本だが、


それは


いずれの闘いにおいても


<他者や相手を、ナメるな>


ということである。





特に富士、そして山。


これはもう、

ちょっとでもナメた心持ちをもって
臨むと


必ず何かを仕掛けてくる。



その仕掛けは

自然ゆえ、

人間を死に至らしめるほどの
致命的なものである


ということだ。








yamakei2.jpg




別のメンバーが撮った、

ダモシが
グロッギー状態になっている図。


例えばこの写真。

青空だ。

単にこの絵だけを見た場合、

イメージ的には
平穏な気候条件を想像するだろう。


そこが対自然への甘さである。


実際には暴風が吹き荒れている。

しかも
完全防寒服を着る直前である。
それだけ寒い。


そして
当然ながら酸素が薄い。




絵と、現実。



この伝わるギャップが大きいのがまた

山ともいえる。









yamakei1.jpg




<山と渓谷>6月号。

既に過去のもので書店にはないので
バックナンバーで仕入れた。


先般の、映画<剣岳>を大特集している。


単なる山、単なる登山ではなく
作家・新田次郎や
山を文学的に切り取る特集が秀逸である。




剣岳。

これはもう危険だろう。

だが、
映画の影響もあり

ここを目指す人々が激増することは

想像に容易い。




そして、事故が起こるであろうことも。

















posted by damoshi at 11:13| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

富士登山、大判写真集






富士への登拝に関する
シリーズ寄稿は終了した。


数ある写真の中から
当欄に掲載したものも含め、


大きな画像での写真を一部
別枠にて掲載。



ある程度の大きさの画像での

富士登山写真集を以下にて。






http://www.246damoshi.com/fujisan1.html

http://www.246damoshi.com/fujisan2.html

http://www.246damoshi.com/fujisan3.html












posted by damoshi at 17:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月19日

<ダモシの根性x富士の本性>-LAST-空を飛ぶ巨象







富士登拝は

平安時代に既に行われていたという。


盛んになったのは江戸時代。

行者・藤原角行が
たびたび登拝したことから
庶民に広まった。


それは次第に発展して
冨士講といわれるグループでの
登拝へと連なっていく。


登拝する白装束の庶民たちは、

金剛杖をつき
<六根清浄>を唱えながら

霊峰富士の頂を目指した。



<六根清浄(ろっこんせいじょう)>は、


・目
・口
・耳
・鼻

・身
・心


不浄なるものが
存在しないことを願う祓詞。



登頂への一連の登山と
遥拝から登拝へと移行した今回、


それらが仮に

あったとしても、


あまりにもタフな
富士の本性を前にして

誰もが意識下から
消されてしまうことに気づく。



要するに

不浄なるものが存在していたとしても、


それは
あまりにも酷なこの登山と登頂の過程で

消されてしまい、

自然と清浄されてゆくものである、と。




それだけ

登っている間は<無>になる。



ただただ、ひたすら登る。

登らなければ到達し得ない。

だから、ただただ登る。


苦しいが、

ここでやめて引き返すか

ただただ登るか。



登らなければ頂には到達し得ない。

そこまで来た者は
苦難を経て到達したことになるからこそ、

富士は素で受け入れる。


苦難を経たということはすなわち、

その過程で充分に不浄は洗浄されて

清浄なる六根に昇華しているわけである。









*****







日本最高峰3,776m地点から

下山。



ここで油断はならない。

油断せずに下山して、
ただただとにかく無事に五合目まで
戻ってこそ、


ゴールである。







ダモシは忌憚なく、


<下山は楽だ。二時間半程度だろう>

と感じていた。



これがまたダモシの甘さだった。


登りの道が
どんなに険しかったか。

それを忘れていたのである。


これ以上ない苦しみも、

喉元過ぎれば何とやら、である。






0gezan1.jpg



最高峰から下りてゆくの、図。

往路同様、
急勾配を下ってゆく。





0gezan2.jpg









*****







最高峰から山頂へ。

そして
オフィシャル案件を再び済ませて、


<さあ、行こう>と下山を開始。




隊長Yは、

<下山は一体でなくても良いだろう>

という判断で、

離れて先行していく。



ダモシは最後尾からスタートした。






0gezan3.jpg



0gezan4.jpg




0gezan7.jpg




0gezan8.jpg






下山。


道は険しい。


ダモシはまたイヤイヤとふてくされを開始。

富士への罵倒と罵詈雑言が
再開した。





<こんなはずではなかったぞぉ…>



<何だ、この下山のタフさは…>



<俺は、てっきり、下山は、
 楽だと、思っていたぞぉっ!!>



と、

ブツブツブツブツ&絶叫の連続。


不良歩きと金剛杖の岩への乱打。





下山。

登りのような
呼吸困難は少ないが、

なにしろアップ&ダウンと
ゴツゴツした岩、急激な段差の連続で

足腰に

大きなダメージが蓄積されていくのである。




しかも、

富士特有の石ころと砂ゆえ

滑るのである。




ザザザザザーッ!ゴロゴロゴロゴロゴローッ…!


という音をなびかせると同時に、

ダモシの足は登山道から崖に外れ

転倒を繰り返す。





<あ、あぶないっ!>


<気をつけて!>




慣れた様子の二人組が

登りの途中で
下るダモシとすれ違いざまに

ダモシに注意を促す。





<だいじょうぶ、だいじょうぶ…>


と強がるダモシだが、

相変わらず呼吸は荒い。





先を進むO氏に

<待って>と言わんばかりに

話しかける。




<こんなにキツかったでしたっけ?!>


<そもそも、これは卑怯でしょっ!?>


<そう思いませんかっ!>





O氏は冷静に言う。


<キツいですね…>


<でも、
 登っている最中感じていましたよ。

 こりゃ、下りるとき、キツいぞ、とね>


と。




O氏は既に登っている時に

帰りの厳しさを予見していた

(想定していた)のである。




これには驚いた。

そんなにも余裕があったのか、と。




ダモシの中では、

己が登っている間に
すれ違う人々(下りてきていた人々)の
軽やかな足取りを見るにつけ、


憤りを覚えていたわけである。





<クソったれがぁっ!
 皆、下ってくる奴らはスイスイ来やがって!>



と。




そしてO氏に言った。



<いやいやいや。
 そもそも俺らが登っているとき、
 下ってきている人たちは皆、
 足取りは軽やかでしたよっ!?>


と。





ブツブツ言ったとて、何も始まらないし

楽になるわけでもない。



ただひたすら

一つでも

九合目から八合目へ、

八から七へ、七から新七へ

と下りを進めていかなければならない。



それも分かっていたのだが、

どうにも我慢ならないわけである。


ブツブツ言わなければやっていられんぞ、と。






そしてまたもやダモシの勘違いが発生した。



九合目に到着。

そこでダモシは
昨晩寝た布団が干されていることを認め、

そこが宿泊した八合目であると
錯覚してしまったのである。





<よし>と。


もう八合目だ、昨日宿泊したところだ、と。


だから次は七合目だ、と。





そして
またブツブツ言いながら下っていって

山小屋に着く。



<よし、七だ>と。




そして見る。看板を見る。



と、看板には

<八合目>と書かれてあったのである。





<ん?>と、

ダモシは目をこすり頭を振ってから
もう一度その看板を見る。


やはり八合目と書かれてある。




ダモシ、狂乱。




<おいおいおいっ!ええっ!なんじゃ、こりゃぁっ!>



<みんな。ここは七合目でしょう。ね?七でしょ?>



<そもそも俺は知っている。
 さっき、見たもん!
 さっき休んだ小屋で布団干していたでしょ。
 あそこが我々が昨晩泊まった八合目です!

 だからっ、ここはっ、七でなければならないのだぁっ!>




他にも人はいるのに、

気狂いダモシは一人で叫ぶ。





<いえ。ここが昨日泊まった八合目ですよ>


と冷静な声が響く。



ダモシはもう正常な状態ではない。


<そんなのルール違反だよっ!>

と叫び、


世界一高い500mlの
ミネラル・ウォーター500円を購入。




<ダメだ、脱水だ!>と水を一気飲みした

のであった。




もうイヤだった。

ほとほとイヤになっていた。

さっさともう下りたかった。




それは他のメンバーも同じだった。


U氏もうなだれていた。


<想像以上に下りがキツいですよ、これ…>

<ブルドーザーか何か、
 下りは乗り物で降りていけないのですかっ!?>


と、こちらもイヤイヤしていた。





もうダモシの足は腫れていた。

足の親指の爪の中は
紫色に変色していた。

シューズが微妙にゆるいことで、

下りの際にかかる全体中が
先端すなわち指にかかってしまうのである。



その連続による親指へのダメージの蓄積は、

心身を蝕んでいった。





<ここまで岩の道だったっけ?!>


と怒りながら

誰にともなく問いかけるダモシ。






登頂と最高峰到達を成し遂げたことで、

気持ちが緩んでいたのである。

モメンタムは途切れたのである。




<あとはもう下りだ。
 下りはずっと楽して降りていきたい>

と考えていたわけである。




だが富士は最後まで甘くなかった。



徹底的に

登拝者に

富士自身をナメさせることはない。




下りでも、下り独特のタフさをもってして

ダモシを虐めた。






0gezan5.jpg



0gezan6.jpg




0gezan9.jpg




気づけば、

眼下から
薄い雲が上がってきていた。



<急に雲が出てきたな…>。



そう感じたのも束の間、

ここでまた富士は
己が独自性の本性を現す。



富士の本性のもう一つが、


<急激なる天候の変化>である。





絶対青空のもとでの
クリア・スカイ&サニー・スカイは、


駿河湾、伊豆半島を俯瞰していたが、


突如

まさに
風雲は急を告げて

下から上へ
大きな塊となって

押し上げてきたのだった。






0gezan10.jpg




0gezan11.jpg





<うわっ、何だこりゃ!>


<見えなくなるぞっ!>


と叫ぶダモシ。




その雲の速度たるや

ものものしい。


リニア新幹線を上回るスピード感は

モハメド・アリの
蝶のように刺すパンチのスピード感プラスαであった。


端的にいえば、


象が空を飛んでいる感覚である。




巨象がものすごいスピードで

空を飛んでいる。




そんな感覚が、

富士の天候急変での
雲の塊の襲来であった。




霧や薄い雲のスピード豊かな
切れ味鋭い動きと、


もう一つ、


モクモク雲が塊となって巨象に化身し、

その
巨象がまことしやかに空を飛び、


しかも
その重量感にプラスしての
異次元のスピード。



これはもう眼前にすると

怖れおののいてしまうわけである。



吸い込まれるというよりも

飲み込まれてしまう

という感覚に陥るのである。







<上がってくる雲。風。
 一刻も早く降りよう。
 雲を抜けよう>


とダモシは感じる。




往路での

上がっていくことでの
抜ける雲。


復路は逆に

己が下がれば下がるほどに
その雲を抜けることができる。



気持ちが急いた。


空を飛ぶ巨象が

ダモシを急がせた。









*****









下山は遂に

眼前が見えなくなった。





0gezan12.jpg



0gezan13.jpg



0gezan14.jpg



0gezan15.jpg








七合目、新七合目、


そして六合目。




<六合目まで行けば、もうすぐだ…>。



必死のダモシは
這々の体で六合目に辿り着いた。



先に到着していた一行の三人が、

無言で

放心状態のまま

ベンチに座っていた。



遅れて六合目に到着したダモシは

またそこで
今度は500mlで300円の
アクエリアスを購入して

一気飲みをした。





三人のもとへ行く。



<あとはもう、楽でしょう?>と言う。


三人も口を揃えて頷く。






しかしこれもまた楽ではなかった。



ダモシは最後の最後まで
罵詈雑言と
ひとりブツブツをしながら


降りていった。





<これも嘘だよ。こんなにキツいはずではなかったぜ?>


<六合目から五合目って、
 こんなに長かったか!? うがぁーっ!!>



叩きつけられまくった金剛杖は、

ようやく
五合目ゴール手前で開放された。




五合目ゴールすなわち

登りはじめた位置にある

最後の階段が視界に入った。



ダモシは

そこまでくると

もったいぶって、

じっくりとゆっくりと
カメのごとく


一歩一歩、下っていった。







時に、12:30PM。


山頂の下山開始から三時間半。




遂にゴールに辿り着いた。





ダモシはすぐにワイフにメールした。





<五合目に着いた。
 
 これでゴールだ>。







0gezan16.jpg



五合目に到着直後、

山頂を仰ぎ見て、撮る。








*****









7/15(水)の
2:40PMに登山開始。

八合目に到着したのは6:30PM。


五合目から八合目までの
所要時間は、3時間50分。


7/16(木)の
2:45AMに登頂開始。

山頂に到着したのは5:45AM。

八合目から山頂までの
所要時間は、3時間。


往路でいえば、

五合目から山頂まで合計6時間50分。
最高峰への30-40分を入れれば、
約7時間30分。


下山は3時間30分。
最高峰からの時間も含めれば約4時間。




トータルで

約11時間30分〜12時間の

霊峰富士との直接対決となったわけである。



一般的な旅行ガイドに掲載されている
このルートの
スタンダードな所要時間を見てみる。


登り:5時間
下り:2時間40分
トータル:7時間40分



ダモシの所要時間は
このスタンダードよりも

登りで2時間30分
下りで1時間20分


遅かった

という結果になった。





しかし、

ダモシは富士山マラソンを
しているわけではない。


競走しているわけではない。


だから良いのである。




ダモシにとっては、

とにもかくにも
登頂に成功したことが重要である。


登頂に成功しなければ

ミッションはもとより

感情的なマスト・イシューも

何一つとして
実現できなかったからである。








富士。


そこに登ってみて、

ステレオタイプに
<新たな何かが得られたか>
といえば、


そういう次元ではない

と言うだろう。




たしかに

未体験ゾーンであり

未知との遭遇が

富士への登拝である。



あくまでも登山ではなく、登拝である。


霊峰富士への登拝は、

たしかに
新たな何かを与え賜うたが、


それは

ニューヨークで得た

激烈なるインスパイアや
絶対的な新たな価値観といったものとは

また

種類も次元も異なるものである。




人生観が覆るような
好意的なショックとインスパイア


という点では、


ニューヨークには

かなわない。



さすがの富士もかなわない。



富士に登拝してみて、

ニューヨークの凄さ

を改めて感じる皮肉な結果も得たが、



それと同時に

ステレオタイプな様相では


そこでご来光を見ただの

苦しい中を最後までやり切ったことで
新たな境地に至っただのということは


あり得ない


ということである。





確かに


異次元の光景や景観は目にする。


じわじわと
後から富士の霊峰たる所以は

忍び寄ってこよう。




すごいわな、と。


あるいは

感動するよな、と。



そういうステレオタイプなことは

普通にある。


逆にそれがなければ

こんな苦行は
やっていられんよ、と。




だが、それは、

異国での闘いや
対ニューヨークという闘いと

純粋に比べれば、


やはり激烈なるインスパイアと覚醒

という部分では、

足りないのである。






富士がダモシを計ったように、


今後、


ダモシも富士を計っていくことになる。




果たして富士は、

ニューヨークのように

ダモシにとっての

<移動祝祭日>になり得るか否か。





ダモシは少なくとも、

罵詈雑言や罵倒はしたものの

誠心誠意、真摯に富士に向き合い、

最後までやり通した。




対ニューヨーク同様に。




富士はダモシに、

移動祝祭日として生き続けるかどうか。



今度はダモシが富士を試す。





<もう二度とやらない>。



ニュートラルに

あまりの苦しさに

ダモシが最後に吐いた言葉である。



二度と登りたくない。

それほどキツかった。




富士が移動祝祭日になったならば、


再びダモシを誘うであろう。




<もう二度とやらない(行かない)>

と宣言したダモシを覆し、



ニューヨークのように

常に思慕させる存在感を示せるかどうか。



ニッポンで
それを成し得ると想定される


唯一の存在こそが、



富士である。








最後に。



富士には忌憚なく、感謝である。


このニッポンで、

ダモシが
本気になっての闘いを挑ませてくれたことに


感謝である。




本気で挑むに値する相手が

未だ
ニッポンにもあったことが

救いであり、


その点でも



さすが富士


と脱帽するところである。







ニッポンで唯一と想定される
富士でも

移動祝祭日になり得ないのなら、



それこそ

劔岳や

アルプスなど


高度は富士より若干低いが、

それでも3,000m級の

より危険な相手を求めざるを得なくなる。








それは、


願わくば


避けたいところである。












*****








0gezan20.jpg




帰宅したダモシに、

ジュニアがくれたレター。



<ダディ、よくがんばったね>

と記されたレターと、
折り紙で作られた富士。






0gezan21.jpg




暴君ダモシの叩きつけに耐えた

金剛杖。



山頂で焼き印を、打ってもらった。















posted by damoshi at 22:03| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劔岳-点の記-







久しぶりに
カテゴリー<映画>を記載したい。



今宵、
横浜港北エリアで

ぶらっと

ひとりじかん

で、


映画<劔岳-点の記->を観てきた。



ひとりじかんで
映画を劇場で観るのは、

ニューヨーク時代の
<9.11>以来。


<本妻>復帰以降では
先の
ジュニアと二人で出かけた

やはり同じく港北エリアで観た
<仮面ライダー・ディケード>
以来となった。




折しも、夏休み。

そして三連休の中日。

高速道路のみならず
映画館も大混雑。


といっても

ローカル都市ではない。


都市部一箇所にのみ
複合型シネマ・コンプレックスが
あるだけではないのが

田園都市&横浜である。


近隣でも

港北ニュータウンの
ノースポート・モール、
ららぽーと横浜、

あるいは
南町田の
グランベリー・モール
と、

至近距離に複数の大型シネマ・コンプレックスが
存在しているから、


客も分散するはずである、と。




いくら

・ポケモン
・ハリーポッター

というコドモ向け
夏休み映画が上映されているとはいっても


混むのはそのチケットを買う
人々が列をなす
チケット売場やグッズ売場もしくは

その上映劇場のみ


と想像していた。




だが、甘かった。


・ポケモン
・ハリーポッター

はもとよりだが、



妙に

ダモシ的俺たちの世代=アラフォー



その上の
ミドル・エイジ

シニア世代


が多い。



長蛇の列を経て、

ようやく
ダモシがチケット購入。



(<まったくポケモン軍団は…。
  この人たちがいなければ、
  もっと早く買えるのに>)

と思いながら、



<ツルギダケを一枚ね>

と女性係員に告げる。




と、女性係員。



<申しわけありません。
 実はツルギダケ、すごい人気で、
 お席ももうここしかないのですが…>



シート図を見せて
中段の右端を指差す。





<え? 混んでいるのですか?
 ツルギダケが混んでいる?
 本当に?>


<ツルギダケって人気なのですか?>


とキョトンとするダモシ。




<ええ、人気なのです…>と係員は
申し訳なさそうに言う。



なぜ

申し訳なさそうにするのか。


関係者が見たら、怒るだろう。






ダモシは、


<でも席があって、良かった。
 ええ。そこで良いですよ。
 あと駐車券ね>


と言って、チケットを購入し、

映画鑑賞者は駐車場が無料になるので
押印してもらった。





そして、

ポケモンかハリーポッターを待つ
ファミリー軍団or母子軍団の喧噪を抜けて

グッズ・ショップへ歩を進め、


そこで
ツルギダケのパンフレットを購入してから

上映ルームへと入った。









*****







ニッポン映画界を代表するキャメラマン、

木村大作。



氏が自ら監督として
メガホンをとった大作。


それが<劔岳-点の記->だ。





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近年では
<極妻>シリーズで名高いが、


そもそも

・日本沈没
・八甲田山
・復活の日


などなどの壮大な大作から

・駅 STATION
・鉄道員

などの名作を

己がフィルモグラフィに重ねてきた
木村大作。



"伝説の活動屋"ともいわれる
妥協なき
本物の映画づくりは

半世紀に及ぶ。





ダモシも

<八甲田山>
<日本沈没>
<復活の日>はもとより、


<駅 STATION>まで

氏のキャメラによる映画は観ている。




特にダイナミズムを擁する

<八甲田山>や
<復活の日>などは

氏のキャメラの仕事の真骨頂でもあろう。





映画のパンフレットにある

この作品のセールスポイント。




<けっして名誉のためでもなく、
 利のためでもない。
 仕事に誇りをもって挑む男たち。
 いま、わたしたちが失くしつつある、
 日本人の心の物語である>。



さよう。



そしてこの映画のキャッチ・コピー。


これがすべて表している。




<誰かが行かねば、道はできない>。




この映画は

単なる
山岳映画、山登り映画と思ってはいけない。


実は、そうではない。


日本地図を完成させるために
命を賭けて己が仕事に挑む男たちの
ストーリー。


舞台が、山であるという世界観が

氏のキャメラも生きてくるわけだが、

根本的には

ある意味で

"地図を作るためだけに、
なぜ、そこまで命を賭けてまで…"

という

生き様/仕事/ライフ

が綯い交ぜになった映画なのである。





"ただ、地図を作るためだけに"

危険な山に登る。

しかも
未だ誰も登頂し得ていない
〜前人未到の〜頂を目指す。



地図と命は引換えにはできない。


しかし
それはどんな職業でも同じであろう。


職業に貴賤はない。

要は、己が誇りを持ってやっているか否か。



そういう意味では、

ダモシのように

何かを
少しでも売れるように
少しでもPRになるように
少しでもこちらの気概が伝わるように

そのために富士を登る場合もあるわけだ。




ただただトラックで荷物を
青森から名古屋まで運ぶだけのために

高速道路を運転する。


それも誇りを持てば、良い。



ただただゴミを運ぶためだけに
毎朝
ゴミ収集車に乗ってピックアップしていく。


それも誇りを持てば、良い。



何も

コンピュータ上で
ラクして株でお金を稼ぐだけが能ではない。




"ただただ〜のために"

というのはまた、

恋愛や結婚生活も同じである。





"ただただ、キミが生きていてくれさえすれば良い"

という究極の感情は、

愛している場合の
到達点の一つであると感じられる。





とどのつまり、


己が選択して、行動している、行為には、
なんびとも介在し得ない
誇りを持ってさえすれば、



"ただただ〜のために"で良いわけである。





映画はシンプルにそれを訴求する。



劔岳という
前人未到の頂に



<ただただ、その頂に真っ先に立つこと>

を目標にする日本山岳会と、


<ただただ、地図を作るために、
 その頂に登ること>

を目標とする主人公たちでは、


そのモチベーションとモメンタムに

善し悪しではなく

大きな差異がある。




そのシンプルな差異をシンプルに
見せてくれるから分かりやすいのである。



形だけにこだわる国側や上層部に反し、

形にはこだわらず
ただただひたすらミッション第一義で
粛々と困難に立ち向かう主人公たちの

清々しさと、


必ず

家族や親友など

味方をしてくれる理解者がいることの

大切さや有り難みをも
シンプルに描いた映画といえよう。





むろん、

舞台が山であるということでの

ダイナミズムと、


そのキャメラワークによる

これまた映像での
"苦難"の分かりやすさも

シンプル・イズ・ベストである、と。






ただの達成感や到達感、苦難を乗り越えた感を
基軸とする感動ストーリーではない
ラスト数十分の展開も

ニヤリとさせられる。




キャストの中では、

とりわけ

主人公に対して
山案内をする現地の人を演じた香川照之と、


何をやらせても
味のある

主人公の妻を演じた宮アあおいが


良かった。




むろん、

いつも良い定番の
役所広司も相変わらず好演だ。





いずれのキャストも、

めいっぱいではなく

絶妙な匙加減で

"抑え気味"
(演出上、意図的にローキーにしていたのであろう)

な演技がまた

映画を引き締めた。







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映画は6/20から公開されているが、

観客動員も200万人に到達する勢いで
ヒットしているという。



コドモや若者向け映画が多い中、

これは
確かにオトナ向けの映画といえよう。



シニアの登山ブームとも相まって

今宵も
シニア夫婦や
ミドル・エイジの夫婦などが


客席に目立っていた。






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<劔岳-点の記->公式ホームページは以下。
http://www.tsurugidake.jp/












posted by damoshi at 17:42| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<ダモシの根性x富士の本性>-4 日本最高峰・剣が峰







世は、

三連休と夏休みスタートのウィークエンド
ということで

早朝から東名高速、中央フリーウェイなどは
特に大混雑の昨日と今宵。


拙宅エリアの東名などは
40kmレベルの大渋滞になっている。

その煽りを食う形で
東名での静岡/名古屋方面行きをあきらめた
皆々様が、

R-246に下りてくるから

これもまた大渋滞になるという
大迷惑。



それもこれもすべて

あの記号=アソウの世紀の愚策
<高速道路1,000円>のフォールトである。



さっさと、こんな愚策、やめろ。


民主党政権に交代した暁には
愚策の数々をASAP、廃止せよ。




そんな中、

ダモシ軍は
渋滞なんぞ大嫌いとばかりの
それを避けて


早朝から、江の島を散歩して

早々に戻ってきた。




とにもかくにも
やることが膨大ゆえ、

オフィシャルもプライベートも

ぱっぱっぱっと

タイム・イズ・マネーで
アクションを起こさなければならないのである。




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0eno2.jpg




渋滞を回避すれば30分程度で着く

湘南・江の島。

5AM台からアクションし、
10AM前には帰宅。


今宵はこの後、

ずっと観に行こうと思っていた映画を
港北エリアへ観に行けば、

まだ夕方も夜も深夜も
諸々のことに時間を使えるという
算段である。





その前に、


<ダモシの根性x富士の本性>-4。

日本最高峰・剣が峰を
掲載する所存である。










*****








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富士宮口から山頂に
到達すれば、

その向こうに剣が峰。

他のルートで登頂した場合は
剣が峰に行くだけでまた
一時間等を要するが、

ここからは高さは別として
距離的には近くなる。



それでも、

剣が峰への最後の登りはまた

苦行であるのは確かである。


その傾斜は
ある意味で最後の難関となる。





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この傾斜を、見よ。


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20-30分程度を要して、登る。






その途中、

富士の本性、富士の素性が
露になる。


火口である。




初春に連続した
ディスカバー・ジャパンの旅路での

四国・松山へ向かうANA機内。


非常口に座るダモシに
CAが声をかけた。




<お客様、窓から下をご覧ください>。



<ん?>と応えたダモシが
窓から下を覗くと、

そこに見えたものは、

初めて見る

富士の頂の素性、

すなわち

火口であった。




グーグル・アースでも
それを見ることはできるが、

富士を真上から見ると

まずは
遥拝で目にするそれとのギャップに
驚く。



あまりにも苛烈なほど

ナマナマ

だからである。





富士は、本当は、こうなのだ。


それを如実に理解できる一瞬である。



つまりそれは、

ひとことで言えば、


富士は

<荒ぶる山>であるということだ。



噴火や溶岩の流出を
数えきれないほど繰り返して
現在の姿を成立させた富士。


その美しすぎる姿の内側には、

ふだん見せることが憚れるほど
苛烈なるリアリティが

潜んでいるということを

理解しなければならない。




富士がなぜ、

そもそも

修験道の道場だったのか、を。




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*****







焦りはもう、ない。


疲労は当たり前の極限である。


だが
焦りがない分、

じっくりとゆっくりと
日本最高峰までの道を登る。



右手は火口、

左手の眼下はこうなる。





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実感するダイナミズム。


山頂までの登りでは
感じ入ることができなかった
富士のダイナミズムを

ここで享受する。





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間もなく日本最高峰に到達する

最後の局面の図。





0cho14.jpg



既載の通り、

そして辿り着いたとき、

日本最高峰で
最高の一服をマルボロで。



この時点では

達成感よりも
安堵感が勝っている。


文字通り、


<ふぅ…>という世界観である。







ちなみにこの日本最高峰。


さらに
簡易階段を用いて高いところに
行くことができる。


そこからは山梨側、南アルプス側を
一望することができる。



富士五湖の一角、

身延エリア

甲府

そして南アルプス。






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望遠で撮る。



<甲府はこんなに近いのか…>

と驚く。





そしてここで、

富士登山中で三度目の影富士を見ることになる。




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*****






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日本最高峰地点よりも

リアルな意味では
さらに高い
ここが本当の日本最高峰である

簡易階段を上がった先から振り向いて

火口を見る。



0cho13.jpg






0cho16.jpg


これがいわば、<点の記>。

測量によって
富士山の高さが3,776mと認定されたのは、

1889年のこと。



その地に、

日本最高所<二等三角点>の
モニュメントが建っている。








*****









一行の中の一人が呟いた。




<あ。月だ。月が近いですね…>


と。



ダモシも見上げた。


<あ。ほんとうだ。さすがに近いですね>。






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絶対青空の中にある

富士山及び日本最高峰から見る

月。









かくしてダモシは


2009年7月16日、

日本最高峰まで到達した。














posted by damoshi at 11:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月18日

<ダモシの根性X富士の本性>-3 山小屋の夜〜登頂成功まで







山小屋。



経験はないが、
イメージとしての
収容所もしくは軍隊の合宿所の
世界観か。


雑魚寝どころではない。


国技館の枡席のように
一括り四名が入る
木の枠
(それはベッドという代物ではない)
に、


我々一行は鎮座した。


二段になっているそれの

上部である。



既に下段の木枠内の
他のパーティ四名は
深い眠りに入っている。



木枠内で片寄せあって
胡座をかいた我々は、

U氏が持ってきた
ビーフジャーキーと

O氏が持ってきた
銀色の紙に包まれた
ひとくちサイズのチーズ

などを

分け合って食した。




まさにそれは

時代を超えて

昭和の香り漂う世界観。




ここでは、


六本木だの青山だの
IT社会だの
なんだのは

介在し得ない。




在るのは、


八甲田山

剣岳


などの世界観。








眠った、はずだった。

ダモシは
真っ先に眠ったはずだった。



だが、

隣のO氏から


<すーっ。ぷっ>

という

呼吸と
その直後の<ぷっ>という
サウンドの交錯が

規則的に始まったと
思ったら、


<違うと思うんですよ>

という寝言が
繰り返された。




さらには

右となりで横になる
U氏の口からも




<うぅぅぅぅぅ…>

という寝息ともうめき声とも
つかぬ

サウンドと共に、




<違うよなぁ…>という

やはり
O氏と同じ意味合いの言葉=寝言



流れてきた。




間に挟まれたダモシは

布団とはいえぬ布団を
かぶっている中で

ひとりで

ゲラゲラ笑った。






ダモシもまた

その直後、眠りに落ちたら

もしかしたら
誰も聞いてはいないものの

苛烈な寝言や

いびきの轟音を
山小屋内に轟かせていたかもしれない。




必死に眠った。





必死に眠りながらも

何度も何度も目が覚めた。




真っ暗な山小屋の中、

耳をつんざくばかりの
外の暴風音と
それが与える揺れ、


さらには

酷寒。






(これは修行か、何かの罰か…)


目を閉じながら、


さすがのダモシも
恐れおののき


泣きそうになった。





(帰りたい)と。


(ワイフとジュニアと猫たちがいる
 我が最高の癒しの場所である
 家に戻りたい)

と。






その想いを助長したものは、


上述したような
環境設定

(真っ暗やみ/暴風/酷寒)

だけではなく、



パーフェクトな高山病だった。





まさに
平易な表現としての


<頭が割れそうな>

としか言いようがないほどに、



頭が割れそうなほどの頭痛

に見舞われていた。







(マズいぞ、これは…)


(とにかく眠って、
 眠れば、この頭痛も、
 起きた時には治っているかもしれない)


と。









夢か現か。


軍隊の鬼軍曹の如き
山小屋職員が



<2時半です!起きてください!>


<すぐにまた消灯しますから、
 早く用意して出発してください!>






我々を起こした。




意識朦朧。


治っておらず
激しさを増す頭痛。


真っ暗やみ。



我々は皆、一斉に起きた。

起きざるを得ないほどの
軍隊の修行の世界観。



手探りで下りて

外に出て
トイレへ行く。



用を済ませば

出発の準備。



すぐにザックを背負い、

外へ出た。




行くぞという気合いが入る間もなく、

<行かされる>

<行かざるを得ない>

流れがそこにはできている。





具合が悪いからとか

朝食を食べたいとか

起きたばかりで
身体が動かないとか


そんなことは

何も通用しないのである。




さっさと起きて出かけろよ

というムードが
ここには成立している。




<なんだ、これは!>と。



<なぜ、こんな目に遭うのか!>と。



もはや朝っぱらから、

否、

真夜中あるいは未明から



<ふざけるなよ!?>という

憤りが充満する。



それを助長するのは

この環境設定と頭痛である。

吐き気もしてくる。





最悪のシチュエーションで、


痛む頭に
ヘッドランプを装着して


<イヤイヤ行くぞ>で

いよいよ
山頂への登頂が

始まったのであった。






時に、2:45AM。








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起こされて、

外のトイレに行った際に
撮影した

外界と下界のシーン。



この真っ暗やみの中を
出発することになる。



返す返すも
この場所は、

高度3250mの、富士山八合目である。


しかも暴風、酷寒である。








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富士の、時間の入れ替わりは早い。


夕暮れから夜も一気。

未明から朝の気配と朝焼け、朝
という一連の流れも

あっという間である。




登頂開始して数分。


東の空に
朝の気配が一気に漂う。






8go3.jpg





八合目から頂上。


この間にあるのは九合目。


だが、
これがまたダモシを参らせた。



新七合目と七合目に等しく、

罠があるのだ。



八合目の後が九合目で、
その後が頂上という認識は
危険である、と。


八合目の後には

標高差210mで
まずは九合目がある。


だが

その後に
3460mの九合目から
頂上までの間に

もう一つの九合目たる
九合五勺目という
休憩所がある。



だから

九合目に到着した後に

次は頂上だ!
と思って登ると、

その前に
建物が見えるので

それだけで


<えっ?まだなのか?>

と大いなる疲弊と消耗を生む。






八合目から九合目までが
3250mから3460mで標高差240m。


九合目から九合五勺目までが
3460mから3590mで
標高差130m。

最後のフェーズである
九合五勺目から頂上までは
200m弱。



日本最高峰の剣が峰を除けば、


八合目から山頂までの
この区間それぞれが
最後の難関となる。






八合目からスタートした

我々を迎えたのは、

真っ暗やみと酷寒

そして
暴風。


さらには

急激なる胸突き八丁の
アップ道。






これぞまさに

<精神的完全無欠の惰性>

が成立した。




もはや酸欠とか頭痛とか

苦しいとか

そういう次元ではなく、



ダモシはもう

完全に

ふてくされていた。




ふてくされて、

不良学生のように
チンピラ歩きで

金剛杖を

富士の岩肌に

ガンガン刺し叩きながらも、




ブツブツブツブツ

<なんで、こんなことを
 しなければならないのか>

<なぜ、こんな目に遭わなければ
 ならないのか>

という

一人コンプレインを呟き並べつつ、




<この富士クソ野郎めが>


<もう二度とやらないからな。
 ナメるなよ、富士!>




富士への罵倒も忘れずに、




しかし

正常な意識は失われている中で

精神的完全無欠の惰性



登り続け、

休み続け、

また登り続け、



それでも


わずかに残る自意識が

カメラのシャッターを押させた。





<いま、ここで、この瞬間を
 収めておかねばならない。

 もう二度とないだろうから>



と。







意識不明状態と

精神的完全無欠の惰性に

苛まれながらも、


わずかなる

自意識が抗い、


切り取った

夜が明ける

富士八合目から九合目にかけて
撮った写真を一気に。




登拝者にのみ

霊峰富士が見せしめる

表の本性。



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そして九合目に着く。


九合目の休憩所および展望台で
また朝の明ける頃合いの
富士の本性。




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そして九合目から

さらに上を目指す一行。



だが、もうこの時点で

ダモシの手はブレている。




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最後の難関を

ひたすら登る一行。








九合目付近
(九合目から九合五勺目)



最後の最大難所といわれる。


そこには
富士山頂にある
富士山本宮浅間大社奥宮の

最初の鳥居が鎮座している。

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これを過ぎれば、

さらに視界は広がる。




高度も3400m級に到達し、

そこから見る眼下は
別世界。



このあたりに来て、

完全に朝は明け、

暴風も嘘のように消えていた。




まったく別の世界観が広がった。



富士の本性が

表の顔として

ここまで
闘ってきた我々に対する
リスペクトを表するかのように



完全無欠のサニースカイと

無風

適度な気温

絶景


を目の前に与え賜うた

劇的な変化の瞬間。




それは九合目が分水嶺だった。





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箱根、駿河湾、伊豆半島。


雲海もない中で
下界をこの高度から一望する。






そして
山梨側を含む静岡側を
望めば、




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またもや、


今度は

朝の日差しに反射する

影富士。



目の前は崖。




まさにもう、ここから

クライマーズハイで

フライングしてしまいそうになる。




飛べば、飛べそうだ。


飛んでしまおうか。


そんな精神状態に陥る。







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山頂まで、もうすこし。


ダモシは
一行から完全に遅れる。


何度も立ち止まり休み、
息を整える。

頭を振って、

動きを止めて、

手ぶれを抑制しながら
カメラを構える。


そして、

一歩一歩
ゆっくりと山頂への


最後の

根性を振り絞って

歩を進めた。






一行が登頂成功してから

数十分後、

山頂への
最後の一歩を踏みしめた。







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山頂の、日の丸。



そして、

もうこれ以上ない
絶好のタイミングで、

君が代の

生斉唱とこの国旗掲揚が
行われた頃合いに、



ダモシは登頂達成した。






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登頂成功で、


最初に目にする光景。











*****










ダモシはしばし、


山頂の休憩所でダウン。


盟友が
優しい。

暖かいスープを買ってきてくれて、

さらには
栄養ゼリーも与えてくれた。


既に切れていたタバコも
ダモシに差し出してくれた。





その優しさに、込み上げる。




そしてダモシは

ザックから
あらかじめ用意しておいた
富士山型のポストカードを
取り出して、



言った。






<後輩にメッセージを書かねば>。





書いた。


そして
込み上げるものを
隠すために



<ちょっと電話してきますわ>


と言って席を離れて


山頂へ出て

下界を見下ろした。




ワイフにもメールをした。


すぐに返信が来た。









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連れてきたゾ!

バカヤロウ!


と。





後輩の葬儀開始時刻に

品川を出発したダモシ。


後輩が旅立つのと同じく

富士登山を開始した。



まさにドンピシャだった。


葬儀が終わった翌朝、

共に
朝焼けと共に登頂し、


頂に到達した。




遥拝から登拝へ。

それこそが、富士。





霊峰富士の

その頂で

後輩のソウルを抱きしめた。




ダモシ流の最高の供養として、

そのカードに
ここでしか得られない


スタンプを、


この後、押印した。












*****










<まだ、あるぞ>



<まだ、最高峰がある>



<これから、
 日本最高峰を目指すぞ>







ダモシはワイフに告げた。






山頂で一時間ほど休憩した後、



<さあ、行こう!>



ファイティング・スピリットを
取り戻したダモシが告げた。





向かうは、



わが国ニッポンの

最高峰地点。




日本最高峰の剣が峰。




それを仰ぎ見ると、

背後には
これ以上ない、



まさにニューヨークで見た


あの


絶対青空が広がっていた。






<ニッポンにもまだ、
 絶対青空が残っていたのか>



と。








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posted by damoshi at 20:33| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<ダモシの根性x富士の本性>-2 六合目から八合目








まだ、
眼下の雲海を堪能する
ゆとりの
ひと欠片は残っていた。


それが六合目。



だが、
この時点でパーティ中で
ダモシが最も疲弊していた。



<キツい>

<苦しい>


という
この時点での弱音はやがて、


富士への罵倒、罵詈雑言の嵐

プラス

とどのつまり

言い出しっぺは誰だ?

という
巻き込み型ダモシの
セルフィッシュ性が露呈するに至り、


やがて

六合目からの
地獄の行軍において、


それも消え失せ、

意識も遠のいていくことになる。







いよいよ霊峰富士が、


遥拝者には見せず

登拝者にのみ見せる

本性を露にする。







6GO1.JPG



六合目を出る一行。


未だ
絶好のサニースカイ。


しかし既にこのとき、

風は急を告げていた。






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1707年の噴火によって
発生した宝永火口を

右手に見下ろしながら

傾斜がキツくなる山を登る。


この宝永火口が
眼下に入るか否か。



一つにはこれが
高度の測りにもなり、


下山時には


<よし、もうすぐだ!>

の目印になることにつながってゆく。





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次第に険しくなる傾斜。

地面は
整備された登山道や

初心者ルートに見られるような
一定循環道ではない。


岩が露出し、

石が転がり、

足場のアップダウンも
厳しくなってくる。





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富士特有の
アグルチネートという表面地層が
広がる。



火山岩の塊や火山灰から構成される
地層で、

岩石の温度が高かったことから
それらが蓄積されたのちに
ふたたびそれらが溶解して
岩石同士が密着して成立したもの

だという。










*****







六合目を出てから、

七合目へ向かう
登山中、


立ち止まり
息を整えて休憩する間隔が


次第に狭まってきた。



十分歩いて立ち止まる。

それが
七分歩いては立ち止まり、

やがて
三分、二分と

断続的な休憩が必要になってきた。





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それでもまだ写真を向けられれば、

それに応える
最後のゆとりは残っていたのである。




ダモシが、


登山中で

ポーズをとって
写真に収まることができた
最後の写真でも


ぎりぎりの
余力は見られる。






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*****








4:30PM頃、七合目に着く。



一行の口から
言葉が失われていく。


しばしの間、呼吸を整える。




<あと一つだ>


<もうあと一つ登れば、
 八合目だ>


とダモシは想う。




八合目がこの日のゴールだ。



あと一時間も登れば
たどり着く。


そうすれば、

夜食のカレーライスを頬張ってから
眠れば良い。


そう言い聞かせて

がんばろうとした。







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ものすごい暴風が
一行を支配しはじめたのが、


この七合目を出てからだ。


ただでさえ
足下が苦しい中で、

且つ

さらにルート自体が
厳しくなる中で、


登山ルートを外れると
隣はもう急斜面や崖
という世界観へ
吹き飛ばされそうになる。



踏んばりが効かない足下。

耳をつんざかんと
襲いかかってくる
アゲインストの暴風。




一行は皆、無言で、

黙々と
ただひたすら登山を進めるのみになる。



そのとき、


ダモシのカメラの
レンズをカバーする
キャップが飛んだ。



レンズ・キャップは

無惨にも
岩稜帯の彼方へと

飛んでいった。




それでも追えない。


もはや

<あっ…>と言うのみで
それを追うこともできないダモシ。




完全なる岩稜帯と、


異様なほどに
開けた視界は、


暴風を
モノの見事に一行の身体に
襲いかかってきた。



この頃、

急激に

ダモシの呼吸が苦しくなる。




2500mを超えた世界観に入ったのである。



標高は遂に
2500mを超えた。



五合目の時点で既に
ボーッとしていたわけだが、


必死で登ってきたことで

まだまだ
高山病的な仕打ちには対応できていた。



しかしながら

高度2500mを超えたこの時点で

急激に
ダモシを麻痺させた。




おぼつかない足下。

意識が次第に
朧げになっていく。


ダモシの息づかいは荒くなり、

心臓はまさに
飛び出んばかりになる。



もはや一分ごとに

立ち止まった休憩、

もしくは
うずくまる

という状態に陥った。





隊長のY氏が

ダモシを見て言う。





<唇が紫で、
 顔色もマズいです>。




そして、


ダモシの

・ザック
・カメラ



己が持つ

と主張した。





経験者の状況判断に従うのが

何よりも安全である。




ダモシは素直に

己のザックを肩から下ろし、

カメラも手渡した。







その時、

ザックに留めていた
ダモシの
ベースボール・キャップが


暴風にあおられて飛ばされた。





<あぁ… 帽子が…>。




呆然とするダモシ。


急斜面へ飛ばされたキャップ。




<もう、いい。危ないから>

とダモシ。



だが、隊長Y氏は

果敢にそれを取り戻しに行く。



協力する一行。



ダモシは
Y氏からカメラを取り戻して
それを撮る。






6GO14.JPG




6GO15.JPG









*****








山小屋が視界に入った。




もうすぐだ、と想った。


到着。




ところが、だ。



ところが、

その小屋に着いて
看板を見ると


こう書いてあった。





<七合目>。





ダモシ、気が狂う。




<なぜだっ!>

<さっきが七合目だったでしょうっ!>

<ここが今日のゴールだと思って
 がんばってきたのに、
 どういうことだっ!>


<あぁーっ!>






すると

ここは七合目であり、

その前に着いた場所は
新七合目だということが

判明したのである。




これは心身ともに

大きなダメージを与えた。




五、六、七と来て
次は八だと思って登ってきたら、


五、六、七の七は
新七であり、

ここが
リアルな七だった、と。





一気に力が抜けた。


一気に疲労が押し寄せてきた。



それでも
隊長にザックもカメラも
持たせるわけにはいかない。


ザックを取り戻し、

自身でまたそれを背負って
出発した。







もはや
そこから先は



完全なる惰性だった。


七合目で
高度はいよいよ3000mを超えた。



惰性で登る中で、

3010m(七合目)から
さらに上へ

という行軍で、


酸素は加速度的に薄くなり

身体に
入ってくるそれが
まったくないのではないか

と思えるほどになってきた。




意識は既に飛んでいた。


酸欠と暴風の中で
意識はほぼなくなっていた。



そして

ダモシは目を閉じたまま

ただただ
惰性で足を上に投げ出している
だけ


となった。







6GO21.JPG




さらにゴツゴツした岩の上を
進むしかなくなる。


青空が憎たらしくなってくる。







6GO16.JPG




6GO17.JPG





一分おき、

そして
最悪の場合では

10秒おきに


歩けなくなるダモシ。



息ができない。

たびたび立ち止まり、

それでも
座ることも
寝転がって休むこともできず、


金剛杖を頼りに

ただただ
呼吸が少しでも整い

意識が回復するときを待つ。





そしてダモシは呟いた。



心の声だった。






<憎い…。富士が憎たらしい…>。











*****










<もうすぐですよ!>





隊長の声に促されたダモシ。



顔を上げると
頭上に
八合目の山小屋のものと思われる

建物が見える。





ダモシは頭を左右に大きく振り、

意識を回復させた上で

再び歩を進めた。





ここまでくるともう、


赤ん坊のイヤイヤ

の世界観に陥った。




そしてダモシはついに


富士を罵倒しはじめた。



広いというには広すぎる

この脅威の大自然の
まっただ中で


家庭でも

日常の路上でも

出すことはできない大声を

この酸欠状態の中で

出さざるを得ないほどの

苦しみ。







<富士はぁっー!>


<いったい何者だぁーっ!>


<いつまでこんな苦しい想いを
 させるんじゃぁっ!>


<なんなんだぁーっ! これはぁーっ!>





叫び声と共に


金剛杖を富士の憎たらしい岩に

叩きつけながら歩くダモシ。





<ほんっとに!
 ふざけるなよぉーっ!>



<うがぁーっ!>




言葉にならない罵詈雑言の数々が

富士の懐で

並べられた。




無視して

本性をぶつけてくる富士。




意識朦朧から

怒りへ転嫁した狂乱ダモシは

よだれと鼻水を垂らしながら

絶叫する。





<ぶっころしてやる!富士ぐわぁっ!>





そして
また立ち止まり、うずくまり、


それでも
呻くように声を発するダモシ。




<もぅ、なんなんだぁ…>



<なぜ、40過ぎて、こんなことを
 しなければならないのかぁ…>




<もぅ、イヤだよぉ…>








6GO18.JPG




6GO19.JPG




6GO20.JPG









*****










倒れ込むように、


八合目の山小屋に
到着したのは、



6:30PMだった。



倒れているダモシを尻目に
先にチェックイン手配をした
隊長が、


悲しげな顔で外に出てきた。





<もうカレーライスはないそうです…>。




消沈する一行。



ふだんのダモシなら
ブチ切れているであろう。



だが、


<なに…。なぜだ…。
 どうしろというのだ…>


<予約してあるのだから、
 とっておけよな…>


と呟くのみ。




しかし
暴風と暗闇迫る山小屋の外で
呼吸を整えると、


己がチェックインする段階では


山小屋の職員の

大自然の中で
仕事をしている人特有の
イノセントな態度に、

一瞬


<なにっ?(コラ!)>と

凄むまでに回復。





<何もないのか?>と

そこにある
法外価格のマズいクリームパンを
一つ


急いで食して

明日に備えるに至る。









*****








6GO22.JPG




6GO23.JPG





七合目から八合目への道中、


夕暮れ迫る富士は
己が姿を影にして見せしめた。



富士のリフレクション。








*****









七合目。


そこでダモシは
ワイフに電話をしていた。




<異常だ>と。




甘く見ていたわけではないし

ナメていたわけでもない。



だが、

この苦行は
想像以上であり、


そもそも想像することなど

経験がないのだから

できるわけがなかったのだが、



平易にいえば

想像以上の苦しさと険しさ、
そして厳しさがあった、と。



それを七合目で

電話で伝えていたダモシ。



ワイフは実はもう
この時点で、

八合目くらいで
おそらくもうダメだろう

と想定していたという。





隊長もまた、

ダモシの様子から、


ダモシの
八合目でリタイア

もしくは
途中でリタイア


を想定していたという。





さらにはパーティの別の二名も、


ダモシのリタイアを想定し



<もうダメだ。やめる>

と言い出したら
どうしよう


と案じていたという。








しかし
ダモシは、


そんな状態に陥りながらも


一方で


途中リタイアは
ハナから頭にはなかったのである。




なにがなんでも頂上へ。



なにがなんでも到達してやる、と。




その背景には、


ワイフとジュニアへ
無様な結果は報告できない
ということと、


後輩に対する想い、


仕事への
己のレスポンシビリティ、


そして
共に登る仲間に対する想い



があったわけである。





これが一人であり

何も
背負うものがない状態であれば




とっくにリタイアしている。




というよりも

そもそも登らない。





究極は、


何よりも



<言い出したのはオレだ>


という、


何をするにも帰結する

巻き込み型性質特有の
良い意味での
レスポンシビリティ






強かったわけである。







それでも


罵詈雑言を吐き、

弱音を吐くのはまた、


仲間への甘えではあるのだが、



それを言わざるを得ない

せざるを得ない


そこまでの苦しさだったことは
否めない。






室内世界最難関の
ロッククライミングや

黒人とのボクシング

その他、


米時代は多々

苦行はあったが、


対富士は

それに勝るとも劣らない

時間の面では

上述のそれらが
数十分や数分だったのに対して、


同じレベルの苛烈さが

10数時間続くということと、


その環境が
酸素の薄い高度3000mオーバーという
状況も加わり、



あのとき同様の


・赤ん坊のイヤイヤ

という

原初的な人間感情の発露




・なぜ俺はこんなことを
 しなければならないのか!


という

ぶつけようのない怒り




つながっていくわけである。






NY時代の闘いは、

己単独


対富士は、

仲間がいる


という点での差異はある。




だが、

いずれも背負っているものがある

という点では

常に一人ではなく、


すべてにおいて

回りにいた
仲間に助けられていて、

自分は
仲間を助けていない


という

二律背反が生じてもいるのである。



そのあたりの人間性の面での

善し悪しの議論は別として、




とにもかくにも


根本的な


<迷わず往けよ。
 往けば分かるさ>思想が

あるからこその

チャレンジングであり、



また
一方で、


そういう思想ゆえの


苦行


ともいえるわけである。









とまれ、



6:30PM、八合目到着。



この日のミッションは成功した。

ノルマは達成した。






山小屋の外にある簡易トイレ。


その前に
職員が座っていた。



這々の態のダモシが
歩みを進めると

職員が述べた。





<宿泊される人以外は200円です>


と。




ダモシは、


素で怒った。




<宿泊者だよっ!>。









小便をし、

世界で最もマズいのに
世界で最も高額な
クリームパンのみを頬張り、


収容所のような

山小屋の木の寝床に入った。






<寝ましょう。もう寝ましょう>


<もうダメだ。寝ないとダメだ>



と言って、


真っ先に横になる。




ワイフに最後のメール。




<サンキュー。
 もう寝るよ。また、明日ね>。





時に7:30PM。




山小屋職員が声をかける。



一番で頂上を目指す人は
二時半に起こします、と。


ここでご来光を見てから
頂上へ行く人のことは
四時半に起こします、と。





ダモシたちは、



<二時半で!>


と言い残して、



目を閉じた。


































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2009年07月17日

<ダモシの根性x富士の本性>-1 品川から登山開始〜六合目まで






まさに絶好の天気となった
水曜日。


参戦する全員が晴れ男。
全員がふだんの行いが良い。

そういえるほどの
今年最高の夏日にサニースカイの
品川を、

予定より遅れて
11AMにダモフィーロで出発。


パーティは四名。

登場人物は、

・不惑後半のU氏
・三十代後半のO氏
・三十代序盤のY氏

そして
・ダモシ。


隊長は、
ヒマラヤ登山経験もあるY氏。

氏は己のゴールを
エヴェレストに定めている。



O氏の車にU氏、
ダモフィーロに隊長Y氏。
二台分乗。

O氏とU氏は10:15AMに先行出発。

ダモフィーロは
遅れて11AMの出発。



品川を起点に

東名・御殿場を目指す場合の
ティピカル・ルートは以下となる。


首都高湾岸の芝浦から乗る。

東京タワーを横目に
芝公園、飯倉を過ぎて三号線へ入り
渋谷を抜けてR-246上を
池尻、三軒茶屋、用賀と走り、

東京から東名へ続き、

ダモシ拙宅付近を通過して

厚木を経て御殿場へ。



しかしながらこの日は

海岸通りへ出て芝浦から
首都高に乗ろうとしたところ

大渋滞を示す
真っ赤っかのサイン。


急遽、Uターン。


山手通りをR-246まで直進。

R-246で左へ折れてすぐの
池尻から首都高へ入り
そのまま東名へ流れる方法を採った。


御殿場IC手前の足柄でランチ。


御殿場ICを12:30PM過ぎに下りた。

御殿場市内で
ミネラル・ウォーターなどを買い物。

富士スカイラインへ向かうべく
市内の道路をひた走る。


御殿場にある自衛隊演習場を通過する頃、
走行車は消えダモフィーロだけになる。



林道。

途中、足柄でランチ休憩した際に、

快晴サニースカイの東京とは
打って変わって
吹き荒れ始めた強風と
ものすごい勢いで流れる雲があったが、


それはさらに増す。


対向車のライトも見えない。

対向車はハザード・ランプを点滅
させながら向かってくる。


ダモフィーロの目前も何も見えないほど

雲と霧が支配した。



<何だ、こりゃ!>。

Y氏が叫ぶ。



<風雲急を、告げてきたな…>。

ダモシが言う。



しかしダモシも狼狽。

<前が見えないぞっ!>。



富士スカイラインのクネクネ道に入り
いよいよ
クネクネしながら
上昇カーブを描いていくが、


雲はますます厚くなり、

さらには
雲がトルネードのように
地面側から上昇したと思ったら
渦を巻いて
フロントガラスを直撃して
ダモフィーロを包囲する。



<うわっ!なんだ、いったい!>

ハンドルを握る両腕に力が入る。



<シャイニングだ、これは!
 仕掛けてる、富士が…>

とダモシはエキサイト。


<まさにこれは富士の予告ですかねっ!>

Y氏も興奮気味だ。




その間、二人は語る。


<この暗雲は、
 登った後に絶好の青空を
 我々に見せるための演出か>

と。



要するに、

登山途中この暗雲と強風があり

ある程度の高さまで登ったら
我々の眼下に強烈異次元の雲海と
頭上に最高の青空を
与え賜うのではないか


と。




しかしそれもまた、一方で酷だ。


登山が厳しくなる。


いくらなんでも
行いはそんなに悪くはない。




と、

富士スカイラインも
三合目を超える頃か。



突然、

雲が切れたのである。

まさに雲散霧消。



突然、ダモフィーロのフロント越しの

外界に

強烈なる青空が広がった。





<おおっ!抜けたっ!>


二人は叫んだ。






まず富士は、

これから対峙しようとする
我々に、

前振りとして

道中の、前がまったく見えない
雲と霧状態を演出し、


さらにその後、


今年一番の青空

〜それは完璧なサニースカイ〜

を見せしめたのだった。










*****










富士山。


登山には主に四つのルートがある。



1:山梨側の富士吉田口ルート
2:静岡側の御殿場口、須走口、富士宮口の
  各ルート


1が友人同士&ファミリー向きの
初心者ルート。

ダモシ軍が選択したのは、

オフィシャル案件ミッションの
目的地に最も近い
富士宮口ルート。


四つのルートのうち、
山頂までの距離では最短ルート。


だが、これがミソである。

追って時系列で掲載するが、

あくまでも
山頂までの"距離"が最短なだけで

登山コースが容易である
というのとはワケが異なるのである。





富士スカイラインで
車によって

その富士宮口の出発点である
五合目まで行くことができる。



前日、落石による死亡事故があったのも
ここである。


そのせいで
駐車場が本来の位置から下になってしまう。


車を停めた位置から
しばらく徒歩で登ってから
ようやくスタート地点に立つということになった。



そのとき、2PM。



登山開始時刻を、過ぎていた。



先発隊は既に到着し
一時間以上、高度慣れ及び高山病対策で
五合目で十分な休息を摂っていた。



出発の遅れは
八合目の山小屋チェックイン締め切りである
6PMの八合目到着を過ぎてしまう
危険性を感じさせた。


焦るダモシ。



<10分だけアジャストさせてください>。


たった10分の休息だけで
アジャストできるのか。


不安が募るが、スタートの遅延は
これ以上は避けたい。




アジャストする間、

五合目で既に絶景の世界を見る。







tocho2.jpg


五合目に到着する直前。

車を離れた下の位置に停車させ
着替えて
徒歩で五合目へ向かう道、

振り向くと

これぞ、リアル雲海。





tocho7.jpg



五合目から見る、雲海。

写真の中に
富士スカイラインと
停車する車が見える。


この雲の中を抜けてきた。






tocho4.jpg



ここがスタート。


2:45PM、登山開始。



その目前、仰ぎ見る富士。


tocho1.jpg


近く見えるその山頂は、
実は見えない。


ここから過酷な行軍が
始まることになる。



この青空は

悪夢の中の
過剰なまでの罠。







tocho5.jpg


六合目までの道中の1シーン
(束の間の緩やかな上り道)。






五合目から六合目。

まずは
フェーズ1である。


あとで振り返れば、
ここが最も楽だった。


だが、

ダモシはもう
五合目をスタートして

最初の10分で



<マズいぞ、これは…>

と感じた。



そして口をついて出た言葉が、


<これはヤバいかもしれないな…>

<既にキツいのだが…>


である。





いきなりもう

岩が露出するゴツゴツ道や
段差の激しい道なき道。


途中で
歩きやすい
緩やかな上り道が続くが

それも

ほんの束の間。






tocho6.jpg




tocho8.jpg



tozanx1.jpg





しかし、キツいが、

未だ心にゆとりは若干残っている。



振り向けば、雲海。



次第に厳しくなる息。

それでも未だ
"必死"になるにはややゆとりがある中で、


一時間強で


六合目に到着する。




<はぁ…>


<キツいぞ、これは…>




この先を案じる。





まだ序の口で

ぎりぎりゆとりが残っているようでは

先の危険は案じられた。






tozanx4.jpg



tozanx2.jpg




六合目の休憩所に到着。


未だメンバーは
立って休息する余裕がある。


ダモシもこうして
写真を撮る余裕が微妙に残っている。



メンバーが見ている眼下。


この休憩所の名前同様に、

これもまたリアル雲海。






tozanx3.jpg




tozanx5.jpg




tozanx6.jpg










*****







六合目で10数分の休憩。



ここからが、

いよいよ富士がその本性を
露にすることになる。



それはジワジワと
ボディブローのように

ダモシの身体を蝕んでいく。



やがて

ダモシの意識は遠のき
目はうつろ
唇は紫に変色
顔色は蒼白という中で


ベースボール・キャップ

ニコンの一眼レフの
レンズ・キャップなどが、


襲いかかってきた暴風によって

吹き飛ばされ、


ダモシの心臓は飛び出さんばかりになり、

身体もろとも
断崖から落下させられる寸前に

貶められることになる。





その起点は、

下山してきた女性の言葉だった。




<もの凄い風です!
 つかまっていないと落下します!>。



風はたしかに、

この六合目の段階で

唸りをあげはじめていた。




我々が眼下の雲海を眺め

広がる絶好のサニースカイに

感慨に耽っていることができたのもまた

この六合目までだった。
























posted by damoshi at 22:44| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

<ダモシの根性x富士の本性>〜エントランス






帰還した。


肉体はボロボロである。




だが、
ヤツを頂上へ連れていった。

ダモシは頂上へたどり着いた。




来年の富士登頂を計画していたが
急死した後輩を
連れていった。


そして頂上で
彼にポストカードにメッセージを書き、

霊峰富士に供えた。




sanchocard.jpg



率直な、

辿り着いて
彼を想った時に出てきた言葉である。


富士に、頂上に
連れてきたぞ!

バカヤロウ!

と。







*****






・オフィシャル案件でのミッション

・心配して、
 登頂へ向かっていた午前2時台から起きていて
 携帯にメールを何度も寄越したワイフ

・やはりダモシを案じ、
 <ダディが死んだら、
  自分もマミーも、猫も皆、一緒に死ねば
  また天国で一緒だから、そうしよう>
 と、夜中の0時まで起きていたというジュニア


そして

・共に往く仲間

・急死した後輩のソウル。




これらがなければ、

ギブアップしていたであろう。



それほどまでに

露骨に表した富士の本性は
強烈であった。


<なんじゃ、こりゃ>と。

<何を仕掛けやがるのか>と。



ダモシの意識は遠のき

高山病と薄い酸素と
異常な突風に
真っ暗闇の恐怖…。


霊峰富士の、その本性は

遥拝富士と真逆である。


ダモシの唇は紫に化身し、
顔面は蒼白になり
クライマーズ・ハイか
まさに意識不明の中で機械的に歩を進めるのみ。




仲間の誰もが
ダモシのリタイアを疑った。


しかし最後、


ダモシは死力を振り絞った。


それはもう
<根性>以外の何者でもない。




そこに到達してすぐ

後輩にレターを書き記し、
ここでしか入手し得ないサインを刻印した。


これは遺族に送られる。




そしてワイフにすぐに電話した。

起きていて
身を案じていてくれたことには
素直に嬉しく思えたわけであり、


なにはさておき

登頂成功を最初に知らせるのは
ワイフ以外にはあり得ないのである。






<ダモシの根性x富士の本性>

水曜日の2:40PMから
山頂到達の5:45AMまでの

十五時間に及ぶ

激闘は、


次回の寄稿より

時系列と写真で構成して掲載する所存である。







山頂。

オフィシャル案件の、
それは目的地。



だが、富士にはその先がある。



さふ。

日本最高峰地点たる剣が峰である。






富士。

太宰の
<富士には月見草がよく似合う>は
甘い。


まったく、甘い。



遥拝と登拝では

富士は
まるっきり別人となる。


そして後者においては

過酷な存在であるのみならず、

それを凌ぎ切った者のみに
見せしめる


異次元の光景を与え賜う。






富士は、さすがに

ニッポン1の山である。

脱帽だ。




そして富士は、怖い。

怖い。異様に怖い。


さらには富士は、

その遥拝における美しさと裏腹に、

最悪級の憎たらしさを
登拝者の前に、露骨に表す。









:::::








sanchomimei.jpg




今宵、木曜日。その未明。


最後のフェーズを迎えた朝焼け前。


八合目から
いよいよ暗闇と暴風の中を
頂上への登頂へと向かう。







sanchodamoshi.jpg



日本最高峰地点の剣が峰で

最高の一服を。



忌憚なく、

達成感と安堵感が入り混じる
複雑な感情が交錯していた。





この寄稿の最後に、

ワイフから度々入っていた
携帯メールを記載したい。


どれだけ勇気づけられたか、と。




(水)6:48PM

リュックの中にカイロを入れたから、
背中側の内側に二個、
寒かったら下着の中に貼ったら、
かなり違うよ。


(木)4:42AM

富士山頂は気温5度くらいでしょ。
大丈夫?


(木)4:56AM

山頂に着いて、
メールできたら、してね。


(木)5:22AM

無理しないで、
辛かったらやめてよ。


-ダモシ、登頂達成のメール-

(木)5:48AM

凄い。
よく頑張ったね。
仕事も忘れないで。


-ダモシ、下山開始のメール-

(木)9:31AM

あまり無理しないで、
休みながら降りてきてよ。


(木)10:02AM

無理しないで、
休んだ方がいいよ。


(木)10:53AM

気持ち悪かったら、
入れておいた梅干しを
食べるといいよ。


(木)11:56AM

少し休んでから行ったら。
他の人は大丈夫?


-ダモシ、下山成功でゴール-

(木)12:27PM

おめでとう。
無事で良かった。
帰り、車、寝ないように。


(木)12:51PM

食欲はある?
夜はお寿司、食べる?












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2009年07月15日

準備は整った。vs.富士は、弔い合戦





98年までの<本妻>時代における
ダモシ主宰野球チームと競馬新聞の仲間であり
後輩の一人だった男が、

急死した。


享年、38。


野球の試合後の容態急変だった。





彼と最後に逢ったのは、

06年頭の
ニューヨークからの東京出征時。



ダモシが<本妻>に戻った昨夏以降、
一度も逢っていなかった。

二週間ほど前のこと。


他の友人が
その後輩と酒席をもった。

その席上で、

<彼がダモシに逢いたいと>

<ダモシを囲む会をやりたい>

と言っていた

とその友人から聞いた。




ダモシは
逢いたい気持ちは山々だが

軽いジョークも交えて

<いつでも逢える>
<今さら俺を囲んでも>
<現実的に今はまったく時間がとれない>

と笑った。



ダモシの、それが、

一つには欠点だ。



もう二度と逢うことがないとは、

想像もしなかったのである。








*****






今宵、通夜で

眠る彼に逢った。



その場所には、

逢う頻度の高い後輩やダチ、

逆に
彼と同じように
渡米以来ほとんど逢っていない&
<本妻>復帰以降一度も逢っていない
後輩や別の旧友も


いた。



後者に属する後輩、そして旧友。

彼らは受付に携わっていた。


<こんなことで再会するとは…>と。



急死した彼の奥方とも

ダモシもワイフも仲良くしていた。

共にグラウンドで野球をする旦那の姿を
ベンチから見ていたのだし、

酒席も共にしていたからだ。


彼女たちも、

こういった形での再会しか
果たし得なかったことの

人生の世知辛さと

その一方にある現実の前に

様々な想いを抱えるしかない。





帰り際、

受付にいる旧友と握手した。

ダモシは思わず口にした。




<もう、逢っておかないとダメなのかもな…>

と。


逢える時に逢っておかないと
二度と逢えない可能性がある。



それが

三十路後半や不惑という年代の

現実なのであろう。



アラフォーから四十代。

プロレスの橋本や三沢しかりだが、
急死は不可避なのか、と。





<冗談だろ?>と。








*****






彼は、

他の仲間と共に

来年、
富士山へ登頂する計画を立てていたという。



ダモシからすれば


<何をしとるのか、お前は…>

<どうすんじゃ、富士は…>

と、

眠る彼に語るしかなかった。







明日、昼前に東京を出て

富士に向かう。



明日(水曜)の午後から登山を開始して

木曜の未明に登頂開始する。


4AMの登頂を目指す。






vs.富士はもう、


ただの
オフィシャル案件のみのvs.富士だけでは
なくなった。




vs.富士は、



彼の弔い合戦だ。





彼のハートを抱きしめて、登る。



そして
山頂に、彼のソウルを置いてくる。






アイム・レディ。


準備は整った。











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2009年07月12日

ディスカバー・ジャパン-24 <天孫降臨の地>






鹿児島市内と
鹿児島空港の間は距離がある。


高速道路の九州自動車道を飛ばしても
一時間半は要した。


鹿児島市内は
鹿児島空港から南下する。

そのさらに南に
有数の温泉地である指宿がある。

砂むし風呂で知られる指宿である。
それが
鹿児島の西側の
最南端に限りなく近い。



指宿に対する
鹿児島の二大温泉地として知られるのが

霧島。



こちらは鹿児島空港から北東へ
山の中を進んでいく。


鹿児島市内や指宿とは
別の方角である。



鹿児島空港から一般道を走って

やはり
一時間半程度。



今や霧島は、モノによっては指宿を交わし
鹿児島県内の温泉地では
全国的な人気の高さを示し、

全国でもベスト20に入る存在となっている。




ここは、

神々が降り立ち
ニッポン建国の礎を築いた地でもある。



天照大神の神勅を受けた
孫神ニニギノミコトが
三種の神器を手に、

七人の神様と共に

霧島連山の一つである高千穂峰に
降り立とうとした。



ところが視界は霧に遮られていた。

その霧の向こうにある
海の中に
島のように見える存在が目に入った。


ニニギノミコトは
その島に目印をしようと
一本の鉾を投げ落とした。


鉾は、その島に突き刺さった。

神々たちは
その鉾を目印に無事に降り立った。



ニッポンの建国神話を紐解く
一つのストーリーだが、

神々が目印を頼りに降り立ったのが
高千穂峰であり、

それを抱えるのが霧島連山である。






霧島は、

天孫が降臨した霧島連山に囲まれた

静寂の中にある
山奥深い温泉地である。






kiri2.jpg









*****







霧島には、

その
神の宿る山麓で
豊富に沸き出る天からのギフトとしての


四つの温泉がある。


霧島四大温泉郷である。


・霧島神宮温泉郷
・新川渓谷温泉郷
・日当山温泉郷
・霧島温泉郷

の四つがそれだ。




鹿児島空港から最至近が
日当山温泉郷。

次いで山奥深く走っていくと最初に出逢うのが
新川渓谷温泉郷。

最奥が霧島温泉郷で

宮崎寄り(東側)、高千穂峰寄りにあるのが
霧島神宮温泉郷

という位置関係になる。





ダモシが逗留したのは霧島温泉郷。


その近隣にある(手前にある)温泉郷、
新川渓谷温泉郷を通過してさらに
三十分ほど走る位置である。




新川渓谷温泉郷といえば、

坂本龍馬と妻・お龍のハニームーンの地

として
よく知られたところである。



これはつまり
我が国の歴史上最初のハニームーン
とも言われている。


寺田屋で襲撃を受けて
手負いとなった龍馬が、

薩摩の小松帯刀の勧めで
癒しのひとときを過ごしたのが
ここ霧島である。






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龍馬夫妻にとって
最初で最後のハニームーンか。

生涯でもっとも楽しい数日間を過ごしたか。


龍馬はこの翌年、暗殺されて世を去っている。







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龍馬が癒しの湯に浸り
18日もの間、滞在したのが
新川渓谷温泉郷の塩浸温泉。





日当山温泉郷には
西郷隆盛が度々好んで訪れた。


そして
霧島温泉郷には
篤姫を初恋の相手として慕っていた
小松帯刀が度々訪れてきたという。




薩摩絡みの各氏が愛した温泉郷。


それが
包括的な呼称での、霧島である、と。









*****








kiri4.jpg





また、

霧島は焼酎の蔵元が多いことでも知られる。


鹿児島県内の人気焼酎ランキングでも
ベスト10のうち6つを独占するのが
霧島の蔵元である。


鹿児島県内でも
市としては最多となる
9つの蔵元を抱えていることもまた

特徴である。





宿には県内の人気焼酎はもとより

霧島のそれも
堂々と棚に並んでいる。




syochu.jpg



ダモシは

霧島の蔵元である
国分の

西郷隆盛のフォルム型焼酎を購入したばい。




いずれにせよ、

焼酎といえば霧島

ともいえよう。









*****







霧島に旅をするとは。

そして
逗留するとは、

想像だにしなかった。


シカゴは行くことがあるとしても
霧島に行くとは
想像すら出来ないのが

ダモシの観念だった。



だが、違うのである。



南極であろうが富士山頂であろうが、

あるいは
やがていつかそれはヒマラヤやエベレスト、

カスピ海や死海、

はたまた
過疎を含む
ニッポン全国のローカル各地


どこへ行くことになっても

まったく不思議ではなくなった。


考えてもみれば、そもそも
そうなのだ。



ニューヨークに住むということ自体が、

南極に行くとか
ニッポンのローカルの過疎に行く
可能性を普通に広げる行為だからだ。


英国でさえ
ローカルのボーンマスという
マニアックなエリアにまで行っていたわけである。


そんな視点からいえば


霧島はまだ

普通に行く可能性がある地なのである。



ただ、

己がそれを選ぶか否か。


そして

何かしらの縁があるか否か。



その問題である、と。




甲斐の奥深い限界過疎から

九州まで。



今年もまた
メジャー/マイナー問わず


<迷わず往けよ、往けば分かるさ>イズム



各地を引き寄せている、と。







kiri1.jpg






今週、富士山頂へ行けば、

また来週は
またもや<再び甲斐>で

例の

<ダモシx甲府=晴れの法則>行きとなり、


さらにはその次からはまた
駿河や

江の島や

仙台や


その他へと

旅はオールウェイズ、連鎖する。




















posted by damoshi at 17:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

挑発に乗った富士、いよいよ対決へ







毎年行っていたニューヨーク。

じりじりする刺激への渇望。

そこへ己も移り住むことでの
直接対決への希求。


それは6年越しだった。

そして実現し、9年余に及ぶ苛烈な闘いの日々。



<本妻>復帰の昨夏以来、

自宅から常に見ていた富士。

ニッポンで

ダモシが
対ニューヨークには及ばずとも
心を燃えさせられる
チャレンジングな相手としては唯一

と思われる存在。



秋にその五合目、六合目まで歩を進め、

箱根や甲斐、そして駿河など
周囲から挑発し続けてきた。




この木曜と金曜での直接対決を前に

ジラし戦法に出た富士を

ダモシは
駿河の国を走ることで
周辺を固めて挑発してきた。




その挑発に富士は乗った。





来週。

15日の水曜日から登頂を開始し

16日木曜日の未明から
山頂を目指すという


直接対決が99.9%、決まった。




燃えている。


いよいよだ、

時が来た、と。




このウィークエンドも
オフィシャル事案で
自宅仕事場でデスクに向かっている。


月、火も対霞ヶ関含め激闘が予想される上、


ただでさえ身体疲労著しい最近に加え

睡眠不足窮まれり
といった中での

直接対決になるが、


ここはやるしかない。





パーティは四名。


二名ずつに分かれて
水曜昼前に東京から出陣となろう。


第一班はダモシともう一名。


車はダモフィーロ。

ダモフィーロが大きなセコンドにもなろう。

ジュニアが先般獲得した銅メダルも
持っていくことになろう。







iyoiyofuji.jpg





昨夏の<本妻>復帰以来、

連日目にしてきた富士。




いよいよその頂へ向かう時が、来た。






今度こそ逃げるなよ、富士。










posted by damoshi at 21:56| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ディスカバー・ジャパン-23 <東海道の親不知>






昨夏の
10年ぶりの<本妻>復帰以降の
旅のテーマはいくつもあることは
周知であろう。


・霊峰富士への遥拝から登拝へ
 という一連の流れ

・奥の細道(東北ver.)

・30-40年ぶりという復古の旅
(松島を筆頭に、大阪や熊本等)


そして
隠れざるそれは品川ハブとする

・東海道路

である。



昨夏来、デイリー・レベルでは
品川がベースとなっている。


江戸日本橋を端緒とする東海道の
一番目の宿場町である。


その品川と
ダモシの現在の地元である田園都市を
ベースにして

今年は
東海道路ではなく

<甲斐国>行脚が二月から五月にかけて
連鎖した、と。


一方で、

昨夏以来、

当欄でも
<平塚>をフィーチャーしたように

密かに東海道路も旅しているわけである。




第一宿の品川から

・川崎(川崎大師でフィーチャー掲載済)
・藤沢(先般のジュニアの空手大会その他)
・平塚(オフィシャル案件その他で掲載済)
・大磯(GWで宿泊)
・小田原(小田原城をフィーチャー掲載済)
・箱根(度々、宿泊で掲載済)



普通に経て、


昨年末の
・沼津(旅カテゴリーでフィーチャー掲載済)

で静岡に入った。



そして先週と今週の
二度の静岡遠征。


まさにその道程は東海道。


左に海を見ながら
パラレルに走る国道一号線と東名高速。

右を見れば本来は富士だが見えず

代わりに薩埵峠や日本平。




先週と今週の東海道路では

第二十三宿の島田を皮切りに
第二十二宿・藤枝を経由して

三本柱の
富士絶景"薩埵峠"エリアの
第十七宿・興津〜第十六宿・由比〜第十五宿・蒲原
を経て、

沼津へ戻り

そこから東名高速で一本で帰路

という世界観と相成ったわけである。






今宵のフィーチャーは、


東海道・第十六宿

"東海道の親不知"こと、<由比>。







yui15.jpg










*****









由比といえば、

真っ先に浮かぶのは
桜えびではなくて
由比正雪であろう。

浪人救済と現状打破を狙い
江戸幕府を倒そうと起った由比。


古くは
長州力全盛期に
テレビ朝日アナウンサーの
古館伊知郎(当時)が語った名台詞


<由比正雪を彷彿とさせる長髪…>

で登場する由比正雪。



その由比正雪が生まれた町、それが由比である。






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由比正雪の生家。

藍染め屋となっている。







*****






幕府所在地の江戸と
朝廷・京都の間の往来が増えた
江戸時代。


徳川家康は
そのルートである東海道に
公用者のための宿駅の整備を推進。


参勤交代制度が確立された頃合いまでには
東海道の宿駅がほぼ整備された。


<東海道五十三次>の登場である。


参勤交代や公的旅人の往来ユーズの
宿駅。

東海道を
参勤交代で往来する大名たちは
本陣に宿泊して途中休養した。



江戸・日本橋を端緒に
京都・三条大橋をゴールとする東海道。

その間にある五十三次の最後は大津。
最初が品川になる。


宿は現在の静岡県に多く存在する。


それもそのはず

東京〜神奈川〜静岡〜愛知〜京都
というルートにおいては
静岡の持つロケーション的重要度は高いからである。


その中でも
神奈川寄りに位置するのが由比である。


由比の次が興津。

日本平、薩埵峠を擁する
この
蒲原〜由比〜興津の三宿場町は


現在でいうところの清水になる
(かつての清水市、現在の静岡市清水区)。






由比。

江戸・日本橋からの距離は151.5km。


当時は
前述した本陣が一つ、
脇本陣が一つ、
そして旅籠(はたご)が三十二
存在していたという。




本陣跡が整備されて

由比宿場町本陣公園として
現代に残っている。





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(一番下の写真が、明治天皇行幸の際の離れ屋敷)




この本陣公園の中に

東海道五十三次美術館がある。





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歌川広重の作品を中心にした
ものとしては
世界初の美術館。





satta.jpg



浮世絵における、
由比近隣の薩埵峠から見る富士。








*****







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由比駅と本陣の間にある
由比川の上の
ゆいがわ橋。


左を見れば海。
そしてパラレルに走る
国道一号線と東名高速。





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山側を見ると
眼下を由比川が流れている。







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由比町の中は
クラシカルな建物が目立つ。


これは静岡銀行。







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明治時代の郵便局。








*****







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<東海道中膝栗毛>
でおなじみの、弥次さん&喜多さん。






南に駿河の海

パラレルに
国道一号線と東名高速
(高速の最近隣ICは清水)、

さらにパラレルに
本陣や由比正雪生家がある
旧東海道があり、

またパラレルに
北には旧国道一号線が走り

その向こう北側は山側
という構図が由比である。



yui19.jpg


(線路と国道一号線と東名高速。
 写真で見る左方向が東京方面、
 右方向が名古屋方面になる)。




由比から

三十分ほど歩けば
東海道五十三次で描かれた薩埵峠へ、

西へ少し進めば次の宿場・興津、
東へ少し進めば手前の宿場・蒲原に至る。










:::::






yui1.jpg



東海道宿場町<由比>。

JR東海道本線・由比駅下車。


◇アクセス

電車の場合:JR品川→由比(約2時間40分)
車の場合:東名・東京→富士→国道一号・由比
     (約2時間)












posted by damoshi at 16:52| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月10日

隠れてジラす富士 x 周辺で挑発するダモシ






なぜ逃げるのか富士、と言いたい。


じれったい。

その一方で、焦るな、と。




今宵吾輩はまたも静岡入り。

まさに
富士の至近距離、
その東海道側を周回していた。


時に曇り、時に青空。

それは
同じ駿河の国の中でも
エリアによって異なる。


だが、総じて好天である。



にも関わらず

富士がいるはずの一帯の空は
ずっとダークスカイで

富士は一度も、

その輪郭さえも姿を現さない。



これはもう

ここまでくると
意図的に富士が姿を消して
ジラしているとしか思えない。




富士は、実は女だったのか。





昨年来、濃密な関係性を築いている富士。


それは単なる個人的な感情のみならず、

オフィシャル案件にまで
波及してしまった。


そして
その流れは遂に
プライベート/オフィシャル双方案件
綯い交ぜにしたところでの


山頂への登頂

という

直接対決へと結びついた。



しかし富士は今週、ダモシを避けた。


7.1には既に山開きはしている。

そのとき、つまり山開きの日。

山開きの日に
山頂まで行くことができない
(通行止め)になったのは

レアケースだという。



それだけ山頂には未だ雪がある

ということだ。



しかしそれは関係ない。


ダモシの山頂登頂は
単なる趣味ではないからして
山開きとは無縁のことである。


山開き以外に、

富士が態勢を整えなければならない
事案がある。


それが整うのが

この木〜金だった。



だからそこで行くはずだった。



しかしそれは延期。

おそらく来週という状況にある中で、

既に今週の対決へ向けて
臨戦態勢を整えていたダモシとしては、



女にジラされている心境で、


鼻息が荒いわけである。



鼻息はずっと荒く
一方で
それは都会での日常にとっては
悪影響を及ぼすのである。


殺気立った闘牛

の世界である。




早く直接対決の時が来なければ

たいへん
危険である、と。



そんな中、

今宵もオフィシャル案件で

駿河の国を支配せんと
周回していたのである。



二月以降の一連の

甲斐国とまではいかぬが、

先週と今宵のそれで
駿河の国も
その道路もそこそこ頭と肌感覚に
備わった。




しかし富士は見えない。


至近距離にあるにも関わらず

一切、姿を現さないのである。



これはおかしい。


明らかに避けている、

否、

ジラしている。




その周囲を

ダモシは
殺気立った闘牛となり

挑発行為を働いているわけである。



出て来い、と。

早くしろ、と。







隠れてジラす富士。

周辺で挑発行為を続けるダモシ。



戦前は、完全に富士にエッジだ。








syukuba1.jpg



東海道。その某・宿場町。





syukuba2.jpg


幕末に差し掛かる頃合いの、
浪人はいるか。







syukuba5.jpg



目の前にその儀容があるはずだが、

何も見えない。


完全なるこれが、雲隠れである。






syukuba4.jpg



ダモシが駿河の国を後にして
東名高速に乗る直前の図。


ダークスカイはさらに濃度を増した。



富士の、企み笑い声が聞こえてくる。









最後に、

某・東海道の「道の駅」で
最も売れているというアイテム。




syukuba3.jpg




トイレット・ペイパー、100円。







宿場町に関しては、

別途
<旅>で取り上げたい。












posted by damoshi at 03:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

逃げる、富士







ワイフが言った。



<富士山が、避けているのだよ>


と。




9-10日での富士山頂登頂は

先方(自然)都合により
延期となった。

最速で来週である。

否、

通常であれば
来週は挙行できるはずである。



ダモシはもう臨戦態勢だった。

今も未だ臨戦態勢である。


まさに
巌流島の闘いが決まっていて

既に島に上陸したのに
相手が来ないで
ジラされている

佐々木小次郎の心境か。




しかしそこは負けるわけにはいかない。


自然が相手では人間はちっぽけなものだ。

従うより他はない。



そしてこの案件は、
ただ単に
自然が整わないから

一般的に山頂まで未だ行けないから

ダモシも行けないのとは

ワケが異なる。



一般的な山開きは既に7/1にされている。


ただ単に
一般的な山開きと
山頂へ行く行けないの話ではなく、


自然の都合はもとより

人的都合

ビジネス的都合なども包含されたところでの

すべてのタイミングが揃った日の
登頂なわけである。



それらすべての要素を包含したところにある

<自然>という大きな因果関係を擁する
巨大な存在の富士山が相手となれば、


"ダモシの都合"という

ダモシ独自の合理主義も体を成さない。


それはそれはもうジレンマである。





<今回は、自然にすら勝ちたいのだ>と。



自然の前では
誰しも人間はちっぽけで弱いものであることは
重々承知した上で、


それでも

己が決戦の日と定めたその通りに

闘いをしたいのだ、というエゴである。




己の都合が

富士の前では無力。



それが悔しくもあり、

うれしくもある。



それほどの存在である、と。



ただ、一つ。


機は、

必ずダモシに味方する。


すべての事柄は
これまでもそうだが、

機は

ダモシが描いた通りにならずとも
結果的には
味方してきた。



だから

今週行くことができないのもまた

何かの味方なのであろう、と。




だがあえて言いたい。




<富士よ、逃げるな>と。



既にこちらは臨戦態勢だぞ、と。
















posted by damoshi at 01:58| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月05日

ディスカバー・ジャパン-22 <島津斉彬の事業戦略>




横浜は今年、
開国150周年イヤーで
様々なイベントが開催されている。


みなとみらい21エリアを中心に
メジャー大都市・横浜の
都市景観も

改めて浮き彫りにされている。


大桟橋から
みなとみらい21の
スカイスクレイパーと

その背後に見える富士の

異形の組み合わせもまた
時代を超えて生き続ける。




開国への道程は
黒船来航に始まる。

<ペルリ、来航>。

浦賀へのそれを端緒に

幕末は
さらに風雲級を告げ、

薩長同盟

明治維新

を経て開国へ至る。




時代が風雲級を告げていた時代。

ペルリ来航の同年(1953年)、
そのわずか二ヶ月後に

薩摩を仕切っていた島津斉彬は

己が養女・篤姫を

江戸へ旅立たせ、

第十三代将軍・徳川家定に嫁がせた。




島津の、一つのこれは事業戦略か。




そして島津のメイン事業。

それはニッポンの近代化であった。





当時、
英仏などの西欧諸国が
アフリカ、インド、東南アジアを経て
アジアへの進出を目論んでいた。

ニッポンの本土列島最南端に位置する
薩摩は、

よりシリアスに
その状況を捉えていた。


と同時に、

海の向こうの
目映いばかりの近代性に着目し

それをいち早く取り入れることにも努めた。




島津擁する薩摩は、西欧の科学技術を導入。


ニッポンの将来を案じ、

近代化・工業化に踏み切ることにした。




<ニッポンの近代化・工業化>
という壮大なる事業の中枢にあったものが、


島津斉彬の

<集成館事業>であった。









*****








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仙巌園。

1658年に構えられてから
島津家の歴代当主によって
受け継がれてきた。


現在は国の名勝に指定されている
5万平方メートルに及ぶ
広大な敷地からは

憤怒の桜島が一望できる。



島津斉彬が推進した事業

<集成館事業>の中枢とも言われる。






この仙巌園の隣接地が
集成館事業の本丸だった。


この事業の
タスクは主に以下であった。



・造船
・造砲
・製鉄
・紡績
・ガラス
・印刷
・電信
・医療
・福祉


これらを
1851年に薩摩藩主に就任した
島津斉彬が推進したのである。





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鶴灯籠。

灯籠だが、
鶴が羽を伸ばしたように見えることから
こう名づけられたという。


ただの灯籠ではない。

島津斉彬の先見性と近代性構築への
あくなき事業の野望は、

この灯籠にも生かされた。


斉彬は、

歴代藩主が受け継いできた
磯御殿から
この灯籠までガス管を引いて、


ガス実験を行った。






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(磯御殿)。










*****








仙巌園には今もなお

事業のタスクマネージメントの結果が
残されている。


それらを目にするにつけ

島津、薩摩の先見性の高さが
理解できる。




・造船所跡

・ニッポン初の様式紡績所である
 鹿児島紡績所跡

・近代薩摩焼発祥の地

・溶かした銑鉄を鋳型に注ぎ
 大砲を造った反射炉の跡


そして

その反射炉で造った150ポンド大砲。





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ペルリが横須賀に来航する
10年も前から、

薩摩は
列強の脅威にさらされていたのである。


植民地を求める西欧列強の目線が
ニッポンに向けられたとき、

そのロケーションから

薩摩が真っ先にフォーカスされた。



どこよりも早い外圧の中で
危機感を募らせた島津斉彬は、


ニッポンを西欧諸国のような

強く豊かな国にインプルーヴすべきだと考え、


己が藩主になった暁に
それを具現化するために

集成館という事業を展開したのだった。





この礎があったからこそ、

薩摩が
幕末と明治維新期に
キャスティング・ボードを握るほどに


他藩が持ち得ていない軍事力と技術力を

保持していたわけである。





島津斉彬の集成館は

薩英戦争によって破壊されたがしかし、


その事業展開自体は

薩英戦争での力不足を痛感した
薩摩によってさらに受け継がれて推進された。





西欧列強とガチンコの闘いをした薩摩。

そして長州。

両者は
そうすることで己が力を正しく理解した。


だからこそ方向転換を果たして
倒幕へ向かったのである。



薩摩、長州いずれも
闘いの中から

西欧諸国の文化はもとより
イズム、力量を吸収したのであった。



一度触れると

諸外国の刺激は目映いばかりである。


それは現代でもそうなのだから

当時は
まさにエキセントリックだったろう。



それに接してしまったが最後、

島国根性丸出しの鎖国的
せせこましいニッポン気質には

嫌気がさす。


それもまた当時も現代も変わらぬ
法則である。



薩長が、その後の流れに至るのは

諸外国に触れて
様々なことを吸収したからである。






薩摩の、そして島津斉彬の先見性。

それは
ビジネスで見ても秀逸であろう。



その中にあって

一服の清涼剤にして

心の休息をとっていた場所。



それが仙巌園ともいえようか。









*****







仙巌園から数枚。






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1814年、山の壁面に刻まれた文字。

大きな11メートルの石文は
<千尋巌>。





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仙巌園の中には
大河ドラマ<篤姫>でも登場した
場所が多く存在する。

ここもまたドラマで登場した茶屋。





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最後に

島津斉彬の名言。



<国中の者が豊かに暮らすことができれば、

 人は自然とまとまる。

 人の和は、

 どんな城郭よりも勝る>。





これは武田信玄の名言、

<人は石垣なり…>とまた

通じるものがあると同時に
二律背反的なものでもある。




しかし

武田信玄の名言同様に、

島津斉彬のそれもまた

現在のボンクラ政治家には
似ても似つかぬ

<覚悟>



<責任>

を感じさせよう。



<記号=アソウ>なんぞ、

これらの名言を前にしても
何も感じずに
今宵もバー通いか



ニッポンはもはや

国民が
そのリーダーに何も期待しないという

劣悪なる国家に落ちぶれた。



歴女ブームになるのも

当然といえようか。







そして

ニッポンの女もまた

"昔は"

この花のように
艶やかで可憐で

強かったであろう。


"昔の"女の強さとは、

現代の
自己主張満載の女の強さとは

180度意味合いの異なる強さであることもまた

言うまでもない。





古きを知って

ニッポンを学ぶと同時に

今のニッポンの
ダサダサ加減に失笑を禁じ得ない

といった案配で、



知れば知るほど

昔のニッポンが素晴しく

今のニッポンは
ダモシが見切りをつけた11年前以上に

さらに劣化しているという

救いようのない状態にあると
断罪できよう。




ほとほと、

今のニッポンには

11年前に既に愛想は尽きているが、

まださらに
どこまで劣悪ぶりを見せてくれるのか

といった具合であるから、



こうして

常に

<ニッポンのすばらしさ>

を探し求める旅を
せざるを得なくなるわけでもある



と。







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薩摩で見た紫陽花。














posted by damoshi at 20:56| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ディスカバー・ジャパン-21 <憤怒の、桜島>






<どれくらいの頻度で噴火するのでしょうか>

<決まった頻度はありません。
 ある程度の間隔をあけて噴火しますよ>



<そうなのですね。
 じゃあいつ噴火するかは分からない、と>

<ええ、分からないのですよ>



<そうか。
 噴煙がここまで来ることはあるのですか?>

<はい、そうですね。
 今でも灰が降ってくることはありますよ>




鹿児島市街地。

西郷隆盛のスタチュが屹立する
その隣にある
観光案内所の
ヤングレディとの会話である。




爆発的な噴火の連鎖は
既にピークを過ぎたというが、

それでも活火山として

現在も

適宜、噴火を続けている桜島。




まさにそれは鹿児島の象徴である。


鹿児島という地をイメージするとき、

海の向こうに、
正確には海の間にポツンと浮かぶ
山と

そこから上がる噴煙が

もっともティピカルなものであろう。



それは
くろじょかやさつま揚げなどの
ピースフルなシンボルを超えて、


ニッポンを象徴する最たるものが
富士山であるのと同様に、


また

熊本という
"火の国"を象徴するものが
阿蘇山であるのと同様に、


大山鳴動的鼠一匹ではないが、

我々
ニッポン人に刷り込まれた

観念的なイメージでもあろう。





噴煙の上がっていない桜島は、

桜島のイメージに反する。




ダモシは普通に、そう思っていた。









*****








空港から鹿児島市内へは

ほぼ一時間かかる。



むしろ
霧島へ向かった方が近いくらいだ。



鹿児島市内は空港より南。

その
さらに南が指宿となり、

あと少しで九州最南となる。



より南へ。

それが鹿児島市内の構図だ。




市内が近づけば、桜島は見えてくる。

山側ではなく
海側にぽつんと一つ見せる稜線だから

誰にもすぐ分かる。




<ああ、桜島だ>と。



だが、
それはおとなしい。

噴煙は上がっていない。


休火山のような、

ただの山のような、

桜島感が迫ってこない。




<これが桜島か>と、

ただ
そこに在る山だけをして

そう納得させるより他はない。




ところが。


もとより
今回の旅における

エントランスとしての鹿児島へ
ダモシが抱いていた


<余儀なく薩摩>という、


本当は行きたくもないが
致し方なくここから入るのだよ

的な

不遜な態度に

桜島は怒った。

憤怒した。



桜島はその憤怒の形相を見せしめる

効果的なタイミングを
計っていたのだ。




のっけから見せるのではなく、


<(何だ、こんなものか)桜島は…>


エントランスで見せて油断させておいての、

いきなりの憤怒の噴煙。




計算通り、ダモシは泡喰った。








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憤怒前の桜島。

憤怒なくとも桜島は桜島で、

さすがの景観を誇っていた。




この一時間後。


ある一つの施設見学を終えて
市内へ向かおうと
駐車場へ歩みを進めた時に

正面、

海の真ん中に見える桜島を見ると、

異なる形相を演出していたのである。






<あっ!噴火している。あれを見ろっ!>



ダモシは同行者へ叫び、指差した。





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目算距離はさほど、ない。

真正面で噴火するこの様は、

まさに憤怒。


ここにまた噴火の音がない
サイレントゆえの、刺激。






<これだ、これ。これが桜島だ!>



まさに
"余儀なく薩摩"へのしっぺ返しは


桜島の噴火。







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この状態は噴火して間もなくのものである。


たまたま
ダモシはそれを目にしたわけである。


この十数分後には
噴煙は桜島の頭上、風に任せて雲散霧消することになる。







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噴火直後に見られた

<憤怒>の形相と

噴煙自体の
"もくもく感"は、

ダークスカイの空に同化すべく

噴煙を雲散霧消させた。










*****









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市街地と桜島を一望する。


桜島のてっぺんの稜線の
各所にみえる尖り方がまた良い。






ダモシはこの日、

鹿児島市内滞在数時間の中で

二度

噴火を見た。








桜島の憤怒。


それは<余儀なく薩摩>への
しっぺ返しなのであるが、


一方でこれは

ダモシ一流の駆け引きでもある。




期待はあるものの

さほど
期待はしていないよ薩摩さん

と匂わせておいて、


その実、


桜島への期待感はあったのだ。

桜島の噴火を見たい/見せてくれ

という期待は持っていたのだ。




だが、それが見られない可能性もある。


篤姫絡みや西郷どん絡み、島津絡みへの
とりたてて
高いインタレストは持っていなかった
ダモシとしては、


<余儀なく薩摩>と訴えることで、


怒ってみろ、と。

その象徴ならば桜島よ、

憤怒してみよ、と。




そういう挑発もあったのだ。





桜島はそれに応えた。


否、

天候含め

すべてのタイミングが

ダモシの思惑と
桜島のそれが合致したことでの


噴火との邂逅だったといえるわけである。






かくして


<ダモシx桜島、初遭遇>は、


ベストな形で終わったわけである。



これが
絶好のサニースカイだったならば、


それは
さらにヴェリー・ベストにはなったであろう。


















posted by damoshi at 15:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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