2009年08月31日

一夜明けタイフーン




現行制度下においては
ダモシ不在時の郵政選挙を上回り
過去最高の投票率となった衆院選が終わり、

一夜明けて

関東エリアはタイフーン。

都内も田園都市エリアも
未だ暴風には至っていないが
大雨が降っている。

そして気温は10月上旬並みの肌寒さ。

新型フルーに影響はあるか。




今宵の新聞各紙には
チラシは入っていない。

選挙特集だからだ。



各紙を買って見てみる。



ニューヨーク時代の

ジョー・ディマジオ死去
ジョン・F・ケネディJr.事故死
9.11: セプテンバー・イレブン
ブラックアウト

等々、

居住している時代と場所で
起こったエポックでは

翌日の
その地の新聞はほぼすべて買っていた。



それは98年以前の
<本妻>時代の

オウム真理教事件を報じる
それらにも等しい。



昨夏以降の<本妻>復帰では

ヒストリカルな要素をもった
エポックは一度もなかったが、


ここでようやく生まれた

ということで、


読売
朝日
毎日
日経

そして
ニッカン・スポーツ

を仕入れたわけである。




むろん各紙とも
トップは民主党の大勝を伝えている。





shinbun1.jpg



まずは読売、朝日、毎日。

ヘッドラインをどう書いたか。



■読売

ヘッドは
<民主300超 政権交代>

サブで
<自民 歴史的惨敗>。



■朝日

ヘッド
<民主308 政権交代>

サブは
<「鳩山首相」誕生へ>



■毎日

ヘッドは
<民主300超 政権奪取>

サブは
<衆院選 鳩山首相誕生へ>




いずれも表現に大差ない。
言葉の組み立てだけである。

面白みは、ない。






日経も同じだ。


ヘッド
<民主300超 政権交代>

サブ
<鳩山内閣 来月中旬にも>。



米のメディアのように

表現上の工夫やエスプリが欲しい。


それを許さないのは
ニッポンの新聞メディアの限界と
保守たる所以でもあろう。


上層部が認めないのであろう。


逆にいえば、
だから売れなくなってきているのではないか。


タブロイド紙のようにしろとは言わぬが、

・読んで勉強になる

・読んで楽しい

・読んで刺激がある

こんな新聞を目指さなければ
未来はない。



言ってしまえば

情緒がないのである。


ただただ事実だけを報道するのは良い。

だが、
その事実報道すら近年の新聞は
テレビ同様に怪しい。

作為策謀、思想的傾向が見られるからだ。


ならば、
それを楽しく刺激的にして

<言葉>一つ一つの勉強や
インスパイアを享受できるような
言葉遣いをしてみてはいかがか

と常々思うわけである。



米の新聞のように。



例えば

あえて主体を自民党に向けて

ヘッドを

<自民、落城>とデカデカとやっても良い。

誰もが既に分かっている
民主党の大勝はサブで十分なのである。


そのあたりはしかし、

言ってもムダであろう。





その点、

スポーツ新聞という名のメディアは
まだ救いようがある。


ニッカン・スポーツを見てみよう。




shinbun2.jpg




ダモシ推奨の通り、

フォーカスを民主ではなく自民に
当てている切り方が、


<スポーツ>という
"敗者の美学"や
敗者からこそ見えてくる機微を

日々取り上げているメディアならではの

工夫を可能としている。




登場人物(アソウ)のドン臭さは別として

落日をイメージさせる
グッドルッキングな写真を大きく用い、

そこに
大きなヘッドコピーで


<自民が死んだ日>

と付けた。



お見事である。

ダモシの中では

見出しの工夫とポスチャーでは
ニッカンの勝ちである。



最終見開き面も見事だ。

左頁のヘッドを
<小泉チルドレン消え>
として

右頁のヘッドの
<小沢ガールズ大躍進>
へとつなげ、


明暗くっきりの候補者の

写真を大きく用いた
エディトリアルは、

秀逸だ。








*****






いずれにせよ、民主党政権の誕生である。


主に来年からとなるが

<日常の生活>におけるチェンジの
ディテールでは主なものは何か。



まずは<子供手当>だ。

中学校卒業まで
子供一人当たり月額2万6,000円が
支給される
(2010年度は半額)。


<公立高校授業料の無償化>
(私立高校も相当額支給)。


この二つは実に大きい。

ダモシ家にとっては実に大きい。

子供の養育と教育にとっても
好影響を及ぼすだろう。



オトナも喜ぶのが
<暫定税率の廃止>による
ガソリン税の撤廃で
1リットルあたり25円引き下げになる。


ガソリンが安くなり

<高速道路が無料>になれば、

さらに良い。



<高速道路の無料化>は
期待度大の施策であろう。

(2010年度から段階的実施、
 2012年度から完全実施)。



世紀の大愚策
<ETC搭載車&休日限定1,000円>とは
比べるまでもなかろう。


アソウが推進したこの世紀の大愚策は、

結局は
支持されなかったことが
証明されたわけだ。


ダモシはこれを徹底的に批判していた。


・不公平

・ただでさえ渋滞する休日の高速道路を
 なぜわざわざさらなる大渋滞へ
 導くのか

・ETC搭載促進という裏の目的が明らかで
 ここでも結局は
 不公平な儲け主義が存在している

等々、多くの理由がある。



高速道路を全無料化すれば、

結果が出れば分かるが

現在のような
アホンダラ大渋滞は解消されるのは
明白である。


分散するからだ。

そして
分散すれば不公平はなくなり

それぞれがフェアな土壌の中で
商売することも出来る。


船も
一般道の飲食店も。




民主党政権になるのだ。

<ETCオンリー1,000円プラン>の
即刻廃止を求めたい。







医療介護でもベターな施策が並ぶ。

<後期高齢者医療制度>
という
これまたアンポンタンな施策が廃止され、

シリアスな問題であるにも
関わらず
自民党が放置していた

<介護報酬>に関しても
職員のギャランティが4万円/per-month
引き上げられる。




自分だけ常に美味しいとこ取りで
今もなお
いけしゃあしゃあと
人材某企業の役員に就任して
巨額の報酬を得ようとしている
これまた<記号=タケナカ>が推進した

オタンコナス施策満載の
雇用対策に関しても

<製造現場への派遣原則禁止>と
<それに代わる新たな専門職制度の創設>を
掲げる民主党。




その他もろもろ。



とどのつまりは、

自民党が滅茶苦茶にしてしまった


・年金
・医療と介護
・雇用
・農家
・中小企業
・郵政




よりベターな方向にしようという
施策案が盛り込まれているわけである。



出来るか出来ないか。


それをやる前から
他者が論じるのは筋違いである。


メジャーへ向かう
野球選手に対して
<通用するか否か>を素人が論じるのと
同じだからだ。




<やる前から負けること考えるバカいるかよ>

の世界観であり、

何でも
やる前から結果を
他人がああだこうだと論じるのは間違いである。



ただただ、

やろうとしているのだから
それを支持し、

ぜひ
やって頂きたいと願い、注文し、


そして

仮に出来なかったら

仮にやらなかったら


四年後は支持政党を変えて
一票を投じれば良い。


そういうふうに選挙、政治を変えていくのは

当たり前のことであろう。




まずは来年だろう。

来年から実施もしくは段階的に実施される
各種施策に対して


期待して見ていきたい、と。







*****






ニッポンにしては

珍しく

"中途半端"ではなく、

民主党に多くの人が投票して
民主の大勝、自民の徹底的敗北という
結果になったことは

嬉しいところである。




今宵のタイフーン。


これもまた
ニッポンらしく中途半端にするのではなく、

徹底的に関東エリアを襲って欲しい。



タイフーンの雨は
降るなら徹底的に降れ、と。

タイフーンの風も
吹くなら徹底的に破壊的に吹け、と。





中途半端はもうやめようぜ、と。





どうか民主党には

対霞ヶ関に関しても
中途半端にバランスをとろうなどとせず、


徹底的にやっていただきたい。














posted by damoshi at 10:46| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

晩夏にもならぬ、艶なし男たち






衆院選の結果は周知の通りであろう。


民主党が300議席を超える大勝で
第一党となり、

政権を奪取した。



風を得た民主党の各当選者は別として、

今回の選挙特番における
自民党の各氏の様相を見ていて
実に気味悪いものを感じたところである。



いつだったかは記憶は定かではないが、

選挙で
自民党が苦杯をなめた際の
橋本龍太郎氏の

"くそぅっ"という絞り出すような呻き声と
脂ぎった顔に
ポマートばっちりの髪



チェーン・スモーキングよろしく
吸い続ける煙草から舞い上がる煙

の交錯が


妙に艶っぽかったことがある。



要するに

<男っぽいな…>というポスチャーである。




敗者の美学。



それは
破れてもなお
清々しいという世界観とは異なるものであり、

悔しさを

オトナの作法で

男の作法で

どう見せるかといった部分である。



それが出来た瞬間、

あの
ヘミングウェイの

<勝者には何もやるな>的な

敗者の美学たる構図が生まれ得るのである。




"橋龍"は敗者の美学を体現できる

自民党の中でも
突出した色気を持っていた。




自民党はその昔、

大人の男の色気を持つ
政治家が多かったのである。




ところが、今はどうだ。


今宵の大惨敗衆院選。


呆れた。

結果にではなく
自民党の政治家個々の
セルフィッシュさ丸出しの態度に、である。


そこにはまったく



というものがない。



男の美学というものがない。



一体これはどういうことなのか。


森元首相や
"偉大なるイエスマン"武部など

辛うじて議員職を守った者たちは

自民党の大惨敗には目も向けず
破顔一笑で
バンザイを叫んでいる。


その顔はもはや

"ニヤニヤ"と通り越して

"ニタニタ"という世界観である。


あまりにもアグリーだ。



そして選挙を仕切った
菅や細田といった
記号=アソウを支えた者たちの

敗者の弁もまた

何とも白々しく

男としてのソウルを感じない

乾き切ったものであった。




負けたということの

事態の重みをまったく分かっていない。


己自身は議席を守ったから
それで良いと思っている。


飄々として

いかにも
<民主党に風が吹いていた。
 負けると分かっていた>を

無理して装っていたのだとしても、


あまりにもお粗末だ。



なぜ男なら、

なぜ己がチームの
選挙という闘いを仕切っていたのならば、

負けて悔しいというソウルを
出さないのか。


なぜ飄々として

負けて当たり前みたいな
態度をしているのか。


あまりにも情けないと同時に、

男としての艶
というものが、

あの人たちには皆無であり、

あれではインポテンツである。

やる気がないなら
辞職してはいかがか、と。




要するに

負けて"くそぅっ"とも
何とも思っていないのではないか

と感じてしまうほどの
無味乾燥とした佇まい。


これはまったく色気がないのである。



仮に、

万が一、


"くそぅっ"と思っているのだとしても

そして
その表し方もまた千差万別だとしても


あまりにも
何一つも表されていないことが

気色悪いのである。

気味が悪いのである。






敗者としての

己の見せ方への気配りが

まったくなかった。



それが現在の自民党全体の

色気のなさでもあり、

限界なのである。



単純にいえば、

色気も艶もない男女の集団に
より多くの票は入らないということである。




大物や
知名度があっても

<落ちて当然>メンバーは

概ね、落ちた。


小泉チルドレンの女たちも落ちた。



そんな
負けた者たちが大勢いる中で、


アソウにしても
菅にしても
細田にしても
森にしても

<ちゃっかり職をキープした>感が

見えてきてしまうのである。



それは
米の破綻した/救済されている企業の

役員が

べらぼうな役員報酬を
いけしゃあしゃあと受け取っている
様相にも似ている。


みっともない。




そして、

さらにみっともないのが
上述した負けた政治家の中で
比例で救われた面々である。


武部などその典型で

己がbelong toしているチームが
大惨敗しているにも関わらず

己は比例で復活当選して
職をキープし得たことで
破顔一笑バンザイしているという

この世の果てのアグリーさは

もう
救いようがないところである。






一方で、

きちんと存在感を表した
社民党の福島女史にしても
笑わない。

議席を前回同様キープしたのは

たいしたものである。




ある意味で
リアルにシュールな政治家の
一人ともいえる田中康夫は、

公明のビッグネームを打ち負かしてもなお、

笑顔を見せない。




そして民主党。


浮かれた様子がまるでない。



だからよけいに

自民党の中で
ちゃっかり職をキープした面々の

バカ騒ぎレベルの

<バンザイ連呼>はアグリーに見え、

不快感さえ覚えるわけである。




<情けないな…>と。






大勝にも笑顔一つ見せない
象徴的な存在が、


小沢一郎。




小沢は

昭和の男の凄みを持っている

最後の政治家かもしれない。








*****







ダモシの票もワイフの票も、

結果に反映された。



今回の選挙にスペンドした時間が

ムダにならなかったことは

幸いである。




是非とも民主党には

子供手当と高速道路無料化以下、

マニフェストを実行して頂きたい。



そして

見映えやスキーム含めて

霞ヶ関含めて

ニッポンの政治を変えて頂きたい
ところである。





同時に、

男としての艶と色気を

見せて頂きたいところである。













posted by damoshi at 02:40| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

混雑の、R-246(2)〜選挙






関東にタイフーンが接近している
今宵のサンデー。


既に田園都市エリアは暴風吹き、
雨足が強まってきている昼過ぎ。


今朝9時過ぎに近隣の
投票会場である小学校に
足を運び、

票を民主党に投じてきたところである。


ダモシとワイフが
"選挙"に投票するのは
98年の参院選以来11年ぶり、
衆院選としては13年ぶり。

ジュニアにとっては
選挙権は持っていないが、

ダモシとワイフそれぞれが
記入した投票用紙を
投票箱に投じるというロールを得たことで、
自身初の"投票"になった。




もう一度、

先般掲載したグラフをあげたい。




ritsu.jpg



ダモシと選挙の関係性、

すなわち
ダモシが選挙権を得た二十歳以降の
選挙の投票率と
紅白歌合戦の視聴率変遷である。


今宵の選挙までには
1ディケード(98年〜)の<不在>がある。





さて、投票率。


11AM過ぎ時点のそれは、

前回の

(ダモシ不在時の)

"独裁ライオン"小泉の
小泉による
小泉のための
<郵政選挙/劇場型選挙>を上回っているという。



当たり前だろう。


今回の衆院選はなにしろ、

前述したような
ダモシ個人の<__年ぶり>という
記録だけではなく、

国、そして社会を変革し得る
<記録>がかかっているからである。





senkyo4.jpg



記録のフォーカスはいくつかに絞られる。


まずは、
<民主党の獲得議席数はどこまで伸びるか>。


過半数の241を超えるのは確実視
されている中で、

安定多数の252

絶対安定多数の269

をさらに超えるか否か。


そしてさらには、
その先に見える
参院に左右されずに
衆院でごり押しできる議席サイズである
321まで届くのか否か。


巷では300前後と目されているが、
いずれにせよ
絶対安定多数を
民主党一党で得ることは
もはや驚くことではなかろう。


逆に今回の選挙で驚くことが
あるとすれば、

福田や森などの
首相経験者のボンクラが
当選してしまったり、

自民党が
思わぬ数の議席を得られるという
結果になった場合であろう。


<未だに自民党に入れる人がいるのか>と。

<この期に及んでも
 福田のようなアホンダラに
 入れる輩がいるのか?>

と。





フォーカス2は、

<単独衆院過半数での
 第一党入れ替わりによる
 政権交代実現>

という現憲法下史上初の"快挙"。



非自民党政権は、

・1947年の片山内閣
・1993年の細川内閣

と二度あるが、

前者・社会党
後者・日本新党

が単独過半数を獲得したわけではない。

いわゆる非自民
(といえば、ほとんど"野党")が
衆院選で

単独過半数を獲得して
第一党に上り詰めての政権奪取
となれば、

リアルに欧米的なものになる。


ようやくその入口に立っているのが
今宵ということになろう。

今回でも無理ならば、
今後はもう無理であろう。


善し悪しやマニフェストで云々ではない。

民主党になったら
本当に変わるのか?

云々ではない。



<とにもかくにも変えてみよう>

<トライしてみようではないか>


という

器の大きさが

ニッポン人に欠けている

世界と比べた場合の
致命的な欠陥である。


今回ですら
そういう選択をしないとすれば、

既にダメで終わっているこの国は

さらに
終わりの終わりを迎えるであろう。





これらの主な記録的なフォーカスがある。


それは投票率に
少なからず影響を及ぼすであろう。


小泉の独裁郵政選挙と
セルフィッシュ劇場型選挙なんぞ

ダモシは
米にいたから知らぬが、

そんなものとは比較にならない

眼に見えない風は吹いている

はずであろうと

考えたい。




それが反映されるのは
<投票率>。

且つ
その<投票率>の増減に
影響を及ぼし

結果にも影響を及ぼすのは

浮動票。


浮動票を支配する
最も大きい属性はいわずもがな、


ヤングボーイ&ヤングレディである。



投票所の様子では、どうか。



ダモシが98年以前で
参加した選挙の投票所における
アトモスフィアと


今宵の一例

〜横浜都民という
 浮動票及びリベラル層が多いエリアの
 1選挙区の1投票所〜

を見てみると、


<老若男女(すべての選挙民)>という

絶対的にして
そもそもの
<選挙>という商品が持ち得る

ターゲットが

すべて満たされていたばかりか、



むしろ

ヤングボーイ&ヤングレディが

多かったと見受けられた。




そして、

過去に経験した選挙では
投票所で並ぶということは
皆無だったが、

驚いたことに


今宵の投票所では

並ばざるを得なかった

のである。




これはあくまでも
1エリアの1投票所のアトモスフィアに
過ぎないが、

ここだけ見れば

ダモシ自身の過去の投票所経験とは
モードがやや異なっていると
いうことは

断言できる。





senkyo1.jpg




senkyo2.jpg








<選挙>という商品を考える時、

"満遍なく"という部分と
その一方にある
"エリア&ターゲット・セグメンテーション"の

2-wayが存在していることに気づくだろう。



後者は、ローカルにありがちで、

ここが強かったから
自民党はこれまで負けなかった。



ローカルでは
ターゲットも限定される。


要するに
オトナ層の中でも

・保守
・より高齢(シニア等)
・地元の重鎮や地元企業トップ連


に絞り込み、

それを抑えれば
圧勝するという計算である。



そもそもこのストラテジーは、

内外問わず
保守政党の常套手段であろう。



ダモシ在米中に
最も盛り上がった大統領選だった

ブッシュvs.ゴアでも

保守本流支持が多いブッシュに対して

ニューヨークなどの
リベラルなエリアの浮動票や
ミドル層のオトナや
ヤングボーイ&ヤングレディは

ゴアを支持したが、



今回の場合、

自民党はローカル&保守&シニア

民主党は都会&リベラル&ミドル中心
プラスαで浮動票

という図式は普通に考えられよう。




自民党は、

ローカル保守のシニアや
地元企業連などを失えば

必然的に勝算は遠のき、


それに加えて

浮動票
つまり
投票率上昇(=ヤングボーイ&ヤングレディ)
という事態になれば、

敗北が濃厚になってくる

という構図である。





例えばダモシ軍絡みでいえば

那須の
ホームがある選挙区は

代々

渡辺美智雄〜渡辺喜美の
独占地盤である。

その渡辺喜美が自民党を離脱して

みんなの党を旗揚げしたら
皆が皆そのまま
みんなの党に投票するような

自民云々を度外視したところでの

保守本流

(この場合、
 意味合いとしては
 "コンサーバティヴ"に入るだろうが)

である。



こういう
連綿と脈打つ
どうにも抗うことのできない
保守本流=コンサーバティヴな

エリア・セグメンテーションは別として、


自民としては
保守本流路線で勝てなければ
どうしようもなくなるわけである。

且つ

これまで支持していた層も
自民離れを起こしてもいる。


それに加えて

リベラルな都会のミドルや
ヤングボーイ&ヤングレディの

全体投票率が上昇すれば

大惨敗

という結果になるのは、

票のストラテジー上
どうしようもない

といったところであろう。





問題は、投票率。


・横浜都民
・リベラル
・浮動票

というキーワードを満たす

ダモシ居住エリアと

相対的に
そういう層が多い

横浜18区全体の
投票率も

前回より格段に上がっているという。


(横浜市長選とのダブルになっていることも
 投票率が上がっている要因であろうが)。



少なくとも

横浜18区と
横浜都民エリアは自民大惨敗

という予測は成り立つ

といった情勢ではなかろうか。





今夜20時以降の

選挙特番が楽しみである。



自民大惨敗で
大物議員も軒並み落選→無職
という

世間的には

ざまをみろ

的な図式こそ

今の世の中において
愉快なサンデー・ナイトを迎えられる人が

相対的に多いであろう

と想像するところである。




少なくともダモシはそうだ。


高飛車にして
自己のことしか眼中にない連中が
軒並み落選して

<無職>

になる経緯を映し出す
劇場が

ヘタな映画よりも楽しいであろう。







中途半端に

自民党が過半数近くを堅持する負けを喫し、

民主党が絶対安定多数すら
獲得できずに勝利する

という



<ニッポンらしい>

どっちつかずの
アグリーな構図だけは


避けて頂きたいと切望するところである。




選挙結果に関して

またコメントしたいところである。







:::::





senkyo3.jpg



久しぶりの選挙投票を終えた
ダモシ。

周りを見ても
ヤングボーイ&ヤングレディが
多くいることが分かる。










posted by damoshi at 16:24| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

混雑の、R-246(1)〜イモト





昨日も
R-246、環八は異様に混んでいた。


<皆さん、どこへ行くのか…>

と不思議になるほど

お出かけが盛んなこのウィークエンド。


なぜなのか。



そして今宵は衆院選投票日。

皆々様
お出かけせずにご自宅で休養、
近隣の投票所へちょっとお散歩。


そんなことで済むであろう。



ところが、

田園都市エリアの
ダモシ拙宅目前のR-246が
異常な自動車量でまったく動かない
状態に陥っていた。


それを窓から見たのが昼過ぎ。



<大渋滞で動かないよ>

とワイフがダモシに告げる。


<れどれど?>と

ダモシは窓から眼下を見やる。


と、

R-246は
厚木方面へ向けてまったく動いていない。


それを見てクスクス笑いながら
その顔に

(<まあよくもこんな大渋滞の中を
  車でお出かけするわね>)

と揶揄を記載していたら、

ドライバーと眼が合った。


ドライバーの顔はうんざりしていたが、

ダモシから言わせれば
自業自得。


ここから東名に乗っても
1,000円愚策の見返りで
よりアグリーな大渋滞にハマりますよ、
御愁傷様



さらに揶揄を込めた表情を
ドライバーの皆々様に
プレゼント差し上げた次第。




<それにしても、
 ここまで混むのは異常だぞ?>



ダモシは外に降りていった。




するとR-246沿いの歩道に
自動車渋滞並みの
人の群れ。



<?>と思ったダモシは、

沿道の皆々様に問う。



<皆さん、一体、
 ここで何を待っているのですか?
 何を見ているのですか?>


皆々様が応える。


<24時間テレビで
 イモトという芸人が走っていて、
 ここにもうすぐ来るのよ>



なるほど?

珍獣ハンターとして売り出し中の
芸人"イモト"が

24時間テレビ恒例のマラソンの

今年のランナーである、と。



そしてこのR-246を

厚木方面から走ってきている、と。


間もなくこの
田園都市エリアに差し掛かる

ということで、


皆々様、

お待ちかねといった案配だったわけである。




ゴールは日本テレビなのであろうからして、

普通に考えても
ここから汐留あたりまで
走るだけでも難儀なのに、

厚木や小田原あたり?

から延々と走ってきているのであろうからして、

相当な苦戦は免れないと
想定されるわけで、



<なるほど?>と
この人ごみのワケを知ったダモシも、

そうか、せっかくだから撮るか



R-246からは数十秒の
拙宅に舞い戻り、

カメラを手に

ワイフとジュニアを伴って

"見た"わけである。







R-246の大渋滞の、

要因の一つはコレだったのか、と。






konran1.jpg



拙宅前のR-246。

間もなく東名の入口。

上が東名、
大渋滞している部分がR-246の厚木方面。





konran2.jpg



次第に
厚木方面からの道路も混みはじめる。

沿道沿いの路肩は
イモトを見るために駐停車する
車の列が並ぶ。





konran3.jpg


ガードマンも
張り切って交通整理をする。




そしてやって来た"イモト"。



konran4.jpg



konran5.jpg




意外に大きく

意外に"女性的"だった。


それにしても
120km以上を走るというのだから
恐れ入る。


(初心者ルートを除く)富士山登山と

どちらがキツいか。


いずれもキツいであろう。

相当キツそうな表情をしていた。






konran6.jpg



konran7.jpg




ダモシにはそもそも
24時間テレビ的なコンセプトや
アトモスフィアは大嫌いで、

中学生時代に始まったコレも

第一回くらいしか
視聴していない。



だが、

その一方で

キレイごとという範疇を超えた視点で、

ゼネラル・パブリック性を鑑みれば

<運動>&<チャレンジ>
プラスα
<過酷>

という組み合わせの構図は、

やり方を誤ると
お涙頂戴に劣化して危険だが、

そのゴール時点でのお涙頂戴は別として

過程における苦行ぶり

は、

見るべきものは多少ある。




そもそも人は

チャレンジや冒険が好きである。


だが

一般的な人生においても
日常の路上においても
なかなか破天荒なチャレンジ


〜例えば
 三十路を過ぎてから米に移住したり

〜例えば
 仕事絡みとはいえ
 富士山に登ったり




そうそう簡単には出来ない。

思っても出来ない。

やろうと考えても
なかなか容易には出来ない。




だから、

<やれる人>は

それを伝えることが必要になる。


何かの弾み

何かのきっかけ

あるいは
マスト・イシューとして
やらざるを得ない

という背景をもってして

それを
<やることができた人>は、


その
<やった内容>を伝えることが
大切になる。



それがあることで、

<やろうと、踏み込まない人>の
背中を押すことにもなり得るからだ。



<クスリをやる>
というネガティヴなものは

伝えなくて良いが、


<チャレンジする>
というポジティヴなものは

伝えるべきである


と。




そして、

そこで大事なことは、

伝える側が


その全体を

お涙頂戴のハッピーエンドだけの
キレイごとだけの
ストーリー

としてはいけない

ということである。




他人のハッピーハッピー



他人は喜ばない。



他人の苦しみや辛さと

その淘汰への闘いこそ

受け入れられるものである。




闘いやチャレンジに、

ハッピーハッピーが全面に
行き渡ることは

ダモシ的にはあり得ない。



そこにあるのは

99.9%が苦行である。


その
苦しみの中から
いかにして立ち上がり、

打ち勝つか、踏破するか。



そこにドラマが生まれるわけであり、

ハナから
ハッピーエンドとお涙頂戴を目論むような
ものは

作り物であり

ドラマにはなり得ないのである。






今では既にKY呼ばわりされている
24時間テレビが

今後も継続されるならば、

フォーカスは


キレイごとやドネーション云々ではなく

<チャレンジ>と<闘い>
に絞り、


それこそ

津軽海峡横断云々や

このマラソン関係の

よりリアリティの付加

(既に前設定されている
 ハッピーやお涙頂戴ではなく、

 苦しみ前提での
 結果としてのハッピーエンド)


に進むことがベターであろう、と。






基本的に、

苦しいチャレンジの
結末においては、


やっている本人は

感動や達成感云々という
キレイごとよりもむしろ、


<安堵感>の方が先立つものである。





今も含めて

ダモシ自身の
チャレンジを振り返ってみれば、


対米/対ニューヨークも

ボクシングでのvs.黒人や
その他の体験的ジャーナリズムでの
チャレンジも

富士登山も

仕事におけるチャレンジも

その他も



すべて

結果が白黒どうこうなんぞ関係なく


結果時点/最後時点で
心に最も大きく反映されるものは、


感動や達成感ではなく




<安堵感>だったからだ。




<ふぅ>という、安堵感。





第三者の手による

その
安堵感や<ふう…>への


"感動"
"ハッピーハッピー"
"お涙頂戴"

等々の脚色に

最も冷めてしまうのもまた、


その本人なのである


ということも忘れてはならない。







そして加えて言えば、

<安堵感>を上回る

達成感や感動はない

ということである。





本人以外の、

観る者や作る者は

それを肝に銘じるべきである、と。







konran8.jpg



"イモト"のファンなのか、

警備員も
後を追って懸命に走る。





konran9.jpg



今宵もまた携帯電話カメラで撮る
人が多かったが、


そもそも

オールウェイズ

ダモシはこれに疑問を覚える。




<携帯カメラじゃあ、
 はっきりいって映らんでしょ?>


と。


そんなもので撮って

意味あるのか?


と。












posted by damoshi at 14:47| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海峡めぐり逢い





例えば、

ニッポンの本土最北端<青森>と
"北の某国"ハコダーテの間にある
津軽海峡は、

長すぎる。

互いに、陸地も見えない。

道がつながっていない。



そこに横たわるのは、

"遥々来たぜ"という世界観。




海峡が遠く長すぎると、

・往く
・去る
・帰る
・追う
・後ろ髪を引かれる

等々、

その根底には

どこか"余儀ない旅"的な

<〜ざるを得ない>
という

心象の中に
何かを背負っている
シチュエーションがイメージされる。


不可視化されてしまうほどの距離感。

これが
悲しみのドラマ的な意味での

良さと

その反面での暗さという悪さ

両面を併せ持つ。





一方、

ここでも当然
善し悪しや悲喜あれども

どこか都会的で

ラブコメディ的な

さらっとした装いを喚起できるのは、

海峡の距離の短さと
可視化されるアトモスフィアである。



それは何も海峡を挟んでの
距離感だけのことを言うのではない。




例えばシカゴ。

L=ループ
と呼ばれる地下鉄の地上版。


大都会シカゴのど真ん中を
ループに走るわけだが、

高層ビルや
ノスタルジー漂う
映画"スティング"的な
アパートメントの

谷間を縫うようにして走るそれは、

駅で停まるたびに
そこにある
オフィス・ビルやアパートメントの
部屋の中にいる人と

車内にいる乗客の

目が

合う瞬間がある。



極端にいえば
会話をすることも出来るほどの
距離感。


周囲の
近代的な大都会っぽさと
その一方にある
クラシックな"1930年代"風情がまた

小道具として効き目を発揮して

ドラマを演出する。




何度か同じコースを走ることで

何度か同じ人と目が合う。

そして、<Hi...>。

目と目がクロスして
地下鉄車内とオフィス社内の男女が

めぐり逢う。


そして恋におちる

という構図が、

普通に生まれいづる。



そんな世界観こそがまた
大都会の妙でもあるのだが、



話を海峡に戻せば、

要するに

そういった距離感と、

可視か不可視かといった問題である、と。





山口県。

その県庁所在地は山口市。

だが、
一般ゼネラル的には
山口県を代表する市は、下関市。



ニッポン本土最西端。

その
ウエスト・モースト・ポイントと

関門海峡を挟み
<ナイン・ステイツ/九州>の
福岡県北九州市

が存在しているわけだが、



その間の距離感が

まことに見事に適正距離であると同時に

可視化レベルもまた
バランスが妙に秀逸であることは、


下関側から見ることで

よりそれを実感することができる。




まさにそれは、<海峡めぐり逢い>。




今宵の旅は
山口県下関市、

取り上げるエリアは
大枠では一ヶ所である。


"関門海峡のところ"。


ゆえに
<海峡めぐり逢い>。






kanmon30.jpg



本土と"ナイン・ステイツ"九州の
間にある関門海峡を通して
二つをつなぐ

関門橋。


隔てて右が北九州市。

写真を撮っている側が下関市。



北九州市側に見える
一棟の高層タワーは、

門司港レトロ・エリアの
高層レジデンシャル・アパートメント。







*****





ひとくちに山口県といっても
コンテンツは多岐に渡る。


ダモシ的に
昔から実に興味深い"県"の一つである。


金子みすゞや宇野千代を輩出した
山口県。


みすゞ絡みの仙崎

宇野千代絡みであり
名橋・錦帯橋のある
"オールモースト広島"の岩国

秋吉台に別府弁天池

萩に
徳山に柳井があれば

湯田や大俵、川棚などの温泉がある、と。


下関はその最西端。
関門海峡に沿ったロケーション。

あの、フグで知られるエリアである。





kanmon3.jpg



下関駅を含む
下関中心部を俯瞰する。


金子みすゞが
ホームの仙崎を出てやって来た街。

ここで
みすゞは本格的に執筆活動を始めた。


20歳で下関にやって来て
結婚、出産、離婚を経て
26歳で夭折するまでの六年間は、

相当に濃厚な期間だったろう。


薄幸のイメージが
さらにみすゞの神秘性を助長する。


下関市内でゆかりの地を、

そして
そのイズム原点の仙崎を歩きながら、


その童謡詩に触れたい。







*****






金子みすゞの

その
ふくよかで
キュートな顔の造形が

救いであろう。


哀しげな眼のアトモスフィア/眼差しと

フグほど
とは言わぬが、

ふくよかな顔の造形の

アンバランスさが良い。



さように

良い意味で、

女性のふくよかな顔は、

たとえ眼に哀愁や
アンハッピーさが漂っていても

全体的なイメージをポジティヴなものとする。



フグをイメージするからでもあろう。


丸みのあるフォルム。
そして、ふくよかな仕業。

だが
その実、

毎年のように死者を出す
毒を持っている。


その二律背反がフグの持ち味か。



かの地では
フグのことを、<ふく>と呼ぶという。


福のふくである。





kanmon20.jpg


ふくの本丸<唐戸市場>。




kanmon10.jpg


kanmon13.jpg


本丸でフグを食して福きたる

を願ってか、

地元っ子、観光客入り混じっての
大混乱。





kanmon11.jpg


kanmon12.jpg



フグ刺しとフグの唐揚げを食した。

フグを食したのは
1999年に
ニューヨークから広島へ
ビジネストリップした際の、

広島での夜の会食以来10年ぶり。


唐揚げは何となく、

逢ったことはないし
身体を重ねたわけでもないが

金子みすゞ的な味がした。




むろん、美味である。







kanmon6.jpg



kanmon8.jpg



下関土産も、やはりフグ。

デフォルメしやすいフグは、
イラストになればなおファニーでキュート。

より
ゼネラル・パブリックさが増す。









*****








海峡。


関門のその波も厳しい。



しかし
そこに

津軽海峡やオホーツク、日本海のやうな

もの悲しさや
"果て感"、はたまた終末感は、ない。



その要因の一つはやはり、

対岸との距離と
可視下にある対岸という

構図が考えられる。




めぐり逢いの距離感である。

下関の女と
北九州の男が出逢う
可能性



この距離感ゆえの
それがロマンスに昇華し得る
可能性

の双方を生む。




渡ればすぐだ。

関門橋を渡ればすぐだ。


海峡を挟んで見つめ合うことも
不可能ではない。

手を振れば、

その姿を
望遠レンズで見れば
見えないこともないし、

カメラを通さずとも

相手の存在を感じることもできる

距離である。




だが、行かない。

だが、逢わない。


近くて遠い世界観が、

津軽海峡を挟んだ
<遥々来たぜ>的世界観を超越した
ところでの


喜怒哀楽の機微を生むのではないか、と。


遠距離恋愛ともまた違う。

近いのだが
遠いところにいる者同士の、

それでも
ニューヨークと東京
という実距離以上の、

遠さが生まれる胸の痛み。





或いは


北九州と下関に
それぞれ住む見知らぬ者同士が、

いつかどこかで交錯する。


そして、知る。



<何だ…。対岸にいたんだ…>と。


<めぐり逢う運命にあったのだね>と。

<もしかしたら、
 関門橋ですれ違っていたかもね>と。





その妙がある。

絶妙なる距離感。



それが関門海峡。






kanmon16.jpg



kanmon14.jpg




kanmon15.jpg



kanmon21.jpg




一日に4度も潮流を変えるという
関門海峡。


それは、

過去幾度も歴史の上で
分水嶺となる闘いを演出してきた地
だからともいえようか。







*****







ダモシの中で
下関のイメージは、とても良い。


そもそも昔から、

山口県というものに
多大なるインタレストを持っていた。




関門海峡は
ニッポンのヒストリーをつぶさに
見てきたエリアだ。


主にそれは闘いの歴史でもある。


源平最後の決戦たる壇ノ浦。

武蔵と小次郎の巌流島。

そして
長州藩が単独で
米、英、仏、蘭の四カ国連合と
闘い大惨敗した馬関戦争…。



この潮流は、

それらの
闘いの根底に流れるイズムを反映
しているものとも感じられ、


何となくシンパシィを覚えるわけである。




<なるほど。ここで闘ったのか>と。






今回は

下関の

しかも
海峡エリアだけの訪問となったが、


ぜひとも山口県全体を
じっくりと周りたい。


岩国の錦帯橋

金子みすゞの仙崎

そして萩は、

マストである。








kanmon9.jpg



"タワー系"では
西日本ナンバー1の高さを誇る
海峡ゆめタワー。


下関のランドマークである。


最上階部分は球体になっていて
世界初の全面ガラス貼りという
冠を頂く。



"北の某"ハコダーテの
五稜郭タワーは107m、

大阪・通天閣が100m、

神戸のシンボルでもある
神戸ポート・タワーが108m、

京都タワーも
タワー&展望室部は100mで

新しくなった
横浜のマリン・タワーも106m。


東京タワーは別格として、

軒並みタワー系は
根本的には100mレベルが趨勢の中、

この海峡ゆめタワーは展望室が143mもある。



別途
カテゴリー<高度の実感>でも
取り上げるべき素材であるため

多くは触れないが、


ここは
下関というマニアックなエリアにしては、

大いに驚かされる
レベルの高い
高度の実感を享受し得る存在である。






最後に、

小さくはなるが
海峡側と反対を俯瞰した


パノラマを。





shimonosekifukan.jpg





















posted by damoshi at 01:54| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月26日

博多〜ディスアポイントメント〜






博多。

福岡。

どちらが通りが良いかといえば
博多であろう。


東阪名(東京・大阪・名古屋)に次ぐ
ニッポンの五大都市として
仙台と共にある。


一般的に人気がある都市である。

何において人気があるのか
と考えれば、

ここに博多を解く

一つの鍵が潜んでいるのであろう。



つまりそれは、

近くにある異国"北の某"の首都・サツホロと
同じく

古くは単身赴任族の花の都であった

ことが起因していようか。



吉行淳之介の名作
<札幌夫人>に、それは詳しい。


その冒頭、
商社勤務の男が
北の某支社開設に当たり
サツホロへの転勤を命じられる。

一瞬、
<億劫だな…>と感じた男だが、

同僚の羨望の声の後押しを受ける。



<奥さんは連れていくのか?>

<とりあえず
 一人で行ってみる。>

<それならば、札チョンというわけだ。>

<サッチョン?>


というやり取りが続く。


サッチョン。

つまりそれは、
札幌に単身赴任している
間だけの独身者を指している。


<札幌チョンガー、
 つまり札チョンだね。
 なんでも、大切にされて、
 ひどくモテるそうだ。
 札幌夫人になりたがる女性も、
 うじゃうじゃいるそうだ>

という。



その昔の話では、そうだったらしい。



博多もまた
そういう都市で、

今もまだ
単身赴任先/転勤先として

博多は人気が高いのだという。







出張先として。

そして
単身赴任先として、転勤先として。



これが
<博多>の人気の、

一つの指標と考えられる。


旅、そして観光。
さらにはその主体属性がファミリー。


こういう構図では、

博多は
いささか違和感が多く存在していることに
気づく。



そして

それに気づいたら、

もう一方の理由が分かるのである。




<あぁ、ここは出張の地だな>


<まさにここは博チョン向きの街だな>


と。







hkt3.jpg




hkt4.jpg




hkt11.jpg




hkt2.jpg







一方で、

博多は奇妙な中途半端さを見せる。


そこが

ダモシ的には

<あぁ、やはりローカルの限界か…>

と感じてしまい、


それが、


多くの人(ほとんどが"男")が
<博多は良いよ。活気もあるし、面白い>
と推奨してくれたが、

その期待が

失望〜Disappointment〜に

劣化する瞬間となる。







hkt10.jpg




hkt7.jpg




中途半端に小洒落ていて
モノの量を総花的に揃えた
複合総合商業施設のキャナル・シティ。


ニューヨークや東京という
視点から見れば、

どうしても

頑張ってはいるが
ローカル色が抜け切らない世界観が

やはり
そこを歩くこちらの方が気恥ずかしくなる。




<エッジなモノは
 わざわざ博多に来て、
 買うことはなかろうよ>


となる。



要するに
都会的なモノやデザイン的なモノ、
最先端モノは、

わざわざ博多でなくて

ニューヨークやパリやローマや
東京で済む話であり、


わざわざ博多に来ている意味は

博多でなければ
手に入らないモノを買うことで生きてくる、と。




ところが。

こういう代物は、

地元っ子にとっては
大きなランドマークとなる上に、

彼らにとっての存在証明や
彼らにとっての
"NOW"に対する指針にもなる。


さらには

九州という括りで見れば、

長崎や佐賀、熊本あたりの人にとっては
己が自県には存在していない
ニッチでエッジなモノが多く集う
この複合商業施設が、


"観光"の目玉

あるいは

"キャナルシティに買い物に行くぜ"
という部分での
自己満足

すなわち

心理的便益を満たすものになることは

明らかだ。




その差異がある。



つまり
東京やニューヨークという
基軸視点のある旅人が

博多に旅した場合の

キャナル・シティは、

その人の心理的便益を満たすに値しない
ものであるが、


九州エリアの人々や
地元っ子にとっては、

己が心理的便益と機能的便益双方とも
消費者便益を満たしてくれる

大きなランドマークである


というギャップ。



ここがミソ、である。


とどのつまり、
この複合商業施設には
ハイアット・ホテルが隣接しているが、


この様相は
アトランティック・シティや
フォックスウッズなどの

米のカジノ・シティに見られる傾向で、


ダモシ的には

<ならばカジノがあってこそ>

ということになるわけだ。



米のそれらの場合は、

カジノ&リゾートとして
大都会から
億劫ではない距離感にある

何もない土地の中の

ホテル、複合商業施設、カジノ
の三位一体であることで

ヴァリューが生まれる。




<これこそ、
 ニューヨークでは体験できない
 空間である>

と。



だが、

それが博多という
ニッポンにおいては大都会の部類に入る
土地に

中途半端に存在する

〜しかもカジノはない〜

ことで、

所詮

地元っ子と九州っ子の
消費者便益を満たすことのみが
そのロールとなってしまう

限界が見て取れるのである。




端的に言って、

<イヤになる>のだ。



その空間を歩いていると。

その空間で
周りを見ていると。



<厳しいな、こりゃ…>と。









*****







先に掲載した写真に見える<屋台>。

そして、那珂川。



そこにある博多は
大阪的な

パーフェクトなまでに

洗練されていない

<昭和>的な良さと悪さが混在している。



良さ=古き良き風情/昭和チック/人情的

悪さ=錆びた感/古くささ/垢抜けなさ


が二律背反で同居しているわけである。



これに関しては、

それぞれの関わり方によって
印象から派生する結果は異なってこよう。





だが、

その同居が、

同居ではなく、

悪い方だけに偏ってしまうと
博多という大都市に対する
負のイメージの増幅につながってしまうから

危険である。



その象徴は、

JR博多駅とその周辺である。




<なぜ、こんなにもダーティなのか>

<なぜ、こんなにもアグリーなのか>


と頭を抱えてしまうほどである。



ダーティという言葉は
時にそこには
ポジティヴな意味合いも含まれるケースが多い。


ダーティ・ヒロイズムという意味合いも

あるからだ。



しかしここで言うダーティは、

負のイメージになる。


負のイメージにおける
<ダーティ>は、

新宿・歌舞伎町などのような
アンダーグラウンド的な歓楽街ポスチャーや

池袋の持つ埼玉チックな
垢抜けなさと柄の悪さ、

はたまた
六本木や渋谷などの
ドラッグ風イメージや
マヌケ風情の人々の闊歩

など

様々あるが、



博多駅とその周辺には
それらは皆無である。


ではなぜダーティかといえば、

端的に言葉通り

<汚い>のである。


汚れたままの野ざらし。


そういうポスチャーが
見受けられるのである。





hkt8.jpg



駅前に聳える巨大な〒マークは郵便局オフィス舎。

窓は壊れて
そこらじゅう穴が空いている。

壁は汚れ放題で黒ずんでいる。

機能していない/機能しないビル

死んでいるビル。


死体がそのまま放置された感は、

痛ましささえ感じる。


あるいはこれは、刑務所か。
アルカトラズなどの
離れたアイランドにある
暗黒の刑務所か。



そんなポスチャーが、

ここまで"デン"と構えていることが

思わず目を閉じて
首を振ってしまう呆れた感情の発露へと
繋がってしまう。


遺棄された巨大な建物。



この周辺の昔の姿を見てみる。

博多駅前の
壁に貼られていた写真を撮った。





hkt9.jpg




現在の博多駅は三代目である。

1963年に開業したという。

その当時の写真がこれだが、
写真の真ん中右端に
この建物が映っている。

当時は
ピカピカに新しかったのであろうか?

と思いきや、

この局舎自体は1923年のオープン
ということで、


駅が今のスタイルになった際には既に
40年も時間が経過していたことになる。


今ではもう

86年の歳月が流れているわけだから
古くなるのは当然だが、


古くなっている/年輪を重ねた

のとはワケが違うレベルで

朽ち果てている/死んでいる。



それはなぜかといえば、

郵政民営化に伴い
この局舎は
既にその役目をほぼ終えているからであった、と。


しかしそのまま放置されているから、

このような
惨状に至っているというわけだ。


なぜ
ここだけ放置しているのかと考えたが、

フト目を駅に移せば

駅は今、大改造中で、

四代目博多駅へのリバースをしている
最中である、と。




だから

今、

博多駅の目前から博多駅を見ると、

駅舎はほぼ見えない。


目に入るものはといえば、




hkt12.jpg



こういう光景になるわけだ。




<再開発>。

そう言えば、聞こえは良いだろう。


だが、
ここで再開発が行われているという

それ特有の"活気"が
感じられないという不思議もまたある。




新しくするのだ。

生まれ変わるのだ。


という都市特有の活気が、

ここにはないのがまた不思議である。





それは、

一つには

ローカル都市の典型例である

<JRのメイン・ステーション周辺が
 都市としての
 メイン・ストリームである時代は、
 既に終わっている>

ということが挙げられようか。




ここ博多においてもまた
"繁華街"やメインストリームは、

このJR博多駅周りではない。




大阪もそう感じたし、

大都市ではないが、

松山も熊本も甲府もまた同様。

逆に
メインのJR駅
(新大阪駅、松山駅、熊本駅、甲府駅)周辺は

廃れている。


廃れているというか、

昭和の時代のまま放置されている。



そこがニッポンの都市構造の

最新トレンドなのでもあろうか。


いわゆる郊外型もしくは
メイン駅から約5〜10km以内の
ロケーションこそ
マーケット・ヴァリュー筆頭の
エンターテイメント&カルチュラル・エリア
である


と。




そういう意味では、
名古屋や仙台などは希有な例だが、

名古屋は
名古屋駅周りがにわかに
盛り上がって来たのはここ1ディケードの
ことであろう。


しかしそれでも
例えば仙台の駅前は、


タクシー大不況で

ご覧の有様
(昨年の3月撮影)。




konran.jpg






博多駅の現状を俯瞰で見ると、

こうなる。



hkt20.jpg




やっているのだろう。

そして
先の局舎もやがて商業ビルに
生まれ変わるという。



しかし、

駅舎や周辺のビルを新しくすれば
済むというレベルではない気がするのだ。





一方で不可思議なポスチャーが、

博多市内を走る
ものすごい数の路線バスである。


市内を徒歩でじっくりと歩いていると、


一分と間隔を空けずに

次から次へと

それこそ
どのバスも博多駅を目指して
滑走しているシーンに出くわす。



<何だ、これは…>と。


<なぜ、こんなにバスが多いのか>と。



それこそ

現在のようなポスチャーの
博多駅周りに
誰が何の用でこんなにも多くのバスが
走る必要があるのか

と。



そう感じてしまうほどである。



しかも、
いずれのバスも
走っているという風情ではなく、

混雑している市内の道路を

まるで
滑走/滑降しているかのように

滑るように走っている。

急いでいる。



バス自身が何か急いでいるように

道を次から次へと
連なって走っているのである。




もちろん博多駅は九州最大の
キー・ステーションであることは
誰もが知っている。

東海道/山陽新幹線の駅でもある。

さらには
地下鉄で
繁華街の中州や天神、西新などへも連鎖すれば、

福岡空港へも近い。



要するに

博多駅は博多駅自体に
用があるのではなく、

動線

すなわち

それぞれのデスティネーションへ向かうためには
避けて通ることの出来ない駅として
存在しているのであろうか、と。


要するに、通過点としてのマスト・イシュー。

あるいは
オセロの四隅。


そこを避けては通れない、
そこを得られなければ勝ち目も薄くなる。


そんな存在なのではないか、と。




その存在意義は、

九州新幹線開通で
さらに増すことは想像に難くなく、


それゆえの再開発なのであろう。



だが、

冷静に考えれば

博多駅の一日の乗降人員は
地下鉄を入れても
20万人にも満たず、


純粋比較では

東京のone of themである
有楽町とほぼ同じに過ぎず、

吉祥寺や立川を
やや上回る程度である。


(渋谷を除く)
田園都市線の駅で見た場合、

博多のそれは
二子玉川に遠く及ばず、

溝の口と同レベルということになる。





新幹線や地下鉄までありながらも、

田園都市線単独での
二子玉川に及ばない

乗降人員数は、

そのまま
そのマーケット・ヴァリューに
やはり導かれていくことを鑑みれば、


あのようなポスチャーになっていても

致し方ないのか

と思えてくるわけである。




それこそ

田園都市線でいえば
あざみ野駅でさえ
博多駅のそれとの差は

東京ドームの収容人員以下

と僅差である。








*****







博多〜ディスアポイントメント〜

は、まだある。


福岡ドームのあるエリアがそれだ。


これもまた
中途半端な
ウォーター・フロントである。

人工の海岸。

ベースボール・スタジアムとしての
ドーム球場。

JAL系のリゾート・ホテル。


そして
ランドマークとして建てられたか
福岡タワー。


さらには
わずかばかりの高層ビル。



おそらく

東京・お台場
もしくは
汐留エリアを目指したのであろう。

否、

時代的にはこのウォーターフロントの方が
先だったようで、

先駆けてウォーターフロント開発をしたものの
早すぎたか
あるいは
無策だったかで

開発が中途半端になった悪例ともいえようか。





あるいは
人工とはいえ
せっかく砂浜があるのだ。

前述したように

無理だが
感覚的な意味での<カジノ・シティ>的な
装いを

都市創造という観点の中に
取り入れるという思考があって
しかるべきだったはずなのだが、

それもまた

まったく見受けられない。



博多はその都市構造自体、

どこか
間違っているように見えるのである。




<(このエリアは)何がしたいのか>

という部分が、

"キャナル・シティ"があるせいで

まったく見えてこない、

あるいは
ブレているように思える

中州。




そしてまた、

この
ウォーターフロントも

<何がしたいのか>が
まったく見えないのである。

戦略なき都市構造。


これでは、厳しい。



後のお台場や汐留を見るにつれ、

この中途半端さがまた
実に"しょぼく"見えてしまうのである。




中心部では無理でも、
このウォーターフロントならばということで
高層ビル群を建設できるという
アドバンテージを

生かし切っていない。



野球がなければ

まったくの無味乾燥とした
"寂れたドバイ"の世界観である。



なぜ

スカイスクレイパーの競演

などに特化した目的意識を持った
エリア創造をしなかったのか。



大いに疑問である。






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哀しげに一人で建つ福岡タワー。

ウォーターフロントにある
高層建築物では日本一ということだが、

そのヴァリューがまったく生きていない。


逆に、寂しいムードが漂っている。




俯瞰で見ると、

福岡タワーには哀愁が漂っている。



このタワーもまた、

何となく
"放置"された感を覚えさせるのである。








*****







いわば歓楽街には、

ダモシは興味がない。


そして
例えば出張という
カテゴリーにおいても

一人が好きであり、


巷でよく見られる
複数社員での出張での
ホテルや歓楽街の店への
グループ行動

というものが大嫌いである。



その部分が、

根本的に

・男同士の複数での出張ユーズ

・赴任した博多チョンガー
 としてのユーズ


こそがフィットすると思われる

博多に対して

ダモシが失望した
最大の要因であるような気がする。




仲間と一緒の出張者や
単身赴任者たちが抱く

博多への消費者便益

〜主に心理的便益〜





ダモシが旅として抱く

それには

大きなギャップがあるのは当然で、


この都市自体が

前者にこそ
マッチし得るのだ

ということに、

一つ気づいたわけである。






ついでに言えば、

博多ラーメンもまた
ダモシにフィットしなかった。


サツホロ・ラーメンは
大いにフィットし、

アサヒカワ・ラーメンは
最悪レベルで合わなかった。


博多ラーメンもまた、

ダモシの口とは
フィットしなかったのである。







hkt15.jpg




hkt16.jpg






博多で良かったこと。

その一つは、
ホテルのブレックファストだった。

それは質が高くまた美味であり

大いに
ダモシの消費者便益を心理的に満たした。






最後に。


博多で最も
ダモシを悦に入らせた存在。



それは

博多スターレーン。





hkt1.jpg





忌憚なく、笑いが漏れた。

これを見た時に。



ホテルの近くに、

たまたまあったのだ。


ヤングボーイ時代から
度々、雑誌やビデオなどで
目にしていた博多スターレーン。


なぜか。



博多スターレーンは、

福岡での
プロレス興業に頻繁に
利用されていて、


当時のプロレス雑誌その他で
目にしていたのである。



ただのプロレス会場であれば、

どうこうない。



この博多スターレーンでの試合を報じる
レポートにある写真群が、

実に奇異なポスチャーを
醸し出していたのである。



闘う選手をアップで写した写真の中に

博多スターレーンの天井が
いつも被っていたのである。


つまり、

闘っているレスラーの
頭のすぐ上に天井が見えたのである。



<何だ、これは>と。


<ぶつかるじゃないか>と。



異様に低い天井。

リングを組み立てて
大きなレスラーが上がれば
頭のすぐ上がもう天井。


言い知れぬ圧迫感と

アンダーグラウンド的な
ダークサイドなポスチャー。



まるで地下プロレスか

ボクシング禁止時代の
ニューヨークの
酒場の地下で行われていた
暗黒賭けボクシングの世界観。



これが

奇妙な刺激をもたらしていたのである。



その博多スターレーンを

生まれた初めて目にした瞬間、

その外観のシャビーさに

ダモシは思わず
ゲラゲラゲラと一人で笑い出したのであった。






博多スターレーンを通り過ぎ

一直線の道を歩いていくと、

これまた
異様にシャビーな

博多駅の

もう一つの
エントランスが視界に入ってきた。





<これじゃあ、
 "川崎"以下というても
 よかとじゃなかですか?>



と、


ダモシは

博多〜ディスアポイントメント〜



感じたのであった。






hkteki.jpg














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2009年08月23日

選挙との関係性







次の日曜日は、衆議院選挙である。



先般、
ダモシとワイフにも選挙投票用の
<投票のご案内>が届いた。




senkyo.jpg




ダモシとワイフにとっては
久しぶりの選挙投票となる。




選挙権を得る20歳時から
これまでの
選挙との関係性をまとめてみる。




ritsu.jpg



1896年7月の衆参ダブル選挙が
ちょうど20歳の夏で
選挙権を得て初めての選挙だった。

時に、ダモシが大学生。


行った記憶はない。


中曽根総裁に
金丸幹事長という
いかにも昭和の自民党の世界観丸出しで、

最大派閥も未だ田中角栄派の木曜クラブが
最大の87議席を確保した。



このときの選挙で
初当選を果たした議員の中に、

鳩山由紀夫がいた。




ダモシが初めて選挙に
大きな関心を持って
投票に臨んだのは、

その次の選挙となった

89年夏の参議院選挙である。


時に、ダモシの大学生活最後の夏。



前年、
リクルート事件が勃発。

さらには消費税が導入。

そして
この年、当時の宇野首相が女性問題で辞任。


もうこの段階では、

"自民党ダサダサ"という感覚が

ヤングボーイのダモシの中にはあった。


世論の一部にも
そういう感覚への流れはあった。


世は未だバブル時代。



自民党は39議席、野党合計で90議席。

"おたかさん"ブームに乗った
土井たか子率いる社会党が46議席を獲得し
自民党は大惨敗した。


総裁・宇野は
あまりにもアグリーなポスチャーだったが、

見映え的には良かった
幹事長・橋本龍太郎の
結果を受けての苦虫を噛み潰したような
表情が、

印象に残っている。



大学の後輩のアパートメントで、

選挙速報に
一喜一憂していたあの日。


なぜならば、

ダモシも後輩も
アントニオ猪木
(当時スポーツ平和党から出馬)に票を入れ、

その当選を願っていたからである。



深夜になっても当確が出ない中、

二人は眠った。


朝、起きてすぐに選挙速報を見ると
猪木の当選が報じられていた。


土井たか子は
<山は動いた>と言った。






衆院選挙で印象深いのは、93年だろう。


この選挙で
新党ブームに乗った非自民系が
自民党を凌駕。


新生党の小沢一郎を中心に

野党会派連合による
新政権樹立が行われた結果、

細川護煕内閣が生まれた。



記者会見や閣僚記念撮影などにおいても
新しいスタイルを見せた細川内閣は、

斬新だった。




衆院選挙は次の96年の後は

2000年
2003年
2005年

だから、

96年を最後に
ダモシは投票の機会にめぐりあってはいない。



前回の小泉主導の郵政選挙は

知らない。






参院選も、

98年の橋本内閣での自民敗北を
最後に、


2001年
2004年
2007年


のそれは、

ダモシは絡んでいない。





ダモシにとっては
(ワイフにとっても)


参院選も含めて
ニッポンの<選挙>として考えれば、

98年以来11年ぶり、


衆院選としては

実に13年ぶりの選挙投票ということになるわけだ。









*****








その間の全体投票率の推移と
紅白歌合戦の視聴率推移を示したものが
冒頭のグラフである。


上に戻るのが面倒だろう。


もう一度ここに掲載したい。




ritsu.jpg



ここ数年、衆参両院選挙とも

微増傾向にはあるが、

その母数があまりにも低い。



代々の選挙を見れば
その昔は投票率80%台などは

当たり前の世界であった。


それは紅白歌合戦の視聴率もしかり。


衆院選の投票率が70%を割ったのは、

ダモシが
選挙権を得た86年までの段階では
4度しかなかったが、

86年以降は惨憺たるものだ。


ダモシ不在の間の衆院選の投票率は、

メディアが
大騒ぎした郵政選挙を含めても


62.4%(2000年)
59.9%(2003年)
67.5%(2005年)

に留まっている。




紅白視聴率にしても、

やはり86年を起点に
惨憺たる数値になっている。


85年までは
腐っても紅白といったところで
60%を割ることは

めったになかった。


ところが86年に60%を割って以降、

下降に歯止めがかからず、

今や40%を越えることすら
ほぼ不可能になっている。




選挙も紅白も、

いずれも
ダモシが20歳の年からの数年
〜すなわち1986から1989年頃〜が


投票率

視聴率


という

ある意味で
限りなくこの国において

一般ゼネラル・インタレストと
ゼネラル・パブリック度の高い

<共有事項>



崩れ去った分水嶺のイヤーになっている

とも

一つには言えるのではないか、と。




ダモシが成人してからの
数年間(大学時代)は、

たしかに
"普通の"テレビも落ちてきていた。

要するに、
レンタル・ビデオなどが普及し

一人暮らしの
アパートメントでそれを観る
という世界観が新たに生まれた頃合い。

核家族化も進行し、

<家族揃っての紅白>

という図式も、

BSやCS放送などで
取捨選択が増えた
多チャンネル時代の影響や

核家族化することや
コンビニが一気に増えてきたことなどで
統一的な行動形態が壊れ、

それぞれが
それぞれの
じぶんじかんと過ごし方で

時間と遊ぶようになってきたこと

などとも無関係ではなかろう。




・レンタルビデオの普及で
 映画を自宅でビデオデッキで観る

・アダルトビデオが普及して
 それをレンタルして自宅で
 ビデオデッキで観る

・コンビニが一気に普及。
 お弁当なども豊富になり、
 一人暮らしの不便性が解消されてきた

・ケーブルテレビやBS放送、CS放送の登場で
 他チャンネル時代を迎えた
 (WOWOWやNHK-BS放送その他)


頃合いだったのである。








*****







そして、選挙と投票率。


ここには
有権者の心理的側面が大きく
左右されることが

感じられる。


誰もが思うだろう。

己の貴重な時間を割いて
投票所に行き
投票するわけである。


誰でも良い

と思って投票しないだろう。



根本的に
誰もが、

<己が投票したそのアクションが
 反映されることを>

望むのではなかろうか?



せっかく投票しても、

それがまったく影響がなかったり
反映されない



寂しい気持ちになるのではないか?




結局これまでは、

自分が野党の誰かに
一票を投じようと思っていたとしても、

それを投じたとしても

どうせ自民党が勝つのだろう

という前提があったことで、


<ならば投票しても、しょうがない>

という心理になり、

投票に行かない
というケースも多々あったのではないか、と。


だから全体的な投票率は上がらなかった
のではないか



一つには考えられないか。




しかし今度は違う。

己の一票が

もしかしたら

<落選を伝えられている
 自民党の政治家の勝利につながる
 かもしれない>

or

<自分の民主党票によって、
 政権交代が実現するかもしれない>

という

モチベーションが生まれている。




だから有権者は

密かに

己が選挙区の趨勢
(メディアが伝える予測)に

注視しているはずだ、と。



その予測が例えば

自民党の候補者と
民主党のそれが互角となっていれば、

己が行って
支持する方に投票しよう、

その一票が結果に左右されるかもしれない、

と考える材料となる。




仮に自民党圧勝と予測される
選挙区では

逆に


<あぁ、ならば
 俺の民主への票は意味をなさないな>

と感じ、

わざわざ投票に行かないだろう。




その心理的な差異が、

各選挙区ごとの投票率に
反映されるのではないか

と感じられるのである。



例えば

福田衣里子嬢が
久間章生に挑む長崎二区は

相当

投票率は前回より
上がるのではないかと想定される。




一方で

ダモシの住む選挙区は
神奈川八区。

横浜市の青葉区と緑区を抱える。

先般も記載した通り
ここは
<神奈川都民>が多く住み
浮動票が多いとされるエリアである。


自民vs.民主という構図よりもむしろ

現職の江田憲司が
渡辺喜美が旗揚げした新党から
出てくることで、

その
みんなの党vs.民主

という構図にもなっている。


このエリアでは自民は無視だ。

江田か民主の山崎の二強激突
といった様相になっている。


直前の調査では互角のようで、

そうなると
個々の一票が
結果に影響を及ぼす可能性もある

ということになる。







とまれ、


己のアクションが
何の影響も及ぼさないことほど

人間にとって

そのアクションに対する
無意味感は募るものである。



だから、

ハナから
ダメだという候補者に入れる人は

よほどの理由がない限り

少ないだろう。




要は、浮動票。


ダモシも浮動票。



その浮動票が

勝負を決する一票になり得る
可能性がある場合においてのみ、

また
それが絡む選挙区のみ


投票率は上がる

と見るのが、

妥当であろう。











posted by damoshi at 17:27| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

神保町→皇居=Soho→Bryant Park?






ダモシは古本も好きである

ことは、

既に代々のダモログで記載している。



また、

ニューヨーク時代に
東京遠征でやって来た際には
可能な限り神保町の古書店街に
足を伸ばしていたことや、

そのレポートも

代々のダモログで掲載していた。



東京、神田神保町。

田園都市線と直結して
一本で行くことのできる
東京メトロ半蔵門線・神保町駅を下りてからの

一帯が

世界最大の古書店街である。




ニューヨーク時代もむろん、

ウィークエンドの
フリーマーケットはもとより

マンハッタン全域に点在する
古書店をはしごしたり

携わっていたメディアでも

<ニューヨークでブックハント!>
と題する

古書店特集を組んだ際には

スタッフで手分けして
ニューヨークの古書店を
ラウンディングし

インタビューなど取材をした。





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本には、
大枠で書籍と雑誌という二種類がある。

むろん写真集や美術書もあるが

大枠では

書籍と雑誌となる。


書籍の中では、
ビジネス書やハウツーものは
ダモシはまずもって読むことはない。


小説かノンフィクションもしくは
時代考証モノ、カルチュラル系。


雑誌はといえば、

己が年代ごとに好きなそれも変遷してきた。


ヤングボーイ時代は
まずはプロレス雑誌は欠かさなかった。

その他では、

中学・高校時代は
ホットドッグプレスにポパイ。

浪人時代は
メンズクラブ。

大学になるとカルチュアルになり、

米のエスクワイア誌の日本版は
欠かせなくなった。



雑誌は満遍なく目を通していたから、

90年代に入ってから
ニッポンの雑誌が総じて

パワーを失ったことにも気づき、

もはや読まなくなった。




写植版下時代の
パワーと意思のある
エディトリアル・デザインや、


読ませよう

面白いものを提示しよう

教示を含むものであるべし


という

雑誌メディア本来の
作り手の意思と意欲も


90年代を境に失われた。



テレビなどと同様に

<売るために>だけを考えて

雑誌づくりをするように
劣化していく様相は、

読んでいればすぐに分かることであった。



テレビはもはや既に死に、

雑誌も今や"売れない"ことが
さらなる理由になって
誌面のパワーを削いでいる。


カルチュラルな

何かを伝えようという
意思と意欲に溢れたメディアは

<売れない>

<お金がかかる>

という二律背反によって、

飲み込まれて行くことで
さらに彼ら自身から
モチベーションも消え失せ

文化を発信する
文化を創造する


という使命はもはや消滅したのである。




古書と一般的に言っても、

書籍
(小説やノンフィクション)よりも

雑誌の方が
よりその時代の息吹きを
感じさせるものとして

貴重な時代考証資料となり得る。





ダモシが古書店めぐりをする場合でも、

同じ三島由紀夫関係の書籍を
手にとる場合でも

訳の分からぬ評論家が執筆した評論よりも

<三島由紀夫と平凡パンチの時代>
などのような

時代考証が絡むものを選ぶわけである。







*****






小難しいことはさておき。



ニューヨークや東京のような
大都会の楽しみの一つには、

こういった
古書店街や古書店を
ウィークエンドの
オトナの遠足&お散歩でめぐり、

気に入った本を手に

洋食ランチをして

その後、緑のあるパークで読む

という愉悦に入ることができることでもある。





ニューヨークの場合なら、

世界最大の古書店
ストランド・ブックストアで

ゴッホやゴーギャン絡みの考察本を手にして、

その足で
オープン・テラスのカフェで
ブランチをする。


そして帰路の動線にある
ブライアント・パークあたりに立ち寄り

ちらっとそこで数十分読んで、

地下鉄で帰路につく。


帰路の地下鉄車内では
本を開くことはなく、

目を閉じて
インスパイアを受けている。




東京ならどうか。

今宵のコースがティピカルな例として
一つの示唆になるか。


神保町の古書街で気に入ったそれを
手にする。

界隈にはカフェやレストランは
多々ある。

洋食屋さんで早めのランチを摂り、

その足で、皇居へ向かう。
徒歩圏である。


皇居は、東御苑はガイコク人が多く
気分も穏やかになってくる。

そのベンチに腰掛けて
ちらっと本を開き、

帰路はそのまま一本で
田園都市線に飛び乗る、と。


やはり車中は目を閉じて

数少ない
ニッポンと東京から得る
インスパイアを絞り出す、と。



両者では心の充足度は
雲泥の差である上、

"ちゃんと"ウィークエンドは
ウィークエンドらしく
地下鉄は空くニューヨークに比べ、

東京のそれは
<これでは平日のラッシュと変わらんぜ、
 やれやれ…>と気分を害するわけで、

これもまた比較にならないわけだが、


それでも

<じぶんじかん>

としての、

心地よさはある。



願わくば

隣にニューヨーク・タイムスがあれば
うれしい

という世界である。







今宵も

奇妙な蒸し暑さとダークスカイで
じめじめ猛暑の東京。


神保町にて、ダモシ最近影。






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神保町古書店街は、

ひとりで
己のペースだけで
じっくりと歩くことが好ましい。



だが

ダモシはジュニアも伴ってのトライ。


ジュニアにも
こういうことを早くから
一緒に経験させておくことを選択した。




そしてワイフも同伴。


ワイフはこの秋から

ヘア・アーティストのみならず、

心理カウンセラーとしての
キャリアもスタートさせるわけだが、

昨年来の彼女の読書量と勉強量は
ダモシを遥かに超えている。



己のキャリアは一つのみならず。

その視点は大いに結構で、
あらゆる可能性を
可能性で終わらせるのではなく、

やりたいことがあるのなら

どんどんやった方が良い。



ワイフに対するスタンスは、

結婚以来
まったく変わっていない。



<どんどんやってくれ>と。

<好きなことに制限を設けるな>と。



ワイフにも
昨年ダモシは神保町を教えて、

一緒に出かけたりしていた。



今宵、

<神保町に行くか?>と問えば

ワイフも<行く>と。

そして
本を選ぶ、と。




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今宵のワイフの収穫。

斉藤茂太の本はダモシが薦めた。

単なる
精神医学の世界の人ではなく
旅行作家でもあった氏の
エスプリは、

心理的な領域のことを模索するに

別の切り口をもたらす。



精神医学や哲学系といった
学術書の類いから、

今宵選んだ種類に至るまで、

ワイフの本も増えてきた。


そろそろワイフ単独の本棚も

必要になってきそうである。





この、

ワイフの今宵の釣果に比べると

一般的にみれば
内容的にレベルが低いとも思われがちなものが

ダモシの今宵の収穫である。




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左から、


<東京人>
〜東京発の小さな旅/作家五人の競作紀行文

<週刊文春>(1974年9月2日号)
〜聖女・小野洋子に同行してみたら
〜これがマリリン・モンローの死体検案書だ

<週刊ファイト>(1983年11月29日号)
〜猪木・超人組、爆進
〜後楽園11.18詳報



ワイフのそれと比べれば

なんだこれは
というレベルとも見えるが、

そんなことはない。

立派な時代考証モノである。



中でも<週刊文春>。

某古書店は古雑誌専門店。
そこには
週刊誌からスポーツ雑誌まで
昔のものがたいてい揃っている。


ダモシが愛読していた
中高生時代の
ポパイやホットドッグプレスなどもある。



<週刊文春>などの一般週刊誌の
過去のモノを読めば、

あの頃のニッポンの文化や趨勢、
文章づかい、トレンドなどが
如実に理解することができるわけである。



<ほぅ、なるほど?>

<あぁ、なるほどね>


と。





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<世界同時公開>

<版権独占>

という扇情的なキャッチが並び、

見出しで
<マリリン・モンロー殺人事件>と
決めつけている。


こういう勢いとパワーが
昔は確実に存在していた。





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こちらも同誌面より、
<エマニエル夫人>の紹介。


"裸がたっぷりあっても反ポルノ"
というキャッチ。

エロティシズム文学の古典
<エマニエル夫人>の映画化の話題だ。


パリで大ヒットと記録している中、
この翌年に
ニッポンでも公開される予定であることが
報じられている。


まさに時代を感じさせる。






そして
ダモシ的にはノスタルジックな存在が、

<週刊ファイト>である。


プロレスをメインとした
新大阪新聞社という
妖しげなメディアが発行していた

伝説のタブロイド紙だ。


ダモシが在米中に
残念ながら廃刊となったが、

これを小学生時代から
ダモシは既に手にとっていた。



同じプロレスを扱っていた

当時(昭和40年代〜50年代)は未だ
マイノリティだった

東京スポーツ(東スポ)とはまた
異なる世界観の専門紙だった
週刊ファイト。


ダモシの中では

昭和40年代末期に
既に東スポはメジャーだったが、

ダモシの中でも
週刊ファイトは

<世間一般では超マイノリティであり
 ダモシの中でもマイナー>

という

アナログぶりがまた良かったのである。




子供ながら、

ダモシはこのメディアの
タブロイド紙という形態に
大いなる魅力を感じていたのである。


振り返ればそれは

欧米のメディア
(=タブロイドは普通)

に後年

日常的に接するようになった際に

違和感を覚えることは皆無だった
ということにも繋がるわけである。




<週刊ファイト>。

36年も続いたのが不思議に思えるほどの
スーパー・アナログ紙だった。


それはまた

写植版下時代の魅力であり

技術的なことのみならず
ペンを手にした作り手側もまた
アナログ的な激情や、

意思と意欲を持っていたことでの
魅力だったのである。




器用で、小綺麗。品がある。

こんなデザインは今や山ほど、ある。

デザイン性云々という問題は、
実は意思と意欲である。

センスはもとよりではあるが、

小手先が器用になった現代人と
Macがあるという利便性は、


広告にしても雑誌にしても同様に

作り手から
情熱や激情、意思と意欲を

削ぎ落としてしまったのである。




一億総デザイナー。

一億総ライター。

一億総カメラマン。


なんとも危うい時代になったものである。




ニッポンの文化は

明らかに年々レベルが下がっている。



昭和の時代のそれらと
今のそれを見比べれば

一目瞭然である。



それを感じられるのもまた

古書街めぐりの愉悦でもある。




オシャレで品がありキレイだが
そこに意思が感じられないもの





ベタだが
そこに圧倒的な意思のパワーが
見え隠れしているもの


では、


ダモシは忌憚なく後者を支持する。



"ベタ"。

これは失われてはいけない要素である。





忌憚なく"昔の本"には、

意思や意欲があった。

昔のクリエイティヴにはそれがあった。

言葉にも同様にそれはあった。


テレビもしかり、である。



今のテレビが
今夜のNHKを例にとるまでもなく、

昔の焼き直し
(昭和の名曲云々等)に

頼る

現代性が

露骨にそれを証明しているわけである。





ニッポン人が危ういなと感じる点は
枚挙に暇がないが、

文化レベルの低さは

以前から記載している通り

嘆かわしいわけである。



今もゴーギャン展として
東京国立近代美術館で

あの大作
<我々はどこから来たのか
 我々は何者か
 我々はどこへ往くのか>

の初来日が話題を呼んでいるが、


MLBやNBAなどと同じ

以前から
口酸っぱく揶揄していることだが、


ニッポン国内で

ニッポンにやってくる

世界の名作を、

大混雑の中で観たとて

それが何になる?


ということである。



口酸っぱく言っていることは、

<現地で観ろよ>
ということである。


ゴーギャンのその名作にしても
ボストンの美術館で
その現場の雰囲気の中で観るのと

うじゃうじゃ気狂いのような
大混雑と

美術鑑賞の場における
ジェントルマンズ・アグリーメントを
わきまえない輩の多いニッポン人が
わんさかといて

そのいずれもが

大いにその場で嵩張っている

という環境の中で観るのとでは、


作品に対する心理的なアプローチは

劇的に異なってくるのである。



それを理解せずに

<ゴーギャンのアレが来た!>
と興奮して、

でも

いざ行ったものの

まったくもって
じっくりと観る環境ではない

という
ニッポンの美術館の企画展の様相は、


はっきりと苦言を呈するが、


<意味を成していない>

<無意味>

<世界の名作に対する冒涜>

ということである。





そのあたりも踏まえながら、

どう

己の
じぶんじかんを

カルチュアルな対象と接し、

街を歩き

時間を遊ぶか

ということが、

インスパイアの面でも影響を及ぼす上、

己が心理的便益を合理的に満たす
方法

ともいえるのではないか、と。





まあ、いい。



むろん、人それぞれである。


大混雑の中で
観たのか観ていないのか
分からないという結果になっても

<その場に行った自分>

に悦に入る人もいよう。



MLBをニッポンで観て

<メジャー、観たぜ>
と悦に入るのと同じであるが、


それで良い

と思う人もいるわけだから、


それもそれで自由である。








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神保町古書店マップと
案内ブロシュア。

無料で神保町で配布されている。









*****







本を仕入れた後、皇居へ。


一年ぶりの
皇居東御苑をお散歩。


当地から写真を数枚掲載して締めたい。






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竹橋の平川門から。





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以前も記載したが、
江戸城が残っていれば…
と思う。

東京タワー以上の

東京の観光名所になったであろう。


江戸城はさすがに凄い。

いずれの
ニッポンの城においても

至近に高層ビル群があるものはない。

名古屋城は高層ビルが近くにあるが
江戸城と東京高層ビル群のような
切迫感はない。





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外国人も違和感なく
とけ込むことができるのが、

皇居東御苑や新宿御苑などの

東京のパークの良さである。

このまま
セントラル・パークにスリップしても

違和感は

ない。






0822c.jpg



0822b.jpg









:::::



<神保町古書街>

東京メトロ半蔵門線・神保町駅下車
徒歩約1分。

界隈がずっと古書街。




0822a.jpg


<皇居東御苑/江戸城>

東京メトロ東西線・竹橋駅下車
徒歩約3分。

神保町古書街から約10分。









posted by damoshi at 23:29| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

劔岳 <点の記>






久しぶりの
<ダモシの本棚から>カテゴリー掲載は、

先般
<映画>カテゴリーで取り上げた
この夏の映画<劔岳 -点の記->の原作小説。


山岳小説の雄・新田次郎の長編だ。



文庫本で362頁、

本編の後の
作家本人が取材のために
劔岳に登頂したことを記した部分が

42頁もある。



だが、長さは感じない。

そして飽きさせない。


映画も同様だが
こういったチャレンジングな所作を
取り上げたにしては

淡々と進行する。

劇的なパートが度々登場するわけでもなく、

読者を感激させようという
下心がない。




映画も小説も、

大人の作法が現れている。


ひとつにはそれは
主人公と
それをサポートする案内人の

明治の男の武骨さと無口さ

淡々と
己のミッションを遂行する
というスタイルがあり、


それを表現したからであろうか。





nittatsurugi.jpg





新田次郎と山岳小説。


多くのクライマーにも
影響を与えている作品が多いようだ。


ある雑誌の読者アンケートで

その新田次郎の山岳小説の中で
好きな作品を問うものがあった。


一位から四位まで順に、

<孤高の人>(舞台は槍ヶ岳ほか)
<劔岳 <点の記>>(舞台は劔岳)
<強力伝>(舞台は白馬岳)
<八甲田山 死の彷徨>(八甲田山)

となっている。



劔岳 <点の記>は二位に入っているが、

これは
アンケート時期と映画公開予定が
重なっていたという
時期的な関係性はあろうが、

それでも人気の高い作品であることには
違いない。


この中では

<八甲田山 死の彷徨>は映画は観た。

本も持っているが、
未だ読んではいない。




一位の<孤高の人>は、

新田次郎に限らず
すべての山岳小説の中でも

井上靖の<氷壁>などを抑えて
読者投票で第一位になるなど

圧倒的な支持を受けている。



いずれ読んでみたい。





映画の後に小説を読んでみたわけだが、

原作となっている小説を
映画化した場合、

古くは

<優駿>のように

いささか深みのない作品に陥るケースが
往々にしてある。


小説の奥深さを

約二時間という
時間軸の映画に集約するのは

難しいであろう。



この劔岳に関しては、

映画の後で小説を読んでも

映画に対する
深みのなさは微塵も感じなかった。


なぜなのか。



一つには、

映画が小説の進行に沿って
製作されているからとも考えられる。


すべてではないが、

台詞にしても

展開にしても

登場する人々も

アクシデントも

映画で見た流れと
小説が

ほぼ同じなのである。




これは、

映画が

小説の流れと進行を重視して
作られたことを示しているといえる。



キーとなる台詞も、同じ。


しかし微細な部分に
映画が見事な味付けをしていることにも

気づくのだ。




<ああなるほど。ここを、
 映画では、あのようにしたのだな。

 たしかに映画になれば、
 あのようにした方が良いな>


と感じられるのである。




小説としての<劔岳>も
もちろん面白いが、


小説を読めば、

より

映画<劔岳>の作り方の上手さが

感じられるという

レアなケースともいえようか。








本編終了後に延々と続く

作者自らの
劔岳登頂記ともいえる

<越中劔岳を眺めながら>

では、


本編で見られる
新田次郎の淡々とした描写と
変わりなく描かれているのだが、


それでもやはり

どこかで

己自身が登ったという
意識の高揚感は

文章の端々から滲み出ていて、

子供っぽさも垣間見せられる。



なにせ、

本編の後だけに
この登頂記がやたら長く感じられるのである。



それでも、

これだけの長編を仕上げたご褒美として
本人の登頂記を
長々と掲載するのもまた

良いだろうと思う一方で、


自身の登頂記に関しては

どちらかといえば
文字のみではなく、

ヴィジュアルも伴っている方が
ベターではないか

〜よりリアリティをもって伝えられる〜

とも感じるところであり、


ダモシは正直

この登頂記は飛ばし飛ばし読み

重要と感じられた箇所
(実在した登場人物のその後や
 子孫に聞いたその人物の実像など)



より注読したわけである。






:::::



<劔山 <点の記>>

新田次郎/1977年。



この年は、
王貞治が世界記録の756本塁打を達成した。








posted by damoshi at 02:45| ダモシの本棚から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

また<移動祝祭日>愛人ニューヨーク、来たる







飯田橋。



ジュニアと共に
地下の駐車場へと歩を進めていた時、

斜め背後から
人が駆け寄ってくる姿が視界に入った。


身構えた一瞬、

声がした。


<ダモシさん!>



目を向けるとそこに、
9年ぶりに見る顔があった。





1999年から2000年。

わずか
一年弱だったが、

当時ダモシがbelong toだった
オフィスに

ニッポンから研修で
短期間やって来たヤングボーイ(当時)。



当時ダモシは
三十路の青春たるニューヨーク生活の
二年目から三年目であり

三十代前半。

彼は二十代中盤だったと記憶している。



同じくニューヨークに
留学で来ていた彼の後輩も交え、

拙宅で
外で

酒を飲み、語り合った。



2000年、春。

彼は
ニッポンに帰国した。


最後の夜は、

彼が拙宅に遊びに来て、
当時ダモシが持っていた
PS2でサッカー・ゲームをして遊んだ。




以来、逢っていない。




<以来、逢っていない>

という
ニューヨーク時代の友人、知人は多い。


だが、

再会すれば必ず

あの
ニューヨークという地で
ガイジンとして暮らしていたことで生まれる


語る必要なく理解し合える

共通言語や通奏低音があり、

何とも言えぬ微妙なる感動が
押し寄せてくる。



端的にいえば、

<嗚呼…>という世界だ。



共闘したわけでもないし
愛し合ったわけでなくとも

再会すれば

いずれも
<ニューヨーク>という世界観が
通奏低音として響き渡るから、

そこで

ほとほと
何とも言えぬ感動が起こるのである。




ここで一つ。

症例がある。




ダモシを例にとって
分かりやすく書いてみる。




◇ダモシが、

A:
ニューヨークにいて、
ニューヨークからニッポンに
出張もしくは帰省でやってきて
ニッポンにいる友人知人と逢う時

B:
ニッポンに帰国してきて、
ニューヨークにいる友人知人が
ニッポンに出張もしくは帰省で
やってきた際に、逢う時

C:
ニッポンに帰国してきて、
やはり同じように
既にニッポンに帰国している
ニューヨーク時代に知り合った
友人知人と、ニッポンで逢う時

D:
再びニューヨークに行って、
ニューヨークに今もいる
ニューヨーク時代に知り合った
友人知人と、ニューヨークで逢う時



というパターンがあるとすれば、

A-B-Cは経験済みである。


そして
その
A-B-Cの場合それぞれで、

ダモシの居心地とマインドは
微妙に異なっているという症例がある
ことに気づく。




Aの場合。

この場合は、
ダモシから来ているから
逢う人側が受け入れ側になる。

ダモシも同じ
ニッポン人でありながらも

ゲスト的な世界観のマインドになると
同時に、

相手側も
<この人は海の向こうの人>
という背景マインドが
少なからずも存在する。


ダモシ的には
自らが来て、自らが去ってゆく
という

ダモシ本来的な姿が生まれる。

むろん、居心地は良い。

だが、
これもまた、むろん、
居心地は良いばかりではない。





B。

この場合、
ダモシにノスタルジーが生まれる。

己は既に

"足を洗った"
もしくは
"自らの選択で去った"
あるいは
"どこか一部には余儀ない部分もあって去った"

という

<愛人>への

"ないとは言えない"心残りがある。

そんな心象の中で
今もニューヨークにいる人が
やってくる。


あちらからやって来た。
ダモシは迎え入れた。

立場がチェンジするわけである。



むろん、居心地は良い。

ノスタルジーに居心地の悪さはない。

だが、
そのノスタルジーが"己自身"である



少し感じた瞬間、
その居心地は悪くなる。


俺は既にノスタルジーか、と。



やはりダモシには

己が行き、己から"やって来て"、

そして
己から去ってゆく

スタイルがメインであり
経験値も高い仕業である。






そして、C。


実はこれがもっとも
ノスタルジーを誘うものであると同時に、

時に

嗚咽や落涙をもたらしかねない

<愛人>ニューヨークがもたらす

悪の本性である。




安易に"戦争"を喩えにはできないが、

あえて言えば
前述のように
具体的な形で共闘しなくとも、

あの地に同じ時代を共に過ごしていた

という

時間軸と既視感があるだけで、

対ニューヨークという部分での
苛烈なる闘いへの視点で見れば、

共闘していたことになる。



ニッポン人として、である。



<あぁ、君もいたのだよ、あの時>

<君も闘っていたのだ>

と。


己自身の苛烈なる
ニューヨークとの闘いの毎日が
肌感覚で残っているから、

ある一定期間以上

ニューヨークにいて

同じ時代を過ごしていた

友人知人であれば、


<お前も大変だったな…>

<よく頑張ったな>

という意味でも、

共闘的意識が激烈に生まれるのである。




Cの場合、いずれもニッポンに帰国している。



再会の瞬間、


この
平和なる
緊張感のない
窮屈な社会性と国民性の母国で
過ごしている

お互いのNOWから、


瞬時に

あの頃の、

あの過酷なるも、

一方では
"唯一無二の絶対刺激の世界"
ニューヨークでの邂逅と、

共に過ごした時間の
シーンひとつひとつが

フラッシュバックで甦る。




戦場で逢い

戦場で別れた者同士が、

数年の後、

帰国した母国の路上で唐突に再会する。


この平和ボケな、母国の路上で。




まさに<君の名は>の世界でもあろうか。


焼夷弾降り注ぐ東京の中を
逃げ回って数寄屋橋に辿り着いた
名も知らぬ男女が、

半年というサイクルの可能性ごとに

数寄屋橋での再会を期す

というものだが、



その

<数寄屋橋>と<半年>という

約束のギャランティがあるかないかだけで、

実は

心のどこかで
連絡先も分からない

ニューヨークで知り合った
友人知人と

ニッポンのどこかで

不意に再会し得る可能性は、

常に
無意識のうちに
模索しているのではないか、と。







それにしても不思議だ。


このCのパターンにおいては、

いずれも
ダモシから気づいて
ダモシから発見して
ダモシから声をかけた

というケースが

一度もないのである。



先月も同じことが発生して
当欄に掲載したが
(米国大使館での再会)、

あの時も

向こうから


<ダモシさん…>

と声をかけてきてくれた。




ダモシは

まったく予期せぬときに

不意に

移動祝祭日にして<愛人>ニューヨークに

常に襲われていることになる。



とすればこれは、

何かのサインではなかろうか、と。



ダモシが思慕しても
愛人が何も思わなければ
何も生まれない。


ダモシの思慕とは別のところで、

忘れた頃に

<愛人>は
己の存在感をアピールして

何かをおそらく伝えるために

移動祝祭日となって常につきまとう。



明らかに

あちら側から
何かを仕掛けて来ているとしか

思えないのである。




話は逸れたが、

そのCパターンの今宵。


やはり
彼の顔を見た瞬間、

込み上げるものがあった。

ジュニアも一緒だったこともあり
長時間話は出来なかったが、

握手して抱き合いたかった。



その心理的背景には、


<生きてて良かった。
 また逢えて、良かった>


ということである。




礼儀正しい彼は、

<ニューヨーク時代、
 ご迷惑ばかりおかけしたにも
 関わらず、
 
 その後、ご挨拶が出来ずに
 申しわけありませんでした>

と詫びたが、

ダモシは
そんなことは
これっぽっちも気にしていない。


むしろ、

彼が
今も元気でこうして生きていたことを
知ることができて

何よりも嬉しい気持ちになったわけである。





9.11テロ数日後に
ニッポンに出張したダモシが、

9.11前後を
マイアミとニューヨークで共に過ごした

ニッポンからの
クライアントの夫人と

六本木の
チャイニーズ・レストランで再会した
瞬間に

落涙しそうになって
感じ得た

<生きてて良かった。
 また逢えて、良かった>



Cのパターンは、

ほぼ同じマインドになる

ということである。






むろん

名刺も交換して
連絡先も記し合い

早速
メールをやりとりした。


これでまた

ニューヨークという<愛人>
を軸として

二人の関係性も再開するのであろう。







未だにないパターン。

それは
言わずもがな、Dである。


ダモシが再び

<愛人>と抱き合うその時に、

ニューヨークにいる人と
ニューヨークで再会するケースである。


そのときのマインドはどうなるか。

これは
そのときになってみなければ

分からない。


だが、

想定では、

このパターンがもっとも
ダモシが感動するということであり、

もっとも
エモーショナルなパターンになるであろう

ことも

想像に容易いわけである。






いつ、それを選択するか。

いつ、それがやってくるかではない。

いつ、ダモシが踏み込むか

である。








*****







上記のいずれのパターンにも

当てはまらないケース。


それも今宵、あった。


毎年
ニューヨークにいるダモシのもとを

夏に訪れて来ていた後輩。


その後輩は、

ダモシ軍が
ニューヨークを去ってからも

米国内をめぐる中で
必ずニューヨークにも
足を伸ばしている。


今年の彼の
毎年好例の米旅行が終わった。


彼が仕入れて来てくれたお土産を
受け取るために

逢ったのが

飯田橋だった。



彼としばしの歓談が終わり、

別れた直後に、

前述した
ニューヨーク時代の友人が

駆け寄って来たのである。




ダモシは一期一会という言葉が嫌いである。

一期一会ではない
と思っているからだ。


一期一会ではない。

そうではない。
断じて、そうではない。


一期一会ではなく、

人生すべて予告編であり

人生はメビウスの輪である。






最後に、

後輩からの
<ニューヨーク土産>と共に。





nymiyage1.jpg



好例のアバクロ。

左はジュニアのポロシャツで
右のブラックがダモシのポロシャツ。


後輩は
飯田橋で逢うなり開口一番、


<XLで大丈夫ですかね…>と笑う。


彼はワイフにメールを送ったようである。

<また大きくなってませんか>と。

ダモシがまた
大きくなったのではないか、

だから
XLでもダメなのではないか、と。


帰宅して
アバクロのポロシャツのXLを着てみると

彼の懸念通り
ピチピチだった。


彼はダモシにメンションしていた。


<ヤバイですよ。
 あっちのサイズでXXLしかダメなら、
 危険すぎますよ>

と。


まったくもって、トホホである。

米サイズのXLですら
ピチピチになってしまうとはいったい、


なにごとか。



この他アバクロ関係は、

ジュニアの冬用の
フリース・パーカー、

ワイフのトップス

を購入してきてくれた。






nymiyage5.jpg


これもまた好例の
ダモシ軍大好物のブルーチップス。


ニューヨークが甦ってくる代物。





nymiyage2.jpg


ジュニアのリクエストだった
スティッチのぬいぐるみ。

さすが、米。

ぬいぐるみも大きい。

これが良いのである。






nymiyage3.jpg


今回ダモシは

<ベタな土産モノ>も意図的に頼んだ。

いわゆる
五番街などの
スーベニア・ショップで売られているような
土産モノである。

I LOVE NY関係モノ

自由の女神像

などを仕入れてきてくれた。





そして、ダモシ涙モノは

まさに
ニューヨーク時代が甦る

ニューヨーク・ポスト

ニューヨーク・タイムス

USA TODAY。




nymiyage6.jpg



嗚呼、たまらない。

涙モノである。

オフィスにbelong toしていた時代、

毎晩
レキシントン・アヴェニューから
地下鉄で
クイーンズに帰宅する車中で

読んでいたのが

ニューヨーク・ポスト
(真ん中)である。


ニューヨーク・ポスト紙の"ベタさ"が
どうにもこうにも
たまらなく愛おしかった。



毎週サンデー・モーニングは必ず読んでいた

ニューヨーク・タイムス。


もう、ほんとにたまらない。

今夜、じっくり堪能したい。

今も願いが叶うならば、
毎日これらを読みたい。


ドラえもんがいたら

頼みたい。


<毎日、夕方から夜にかけて
 ニューヨーク・ポストを届けておくれ>

<日曜の朝は、あの分厚い
 ニューヨーク・タイムスを
 届けておくれ>


と。



否、



<サンデー・モーニングの数時間、
 僕をニューヨークへ
 連れていっておくれ。

 僕はデリに行くでしょう。 

 そしてコーヒーと
 ニューヨーク・タイムスを買って

 セントラル・パークに行くよ>


と。





ニューヨークを去る時、

あえて

<さらば、愛しのヤンキース>宣言した。


苦しいから、そうした。


しかし

今も

こうして

ニューヨーク・ポストを手にすると、

最初にすることは
スポーツ面を開き

MLBの結果面と順位表を追いかけて

真っ先に
ヤンキースの順位を探してしまう

己に、

今夜

気づいた。





まるでそれは、

別れた愛おしい人を

想い探すようなものである。



ふだんは閉ざして、消し去って、

今を生きている中、

こうして

憎い<愛人>は
移動祝祭日となって

度々、忍び寄るのである。







単純なことだ。


たとえば

読売新聞や朝日新聞や
日経新聞を読んでも

面白さを何一つ感じない。


だが、

何年も続けても

そして
今も

米の新聞は
刺激で一杯である。






ニューヨーク・ポストの
ある面に、

ニューヨークの
ここ数日間の暑さを
伝える記事が掲載されていた。




<A Heat Wave>という見出しで

<New Yorkers find ways to stay cool.>
ろいうリードが続く。

訳すまでもないだろう。


そして気温が
いつもながら絵で示される。



TODAY 95° Sunny
TOMORROW 91° Cloud, t-storm

と。

t-stormは
サンダーストーム。


夏のニューヨークでよくある事象だ。




米移住初期の頃、

オフィスにいるダモシのもとへ
コンピュータとメールを
始めたばかりのワイフが

毎日メールを送ってきた。



メールの表題つまりタイトルは

いつも


<気温80°>などという

華氏気温が書かれていた。




今宵、

この記事を見ながら
ワイフとその話で盛り上がった。


<あの頃、いつもメールのタイトルが、
 気温だったな>

とダモシが言うと、



<当時、英語で分かるのが、
 ニューヨーク1(テレビの局名)の、
 アレだけだったから>


とワイフは笑った。




ニューヨーク1というチャンネルでは
常時、

ブラウン管左下に

時刻表示と共に

華氏温度が映っていたのである。






ny1.jpg










posted by damoshi at 22:16| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダブル指定のベスト9






・国特別名勝

・国特別史跡



これは、

前者は
<庭園,橋梁,峡谷,海浜,山岳等の名勝地で
 我が国にとって芸術上または鑑賞上
 価値の高いもの>

後者は
<貝塚,古墳,都城跡,城跡,旧宅等の遺跡で
 我が国にとって歴史上または学術上
 価値の高いもの>

として
文化庁が指定したものであり、

その中でも特に
価値の高い存在を、

特別名勝、特別史跡として
認定している。




前者の代表例は、


十和田湖および奥入瀬渓流(青森県・秋田県)  
兼六園(石川県) 
上高地(長野県)  
一乗谷朝倉氏庭園(福井県)  
虹の松原(佐賀県)  
富士山(山梨県・静岡県) 

など。




後者の代表例は、

中尊寺境内(岩手県)
日光杉並木街道(栃木県)
尖石石器時代遺跡(長野県)
登呂遺跡(静岡県)
本居宣長旧宅同宅跡(三重県)


など。




そして、

この
特別名勝(29ヶ所)と特別史跡(60ヶ所)
という二冠を同時に頂く存在が

9つある。




いわばこれは、ダブル指定のベスト9。


ベスト9は以下の通り。


京都勢から

鹿苑寺(金閣寺)
慈照寺(銀閣寺)
醍醐寺三宝院

奈良は
平城京左京三条ニ坊宮跡

広島が誇る世界遺産
"厳島"

岩手の毛越寺庭園

福井の一乗谷朝倉氏庭園

東京は浜離宮。

そして最後が
これも東京は、小石川後楽園。





<オトナの遠足&お散歩>

国特別名勝&特別史跡ダブル指定の
小石川後楽園。






kouraku8.jpg







*****






東京・飯田橋。

隣は水道橋。
至近に巨大な東京ドーム。

大都会のど真ん中にある
回遊式筑山泉水庭。




時は、江戸時代初期1629年。

水戸徳川家の祖である頼房が
その中屋敷として造り、

二代藩主・光圀の代に完成を見た庭園。


光圀は
明の遺臣のsuggestionを取り入れ、

円月橋や西湖堤など
チャイニーズの風物を導入。



<天下の楽しみに後れて楽しむ>という
根本的なイズムを反映し、

後楽園と名づけられた。





まさに水戸黄門ゆかりの大名庭園である。




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冒頭の写真と同じく、
<大泉水>。

小石川後楽園のセンター・ステージ。

蓬莱島と徳大寺石を配備。
景色の表現モチーフは、琵琶湖。


その昔はここで舟遊びが興じられたという。







*****






kouraku3.jpg



まさに錦帯橋や眼鏡橋を想起させる
アーチ橋は円月橋。


水面に映る影満月のように見えることから
命名された。




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engetsu.jpg



engetsu2.jpg






*****






kouraku2.jpg



京都にあるものと同姓同名の、渡月橋。





kouraku9.jpg


内庭と橋。

水面に反射しているものは東京ドーム。


水戸藩の書院の庭として
存在していた場所。


江戸時代には
<うちのお庭>と呼ばれていたという。

姿は当時のまま。


しかし
景観は異なる。

東京ドームが眼前に屹立しているからである。




moridome.jpg




ちょうど東京ドームの裏に
この小石川後楽園はあり、

水戸黄門と東京ドーム、ゆうえんちの
時代を超えた交錯がまた粋だ。

それは
江戸四百年浪漫の
見事な景観である

<浜離宮 x 汐留スカイスクレイパー>の
400年という月日を超越して
スイングする景観の妙にも繋がる。





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kouraku5.jpg



kouraku1.jpg





そして、

蒼井優や宮崎あおいなどのような
"森ガール"が喜びそうな

森。



mori.jpg






オトナの遠足&お散歩としては、

静寂の中で
ゆっくりと歩くなら60分。

大都会の中にある静寂だからこその、妙。








:::::




<小石川後楽園>

国特別名勝/国特別史跡

入園料200円

JR飯田橋駅から徒歩約5分。





kokuraku9.jpg












posted by damoshi at 18:39| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

お盆休みとは…






昨今ニッポンも
欧米のように
挙国一致の夏休みではなく
分散して取得する傾向も増えているとはいえ、

それでも

<お盆休み>という名の

大型連休は、

・高速道路は大渋滞
・海での事故



今年も多発したようである。



むろん

ダモシは
そういう挙国一致、"皆で渡れば怖くない"を
避けているわけで、

このお盆休みも

ハナから分かっている
高速道路の大渋滞には関与しなかった。




そもそも

<お盆休み>に"帰省する"という概念がない。


それは
ダモシに限らず
東京ネイティヴが持ち得る逆説であろう。



東京から

東名高速
中央フリーウェイ
東北自動車道
などの高速道路や、


東京駅からの新幹線

羽田空港からの飛行機。



それらを用いて
己が故郷であるローカルへ
一時帰省する。


これらがいわゆる
一般ゼネラルの多数決の感覚における
<帰省>である。



大阪ネイティヴが大阪に
東京ネイティヴが東京に
それぞれ在る実家に帰ることは、

帰省とは言わない。



そして

ニューヨーク時代も

あまりにも遠いから
わざわざお盆だからといって

ニッポンに帰省してくることも
一度もなかったダモシである。



那須という
ワイフのホームであり
絶好の避暑地はあるものの、

そこにも
そもそも拙宅があるからして、

そこにお盆に行くことが帰省にはならない。

ただただ、
オールウェイズ
気が向いた時に静養に行くという世界である。





こんなだから

98年以前の<本妻>時代も今も
ダモシは常に、

ニュースから流れてくる

帰省ラッシュの映像に失笑し
ブツブツ文句を述べるのである。



<混むと分かっているこの時期に、
 わざわざ帰省して
 何が楽しいのかね>


と。



<まあまあ、皆々様、悠長なことだね…>


と。





ダモシなんぞ、

例の世紀の愚策
"ETC搭載車オンリー1,000円乗り放題"に
激怒し、


こんな差別的な施策はない

と断じている上に、



こんな阿呆な愚策をやるならば
ETC搭載車のみ大渋滞にハメて

非ETC搭載車や仕事ユーズのトラックなどだけに
左車線を空けておいて
そこは渋滞ナシにするか

あるいは
そこも時速70km以下でしか
走行できないほど混んだ場合は
高速道路料金を返金する

などの処置を採るべきであり

それでこそ不公平は解消されると

本気で思っているわけだからして、



ニュース映像の中の
高速道路の大渋滞にハマっている
皆々様の姿を目にするにつけ

性格悪く

"ざまをみろ"

と感じてしまうわけである。





楽をして

金銭的スペンドも少なく済んで

楽しいお盆休みを
故郷で過ごしたならば、

大渋滞にハマるくらいの苦も享受せよ

と。








車を用いての旅は、


・GW
・お盆休み
・通常の土日
・この秋のGW

などは

絶対に避けて、

いずれも

・ウィークデイ

に挙行すべし

というのが、ダモシの観念である。




エコエコと騒いでいる連中が
こぞって大混雑すると分かっている
連休などに車で高速道路に乗って
ニコニコと出かける様を見るにつけ、

本末転倒のような気がしてならないわけである。




民主党政権になって、

一刻も早く

高速道路全無料

を実現して頂きたい。


そうすれば
それこそ真のエコの一環にもなろう。






とにもかくにも

お盆絡みのニュース映像で

この何十年相変わらず変わらない

例の映像





お父さんが映り

<明日から仕事です…>とボヤく
情けない顔、



子供が映り

<川や海で遊んで楽しかったです>

という
当たり前すぎる
まさに"言わされているのでは?"
と思えなくもない不自然な顔



などなどを目にするにつけ、


ご苦労なこったな

と嘲笑してしまうダモシが

ここにいるのであった。




お父さんたちはさぞ疲れたであろう。


だからといって

さも
あぁ困ったという風情をアピールしながら

<明日から仕事です…>

とボヤくのはやめてはいかがか。



本心では、

(<たいした仕事もないし、
  でも会社行く方が落ち着くし。
 
  会社帰りはいつものように
  飲みに行って>)

などと、

どうせ思っているのであろうから。





こういう皆が皆

ハッピーであるかのように
装う絶好機であるのが

<お盆>である。



メディアの功罪は大きい。



その間にも

失業率は相変わらず高く

新型インフルエンザとて油断はならず

様々な問題を抱えているがゆえに
実家に帰省することも出来ない人もいる

という

その他もろもろ含めたシュールな世界は

蔓延しているわけである。





"松岡修造が消えたと思ったら
今度は織田裕二"

というムードと同じで、

彼らのような
暑苦しさと騒がしさと
バカっぽさはないものの、


お盆休みに"帰省"した人々を目にするにつけ

何か違うのでは?

と思ってしまい、

ひとこと言いたくなるダモシである、と。






世間的にはお盆休みではあったが、


ダモシにとっては
単なる一つのウィークエンド。


土曜は終戦記念日で靖国へ行き、
ファミリーで
東京クルーズして銀座でランチし、

今宵は
またしても対コドモの世界観で

いわゆる"市民プール"へ出かけ

粛々と
普通のウィークエンドを過ごしたところである。





天下の天の邪鬼ダモシは、


次なる旅の標的もまた

連休や
普通の土日とは無縁の世界観で

構成しようと

計画しているところである。




人がいなければいない方が良い。

道は混んでいなければ混んでいない方が良い。


そういう方向へ常に
頭を持っていくことでこそ、

己がこころの充足は得られるのである。


なぜならば、

無駄な時間的スぺンドを回避でき
己の計画通りに
旅を進められるからである。


不可避なアクシデントや
想定外の事象による時間的スペンドは
歓迎するが、


予期し得る


渋滞や

人がうじゃうじゃいることなどでの

無駄な時間のスペンドは

回避し得るわけである。





乗車率150%の電車や

渋滞50kmの高速道路なんぞ

絶対に拒否する

というのが、

ダモシの決めごとであり

それは徹底して回避するというのもまた
ダモシのルールである、と。








*****






お盆休み? So What?

のダモシが撮った、

普通のウィークエンドの今宵の
Always 246の夕陽をお届けしたいところである。





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always2.jpg







まだもう数日、

甲子園はある。



そして
この夏は月末に選挙がある。




今年の夏は

どうやら
8.30までは続きそうである。














posted by damoshi at 21:16| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東京ぶらぶら〜TOKYO CRUISE







真夏の大東京。

広がる青空にスカイスクレイパー。

水の音に
心地よい潮風。


穏やかなるも
都会の息吹きを感じられる
景観に出逢える時間。




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そんな愉悦に浸ることができる

ウィークエンドのブランチ前のひととき。


それが、東京クルーズ。


浅草から日の出桟橋までの約40分間、
¥760の豪華な航海。







*****






そのボヤージュの
メイン・テーマは

<東京観光>である。


それは
ニューヨークの
イースト・リバー・クルーズや

スタッテンアイランド・フェリー
などにも通ずる。



東京ダウンタウンの
浅草を起点に

JR山手線でいえば

上野
東京
有楽町
新橋
浜松町

ラインを往く。


進行方向の左手を見れば、

台東区
江東区
中央区

を進み、

エリアでいえば

国技館や江戸東京博物館、
清澄庭園、月島・佃を経て

汐留、晴海、お台場へと至る。



メイン・テーマたる<東京観光>を

隅田川と
そこに架かる橋に

フォーカスをあてて回遊する。



それが東京クルーズである。






隅田川。

言わずと知れた
神田川、荒川と共に
東京を代表するリバー。


そこに架かる一連の橋梁群もまた
カルチュラル&ヒストリカルな要素に溢れ、

古今

多くの文学や文芸の題材として
取り上げられてきた。





今宵、

この東京クルーズを

ダモシの
テーマの一つでもある<橋>と絡めながら


進行時系列順に紹介していきたい。









*****








始発点は浅草。

浅草と橋といえばもうこれは
誰が何と言おうと


<吾妻橋>。


赤い欄干と低い背が特徴。





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夏目漱石<吾輩は猫である>
堀辰雄<水のほとり>

その他で登場。


浅草寺側には神谷バー、

対岸には
アサヒビールの"うんちビル"がある。




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次は<駒形橋>。



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ブルーのアーチ橋は、

芥川龍之介<本所両国>にも登場。

"駒形どぜう"の地である。





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続いて<厩橋(うまやばし)>。

緑の微妙な色合いが特徴。






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イエローが特徴は<蔵前橋>。

両国に
新国技館が出来る前は

この蔵前に国技館があった。


その名も蔵前国技館。


少年ダモシもこの蔵前に
何度もプロレス観戦で足を運んだ。


その際に渡った橋がこの

蔵前橋である。



ダモシ世代はぎりぎり
未だ国技館といえば蔵前
というイメージを持っている。

蔵前国技館を思い起こすとき、

必ずこの黄色い蔵前橋も
同時にセットで思い起こすのである。







隅田川もここまで進んでくると
JR総武線のラインにたどり着いてくる。


JR総武線の鉄橋の下を流れる隅田川。

その直前に
左手を見れば両国国技館が視界に入る。




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国技館を過ぎてすぐ、

JR総武線の鉄橋をくぐることになる。





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これを過ぎれば次の橋、

<両国橋>が現れる。



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松尾芭蕉<奥のほそ道>で名高い
千住大橋に次いで
この隅田川で二番目に架けられた橋。




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首都高6号向島線へ連なる
両国ジャンクションも見える。






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次は<新大橋>。


右手に日本橋浜町<明治座>を擁する。


現在の新大橋は
そのポスチャーに大きな魅力はないが、

歴代のそれは見事なものだった。


新大橋といえば

あのゴッホが模倣した
安藤広重の傑作浮世絵
<おおはしあたけの夕立>が

まずは何よりも想起されるであろう。



旧・新大橋は、

ダモシ絶賛ミュージアムとしても
名高い

愛知県の明治村

に移築保存されている。






この新大橋を過ぎると右手に、

昨年当欄に掲載した
松尾芭蕉の記念庭園がある。


エリア的には深川・清澄となり、

ここは
ある意味で芭蕉のホームであり

<奥のほそ道>への
出発点でもある。



この件を含めて
オトナの遠足&お散歩として
当欄昨夏に掲載した
"新版<江戸深川・芭蕉めぐり>"

へのリンクは以下となる。



http://damoshiny.seesaa.net/article/104062462.html









*****







松尾芭蕉、深川、新大橋

とくれば、

隅田川に架かる橋の中でも
その流麗なポスチャー美では
ナンバー1ともいえる橋


<清洲橋>が登場する。




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昨夏も掲載したが、

実に素晴しい清洲橋。


ドイツのケルン橋をモチーフにした吊り橋。

今や
国の重要文化財。



左手に清澄庭園、

正面に間もなく
首都高の箱崎ジャンクションが登場する。





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その箱崎ジャンクションにつながる

味気ない高速道路橋は、<隅田川大橋>。


しかし
この橋を左手から渡れば
そこは日本橋の水天宮前。

水天宮前といえば、

ダモシとワイフの
ウェディング・セレモニーが
開催された


ロイヤルパーク・ホテル

がある。



・箱崎ジャンクション
・水天宮
・隅田川大橋
・ロイヤルパークホテル

もまた、

ダモシにとっては
欠かすことの出来ない
キーワードである。






この"味気ない橋"隅田川大橋を挟んで

清洲橋と

真っ向対峙する名橋が

ヒストリカルな要素満載の<永代橋>。




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夜のライトアップで映える
ブルーと、

優しいアーチ・ポスチャーがひと際
衆目を集める。



これもまた、国の重要文化財。



永代橋といえば赤穂浪士。


両国の吉良邸で討ち入りした後、
赤穂浪士は
泉岳寺へ凱旋するわけだが、

最寄の橋である両国橋を
渡ることを拒否された。


隅田川沿いを
ここで掲載した順列で歩いてきて

この永代橋の前で休息をとる。


その後、

永代橋を渡ることで
隅田川を越え、


中央区新川

(駅でいうところの茅場町)

へ入るのである。








*****








清洲橋

永代橋

という国の重要文化財が持つ
ヒストリカル性高い

二大メインイベンターを通過すると
出てくる
二つの橋は、


新しい橋である。





90年代初頭に完成した
<中央大橋>と

60年代中盤
東京五輪に合わせて架橋された
<佃大橋>。




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(中央大橋)



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(佃大橋)




特に前者は、

いわゆる中央区の隅田川寄りである

新川と佃という
新しいニュータウン
(リバーシティ21高層アパートメント群)
の間にある

ニュータウン用の橋といえよう。




後者の周辺にも
月島の中のニュータウンや

右手側には聖路加国際病院と
そのタワーである
聖路加セントルークス・タワーを擁する

聖路加の本丸
<セントルークス・ガーデン>がある。




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(セントルークス・タワー)。





この佃大橋にも想い出がある。


98年以前の<本妻>在住時の
広告代理店時代に

ダモシの
メイン・クライアントの一つが

このエリアにあった。


銀座・新富町から月島へ。


毎日のように
そのクライアントのオフィスへ
顔を出す日々の中で、


幾度となく歩いた橋が

この佃大橋である。



時に後輩と、

時に夜遅く一人で。


この橋を歩いて新富町側へ出た
川岸で、

弁当を食べて休憩したものである。








*****






そして

隅田川に架かる橋の中で


清洲橋、永代橋と共に

国の重要文化財に指定されている
ベスト3の最後は、


<勝鬨橋>。





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ここは異国か?

と錯覚するような
西洋的な芸術性と

ムーディな佇まいでは

ピカイチであろう。




ここもまた、

前述したクライアントのオフィスに行く際に、

車を利用していた時には
佃大橋ではなく

この勝鬨橋の方を必ず用いていた。



車の場合、

銀座側から走ってくると
佃大橋よりも
勝鬨橋の方が

利便性が高かったからである。









*****







勝鬨橋を最後に、

隅田川は東京湾へと流れ出る。



その直前、

勝鬨橋を過ぎて

右手には浜離宮
左手には晴海が姿を現す。

さらに進めば東京湾にお台場。




勝鬨橋の方を振り向けば

隅田川が
名残惜しそうに
見事な景観を見せしめる。



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その景観に後ろ髪を引かれながらも

我々航行者の目は
浜離宮と
その向こうに広がる

大東京の景色に奪われるのである。






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東京タワーに六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、

そして
汐留のスカイスクレイパー軍団。

手前には"江戸四百年浪漫"浜離宮。


錚々たる面々が航行者に姿を見せる
至極の瞬間。





主役はむろん、東京タワー。




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そこに富士がある景観と同じで、


東京タワーは
ニッポンの中でも最高格の存在である。







クルーズは、日の出桟橋で終了する。

望めばむろん、お台場まで行くことができる。




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お台場のレインボー・ブリッジと
フジテレビを遠望。







40分。

隅田川を航行する

粋な航海として外国人観光客や
ローカルから来たニッポン人観光客に
人気の高いアトラクション。



それが、東京クルーズ。



ダモシのような東京ネイティヴでも

存分に
東京再発見で堪能することができる

ウィークエンドの

ちょっとした
オトナの遠足&お散歩として

活用価値が高いと認められる。








:::::






外国人観光客には
うってつけの東京観光の
エントランスになると思われる。



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船の中でダモシ&ジュニア。



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今宵は
銀座のレストランでランチ。



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米のように
オープン・テラスでイタリアン。

ダモシも
昼から大好きなジントニックを飲み

ジュニア共々ご満悦と相成った次第である。









posted by damoshi at 01:24| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

考察/ラブ&ピースとは何ぞや〜終戦64年目の夏、ヤスクニ景色




ニッポンの終戦記念日に、

米生まれの米国籍を持ち
米を本妻とするとはいえ、

ニッポン人でもあるジュニアを伴い、

ダモシとしては通算二度目、
終戦記念日としては初となる
靖国参拝をした。


一昨年、
ビジネス・トリップで訪れた際に
初めて参拝した靖国。

そして
2009年の終戦記念日の今宵。



大きな違和感を覚えた。


靖国の景色の中にいる人々と
その佇まいに違和感を覚えたのである。







*****






そして、NHK。

ちょうどいま放送していたが、
時々プログラムされる討論番組。


今宵最初のテーマは、

北朝鮮に対して

A/対話を続けることが重要
B/防衛力を強化することが重要

を二者択一。


ラブ&ピース論者はむろんAを選択。



このNHKの一般視聴者登場の
討論番組には
いつも見ているとブチ切れてイライラして
席を立つダモシだが、

今宵も最初のテーマでブチ切れて、

ブラウン管の中のラブ&ピース論者の

よゐこ

ぶりを怒鳴り、

席を立った次第である。




この方々は

異国で暮らした経験はないだろう。


そして

同一民族でさえ
対話の成り立たない相手もいるのだ
という経験もないのであろう。


対話の成り立たない相手や
心理的な意味での共通言語を
持たない相手がいることを

知らないのであろう。



北朝鮮相手に<対話>が成り立ち、

<対話>だけで物事が解決するのなら

とっくに

あらゆる問題は進捗を見せているだろう。



<対話>が既に成り立たない相手である

ことが分かった上で、

ではどうするのか?

ということを話し合っているのに、



<やはり対話を続けていくことが重要>

だの

<コドモたちは一生懸命に平和を目指して
 努力している>

だのと

理想論をぶる。



ダモシは
徹底的に、性格的にも

この<理想論>という代物が大嫌いである。


理想論で
社会や学校や家庭がすべてうまくいくのなら

人生という機微の面白みも何もなくなる。


理想論と現実は違うという前提のもとで、

ではどうするのか?

では、
そんな中で己の夢は何なのか?

己の夢を現実に引き寄せるダイナミズムを
己自身で持てるのか?


というレベルでこそ、

あらゆる対話やディスカッションは生まれるわけである。




理想論やラブ&ピースありきの議論は

意味をなさない。



そもそも

ニッポン人同士でさえ
違和感のある者は多々ある。

誰でもそうだろう。


すべて遺伝子も性格も生き方も異なる

人間同士が、

同一民族でさえ理解し合えないのに、

他民族同士で理解し合えるはずが亡い

という

<絶対的に持っておくべき前提>

から、

まずは入っていかなければならない。




そこで諦めるのではなく、

そういう負の前提の上で対話をして

それでうまくいけば
理想論を超越したリアルな世界観が構築される。



そもそも無理だ、と理解していれば、

では
無理ならば方法を変えよう

という新たな努力を創出することになるのだ。



仮にイラクが核を持っていて
強力なるオフェンシブなパワーを
持っていれば、

あのときのブッシュ米は

容易にイラクを攻めることは
しなかったであろう。




要するに

肉体的にも精神的にも弱ければ

相手に攻める材料を与えることになる

ということである。



心身ともに強ければ、

それが威厳と抑止力になる。



それは国同士のみならず

学校などの狭い社会でも共通する
強者の論理でもある。



ニッポンほどお人好しの国はない。

自らの国を
自らの力で守ることもできない

弱者。


それがニッポンであり、
己の手で守ることができる
心身両面での強靭な防衛力を持っていれば、


北朝鮮に

ここまでナメられることもないのである。






いつまで

米にオンブにダッコでいるのか

という極論だが、


あんな低レベルの国家である
北朝鮮相手に

核の脅威だの何だのと

議論していること自体が情けない。



ニッポンに強者のロジック



オフェンシヴなディフェンス力

があれば、

北朝鮮なんぞ相手にする必要もなくなるのだ。



ニッポンも核を持て

と言っているのではない。



もっと単純なことで、

<ナメられないようにすることが重要だ>

と言っているわけである。




ほとほと、

毎度毎度、

井の中の蛙の
ラブ&ピース論者には腹が立つ。


どんな相手にも対話で済むと思うのならば、

一度で良いから
世界へ出て

各国の人を相手にビジネスや
日常生活をしてみると良い。


超絶レベルで

口ぽかん級で

そもそも論という部分での

根本的な人間の考え方
(それは善悪の区別含め)が

民族によって異なることに気づくはずだ。




他者を傷つけることが
悪いことだと思っていない民族や、

地下鉄の中で
オシッコをして平然としている民族、

八百屋の店頭の果物をつまみ食いして
何とも思わない民族

などに対して、


<それは悪いことなのだよ>

<そういうことはやめましょうね>

と諭して、説教して、対話して

理解されて

相手が<ゴメンナサイ>して
二度とやらずになったり、


すべてが対話で済むなら

世界はもっと簡単だ




厳しく

ラブ&ピース論者には言っておきたい。





強者同士は闘わない、という。


強者に対しては
相手も攻めてこないものである。



異国においても

ひ弱でビクビクして歩いていれば
路上で襲われたり
モノ盗りに遭遇してしまう。

<強そうだな…>と思われれば

相手は攻めてこない。



こういう基本的なことを

ラブ&ピース論者は勉強すべきである。




コドモ云々だの

もう二度と戦争は…だの

平和な世界を作るために…だの

キレイごとはいくらでも言えるわけである。



そういった理想論は、

もっと地に足をつけた現実を理解した上で

<では、どうすれば良いのか?>

というレベルにおいてこそ
言うべきことである。







まあ、いい。




毎度毎度、

ラブ&ピース論者には

ほとほと頭に来るわけである。



こういう輩はきっと、

仕事でも家庭でも学校でも
理想論で物事を進めるのであろう。


そんなことよりも


現実を踏まえた上で
その現実を己のパワーで変える
くらいの意気込みとダイナミズムこそが

すばらしいわけである。




ラブ&ピースはもとより、


ダモシは声高に言いたい。



<すべての理想論よ、くたばれ>


と。





あらゆる物事は、

理想論が先に立ってしまっては

何も前へは進めない。



そう思っている。










*****









さて、靖国。


一昨年にも感じたが、

やはり
異様な数のレベルで

ヤングボーイが多い。



これが非常に違和感を覚える。


その違和感は、解決した。



彼らはあくまでも
ファッションで靖国に来ているのだ

と分かった。




靖国ももはや、ヤスクニという記号になっている。


いわば
アイコンである。


もともとアイコンであるのは確かだが、

それは
ヒストリカル・アイコンであった。

だが今や

そこに
ファッションの切り口というアイコン

としての装いも加わった。





実際に戦争を体験したと思われる
軍服姿の先輩方が靖国に今宵
多数いた。


日章旗を手にする軍服姿のシニアもいた。



ヤングボーイたちは

それらの先輩方と一緒に写真に収まり

その
シャッターが切られる瞬間、

まるで観光地での記念撮影みたいに
ニコっと破顔一笑。

ポーズもばっちりの、敬礼ポーズである。



一人で軍服姿で佇む老人。

その周りを囲む
ヤングボーイ&ヤングレディたち。


彼らは

ニヤニヤしながら

まるで
動物園の檻の中の
珍しい動物を見て撮るかのように、


携帯電話のカメラのボタンを押す。



<カシャッ!>。





頭の悪そうな

ヤンキーのような
ヤングボーイがこれまた

完全にファッションとして

浴衣姿と下駄で
ヤスクニの参道を闊歩する。


意図的に肩をぶつけて乱闘に持ち込み
成敗してやろうか

と思ってしまうほど

カンに触るポスチャーと
生意気そうな顔をしている。


ダモシは、ほとほとイライラする。




<何だ、コイツら…>と。



終戦記念日の靖国に

何しに来とるんじゃボケ、と。




ライトウィングも、しかり。

いわゆるティピカルな
ライトウィングの面々だが、


終戦記念日の靖国には
警察もメディアも数多くいることを
知っているという前提のもとで、


意図的に騒ぎを起こす。


まるで


注目されたくて

意図的に騒ぎを起こす暴走族や
成人式で騒ぎを起こすコドモと同じだ。




主張したいことがあるのなら、

何も
終戦記念日だけが

それを出来る日ではあるまい。



諸外国のワケの分からぬ団体や

ニッポンの
ラブ&ピース系や
思想団体も同様。



彼らは皆、

終戦記念日の靖国は

何をすべきところなのかを

はき違えているのではないか

と思えてならない。




なぜ彼らは
この日の靖国で
己の主張を展開しなければならないのか。

うるさくて、邪魔で、しようがない。


他の日にやれ、と。

そう言いたい。





モメて、小競り合いする
警官隊とライトウィング。

うるさい嬌声をあげて
己らの主張を展開する各種団体。



そもそも

終戦記念日の靖国で



<NHK!! 売国奴番組の放送を中止せよ>

だの

<守れ尖角、竹島>

だの

<日本はチベットの味方だ>

だの、


関係ない。



ココは、

キミたちの主張を声高にする

場所と日ではないよ、と。


主張するなら

今宵の靖国ではない
時と場所でやれば良いではないか、と。






終戦記念日の靖国。


ニュートラルな視点で、

本来、そもそも、
<終戦記念日の靖国>とは

何をするための場所なのか

をはき違えた輩が
あまりに多すぎると


感じてしまい

違和感を覚えたダモシであった。




端的にいえば、


<うるさい、黙れ>

と言いたくなり、

思わず
それら各種団体に言ったのだが、


粛々と静かに祈りを捧げるべきで、

且つ

この機会にこそ
遊就館に足を運び、


実際に命を奪われた人々の

遺品や遺書などを

静かに見て

何かを感じるべきである、と。




終戦記念日の靖国は、

己の思想を主張したり

喧嘩をしたり

セルフ・プレゼンテーションしたり

する

時と場ではないことを


<ラブ&ピース>を唱える前に

まずは
もう一度立ち返って感じ入るべきではないか

と率直に感じるわけである。





平和が良い。

戦争はない方が良い。


そんなことは当たり前である。


その当たり前を
当たり前にできないのが人間である。


何事も、そうだろう。


当たり前のことを当たり前にできないのは

国家間同士の問題のみならず、

会社内や企業同士、あるいは狭いところでは
幼稚園の中でさえ

なかなか出来ないのが現実なのである。




そういった現実をもう既に

人間は皆

理解しているはずである。



だからこそ

キレイごとを述べるのではなく、

理想論や
己の思想的自己主張を場違いで
するのではなく、



<それらすべての理想論は大前提にすぎない>


という根本的なもので、


では何をすべきか

では何がベターなのか

を考えることこそ
合理的であり効果的であり


最も実現可能性の高い仕業である

と。





ベストや理想論ではなく、

<よりベターなのは何か>。






これ以上、

終戦記念日の靖国が

ヤスクニになり、


さらには

"えべっさんの福男選び徒競走"や

"ボジョレーヌーボーの解禁日に、
競って飲む輩&パーティして飲む輩"

のように

本末転倒になることだけは、

避けるべきではなかろうか。






なんでもかんでも

"ファッション"になってしまう

現代の様相は、



はっきりいって危険である。








*****







以下、

<終戦64年目の夏、ヤスクニ景色>



写真で取り上げていきたい。








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*****








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強烈なるミュージアム、遊就館。

ご覧の通りの観客の多さ。


神社全般はもとより
遊就館も含めて、ものものしい人の数だった。





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*****






各所で小競り合いと怒号が飛ぶ。


小競り合いは路上でも
行われていて、

たまたまダモシ軍が通行した際に

警官とライトウィングの
おしくらまんじゅうも展開されていて

ダモシにちょっと触れた。

一瞬ローキックを放ちかけたが、
ちょっと触れただけだったことと
ワイフとジュニアが群衆の中の先を
歩いていたため

そちらをプロテクトする方が重要

と意識して

ダモシも小競り合いに介入するのは、

避けた。





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YASU15.JPG





だが、

忌憚なく
ジャンピング・ニーパットや
フライング・クロスチョップを
放って差し上げたいな…



感じてしまうほどに

イライラせざるを得ない環境
だったことは確かで、



こういった環境は、

終戦記念日の靖国を考えるとき、

まぎれもなく本末転倒である。



この場にいる全員が反省すべきである。


主張したいなら、他の日にしろ、と。









:::::







yasu12.jpg




YASU19.JPG






こういった先輩方の
精神性の深層にあるものを見ず、


"ファッション"として捉えて

ヘラヘラ近寄ったり
一緒に記念撮影するような

ヤング陣が多くいるという現況には、



ダモシは忌憚なく

危うさを感じるところである。





何の想いも持たずに

ポーズだけ
"敬礼ポーズ"をとって

ツーショット、スリーショット撮影し

ニコニコ、ヘラヘラしている

ヤングボーイには、

忌憚なく



<いくらバカ・キャラが
 囃し立てられていたとしても
 お前ら、バカすぎるぞ>

と言いたい。





そして、


ニヤニヤ&ヘラヘラしよってからに、


<何がそんなの嬉しいのか、ボケ>

と問いたいところである。





レフトともライトともつかない

"愛国"イズムも
昨今のヤングボーイたちに見られる傾向で、


今宵も

日の丸のハチマキを巻いて
いかにもコワモテ顔をした
ヤングボーイが大挙いたが、


これもまたファッションに過ぎない。




異国で暮らすことで

ニッポンの良さを再認識及び再発見、新発見する
ことで得る感情と、

やみくもに愛国心的な思想や
それを
ファッション化する感覚は

まったくの別物である。




ファッション的に日の丸や君が代を
アイコン化する傾向

(サッカーの国際試合が影響している部分も
 一部にはあると思われるが)


は危険である、と。




むろん、

やみくもに

君が代反対、日の丸反対を掲げる連中も

しかりだが。














posted by damoshi at 21:56| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

長編/考察<横浜xヨコハマ>〜開国150年目の夏、ヨコハマ景色






*マーケット・ヴァリュー
*エリア・ポテンシャル

都市の構造的なパワーを図る上で
欠かすことのできない
重要な項目である。

それが強ければ
ヒトの動態も活況を呈し、

消費パワーも増強される。


ヒトの動態が活況を呈し
消費パワーが増強されると、

カルチュラルな装いも折り重なる。

それはひいては
文化レベルを高くする。


なぜか。


マーケット・ヴァリューや
エリア・ポテンシャルの高さは、

国内外の超一流の文化に触れる機会を
招き入れる
(観客動員力という都市のパワーとも連動)

からである。




東京や横浜に
世界の文化がやってくるのは、

そういう理由があるからだ。




東京23区と横浜18区。

大枠でのこの二つは、
国内で最もそれらが高いエリアといえる。


なぜならば
この二つが、ヒトの集中人口都市で
トップ2だからである。



そして横浜。

ここは
ニッポン国内で最多人口を誇るシティである。





横浜。

横浜市。

この二つの言い方は、
意味合いに差異をもたらす。



前者はどちらかといえば、

<ヨコハマ>となる。



後者の横浜市。

ダモシも現在、横浜市民である。
横浜18区の住民である。


だが、
ロケーション的には東京。


ここが横浜市の不思議な二重構造である。


横浜18区の中でも、
当欄で度々登場する

港北エリアと
ダモシ拙宅の田園都市エリアは特殊で、

ある意味で

<横浜>ではなく
<東京>ともいえる。




旅先。

<どこから来たのですか?>と聞かれる。


ローカルの人に
<横浜から来ました>と応えれば、

決まってそれは

みなとみらい21エリアや元町・中華街、
山下公園などを想起するであろう。



つまり

横浜ランドマーク・タワーや
パシフィコ横浜を基軸とする
近年の開発進行エリアと

昭和チックなレトロな風情と
異国情緒漂う
リアル横浜としての元町、本牧
などなどの


<ヨコハマ>を。





港北エリアや田園都市エリアを

横浜と認知している
ローカルの人は
ほとんどいないであろう。



東急田園都市線は

そもそも
ダモシのリアル・ホーム
(東京・世田谷区:三軒茶屋/駒沢大学)

を走っていた
当時の玉川電車の延長線同一線上にある

電車である。



世田谷エリアの
三軒茶屋や駒沢大学、用賀、桜新町
などを経て、

別格・世田谷の二子玉川を最後に
多摩川を越える。

多摩川を越えるとそこは神奈川県川崎市が
ちょっと登場する。



そして
たまプラーザを起点に

"金妻"(金曜日の妻たちへ)の世界観たる
田園都市エリアへ入り込むのだが、

そこからが

住所でいうところの

横浜市になるわけである。




田園都市線沿線の横浜18区。


これは
田園都市線の世田谷エリアと共に

絶大な人気を誇っている
エリアということになる。


つまり

・たまプラーザ
・あざみ野

(江田が間にあるが、
 江田は申し訳ないが該当の外になる)

・市が尾
・藤が丘
・青葉台

である。



それらはすべて
横浜市の青葉区となるが、

この
横浜市青葉区は

限りなく東京
ということで、

時に

<横浜都民>などともいわれる
微妙なロケーションにあることで、

特殊性と独立性を擁し、

横浜にありながら
<対ヨコハマ>という部分で
一線を画しているのである。


その青葉区と共闘する感覚で
近隣にある港北エリア(横浜市都筑区)が、

その
異様に高いマーケット・ヴァリューと
消費動態をもってして

<対ヨコハマ>を形成しているわけである。



新横浜も
どちらかといえば
田園都市&港北組に入る。





千葉、埼玉などが完全に
東京にbelong toしながら

東京の持つ絶大なるパワーを借りて

さながら
アナザー・パーソナリティ型

(他の強力な個性を借りて
 己も目立とうとする手法
 =
 食玩や女性誌の付録もそれに当たる)

の存在証明をしている中、


首都圏において

完全なる独立エリアとしての体を成す強者が

まさに<横浜18区>&<ヨコハマ>なのであり、

そこでいうところの<ヨコハマ>とは

駅でいえば
横浜、桜木町、関内などと
みなとみらい線の各駅

ということになるのだ。




まとめると

首都圏における
消費動態の高いエリアを大枠で括れば、


・東京23区
・武蔵野(吉祥寺、調布、府中など)



・ヨコハマ
・横浜18区の中の独立体
 <田園都市エリアと港北エリア>

といえるわけである。



むろん東京の場合、
23区でも
埼玉や千葉に近いエリアは
いささか<?>を感じる。

あくまでも
東京23区という括りにおいても
上記の区分けで該当するのは、

渋谷区、目黒区、世田谷区、中野区
などの"山の手"や

品川区、港区などの
ビジネス・ディストリクトであり、

北区や足立区は
申し訳ないが、該当されない。


ディテールでいえば、


例えば
二子玉川と玉川高島屋は
完全別格ということで

これもまた別論となるが。







*****








さて、横浜。


後者の
田園都市や港北は

東急の戦略的都市づくりの根幹である

<衣食住>&<徹底的にファミリー向け>

となっている。


ゆえに観光客にとっては無関係のエリアである。



ニューヨークでいえば

ダモシが住んでいた
クイーンズのフォレストヒルズや、

ブルックリンの
プロスペクトパークなどが

イメージ的には近い。



端的にいえば瀟酒である、ということだ。


だから
観光客にとって面白いことは何もない。


徹底して<快適に暮らす>場所であるからだ。


観光の場合は、

毎度述べているように

・ヒストリカル
・カルチュラル
・エンターテイメント

三要素は不可欠である。



その意味で、

<ヨコハマ>は
首都圏で大東京に密接していながらも
完璧に独自の世界観で

ある意味でマンハッタン的な

実面積を超越した"広さ"と
同一エリア内でのディテールの深さを

兼ね備えている

偉大なる観光大都市といえるわけである。



ひとくちにこの<ヨコハマ>といっても、

ブロックで分ければ

・みなとみらい21/桜木町
・山下/関内/伊勢佐木町
・山手/本牧/根岸
・磯子/金沢

その他ブロックと、
それぞれに
膨大なるエリア・コンテンツを誇っている。




一般ゼネラル観点では

現在はお盆休み。


横浜18区を含む東京首都圏から
ローカルへ帰省する人々の
狂ったような車列が
高速道路を埋めている。


都内はそのおかげで

少しは空いている。


昨日は
いつもなら90分近くかかる
田園都市から品川へのドライブも、

60分で済んだ。




だが、

お盆やお正月は、

都内や首都圏は空いている(はずだ)
という想定は過去の話。


リアルに空いていれば30分で
踏破できる距離である。


だが60分を要した。



そして今宵。


ダモシは<ヨコハマ>にいた。


狂ったような人の波が
ヨコハマを襲っていた。



<なぜ、こんなに人がいるのだ!>

と不快になるほど。


田舎に帰れよ。

つい、そう感じてしまう。


なぜ、お盆なのに
ココに残っているのだキミたちは、と。



しかし

その考えはどうやら間違いのようであった。


現地ヒアリングなどによれば、

現在
開国150年の大々的なイベントが開催されている
ヨコハマには、

膨大な観光客が押し寄せているのである。


今宵、ヨコハマにいた人々の多くが観光客。




要するに
彼らの口から出る台詞は、


<今日はみなとみらい21で遊んで、
 明日は元町の外国人墓地や散策をするのです>

というものである。




つまり

自宅から至近であり

ちょっとした
オトナの遠足&お散歩で済む

ヨコハマだが、


ここは
前述の通り<観光大都市>である

ということだ。




それは

常に

・東京
・ニューヨーク

などという

観光大都市に住んでいたから
感覚が麻痺しているのであろうが、

・ヨコハマ

もまた、同様なのである、と。




そして

己自身も
何度も訪れて歩いているが、

<ひとりじかん>として

一人でじっくりと
カメラやペンを手にしながら
散策してみると、



<あぁ、こりゃ、
 一泊しなくなるわな。

 というか、二泊くらいは必要だわな>


と理解するのである。









*****






二年前の

<ヨコハマ>への
観光入込客数は、約4,000万人を突破している。


開国150年の今年は
5,000万人レベルになるであろう。


そのうちの約10%が宿泊を伴う
観光客である。


約400-500万人が宿泊観光をしている
算段になる。



観光客   約4,000-5,000万人
宿泊観光客 約400-500万人


驚くべきは

広大な面積と
膨大な市町村の数それぞれの
すべてのコンテンツが合体した
"北の某"国全体の観光入込数と

ほとんど同じだけの集客を

ヨコハマがしているということである。


面積の差と市町村数の差という
大きなハンデを
"北の某"国に与えたとしても

ヨコハマの観光集客力は

ヒケをとらないわけである。




神奈川県という括りで見た場合、

昨年のデータでは
以下のようになっている。


川崎大師を擁する川崎市と、
ヨコハマと
その他の横浜を含む
横浜市・川崎市エリアが県内最高で

5,600万人。


次いで

<湘南>
(大磯・平塚・茅ヶ崎・鎌倉・藤沢等)で
4,400万人。


<箱根・湯河原>
(小田原・箱根・真鶴・湯河原等)が
3,300万人。


以下、割愛。



川崎大師分がなくても、

且つ
横浜全体の数字を合算しなくても


<ヨコハマ>単独で
神奈川県内トップは得ているほど

湘南や箱根をも上回るパワーは、

<ヨコハマ>の本領ともいえよう。




むろん

東海道や
新幹線(新横浜から至近)という

ロケーションの妙も

<ヨコハマ>の
アドバンテージを付加していると
考えられ、


ディズニーランドや
インターナショナル・エアポートという
ニッポンの
<対諸外国へのプレゼンテーション>の
最筆頭素材が

なぜか"千葉"にあるという不埒な仕業を、

逆に
ヨコハマに擁していたならば
どうなっていたかを
想像するだけで面白いわけである。




千葉に申し訳ないが、

ディズニーもエアポートも
それが千葉にあることで

いずれも

<東京>という冠を享受し得たのであろう、と。


東京ディズニーランドはもとより、


現在でこそ成田国際空港と名を変えたが
そもそもが
<新東京国際空港>と名乗っていた

千葉の悲哀。



それらがヨコハマにあったならば、

最初から
<東京>という冠は必要なかったはずだ。


横浜ディズニーランド

横浜国際空港


で十二分に対外国という
プレゼンテーションも成り立つからだ。



そこがまた、

東京と真っ向対峙できる

ヨコハマ(横浜)の威力でもあるのだ。




ヨコハマに国際エアポートがあれば

出入国いずれも
成田を圧倒して上回ることは

想像に容易い。








そんな、ヨコハマ。


昨夏にも当欄で
みなとみらい21エリアを中心に
掲載したが、


開国150年イヤーの今夏。


ダモシも
そもそも黒船ということで、

黒船や異国には
大いなるシンパシィと慣れをもっている。




今宵は、

写真にフォーカスして

開国150年のヨコハマの今

を多くの写真掲載で締めくくりたい。








*****







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以上、

元町や山手から。







*****






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大さん橋より。






*****






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山下公園手前にある横浜マリンタワー。

1961年開業したが、その後衰退。
今年、復活した
ヨコハマの旧象徴。






*****






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ヨコハマを象徴する
クラシック・ホテルの王道は、

ホテル・ニューグランド。




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ニューヨークの
アルゴンクイン・ホテルを想起させる
エントランス。


このままニューヨークへ移築しても
充分国際的に通用する
ヒストリカル・ホテルである。


ホテル・ニューグランドといえば

マッカーサー元帥。


厚木に降り立ったマッカーサーが
そのまま向かって
ニッポンで最初の数日間を宿泊した
ホテルである。


今もなお、

マッカーサーが宿泊した部屋は
そのまま残っていて

<マッカーサーズ・スイート>たる
特別室になっている。


(宿泊一泊正価:¥138,600-)。



ここもまた
ダモシの
<一度は泊まりたいホテル>リストに

山の上ホテルなどと共に

入っている。








*****







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ご存知、ヨコハマ・ベイブリッジ。


まさに
ダモシ世代&バブルを象徴する
ブリッジの一つであり

90年代初頭の
トレンディ・ドラマの
メインストリームが、

このベイブリッジと

異形ポスチャーのホテル、
ヨコハマ・グランド・インターコンチネンタル。







*****







山下公園へ行ってみる。


ここの象徴は、氷川丸。



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チャップリンも乗った
日本郵船のこの客船は、

シアトル航路を
50年代いっぱい航行した。


昨年から内部も一般公開されている。







*****






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みなとみらい以前からの
観光スポットは、赤れんが。






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ヨコハマ建造物の
これもまた象徴は、

ヨコハマのキング&クイーン。


前者赤れんが型の建物がキングで、

神奈川県本庁舎。



下二枚のクイーンが、横浜税関。


ヨコハマにはまた、ジャックもある。
ジャックは、(横浜)開港記念会館。









*****








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シンボリックな建造物の多い
ヨコハマにあって、

横浜ランドマーク・タワー

横浜グランド・インターコンチネンタル

パシフィコ横浜

と連動を構成して
一つのシンボリックな景観を構成するに
欠かせないものが、


この観覧車。





山下公園や大さん橋、マリン・タワー、
元町・中華街、山手側から望む時、


観覧車の


左側に

その儀容を誇らしげに表しているのが、

ニッポン最高峰ビルヂングの

横浜ランドマーク・タワーである。




あらゆる位置から見た

横浜ランドマーク・タワーを掲載したい。






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そして、真下から望む

ニッポン最高峰ビルヂング。



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*****








最後に、

ヨコハマ雑感を。





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:::::





今宵の

ダモシのお土産は、

文字通り<黒船>。




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posted by damoshi at 23:32| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月13日

09年ベスト逗留先(八月現在):富士屋ホテル






北西側からは、

仙石原に入った時点で
箱根感がにわかに盛り上がる。


南東側からは、

最下部の箱根湯本は未だ
小田急線の停車駅ということもあり

東京の延長という世界観がある。


湯本から北西へ
峠道を登って走る道程で

塔ノ沢や大平台を通過してもなお、

箱根感は強まってはこない。



南東側をエントランスとした場合の

箱根感は

まさに本丸ともいえる
宮ノ下に差し掛かった時点で

増してくる。




いかにも箱根の峠越えをしているかのような、

しかしそれでも
ローカルの単なる山道とは
明らかに趣の異なる山道を
緩やかに上がっていくような、

そんな感覚から一転、
道が平坦になったと感じた瞬間、


箱根に入る。


箱根に入る
箱根がウェルカムする

その瞬間に

唐突に曲がり角に現れるのが

富士屋ホテルである。





ニッポンのクラシック・ホテルの
東の横綱であり、

リアルな意味での
国際一級リゾート・ホテルの最高峰。





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*****







平たくいえば、

帝国ホテルのような
ヒストリカル且つ国際的にも一級品のホテルが持つ

緊張感とは明らかに異なり


逆に<緊張を強いない>見事なバランスが

富士屋ホテルの
持ち味の一つでもある。



その差は、

大都会・東京のど真ん中にある
国際一級ヒストリカル・ホテルである
帝国ホテル



真の国際リゾート地である
箱根にある
国際一級ヒストリカル&リゾート・ホテルである
富士屋ホテルの

差異となって顕著になる。





箱根という
絶好のエリア・ヴァリューを擁する
国際リゾートのアトモスフィアが、


富士屋ホテルの

<緊張感を強いない>

ニュートラルな状態で
愉悦の時間を楽しませてくれる

バランスの良さになっている。





メイン・エントランスに到着して

見事な手さばきでの誘導を受けながら
車寄せに車を止めると、

これもまた絶妙の態度で

ホテルマンが
ダモシから
車をテイクオーバーする。


キーはそのまま。
エンジンもそのまま。

これが富士屋ホテルの流儀である。


さりげない一級品のサービスは、

あつかましい
セルフ・プレゼンテーション&
存在証明訴求付きのそれとは異なり、

気づかぬ間に
さりげなく
車から下ろした荷物もロビーへと運ばれ、

ワイフとジュニアという
女性と子供もさりげなく気づかぬ間に

ロビーへと案内されている。





一流という冠が得んがために奔走し、

意図的に
<The Leading Hotels of the World>の
称号を得るような

偽物の国際リゾート・ホテルとは

そもそもからして

ディテール面で
格が大きく異なると同時に

比較対象外というレベルである。




むろんそれは、

箱根という
エリア・ヴァリューの高さと
エリア・ポテンシャルの深さにおいては

日本最強という
ロケーションも加わってのことでもある。




客もまた品があるのが特徴だ。


お金持ちであることと

品があることは

同義ではない。


時にそれは相反するものでもある。


富士屋ホテルに宿泊する客は
相対的にお金持ちである。

ダモシ軍のような存在は稀である。



その客それぞれの佇まいもまた

嵩張っていない。




ややもすると
ローカルの単なる1エリアだけでの
評価と認知における高級ホテルにおいては、

<下品なお金持ち>客が多いことが
常態化しているのが特徴でもある。


要するに、威張り散らす輩だ。

その場で、嵩張っている輩だ。

だが、
それもまた
ホテルとそのエリアの限界であり、

そういうレベルのホテルと
エリア・ポテンシャルしかないから、

そういう輩が闊歩するという

悪循環を招くのである。



そうなると

その場は
よけいに田舎臭くなり

ひいては、
"だから田舎はダメなのだ"となってしまう。




その点、

箱根という
絶対的なエリア・ポテンシャルの高さと
国際レベルで
そもそも高いエリア・ヴァリューに

見合った客が多くなるのもまた

富士屋ホテルの
成せる業でもある、と。




車寄せに二台以上停車しておかぬよう、

さりげなくも
迅速に
預かった車を最適な位置へ駐車させる
スタッフ。


ロビーで待つ/寛ぐ客もまた

その場で
威張り散らすこともなく
横柄に振る舞うこともなく

過剰なる自己愛と自己顕示欲で
己をプレゼンテーションすることもなく


可能な限り
己の存在感は、あえて消すことで

ホテルのアトモスフィアに同化して

静かに佇んでいる。




まったく、嵩張っていないのである。

それは
オトナだから成せる業であり、

都会で暮らすことで得られるセンスでもある。


ここのところが
ローカルではまず無理な経験と慣れ
になってくるわけだ。



富士屋ホテルの客ならば、

ニューヨークのセントレジスでも
同様に

嵩張らず
自然体で佇むことができるだろう。





ホテルのアトモスフィアも

ホテルマンや係員の接客態度とバランスも

客も

すべてが嵩張っていない。


絶妙なる品の良さを皆で作り上げている。

自然に無意識のうちに
それが作り上げられている。



そこがホテルの力であり、歴史である。


それを備えているのが、

富士屋ホテルであるといえよう。








*****







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テラス、中庭、室内プールに屋外プール、温室…。


ビーチ・リゾートとは一線を画した
箱根独自のリゾート感と仕掛けが
満載された

まさに
リゾート・ホテルの金字塔にして

教科書ともいえる。




早朝、

密かなるドアから外に出る
裏庭と

そこから続く

ここがホテル内とは思えない
リゾート庭園の中を散策すれば、


その日、一日の過ごし方も見えてくる。

滝は涼感を運び、
青空にマッチする白亜に
寺社をイメージさせる赤い欄干、
丸型郵便ポスト…。



時を忘れるのではなく、

時をじっくり刻みながら
数十分散策して心の静寂を得る場所。





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真夏の、サニースカイの早朝。

庭園を、

怪しげな男・ダモシが一人、散策していた。

と、

妖しげな、妙齢の女が一人、
長い黒髪ながらも涼しげな眼差しで
歩いていた。



(<声をかけようか…>)

そう躊躇していると

次の瞬間、


庭園の高台から
幼児が駆け下りてきて、

ママ

と声をかけながら

その女性の隣に来た。


そして、二人は手を絡ませた。




(<幼稚園児だな。
  そんな幼い子供と手をつなぐだけで、
  なぜそこまでいやらしい
  手の絡ませ方をするのだ…)>



ダモシはそれを見ながら、想った。




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ここはエルミタージュではない。

隠れ家ではない。

いわば
不倫系のホテルではない。


鎌倉
(ホテルでいえば鎌倉プリンス)や

熱海は隠れ家。
日光もまた、しかり。


それは不倫系。逃避系。




だが、

箱根、軽井沢は
不倫系とは一線を画した

開放感と明るさがある。




しかしその明るさは、

湘南・江の島や伊豆とはまた
種類の異なる

さらに品のレベルが高い明るさと開放感である。



那須がこのレベルに来る可能性がありながら
なかなか
辿り着けない部分が

この点である。





富士屋ホテルは、

意外なことだが
ここは<ファミリー>も存分に対象である。

若いアベックは避けて欲しい。
完全に不釣り合いである。


シニアのアベック、三世代ファミリー。

"普通に"外国人ファミリー。



いずれも幼い子供がいる。


親から子へ、さらには孫へ。


富士屋ホテルは
競馬の血脈ドラマの感がある。


そこには
帝国ホテルですら今や
そのロビーラウンジには
シニアの団体旅行客がうようよしている

節操のなさを醸し出している現在において、


やはり

さすが箱根

という、

大都会・東京という喧噪のど真ん中に
あるゆえのディスアドバンテージを
見せてしまう帝国ホテルなどとは異なる

ロケーションの妙と
エリア・ヴァリューも寄与しているわけである。


安直な、<非日常>という世界観では
括ることは

富士屋ホテルに関しては

出来ない。





あんなに品があって、

それでいて
絶妙な柔らかさを見せつけながらも
自然体でエッチな
手の絡ませ方をもってして

幼稚園児と手をつなぐ母親

など、


帝国ホテルにはいない。



あろうことか、それは、

リッツカールトン東京には

いる由も

ない。




むろん、

温泉宿にはいるわけも、ないのである。








*****








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インターネットでの、或る投票。


<BIGLOBE温泉 みんなで選ぶ温泉大賞2009>

■総合部門
第1位 加賀屋(石川県)  
第2位 富士屋ホテル

■エリア部門
第1位 富士屋ホテル   
第2位 箱根ホテル小湧園

■雰囲気部門
第1位 富士屋ホテル   
第2位 道後館(愛媛県)

■おもてなし・サービス部門
第1位 加賀屋(石川県)  
第2位 富士屋ホテル



温泉宿?

という部分が引っかかるが、
根本的に箱根は温泉地である。


そして
意外と忘れられがちだが

この富士屋ホテル。


温泉は普通にある。

さらにいえば
部屋のバスルーム。

部屋のバスもまた100%天然温泉という

贅沢さを持っている。



通常、

ホテルの部屋のバスは温泉ではない。

温泉地であっても
温泉浴場や露天風呂はあるが

(露天付部屋は別として)、

部屋のそれは
通常のバスルームである。


それもまた
富士屋ホテルの"普通"であり、

ゆえに
上記のような投票結果になるのだろう。


エリア部門の金銀は箱根が独占しているが、

ベスト10もしくはベスト50でも
箱根は相当入っているだろう。



それだけ
<エリア>としてのヴァリューとポテンシャルは

他の追随を許さないわけで、

創業当初も
東京と横浜という
当時のインターナショナル・シティからの
アクセスという面でも

箱根が筆頭格として

膨大な数の外国人を受け入れて
サーブしていた歴史がそれを裏付けている
わけである。









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部屋の窓からは、
箱根登山電車が走る姿が見える。


部屋は広く
調度品も床のサウンドも
ウッドの香りも

明治や大正浪漫を感じさせる。








年に一度で良い。


年に一度はゆっくりとした
時間を過ごすべく

泊まりたい。




そんなホテルである。






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富士屋ホテルの
公式グッズショップで仕入れる
品は、

ホテル・オリジナルの
洒脱な四季の花があしらわれた
便せんや

伝説のカレーライスが最適か。






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富士屋ホテル創業130周年を記念して
出版された

富士屋ホテルの
コンセプト・ブックである
<Fujiya Story>(2,500円)。

ホテル好きのダモシとしては
入手せざるを得ない代物である。






fujiyabook2.jpg


車を預けた後、
ふたたび外出すべく
車を出してもらう。

ホテルマンが

さっと車寄せへ
車を持ってきて停める。


乗り込むと、

運転席の目の前に
さりげなく
小さなこの紙が置かれている。


裏返すと、



<富士屋ホテルにご来館いただきまして
 誠にありがとうございます。

 お気をつけて
 お帰りくださいませ。

 またのお越しを
 心よりお待ち申し上げております。

 スタッフ一同>


と書かれてある。






今年は一月を除き毎月、
延べ18回ホテルに泊まっている。


そのうち

・ビジネストリップでの宿泊ホテルは、

 甲斐国の甲府と河口湖
(3ホテル都合4回、宿泊日数は二桁)

 を筆頭に、

 四国は松山
 九州の熊本
 北陸路の金沢

 そして
 昨年秋以来の大阪に

 スペシャルは
 富士山の八合目山荘。



・プライベートでの逗留地は、

 二月の箱根
 三月の熱海
 四月の鎌倉
 五月の大磯

 六月の九州遠征での
 霧島(鹿児島)
 熊本(熊本)
 博多(福岡)

 と進んできて、

 今月八月、先の箱根といった具合で、

プライベートに関しては
遠出の九州遠征を除き、

ほとんどが

やはり趣味趣向の高い

鎌倉・湘南エリア
西湘バイパス・エリア
伊豆



箱根

となっている現状だが、



オフィシャル/プライベート含めて
延べ18の逗留先の中で、



今回の富士屋ホテルが

総合力ではダントツであると
認められよう。







(前回の富士屋ホテル特集掲載は以下)


http://damoshiny.seesaa.net/article/114356928.html















posted by damoshi at 23:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

ジュニアの夏休み






子供の夏休みは、

子供の夏休みっぽさが必要である。


それが
子供にとってはベターである。

情操教育にもなろう。


夏休みの想い出は、

ヤングボーイが
江の島のビーチでナンパしたり

アベック同士が
稲村ケ崎の海岸線で
波の音を聞きながら
片寄せ合って夕陽を共に眺めたり

云々と

その風の匂いや熱、周辺にあるサウンド
などと共に
心に刻まれて


"あの時は…"という蓄積になる。




ダモシとて

子供時代の
夏休みに行った

ウルトラの父のホームである
通潤橋や

ウルトラの母のホームである
仙台、

あるいは
ウルトラの父が駆る車で周遊した
"北の某"


などなどの

その時の風の匂いやサウンドは
刻み込まれている。




夏休みといえば、

そういったものの他には
甲子園の高校野球など
一般ゼネラルな風物詩でも

刻み込まれる。



ダモシ自身は
それこそヤングボーイ時代での
同時代性でいえば、

早稲田実業の荒木大輔や
KK(桑田&清原)コンビのPL学園
やまびこ打線の池田高校

が活躍していたイメージが

夏の甲子園ということになる。



甲子園が始まれば夏真っ盛り。

それが終われば、夏も終わり。

海にはクラゲ。
湘南・鎌倉のビーチも終わりを告げて、

鎌倉の紅葉シーズンへ向かう谷間に差し掛かる。








*****







ある意味で、

ジュニアがニッポンで
リアルに迎える最初の夏休みが

09年の今年ともいえる。



その夏休みを存分に謳歌している
真っ最中でもある。



先般は、

幼稚園の夏休みの課外授業の
ひとつとして

既載の通り

<箱根>遠征があった。

生涯で初めて親と離れての旅。



それが終わると、
彼にとってのマミーである
ワイフのホーム・那須へ
四泊の帰省の旅。


花火大会に観光地探訪、
那須にいるジュニア自身の友達との遊び、
牛や自然との触れ合い
等々、

大いに堪能してきたようである。





SUMMER2.jpg



summer3.jpg



大きな花火大会があったようである。

田園都市や東京の花火大会には
行く予定がない分、

那須で行くことができたのは
ベターといえよう。



summer4.jpg


当然ながら
那須といえば乳牛。

動物と触れ合う時間が
子供にとっても有益である。





summer6.jpg


那須には観光ランドマークが多くある。
祖父母と周遊したようである。





SUMMER5.jpg


那須の友達と、
新幹線のホームでお別れの時。


子供にとっては
未だ新幹線のブランド・ヴァリューは高い。







*****







箱根、那須と
夏休みの遠征が続いたジュニア。


今度は

ダモシも交えてファミリー三人での
夏休みの
まずは第一弾の旅が連続して挙行された。




今回のメインは、<富士山>だった。



相変わらずビジーだったことで

ここのところ
ジュニアが眠る前に帰宅することが
まったくなかった。


マズいぞ、ということで

一泊の旅が挙行されたわけだが、


そのメインは

ダディが挑戦したのは
この富士の頂上だ、ということを
身を以て教えようと、

ジュニアにも六合目までの
登山を経験させよう

という算段を持っていた。




富士山に登り、
下りてきてからは日帰り温泉で
疲れを癒してホテルへ。

二日目はビーチかプールへ。



そういう算段を立てていた。




前夜。

帰宅がミッドナイトになったが、
仕事が終わらぬため
4AMまでデスクに向かい、

7AMには起きて

一路、東名高速を御殿場へ。




スムーズに流れて御殿場からは
富士山スカイラインを経て
富士山五合目へ。




ところが。



ここで予期せぬ事態が起こった。



昨年新記録を樹立した富士山登山者数。

今や
富士登拝は大ブーム。


今年は

<梅雨明けしたのに、未だ梅雨>

という最悪の気候の影響で、

登山者が激減しているという
状況がある中で、



なんとまあ

ものすごい人の数。


車を置く駐車スペースは
すべて埋まり、

途中の
スカイライン脇道にまで
車が埋まっている始末。



このルートは

初心者ルートである
山梨側の富士吉田口ではなく

先般
ダモシも登った富士宮口であるにも
関わらずの

それこそ立錐の余地もない超満員(超満車)。



三十分粘ったが、断念。




ジュニアを伴っての

<富士登拝>は

断念したのであった。








*****








ここで<どうする?>と、

通常では

なるだろう。




だが、

そこはダモシ。

あらゆるリスクヘッジをしてある。




こうだ。



<富士山に何らかの事情で
 登ることができないとなった場合の
 代案を考えておかねばならない>


ということである。



天候は、

この夏では珍しく
二日続けて好天になるはずの

金〜土を選んでいた。



フォーカスは、ジュニアの夏休み。



となれば、

富士山断念となった場合の代案は

プールかビーチとなるわけだ。





そもそも

二日目の予定は
ビーチかプールとしていた。


だが、

それが続いても良いわけだ。


なぜならば
プールとビーチを混在させれば良いからだ。

初日はプール、二日目はビーチ
といった具合に。





富士山=富士宮口=静岡側

という構図がある中で、

富士山が断念という形になれば、


選択肢として
プライオリティになるのは、


<富士山からより近い位置にある
 屋外プール>へ変更する

という案である。




予めダモシは、

富士宮市内と富士市内の
屋外プールを調べておいた。




<どうする?>となった瞬間、


ダモシは

<よし。ならばプールだ。場所は任せろ>

とダモフィーロを飛ばした。




そして富士宮市内の屋外プールへと

コマを進めたわけである。





<よくまあ、いろいろな場所を知っているね>

と言うワイフに、



<まあ、いろいろ行ってるから>

と応えたダモシだが、


後で

<そのへんは、ちゃんとヘッジして
 代案は調べてあるさ>

と述べた。




これがヒットした。

当然ながら
コドモは夏休みのプールやビーチは
マストアイテムとして
大興奮して大喜びするものである。




なんとまあ四時間も遊ぶ。




ダモシとワイフは苦笑する。




<なぜ、旅行に出たのに、
 わざわざ富士宮市くんだりの
 市民プールに来なければならないのか>


と。






SUMMER1.jpg





それでも

子供にとっては
そこがニューヨークだろうが
マイアミだろうが
富士宮市だろうが
熊本市だろうが、


プールはプールである。



ジュニアの喜ぶ顔を見て、

ダモシとワイフも
ほっと胸を撫で下ろしたわけである。









*****







ダモシ軍大好きな箱根。


<本妻>復帰の一年前以降で、

昨秋、今年の冬と
既に二度も旅をして
宿泊している地である。



箱根はおそらく

海外以外では
ダモシ軍にとって
最も心理的便益、機能的便益双方を満たす
エリアなのであろう。




今回、

富士登拝にせよ
代案の富士宮市or富士市内のプール
になったにせよ、

初日の逗留先は


箱根と決めていた。




なぜならば、

富士山/富士宮市/富士市/御殿場

等々からの往路という考えと、


二日目は湘南のビーチ
という計画がある中で、


その移動ロケーションも鑑みた場合、


最適な逗留地は箱根になるのは
必然だからである。



むろん、

一気に平塚や大磯、辻堂、藤沢あたりまで
戻ってきて
逗留しても良いが、

そのあたりは秀逸なホテルは少ない。


且つ、

そのあたりまで戻ってくるならば

その翌日にビーチに行くにせよ

いったん
自宅に戻った方が良い

ということになる。




それでは、

せっかくのジュニアの夏休みの旅
という設定が意味をなさなくなる。




そこで箱根を選択。



しかも
箱根の中でも今回はロケーションを変えた。



こちらをご覧頂きたい。




http://www.246damoshi.com/smr09.html




今回の行程を記したものである。


黄色のラインが往路。
ピンクのラインが復路。

富士を起点に、
富士宮市。

そこから御殿場へ戻り、

箱根へ。




前述したように箱根は
昨秋以来
既に二度、旅している。


いずれも当欄に掲載したが、

昨秋は
<仙石原>エリアに逗留し
芦ノ湖や大湧谷などを周遊。

今年の冬は
<元箱根>エリアに逗留し
関所その他を周遊。


マップに示してある部分がそれだ。



そして今回。


前二回とは異なるエリアであることと
同時に、


逗留先のヴァリューがさらに高いホテルを
選ぼうというテーマ。



そしてエリアは、<宮の下>。

箱根の宮の下の
世界に冠たる国際ホテルはといえば、

それはもう唯一の

<富士屋ホテル>。




かくして、

富士屋ホテルへの逗留と
相成った次第である。





summer7.jpg




(<富士屋ホテル>特集は別掲載)。




リアルに国際一流ホテルとしての
富士屋ホテルは

ジュニアにとっても

米でのホテル経験その他に加えて

大きな経験となったであろう。




ココ、富士屋ホテルでもジュニアは

屋内温水プールで遊ぶことができた。


ジュニアは大満足

ダモシとワイフも
オトナの愉悦で
富士屋ホテルにご満悦

と相成った初日となった。






summer13.jpg






*****






翌朝。

つまり今朝。


ダモシは早朝、寝起きに、

富士屋ホテルの庭園を散策。



絶好のサニースカイに
猛暑の匂いが漂っていることを理解し、



<よし、湘南だ>と

ワイフとジュニアを急かした。





富士屋ホテルのある箱根・宮の下からは

箱根の坂を下りて箱根湯本を通り過ぎ
小田原を経て

西湘バイパスに乗れば

一気に平塚、茅ヶ崎といった
湘南ラインへ行くことができる。


所要時間は、わずか40分。





大混雑の江の島や鎌倉のビーチへ行くことなく

その手前の茅ヶ崎エリアの
湘南ビーチという穴場へスムーズに繰り出し、


人もうじゃうじゃいないぞ

今宵はこの夏最高のサニースカイ&猛暑だぞ



ビーチを堪能したわけである。






summer9.jpg




summer10.jpg




summer11.jpg






ダモシも、

米ラストイヤーの夏に
フロリダは
フォートローダーデールのビーチで

真っ黒焦げになり

完全なるラテン系に間違われた夏以来の、

リアル真っ黒焦げになってしまったわけだが、



それも狙い通りだったわけで


<最近、焼こうと思っても
 焼けるほどの絶好のサニースカイが
 ないじゃないか…>




フラストレーションもたまっていただけに、


これもまたご満悦と相成った次第である。








*****








やはり箱根は、フィットする。

湘南・鎌倉のビーチが、好きだ。


それもまた
今回改めて感じられた結論である。




富士山というスーパースターが
今回の旅のまずは主役として
存在していたことで、


箱根の旅

という点では満たされなかったが、



富士山が断念
というトラブルを消し去るほどの

富士屋ホテルの秀逸さに救われた

と同時に、


プール、そしてビーチという

コドモにとっての夏休み
というフォーカスでは

最適な形で満たすことができた点が、


親であるダモシとワイフ双方の
マインドも満たした結果となり、


終わってみれば


富士断念、否、正しくは

富士が拒否したという
今回の事態は、


富士がダモシ軍を慮ってのことだったのだ

という解釈にも帰結するわけである。




ジュニアを伴っての富士はまた

別の機が熟した時にこそ、

ということであろう、と。






ダモシ軍の旅はステレオタイプではない。



<急遽、
 富士宮市の市民プールで遊ぶ>

という

選択と行動もまた

ダモシ軍の旅の流儀を反映している

わけであり、



そこでまた
いかようなる愉悦を自ら得られるか

というポイントも



旅を考えるとき、


とても重要な要素となるのだ。






それにしても、箱根は良い。

箱根は落ち着く。



近々また箱根へ行きたい。


















posted by damoshi at 01:10| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月04日

なぜこんなに背が低いのか






今宵は暑かった。


梅雨明けした後から
天候は完全な梅雨になるという
陰鬱な日々は、

そもそも梅雨明け宣言が嘘だった、

あるいは
何かの仕掛けで意図的に宣言した

と思わざるを得ないほどであった。



だが、今宵は奇妙なほどの夏日。


はっきりしていただきたい。





ワイフとジュニアは
ようやく明日帰ってくる。


毎度のことだが

一人になると、

気まま良さはあるものの

ふだん
そこにいる人がいないことでの
不思議な寂しさも募る。



また、

・猫たちの餌やり
・猫たちのトイレ処理

だけでも大変なのに、


もはや
不慣れとなってしまった

・自宅でのひとり食事
・スーツのアイロンがけ

その他もろもろの庶務が

これまた大変である、と。



不在となってみてはじめて

居てくれることの
有り難みは

機能的、心理的両面において

普通に感じるわけである。





そもそも朝の忙しい時間から

・猫たちの餌やり
・猫たちのトイレの処理
・ジャックという猫への薬投与

などをするだけで汗だくになってしまう。




ジュニアは彼の地で

コドモの夏休みを謳歌して
上機嫌だという。


それはそうだ。

怖い父親は
そこにはいないわけだから。



戻ってくればしかし、

父親ダモシと共に
この金曜日、


富士講が待っている。









*****








今宵、

高輪エリアを歩いていたときのこと。



メジャーであるし

前々から存在は知ってはいたが、

自身が歩いたことは一度もなかった

不思議なトンネルを"くぐった"。




そのトンネルはまさに

なぜこんなに背が低いのか

と不思議で仕方がないほど
低いのである。



だが

車も通ることができる。

人も歩くことができる。





<高さ制限1.5m>と注意書きされた

謎のトンネル。


高輪側と品川港南エリア側を結ぶ

JRの鉄道線路下を通るトンネルである。

ご存知の御仁も多々あろう。





tonl1.jpg



(携帯電話のカメラにて)



高輪側から入ってしばらくは、

それでもまだ
人間は背を屈めなくても
ぎりぎり歩くことができる。


車もぎりぎり通行できる。




高輪側から入って

十数メートルも歩けば、

もはや
178cmのダモシは
頭を垂らせ
首を折ってでなくては

通行できない世界になる。



全身的に屈んで歩かなければならなくなる。


なぜ
ここまでして歩かなければならないのか。


そもそもこのトンネルは
なぜこんなに背が低いのか。



タクシー等はびゅんびゅん飛ばしているが

危ない。


ぎりぎりである。





品川港南エリア側からトンネルを見れば

その低さは如実に分かる。





tonl2.jpg



低い。

低すぎる。

もしかしたら
ニッポンで最も背の低いトンネル
(車通行可&歩行者通行可のもので)

かもしれない。





意図的か?

あるいは
余儀なくこうなったのか?


謎は尽きない。






そもそも98年以前の品川と
<本妻>復帰以後の品川の姿には
ドラマティカリーな落差がある。



ダモシは

未だ
品川駅の高輪側から港南側へ
行くためには

あの

駅最端&地下の
長い長い陰鬱なトンネルを延々と
歩かなければならなかった


時代しか知らなかった。





だが、

ダモシ不在の1ディケードで

東京都内でも
最も変貌を遂げたエリアともいえる

品川は現在、


巨大ステーションとなり
新幹線停車駅にもなり


港南側には
<ニューヨーク>をテーマにした駅ビル

その他、スカイスクレイパーが立ち並び

挙げ句の果てはSONY世界本社など
大企業もその社屋を構えるに至っている。



当然、

駅からそのまま港南側へ
行くことができるようになり、


人の流れは、

高輪プリンスなどを主砲として
栄華を誇っていた高輪側から

港南側へと完全にシフトした。





このトンネルは、

ダモシが以前<本妻>にいた
98年までの

品川の名残り

を感じさせる存在ともいえようか。







とまれ、トンネル。


このトンネルは、

<意図的>としか思えない。



そう解釈せざるを得ないほど
意味不明で
ロジックが成り立ちにくいまでに

背が低い


わけである。





だが一方で、

今となっては捨てがたいトンネルである。



高輪側から港南側へ移動するために

品川駅構内を横断し

ますます増加している
同駅利用者と港南側への人の流れに
埋もれて疲弊するよりも、


不思議なこのトンネルを
くぐっていく方が、


機能的に

近道かどうかではなく


心理的な面では



ともいえるからである。














posted by damoshi at 02:03| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月01日

う宮







今週の水曜日、
ジュニアは幼稚園の社会学習で
箱根への一泊旅行に出かけた。


誕生以来、
五年と約十ヶ月。

ジュニアは
一度も己がマミーと離れたことはない。

この六年弱、
夜は必ずマミーの横で眠りに落ちていた。


生まれて初めて親と離れての旅。

それが箱根ということだが、
泣くこともなく
大いに楽しんで帰ってきたようである。



幼稚園児の旅行で
行き先は箱根、
コストは三万円弱。


家族旅行に行くことができる
金銭的スペンドで
いやはやと思うが、


それでもジュニアにとっては

お金にかえられない
大きな経験となったことであろうからして

ダモシとしても喜ばしいことである。




帰ってきてすぐ。

金曜日の今日、
ジュニアは今度はマミーと二人で
那須へ避暑に出かけた。



今宵と
このウィークエンド、

ダモシは一人で過ごすわけである。








*****







先週、

またもやダモシは甲斐の国へ
遠征していた。


そして今宵、

三たび

駿河をめぐっていた。



一回目の駿河行は、

島田、焼津、静岡、清水が
メインで、


富士山を挑発していた
二度目の駿河紀行は、

清水、由比、沼津。



いすれにせよ

島田を最西に
東名、R-246、東海道を

東京方面へ戻るルートを採った。



今宵は

富士山麓の西側メイン部分である

富士宮市と富士市、
そして金太郎のホームである駿河小山

を走り、歩いたわけである。




この秋、

静岡県全域では
国民文化祭が開催される。








*****






富士宮。


まさしく
先般の富士登山へのエントランスが

この富士宮である。




紀元前、

富士山の山霊を鎮めるために
創建された浅間寺。


ニッポンに千以上ある浅間寺の
総本山であり
富士信仰のセンター・ステージである

富士山本宮浅間大社

があるのが

富士宮である。





それを含め、富士五山など

これもまた別枠で触れるが、


今宵はその富士宮のグルメといえば
ということで、


名物・富士宮やきそばを食したため

記したい。







fujinomiya1.jpg



ソース焼きそばとは異なる
富士宮やきそば。


ここに来たら、食さずにはいられない。


麺がまず異なる。
味的には焼うどんのような気もする。




富士宮市の解説では
以下のように紹介されている。



***
やきそばの麺は
一般的に小麦粉と水で練って蒸した後、
ボイルします。

しかし
富士宮の麺は少し違います。
富士宮の麺は蒸した後、強制的に冷やし、
油で表面をコーティングしています。

そのため
麺に腰があり、硬めの食感が大きな特徴です。
***




さよう。

麺の食感は、固めである。


それよりもむしろ
味が特徴的な感覚を受ける。




この富士宮やきそばは、
オフィシャルなご当地食品である。


ゆえにオフィシャルなルールがある。


それが味に反映されているのである。

オフィシャル機関ともいえる
富士宮やきそば学会が定める
調理方法に

それは見て取れる。






***

◇炒めるための油としては、ラードを用いる。
◇やきそばに加えるのが、ラードを絞った後の「肉かす」
 (一般的には、「肉」「天かす」など)
◇振りかけるのは、イワシの「削り粉(だし粉)」
 (一般的には、カツオの「削り節」など)
◇キャベツは、富士宮の高原キャベツ。
それも、水分が少なく歯ごたえのよい
「秋キャベツ」が良とされる。

***


その他まだあるが、
主な部分は上記のオフィシャル・ルール
となっている。



さらにポイントは、
ここは富士のエントランスであるからして

<水は、
 富士山の湧水を用いる>

というルールが設定されている点。






fujinomiya2.jpg



店の外にある富士山の湧水。

これは
食事中に飲料として自由に飲む
ことができるが、

店の人もここから水を汲んで
調理に使用しているのである。





調理ルールで加筆されている。



<調理の際の水加減が、
 (麺の)コシの強さの
 重要なポイントである>





さよう。



そしてこの富士宮やきそば。

最初は
<旨い!>と思わないが、

肉カスと
イワシの「削り粉(だし粉)がもたらす
微妙な甘みと

麺の特徴が、


じわじわと効いてきて



<また食したい>と思わせるのである。








fujinomiya3.jpg



富士宮やきそばの、オフィシャル店舗。




この店舗があるエリアには

もう一つの
富士宮の名物もある。





fujinomiya4.jpg



ニジマスである。

その名産を活用した
ニジマス・バーガー。


こちらは食していない。








それにしても。


富士宮やきそばの店舗の写真で見える
コピーの


<う宮!>。



ルビで

<うみゃ〜!>と書かれていた。




これは名古屋の言葉では?

とも思うが、いかがか。




まあ、いい。

















posted by damoshi at 03:05| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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