2009年10月29日

いま

image/2009-10-29T17:17:451


我輩は、在る。


唐津に。




晴れ
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ます゛

image/2009-10-29T10:11:521


我輩は、在る。


博多に。



天気は、よかよ。




晴れ
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2009年10月27日

<錦繍路-ex>:栃木と食





別邸のある準ホームの那須。

天皇家の那須ご用邸、
松尾芭蕉が立ち寄った那須温泉に殺生石も
ほど近い。

古湯治場、板室温泉もすぐそこだ。

その別邸から車で五分。
観光メイン・ストリート、那須街道沿いに
現在人気の店がある。

那須高原チーズ・ガーデン。


シカゴの
チーズケーキ・ファクトリーを思い出す。


東北自動車道のSAPAのショップでも
栃木のご当地土産として
その棚スペースを多く支配する
那須高原チーズ・ガーデンは五峰館。


美味しいチーズケーキ。

これなら
ニッポン全国探せばいっぱいあるだろう。

米にもあった。

だが、

・チーズケーキ

という単なる代物に
付加価値が加わると
一転して

他との差別化においてもそうである上、

そもそも美味しい味にハクがつく。


それは
同じピザでも

ニューヨークで食べる一切れのピザ



シカゴで食す
ディープディッシュ・ピザ

はたまた

コネティカットにある
レストラン<ミスティック・ピザ>で愉しむ
ミスティック・ピザ




それだけで大きなヴァリュー=付加価値
を持っているわけであるのと
同じである。


チーズケーキという山の手的
或いは瀟洒な響きと存在感にフィットする
最高格の付加価値としては


<那須ご用邸>というワードは

レベルが高い。



その名も<ご用邸チーズケーキ>。


よふやく、初めて食した。




goyoutei1.jpg



goyoutei4.jpg



その、まろやかで優美な味は、

・那須高原
・ご用邸

という付加価値も後押しして
愉悦の時間をもたらす。


お薦めだ。


同じくSAPAでも
実際のショップでも人気で
パッケージ・デザインからして
消費者便益を存分に発揮して
消費者の手を伸ばさせる商品。


それがこの二つだ。




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goyoutei3.jpg




未だ食していない。

このウィークエンドあたりか。




nasucheesegarden.jpg



http://cheesegarden.jp/





*****






同じく那須街道。


最近は
ダモシのダモフィーロのみならず

横浜ナンバーを筆頭に
品川、足立、練馬ナンバーが増えている。


聞くところによると、
別荘を購入して移住してくる人も
多いそうだ。



別邸とは別に、

ワイフ自身は
那須の別荘エリアに別の土地を持っている。

十数年前は
そのあたりは家一つなかった更地であった。


だがこの夏、帰省したワイフが
その敷地手入れに立ち寄った際、

周囲に家が建ち並んでいた、と。

急激に
那須エリア一帯に
東京などの都会からの移住組が増えた
ようであり、

昨年完成した
巨大なアウトレットモールへの
大渋滞も伴い、

東北自動車道の新しいインターチェンジも
出来るなど

活発な動きになるのは良いのだが、


一方で
ウィークデイ/ウィークエンド差異なく

那須街道も板室街道も
明らかに
98年の渡米以前までの<本妻時代>と
比べても

自動車の交通量が激増したことは

分かる。


迷惑だ、と。


もはや那須はローカルではない。

そこは
都会人の
軽い遠足地であったり
移住地であったりするわけである。


日帰り圏内という近距離も
それを後押ししているのであろう。


しかも
未だ軽井沢のように観光地観光地
しておらず

やり残し(や、開発中)が多々ある。


商魂逞しい面々は、
那須での商売も目論んでいることであろう。


だが、
地元の人〜とりわけファーマー〜は
ある意味で迷惑を被っているだろう。



企業系ファームや大型ファームは、
レストランその他
複合ビジネス化という事業展開で
商魂を研ぎ澄ませている。



巷で人気の
これも那須街道沿いにある
大きなダイニング
<あ・かうはーど>もその一つか。


栃木の黒毛和牛料理をサーブする。
ステーキ、そしてハンバーグ。

高値だ。

だが、ヤング層のアベックからファミリーまで
満員御礼だ。


こちらも
よふやく初めて食した。



nasuberg.jpg



ハンバーグは、まあまあ旨い。

だがワイフと
アグリーメントを成したのは

そのデミグラス・ソースへの不満である。

肉は旨い。栃木の黒毛和牛なら旨い。
当たり前だ。

だがソースがいただけない。

忌憚なく、
ワイフが手づくりする
デミグラス・ソースの方が旨い。

少なくともダモシの舌には
ワイフのそれの方がフィットする。


しかもサイドの
・キャロット
・ポテト
が、驚くことに一つずつしか提供されない。



<なぜ、こんなに野菜。サイドが少ないのか?>

と素直な疑問を覚える。


二度目の訪問は、ないだろう。


あの値をスペンドして
あの味なら、

忌憚なく、

<松屋>のハンバーグの方が良い。






nasubokujyorestaurant.jpg



まあ、それもこれも
このレストランで食することの価格
なのであろう。

だが、ダモシに関しては
少なくとも
そこに付加価値は感じられなかった。


それならよほど、

ニューヨークの吉野家で食す牛丼

の方が付加価値の高さを
感じたものである。







*****






ベタな栃木のフードといえば、

餃子を外すことはできないだろう。



当然、宇都宮には行ったことがある。

宇都宮に行ったことがある
ということには
何の珍しさもない。


だが、
恥ずかしながら
ダモシは未だかつて
宇都宮の餃子を食したことがなかった。


SAPAでの商品だが、

よふやく宇都宮餃子を食した。




utogyoza.jpg




utogyoza2.jpg




これがまあ、旨い旨い。

いやあ旨い。

さすが
日本一といわれるだけのことはある。

宇都宮餃子だ。

次回、何とか宇都宮の店で
目の前で焼き上がるそれを食したい。



栃木の象徴といえば

筆頭に挙げられるのは<いちご>
(とちおとめ)で異論はなかろう。


日光の二社一寺(世界遺産)や
三猿などを挙げるムキもあろう。


だが、<いちご>だ。


いちごに次ぐものは何か?


餃子だろう。


さらに今、脚光を浴びている存在は
<レモン牛乳>。

残念ながらその画像はないが、
<レモン牛乳>が地元に人に
聞いたところでは

フィーチャーされているようだ。



ご当地モノは、面白い。


まさに
ディスカバー・ジャパンであり

へぇ

である。




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餃子グッズ。







*****






今年は、
静岡県の富士宮で

名物<富士宮やきそば>を食した。


その件は掲載したであろう。


今回、

新たに発見したのが
<宇都宮やきそば>。



ほぅ?

とダモシは手を伸ばした。




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富士宮やきそば同様、

"焼うどんっぽい"麺と味。

宇都宮やきそばは
なぜか

ポテトの丸いフライが入っている。
これが二つ入っているのだが、

一つしかサイドのポテトが
ついていなかった
あ・かうはーど
の料理よりアドバンテージか。





富士宮やきそば

vs.

宇都宮やきそば



共に<宮>つながりだが、
ダモシの舌の軍配は
前者・富士宮やきそばに上がる。


どちらをもう一度食したいか?

となれば、
富士宮やきそば
だからだ。






といったところで

旅の閑話休題として
<錦繍路-ex>パート.1は、

栃木と食

をお届けした次第である。













posted by damoshi at 00:02| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

<錦繍路-2>:なせば成る、なせねば成らぬ






福島県の飯坂温泉から
片側一車線、道中工事だらけの
国道13号線を走ること約一時間。

山形県は米沢に辿り着く。


駅でいう米沢は
山形新幹線の停車駅。


ハイウェイの
東北自動車道は
福島から地図で見れば
左へ折れていく。

ここには未だ東北中央自動車道が
開通していない。

いわば
福島→米沢が鬼門でもある。

片側一車線だけの
山間を縫う国道13号線。

くねくねはさほど多くはないが、
それでもトンネルが多い。
長い長いトンネルが多い。
さらに工事も多く、
片側がストップすることもしばし。

ゆえに距離的に短くとも
一時間はスペンドせざるを得ない。

パラレルに、
そのハイウェイたる
東北中央自動車道が工事中だけに、

それを目にすると
<早く開通すれば良いのに>と
2016年を待望する者も
少なくなかろう。

なにしろダンプやトラックが多く、
国道13号線は
・工事による片側走行の度重なるストップ
・ダンプとトラック多いことでの
 とろとろとろとろおたんこなすドライヴィング
という二大悪のせいで

無駄な時間的スペンドを余儀なくされる
からである。




そんなストレスフルな国道13号線の
山間を抜けて下っていけば
街が視界に入ってくる。


米沢だ。



米沢といえば、伊達政宗。

伊達政宗といえば
仙台が浮かぶが、

政宗の<本妻>は米沢。

ここ米沢の米沢城で生まれた
独眼竜。



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伊達政宗生誕の地碑。



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錦繍の米沢城跡。
今は高台になっている。



伊達政宗が米沢支配を終えて
宮城県へムーヴィングした後、

上杉氏の城下町として
米沢は栄える。


天地人である。

その横綱は、上杉鷹山。



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上杉家第十代・上杉鷹山。

困窮と崩壊の危機にあった
米沢藩を立て直し復興させた
江戸時代随一の名君として
知られている存在。


斬新でストラテジックな施策と
領民想いの気配りで、
飢饉の際にも誰一人の飢餓者も
出さなかったと言われている。


まさに現在の混迷する、
そして貧困率過去最悪の
ニッポンにおいて
学ぶべき人物でもあろう。

綱紀の粛正を断行するという
思い切りの良さと
その一方での
凶作に備えて城下や村人の蔵に
もみを備蓄する微細さ。


先発、中継ぎ、抑えの投手陣と
鉄壁の守備力を背景に、
バントやランを織り交ぜつつも
一発もあるというオフェンス。

野球の監督でいえば
トータル・ベースボールができる人
ということにもなろうか。



かの、米国第五十五代大統領
ジョン・F・ケネディが
<最も尊敬する政治家>に
上杉鷹山を挙げたことでも知られている。



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なせば成る
なさねば成らぬ 何事も 
成らぬは人の なさぬなりけり


の訓示はあまりにも有名。






*****




上杉鷹山のスタチュが屹立する場所。


それは
米沢市の本丸でもある
中心部にある米沢城跡と上杉神社。


甲斐国の首都・甲府に
武田信玄の武田神社があるのに
等しく、

出羽国の米沢に上杉神社がある。


米沢市は、
東の米沢駅から西へ
市街地と中心部が固まっている。


そのど真ん中に上杉神社がある。

上杉神社を中心に
そのまま横に東へ米沢駅、

上、北に市役所、
左、西に上杉家廟所、
下、南に山形大学に直江兼続の墓所

と揃っている。



その上杉神社の周りを
米沢城跡、鷹山公隠居、観光物産案内所、
上杉博物館が揃うことで、

米沢市のセンター・ステージを
構成しているのである。




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国宝を擁する上杉博物館と
現在開催中の天地人展で
多くの人が押し寄せている米沢。



誰もがまず先に上杉神社へ詣でる。



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この一角に大きなファシリティがある。


<ローカルの米沢に…?>
と訝しがるが、

上杉の城下町というブランドが、

甲府の信玄に等しく

ローカルの一つの町を活気づかせる。



<伝国の杜>。


米沢城二の丸跡に
山形県と米沢市の
コラボレーションにより実現した
大型文化ファシリティ。


多雪エリアに対応した
堆雪型ルーフや現代的な建築様式の中に
列柱や庇、大屋根に
ヒストリカルな和の要素を織り込んだ
デザイン。


ここでは野外コンサート、薪能、
会議、リサイタルなども行われ、

エンターテイメント、ビジネスから
ミュージアム的要素も持ち合わせた
一大ファシリティとして
市民の憩いの場にもなっている。


ここを訪れたウィークデイは、
このセンター・ステージ全体も
公園になっている関係から

ちょっとした遠足を楽しむ
地元の小学生たちと行き会わせた。


まさに小さな市の
その中心部にある
市民全員の憩いの場であろう。



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多くの人で賑わう天地人博。


折しも期間限定で、

狩野永徳画の
国宝
<上杉本洛中洛外図屏風>の展示が
行われていた。

この画は、
1574年に織田信長が上杉謙信に贈ったもの。


当時の京都の
市街地(洛中)と郊外(洛外)を
俯瞰して描いた名作。

全面に金があしらわれたゴージャス屏風絵。

バブリーこの上ない国宝である。



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モチーフの名称は32。

画に直接墨書されている。

描かれている人物は何と2,500人という。
当時の京都の人口10万人のうち
4人に一人が描かれていることになる。



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その図屏風があしらわれた
一筆箋を
ミュージアム・ショップで購入。


天地人博は、一月まで開催。

家康を激怒させたという
直江状(写し)もある。



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*****




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上杉神社。


祭神は戦国名将、上杉謙信。


第十代が鷹山なら、謙信は初代。

謙信の没年月は1578年3月13日。
葬儀日は、
ダモシ誕生日と同じ3月15日。

ダモシが生まれる
ちょうど388年前に
謙信の葬儀は執り行われたことになる。

1601年、影勝の手によって
謙信の遺骸は米沢城に移されて
ここの御堂に納められた。

その後、明治の時代に入り、
鷹山と共に合祀されて上杉神社と名を
変更した、ということである。




武田信玄との
幾度にも渡る
<川中島の戦い>は、

まさに戦国版名勝負数え唄ともいえる。


その戦いは、
時に視察戦に終始するなど
膠着状態も多かったことを鑑みれば、


(たとえそれが一対一ではないにせよ)
ある意味で
異種格闘技戦での手かせ足かせ
猪木アリ状態をも彷彿とさせよう。


いずれもダークサイドに偏らず、
いずれの支持者も
その勝利を唱えることを
可能たらしめるその戦いは、

互いを潰し合うまでの戦いはせずに
互いをリスペクトした上で
ロープに飛んで相手の技も受けるという
信玄、謙信両者の心のゆとりをも
感じさせるわけである。



謙信の旗印は毘沙門天の<毘>。



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そして、謙信。


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鷹山スタチュは
この敷地内に二つあるが、

謙信のそれは一つ。




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*****





今年は
二月に初めて"ちゃんと"訪れた甲斐国。


以来、
度々訪れては
その全土を走り、歩いた。


その起点は首都・甲府。


武田信玄のスタチュに
甲府駅で出迎えられ

その足で参道を走って

武田神社へ詣でた。


武田信玄を感じる旅は、
複数回に渡った。



その流れは錦繍の時節、

米沢へ向かい、

ここで謙信、そして上杉家に邂逅した。





信濃善光寺から
その本尊を甲斐国に移したように、

信玄の闘い方は慎重派と受け取れる。

後のことを常に考え、
軽率なことを控えて
勝って兜の尾を締める手法で
連戦連勝という
コンシステンシーを構築した。



一方の謙信は

<国盗りも後の勝利も気にしない。
 目の前にある戦いを大事にするだけだ>

というイデオロギー。



互いの戦いの法則は、噛み合ず、
かくして川中島の合戦は
いくえのフェーズにもまたがり、

さながら連続ドラマでいうところの


<川中島の戦い-シーズン5>

といった世界観に至ったのであろうかとも
一つには考えられよう。






*****





米沢の食。



縮れ面で細めのラーメンは
米沢ラーメン。

米沢牛が入った
米沢牛焼き肉ラーメンも珍味。


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山形県の名物といえば
サクランボだが、

玉こんにゃくもまた捨て難し。



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まん丸のフォルムのかわいらしさが
つい手を伸ばしたくなる。








:::::





上杉神社、伝国の杜その他
米沢市の中心部。



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福島から
山形新幹線利用で32分
JR在来線利用で47分、
米沢駅下車。

米沢駅前から出ている
市街地循環バスで
ほぼ主要ランドマークは回ることができる。

一日乗車券=500円。


車利用の場合は、
東北自動車道・福島飯坂ICで下りて
国道13号線を走り約一時間で
米沢駅前。

主要ランドマークは
駅起点に
車でほぼ10分圏内に集約。




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米沢市街地は歩きやすい。

いずれのランドマークも近距離に
あるからで、

車がなくとも
循環バスで周回できる
アドバンテージもある。



この米沢。

街づくりをした張本人は
直江兼続。



関ヶ原の合戦後、会津から米沢に移った
上杉家。

1601年の米沢移転を機に
米沢の街づくりが始まった。

その街づくりを先導したのは、

上杉景勝の重臣・直江兼続。



水害から街を守るために堤防を築き、
治水用水事業に取り組むことから
スタートした兼続。


米沢城を整備し、
そこを起点に南北に通じる道路を
南に聳える兜山に向かうように
作った、と。





直江兼続とその細君の眠る墓所は、

上杉神社から南へ
車で三分のところにある


林泉寺である。








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2009年10月25日

<錦繍路-1>:芭蕉の、猶夜の余波




松尾芭蕉は
<奥の細道>でかように記している。


***
短夜の空もやうやう明れば、又旅立ぬ。
猶夜の余波、心すすまず。
***


芭蕉が<飯塚>と記した地、
<飯坂>での記述の一部である。


短い夜もようやく明けたので
また旅への道行きを始めた、と。

だが、
前夜の不眠がたたって
気分が優れない

というわけだ。


なぜ芭蕉はここ飯坂で不眠になったのか。



黒羽(雲巌寺)の熱狂と
那須エリア探訪を
遊行柳で終えて
いよいよ奥州路に入った芭蕉は、

奥羽三関の一つである
白河の関、

須賀川、郡山、
そして福島、飯坂へとやってきた。


まもなく絶句の松島へ辿り着く前の
ある意味でのブラックホール。


それが飯坂か。



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飯塚(飯坂)に
温泉があると聞いた芭蕉は、

温泉に浸かってから
宿を探すことにした。

ところが宿が見つからない。
ようやく見つかった宿は
薄汚い貧乏家。

寝床もなければ灯火もない。
仕方なく囲炉裏のそばに寝る。

夜になり
サンダーストームが激しくなる。

雨漏り酷く、
寝ている芭蕉に
容赦なく漏れた雨が降り注ぐ。

しかも悪いことに、
蚤や蚊に食われて
おちおち眠ることも出来ない。

そして

***
持病さへおこりて、
消入計になん。
***

となる。


芭蕉の持病が何かは分からぬが、

とにかく
抱えている病を
この最悪の環境のせいで
発症させてしまった、と。

そして
<心細くなった>と。



その最悪の夜が明けたので
さっさと旅に出よう、
ここを去ろう、
と出かけるわけだが、

持病の発症による体調悪化と
最悪の環境がもたらした
精神的不調のダブルパンチで、

その旅への道行きが
心進まない

というわけである。


那須エリアで
(特に黒羽での歓待など)
歓喜に沸いた芭蕉だったが、

その後の奥州路の前半で

酷い目に遭ってしまったようである。


だが、それも芭蕉の自業自得であろう。

那須と黒羽での歓待に
心が緩んでいたのではないかと
考えられるのである。


すべての地で歓待される旅ではない。

すべての地で
疲れたからといって
馬を借りてそれに乗ることが
できるわけではないのである。


その点は芭蕉自身が気づいていて、

前記のように
愚痴った後すぐに

こう記している。




***
羇旅辺土(きりょへんど)の行脚、
捨身無情(しゃしんむじょう)の観念、
道路にしなん、是天命なりと、
気力聊(きりょくいささか)とり直し、
路縦横に踏で伊達の大木戸をこす。
***


芭蕉は自らを戒めたのである。

辺境の地に一身を捨てた旅であり、
すべては諸行無常、
路上に死んでも
それは天命なのだ


気力をいささか振り絞り、
縦横に曲がった細道を踏みしめて
伊達の大木戸を越えた

芭蕉。


このあたりが、
芭蕉の芭蕉たる所以であろう。

ただただ歓喜の旅だけならば
それは観光ツアーと変わらない。


<旅は道連れ、世は情け>

という言葉があるものの、

ダモシ的観念である
<旅は道連れ、世は無情>
の中にこそ、

旅をする者の本質と
旅自体の本性があるというものだ。



例えば東スポ。
東京スポーツだ。

東京や横浜など
普通の、スタンダードの、
そういう地であれば

いわゆる夕刊紙である。

日刊ゲンダイや夕刊フジなどと
同じく、

午後早くニューススタンドに
並ぶ場所もあれば、

たいてい
サラリーマンの帰宅時には
すべて出揃っている。


だが、飯坂。


とあるコンビニ。


<お、あったあった>と
それを手にとるものの、

<ん?どこかで見た一面だぞ?>
と思い直して日付を見ると、

それは一日前の東スポという無情。


旅人たるダモシは
即刻店員に問う。


<今日の、
 リアル・ライヴの東スポは
 ありませんかね?>

と。


店員は悪びれず、当たり前のように
旅人に無情に接する。



<ええ、ありませんね>

<当日の東スポは、宇都宮止まりですから>

と。


宇都宮以北の那須を
準ホームとしているダモシは
分かっている。

宇都宮以北の那須でさえ
東スポは当日に
首都圏よりやや二、三時間遅れだが
ちゃんと並んでいることを。


だが、議論しても仕方がない。


<なるほど?宇都宮止まりね。
 で、いつ今日の東スポは入るのですか?>

と問えば、

これまた地元民の店員は
悪びれずに答える。


<ええ、明日の朝ですね>。


なるほど、素晴しき旅である。


否、

リアルに素晴しい旅かもしれぬ。

日常から非日常への
空間移動、時間移動が旅の要素の
一つであるとすれば、


<前日の東スポが普通に並んでいる>

という所作もまた
許されるのではないか
と。


これが都会から
移住して、そこに暮らすとなれば
いささか腹立たしくもなろうが、

これは旅である、と。





福島県、飯坂温泉。


それは
鳴子・秋保(いずれも仙台/宮城)
と並ぶ東北三名湯。








*****





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飯坂温泉駅前。
出迎えるのは松尾芭蕉と
ニッポンにおける
ラジウム発祥の地碑。

キュリー夫人によって発見された
ラジウム。

我が国では飯坂温泉で
初めて発見された。

飯坂はそれを機に
ラジウム玉子を始める。

それが
いわゆる温泉玉子である。


ちなみにキュリー夫人も
ここ飯坂を訪れたことがあるようだ。




ニッポンの、
或いは
日光路、奥州路の原風景的世界観。

それが、川だ。

東北自動車道を走れば
利根川を手初めに
多くの川を越えて往くことに気づく。

夕刻走れば西の方に
渡良瀬橋から見る
渡良瀬川の夕陽が煌煌と輝く。



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名曲<渡良瀬橋>のフレーズ、

渡良瀬橋で見る夕陽を
あなたはとても好きだったわ

を想起させる。


その世界観は、

鬼怒川、

那須の分水嶺でもある
那珂川、

米沢へ往けば
さりげなく越える
五月雨をあつめてはやし最上川

その他

多くのそれと邂逅する。




いわゆる東北。

その原風景が川。

ここ飯坂も
その象徴的なシーンは、

松尾芭蕉と十綱橋と
その眼下の摺上川。
そして、ローカル線の駅に鉄道。



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福島交通の列車が往く。
福島市と飯坂を結ぶ
20数分の旅。


1189年。
大鳥城主の佐藤元治が
敵の襲撃を防御するために
この橋を切った。

だが、明媚な橋を復活させるべく
盲人・伊達一の手によって
橋は甦った。


吾妻富士を望む橋。


与謝野晶子はこう詠んだ。


<飯坂の はりかね橋に 雫する
 あづまの山の 水色のかぜ>。


美しいではないか。


さよう。
写真では見づらいが
しっかりと吾妻富士は見える。



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その城主・佐藤庄司一族に
並々ならぬリスペクトを抱いていた
芭蕉は、

彼の地でそれを想い涙し、
そして湯に浸かり
疲れを一時、癒した。

その滝の湯は石段を降りていくと
在ったという。

石段を下り、摺上川へ出る。
(現在は通行止め/石段もコンクリートに変化)。




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芭蕉が向かう先に猫がいる。
猫御前か。



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その昔は石段だったという。

下ればそこは摺上川。



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今ではこの摺上川の両岸に
旅館やホテルが立ち並んでいる。


石段を降りる手前に松が屹立する。


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*****







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鯖湖湯。

飯坂温泉の本丸。


日本武尊が東征の折に
病に伏し、佐波子湯に湯浴したところ
たちどころに平癒したという
スーパースティション。

鎌倉末期には
伊達政信が湯山城を築いて
"飯坂氏"と名乗り、

元禄のカルチュラル時世には
芭蕉が湯に浸かった。

そして
明治時代にニッポンで初めて
ここでラジウムが発見された。


飯坂温泉=サバコ。

鯖湖湯はそのシンボルであり
湯の発祥地である。



芭蕉は、

この湯に浸かり
良い気分にならなかったのか。


否、

せっかく湯に浸かり
良い気分になったにも関わらず、

良い宿を見つけられなかったことが
冒頭の"愚痴"につながって
いくのか。




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*****






飯坂といえば、
松尾芭蕉や佐藤一族、堀切氏など
名士先人は枚挙に暇がないが、

伊達政宗もまた関連している。

飯坂の局といえば、猫御前。

猫御前は伊達政宗に寵愛された側室。

病弱ゆえに
いったんは政宗から身を引き
隠棲したといわれているが、

何とその13年後に
鷹をハンティング中の政宗と
偶然に再会して、愛し合った、と。


その猫御前の出生地がこの飯坂で、
伊達政宗もまた
己が負傷した際に、
この飯坂の湯を大森城まで
運ばせたという逸話が残っている。



この大森は、
東北自動車道の飯坂ICを下りて
米沢へ向かう国道13号線の
起点である。



伊達、そして上杉。

いずれも関連する地である。






*****






さような町、飯坂。

その景を。




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射的場にスナックにストリップ小屋…。

昭和の香り満載だが、
いずれも昭和の繁忙温泉地よろしく
廃れた。


いわゆる温泉街、温泉地は
"廃れた"世界観が妙にマッチする。

廃れ、錆びれ、
そして、寂れて。

そういう経路を辿った後、
どう生き残るか
どういうアトモスフィアを作り出すか。

それが問題だ。

下手に現代的或いは都会的にしてしまうと
中途半端な熱海のように
なってしまう危険性もある。


ならば、

辺境の地よろしく
徹底的に
悪びれずに
寂れてはどうかと感じるがいかがか。


どうだ、ここまで寂れているぞ、と。

辺境だぜ、と。



寂れる以前の問題で、
こういった温泉地には
ヒストリカルな所作が今も現役で
残っているのだから、

中途半端に賑わいの場とするから
寂れるわけである。


"寂れ"を"閑"にする手だてはある。

芭蕉に伊達、佐藤。
それこそヒストリカルな要素は
存分にあるからだ。



コンクリートの中途半端で
人工的な坂道を"作るより"、

そこに
だんだん、石段があれば
それでよいだろう。





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飯坂、いいとこ。

ちょっこら行ってみっぺ?






:::::



<飯坂温泉>

福島県。

東北自動車道・福島飯坂ICから
約15分程度。

電車の場合、
福島駅から福島交通で20数分。



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錦繍の旅:エントランス





日光路・奥州路。

今ここは錦繍路。

今回の旅は、

・米沢(山形)
・飯坂(福島)
・会津(福島)
・猪苗代(福島)

そして
起点の那須。

那須では
日本百名山のひとつ
那須岳(1,915m)への登頂を果たした。


"ナメたらあかん那須岳"
といった感じで
疲労感で包まれている。



特集<錦繍の旅>で各地の模様を
お伝えしていく。


そのエントランスとして
写真だけで二枚。



那須岳山頂のダモシと

一昨日に続き
錦繍の様子で
錦繍那須を。





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2009年10月24日

那須岳

image/2009-10-24T13:18:331


我輩は在る。


百名山の
ひとつ、

那須岳の頂に。




曇り
posted by damoshi at 13:22| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

錦繍ダモシ







錦繍の鷹山。


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成せば、成る。





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錦繍ダモシ。

何を想ふ。




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錦繍の飯坂。

飯坂温泉駅前で、芭蕉に邂逅。




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芭蕉が浸かった湯。

芭蕉は何を想ったか。












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2009年10月22日

直江兼続

image/2009-10-22T16:31:151 我輩は在る。 米沢に。 晴れ
posted by damoshi at 17:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月20日

どこかで誰かが見ている





相変わらず眠いが、

幼稚園のお祭りは
無事にダモシは怒らずに済んだ。


土日続けて
ジュニアとべったり時間スペンドの
ウィークエンド。


お祭りの余興への
ひと通りの参加を終えて

さっさと二人で家路について

予約されていた
お弁当とパンを手にして

二人で
NHKのど自慢を観ながら
ランチを摂る。


その後は

お祭りで購入した紙飛行機で遊びたい
というジュニアのリクエストに応え


(<いずれにせよこの週末は
  じぶんじかんはギブアップだな>)

と観念したダモシは、

近隣の公園へ出かけて遊ぶ。



<もう疲れたよぅ…>とダモシ。

<帰ろうよ>と二人戻る。


そしてダモシは昼寝に落ちた。

目覚めると
競馬の秋華賞前。

だが、
たまたま点いていたチャンネルに映る
記号="遼クン"と
中年=小田&今野の

三人による
日本オープン・ゴルフでの
ハイレベルなプレイオフにハマり、


これまた二人で観る。


"ヨン様"を取り巻くおばさんたちは、

どこか
草加や浦和など
埼玉あたりから赤羽線や
東武東上線を用いてから

成田空港で己がアイドルを待つ

風情があるが、


緑のフェアウェイを闊歩する
"遼クン"を取り巻くおばさんたちは、

小田急線や京王線、東急線沿線などの
例えば
成城学園前や仙川あたりから
ゴルフコースへ車でやってきた感を

覚える。



<ちゃんと観れば>

遼クンが
ただのアイドルではなく
実力もハイレベルなゴルファー
であることも分かるわけで、


且つ

遼クンが絡むことで

昨日の小田などはその典型だが、

未だ三十路序盤と若いのに
妙にオヤジくさかったり
肉体のポスチャーもゆるかったり

という部分が際立つ一方で、


それでも頑張って優勝したぞ

あるいは

一緒に周ることで

ふだんは
己だけでは耳目を集めないところが

異常なエクスポージャーを得られることが
招く

生涯最大級ともいえる
緊張感と集中力をも導き出せる

というシナジーをもってして、

さようなる結果
(=ツアー初優勝がメジャーという驚嘆)




"自分じゃないみたい"

という本人も驚く

やはりこれまたシナジーが生まれる、と。




遼クンの存在意義はもはや巨大だ。


ダモシをも<おぉ…>と唸らせる。


それは特に
ミスショットからのリカバリーで
差が出るのだが、

どんな競技もそうだが、

誰しもミスはある。


そのミスの後のリバカリーにおいて

ミラクルなパフォーマンスが出来るか否か。


ここの差が大きいわけだが、

遼クンは
それをやってのけてしまう。


それにつられて
中年のマイナー・リーガー
ともいえる

小田と今野も

これまた
"自分じゃないみたい"な

ミラクルショットを連発。



誰かがミスして落ちるのではなく

皆が皆
ベスト・パフォーマンスを見せた上での

日本オープン史上にも残る
プレイオフといえよう。



その間、ちらっとレース部分だけ
秋華賞を観て、

一応、

ケイバタイムスでつけた印は的中
したことだけ確認するも


<順当すぎて面白くないな…>

とまた

ジュニアとゴルフ中継に見入った、と。







*****





お祭りでは、

一瞬、

その

予約されていたお弁当とパンを受け取る
<食品コーナー>室内で、


・予約してある人がそれを受け取る列

・予約していない人がそれを買う列

の明確な差別化がされていなかったことで、

ダモシは一瞬、ムッとして

係のお母さんに
<どっち?>と言うに留まり、


その他のアトラクションなどは
終始にこやかに終えた。


ジュニアが仲良しの女の子とその母親
などとも邂逅するから、

どこで誰に見られているか分からない。

だから
ヘタ打てないのである。


<今日は格好つけていくか。
 まあいつもそうだが>



いつも通り
ジェントルマン&ダンディで出かけたダモシ。




その、

いつどこで誰に見られているか
分からない

を象徴することは

やはり多々あるもので、


まずは昨晩、

戻ってきたワイフが

<いつの間にか一番先頭で
 ご主人が並んでいましたね、と
 笑われた>


と述べた。



そもそも10AM開幕のお祭り。

9:50AM頃、到着したわけだが、
その時点で
幼稚園の門の外まで人が溢れていて

中に入ることができない状態になっていた。



<入場規制しているようです>と他の親。


あ、そう、とダモシ。

<こりゃ、かなわんな>とダモシは

ジュニアに
<行くぞ>と手を引き、


あ、ちょっと、すみませんよ

と言いつつ

いつの間にか
先頭に躍り出た。

先頭に出るとロープが引かれていて
その先で園長が
だらだら開幕の挨拶を述べている。



(<いいから。早くしろよ>)と

ダモシは密かに思う。
顔は笑顔だ。
心は不良だ。



ロープがよけられて開幕。


混むのが分かっているわけで、
行列を嫌うダモシは
ジュニアの手を引いて


<混むと思われるものから
 一番手でやっていこうぜ>と、


ペインティングやクラフト、ゲームなどの
各教室を用いた余興コーナーの
はしごをしていく。


そして一通り教室内での余興を経て

校庭でのアトラクション
(お買い物やお菓子など)に臨む。




<こんにちは〜>

と声が後ろから飛ぶが
気にしないダモシ。


すると
大きな声で
<こんにちはーっ!>と

ダモシの顔の前に顔が出てきて
ご挨拶。


ああ、どうも、と。


こちらが気づかぬが、
どこで誰が見ているか分からない。


冒頭の、

列の先頭に躍り出ていたことも
しっかりと見られていたわけである。





さらに今宵。


ジュニアら幼稚園児は
昨日のお祭りの後ということで

月曜日の今宵はおやすみ。


となれば、

仲良しでお遊びということで
四家族が
ある家に集まってのお遊びだったらしい。


三家族のお母さんが
ワイフに

一様に言ってきたという。




<ご主人、見たわよ>


<ご主人、ダンディよねぇ〜。
 カッコいいわぁ〜。
 モテるでしょう?>


と。



手前味噌もくそもなく

こういう褒め言葉は
言われ慣れているワイフと

直接言われることはないから
言われ慣れてはいないが

聞き慣れているダモシ。




ワイフは
お母さん方がそう述べた瞬間、

真っ先に思ったのは


<ダモシに言おう。
 これで機嫌が良くなるだろう>


ということらしい。



<面白くて>と。


何が面白いのかといえば、

ワイフはこのとき
自分がこの話をダモシに話した場合の

ダモシの喜ぶニヤけ顔が出るだろう

という想像を容易にし得ることが
面白いというわけだ。



案の定、

<って、言ってたよ>と聞いたダモシは

ニヤリ。

ご機嫌になる。


そして言う、ダモシ。

<見る目あるな。よく分かった女性たちだな>

と。



大きな五歳ダモシは

<で?何と答えたの?>と聞く。


ワイフもワイフで
魅せる要素を考えているから、

そう言われると

<そうなのですよ、モテて困るのですよ。
 色々とトラブルもありましたしね…>

と言う。



すると

奥様方だけの会話になれば
こういう話は盛り上がるわけである。


何があったのか?

だの

不倫?

だのと

根掘り葉掘り聞いてくる、と。



ダモシの話で数十分スペンドした

ようである。




しかし、冷静になったダモシ。


ワイフに聞く。


<で、その人たちは
 俺のことをどこで見たのかな?>


と。



すると、

それぞれ彼女たちは
係になっていたらしく、

余興が行われている各教室にいたようだ。


余興に行うために
ジュニアと各教室に入ってきた
ダモシを見たわけである。


そこでダモシはいずれも
その場にいたお母さんたち(係)には
とても優しく接していたから、

それが奏功したのであろう。



必ず笑顔で目を見て挨拶し、

ありがとう
を述べて各教室を後にしたことが

奏功したわけである。



ジュニアのことは皆
知っているから、

あ、〇〇クンのお父さんだ

とすぐに彼女たちは分かるわけで、


当然そうなれば

親もしっかりと見られるわけである。



だからヘタ打てないわけである。


どうせ見られるならば
カッコ良いと見られる方が良い。

ダンディでジェントルマンで
優しいと

思われるようなポスチャーと態度であれば

その方が良いに決まっているのだ。



いくら

家のテレビの前では

<武、コラ! ヘタクソが!
 お前のせいでミクロコスモス負けたんだぞ!>

と罵詈雑言を浴びせようが。





また、こう、

お母さんたちが
けっこう美人というか
カワイイ人がこの幼稚園には多い。


一昔前ならば
そのほとんどは二十代だろうが、

今は幼稚園ママも
三十代やアラフォーが多い。


そういう年齢の上昇傾向と
相反して

その昔は
<お母さん>といえばもう
オンナ性が欠乏したような人が
多かったが、


今のお母さんは
年齢が上でも
お洒落で年齢よりも若い。

オンナを捨てていない。



そのあたりが、好感が持てる。

そりゃあダモシのことだから
常にスキあらば
ということなわけで、


・幼稚園の先生

・幼稚園ママ


は、


当然、己が異種格闘技戦の対象としては

普通にあり得るわけである。



むろん、

皆、否、その場は軸がコドモなわけで、

ある意味で戦争だから、

そんな余裕はないが、

誰もが心のどこかで

そういうアバンチュール的な感覚は
持っているのではないか

とも思うところではある。



その意味では

独身男女の
友人の結婚披露宴会場や二次会会場



幼稚園のお祭りや運動会会場



実のところ

大きな差はない

ともいえるわけである。





いつどこで誰に見られるか分からない。


そういう意識は
男も女も
いくつになっても

絶対に捨ててはいけないマインド

であろう。


少なくともダモシは常に
見られることを念頭において

己がポスチャーや振る舞いを

皮膚感覚で自然に意識して

採っている、と。




当たり前のことだが、

カッコ悪いと思われるより
カッコイイと思われる方が


己が心の充足度は高いわけである。



そしてそう思われるなら、

やはり
ヨン様の取り巻きより

遼クンの取り巻きの方からが

望ましい、と。








:::::






お祭りから。




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大盛況大混雑でも
我慢我慢で、ダモシは怒らなかった。





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そして釣果。


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店が出るから
結局、親は買わされるわけである。




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お弁当とパン。











posted by damoshi at 00:53| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

ワイフ、不毛指令:あした怒らないでね




山崎豊子原作小説が
ドラマ化された
テレビ・プログラムが今週から
スタートした。


<不毛地帯>。


ダモシも久しぶりに
連続して観そうな
ニッポンのテレビ・ドラマである。


邦画でこのところ続いているが、

要するにもうネタ切れの
ニッポンにおいては、

昭和の

昔の

素晴しいものを再現している風潮にある。


コドモ向けでも同様で、

この冬公開されるウルトラマンの
映画でも

〜既にチケットは購入済みで
 観賞に出かけるが〜

歴代の全ウルトラマンと
バルタン星人などの
歴代の名怪獣総登場という世界観は、


とどのつまり

60-70年代の
すばらしきニッポンの
最後の時代までの文化

再考察と回帰現象である、と。


小説もドラマも歌も映画も。

題材はすべて<昔>。


五輪がもはや不要なニッポンを、

その理由を象徴する事象がまた
これらなのである。


あの
戦後の敗戦焼け野原からの乾坤一擲や
Oh! モーレツ、
はたまた高度経済成長や日本列島改造計画。

ニッポンはここまで、だ。

ここまでで終わっているのである。


バブルは余興。


いずれにせよ
98年の渡米時には既に見切っていたが

その当時に等しく

今もダモシは

ニッポンには
それこそ
木っ端みじんに
あらゆる価値観と観念が破壊されるような

何か巨大なことが起こらなければ

さっぱり
好転しないところまで来ているのである

と考えている。


その考えは変わらない。

ダメなものはダメなのである。



98年時点での劣悪で
終わっているニッポンと

今は

何も変わっていない。


ただ変わったのは、

ダモシの
ニッポンに対する
<外から目線>だけである。


内にいて内側からしか
根本的に見ることは不可能だった
昔のダモシと、

その後の
外に出るようになってから
外のエキスをもってして
接していた当時のダモシと、


今、

外から目線で
見ているダモシでは、


抱く感情は大きく異なるわけである。



むろん
己を取り巻く環境
〜ファミリーやコドモがいるという〜

も善し悪しは別として

影響は少なからず、ある、と。




ダモシにとっては、

あの頃も今も

ニッポンこそ不毛地帯である。


明確に、

米は
ニューヨークは

肥沃で豊穣なる地帯だった。



ダモシのスタンスは同一なのに

これだけ差が出るのは
やはり致命的なのであり、

これが現実だ。



田沢も松坂も松井秀も、

そして
戻ってきた井口も

それは分かっているであろう。


分かって、気づいて、

といった中で

どう
競馬のレース展開のように
折り合いをつけるか。


という世界観である。



それはまた、

楽しいか楽しくないかとか
面白いか面白くないかとか

といったレベルとは

次元の異なる話である。





<不毛地帯>。


第一回目の放送で、

主人公が
今後の己の立ち位置を決意する場所が
出てきた。


それを目にした瞬間、

ダモシとしては
込み上げるものを感じた。


ワシントンDCの
アーリントン国立墓地である。



ワシントンDCは大好きで三度出かけ、

アーリントン国立墓地は
ワイフと二人で一度
ジュニアも伴って三人で一度の
計二度訪れた。




主人公演じる唐沢寿明が
アーリントン国立墓地の中に佇む。

そして、

己の今後の立ち位置に

覚悟を持つわけである。





当時、ダモシが撮った写真から
その舞台を二枚。



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ここにはむろん、

ジョン・F・ケネディのお墓がある。

隣には当然、
ジャクリーヌ。


未だ赤ちゃんの域を抜け切らないが
理解力は既に備わりつつあった
二歳ジュニアを
JFKのお墓参りへ誘った。




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<不毛地帯>第一回目の放送ではこの他、

ニューヨークも出てきて、

今はなきプラザ・ホテルも登場した。

プラザ・ホテルも
既に過去のダモログで掲載したように
取材その他で

そのケネディと
マリリン・モンローが逢瀬した部屋や
竹下登蔵相(当時)渾身の大仕事
"プラザ合意"の部屋、

猪木vs.アリ世紀の決戦の
調印式の部屋

などを見て撮ったりしたことで、

思い入れのある場所である。


また後日、フィーチャーしたい。









*****







当時、未だ赤ちゃんだったジュニアも
この秋で六歳になった。



今宵は
二人で等々力渓谷を探検。

その後、
二子玉川から多摩川へ下りて
ピクニック。

帰りに田園都市の本屋さんでお買い物と

二人でデート。



明日もジュニアは
ダディであるダモシとべったりとなる。


幼稚園でお祭りが開催される上、

その係に
ワイフがなっているからである。


ワイフは朝から幼稚園入りして
運営本部に陣取る。

ダモシは
ジュニアを連れて幼稚園へ行き
お祭りに参加するわけである。


出店が並び、様々なイベントや催し物が
執り行われるという。

金魚すくい、などなどである。




今宵、ワイフから指令が出た。



<あした、怒らないでね>

と。




な、なにを?

と訝しがるダモシに
ワイフが説明した。



レジや店員も皆、園児のお母さんである、と。

ワイフと同じく係である、と。


だから
フードコーナーなどのレジが
手際悪かったり
遅かったりしても

怒らないでよ

というわけである。




あぁ、なるほどね、と。



今宵の係たちによる会議の席上、

昨年のこのお祭りで

<レジで怒るお父さんが複数いた>

という話になったようだ。




特に怒りを買う場が
フードのコーナーだった、と。


要するに

男の中には

<腹がへると、機嫌が悪くなる人>が

相対的に多いというわけだ。



かくいうダモシなんぞ
その典型的な例である。


ほとほとダモシは

ハングリーになると
何も手につかなくなり
不機嫌になる。


そんなときに

のろのろ処理されたら
ブチ切れかねないのは、

ワイフに言われるまでもない。




・フード類(お弁当やパン)の
 仕入れ在庫数が昨年はそもそも少なかった

・だからすぐに売り切れた

・昼をこのお祭りで食べようと
 思っていた多くのお父さんが
 怒った

・しかもレジ対応が、本職ではないから
 手間取り、遅延した


などなどが主な因である。



会議でこういう昨年の事例が発表され、

マミー軍団で
対策が練られたようであるが、

そのタスク・フォースにおいて

ワイフが発言した、と。




<皆さん、10AM頃に来るわけで。
 で、このあたりには食べるところは
 ないのですよ。

 だからここで買って食べようと思っている。

 にも関わらず
 お弁当はすぐに売り切れるわでは
 怒られて当然でしょう。

 大量に仕入れましょう!>



と。


そうしましょう!

と相成った、と。





そしてダモシにもsuggestionといふか、

お願いといふか、

否、

指令を出したのである。




<皆、知り合いだからね。
 ほんと、怒らないでよ>


と。




ダモシは言う。


<でも、売り切れたら?
 俺もお腹すくとマズいことになるぜ?>


ワイフは
イッヒッヒと切り返す。


<既に予約して確保してあるから。
 お弁当にパン五個ね>



お弁当引換え表をちらつかせるのであった。



用意周到である。

ダモシの素行を理解した上で、
既にお弁当を
係特権を利用して確保した、と。



そして言うのだ。



<ただ、これを出せばいいから。
 あとは、何もしなくていいから>


と。




まったくもってダモシは動物か、と。


ほとほと
大きな五歳と思われているようである。





しかもワイフは付け加えた。



<空手、やる?教えてあげるけど?>

と。




なにを!

とダモシは気色ばむが、

何とワイフは黒帯になったようである。



いつの間に…。


そして、道場で
初心者のコドモ対象だけだが

教える側になった、と。



初歩の初歩ならば
教えられるだろう、と。


そういうことのようだ。




なんだかもう、大きな五歳のダモシは、

ワイフに
完全に掌の上で転がされている

世界に陥っているようである。



もはや

ジュニアがいない
(猫たちはいるが)二人だけの時代の
スウィートな色合いにおける、


且つ

異国の
ニューヨークという修羅場での、


ダモシ大統領の
強力なリーダーシップと絶対政権

は、消え去った。




今やもう

総理大臣はもとより、

外務大臣
財務大臣
総務大臣
内閣官房長官
厚生労働大臣
経済産業大臣
農林水産大臣
法務大臣
文部科学大臣
防衛大臣
環境大臣
国家公安委員会委員長

すべてのポストを
ワイフが掌握したといっても良いであろう。



まさに豊穣なる地帯がワイフか、と。


ワイフは未だ成長しているのが
手にとるように分かるのだが、

ダモシはもう
成長がストップしている気がする。

成長どころか
年々、"赤ちゃん帰り"しているのでは?

と。






不毛指令を受けた

そんなダモシは

人間不毛地帯か、と。


そのダモシに残されたポストは、

裸の王様か

徹底的なオトナの赤ちゃん

だけか…。




明日、怒らない自信がないのがまた

己自身で己を自虐するところでもある。



とにかく

Good Luck, myself である。



そして、

Keep my smile である。




まあ、しかし。



よくよく考えてみれば、


いつものごとく平常心ということで、


六歳の年長幼児と

大きな五歳の

幼稚園児二人組が行く

という認識で良かばってん。









posted by damoshi at 23:41| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダモさんぽ〜山の手の、渓谷






いわずもがな東京は、

総面積に占める
可住地面積の割合が
全国トップクラスである上、

その可住地面積
1平方キロメートル当たりの
人口密度でも全国トップである。


つまり
総面積に占める緑地が少ないと
考えられることが出来るが、

一方で
ニューヨークのように
世界一の大都会でありながらも
同時に
都市における一人当たりの公園面積でも
世界トップというレア・ケースはあれど、

それは
純然たる緑地というよりも
都市公園としてのそれが多い
ということであり、

とどのつまりはそれもまた
可住地ということになる。


緑の部分もまた可住地足り得る
大都会は

それが大きなアドバンテージとなる。


なぜならば
ただ緑地と総面積が
膨大に
ただ、だだっ広いだけ存在しているがゆえに

必然的に
可住地面積も数値上は多くなるが、

総面積をそれで割ってみると

全体の土地面積における可住地面積では
異様に少ないという
"北の某"国のようになると、


結果それは

機能していない=生きていない

土地ということになるわけだ。



いわばマーケットがないということになる。

マーケットがあり
ヒトもモノもコトも動いている中に

一服の清涼剤として

<あぁ、こんなところにあったのね…>的に

存在する緑こそ、

有り難き存在ということになる。



ただただ
そこに放置された自然が在るだけでは

何のカルチュラル性もない。







*****






東京といっても、

遠足やお散歩してみれば分かるが

高尾山のような
世界遺産にも御す優れた大自然や

カルチュラルな緑のパークである
井の頭公園、新宿御苑その他、

はたまた青梅などのような"田舎"

等々、

大都会の中の清涼剤としての
有り難みのある自然と緑は

意外なほどに多いのである。




高尾に登り

富士と対面し
新宿摩天楼を遠望するとき、

東京のヴァリューを実感するであろう。



夜、

東京タワーを見れば
東京の贅沢を味わうであろう。



武蔵野の粋を、

井の頭公園を歩けば
しみじみと理解するであろう。



そして

等々力渓谷をぶらぶらすれば

東京・山の手の、

三軒茶屋とR-246、玉電
などと同様に


ある意味での
リアル東京の"閑"を得られるであろう。





ダモさんぽ。

今宵は、
東京は世田谷にある

東京23区唯一の渓谷


<等々力渓谷>。





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*****






二子玉川から東急大井町線に乗り、

二つ目。


上野毛、等々力と駅は続く。

新日本プロレスの道場や
五島美術館、多摩美があるエリアである。

その先には間もなく自由が丘がある。



等々力駅前はにぎやかだ。

モダンな蕎麦屋前には
多くの客待ちがある。

古き良き昭和の東京が香り立つ
小さな駅と踏切が
ノスタルジーを誘う。


歩けばすぐにゴルフ橋。

その昔、
玉川ゴルフコースという
ゴルフ場があったという。





ゴルフ橋を渡らずに
その入口あたりかが等々力渓谷の
エントランスになり、

浮き世から下に降りていく。

一段一段と階段を下がるたびに
浮世離れしていく世界観。



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降り切って
見上げるとそこに赤いゴルフ橋。



渓谷の世界に入り込んだ瞬間である。


そこは、

まさに文字通り
東京であることを忘れる別世界。






写真で一気に。





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歩を進めて振り返れば、

また赤いゴルフ橋。




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*****






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軽井沢のような緑と光の交錯。



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屋根に落ち葉は、古都風情。




アレルギーで
咳を頻繁にするジュニアには

この澄んだ空気が快適。



<ここなら口で息を吸っていいぞ。
 深呼吸して
 いっぱいこの空気を吸うと良い>。


ジュニアは大きく深呼吸した。


木曜からの
福島各所や那須一帯での
<奥の細道>紀行でも

錦秋の空気を存分に吸えるであろう。






辿り着く
等々力渓谷の東西両横綱は、

等々力不動尊と、
等々力稲荷堂&不動の滝。



まずは後者。


秀逸な空間である。




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何千年もの間、
流れ続けているという滝。



この滝が、等々力不動尊の山号となる。





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等々力不動尊。

いい味を出している。

山号は、滝轟山。

<滝が轟く山>。


等々力というエリアの地名もまた
不動の滝の
その音が
渓谷の静けさの中から轟くことから
命名されたようである。




これは、

来月、

東京の紅葉の時節には
見事な彩りを見せることであろう場所。






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:::::




<等々力渓谷>

東急田園都市線・二子玉川から
東急大井町線で二つ目の
等々力駅下車、徒歩約二分。

渓谷内は徒歩約30分で
等々力不動尊へ到着。

トータル一時間半の、
等々力駅←→渓谷内往復のお散歩。











posted by damoshi at 21:46| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

スリーピー・ダモシ





Sleepyである。

今週も何やら疲れたが、
疲れた度はピークではない。

にも関わらず、眠い。


ここのところ、眠いのである。

覇気がやや弱っているのか分からぬが、
朝も夜も
電車に座ると一分以内に眠りに落ちて
降りる駅まで起きない。


例えば所用で
大崎から
りんかい線で五つ目の
国際展示場駅までの数分間だけでも

完全に眠りに落ちて

気づけば

<あぁ、下りなければ…>
という状態である。



どうしたのか。



一つには
ここのところ寒くなってきたことと
日が暮れるのが早くなったことが
考えられる。


夏男で
夏こそ食欲も体力も絶好調
という体質で、

秋冬になると

冬眠する熊のごとく
身体能力も
覇気も
やや劣る帰来がある。



暑いと汗もかくし
筋肉が自然と躍動することで
頭も心も

逆にすっきりとするのである。


汗をかかないとダメな体質なのであろう。


ゆえのスリーピーか、と。




今宵も
所用先の東京ビッグサイトでの一つの
ある聴講の座席で

完璧なる居眠り

に陥った。



冒頭、熱心にメモをとり
フムフムと聴く
最後尾に着席したダモシだが、

それも最初の三分だけ。

すぐに眠りに落ちた。


そして
次に気づいた時には

ダモシは拍手をしていた。

パチパチパチという
周囲のサウンドに同調して

(<俺は寝ていないよ?>)を
アピールする無意識の所作で

ダモシも両手を合わせて
スピーカーに拍手していた。



(<お、おわりか…>)

と席を立ったが
寝起きのせいでフラフラ。



それは
電車に座って居眠りをしていて

下車駅に着いた途端に目覚めたのだが

(<寝ていませんよ?>)を気取るために
ジェントルマンぶって
颯爽と下りようとしたところ

寝起きのせいで
足もふらつき
よろめきながら

ようやく
ドアが閉まる直前で
下りられるという有様と同様である。




(<なぜ、こんなに眠いのかっ!>)



己の心で叫ぶが、

身体がついてこない。


眠いのである。

秋冬は眠く、気合いが入らないのである。



一年で見れば
ダモシの好調期は

たいてい三月頃から八月いっぱい
ということになる。


他の期間もそれなりに頑張っているが、

特に調子が良いのは<真夏>
ということになる。



ただでさえもの哀しい秋冬。寒い。

ダークスカイを嫌うゆえの
性質といえよう。



本当はダモシには冬眠が必要なのかもしれぬ。




どうですか?

最近、眠くないですか?

寒くなってくると眠いのですが、
いかがでしょうか?

朝、
暖かい毛布にくるまって
まだ起きたくないよと
子供のやふに
ダダをこねたくなりませんか?



ダモシはなるのです。

最近はデイタイムも
妙に眠くて眠くてしょうがないのです。




この時期は
未だ暖房には早い。

だが、寒い。

そういう中途半端な時節で
大嫌いなのである。


ニューヨークの家ならば
もう今頃は
<真冬でも真夏>だった家のヒーターが入り
はじめる頃である。


メジャーリーグのプレイオフの時節。

その頃には
外は寒くなると同時に

部屋は真夏の猛暑を継続することになり、

そこで必然的に
ダモシの好調は持続される。



だが、こちとらそうはいかない。


まだ
真冬になれば
個室にも簡易ヒーターを点灯すれば
暖かくなるから

元気になるが、


どうにもこの時節は良くない。




ダモシにとっては、

暑いんだか寒いんだか分からない
中途半端な時節が

最悪ということである。





まあ、あとは

お疲れなのもたしかである。


この週末もジュニアの用事で両日
スペンドとなる。

幼稚園でお祭りが日曜日にあり、
ワイフがその係になっていることで
明日はワイフはずっと幼稚園に行って準備。

明後日の当日も係ゆえ
幼稚園側として掛っきりになる、と。


するとどうなるか?


といえば、

明日はジュニアの面倒をダモシがみる。
そのため、
ジュニアを連れてお出かけとなる。

明後日の当日もまた
ダモシがジュニアを連れて
そのお祭りに出かける、と。


そうなると、どうなるかといえば、

ダモシは
土日両日とも
ジュニアのことで時間をほぼ丸々
スペンドすることになるというわけだ。


良いし、構わないが、

じぶんじかんがない

ということほど

ダモシが疲弊することはない

ということも相まって、

ややまた<眠いなぁ…>ということにも
つながってしまうのである。



早く己の消費者便益を満たす旅に出たい。

次なる旅は
来週の木曜から、である。


まず最初にデスティネーションは、


松尾芭蕉<奥の細道>の寄港地である
飯坂温泉である。



早く旅に出たい。

旅が呼んでいる。
旅が一ヶ月空いてしまったことが
ダモシの心身疲労と眠気を誘っている

最大の要因のようだ。







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今週のオフィシャル事案での行き先から、

携帯カメラゆえ
画質は悪いが掲載したいところである。



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次のSpring has comeの頃、

幕を下ろす歌舞伎座。


残念ながら解体されるという。
これほどの文化財である。
明治村などへの移築という手はなかったのか。


来週は、一幕、視察で観るだろう。


実はダモシは
歌舞伎座の中へは一度も入ったことはない。

在る事案の打ち合わせで今週出かけた。






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こちらは東京ビッグサイト。
国際展示場だ。

大きなトレードショーやイベントは、

幕張メッセか東京ビッグサイトか
有楽町の東京国際フォーラムか
横浜のパシフィコ横浜が定番。


幕張と横浜は98年までの<本妻>時代に
既にあり、

前者はプライベートで出かけ、

後者はクライアントが出展した国際イベントの
オフィシャル事案で関わった。


東京ビッグサイトは初めての訪問となった。




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大きく広い。

しかしこのエリア、

幕張もそうだが、

奇妙なほど人工的で味気ない。

時に吐き気をもよおすほど
機械的な街である。


良くない。

こういう無機質な空間が
眠気をさらに誘発する。


こういう場所は、人の心も病む。





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歩いていると
<何だ、ここにあったのか…>
と発見した在る建物。


ニューヨーク時代の99年。

米のマーケティング会社において
この建物のコンセプトに関わった。

オープン前のことである。



オープンしたのもニューヨーク時代。

一度も実は来たことがなかったのである。
そのうち存在を忘れていた。


今宵、通りがかって名称を見たら
<あ…>となったわけである。





しかしこのエリア。

駅でいうところの
りんかい線の国際展示場駅
ゆりかもめの国際展示場前駅。


ロケーションが悪すぎる。

アクセス的には
品川や大崎などからは悪くはないが、

そもそも近隣のお台場などもそうだが、

このエリアは
ロケーションが悪い。


大きなトレードショーやイベントをやるには
ロケーションが悪すぎて
それゆえに集客に悪影響を及ぼしている気がする。


逆にいえば
そういう大勢の人が集まる場所だからこそ
ロケーションが悪い位置に建てたのかもしれぬが。




前原国交相が

<羽田空港のハブ化>を唱えているが、

ダモシは
それよりもずっと昔から
それを唱えている。

成田?ふざけるな、と。

どこぞの世界の大都市で
中心部からあんなに遠い国際空港が
あるかいな



ニューヨークからの出張の度に
コンプレインしていたわけであると
同時に、


そもそも


なぜお台場に羽田空港を拡充して
一大国際エアポートを建設しなかったのか

という大いなる疑問を抱き続けている。



青島旧都知事ではないが
大失敗を東京都は何度もしてきている。


お台場構想がまず失敗だ。


無理矢理
ああいう施設群を集めただけに過ぎない。

そもそもあのロケーションでは需要はない。




羽田空港エリアをお台場まで
エクスパンドして
一大国際エアポートを構築する。



それが
仮にダモシが
あの当時の国交省もしくは都知事だったら
推進していた構想であろう。



それは
廃れ果てて魅力のない
プロ野球の横浜ベイスターズの

横浜スタジアムにも言えることだが、

監督を替えるだの
元電通の人が社長になっただの
主軸に華がない(村田や内川)だの

という以前に、


横浜スタジアムをいいかげん

移転せんかい!


という構想である。



新横浜の
日産スタジアムなどがあるエリアや

それこそ
みなとみらいエリアに


なぜ
横浜のベースボール・スタジアムを
つくらないのか。


そもそもの疑問である。




・羽田空港の一大国際エアポート化

・横浜スタジアムの新設移転


は、

かなりのマスト・イシューであると
考えるところである。


この二つの方が何はさておき
小難しいことは別として


夢がある。



申し訳ないが、成田では夢がない。

何度も何度も
国際便で成田を利用したが
あそこでは華もなければ

華がある大都会でこそ生まれ得る
国際エアポート特有の緊張感や悲哀が
成田の風情には欠乏している。



これが羽田ならば

飛び立った眼下に見える
その光景だけで夢がある。悲哀が生じる。


横浜文体近く、
枯れ果てた強風吹く横浜スタジアムではなく

そこが
みなとみらいエリアであれば

東京に御すスカイスクレイパーと
観覧車などの交錯する夜景と

<月に向かって打て>イズムが

ドラマティックに交錯する

ベースボール・スタジアムになろう。

ホームランが観覧車に当たる。
ランドマーク・タワーに向かって
ホームランを打つ。


それだけで夢がある。







それこそ物事、


<富士山をライトアップできないか?>

という

夢想から生まれても良いではないか、と。



夢がなければ何も生まれないよ、というわけである。















posted by damoshi at 23:47| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

4-days, ダモシの食卓。というのも…実は体重が…






趣向を変えて
先週金曜から今宵までの4-days、
ダモシの食卓を。




10/9(金)

6:50AM起床。
オフィシャル事案で朝から静岡へ。
あざみ野から横浜地下鉄で新横浜、
新横浜から東海道新幹線こだま
に乗って一路、静岡へ。


朝:
東海道新幹線車内で
JR新横浜駅にある
おむすび権米衛で買ったおにぎり二個を。
鮭と和風ツナ。

ここのおにぎりは、爆弾おにぎりで大きい。
満腹も満腹。一個で充分だった。


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昼:
静岡市内。
日本平ホテルでシェフをしていた
という人が旗揚げした
鮪と蕎麦のレストランにて。
限定五食という特まぐろ丼(蕎麦付き)を。


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昨年末の旅での沼津もそうだが、
駿河は刺身が上等である。

"北の某"の比ではない。

蕎麦もまたコシが強くグッド。




夜:
市内のエッジなエリア、鷹匠
にある料理屋にて
オフィシャル事案の酒席。

店では静岡名産及び店オリジナル名物を。

じゃがいもをカリカリに揚げて乗せる
さくさくサラダ、静岡おでん、刺身各種、
桜えびのかき揚げ等を肴に。



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刺身は由比港から直送。
由比自慢の桜えび。そのかき揚げは特に美味。

生ビールに始まり、焼酎、選茶割り、日本酒。

選茶(お茶)割りは名物。
静岡産のお茶っ葉をそのまま入れて
焼酎を割る。
お茶っ葉はそのまま食すことができる。

足久保、両河内、大井川三種いずれも頂く。
お茶そのものに近いもの
苦みのあるもの、酒の味が生きているもの
等、それぞれで異なる。まずは利き酒から。


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日本酒は青竹にたっぷり注がれる
純米大吟醸"由比正雪"。


量でいえば
久しぶりの大量飲酒となった。



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最終は22時台。

それを過ぎ、
通りがかりのビジネスホテルを急襲。


まさに
テレビ東京の旅番組よろしく
予約なしの
<空き部屋ありますか?>で

二軒目でベッドを確保。


湯に浸かるも
その中で爆睡。

目覚めてすぐにバスタブから出て
ベッドに倒れ込む。



その前に深夜、
ビジネスホテル近くのコンビニで
鮭のおにぎり一個とアイスコーヒー。




10/10(土)

朝:

激しい頭痛で二度目覚める。
3AMと4AM。

<うぅ…。まだ明け方か…、頭が痛い…>
と再び眠りに落ちる。

6:40AM起床。
急いで顔を洗って7AMにロビーへ。

ロビー・フロアにある
喫茶スペースでフリーの軽軽食。

トースト二枚にオレンジ・ジャムとバターで。
コーヒー二杯。

頭痛がする。
頭痛が響くと気持ち悪くなる。

食後にバファリン。


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昼:
静岡市内から富士市内へ移動して
オフィシャル案件を済ませ、
新富士駅から新幹線で新横浜へ。

帰りがけ、
新富士市内にある
富士山グッズに特化した店で
富士の緑茶を。


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新横浜駅にある崎陽軒で
シウマイ弁当を購入。帰宅後、食す。


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ダモシ愛しのシウマイ弁当。


その後、昼寝に落ちる。
昨日、静岡で歩き回った疲れと
飲み疲れで二時間爆睡。



夜:
後輩氏二名来訪。

ビールに焼酎。
肴はワイフ手づくりのおでん、
豚肉料理、刺身盛り合わせ、特製サラダ、
お赤飯のおにぎり三個、後輩氏が持参したケーキ、
カラムーチョなど。


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深夜:
就寝前にアイスコーヒーと、天かすうどん。


前夜の酒が残るため
飲み過ぎは回避したが、食べ過ぎ。





10/11(日)

昼:
焼き魚(鰺)、ひじき、お赤飯に
前夜の残りのおでん。

おでんはやはり翌日が最高だ。
しっかりと味が染みている。


夜:
金曜からややヘビーなため
洋食を。
コーンスープに明太子パスタとピザ・マルゲリータ。

締めはケーキ。
全然軽く済まなかった。

深夜食は抜き。





10/12(月)

朝から近隣の港北エリアの
ノースポート・モールに映画鑑賞。
<ヴィヨンの妻>を見終わると12:50PM。

モール内のフードコートに入っている、
好きなラーメン店(丸醤屋)で
醤油ラーメンと炒飯。

この店。国内では宮城県や岐阜県など
24店舗あるが、東京など首都圏にはない
希有なチェーン。

ノースポート・モールの
フードコートに入っている多くのフード店で
ここが最も長蛇の列になっている
人気店でもある。

たいてい
ノースポート・モールで食事をする際は
ここだ。



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夜:

デイタイムは

ダモシは映画鑑賞で港北へ、

ワイフとジュニアは
キックボクシング観戦で
新宿FACEへ

それぞれ外出。

夜はゆっくり家庭の食卓。

ご飯二杯
さつまいもの甘煮
サラダ
麻婆豆腐
青椒肉絲
残りもののおでん

デザートでプリン。



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というのも…。



実は体重が…。




その回答は後ほどとして。


ニューヨーク時代。

未だ
グレイシーが隆盛を誇っていて

ヒクソンの牙城を
プロレスラーが崩せずにいた頃、

ダモシは宣言した。



<体重が90kgに到達したら、
 ヒクソンに挑戦する>


と。



だが、
ダモシの身長(178cm)では

どう頑張っても

まともに90kgに乗せるのは
無理があったため、

最高で86kg止まりだった。



そもそも
ダモシの体重は

76kg〜83kgの間を右往左往するのが

特徴である。

6-7kgのレンジで振り幅がある。

つまり
その間の体重は普通に上下変動する。



・結婚してから体重が増えた

・渡米してからさらに体重が増えた


という二段階での
体重増加がある。


こう書くと、
幸せ太り、食事の特性(米ゆえ肉食が多い)での太り
という

<肥えて>しまったことでの
体重増加が囁かれるであろう。


あるいは酒太り。


否、ダモシは違う。

酒は毎日は飲まないし
浴びるようにも飲まない。

なければないで、良い。

太宰とは違う。


確かに
一人暮らし時代の栄養偏向から
結婚したことでの栄養バランスの影響で

良い形で体重が増えたのは明白な上、


渡米後の増加は

肉食中心の生活にプラス

欧米人の中で
ポスチャーで
ヒケをとらないためにも
ナメられないためにも

筋肉のさらなる増強も期したことでの

体重増加である。



つまり

全身ポスチャーが
筋肉含めてデカくなったことでの

体重増加である。




体重の増加と年齢の経過によって

身体能力(及び体力)は
落ちていくものである。



身体能力の低下を
はっきりと感じた最初が
二十代後半。

野球をやっていたわけだが、

ショートを守っていた
ダモシは、

それまでは
この速度のこの角度のこのゴロが来たら
このタイミングで足を一歩動かせば
追いつく

というスタンダードを持っていた。

だが、
ある日の試合で
鋭いショートゴロが来た際、

その一歩が遅れたのである。

そのせいで
ゴロを処理することが出来なかった。


はじめの一歩が遅れたという
反応力と反射神経の低下

すなわち
身体能力の低下。


それをあの時、人生で初めて感じたのである。


しかもその年は、
サッカーをやっても
野球で他のチームの助っ人に行っても

自分では
・追いつく
・セーフになる
というタイミングで走っているのに

ことごとくそれが逆の結果となった。


そればかりか
ある日、盗塁をした際に
足をねんざした。



<ダメだ、こりゃ…。明らかに衰えている…>



試合後の帰り道、
車中で
助手席にワイフに嘆いたものである。


むろん

<情けない>と叱られたが。




この時に感じたものは、身体能力の低下である。


これは体力の低下とは
微妙に異なる。



ニューヨーク時代。

肉体のポスチャーが
いままさに全盛期に近くなり

それまでのミドル級のウェイトから
ついにヘビー級になる。

(ボクシングのアマチュア規定)。


体験的ジャーナリズムで
黒人アマ王者と対決した際は

相手は
ミドル級で

ダモシが
クルーザー級になっていた。

(同プロの規定)。



ボクシングの階級は
アマとプロでは異なる。


アマではヘビー級に属するが
プロの規定では
クルーザー級となるのが

ダモシの当時の体重だった。


プロのヘビー級といえば、

90.719kgオーバーである。




肉体ポスチャー、パワー、筋肉のハリ。

それが
全盛期だったのは

明らかに米のニューヨーク時代であり、

米国人とゴルフしても
その飛距離は勝り、


米国人が

<ジャパニーズでもこんなにパワーあるのか…>

と驚いて言ったものである。





体力が下がってきたな。


そう感じたのは、
ある意味でニッポン復帰以降。


不惑を境に
微妙に体力が低下したことを

認識したが、

しかしそれは想像である。



仕事あるいは持久力。

これが落ちたのだ。



しかし、実際に
この夏に富士山へトライして
大苦戦しながらも

結局は登り切っているわけである。


下山してひと風呂浴びたら
そのまま疲れているにも関わらず
ドライビングして帰宅したのである。


高度ゆえの酸欠から
苦しいわけだが、

体力面で

あそこまで
まだやれるということは

ダモシの大いなる自信となった。


勝負がかからない遊びでの走りでは
すぐに息が切れるが、

運動会のような
勝負のかかったシーンでは

怒濤の走りを見せられる。




そういう意味では、

肉体面では筋肉も落ちていないし
未だヘビー級/クルーザー級の重量感とハリがある。


且つ

体力もそうそう衰えていない。



となれば、


それこそ

秘めている

野球チーム最結成での復活は

現実味を帯びてくるわけである。



野球になれば

エッジとディスアドバンテージがあれば


・走ること

は明らかにディスアドバンテージだが、
それは昔からのことで、

そもそも走らないで済む
一発こそダモシ的には良いわけである。


・肩

これはやってみなくては分からない。

当時より
肩がさらに衰えているか、
三塁から一塁へちゃんと投げられるかは

分からない。



そして

当時と比べてエッジにあるのは、

紛れもなく

・パワー

である。


そして米でさんざんメジャーを観てきたことで
当時より得られている

・ストラテジー
(ゲームにおける戦略と戦術)。



対比すれば、

エッジにあるものの優位性が高く

こうなれば
復活もさらにリアリティが生まれてくる、と。








*****







そして、

というのも…。




実は体重が、

過去最高の86kgを超えた。


今夜体重計に乗ると
その針は87kgを示していた。




178cmで87kg。


言われているところでの
ヒクソン・グレイシーの
身長体重が

178cmで84kg

だから、

ほぼそれに等しい。


当時80kg前半だったダモシが
90kg到達を
ヒクソンへの挑戦の目安としたのには

このヒクソンの身長体重がある。



一度90kgまで上げて
その体重に見合った足腰の強さを持とう、と。

その上でさらにもう一度減らして
最終的に85kgくらいにした状態で
ヒクソンと闘おう、と。

そうすれば

(細かい戦術まで立てていたが、
 それは省略するとして)

立てていた戦法において
ヒクソンの肉体力を上回ることができる
可能性が高くなる

と判断したのである。



必ずしも大きい方が強いとは限らない。


だが、
そもそもダモシは
ボクシングなどでも軽量級は
軽視してきた傾向がある。


ヘビー級こそ最強。

これが旗印だったのである。





さて、178cmで87kg。

一般的には
これはメタボでは?

などと揶揄されそうであるが、

運動会の写真等見れば

ダモシがそうではないことは
一目瞭然で
肉体的なパワーで
そうなっていることが分かるだろう。



且つ

今新たに科学的に証明されている
説がようやく出ているが、

年齢を経るにしたがって
痩せている人は
肥えている人より数年も
寿命が短い、と。


つまり

痩せている人より
太っている人、大きい人の方が
寿命が長いという新説である。



これは嫌煙と同じで

やおら
ヒステリックに
風評的に

メタボはダメだだの
煙草はダメだだの



騒ぎ立てるが、

実際にはどうなのよ

といった世界である。




空手の大会会場でも、

ある意味で
当たり前だが
子供の運動会会場でも、


デカいと言われるダモシだが、

それほどデカいとは
自分では思っていないし、

ダモシは
自分よりデカい人を大勢知っている。



ただ、
松井秀喜と並んだ時も
己自身でその圧力に関して
ヒケをとっていないな
と感じたくらいだから

一般的に見ればデカいのであろう。



しかし

例えばプロレスラーでいえば

復活した船木誠勝の場合は
182cmで92kg、

田延彦が183cmで100kg、

アントニオ猪木が
190cm、102kgだから、


ダモシは小さいのである。




比較するなら野球選手が妥当だろう。

桑田真澄(174cm/80kg)より大きく
原監督(181cm/88kg)より小さく

ちょうど
小笠原(178cm/84kg)
と同じくらいとなる。



小笠原以外でいえば、

阪神の金本
中日の森野
西武の中島

などが該当する。



つまり

ダモシの背格好は、

西武の中村や
広島の栗原などのような巨漢に属さず、

且つ
小兵でもなく、


ちょうど野球のオーダーでいえば
中軸のクリーンナップを占める
タイプということになる。



だからか、

野球をやっていても
三番、四番、五番といった
世界観に集約されていたのである。




これがメジャーで考えるとどうなるか。


ヤンキースの一番打者にして顔の
デレク・ジーターでさえ
191cm/89kgある。


細くスリムに見えるジーターでさえ
それだけの重量感があるのだ。


メジャーに準えれば
ダモシの身長/体重では
一番打者か八番、九番が妥当になる
"小兵"に入ってしまう。

且つ
走力が求められよう。

そうなると

<走れない小兵>は使い道がない

ということになるのだ。







まあ、いい。



いずれにせよ
今宵だけ一時的に自己最高体重になった
だけの話で、


明日は

いつもの通り83kgくらいには
戻っていることであろう。





決して食べ過ぎているわけではないし、

飲み過ぎているわけでもない。



この四日間の食卓を見ても、

他の人より
酒も飲んでいないし
メシも食していないだろう。















posted by damoshi at 21:03| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

映画<ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ>







太宰治は

<富士には月見草>や
<五反田は、阿呆の時代である>、

あるいは
「帰去来」での書き出し、
<人の世話にばかりなってきました。>に、

<生まれて、すいません。>等々。

それらを例にとるまでもなく

キャッチーな
分かりやすいシンプルな言葉を
用いるのが上手だ。


「富嶽百景」における
<東京の、
 アパートの窓から見る富士は、くるしい。>も
そうだ。


文章の巧いのが三島由紀夫だとすれば、
印象に残る1フレーズが巧いのが太宰ともいえるか。


太宰治生誕100年であることは
もはや周知のことであろう。


http://www.goshogawara.net.pref.aomori.jp/dazai/


太宰原作映画の公開が、今年は花盛り。


それは松本清張も同様(生誕100年)。


太宰と松本清張の誕生年が同じだった
というのは、

今年になるまで気づかなかったこと
であると同時に、

意外な感覚を覚える。




いずれにせよ今年は、

太宰モノと松本清張モノが多い。


太宰は
・ヴィヨンの妻(10/10〜)
・斜陽(10/17〜首都圏は立川にて)
・パンドラの匣(10/10〜)
が今まさに旬の公開となっている。
(「斜陽」のみ既に5月から五月雨式に公開中)。



松本清張は
この秋<ゼロの焦点>の映画が公開される。

その他、ニッポンでいえば
山崎豊子女史がまた今年お盛んで
大作<運命の人>が出版されたかと思えば、

この秋は

テレビで<不毛地帯>
映画で角川映画の大作として<沈まぬ太陽>と
目白押し。



太宰、松本清張、そして山崎豊子は
今年のカルチュラルな一つの切り口に
なっているのであろう。




当欄でも昨年以降だけでも
太宰治関係は度々掲載してきた。


太宰治と三鷹(墓所、その他)
http://damoshiny.seesaa.net/article/108799485.html

太宰治と五反田
http://damoshiny.seesaa.net/article/108796062.html


その他。







*****






今宵のフィーチャーは、

公開三日目の映画
<ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ>。




vi3.jpg



原作同様、

とにかく

男はダメ
女はすごい

を知らしめられる映画である。


そもそも太宰はダメ男だが、

とどのつまり
男はある意味で皆、ダメ男である、と。


逆説的にいえば
ダメでなければ男ではない
ともいえるわけである。


あまりに
きちっきちっとし過ぎていたり
何でも出来てしまう男は
面白みに欠けると同時に、

女にとっては魅力を感じられない
部分もあろう。



ダメな男のダメっぷりが
あるからこそ引き立つ
<しょうがないわね>
という母性本能的な包容力がある。


それを女が持っていても

男にダメっぷりがなく
完璧主義であったならば

生かす術がなくなり、


男に寄りかかるしかなくなる。



ヤングガールやヤングレディの
頃合いには

ブリッ子ではないが

ややもすると
甘えるキュートさを売りにする
ケースが女にはあるが、

それには
いささか無理がある。


大不評の
TBS系の小林麻耶ではないが、


<いい歳こいて
 いつまでそういう
 ブリっ子しているのだ>

と気色悪いぞ?

的な顰蹙を

結局は買うわけである。


あるいは
男から見ても
いい歳こいた女が
いつまでも青臭いことを宣っていると

<いつまでもそういうキャラで
 通用すると思ったら
 大間違いだぞ?>

と揶揄してしまう。




本質的に

女のキュートさは
ブリっ子で分かるように
意図的であり計算である。


それが根底にあるわけではない。



根底と本質には、

とどのつまり
新たな生命を創造し
それを産み落とし
それを守るという

包容力と強さに帰結するからして、


男女どちらが

より互いの異性への寄りかかり度が強いか
といえば、

圧倒的に男の方が
女への依存度は強いわけである。



どう考えても、


女が男に対するそれよりも

男が女に依存する度合いの方が強い。





そして

男のダメっぷりというものには
種類がある。


ダモシのダメっぷりと
太宰のそれは
全然異なる。


石田純一のそれと
鳩山由紀夫のそれもまた異なろう。



ただ、

共通するのは

子供っぽさである。


男には
誰しも
いくつになっても

子供っぽい部分がある。


リアルな子供もまた
デキのよゐこよりも
やんちゃな子供の方が
怒られる機会は多いけれど、

カワイかったりするわけだ。



<しょうがないわね>

という

女の根本的な太陽ぶりは、

そういった
男のダメっぷりの振り幅に応じて
変化するものであろう、と。



ただし、

その
子供っぽさを内包する
ダメっぷりにも限度があり、

レスポンシビリティを放棄するような
罪を犯してしまっては
取り返しがつかず


女はさっと踵を返して
愛想を尽かすであろう。



太宰のそれは

ある意味で
ダメの極地なのではあるが、

そのダメっぷりの範囲が

カワイイで収まるレベル

であったことが、


モテル

一つの要因にもなったのではないか、と。





要するに


お金や地位ではなく

本能的に動物的に
何かが惹かれ合う、触れ合う関係。


それこそがディープな所作ではないか、と。


そこでこそ男女の本質的な

心身両面での営みを
より燃えさせるのではないか、と。





結局は

何だかんだいっても
動物的に、且つ本能的に惹かれ合う
以外に、


男女が営む理由はないのである。





映画もグッド。

酒や食(モツ煮込み)が
異様に旨そうに見えるのも特徴。



さらに
松たか子が
どうしようもなく良い。


この匂い立つ色気は何だ?

と。


尋常ではない色気の
松たか子の前では

<おくりびと>で
女の匂いを発散していた広末涼子が

完全に霞んでしまった。





ダモシ的には、


映画の舞台であるJR中央線は

先般の寄稿にあるように
想い出のあるラインだけに
見ていてシンパシィを覚える。


特に

劇中の主人公夫婦である
太宰夫婦が住むのが
武蔵小金井。


映画の主舞台・中野から
JR中央線で
吉祥寺なども登場しながら


武蔵小金井駅で

松たか子が降りていく。




渡米前最後の二年を
この武蔵小金井で過ごしたダモシは、

オフィス帰り、

ワイフの勤め先のある
吉祥寺で待ち合わせて


一緒に
武蔵小金井まで帰ったことを

否応なく想起させる。



昔のJR中央線の車両も車内も、
昔の昔小金井駅もグッド。



それこそ昭和の、戦後の、東京が
洒落た舞台として描かれている。






映画のラストもまた

原作に忠実。




冒頭に記載したような
太宰治特有の
キャッチーな台詞で締められる。



予期される最後の台詞だが、


そういった
水戸黄門の印籠的な
"お約束"を前に、


松たか子が

その台詞をどういうアトモスフィアで
述べるのか、


ダモシは妙に緊張して

その直前、


つばを飲み込んだ。









vi1.jpg





vi2.jpg




(映画のパンフレットより)。







vi4.jpg



舞台となった小料理屋「椿屋」の
名物料理「モツ煮込み」が
現在、渋谷のカフェで再現されている。







:::::




・<ヴィヨンの妻>映画公式HP
http://www.villon.jp/








posted by damoshi at 16:42| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

季節はずれのゴキ騒動





先週のサンデー。
運動会の後のことである。


懸念の季節である
梅雨と真夏を
やり過ごすことができたことでの

ちょっとした

忘れた

そのスキを突く

地球上で
最も性格の悪い生き物。


それがゴキである。




<忘れた頃に…。今頃、出てきやがって…>

そういう世界である。


あるいは時間。

登場するのが
深夜であったりするのが
ゴキのヘイターたる所以。




心地よい、

運動の後の疲れに身を任せ、

ソファで眠っていたダモシ。


田園都市の初秋の
爽やかな風が差し込む夕暮れ時。



何度もソファのそばにある
通常電話が鳴っている。


その音が耳に入ってきて
目が覚める。

だが、起きることはできない。


ちょうど
うたた寝からリアルな睡眠に入る
間際だったことで、

すぐに身を起こすこともできないが、

そもそも
通常電話には自ら出ることはないダモシ。


何度もしつこく鳴るそれを
放置していた。



しかし
あまりにもしつこい電話。

何度も何度も鳴る。


薄目を開くと
ジュニアが
ソファの別の一角に腰掛けて
ビデオを観ている。



<電話、うるさいな>と言うダモシに

ジュニアは
<そうだね>と答えるのみで

ビデオに夢中だ。


<マミーはどうした?>

<マミーはお買い物だよ>

<そうか>


ダモシはまた目を閉じた。

だが、
しつこい電話。


<うるさいな…>と身を起こして
受話器に近づいて

かけている者の
電話番号を見る。


と、

そこにはワイフの携帯の番号が
表示されている。


買い物に出かけていることを
ジュニアから聞いたばかりだから、

ここまで
外から己が携帯で
何度も電話してくるのだから

よほどのことが起こったのか



ダモシは急いで受話器をとる。



<どうした>とダモシ。


ワイフは泣きべそチックな声色と
緊急事態が起こっている風情ありありの
必死の勢いで喋る。


<ゴキブリがいたっ!>。



なにごとか…。



<ど、どこにだ…。
 そして、今、どこだ?>


と冷静に問う。


ワイフによると、こうだ。



ワイフは
買い物に出ようと
自室入口ドアを開けて
通路へ出た。


と、

下を見ると
ゴキブリが今まさに
我々の部屋の中に入っていこうと
していた。


ワイフは急いでドアを閉めた。

どんぴしゃでドアは閉まった。



<だからドアの最下部の隙間にいる!>

と叫ぶ。



<今、どこだ?>とダモシが問う。

<だから、ドアの下>とワイフ。

<否。〇〇は今、どこにいるんだ?
 どこから電話しているんだ?>

<あぁ。ここ。廊下>



ワイフは、
ドアを開けて出てから
エレベーターの方へ逃げた、と。


で、
買い物に行かないで
ずっとドアを凝視して
ゴキの動きを監視していた、と。

とてもじゃないが
放置して買い物なんか行けないよ、と。


そこで
ずっとダモシに電話していたのだが

ダモシはさっぱり電話に出ない、と。


<なにをしていたのか>と。


そういうわけだ。



<何度電話しても出ないし!>

と激怒するワイフ。



ダモシもイヤイヤする。


<というか、中に入ってきたんじゃないのか?既に!>

<ドアの下に挟まるか?もう既に部屋の中に入って、
 どこにいるか分からんだろうよぉ…>

と嘆く。



そして

<よりによって、
 人が気持ちよく寝ていたわけで。
 それに裸足だし、裸でさ。
 こんな状態で闘えないよぉ…>

と泣きを入れる。



だがワイフは

<絶対にドアの下にいる!>と譲らない。


退治し得るのはダモシだけだ、

だから
何とかしてくれ

というわけである。








*****







ダモシは
<ちょっと待ってくれ>と

電話を切ってから
ドアのある玄関に最も近い
己が自室へまず向かう。


そして携帯で電話しようとする。


そのとき携帯を見たら
何通もメールや留守電が入っていた。

すべてワイフからだった。



携帯電話で、

玄関の中と

玄関の外の通路の
エレベーター寄りの位置で

ダモシとワイフはずっと話をしながら
押し問答を続けた。




<どうする>

<だからスプレーを
 ドアの下にとにかく連続してかけて!>

<スプレーはどこだ?
 それにスプレーして
 中に入ってきたらどうする?>

<そんなの知らないよ!>

<知らないって、俺は困るよ>


<大丈夫。スプレーすれば
 必ずアイツは外に出てくるから>

<でも外に出て、
 ヤツが〇〇に向かってきたらどうする?>



などなど、意味のない問答が繰り返された。


しかも
近距離で
玄関のドアを隔てているだけで
叫び合っているから

声は普通にお互い聞こえている。


携帯で喋る必要はない。




<よし、しょうがない。
 とにかく服を着る。
 さらに、靴を履く。
 靴を履いていれば
 万が一進入してきた場合
 そのまま蹴りを入れてすっ飛ばせばいい。

 靴は山岳シューズだ、ああ。
 ちょっと待っていてくれ>。




ダモシは闘いのワンショルダーを着用し、

足下には富士登山で使用した
山岳シューズを履いて

室内で身構えた。


左手で携帯を持ち喋りながら、

右手に持つスプレーを怒濤の噴射した。



シューッ!シューッ!


わき上がる白煙と異臭。


さらにシューッ!



携帯電話越しと
普通に玄関外から

同じサウンドの


<キャーッ!>が聞こえた。



ヤツがスプレー噴射を浴びて

ヨロヨロとドアから離れて
通路を歩き出してきた

という。



<来たぁっ!>


<行ったか?>


<あっダメ、でもダメだっ、早くっ!>

<何?どうすればいいんだ?>


また意味のない問答が続く。



<とにかく連発で噴射してっ!>

<わ、わかったっ!>



ダモシは
そのスプレーがまったく出なくなるまで
徹底的に噴射した。


ドアの最下部の
ちょっとした隙間から外へ向けて。


その間
ヤツはドアの方に戻ってきたり
外に出たりを繰り返したようで、

そのたびにワイフは

<キャーッ!>と悲鳴をあげる。





その間、ジュニアは
ダモシとワイフのことは放置で
己がビデオに夢中になっている。




ヤツの動きが止まったようだ。



この後が問題だ。



<どうするのっ?!>

とダモシに携帯越しに詰め寄るワイフ。



ダモシも携帯片手に

<動かない?死んだ?
 確実にそうならば
 俺がドアを開けて出ていくしかないだろう>


<出てきてどうするの?>


<そりゃあ、ホウキか蹴りで
 遠くへ飛ばすしかないでしょう>


<だめっ!>


<だめって、そんな、それしか手はないでしょ。
 そもそも外だし、
 わざわざ掴んでウチのゴミ箱に捨てるのは
 あり得ないでしょ。イヤだよ、俺は>


<しょうがない。いいわ。じゃあホウキで。
 ホウキは捨てるから>


<いやいや、ホウキは最後手段で、
 俺が出ていって
 死んでいるアイツを
 一気にサッカーの要領で蹴りを入れて
 遠くへ飛ばせば済む話でしょ>


<だめっ!>


<なぜ、だめなんだ>


<空振りしたらどうする?>

<しないよっ!>


<まあ、いいわ、なんでも。
 とにかくやっつけて>

<もうやっつけたよ。
 あとは視界に入らなきゃいいんでしょ?>


<そう>



いやはや、である。

ダモシはそぅっとドアを開ける。

ワイフに問う。

<どのくらいだ?距離は?>


要するにドアを開けて
己が外に出られるくらいまで
可能なのか

ということである。



己の身体が出るより早く
ドアを途中まで開けた段階で
ヤツがまだその距離感にいるかもしれない。

そうなれば蹴りを入れることはできない。



そもそもダモシはヤツが
ダメなのである。

姿を見るだけでもダメなのである。

本当にダメなのだ。
ゴキとカエルは二大天敵なのである。





だから
このとき、

ダモシはしっかりと
サングラスをかけていたのである。



去年もそうだ。



なぜか
対ゴキ戦線の際には
ダモシは黒いサングラスをかける。


見ないためだ。


黒には黒。

ポスチャーだけ見えれば良い。

はっきりとは見たくない。




一度ドアを開けて様子を伺う。

微妙な距離に
黒い物体はいた。



(<これでは蹴れないぞ…>)。


そう判断したダモシは
ホウキを手にした。



<携帯、切るぞ?
 出るからな。やるからな。
 携帯持っていたら手かせ足かせだから
 切るぜ>


そう言ってダモシは
携帯を切り、

黒サングラスにタンクトップ、
山岳シューズ、
右手にホウキという
とんちんかんな出で立ちで

ドアを開けた。



そしてホウキでまず

階段側へ掃いた。


ドアを開けると通路があり、
右へ歩いていけば
ワイフが待機している
エレベーター側になる。

その右方向へ行く直前に
階段がある。


要するに

ドアを開けると
すぐ右斜め前が階段で、

エレベーターは
ドアを開けると目の前にある
通路を

右へ数メートル進むわけである。


だから階段から下へ落としてしまえば
もう死んでいるわけだから
視界にも入らなくなる。

だからその処置で良い、と。


蹴りを入れて
ヤツを階段下まですっ飛ばすための

ベストな距離を得るために

ダモシは
ホウキでまずヤツを階段よりに
掃いたわけである。



ただそれだけのアクションにも


<キャーッ!>
と悲鳴をあげるワイフ。


<うるさいぞっ!>とダモシ。


掃いた後、ダモシは勢いをつけた。

山岳シューズの
どんどんどんという音が
廊下にこだました。


そして

サッカーキック一閃。

ヤツは
見事に宙に蹴り上げられて

ストレートに
階段下へ落下していった。



<ふぅ…>


ダモシはようやく一息つくと同時に

サングラスを外して
ワイフを見た。



どうじゃ、と。

始末したぜ、と。



しかし
昨年同様またしてもワイフは

それへの御礼も述べずに


<はぁ、たいへんだった。まったく。
 じゃ、行ってくるわ>



そそくさと買い物へ出かけていったのであった。




<俺は一体、何だ>と

ダモシは
室内に戻り、

ジュニアに述べた。



<仕留めたぜ>と。



ところが
ジュニアはキョトンとして


<で、ダディ、なにをしていたの?
 マミーと何か話してたでしょ?>


と言った。









*****








それにしても

昨年もそうだったが、

出るかもな?
といった梅雨や真夏に出ないで


やや遅れた季節
(涼しくなりはじめた頃合い)に

出てくる田園都市のアイツ。



とにもかくにも
98年以来、

米では一度も拙宅で目にしなかったそれ。


ニッポン復帰にあたり
不可避のアイツ出現が
大きな気がかりだったのだが、

幸い

ここは昨年二度、今年はその一度のみ。


だが
そのいずれもやはり

不慣れゆえか

衝撃が大きく、

もう二度と逢いたくないのだから
出てくるなよ

といった案配である。



これほどまでに嫌われていながら
なぜ出てくるのか

と。


しかも

こうして
季節外れの
予期せぬときに
タイミング悪く出てくるから

またさらに嫌われるわけである。






運動会も疲れたが、

その後のコレもまた
大いに疲弊した


先週のサンデーの

季節外れのゴキ騒動であった。
















posted by damoshi at 23:19| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

駿河で富嶽アート






西洋がインスパイアを受けた
ニッポンの芸術といえば、

浮世絵がまず浮かぶであろう。


そして
浮世絵といえば、
富士がそのメインストリームにも在る。


富嶽三十六景。



駿河の秀逸アート・エリアには
県立美術館とロダン・ミュージアムがある。



ローカルの
ヤング層主体の恋愛ドラマの
舞台設定にもなり得そうな

全体ポスチャー。




szdai.jpg

(県立大学キャンパス)



sizbi.jpg

(バブル時代的建物は、県立美術館)








*****








昨秋以来、

写真で富嶽景をコレクトしている。


年末にはまた
今年撮影した富嶽景から

ダモシ的富嶽景は当然フィーチャーするが、


とにもかくにも
<本妻>復帰以降の
一つの大きな世界に御すニッポンとしては
富士が象徴であり
己もオフィシャル案件で関わり

さらには登ったという有様からして

対世界というフォーカスの土壌にあってもなお

色あせない

レベルが比類し得る

大きな存在が富士であるというのは

毎度記載している通りで、


富士絡みは
まだまだ甚大にあるからして、

<奥の細道>

と共に

<本妻>復帰
<ニッポン>正式復帰

以降の


そもそも
既に
10年前には見切った
ダメ男ニッポンという

ダモシの中での
ニッポン性悪説が前提にある中で、


それでも

今ここに己が在るならば

その中でも
インタレストという面でも
インスパイアという面でも


富士

奥の細道


は二大テーマなのである。


それに加えて

・富嶽三十六景

・東海道五十三次、

さらには
今年初邂逅した
四国八十八ヶ所

などなども今後、


世界というフォーカスと
ガイジン目線という環境の中では

範疇に入ってくる流れとなっているわけである。





むろん
今年フィーチャーしている

〜各地で出かけている中で取り上げとしてある〜


<ディスカバー・ジャパン>

という当欄での
キャンペーン的インタレストに
分かるように


金沢・兼六園しかり

松山・道後温泉しかり

むろん
熊本の
これぞ世界レベルのカルデラたる阿蘇に

来城者数日本一の熊本城


その他も

充分に
タイトル通り


ニッポンの良さ再発見

という
ガイジン目線だからこそ得られる
コンテンツも

ニッポンにはまだまだ在る、と。




そして


それらを包含してもなお

ニッポン最強なのが
どう足掻いても


富士山である、と。




ニューヨークに等しく、

<移動祝祭日>になり得てこそ最強。



一期一会ではない。

一期一会思想を嫌うダモシは

その反対側にある
移動祝祭日性をこそ


ヒトとしての付き合いも
エリアや場所、存在としての関わりも


結果的には残るものであり、


そういう存在になってこそ
ヒトもモノもコトも

最強であるという論理である。




ヘミングウェイが、

パリを称して
移動祝祭日

と語ったのに等しい。



ニューヨークが

ダモシのとっての
移動祝祭日であり愛人であるが、


富士山は
このニッポンにおいて

たいへん希有な

移動祝祭日性をもって

ダモシに未だ

<また登りたい>

<真冬の富士登山は素人では無理か?>

そしてさらには

オフィシャル事案含めて



<富士を〇〇できないのか?>


とまで思ってしまうほどに
至っているわけである。





富嶽景は、ある意味で遥拝である。

富士はその遥拝と

登拝では

別人格になる

ということも

既に記載済みであるが、



まことに富士は、

富士は月見草なんぞという
甘ったるい世界観は

登拝においては

皆無である。




ダモシにしてみれば、

富士は

悪魔である

と。



富士は悪魔、黒富士だ。





富士に関しては
いくらあっても書ききれない要素と素材を
持っている。


年末にまた特集したい。




今宵は、アートである。









*****







県立美術館の
ミュージアム・ショップで仕入れた
富嶽景の品々。



fujie4.jpg


歌川広重
不二三十六景「相模七里ケ浜風波」の
クリアファイル。



fujie1.jpg


ポストカードは、

赤富士の不朽の名作(右)。
富嶽三十六景から「凱風快晴」。

左の絵が秀逸でダモシ好みの
横山大観は「群青富士」。


富士が記号化されたヴァージョンで、
チャップリンや徳富の描いた富士を
連想させる。





そして富嶽景の
シンボル的存在が、

葛飾北斎の「神奈川沖」。


fujie3.jpg


洒脱な一筆箋とポストカード。

まったくもってレベルが高い一筆箋。







さて、この北斎の絵。


アップにすればこうなる。




fujie2.jpg



当地で、美大出の人との会話。


氏が言う。



<美大の課題で、
 この絵の中の舟に乗っている人の目線で
 描いてみてください
 というものがありました>

と。



たいへん興味深い課題で、

さすが美大といったところだが、


ダモシとしては
その絵がどういうものになったのか
気になる。


近々それを見せてもらうのだが、

この舟に乗っている人の目線から
このシチュエーションを見たら

ある意味で
ムンク的になったり
ダリ的な絵になるのではないかと
思ったり、

普通に、

目前の巨大な波が強調される
だろうから

それをどう描くのか
(浮世絵的に描くのか
 印象派的に描くのか
 はたまた前記したようにダリ的、ムンク的に
 描くのか)

によって

描き手の性質の差異が出るだろう

と感じられた。




ダモシに絵心があれば、

おそらく
巨大なる波を目前に、

本来であれば
こういう海の状況で
舟を出すことなどないであろう
ことを鑑みつつも、


この舟に乗っている者は

逆に罪人で

島へ流される前の
最後の浮き世ということで

富士を遥拝させてあげようという
配慮から

このコースを通ったのだが、

しかし天候は急変し
もはや舟は転覆寸前という

罪人にとっては
島に流される前に
地獄の刑を受けている

といった中での

舟の乗る人々の心理状態を
描き出せば、

やはりムンク的あるいは

そこから
さらにもはや気狂い的に
ダリ的になろうか

と。



あるいはその一方で、

浮世絵のインスパイアを受けた
ゴッホにならい、

ゴッホ的に

もっともっとこの絵を
ささくれだったものとして

波の先端にトゲをめぐらせて

(ゴッホの「雨」のように、
 線がささくれだったものとして
 波の先端を捉えて)

描こうか

といった案配である。



残念ながら
ダモシには絵心がないので
描くことはできないが、


描くならば

そういうフォーカスで描くだろう、と。




ぜひ、美大出のその人が描いた課題作を
見たいところである。




そして
いずれの場合においても


ポイントは最終的には富士になる。



どういうフォーカスと構図で描こうとも

必ず
この絵をモチーフとして課題をする場合、

富士は無視することを許さない。




最終的に富士をどう描くか。

どう描かれるか。



それが重要になってくるというわけである。



絵心はないが、

後日トライしてみたい。













posted by damoshi at 13:00| アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月10日

駿河が<旅>で、富士登拝が<お散歩>





駿河から昼頃戻ってきた。

予定にはなかったが
オフィシャル案件が押したことで
一泊したわけである。

駿河の県庁所在地・静岡。
静岡市である。

駅でいえば
JR東海道新幹線の静岡駅。


静岡県内では
浜松と東西両横綱を形成するのが静岡市である。






fumo1.jpg






静岡県といっても
大きくは

A. 独立洲的存在:伊豆
B. 富士山世界観:静岡
C. 名古屋寄り:浜松

の三つに分かれよう。


西伊豆のエントランスである沼津はA。

静岡シティ以下、
富士宮や清水、由比などはB。

磐田や掛川、浜松などがC。


それぞれ該当するであろう。


名古屋寄り世界観のCを除き、
昨年末の
イヤーエンド・ジャーニーでの
沼津行をはじめ

この夏以来の駿河行では
富士山をメインとして
Bが主舞台となっているわけである。



中でも

由比等、当欄で取り上げた。

まだ未掲載のエリアや存在もある。


昨日からの駿河行は
静岡シティを中心とした
新富士エリアとなったのである。





静岡シティは
コンテンツが豊富で、ネタが尽きない。


"普通"、
あまり観光では足が向かないのが
大枠での静岡。

一般ゼネラルな視点では
静岡と観光でいえば
伊豆がメインになろう。


だが、昨日来の静岡シティ行では
地元のオーソリティの案内も
あったことで

かなりディープな静岡シティ行となり、


<ほぅ>の連発が見られたのである。



それらは改めて掲載するところである。





夜は旨い魚や
静岡名物を肴に、

これもまた静岡ならではの
"由比正雪"たる酒や
富士山の湧き水を用いた清酒に
静岡の銘茶をベースとする
焼酎のお茶割りなどを嗜み、

ご満悦と相成ったが、


今宵もこれから後輩氏たちが来訪し
また酒
という様相である。





fumo2.jpg







*****






静岡に行けば
富士山の話題は欠かせない。


今年登ったこともあり
富士山は強烈な存在感をもって
ダモシの中に在る。



オフィシャル案件で
富士山絡みの事案もあったのだが、


現地でお逢いした人の中に、

富士登山マラソンを完遂した人がいた。



もう二度と来るもんか!
と絶叫した
苦悶の富士登山。


それを山梨側の地上から
(車で五合目まで行ってから
 登山開始するのではなく)、

最初から走って頂上まで登る

という尋常ではない所作。


しかもその制限時間は四時間半。

それをやり遂げる者は
<どこぞの気狂い人か>と感じていたダモシ。


目の前に、その気狂い人がいた。


しかも
御年で五十路手前。


<私は、そんなことをするのは
 どこぞの気狂い人か、
 と思っていた>

と忌憚なく言った。



走って富士登頂するのみならず、

それが
地上からずっとであることと、

五合目から頂上までは
一時間半で踏破してしまうという
尋常ではない身体能力。


なにごとか、と。



では
ダモシはいったい何なのか、と。


地上から山頂までの制限時間四時間半
というタイム自体、

そもそも
ダモシの
五合目から八合目山荘に辿り着くまでに
要した時間にほぼ等しい。



己が登っているから、

五合目から山頂までを
一時間半で踏破することが

己自身には絶対に不可能であることも
理解できる。


それをいとも簡単に
やってしまうのだから

恐れ入った

を超越する。






昨晩、旨い肴と酒をもって
眠りについたビジネスホテルのベッド。


きっちりと

三時〇〇分と四時〇〇分に
二度目覚めた。


富士の儀容が立つエリアである。

悪魔富士がそのオーラを発したのであろう。


目覚めたその二度とも
激しい頭痛に見舞われていたダモシ。


むろんその痛みは、
ビールにはじまり
焼酎、焼酎の茶割り全種類、
そして日本酒と膨大に飲んだことでの
ものであることは明白だが、


夢か現かの中で

目覚めたダモシの意識の中に


<今、八合目の山荘にいる>

というトラウマが支配した。




あの、

真っ暗闇と揺れと
暴風と厳寒の中での山荘の
ベッドともいえぬベッドで
目覚めた瞬間の

尋常ではない頭痛。



己が今また
駿河の、富士の前にいることで

トラウマとなって甦ったのであろう。



シャビーなビジネスホテルの
ベッドの中で、

恐怖を感じた。



<あぁ、いやだ…。これから登るのか?>

と。







朝。

早朝から富士方面へ
氏の案内とドライビングで

ビジネス案件数カ所へ送ってもらった。



車中、その頭痛の話をしたダモシ。




<あの高山病での頭痛は、
 尋常ではなかった>

と。




<〇〇さんは、高山病とかは
 大丈夫でしたか?頭痛は?>

と問うたダモシ。



だが氏はさらっと受け流した。



<高山病にかかる暇もなく
 その前に下りてきてしまいますので>

と。



車中が笑いに包まれた。



さよう。

五合目から山頂まで
一時間半で
"走って"しまうのである。


高山病や激しい頭痛に
見舞われる暇もないだろう。

まさに
ぱぱっと登って
ささっと下りてきてしまう。



天下の富士登拝でさえ

<オトナの遠足&お散歩>
に過ぎないのか


と。




田園都市から駿河への紀行が
旅になるダモシ。


富士登拝ですら
散歩になってしまう氏。



いやはや、である。








:::::






sizus1.jpg




富士市内には
多くの工場が点在する。


製糸業の街である。

















posted by damoshi at 18:06| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

ホーム

image/2009-10-09T08:41:021



東海道新幹線の
ホームである。


新横浜駅。



不景気不景気と
いうけれど、
人は多過ぎる
ほどだ。

静岡までは
ぶらぶらの
範囲だ。




晴れ
posted by damoshi at 08:46| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月08日

嘘くさい青空





周知の通り、

台風の影響で

今朝からJR山手線を筆頭に
首都圏の交通網はマヒした。


ちょうど通勤時間帯ゆえの喜劇。


これくらいのことで
電車は止まるわ
道路は大渋滞だわでは、

ほとほと大地震や9.11のようなことが
起こったら、

東京はその脆弱さを
白日の下に晒すであろう

という思いを新たにする。


そんなていたらくの首都で
五輪なんぞあり得ないぞ

というのが

そもそものダモシの理屈でもある。


もっと足下を固めろ、と。




それこそ今朝は既に雨はあがり

その風といえども
富士山登山の途中での暴風の
数倍も弱い"強風"レベル。


これしきのことで

と言わざるを得ないわけである。




品川の
クライアントのオフィスへ出向く朝。

ダモシは
東急田園都市線の溝の口から
東急大井町線に乗り換えて

そのオフィスに出向く朝の
いつもの変わらぬ流れ。


ところが、

終点の大井町に着くと
そこに人が溢れている。



<なんじゃい>と訝しげに

乗り換えるべき
JR京浜東北線の改札へ目を転じると

不通

の告知。



乗るべき電車のない多くの人々が
大井町駅から弾き出され
思い思いに己が向かうオフィスがある方向へ

歩いて散っていく。




<なら、しゃあないな>



ダモシも品川方面へ徒歩で進む。

第一京浜に出て直進。




歩くこと一時間十分。

オフィスに到着した。


ところが
ほとんどの人が来ていない。

メンバーによっては
昼過ぎ、三時過ぎと
ばらばらに集まってきたようだ。


二時から六時半まで

長丁場のミーティングを終えて

そのオフィス内の部屋に戻ると

二時までには
姿を見せていなかった者が来ている。


<お、何時頃、来たの?>

と問うと、

三時過ぎだ、と。


ずっと電車が動かなかった、と。

人によっては
途中からバスに乗ったが
大渋滞ゆえ途中で降りて歩いただの、

喫茶店で時間を潰してから
タクシーで来ただの、それぞれ。



有事の際の対応にも、人それぞれ感が表れる。

性格が出る。



大井町で足止めを食らったダモシは

そこから
バスやタクシーに乗るという
選択肢も

どこかで時間を潰すという
それも

皆無で、


<一駅分>(といっても距離があるが)

なのだから

こりゃ歩くかと即断した。








*****







そもそも現代人は歩かない。

インターネット時代ゆえ
メールで済ませて
手書きのレターやラブレターも
書く機会は少ない。

携帯があるゆえに
待ち合わせですれ違ってしまう
ということもなければ、

何時間も恋相手を待ち続ける
という機微もない。



そして、歩かない。



米移住前の海外旅行でも
ただただ歩いた。

己の足で歩くことで見えてくるものがある。


ニューヨーク在住時も

平気で
イーストリバー沿いを
ミッドタウンから歩いて
FDRを経て
さらにはブルックリン・ブリッジを渡る
10km以上歩いたりしたものである。


碁盤の目のマンハッタンの
ヨコのストリートを
70から23間の50ブロック弱は平気で歩いた。



今もニッポン各地を回る中で

旅の最中はとにかく歩く。


車で移動しても
駐車してからはひたすら歩くわけだ。


今年も
松山市内も普通に10km以上ひたすら歩いた。



だからノートPCと書類群を入れた
大きく重いビジネスバッグを
持っていたにせよ

一時間十分の
大井町〜品川間程度であれば

どうこうない。




そもそも昔の人は、歩いたのである。


ワイフの亡き祖父も
那須から東京まで徒歩で出かけていたという。

車で高速道路を飛ばしても
三時間圏内なのだから

徒歩では何時間かかるのだ

とさすがに思うが、


ある意味で
人馬しかない時代においては

歩くことが当たり前だったのだから

苦でもないのだろう。



松尾芭蕉にしても同様。

途中、
馬を借りてそれに乗るシーンもあるが

基本的に徒歩がほとんどで

奥の細道を辿ったわけである。




新田次郎の昔の山岳小説を読んでいても、

富士山で遭難したらしい
友人を救うために

明け方目覚めた男は家を出る。

そして
もうその日の午後には富士に着いている。


徒歩で、だ。


しかもその男の家は
神奈川県の足柄である。

御殿場へ徒歩で行くだけでも

一日がかりのはずだが、

明け方出て
昼前にはもう御殿場についている。


御殿場から富士山へは

現代でさえ
車で飛ばしてでさえ
整備されたスカイラインを走ってでさえ
五合目まで車で行けるのでさえ

一時間は軽く要する。



にもかかわらず昔のこの足柄の人は、

御殿場まで昼前に着いて
さらにそこから
午後には(日が暮れる前までには)
富士山の途中まで登っている。


恐ろしいスピードである。




さしずめ

現代の
大井町〜品川という
一駅区間の徒歩スピードと

昔の
足柄〜御殿場の徒歩スピードは、

実際の所要時間は別として

ペース的には同じレベルかもしれない、と。


そう思えるわけである。



ワイフの祖父の
那須から東京への徒歩行ではないが、


とにかく昔の人は凄かった。




今では
大井町〜品川
泉岳寺〜品川
程度を歩いただけで

ぶつぶつ言う現代人が溢れているわけで、


まったくもって
心身の強靭さは比較にならないわけである。








*****






明日は駿河遠征である。


当初、
今回の台風は
直撃が明日だった。


だからダモシは期待していた。


巨大な台風の直撃の中、
しかも
東名高速は集中工事中。

大波乱の駿河行だな、と。



ゴッホの雨

のような

ささくれだった様相が好きなダモシ。



中途半端な雨や

まったく垢抜けない
ダークスカイとじめじめを嫌う。



降るならとことん降らんかい、と。

吹けよ風、呼べよ嵐。

これが基本である。

さもなくば、絶対青空でサニースカイにせえよ、と。




台風がどうやら通過してしまった空を眺めながら

ダモシは言った。



<明日、駿河行の時間に、台風ピークだったら
 面白かったんだがなぁ…>

と。




そして


<この青空。台風一過の青空が大嫌いでしてね。
 どうも嘘くさい。
 この台風一過の青空というものが
 嘘くさくて嫌いなのですよ>


と。




さよう。



あの、

なにごともなかったかのような

しらばっくれた
台風一過の青空が

大嫌いである。




且つ

今回のように
デイタイムに
それこそ中途半端に朝のラッシュ時に
電車が動かなくなるなんぞという
仕業をせずに


最初からもう今日は動かんよ

くらいの

爆裂的な台風がデイタイムに
襲いかからんかい


と。






そして、東名。


これもまたボンクラだ。


何も
よりによって
ダモシがオフィシャル案件で
駿河へ出かけるタイミングで

集中工事するんかい!


と。



そのせいで

通常であれば二時間かからない
田園都市〜静岡市中心部(JR静岡駅)が


高速道路側の予測では

三時間半となってしまう有様。


これは大迷惑である。

それこそ
ETC愚策割引の土日に集中工事やったら
いかが?

とさえ思ってしまうのである。



なぜならば

ETC愚策の恩恵を受けている皆々様は
我々以上に
渋滞に慣れていらっしゃるであろうからだ。


分かり切っている大渋滞の
GWやシルバーウィークに
ETC恩恵で出かけて渋滞に嬉々としている
皆々様にとって

田園都市〜静岡間が
三時間半かかっても

どうこうない

であろうから。



我々オフィシャル案件で出向く者たちが
逆にこうして迷惑を被っているわけで、

非常にこれは由々しき

間違っている

集中工事のタイミングと感じる次第である。




このせいで

明日は新幹線移動に変更したダモシ。





<まあ、じゃあ、しゃあないわな。
 駅弁でも朝っぱらから食して
 電車で行くないな>




同行者とは

車同乗ではなく

現地の駅集合へと切り替えたところである。







昨夏以来の
ニッポン国内各地との接触度では

プライベートでの箱根を除けば

山梨に匹敵する登場頻度が
静岡である。



その時々によって

絡みの多いエリアが毎度変わる。


昨夏からの<本妻>時代の今は

山梨と静岡は筆頭である。



富士山は、

その両県にまたがっている。





明日は久しぶりに、

富士と邂逅できるであろうか。







taip2.jpg
















posted by damoshi at 23:48| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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