2009年09月27日

ぱちりダウンタウン







ジュニアの運動会が
来週のサンデーということで、


今宵のサンデーも
朝から近隣の公園で

先般購入したソフトグライダーで遊んだ後に
ジュニアのリレーの練習と
父親参加の競技に備えて
少し砂のグラウンドを走っておこうと

共にエクササイズに励んだところである。


その流れで
十一月には三つ控えている
ジュニアの空手大会にも備えて

新たな技の伝達ということで

屹立する大木に
ソバットの繰り返し練習を行ったわけである。


その後、

オープンの10AMには既に
駐車場は満車という

これまた
たまプラーザ独自の世界観と
マーケットを構築している

たまプラーザ東急に、

修繕で預けていて出来上がった
ニューヨーク時代に使用していた
ビジネスバッグをピックアップに行き、


新聞販売店に寄り
朝日新聞日曜版を、

コンビニに寄り
煙草とスポーツ新聞を

それぞれ買って

戻ってきた次第である。



今宵はダモシが嫌う
中途半端なダークスカイの晴れ。


秋ならば

からっとサニースカイにならんかい

と想うところであるが、


田園都市の不思議なところは

それでも
斜陽の時間帯の西の空は

いつも燃えるような夕陽が展開されるから

救いである。









*****








山の手や田園都市とは
まったく趣を異なものとするのが

下町。

いわゆるダウンタウンである。


周知の通り

リアル・ホームは
東京世田谷の三軒茶屋・駒沢という
エリア246&玉電エリアのダモシ。


その後も

上北沢や初台、その他

江戸城起点でいえば常に城西に

新宿や渋谷起点でいえば
常に
やはりそこから西、

いわば
京王・小田急・東急といった
私鉄沿線に住んでいる

山の手派である。



ニューヨーク時代も、

フォレストヒルズやレゴパークといった
クイーンズ・エリアにありながらも
山の手といえる瀟洒な世界観に
ずっと住んでいた。




趣向がそうなのであろう。


それは生まれた場所やエリアに
起因している。



例えば
東京でいえば
常に揶揄される存在の足立区。

足立区に生まれ育てば

三つ子の魂百まで
ではないが、

やはりそういった色合いが濃くなる。


浅草などのダウンタウンに生まれ育てば
一般的に言われるところのチャキチャキ
あるいは
現実の路上で見られる
"柄が悪い"的な様相に

三つ子の魂は

死ぬまで抜け切らない。




善し悪しではなく、

それがエリアがもたらす色合いという
ものである。


エリア環境は必ず
人に大なり小なり影響を与える。

佇まいや所作、言葉遣いなどに
エリア環境は
少なからず影響を与えるのである。



その影響力と磁力が大きいのが
ニューヨークであり、

ニッポンでいえば東京
ということになるのだが、

そこで受けるインスパイアが
刺激的且つ都会的であればあるほど
人を洗練させていくものである。




東京を語るとき、

リアル東京とはどこを指すのか。


これも正解はない。


人によって違うからだ。


浅草を挙げる人もいれば
葛飾柴又を挙げる人もいよう。

長らく
ローカルからやってくる人々に
とっての
"昭和時代の"東京のエントランスだった
上野を筆頭に取り上げる人もいれば、

谷根千を推す人もいるだろう。


これらはすべてダウンタウンだ。



六本木、新宿、渋谷、池袋などは
リアル東京には入らない。


ダウンタウン以外で
リアル東京に入るとすれば

区で言えば
世田谷、目黒、中野が挙げられる。


特に玉電の世界観がある
世田谷エリアとR-246は

山の手派にとっては
リアル東京として筆頭に推す

ダウンタウンとのライヴァリーを成す
存在であろう。




ニューヨークの
ヤンキースとメッツのように、

あるいは
ヤンキースと
昔のブルックリン・ドジャースのように、

同じ都市でも
エリアによるライヴァリーがある。


米の東海岸と西海岸で、
肌の色という意味での人種の違いではなく
考え方やライフスタイルや趣向という意味での
人種の違いが顕著なように、


東京でも
ダウンタウンと山の手では
人種は明らかに異なっている。



そもそもダモシは

地方色が色濃くなり
どこかドン臭いダウンタウンは

東京でもニューヨークでも
好きになられないのである。



東京に、例えば、

ダウンタウンにスワローズ
山の手にジャイアンツ

といった具合に

神宮と東京ドームという
至近エリアではなく

もっと広いレベルで
ダウンタウンと山の手それぞれを
ホームとするチーム分けにすれば


より盛り上がるのは確実



思っているところでもある。



それだけ
<エリア>や<セグメンテーション>は

重視すべきアイコンであるというのが

ダモシの考え方である。








*****







今宵まずは、

秋のサニースカイをバックにした
ダウンタウン景を数枚、


先週撮った
<ぱちりダウンタウン>の中から


掲載する所存である。







down1.jpg



浅草の象徴の一つ、花やしき。

これはまさしく
ニューヨークでいえば
ブルックリンは
コニーアイランドのルナパーク。


ダウンタウンらしさ全開である。






down2.jpg



雷門。

外国人が多いのは当たり前だが、
近頃ここも
チャイニーズが支配し始めている。

問題だ。





down3.jpg



頑張って
"盛り場"的に見えないよう撮った
浅草ROX付近のビル群。

浅草エリアのメイン・ストリートの一つ。


ダウンタウンの
ダモシが嫌う点の一つは、

繁華街が"盛り場"になってしまっている点
である。


"盛り場"風情こそ、いかにもローカルである。


このエリアも
頑張ってキレイ&セーフティな繁華街的に
見せようとはしているが、

その1m先では
怖い顔のおじさんが携帯電話でこう怒鳴っている。




<バカァッ!このぉっ!
 オラが礼を尽くして言っとるのに
 なにぃっ!

 お前、顔出せやぁっ!来い!今からぁっ!>



あぁ、怖い。

浅草らしさ全開である。







down4.jpg



浄土真宗東本願寺派の本山、
東本願寺。




down5.jpg


駒形橋。

<君はいま 駒形あたり 時鳥>で名高い。





down6.jpg







*****






舞台は上野へ。



上野といっても
少し歩けば東京大学。

少し歩けば谷根千。

やや歩けば本郷。



だが、上野は上野でこれまたドン臭い。






down9.jpg



上野駅。

特に東北からの
集団就職や出稼ぎの人々の

夢を乗せた列車が

花の都・大東京で
最初に降り立つ場所だった上野。


昭和の時代、ある人々にとっては

夢のエントランスだったのだろう。



今は外国人労働者も多い。



上野の、ダーティさが何とも言えない。

街全体に
昔の香港のような
いかがわしくもダーティな匂いが
染みついている。


例えば上野公園の不忍池や
上野動物園、巨大ミュージアム群などの
エリアから

上野駅やアメ横エリアに

歩いてくると

途中から
明らかに匂いが風に乗って漂ってくる。


この匂いが、ダウンタウンのダーティな匂いで

たまらなくなる。



好き嫌いで、
これを好む人もいる一方で

ダモシ的にはこれがイヤでしょうがない。



<キレイにしようよ…>と感じてしまうのである。



上野動物園等、上野を取り上げた寄稿は
当欄にもあるが、

たしか
その度に書いているはずだ。


世界に御すミュージアム群や
動物園の最筆頭格があり

近距離に
良い意味でのダウンタウンの
本郷、谷根千等擁しながらも

さっぱり垢抜けない上野のポスチャーは

いかがなものか、と。





垢抜けない上野は取り上げず、

ここでは
不忍池から数枚掲載したい。


これらの写真のすぐ近くはもう東大だ。






down10.jpg




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down11.jpg





これでもかこれでもかと
水面を埋め尽くす蓮。



down15.jpg



ただ、残念ながら
やはりこれも上野的。

新宿御苑の池の蓮のような
西洋的な風情がないのが

悲しいところである。






さらに歩いていれば
ダウンタウンらしさ全開の

ワケの分からない所作に遭遇する。




down12.jpg



down13.jpg




気持ちは分からぬもないが、


まあ
頑張ってくれ

としか思えない。



これが仮に
メトロポリタン美術館前だとしたら、


即刻

退場になるであろう
品の無さ。



それが東京ダウンタウンを象徴している絵でもあろう。








*****







ただ、

一方で、想う。



樋口一葉や阿部定が歩いていた頃の

東京ダウンタウンは

今よりもっと
垢抜けていたのであろうな


と。



その時代の、

東京ダウンタウンを

一時間だけでも良いから
タイムスリップして

歩いてみたいものである。














posted by damoshi at 11:46| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ケイバタイムス、復活へ







98年までの<本妻>時代に
ダモシが主宰していたものの一つに
競馬にまつわる同人紙誌があった。


その名もケイバタイムス。
正式名称とロゴタイプ表記は
英語で、The Keiba Times。


通称は、<ケイタイ>。

未だ携帯電話が出回る以前のことだ。

携帯電話は通称ケータイだろう。

だから
今でも<ケイタイ>は通用する。

商標登録したいくらいだ。




その名前は
ニューヨーク・タイムス:New York Times
に準えた。



1990年・秋に創刊した
<競馬通信>を前身として、

ケイタイと名を変えて
リアルに創刊したのが、1993年・秋。


その創刊号がこれだ。




kei3.jpg



未だワープロ時代。

ワープロで文字を打ち、
写真等はコピー。

それぞれの組を切って貼る
切り貼り方式で制作した。

切り貼りしたそれをコピーすれば
新聞の出来上がり。


当時から既に米のタブロイドを意識していたから

タブロイド版で構成された。




ダモシが
己がプライベート・ライフに
Macintoshが導入したのは

95年。


当時としてはエッジな
パフォーマを購入。

プリンタとスキャナ合体版の初期モノも
購入。


ソフトウェアに
当時の編集ソフトとしては
第一人者だった
ページメイカーまで購入。


劇的に生まれ変わったエディトリアルで
第二次(前身の競馬通信から数えて第三次)の
ケイタイが始まった。



そして、

ダモシの渡米を期に終焉を迎えた。


それが98年・春のこと。

最後は宝塚記念号だった。





kei2.jpg



ケイタイのファイナル・イシュー。






*****








ダモシは98年に渡米。


周知の通り、

主宰していたすべての団体を解散。

野球2チームも終焉した。





ニューヨーク、2003年。


UWO:Universal Writing-Arts Organization
という己がユニットにて
公式ウェブサイトを持っていたダモシは、

ケイタイを再開する。



98年以来五年ぶりの復活は、
ウェブ・ヴァージョンになった。


03年春シーズンのGI。



もともとケイタイの発行及び
予想家陣の予想ポイント・レースは

GIレースに限ったものだった。


ただし
GIは春シーズンと秋冬シーズンで

毎週行われるため

発行はウィークリーとなった。



春シーズンのニッポンの2003年。

五年ぶりに
ウェブで復活したケイタイ。



だが、

予想家全員が連戦連敗。


誰一人、1レースも的中できないという惨状に
ダモシはブチ切れた。


春のGIシーズン掉尾を飾る
宝塚記念を前に宣言。



<このまま宝塚も全員不的中となれば、
 春シーズン全員全敗という憂き目に遭う。

 もしそうなったら、ケイタイをやめる>。




そして迎えた宝塚記念。


全員不的中。



五年ぶりに、異国ニューヨークで、
且つウェブで
復活した第四次ケイタイは


終わった。








*****







それからまた、

今度は
六年の歳月が流れた。



ダモシは<本妻>に戻ってきた。


当時の仲間は
未だ付き合いのある人もいれば、

それぞれとのコンタクトが
消滅した人もいる。


ダモシ自身がまったく音信不通の人もいる。

それぞれ同士が
所在さえつかめないケースもある。




ニューヨーク時代の第四次ケイタイは
参加者の色合いも
微妙に異なっていた。



いま、ダモシが<本妻>にいることで

仮に復活した場合、
可能な限り
第三次までの

最もケイタイが盛んだった時代の
メンバーが

数人参画してくれるのではないか。


そういう期待感もある。





むろん

秘めている
<野球チームの再結成>も

それこそ密かに潜航して

心の準備を

継続して進めている。





そうこうしているうちに、

ケイタイでも野球でも
仲間だった後輩の一人が

この夏に急死した。


そのソウルを背負い

彼が旅立つ(葬儀の日)時に

ダモシは富士山に登り

その頂で
レターをしたため、吠えた。


<バカヤロウがぁっ!>

と。


レターは

ワイフが
後輩の奥方に手渡した。



彼は亡くなる当日も
競馬の馬券を買っていたという。


その馬券は、的中していた、と。


最後の彼の当たり馬券に、
それはなった。





<競馬>。

競馬を語るとき、
いわずもがなだが
競馬だけの世界観ではない。


それはプロレスや格闘技にも等しく

より
カルチュラルなテーマへと派生する。




競馬もまた

文学であり芸術であり
スポーツであり
遊びであり

恋愛関係であり

社会の縮図であり

と、


多くの要素を内包する。



それを語るとき、

単にネタとしての<競馬>には
収まりはつかない。




ケイタイは、

競馬を通して
何を語るのか/何が見えるのか



各人が

それぞれの性格色濃く

多彩に伝える場であった。






時は来た。


ケイタイの復活である。



03年春シーズン以来、

六年ぶりのケイタイ復活が
この09年秋シーズンに果たされる。



現時点で10人以上の予想家で構成される
ことになっている。



何よりも

直接声をかけた全員が

即座に快諾してくれたことが

嬉しい。





野球に関しても

<やるならもちろん、参加しますよ>

と。




嬉しい限りである。



亡くなった後輩の
トリビュートでもある。


その意味でも
いま復活するというモチベーションは

成立するのである。





1990年:
前身の競馬通信

1993年:
ケイタイとしてリニューアル(第二次ケイタイ)

1995年:
Macintoshによる第三次ケイタイ

1998年:
終焉


ここまでは90年代の大半に当たる
八年間をずっと継続してきたケイタイ。


そしてフェーズが変わり

2003年:
ニューヨークでウェブ版
第四次ケイタイが
五年ぶりに春シーズンのみ復活。




2009年・秋。

あれから六年四ヶ月ぶりに
この10月に

ブログ版にて
第五次ケイタイが復活する。







いま、そのスキームを策定しているところである。

予想家レースのポイント制や寄稿と掲載方法
などのスキームとルールの詳細を
詰めている。


それが確定次第、
確定している参加メンバーには告知する予定である。




むろん

この秋シーズンで
最後の有馬記念まで
誰一人として的中が出ない場合は、


ニューヨーク時代同様に

シビアに廃刊とする。



出るだろう。

今回は
98年までのように

苛烈なる予想家レースが繰り広げられる
ことであろう。



皆、オトナになった。

熟しているだろう。

読む人にとっても
競馬に興味のない人でも
楽しめるような内容で

展開できよう。






kei1.jpg



(当時の誌面メインの一つだった
 オリジナル馬柱表。
 ここに予想家それぞれの印や
 前の週までの獲得ポイントも掲載されている)。








*****







<本妻>復帰以降で再会した人の
一人で、

ケイタイ参加者ではなかったのだが

読者であった

ある人がいた。



その人と再会した日、

彼が

<今でも大事に持っていますよ>
と言って

引き出しから取り出したものが

ケイタイだった。




ダモシとしては
込み上げるものを抑えるのが
大変で、

それを悟られぬようにするので
精一杯だったほど


嬉しかったものである。







参加者も読者も。

変わりなく仲間である。



そしてオトナではあるが、

気持ち的には

こういうものをまた
主宰してやるというところの
モメンタムは、


<遊ぼうぜ>

というコドモのようなシンプルなものである。




野球やろうよ

一緒に遊ぼうよ


という

コドモのそれと

何ら変わりはない。






さらに言えば、

いま
ジュニアがいる。



彼にも参加させる。

当然、幼児のこと。


彼には予想だけ参加させるが、

幼児が
どういう視点で
なぜその馬を選ぶのかという部分で

注視したいところであるし、


ある意味で

予想などできない幼児が

適当なチョイスだとしても
絶対にその背景には
それを選ぶ感覚の心理的背景はあるはずで、


それがどんなものなのか

も見てみたい。



さらには
我々オトナが予想をした上で
つけた印と

コドモが
感覚でチョイスするそれの


<結果>での差異がどうなるかも

マーケティングや心理学的考察の意味でも
楽しめるのではないか

と考えているからである。





それこそ

予想や展開を考えずに

名前の響きや色などから
そこに
コドモならではの
オトナにはない感性をもとに

つけた印の蓄積のポイントが

有馬記念の頃に

我々オトナよりも
上回る可能性がないとは


誰も言いきれない。





そして過去の戦績で

年間ランキングで
5位と3位に入ったことがある

ワイフも参戦する。

ワイフには
心理カウンセリング的視点での
予想が展開されることを期待する。






一発目は10/4のスプリンターズ・ステークス。


その週頭から創刊して
ブログはオープン予定。

オープン以降は適宜寄稿の他、
GIレースに関しての予想家陣の予想コラムや
馬柱掲載等。



GIスケジュールは以下。



10/4 
スプリンターズ・ステークス

10/18
秋華賞

10/25
菊花賞


11/1
天皇賞・秋

11/15
エリザベス女王杯

11/22
マイル・チャンピオンシップ

11/29
ジャパンカップ

12/6
ジャパンカップ・ダート

12/13
阪神ジュベナイル・フィリーズ

12/20
朝日杯フューチュリティ・ステークス


そして

12/26の<中山大障害>と

大トリの12/27<有馬記念>。



全12レースが予想家ポイント・レースの
対象となる。





開設時にまた当欄でも告知する次第である。


















posted by damoshi at 01:10| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

NOW-153m







再来年完成する新東京タワー。


着工から一年二ヶ月が経過した現在、

その高さは153m。





skytree1.jpg


秋の澄み切った空に伸び上がるツリー。







*****






完成すれば
自立式鉄塔での世界一のみならず、

超高層建築でも、

ドゥバイのブルジュ・ドゥバイに次ぐ
ナンバー2になるということだ。




東京スカイツリーは
未だその半分にも至っていないが、
既に高さを感じさせている。


それもそのはず、

東京ダウンタウンの
周囲に超高層建造物がない
エリアに

突如として現れた感があるからだ。




<あぁ、何もないダウンタウンだな…>。


ドライブ中はそう感じる。


同じダウンタウンの中でも
谷根千や上野、浅草ならばいざ知らず。

また
同じ墨田区でも
両国や蔵前ならいざ知らず。


ダウンタウンはダウンタウンでも
それらと異なり、

墨田区は墨田区でも
それらとは異なる。


それがこの東京スカイツリーが現れる
墨田区押上。




上野や浅草を抜けてきて
言問橋で隅田川を渡ると

そこはダウンタウンの中でも

東は
オールモースト千葉の世界観になる。


東京は東京でも
亀戸、小岩など
少し歩けばもう千葉のエリア。


北へ目を転じれば
茨城、千葉も間もなくといった
ロケーション。



正直、東京人にとっては

ほとんど用がないエリアである。


行っても浅草。行っても上野。
そこがある意味で
観光やお散歩の境界線。


その境界線は隅田川。

隅田川越えて間もなく辺りは
両国などはまだ行くが、

荒川越えはまずしない

といった世界観である。



ぎりぎりセーフで生き残るのは
葛飾柴又といった案配である。




この東京スカイツリーの最寄駅もまた
マニアックな押上。


いかがなものか、と。


なぜ、ここなのか、と。


場所がなかったのであろう。


いくら東京スカイツリーという名でも
千葉もありだよ?という

"東京ディズニーランド"や
旧"新東京国際空港(現・成田空港)"のような
発想で、

千葉にありながらも"東京"の冠を頂く
手法もあったとしても、

千葉にそれを作るのは
認められまい。




東京都内で、

且つ
一般ゼネラルな範疇での<用ありエリア>を
考慮し、

且つ
空きスペースを勘案すれば、

必然的に

ココしかない

という結果になったのであろう。




だが、ロケーションがいただけない。


ココまで来るのに面倒が大いにある。


たまたま
ドライブしていて
デスティネーションに向かう途中に

それがココにあったから

今回目にしただけで、


この東京スカイツリーを
デスティネーションとして

オトナの遠足&お散歩をすると考えた場合、

<押上まで行くか…?>
という


"面倒だな…"感が沸いてきてしまう。





だから現時点では、

このツリーの展望台や
ここに出来る商業施設が
よっぽど世界初のショップが登場したり
欧米のブランド初進出などがあったり、

ココでしか手に入らない
東京スカイツリー・グッズで
消費者便益を過剰に満たすものがあったり


しない限り、


ココまで来るよりもむしろ

東京人の多くは

これをスカイスクレイパーとして
楽しむべく

浅草や上野その他都内の
ロケーションの良い各所から遥拝する
という世界がメインになるのではないか


と感じられるところである。




何しろ周囲に超高層建築がないから、

東京スカイツリー一本かぶりで

見事なスカイスクレイパーが
見られるであろうから。



ただ、

夜景や
リアルな意味でのスカイスクレイパーを
考えた場合、

周りに何もない

というシチュエーションは
ディスアドバンテージになると考える。



本来、

ワールド・トレード・センター(NY)にしても
エンパイア・ステート・ビルにしても
シカゴのシアーズ・タワーにしても

その他の超高層との絡みも含めた上での
スカイスクレイパーであり、

一本かぶりではない。



むろん単独でも強烈な存在だが、

他もクロスすることでの
大迫力のスカイスクレイパーを
醸し出すのである。


東京でいえば

西新宿摩天楼が好例である。



その点、

"下"がどういうエリアか
誰もが分かっている中で、

東京スカイツリーが

一本かぶりで屹立する様としての
スカイスクレイパーは

いささか不満を覚える

危険性を孕んでいると思われるわけである。









一方で期待できるのは展望である。

要するに
ツリー自体のスカイスクレイパーではなく

その展望台から見る東京の
スカイスクレイパーや夜景である。


東側や北東側は
それぞれ千葉、埼玉、茨城なので
何の眺望的期待感は持てないが、


南西側が期待できる。

眼下に浅草、上野を従えて

西は

東京タワー
六本木ヒルズに東京ミッドタウン
西新宿摩天楼。

南は

遠く横浜ランドマークタワーに
手前の汐留、レインボー・ブリッジ。


そして遠望で、富士。




西日射す冬の夕暮れ時が最高になる

期待感が持てるわけである。




なにしろ東京タワーからの展望が
現時点では都内と横浜、富士を
一様に捉えられる唯一の構図だが、


新東京タワーたる
東京スカイツリーの位置を考えれば

その中に
東京タワーをも捉えることができるわけだ。



スカイツリー自身は映らないが、

大都会の象徴の数々と
ニッポンの象徴・富士を

一堂に会して

眺望することができるであろうという期待感。





それが、

東京スカイツリーへの期待感となろう。



決してそのエリアへの期待感はない。







skytree2.jpg




skytree3.jpg




skytree4.jpg






















posted by damoshi at 13:51| スカイスクレイパー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

田園の憂鬱は…






横浜市で見てみると、どうなるか。

横浜18区の合計患者数は約6万人。
休日の急患診療所は
各区に一ヶ所で内科一名、小児科一名の医師。

これでは
十分な対応
〜処置のみならず順番待ちという精神的苦痛のケア含め〜
は困難だろう。


横浜市内。
三ヶ所しかない夜間の急病センター。

例えば桜木町管内約5万人の患者に対して
内科一、二名、小児科一名という陣容。

これも無理があろう。



小児が満足なケアを受けずに夜間、
救急にかかりながらも
亡くなったケースは多々。


一方で
あまりにもタフな勤務環境に
心身を苛まれた小児科医の自殺もある。




市町村のみならず、

国がもうすこし

<休日夜間の救急医療>をケアして
充実させるようにするべきではないか。



昨晩、

否、今朝。


ダモシは2AM過ぎに床についた。

3AM頃、ジュニアの咳で起こされる。

3:30AM過ぎ、
<ダメだな。病院行くか>と起き上がる。

ワイフが調べて
一ヶ所近隣で当番の休日夜間対応病院が見つかる。


それは港北エリアの大学病院。


車で飛ばして5分。

4AMには受付。



大学病院だから駐車場は巨大。

すいすい入ることが出来たから
<お?空いているか?>と期待を持ったが、

無念。



ロビーには小児科への患者だけではなく

若者もシニアもいる。




<なんだかなぁ…>とため息。


挙げ句の果て、呼ばれて診察に入ったのは
5:30AM過ぎ。



一時間半、待ったわけである。


その間、
大混雑というほどのものではなかった。


単に医師不足。

そう思われる。

且つコドモのみならず
小児科のみの休日夜間診療ではなく

リアルなエマージェンシー・ルームゆえ

オトナの重篤者もいるから
順番待ち人数が少なくても
待たされた時間が甚大になるのであろう。



いやはや、と。



ドクターの問診。そして懇談。


ぜんそく的な兆候はない、と。

ホームドクターで行った
アレルギーの検査結果を
まずは待った方が良い、と。


一応、アレルギーのドラッグは出しますが、と。





不思議なのは、ジュニアの咳である。


ぜんそくという可能性は低い、と。

で、
自宅を出るとパッと治るのである。



<じゃあ病院行くぞ>と外へ出た途端、

道中の車内から既に
咳は止まっている。


そして病院に着く頃には

すやすやと眠りに落ちているのである。



<いったい、なんじゃ>と。

<どないなっとんねん!>と。


こちとら眠らずにもう疲弊するぜよ、と。




ドクターは言う。

家の中の埃その他、
要因はいろいろ考えられますが…

と。


ただ、大きな病気っぽくはないので
なんとも言えませんが…


と。




部屋は毎日、マメに掃除されている。

キレイな方だと想定する。

ダモシの部屋とて
ゴミは一つもない。

煙草は己が個室でしか吸わない。

猫の毛云々を言うならば
ジュニアが生まれたときから猫はいた。




考えた。



<もしや…>と思いついたものが一つある。



ウルトラの母から受け継いだ
ソファやダイニングテーブルだ。


奇妙な部分で神経質な性格のジュニア。

猫がごとく
匂いがわずかでも異なると
それをイヤがる。


車の中に
すこしでも煙草の香りが残っていると
イヤがる。


その神経質な性質が、

これまでここになかったものへの
アジャストを阻害しているのではないか、と。


それらが搬入されてからが

ジュニアの咳が顕著なのである。


また、それらが搬入された頃合いから
押し入れその他
室内の大掃除を施していたことで


匂いや埃等が

包括的に

ジュニアのなにかしらの
影響を及ぼしているのではないか、と。



しかしそれはあくまでも想定に過ぎない。

且つ
医学的な根拠には何もならない。


咳をしている。
そして、それが朝や夜中に止まらなくなる
という症例に対する

医学的なはっきりとした原因を

突き止めなければ気が済まないわけである。




それにしても

よりによってという形で
ホームドクターたる
近所の小児科医は

しっかりとこのシルバー・ウィークは全休で

しかも
連休明けの木曜日の明日も
定休日。



なにをしとるのか!




憤りを感じる次第である。


人の命を預かる病院が

のうのうと休むか?

と。




休むのが悪いとは言わない。

病院とて
いくらキレイごとを述べたとしても

経営でありビジネスであろう。

割に合わない、すなわち、P/L表で見れば

Lが多く
Pの少ない

休日夜間診療は行わない
という方針は

ドライに考えれば
経営戦略としては合致するのであろう。



だが、それで良いのか?

と。



個人病院もビジネスライクな大病院いずれも

<事業>としてを最大懸案要素にして
運営しているのであることは明白だから、

彼らに言ったとて無駄だが、

国には言いたい。


国が助成するなどして

もっと
休日夜間診療の受け入れ病院の数と
勤務医の報酬アップ、交代制の明確化等々を


ケアできないのか


と。



するべきではないか

と。





せっかくの休みの日の、

しかも
休みの最後の日を迎える前夜から
明け方にかけて

こういうことになり、


帰宅したのが7:30AMという有様は、



いったい
なにをしとるのか


となってしまうわけである。



それこそベイビーや幼児を抱えた
お父さん、お母さんたちは皆、

顔が死人のように疲れ果てていた早朝の病院。



なんとかならんのか、と。



何度も言うが、

幼児の身体異変は
特に深夜に起こる。


そのたびに親は飛び起きて
己が眠かろうが疲れていようが
一生懸命ケアするわけだ。


だが、その道のプロではない。

最後はドクターと病院へ駆け込むのである。



そのドクターと病院が
満足な受け入れ態勢を整えていないと

どうなるか

と言えば、


今朝も
エキサイトして怒鳴る父親がいたが、

そうなる気持ちもよく分かるわけである。


皆、我が子の具合の悪さに
冷静でいられるわけがないのだ。





・子供手当
・高校授業料無料化
・高速道路無料化

は大賛成だが、


民主党に願うならば、

政治家や官僚のペイロールを少しでも減らして

その分を
休日夜間診療のドクターや病院の助成に
充てられないのか?


あるいは


そういう考えも思いつかないか?


と、問いたいところである。




子供がいなければ分からないことかもしれぬが、

誰もが子供だったのだ。

昔は。


そして今は強いオトナかもしれないが、

誰もが弱い幼児だった。

誰もが親に病院へ連れていってもらったのだ。







ダモシは

<悪いが、コンビニに寄るぜ。
 たっぷりとご飯を食べて、
 新聞を読んでから寝るぜ>

としてから、

8AM過ぎに床についた。



目が覚めたら1PMだった。






一般的なOFFもONも関係ないが、

それでも
一般的なシルバー・ウィークに
わざわざ迎合した今回。


その休みの最後の日の、

計画が崩れた。




まったく困ったものではあるが、

ジュニアが元気であれば
それに勝るものはないわけだから、


ヨシとするところである。



今夜もまた、咳が止まらぬことになる可能性も

なきにしもあらず。



一刻も早く、

徹底的に調べて
原因を明確にして、

その対処法を措ることができるよう
前に進まなければならない。



こんなことが毎晩では、

それこそ父親も母親もダウンしてしまうわけである。





ほとほとダモフィーロには感謝である。

ダモフィーロがなかったら
と考えると、

ゾッとする。








*****








earlymorning1.jpg



earlymorning2.jpg




アーリー・モーニング、エリア港北。


病院を出て薬局へ。

薬局の
薬剤師のケアも、もう少し迅速に出来ないのか。

なぜ
薬剤師の薬提供は

あれほど時間を要するのか。


これもこれで困ったものである。


すべて、もう少し合理的に、迅速にできるはずだ。






writingbrush.jpg



ダモシが午後目覚めると
元気なジュニアがいた。


<散歩に行くか>と

ジュニアが乗りたいという
ママチャリを駆り、

後ろにジュニアを乗せて

散歩に出かけると、


朝までの田園の憂鬱を

キレイに、

だが、

それは一瞬だけ、

拭き取ってくれるがごとき
金色のライティング・ブラシが

風になびいていた。







そして今宵も

田園都市の夕方

西の空は、

例の燃えるような空になった。







burningsky.jpg












posted by damoshi at 21:59| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

<明日の神話>の元素材





まるで巨大な白鯨か、
ツェッペリン号がごとき飛行船か。




fukuryu4.jpg




否、

これは第五福竜丸。

総トン数は140.86トン。
長さ28.56m、幅5.9m、高さ15m、深さ3mの
大きな木造マグロ漁船。







*****






第五福竜丸といえば、

マーシャル諸島はビキニ環礁で
米が行った
水爆実験の煽りを受けて

死の灰を浴びたニッポンの漁船である。



乗組員のうち
一名が半年後に死亡。


時に1954年。



この年は
マリリン・モンローが
メジャーリーガーのジョー・ディマジオと
結婚後のハニームーンで
日本を訪れたり、

オードリー・ヘップバーンの
優雅さ全開の
<ローマの休日>が公開されたり



欧米の豊かさが

ニッポンにも多く入ってきていた一方で、

国内では青森と
異国"北の某"を結ぶ青函連絡船の
洞爺丸が沈没したりという
嘆かわしい事故もありながらも


力道山によってプロレスを通して
米=悪党を退治するという
エンターテイメントに

大衆が歓喜する等、


全体的に明るいモードは漂っていた
ように感じられる。



しかし

未だ暗い影を改めて落としたのが

米による水爆実験と
第五福竜丸の被曝である。






fukuryu5.jpg




近海漁業では現代でも
木造漁船での漁は行われているというが、


当時は
木造漁船での遠洋漁業は当たり前だったという。


間近で見れば
第五福竜丸の迫力たるや
錚々たるものであるが、

これが遠洋という大海原を
センターステージに想像した場合、


いささか心許ない。



勇気があるというか

慣れなのか。


よくぞ船員たちは
対大海原という意味では
"こんな船"で

遠洋漁業に出かけたものである

と不思議に思う。



自分ならイヤだな、と。





1947年に和歌山で建造された第五福竜丸。

当初はカツオ漁船として活躍。
後にマグロ漁船に改造されて遠洋に出た。


水爆実験での被曝後は
再改造されて大学の練習船に使われていたが、
その後、廃船に。

廃船になった後、紆余曲折を経て

東京都によって

<遠洋漁業に出ていた木造漁船を
 実物によって知ってもらおう>

という

エデュケーショナル要素と共に、

<原水爆による惨禍が
 ふたたび起こらぬように
 という願いも込めて>


入手し、ミュージアムへの展示が決められた。





今、第五福竜丸は、

東京都江東区の夢の島公園内の
第五福竜丸展示館に
エキシビットされている。





fukuryu2.jpg





館内には
船のみならず備品から当時の新聞コピー、
その他資料が展示されている。


当時の新聞を見て驚いた。


新聞の、サブコピーに


<被曝しながらも遊んでいた船員たち>

といった言葉が並んでいたからだ。




いくらなんでも

船員たちが当時、

己が水爆実験の死の灰を浴びながらも
何ともないぜ
と思って

遊びながら

クルーズし

ゆっくりと時間をかけて

焼津港に帰港したわけがあるまい。




しかし当時のメディアは

そういう受け止め方を
一部ではしたのであろうか。



被曝した後も、SOSを発したりせずに

なにごともなかったかのように
潜航するかのように

帰途について
焼津の港に戻った第五福竜丸。



そうしたのは意図的で、

今でも
被曝の影響を認めていないという米のこと、


当時であれば

危険水域外にいたにも関わらず
被曝させてしまった船が多々あったらしい

というシチュエーションでは、

隠匿目的で撃墜していたとしても
おかしくはない。




米にとっての臭いものに蓋という手法で、

第五福竜丸も
撃墜の危険があったのだろう。


それを察知した第五福竜丸側が

危険信号や情報を発せずに
なにごともなかったかのように

とにかくホームに帰ろう

という選択をとったと考えられるのは
妥当であろう。




新聞の

<遊んでいた>云々は
あまりにも軽率な

当時のメディア気質といえまいか。





結果、

焼津に帰港した第五福竜丸の
乗組員は全員、
急性放射能症で東京の病院に入院。


前述の通り

無線長は半年後に死亡。


船が漁をしたマグロは全廃棄。




またメディアは暴走。

当時のメディアの騒ぎ方の
方向性が

一般国民による
マグロへの
不必要な風評被害を助長した。


大騒ぎする国民。


魚屋は看板を掲げる。



<ウチのマグロは大丈夫です>

<汚染されていません!>




現代における近年の
かいわれ大根や牛肉騒動での
風評被害と同じだ。





歴史と時間が証明する以外に

収まりがつかない騒動。


騒動の渦中には誰もが冷静さを失う。


死の灰を浴びた乗組員への視線は、

現代の
新型フルー容疑者への視線にも通じる

日本人独特のイジメ文化、排除文化が

見て取れるわけである。





ラブ&ピース以前に、

そういった
"そもそも"人格的且つ性格的に

あまりよろしくはない日本人の
マナーの改善こそ

千羽鶴で願いたい。






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この1954年の暮れ。


吉田内閣に代わり、

世は鳩山一郎内閣になった。





当欄に掲載した
岡本太郎<明日の神話>
(京王井の頭線・渋谷駅コンコースに展示)は、


この第五福竜丸が被曝した瞬間を

モチーフにした作品だという。






fukuryu1.jpg








:::::






<第五福竜丸展示館>


入館無料。

夢の島公園内。



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JR京葉線
東京メトロ有楽町線
りんかい線
<新木場>駅下車、徒歩約10分。


首都高湾岸線・夢の島IC下車、約1分。








posted by damoshi at 21:47| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダモさんぽ〜たまプラ






ジュニアの咳は
今朝からはほとんど出ないという不思議
の中、


<蕎麦でも食すか。
 で、ぶらぶらするか>

と、

"ちいさんぽ"ならぬ

"ダモさんぽ"で

ジュニアが通っている道場がある

<たまプラ>を徒歩で。





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昨夏もフィーチャーした
<たまプラ>。

たまプラーザ。


これまた
田園都市線ならではの
独特の世界観が広がるエリアで、


住所的には
横浜18区の青葉区は
美しが丘がメインとなる。






シロガネーゼ:白金(東京・港区)

アシヤレーヌ:芦屋(兵庫・芦屋六麓荘)

に等しく、


田園都市線の中でも

ニコタマダム:二子玉川(東京・世田谷)

あざみネーゼ:あざみ野(横浜・青葉区)

と並び
<たまプランヌ>として
"奥様系"で呼称分類されるエリアである。



シロガネーゼとアシヤレーヌが

ある意味で
誇張型消費属性が強いのに対して、

田園都市という特異性を持つ
あざみ野とたまプラーザのそれは

心理的なエクスポージャーはなく

じぶんじかんの愉悦を
自然体で楽しむスタイルが成り立っている。


それはニコタマダムも同様。



この三者の中で特に

二子玉川とたまプラーザは奇異で、

それぞれにある
高島屋と東急SCがいずれも

"普通に"高島屋と東急SCではない
格付けを持っていることでも分かる。



二子玉川の高島屋は

高島屋ではなく

玉川高島屋であり、


たまプラーザの東急は

東急百貨店もしくは東急SCではなく

たまプラーザ東急百貨店
たまプラーザ東急SC

であるという

スペシャルな存在として
鎮座ましましているわけである。



そして、いずれも駅は大きく、

それこそ
ローカルの県庁所在地の数倍
駅乗降人員も多く

周辺のエッジな店舗のレベルも数も
際立っている。



たまプラーザは特に、

田園都市ということから
緑も豊かであり

山の手の瀟酒感と
都会的なセンスに、

過不足ない緑が交錯し、

その調和が見事に図られている

希有な街といえるわけである。





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ウィークエンドのブランチと
"ぶらぶら"に
最適な環境がここにある。








*****





ジュニアが通っている道場も
駅から至近だが、

そこを通り過ぎて並木道をさらに
ぶらぶら。



すると一軒の気になる店が目に留まる。



<面白そうだな。見てみるか>

とジュニアと二人店に入ると、

そこは昭和レトロ・ワールド。



今ではもう珍しい駄菓子屋さん。






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店内はもう
ダモシ世代なら涙モノの逸品の数々が

当時と変わらぬ世界観で
並んでいる。



興奮したダモシとジュニアは思わず

籠を手に
そこに小さな駄菓子を一つ一つ
チョイスした。






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懐かしい昭和の駄菓子の数々、

プラスα
現代のネタであるが
変わらぬ駄菓子屋の基本アイテムである

カード、ブロマイド類。






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あんずボーに、きびだんご。

そして
ノスタルジー満載の
ソフトグライダー。



あんずボーは早速、冷凍庫に入れた。

かちかちに冷やして食せば、
昭和へタイムスリップ。






早速ダモシはソフトグライダーを

組み立てた。


これがまた、よく飛ぶのである。

とても
70年代(だったと思う)の代物とは思えないほど
精度が高い。


振り返れば昭和のおもちゃは
デキが優れていた。



現代のデジタルおもちゃ
(ビデオゲームなどの類い)では得られない

原始的だが

子供心を育成しワクワクさせる
おもちゃ。


手づくりのおもちゃは、

それだけで
知育玩具として
現代のそれよりも有益と思うのだが

いかがか。





showa1.jpg



昭和のおもちゃのレベルの高さは、

現代の幼児ジュニアが
興奮して
大喜びで何度も飛ばして遊んでいる
という事実を見ても

証明されよう。




これが、ほとほと、よく飛ぶのだ。

そして
飛び方が実に美しい。


まさにスカイハイといった風情である。







といったところで、


今宵の
ダモさんぽは、


たまプラーザと相成った次第である。






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ニューヨーク時代に愛用していた
大きめのビジネスバッグの
修理も、

たまプラーザで今宵依頼した。


一ヶ月の入院だという。








*****





<たまプラーザ>

(そういう住所エリアはない。
 住所エリアでは、横浜市青葉区美しが丘)。




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渋谷から田園都市線急行で19分。











posted by damoshi at 16:43| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

青葉・都筑・港北の弱点





ある意味で
弱点のないエリア。


生活する上で
考え得る消費者便益を満たす種類と内容が
ハイレベルである田園都市だが、

今宵、

弱点を一つ感じた。







*****






幼児を持つ家庭の"ルーティン"の一つが、

夜中や休日の
幼児の身体不調と
それに伴うケアが挙げられる。

いずれの家庭も

子を持てば共通のミッション。



男も女も
結婚して子供を持てば
次第にミッションが増えてくる。

そして己のじぶんじかんは
次第に減少していく。


減少するじぶんじかんを

減少させないためには
その精度を高めることと同時に
やはりそれなりの時間を必要とする。


必然的に寝る時間を削って

ということになる。




ダモシ軍もジュニアの深夜帯や休日帯の
それには
だいぶ慣れてきている。


先週か先々週も

ダモシがようやく眠りについた
三十分後の4AMに起こされて

<頭が痛い>と。



<またか>と。

<病院行くか>ということで
エマージェンシー・ルームに電話。




もともとこの田園都市にやってきてから
車でほんの5分程度の
大学病院へ行っていた。


緊急の場合は、である。



・激しい頭痛
・嘔吐

などが、その主な症状である。


風邪程度では、行くことはない。


その大学病院へは三度四度と
エマージェンシーで
出向いていたから


<近いし、便利だな>と思っていたのだが、

どうやら
その大学病院は

"普通"

救急は受け付けていないという。

救急での初診も
本来は受け付けていない、と。



たまたま最初にその病院へ
緊急で訪れた際は

たまたまその病院が
青葉・都筑・港北エリアの
エマージェンシーの当番日であり、

その"たまたま初診"をもってして

常連扱いになり、

初診以降三ヶ月以内に受診すれば

都度

常連扱いになって
受診が可能になっていた

らしい。



三ヶ月という枠組みを過ぎた今、

その大学病院へ駆け込めば良い
というスタイルは措れなくなっていた、と。








*****






<本妻>に来てからずっとだが、

ジュニアの鼻がおかしい。


鼻炎か、と。

風邪でないのに鼻が詰まったり
咳をしたりするケースが多い。


今月に入って咳が、

まるでぜんそくのように止めどなく出る。


朝が特に酷い。

深夜、それで起きてしまうこともある。



<おかしいぞ>と。


近隣のホームドクターによれば
<アレルギーの可能性もある>と。



先週、血液検査でアレルギー検査を行い
今週結果は出るのだが、



今宵は

9PM過ぎになって
まったく咳が止まらなくなった。


これではマズいぞ

ということで
エマージェンシー・ルームへ。


どの病院が当番なのかを調べるべく
ワイフが電話。



すると

青葉・都筑・港北エリアのそれは
二つある、と。



一つは何と三時間待ち。

もう一つは
電話越しの想定では一時間半待ち。



後者にとにかく行こう、と。


で、行った。


港北エリアの
一大マーケット・エリアを通り越してすぐを
左折してまたすぐ。

そこは住宅街。


"普通の"住宅街の
細い道路。

家々が並んでいる。

その家々と遜色ないポスチャーで
個人医院のような
救急医療室がある。



大通りから
その医療室がある住宅街へ左折する
曲がり角から既に

車が列をなしている。




<なんじゃ、こりゃ>と。


強引に入って医療室の前へ。


そこにいる係員に問う。




<もしかして、これ、駐車場が一杯で
 皆さん路肩に止めて待っているのですか?>。



そうだ、という。



アホか、と。

何も通り一遍に
医療室の前の住宅街の通りの路肩に沿って
列をなして待つ必要はなかろう。


道は、
その医療室を中心に
東西南北にある。


そのどこかの路肩に分散して待てば

良いのでは?


と、


ダモシはそんな阿呆な列には並ばずに

医療室ヨコの通りの路肩に
車を停めた。




受付に行くワイフ。



<一時間程度の待ち時間らしい>と。


だから
一時間後くらいにまた来てくださいと
言われたらしく、

受付だけを済ませて
車に戻ってきた。


自宅へ一旦戻るか否か。

ここで一時間待つのもいかがなものか、と。



<戻るか>と述べた後でダモシは

ドラッグストアがあれば
そこで応急の咳止めを購入して
今晩は凌ぐのも手だぞ?

と提案。



受付した時間が10:40PM。

11:40PMにまた来るか、
その前にドラッグストアを見つけて
提案した処置を施して
とりあえず寝かして急場を凌ぎ

受付で置いてきた保険証だけを
ピックアップに医療室へ戻ってくるか

という世界である。




そうしやう。





ところが、である。




例えば六本木や渋谷や新宿

あるいは
中野にしても高円寺にしても

さらには永福町、三軒茶屋などであれば

24時間オープンのドラッグストアはあるだろう。



ニューヨーク時代に住んでいた
レゴパークやフォレストヒルズも

"普通に"24時間オープンの
ドラッグストアはあった。



ところが、このエリア。


これだけのマーケットを誇り
ショッピング・ゾーンも誇りながら


完全無欠のファミリー・ターゲットという

イデオロギーのせいで

夜の時間になると
完全に眠るわけであることが分かった。



ニューヨークが眠らぬ帝国だとすれば、

田園都市は規則正しく眠る街。


大型ショッピング・モールが
"普通に"閉まると同時に
その中に入っているドラッグストアその他も

閉まってしまうわけである。


映画館を除き
9PM等にはクローズしてしまう。




さらには
大きな幹線道路がいっぱいありながらも

その街道沿いに

あってもおかしくはない
ドラッグストアが

実はない。




DS業界最大手のマツモトキヨシすらない。


これは調べて見ると
青葉・都筑・港北エリアに
キレイなほどマツモトキヨシがないのである。


同じ東急でも港北区でも
東横沿線にはあるが、

田園都市沿線にない。


なぜマツモトキヨシは
田園都市沿線(川崎に当たる溝の口を除き)
の田園都市エリアには

存在しないのか、と。



仮にあったとしても
いくらマツモトキヨシとて
9PMにはほぼクローズするだろうが、


いくらなんでも

ドラッグストアの存在自体が
このあたりの街道沿いには見当たらないのが

こういう局面においてこそ

顕著に感じられるのである。




<時間は別として、
 そういえばこのあたりで
 ドラッグストア見たことないよな?>


と。




そして想う。


ホームドクターにしてもそうだが、

ドラッグストアも、

ある意味で
それは国が何かしら助成してでも

24時間オープンにすべきではないか、と。




そもそも幼児の身体異変というものは

休日や深夜に発生すると
相場が決まっている。


それを分かっているはずで、

であれば
エマージェンシー・ルームという
限られた世界観だけではなく

医療機関及びドラッグストアは

24時間対応できるような
仕組みを

国として作ることを考えるべきではないか


と。




なぜならば、

特にこの
青葉・都筑・港北エリアは、

特に港北などもそうだが、

昨日記載した通り
ニッポンの政令指定都市の行政区で
最大人口数を誇るわけで、

都筑区も
それこそマーケット・ヴァリューでは
メインとなる
港北ニュータウンの核心地であり
ものものしい消費パワーは言うまでもなく、

青葉区に至っては
全国の市区町村で男性長寿ニッポン1
であるという高齢者快適エリアであることに加え

以前も記載したが
人口数は港北区に次いで
横浜18区では二番目であるのみならず、

15歳未満の年少人口が
横浜18区で最も多く、
平均年齢も青葉区と都筑区だけ30歳代である
という若い年齢構成で、


それは何を意味しているかといえば


要するに

青葉・都筑・港北エリアは

まさに
東急の描いた田園都市構想に
最も合致した

環境ゆえ

<子育て世代(=30-40代ファミリー)>が

多いことで知られているわけだ。





にもかかわらず、

子供のエマージェンシー・ルームが
このエリアでのその日の受け持ちが

二つしかない。




これは正直、いただけない。



これだけの人口密度と
完璧に合致する住民属性を考慮すれば、


二つしか

子供用の
それがないとどうなるか?

ということは、

すぐに察知がつくだろう。




これは市の、そして区の失政である。




これだけエリア特性が顕著なわけだから、

他のエリア同様
あるいは
ローカル同様の

対応では心許ない。



案の定、

平穏な住宅街の周りは
深夜にも関わらず
車のクラクションやライト、
エンジン音で大騒動。


医療室は入りきれず

マスクをした親子で大混乱し、

まるでアウトブレイク状態。


新型フルーが一気に蔓延したのか?

とさえ感じられるほど
異様な光景が展開され、

挙げ句の果ては

その住宅街の住民が怒って警察に
苦情の電話をかけ、

おまわりさんがおっとり刀で

自転車で駆けつけたものの

どうすれば良いのか分からずに
右往左往した挙げ句、

己が携帯を取り出して

おそらく交番にいる
己が上司にご丁寧にご相談。



まったくもって


なっていない。






一時間後に
医療室に戻ったダモシ軍。



ワイフが窓口で質問。


<あと、どれくらいかかりそうですか?>。



すると医療室。

<あと25番目です>。


ワイフの後に質問した
他の患者の母親に対して

病院側は

<あと10番目です>。


ワイフはその母親に問う。

<何時に受付されましたか?>。


母親は答える。

<9:30PMです…。
 もう0時になるというのに
 まだ、あと10番目とは…>。



その母親は9:30PMに受付。

ダモシ軍の受付は10:40PM。

誤差は一時間十分。

その母親は
受付から二時間以上経過しているのに
まだあと10番目。

ということは
ダモシ軍が残りあと10番目に
辿り着くのは

受付した時間から二時間後だから
0:40AMということになる。

しかも
その<あと10番目>というのが
どれくらい時間を要するのかも分からない。



<1AMは余裕で過ぎるだろ>。


そう踏んだダモシはワイフに言った。


<となれば、あとまだ一時間以上は
 かかるわけで、いくらなんでも
 そりゃないよ>


と。



そして、後部座席で既に
心地良さそうな寝息を立てて
眠っているジュニアを指して、


<もう帰ろう。
 またもし咳き込んで苦しそうであれば
 2AMだろうが4AMだろうが
 連れてくればいい>


と提案した。



そして先ほど帰宅したというわけである。



帰り道、

この医療室へ連なる道には

さらに
車列が増えていた。


<フィールド・オブ・ドリームス>
で大勢の車列が
野球場にやって来たように


皆が皆、この医療室めがけて

やって来ているかのように。






jyakuten.jpg






毎度のことだが、

ほとほと
幼児の深夜の身体異変は


疲れるところである。





まあ、でも、

それもそれで親のミッション。



致し方なかろう。










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2009年09月21日

TOKYOさんぽ<中野>





朝青龍のテンションが良い。

きっと東京がフィットするのだろう。

ニッポンの中では
横浜と並びリベラルと思われる東京の、
その相撲ファンも、

朝青龍に対して好意的なムードがある。


それは現場観戦に出かけて
朝青龍が優勝した今年の初場所(両国場所)
にも等しく見られたアトモスフィアである。


このまま朝青龍には
是非とも優勝へ向かって欲しいところである。



ダモシは

朝青龍と、

11月に
内藤大助へ挑戦することが
ほぼ決まっている亀田興毅を、

応援する。


琴光喜や白鵬、
内藤大助は、

どうしても応援する気になれない。


特に内藤の、
<多数決の論理>をバックにした
よゐこ風情が気に食わない。

ダモシが最も信用しないタイプである。

忌憚なく
がんばれ朝青龍、がんばれ亀田である。


そして11月にもし行われれば、
"亀田"は内藤に勝つであろうと

普通に予想しているところである。








*****







さて、表題<TOKYOさんぽ>中野。



東京。

ここはまさに
<TOKYOさんぽ>という名に相応しい
街が多数ある。


谷根千や
今年の一月に掲載した本郷や
上野、浅草などのダウンタウンしかり

三軒茶屋や桜新町などの
田園都市線の世田谷エリアしかり

京王沿線のカルチュラル&ヒストリカルしかり。


JR中央線沿線といえば
まさにそれはサブカルの殿堂。

特にそれは
中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻。


吉祥寺、三鷹、小金井になれば
武蔵野エリアになり

さらにその先の国立になれば
また別の世界観が生じ、

それぞれ様相は異なるが、

中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻の
世界観はまさにサブカルの殿堂と
言うに相応しい。





98年の渡米前、
最後の<本妻>在住地が
このJR中央線の武蔵小金井。

ワイフの勤務地が吉祥寺。

ダモシ自身は
浪人時代の寮生活で
その寮があったのが荻窪。

まさに青が散る時代の
悶々とした浪人生活の基盤は
荻窪という

青春を絵に描いたような東京ライフ。


大学時代の或る一時期に
関係のあった女性が住んでいたのが
高円寺で

まさにそれは高円寺純情商店街の世界。


ワイフが那須から東京に出てきて
通った学校と
社会人デビューした地も中野。


二人が出逢ったのは
沿線は丸ノ内線になるが
同じ中野区の中野新橋。


中野で草野球の試合に

高校時代から大学時代、
幾度となくコンサートで足を運んだ
中野サンプラザ。


その他、諸々…。



といった具合に、

やはりこのJR中央沿線の新宿以西もまた

これまでの
<本妻>生活において

多くの関わりと想ひ出が存在している、と。





その中野に、

今宵

<TOKYOさんぽ>で出かけたわけである。






broad5.jpg








*****








その目的は、ジュニアへの誕生日プレゼント。



先般の空手大会における
敗者復活戦優勝のご褒美は既に昨日、

新品おもちゃを購入することで

約束は果たした。



せっかくのシルバー・ウィークで
ダモシも
比較的のんびり過ごすぞ
と決めているこの週末、

ジュニアの六度目のバースデイは
未だもうすこし先の28日であるが、

このタイミングでのんびりと
プレゼントを物色しに行くには
絶好ということで、


今宵が選択されたわけである。




前々から行こう/連れていってあげる


と約束していた

<中野ブロードウェイ>が
その、さんぽの、デスティネーションである。




ジュニアにとっては
マミーはお留守番で家の大掃除、
ダディと二人だけでの

車ではなく

電車でのてくてく遠足。


多くの機会が車である。

電車で出かけることは
ほとんどない。


そんな中で、

今宵は
田園都市線、JR山手線、JR中央線を
乗り継いで

中野へ行くことは

幼児の彼にとっては
ちょっとした冒険である。


そもそもJRに乗ること自体が
まったくない。


山手線の
車体に入った緑のライン、

中央線のオレンジのラインを、

それぞれ
目にするたびにジュニアは叫ぶ。



<緑の線は初めてだ!>

<オレンジの電車に乗るのは
 初めてだね!>


と。


そして、
そもそも渋谷や新宿といった

ダモシも嫌う
駅の喧噪の中を歩くこと自体、

ジュニアはほとんど経験していない。


大きな冒険で、

己が握った
ダモシの手を離さずに

てくてく付いてくる。




そして中野に到着。



中野ブロードウェイの各店舗は
オープンするのが遅い。



<先にランチを食べようか>と
ハンバーガーを二人でパクつく。


そして
<行こうか>と店に足を運ぶわけである。








*****







broad4.jpg



中野駅北口。

映ってはいないが
中野のシンボル、中野サンプラザもここにある。





broad3.jpg



そしてメインの、中野サンモール。

昭和の香りプンプンの、
一直線の商店街が、
異様な賑わいを見せる。

店舗数は100を超える。
ヴァラエティに富んでいて、
これぞ理想の"商店街"の一つの形でもある。



大学時代に住んでいた初台もそうだが、

東京には
理想的な商店街の形がいくつもある。


そういったものは
時代は変わっても
普遍で生き残っていくべき文化である。




200mを超える長い商店街の突き当たりが

<中野ブロードウェイ>になる。


ダモシと同じく1966年に生まれた
サブカルの殿堂。





broad2.jpg





ここがとにかく

"香港的"且つ"昭和の東京的"で
至極、贅沢な空間になっている。


贅沢とは、お金の意味ではなく、

消費者便益を機能的にも心理的にも
大いに満たし

且つ
無駄な金銭的スペンドが抑制
されるような価格設定と
ラインナップが施されているという

意味である。


現代のあまたある大型ショッピング・モールとは

対極をなす

リアルな意味で
消費者便益を満たし得る
理想的なショッピング・モールといえば

中野ブロードウェイが

その代表格といっても良い。







これが生まれた1966年。

言うまでもなく
ダモシが生まれた年であり
ウルトラマンが生まれた年である。

そして
その年に出来たこの
中野ブロードウェイには

その上階に
当時としてはハイソサエティな

今でいうところの
六本木ヒルズに等しい
あるいは
上回るヴァリューの


アパートメントがあった。

いわゆる
レジデンスである。


屋上にはプールに庭園。
24時間警備員常駐のセキュリティ。


ここはニッポン初の、

店舗とレジデンス複合型の施設
<コープ・ブロードウェイ>だった。


当然、企業の役員や著名人がレジデンシャル。

青島幸男・元東京都知事や
沢田研二が住んだことでも知られている。








*****








<中野ブロードウェイ>。


その目玉の一つは、

レトロなおもちゃ、雑貨、古本、
レコードなどを扱う店舗群である。


30を超える
それらのショップが一階から四階まで
に点在している。


マニア向けというだけではなく

ある意味で老若男女全方位型を包含する
ターゲットをカバーする。


女性同士
ファミリー
父と男児
学生同士
アベック


多士済々な消費者属性をカバーして

その便益を満たす。



現在のそれよりもむしろ
昭和の仮面ライダーや戦隊ヒーロー、
ウルトラマンを好むジュニアにとっても
生唾モノ。


バジェットを決めて
ジュニアに己がバースデイ・プレゼントを
チョイスさせたわけである。


むろんダモシも
バジェット構成を踏まえて

<まだまだ店はあるから、
 最初のうちに全部買っちゃわない方が
 得策だよ>とsuggestionしながら。




そしてジュニアの釣果。





broad1.jpg



この他、
昭和仮面ライダー&戦隊ヒーロー系の
カード・セット二百枚を加えても、

トータルは3,700円也。

レトロな
もはや普通には売っていないモノが
ほとんどで

ジュニアにとっては大漁といえよう。






帰路。


中野からそのまま東京メトロ東西線で
九段下へ。


九段下からは田園都市線に
座って一本。


ジュニアは
ダモシのお腹に頭をもたげて熟睡。

落ちないように
ダモシもジュニアの肩を抱きしめて

眠りに落ちた。



そして、目が覚めたのは

拙宅最寄駅に着く十秒前のことだった。









*****








ダモシとしても己が逸品を
チョイスしたかったが、

今宵は主役はジュニアということで、

辛うじて
ジュニアの買い物の合間に


<五分だけ見せてくれ>と言って
同じ中野ブロードウェイ内の古本屋
に入って釣果をあげた。





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近頃好きな
山口瞳の<男性自身>シリーズの、

所持していない他のシリーズが
見事に105円で揃っていた。





broad6.jpg



おもちゃ屋にて

好きではないが、中田人形100円。





そして帰路は東スポ。



broad8.jpg



車内で眠りに落ちる前、

他の乗客が静かな中で
ジュニアの声がこだまする。


<蛇だ、蛇>
<ねえ、蛇がどうして新聞にのっているの?>


ダモシは忌憚なく答える。


<蛇から手が出たらしいぞ。大変だ、こりゃ>。


ジュニアも驚く。

<蛇から手が出たなんて
 たいへんなニュースだね>。


ダモシも真剣な顔で答える。


<すごいニュースだな、こりゃ>

<蛇から手か…。大丈夫かな。
 襲ってこないかな>


と言えば、


ジュニアも

<どこなの、これ。東京に来る?>と。


<チャイニーズだな、チャイニーズ。
 でも東京にも襲ってくるかもだぞ。
 気をつけて事態を見守ろう>。


<そうだな。家に来たら闘わなきゃね>。




決して、

<東スポだから…>と言ってしまっては、

こういう
子供との会話も成り立たないし

面白くない

というわけである。








今宵もジュニアはすやすや眠るだろう。


良い夢を見て欲しい。


帰宅が17時過ぎ。
一日がかりの

TOKYOさんぽ<中野>となり

ダモシも疲れたが、




それでも

やはり子供が無邪気に喜ぶ顔は

何にも替えがたいのである。














posted by damoshi at 20:14| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヴィヨンの妻






メモリアル・イヤーということで
今年また脚光を浴びている太宰治。


個人的にシンパシィを持てない存在だ。

単に男として、イケスカナイ。


<富士には月見草>
などに代表される氏のワードにも
反目する。


この台詞には

<キミ、富士に登ったことないでしょ>

と問いたくなる。





そんな好き嫌いは別として、

短編として一気に流れるように
読ませる名品として

<ヴィヨンの妻>はある。





villon.jpg




これまた主人公の男(本人がモデルか)が

何とも酷い男だ。


飲んだくれ。

飲み屋に代金は払わない。

妻がありながら
愛人といちゃいちゃする。

喜怒哀楽が激しい。

芸術家(作家)だからという
エクスキューズが
自堕落な生活を過ごさせる。




すべてが、甘えである。


芸術家だからだの
クリエイターだからだの

という隠れ蓑が
ダモシは嫌いなのである。


本当の狂人、あるいは
気狂い人であればいざ知らず。



太宰治=主人公は、

とどのつまり
"煮え切らない男"である。

今でいうところの
草食系男子にも似通う部分があるのか。


草食系のくせに

自堕落で
酒を浴びては乱暴な態度をとるという
似非肉食系でもあるという

ややこしさ。



でも女は皆、

その太宰=主人公に
なぜか惹かれるという二律背反。



女はこの手に弱いのか?

と。


ダメな男の方が得なのか?

と。


そういったジレンマを
同じ男に対して
ややもすれば覚えさせてしまうのがまた

太宰=主人公

のイヤらしさである。





太宰にしても
この主人公にしても

当然どこかで演じているわけだが、

当然どこかニュートラルに
自然児的に
本質的な<ダメな男>でもあるのだろう。



根本的に<ダメな男>でありながらも

質が悪いのは

己自身が己のダメぶりを知っていてなお
それを利用/活用している点である。



そもそも複数回自殺を図っていながらも

己だけがのうのうと助かっている時点で
イケスカナイ奴なのではあるが、

それでも

世の女は太宰を見捨てない。



太宰が乱暴になるのも弱虫になり
赤ちゃん帰りするのも

すべて天然である一方で

その天然部分と同ボリュームの
したたかな計算もある

と感じられるわけで、


そこがまた

深く関わるとイライラするから
距離を置きたくなる。


そんな存在といえようか。




太宰は結局、

自分で狩猟することは出来ないタイプだから、

最終的には草食系ということになるのだが、

草食系/誰かに寄りかかり系
でありながらも

相手が深入りしそうになると
粗暴になったり
乱暴になったりする

という典型的なイケスカナイ奴の素養を
持っているわけである。




よくもまあ、ヴィヨンの妻。


この妻は
あんな男(主人公=太宰)と
一緒にいられるわな

と。


家を飛び出さないよな、と。



しかしこのヴィヨンの妻。

この妻こそ、
太宰=主人公が
あの手この手を用いて
天然部分と計算部分を織り交ぜて


虚実皮膜で
何が何だか分からないぶりを
訴求しても

動揺せずに、


逆にそれを利用して

己が境地を切り開く強さを持っている

という点で見れば、

最終的には女はやはり強く

さすがの太宰=主人公とても

男は皆
女の掌の上で踊らされているだけ


ということが

帰着点として認められようか。







10月10日から映画<ヴィヨンの妻>が

公開される。


観に行くつもりだが、

映画では
妻役を松たか子が演じている。


キャスティング的に
まさにぴったりと思われる。



愛人役が広末涼子というのもまた
ニヤリとさせられる。




映画では出てくるか分からぬが、

<ヴィヨンの妻>の結論は
すべて

妻が吐く

あの名台詞



<生きていさえいればいいのよ>

に集約されよう。




ネガティヴな局面においてでさえ出る

<生きていさえすればいいのよ>

という台詞は、

未だアベックの頃合いは別として

"夫婦"という領域に入った男女でいえば

ほぼ間違いなく
女にしか言えない台詞であろう。




いくら太宰とて、いくら主人公とて

彼ら得意の手練手管を駆使してもなお

女は

<生きていさえすればいいのよ>

と言えるわけである。






太宰の負けだ。



<女には勝てない>。

己が手練手管が通用しないと
分かった時点で

太宰は三鷹で入水したのではなかろうか。




<ヴィヨンの妻>が
その台詞を吐いた翌年、


太宰は愛人と入水し、

今度こそ
己だけ助かるという
ダサダサを回避したことで

リベンジを果たしたのではないか、と。






作品は別として、

忌憚なく

太宰治的男は、嫌いである。




現代において
太宰治的男子がモテはやされるのは、


これまた


おいおい…


と感じずにはいられない。




もはや、今や、既に、
<架空のキャラクター>に過ぎない
戦国武将がモテはやされたり、



今の女も、これはこれでボキャが貧相で



困ったものである。





そんなことでは、

到底<ヴィヨンの妻>レベルにはなれない。





最後に言うとすれば

種類は異なれど、

結婚して長らく夫婦をやっている女は

ある意味で皆

<ヴィヨンの妻>である。





草食系男子が好きだの

戦国武将が好きだのと言っている

"OL"だのは、

まだまだそのレベルにはない。














posted by damoshi at 01:04| ダモシの本棚から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月20日

旅のレシピ






後輩の
”北の某”の旅成果は、帰国後に聞くとして、

今年も間もなく
ラスト三ヶ月になるということで

10月の旅を計画中である。


前回8月の旅の後、
<やっぱり箱根はすばらしい>
ということで

箱根に行く計画はあったが、


9月は
ダモシが企画から関わった"モノ"が
ニッポン全国津々浦々、大都会から過疎まで
おしなべて販売されるということで
忙殺されて

旅に出ることが出来なかった。


本や雑誌など
ニューヨーク時代も
ニッポン国内で販売されたモノはあるが、

今回は正真正銘、
国内最大チャネルを網羅して販売される
モノである。


生みの親である者としては

その動向は気になり
マインド的にも
いささか恍惚と不安は隠せないわけで

旅に出てのんびり

といった案配にはなれない、と。



それでも
オールウェイズ、旅をする
という根本的なイデオロギーは
いかんともしがたく

ずっとデスティネーションを思案している

わけである。




絞られてきたデスティネーションの

候補先の前に、

旅のレシピを。








*****







旅に出る支度は
人それぞれであろう。


お気に入りの枕を持参する人もいれば

着替えもほとんど持たず
可能な限り荷物は減らした状態で
旅に出る人もいるだろう。


これこそ人それぞれである。




ダモシの旅のお伴の定番、

といえば。





resp3.jpg



携帯電話や運転免許などを除けば

たいてい
必需品としてはこんなところか。


まずはノート・パソコン。
代々、Macである。


Macのノートブックを旅に持ち歩くように
なったのは、

最初にノートブックを購入した
渡米年の98年から。


旅と仕事は二律背反であるからして、

米時代の
英国出張や米国内の取材旅行など

効力を発揮する。


ミルウォーキーのモーテルから
深夜から朝方にかけて
ニッポンの出版社へ速報写真と原稿を
送ったり、


ニューヨークで
雑誌をやっていた時代は

それこそ
取材やインタビュー後

その熱が冷めやらぬうちに
原稿を書いて
写真を取り込んで精査するのが


ホテルのベッド上でのルーティンだった。



今も、
プライベートの旅であっても
ノートブックは欠かすことができない。


とりわけ
カメラで撮影した画像を取り込んでおく
という作業は

宿でのルーティン・ワークである。





一眼レフ・デジカメも、

もはやなくてはならぬ旅のお伴である。

いわずもがな、である。



小さめのノートブックと筆記具。

旅先で
気になったことを書き留める。
最小限ではあるが
ヘッジのために一応持っている。


ただ、

対面でのヒアリングでも
風景や音、匂いなども

ほとんど記憶している。


こと旅先や人との会話で、相手がどういう台詞を
述べたか等、それは旅ではなくとも
ビジネスの会議にまで至るが、

ほぼ完璧に記憶できる特技がある。



むろんそれは賞味期限があり

たいてい24時間以内
ではあるが、

その間であれば
ノートに書き留めておかなくても
たいていのことは記憶されていて

且つそれは24時間以内に書き残す上、

写真という記憶補填装置が残っていることで
後になっても記憶を呼び起こすことができる。



だからノートと筆記具は最小限のヘッジとして

たいてい持っていく
というレベルである。




本。

これも必ず持参する。
軽いコラムやエッセイが良い。

吉行淳之介や山口瞳などの。



時に、温泉の場合、
その湯に浸かりながら読書する。



ガイドブックの類いも持参する。

しかしそれは
るるぶなどではなく、

事前に
デスティネーションの観光協会などから
取り寄せておく
現地発行のマップやパンフレット類。


事前に目を通していくことで

ドライビングもそうだが、

<ナビなし>が可能になる。



事前に頭に入れることは
ミクロなこと(店舗等)ではなく、

<位置関係>である。



たいてい

東西南北で覚えていく。


駅がここで
東西南北で見れば
温泉は北なのか南なのか
繁華街はどちら側か

など

だいたいの位置関係を俯瞰で把握しておくことで

ナビなしが実現するわけである。



それは例えば都内などを
ドライビングしている際に
迷ったとき、

皇居を中心に
目指す存在の位置が
城西か城南か等を把握していれば

その方向へ進んでいけば
やがて辿り着く

というケースと同じである。



環八を一つの事例として

練馬はあっち
目黒はこっち

といった具合に位置関係を把握しておけば


あとは環八からのヨコ展開で
渋谷はあっち
二子玉はこっち

という把握と連動するだけで

道に迷うことはなくなるのと同じである。






そして、煙草。


煙草は旅で大きな役割を持っていた。


昔は、である。



旅先の路上。

散策していて
気になる場所に目を向けて足を止めたりしながら
じぶんじかんを過ごしていくわけだが、


その機微の中に煙草は欠かすことが
できない存在だった。



要するに

吸いたい時に

初めて訪れた地の路上に佇みながら
煙草をそっと吸う。


その、何ともいえぬ<間合い>が

旅に彩りと深みを与えていたのである。




ところが現代は、どうだ。

店は禁煙、路上も禁煙。

煙草が吸いたくなったら
いちいち喫煙所や喫煙スペースを
探さなくてはならない。


この、

喫煙所を探す

という味気ない/情けない行為を
せざるを得ない時点で

旅の路上での彩りが

消されてしまうわけである。




その瞬間に、

急に旅は現実的な日々に戻されてしまうのである。



列車での旅もそうだろう。

今や禁煙になった列車ならば、
深夜特急や寝台列車における
旅の夜長の一服

という洒落た行為と時間も
享受することができなくなるわけだ。



何でもかんでも縛り、

ある一方側だけの論理
(嫌煙者の論理)だけを重用した結果、


<味>と<エスプリ>の一つが

失われてしまった



ダモシは忌憚なく嘆くわけである。









*****








今宵、大掃除をしていたら、

昔の渡米前までの数年間で
毎年米旅行をしていたのだが、

その米旅行の際に
必ず持参していた小さなノートが出てきた。



米旅行ノート。






resp1.jpg



旅先での日記のようなものだが、

日記にとどまらず
スペンドしたお金の額と
購入したモノがきちんと記載されている。



ロックフェラー・センターの
スケーロリンクへ出かけて
スケートを楽しもうと思ったら
大混雑で、断念した


ことや


五番街のディズニーストアで
ぷりくらを撮ろうとしたら
そのマシンが壊れていた

ことや


地下鉄を乗り過ごしてしまって
慌ててマンハッタンまで戻ってきた


ことや


早朝、ホテルの前のトラックの大音量に
起こされてしまった


ことなどが書かれてある。






resp2.jpg





ニューヨークへ引越し
渡米した98年まで

毎年分の米旅行のそれが書かれてある
とても貴重な記録集である。



最近は、
ノートブック頼りになって

且つ
カメラで撮った写真頼りになっている

部分がなきにしもあらず。


書き留めることは、
気になったことの中でも
より忘れないようにする事案のみで、

あとは
ほとんどカメラに頼っている。



そこで、

ここで改めて小さなノートブックを
もっと大切に旅のお伴として
起用しよう

と思い立った。


原点に帰ろう、と。






記憶とは別に、

その時その時でLIVEで書き記された
ノートブックの中の事象は、


何年経って読んでも

生き生きしていることが

今宵分かったのである。




<あぁ、あの時、そういえば、
 こういう些細なこともあったな>


と。



ワイフともノスタルジー話が
また一つ新たなツールをもとにして
成り立ってくるわけだ。



手書きの貴重なナマの記録。


そういう意味では
今後もまたノートブックに手書きで記そう

と思ったところである。








*****







さて、10月のデスティネーション。



前々から
ワイフにも度々


<福島が気になるんだよな>

と語っていたダモシ。



実は今年、何度も遡上にあったのが福島。



だがその度に

<福島は那須から近すぎる。
 福島へ旅するなら
 何も宿代をかけることはない。
 那須の家に寝泊まりすれば良いわけだから>

という論がどちらかともなく
沸き起こってしまう。


あまりにも現実的すぎる、というわけだ。



福島に行くなら那須に寝泊まりしよう、と。

そして
そうならば
那須とて未踏のエリアは多々あるわけで
那須を回ってみるか

となる。



だが、
那須はいつでも行けるだろう

やはり旅するならば
他のところだろう


となり、


結局、毎度毎度、福島は後回しに
されてきているわけである。


飯坂温泉
喜多方
会津
大内宿

その他、福島にも見どころやエリアは
たくさんある。



だが、その立地ゆえ、

那須にも拠点のあるダモシ軍からすれば

<何も福島行くこともなかろうよ>

<福島行くなら仙台と松島でしょう>

となってしまう存在なのである。




しかし、福島は生き残っている。

行きたい、と。




その福島と並び
デスティネーション候補として
ダモシが強く推していたのが尾瀬である。


長らくニッポン不在だったダモシからすれば、

富士山に熱狂したマインドも
理解されよう。


そういう意味では
ニッポン再発見、
ディスカバー・ジャパンということへの
フォーカスは、

ずっとニッポン国内で暮らしている人よりも

強いのは明白で、


ニッポンの原風景的な、且つニッポンを代表する
ような存在への

ある種の憧憬もある、と。



そういう意味では

富士山は別格として、

尾瀬も外せないのではないか、と。





だが、尾瀬。

これがまた田園都市からは
アクセスが悪いのである。



とりわけ

<群馬>。


この群馬いわゆる

練馬までわざわざ行って
練馬から関越自動車道に乗って
延々と走らなければならない<群馬>

という世界観が

奇妙な遠さを感じさせ

なぜか億劫にさせるのである。





名古屋や大阪、
はたまた九州などでは

億劫さは生まれない上、


距離はあるものの静岡や箱根などは

当然
億劫ということもない。



だが、
そもそも己が生活エリアと
これまでの居住ヒスロリーから鑑みると

縁のない

埼玉、群馬方面ひいては新潟方面の
関越自動車道ラインは

・遠くて面倒
・アクセスが悪すぎる

という負のイメージが寄り添っているわけである。





だから

昨夏の<本妻>復帰以来

草津
伊香保
軽井沢

そして
福島


などは

何度も旅の候補に挙がるが
挙がっては消え挙がっては消えを
繰り返しているわけである。




帰結する結論は常に


<わざわざ時間と高速代をかけてまで
 行くほどではなかろうよ>


<ならばよっぽど箱根の方がいいさ>


というマインドになっていしまうわけである。



あるいは
そこまで行くなら
九州とかまで行ってしまった方が得だろう

という打算である。





とにかく

群馬や、

ここもそうだが長野。

そして新潟。



このあたりは行きたくても

<面倒>で

億劫に感じてしまう微妙な距離感と
アクセスの悪さ

なのである。







現時点での

10月の旅。

そのテーマ候補は
<みなかみ紀行>。

さふ。

あの若山牧水の世界観である。


デスティネーション第一候補は、
群馬の水上温泉。


そして谷川岳。


その前後いずれか、

日光か那須を絡めて

福島もようやく行こうか

という設定である。





尾瀬はちょうど

水上温泉を埼玉方面に少し下がり
そこから東へヨコ展開すると
最後に辿り着く日光があるが、

その間に位置する。



この尾瀬がまた
アクセスの悪さが
大きなディスアドバンテージとなっている。


要するに


<二の足を踏んでしまう>

位置にあるということだ。



これがニューヨークやパリが
デスティネーションであれば
問題ない。


それらより圧倒的に近いわけだが、

なぜか
その近さと、
近いという中では遠すぎる

奇妙な距離感が

尾瀬のこれまた
ディスアドバンテージになっている。





そろそろ行程とデスティネーションを決めて

宿の手配に入らなければならない。



まだまだ決定まで紆余曲折しそうで、

結局最後はまた
お気に入りの箱根
に落ち着くということも

なきにしもあらず

といったところか。






むろん
<おくの細道>をめぐる旅も未だ途中である。


山形(立石寺)も捨てがたい。

秋田の角館も良いだろう。


東北のみならず

京都という手もあるし、

それこそ熊野という選択肢もある。


伊豆の天城越えも未踏である。




キリがない。

旅はキリがない。



それこそ
ニューヨークやキューバなど

ダモシの消費者便益を最も満たす
デスティネーション



あえて我慢して消しているだけ
救いである。















posted by damoshi at 21:45| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シルバーの港北






世はシルバー・ウィークなる
秋の連休二日目。


さっさと中止してほしい愚策
ETC1,000円プランに素直に便乗した
皆々様で高速はまた大渋滞。


毎度のごとく
大渋滞期に移動はしないダモシ軍は

のんびりと近場で過ごす算段だが、


ウルトラの母から受け継いだソファや
ダイニング・テーブルが入ったことで
拙宅も大混雑の様相の中、


またレイアウト変更と整頓をしよう
ということで

ここ最近
OFFの合間を利用して
ちょこちょこ室内の整頓とレイアウト変更を
行っているわけだが、


昨日も仕事の合間に
押し入れの中を整頓し、

ダモシの個室兼仕事部屋には
押し入れの中から
ニューヨーク時代のモノ含めて

まずは諸々を搬入し、


その分、

ベッドルームと押し入れの整理整頓と
それによる
部屋全体のスペース確保に努めているところで、


そんな中、


今宵も朝から
オープン時間に合わせて

車で数分のところにある

港北エリアのIKEAに馳せ参じたわけだが、

これまた
例のごとく

昨夏以来の経験上

もはや

お正月
ゴールデン・ウィーク
お盆と夏休み

とて

この田園都市エリアと港北エリアは

<人が減らない>

<逆に車も人も増える>

という様相の中、

IKEAもオープン時間直後に関わらず
大混雑で
最盛期の初心者用ルートの富士登山道がごとく


前に進めない

という有様を目にするにつけ、


改めて

港北エリアの消費属性とその消費動態の高さを
感じたところである。









*****







以前も記載したが

横浜18区の中で
田園都市の青葉区と
この港北区は


30-40代ファミリー
(子供は幼稚園から小学生)

という

・最も消費力のある
・好むと好まざると
 最も消費せざるを得ない

居住者属性がある。


また、
ダモシを除いては
富裕層が多いということも特徴である。



富裕層のファミリー層。

そうなれば
おのずと消費力は高くなり、

そんな人々が居住しているエリアだからこそ

ららぽーとその他複数の大型モールやIKEAが
数多く存在しているわけである。


ヤマダ電機の大型店やオーケー・ストアも
エリア内近隣に複数あっても
成り立つくらいだから

相当なマーケットといえるわけだ。




且つ、

選挙においては浮動票が多いことからも

このエリアには
"外"から来たファミリーが多いわけだが、

それでも多くが

連休だからといって

旅行に出かけたり
帰省したり

という傾向が少ない。



消費マインドはもとより、

趣味趣向のマインドでも、

大型連休にステレオタイプに旅に出かけて
大渋滞にハマることを

臨まないタイプが多いのであるとも
想定することができる。




さもなくば、

連休などに逆に大混雑し、
近隣道路が渋滞するなどということはないだろう。



"普通"中心地からは

大型連休ともなれば車の交通量は
劇的に減るわけで、

東京都内は

とりわけ霞ヶ関などのようなエリア含め

そういう時期に走ると


<ほとほと渋滞さえなければ
 都内なんぞ数十分で回れるぞ?>


と思えるほど
道路がガラガラで
スムーズなドライビングが実現するわけだが、


横浜に関しては

ヨコハマと
横浜18区の青葉区、港北区といった

マーケット・ヴァリューの高いエリアは

そういうわけにはいかず、

逆に増える、逆に混雑する
といった有様が露呈されるわけである。







ike1.jpg



店内はスムーズに歩くこともできないほどの
大混雑。





ike3.jpg




ike2.jpg




ike4.jpg





欧米的なインテリアや家具は
やはりいつの時代も人気がある。


これも何度も記載したが

ニューヨーク時代に愛用していたIKEAが
こんな近くにあることは
喜ばしいことではあるが、


皆々様も好きだね



あまりの混雑ぶりには
辟易としてしまうわけである。






今宵は

ウォール用の写真入れ
ダイニング・テーブル
ワイフの本棚

などを仕入れた。



欧米流ゆえ、

本棚もダイニング・テーブルも
DIYで組み立てなければならない。




今宵は

まずは
押し入れから引き出した荷物や
仕事の書類、印刷したペーパー類が
ゴミの山と化している
己が部屋の大掃除と


本棚、ダイニング・テーブルの
組み立て作業がミッションであり、


空手の練習に出かけた
ワイフとジュニアがいない間に

それを施さなければならない

といったところである。






ike11.jpg




ike10.jpg





壁の写真ライブラリーには

米で撮りためたものしか入れない
と決めている。


ニッポンのそれでは絵にならない。


米での風景写真や記念写真、
ジュニアの
バースサーティフィケートや

米で仕入れた絵を掲示するのが

壁のライブラリーである。








*****







最後に、

港北エリアから見る富士。


もはや空は秋。

秋空になれば富士はその儀容を
東京都内やヨコハマ、田園都市からも
視界に捉えることができるようになる。



秋と冬のクリア・スカイ。


それがもたらす
このエリアの贅沢のもう一つは、

富士山を堪能することができることである。






ike5.jpg










後輩が今、北の某を旅している。


どうやら
女性とのしっぽり旅行のようだ。


ダモシ因縁のレイク・トーヤを通過して
ニセコを経て

今宵は小樽へ入るようだ。



シルバー・ウィーク突入の前から既に
旅に出た贅沢な所作。

しかも

女性との旅。


帰京したら
拙宅に女性共々招いて

顛末をヒアリングしたいところである。






ダモシの旅は9月はなさそうだ。

旅がないのは1月以来だ。


三日前の川越も
一昨日のヨコハマも

それは<オトナの遠足&お散歩>。




10月。

また旅が再開する。


ほぼデスティネーションも決まった。



次の旅に関してはまた今宵お届けしたい
ところである。













posted by damoshi at 15:10| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

つばさ〜川越







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川越。


埼玉県の川越市。


NHK朝の連続テレビドラマで
放送されている<つばさ>の主舞台に
なっていることでの

一般ゼネラルへのエクスポージャーも
増えているだろう。



"小江戸"として

その街並メインで近年、
足を運ぶ人も増えていることで
<観光地>としての成立もある。




年間の観光入込者数は約600万人
(昨年度)。


今年は増加しているであろう。



しかし、
とはいっても川越である。埼玉である。


観光客といっても
その属性は
かなりセグメントされるのではないかと
想像される。


やってくる人の居住地と
日帰りか宿泊かなどによって
川越という観光地の
ヴァリューと種類が見えてくる。





まずは、日帰りか宿泊か。

川越を訪れた観光客の95%が日帰り。


これは何を意味するかといえば

おそらく
来る人は
<近隣の人>が多いのであろう
ということと、

泊まるほどではない
(日帰りで充分、散策できる)

ということである。




要するに
松島まで東京から旅をして宿泊して
という<旅>スタイルではなく、


近隣から電車で

ちょろっと出かけて

ささっと現地を歩いて

ぴゅっと帰る

というスタイル。



つまりそれは
<オトナの遠足&お散歩>レベルである
ということだ。




川越にやってくる観光客の、
出発地(居住地)を見れば一目瞭然。


・東京都(主に練馬区と板橋区)
・埼玉県

の居住者で
ほとんどを占めているわけだ。




前者は、

車で川越に行く場合

高速道路は関越自動車道
一般道路はR-254となるから

練馬には関越自動車道のエントランスがある上、

板橋区も練馬区も
R-254は主要幹線道路という

ある意味での"地元感"が存在しているからこそ
多いといえる。


また
電車利用においても
いずれも東武東上線、西武線絡みであり
川越駅、本川越駅という
川越観光の電車でのエントランスに
スムーズに移動できるという

立地関係が起因しているわけである。



板橋、練馬といえば
東武線、西武線の世界観である。




そういうわけで、

ほとんどが東京都内
(中でも練馬、板橋が多い)と
埼玉県からの観光客が多くを占める
ということは、

遠方の他都府県から
わざわざ出かける松島や天橋立とは
異なり、


やはりこれは


旅ではなく

オトナの遠足&お散歩

である、と。









*****







川越。



"恋の西武新宿線"たる高校時代、

運動部の他校へ出向いての
練習試合で行って以来

28年ぶりに、


ワケあって訪れた。



そのワケの合間に、シャッターを押した。

ダモシ的川越景。




明るい、表の、ゼネラルな川越を
掲載する次第である。








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未だメジャーには上がれぬも、

マイナーの中でも3Aクラスには
昇格したか、

川越の象徴<時の鐘>。






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川越を訪れる人の年齢割合では
50代、60代が多い。

人力車に乗るおばあちゃんの
幸せそうな笑顔が

グッドルッキングだ。




それもそのはず、

街並の江戸っぽさは、
ここを訪れる
多くの東京人や
東京至近の埼玉県の人にとっては

落ち着きをもたらすのであろう。






以下、小江戸な風景を。




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江戸から、大正浪漫へ。



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*****






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街には至るところに
<つばさ>のポスターや幟があった。


むろん、
地元の人にとっては
小説やドラマの舞台となるのは

誇らしいことであろう。





<ようこそ、つばさの舞台、小江戸へ>

が合い言葉。





一つ、シュールなことを。


この、小江戸。
やはり無視できない。


ここが
埼玉や千葉の悲哀の一つでもある。


要するに、
東京という大都会の近隣にあることで

東京にある意味で寄りかかって
生きている感を避けられないところである
という点が<小江戸>という表現に
露呈されているからである。



要するに

今でこそ成田空港と名を変えているが
その昔は新東京国際空港だった成田や、

千葉にあるにも関わらずの
東京ディズニーランドという名称。



あるいはそれは、

青森県や北の某の山に象徴される
<○○富士>という、

何でも富士に準える手法。



それらはとどのつまり

己単独主体ではなく

アナザー・パーソナリティ
(他の個性もしくは他のブランド・ヴァリュー)
を借りて


己が訴求を施しているわけである。




ダモシが、

東京のダモシ
ニューヨークのダモシ
田園都市のダモシ

と言わずに

東京のタモリ

というふうに、

メジャーな誰もが知っている名前を
借りて

セルフ・プレゼンテーションするような
ものである。




そういう手法は、

どうも好きになれない。



仮に川越の<時の鐘>。

北の某の<時計台>を準えて
埼玉の時計台と呼称していないだけ

救いであり、


仮に時計台や
それに似たものが東京にあったとして

東京時計タワーと呼ばれるものだったとすれば、

川越の時の鐘が
その訴求方法として


<これが埼玉の時計タワーです>


とやりかねない。



それが東京に依存してることの証明であり、

東京という
ニッポンにおいてはメインの大都会の
ランドマークその他のパーソナリティ
(アナザー・パーソナリティ)を借りざるを得ない

弱さ

があると言わざるを得ないわけである。




これが、

同じく東京と隣接していても

横浜になるとワケが違う。


関東の中で
東京と隣接しているエリアで

東京に依存せずに
独立的な存在感と強烈な個性を持って

存在しているのは

横浜だけ

なのは現実であろう。





ニューヨークの場合は、

コネティカットやニュージャージーも
それぞれ独立した個性と、

ニューヨークに依存しない強さがある。



それはやはり洲によって
それぞれがインディペンデンスであるという

米の特徴であり

ニッポンの寄り添い型との

差異でもあろう。




首都もしくは経済や文化の中心と
隣接しているエリアは

ニッポンにおいては

その首都に大きく依存しているわけである。


その点、東京から離れれば離れるほどに

独自の世界観を擁するわけで

<観光>という観点では
より東京から離れる方が

面白さも増していくわけであろうか、と。








最後に、川越の

リアルな表の姿の一景を。





kawa5.jpg




いわゆるこれがリアルな姿ともいえるわけで、

こういう画像も多々あるが、

ここは控えたい。


川越へのオトナの遠足&お散歩を
考えている/予定している
人がもし見たら

ガッカリするであろうから

差し控えるところである。




愉快なVOWもあり。


それは機会を見て取り上げたい。











posted by damoshi at 02:11| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

八甲田山〜死の彷徨





本棚から
前回につづき新田次郎作。


<八甲田山〜死の彷徨>。





hakkoudasan.jpg






映画は公開当時ではなく後から観た。

公開当時は未だ小学生。

それでも
当時のテレビCMその他を記憶している。

なにしろ
映画<八甲田山>を象徴する
キャッチーな台詞である


<天は我々を見放した>の
インパクトは強かったからだ。



三島由紀夫が、

靖国神社にある遊就館に展示されている
戦争で若くして散った
或る人の遺書を指して


その文章を絶賛したが、


人間は

恋愛している真っ最中であったり
生死に関わるシチュエーションを眼前にする
というシュールな中で

ソウルのこもった言葉や文を
発露させたりする。


そこまでいかずとも

例えば
富士登山中の過酷な心身状態の中で
自然と沸き出る言葉に

その人間の、人となりが隠されていたりする。



要するに
現代ではほとんど消滅したであろうが、

求愛のラブレターなどは

ふだんの自分では出てこないような
言葉や文章が生まれ得る

ということである。




災害や恐怖、危機を共に過ごした男女は

恋におちやすい

のも

同じ部類に入るだろう。




平時とは異なるシチュエーションだからこそ

発せられる魂の声。



だからこそ
良い意味でキャッチーであり
シンボリックなのである。


そして

心に残る言葉となる。



作り物の広告コピーとは

ワケも重みも異なるわけである。






そして、

そういうケースでの言葉は

至極

シンプルなものである、と。









*****








新田次郎の

<劔岳>にしても
この<八甲田山〜死の彷徨>にしても

文章はすべてシンプルである。


言葉遊び云々ではなく

展開と
シュールレアリズムが

山岳小説の根本ともいえるだけに、


主人公その他登場人物のヒロイズムに
走ることなく

淡々と人物描写していく点でも
共通している。




その淡々とした人物描写は、

ヒロイズムを助長しない
抑制力を持つと同時に、


一方では

・ダメな奴
・イヤな奴

のダメさ加減やイヤな奴ぶりが

際立ってくる。




通常、善と悪がいて

その善悪の構図を
特に強調することで

読む者への射幸心を煽ったりする
ケースがある。


ヒロイズムが際立てば

対極に位置する
ダメな奴/イヤな奴の
悪さぶりも際立ってきて


対立構図を明らかなものとする。



だが、

<八甲田山〜死の彷徨>においては

そういった運び方/描写手法
(ヒロイズムの設定と過度な描写)を採らずとも

自然に

対極にいる方を

"こいつ、イヤな奴だな…"

"あぁ、こうなるともう組織はダメだな。
あいつのせいだわ…"

と読者に感じさせ、

その嫌悪を助長させる効果を
発揮させている。





悪は悪。ダメな奴はダメな奴。


それを
相対的に見せずして
(善を過度に見せずに)、

露骨に分からせるわけである。





<八甲田山〜死の彷徨>における

悪役は、

壊滅した隊を率いるべきはずだった
リーダーから

組織における格では"上"にある
(ただ単に同行するというだけの
 はずだった)

というだけで

指揮権を奪い

間違った方向へ組織を導いた

男である。




単純にいえば

会社で
<お前に任せた>と言われた課長が
ある事案を部下数名率いて指揮しているのだが、

常に部長が目を光らせていて

本来
その事案においては
任されたわけだから
指揮権とデシジョン・メイキングを行うべき
その課長の

意思決定に対して

いちいち口を出し、

反対意見を述べ、

挙げ句の果てには
己自身が勝手に指揮をしはじめてしまう

ようなものである。





あるいは、
サッカーのジーコ監督ではないが

ロシアのその倶楽部チームの
フロント側が
いちいちジーコに口出しして

挙げ句の果てには
フィールドでのサッカーの戦術まで
フロントが選手に指揮をとりはじめるケース。


さらには
プロ野球の監督が決めるべき
ラインナップや先発投手を

球団オーナーが口出しして

代打を出せだの
先発は誰それを使えだのと

指揮するケース。





こうなると、どうなるか。


組織としての体はなさなくなる。




この事案は誰が任されて遂行しているのか。

それを
肝に銘じずに
その任された者以外の上役が
ああだこうだと口出ししたり

挙げ句の果てには

異なる方向性を指示したりすると

もうそのチーム、組織は
普通には機能しなくなるわけである。




監督が

<ここはお前の一発に賭けるぞ>

と指示したのに、


オーナーがしゃしゃり出てきて

<ここはバントだろ。バントしろ>

と指示するとどうなるか?

ということである。





八甲田山の雪中行軍に就いた部隊は

二つ。


一つの部隊は生き残った。

もう一方の部隊はほぼ全滅。


この差は何か。


<リーダーの差>である。



むろん
ほぼ全滅した部隊のリーダーも

口出ししてきた上役に
指揮権を奪われたことで

本来の己の戦略を遂行できなかったわけで

同情の余地はあるが、


本来的に強いリーダーたるもの

いくらそうはいっても
ああだこうだ言ってくる外野の声を
封印もしくは力で凌駕するくらいの

ダイナミズムを持たなければならない。


ほぼ全滅した部隊の

リーダーの弱さ



リーダーから指揮権を奪った上役の
センスのなさ



大失敗の要因の中でも
最大に位置するものである。




ということが、


淡々と描かれる小説の中で
露骨に表されているのである。




<八甲田山〜死の彷徨>は、

ある意味で
へたなビジネス書よりも
まともなビジネス書であり、


日常的には

ややもすると
忘れてしまいがちで

何でも口出しして
ああだこうだ言ってしまう上役にとっては

戒めの意味でも

読書することが賢明である
作品といえよう。






荒れ狂った白い悪魔・八甲田山の様子。

死に往く隊員たちの様子。



それらの描写は山岳小説の権威、新田次郎の
面目躍如ともいえる
迫力と、

あまりにも淡々とし過ぎてるがゆえの
恐怖のエクスポージャー。




長いが、長さを感じさせない作品となっている。




映画も
<劔岳>に等しく

展開や台詞含めて
かなり原作に忠実に作られたのだな



感じさせる。







それこそ

"そもそも"

今の時代で考えれば、

わざわざ
真冬の八甲田山の
雪中を行軍するなどという
アイディア自体が

阿呆

と言わざるを得ない。



リーダーから指揮権を奪った
おたんこなす上役の、

八甲田に精通している
地元の案内人すら拒否して強行するという
選択眼と見識の欠乏

などなど

嘲笑と失笑を禁じ得ない。




現代の
真夏の富士登山でさえjust in caseで
様々なリスクヘッジをした上で登るわけである。


真冬の、零下40度に猛吹雪の八甲田を
それなりの装備もなく
案内人もなく
やみくもに精神論だけで行軍するという
行為は、

ハレンチ

と言わざるを得ない。




だが、それが昔の
(戦前戦中などの時代の)ニッポン

だったのであろう。





おかしいと思っても
おかしいと言えない。

間違っていると感じても
それを己の中で飲み込んで
消化してしまう。



これは一部には美徳とされるが、

一方では
意気地なしであるといえる。



ましてや生死がかかった状況においてなお

自身から
指揮権を奪い
へんてこりんな指示を出し続ける上役に対して


強行に


<俺がリーダーだ>と言えなかった
神田大尉の

意気地なしぶりは

反面教師として

この小説で感じることができるだろう。





シビアだが、忌憚なくいえば、


この神田大尉
(映画では北大路欣也)の



<天は我々を見放した…>は、

心の叫びであることには違いないが

結果論としてではなく

もう途中で
指揮権を奪われることに甘んじた時点で
こうなることは予期されていたことも
鑑みれば、


神田大尉自身の弱さがすべてであり、


ゆえに

<天は我に罰を下したのか…>

と言っても良かったのではないか

とも考えられるわけである。





天が見放した云々以前に、

神田大尉自らが

己がリーダーシップによって
必ず全員無事で
この雪中行軍を遂行するのだ

という

強い意志と決意をもって

臨んでいたならば、



結果は異なったであろう。

















posted by damoshi at 20:53| ダモシの本棚から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月14日

RE-BIRTH〜根性





ジュニアにとって四度目の
空手のコンペティション。

それは他流試合でのフルコンタクトは
経験済みだが、

初めてとなる身体防具なし
グローブは総合格闘技系の薄いもの

且つ

相手には極真も登場する
というシチュエーションでの

東京・湾岸エリアでの全国大会となった今宵、

想定外のストーリーと結果をもって

帰宅も
首都高湾岸線とヨコハマを爆走して
よふやく21時と相成り、

ダモシもヘトヘト、
声も選挙運動後の候補者がごとく
ガラガラといった様相である。





wangan6.jpg



会場となった
湾岸・夢の島にあるアリーナ。


第五福竜丸が展示されてある
ミュージアム以下、

各種スポーツ施設やグラウンドが揃う一大パーク。








*****







一昨日の夜から
どうやら左脚の付け根が痛いと
ジュニアは弱音を吐いていたという。



どうにもテンションが低い早朝。

こちとら
疲れているのに
眠いのに
早朝からサンデーも起きて
ダモフィーロを飛ばして湾岸まで
出かけるわけである。


穏やかに、無視するダモシ。


ジュニアの顔色を見れば
弱気の虫が出ていて
覇気がないことが見てとれる。


だが、無視するダモシ。


試合直前、喝を入れて
スパーリングをする。



<ただ突けばいいわけではないぞ。
 踏み込んで、体重を乗せてパンチしろ。
 内側へのローも体重を乗せないと
 効かないぞ>

と実演含みでやると、メソメソ泣き出すジュニア。





(<ダメだな、こりゃ>)という
予測がダモシの中に成り立つ。


相手も、
これまでの大会より強そうに見える。


ダモシも試合アリーナに下りて
カメラを構えるが、

敢えてセコンド的につかずに、

離れた位置から情勢を見守る。




ゴング。



開始と同時に
いつものように先手先手で前へ前へ出る
ジュニア。



(<いいぞ>)と思うがしかし、

パワーが入っていない。


ローも、パンチもキレがない。



(<ワンツー、ロー。
  ワンツー、ローだぞ、ほら>)

と心で叫ぶダモシ。



トーナメント一回戦の相手は、

前回破れた相手に等しく

逃げるタイプである。



要するに接近戦を避けて
ヒット&アウェイもしくは、

一発だけ適確なピンポイントを当てる
ことを狙い、

それを果たせば

あとは逃げ回り
判定で勝利するという

点数稼ぎタイプである。




(<あぁ、こりゃまたあの手だわ…>)。



見ていて
敗色の気配を感じるダモシ。


だが、
前へ前へ出るジュニア。


相手は防戦一方である。

だが、
ジュニアにも技のキレがない分
決め手に欠ける。





wangan12.jpg



白がジュニア。


白の選手は白の線(右側に映っている)、
赤の選手は赤の線(赤の選手が立っているところ)
から試合は始まるのだが、

ご覧の通り、

ジュニアは前へ出ている。


先手で攻めていく。


これは彼のいつもの
ファイティング・スタイルである。


相手は
己が赤の線から前には一度も出ない。

赤の線から
どんどん後ろに押されて下がる。

下がりながら
ラウンドして逃げ回る。




だが。




wangan11.jpg




審判の
<待て>のかけ声の後に再開した
次の交錯の際に

ジュニアが
業を煮やしたのか

不用意にライダーキック(飛び蹴り)にいった
その瞬間を

赤は一発勝負とばかりに
狙いを定めた

前蹴りを放った。




これがヒットして、ジュニアは転倒。


むろん
すぐに立ち上がり闘いは続いたが、

この一発の有効が判定に効き、

ジュニアは判定負け

を喫して

初戦敗退と相成ったわけである。








*****








同団体からやってきた
この日の七組(の親子)が見守る中、


最年少のジュニアが

全体の中での一番手だった。


そこで
事実上、己が練習で培ったことや
ダモシから指示を受けたことが

何一つ出来ずに

敗れ去ったわけである。





ダモシは抑えていた。

試合中は声を一度も出さずに
セコンド位置からは
離れた位置で、

抑えていた。




だが、ブチ切れた。



アリーナの端で、

ジュニアを大激怒して宣言した。




<次負けたら、もう辞めさせる!>


<次負けたら、
 誕生日もナシだ!>


と。



何が怒るかといえば、

相手は致し方ない。


例の逃げるタイプである。

手数も
ファイティング・スピリットも
勝っている。


だが、

負けたことよりも

彼自身が
ふだん練習していることや
己が出来ることを

何一つ出さなかったことに対して
激怒したわけである。




<なぜワンツー、ローをやらんのだ!>


<なぜ相手が逃げるんだから
 それに合わせてお前も止まるんじゃ!>


<追わんかい!逃がすな!>




そして、

何よりも
彼本人が脚の付け根の痛み云々を

そもそもから
エクスキューズにしようとしていた
その姿勢が腹立ったわけである。



さらには、元気がなかった。

最初から元気がない。
弱気な顔をしていた。



ダモシが見て、

<あぁ、こりゃ負けるぞ…>と
すぐに察知するほどの

弱気の顔。



そりゃあ、親だから分かるわけである。

精神的にモメンタムがあるか否かは、
その顔の表情を見れば一目瞭然である。


それが明らかに分かってしまうほどの

消沈した顔つきを
最初からしていたことに腹が立つわけである。



ワイフもブチ切れた。

平手での鉄拳制裁。

なにをしとるのか、と。

男のくせに、ビシッとせんかい!

と。




ダモシはもう周囲は目に入らない。


<てめえこの野郎、
 男のクセにハンパしやがって、コラ!>

と大怒号が飛び交ったわけである。



お金も時間も
そして休日も
こうしてスペンドしているわけである。


厳しいようだが、事実である。

子供であろうが容赦はしない。


ムダな時間をスペンドさせるな、と。

このままでは帰らんぞ、と。



今回もまた
逃げるタイプに負けたのだが、

それも事実だが、


一方で

それよりも大きな敗因は
彼自身のモメンタムの欠如であることが
明らかだったことが、


ブチ切れの大きな要因となったわけである。



男のくせに
ハンパなことをしたときが

最も激怒されるのだ

ということは、

しっかりと植えつけなければならない。







<次>。




ここでいうところの<次>。



これが今回の大会のミソである。


今回の他流全国大会は
<敗者復活戦>が存在していたのである。





その頃、

同団体の他の親子たちは
ダモシのブチ切れを見て
静まり返っていた。



(<ヤバいぜ…>)と。


奥方は

(<○○君は負けて悔しくて泣いたのに、
  それでも怒ったの…?>)

と。










*****








ダモシと同じく
富士登山経験者で、


同じように
足の爪を失ったという父親の、

その子供は
ジュニアと同じ年齢唯一の
特殊部隊員である。


その子供はジュニアよりも
キャリアは浅く
特殊部隊入りしたのも半年遅れだが、

着実に成長しているらしい。


その子は今月下旬の別の大会で
他流フルコンタクトの
デビューをするために

その視察と、

ジュニアの応援を兼ねて
来場していたわけだが、


その親御さんは
子供が同じ年齢ということもあり

気を配っていた。



しかし一回戦は大きく声をかけたり
応援したりすることはなかった。



それは他の同特殊部隊員の親子たちも
同様であった。

周囲に点在して
一応ジュニアの闘いを見守ってはいたが、

表立って声をかけることはなかった。






しかし、

ダモシのブチ切れを眼前にして

ジュニアが向かう
敗者復活戦トーナメントには

全員が周りを囲んだ。




敗者復活トーナメント。



いよいよダモシがセコンドについた。


ジュニアを後押しし
相手にもプレッシャーをかける

必勝態勢を敷いた。



<ほら、いけっ!
 前へ出ろ、プレッシャーかけろ!>


<オーケイッ!
 ワンツー、ロー!
 もういっちょロー!>


<ほれ、相手やがってるぞ>

<ビビってるぞ、オラ!>

<ガード固めろ、ガード!>

<左ロー来るぞ。
 来たら、右払え!>

<空いた!
 ハイ行けっ!>

<おいっ!待つなっ!間を空けるな!>





ジュニアは完全に本来の姿を取り戻した。


連戦連勝。

すべて
相手に何もさせずに、圧勝街道を走るジュニア。


休憩時間を挟まず
どんどんと連戦で勝ち続けることで

彼のモメンタムが最高なものとなってきた。


勝って何度も泣くジュニア。

よほど悔しかったのであろう。
初戦で負けたことが。

よほど嬉しかったのであろう。
敗者復活戦で一つ一つリバースしていくことが。






<敗者復活戦>。


英語での意味合いと日本語のそれは
若干異なる。

巷で言われる英語のそれと、

ダモシが現地で
実際にビジネスで使用したそれは

また

単語自体が異なる。


どれが正しいかは分からぬが、

闘いにおいて
一度破れた者が復活する権利を持って
また臨むというニュアンスにおいては、


当地で
取材その他で経験した
コンペティションにおいては


RE-BIRTH(REBIRTH)が適当であると

理解する。

リバースである。

再生ともいおうか。




映画<さよならゲーム>でも出てくる
名台詞。



<野球は素晴しい。
 我々アメリカのスポーツだ。
 敗者を祝福するスポーツだ>

ではないが、


敗者復活戦という響きには
RE-BIRTHというニュアンスが良く似合う。



あるいは
メジャーリーグのワイルドカード。

プロ野球の
クライマックス・シリーズ
(プレイオフ)における

三位チームの出場権利と

メジャーのワイルドカードは

やや本質が異なる。


メジャーのそれは
そこからワールドシリーズへ進出するには
リアルにタフな状況が発生するが、

それでも
それを成し得るだけの構成となっている。


プロ野球の場合は
それは現実的に厳しい。

プレイオフのシステムが異なるからである。



米のメジャーのワイルドカードと
プレイオフの試合形式はよく出来ていて

それゆえの

<モメンタム>の重要性が

より理解できる仕組みになっている。




スポーツという闘いにおいては、

<モメンタム>と
<アトモスフィア>は、


実力と運以外では

非常に大きな要素である。



それを実感できるのは
日本式ではなく米式なのである。




それはさておき、ジュニアの敗者復活戦。



完全に
モメンタムが構築されたジュニア。


間髪入れずに

そのまま
敗者復活戦の優勝決定戦へコマを進めた。



いよいよ敗者復活戦のファイナル。

そこには
本戦の準決勝以上進出者は含まれない。



ダモシは想った。


敗者復活戦をあと一つ勝てば

メジャーのワイルドカードのタフさ
同様に勝ち上がったわけだから、

このままプレイオフ
すなわち

準決勝敗退者との
三位決定戦か、

もしくは
さらにその三位決定戦をすっ飛ばして
ベスト4に入り込んで
準決勝から本戦にリバースできるのであろう

と。





ジュニアは、
前の組(小学生)の敗者復活優勝決定戦の後
まで順番が回ってきた。



ところがここで、

運営側が
<30分休憩>を宣言した。


ここでダモシが抗議に出た。


<なぜ、ここで休憩で止めるのだ>

と。


<このまま、やろうではないか>

と。



ダモシが懸念したのは、

モメンタムが完璧に成立している状態のまま
流れで勝ち切りたかったのである。


タイムアウトもしくはブレイクは

このタイミングで
とってほしくなかったのである。




しかし抗議は受け入れられず、

30分の休憩となった。










*****







wangan10.jpg



メソメソ顔が消えて
やる気満々のジュニア。




休憩の間、

相手の対策を立てると同時に

ジュニアに
<身体とマインドを冷やすな。
 途切れさせるなよ、気持ちを温めておけ>

と進言した。


要するに、休むな、と。

息を入れるな、と。



そして休憩が空ける10分前に下に降りた。


相手も父親がセコンドにつき、
試合開始前
そばに寄り添って
ヒソヒソ作戦を授けている。


それに聞き耳を立てたダモシ。


どうやら
突きを連打するらしい。

軽くスパーリングするその親子のことも
見たダモシは、

その子の蹴りは
たいしたことはないと見抜いた。

ヴァリエーションも少ないと見た。

さらに
ゴングと同時に突き連打で
来るということも聞き耳で分かった。

スパーリングで
その子が突きをやる際の態勢を見ると

ストマックのあたりが
がら空きになっていた。




ダモシはジュニアのそばに行った。


そして策を授けた。




<始まったら最初に
 飛び蹴りではなくて
 前蹴りをお腹に入れていけ>


<それをやったら、
 相手は突きで来るから
 手数で最初から圧倒しろ。
 手数で上回れば相手は下がるから、
 下がったら、例のワンツー、ローでいけ>


<おそらくハイも入るぞ。
 頭のガードは相手はできなさそうだから、
 ワンツー、ロー、ワンツー、ローの
 流れの中で
 チャンスを見て
 ワンツー、ハイに変えろ。入るから、ハイ。
 必ず入るからハイを入れろ>



と。




審判団が機敏にアクションをしない。


こちとら臨戦態勢にあるに関わらず
審判団が休憩から戻ってこない。



<さっさとしろよ!>


ワイフの怒声が飛んだ。


<仕切りが悪いぞ>

と。


もはやキラー・ワイフになっている。



その間、トイレに行くダモシ。


と、

なんと
そのトイレで

相手の父親と鉢合わせ。



しゃにむなダモシは
レストルームという密室で
その父親に

まるでヤングボーイがごとく

ガンつけ。



もう完全に必勝モードに入っている。






ゴングが近づく。


この日来ている
特殊部隊の親子が総動員で
全員がアリーナに降りてきて

白(ジュニア)応援セコンド・エリアを支配する。



問答無用のキラー・モードに入った
ダモシとワイフは

味方の
<白はあちらですよ…、ダモシさん…>

の声に耳を貸さずに、


相手側セコンド・エリアの

その父親と仲間のいるところに
鎮座ましました。


図々しさと
意図的な性格の悪さ攻撃での
プレッシャーがけである。



相手が何か声がけすれば

それを上回る声量で

<○○!気合いだぞ、気合い!>

<いったらんかい!>

と凄めば、もうヤクザか、と。






試合はジュニアが圧倒。

何もさせずに

最後は
ハイ二発で二本とって

一本勝ち。





<よしっ!コラッ!>


ダモシの快哉と

特殊部隊軍の歓喜がこだました。









*****








この敗者復活戦。

残念ながら
リアルなリバースとはならずに

一回戦で負けた相手との
再戦はならなかった。


敗者復活戦トーナメントは

このためだけのトーナメントであった。



しかしながら、


結果は

敗者復活戦トーナメント優勝者は

本戦の第三位の次点(単独四位)として
敢闘賞扱いで
三位までの子供に加えて
メダルと賞状を授与されるといった

仕組みだったようだ。






wangan2.jpg


表彰式で、
特殊部隊の
小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんたちから
促されるジュニア。


<名前を呼ばれたら
 受け取りに前へ出るんだよ>

<ほら、行け>

と優しくsuggestionされたという。






wangan3.jpg




面目を保ったジュニア。


今回の大会でも
同団体から派遣された
特殊部隊(七人)は、

優勝二人
銀メダル一人
銅メダル一人
四位二人

だった。


ジュニアがその四位にもう一人として
加わり、

より参加者が増えた全国大会で

結果的には好成績となった上、

何よりも大きいことは

一回戦で敗れてから
敗者復活戦をすべて制した上で
四位に返り咲いた点であろう。



その点では、

特殊部隊の中で最も薄氷を踏んだ
といえるのだが、


最もドラマティックな展開を

見せたといえよう。




まさに

ダモシが常に提唱する

<見せる要素>をふんだんに織り込んだ
スリリングな展開を


ジュニア自身が披露したという点で、


大激怒した後の

このグレイト・ジョブには
忌憚なく
賞讃を与えたわけである。





実際、

ダモシ自身
子供の頃から敗者復活を勝ち上がった
経験はない。


負けたら終わり。

気持ちも萎えてしまう。


父親がブチ切れて恐怖だ

という影響から
気合いを入れたということも
一つにはあろうが、

それだけで頑張るなら強制である。



本人が負けて悔しいというところが

すべての出発点である。


その出発点に対する
後押しの方法は

褒めたり

激怒して叱ったり

と様々あるということである。



ハンパなことをしたのならば

徹底的に激怒して
ぶっ飛ばすぞという

父親の怖さは、

母親にはないものであることは
明らかである。



父親の怖さ。



これは絶対的に必要なことである。

そこに父親がいるだけで
ピリッとしまる。


そういうオーラは必要である。



それはあるにせよ、

今回の敗者復活戦優勝は

本戦で三位になることよりもまた
異なる

大きな財産になったであろう。



破れて萎えた気持ちを悔しさに変え、

そこにあるリバースのチャンスに
どう生かすのか。


気持ちを甦らせて

モメンタムをいかに高めていくか。


そういう意味では
五歳のジュニアにして

既にもう体験し

それを踏破・実現させたわけである。



それは彼自身の力である。




ダモシとワイフは

そこに
ジュニアの<根性>を見た。




それは
応援してくれた
特殊部隊員の親子皆が

ジュニアの最後の勝利後に

駆け寄ってきて

まるで本戦で優勝したかのような
祝福と賛辞を与えてくれたことにも

表れていよう。




富士登山で足の爪をなくした連合の
父親も語っていたが、



<子供なのに、
 ここで甦って勝ち上がったのが凄い>

というのは

ダモシも忌憚なくそう感じる。




(<俺には出来ないかもな…>)

と思うわけだが、


その一方で

対米における
06年の東京裁判しかりだが、

ダモシもまた

何度も敗者復活からの大逆転は
起こしてきていることを鑑みるに、



いつものごとくまた

<己が唯一の直系遺伝子>は

確実に

そのイズムを踏襲しているのだな

と悦に入るところでもある、と。







wangan4.jpg



シュールな闘いが終わり
幼児の顔に戻ったジュニアは、

応援に来てくれた
同年齢唯一の特殊部隊員と遊ぶ。


この同年齢唯一の特殊部隊員も

ジュニアが前回破れた
例の逃げる子供に

同じような形で
別の大会で破れたという。


その際やはり

富士登山で足の爪をなくした連合の
父親はブチ切れたらしく、


その父親が今宵も
語りかけてきた。




<○○君とウチの子で共闘して、
 何とかあの逃げる子を負かしたい>


と。



ダモシも応じた。


<やりましょう!>

と。




<俺たちはガチンコをやるんだ>と。


<子供のうちから
 点数稼ぎして逃げ回るのは
 俺たちと俺たちの子供のスタイルではない>


と。




スポーツは、真正面から。

正々堂々と力の勝負をしてこそ。



それがまずは子供、そして青少年時分の

スポーツの根源であり、


それはオトナのそれにおいてもまた
絶対に欠乏してはいけない

スポーツの根本的イデオロギーである。










*****









ジュニアは言った。



二位か優勝したら
おもちゃ買ってくれるって言ってたでしょう

と。


ちゃっかりしているが、
こういうところが子供の良さである。


しかしそれもそのはず。

優勝か二位になるよりもずっと
試合の数と勝利数は多いわけである。


しかも

敗者復活戦トーナメントとはいえ

すべての敗者を交えた
トーナメントにおいて

優勝したわけであるからして、



優勝は優勝だ。




<よし、分かった!>


とダモシは笑った。






子供は面白い。

親としても
人間的な幅が広がる。



そして、

子供はもとより

スポーツは面白い。



どんな想定をしていたとしても

必ず
想定外のストーリーが発生する。


時にそれが悲しい結果となり

時にそれが喜ばしい結果となる。







時に勝ち、時に負け、

そして

時に雨が降る。




スポーツは、シンプルなものである。



だからこそ


やるならば

一生懸命、ハンパせずにやれ。




ハンパせずに

"ちゃんと"やりさえすれば、


あとは
結果なんぞは


天気のようなものである。






そういうことである。






wangan30.jpg



メダルに見入るジュニア。

去来するのは安堵か達成感か。

単純に、嬉しさか。







*****








最後に会場周辺景を。






wangan9.jpg




wangan8.jpg




wangan7.jpg




wangan5.jpg







wangan1.jpg


レインボー・ブリッジから
お台場の観覧車が目に入るが、

おたんこなす施策のせいでの渋滞が

帰路をまた怒らせる。














posted by damoshi at 00:52| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

NY_アーカイブス






現地時間の9.11も終わった。


あの日から
8回目のセプテンバー・イレブン。


いずれにせよ
あの日のニューヨークでの己の記憶は
永遠に消えない。

この日が来る度のみならず

多くの機会で
常に思い出すものである。


当欄にも
コンテンツ<2001.9.11>は、ある。





これを機に、

当欄に新たなコンテンツとして

ニューヨークを主とした
米とその他の海外都市での
旅やオトナの遠足&お散歩などを
当時撮影した写真を紐解きながら

アーカイブスとして

設ける次第である。




題して<NY_アーカイブス>。





nyacv5.jpg



nyacv4.jpg




nyacv2.jpg



nyacv3.jpg





何百回も乗り降りし、通過し、歩いた駅。


在住日本人の我々が
"グラセン"と呼んでいた

グランド・セントラル・ステーション。







*****






アーカイブスはむろん、

ニューヨークに留まらない。

シカゴやボルティモアはもとより
ミルウォーキーやタンパ、

英国、香港、豪州に及ぶ。




適宜、掲載。





nyacv1.jpg



















posted by damoshi at 01:17| NY_アーカイブス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月11日

怖いご主人が現れたわよ







最終追い込み稽古で
ここのところ
ジュニアは毎日のように
空手道場に通っている。


このサンデーに
二度目の他流試合における
全国大会があるからだ。


なにせ、

ダモシが帰宅しても
未だワイフもジュニアも帰宅していない
という日があったり、

稽古が連日続いたりと、

一生懸命やっている。


いよいよこのウィークエンドに迫っている中、

ふだんは
口出ししないダモシが
昨晩の22時までの稽古は
<見るか?>ということで、

仕事を終えてから
20時半過ぎには道場の門をくぐった。


熱気に溢れる道場。

そこへ異形ダモシが現れると、
一斉に父母や空手キッズやヤングボーイの
視線が集まる。


昨晩の稽古は
例の特殊部隊だけの時間であり、

他の父母は
ふだんも道場に来ていて

ワイフも親しくなっているわけだが、


その道場で稽古しているわけでもない
ダモシは
ふだんは道場に顔は出さない上に

試合会場へ顔を出すのも
ジュニアのデビュー戦からだから
まだまだ三回だけであるからして、

ダモシだけ

どこか
"未だ見ぬ強豪"的なポスチャーがある。


その上に、

前回の他流試合における全国大会の
現場に初登場したダモシの
インパクトを覚えていたらしく、


ダモシが登場した途端に

他のマミー軍団が
ワイフに言ったという。



<ウチの主人が、
 奥さんはこんなに明るくてかわいいのに、
 どうして旦那さんはあんなに怖いのだ
 と言っていたのよ。

 その怖いご主人が現れたわよ>


と。



なんとも酷い話ではないか、と。




なんでも

このポスチャーがある上に、

その前回の全国大会での他流試合では
ダモシもかなりエキサイトして
セコンドとして登場して
声を荒げるなどしていたから


<怖い>という印象が
植えつけられてしまったのであろう。



ダモシは知らなくても

ワイフが
ふだんから他の父母と語っていることと

その印象

〜印象は、特に、ふだん現れないからこそ
 よけいに膨らむものである〜

が強烈だったらしく、


他の父母はダモシを妙に知っていたりする。



ダモシが現れると、

他の父母が寄ってきて

<ああ、どうも…>となる。


ダモシは知らないが、

一応
<ああ、どうも…>とやる。


そこでワイフが間に入り、

<この○○君のお父さんも
 富士山に登ったのだって>

と共通話題を持ち出す。



<ああ、そうですか>となれば、

そもそも
ワイフとそのご主人は
富士山談義をしていて

ダモシが富士山に登ったことも
既に知っているから、

そのご主人としては


<あ、富士山。登られたのですって?>

となる。



ダモシとしては
唐突ではあるものの

そこに富士の話題が出れば


<ああ>となる。



ダモシがパーフェクトに剥がれて
消失した足の親指を見せて


<いやぁ、親指の爪がなくなってしまいましたからね>

と言えば、


そのご主人も
<ええ、私もそうなりましたよ>

となり、

まあまあ話は持つ。




といった具合で、

ジュニアはジュニアで

ダモシが現れた瞬間に

他の父母や
ワイフが


<あ。お父さん来たよ>

<あ。ダディ、来たよ>

と言えば、

即座に振り向き
ダモシを見て、

その途端、

その顔に大きな緊張が走るのを

ダモシは見逃さない。



そして

スパーリングでの
年長者や同年者との対決数番では、

誰もが口を揃えて言うほど


<いつもより真剣で、
 必死にやっているね>

となる。



ちゃんとやらなければ

気合いを入れなければ


という緊張感が

ダモシが来ることで
ジュニアに走るのが、

明らかに分かる。



マミーだけの状況での甘えの構造とは異なる、

父親に対する

父親がそこで見ている
というシチュエーションに対する

彼自身が感じ得る

ピリッとしたモードが発露するわけである。




年長者に破れて泣くジュニア。


<泣くな>とダモシ。


そして
試合本番さながらに

控えにいる間は
ジュニアにアドヴァイスをする。



<ガードを忘れてるぞ>

<癖つけろ、癖。
 腕のガードは出来ているけれど、
 脚でもガードしろ。それが出来てないから
 腹に入れられるんだぞ。
 脚のガードも固めれば腹には入らないから>


<パンチだけで猪突猛進するな。
 工夫しろ。
 いいか、ワンツーでいい。
 パンチはワンツーでいい。
 ワンツー、ロー(キック)、
 ワンツー、ローでリズミカルにいけ>


<開始と同時にローリングソバットしろ。
 こないだ見たろ?ユーチューブで。
 佐山タイガーを見たろ?>


<ローいって、相手がバランス崩したら、
 すかさず水面蹴りを行け!
 見たろ?橋本。高田にやったの見たろ?
 アレをやれ>


<最後は延髄斬りだ。見たろ?
 猪木の延髄斬り>




先週来、

ダモシも拙宅で
ジュニアに直接指導を施している。


ここのところ教えているのは、

ダモシ自身が
ヤングボーイ時代の
路上の異種格闘技戦でも十八番としていた

延髄斬り



秘技
100m助走つきジャンピングニーパットの
短縮版

である。


こうやれ、と。


そして
その他のヴァリエーションとして、

・木村健吾の稲妻レッグラリアート

・沢村忠の真空飛び膝蹴り

・タイガーマスクのローリングソバット

・アントニオ猪木の骨法あびせ蹴り

・アンディ・フグのかかと落とし



今回の他流試合用の秘技として

・水面蹴り



実演しているわけである。




さらには、

裏技的な技。

すなわち

・膝の皿を垂直に蹴る
・膝の内側へのローキック

などを伝授。




昨晩のスパーリングでは、

ヒットしなかったが
ジュニアは
水面蹴りとローリングソバットを試した。



そして


ダモシも驚くほど
強烈にして

彼自身が大いなる得意技となりつつあると
実感できたのが、


膝の内側へのローキックである。



まだまだ精度は低いが、

的中率が
他の技より高く、

且つ
ヒットした際に
相手に与えている
精神的/肉体的双方のダメージが
大きいことも分かったわけである。


なによりも

ジュニア自身がそれを
己の技として体得していることが

大きな成果であるといえる。



ダモシも驚くほどに

膝内側への右ローが強烈なものとなっていて、

そのローだけで
相手をダウンさせ、号泣させていたほどである。




ジュニアは常に前へ出る。

負けん気の強さで
一歩引いて
間合いをとって技を狙うタイプではない。


且つ
点数稼ぎタイプのように
相手に攻めさせて
ポイントになるケースだけ

ちょこんと突きや蹴りを出すような
スタイルではない。



接近戦を自ら仕掛けるタイプである。


そうなれば
ハイキックなどは入れにくいが、

逆に
接近しての
膝の内側への至近距離からの
ローが有効となる。


己自身で、それを理解したのであろう。


ダモシがいくら
<間合いをとって、距離をとって、
 ハイキックや水面蹴りをいけ>

と言っても、


本能で前へ前へがむしゃらに攻めるジュニアだから

それは
今のところ変更は難しいであろう。


となれば、

その戦法において
より有効なオフェンス方法を考えるとすれば、

密着距離での
至近距離からの右ローを
相手の膝の内側に入れる

ということが、


一つには出てくるわけである。



ジュニア自身がスパーリングする中で

直感的に
自分自身でコレは使えるぞ

と感じたのであろう。









*****









さて
このウィークエンドの他流試合全国大会。


他流の全国大会は一度経験している。


ジュニアには
よりフィットする

ある意味で

フルコンタクトの何でもありルールである。



しかし今回は、
いつものグローブ着用ではなく

総合格闘技で使用するような

手袋レベルのグラブ
(掴むことも出来るグラブ)である。



よって

危険が伴うため
顔面へのパンチは禁止となる。


ただし、

それ以外は

すなわち
キックでの顔面攻撃はあり。



よりエキサイティングな試合になることは

想像に容易い。



同じ特殊部隊からは
10名ほどの仲間が参戦するという。


関係者に極真も含まれているからして
その団体からの参戦もあろう。



セコンド禁止か否か?

ダモシはまたセコンドとして付けるのか。

ダモシの乱入はあるのか。


興味は尽きない。




土曜日、

ダモシはまたジュニアに
直接指導をして、

最後準備とする次第である。







*****






そうこうしている最近、


やはり
男児たる己がジュニアは

<直系遺伝子>だなと

感じることがあった。




ある日の晩、
寝室で秘技伝授の練習をしていたわけだが、


いくら口や実技で

延髄斬りやローリングソバットなどを
行っても

ジュニアは
完璧にそれを理解することはできない。



そこでダモシは言った。


<よし、こっちに来い。
 見せてやるよ>

と。


そしてyou tubeに出てくる

輝かしい

アントニオ猪木やタイガーマスクなどの

ダモシ世代の
プロレスを見せた。


猪木vs.ウィリー・ウィリアムスの
異種格闘技戦から

タイガーマスクvs.小林邦昭

などなど。




そして、ジュニアは興奮した。


目を輝かせて

猪木やタイガーマスクは凄い!

と喜んだ。




なにが凄いかといって

猪木やタイガーマスクのプロレスや技の
一つ一つが

今見ても

まったく色あせていないどころか、


今よりも

ぜんぜん

もの凄いということである。



猪木の延髄斬りのシャープさ、

タイガーマスクの
異次元のスピードでのキック、

その他もろもろ。




仮面ライダーやウルトラマンなど
架空のヒーローが繰り出す
現実ではあり得ない
スーパー秘技の数々を見ている

幼児のジュニアですら

興奮し
驚嘆するわけだから


当時のダモシが

興奮しないわけがなかったのである。



それだけ猪木やタイガーマスクは

やはり
凄かったのだ、ということが

改めて分かった。


ジャイアント馬場に興奮することは
まったくなかったダモシの息子は、

ジャイアント馬場の映像を見ても

何の関心も示さないのは

当たり前ともいえる。





you tubeで猪木の映像を目にした後、

ダモシが
<さあ、今日はここまでだな。
 俺は仕事するからさ>

と言うと、


ジュニアは

ダモシの本棚に飾ってある
アントニオ猪木人形を
わんさかリビングへ運び、持ち出し、


そこで

怪獣相手に

延髄斬りをやって

遊んでいた。



その姿を見て、

これはもう
またダモシは

ジュニアがかわいくてしょうがない

といった案配になってしまうのである。








*****







頑張ったら玩具が買ってもらえる。


ジュニアは
そう思っている。


風呂でジュニアが言う。

勝手に決めているようだ。


<今度、二位か一位になったら
 ○○を買ってもらうんだよ>

と。




二位か一位というところが笑える。

一位だけではないわけか。




(<どうして二位か一位なのかな>)

と考えていると、

思い当たるフシがあった。



これまで三回の大会挑戦で、

ジュニアの最高位は銅メダルである。
三位である。


それを本人は分かっているのであろう。


三位が最高だから、

自己最高としてはまず
<二位>がある、と。



だから

一位になったらだけではなく、

二位になっても

"ご褒美"を頂戴したい

という算段なのであろう、と。





頑張れよ

と言わなくても、頑張るであろう。


それはもう当たり前だ。


ダモシが現場にいるだけで
彼は手を抜くことはあり得ないし、

そもそも
彼自身が時間をスペンドして
日々行っていることであるからして、

ちんたらやるような惚けたことはしないであろう。





だから頑張れよとか
勝てよとかではなく、

自分の持てる力をすべて出せよ

そして
(己自身に)負けるなよ



声がけしたいところであり、


また、

伝授できることは伝授を

段階を踏んでしていく所存である。



伝授した中から
己が取捨選択をして

己自身で有効活用できそうだ

というものを取り入れていけば良かろう。












posted by damoshi at 00:46| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月10日

女性専用車両のアトモスフィア






前々から
大きな違和感を覚えていて
いつか書こう書こうと思っていたことの
一つが、


東急田園都市線の女性専用車両である。


今や普通に
どの電鉄でも女性専用車両はあるだろう。


田園都市線の女性専用車両は
その中でも
一般的には悪評が高い。

ただでさえ全国トップクラスの混雑率を誇る
田園都市線にあって、

女性専用車両だけ空いている
というのはおかしいだろう
というのが悪評の根本である。

その車両に男性その他、
いわゆる<女性>以外も乗ることができれば

他の車両の客が少しは移動でき
他の車両も少しは空くだろう
という考えであろう。


田園都市線は人気路線である一方で、

混雑率の高さでは
ハイレベルで、

人気のある沿線に住む者への
飴と鞭でいえば
ムチの方に当たるのが
その大混雑ということになるのであろう。


幸いダモシは
朝のピークタイムに乗車することはないから
まだ救いである上に、

従来は大井町・品川方面へ向かう場合は
二子玉川から東急大井町線始発のそれに
乗り換えて行くわけだったが、

この7月から
その始発が溝の口に延伸されたことで

混雑緩和に大いに役立っていることも
救いとなっている。

大井町・品川方面へ出ることが多いから
二子玉川で乗り換えて
大井町線の始発に乗るよりも
溝の口で乗る方が
ダモシにとってはエッジになるからだ。


且つ

より渋谷寄りの二子玉川が始発の場合、
二子玉川よりも渋谷寄りの駅を利用する人で
大井町方面に行く人は
二子玉川まで下ってくるから、

二子玉川以西の乗客と合わさり、

その大井町線も混む

という悪影響があったところが、

溝の口始発と延伸されたことで
二子玉川より渋谷寄りの人は

"わざわざ"溝の口まで下ってはこないで

渋谷まで出てから
JR山手線で五反田、品川方面へ
向かうことを選択することになり、

<分散>が実現し、

ひいては
混雑の緩和が図られたという
ことになったわけだ。



ダモシが例えば品川へ向かう場合、

田園都市線で渋谷まで行き
そこでグチャグチャの人ごみを
かきわけて

JR山手線に乗り込み

一路、品川を目指す方法と、


田園都市線を溝の口で降りて
そこで始発の大井町線で
終点の大井町まで行って
JR京浜東北線で一つ目の品川へ出る

という方法がある。


所要時間はいずれも50分弱。


所要時間が同じならば

より快適な方を選択するのが
人間であろう。


むろん快適なのは後者である。

なぜならば
溝の口始発だから
座ることができるからだ。

わざわざ
うじゃうじゃ人ごみの、

且つ
大嫌いなエリアの一つである渋谷を
経由せずに

さらには
嫌いなJR山手線というものに
乗らずに済むということも

可能になり、

あぁ快適

といった案配になるわけである。




まあ、それは良い。


田園都市線及び東急は、
大井町線を溝の口まで延伸した施策は

ダモシ的にはルックスグッドである。







*****






田園都市線の大混雑の要因の一つには、

ホームに屋根がない駅が多い
ことが挙げられる。


つまり

雨が降ると、

ホームの三分の一もしくは半分、
駅によっては四分の一は

人が寄りつかないという事態になる。



すると、どうなるか。


ホームの一定箇所に
より多くの人が集約されてしまうことになる。

雨の日は、である。




だから

雨の日は根本的に
その雨量に関わらず
田園都市線は遅延する上に、

ある一定車両が

異様な大混雑となるわけだ。



全駅、普通にホームに屋根があれば。


こういうことにはならない

と考えるのもまた普通のことであろう。



東急には
全駅ホームに屋根を付けて頂くことを

お願いしたいところである。






さて、女性専用車両。

この賛否両論は別として、

ダモシが前々から
気になって気になって仕方がなかったことは、

この女性専用車両とやらに
乗っている
or
乗ろうとしてホームで待っている
and
乗るために急いで
ホームのその仕切り
(「ここから先は女性専用車両です」の
 書き込みがホーム地面にある)

目指して急ぎ足で歩く


<女性たち>のポスチャーである。





とりたてて

申し訳なくもないが、

忌憚なく言ってしまえば、



<なぜ女性車両に急ぐ女たちや
 女性専用車両に乗っている女たちは
 一様にブ○なのだろうか>


ということである。




これが気になって仕方がないのである。




ダモシは、
最後部車両の女性専用車両の
隣の車両

すなわち

一般車両の最後尾に常に乗る。


それはどの電車でもそうだが、
電車に乗る場合は
たいてい最後尾車両と
ダモシの相場が決まっている。



だから

ホームで電車を待っている間、

すぐ隣の
女性専用車両に乗るための女性たちだけが
待つことができるホームの1エリアにいる
女性たちを

いつも目にすることができるわけである。


あるいは

待っているダモシの横から
凄まじい勢いで早歩きドンドンドンと
そのエリアへ向かう女性たちの姿をも
目にすることになる。



さらには

乗り込んで
ドア際に立っていれば、

隣の
女性専用車両に鎮座まします
女性陣たちのあられもない姿を
閲覧することができるわけである。




目にすれば、

常に

ダモシは首をかしげてしまうのである。





<どうしてだろう…>と。




キミたちはそんなに男が嫌いか?

と。


キミたちは
仮に
一般車両に乗っていたとしても
間違っても痴漢されたり
声をかけられることはないと思うよ?

と。



だって、顔が恐いし、

ポスチャーだって
とりたてて
異性の視姦を警戒するに値するほどの
美貌でもないよ?


と。



気を使わずに言えば、

単純明快に言えば、

魅力を感じるような女性を
今まで一度も見たことがないのである。


その女性専用車両に絡んでいる
女性たちの中に。



それはまさに、

なぜ
ここまで揃いも揃って、というレベルだ。



逆にいえば、

見たくもなかった/見ない方が良かった

女子運動部の、
女子だけの学校の、

部室

のやうな世界観とも想像できるか。





要するに、

異性がまるっきりいない環境というものは

その性を
磨く必要がなくなるということである。



異性をシャットアウトする空間では、

同じ性だけなわけだから

異性を意識することで
初めて成立し得る
性としてのオーラや香り、色気などが

枯渇していくのである。





ダモシ的には、

電鉄が展開する
女性専用車両制度や

それを好んで選ぶ女性を

どうこう言うつもりはないが、


一つ言えば、


そういう制度や
そういうものを選択する女性は


やはり

残念ながら

人間のセックス/性としての
艶は
失われていくであろう


ということである。





ある意味で、


<プッ…>と吹き出してしまうほど
異形な様相を呈している
女性専用車両と
そこにいる女性たちのポスチャーは、

喜劇であり

動物園の檻の中の動物である。







ピンクで表示される女性専用車両と
それにまつわるサイン群。


しかし

その空間にいる女性たちは

決してピンク色ではない。




ここが二律背反である。




見てみるが良い。

女性専用車両の様子を。


アトモスフィアが、くぐもっているから。


決して
静謐とは言いがたい空気で

その車両中が充満しているから。



何とも言えぬ

重苦しさ、ジメジメとした梅雨感が

そこには漂っているのである。







思う。


男受けしそうな女が

仮に
その女性専用車両に
乗り込もうものならば、

そこにいる怖い女たちの
憎々しげな敵対心丸出しの
視線の一斉放火を浴びるであろう

と。





逆にダモシが乗り込めば歓迎されるだろうが、


こちらから
願い下げである。



ダモシに限らず、

今の
女性専用車両のアトモスフィアならば、


いくら
女性がわんさかいるとしたとて

乗り込みたいと思う男は

限られるであろう。






賢明な男や女なら避ける車両。


揶揄するとすれば、

女性専用車両というものは
そういうエリアを指すのやもしれない。



どうせなら
隣の車両から見えないように
窓にスモークをすればいかがかとさえ思える。




そして、どうせなら電鉄よ。


高校生専用車両やシニア専用車両、
幼児連れ親子専用車両

などを


設けるべきではないか?



それでこそフェアというものではないか。






senyou.jpg





田園都市線。

右端の、
車両にピンクの小さなステッカーが
貼られているエリアが

女性専用車両だ。










posted by damoshi at 00:03| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月05日

風は秋色






9月というのは、

何かが起こったり
何かのはじまり、何かの終わりを
もたらす時節である。

ダモシ的には、である。

代々、そうだ。


ダモシ軍においては、

良きにつけ悪しきにつけ
何か"動き"があるのが9月と
相場が決まっているのだ。


米での近1ディケードでいえば、

一般ゼネラル事象と
己が生活と紙一重が折り重なった
あの"9.11"、


・ジュニア誕生

・愛猫ローク死去

・数年間の一年間の
 オフィシャルでのメイン事案だった
 マイアミ遠征

その他、多くのエポックがあった。


昔からの
ニッポンにおいても、

何か変動があるのが9月だった。

もう一つの異国"北の某"との
別離へ向かう起点となったのもまた
9月だった。



とにかく9月は物事が動くわけである。


それがポジティヴなことかネガティヴなことか、

齢も不惑ともなれば
それは大きな問題ではなくなる。


ポジティヴなこともネガティヴなことも
常に紙一重であり、

既に
ポジティヴ満載&ハッピーハッピー
などということはあり得ないことくらい
分かり切っている中で、

ではどうするか

ということで日常を送っているわけだからだ。


むろんそこには移動祝祭日関連事案や、

己が変わらぬチャレンジングの世界観も

当然介在している、と。



どうか平穏に、

という願いや祈りがあったとて

性格的にも生き方的にも
それはあり得ないということも
既に分かり切っているわけであり、


善くも悪くも
like a rolling stoneではないが、

"感じたら動き出せ"



"迷わず往けよ、往けば分かるさ"

イズムは

変わらず根本にある、と。







*****





ウルトラの母が今宵、

己がホームである仙台へ
帰郷するべく

長年親しんだ永福町という地を発った。


ちょうどその
東京は杉並区永福に移り住んだのは、

ウルトラの父が死去した翌年のこと。

その年はまた
ダモシが米へ旅立つ年である。


だからダモシと永福町は
直接的な関係性はないのだが、

それでも当然、
濃密な関係性はあるわけだ。


なぜならば、

米からのビジネストリップで
東京にやってくる際は、

常宿としていた高輪プリンスホテルに
泊まる以外は
その永福町に泊まっていたからである。

2003年に
組織というものに対して
no longer, belong toとなって以降は、

己が旗のもとで
東京にビジネストリップで飛んだ際にも
永福町に滞在していた。


さらには例の東京裁判。

このときは
約三ヶ月の長きに渡り滞在。

永福町から対米へ、米大使館へ出向いたのである。




己は一度も住んだことはないが、

ある意味で
根無し草のダモシにとっては

ウルトラの母がいる

という事実があったからともいえるが、

永福町という地は
米時代の隠れ蓑でもあったともいえよう。


対米で大逆転勝利を飾り
三ヶ月の雌伏のときを経て
米へ帰還する朝も

この永福町から
ワイフとジュニアを伴い

<ニューヨークとの最後の闘いだ>

と旅立った。




居住はしたことはないが、

そういう意味では
永福町は

名古屋同様に、

絡みの多かった地ということになる。




98年、

ダモシが渡米する直前に
ウルトラの母は永福町にやって来た。

わずかな期間だけ
<本妻>でクロスしただけで
セパレイト・ウェイとなった。


そして今度は
ダモシが<本妻>に戻ってきた直後に

ウルトラの母は
己が<本妻>である仙台に帰郷することで、

またセパレイト・ウェイ。




高校を出て親元を離れたわけだから

共に一つ屋根の下にいた期間は
18年間となる。


それからもう25年。


一つ屋根の下に一人暮らししていた期間は
18歳から26歳の8年間。

ワイフとは
26歳の時、
すなわち92年から一つ屋根の下だから
もう17年になる。





もう永福町に行くことはないだろう。


<グッバイ、永福町>を告げながらも、

ウルトラの母が
使用していたソファやダイニング・テーブル等は


ダモシ軍が引き継ぐ。


永福町に悪い想い出はない。


ウルトラの父が滅した名古屋は
永遠の天敵だが、

永福町は<本妻>の一角でもあり
ウルトラの母が
元気で過ごせた地であるからして

悪いイメージがあるわけもない。



昨年も絡んだ仙台も
そもそも悪いイメージは皆無である。


そこには、あの、
グランマを散骨した松島も常にある。



来年はまた、

仙台へ
<奥の細道>紀行ができることを

己自身で願うところである。





10min10.jpg




10min11.jpg




今後は、近くて遠い地となる永福町。

それに歩調を合わせるかのように
駅舎も今、新たな歩みを始めるために
改造を施している。








*****







残暑で未だに暑い東京、
そして横浜、田園都市。


それでも風はもはや、秋色。



今宵、

気分転換に
拙宅から徒歩10分圏内を、ぶらぶら。



<田園都市景:10-min., walking>

を写真で。





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最後は秋の気配。


金色のライティング・ブラシが
そろそろその存在を現してきた田園都市。




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posted by damoshi at 17:17| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

阿蘇:迫りくる生命力




ゴツゴツしている。

デザイン性云々などという
甘ったれた世界観や

大自然の美などというキレイごと

とは無縁の、

圧倒的に怪獣的で
どこかの惑星のような

それでいて幾何学的な
大自然文様が

そこには在る。



そして、

清々しい緑の丘や森、草原
などといった
"北の某"の美瑛・富良野のような

クセのない童話的なキレイごととは
無縁の、

遊牧民的モンゴル風情が

ここには在る。





阿蘇である。







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*****






熊本。


それを象徴する存在の
代表格は、

熊本城。



むろん
黒川温泉や通潤橋など

それ単体で主役たらんものは
あまたあれど、

一般ゼネラル・インタレストと
通奏低音では、

熊本城。



だが、ここは火の国。


なぜ火の国かという原初に立ち返って
そこへ足を向けてみれば
なるほど、


阿蘇


こそ、

そのインパクトと圧倒的な存在感を
もってして

熊本の主砲たらん。



ブラック&ホワイトたる
モノトーンの美・熊本城と

熊本の
東西両横綱を張り、

且つ

世界に御す
世界一レベルの存在が、阿蘇である。




<世界最大のカルデラ>。


阿蘇を形容する
ティピカルな喩えだが、

そこに

いささかの誇張もない。






圧倒的なる怪獣的惑星感

幾何学的な大自然文様。


そして

遊牧民的モンゴル風情。



美だのキレイだのを超越した
世界観が全面に漂うその根本は
すべて、


阿蘇が発する

絶大なる<生命力>である。





阿蘇。

それは<迫りくる生命力>。







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世界一の火口は中岳第一火口。

直径600メートル、深さ130メートルの
これぞ驚異の大自然。

眼下はエメラルド・グリーン、

溶岩の熱は1,200度。







*****






志賀重昴は「日本風景論」で

<輪の直径七里、中に一町一四村あり、
 無慮四百の生霊を衣食せいしむ、
 このごとき火口の絶大なるもの
 実に全世界第一と称す>


と記し、




山岳本のバイブル「日本百名山」では


<しかし私がさらに驚いたのは、
 そのカルデラよりも、
 環をなした外輪山の外側に広がる
 裾野の大きさであった>

と書かれた。



そして何よりも端的に
阿蘇を表現したのは、国木田独歩か。



<壮といわんか美といわんか惨といわんか。

 僕らは黙ったまま
 一言も出さないでしばらく石像のように立っていた。

 この時
 天地悠々の感、人間存在の不思議の念などが
 心の底からわいて 来るのは
 自然のことだろうと思う>。





"この荘といわんか美といわんか惨といわんか"

は、より強いシンパシィを伴う。



ダモシ的にいえば、

こういう光景は
例えば緑部分であれば
美瑛や富良野がティピカルな例だが、


ややもすればそれはキレイキレイになる。

いわば、キレイごとであったり、

美化する意味合いでの
メルヘンチックな装いである。


だが、阿蘇にメルヘンはまったく似合わない。

キレイごとが似合わないのである。



且つ荘厳だの壮大だの雄大だのという

自然を売りにしている
"北の某"の定番文句も
ここには合致しない。


そんな甘ったれた世界観ではない。



だから壮とも美とも、言えないのである。


ある意味では、"惨"に当てはまるともいえるが、

それも違う。




やはり阿蘇は"生命力"である、と。




この場に立てば、

阿蘇が発する強烈なる
"迫りくる生命力"を目の前にして、

スピーチレスになるわけである。




これは世界に通じるぞ、という

スケール感が

その根底にあることは大きいわけである。









*****








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世界一の火口まで徒歩わずか数分の
ところまで車で行くことができる。



むろん、ロープウェイで行くこともできる。




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このロープウェイがまた奇異で、

通常の山のロープウェイであれば
その高度の実感が強いものである。

要するに
ロープウェイ自体が
空の中を動く。


だがご覧の通り
阿蘇のロープウェイは地面
(といっても既に高度はかなりあるが)
すれすれのように動いていって

火口へ到達する。



ちなみにこのロープウェイ。


世界史上初の
活火山に架けられたロープウェイだという。

これがオープンしたのは

・東京タワー完成
・長嶋茂雄デビュー

と同じ1958(昭和33)年のことだった。







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asokazan14.jpg








:::::



<阿蘇山>


熊本空港から火口まで車で約60分。

登山無料。









posted by damoshi at 00:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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