2009年11月30日

<勝ち味>について/スポーツの特異日〜ジュニア、亀田、さくら、白鵬、ウオッカ…



今宵は文字通り、
スポーツの特異日だったといえるだろう。


白鵬が朝青龍も下して全勝優勝。
年間の勝利数歴代最高となる86勝で大団円。

激しい賞金王争いでもつれた
女子ゴルフ国内ツアー最終戦で
横峯さくらが勝ち切って
諸見里しのぶを抑えて賞金女王に輝いた。

男子では石川遼が二位でフィニッシュして
翌週の最終戦で賞金王確定へ
マジック1とした。


競馬のジャパンカップでは
<ダモシxウオッカの関係性>が
最後まで生きていたウオッカの復活勝利で
幕を閉じ、

ウオッカ自身、引退。有終の美を飾った。


夜。

LIVE中継で観た
ボクシングのライトフライ級選手権。

ダモシ応援の亀田が
想像以上のレベル差を見せて
内藤に完勝。

遂に戴冠。

その冷静な闘いぶりと
勝利に徹したストラテジックな手法は
見事のひとこと。



そしてジュニア。






*****





決勝トーナメントの8強の中で
ジュニアともう一人以外は、
すべて極真という状況。

ジュニアの相手も極真。

相手のリタイアで
準々決勝を不戦勝として迎えた
準決勝もまた極真。


まさにアウェイもいいところ。

リーチも身長体重も相手が上。

122cm/20kgの相手に
ジュニアは
110cm/17kg。

これだけ差があれば
かなり厳しい闘いになる。


戦前、相手の闘いぶりを見ていた。

強烈な突きを連打し
他よりひと周り大きな身体を生かして
前へ前へプレッシャーをかけてくる。


ダモシは
まともにぶつかり合っては不利
と読んで、

風車の理論で左右に
フットワークを用いながらの
インへの徹底したローキック攻撃を

指示した。


ところが
ふだんからそういった練習を
繰り返し行っていないから
本番でそれをするのは
ジュニアにとっては難しい。

技を出すにもプレッシャーが強いため
思うようにいかない。


ジュニアはいつも通りの
ある意味で
猪突猛進型で
真っ向からやり合った。

ダモシは
<回り込んでインロー!>と
セコンドから指示するが、

ジュニアは必死に
己が作法で闘っている。


彼本来のガチンコで
いわゆる正面から殴り合っているのだ。


ダモシの指示は
<回り込んでインロー>

ジュニアのスタイルは
あくまでも
<正面からガチンコ>。


ここに齟齬が生まれた。


ダモシは感じた。

己が指示が失敗だった、と。


身体の差がありながら、
ジュニアは
その押し合いで決して下がらなかったのである。

むろん
いつものように
相手を圧倒することはできないが、

大きな相手にヒケをとらずに
正面からやり合っていた。

どちらが押したかといえば
相手だ。


<あ。ジュニアが逆に押されてる…>

と感じた瞬間があるほど、

それは初めてのケースだった。


まさにそれは
長州力が維新軍団を結成して
猪木や藤波などの
新日本正規軍と抗争を繰り広げていた頃、

ハイスパート・レスリングで
徹底的にオフェンシブなスタイルで
相手を圧倒していたのだが、

全日本に乗り込んだ最初の試合で
それまで
ぬるま湯と揶揄されていた
全日本の石川隆士と天龍源一郎に
張り手合戦で押された一瞬に感じた

ショック

にも等しい。



<あのオフェンシブなジュニアが押されている…>

と。



しかし。

それでも負けずに
正面からの闘いに臨み、

一発も有効打を食らうことはなかったジュニア。


時間切れ。

結果は、四人の審判のうち二人は引き分け延長。
だが二人が相手の旗を上げた。


ダモシが厳しい目と
冷静な判断で見ても

判定での決着となれば相手方に上げる。

僅差だが、

・手数の差
・押しの差

で相手に分があったのは確かだ。

延長になっても
おそらく結果は同じだったろう。

ジュニアに
今日の相手をKOする力はなかった。

相手にもそれは同様だが、

ジュニアは大会で初めて
相手に一瞬でも押し負ける場面があり、

且つ

相手より手数が少ないという結果になった。


これだけで

勝ち負けでいえば
厳しく言って<負け>でしかるべきだ。


よくやったという賛辞はもとよりだが、

当然ながら叱責もした。


<力負けは事実だ。精進しろ!>と。


その一方で
ダモシは己の指示ミスを悔やんだ。


<いつも通りにやれ>と
やるべきだった、と。

今の彼には
彼の出来るスタイルで
思い切り試合をさせるべきなのだ、と。


大反省のダモシである。

今大会では彼はメダルなしで終わった。

だが、
戦略とは別に
彼自身にとっての新たな課題が生まれた。


これまでの課題は

・攻めが単調
・猪突猛進一本かぶり
・技のヴァリエーションが少ない

であったが、

それに新たに明確な課題が加わった。


・パワー不足

である。



今宵の準決勝で
身体の大きな相手に
一瞬でも押された局面がなぜ起こったかといえば、

相手の強烈な突きのダメージが
蓄積されてきた後半にあった
ということである。


要するに

重いパンチが何発も入っていれば
試合も後半になってくると
それがじわじわと効いてきて
スタミナを消耗させる。

その際、脚が止まる。

脚が止まれば
相手の押しを

押しで返したり

風車の理論を繰り出すことも
出来なくなる。



<そろそろパワーをつけた方が良い>。


夜、

内藤x亀田戦を共に視聴した後、

練習をした。



ダモシも行っていることだが、
鉄アレイを両手で持って
それでボクシングのシャドーをするのだ。

空手の突きと蹴りも
重み(負荷)を与えた状態でトレーニングする。

それを新たにメニューに加えよう、と。



彼は理解したようだ。

水を入れて重みを増す器具を用いて
突きの練習を繰り返す。

それを置く。

空の手で突きをしてみる。

すると
軽くなる。スピードも増す。

ひいてはそれは重みを増すのだ。


野球の素振りで重いバットを使うのと同じだ。


亀田のパンチもそうだが、
的確な一発でも重いそれが入れば
相手の鼻は折れる。

そういった決め手を身につけることである、と。

それが不足しているのだ。


身体的に見て
ジュニアの身体は小さい方である。

当然、
中学生か高校生くらいで
ぐんと大きくなると想定するが、

幼稚園児の現時点では
相対的に小さい方である。

しかも空手ともなれば
同じ幼児でも前述した今宵の最後の相手
のように

大きな者が多い。

今後も
彼にとって
自分より大きくパワーもある者との
闘いは不可避となる。


そこではスピードや
押し負けない気の強さは当然必要だが、

それだけでは勝てないのだ。

身体的に小さくても
ピインポイントでも一発のパンチやキックの
重みがあれば、

まったく異なる試合展開に
持ち込むことができるのである。


ダモシ自身はヘビー級だから
過去もヘビー級的な
闘いのスタイルなわけだが、

彼の場合は
同じレベルの年齢層の中でも
フライ級、いわば軽量級だ。

それこそ空手の大会も
体重別などであれば
結果ももっと違ってくるとは思うが、

その軽量級にあってもなお
パワーは必要なのである。


いくら技がキレイでスマートでも

それに切れ味やパワーがなければ

勝ち切ることはできない。



その点を、そろそろやっていこうか、と。

今の彼に
ダモシのようなパワー絶対主義は
合致しないが、

軽量級にあっても
身につけるべきパワーを身につけていこうか

という提案である。


ジュニアもそれに応え、

実際に
仮練習で負荷をかけてやってみると
その後の素手でのそれとの違いに

<おおーっ>と驚くほど

理解を示した。

そうか。負荷をかければ力もつくのか、と。


ダモシはさらに伝えた。

掌をパンチンググローブに見立てて
<さあ、打って来い>と。

ジュニアがパンチを繰り出す
タイミングに合わせて
己が掌に圧力を加えて
押し返した。


要するに負荷である。

ダモシの掌が
彼のパンチを押し返す弾力と負荷によって

彼にとっては
それが試合での相手のプレッシャーと
等しくなる。


<俺がかけるプレッシャーに
 押されないよう、
 パンチのヒットの瞬間に
 パワーを込めるのだよ>

と伝えれば

彼もそれをすぐに理解した。



その反復練習で一時間汗を流したわけである。



<買ってやる。一緒に買いに行こう>

と、

この週末でも
足首に巻いて負荷をかける重りを
購入しようと話し合った。

蹴りも、いつもその負荷をかけてやっておけば
パワーがつくぞ、と。




残念な結果とはなったが、

明確にして
新たな課題が見つかったことは
大きなメリットである。

今回のメダルなしを糧に
また次回頑張れば良い。





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試合に臨む直前のジュニア。


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相手のリタイアとなった
準々決勝。


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準決勝。
セコンド席から撮影。



次回、来月は所属団体内の大会である。

例の
"お腹だけ攻撃"ルールである。

これは期待していない。
彼に向いていないルールであるからだが、
当然応援はする。


しかし次回のその大会は
あえてセコンドにつかずに、
試合も自分の判断ですべてやらせようと
考えている。

あえて観客席からしか見ないでみよう、と。




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横浜文体。

久しぶりに中に入ったが、
<こんなに小さかったかな…>と感じた。


あれ?

と。

ここにプロレス観戦で出かけたのは
大学時代の後半が最後だ。

80年代終わり。

たしか88年〜89年のいずれかだ。

全日本プロレスの
ジャンボ鶴田x天龍源一郎戦が
メインイベントだった。

あの頃、大きく感じたものだ。

今宵、あの日と同じく二階席に佇み
アリーナを見下ろしたが、


やはり

<こんなに狭かったかな…>と感じた。


イスがまた小さくて狭い印象を受けた。

実際、ダモシには小さかったが、
ワイフもまた
<ずいぶんとイスも狭くて小さいね>
と言っていた。


だが、周りは誰もそう言わなかった。

<そうですか?>と。


まあ致し方なかろう。

当時のダモシは
今よりは細かったし、

ダモシもワイフも
米のスタジアムやアリーナのサイズを
経験していない頃だったのだから。


それは
日本最高峰ビルヂングの
横浜ランドマーク・タワーを

"ぜんぜん"大きくて高いとは感じないのと
同じである。




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文体は、狭さや小ささのみならず
そのシャビーさも感じた。

<こんなにシャビーだったかな…>と。


古くさいのである。
ローカルチックなのである。

ローカルのとある体育館。

そんな乗りがするのだ。


<こんなではなかったはずだがなぁ…>と。



東京五輪の
女子バレーボールと
男子バスケットボールの試合会場の一つ。

それが横浜文体である。

それもそのはず古いわけだ。




横浜文体に限らず、

それにしても、このエリア。

関内エリア。

あまりにもシャビーというか、
枯れ果てた感があるのは
いかがなものかと思う。


横浜スタヂアムと横浜文体、
横浜シティ・ホール(市庁舎)
大きな関内駅、首都高などなどが
揃っていながら

このていたらくは、いかがなものか、と。


街が古いのである。



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横浜スタヂアム。

これもまた悲劇的なほど古くさい。




以前から言っているが、

元町や中華街、山下公園はもとより
みなとみらいエリアなどとも
近隣を成すこの関内エリアだが、

ここだけ

何となくシャビーなのが気になる。


そもそも

<横浜スタヂアム改築&移転>論者である。

みなとみらいエリアや
新横浜エリアに
新しいスタヂアムを作って

ベイスターズのチームづくりと連動して

抜本的な改革が必要である、と。


それに倣えば、
横浜文体も同様だ。

もはやメジャー格闘技などの興業に
耐え得る体育館ではない。

あまりにも古くさく、シャビーだ。




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横浜スタヂアム目の前がシティ・ホール。



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本牧にしてもそうだが、

横浜中心部エリアは
みなとみらいに押されて
置き去りにされている傾向があるのでは?

と感じられなくもない。



古きは良いが、
シャビーや枯れた感は良くない。

歩いている人の層も同様だが、
廃れたアトモスフィアが発生するようでは

都市づくりとしては欠落していると
言わざるを得ない。


もう少し、"やりよう"はあると感じるところである。






*****






スポーツの特異日の今宵、

思い通りにいった人、
思い通りにいかなかった人、
様々である。

一方がいれば、もう一方もいる。


諸見里しのぶ
有村智恵
内藤大助
オウケンブルースリ

そしてジュニア。

思う通りにいかなかった面々ともいえる。


亀田興毅は、その努力が報われた。

上述した通り、
闘いぶりが的確で、冷静だった。

スマートな闘いぶりは見事である。


白鵬は一年間トータルに見ても
思い通りにいった一年だったろう。

横峰さくらも同様。


そしてウオッカ。

ダモシも批判した武豊の
"ぞんざいな騎乗"のせいで
この秋は限界説も出るほど破れた。

だが
騎手が外国人の名手ルメールに代わり
彼はウオッカ本来の力を引き出した。


帰宅後にyoutubeでレースを見たが、

必勝体制の
オウケンブルースリを
鼻の皮一枚抑えて勝ち切ったところに

ウオッカの強さを見た。




要するに、勝負は紙一重である。

ジュニアの
前回の大会の際にも記載したが、

時に勝ち、時に負け、時に雨が降る
のである。


勝つときもあれば負けるときもある。


しかし一方で、
その紙一重の勝敗を分ける分水嶺の
一つには様々な要素要因があるのも事実で、

その

紙一重の差が絶大なる差だったりもする。


それを分ける嶺。


その一つには<勝ち味>がある。


言葉的にはよく
<勝ち味に弱い>とか使われるものだが、


ウオッカが紙一重で勝ったのも

年間を通して
トータル的に
コンシステンシーを発揮して
年間最多勝と賞金女王に輝いた
白鵬と横峰にしても


共通することとして

<勝ち味に強い>ことが挙げられる。



勝ち慣れ、あるいは
勝つことへの味を知ることでの
そこへ持ち込む己の立ち位置の上手さ。


これは闘いにおいては

大きな要素を占める。


それはしかし、
仕事でも恋愛でも何でも同様である。

失敗はあれど、
失敗が失敗を呼び失敗を重ねては
いかんともしがたいわけで、

失敗を経験する中で
次に勝つ。

そして必ず一度は勝つ。

その一度の勝利が
味を覚えさせることになり、

勝利を重ねれば重ねるほどに
勝ち味を覚えていき、

分水嶺を迎えた局面で
その経験値としての勝ち味の覚えの差が
出てくる。


<勝ち味に強くある>

ということは大事なことなのである。



オウケンブルースリなどは
ある意味で
いつも強いし良いレースをするが、

どちらかといえば

<勝ち味に弱い>タイプといえる。


要するに勝ちきれない。


諸見里しのぶも今回に関しては
途中まで絶好調で
賞金女王争いにマジックまで点灯しながらも

年度の後半で失速を重ねたという部分が

<勝ち味の弱さ>と受け取ることができる。



<勝ち味に強く>なっていた内藤を
まったくレベル違いで破った亀田は
まだまだそこまでいっていないが、

今後の闘い次第では
そうなっていく可能性はあろう。



石川遼などは<勝ち味に強い>タイプの
典型といえるわけである。


最も絵的に分かりやすい紙一重
としては競馬が挙げられるが、

ウオッカに関しては
今宵に限らず
何度もそういった鼻の皮の差や
鼻毛の差での勝利をモノにしてきた。

紙一重のそれに
すべて破れていたら
これほどの勝利数と名馬の誉れは
得ていなかったろう。


そこをすべて勝ち切ってきたことで

歴代GI最多勝に並ぶ
偉大な記録を達成したわけである。



負け癖や善戦マンで終わるか

一定レベルでの
つば競り合いに常に絡み

時に勝ち、時に負け、時に雨が降る
という

スリリングな攻防を楽しめるか。


これは大きな違いとなるだろう。




今宵もまたスポーツを通して

様々なことを考えさせられた一日であった。



ダモシもまた今宵も
負荷をかけて
闘いのワンショルダーでトレーニングをした。


だが、

体験的ジャーナリズムも
コンペティティブな野球も
遠ざかって久しい。


対富士という世界観は今年あったが、


ボクシングか野球あたりで

そろそろ
来年あたり現場復帰したいところではある。


しめやかに
いつの間にか"やめた"ランニングは

向いていないから、


やはり
やるとすれば
格闘か野球といったところになるのだろう。



ジュニアも既に

己がダディは
<走ったり飛んだり跳ねたり>は
デキない人なのだ、ダメなのだ、

ということは理解している。

その点におけるリスペクトはない。


だが彼は

己がダディは

<ケンカも格闘も強くて、
 野球もホームランを打つ人>

と信じている。


彼の手にかかれば

己がダディは

内藤よりも
亀田よりも
空手の師範よりも
白鵬よりも

強い人であり、怖い人である。


小笠原やラミレスのように、
そして
イチローよりも

ドデカい一発を打てる人である。





一発、それを見せないとダメなときが来るであろう。


まだまだ若いから
ダモシにもまだそれを見せる自信もある。

それがあるうちに、

そして
身体がそれを未だ可能とできるうちに、


一発、見せなければ

という心持ちである。




ジュニアはダモシ絶対なのである。

特に
外部との闘いになればなるほど

ダモシの言うことに

時にポジティヴな結果になるが、

時に
ダモシの指示と戦略ミスによって
失敗をもたらすケースもある。




間違いなく勝てた。

いつも通りにやらせた方が良かった。


今宵の敗戦における
ダモシ自身の反省と悔恨は

忌憚なく

<ダメだな、ダモシは>といったところで
自己嫌悪である。


悪いことをしてしまった、と。

ジュニアに申し訳ない、と。



だから、自戒の念も込めて、

次回の大会では
今宵の亀田父のように
陰からひっそりと見ていよう、と。




難しい。本当に難しい。

子供との関わりは難しい。

オトナが思うよりも
ずっと繊細で、

ちょっとした一言や態度が
コドモのアクションに影響を与えるのだ。


だが、良い。

間違ったなと感じたら
それをすぐにrevisedして
異なるそれを試せば良い。


コドモと共に

常に反省し常に努力

ということであろう。



特に、大きな五歳児ダモシには

それが必要なのである。












posted by damoshi at 00:20| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

日記






こんばんは。

秋の夜長のはずが
時間は追いつかず
相変わらず今宵も秋の夜短。

皆様はいかがお過ごしでしょうか。


拙宅は静かです。

ジュニアもワイフも
深い眠りの中にあります。

猫たちも皆、静かに眠っています。

たいてい
ダモシが眠る頃、
ごそごそと起き出して

<にゃぁ>だの<あぁぁん>だの<めぇぇ>だのと
それぞれの口調で
猫なで声を出して

ごはんちょうだいを訴えます。


ごはんをあげて
ダモシがレストルームに行って
さあ眠ろうとベッドルームへ行くと、

猫たちも皆、ついてきます。

ダモシの腕枕にやってくるわけです。

多いのはジャックですね。
奇跡の猫ですね。

ダモシが二度、命を救ったジャックは
最も甘えます。
その目は信頼を表しています。

のそのそとダモシの左腕の、
腋のあたりにやってきて
態勢を整えてから
よいしょっという感じで
ごろにゃんします。

ダモシはそっと
左腕でジャックを抱きしめて
目を閉じます。

昨晩はポポでした。
ダモシ家の猫軍団の女帝ですね。

最初に飼った猫です。

彼女はダモシの手の甲をペロペロと舐めます。
何度も何度も舐めて、
舐め終わると態勢を整えて
やはりダモシの腕にうずくまります。

それは右腕です。


ポポとジャックの子供の二号は
めったに寄ってきません。

でも近く(同じ部屋)に来て
ダモシたちを視認できる距離で眠ります。

最年少のケロは
ヤギのように<めぇぇ>と甘えます。

たいていケロは
ダモシの布団の中に入り込んで
両脚の間(股の位置)で
布団の中で態勢を整えてから
やはり、よいしょっという感じで
眠りに落ちるようです。


左隣で眠るジュニアも
ワイフの方ではなく
自然とダモシ側に寝返りをうつのが常です。

彼の小さな頭と顔が
ダモシの至近距離に来ると

ダモシはいつもその頭の匂いをかみ
ほっぺにチュッとして
くっついて
まだミルクの匂いがするジュニアの
温もりを感じながら

安心して眠りに落ちるわけです。







*****





今宵は三人でお出かけしました。

今週末のお出かけ先は
まずは神田・岩本町。


そこではファミリー・バザールという
セールがストリートで行われているのです。

金、土、日三日間で10万人規模の
集客があるそうです。

問屋価格よりも安いので、
当然ながら
高いものが激安よりもさらに安く
買うことができるということで

多くの人を招き入れているのでしょう。



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神田川が静かに流れています。


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ファミリー・バザールの一景。


11AM前には到着しましたが、
途中ランチをはさんで
2PM過ぎくらいまで物色していました。

急ぎ足で見て回っても二時間以上はかかりますね。

とてもお得で良品が揃っていました。


ジュニアは
長袖シャツにマフラー、
そしてお気に入りのZARAのKIDSの
冬物を二着購入しました。

ワイフはコート、
ダモシは靴に時計にソックスにアンダーウェアを
購入しました。



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ジュニアのZARA KIDSの冬物。
一着は大きいサイズですが
来年着られるようにと、

あまりにも廉価になっていたので
先に買ったわけです。



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ブラウンの革靴と腕時計。

ダモシは腕時計をしない人なのですが、
ワイフが
<スーツにしても私服にしても
 手首に腕時計があった方が良い>
ということで、

やはり廉価だったので買ったのです。

靴は茶色が好きなのですが、
現在のそれは明るい茶なので
濃い茶のものを買いました。




ファミリー・バザールは明日も行われますし、
来週もまた開催されるようです。


ジャケットなども良品があったのですが、
やはりダモシの
例の<サイズ問題>がネックとなり

店員もお手上げと相成ってしまいましたことが
残念でした。


ワイフは
<来週も行きたい>と言っていました。





*****




その後、

明日の競馬ジャパンカップの
馬券を買うために
新橋へ出かけました。


いつもは当日の朝、新横浜で馬券を買うのですが、
明日は朝から
同じ横浜でも関内エリア
(横浜スタジアム)の横浜文体で
ジュニアの空手大会があるため、

土曜日の今宵、前日発売で買うことになったのです。

岩本町から帰路でいえば
渋谷のウィンズで購入する手もありますが、

渋谷のウィンズはロケーションが悪く
駅から無駄に遠いので
嫌いなのです。

新宿も嫌いです。

となれば、新橋だ、と。

しかも
そのエリア(霞ヶ関エリア)であれば
かつて知ったるところですし
至近に日比谷公園もありますので、

<日比谷公園の紅葉>という
テーマも生まれてきて一挙両得です。


馬券は、

ウオッカに敬意と感謝を込めて
負け戦覚悟で票を投じました。

明日の実況も観られませんが、
ウオッカが最後にもうひと花
咲かせてくれることを願っています。


新橋ウィンズで馬券を購入した後、

日比谷公園に行きました。
当然、お目当ては紅葉です。

外苑前の銀杏並木とはまた違う
赤と黄が混ざり合う
鮮やかさでは

こちらに軍配です。



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帝国ホテルもここにあります。

最近、
オフィシャル案件で
帝国ホテルには何度か行っています。

まだ一度も泊まったことはありませんが、
一度は泊まってみたいです。

愛知県犬山市の明治村には
フランクロイド・ライト建築の
初代帝国ホテルがありますが、

それも二度見ましたが、

大好きなのです。

旧帝国ホテルの建築が。




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日比谷公園です。

こちらは有楽町(銀座)へつながる
日比谷駅側のエントランスから入り
すぐ見える景です。


園内を霞ヶ関方面、
つまり
日比谷公会堂、日比谷図書館の方向へ
歩を進めて行くと

今がまさにプライムタイムの

東京の紅葉が在ります。



外苑前の銀杏並木よりも
写真的にも
彩りが豊かだな、と撮りながら感じました。


以下、

日比谷公園の紅葉景色を
ご紹介したいと思います。




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このような感じです。

黄葉も良いですが、紅葉もやはり良いですね。


ジュニアも
ダモシに倣い、写真を撮っていました。


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ジュニアは
昨日の金曜日、

ワイフと"銀ぶら"し
外苑前の銀杏並木散策をしました。

その際には並木道にあるベンチに腰掛け
絵を描いたそうです。



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今宵の日比谷公園では
黄色の落葉を拾って持ち帰ったジュニア。

帰宅後、

<それは何するの?>と聞けば、

本を作るといいます。

黄色の落葉を使った本を
彼は今夜作りました。



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この写真ではまだ途中ですが、

最終的には
8ページ建てで
全ページに落葉が彩られ、

そこに文章がちゃんと入っている本に
仕上がりました。


そしてダモシの部屋にやって来て
彼は言います。


<本はマミーにプレゼントしたから、
 昨日描いた絵はダディにあげる>。


かわいいです。

子供は本当にイイものです。

結婚というものも
本当にイイものですが、

子供も
こんなにイイものだとは
七年前までは知る由もありませんでした。




そのジュニア。

文武でいえば
武のイメージが対外的には
ありますが、

文の方がどちらかといえば強いですね。

感性的に。


紅葉や黄葉に対して
昨年の鎌倉しかりですが
彼が行った一連の行動形態を見ていると

必ずペンをとります。

そして葉っぱを拾い、眺めて、
それに優しく接する。

猫にそれを説明して、
今宵もジャックの背中に黄葉を乗せて
構図を考えているわけです。


そんなジュニアだから
昨日ワイフと外苑前に出かけたときに

一軒の雑貨店に目を留めて

その中に飾られてある
ロウソク立てにインタレストを示し、

<欲しい>と求め
<家に飾りたい>と言ったといいます。


そういった雑貨などにも
興味を示すところがまた愉快であります。



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葉っぱと一緒にするとイイ
というジュニアに促されて、

ダモシが写真を撮りました。



手前味噌ですが、
ニューヨークで生まれて
三歳まで育つ中で

ダモシが最重要視した部分の一つが、

より多くのカルチュラルなものに触れさせる

という点でした。


三つ子の魂百まで

は嘘ではありません。

その重要な間に
どこへ行き何を見て何に触れて
生きたか。

どういったインスパイアを得たのか。


それは非常に重要であると思っていますが、

その環境が
ニューヨークだったというのは
とても大きなことだと
思っています。

それが彼の行動形態や感受性、感性に
多大なる影響を与えていることは
疑う余地はないのです。


それは、そうです。

二歳や三歳で
本場のユニバーサル・スアジオや
ディズニー、

ヤンキー・スタジアムその他
エンターテイメントに触れ、

且つ

ナイアガラの滝を見たり
ケネディのお墓や
スミソニアンなどを見たわけです。


白糸の滝を見るのと
ナイアガラの滝を見るのでは

オトナになってからはもとより

それが赤ちゃんから幼児の時代であることは
絶大なるインスパイアの違いとなって
埋め込まれます。


善し悪しあれど、

米及び
ニューヨークにいる多くの外国人
という環境の中で
自然に埋め込まれた感性は

必ず彼の将来に生きてくることにも

自身があちらで生活した経験からも

間違いないところだと感じています。


それがどういう方面や方向に
好影響として発露されるのかは
分かりませんが、

不意に、単体で、

何かの機会に

何かの局面で

それが発揮されるであろう
ことも含めれば、


一つの<可能性>と<引き出し>として
持っているだけでも

大きな武器であると思っています。






*****





今宵もそんなこんなの土曜日でしたが、

いつもの通り
競馬仲間のブログも掲載し、

夜は夜で
明日の大会に備えて
スパーリングをしたり

といった中で、

一日が終わろうとしています。


もう2AMですからね。



今年最後の旅も
そろそろ候補を絞り込んでいるところです。

今宵も検討しました。




0hibi50.jpg


0hibi51.jpg




今年もっとも多く訪れた
甲斐国。

これも候補にあります。

静岡もそうですね。
昨年の締めは沼津でしたから
今年の締めも焼津や沼津や清水など
静岡のその世界観は候補です。


一方で、

国宝・松本城を見たい
という部分からも長野の松本や諏訪湖も
候補に残っています。


さらには
駿河で今年未踏の伊豆。

ここもまた
浄蓮の滝や天城峠など
<天城越え>の世界観は

ずっと旅の行きたい先として残っています。



当然、大好きな箱根で締める
という手も視野にはあります。



いずれにせよ

今年の対象として
最大のハイライトである富士は、絡みます。





そろそろ眠るかな?という感じですが

やはり3AMくらいが目処でしょうか。

その前に読書というか
カウチで寛ぐ時間を享受したいですね。




0hibi52.jpg



もう競馬の予想も馬券購入も
今週は終わりましたが、

ピックアップしていて
まだ読んでいない
フリーマガジンがあります。

これはけっこう好きで、
出るたびにピックアップするのですが
都営地下鉄沿線にしかないので
なかなか得られません。

中央公論社の
文芸&オトナのお散歩フリー・マガジン
Adagioですね。


以前も当欄で
三島由紀夫や太宰治の特集の際に
取り上げたことがあるのを
ご記憶の方もいらっしゃると思います。


毎号、

作家とそのゆかりの地(都内)を
フィーチャーして

オトナのお散歩

を案内するマガジンで
フリーゆえ
内容はディープではないにせよ
"さわり的"には満たされますので
楽しみにしています。


今回の特集は
<横溝正史と牛込神楽坂を歩く>。


さらっと読んでから眠るとしましょう。


明日は8AMには出発して
一路、向かいます。


アントニオ猪木と藤波辰爾が
60分フルタイム・ドローを闘った

横浜文体へ。



ああ、そういえば。

明日はダモシは
亀田父にならないでおこうと思っています。


今大会の前に配布された
ガイドラインには
なぜか今回からセコンドのかけ声の中で
微妙な台詞は
禁止(退場)ということになっているようですので。


むろん
これまでも相手を卑下する台詞は
ダモシは述べていませんが、

やや扇動的な台詞があるかもしれません。

退場に引っかかりかねません。


ワイフにクギを刺されました。


<今回はやめてよ。
 "(技が相手に)効いてるぞ!"とか
 "(相手は)逃げてるぞ!"とかは
 退場になるから、気をつけてよ>

と。


気をつけます。


明晩は
亀田と内藤のタイトルマッチもありますね。


それまでには帰ってきたいです。

もちろん応援は亀田です。

でも亀田はやや大人しくなってしまいました。
亀田有利と見ていましたが
どうも大人しくなった亀田には
やや不安を覚えます。

亀田父がセコンドにつけないのも
残念です。

単純に、
いれば面白いのですがね…。





といったところで、

Have a nice weekend。


そして、

Good Night, and Good Luck.











posted by damoshi at 02:13| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月28日

The Retrospective of TABI 2009-2




不惑前半の現在、

寿命に至るまで
あとどれくらい残っているのか分からぬが、

少なくとも
これまでに四つのディケードを
生きてきたことは既に分かっている。


生まれてから最初の1ディケード=10年は
1966-1976。

旅はもとより
居住地変遷においても苛烈を極めた。

東京・世田谷を皮切りに

宮城県は杜の都・仙台、

大阪はコテコテの大東、

兵庫は
今の利用沿線である田園都市線の
関西ヴァージョンともいえる
阪急沿線で武庫之荘。

そして
"北の某"国への移住で首都サツホロ。

この間、
ウルトラの父のホームである熊本を
筆頭にして、

居住エリア及びそこからの
エクスカージョン・エリアへ

それこそ日本中を旅している。


小学校六年生から成人するまでの
1ディケードが次になる。

その幕開けは
<本妻>東京復帰。

以降このディケードは
居住地はずっと東京である。


人間の人生における
ファースト・ディケードという
コドモ時代を通過した後の

セカンド・ディケード時代は
中学・高校時代をメインとする
まさに青春時代ということになる。

プラスαで牢人時代と大学時代の初期。


セカンド・ディケード晩年には
<一人暮らし>という世界観が介在する。



"青が散る"の頃合いということで

居住地も行動範囲も
より広くなってくる上、

己が選択と己が手足での行動という

後の人生における行動形態を
決定づける起点にもなる。


雀百まで踊り忘れず

三つ子の魂百まで

の世界観はつまり

人生のファースト・ディケードに位置し、

そこでの旅や行動は
親からの伝授含めて多く、

それはまさに

その後の己の行動様態と力学を
"象る(かたどる)"根本ともなる。



その後を<象る根本>から
その後を<決定づける起点>へのシフト。


それが
ファースト・ディケードから
セカンド・ディケードへの移行の
根本的イデオロギーともいえるわけである。



そのセカンド・ディケードでは、
旅は少ない。

典型的に旅が少ない頃合い。

それもまた青春時代の証しでもあるか。

つまり
日常的視野の面積内における
ワルさや部活動や恋愛。
そして受験。

そこに

極論すれば

すべてが集約されるからともいえる。

旅をしている場合ではない、と。

とはいえ、
当然ながら国内は各地に出向いている。

だが、その旅の範疇はやはり
親絡みであったりするのが主流だ。

ダモシでいえば

仙台、熊本、
そして親が転居した名古屋に
己が旧恋"北の某"。


未だ己が稼ぎで、
己がそれを旅に使い
愉悦の時間に浸ることは出来ないから

親絡み、親戚絡みでのそれに求めるわけだ。






*****





本格的な大学時代と社会人前半期。
そして結婚生活。


20-30歳。

これがサード・ディケードになる。

より濃密になってくる。


東京都内を筆頭に
これまた居住地変遷が活発化する頃合い。


初台(渋谷区)で二ヶ所、
中野新橋(中野区)という

<一人暮らし>のプライムタイムを経て
結婚。

上北沢(世田谷区)に住み、

さいたまの朝霞
栃木の那須

を挟み、

東京の小金井に。

このサード・ディケードでは
10年に七つの居住地にいる。


世のバブルと
ジャパニーズYENの強者の論理に
後押しされて

旅が海外へフォーカスされた頃。


旅はまさに
後の<愛人>ニューヨークを筆頭とする
北米、

豪州、香港などに飛び火した。



このサード・ディケードが

旅におけるダモシ・イズムを決定づけたといえる。





次のフォース・ディケードは
そのエントランスで
ウルトラの父死去と渡米が
巨大なトピックスとなって存在するわけである。


人生でいえば三十路。

四つ目のディケード。

ここが一つの大きな分水嶺だった。

三十路の青春。
それは対米。
ニューヨーク生活である。


旅で見ても
ここはもう、まさに完璧に
<愛人>ニューヨークを起点とした
北米主体の旅。


それが終わると、

現在進行形で、前半を走っている
不惑路であるフィフス・ディケード
ということになる。



<愛人>ニューヨークとの別離

そして
<旧恋>サツホロとの
積年の残存問題の決着と
その結果による完全訣別

がフィフス・ディケードの
開幕のベルとなり、


<本妻>東京に戻る。

ここに
<ディスカバー・ジャパン>最盛期
ともいえる状態になっているわけである。




2009。

<本妻>復帰後初のフル・シーズン
の旅を振り返るとき、

こういったディケードごとの
割り振りを改めて紐解くことで

すべてこれはストーリーが
成り立って

物事が動いてきていることに気づく。


己が取捨選択してすべてこうなってきている
わけではあるが、

以前から何度も書いているように

<人生すべて予告編>

であり

<人生はメビウスの輪>

である

という思考も持つダモシからすれば、


道は己が切り開くものである
という
これもまたダモシ・イズムの
一つであり実践してきたことだが、


一方では
その
<メビウスの輪>に沿って
ぐるぐる回っている(回らされている)
だけなのではないか?

という

双方紙一重

いずれに解釈してもおかしくはない

という

またぞろ
<セザンヌと蛙>的な二律背反

が存在するわけであるが、


とまれ

この2009という
ある意味での分水嶺の一つにも
後々考えればなるであろう
今年の旅を振り返るには、

やはり

ディケードごとの行動形態も

同時に
振り返ることで

より見えてくるものもあるだろう

ということで、

かように記載した次第である。



シリーズ
<The Retrospective of TABI 2009>第二弾

の、

否、

第二弾のみならず

シリーズ全体のテーマともいえる
核心に

ちょっぴり触れてみたわけである。



未公開分の掲載も軸とする
この
<The Retrospective of TABI>シリーズ、


その第二弾は駿河から。








*****






まず、

これまでの四つのディケードにおいて

第一弾で取り上げた<九州>も
今年ほど行った年はなかったことは
記載したが、


今宵の<駿河>もまた

今年ほど頻繁に、
そしてより広範囲に訪れたことが
あったためしはないのだ。



九州のみならず、駿河も。

後々また取り上げる
今年の旅の真打ちの一つである
甲斐国も同様だが、


これまで生きてきた
〜特にニッポンで生きた〜
三つのディケードにおいて

こんなにも頻繁に行った

ということがない土地。


それがいくつもあるだけで
2009年は大きな旅のイズムの
分水嶺になり得るメモリアル・イヤー
だったということになるのだ。




さて、駿河。


マップで見てみる。


shizuokamap.jpg


静岡県内の地図である。

二月の熱海を皮切りに、
七月の富士山登頂をハイライトに、

その後も各地へ出かけた。


西は、島田・牧之原・焼津。

富士山静岡空港が出来た。
焼津は港ゆえの超美味な肴。

清水市を吸収して
政令指定都市になっている静岡市。

エリア的にまずこの二つ。


そして
大学時代以来となる
三保の松原と清水から興津、由比の宿場町で
喜多さん弥次さんに邂逅し、

昨年末の
イヤーエンド・ジャーニーで訪れて以来の
沼津。


さらには大横綱・富士山を中心とする
富士宮・冨士・裾野・御殿場。


エリア的に見ればその六つ。

今年の未踏は
・浜松エリア
・長野寄りエリア
そして
・伊豆

ということになる。


島田&牧之原の
富士山静岡空港は掲載した。

由比もフィーチャーした。

静岡についても触れた。


富士山も同様。


未掲載で素材が多いのは、
実は富士宮であるが、
これはまた別途単体で取り上げることになる。

富士宮に関しては
夏の寄稿で

不意に訪れた富士宮市民プール
の話は掲載した。




今宵は静岡(静岡市)から未掲載を。


静岡市、駿河といえば

誰あろう

<徳川家康>である。




まずは静岡駅前から。


0ie9.jpg


駅も大きいし
駅周りも大きいのには驚いた。


<こんなに大きかったのか…>と。

静岡で大きな駅といえば
浜松という認識があったためでもあるか。



0ie2.jpg


駅前はロータリー。

正面に松坂屋
この画の左手には
コンサート・ホールなどが入った
大きなビルがある。



そして駅前に屹立するスタチュ。



0ie1.jpg


こちらは今年完成したという。

<竹千代君>。

顔が少年らしく初々しい。




この少年は駿河で
今川家の人質として11年の歳月を過ごす。

限りなく
人生のファースト・ディケードの
範疇に入る頃合いを

彼は駿河で過ごしたわけである。


竹千代少年は後に偉大なる人物へと成長する。

この少年は後の徳川家康である。




0ie5.jpg



徳川家康は都合、三度この駿河に住んだ。

最初が竹千代少年時代。

次は
駿河、遠江、三河、甲斐、信濃を制圧した
五カ国時代。

そして
隠居して大御所政治を敷いた
晩年の大御所時代。


異なるディケードで
より多くその居住地とした駿河が、

家康の<ホーム>ともいえるか。



家康のスタチュは駅前にもあるが、

その居城・駿河城で
まさに威風堂々の出で立ちで
儀容を披露している。


右手には、采配。




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0ie6.jpg


0ie13.jpg


地震で崩れた駿河城の石垣。






*****






静岡といえばお茶、うなぎその他
膨大にご当地品がある。


わさびもその一つだ。

駿河城の外堀、
ここに<わさび漬け発祥の地碑>が立つ。


これはまた、異形だ。

笑いが起こるポスチャーだが、
妙に強烈なインパクトを与える。



0ie4.jpg



おでんもまた静岡のエクスポージャー。

市内中心部には
おでん横丁がある。


0ie8.jpg


おでん版ゴールデン街か。





*****






徳川に戻る。

地元で<ケイキさん>として
親しまれているのが

徳川江戸幕府、最後の将軍たる徳川慶喜。


江戸城の無血開城の後、
水戸を経て駿河へ隠居した。



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0ie12.jpg


徳川慶喜公屋敷跡。

現在は庭園、宿、式場、カフェ
となっている。






*****






静岡市内にJR以外の、

市内を走る私鉄があるとは
この齢まで知らなかった。

ダモフィーロで走行中、
踏切に出逢い
てっきりそれはJRと思っていたら
私鉄だったので驚いた初夏。

後に新幹線で訪れて
市内を徒歩などで巡った際に

乗ってみた。




0ie11.jpg



静鉄。

静岡市内中心部の
新静岡駅と

清水の新清水駅まで
14駅で結ぶ
路面電車のような少車両電車。


途中、
野球場のある草薙や
県立美術館なども辿る。





そして静岡といえばサッカー。

不惑の
我々世代のサッカー選手といえば
キング・カズ。


カズの出身学校。


0ie3.jpg







:::::




<静岡市>


0ie7.jpg


JR新幹線こだまで
新横浜から約1時間10分。

東名高速利用で
田園都市エリアから約2時間。








posted by damoshi at 00:38| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

コウヨウ:黄葉-真打ち



コウヨウ:黄葉。


その真打ち登場である。


今週は週末までにかけて
東京、横浜在住者のブログにおいて
取り上げられ率がおそらくかなり高い
と思われるマテリアル。


その一つが、

青山の銀杏並木であることには
ノー・ダウトだろう。



まさに銀杏祭り真っ盛りの青山は外苑前。


これぞ国内の
銀杏並木の真打ちにして横綱。


過去にも何度も見ているが、
この季節において彼の地で黄葉を見るのは
実に14年ぶり以上。


その並木道はすれ違うのがやっと
という人混み。

まさに最盛期のそれは
皆様のブログの絶好のネタか。


ダモシはダモシなりの写真で。




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異国では"北の某"の
北大銀杏並木も素敵だが、

やはりスケールとレベルが違う。


且つ、
ここが青山であり外苑前であるという
エリア・ポテンシャルとエリア・ヴァリューが
さらなる彩りを与え賜う。


R-246と
この聖徳絵画館へ通じる一直線の並木道は
一つの日本の美である。


デート・コースにもうってつけ。

新卒ルーキーの青山時代、
当然のごとく
ここをそぞろ歩いた。



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ワイフが言う。

<明日、銀座でも行ってこようか、と>。


行っておいでと言うと、
聞き耳を立てていたジュニアが
自分も一緒に行きたいという。

ワイフはどうやら
ジュニアが幼稚園に行っている間に
一人でぶらぶらを
考えていたらしいが、

聞かれてしまっては
一緒に行かざるを得ない。


じゃあいいよ、一緒に行こう、と。


ダモシは言った。


<銀座に行くなら通り道だから、
 青山の銀杏並木も寄ってくると良い。
 今が最盛期だよ>。


駅でいうところの青山一丁目。
田園都市線で一本で
その後に銀座に出るのも一本と
アクセスが良い。

母子で
秋の或る日の午後を
青山と銀座をそぞろ歩くのも良いだろう。



もう、なかなか、というか、

ほとんどというか、

ワイフと二人で
こういった並木道を歩くことはできない。


やはりこの
青山の銀杏並木を歩くなら
女性と一緒がベストであることは

言うまでもない。


さもなくば、一人か。


でも、
なんだかんだいって

家族一緒

ということに勝るものはないのである。



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aoyama11.jpg





:::




<神宮外苑銀杏並木>


東京メトロ銀座線・外苑前駅
or
東急田園都市線&
東京メトロ半蔵門線・青山一丁目駅

下車いずれも至近。


車の場合はR-246利用。








posted by damoshi at 00:27| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

<風車の理論>がそろそろ必要か〜文体に懸念





毎週水曜日は、
ジュニアの空手練習が遅くまである。

同じ団体の異なる道場を二ヶ所に通うからだ。
田園都市沿線のいずれも近隣。

夜の練習は特殊部隊員だけの特訓である。

遅くなるから
たいていダモシは帰路、迎えに行く。
道場には顔は出さない。

だが今宵は道場に顔を出した。

他の父兄はたいてい
いつも来ているようだが、

既載の通り
ダモシは姿を現さないことで
様々な噂が立っていることに加え、

未だ見ぬ強豪的世界観が生まれることで、

現れた際の注視度は高い。


この日曜日にまた
他流試合のフルコンタクト大会がある。

他流試合でフル。
これが最もタフな大会なわけだが、

今回のそれには特殊部隊員が大勢参戦する。


親御さんたちが
口々に<かなりレベルが高い>と言っている。

ところも横浜文化体育館という、

その昔は
アントニオ猪木vs.藤波辰爾のIWGP選手権
60分フルタイム・ドローや

ジャンボ鶴田vs.天龍源一郎戦など

ビッグマッチが多く行われた

横浜メイン・エリアにおいて
横浜アリーナと並ぶメジャー・アリーナ。


そんな状況にある、
そんな大会の目前ということで、

ジュニアの練習態度や技を確認することと

ジュニアに対する大会目前での
緊張感を与えることも目的として


彼にとって地球で最も怖い存在である
ダモシが道場に参上したわけである。


時に20時40分。

強面の未だ見ぬ強豪ダモシの
スーツ姿での登場に、
道場内の親御さんたちとコドモたちの視線が
集まる。


ジュニアのみならず、緊張感が走るのが分かる。



(<そ、そんなに怖いか…?>)と

ひとりで想うダモシは
柔和に、強面を隠さんとばかりの
わざとらしいニコニコ顔で畳の上を歩いて

それぞれ親御さんに挨拶しながら

ワイフのもとへ往く。



ジュニアも気づく。

ジュニアのスパーリングを見る。

いずれの子供たちも
大会目前の今、シュールなファイトをしている。


ジュニアは
ダモシが参上したことに気づいて
顔が瞬時にピリッとする。

全体スパーリングでの
同年齢との対戦では
何度も倒してボコボコにしている。




ところが、どうもノリが悪い。

眠いらしいのだ。
そして、夕方から異なる道場で
ぶっ続けで練習していることでの疲労も見える。


全体でのスパーリングから
最後のシメで
一組ずつ畳の上にあがって
一対一のスパーリングが始まる。


と、

全体スパーリングの中で圧倒していた
同年齢のコドモと二度やったジュニアだが、

どうも様子が異なる。

押されているのである。


同年齢の子のがむしゃらさに
珍しくジュニアが下がっている場面が出た。


しかも
悪い癖である<パンチだけ>になっている。

蹴りも出すが
腰が入っておらず
足だけ出している形になるから
空振りした途端、動きが止まり、
次のアクションに移行できない。


<なにをしとるのか…>


次第にエキサイトしてきたダモシだが、

練習で怒鳴っては、
またロクな噂が立たない。


道場に姿を現すと決めた時点で
ダモシは一つ決めていたのだ。

どのみちスーツ姿だから、

己が見せ方としてのポスチャーとしては


スタンドに座って戦況を見つめている
大学ラグビーの監督、

スーツ姿でビシッと決めて
コート・サイドで立って指示を送る
NBAのヘッドコーチ。


そんなノリを描いたわけだ。


クールに、ジェントルマンに。



それこそスーツ姿の場合、

己が訴求の仕方によっては
ダモシの場合、

両極にブレる振り幅が広いから
厄介なのである。


その両極とはつまり、

一方の極は、ヤクザ。

もう一方のそれは、超紳士。


自分でいうのも何ではあるが、
別に面映くないから致し方ないが、

これは紛れもないのである。



人によって
どちらの極にダモシを見るかは、

見る人の感性と想像力と
趣味趣向や期待度によって異なる。

要するに

・どちらに見えるか

のみならず

・どちらに見たいのか

が介在するということである。



怖いダモシを
心のどこかで期待する人は
そのポスチャーを見て
ヤクザと捉え、

ファースト・インプレッションで
<あぁ、紳士だわぁ>と感じた人は
そのポスチャーを見て
紳士と捉えるわけである。



ただ、どちらにせよ、

身体ポスチャーと顔の造型、
全体から漂っているアトモスフィアに

スーツ

が加われば、


少なからず
"コワイ"というキーワードが介在してしまうのは
避けられないところなのではあるが、


それはそれとしても、


<己がコドモの格闘を視察に来た父親>

という立ち位置においては

当然
そういったコワサは必要なわけで、


ではその上で
どういう佇まいを見せるのかといった
具合が、

見せる要素

として男にとっては重要である、と。



時に
権藤監督のように
立ったまま片手をアゴにあてて
ハイカラな様子で佇むように
涼しげに戦局を見つめたり

皆と同様に
あぐらをかくものの

"俺はちょっと違うのだよ"とばかりに

ネクトスバッターズ・サークルで
片膝ついた状態で
戦況を見ていた長嶋茂雄を
気取ってみたり


あるいは

悪役が闊歩するリングで
やられている若手を救出せんと
放送席から立ち上がり
おもむろにスーツを脱ぐ仕草をして
相手を威嚇したアントニオ猪木のように

してみたり…。



"いろいろ"それはそれで、たいへんなわけである。



今宵は一瞬、

権藤監督を気取ったのだが、

そんなこと
ツユとも知らぬワイフに
あえなく


<普通に座れば?>

と言われ、

撃沈したダモシではあったが、

それでも
ダモシは、

己をちらちらと見る
お母さん方たちの視線は
しっかりと把握したわけである。



(うむ。見てるな…)と。





だから自制した。

今宵はかなり自制したのである。

めったに来ないのに
来たら来たで
道場内でブチ切れでは

リアルに印象が悪くなる。



今宵、忌憚なく、ジュニアの出来は
これまでダモシが見た中で
最悪だったわけで、

心ではブチ切れているわけであり、

帰路、
車中でドヤしたところである。



<今の状態じゃ、勝てないぞっ!>

と。



そして帰宅後、入浴前に

即席の指導を行わずにはいられなかった。




猪突猛進は良いが、

相手も猪突猛進で
その猪突猛進に
あろうことか押されてしまう場合、

頭を使いなさい、と。


ストレートにただ
やみくもに前に出てくる相手の場合、

同じように押し合っていて

超接近戦になり
ハイキックも何もできない。


なぜ前蹴りをやって距離をとらないのだ、と。

なぜ左右に距離をとって避けて
その上でインローを放たないのだ、と。


それを実践で行いながら
頭を使うことを指示した。





<風車の理論>。


これが
そろそろ必要である、と。



相手のパワー、相手の勢いに対して
己も真っ向から対峙するのではなく

時に
その相手のパワーや勢いに対する
抵抗力を消滅させることで
相手の技の威力をも消滅させる

風車の理論。



強風を、己が風車になることで
そのダメージから身を守り、

回転する風車の返しで仕掛ける、と。

あるいは
相手のパワーをヨコに削ぐ。



前のめりになって
パワー全開で押してくる相手と
同じパワーで真正面から向き合うのではなく、

それを左右にフットワークを使って避けた上で、

イン(膝の内側)に
得意の強烈なローキックを放ってみろ、と。



ダモシが正面からプレッシャーをかけて
押していく。


ほれ、左右どちらかに動け。
それと同時にインロー、やれ。


と反復練習をしたわけである。



<密着戦のプレッシャーの掛け合いの中で、
 己が技の可能たらしめる最短距離はどれだ?>


<この態勢で
 自分ができる技をイメージしたとき、
 一番すぐに届くのはどこだ?>



膝裏だ。




スポーツや格闘も、頭を使うことが重要である。

・距離をとる
・フットワークをつかう
・エグイ攻撃もする

ということが、まだまだ全然出来ないジュニア。


これでは上のレベルでは勝てない。

猪突猛進でパワーで圧倒して勝てるのは
準々決勝クラスまでであり、

且つトーナメントの場合は
クジ運の関係もあるから

決勝など上に進むようなコドモと
最初に当たれば
一回戦負けということも

まったくもってあり得るわけだ。




むろん勝負ごとは何でもそうだが、

たとえば
競馬のように

展開が悪かった
ペースが合わなかった
馬場が雨で重になっていたから

だのと理由は普通に述べられるが、


強い馬は
どんな馬場でも
どんな展開でも勝つのだ。


要するに

強い者が勝つ

のではなく、

勝った者が強いのである。




そういう観点に立てば

今宵を見る限り
今のジュニアに

優勝する力はないと厳しく捉えるところである。

優勝争いどころか
一回戦突破も至難の業になるだろう。



親御さんたちが言う
日曜の大会の<レベルが高い>という
意味が分からないが、

いつもの大会よりレベルが高い
ということなのだろう。


同団体特殊部隊員は
大会では軒並み優勝あるいはメダル圏内だが、

彼らとて厳しいと目されているようだ。




ただ、相手云々よりも気になるのは

ジュニアの今宵の様子を見る限りで
感じる

モメンタムの欠如

である。


何となく漫然とした感があるのだ。


大会だ、さあ頑張るぞ
という意気込みがやや不足している。


なかなか難しいものである。


いずれにせよ
土曜日は
上述した、彼がまだ出来ない点を
重点的に直接指導しなければ

こりゃあ文体(横浜文化体育館)でブチ切れ

ということにもなりかねず、


大いに懸念が膨らむところである。







:::::






今宵の景。




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都電荒川線が下を走っている。
向こうに見えるのは西新宿摩天楼の一部。

目白通りと明治通りが
交差する千登世小橋から。



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色づく銀杏。
明治通りから新宿方面を眺める。

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明治通りの上は千登世橋。

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千登世橋から今度は、池袋方面を眺める。


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ダモフィーロの前の、ダモシの車。
98年まで乗っていたダモーヴァを購入した
カー・ディーラーの店が
この付近にあった。





最後は、都電とサンシャイン60。


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サンシャイン60が
この構図で見ると、何と小さく見えることか。


<サンシャインは
 こんなに小さかったか?>

と感じる世界である。






posted by damoshi at 00:15| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月23日

"田園さんぽ-2"と"夕景富士遠望"





今宵は
仙台から久しぶりに
ウルトラの母が来訪しているところであるが、

ディナーも満杯でお腹が苦しい現況。


今宵は
これも久しぶりに近所をぶらぶらしたので、
田園さんぽ-2をお届けする次第である。



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坂道と高台の多い
田園都市。

その家々も積み木のようである。


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坂と高台風情は、仙台にも多く見られる。






*****





ジュニアにとって
ウルトラの母は祖母になる。


たいてい
コドモにとっては
祖父母というものは優しい存在である。


親は厳しく叱っても
祖父母は叱ることは少ない。

そして、
たまに逢う祖父母が何かを買ってくれる。



夕方、お決まりの港北エリアへ。

ジュニアは
ウルトラの母におもちゃを買ってもらい
上機嫌である。


毎日が楽しいジュニア。

素直に羨ましい時もある。



だが、ダモシもダモシで
己が愉悦の時間の享受方法は知っている。


夕暮れ。宵闇迫る港北エリアで

ふと西の空を見ると
久しぶりの富士山が。




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富士山が見える贅沢。


これは紛れもない愉悦である。




東京は<本妻>で

ニューヨークは<愛人>だが、

"北の某"との旧恋が破滅して以降、
<恋人>不在のダモシであるが、


富士山は

もはや

その<恋人>になっている気がするのだ。



富士山を目にするたびに、

ドキッとして
胸が高鳴り

この夏の死闘を想い出す。


しかもそれは、過程では最悪の最悪で
憎しみさえ頂いたのだが、

下山した瞬間以降つづいている感情は、

富士山に対する思慕である。



遥拝では美しく

登拝においては悪魔に

化身する富士。



まさにそれは女といえる。


富士への思慕はまた
どういう形で今後の関わりに影響するのか。



それは分からないが、

今後もしばらくは
追いかけていくだろう。



ニューヨーク時代、

朝、
オフィスに向かう道中、

必ず
振り返って遥拝したのは
エンパイア・ステートビル。


いま、まさに富士山は

それに御す。


毎日のように

<今日は見えるかな…(逢えるかな…)>と

必ず振り返ってしまう。


西の空を振り返ってしまうのである。




登らずとも、

年内もう一度、その足下に行かなければ
この気持ちは収まらないような気がしている


ダモシである。






<愛人>は愛憎渦巻く関係。


そもそも
<恋人>はキレイな存在で
負の座標軸に位置しないべきもの


だった。




だが、北の某の仕業によって
<恋人>というものに対する
ダモシの感覚に微妙な変化が生じた。


キレイな想い出や
クリーンなイメージだけではない<恋人>。


恋人もまた

愛憎とは異なるが、

そこには正負の振り幅があり
その両極は激しくあるべき、と。


それに値するのが、

富士山である

ということだ。




ダモシを苦しめた存在。

ニューヨークに御すものとしては

富士山は
そういう意味でも値するのだろう。




むろん、

ニューヨーク同様に

究極の美がそこにある点も。










posted by damoshi at 19:30| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田園さんぽ-1






今宵も秋晴れ。

温度的には冬だが、
季節的には未だ秋もたけなわ。


しかし場所によっては
未だ秋に届いていないところもある。


朝、

秋の景色を愛でながら
田園都市さんぽをした。




まずは黄葉から。



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ところどころ未だ緑もあり
黄緑な世界が広がることが、

秋の深さが
このあたりではまだもうあと
一、二週間は必要といったところか。

陽射しもまだまだ初秋的だ。




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花の陥穽に蜂が吸いつく。



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田園の憂鬱ならぬ、田園の長閑。






*****





そして秋といえば、

例の、金色のライティング・ブラシ。



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だが、
このあたりではそれは金色というよりは

霧氷あるいは雪の結晶のようにも見える。



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posted by damoshi at 13:23| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<元アメフト選手で業界人>のバキューム・ダモシ






他人のことは
とやかく言う性質ではない。

ある意味で、
あまり他人には興味はないのかも
しれない。

いずれにせよ
己自身への興味は昔から尽きない
わけだが、

ダモシは
他人のことを陰で
とやかく言わぬし
噂話もしないのだが、

逆に他人には、よくそれをされるようだ。


顔や身体ポスチャーが起因しているのかは
分からぬが、

得てして
人によっては
話かけたくても話しづらい
(近寄りがたい)と感じるムキもあるようだ。

こんなにジェントルマンで
笑顔を絶やさない
スイートな人なのに

と思うのだが。




<アメフトをやっていたんですってね>。

ワイフが今週
空手道場で
他のコドモの母親から
言われた台詞である。



<映画関係とか、
 とにかく業界の人らしいって
 もっぱらの話ですよ>。

これもワイフが
幼稚園で
他のコドモの母親から
言われた台詞である。



いずれも夜、
オフィシャル案件から帰宅した自宅で
報告された。


言われたワイフも
その場で爆笑したらしいが、

遊び心のあるワイフのことだから、

当然、

否やNOを言わずに
遊んだらしいが、

まあとにかく他人は
勝手にダモシのことを言うものである。

昨年の流行文句でいえば、

"言うよねぇ〜"

といったところか。




前者は
いずれにせよ
大会などでの存在感と
道場には姿を現さないという神秘性が

さらに噂を立てるという部分での
大衆インタレスト心理を
高めていることは容易に想像つくが、

それにしても勝手な言い草である。


ダモシは
大会で姿を現した際にも
ひとこともそんなことは言っていないし、

己のことを語ったこともない。


それがいつの間にか

<元アメフト選手>ということに
なっているらしい。


しかもそれは

在米を経ていることから
<謎の元NFL選手>にまで飛躍していた。


どんな奴だよ、と言いたくなるが、

おそらく
ダモシの身体ポスチャーを見て
勝手な想像を膨らませて

プロレスラーだの格闘家だの
ホッケー選手だのボクサーだのと
もろもろ候補を並べた挙げ句、

多数決の論理で

<米国帰りの元アメフト選手>
に落ち着いたのだろう。


大会でダモシと接した女性(母親たち)や
男性(お父さんたち)はいずれも
述べているらしい。


<道場にも来たらいいのに>

と。


次のサンデーは横浜文体での
大きなまた全国大会があり、

そこには多数の
特殊部隊員が参加するだろうから

当然ながら
その両親たちもやってくる。


また仮にダモシがセコンドで
存在感を示した場合、

何を言われるか分からないが、

直截逢って聞かれたら
なんと応えようか

と考えているところである。





後者はどうか。

これもまた
聞けば
ダモシの顔と身体ポスチャー、
さらには
運動会などでのカメラなどを
総合的に判断して


<業界のヒト>という

着地点を見出し、

皆々様の結論としたようだ。


しかしながら
それが映画人なのか芸能関係なのかは
未だ判然としていないらしい。


幼稚園の場合、
空手以上に
ダモシに話しかけるのは困難だろう。

空手の場合は
男も多いし
場が場だから、ムードに乗じて
話しかけてくることは出来るだろうが、


幼稚園ともなれば
なかなかうまくいかないだろう。

親しければ別だが、

<〇〇君のお父さん>ということでの
エクスポージャーがあることで
既に認知はあるが、

それだけで、

直接会話したことがなければ、

さすがに母親たちが
ダモシに話しかけることは出来ない。

というか、話しかける理由がない。



それでもこちらから言わせれば、

そうやって噂話をしているならば
勇気を出して直接
話しかけてくれば良いのではないか

と思うところである。


そうすればダモシは優しいから
間違いなく話は弾むだろうし

そこでまた母親たちも
ダモシの魅力に触れることになり
愉悦の時間を過ごすこと請け合いだ。


こちらとしても
歳下のカワイイ母親ならば
ウェルカムでもある。





まあ、

いずれにせよ
噂にも上らないようでは
面白みも何もないわけで、

こちらは噂しないが、

逆に噂されることは
とても良いことであると思う。

それがポジティヴであろうが
ネガティヴであろうが。


そして

そのどちらにせよ
直接、最終的には言ってくれば

より何かが生まれる可能性もあるのだから

それはそれで
こちらはいつでもウェルカムだよ

といったところである。




存在感があるからこそ
噂というものは立つわけだが、

その一方で、

<謎>があるからこそ
<謎めいている>からこそ

ともいえる。



存在感があり、
且つ
その存在が姿を現さない/正体が不明

という要素が絡み合えば

完璧なのである。


その構図こそが、噂が立つ基盤だ。

噂というものは、そういうものだろう。



別に意図して

・存在感を高めたり
・謎めいていたり
・正体不明にしたり

しているわけではないが、

他人にとっては大いにそうなのだろう。




ダモシは"よゐこ"ではないので、

悪い噂が立とうが
意に介さないが、

良い噂や笑える噂の方が
エスプリが利いていて面白いのは
確かである。



先週持ち寄られた噂は

そういった
笑えるものや好意的なものであったわけだ。






*****





<米国帰りの元NFL選手で業界人>の

ダモシだが、

先週のある晩

バキューム・ダモシに化身した。



夜に何をさせるのか、と。


デイタイム。

外出中のダモシの携帯に
ワイフからメールが入った。



<トイレしたのを流してなかったから
 知らずにその上から〇〇(子供)がしたら
 詰まってしまった>


と。


どうやらワイフの言い分によれば
朝ダモシが大便をしたのだが
それを流さずに出かけたらしい。

それに気づかずに
ワイフやジュニアが用を足した後
流したのだが、

トイレが詰まって逆流してきた、と。

ドラッグストアへ出かけて
薬やバキュームなどを物色したが
見つからない、と。

店員が言うところによれば

<トイレットペーパーが詰まったら
 やがて溶けるので
 それを待ってください>

ということらしいが、

夜になってもダメだ、と。



だから、やって。

というわけだ。



ワイフのメールは続いた。


<どうしようもない。
 手を入れてやるしかない。
 帰ってきたら、やってよ>。


なにごとか。

俺がやるのか?

と。


そもそも、

ダモシは朝、流した。

ちゃんと、流した。

しかしワイフは
ダモシが用を足した後
流していなかったことを
原因として叱責するわけだ。


ひどい話ではないか。


ダモシはメール返信した。


<俺は流したぜ>と。


そして
ゼネラル案件のミーティングの合間に
相手に愚痴った。


<ね? 言いがかりだよ、これは>

と。



帰宅してディナーを食したダモシ。

ジュニアと入浴へ向かうが、
その背後から
ワイフの声がこだました。



<やってよ?>。


すっかり忘れていたダモシ。

<うぅぅ…。そうだったかぁ…>

とイヤイヤ、

<どれどれ?>とトイレを覗く。


便器の上部ぎりぎりまで逆流した
状態が放置されている。


しかも足した用のパーツパーツが
混在して露出している。


ブラウン色に染まる逆流した水。


そこに手を入れろ
というわけだ。


<勘弁してくれよぉ…>と泣きを入れるが
ワイフは容赦しない。


<いつも紙を使い過ぎだって言ってるでしょ>
と叱責する。



それは、そうなのだ。

ダモシは昔から
トイレットペーパーを使う量が
過度に多い。

己自身は気づかぬうちに

ワイフによれば

何度も何度も
ごろごろと
ロールを巻いていて

<いつまで巻いているんだ!>
とオールウェイズ感じているらしい。


以前も記載したと思うが、

友人などに
ことあるごとに
それを語るのだ。


トイレットペーパーの使用量が多すぎる

と。


なぜ、そんなに使うのか、と。


その影響をモロに受けているのが
ジュニア。

偉大なる血統はウソをつかない。

偉大なる直系遺伝子ジュニアは、
ダモシ同様に
異常なほどペーパーを使うのである。


ごろごろごろごろ。

ダモシが聞いていても

<おいおい、もうそのへんで>
と言いたくなるほど

そのローリングは止まらない。


小さな六歳児と
大きな五歳児の二人を指して

ワイフは揶揄するわけである。



ワイフはだから譲らない。

ダモシが
ちゃんと流したか流さなかったのか
という議論の軸は
いつの間にか消滅し、

焦点は


<絶対にトイレットペーパーが詰まったのだ>

になった。


それを誘発したのも

<ふだんから言ってるでしょ!>

という

ダモシ&ジュニア・コンビによる
トイレットペーパー過剰投与
である

と。



<まったく、何でこんなことをさせられるのか…>

と半べそのダモシだが、

この場には
それをするのはダモシ以外には
いないからして

イヤイヤ行うことにした。


やるとなればアサシンだ。

やるとなれば
ダモシが川口浩になる。

ミッション成功のための装備を
整えることを命じる。


父親の威厳も見せなければならない。


ワイフとジュニアに
居丈高に命じる。



<手を入れるとなれば
 この水の量からして
 肘までいくだろう。

 肘までプロテクトしてくれ>




左手に

手術用のような手袋をはめた上に

さらにビニールのゴミ袋を装着し
それを肘まで伸ばして
ガムテームで装着。


任務を遂行する黄金の左を
汚水から守る態勢を
二人がかりで整えてもらう。



そして
<割り箸を出してくれ>と指示。


なにもないから
手を中に入れて
割り箸で奥まで進入して
穴の中に
何かが詰まっているか否かを確認しよう

という算段である。



ずんずんずん。


左では肘までブラウンの水中に進入。

手首をきゅっと曲げて
割り箸を
奥の穴へ射し込んで

ぐりぐりと動かして様子を探る。



感触があった。

何かが詰まっている。

割り箸でそれをこすってみると、
ブラウンの水の中に
白い紙のパーツが
ゆるやかに
ふわふわと微細になって浮かんでくる。



トイレットペーパーである。



ワイフの論が正しかった。

過剰使用した
トイレットペーパーが
詰まっていたのだった。


しかもそれは
割り箸を通して得られる触感によれば

相当量詰まっている。

穴はかなり奥だけに
なかなか思い通りに

こすることはできない。


すべてをこの割り箸で分解して溶解させるのは
至難の業に思えた。


するとワイフが
<ちょっと待ってて>と言って
キッチンへ消えたかと思うと

1.5ℓのペットボトルの空きボトルを手に
戻ってきた。


<これを使って>と。


<何だ? これは>と訝しがるダモシに
ワイフは言った。


<アレよ。吸引ポンプよ>と。

それがドラッグストアに売っていなかったから
いまペットボトルの空きボトルを用いて
自分で作った、と。


<ほう>と思わず感心するダモシ。


いやぁ、そういう工作的世界も
こともなげにやるのだな

と実に感心したわけだが、


素直にダモシは
ペットボトルによる手づくり吸引器を
試してみた。



すると、どうだ。


ぶくぶくぶくぶく



明らかに何かが動き出す
サウンドがこだまして、

ブラウンの水中が
にわかに活気づいてきた。



<お?>とワイフ。

ダモシはこの時点で
(<あ、こりゃ成功するぞ?>)
と分かった。



だがダモシは

己が原始的手法である割り箸突きによる
成功を目論んでいたのだ。

ダモシは己が左手を突っ込んでいる。

ここまでやっているのだ。

だから手柄は己が立てたい。

手づくり吸引ポンプで
簡単に物事が解決してしまっては

それこそ
父親の威厳はないのだ。


ジュニアも見守っている。



<ダディ、がんばって>と声をかけている。



割り箸ではもう
どうにもならないことは
ダモシには分かっていたのだが、


適度に吸引ポンプを用いながらも


<お? 割り箸に引っかかったぞ>

などと言い、

最後の局面と
フィニッシュを

割り箸攻撃で果たすべく

操作した。




ぶくぶくぶくぶく!



それまで以上に強力なサウンドと
さざ波で

いよいよ開通

という最後の局面、

ダモシは割り箸を手にした左手を
派手に動かした。



<よし、最後の割り箸突きだ!>


とフィニッシュかけ声を加えながら。



だだだだだだだだ。


一気に
ブラウンの水は姿を消した。



<おおーっ!>と歓声をあげる
ワイフとジュニア。




<よし。流してみよう!>と言うダモシは、

二人が注視する中で
水を流してみた。


じゃぁー。


普通に流れるトイレの水。


これで闘いは終わった。




ワイフは分かっていただろう。

(自分が作った吸引ポンプをやった途端、
 開通する気配がした)

と。


直接的な勝因は、吸引ポンプである、と。



だが、

その夜は
ワイフは優しかった。


<ダディ、すごいね>

と言い、

ダモシを褒め、

ジュニアにも
<ダディ、すごかったね>と言った。



その直後、お風呂に入ったが、
湯船の中でジュニアといると、

ジュニアは開口一番


<ダディ、すごかったよ>と言いながら、


戦隊ヒーローごっこのごとく

ダモシを
ヒーローに見立てて


<こういうふうに闘ってたでしょ>


身振り手振りで
ダモシのアクションの真似をするわけだ。



(あぁ、こりゃあ良かった)

(悪い奴を倒したヒーローになれたぜ)




ダモシは悦に入りながら

喜んで真似をするジュニアを

眺めたのだった。






とまあ、

先週も騒がしい一週間だった。


明日は何の日で祝日なのかも分からないが
OFFはOFFで
そりゃあ楽しいわけだが、

今宵のOFFも
夜は結局デスクで仕事と相成り、


ゆっくり読書も出来ないのは

いかがなものかとは思う上、

やはり
一日24時間というのは

あまりにも少なすぎる。


一日最低でも30時間は必要だろう。


やりたいことや行きたいところが
あり過ぎて困るほどな上、

毎週のように

キャラクターも変わるから

先週は
元アメフト選手で業界人で
バキューム・ダモシだが、


今週もまた

何者かに化身することは
容易に想像つくところであり、


やはり

まだまだ時間は
追いついてこないのだな、

時間よ

早くダモシのペースに合わせて
レベルを上げてくれ

と思うところである。











posted by damoshi at 02:43| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

砧公園さんぽ:黄葉景



東京都世田谷区。

都内の23区で最大人口を擁する
エリアで、

日本の中でも
地方の県全体人口をも上回る。

政令指定都市になっている
静岡市や浜松市などの
比較的大きな都市よりも
その人口は多く、

政令指定区にしても良いくらいである。

当然、
カルチュラル・レベルも
マーケット・ヴァリューも高い。

路線としては、

東急田園都市線
東急大井町線
東急世田谷線
小田急線
京王線
京王井の頭線

など、

東急・小田急・京王という
私鉄三本柱がカバーしている。


そんなエリアだから
都市公園の数と面積も多く、広い。

都市公園の数とその面積を総合すると
都内で最もそれが多い
緑のエリアともいえる。


戦後の闇市的世界観の
昔ながらの店や、
Always三丁目の夕日っぽい商店街、
古民家と瀟洒な住宅の交錯に小径、
その一方にある雑踏とは異なる
品としての洗練された都会的な風情、
世田谷線に象徴される
オールドファッションドな路面電車世界観、

そして
多くの緑を擁する都市公園の多さ。

電鉄網と幹線道路が揃う利便性。

ただ単にニッチな存在や流行を推進したり
高層ビルが並ぶだけではない世界観。


世田谷を
<リアル東京>とするダモシの論は
こんなところからも
成り立っているわけである。



ダモシとしては、

特にこの世田谷の
大きなアドバンテージとして
横たわっている理屈の一つが、

JRが走っていないエリアだから

ということも挙げられる。


どうしても
例えば
登戸、川崎、溝の口などに代表されるが、

JR=旧国鉄が
タテに介在してくる世界観というものは

東急や小田急、京王沿線にあっても
野暮ったさが生まれてしまう。

それらは東京都内ではないが、
東京都内の山の手エリアよりも
やはり東京都内ダウンタウンに似た
野暮ったさが出てくる。


仮にちょっとでも
JRが横切ったりタテに介在してくると
それだけでもう
瀟酒な世界観はマイナスへと転じてしまうのである。

JR(国鉄)の世界観は
やはり山手線などに象徴される
雑踏や地方への動線と
ダウンタウン的風情に集約される、と。

JRが走る世界観で救われているのは
せいぜい武蔵野とサブカルの香りを
独自の世界観で構築している
中央線くらいであろう。



同じ
"山の手"エリアでも

渋谷区、杉並区、目黒区は
それが走っている。

世田谷区はJRが介在しない。

この差は大きいのである。


世田谷区にJRは不要。
地理的にも走る必要もない。

そこが世田谷の世田谷たる所以でもあるのだ。

これは死守して欲しい。




その世田谷にある主な都市公園としては
以下が挙げられる。


・駒沢オリンピック公園
・砧公園
・世田谷公園
・馬事公苑
・羽根木公園


公園一つとっても
馬事公苑に代表されるような
ちょっとしたゆとりと品が
このエリアには漂うわけである。

これらに御すとすれば
前述したJRラインでも中央線の
武蔵野エリアに位置する
井の頭公園が出てくる。





ダモシが
<リアル本妻>との幼年期に
最も親しんだ公園が、
駒沢オリンピック公園。

これは昨年、再会した。
当欄にも掲載した。


http://damoshiny.seesaa.net/article/104195707.html


馬事公苑も今年再会した。
これは未掲載分から
後ほどフィーチャーしたい。


世田谷公園はお散歩するよりもむしろ
レクリエーション系か。

98年以前、主宰していた野球チームの
試合でもやはり使用した。


井の頭公園も<本妻>復帰で再会した。
これもまた年内に再掲載したい。


羽根木公園は未再会である。



今宵は、
98年以前の
野球の試合で使用したり
ワイフとのハニームーン初年度の
櫻の花見以来となるから

11年ぶり以上の再会となった
砧公園から、

或る秋の晴れた一日、
光と黄葉と落ち葉に包まれる
砧景として

写真集をお届けする次第である。







*****





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*****




世田谷美術館がある。


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*****



人がいる風景。



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秋の季節も
単独での後ろ姿が似合うのは、

やはり女だ。

雪、古都、桜、紫陽花。
そしてビーチ。

"ピン"の女の後ろ姿が好きだ。


男のそれが似合うのは、

海釣りするポスチャーや
漁船や舟の上、

あるいは荘厳な山か。





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:::::




<砧公園>

東急田園都市線・用賀駅から
徒歩約15分。

車なら東名高速・東京ICを降りて
環八・瀬田交差点からすぐ。

世田谷エリア、田園都市エリアからは
十数分。









posted by damoshi at 14:36| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記



今宵も先週末に続いて
<文字通り日記>を書きたいところである。



◇◇◇


今朝は
ワイフの<もう9時だよ>コールで
目覚めました。


昨晩、
この三連休のうち
天気の良いわずかな可能性としての
土曜日に

どこかお散歩に出かけよう

ということになっていました。


でも
そのデスティネーションはどこか。

それが自分でも決めかねていました。

ワイフとの交際中のデートや
二人だけの生活ならば
こんなに難儀はしないでしょう。


小さな子供がいると
お散歩レベルの
いわゆるレクリエーションにしても

そのデスティネーションとテーマを
決めるのは
いささか骨が折れる時もあります。


一人ならば
<樋口一葉を辿るお散歩でもするか>
で済みますが、

コドモがいれば
そうもいかないわけです。



<等々力渓谷や二子玉川の多摩川みたいな>
ところへ行くことを希望するのは
コドモの特権でもあります。


<探検したい>と率直に述べるのです。

コドモは。


そこでバランスを計りながら
デスティネーションを思案するわけです。



・鎌倉
(古都紅葉さんぽ)

・葛飾柴又
(寅さん、帝釈天、矢切の渡しめぐり)

・鳩山会館

・文京シビックセンター展望台
(西新宿摩天楼と富士の交錯を見る)


が、候補に挙がったものでした。


昨晩、否、今宵の未明、
眠る前に
思い浮かんだデスティネーションで
決断しました。


そして朝、起こされて一秒後、
言いました。


<今日は砧公園に行こう>。


それをワイフから
伝え聞いたジュニアは大興奮です。


忌々しい大渋滞当たり前の
土曜日です。

車は当然、避けて、
東急田園都市線で
のんびりと出かけました。


世田谷区の用賀。

ここは
リアル<本妻>エリアであり、

駒沢大学&三軒茶屋にいた
幼児の私は、

当時
用賀にいた数歳上の親戚がいる
家によく遊びに行っていました。

その用賀の家の縁側で
一緒にスイカを食している写真も
残っています。


懐かしい用賀。

ニューヨークでも
セントラル・パークや
ブライアント・パークなど

"大都会の中の公園"が好きなので、

東京でいえば
新宿御苑や代々木公園は当たり前として

どちらかといえば
それらよりも

やはりホームである

駒沢オリンピック公園や
この砧公園が好きなのです。


砧公園は
ワイフとのハニームーン期に
住んでいた上北沢からも近隣だったので

春の花見など
二人で出かけたものですし、

主宰していた野球チームの試合でも
利用したりしていました。



でも米から戻ってからは

初めての訪問となったわけです。




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用賀駅。



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用賀の街並。

ここもやはり
田園都市沿線ということで
瀟洒なポスチャーが広がっています。

やはりホーム・エリアということもあり、
妙に落ち着くのです。



砧公園に行くのには
様々な目的がありますが、

コウヨウ(紅葉及び黄葉)を愛でるのもまた
目的の一つです。


黄葉としてのコウヨウを
都内で見るならば

やはり外苑(青山)のイチョウ並木に
勝るものは多くないでしょう。

今年もピークの頃に行きたいと思っています。



でも砧公園も、なかなかです。

それが見頃という情報を得たからこそ
砧公園へのお散歩を思いついたのです。




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それは皆様もよくご存知で、

今宵の砧公園は
とても多くの人が訪れていました。


公園としてのユーズのみならず
ここには
これまた洒脱な世田谷美術館があり、

ちょうどオルセー美術館展が開催されている
こともあり、

大勢の人で賑わっているウィークエンドと
いえましょうか。




砧公園は明日、
別途<オトナの遠足&お散歩>で
フィーチャーしたいと思いますので
よろしくお願い致します。




公園内を散策して
黄葉を愛でました。


芝生の広場でシートを広げて
お弁当です。

その後はジュニアとのお遊び。


ボールと木の枝をバット代わりに
野球をして
走り回りました。


ジュニアはだいぶ
良い球を投げるようになってきています。



0cbk.jpg



あと二年くらいでしょうかね。
野球をするようになる頃が
楽しみです。

その頃、私がそのチームの監督をやりたいですね。



遊び終わってから
美術館に立ち寄りました。

母娘、シニア女性のグループ、
シニア夫婦など

やはり
美術館に多い属性が
ここでも見られました。




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コドモとの
レクリエーションで、

己も満たすという意味では、


・エデュケーショナルな要素(知育)
・自然との触れ合い(開放感)
・エンターテイメント(遊びや運動)

を絡めることは必須だと思うわけです。



今日もいっぱい写真を撮りました。

軽く300枚は撮っていますが、
満足のいくものは数枚しかありません。


砧公園フィーチャーの明日、
掲載したいと思います。






*****





行きは用賀駅からバスで、

戻りは用賀駅まで徒歩で
てくてく歩きました。

その道中も瀟酒ゆえ、楽しいです。

やっぱり東京はいいな、と思える場所の一つです。

やはり
ホームゆえ落ち着くのでしょう。



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その途中、環八の大渋滞を見ました。

案の定という感じですね。

そして
いつもと異なるのは
東名高速の渋滞表示。

いつもはたいてい
東名の静岡方面が渋滞していた
としても、

この用賀
すなわち東名高速の東京ICから
渋滞しているということは稀です。


ところが、どうでしょう。


見てください。



kinuta43.jpg


見えますか?

この環八を
右へ曲がればすぐが
東京ICのエントランスですが、

ここから川崎方面へ17km-55分
と表示されています。


<アホか>と思わず呟き、

ワイフに
<ほら、電車で来て良かったでしょう>
と言いました。


東京ICから川崎へは
極論すれば3〜5分程度です。

それが55分とは、なにごとでしょう。


ほとほと
あのETC特権施策の弊害がここにも
出ているわけで、

ここのところ

土曜日というものは
ノン・ドライビングの日と
私は決めざるを得ないくらいなのです。


まあ好きずきですが、
よくもこんなに大渋滞する土曜日に
皆様車で高速や幹線道路を走って
お出かけしようと思うものだな

と感心します。


私は、

こんな表示を見たら
気が狂ってしまいますし、

絶対にそういう道路を運転することは
したくはありません。


車の渋滞ほど

タイム・イズ・マネー思想と

エコ



反している所作はないと

私は思っています。


そして
それを誘発しているのは
まぎれもなく

あの不公平なETC特権施策のせいです。


ほんとうにイヤです。

渋滞はほんとうに大嫌いです。
やめてください。





*****





帰路、

ジュニアは
<ダディと二人で行ってきたい>
と言いました。


港北エリアの靴屋さんに
注文していた
彼の靴が入荷されたとのことで

それをピックアップに行くためです。


田園都市線車内は座ることができました。

ワイフは先に戻り
ディナーの支度を。

ジュニアと二人で港北エリアへ
そのまま電車で出向いて

彼の靴をピックアップしてきました。


お気に入りの瞬足で大満足のようで

ジュニアは
とても嬉しそうでした。

早速、明日の空手道場へ履いていくそうです。



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ワイフのブーツも傷んでいるようです。

今度、新しいそれを買わなければなりませんね。




毎月20日は、
沿線各駅に
東急が発行しているフリー・マガジン
SALUSが配布されます。


今宵もそれをピックアップしまして

ワイフは帰宅後読んでいました。

お洒落な雑誌ですね。
毎回、沿線のエリアがフィーチャーされていて
ガイドとしても使うことができます。

体力のある大電鉄だからこそ
成り立つフリー・マガジンといえましょう。


独立事業でのフリー・ペーパーは、厳しいです。



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ジュニアとお風呂に入ってまた遊び、

ディナーとデザートを食して

いつもの
テレビ東京の旅番組を観て、

あとはオトナの時間です。




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明日の競馬予想に勤しみました。


新聞はまあ、ベタですね…。

<麻生、食い逃げ>だの
<エビちゃん、結婚>だの

扇情的な台詞が並んでいますね。



ここのところ
実際の馬券的中がありません。

しかし
競馬予想と馬券結果に好不調はない

と思っています。


当たる時は当たるし、
その他はほとんどが外れるもの。

それが
私の馬券に対する気持ちです。


時に勝ち、時に負け、時に雨が降る。


その思想です。

でも
当たるより外れる方が
圧倒的に多いと分かっていながら、

且つ
どんなに予想して仮説を立てても
しょせん
自分が走るわけではないのだから

それに費やしたお金と時間が
ムダになる可能性は高いにも関わらず、


前夜は予想に勤しんでしまいます。


予想するという行為が

実は楽しかったりするからでしょうね。





そんなこんなの一日ですが、

今宵も
この後デスクを離れて
読書と競馬新聞の時間となります。

でも
やっぱり三時くらいには眠らないと

明日も早くから新横浜へ行くので
寝不足になってしまうわけですからね。



まあ深夜にリビングへ出没して
ソファで読書したりすれば

ジャックなど
私に懐いている猫たちが

ぞろぞろ寄ってきて

一緒にソファの上に乗ってきて
ちょこんと隣に寝そべるのがまた
かわいくてかわいくてしょうがなくて、

なでなでしながら

本を読むのがこれもまた愉悦の時間なので

惜しくて
なかなか眠るまでに時間を要してしまうのです。







*****






最後に、

昨日のことですが
ニューヨークから出張で来ている
友人の女性と逢いました。


お互い変わっていませんね

と会話して、

でも出張でいらしているので
時間もなくて、

私も打ち合わせがあったので
時間がなくて、

すぐに車を走らせてしまいました。

また逢える。
そういう気持ちがあるから
束の間の再会で終わるのでしょう。


ニューヨーク・ヤンキースの優勝記念の
ベースボール・キャップと、

それをフィーチャーした、

私が在米時代に大好きだった雑誌
<Sports Illustrated>を受け取り、

悦に入りました。



そのキャップをかざして
<どうだ、カッコイイでしょう>と
ワイフに自慢する私は、


新しい瞬足シューズを掲げて

<カッコイイでしょう!?>と喜ぶ
ジュニアと


何ら変わらないのだな

とも感じた次第です。



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ということで、

三連休の初日も終わりました。


皆様はいかがお過ごしになられましたでしょうか。






Good night, and Have a nice weekend.













posted by damoshi at 01:26| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

カンパニーは、山本勘助か否か。





当欄読者の中に
どれだけ競馬好きがいるか、

また
どれだけ別ブログのケイバ・タイムスも
読んでくださっているか、

は分からないが、

基本的にケイバ・タイムスの方も
競馬ネタということではなく
カルチュラルに多方面素材で
コラム的に掲載しているところなので、

今宵は
明日のマイルCS予想コラムを
このダモログへ出張掲載も行う次第である。


題して、

<カンパニーは、山本勘助か否か>。






◇◇◇◇◇(以下、ケイバ・タイムスより)





森繁久彌と水の江滝子の両名が
老衰で亡くなった。

長寿も長寿だろう。

一般的なところでの
プライムタイムを過ぎてからもなお
長らく生きたわけだ。



<プライムタイム>。

いわゆる全盛期。

それを
・身体的及び精神的ピーク
・結果としてのパフォーマンス
のどちらで取るかは難しいし、正解はない。

しかし
これまで一般的には、

人には(スポーツ選手にも歌手にも)
プライムタイムは
どこかのタイミングであった(ある)もの
と考えられていただろう。

単純にいえば
記録としての結果は
それまでの積み重ねであり
そのタイミングをプライムタイムとするのは
いささか乱暴であるが、

だからといって
まんべんなく
どの年齢の時点でもどの環境でも
常にトップギアにあり
やることなすこと上手くいくなどという
すべてが全盛期=プライムタイムはない
という理屈はさらに粗暴である。

物事すべて積み重ねであるからして、

王貞治のプライムタイムは

記録として見た場合は

そのピークに達した868本目の本塁打を
打った時点ではなく、

三冠王を獲得した頃合いである
という論理は成立するわけである。

松井秀喜のそれも、しかりである。

今年の
ワールド・シリーズMVPが
プライムタイムではなく、

プレイヤーとしてのそれは
2002年(巨人時代のラスト・シーズン)から
2003年のメジャーでの
ボストンとのリーグ・チャンピオンシップ第七戦まで

と、一つには考えられるわけである。



これまでは、

プライムタイムはプライムタイムであり
プライムタイムだからこそ
プライムタイムなのであるという
論理があった。

つまり
プライムタイムとは全盛期であり
それ以上でもそれ以下でもないから、

必ずそれを過ぎれば
下降線を辿るという理屈であり
趨勢だったというわけである。




ところが、その趨勢と論理は
現代においては
(特に90年代後半から)、

有名無実と化している。

平たく言えば、
選手寿命やタレント寿命が延びたのである。





*****




もともとプロレスラーにおいては
その選手寿命と鮮度寿命は長かった。

だが
タレントや歌手などは
それは短かった。

ところが
今やママさんタレントというジャンルが
出来たり、

三十代、四十代なども
アラサー、アラフォーなどと
もてはやされる。

五十路はもとより
還暦エイジにしても
"アラ還"として元気だ。


かつてのアイドルが
結婚してママになって
再びステージに戻ってくる。


賞味期限が延びたのではなく、

ある意味で
売り方と見せ方に
ヴァリエーションを加えて
再び稼ごうという算段である。


それはまさに、納豆といえよう。


その昔、筆者の新婚時代。

納豆が夜の食卓に出た。

見れば賞味期限が一週間以上前で
切れている。

<コレ、賞味期限が切れているよ>
とワイフに問えば、

ワイフは以下のような台詞をもって
筆者を一刀両断した。


<納豆はもともと腐っているのよ>。


選手やタレント、歌手などは
もともと腐ってはいないが、

それでも
賞味期限なんぞ関係ない納豆の
世界に現代においては
成り上がっているのではないか、と。


若さに対して
明らかに鮮度は落ちるのだが、

鮮度とは無関係の食べ物、納豆。

納豆と化した
既にプライムタイムを過ぎた人々は、

今もリアル・ライヴで闊歩する。

そこには
納豆のような
ネバネバ感と
歴戦のキャリアを重ねたことからくる
"うまく立ち回れば"
(昔のように全力を出さずとも)
いい勝負はできるという算段と、

若さへの対抗としての<顔>。


顔で勝つ、顔でその舞台に立つ。

そんな世界観を己がウェポンとして
その手に武田信玄がごとく
軍配を持っているか。

工藤公康、山ア武司、魁皇、千代大海、
クルム伊達、村主章枝…。

二十代がプライムタイム
(あるいは女子フィギュアはその昔は
 二十代前半で"おばさん"扱いだった)で

三十代も中盤でもう引き際が見えてきていた
かつてとはまったく異なる世界観。


米でも

NFLでは37歳でカート・ワーナーは
再びプライムタイムがごとき輝きで
チームをスーパーボウルに導き、

NBAでは
かつての暴れん坊シャキール・オニールが
オールスターで
45ポイント/11リバウンドと大爆発し、

MLBでは昨年、
ジェレミー・モイヤーが45歳で
フィラデルフィアを
ワールド・チャンピオンに導いた。

昨年の北京五輪でも
米女子競泳のダラ・トーレスが
41歳で代表入りしてメダルまで獲った。




近年、そのような趨勢を経て、

やれ
トレーニング技術の進歩だの
食事療法の進化だのと
やおらもっともらしい論が
唱えられているが、

それらは一つの要因に過ぎないだろう。


世界的な、
年齢に対する環境マップの変貌や
人々の年齢に対する意識の変化が
確実に大きな影響をもたらしていると思える。


要するに、

単純にいえば、
アントニオ猪木の格言に辿り着く。


<人は挑戦をあきらめた時に、
 年老いていくものだ>である。

歩みを止めたときに
人は年老いていく。

ジョン・グレンや三浦雄一郎、その他
数多くの立派な"シニア"が
宇宙に行ったり世界最高峰に登ったり
する時代である。



"いい歳して…"という

ニッポンに存在していた
忌まわしき観念と(非)常識な理屈も

ようやく欧米並みに
意識改革がなされてきた積み重ねが

世界レベルに御すほど
ニッポンにおいても
選手寿命の高齢化に拍車がかかっている
より大きな要因の一つなのではないか

と思うところである。


普通に、ニュートラルに比較しても、

むろん
己のマインド次第ということもあるが、

物事それだけで片付けば
簡単なわけで、

それだけではない

周辺環境マップは大きな影響力を
持っているわけだが、

そういう視点から見ても、

筆者が
日米双方で暮らすという相対的な観点から
見れば

筆者自身も

米での生活環境マップの方が
ニッポンのそれより

<老けこまない>ようになっているのが
明らかであると感じる。


年齢という基準がまるで皆無な米。

善し悪し別として
年功序列含めて
やたら年齢という枠組の中で

あらゆる物事を判断されかねない
環境マップがまだまだあるニッポン。


この差は
かなり縮まったとはいえ

まだまだ厳然と大きな差として残っている
ということは

歴然と感じるわけである。



数字としての年齢は、無関係。


これは
絶対に忘れてはならない
イデオロギーであると

常々、己自身に言い聞かせている。



もう一度、猪木の格言を。



<人は挑戦をあきらめた時に、
 年老いていくものである>。






*****





競馬の世界でも、

"おじさん"パワー驀進中の今年。

競馬にも
世の趨勢は影響を与えているのであろう。


それこそその昔は
旧表記での六歳馬までが
ある意味でバリバリだった。

六歳の秋競馬はもう引退の頃合い。

旧表記の六歳すなわちそれは、
現在の五歳である。


今や馬柱を見れば
現在の表記で八歳やら七歳やら六歳
という馬がゴロゴロいる。

それを旧表記で考えれば
九歳、八歳、七歳である。

いくらなんでも
その昔においては(90年代末までは)、

その齢でGIレースでバリバリ勝ち負け
できるとは到底思えなかった。


"永遠の善戦マン"ナイスネイチャが
引退したのは九歳(現表記で八歳)。

現在のカンパニーと同じである。

カンパニーは八歳(旧九歳)の今年
大ブレイクして
天皇賞・秋まで制してしまった。

年齢で計っていたら
あのナイスネイチャがその齢で
GIを勝つなどということは
到底想像できなかった。

実際ナイスネイチャは
クラシックを賑わせていた四歳時(現表記で三歳)
の秋以来、ずっと勝利していなかったのだが、

七歳(現表記で六歳)時に
GIIで突然勝った時は笑いさえ起こったことを
記憶している。


当時の感覚としては
"当然ながら"その勝利以降、
引退まで何度もレースに出るが
結局勝てずに引退したわけだが、

古馬になってから
ブレイクするとしても

たった一夜のあだ花。

それがその昔
(といっても、1ディケード前程度)
の常識でもあったのだ。


現代でもコスモバルクが
そういうタイプで存在してはいるが、

コスモバルクの例をとるまでもなく

勝てずとも
そのキャリア(寿命)は
サラブレッドの世界でも
明らかに延びていることが分かるわけである。


だから

その中から稀に

"カンパニーのようなこと"
(JRA史上最高齢でのGI制覇)

が起こっても

もはや不思議ではない、と。


それまでは
オフサイドトラップ(98年)が
史上最高齢でのGI制覇だったのだが、

その時の
当時の年齢(現表記で七歳/旧表記で八歳)を、

カンパニーは一歳分上回ったのである。




*****



カンパニーはおそらく
七歳、八歳などになって
(高齢になって)から
本格化してプライムタイムを迎えた
タイプなのであろう。


遅咲き、あるいは大器晩成。


ヤクルトの福地
漫談家の綾小路きみまろ等々
それは多いが、

なんといっても
武田二十四将の一角にして
武田信玄の
戦略コンサルタントとして
名を轟かせた

山本勘助が筆頭格だろう。


信玄に召抱えされる時点で
既に勘助は不惑を超えていた。

それまで牢人など不遇に遭った。

だが、

馬の年齢表記よろしく

昔の人生寿命でいえば
人生五十年という時代の
不惑の齢である。



勘助はいわば晩年において
大ブレイクして
川中島で散るという美学を享受した
大器晩成のティピカル事例として

取り上げることはできよう。




カンパニーは、山本勘助か否か。




<マイルCS>

◎アブソリュート
〇マルカシェンク
▲カンパニー
△ザレマ
△サンカルロ




今年四月に
仕事で訪れた山梨県内の某所より。


限界過疎並みの世界観。

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大野ダムの貯水湖。

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彼の地にいる山本勘助。

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posted by damoshi at 23:59| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

The Retrospective of TABI 2009-1




<2009年の旅、回顧展>シリーズを、

未公開写真及び未掲載分を交え
年末にかけて
掲載していく次第である。




*****




今年、
"国"として最も多く足を運んだのは
甲斐国だったが、

ステイツ(州)として多く絡んだのが
九州だった。


そもそも
98年までの時代においても

ウルトラの父のホームであることから
熊本は複数回訪れていたが、

九州というステイツで考えた場合、

オールモースト熊本だけ
という世界で、

わずかながら
未だ二十代の頃に
ビジネス・トリップで長崎へ出かけた
くらいだった。


いわば、熊本以外は縁のない州だったのだ。



ところが
<本妻>復帰後の最初のフル・イヤーである
今年、

4月の
21年ぶりの熊本を皮切りに、

県でいえば
鹿児島、熊本(二度)、福岡(二度)、佐賀


ある意味で
"奇妙なほど"縁があった。



トータル三度に渡った九州行。

その行程で辿ったエリアを
回顧してみるとこうなる。




9syu.jpg




濃いブルーのラインが主にハイウェイで、
三度の旅で辿ったラインだ。


4月のそれはビジネス・トリップではあったが、

ウルトラの父死去後初めて
ホームに戻すというエモーショナルな
ものであった。


熊本城の武者返しにその遺骨の一部を埋め、
ホームに帰還させた。



熊本は、
熊本城や阿蘇山を当欄でフィーチャーした。




0kumajyo1.jpg


0kumajyo2.jpg






さて、行程。

熊本オンリーの4月の次、
まさに梅雨のど真ん中に敢行した
プライベート案件での旅は6月。


九州を縦断するならば
エントランスは鹿児島ということで、

とりたててインタレストの度合いは
高くはなかったが
<余儀なく薩摩>ということで、

自身初の鹿児島上陸。


その旅では、

霧島泊を経て
4月に次いで熊本に再び宿泊。

世界レベルの火山、阿蘇山とも何十年ぶりかで再会した。


これまた初の邂逅となった福岡は、

・ファミリーでの6月



・ビジネストリップでの10月



異なる属性に自らを配置することで

<博多〜ディスアポイントメント>と
<博多〜アポイントメント>という
両極のマインドを得た。


6月の九州路ではまた、
関門海峡を渡って
山口県(下関)との初邂逅も果たした。



そして10月の
ビジネス・トリップでの

人生で行く機会があるとは
想像だにしなかった唐津(佐賀県)行と

宿泊は今年二度目の博多(福岡県)と
相成り、


宿泊地としては

・熊本2回
・博多2回
・霧島1回

という結果となった。



九州自動車道を走ったのも初めてなら、
福岡都市高速道を走ったのも初めて。

また、
博多から唐津へ向かう
有料道路の福岡前原道路も初体験となった。



4月の熊本を除き、
いずれも
レンタカー利用で自動車で走った。

その合計距離も相当なものになるだろう。







*****





今宵の、
未公開写真と未掲載素材からの
レトロスペクティヴは、


鹿児島の、

<篤姫>で
江戸へ嫁ぐ篤姫が渡った橋。




ishibashi1.jpg



ishibashi4.jpg



九州の街道筋で
参勤交代の通り道。

西田橋は、
城下へのエントランスとして
藩の威光を示すものだったという。



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桜島を向こうに、
幕末へタイムスリップする空間。



現在は整備移築され、
石橋記念公園として立っている。

写真で見た目より実際は大きい。






:::::





薩摩。


といえば

桜島、桜島大根、焼酎などが連想されるが、

なにはさておいても
この地はやはり西郷隆盛なのであろう。


薩摩っこに
西郷の悪口を言うと怒られるという。


アンチ西郷のダモシとしては
西郷に何のシンパシィも覚えないのだが、

街を歩けば普通に

西郷どんのスタチュは
威風堂々、屹立しているわけである。




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九州は
ニッポンで相対的に見れば
何処も"気がいい"感じがした。


一方で

九州内だけで相対的に見れば

東へ(北へ)上がるにつれて
活気と明るさが増していったのはなぜか。


包括的な観点から
全体的に見て
"明るさ"でいえば
博多←熊本←唐津←霧島←鹿児島
の順となり、


"気がいい"度合いでみれば、
唐津←博多←熊本←霧島←鹿児島
といった具合だ。



むろんこの順は、

己の関わり方
(ビジネスかプライベートか、
 その相手や時と場所等)によって

変化する。











posted by damoshi at 02:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

百代の過客は、光陰矢の如し





ある店の中、

突然
ゴスペラーズの<星屑の街>が流れてきた。

<あぁ…>とダモシは
2003年頃のニューヨーク時代を思い出した。

ニッポン不在の、
大枠での1ディケードの間にヒットした曲は、
洋楽邦楽問わず
他の時代以上に強く心に残っている。


邦楽でいえば
宇多田ヒカルの登場と
ダモシの渡米が重なっていることから、

宇多田ヒカルの<Automatic>が先鞭だが、

ニューヨークから
東京に出張に来ていた時に訪れた
銀座の夜の店では、

店のホステスたちが
当時ニッポンで流行っていた
モーニング娘。の<LOVEマシーン>を唄い、

<今年のヒット曲よ>と教えてくれた。

ダモシは当時
社長ではないのに

<社長さんっ、ほら一緒に唄って>
と彼女たちに言われてからかわれたものである。


(<あれ?日本は不景気のはずだが?
  それともこれは空元気か?
  少なくともあのバブルを俺は知っているぜ?>)

と、心の中で独りごちた。



中島美嘉の<冬の華>も
一青窈の<ハナミズキ>も
平井堅の<瞳を閉じて>もみんな、在米時代の曲である。

ゴスペラーズも同様。

このあたりは
ニューヨークでわざわざCDを買ったものだ。


不在期に出てきていた歌手&グループで
拒否反応を起こしたのはEXILEくらいで、

あとは概ね、
そこに(ニッポンに)いないことから
より高まるインタレストの後押しもあり、
好意的に接していたものである。




2009年の、或る秋の一日である今宵。

東京の、とある店の内で、
不意に流れてきた
ゴスペラーズの<星屑の街>を耳にした。

それをニューヨークで聴いていたのは
もう六年も前の春になるのだ。







*****






そして今宵、

昨年末くらいから
デジカメで撮った家族写真を
プリントしていないことから
<そろそろプリントしよう>ということになり
この一年間の写真を整理していたわけだが、

そこでまずはピックアップしたCDには
ジュニアの今年の三月の空手大会の
それらが入っていたから
それを見たのだが、

ワイフと二人でそれを見ていると
あの時の、未だ、今から八ヶ月前の
ことに過ぎないのだが、

もうそれは昔であり過去になっていて

しかも
その写真の中で道着姿で大会に臨む
ジュニアの顔を見ると、

これはまあ

なんというか

今よりも全然"赤ちゃん"というか、

半べそ状態の顔で
まったくもってナヨナヨしていて

未だ、自発的にというものではなくて、

どこか
"半信半疑"的なポスチャーであり、

逞しさや自我、
意識して勝負に臨むという
アグレッシヴさが皆無であるという世界観で、


それは
ひるがえれば

先の準優勝した大会での
ジュニアの顔やポスチャーとは
雲泥の差であるわけで、

それを鑑みるに

未だ、たった、八ヶ月しか経っていないのに
今や自信満々で、勝つぞという気概を見せて
その場に臨んでいるのに
当時は全然そんなこともなくて、

この成長ぶりは一体何なのだ
ということに相成り
ワイフと二人で爆笑したわけだが、

それでも
よくよく考えれば
大人の八ヶ月は退化と退化と退化の連鎖で
毎日眠いぞ眠いぞ
しかも最近寒くて
よけいに朝起きられないぞ
というエッブリデイの中で、

幼児はまだまだ17歳までは
退化への分水嶺は来ないわけであり、

そりゃあ、それこそ
エッブリデイが成長の日々であろうと
思うわけであり、

逆に言えばまた、

八ヶ月前のジュニアを
未だ赤ちゃんだと感じたわけであるが、

おそらく
今から八ヶ月経った頃に
今のジュニアの写真を見れば
<なんと幼かったことか>とやはり思うはずであり、

さらにいえば

ダモシなんぞは
毎日毎日
一日前の己の写真を見た場合、

あぁまた齢を重ねた感がありありだな
ということになり、

それでまた滅入ったり

その一方で
ジュニアのそれを見て

かわいくてかわいくてと
写真を見るだけで
愛おしくて涙が出そうになったり

でもそんな涙モロくなっているのもまた、

あぁオレもさらに歳をとってきているのだな
と実感したり
といった日々の中で、


今宵もまた別の場所で
或る男二名と会話になり
そこでのテーマが

<なぜオトナになると
 一年、一日が経つのが早いのか。
 その一方でイヤなこと、
 例えば会議などは長く感じて
 夜の時間は逆にあっという間に過ぎたり>

ということでダモシが振れば、

<そうよね、コドモは時間の経過が遅いわな>

となり、

脳の問題らしいだの
コドモは小さなこと一つ一つがイベントだからだの

でも運動会は運動会で
オレも一緒に参加しているわけでだの

結論の出ない戯言で
己がエクスキューズのなにがしかを
導き出そうというのか?

という

これまた齢を重ねた情けない男風情
ありありであったりするわけで、

ではどうすれば良いのか?

となれば、

これはもう先人偉人の格言:クオートに
頼るしかないわけである

という、

情けないダモシである。






というわけで。


まったくもって

なにもかもが、<光陰矢の如し>である。




そして

時はまた、



今年のダモシの年賀状に
富士山の絵と共に筆で手書きした

松尾芭蕉のクオート

<月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也>

である


と。




結局はそういうことなのだ、と。


だから
ひるがえってこれまた、

やはり

タイム・イズ・マネー

なのであるな

というわけである。




ダモシはその会話のシメで言った。



<私のコドモが昨日、
 空手の道場が休みであることを
 家を出る直前に知っただけで
 スーパー・ハイテンションになって
 ヤッターッ!と叫び、
 その夕方から夜まではもう
 彼にとっての大イベントで、
 家の中で遊べるということだけでも
 もう大騒ぎなほどハッピーなわけです。

 一つの、たった一つの嬉しいことが
 ものすごく大きなイベントになる。
 
 でも私は、そしてオトナは、
 嬉しいことがあっても
 良いことがあっても
 その先の、その次にあるはずの
 イヤなことをすぐにイメージしてしまい
 心から、素直に、無邪気に
 ヤッターッ!と言うことができないし、
 感じることができなくなっているのではないか。


 それが、時の経過にも影響しているのではないか>



と。






*****





今年も、そろそろ一年を
振り返る時がやってきた。


今年は

ダモシにとって
リアル<本妻>復帰後
初めてフルに過ごす一年間。


それこそコドモではないが、

今年はある意味でエポックであった。

対<本妻>

そして
対<ニッポン>という意味において。



1992年以来、
16年間続いてきた

海外との接点が遂に一度もなく
終わった年としても

今後、

ダモシ史に残るだろう。


<7>絡みの年である
十年に一度やってくる最悪の一年だった
2007年を経て、

昨年の<本妻>復帰から
次第に調子を取り戻したダモシは、

今年は

なんといっても

ニッポン各地を
生涯で最も多くトリップした年でもあったし、

最高峰・富士山を追いかけてきた
<本妻>復帰後のテーマの
一つの着地点/通過点としての


富士登頂を果たしたということでも

メモリアル・イヤーだったと言えるわけである。



文字通り、当欄においても

<ディスカバー・ジャパン>として
キャンペーンのように

ニッポン各地の模様を伝えてきた。


そして
まだまだ掲載し切れていない地や素材は
いっぱいある。


それを残りの一ヶ月半で
可能な限りすべてフィーチャーしていきたいし、

掲載したところも含めて

<旅>を振り返っていく予定である。



ニッポンと<本妻>に
アジャストするどころか、

98年までの居住時代以上に、

今年一年間は
ニッポン各地へ出かけたことで、

新たな対ニッポン、対<本妻>が生まれた。


そしてまた、
それを得ることで

今後の対世界、対<愛人>という
世界観へ
生かされていくことへの

疑いの余地は、

本人の中には、ない。





今年を振り返る上で、

今年の<旅>を象徴する
富士登頂から、

ダモシ以外の人が撮った
ダモシ写真を、秘蔵写真として
まずは今宵は数枚掲載したいところである。



あまりにも情けないダモシの姿が
重なるわけだが、


それもそれで本性だから、

良いのである。


それだけ苦しかったのだ。

それだけ難儀したが、

それだけ
対ニューヨーク同様に

<本気>で対峙できる相手だった
ということである。






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五合目から六合目。

未だファインダーを覗く元気が
残っていたダモシ。




だが、ダモシのポスチャーは以降、

ダサダサになる。



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次第に厳しくなる酸素。

もはや
うなだれるしかなくなる。

口から出る言葉もなくなり、
ただただ呆然とする。




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登頂レポートでも当時書いた通りだが、

この
座った姿勢で
金剛杖を支えに
それを額にあててうずくまるの、図。


このポスチャーが、

とにかく
対富士を象徴している絵である。


ダモシ、情けないぞ、と。





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暗くて分からないが、
これは歩いているのではなく
もはや動けなくて
立ったまま固まっている、の図である。




初公開は、山小屋のダモシ。



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もうその顔は憔悴し切っている。

何も言えない。
何も考えられない状態。




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登頂へ最後の局面でも
足が止まる。

いよいよ夜も明ける頃合い。



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そして、頂上到達直後の写真。

登頂後、
目の前にあるベンチに
座り込んだダモシ。

ここでもうなだれている。

ここから長い時間、
アジャストするのに手間取った。


アジャストした後、
やや元気を取り戻したダモシは、

向こうに見える最高峰地点・剣が峰を
指差し、


<さあ、行こう!>と言った。



















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2009年11月15日

<錦繍路-ファイナル>:日本百名山に登る





新田次郎の<孤高の人>
井上靖の<氷壁>と並び
常に"好きな山の本"で上位に位置するのが、

山の本の
バイブル的存在でもある
深田久弥の<日本百名山>。


1964年発刊の名著と言われている
作品である。


以降、
日本を代表する山として
百名山は位置づけられている。

ダモシ流儀でいうところの
日本ではない"北の某"を除けば91。
十分な数だ。



"北の某"のそれを含めたところで
これまで行ったことのある
("登山した"とは別に、
 至近距離に行ったこともあるを含めたもの)
それは、多数にのぼるが、

ロープウェイなどで
観光的に登ったものを除いて
実際に登山したとなると
その数は限られてくる。


限られてくるどころか、

一つだけしかない。

だがその一つは最高峰。

<富士山>である。

今年のことだ。


そしてこの秋、
百名山で
二番目となる登頂を果たしたのが、
那須岳である。




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ところは、栃木の那須エリア。

観光客が大挙して押し寄せる
那須エリアの
メイン・ストリートである
那須街道からも、

那須温泉や殺生石などの
松尾芭蕉<奥の細道>絡みからも、

はたまた
昨年から話題の
那須ガーデン・アウトレットからも、

その儀容は視界に入る。


ご用邸を抱える那須エリアを俯瞰して
包含する山である。




那須岳自体は、連峰を成す火山。

その那須連峰はいずれも
1,500m超級の高峰。


最高峰は三本槍岳で1,917m。

わずか2m差で次ぐのが茶臼岳(1,915m)。
三番手が朝日岳(1,896m)。

その他、いずれも1,500m超級。



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(茶臼岳頂上付近から望む朝日岳)。




ダモシにとっては
日本百名山で
富士山に次ぐトライ。

ジュニア(とワイフ)にとっては
初めてとなる
日本百名山トライ。

山登りでいえば、
三人一緒に登頂するのは
やはり今年年頭の、高尾山(599m)以来二度目。



ナメたらあかん。


それが山であり、登山である。



仮にそれが
メジャーな高尾であっても、

清水寺にハイヒールで来るに等しい
ナメた態度は、

必ず大怪我につながる。




目指すは、

関東唯一の活火山にして
那須岳の主峰、

茶臼岳(1,915m)の頂上。






*****





錦繍の時節の那須は、
日光ともども
たいへんに混み合う。


否、

混み合うどころではなかろう。

昨年からは
那須ガーデン・アウトレットができたことと

例のボンクラ自民による
"あほんだら施策"ETC特典のおかげで

さらに劣悪な渋滞と混雑に陥っている。

土日や錦繍期、夏季は
このエリアに行くことは
絶対に避けた方が良いとさえ思えるほどだ。



那須の市内の通常一般道も
以前と比べると
信じられないほど交通量が増えた。

辟易するほどである。



混雑するべく
あらゆる条件が整った錦繍期の那須岳。

そのエントランスたる
ロープウェイ側の
駐車場は朝から満車。


真夏の富士山五合目の世界観で

立錐の余地はない。




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致し方なくダモシは、
ロープウェイの起点である
山麓駅の駐車場(七合目)をあきらめて、

そこまで2kmの登山が必要なエリアに
ダモフィーロを停めた。

そこから歩く人は少ないから
駐車場も空いている。


山麓駅の駐車場が満車でも
あきらめて帰路につかないことを
お勧めする。




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山道、否、
しっかりともう既に登山道な道を
2kmほど歩いて辿り着く山麓駅。


ここから駅名としての山頂までロープウェイに乗る。



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ロープウェイは、
七合目から九合目を空中遊泳する。

眼下は錦繍。



火山帯登山は、

残り一合分である山頂駅から
始めることになる。



登り始めは下は砂だが、
すぐにそれは岩岩に変わる。


<おそらく半分以上は岩だな>
とすぐに分かる。



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さすが火山帯。

登山道は道ではなく、ほぼすべて岩。

黙々と歩を進めるというよりは
大きな岩の間を登っていくという感じで
息が抜けない。

特に落石が懸念される。

途中、二度、落石してきた。





傾斜も急になってくる。


しかし
既にこの時点での高度は1,600mだが
空気の薄さは感じない。


手足をかけて
岩をよじ上るような箇所も頻発し、
傾斜も厳しいことから、

登山自体は局所的には辛い部分があるが、

それでも富士山の、
あの高度と空気の薄さに比べれば
まだ楽だ。



傾斜が厳しく
岩をよじ上る形であっても

且つ
幼児であっても、

空気の問題での負荷が
ほとんどないことが、

登山を可能にしていると考えられる。


この形状で、富士山の高度と空気の薄さであれば
かなり這々の体になるであろうし、
幼児にはまず難しいだろう。




ジュニアは、空気問題がない分、
体調や体力は万全ゆえ、

どんなに険しい岩場でも
怒濤の勢いで登っていく。


ダモシが逆についていけない。




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*****





距離感というものは、

人間の心理に大きな影響を与える
ものであると思う。


それが
多くの人がいる
デイタイムという
ポジティヴな環境下であればまだしも、

人が少ない
険しい道や
大都会とは別次元の町
(知らない土地)であった場合、

そこから目的地へ
抜け出し/向かうための

距離感が

遠ければ遠いほど、

焦りとなって
人間にのしかかってくる。



ラスベガス郊外。

未だ
現在のような巨大エンターテイメント・シティ
になる以前のラスベガスは、

砂漠だった。


一定のエリアだけは
繁華街的な世界観でゴージャスな装いを
施していたが、

そこから外れるとただの砂漠。

旅行者ダモシとワイフはしかし、
その繁華街を抜けて、

その方角にあるだろう
巨大な、当時出来立てのアウトレット・モールを
目指して

歩き始めた。

酷暑の砂漠を、文字通り砂漠の中を歩くこと三時間。

ようやく視界に入った
ただただ一直線の道路と
その向こうにある巨大な建物。


<あれだ! よし、もうすぐだ!>

と色めき立ったダモシだったが、

すぐそこに見える建物まで
どんなに歩を進めても辿り着かない。

辿り着かないどころか
一向に近づかない。


<このまま辿り着かないのではないか…>

という焦りと恐怖が襲いかかってくるわけである。


<この状況で、マッドマックスのような
 暴漢が襲ってきたら
 目撃者もなく殺されるのだろう…>

とさえ思ってしまう。





そして、ニューヨーク。

郊外。

否、ニュージャージーの郊外も郊外。


真冬の5PM。
真っ暗な、人ひとり歩いていない道路。

見知らぬ土地。

ダモシは完全に方向を見失う。

<頭の中がナビ。
 一度歩けば方角で目指す方向が分かる>

を自認するダモシだったが、

さすがに
急遽訪れることになった
ビジネス案件でのその郊外で
ミーティング終了後、

ニューヨークのマンハッタンへ戻ろうとするも、

その方角を完全に見失った。



しかも、公共交通機関がない。

電車はない。地下鉄はない。
バスは<あるだろう>程度である。


タクシーが通るような都市部ではない。

厳寒と、真っ暗闇が
ダモシを焦られた。



<マズいぞ、これは…>。


当時、携帯は所持していない。

公衆電話もなかった。

暗闇の中を、
とりあえず道だから
この道を歩こう



歩いていると、

向こうに<白目>だけが見える。



<あの白いものは、目かな?>と思いながら

歩を進めていくと

やがて
それは人間であることが分かってきた。

黒人だった。

大きな黒人男が一人、
なぜか道ばたに立ち
ダモシを見ている。

暗闇に光る唯一の物体は、白目。



<ヤバいぞ、これは…>

と思いながら、次第にその者に近づいて行くダモシ。

引き返すわけにもいかない。

人は、人だ。
人だから、万が一、助けてくれるかもしれない。



目が合った。

立ち止まるダモシは、
2mの距離は空けていた。
用心のためだ。


口を開くダモシ。

イチかバチかだな、と問うてみる。



<ここらにバス停はないですか>。



白い目がギョロっと動いた。

見えない口が動き
音が出た。


<ない>。


やはり、ないのか。


ダモシは<参ったな…>と思ったが、
イチかバチか言ってみた。



<マンハッタンへ戻りたいのだが、
 どうすればいいのか。
 ここまでは途中のバス停までバスで来て、
 そこから歩いてきたのだが、
 その方向も分からないし、
 これだけ暗いから初めての地で分からない。
 どうすればいいのか>。



黒人は近づいてきた。

そして言った。


<バス停はないが、
 ここらで待っていれば
 マンハッタン行きのバスは来る>。


絶対的な信頼は置けなかったが、

その言葉を
信用するしかもう術はなかったのだ。



ダモシは待った。

凍えながら、待った。

その間、その黒人大男がバスケットボールのファン
であることが分かり、

黒人NBAプレイヤーの話題で
異様に盛り上がった。


待つこと数十分。


バスは、来た。


そしてその黒人の前で停まった。

黒人は言った。


<ほれ、乗れ>。


黒人は乗らなかった。

ダモシはこれでマンハッタンへ
戻ることができた。



このとき、

忌憚なく、

とても怖かった。


ダモシはあのとき、恐怖を感じた。






富士山。

八合目の山小屋を、
未明に起こされて
登頂への出発をしなければならなかった
あの日。


暗闇で見えない。塞がれた視界。

暴風と厳寒。


それだけでもう恐怖である。




<いったい、どれくらいの距離(と方向)があるのか>。



それが分からないとき、

人は焦る。





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富士山に限らず、

山もまた、そうだろう。


茶臼岳もまた、

頂上が常に視界に入っているものの、

前述した事例でいえば
ラスベガスの世界観で、

見えている目的地までの距離感が
計れないことからくる焦りである。


富士山にも、そういう側面もある。





方角や方向が分からなくなることでの焦り



距離感がつかめないことでの焦り。



<どこまで歩けば(どこまで登れば)着くんじゃい!>

という
焦りからくる苛立ち。




ジュニアの
<まだ?まだ、どれくらい登るの?>
という問いに

ダモシは
<もうすぐだ>としか応えられない。



その、"もうすぐだ"

が一体いつまで続くのかといったところで、

それがより長ければ焦りと苛立ちになり、
やがてそれは心身を蝕んでいく。


だが、ジュニアは健常だった。


己自身の視界にも入っている頂上を、

とにかく
ひたすら目指すのだ
という姿勢は、偉かった。


ハナから、きついだの、辛いだのは
織り込み済みで、

登り切らなければならないのだ

ということを
大前提にしているから、

大きく焦ったり、動揺することなく、
とにもかくにも山頂へ
というマインドで足を動かした。




むしろダモシの方が、

<まだかよ…>と弱さを露呈した。


いつものごとく、

ぶつぶつ文句を言いながら登る
という世界である。



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皆、がんばって登っている。

このあたりになると
黙々と登る世界になってくる。






*****





茶臼岳は、
ところどころに岩壁、絶壁がある。


ひと際高く抉られた岩などがあり
その上に立てばまた
苦行としての登山に彩りを与える。




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絶壁の岩壁の上に立つダモシ。


下を見れば、こうなる。



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*****






そして、

登ること約60分弱。


狭く険しい岩場を抜けてよじ上り
右手に朝日岳を眼下にする
頃合いとなれば、


那須岳主峰・茶臼岳、
1,915mの頂が目前に迫る。



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<さあ、もうすぐだ。最後のひと踏ん張りだ>

とダモシもかけ声。

頂上は目前。




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ダモシ軍は、登頂した。


最高地点の頂上は
あっけなくも岩場となっている。

巨岩に腰掛けた登頂者たちは
思い思いに耽っている。

持参したおむすびを食す人もいる。




ダモシは富士山同様、

山頂での至福の一服を吸い込んだ。




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山は、シンプルだ。


とかく
人間の日常生活における
あらゆるカテゴリーの事象では


ゴール設定をするのは自分である。


しかも
たいていそのゴールは
目に見えないものであったり
抽象的なものだったりする。



だが、山はシンプルだ。


山には、具体的に目に見える、
あるいは目に見えなくとも
必ず存在するものとしての<頂上>がある。


頂上到達が、山のゴールである。


要するに、
山に頂上というものがなければ
人は
山を登るという行為のゴールを
見出すことはできないだろう。


そうなると、山に登ることの意味自体も
なくなってしまう。



山には必ず頂上があり、

その頂上をゴールとすることでの
山登りが発生する。


万国共通、山登りのゴールである。



だから、山はシンプルなのだ。

明らかなるゴールを
目指せば良いからだ。




日常生活では、
それは難しかったりする。


だから
山を好きな人は、

日常では不能な行為を
実現させてくれる
非日常なる存在<山>に登るのではないか。




そして今、シニアの登山者が多い。



これもまた
どこかには

複雑になりすぎている
現代の日常の中では実現し得ない

シンプルな行為と明確なゴール

という非日常を求めたところでの
流行なのではないか

とも

一つには考えられまいか。








:::::






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元気な高年齢層。

リアルに近年の
高年齢層の方々は元気だ。


彼らより
体力があるかどうか、
ダモシ自身、疑問である。

少なくとも
山登りにおいては

ダモシは
彼らに勝つ自信はない。




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ジュニアにとっても

山の登頂は
高尾山以来二度目、

そして

記念すべき
初の日本百名山・登頂となった。





一緒に富士山に登る日は、

来るだろうか。









posted by damoshi at 21:05| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記






今宵は文字通り、日記を書いてみようと思う。




*****



やんちゃな男の子らしく
ジュニアの靴が半年もったが
新しいものを買わなければならない
という状態になったので、

朝から出かけました。

それに乗じて
たまにはショッピングしようかというわけです。

前の晩から

<明日は朝から、靴を買いに行こうか>
と言っていたのです。


港北エリアです。

朝からここは大渋滞で
どのモールも大盛況です。

本当にこのエリアは
消費動向が激しく
ニューヨーク並みです。

ほとんどがファミリー層です。



オーケーストアで
一週間分の食料品を買い出した後、

同じモールにある
ヤマダ電機の
100円ショップに寄り、

ワイフとジュニアが来年の
ダイアリーを買いました。

手帖という類いのものを使わない
ダモシですが、

<ダディはどれにするの?>
という
ジュニアの無邪気な問いかけに
Snack!のそれを買いました。


このモールに来たとあれば
ジュニアが色めき立ちます。

幼児で流行の一つ、
ガンバライドがあるからです。


<一回だけだよ?>と許容して
それで遊びました。

彼はまたカードを四枚増やしました。


その前に
オーケーストアでは
ダモシはつい懐かしくなって
プロ野球チップスを買ってしまいました。


かくいうダモシも
メジャーリーグの
ベースボールカードを膨大数持っています。




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その後、ランチ・タイムになりました。

港北東急のある
これもまた同じ港北エリアの
異なるモールで
ランチをしました。


お腹ペコペコのダモシは、

今宵のランチもまた
"普通ではない"量を平らげ、
ご満悦と相成りました。



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このエリアのモールには

当たり前のユニクロはもとより
ZARAのKidsまであります。

沿線でいうところの
横浜地下鉄ブルーラインですね。

センター北やセンター南などの駅周りは
たいへんな賑わいです。



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つい店を見ていると
ジュニアにとびっきり似合う
黒の革ジャンを見つけました。


着てみると、これまたばっちり。

本人も
男らしいそのポスチャーにご満悦で
購入しました。


ダモシも黒の革ジャンは
ニューヨークで購入したものを
今でも愛用していますが、

コート的な革ジャンはないので

ちょっと意外なところでの
カラーリングで
エンジ色っぽいそれを購入しました。


新しく入荷したてだということが幸いし、
ダモシ・サイズも
一着だけあったのが良かったです。


Lでは、それこそ着ることはできません。

最低、XLが必要です。

本当は、XXLでなければいけません。

しかし今宵はXLが一つだけあったのです。





ワイフは、パンツを買いました。



ジュニアの靴を見ました。

彼は
幼児、子供の間で人気の
"駿足"ブランドの靴が欲しいということで

各デザイン試しました。


無邪気なジュニアは
靴を試し履きするごとに

店内から外まで出て

外から駆けてきます。



<時間を計って>と言いながら。



子供らしいこういった無邪気さが
かわいくて
どうしようもありませんね。



結局、気に入ったデザインのそれが二足
あったのですが、

両方ともサイズが品切れ。



<じゃあ注文しよう>ということになり、

二足とも依頼しました。
一週間から十日ほどで入荷するそうです。




買い物にあたっては
いろいろな障害があります。


ダモシの障害は<サイズ>。

日本では特に
ダモシ・サイズがありません。


欧米ブランドのものでも
日本では大きなサイズのそれを
揃えている店はなかなかありません。



<米のXXLサイズまで仕入れておけよ>

と毎度毎度言いたくなるわけです。


そういう意味では
今宵はラックがあったのでしょう。



ジュニアの障害も<サイズ>です。

結構、
いずれの親も子も

<良い>と思うデザインは
ある程度、集中するようで、


気に入った靴や服で、
毎度、
ジュニアに適合するサイズのだけが
品切れというケースが多いのです。


19サイズという靴ですが、

17-18、20-21-22などは
どの種類も豊富にあるのに、

ジュニアが気に入るものは
たいていそのサイズだけが品切れ
しているケースが多いわけです。


まったく、困ったものです。



<なぜ、19だけないのですか>
とついつい言ってしまいます。

店員は概ね
<だいたい均等にあるのですがね>
と応えますが、

ダモシは概ね

<否。普通にここを見てください。
 相対的に見て明らかに19が少ないでしょうよ>

と言います。



なぜ相対的にそのサイズが少ないのか。

元々、仕入れている数が少ないのか、
あるいは
そのサイズだけが売れているのか。


疑問は解消されません。




ワイフの障害は、靴の、やはり<サイズ>です。

ワイフの場合、
左右の足のサイズが微妙に異なるのです。

ですので
両方ちゃんとフィットする靴が少ない
という
ディスアドバンテージがあります。



ニューヨーク時代は、
勝手に靴の箱を入れ替えて
サイズ違いのそれを同じ箱に入れて
いけしゃあしゃあと
レジに行くという苦肉を策を採りましたが、

店員にバレました。






*****






ショッピングをして、

お腹もいっぱい。


結局、自宅に戻ったのは夕方でした。


戻る途中に落ち葉を撮りました。
もうこんな季節ですね。




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東京や横浜も間もなく紅葉でしょうか。





部屋に着いて西の空を見れば、

また例の
燃える空が広がっていました。


ほんとうに
このエリアから見る西の空は
燃えています。


特異な空がいつも広がっています。


これはまさに
ニューヨークに匹敵します。




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燃え盛る西の空から、

目線を北の方へ移しましょう。


こうなります。



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既に東は暗く、
北の方も
ほとんど夜の帳が下りる直前ですが、

西の空の、あまりにも激しい燃える空の影響が
北の空にも及ぼし、

可住地と雲のパラレルな切れ間、水平に、

別空間を作り上げます。




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この写真で左手が燃える空、

右側の下部分が上の写真部分になるわけです。




このあたりではよく見る空ですが、
見ているだけで
有意義な時間を過ごすことができます。




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右上斜めに
台風の目のような雲の"勢い"が見られます。






*****





今宵のディナーでは、

しゃぶしゃぶを食しました。



お好み焼きを食べに行く予定でした。

でも
この田園都市沿線と田園都市エリアは
港北エリア同様に
消費動向が激しく、

ウィークエンドの外食は

どこも満杯で
予約がとれないなどという事態に
なっています。

そこそこのお好み焼き屋さんともなれば
予約も受け付けてくれませんで、

空けば電話で知らせてくれる等です。


並ぶことが大嫌いですし、
待つこともヘイトしているダモシです。

そんなことをしてまで
お好み焼きにこだわることもない



取りやめた次第です。




ジュニアと一緒にお風呂に入り、

自宅でワイワイと
ファミリー三人や猫たちと一緒に
しゃぶしゃぶを食し
デザートを頬張りました。


好きなテレビ番組である
<テレビ東京の旅番組>を観ました。


今宵は那須も取り上げられていました。



その後は主宰している競馬の
専門紙ブログ版である
ケイバ・タイムスをまとめたり、

ジュニアと遊んだりしました。





これから
明日の競馬の、
己がした予想の最終チェックをしたり

読書をしようと思っています。





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そういえば
先々週の競馬で、

ワイフが90倍以上の馬券を当てました。

その的中馬券を持って明朝、
明日の馬券購入もしてこようと思います。


ワイフは過去にも何度か万馬券を
当てています。

先々週もほぼ万馬券を当てました。

穴党なのです。


かくいうダモシは情けないですが、
万馬券的中経験は
ありません。

当然、明日も万馬券は狙います。




その、先々週。

ダモシは
好きな馬ウオッカの根づけを、

馬券購入した
新横浜WINDSで買ってきました。




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でも、天皇賞・秋では、
武豊のマズい騎乗もあって
ウオッカは無駄な負けを喫しました。


あと一戦。

ウオッカの時代はこの秋冬で終わります。

最後に勝たせてあげたい、
というか
勝って欲しいです。

そのジャパンカップ、

観に行こうかな…、どうしようかな…。






今週も、

好きなbook-offで本を買いました。
書店でも新しい雑誌も買いました。



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左は新しい雑誌で、

右が一昨日book-offで買ったもの。
なぜか山形。



立石寺・山寺。

そして
山形ではありませんが
平泉・中尊寺に、毛越寺。


行きたいのです。



右の新しい雑誌は、良い特集です。


いずれもまだパラパラしか
見ていないので

これからカウチで読みたいと思っています。




もう一つ、book-offで買った本は、
<東京>モノです。



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これの面白いところは
単なるトレンド紹介やガイドブックではなく、

東京=江戸
というフォーカスで

昔の東京をフィーチャーしていることです。

下町、山の手。
江戸時代からレトロまで、
ヒストリカルな名所と
その背景を説明してくれています。


オトナのお散歩&遠足には最適な参考書になります。



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ああ、そうそう。


昨日のことでした。

ニューヨークの友人から、
ニューヨーク・ヤンキースが
ワールド・シリーズを制した翌日の、

ニューヨークの新聞が

届きました。


頑丈に包装してくれていたおかげで
新品のまま
折れもなく届きました。

込み上げるものがあります。




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早速、壁に飾ってある
巨大なフレームに入れた
ニューヨークのサブウェイマップと並べて
記念写真を撮りました。


これもまだ読んでいません。

このウィークエンドで読めるかは
分かりません。

終生、大切にしたいと思います。








もうこんな時間です。


今宵は三時前には眠ろうと思います。
明日も早起きして
朝一番でスポーツ紙を購入してから読み
予想の最終確認をして購入馬券を確定させてから

新横浜へ電車でのんびり出かけたいと
思っております。




それでは、おやすみなさい。


Good night, and Have a nice weekend.





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posted by damoshi at 01:14| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

<錦繍路-7>:西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし







西郷は西郷でも、

"西郷どん"の西郷隆盛ではなく、

"山嵐"である。




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西郷四郎。

またの名を、姿三四郎。








*****






ボクシング、空手などの
異種格闘技戦を闘い、

警視庁オフィシャル・マッチでの
柔術との他流試合において
講道館柔道を守った怒濤の山嵐。




会津藩の家老・西郷頼母(たのも)。

戊辰戦争や、
暗殺の危機、はたまた土方歳三らと
"北の某"での戦等々、

明治新政府とのバトルにありながらも

生きながらえたグッドラックマン。


その、当時の屋敷が
会津若松武家屋敷にある。




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38の部屋、畳の数は何と328枚という
いわゆる豪邸。

そこは雪隠、茶室、檜の間、客待の間、風呂場、台所、
女中部屋などなどで彩られている。



西郷頼母の養子が、

後の
柔道・講道館創成期の四天王の一人として
名を轟かせる西郷四郎(旧姓・志田四郎)。





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小説、後に映画やテレビドラマ化された
<姿三四郎>のモデル。



<西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし>。


そう言ったのは、嘉納治五郎。

身長が低いことを
コンプレックスとしていた
嘉納治五郎は、

その解消のために柔術を学ぶ。

やがて様々な流儀のそれをミックスして
ハイブリッドな講道館柔道に昇華させる。


武術の一つであった柔術から、
武道の一つである柔道への
ハイブリッド。


<道>を極めるという
ニッポンの古来ゆかしき精神性を
そこに見出したか。



西郷四郎は同じく身長が低かった。


その柔道着を目にしたとき、
小ささに驚いたが、
どうりで
後で調べてみると
西郷四郎の身長が低く、

身体全体が小さかったことが分かる。



講道館のオフィシャルな情報から引くと、

西郷四郎の身長体重は
153cm/53kgとして伝えられている。


昔の人の中では
際立って小さくはないだろうが、
それでも小さい部類だったであろう。

現代で考えれば、
体重は別として
その身長は成人女性平均より小さいか。


ダモシと比べても
178cm/87kgと153cm/53kgだから
向かい合って睨み合えば
一見すればどちらが強そうかといえば、

普通に見れば

ダモシだと思う人の方が多いだろう。



だが、そもそも柔道は

柔よく剛を制す

ものであるという
根本的なイデオロギーがあり、

それこそ柔(やわら)の世界である。



さように身体の大きな者を
小さな者が破るものとしても、

西郷四郎が編み出した技・山嵐は
有効だったのであろう。


<山嵐>。


それこそ西郷四郎のような小さな身体でこそ
威力を発揮した技。


払い越しと背負い投げの
ミックス技ともいえる<山嵐>。

その技の背後関係を、
ふたたび講道館の説明から紐解く。

現代語に置き換えて記載する。



◇◇◇
これだけの技ならば
誰にでも出来そうであるが、
実行はなかなか容易ではない。

西郷がこの技を得意としたのは、
彼の身体上の特徴が二つあったことによる。

その一つは彼の身体が矮小であったから
ことさらに(自分の)腰を下げなくても、
押し返す相手をそのまま引込めば、
相手の踵が理想的な支柱となるからである。

ゆえに時間を省き、
又、
潰される懸念がないのである。

もうひとつの特徴は、
西郷の足指が普通の人と違って、
熊手のようにどれも下を向いていた。

だから払い腰のように足をのばして
相手の足首にかけると、
上に流れずに
そこにぴたりと食いついているのであった。

その上、
西郷は前にも言ったように
思い切って乾坤一擲に技をかけるのであるから、
ほとんど百発百中相手を投げ飛ばしたのである。

要するにこの技は、
小さい人が
より大きい人に試みる方が有利である
◇◇◇


とのことである。



<山嵐>を己が技として
パーフェクトに完成させ得た要因の
最たるものは、


西郷の身体的特徴にある
ということである。


その一つが、小ささ。

そしてもう一つが、足の指。

その指が下に向いていて
熊手のようになっていたから
畳への密着度と相手の足首への吸着度が高くなり、

己が技をかける際の
己が足の(下半身の)バランスが
崩れずにいられるというアドバンテージである。



身体が小さいことと
足の指が(ある意味で異形であるという)
二つの通常一般的ディスアドバンテージを

己が武器としたわけだ。


これはよくあることだが、
ディスアドバンテージがあるがゆえの
"編み出し"といえるわけで、


天才型あるいは身体的アドバンテージを持つ型
などに見られる工夫の欠如とは
正反対の様相を示す顕著な一例とも
考えられよう。



吸盤。

己が足が吸盤となることの強みは、
畳の上を裸足で格闘するという
柔道においては

大きなアドバンテージとなったのだ。


また、小さいことは
逆にいえば
相手の懐に潜り込むことができる
というアドバンテージも生む二律背反は、

全盛期のマイク・タイソンでも
証明されている。

マイケル・スピンクスなどが
ただの木偶の坊に見えるほど
タイソンの潜り込みのスピードと
密着力と、

そこから放たれるパンチには

研ぎ澄まされたシャープさがあったのだ。





講道館柔道の殿堂入りを果たしている
西郷四郎。


<姿三四郎>で
多くのニッポン人は目にしただろう。


養父・西郷頼母の邸宅が移築展示されている
会津武家屋敷に

西郷四郎のスタチュがある。



そのスタチュは、見事なポスチャーの<山嵐>だ。





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*****





以下、会津武家屋敷から景を。




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白河藩で使用されていた水車を
用いた藩米の精米所。

今も動いている。


ワイフのリアル・ホームでは、
こういうものを用いて
かつね精米していたそうだ。




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千利休の次男・少庵は
会津若松城(鶴ヶ城)内に麟閣たる
茶室を造ったという。




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西郷頼母は菅原道真をリスペクトしていた、と。

よって
自邸内に菅原道真を祀る神社を擁した。

それが会津天満宮。





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:::::




<会津武家屋敷>



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会津若松市中心部及び
会津若松城から、車で約5分。


入場料、オトナ850円。




















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2009年11月13日

<錦繍路-6>:"なせば、なった" 左手のディスアドバンテージ




福島県の
会津若松と猪苗代。

このエリアのご当地人といえば

この人を超える存在は
いないのではないか

とさえ思える、

ニッポンの教科書的世界観における

偉人。




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左手をポケットに入れて立つ
仕草に、

人生を投影しているという意味でも
ポスチャーが成り立っている。


さふ。


世界のヒデヨ、

野口英世である。








*****







その解釈の正否は別として、

ダモシ的解釈でいうところの
<ならぬことは、ならぬ>
というイデオロギーと風土ある
この地から出たにしては、


ヒデヨの足跡は
ある意味で

"頼みごと"と共に

"なにがなんでも"といった世界観で
包まれているように見受けられ、


会津と猪苗代の風土とは
いささか合致しない。


むろん会津と猪苗代は
それなりに距離がある。


ヒデヨのリアル・ホームは猪苗代だから
<ならぬことは、ならぬ>とは
真逆の風土があったのかもしれぬが、

色恋含めて、
多感な青春期に"いろいろ"あった日々を
過ごしたのは紛れもなく会津ということで、

その風土はヒデヨに影響を与えなかったのか。




"なせば、なる"を地でいったヒデヨの
バックボーンには、

上杉鷹山が乗り移ったのか。


そう思えるほどの、

且つ

執念といってもよいほどの

ヒデヨの
"なにがなんでも"人生は、

ニッポン人の誰もが知るところであろう。



ニッポン人の誰もが
少年期から
何の疑いもなく

"偉人だよ"として教わり、

その長所だけを教わってきた。



しかも
我が国の紙幣にまで象徴が登場。


非の打ち所のない偉人。


今もそうなのであろうが、
ヒデヨは常に偉人だったのである。






*****






未だ一歳の時に
左手に大やけどを負ったことも
よく知られている。


ヒデヨの"なにがなんでも"人生は

この左手大やけどという
ディスアドバンテージとハンデから

始まったと考えるのが普通であろう。

その
ディスアドバンテージが
その
人の内面に影響を与え、

人によって
それが右左、あるいは東西南北
はたまたプラスマイナス

あらゆるダイレクションの両極へ

どう振られるかが
重要な分水嶺にもなる、と。



ヒデヨの左手が治らなかったら、
あるいは好転しなかったら、

その後のヒデヨはなかったのかもしれないが、

善し悪しいずれの面も
当然あっただろうヒデヨの、

凄いところの一つをピックアップ
するとしたら、

<もし、左手が治っていなかったら>

<もし、左手が好転していなかったら>

というIFをも感じさせない点であろう。



ヒデヨだったら、

左手云々抜きにしても
成功し得たかもしれないし、


そもそも

そんなIFを許さぬほどに

"なにがなんでも"左手は治っていたろうし、
好転していたのだろう

と思わせる点である。




人は誰もが成功体験と失敗体験を持つが、

概ね、

成功した時を振り返れば、

少なからず
心のどこかに
あるいは
必死だから無意識であっても


"なにがなんでも"といった

なりふり構っていられないぜ

という精神性があるはずだ。



かくいうダモシもそうだ。

成功体験においては
いずれも
確信的あるいは無意識的いずれにしても

なりふり構っていられないぜ

といった必死さがあった。


"なにがなんでも"
勝ちたい局面だから、だ。


ジュニアの空手を見ていても
それがはっきりと分かる瞬間がある。



幼児も少年も青年も中年も熟年も壮年も…。

恋愛でも仕事でも学業でも、何でも…。


同様だろう。





さて、ヒデヨ。



やけどによって、
その左手は癒着していた。


己がライフにおける

文字通り
手かせ足かせとなるであろうと
理解していたであろう

左手のディスアドバンテージ。





<ならぬことは、ならぬ>の会津で、

ヒデヨの
<なせば、なる>精神が発露し、

左手のディスアドバンテージをまず
わずかながらでも

解消することに成功した。




ヒデヨ、14歳で
会津の病院<会陽医院>で手術を受け、

癒着していた左手の指が動かせるようになる。




その病院がこれだ。



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手術に臨めるように周囲がお金を募ってくれた。
そして、ミラクルが起きた。



ヒデヨの<なせば、なる>は
グッドラックの連鎖と
"頼みごと"の連鎖でこの後、邁進していく。



ヒデヨはこのミラクルから
ドクターを志し、

猪苗代から会津へ出た。

そして、この病院に住む込む。

15歳。


以降、19歳までの多感な
文字通りの青春時代を

<ならぬことは、ならぬ>の会津で暮らす。


その起点はこの病院。


病院は今、野口英世青春館として公開。




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病院とその周辺の
ヒデヨ青春時代絡みのエリアとストリートは、

野口英世青春通り

として現在も息づいている。




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エリアには、

ヒデヨ初恋の相手・山内ヨネの家や
ヒデヨが洗礼を受けた教会などが
点在している。



ヒデヨはこの地で学び、
ドクターへの礎を築いたわけである。


"なにがなんでも"精神で
睡眠時間を惜しんで勤勉したといわれ、

この当時に
かの有名なクオートである

<ナポレオンは三時間しか眠らなかった>

を残したとされる。



ナポレオンは三時間しか眠らなかったのだから
自分も睡眠時間を削って勉強し努力しなければ
ならない

という自戒のクオートであろう。


十九歳で、
本格的に医師免許を得るために東京へ。



<志しを得ざらば、再び此地を踏まず>

の、

これまた名クオートを残す。


要するに、
"成功するまで地元には帰ってこない"
という

昭和の相撲取りにも似た世界観は、

今や失われた
覚悟と意思といえよう。



ここにも

"なにがなんでも"といった
イデオロギーが存分に見られるわけである。



ダモシが渡米した時も
まったくこれと同じ感情を持っていた。


<周りは、すぐ帰ってくると思っているだろう。
 ならば、なにがなんでも勝つぞ。
 どんな手を使ってでもな>

と。




この、

"なにがなんでも"といった精神性には

必ずといって良いほど
その手法は問わないという
己が覚悟が介在している。


当然である。



とにもかくにも成功。
なにはともあれ勝つのだ。


そういう退路を断つ世界においては、

そこでの手段を問うている
余裕は皆無である。


どんな手を使ってでも
周囲のネガティヴな声とは
正反対の結果を残してやる。


そういう気構えと強い意志である。

そこでは
キレイごとはまったく必要ないわけである。





<どんな手を使ってでも>。




ヒデヨもまたそれを実践した。

これがヒデヨの場合は

もちろん努力が筆頭だが、

その努力を実らせるための方法論としては
手段は問わない。


ヒデヨの採った手段は、<頼みごと>である。




・お金

・自分の都合良いように
 アトモスフィアを仕向ける


等、

己に必要なモノやコトを引き寄せるために

<頼みごと>を連発した。


その頼み方は分からぬが、
おそらくそれも上手だったのだろう。


左手手術のための
周囲からのカンパ以降、

ヒデヨは

分水嶺で必ず
周囲の人からの援助を受けている。


自ら、頼んで。


そこがまた好き嫌いは別として、

ヒデヨの
"なにがなんでも"性が顕著な所以であろう。



やがてヒデヨは世界へ出ていく。

フィラデルフィア、ニューヨーク。


苛烈なる大都市ニューヨークでも
ヒデヨの
"なにがなんでも"性は

世界各国からやってくる
<普通に皆"なにがなんでも">な
ニューヨークにおいても


まったくヒケをとらなかったのだろう。


それどころか
<日本人はいつ寝るのだろう>と言われるほど

ヒデヨのパッションは燃え盛っていたはずだ。






黄熱病を研究し、その黄熱病で自らの命を絶った。




"なぜば、なった"を地でいったヒデヨだが、

最後は
会津の
<ならぬことは、ならぬ>で終わるという

皮肉な結末となったとも

一つにはいえよう。





だが、

ヒデヨにとっては

最後だけが
<ならぬことは、ならぬ>になっただけで、


その
<ならぬことは、ならぬ>が
もっと多いのが当たり前の
人間の一生において、

数多くの



ほとんどのことを


<なせば、なる>にしたところが、


やはり偉人としては
認めるべきところではないか、と。



しかもその舞台は、世界に及んだのだから。







*****






会津市内の、
この野口英世青春通りには
ヒデヨを紹介する一文が認められた碑がある。


引用する。



<(会津はヒデヨが)
 学び、悩み、恋をし、そして傷ついた街。
 しかし彼は決してくじけることなく、
 むしろそれらを踏み台にして
 世界へと飛躍していきました。

 会津若松市の中心部を南北に伸びるこの通りは、
 野口英世が世界へ、
 そして大いなる人類愛へと飛び立った
 夢の滑走路だったのです>。





夢の滑走路。



良い台詞ではないか。





hideyo7.jpg








*****







最後に、

ヒデヨの<リアル・ホーム>猪苗代から。




inawashiro1.jpg



妙に大きな湖、猪苗代湖。

それもそのはず、
ニッポン国内第三位の大きさという。




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妙に印象に残る山、磐梯山。

トップのフォルムが
印象度を高めるのだろう。




ヒデヨのリアル・ホーム付近から。

ヒデヨも幼児期、
この磐梯山を眺めたことだろう。











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2009年11月10日

<錦繍路-5>:不思議な、"ならぬことはならぬ"







会津若松の写真を整理していたら
一枚に写真に目が止まった。



これだ。



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最後の一節。


<ならぬことは ならぬものです>。


おや?

と感じた。



一つ前の寄稿
<錦繍路-4:ならぬことはならぬ>で、

その言葉を

会津の特性として
ネガティヴな意味合いでの

<無理なことは無理>として

その諦観を捉えた。



だが、果たして意味はそれで良いのか。


そんな疑問がこの写真を見て沸いたのだ。



この写真に書かれている
会津民の特性と
イデオロギーを表す<あいづっこ宣言>を
振り返ってみる。



一、 人をいたわります。
二、 ありがとう ごめんなさいを言います。
三、 がまんをします。
四、 卑怯なふるまいをしません。
五、 会津を誇り 年上を敬います。
六、 夢に向かってがんばります。

として

最後に

<やってはならぬ やらねばならぬ>

ときて、

シメに

<ならぬことは ならぬものです>と結ぶ。



ここから読み取るに、
普通に解釈すれば
最後の<ならぬことは ならぬものです>は、

成し遂げるの<成る>の意味での
<がんばっても無理なことは無理なものです>
ではなく、

<〜してはダメ>の意味での
<〜してはダメなことはダメなものです>
なのではないか、と。


そんな疑問である。



だが、そう解釈するにも合点がいかない部分がある。

それはやはり
この<あいづっこ宣言>の
言葉の矛盾である。


人をいたわるだの
地元を誇りにするだのは

ある意味で宣言するまでのことではなく
当たり前のことである。

sorryとthank youも当たり前のことである。



<あいづっこ宣言>の中で特異な部分は、

<がまんをします>と
<夢に向かってがんばります>である。


前者は、一つ前の寄稿でも取り上げた通り。

会津は
そのヒストリカルな意味合いからも
我慢強いことが民族的特性ともいえる。


ダモシが気になったのは

<がまんをします>と
<夢に向かってがんばります>が
両者合い混じるには

違和感があるということがまず、一つ。



ダモシ的にはこの二つのイデオロギーは

同一上の標語や宣言の中に
同居することはあり得ない。


この二つは別物だと思っている。




と同時に、

それと同じ類いの矛盾が
最後から一つ目の標語
<やってはならぬ やらねばならぬ>。



おそらくこれの、

<やってはならぬ>が
<がまんをします>にかかり、

<やらねばならぬ>が
<夢に向かってがんばります>に
かかってくるのだと思われるが、


その
<やってはならぬ>と
<やらねばならぬ>が一緒に並んで
標語としてトリの一つ前の位置にある
ということが、

どうにも怪しいわけである。



要するに、

矛盾していないか?

ということである。


いったい、どっちですか?

と。



<やってはならぬ>と言っておきながら
すぐに
<やらねばならぬ>と言う。


これは逆に優柔不断といえまいか。




そして最後の<ならぬことは ならぬものです>
という達観した物言いが
いささか腹立たしい。


なにを澄まして、達観しているのか?

と言いたくなる。



且つこれは大いなる矛盾だ。

この
<ならぬことは ならぬものです>
の意味が、


仮に
<〜したらダメです。ダメなものはダメです>
だとすれば、


それは直前の
<やってはならぬ>で既に言っているわけである。


どうしてそんなにしつこく
<〜したらダメです。ダメなものはダメです>
と言わなければならないのか、と。



逆にダモシが立てた解釈である
<成らぬことは 成らぬものです>にすれば
違和感は減少する。


前に、三で
<がまんをします>と誓っているからだ。


やりたいことがあっても
欲しいものがあっても
夢があっても


<がまんをします>。


その心は、
<成らぬことは 成らぬものです>という
諦観が民族性の中にあるからだ

と。



だがそのロジックも完璧ではない。

やはり
引っかかってくるのが
トリから一つ前の
<やってはならぬ やれねばならぬ>という

意味不明な標語&イデオロギーである。


ここでは
<がまん>や<やってはいけません>
というネガティヴな装いの言葉ではなく、

<やらねばならぬ>という
強い意志が感じられるわけである。


その言葉は先述の通り
<夢に向かって がんばります>
にかかってくるのだろうが、


結局最後は、大トリとして存在している
<ならぬことは ならぬものです>
が妙に存在感強いがゆえに


矛盾となって残存してしまうのである。





とどのつまり、最後をこの
<ならぬことは ならぬものです>で
締めくくっているから、


物事ややこしくなってしまうのではないか、と。



なぜ最後の標語をそういった後ろ向き&ネガティヴな
響きや解釈をもたらしかねない
ワードにしたのか。


甚だ、疑問だ。




これではまるで、

そもそも
<がまんをします>と言っておきながら

夢捨てきれず
<(やっぱり)夢に向かってがんばります>
と優柔不断ぶりを露呈し、


でもその後ですぐまた
<やってはならぬ>と戒めるような
考え方に及んだかと思えば


<(いやいや、やはり)やらねばならぬ>

と考え改め、


さらにはしかし結局最後には

<ならぬことは ならぬものです>と
諦観に包まれて終わる


という流れ。





そう考えればやはりこの最後の言葉の意味は、

<〜したらダメです。ダメなものはダメです>
ではなく、

<(どんなに願っても、頑張っても)
 無理なものは 無理ですから>

と解釈する方が

正解に近いのではないか

と感じるわけである。




仮に、本来の意味が

<〜してはダメです。ダメなものはダメです>
であったとしても、


一連の<あいづっこ宣言>を見ていくと

そう認める至るには
あまりにも多くの違和感がある、と。




しかもこの<あいづっこ宣言>。

言葉と意味の組み合わせを
鑑みると、

それぞれの標語の並び順が
まったくおかしいわけである。

脈略がない。




例えば、


一、 会津を誇りに思って生活します
二、 人をいたわり、年上を敬います
三、 卑怯なふるまいをしません
四、 ありがとう ごめんなさいを言います

と来て、

五、 夢に向かってがんばります

と流れて

シメをただ一言

<やらねばならぬ>

と結ぶことで、違和感はなくなるだろう。



にも関わらず、
順序はともかくとしても

前段で
<がまんをします>と
<夢に向かってがんばります>という
親和性のない標語がある一方で、

それにかかるべき標語として

<やってはならぬ>と
<やらねばならぬ>が絡み合ったかと思えば

最後を
<ならぬことは ならぬものです>で
シメてしまっているという


"余計な"言葉が多い点が、

不理解をもたらしているのではないか
と考えた次第である。



むろん違和感を覚えるのは
ダモシだけかもしれないが、

どうも中途半端で、


<では一体、どっちのタイプが、
 会津っ子の民族性とイデオロギーなのか?>

と困惑してしまうのである。






根本的には

どうでもよい問題だが、

いずれにせよダモシは
<ならぬものは ならぬものです>を

<無理なものは 無理なわけですよ>
という意味であると


解釈する。




<〜してはダメです。ダメなものはダメです>
という意味であると解釈するには、

その一つ前の標語が
<やってはならぬ>である必要があるわけだ。

にも関わらず
直後に<やらねばならぬ>とやってしまって
いるから、


つながりがなくなっているわけである。







まあ、いい。





<どうせ無理なものは どうやっても無理ですから>

の会津若松市内から

数枚、景を。






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オールドファッションドな街並。

会津若松市内の中心部でもある。










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2009年11月09日

<錦繍路-4>:ならぬことはならぬ




四世紀頃には大和政権下にあって
東北の要衝だった会津若松(福島県)。


平安の時代には、

空海と最澄へ対する論敵として
ニッポンの仏教史上に名を残した
名僧・徳一によって

会津の地に仏教文化が開かれた。


この徳一が
会津を拠点に建立した寺社は
二十を超えるという。


会津が仏都と言われる所以でもある。





会津はその後
東北の強者・伊達政宗の支配を経て、
豊臣秀吉の命を受けた
キリシタン大名・蒲生氏郷が治める。


蒲生はこの地に
七層の天守閣を築くと同時に
城下町の整備を遂行した。


会津若松城の誕生である。




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*****






福島県会津若松市。


東北自動車道の郡山Jctで
左に折れて
磐越自動車道を新潟方面へ走ること
約一時間弱。


会津若松ICで下りて市内へ。

市内は狭いから
15〜30分圏内に
多くの観光ランドマークが揃っている。


・会津若松城
・野口英世青春通り
・城下町や昭和の香り漂うストリート
・直江兼続旧居跡
・会津武家屋敷

その他、白虎隊関連や会津松平氏庭園、
近藤勇のお墓などなど…。

<福島>にありながらも
ある意味で一つの独立した観光地が
会津若松といえ、

とても一日では回りきれない
一泊必要な地である。






蒲生氏郷。

1556年生まれ、95年没。
三十九年の短命。

豊臣秀吉による
奥州仕置の後に会津の領地を
任せられた戦国大名のエリートでもある。


城、城下町のビルドと共に、
酒や漆器などの伝統産業を開発。


現在の会津若松の礎を築いた先人。


蒲生の後、
越後から上杉景勝が会津にやってきた。

執政・直江兼続ディレクションのもと
ここに神指城を築こうとした。

だが上杉は関ヶ原の戦いを分水嶺に、

その野望を果たすことなく

米沢に移された。



その後、
会津若松城は地震で崩壊したが
天守閣を五層に改修。

時代は松平家による
安泰に向かったが、

日本版南北戦争ともいえる
戊辰戦争が勃発する。



会津若松城は、

明治新政府(with薩長土肥)
vs.
会津藩&旧幕府軍残党

による会津戦争の舞台になった。



会津藩&旧幕府軍残党連合は、

会津若松城に篭城。


米沢や仙台が陥落する中、
会津だけは最後まで抵抗して
この城に篭城。


しかし、
白虎隊のトラジェディーも起きるなど
惨敗。


戦後、会津藩は厳しい処置を受けた。


処罰を先導した西郷隆盛を
会津はヘイトしているのではないか。


対西郷隆盛という観点では、

会津は
その約十年後、
西南戦争で西郷に屈しなかった
熊本城に喝采を贈ったのではなかろうか。


熊本城は
谷干城の指揮によって、

西郷隆盛軍に攻め落とさせなかった。





あのとき会津藩は破れたが、

会津若松城は耐え忍び
難攻不落の称号を得た。


明治新政府の命令で破壊されたが、

1965年になって再建。

現在の城に至っている。





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美しい城だ。



今年は、
一年で最も多くの城とその跡に
足を運び、目にした年だった。



・江戸城(東京)
・甲府城(山梨)x複数回
・松山城(愛媛)
・熊本城(熊本)x二回
・金沢城(石川)
・鹿児島城(鹿児島)
・駿府城(静岡)
・唐津城(佐賀)

そして
・会津若松城(福島)。



昨夏の<本妻>復帰以後では、

・青葉城(宮城)
・小田原城(神奈川)

も見ている。


今年訪れた地で
城があるにも関わらず
そこへ出向くことができなかった
最たる事例は、


・大阪城(大阪)

か。



記載した中では

熊本城の美しさと素晴しさは
別格だが、

この会津若松城もなかなか、だ。



不思議なことであるが、

ダモシが城を訪れる際は
たいてい
サニー・スカイが広がっている。

ダーク・スカイだったことは
ほとんどない。



城とサニー・スカイは最高のカップリングだ。


濃い鮮やかな青空をバックにした
浮き立つような城のポスチャー。


城は

ブラック&ホワイトの世界観を

存分にエクスポージャー。



城の背後には

積年のヒストリカルな要素が
充満している。


その要素の大部分を占めるのは
栄枯盛衰のトラジェディーである。


悲喜こもごもあるとすれば、

絢爛豪華なポスチャーとは裏腹に

その内面に潜む
圧倒的な年数と膨大なる私利私欲が
絡み合った

悲劇と暗部の連鎖が際立ち、


どちらかといえば<悲喜>のうち
<悲>の方が多いように
見受けられるのである。



正負、そして悲喜。

物事すべて両面があるとすれば、

城を取り巻くアトモスフィアには

表向きが絢爛豪華であるがゆえに

その実の、
負の座標軸に位置する様々な<悲>の
オーラが滲み出てくるといった点でまた、


魅力あるものとしているのではないか。




城と、その地に、

重みが感じられるのは

ヒストリカルな要素だけではなく

それを取り巻くモードが
<悲>に彩られているから

ともいえよう。




だからこそ、魅力があるのだ。


だからこそ、人を惹きつけるのであろう。








*****






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<武者走り>。

会津若松城の
大手門の渡り櫓などへ
簡単に昇り降りが出来るように
造られたというV字型の石垣。


これは自軍の兵を
必要に応じて簡単に昇降できるように
したものというが、

敵もまた簡単に昇ることができる
という二律背反にはならなかったのか。


熊本城は逆に、

安易に昇れそうだと思わせておいて
途中から急激にその角度をもたらして
攻め手を撃退した

<武者返し>が石垣の特徴だ。




この差異は、
同じ城で、どう影響したのか。




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一方で、
攻め手から城を守る術は
当然ながら会津若松城も
持ち得ていた。


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この武徳殿がある位置は

城の大手口を守る
重要な場所だった、と。


ここから攻め入ろうとした敵を、

東西と南の三ヶ所から
一斉に攻めることができるように
仕組まれていたらしい。


その名も<みなごろし丸>。


先述の武者走りという
イージーな石垣は大手門。


要するに
そこまで敵が辿り着けるまでには、

まずこの
<みなごろし丸>を通過しなければ
ならなかったようである。






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長閑な秋の一日。

錦繍の中、
現代の会津っ子たちは

この城の敷地内(公園)で
憩いの時間を過ごす。




会津若松城、通称・鶴ヶ城。


会津のシンボルである。





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会津は、
その厳しい気候風土と

幕末期の敗北と
白虎隊の悲劇、

その後の過酷な厳罰なども重なって、

耐え忍ぶ
ネヴァー・ギブアップ精神を
持っていると言われている。



一方で、

それを矜持と解釈するか否かは
別として、


<ならぬことはならぬ>という

気質を持っているという。



ややもすればその気質は、

可能性の低いことには
無理してトライしない

という
チャレンジング・スピリットの欠如

ともいえるが、


そのあたりは

住んでみなければ
土地の人の気質というものは
理解することはできない。




要は、


<ならぬことはならぬ>と
ある面でのあきらめを持つ一方で、

過酷な境遇にも耐え忍ぶたけの
不屈の精神もある


という

表面的に言われる部分での気質においては
表裏一体及び二律背反がある
ということであろうかとも思えるが、


よくよく考えれば、

<耐え忍ぶ>ことと<チャレンジする>ことは
まったく別物であり、


<耐え忍ぶ>ことの背景にはやはり
<ならぬことはならぬ>という
諦観が横たわっているからこそ

ということになるわけだ。




<最初から負けること考えるバカいるかよ>

という

何にでもトライしてみよう
というチャンジング・スピリットの背景には
そもそも

<ならぬことはならぬ>という観念は
ないのだから。





ダモシ的には


・耐え忍ぶ

とか

・ならぬことはならぬ

という諦観は


嫌いである。







*****






直江兼続。

この会津若松城へ徒歩圏に住んでいた。


毎日
会津若松城へ通う道すがら、

築城を目指していた兼続は
何を考えていたのか。




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城から徒歩五分程度の位置にある
直江兼続旧居跡。


会津市内を横断する
メイン・ストリートの交差点を
曲がってすぐの位置にある。

いわゆる一等地だ。


会津若松城をメインに、

当時の
主要幹線道路であった
本一之丁と大町通りが交差する位置にあり、

蒲生氏による町割以後は
この地には重臣の大屋敷が
立ち並んだという。


セレブのエリアだったわけだ。


会津120万石の城主として
越後からやってきた
上杉景勝が、

己が筆頭家臣の直江兼続に
この地の屋敷を与えた。


直江はこの場所で日々、
神指原への築城を描いていたのか。

そのプランは、関ヶ原の戦いで水泡に帰した。



そのとき、果たして兼続は
<ならぬことはならぬ>と思っただろうか?






なお

この場所はまた、
山鹿素行・生誕の地でもあるという。


忠臣蔵の精神的バックボーンといわれる
山鹿素行。


この若松城下のセレブ・エリアに生まれ、
現代でいえば
幼稚園の年長に属する六歳の時点で上京。


学問に励み、赤穂藩に仕えた。


あの忠臣蔵で、
大石内蔵助が打ち鳴らした太鼓は、

山鹿流陣太鼓と呼ばれたという。


その山家流陣太鼓は、

先般ダモシが
<ザ・スリープ・カブキ>で邂逅した
歌舞伎の演目
<仮名手本忠臣蔵>でも登場する。



山鹿素行は、

己が弟子の
大石内蔵助の討ち入り遂行を

<ならぬことはならぬ>と思っただろうか?




直江も山鹿も

<否>であると思う。








なんとなく。


なんとなくではあるが、

この会津若松。

市内の各所各店で人と接した感覚では、

<ないものは、ない>

<できないものは、できない>

といった対応が目立った。



これは偶然や気のせいではなく、

やはり
<ならぬものはならぬ>という

会津イデオロギーが連綿と脈打ち

それが
会津の人々の特性としての気質と
なっている証かもしれない


と感じたところである。





当然、

ダモシは

それに好意を抱かなかった。







:::::





<会津若松城(鶴ヶ城)>


磐越自動車道・会津若松ICから
約15分。


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8:30AM-5PM
入場料オトナ500円




<直江兼続旧居跡>は、城から徒歩約五分。











posted by damoshi at 01:45| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月08日

復刻<フライング・ダッチマン〜彷徨える我ら。オペラ劇場で裏拳、放たれる>&<桃栗三年柿八年/松井でさえ、六年/ダモシつかみ三年、にぎり五年>





先般の歌舞伎座を受けて、

八年前の2001年、
9.11テロから16日後のニューヨーク
マンハッタンは
リンカーン・センターでのオペラ
<フライング・ダッチマン>観劇における
ストーリーを、

当時の
ダモシ初代ウェブサイト掲載分から
復刻掲載するところである。





◇◇◇◇◇
以下、当時のダモシ公式サイト<UWO>より。



<フライング・ダッチマン〜彷徨える我ら。
  オペラ劇場で裏拳、放たれる>





オペラに行ってきた。

ニューヨークでは
ブロードウェイには行ったことはあるが、
オペラに行ったことはなかった。

オペラやバレエ、クラシックなどにも
これから足を運ぼうと思っている。

明らかな理由はないが、
目の前にアートからスポーツまで
最高の文化が膨大にあるニューヨークに
いるのだから、

そういった部分も楽しまなくては
損というものである。


スポーツの殿堂が
マディソン・スクエア・ガーデン。
ここではボクシングの世界タイトルマッチから
NBA、NHL、フィギュア・スケート、
プロレスのWWF(当時)までが行われる。

ベースボールはもちろん、
ヤンキー・スタジアムとシェイ・スタジアム
(後者は当時)。

競馬はメインが
ベルモント・パークで、
ハーネス・レースはヨンカースなど。

ミュージカルはブロードウェイ。
NFLフットボールは
隣州ニュージャージーにある
ジャイアンツ・スタジアム。

ハーレムにはアポロ・シアターもある。

ブルーノートでジャズを聴く。
アートなら
メトロポリタン美術館、MoMA、
グッゲンハイムからフリック・コレクションまで。

その他を含めて
とにかく膨大数存在している。

すべて行かなくては、
すべて楽しまなくては損なのである。


(その後、在米中、ほぼすべて網羅した)。





*****





その中で、
オペラ、バレエ、クラシック、ダンスなどの殿堂
として親しまれているのが、
リンカーン・センターだ。

セントラル・パークの、地図上で左端。
コロンバス・アベニューの
62丁目から66丁目に位置する巨大劇場である。


このリンカーン・センターは、
6つの劇場と2つの演奏会ホール、
オペラハウスから成り立っている。

メトロポリタン・オペラハウス
エイヴリー・フィッシャー・ホール
ニューヨーク・ステイト・シアター
など錚々たる顔ぶれのホールが
混ざり合ったコンプレックス。


オペラに関しては二種類ある。

メトロポリタン・オペラと
ニューヨーク・シティ・オペラ。

前者は1883年の初演以来、
世界最高のオペラとして君臨。

後者は旗揚げされた1944年に、
時のNY市長が
<大衆のための
 オペラ・カンパニー>と
喝采を贈ったといわれているだけに、
一般層でも肩が凝らない。



メトロポリタン・オペラが
やや堅苦しいのに対して、

ニューヨーク・シティ・オペラは
市民が気軽に楽しめるものとして
今日も親しまれているのである。





*****





<腹ごしらえでも、していくか>。


ということで、
オフィスの下で待ち合わせをした
ワイフと共に

お気に入りのチャイニーズ・レストランへ。

ここのシェフは、
ダモシが別のチャイニーズ・レストランを
気に入っていた際のシェフである。

昨年暮れに、その店はクローズしていた。
それと同時に
そのシェフも姿を消していた。


<あいつが作る料理が食べたいなぁ>と
常々思っていたのだが、

たまたま入ったその店で彼の姿を見つけたのだ。

そして
あの頃と同じように同じ品を注文すると、
出てきたその品はまさにあの時と
同じ味だったのだ。

まさに探し求めていた味に再会。
その喜びは大きい。

人間にとって<食>とは、
それほど重要なのだ。


以来、週に一度は
その店に出かけている。



店内はテロ事件の影響か、ガラガラだ。

ダモシとワイフ以外には
ただ一人しか客がいない。

6:30PM。
マンハッタンから
サラリーマンたちは
さっさと家路についている頃合い。


腹ごしらえを終えてから、
60丁目のバーニーズ・ニューヨークに出かける。

ここでワイフ愛用のコスメを買う。
店員の態度の悪さがいつものごとく気になる。
バーニーズでこれだから
さすがニューヨークである。


リンカーン・センターは、
地下鉄のアクセスは決して良いとはいえない。

それはダモシにとって、だ。

オフィスの最寄駅もしくはその近辺の駅からは
単純に
セントラル・パークを挟んで
横の位置にあるリンカーン・センター。


しかしこの場所を横に通る地下鉄がない。

かといって
タクシーを利用するほどの距離でもない。



<散歩がてら、歩くか>と、
セントラル・パークの入口側を横行する。


ピエール、プラザ(当時)、
インターコンチネンタル(当時)などの
ホテルを通り過ぎる。


公演開始時間の7:30PMが近づいてくる。


<少し急ごうか>と
セントラル・パークの左端
コロンバス・サークル
(映画「タクシー・ドライバー」で
ロバート・デ・ニーロが怪しげに、
演説を行う議員を警備するSPに話しかける場所)
あたりから歩速を早めた。


目の前には誇らしげに
ドナルド・トランプのホテル
トランプ・タワー&ホテルが聳える。








*****







荘厳なオペラハウス。

むろん、正装である。
男性はタイ着用、女性はドレス。
公演時間が迫り、席につく。


次から次へと客が入ってくる。

気軽にオペラを楽しめる
ニューヨーク・シティ・オペラらしく
がちがちの正装ではない。

セーター姿の人の姿も見える。
明らかに欧州からの観光客と思しき人々も。





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(フライング・ダッチマンのplaybill)




スタンディング・オンリー・チケット
($15)を購入して、
最後部にスタンディングで見る人々の姿も
多く見られる。廉価ゆえ。


彼らは最も廉価なそれを購入し、入場。

満席ではない限り、
オペラのファースト・エントランスとなる
楽団による序章の演奏が終わってから
一斉に空き座席に座ることが許されるのである。

しょっちゅうオペラを訪れる人にとっては、
合理的且つ有益なチケットといえよう。



ダモシとワイフの席は、
通路側の一つを空けた場所だった。



<通路側に一人客が来るのだな>と
その行方を見守った。

何を観に行っても、通路側が好きだ。

いつでも自分の好きな時に
出入りが可能な上、
狭い座席で窮屈になることなく、
通路側に脚を組むことも出来るからだ。


しかし残念ながら
通路側の席には大男がやってきた。



(<ちっ。来やがったか…>)。



隣はどんな人だろうか。

飛行機でもスタジアムでも
常に気になるものだ。

階段をのろのろと
酔っぱらったような足取りで
登ってくるミドルエイジの白人大男。

なぜか
オペラに不釣り合いな
スーパーマーケットのレジ袋を、
ガサガサと音を立てながら持っている。


その風貌だけで
<よりによって、変な奴が来てしまった>
と思ったダモシは、

彼の隣に位置することになるワイフに
<話しかけられても無視しておけ>
とsuggestionした。


こういう輩は喋り出すと止まらないからだ。

相手が聞いてようがいまいが、
おかまいなしに喋り続けるし、
大衆の中で一定のルールを守れないような
タイプだからだ。


(<こいつが、うるさくしなければ良いが…>)

とダモシも不安を隠せない。



後ろの列の座席には紳士淑女がいる。

ダモシの隣も小柄な白人女性。
うるさくない。
場をわきまえている。

しかし、
その通路側の大男だけではなく
もう一人問題児がいた。

しかもそれは
ちょうどダモシの前の席。

彼もミドルエイジも後半に入った頃合いの
白人大男だ。


上演前からいかにも落ち着きがなく、
座席が狭いのか
何度も何度も姿勢を立て直していた。

その度にギシギシと
座席が不穏な音を立てる。


妙な姿勢で背伸びをしたり
頭を振り動かしたりと、

とにかく落ち着きがない大男。




(<頼むから、流儀をわきまえてくれ>)
と思わずにはいられない状況になっていた。





*****





ショーが始まった。

英語だと思っていたら
(ニューヨークでのオペラ公演は
 英語が多い)、

原語だった。


さっぱり分からない。

むろん、英語でオペラをやられたら
味わいは薄くなる。

かといって
原語ではまったく分からない。意味も分からない。

入場時にプログラムを受け取り、
その中に書いてあった梗概は読んでいたが、
言葉が分からないと
まったくストーリー自体が
心中に染み込んでこない。

英語だったら完璧に分かるのか
といえば、当然そうではないが、
それでもまだ理解できる。





英語の字幕が前方のスクリーンに現れた。


しかし、
なぜかそれがボヤけていて
まったく読み取ることができない。



<何だい、この字幕スクリーンは。
 ボヤけているじゃないか、ああ?>

と小声でワイフに問うが、

ワイフはなぜか怪訝な顔を
ダモシに向けるのみ。



問題児Aと想定されていた
通路側の大男は、

双眼鏡を手に熱心に観劇していた。

時折、
首を縦に振り大仰に頷いたり、

なぜか
手でガッツポーズをしたりと、

不穏なアクションを見せてはいたものの、

基本的には
熱心なオペラ・ファンという
様子が見て取れた。



しかしその大男は、
時間が経つにつれて
次第に粗相を起こし始めた。


突然、
<グォォ〜〜! グォォォ〜〜〜!>と
いびきをかき始めたのだ。



<おいおい、寝てるじゃないか>と
ダモシとワイフは笑った。


その、いびきのサウンドは
激しさを増していく。



<グググゥグゥグゥォォオオ〜〜!!>。


周りの観衆は
咳払いをしたり
<Oh, my...>と呟いたりし始めた。

既に大男の太い首と
大きな顔は、

前の座席の背もたれに
乗りかかろうとしていた。





*****





と、突然。


ダモシの前の席の
落ち着きのない男

問題児Bと想定されていた大男

(いびき男の斜め前)

が、

右手を後ろ手に振り投げた。

裏拳を放ったのである。


胸元にクリーンヒットした裏拳。


<ベシッ!>。


他の誰かが言った。

<Sounds Good!>。


裏拳を放った大男は、
いびきをかいて寝ていた大男が
目を覚ます0コンマ何秒かの間に
さっと踵を返し、
知らん顔をしてオペラに見入った。


いびき大男は、
裏拳を放たれた左胸をさすりながら、
周囲を見回し犯人探しを始めたが、
あきらめて双眼鏡を手にして
再びオペラに見入った。



だが、その大男はこの後、

三度、いびきをかいた。



裏拳を放った大男は、
己が紳士であると思っているのか。

今度はこの男が粗相を始めた。


いびきを戒めた代わりの勲章
とばかりに、

何度も何度も
己が持参した
雑巾のような巨大なハンカチで
ハナをかんだのである。



荘厳なオペラは、

もはや

いびきとハナかみによって
台無しである。


しかも
ダモシはそもそも舞台を
まったく理解していないし、
字幕も見えない。



最悪の構図が出来上がった。



響き渡るハナをかむサウンド。

<ブゥゥゥゥゥゥ〜ッ!>。




ダモシは
隣の小柄な白人女性と顔を見合わせ、
両手を広げる困惑のアクションをすることで、
場の不憫さを伝えた。



(<一体、この場は何なんだ…>)。



問題児Bのその大男は、

免罪符<ハナかみ>をこの後、

五度、行った。

そのサウンドが
回を追うごとに激しさを増したのは
言うまでもない。



<鼻水、出てないのに…>と
ワイフが言った。





<ゥルルルルォロ〜ベェゥルトォ〜♪>
という哀愁漂うオペラの楽唄



ハナをかむ
<ブゥゥゥゥゥゥゥゥ〜ッ…ブッ!>



いびきの
<グゥオゥ〜!ガァゥオオオオォォォ〜!>

という極限の異種融合サウンド三重奏。


まさにこれが、近未来オペラの新風景か。



<フライング・ダッチマン(彷徨えるオランダ人)>
は、

彼らを戒める力なく、
舞台袖に消えてフィナーレを迎えた。


楽団の荘厳なエピローグの演奏が
締めくくられると、

客席からは一斉に拍手と

<ブラヴォーッ!>の賞讃が起こった。







*****







最悪のシチュエーションでの
オペラが終わり、

深夜のセントラル・パークを歩く。


静かな秋深まる
セントラル・パーク。

ダモシとワイフは
ゆっくりと腕を組んで歩きながら、

不埒な大男たちをネタに笑い話をした。


そして、
彼らの話題が一段落すると
ダモシが思い出したように言った。



<しかしなぁ…。
 見えない字幕だったな>。




だが、ワイフは

<ホントに目が悪くなっているじゃない>

と叱った。



ワイフに言わせると、
字幕の英語はしっかりと
くっきりと
はっきりと
見えていた、と。


見えないなんて、あり得ない、と。


ダモシはそれを聞いて愕然とした。

ダモシには
それがボヤけていて
まったく見えなかったのである。


高校生の頃の視力検査で
前もって円の形を暗記しておいて
獲得した視力2.0という結果以来、

視力検査は運転免許更新の際くらいしか
行っていなかった。

その時は、1.2程度だったと記憶している。


相対的に、視力は良い。

そう思い込んでいたのである。

だが、
近年のコンピュータ使用などのせいで
視力が衰えているようで、

それが露呈されたわけである。




<アレが見えないなんて、信じられない>

とまで言われてしまった
ダモシの現在の視力は一体、

どれくらいなのであろうか。





彷徨えるいびき大男。

彷徨える裏拳&ハナかみ大男。


ダモシも
人のことは言えないようだ。



フライング・ダモシ。


視力が圧倒的に落ちてしまった
彷徨える日本人。


フライング・ジャパニーズである。





(2001年秋・記載)

(文中カッコ内の「当時」表記は、
 現在はないもの等)

◇◇◇◇◇




2001年9月27日。

未だダモシとワイフ二人に
猫五匹の生活。



fd02.jpg



この16日前にあのテロが起きた。

まだ二週間経過時点であった
当時のニューヨークは、

街から一時的に人の数が減っていた。

明らかに当時、
マンハッタンから人の数が減った。

出張禁止令が出る時世の中で
ダモシはダモシらしく
どうってことねえよと
東京出張にも出かけたが、

飛行機内エコノミー・エリアには
人がいなかった。

さすがのダモシも
飛行中の睡眠途中で目覚めた時に
機内を見回して
人がいないことを認めると、

<名もなく死ぬのだな>と

この局面で機体が爆破されたら
この限りなくゼロに近い乗客の中で
知られることもなく
己は空と海の藻くずと化すのか
と恐怖に怯えたものである。


そんなご時世だ。


前年のこの時期、
愛猫ロークが死んだ。

諸々、ネガティヴな出来事が続いたのが
この2000年、2001年あたりである。

2001年は愛するニューヨーク・ヤンキースが
四連覇を賭けて
ワールド・シリーズを闘っていたが、

"卑怯すぎる二枚エース・ユニット"
ランディ・ジョンソン&
カート・シリング擁する
アリゾナに一杯食わされて破れた。


この頃は、どうにも最悪的なムードが
漂っていた。


運気も悪い。
しかも、未だ異国暮らし前半戦であり
なかなか思うようにいかないことも
多かった。


慣れてペースは掴んできてはいたが、

苦しい闘いが続いていたのである。


三年でペースを掴み、

それを握り、
展開させることが
己のペースで出来るようになって

事態が好転してきたのは

五年経った2003年頃だ。




2000年9月末、ロークが死去し、
2001年9月11日に9.11があり。

2002年も9月に騒動があり、

迎えた2003年9月28日、

フライング・ダッチマンから
二年後の翌日に
ジュニアが誕生したのである。

その直前には
例のニューヨーク大停電たる
ブラックアウトも起こるなど、

相変わらず
ニューヨークは様々な仕掛けを
施してくれて楽しませてくれたが、


・ジュニア誕生



大きな起点、分水嶺いずれにもなったことは
疑いの余地はない。



その後も
対米、対ニューヨークは
様々な苦闘の連続で、

のるかそるかのsink or swimの
毎日であったが、


時期的にもこの頃から

ニューヨークでのあらゆることが
自分自身でコントロールしながら
出来るようになってきていたのである。



未だ

掲載した
<フライング・ダッチマン>の頃は、

そういう意味では

・手探り

状態を過ぎて

・ペースをつかんできた

段階も過ぎて

ようやく

・ペースを握り始めようか

というステージにあったに過ぎないわけである。



だから
本来であれば性格的に

裏拳を放つのは

ダモシ自身であったと思われるが、

ダモシより先に
さすがニューヨークということで
ダモシを上回る強烈なる個性と
苛烈なる日常を持った人々が多いことの

証明もされたケースといえよう。

握られていたのである。

ペースを。

己を上回る
非日常を持っている人々が
さすがに世界各国からやってきて
ニューヨークで生きる人々には多い。


それに匹敵するほど

己が遠慮なしに
己がペースとコントロールと

苛烈なる自己愛

過剰なるセルフィッシュ性を発揮して

"握る"ことを開始し
出来るようになった分水嶺が


2003年9月といえるわけである。


<フライング・ダッチマン>の頃は
未だ"握って"いないから
遠慮が見られるわけである。


裏拳は放たずとも

苦言、あるいはコンプレイン
もしくは恫喝くらいは
ダモシならするだろうが、

それをしていないということは、

まだまだ当時、
ニューヨークではダモシは
グリーンボーイだったということである。




<桃栗三年柿八年>や

<松井でさえ六年>ではないが、


そういうことである。


ダモシxニューヨークという

平易にいえば
<異国で生きる>ということに関しては

ダモシの場合は

<つかみ三年、にぎり五年>

という基本があったというわけである。



要するに

桃も栗も松井もダモシも

一年や二年では
そうそううまくいかんよ

苦労せえよ

ということである。





そして
リンカーン・センター。

そして
芸術。



あの後も親しみ、
それこそ網羅して堪能した。


カーネギー・ホールでの
小沢征爾指揮&
ロストロポーヴィッチのチェロ
という珠玉の組み合わせから、

リンカーン・センターでの

<最高の白鳥の湖>
と言われる
アメリカン・バレエ・シアターと
ホゼ・カレーニョによる
白鳥の湖まで。


美術館も
ニューヨークのみならず
北米各地へ出かけた。


ブロードウェイも、
メジャーな<アイーダ>のように
日本でも知られてものから
そうではないものまで。


メジャーやNHL、NBAなどの
スポーツ中心から

大きく広く派生していった。



それはやはり

ニューヨークという
磁力のなせる業であり、

世界最高の文化芸術と
エンターテイメントが揃っているからこそ
である。


自然に引き寄せられる。

観ないと、足を運ばないと

<損>なほど
日常が非日常化しているからこそ

である。




リンカーン・センターでは、果ては、


映画祭の取材で

なぜか
ニューヨークで

古い邦画
<となりの八重ちゃん>を観賞する
という奇異な機会にも恵まれた他、


特設会場での
ニューヨーク・ビッグアップル・サーカスと
邂逅して、

己が自らクラウン(ピエロ)に扮する
体験的ジャーナリズムまで
行うに至る。




存分にやったよ、と。

存分に関わったよ、と。


そういう結末に至るわけだが、

<フライング・ダッチマン>の頃は
まだまだ
リンカーン・センターにも

慣れていなかったのである。





lcc2.jpg



巨大複合芸術施設たる
リンカーン・センターの、一部。




lcc3.jpg


リンカーン・センター前の
広場にて。

まだまだ赤ちゃん時代のジュニア。





lcc1.jpg


サーカスのピエロ体験の様子。

事前打ち合わせの時点
(左から二人目がダモシ)。







桃栗三年柿八年。

松井でさえ、六年。

ダモシ
つかみ三年、にぎり五年。










posted by damoshi at 11:16| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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