2010年01月29日

フランス座の不思議



北は青森から南は沖縄まで
ニッポン全国津々浦々とはいかないだろうが、
どのくらいの数のそれがあるのだろうか。

全国ストリップ劇場案内
というサイトを見てみると、わずか60数軒。

もちろんこれですべてではないだろうが、
信濃国諏訪で見た一軒も
ちゃんと記載されているから
リアルに近い数値だろう。


ストリップ劇場のことである。

東京ならば、
ロック座があるから
浅草へ往けば普通にそれを目にすることは
できるだろう。

だが、基本的にはストリップ劇場は
日常的な時間軸において交錯する空間に
存在し得ないから、

目にする機会はそうそうない。


同じく全国ストリップ劇場案内を見れば
日本におけるストリップの歴史が
<議事録>なるタイトルで掲載されている。

それによると
1947年に新宿で披露された額縁ショーが
その夜明けとされている。

額縁の中での裸体を見せる意味合いだから、
アクションのないヌードということになる。
規制をくぐりぬける術だったのだろう。

1947年といえば
終戦からまだ二年しか経っていない頃だが、
日本国憲法が施行されている。

徐々に戦後復興へ向けて進んでいる頃合い。
今のJT、当時の専売公社が新発売した
煙草の名前も「新生」や「光」といった具合に
未来へ向けたマインドが見られた。


そんな年の初めに新宿における額縁ショーで
萌芽を見たニッポン・ストリップは同年夏、
浅草のロック座旗揚げで夜明けを迎えたというわけだ。


だから未だその歴史は、63年しかない。

現代において63歳といえば、
まだまだ充分に若い。

しかしストリップとストリップ劇場は
その老化、否、衰退も早かった。


ビデオデッキとレンタルビデオ店、
そしてAVの普及。

インターネットの登場。

"観るだけ"ならば、
生身の絡みのない裸の踊りよりも、
絡みのある
さらに過激な映像を選ぶようになる。


小向嬢の登場によって
局所的(浅草)には
一時的な復興があるものの、

今やストリップ劇場のある
そのエリアや町の佇まいは、

置き忘れられた昭和といった世界観である。

枯れ果てた、とか
朽ち果てた、とか
錆ついた、とか

そういう様相を呈している。


どうしてこんな話をするかといえば、
先般の信濃諏訪遠征において
日常的に目にする機会はそうそうない
ストリップ劇場、

しかもローカルのそれを目にしたからだ。

さらにそれは
ストリップ劇場というジャンルながらも
名称は<ヌード劇場>。

ベタだ。思い切り、ベタである。

昭和である。

しかも
この町の佇まいがそもそも昭和であるわけだが
(ローカルはいずれもそうだが)、

それに輪をかけるかのように
"置き忘れられた昭和"感を存分に
醸し出して余りあるポスチャーを擁していたから、

おもわず興奮してしまったわけである。


<あ、あれを見ろっ!>と同行者に叫ぶ。

<ヌード劇場だ(笑)>と。



gekijyo.jpg



神々のつどう地に、

こんな…

と。



そんな感慨であるが、
このエリアはいわゆる観光ホテル並ぶ
昭和の世界観ぷんぷんの
社員旅行や団体旅行的ニーズにマッチするだけに、

"これ"があっても違和感がまるでないことがまた
好意的な笑いをもたらす一因でもあると
感じさせた。


この劇場のHPを探したが
見つからなかった。
ないのだろう。

何か情報がないものか。
あるいは、
もしかしたら
とっくに潰れたか。

そう想いながらウェブを調べてみると
"STRIPwiki"というサイトに当たった。

そこに情報が掲載されていた。

上演時間は一時間十分。休憩五分。
入場料は4,000円。
ドア・オープンが6PMで、
オープニングが7PM。
フィニッシュは11:55PM。

入場時に
次回の500円割引チケットが贈呈されるという。


いったい、
一日どれくらいの集客があるのだろう。

純粋に知りたい。



信濃諏訪にて
置き忘れられた昭和を不意に見て

素朴な疑問を持ってしまったダモシであったが、

この諏訪フランス座、

名前を見ると
浅草にも同名(フランス座)の
名門劇場があることを想い出す。


ロック座、フランス座…。

なぜ"そういった"劇場の名前が
"こういった"類いになるのか。
これもまたその理由が純粋に知りたい。

たとえば国名であれば
パキスタン座でもインド座でも
ブラジル座でも良いではないか、と。

単に、語呂の良さなのか?

この不思議への疑問は、

昭和の遺産でもある銭湯の
その浴槽の向こうにある大きな壁に
おおむね<富士山>が描かれていたことに
浪人時代や
大学初期〜中期の風呂なしアパートメントでの
一人暮らし時代に訪れる度に感じていた

不思議へのそれと同じである。


なぜフランス座なのか。

そもそもストリップ劇場の名前には
なぜロックだのフランスだの"ニュー〜"だの
ミカドだのミュージックだのという言葉が
より多く選ばれるたのだろう。

なぜ富士山がほぼ必ず
どの銭湯にも描かれていたのか。

なぜストリップ劇場は潰れずに
やっていけるのだろう。

その客層はどういったものなのだろう。

浅草にも六区には
古き良き昭和の名残ある
ポルノ映画館もいくつかあり、
デイタイムでも見ていると
数人は入場していくのだが、

いまどき
そういう映画館へ入って
ポルノ映画を観賞する人の
モチベーションは何なのか。

わざわざそういう映画館へ行かなければ
"そういうものを"観たいという欲求を
満たす術がないのか
(PCもない、ビデオやDVDデッキもない)。



不思議への疑問は多々あるわけである。





ちなみに、諏訪フランス座。

場所は諏訪湖の温泉街。
JR上諏訪駅からは徒歩三分の好立地である。

いまどき社員旅行などという
無意味な行事が残存しているとは
思えないが、

仮にあるとすれば
社員旅行で諏訪に来たサラリーマンにとっては
足を運ぶ格好の場所であることは
一つには言えようか。








posted by damoshi at 00:20| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月27日

有楽町西武vs.ユニクロ、勝間、アバター、女子同士



それこそ
今や
<ユニクロと勝間とアバター>は、

どうてもいいよ、知らんよ、
勝手に乗りに乗ってくれ

と言いたくなる存在ではあるが、

銀座でもユニクロさんは絶好調。

銀座はそれこそ
ニューヨークでかつて知ったる
ダモシとしては
辟易としてしまうくらい

外資がやってきて"しまった"ご時世。

アバクロなんぞ
"あちらにしか"ないからこそ良いわけで
ダモシも好きで何着か持っているが、

それがニッポンに来てしまったが最後、

私は関係ないですから
着たこともないですし
興味ないですから

そっぽを向いて言いたくなる。

それは天の邪鬼などという
レベルではなく、

忌憚なく、ストレートに
腹が立つからである。

<来るなよ>と。

そして
<騒ぐなよ>と。


海の向こうでしか手に入らない
という堅持すべき領域もある。

それこそ
なんでもかんでも手に入り
なんでもかんでも観られるようになっては
ドラえもんのどこでもドアで
有り難みもへったくれもない。

死守すべきもの、侵されざる領域。
未だ見ぬ強豪、アンタッチャブル。

そういったものたちは大切である。

かねてからそう思っている。


そのうち銀座に
ヤンキー・スタジアムまで来てしまうのではないか?
とさえ感じてしまうほど
なんでもかんでもやって来ては
大騒ぎするニッポン。


それは一昨年フィーバーしたH&Mしかり、

次にやってくる
フォーエヴァー21しかりである。


H&Mもフォーエヴァー21もアバクロも
あんた
それこそそんなもん
とっくのとうに
ニューヨークで知ってまっせ、
行ってましたし、買ってましたよ

と言いたくなるわけで、

その狂想曲と大行列と
そこでハシャぐ輩の映像を見るにつけ、

<このアンポンタン!>

と黙っていられないわけである。


ユニクロはどうでもよくって、

それこそ言いたいが、

ならばユニクロさんよ、
郵便局のように日本最大チャネルができますか?
と。

そして
ユニバーサル・サービスで
ニッポン全国津々浦々、限界過疎も含めて
店舗出してやっていけまっか?

と問いたくなる。

さぞかし儲けていることだろうから、

そろそろそういった社会貢献してみて、
JRや郵政のように
苦しい事業展開を体験してみてはいかがか?

と、そう言いたくなるわけです。

地方の病院は経営が苦しいのですよ
ユニクロさん

と。

性格が悪いですからね、ダモシは。


そのユニクロはそういうレベルで
どうでも良いが、

ZARA
アバクロ
H&M
そして
フォーエヴァー21。

これらはもう
そんなふうにニッポンにまたぞろ
入ってくるならば、

東急ストアやファミリーマート同様に

ダモシ国議会に
<拒否法案>を提出だ。


そんな面々の煽りも影響として
少なからずあろう。

そして
時代にそぐわないからという要因もあろう。

百貨店が大苦戦の昨今。

遂にというか、お前もかというか、
有楽町の西武までもがクローズの憂き目に
遭うようだ。


84年のオープンから
バブル時代はそれこそ絶好調だった。

銀座を、有楽町を象徴する
ランドマーク的存在なのがマリオン。

マリオンを構成する左右の両ウィングが
阪急と西武。


0yusb.jpg


先週も夜の銀座を掲載した際に
マリオンは映っているが、
異なる角度からのものを。

右が西武だ。

この写真で西武の右に見えているのが
あの丸井の<有楽町イトシア>。
女性に人気の店だ。


銀座=20-30代女性(主にOL)

とくれば、

有楽町マリオン(西武)

プランタン銀座

という図式が90年代後半までは
あったはずだ。

そう認識している。

その構図が90年代末〜2000年代に入って
どうなったかは
ダモシには知る由もないが、

帰国後に初めて銀座を訪れた際には
<まだちゃんとあるのだな>と感慨深い想いを
持った。

その一方で、
シャネルだヴィトンだアルマーニだと
外資が乱立している様は
当時にはなかった様相で、

ここでもダモシは

<ニューヨークのマディソン・アヴェニュー
 ではあるまいし、アホかいな>

と忌々しく感じていた。

そんな中で、
いつの間にかイトシアも出来ていたわけで、

これは位置的にもターゲット的にも
<有楽町西武は食われたな?>
と感じるに充分であり、

同時に
<プランタンも食われているのでは?>


旧世代すなわち<昭和>の名残をとどめる
粋な世界観の
有楽町西武のクローズと共に
プランタンに対しても懸念を抱く。


ギャランティをくれれば
ダモシが百貨店再建策を持っているので
知恵を授けない上、
プランタンにも打倒イトシア策は授けることはできるが、

そんなリクエストは来ていないので、

まあそれはそれで致し方ないが、

ちょっぴり懸念するところである。

なんでもかんでも新しいものが良くて
なんでもかんでもファストファッションが
隆盛を誇るのはいかがなものか
という懸念である。



米時代は、
特に服飾関係の店で目立ったのが
<返却レジ>の大行列である。

彼らは
ファストファッションよろしく
ぽんぽんと服を買う。

そして一回や二回楽しんだら
リターンするわけである。

返金されるから、
さっさと買って
新しいそれをデートで着用したらポイ。

男をポイするのと同様に服もポイ。

買ったお店に持っていき
返却レジに並ぶのである。

返金されたお金でまた新しい服を買う。

これぞファスト・ファッションならぬ
ファスト・ファッショ。


まあ怖い怖いわけで、
ダモシ軍はそれを見ては
あざ笑っていたわけだ。

<米の阿呆!>と。


だが、ここのところ
ニッポンの女子もそうなりつつある気がする。

これはもう大いなる懸念である。

じっくりと、しっとりと、粋に。

そういった文化と感性がもはや
女子から失せて来ている気がする。

ファスト・ファッション店で服を買い、
一回か二回着たらポイ。

そのポイ場所はどうやら
フリーマーケット。

そこで売るわけだ。

買う方もそれを買ってまた売る。


いやはや、である。

男もポイだろう。



書店を覗いてみよう。

たいてい
一階の雑誌フロアで
女子の大軍がいるのは
女性ファッション雑誌のコーナーである。

その女性ファッション雑誌のコーナーの
範疇内、もしくは隣には
いま、どんなジャンルの雑誌や本が置かれているか。


神田の大型書店を例にとれば、
昨晩も笑いが込み上げてしまったわけだが、

まさしく想像通りに

<福山龍馬>関連の本やムックと

<日本の城>
<戦国武将>などなどの雑誌やムックが

占めているわけである。


これは笑える。

そこでは女子同士のアベックが
なにやら語り合いながらページをめくっている。


今や旅も女性同士のアベックが隆盛だ。

男はなかなか今、草食系だなんだで
外に出ようとしない。

否、そもそも行動力がない。

頭がナビで地図いらずで
どこへでも行ってしまうダモシとは大違い。

そんな男は今の女子は求めていない。

女子は女子同士で酒を飲んで酔っぱらい、
たばこをプカプカやりながら歴史を語り
武将を崇め、阿修羅像などに恋をする。
そして城へ出向いて感嘆する。

へたすれば、馬券的中率も
ダモシなんぞよりも遥かに高いだろう。


なんでも熊本城が来場者日本一らしいが、

ダモシが昨年二度行ったそこでも
たしかに、明らかに、普通に見ても

<女子のアベック>が多かった。

気持ち悪いくらい多かった。

今や鉄子という名の鉄道女も多いという。


なんだかなぁ、と感じてしまうところである。


きっと彼女らは
男と恋愛するよりも
女子アベックで気ままに過ごす方が
楽しいのだろう。

男のみならず、今や女も
異性との恋愛に面倒くささを感じているのではないか?

ダモシなんぞは
恋愛もある意味で掛け合いであり、
実に高尚なものであると思うのだが、

そこに面倒くささを覚えるようでは芸も味もないのだが、

きっと
洗濯をすることを面倒に感じるのと同じレベルで
彼女らは恋愛に、男に、面倒くささを
抱いているのではないか

と思えるのである。


少なくとも彼女らは機会を失っている。
歴女系や女子アベックは
そのポスチャーだけで
恋愛を拒否しているようなフシが感じられるのだ。

その昔は、普通に路上を歩いている女の中にも

歩いているだけで恋愛になりそうな女は
いっぱいいた。

今、そういった魅力のある色や気のある女が
東京ですら減った。

否、逆にそういう意味では
地方の方が良いかもしれない。

それは昨年、国内の各地方を歩いた際に
感じたことだが、

東京の女は
ファッションや化粧で
大いなるごまかしと詐欺行為を働いている
ケースが実に多く、

地方の女は素できれいだったり、

仕草やポスチャーに
奇妙な自然体のエロティックさが残っている
ケースがままあった。

これは確かだ。

地方の女の方が
東京の女に比べて
スポイルされていない分、

まだまだ女っぽさをキープしている、と。


東京にいる女はポリッシュされたと
勘違いして、実はスポイルされていることに
いいかげん気づいた方が良いだろう。


男に面倒くささを感じている都会の女。

彼女らはどうやら
ヴァレンタインズ・デイも
女子同士で過ごすようだ。

新聞に出ていたが、
アンケートによれば

男にあげるよりも
女子友達同士でチョコをあげる
という割合の方が多いというから
呆れ返る。


そもそもヴァレンタインズ・デイ
というものは、

言ってしまうが、

男から女にギブするものである。

ニッポンは何を勘違いしたのか
女から男への告白イベントに劣化した。

だが、
それはそれで
一つのニッポンの文化として

男女それぞれに対する<好機>提供
につながったからして

許せるにしても、

それがさらに女子同士のチョコ交換にまで
勝手にチェンジしてしまうという有様は、

お前らは真似とコピー商品得意の
チャイニーズと同じか?

と言いたくなる。


そもそも女子同士で
チョコを贈り合って、

気持ち悪いったら、ありゃしない。



<勝間に騙されるなよ、みんな>
<龍馬もいいけど、どうせ今年だけで飽きるでしょ?>

<恋愛も、結婚も、すばらしいぞ?>

と女子アベックたちには
お伝えしたいところである。


まあ、ほとほと呆れ返る趨勢は、

有楽町西武のクローズという
悲しいニュースを耳目にして
さらに拍車がかかることであろう。


バブル期。

ダモシにも
有楽町マリオンには

それこそ広告代理店時代に
仕事で絡んだ淡いメモリーズがあるのだ。


広告やコピー。
バブル期前から全盛期を謳歌した
西武の、一つの象徴でもある有楽町西武の
クローズを残念に思うところである。


一つには、

有楽町西武に
"デパ地下"があったならば…。

コンセプトに縛られて
それを設けなかったとすれば…。

仕事で絡んだ1993年。
一時期、毎日のように有楽町マリオンに行っていたが、
当時、素で感じたものだ。


<地下に何か食べ物、あればなぁ…>。



後悔先に立たず、だろう。






posted by damoshi at 23:46| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月26日

don't ask me!



待っている間、
ダモシの脳裏に浮かんで消える
ビリー・ジョエルの楽曲。

Don't wait for answers...
Don't ask for favors...
Don't talk to strangers...
Don't ask me why.



<今から帰るよ。
 二号は元気か。ごはんは何だい>

とカエル・メールをした。


返信は<おでんだよ>。

さふか。おでんか。

ダモシはもはや
テーマのある酒席以外は
酒を飲むことはないが、

ぴりっと締まるような寒さの
今宵の東京は
居酒屋の匂いが街中に漂う
神田界隈を歩いていたため

おでんと聞いた瞬間
"酒類の何か"も嗜みたいと感じ、

拙宅最寄駅の改札を出ると

田園都市線沿線各駅に
ほぼ存在する
東急ストアへ足を向けた。


そして、

ビールではなく

田村正和と仲間由紀恵が
ビールと間違えたという
サッポロビールの麦とホップを手に
レジへと向かったのだった。




*****



ワイフは
コンビニエンス・ストアの
ファミリーマートをヘイトしている。

拙宅近隣には
そのファミリーマートと
セブンイレブン以下、
ローソンなどたいてい揃っているが、

もっとも近い二つが
セブンイレブンとファミリーマート。

たいていは前者へ行くが、
以前はときどき後者へも行っていた。


ワイフは既に昨年の段階で
ファミリーマート・ヘイターになり

<あそこへは絶対に行かない>と言い張る。


ジュニアと二人で
たまたまファミリーマートへ行った際に
ジュニアが
<ここはマミーが嫌いなところだよ>
と言っていたこともあったので、

<どうしてだ?>と聞いた。


ワイフによれば、
ファミリーマートは
店員のマニュアルかなにか知らぬが、

必ず問いかけてくるというのだ。


例えばワイフがおつかいで
ダモシのたばこを買うとする。

品物は、たばこであるとする。

レジで精算する際、
店員が問いかける。


<一緒に肉まんはいかがですか>と。


これがワイフには腹立たしくて
仕方がないという。

一度ならずも二度までも、
そして三度あることは四度ある。

五回目を前に
ワイフの
ファミリーマート拒否法案は
ダモシ国議会を有無を言わせず通過した。


雑誌を買う際に
<一緒に歯ブラシはいかがですか?>
と薦められ、

肉まんを買う際に
<ストッキングも一緒にいかがですか?>
と薦められるように、

購入している商品と
何の関連性のないものを薦めてくる感性と、

<必要なら薦められるまでもなく買うよ!>
という世界観での
大きなお世話ぶりが、

頭に来るのである、と。


ダモシも<なるほど>とうなづく。


そもそも米に慣れている。

日本の過剰ともいえる
親切という名の大きなお世話には
いらいらする局面は多々ある。

その反面、痒いところには手が届かない。

それが日本のおかしなところではある。


ワイフは続けた。

<真冬に、ファミリーマートの前を通ったら、
 おでんを何も上にかけずに販売していた。
 おかしいのでは?>

と。

新型だなんだと話題多く
人々がマスクをして闊歩している最中に

ふきっさらしの状態で
おでんを店舗前のストリートで売る感性には
やはりアンフォーギブン

といったワイフである。




*****





さて、ダモシ。

ところは、東急ストア。


時に機嫌は良くもなければ
悪くもないが、

ニヤニヤしたり
キャハハハと破顔一笑したり
といったご機嫌モードとはほど遠いのは
当たり前の日々の中で、

どちらかといえば

<機嫌が良くない>状態であったことは
たしかである。


(<さっさとしてくれよ>)と
レジで並んでいる間、思っていたのもまたしかり。

毎度のことだ。

米のように
いくらぶっとんでいても
いくら世界最凶であっても

やることをやってくれれば
親切なんぞ不要。

特にスーパーマーケットやコンビニなどの
レジの行列においては
合理性最重視である。


ところが、トロい。

これが、トロい。

リアルに言って、

拙宅近隣では

西友が、米らしさを発揮して
店員の態度やホスピタリティにおいては
不足はあるものの
さすが米企業傘下だけあって

<さっさと対応>する筆頭格だ。


米暮らしを経ているダモシ軍は
こういうものを好む。

そもそもJALしかりだが、
痒いところに手が届かずに
無駄に過剰なCAサービスなどを施すから
破綻すんのじゃとさえ思うほど、

エアラインズのCAの対応も
日米では雲泥の差である。

どちらが良いかといえば
双方俯瞰して見ても

米の方が良い

という結論になるわけだが、

とにもかくにも
<さっさとしてくれ。よけいな親切はいらないから>
と常に思っているのがダモシ軍であり、

他の同じ一般消費者とて
そう思う人は少なくないはずだ。

(むろん米とて
 別の意味でのトロトロはある)。


東急ストアの社員教育の賜物か、
レジの女性たちは皆
品があり
丁寧に扱っている。

決して米のスーパーマーケットのレジの
スーパーヘビー級女性のように
卵を袋の一番下に入れて
その上にスーパーヘビー級のコーラやミルクを
入れるなんていう

<このオタンコナス!>と叫びたくなるような
仕打ちは行わない。


だが、ここで引っかかってくるのが、
スローモーなアクション以上に

前述したファミリーマートに等しく

日本のサービス業特有の
<マニュアル>である。


この<マニュアル>に則った対応と台詞が
腹が立ってしかたがないのである。

マクドナルドを筆頭とする世界だが、

ほとほと
<うるさいよっ!>と言いたくなる局面がある。


それが今宵まさに
決して機嫌が良いとはいえない
ダモシの怒感に
ちょっぴり油を注ぎかけた。


ダモシの前の何人もの
サラリーマンやOL
(時間帯的に、駅にあるからして、
 仕事帰りの一人暮らしの人々が
 お弁当などを購入していく頻度が高い)


レジの女性は同じ質問を機械的にぶつけている。


<ポイントカードはご利用ではありませんか?>。


都度、人々は

<ないです>
<ありません>

と答えたり、

首を横に振るなどしてリアクションを施していた。


その質問をするタイミングも
おそらくマニュアル化されているらしく
一定なのだ。

ピッピッという入力を済ませて
会計額を告げて
お客様がお金をごそごそ探したり
掌の上で確認したりしてから
今まさに渡そうという瞬間に、

質問するのだ。

その一連の動態を途切れさせるかのごとく
そのタイミングを狙って
レジ女性は

まさにKYな質問を投げかけるのである。


<ポイントカードはご利用ではありませんか?>。



ダモシの脳内には、
ビリー・ジョエルの楽曲、
don't ask me whyが流れてきた。


Don't wait for answers...
Don't ask for favors...
Don't talk to strangers...
Don't ask me why.





*****




(<俺には聞くなよ?>)。


そう心の中で唱えるダモシ。

"ビールと間違えてしまう飲み物"一個だけだ。
たったそれだけの会計だ。

ダモシは迅速だから
既にその小銭は掌に出している。

さっさとそれを出して
おつりを受け取るだけだ。


ピッ。

<135円です>。

ダモシはさっさと小銭を渡そうと
手を差し出すが、

受け取るべきレジ女性は
己が掌を差し出さない。


<ん?>と感じた0コンマ何秒の間(マ)。

レジ女性は
ダモシのハイペースを制するかのように

悠々とした態度と柔らかい声で
問いかけの台詞を投げかけた。



<ポイントカードのご利用はありませんか?>。



(うぐぐぐぐぐぐぐぅぅぅ…)。

油が一瞬、注がれてしまった。

しかし、
ここで怒鳴ったり
まともに切れてしまっては

相手が差し出した好餌に引っかかってしまうようで
芸がない。


怒っているのだが、
逆に怒鳴る気も失せた。

そして呆れ返るように
顔をリアルにしかめてこう言った。

その際に大事なことは
他の消費者にも聞こえるように言うことだ。

そして
他の消費者という同志の
胸の内を代弁するものであることが
共感を生む。

それを実現するに重要な心持ちは

<忌憚なく>感じたままに
物を言うことである。


ダモシのマウスが開いた。



<あったら、
 はじめから出しているでしょうよぉ…>。



レジ女性はさすがに
済まないと思ったか、

あるいは
(<あぁまた不愉快に思う人がいたわ。
 でもいいの。アタシはマニュアルに沿って
 やっているだけだから>)

と思ったか、

これもまた
謝罪のマニュアル通りに

<失礼致しました>と機械的に述べてから、

しっかりと
己が掌を差し出した。




*****




帰宅後。

おでんを肴に
"ビールに間違ってしまう飲み物"を
嗜みながら

ワイフに顛末を語った。


<何だ、あの東急ストアは。ダメだな、ありゃ>

と。



するとワイフは<Ditto>と
"私もよ"と即応し、
我が意を得たりとばかりに嬉々として語り始めた。


最近、頭に来るから行っていないという。

どうやら
ダモシ国議会では
裸の大将ダモシの知らぬ間に

とっくに
<東急ストア拒否法案>も通過していたようだ。


<西友ね。西友がアメリカみたいで、最近はグッドよ>
と喜色満面のワイフ。


ワイフによれば
やはり毎度毎度同じ質問をされていた、と。

<でも、こっちから最初に
 "ポイントカードはありませんからね"と言うのも
 シャクじゃない。だから言わないの。
 で、相手が聞いてくるその瞬間に言うのよ。
 "ありませんっ!"ってね>。


レジ女性が
<ポイントカードの〜>と言い出したら、

<ポイント>の<ポ>を言った時点を狙って、

<ありませんっ!>もしくは<ないですっ!>と
ワイフは言った、というのである。


それでもレジ女性は
マニュアル通りに<失礼いたしました>と
機械的謝罪を述べたというから

これまた厄介なのではあるが。





*****




<〇〇も一緒にいかがですか?>

<ポイントカードはありますか?>

というマニュアル問いかけ。

忌憚なくいえば、
いくらマニュアルといっても
現場感覚として
リアルに消費者と接しているのは
レジ女性であったり
カウンターで接客する係である。

マニュアルを設定する側が企業側だとすれば、
現場とのコミュニケーションにおいて
現場の声を反映していないのではないか?

と思わざるを得ない。


サービス業として、
消費者の気分を悪くさせることは
避けなければならないだろう。

よかれと思い、親切心だと思い、
そういった問いかけをしているのだとすれば、

それは大きな勘違いである。

はっきりいって、うるさいし、
大きなお世話である。

大のオトナが己がお金でモノを買うわけである。
買う必要や買いたい欲求があって
モノを買うわけであり、

買う必要のないモノは買わない。

イコール、
買う必要のないモノは
レジへ持っていっていないのだから、

レジで差し出したモノ以外を
薦めるのは
いささか乱暴であるし、

他人の生活に立ち入り過ぎである。

米であれば訴訟の対象になるだろう。

もうすこし
日本は他人のライフに干渉する所作を
控えるべきである。

デリカシーがない。



それにひきかえ、
ポイントカードに関しては
他のモノを買いませんか?と薦めている
わけではないので、

まだタチは悪くないが、

それでも
そのタイミングが悪すぎる。

しかも、だ。


そもそも論だが、
会員カードやポイントカードの類いは

<あれば>
<持っていれば>



<出す>

のが普通である。


翻って、

<なければ>
<持っていなければ>



<出さない>

のが普通である。


どう足掻いても、

それを出し忘れている人の確率よりも

それを持っていないから出していない
という人の確率の方が高いのも明白だ。


であるならば、

"いちいち"聞くのは、いかがなものか
と思わざるを得ないわけである。

皆、忙しい。

それこそ
ワイフも、
ジュニアを伴って空手の道場に
夜遅くまで行くときもある。

遅くない場合でも
19時過ぎまでかかる。

ワイフは道場で
黒帯手前になり
既に教える側になっているから
疲労も多い。

疲れて電車で帰って来て、

でも
もうすぐ家には
大きな五歳のダモシも
お腹をすかせて帰ってくる。

一刻も早く帰って料理をしなければ
大きな五歳が不機嫌になる。

ジュニアにも早くお風呂に入れて
食事をさせて
眠らせなければならない。


他の人も同様。

仕事から疲れて最寄駅まで
満員電車で帰って来て
一人の部屋で空腹を満たすべく
お弁当やお惣菜やビールや
"ビールと間違う飲み物"などを手に

一刻も早く自分の部屋に帰って
寛ぎたい。


レジは行列だ。
それだけで、溜息が出る、ふぅ〜。


やっと自分の順番だ。
さっさと会計して帰ろう。
はい、595円ね、と支払おうとすると、

妙に明るい声が轟く。



<ポイントカードのご利用はありませんか?>。


おおげさに言えば、これはイジメである。





*****





ワイフによれば、

相対的に見て
女性客の方が
その無邪気な問いかけを

<無視>しているケースが多かったという。


男性はたいていリアクションしていた、と。
丁寧に答える人も中にはいるが、
概ね、不機嫌そうに答えていた、と。

<ない…>
<ないですよ…>などなど。


女性客はツンとして<無視>を決め込むケースが
相対的に多かったというから笑える。


なるほどね、と。


おそらくそういった女性客の心の中の
台詞を覗き見れば


<あれば、出すでしょうよ!>

<ないから、出していないのでしょう!>

と描かれているのではないか?





*****



ファミリーマート拒否法案に関して
ワイフと
ディナー時に話になったが、

ダモシは
そのファミリーマートで
一度も
他のモノを薦められたことはない。


当時、ジュニアがワイフに言ったという。

<ダディとさっき行って来たけど、
 何も言われなかったよ?>。

<そうなの?>とワイフが応えると、

ジュニアが結論を述べたという。

<ダディは怖いから、
 お店の人もきっと聞けなかったんだよ>

と。


ワイフはダモシに

<たしかにダモシには言えないよね。
 ホットドッグいかがですか?なんてね>

と笑う。


<そりゃあ、そうでしょう。
 新聞を買いに行った俺に
 そんなことを言ったら、

 それこそ
 "なにをぉっ!?"となるだろうよ>

とダモシも笑えば、

<たしかにね。
 "ホットドッグだと?もういっぺん言ってみろ"
 とかね>

とワイフも同調する。


まさに「タクシー・ドライバー」の
ロバート・デ・ニーロのように

<俺に言っているのか?>と詰めよりかねない。



それこそ先週のウィークエンドの
ディナー時の8PM頃、

自宅のピンポンが鳴らされ、
出ないでいると
間隔をあけて三度もピンポンする輩が来た。

ほとほと食の時間を阻害されると
スーパー不機嫌になるダモシである。

しかも
じぶんじかんの妨害にはウルトラ神経質である。

その間ワイフは小窓から覗いている。
ふだんから
ダモシのいない日中なども
宅急便関係以外は出ないようにしているらしい。

ワイフは宅急便ではない何者かであることを
確認して、ドアを開けない。返事をしない。

しかしピンポンは鳴る。


ダモシが怒ってテーブルを立って
リビングの受話器を握った。

<はいっ!>

<あ。どうもどうも、エヌエチケーです>

ダモシ、怒る。

<何時だと思っているんだ何時だと!
 何度鳴らしてるんだピンポンを!
 うるさいぞっ!>

めげないエヌエチケー。

<なかなかご不在で、つかまらなくて。
 ようやくお逢いできるか、と…>

怒り心頭のダモシは遮って
文字通り恫喝。

<うるさいよっ!無礼者っ!
 出直して来いっ!出直してっ!>

と言うなり受話器をたたきつけた。


まあ、コドモには良くないのだろうが、
ジュニアがベイビーの頃から
米国でもこうだったから

これが普通で、ジュニアも今さら
驚かない。

<あぁ、また怒った>というレベルである。

ダディは
対外的にものすごく怖い人
という図式が完全に成立している。

そんなダモシを見ているから
ファミリーマートで
何も聞かれないケースにも

<怖いからだよ>と普通に理解するのだろう。



今宵、その対エヌエチケー時同様に

仮に機嫌が悪かったならば/
仮に怒らされた状況だったならば、

相手は女性だから恫喝はしないが、
きっとそのレジ女性に
議論を仕掛けて
こんこんとしつこくネチネチ説教をしていただろう。


その場合の想定問答はこうなる。


***
もし機嫌が悪かったら
when
レジ女性が
ポイントカードについて聞いた
***


ダモシ:
あったら、出しているでしょ?
ないから、出さないわけで。
実際、キミ、その質問してて
おかしいと思わないかい?

レジ女性:
失礼致しました。


ダモシ:
いやいや。何、その機会的な言い草は。ええ?
誤らなくていいよ。
率直に、ヒトとしてどう思っているかを
聞いているのだよ。
実際問題、
会員カードとかあれば出すでしょ?
ないから出していないのよ。
キミだってそうでしょ?
それをわざわざ聞くのは
おかしいと思わないのかい?
聞かれた方が怒るとは想定しない?


レジ女性:
〇〇〇〇〇〇〇〇〇。


この〇部分、
果たしてレジ女性は何と答えるだろうか。

想定問答が浮かばない。


一つには、

<カードを忘れた方がいらっしゃるかもしれない。
 あとでカードを持ってこられても
 加算はできないので、
 持って来ているのに出し忘れていないか
 親切心(と我々自身をプロテクトする意味でも)で
 お聞きしているわけです>



<マニュアルですので。
 お聞きする決まりになっておりますので>

という回答が想定できるが、

これでは想定の範囲内であり
面白くも何ともない。

想定問答というものは仕事でも作るが、
結構役立たない。

想定問答を超えたところでの
クレームや質問や回答が
得てして投げかけられるのが

世の常であるからだ。


と考えたのだが、

なぜ
こちらが想定問答を考えなければならないのか?
と疑問が沸いてきた。

あちらが考えて用意しておくべきだ。

ダモシのように
<あったら、出しているでしょう?>

<いちいち聞くなよなぁ>
というお叱りが出るだろうことは、

とっくにあちらは想定済みだろう。

だから
その質問をして
相手がどう答えてきても

とにかく

<失礼致しました>と徹底しよう
というのが

マニュアルになっているのだろう

と、

またこちらが想定するところである。

堂々巡りだ、こりゃ。




いずれにせよ、

ダモシ国代表のくせに
大臣職が一つもなく
単なるイチ議員のダモシではあるが、

ダモシ国議会に

<よし。俺も東急ストア拒否法案を提出しよう>
と今宵、意気込んだ。


しかしそれは既に通過済み。

ワイフが冷ややかに言った。

<今頃気づくの遅いよ>と。



ならばとダモシは、

包括的に
対サービス業への法案としての

<don't ask me法案>の提出を
目指す次第である。




とまれ。


ほとほと、


don't ask me!


である。








posted by damoshi at 22:56| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月25日

猫は、100%依存



今宵、
猫・2号の外科的処方が終わった。
いわゆる手術である。

ジュニアが幼稚園に行く前、
ワイフとジュニア二人で9AMに病院へ連れていき、
術後やはり二人で
5PMに迎えに行って連れて帰ってきたという。

すぐさま2号は押し入れに隠れて微睡んだ、と。

ダモシは8PM過ぎに帰宅すると
即座に<2号は大丈夫か>と押し入れを覗く。

すると2号は目を開けてダモシを見て
声は出ないが啼いた。



*****



ジュニアにとっては良い勉強になる。

朝、出掛けに
<しっかり頼んだぞ>と言うと、

ジュニアは<分かった>と、

2号を病院へ連れていき
幼稚園から戻ったらまた
迎えに行くという

己がロールを得て張り切っていた。


目に見える位置にある部分の腫瘍を
除去して、
それを検査に回すための外科手術。

ニューヨークでの
白血病での長期入院から
危篤状態で帰宅したジャックは当時、

食事を己自身で摂ることができないため、

首に穴をあけられて
そこからチューブでつながれていた。

そのチューブから食事や薬を投入する
チューブ・フィーディングを採用して
自宅で介抱してから
奇跡の復活劇へ向かったわけだが、

そのときジャックの首には
犬猫の術後特有の丸く外側に広がった
首輪のようなものがつけられていた。


<ジャックと同じで首についてるよ>
とワイフが言う。

押し入れの2号を見れば
痛々しいそれがついている。

かわいそうだが、
身体のためだから致し方ない。


麻酔が翌日まで残るということで、
2号はぼんやりしているが
意識はあり、
ダモシのことも分かって
押し入れの奥から見て甘える。

ダモシは首筋を撫でる。
撫でるとまた喜んで
安心したように見つめるわけだ。

ダモシからすれば、猫は女性だ。

"気まま"と言われる猫の特性は
拙宅の猫たちも同様だが、

巷で言われる猫の特性と異なり、

人にしっかりと懐き
人に完全についている。

それは100%の依存ともいえるほどだ。

旅で数日置いてきぼりを食らおうが、
渡米、帰国で長時間
飛行機内の貨物室に入れられようが、

この人たちは自分たちを絶対に見捨てない
という信頼が彼らの側に
長年の付き合いで備わっていることも
手にとるように分かる。

一緒に遊ぼう?



ごはんをちょうだい?



トイレの砂をとってキレイにしてよ?



100%の依存である。


自分で好きなように外へ出て
狩猟をして生きるわけではない
室内飼いの猫の

それは
外猫との明らかなる違いだろう。

すべてやってくれるのだという前提で
いつなんどきでも甘えているわけだ。

小さい人間であるコドモと
小さい動物の違いでもある。

小さい人間のコドモは
未だすべてを自分でできるわけではないから
生きていくためには
親へ依存するのは当たり前である。

親もそれに応えるのも義務である。

だが、一歩一歩、
小さな人間であるコドモは
自分自身で何かを遂行することを覚えていく。

やがて己自身で生きていかなくては
ならなくなるからだ。


室内で飼われている猫は、犬もそうだが、
全面的に親である飼い主に
死ぬまで依存する。

それで良いのだ。

ペットとしての猫や犬を飼う以上、
それがまた親である人間の義務であり
レスポンシビリティである。


病にかかれば、可能性がある限り、
そのペインを取り除いてあげる。

気持ちよければ
さすってあげたり
撫でてあげたり
可能な限り気持ち良くしてあげる。


かといって、
ベッタリするのは
これまた猫の本質的な性質からして
見合わない。

かわいさ余ってというところで
いくらかわいくても
過度に抱きしめると、

猫は
スキあらば腕の中から逃げ出そうとする。


床についていて
すり寄ってきて
腕枕に自らやってくる猫だが、

かわいいから腕枕で抱いてこちらも
眠るとしても、

仮に
こちらが
<ずっとそのままいてくれ>
<オレも気持ちがいいよ。落ち着くよ>
と思ったとしても、

猫は
己自身が<もういいや>と思えば
時に一分で、時に十分で、

腕の中からするりと逃げ出して
とことこと歩いていってしまう。

そして
自分の気に入った場所で眠り、

また
気が向いたら甘えに来て
同じ布団の中に入ってくる。



*****



21時過ぎ。

食事や水を与えても良いとされる
時間になって、

声をかけると
2号は押し入れから
ふらふらしながら出てきた。


ワイフの補助を得ながら
ジュニアが水を差し出して
首輪があることで飲みにくい2号を
フォローして水を与えた。

食事も手を皿にして与えた。

なかなかそれが難儀だ。

足下はふらつき、

歩きにくい上に
首輪のせいで視界が狭いのか
2号は首輪を方々にぶつけながら
歩いているわけだが、

水も食も
まだ自分自身の口でできるから救いだが、

とにかく摂らなければ
栄養不足で風邪もひきやすくなり、
感染症や合併症が懸念されるから良くない。


三日後に傷口を調べたりするらしいが、
とにかく早くまずは
首輪がとれるようにならないといけない。

それが第一歩で、

次は腫瘍が悪性ではなく
良性であるという結果が望まれるところだ。


一方で、
ドクターに
<おしっこをいっぱいしますね。
 水もずいぶん飲むようですし>と言われたという。

ダモシは
<糖尿とか腎臓が悪いのか…>と懸念するところで、

腫瘍の結果はもとより
病気があるとすれば
何なのかが判明し、

それが治癒平癒可能なものであるという
結果になることが

現時点でのベターなところだ。





猫は100%依存。

ダモシの中では
そんなイメージがある。

少なくとも拙宅の猫たちはそうだからだ。


その一方で、

生命という営みにおいては
依存の上に成り立っていて
最善を尽くすのはダモシたちだとしても

究極は

そこで猫本人のパワー:生命力が頼りになる。


己が親であるジャックの奇跡があるわけだから、
どうか2号にも
直系遺伝子として
ジャックのような強い生命力があることを
願うところである。







posted by damoshi at 23:54| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月24日

太郎も次郎も、万治を称讃



高台にある諏訪大社下社春宮の境内を出て、
細い雪道を下っていくと
砥川が流れているはずだが
その水は凍り、むき出しになった石が横たわっている。

砥川は
霧ヶ峰を始発点に、諏訪湖へ流れ出る川だ。

しんと冷えた空気と
目の前に広がる光景が交錯して
体感気温をさらに下げる。

石を跨いで往けば
そのまま渡ることができそうなほど
狭い川幅だが、

一方通行程度の幅の、
朱塗りの橋がそこには架かっている。


諏訪大社下社春宮と
砥川を挟んで対岸にある

ぽっこりと浮かんだ、
おそらく夏は田圃と思われる台地へ

渡るための橋である。

浮島橋。

砥川はこのあたりで
一瞬だけ二又になり、
その中間点に浮島神社を備える。



0seki2.jpg


0seki1.jpg


0seki10.jpg


0seki3.jpg



川辺の小さな田を
雪の中、歩を進める。


0seki5.jpg


0seki4.jpg


狭い雪道の両脇に旗が立っている。

そこに
<万治>という文字が見える。


木々が茂る中の
わずかな台地と田の
これまたぽっかりと浮かんだ地に、

まるでそこだけ
イースター島かといった世界観で

モアイ像のような
アンバランスな石仏が立っている。


<何だ、あれは…>。


0seki6.jpg


<万治の石仏>だ。

未だに謎が多く残っているとされる石仏。

それが造られたのは、
影向寺の鐘楼と同じ
万治三年(1660年)のことという。


彫りの深い目と高い鼻。
丸みのある全体フォルムと
小さな手のその交錯がキュートな石仏。


芸術新潮の<ふるさと日本紀行>から
参照してみる。


***
諏訪平をめぐる山々に
修験行者がいて、
それらの一派である弾誓教派が
石に仏の首をすえる仏頭伝授という作法を
持っていたという。
***


江戸期に伊那の高遠を中心とした
この一帯に優れた石工たちが輩出されたようだが、

その石工技術と
諏訪一帯に根づく特殊な信仰が
結びついて、これが生まれたとも言われているが、

その真偽は分からない。


正面に線香が奉じられた
万治の石仏の周りを三周して
祈りを捧げるのが作法のようだ。

この日も年配の夫婦が
思い思いに祈る姿が見られる一方で、

若いアベックは
祈らずに
己が携帯カメラで記念撮影に興じていた。



0seki7.jpg




*****



0seki8.jpg


So What?の世界ではあるが、

近現代においては
芸術家の岡本太郎と
作家の新田次郎がそれぞれ
この<万治の石仏>に賛辞を贈ったという。


岡本太郎はそれが高じて
<万治の石仏>の石碑まで描いた。




0seki9.jpg


砥川。

視線を諏訪湖側(町側)へ移せば、
川の様相もまた
非日常から日常へと化身した。

諏訪大社下社春宮という
非日常空間は
狭く小さな砥川を分水嶺にして、

浮島橋、万治の石仏を擁して
なかなか日常へと戻させないが、

戻ろうと思えば簡単に、
ちょっと振り返れば俗世の色合い、
さらにもう一度振り返れば
非日常の浮き世離れとなる。



<万治の石仏>がある小さな台地は、

夏のなれば
ニッポンのふるさと原風景的な
ノスタルジーを
人々に与え賜うであろう。






posted by damoshi at 21:25| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

乳イチョウの古刹




朝から新横浜WINDSへ
ベットで訪れた。

GI以外はめったにベットしないが、
一頭鉄板がいると思われるレースが
ひとつあったためである。

混戦よりも鉄板のいるレースであれば、
鉄板の馬から人気薄へ流せば良いから
シンプルである。

むろんそのレース以外もベットしたが、
10年度初勝利なるか楽しみである。


その前にオトナの遠足&お散歩で
野川まで足を伸ばした。

川崎市に位置する野川だが、
R-246から品川方面へドライブする際に通る
中原街道に至る分水嶺にある。

一般的なガイドでは
「中原街道沿い」とされているが、
実際には街道沿いではなく
そこから小路を入って数分走るところの高台に

影向寺という
"関東の正倉院"と誉れ高い古刹がある。



0youko1.jpg


解説によれば
その開基は740年。

聖武天皇の頃で
それは今年、遷都1300年祭を迎えている
奈良・平城京の時代だが、

ちょうど740年は
一時期、恭仁京へ遷都された年でもある。

その聖武天皇からの命を受けた
僧行基によって開かれたという
古刹も古刹である。



0youko3.jpg


0youko5.jpg


0youko6.jpg


1694年の創建とされる本堂(薬師堂)。

御本尊の木造薬師如来坐像と
両脇侍立像は、国重要文化財に指定されている。



0youko7.jpg


阿弥陀堂。




*****



境内でひと際目立つ存在が、
大イチョウの巨木。


0youko10.jpg


0youko12.jpg


背丈はともかく、
その太さから言えば
鶴岡八幡宮を凌ぐのではないかと
感じられるほど太い"乳イチョウ"。

母乳の出なかった母親が、影向寺の薬師さまに祈願。

そのお告げ通りに
乳イチョウを煎じて飲んだところ、
乳が出るようになったというスーパースティションが
浪漫心をそそる。


樹齢は600年。高さ28m、
幹の太さはなんと8mもあるという。

鶴岡八幡宮のそれが樹齢1000年、
高さ30m、幹の太さ7mというから、

やはり太さでは影向寺の乳イチョウに分があるようだ。




0youko11.jpg


万治三年(1660年)鋳造の鐘楼。





:::::



0youko9.jpg


0youko4.jpg


<稲毛薬師 威徳山 影向寺>。


JR南武線/東急東横線・武蔵小杉駅からバス利用。

車の場合、
野川交差点から中原街道へ入り
武蔵小杉方面へ走ってすぐの小路の上り道を
左に入り三分。

田園都市から約15分。








posted by damoshi at 15:23| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ダーティ・ヒロイズム



五木寛之氏がその昔、

<札幌には「いい町よ」と言わせるものしかない。
 住む市民に「札幌は嫌いです」と言わせるものがない。
 逆に金沢には、
 そこに住む人に「ほんとうを言うと、
 金沢は嫌いです」と言わせるものがある>

と書いた。

的確な表現だと感じるものだが、

これは人にも当てはまるだろう。

"現在"世間的にネガティヴな、
小沢一郎や貴乃花、
そして
以前から悪評の高い朝青龍や亀田父。

比較的、
ダモシが好意的に見ている面々である。



貴乃花は現役時代の98年までは
嫌いだったが、

ここのところのスキャンダラス性が
ダモシ的にはOKであり
心情的には貴乃花サイドについている。

あの小泉純一郎が首相だった当時の
"痛みに耐えて良く頑張った。感動した!"
スピーチの際の、
怪我を押しての武蔵丸との決定戦。

当時は在米中だったため"よく分からなかった"が、

改めてyoutubeでその映像を観ると

<ほほぅ。凄かったのだな>と
見直したりもしている。

黄色い声援を集めたことに
フォーカスが集約された
98年以前の様相と、

宗教チックに走った世界観から、

貴乃花に対して否定的だった
ダモシだが、

現在の貴乃花が醸し出す
スキャンダラス性は、支持である。


小沢一郎も同様。

多数決の論理や、
"正義"という隠れ蓑を武器にしたり
"正論"だけで喝破して
物事の秤が進んでしまっては、

"エブリシング勝間和代"になってしまう。

味がない。心の機微といった深みがない。

理想論や正論だけで
物事すべてうまくいくならば
話は簡単だ。

戦略や戦術、
それを成すためにつく"嘘"などといった
虚実皮膜の世界観があるからこそ生まれる
喜怒哀楽といったものが
ないがしろにされてしまう危険性がある。

そういった方向での危険性こそ牽制したい。


"正義"という隠れ蓑をもってして
意図的にアクションを起こして
恣意的な結果を生み出そうという
目に見えぬ組織的な力こそ

警戒すべきである、と。


朝青龍しかり、亀田父しかりである。

要するに
冒頭の「札幌云々」ではないが
人も町も国も都市も
刺がなければ何も面白くないということである。

むろんそれは人の好きずきで、

品行方正コンシステンシーを好む向きもあれば、

物事にはすべて表と裏があり、

ヒストリカル性
カルチュラル性
エデュケーショナル性
エンターテイメント性
が内包されていなければならない

という思考を持ち、

そこにプラスαで
somebodyたらん場合は
"スキャンダラスな何か"が必要である
という感覚を持っているダモシからすれば、

品行方正コンシステンシーは
面白くも何ともないわけである。


バットを振らなければホームランは生まれない。

考えるよりも行動。

いくら分析してもそこに答えはなく
あくまでもそれは想定でしかない。

リアルな答えは
アクションを起こしてみた末での
結果にしか現れることはない

という基本的な理念である。


<ドラ息子!>というヤジや
<説明責任>がどうのという
それこそ本末転倒の国会論戦を見るにつけ、

お前らは何をしとるのか、ボケ。
そんなレベルの低い掛け合いをやっとらんで
さっさと国民のための議論をせんかい!

と相変わらず憤るわけだが、

そういうレベルの低い
品行方正コンシステンシーならば、

田中角栄→金丸信→小沢一郎
と連綿と脈打たれる
ダークサイドを抱えながらも
ゴリ押しも利くパワーを持っている
強力的イズムに惹かれる。


<よゐこ>では成し得ることの限界があるのだ。

三振に終わるかもしれないし
ゴールの途中で凍死するかもしれないが、

いずれも
バットを振らなければ
冒険の歩を進めなければ
ホームランもゴール到達も成し得ないわけである。



「いい町よ」で
そこを嫌いに思う人がいないのは
ある意味で悲劇である。

それは人間でも同じだ。

<よゐこ>、<いい人>。

金沢と札幌の対比ではないが、
金沢のように
内にいる人でも<実は嫌い>と言える/言わせる
度量があることがエッジだ。

それでこそ面白みがあり、
奥深さではないか。




*****




銀座。


これもある意味で
一般人的には
<いい街>で終わりかねない。

銀座の場合は札幌と異なり
<町>ではなく
<街>になる。

むろん、
銀座の特殊性は
そこで働く者=特に"夜の女"にとっては
それで終わらないという点だろう。

自身は"夜の女"ではないので
その心象を理解することはないが、

そこにはあらゆる種類の欲望が
蠢いていることであろうことは
想像に難くない。


だが、一般ゼネラル的には
銀座は<いい街>で終わる可能性の高い
東京の中の街の一つであると思われる。


東京の中でいえば
たとえば渋谷や新宿、池袋という<街>ならば、

<いい街>だけど<嫌い>
という向きは相当いるだろう。

六本木などは
リアルにアンケートをとれば
<嫌い>という方が多いだろうと想定する。

首都圏に広げれば、
神奈川県だが川崎などがその典型例だろう。


だが銀座は、表参道と並び、
<いい街>には違いないが
<いい街ね>で終わる世界を想起させるわけである。

だとしても<街>だから
<いい町>で終わる札幌とは
その規模感や内容で字の如く世界観は
まったく異なるのだが。



そんな銀座の、
フライデーナイトからの景色と共に。

かつて存在した<花金>という言葉は
もはや死語だろう。



0fn10.jpg


日本の文化遺産の一つでもある
歌舞伎座。

クローズまでいよいよ100日を切った。



0fn9.jpg

0fn8.jpg


銀座四丁目交差点。



0fn7.jpg


外資王朝も今や厳しいか。


0fn6.jpg

突如現れる廃墟と工事現場。
大都会の、これは一つの美であり
アンチテーゼである。


0fn4.jpg

0fn3.jpg


<君の名は>でお馴染み数寄屋橋(交差点)。

もちろん今は"橋"はない。



0fn2.jpg


0fn1.jpg




*****



猫の"2号"がトラブルに陥った。

首におできのようなものが出来ていたが
それが大きくなったため
病院へ連れていき細胞検査をしたところ、

腫瘍である、と。

週明けには外科的手術を施して
その腫瘍が悪性なのか良性なのかを
検査することになった。


ポポ、ジャック、2号、ケロの四匹の猫が
もう13〜15年の付き合いになるわけだが、
ジャックはニューヨーク時代の
白血病からの奇跡の生還をはじめ
今も甲状腺機能障害で投薬を続けながらでも
長らく生きている。

いずれもシニアであるが、
今もなお子猫のままの仕草と甘えぷりで
当然ながら家族である。

2号は、
ポポとジャックの息子である。

2号も
ニューヨークでの白血病騒動の際に
瀕死の状態になったが、

ワイフが
日本の肴である"さんま"を焼いて与えたら
数日間食事をとる元気もなかった2号が、

狂ったように食べ、

それによって復活した経緯がある。


2号が体調を崩したのはそのときくらいで
あとは元気に過ごしていた。

今も元気で食欲旺盛なのが救いだが、

腫瘍ということで
非常に気を揉んでいるところである。

どうか良性の腫瘍であることを祈りたい。

猫たちとは
ニッポンから渡米。
米での生活も経てという
文字通り苦楽を共にしてきたわけだ。

ニューヨークで残念ながら
ロークという一匹は亡くしたが、
その分も彼らは生きている。

ニッポンまでまた遥か遠くニューヨークから
再び飛んできて戻ってくるなど
彼らもダモシ軍同様に
タフな日々を過ごしてきたからこその長生き
でもあろう。

むろん年齢に応じた肉体的な衰えは
目に見えない部分ではあるだろう。

だが、まだまだ元気だ。

楽しそうに走り回ったり食事をしたり、
気持ち良さそうに微睡んだりしている。

その時間をまだまだ過ごさせてやりたい。

こういう場合はもう
毎度のことだが、
祈るしかない。

そしてお金はかかるが、
できることはしてあげるしかないわけだ。

ジャック同様、
2号も生命力は強いだろう。

それに賭けるところである。


週明けの外科的処方の費用は
四万数千円という。

いやはや、であるが、
背に腹はかえられない。

ニューヨーク時代のジャックの生還においては
日本円で300万以上かかっているわけであるし、
渡米時五匹と帰国時四匹全員の
航空運賃だけでもたいへんな額になっている。


ダモシ国にとっては、
猫たちも子供同様に家族であり国民である。

国家財政が厳しくとも
なんとかせねばならないのは当然である。


そして、そんな時。

ジャックの米での白血病と危篤からの
奇跡の生還への過程においても、

それこそ、そんな時は、

(ダモシ)国の代表としては
手段や手法なんぞ問うているヒマはないわけである。


冒頭の話に戻るが、

そういった局面において
家族や国民を守るべき立場の人間に

人間性や品行方正さやコンシステンシーや
マジメさや清廉潔白さなんぞは

無用である、ということである。


力づくでもゴリ押しでも何でも
何が何でも勝たなければならないときがある。

それはスポーツでも受験でも恋愛でも
異国へのチャンレジなど何でも同様である。


仮に小沢に、
本当に日本国を、日本国民を良くしたい
というポリシーがあり、
それを目指して進んでいるのであれば、

手段や手法を問うことはないし
人間性なんぞはそれこそ無関係である
ということだ。


昨今、

五輪で脚光を浴びる若い選手を見れば
端的な事例だが、

脚光を浴びると調子に乗って
ウケ狙いのように
<よゐこ>や<ぶりっこ>、はたまた
<天然ぶり>を演じる者がいる。

チヤホヤされるから図に乗ってしまう
パターンである。

根本的にはアイドル化。

バドミントンの潮田などは典型的な例だが、
冬の五輪でスピードスケートで
中学生で代表になったヤングガールなども心配だ。

天然ぶりっこぶりを
意図的に見せてしまうケースが
往々にしてあるのだが

(本人は無意識あるいは本当に天然と
 思い込んでいるが、
 実際にはチヤホヤ囲まれている中で
 発露される高揚感が
 得てして無意識のうちに意図的な
 上機嫌をもたらし、
 必要以上に己を過大評価してしまう)

その典型的な雰囲気を受けるのである。

これでコケたらたいへんだぞ?

こちらが心配になる。

安藤美姫はだいぶオトナになり
浅田真央も一時の上機嫌から
谷を経たことで落ち着いてきたが、

潮田から大のオトナのプロ野球選手まで、
あるいは
あろうことか格闘技の選手まで、
昨今、どこかで品行方正を義務づけられている
フシがあり、いささか懸念を覚える。

それを補う、ぶりっこぶり。

イメージとしての
クリーンで清廉潔白で<よゐこ>。

これでこそ良い、といった風潮がないか?と。

だからこそ逆に
ダーティ・ヒロイズムを支持したくなるのだ。


小沢一郎や貴乃花、
朝青龍や亀田父などは、
ダーティ・ヒロイズムの
正統的な系譜を継いでいると言えるわけである。


それこそ亀田兄弟ではないが、
<オヤジが必要>と訴えるなど
イマドキの若者と父親の関係性を鑑みると
すばらしいことと思える。

己が男児にそう言わしめる父親が
どれだけいるか?

と。

ニヤニヤニヤニヤ
なにがおかしいのか分からないが
中途半端にニヤニヤしてふやけたお父さんが
ウィークエンドの路上に多いこと多いこと。

ダモシなんぞ
ときどき怒るわけだが、

<何がそんなにおかしいのだ>と。

<何をニヤニヤニヤニヤしているのだ?>と。

<何一つ、腑抜け笑いするような
 おかしなことはないぞ?>と。


無理にニヤニヤ笑いを作るから
それが腑抜け笑いに陥って
"男として"アグリーな姿を晒す父親たち。

その、よゐこを装う姿が
奇異で奇異で仕方がないわけである。



まあ、いい。


いずれにせよ
ダーティ・ヒロイズムというものは
必要である。


一般的な表層だけの街として
銀座を見た場合、

そこに足りないものがあるとすれば、

ダーティ・ヒロイズムであるといえよう。

ダーティ・ヒロイズムというものは
押尾某だのという
六本木的世界観とは異なるものであることは
言うまでもない。

あちらは
ただのバカで
アグリー極まりない世界観でしかない。


ダーティ・ヒロイズムというものは
もっと高尚なものであり、

それこそ虚実皮膜の世界観の中で
善悪ほどよく見せる
スキャンダラス性を孕んだ
スリリングな色合いのことを言うのである。




*****



幼稚園での最後の舞台が
来月あるという。

その主役が大太鼓である、と。


ジュニアがどうやら
大太鼓に立候補するという。

週明けに配役を決めるらしいが、
一人一人
先生にやりたい役を耳打ちするようだ。


<何をやりたいのだ?>と問うと、

<大太鼓>と言うジュニア。

<でも他にもいて、ダメだったら、
 小太鼓でいい>と言う。

ダモシとワイフは異口同音に
<そうか。でも、まずはとにかく、
 大太鼓がやりたいのだったら、
 積極的に大太鼓を何が何でもやるのだ
 くらいの気持ちでアプローチするのだよ>

と助言した。

大太鼓ができると良い。


幼稚園卒園と小学校入学が迫り、
ランドセルと学習机を揃えたことは
先般記載した。

行事もそれに合わせて進んでいくが、

<小学校は授業参観もみんなスーツらしい>
とワイフが言った。

幼稚園の卒園式も
小学校の入学式も母親スーツの装いは
違和感はないが、

小学校の授業参観が母親スーツというのは
大げさではないかと思ったが、

どうやら入学予定の小学校では
そのようだ。

<どこもそうなのかね>と訝しがるダモシ。

ワイフも<困ったね>と言う。
<ジーンズでいいのに>と。


とはいえば、
卒園と入学を控えて
ワイフの母親スーツは必要だろう
ということで、

今宵また港北エリアで物色。

ワンピースやブラウス、はたまたパンツなど
それぞれの組み合わせでの
母親スーツが既にラインナップされていて、

サイズによっては既に品切れという世界。

いやはやといった感じだが、
どの家庭も己が子供の一生に一度の舞台
であるがゆえに

いわゆる正装しての晴れ舞台。

真剣に選ぶわけだ。

ダモシは普通にスーツで良いわけだが、
お母さん方はそうもいかないのだろう。

気に入った母親スーツを購入しようとするも
サイズが既に品切れで、

とにかくそれが良いので
また仕入れてくれるのか
あるいは他の同系列店舗の在庫があるのかを
調べてもらうことになって
引き上げた。


家具店からファッション店まで
今や入学入園商戦真っ盛りで売り時だ。

三月にもなれば
今度は家電量販店が
新大学生の一人暮らしグッズ商戦で
大賑わいとなるのだろう。







posted by damoshi at 00:19| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

逢瀬の通い路、木落し坂落し






<危険。立ち入りはご遠慮下さい>
のサインがある頂から
四十五度の角度で
距離にして100mの坂が、

木落し坂。

諏訪大社下社・御柱祭で
序盤のハイライトである木落しをする
坂である。



kiotoshi.jpg



0saka4.jpg




諏訪大社下社・春宮から秋宮。
中山道を経て
山道を登ること数分。

その地に辿り着く。



諏訪湖の南側。諏訪大社下社。

諏訪湖の東側にあるのが、諏訪大社上社。

それぞれ女神、男神がいる。

その昔、共にいたが、
女神は男神と別れて下社の地、
すなわち下諏訪に移り住んだ。

上社の男神は女神に逢いたくてしかたがない。

ところが
上社と下社の真ん中には大きな諏訪湖がある。
橋もない。渡ることはできない。


真冬の諏訪。

寒さがピークに達したとき、
諏訪湖は凍結する。

条件が整うと
諏訪湖の御神渡りという神秘的な現象が現れ、

そのタイミングで男神は
諏訪湖を渡って女神に逢いにゆくとされる。

逢瀬の通い路。


湖面が全面凍結し、
鋭い寒波が続くことで
その氷が厚みを増していく。

そして昼夜間気温差が著しいことで
氷った湖面の水は
膨張と収縮を繰り返し行い、

膨張の際のパワーに耐えきれず
その氷が一気に炸裂して割ける。

その裂け目は、
湖面にまるで道を造ったようにせり上がる。


湖に道ができるのは、
気象条件などが重なって初めてできるもので
そうそう見られることではないという。



限られた一年に一回きりかもしれない
その"御神渡り"という現象がもたらす
逢瀬の通い路。


まるで
これも一年に一回の七夕の逢瀬たる
<星逢い>のようである。

ベガとアルタイル。

二つの男女の星の
一年に一回の逢瀬を

可能とするために

二人の間に横たわる天の川に
橋を架けるカササギが、

諏訪湖にとっては氷結になるのか。



浪漫ティックではないか。





*****




逢瀬の通い路を渡り
女神に逢ったことで
男神は元気に、勇壮に、猛々しくなるか。

下社、木落し。

非日常的な角度でそれは落ちてゆく。



0saka6.jpg



祭。

それはおそらく
一種のクライマーズハイか。

関わる者は、
麻酔をかけられた者に等しく、
感覚が麻痺するか。

厳寒の中、ただ日常の延長線上で
木落し坂を見れば、


ここから巨木と共に落ちてゆく
ことをイメージできるにせよ

身の危険を感じずにはいられない。



だが、闘い、あるいは祭、チャレンジング
といった行為において
時に人間は己が恐怖の感覚を
意図的に麻痺させるところがあろう。

無意識のうちに興奮状態に陥ることで
忘れ去られる恐怖がある一方で、


just do it的な精神=覚悟が伴うことで、

意識的に恐怖を排除することも
人間は可能である。


山登りも同様だろう。

登るのも、下るのも、
そこに横たわる恐怖の排除や麻痺は
種類的に同じ部分があろう。





御柱祭。

しかもそれは七年に一度。

関わる者にとっての

七夕のベガとアルタイル
諏訪の男女神
それぞれの間をとりもつ

天の川とカササギ
諏訪湖と逢瀬の通い路

は、

己がライフステージそのものであり

すべては
己がパッションに在るのだろう。





:::::



0saka3.jpg


0saka7.jpg


0saka1.jpg


0saka8.jpg





<男見るなら七年一度、諏訪の木落し坂落し>。


こんな唄が、彼の地にはあるという。







posted by damoshi at 01:34| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月19日

立ち入りご遠慮プリーズ。




危険。

立入はご遠慮ください。

諏訪大社。



と言われても
立ち入りたくなるのが人間のサーガ。



kiotoshi.jpg



御柱。

そして神々はここから舞い降りてゆく。

ここは天下の木落し坂。





(続く)



posted by damoshi at 02:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ご当地づくし



陸山会がどうの
政治とカネがどうのなんぞは
はっきりいって関係ないわけで

言ってしまえば
そんなことはどうだって良いのであって、

国家と国民があるとして、

根本的に何が一番大事かといえば
けっこう忘れられていることだが、

国民が己が国で生きていくことに
夢を感じられるか、幸せかということが
最も大事なことであるわけで、

そういう中では
国家という船の舵取り役たるリーダーに
求められるものは本来
<国民を幸せにできるかどうか>
という資質であり

そこでは
とどのつまり
その<人間性>なんぞ関係なくて、

清廉潔白なよゐこではダメなわけで、

手法としてカネが絡もうがズルがあろうが
国民が幸せであれば良いのだが、

自民党はおろか
内部の民主党の中からも
したり顔で
<政治とカネを追求!>だの
<国民への説明責任!>だのと宣う上、

街頭インタビューの一般人まで
したり顔で
<説明責任を果たして欲しい>だの
<カネと政治の問題をクリアして欲しい>だのと
同じことを丸写しのように仰られるが、

『本当にキミはそこに重点を置いているのか?』

『ではアナタ方は、
 北朝鮮みたいにお金もない食えない
 エンターテイメントもないという中で
 暮らさざるを得なくても、
 リーダーが清廉潔白ならばそれで満足なのか?』

とリアルに問いたくなるし、

ほとほと
ラブ&ピーズ論者ではないが
こういう事象の際にまたぞろ現れる
<キレイごとを言う輩>には
本気で問いかけたくなってしまうわけで、


本当は
どう足掻いても
一般人は己が幸せであればそれで良いはずで、

与党も野党も政治家連中も霞ヶ関も
路上の一般人も、論点がズレているとしか
言いようがなくて、

小沢が権力を握ろうが
鳩山にリーダーシップがなかろうが
これもまた
本来であればそんなことは関係ないことであって、

虚実皮膜の世界観こそが人間であるよ、
クリーン一筋でいられるわけがないよ、
では皆さんクリーンですか?清廉潔白か?と
嘘をついたことありませんか?
浮気心の一つ抱いたことありませんか?
誰かをイジめたことありませんか?

などなど膨大なQをもって
これまた問いかけをしたくなったりもして、

普通に考えれば

前述した通り

国家と国民が存在する限り、

国家が精神的に豊かで
国民が幸せであることが
最大のテーマなのであるべきで、


それは

いわば

<食えること>

という究極のシンプルな希望

家庭でもどこでもとどのつまり
行き着くところはコレ

<食えること>

であって、

食えなければ死ぬわけで、
死んでしまっては
仕事だ遊びだ冒険だ富士登山だ渡米だ
などということは存在しないわけで、

この最大のテーマを実現するために
人は皆、日々是努力をするわけであるが、

政治も政治で同様に
国民にそれを提供すべく邁進すべきであり、

そのための税金で彼らはメシを食っているわけで、

国会にしても
それを成すための場として
存在するべきはずのものであって、

政治とカネの追求は別の場で行えば良いことで、

ほとほと<論点のズレた>アグリーな国だな、
これ相変わらずよのぉと感じて
またぞろ腹立たしくもなってきて、

テレビを見れば
谷垣某なんぞの冴えないお顔の御仁が
ここぞとばかりに
正論を宣っておられるが、

はいはいはい
言ってることは真っ当ですが
キミら自民党はそもそもどうだったのよ



これまた言いたくもなってしまうわけだが、

それもそれで頭が足りないから
自分で彼らは種を撒いてしまうか
すっかり自分たちの行状は都合良く
忘れ去ったかで、

いけしゃあしゃあと
真顔を繕って正論ぶるが
裏の顔はニヤニヤしているわけで
それが見えてしまうから
まったく説得力もパワーもオーラもなくって、

見ていると

そもそもアナタ
なんのために政治家として永田町に
勤務しているのよ



これまた率直に問いかけたくもなり、

石破某も最近は
さらにガンつけ大王に昇華して
その目こわいですからとしか
言いようがなくって、


but

翻って

与党の民主党を見れば
正義感に燃えているのか?

まだまだヤングボーイよのぉ的な
若手議員も
もっともらしい論をぶるが

その真面目顔の裏は
どこか小沢を怯えている様子も
これまた見えてしまって
ほとほと中途半端なお前は何様なのよ、

怯えるなら言うのおよしなさいと
suggestionの一つもしたくなってきて、

そもそもキミは議員として
では国民に何ができるのよ


これまた言いたくもなり、

そうこうしているうちに
ダモシはニッポンに最近優しいから、

この国にはそれぞれの土地に
立派な文化や歴史があって、

世界に御す素晴しい建造物もあるし
世界一といっても良い<食>が存在し、

文化レベルは相対的に著しく低いけれど
歌舞伎や薪能、大相撲その他
誇るべき伝統芸能があるのだがなぁ、

相変わらずそれを活かせないよなぁ
この国は

とこれまた嘆き悲しむところでもあるが、

ほとほと論点がズレた人々を見るにつけ
<この阿呆めが!>と
怒りもまた沸いてきて、

それでも
温厚なダモシは
アイスコーヒーを飲みながら、

まあまあまあ、穏やかに穏やかにと
受け流しつつも

そんな阿呆につき合ってはいられぬと、

先週末からご当地づくしで
溢れている食卓を


眺めたとさ。






*****





まずは<宮城>ご当地。
石巻の笹かま、仙台の牛タンが届いた。


region2.jpg


region3.jpg


牛タンはこれまでも
仙台から度々
様々なそれが送られてきたが、

今回の<伊達の牛タン>も美味だった。

伊達の牛タンは
仙台に10店舗、東京に1店舗
レストランが出ているようだ。



region11.jpg


region10.jpg



同じく仙台から
<パイ&シューすがわら>のリーフパイ。

巨大だ。これは旨い。


region4.jpg


明治時代創業のこのお店は、
日本で初めてリーフパイを発売した店という。

元祖リーフパイだ。


ウルトラの母から届いたものだ。




*****



ウルトラの叔母からは、
<茨城>ご当地の干し芋。


region9.jpg


誰もが知る懐かしい味。

菓子としては
ノスタルジックな品に入るだろう。



後輩氏が土曜日に持ってきてくれたのが
<三重県津市>のご当地。



region5.jpg


平次せんべい。

洒脱な一品。甘みせんべい。


region13.jpg




*****



ジュニアの幼稚園の
お友達のお母さんからのご当地は、

<千葉>名物の落花生。

千葉といえば
いずれにせよ真っ先に出る落花生である。



region7.jpg


結婚前の実家が千葉ということで
里帰りするたびに
落花生を届けてくれる。



*****



ゴッホ、ゴーギャンいずれも対応できるよう
テーブルの上には
必ずフルーツを置いている。

むろん食すためだから
食せばまた異なる種類のそれが置かれる。

この週末は
りんごとキウイ。


region8.jpg


りんごは"ふじ"。
"ふじ"といえば<長野>ご当地。

キウイは
ワイフのホームである
<栃木・那須>の
その牧場で作っているもの。

これぞご当地を超えたご当地。

那須邸のある牧場では
ミルクはもとより、

トウモロコシ、ブロッコリーなどの野菜から
キウイ、柿などのフルーツまで作っている。




*****




最後は、
信濃遠征でダモシが仕入れてきたご当地。

<長野>ご当地。


region12.jpg


まずは定番の野沢菜。
野沢菜は野沢菜でも、わさび味を選んだ。

やや味が薄い。
<正調野沢菜にすれば良かった>と
いささか後悔しているところである。

さらに後悔というか
失敗が、

ジュニアへのお土産で
よかれと思って
彼が好きなクッキーを買ったのだが、

これが
<美味しくない…>とのことで

<あぁ、買わなきゃ良かった>
と失意に落ちた。



region6.jpg


コドモが喜ぶようにと
パッケージのカワイイ絵に騙されたのが
いけなかった。

反省である。

本来、ジュニアは
ダモシが遠征先で買ってくるお土産では
<カスタード・クリームが入ったフワフワのもの>
が好きなのである。

今回もそれにすれば良かった。




<失敗だったな…>と自虐するダモシは、

己が部屋に飾った
信濃ご当地モノを眺めた。



region1.jpg















posted by damoshi at 00:24| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月17日

そして神々は舞い降りる-2



東京から西へ往く中央フリーウェイ。
第二の分水嶺、岡谷ジャンクション。

そこで長野道方面へ進んですぐに降りる。

岡谷市内へと
標高差のあるカーブを下がってゆく。

最下部に諏訪湖がある。



suwako.jpg


この湖底に、
武田信玄の墓があるとされている。


信玄の諏訪湖底墓説は根強く残っている。


諏訪湖の周囲はいずれも枯れずに
それぞれ目玉を擁している。


地図上で

諏訪湖の左下(南西)に商圏の岡谷市、

同じくその右上(北東)に
観光ホテル並ぶ上諏訪。
上諏訪駅、諏訪市役所があり、
新田次郎の墓や高島城などもある。

最も甲斐寄りの右下(南東)は
諏訪大社上社、茅野市など。
茅野市エリアは
街道沿いに大型店舗が並ぶ。

そして
岡谷市の上、地図上での左上(北西)
に位置しているのが下諏訪となり、

そこに
諏訪大社下社の春宮、秋宮と

御柱祭の
序盤のハイライトである木落しを行う
木落し坂などがある。




下諏訪宿。

中山道と甲州街道の分岐点。

いわばここが
東京から山梨を結ぶ甲州街道の終着点となる。


bunki.jpg


一昨年末、
R-246の始発点と終着点を完遂したが、

ここに
甲州街道もまた終着点まで来たことになる。



yukiguni.jpg


下諏訪駅。

北国のそれとは異なるが、
それでも雪国的世界観がまた
趣を発揮している。





*****




下諏訪駅から少し走る。

甲州街道を交錯する交差点に
鳥居がある。

ここからは
諏訪大社下社春宮の参道となる。


0shimosha30.jpg


一直線の参道。

それは甲斐善光寺にも等しい。
市街地を走り、
鳥居をくぐって道は一直線で山門へ。



0shimosha19.jpg


0shimosha20.jpg


参道の途中に
錦帯橋のような丸い太鼓橋がある。

神へのリスペクトを示すべく
誰でも人は下馬してから
渡らなければならなかったとされている。



0shimosha2.jpg


諏訪大社下社春宮の
エントランス。


冷え冷えとしていることが
詣でる者へ
研ぎ澄まされた集中力を享受せしめる。

これに加えて
雪がしんしんと降れば
なおこの世界観は緊迫感を増すだろう。



0shimosha1.jpg


先端で二つに、
根元で一つになっていることから
縁結びの杉と言われている"結びの杉"。



境内には際立つ巨木が数本、
屹立している。


0shimosha16.jpg


その様は異だが、
寺社仏閣特有のスピリチュアルな
アトモスフィアを高揚させるに相応しい。





0shimosha3.jpg


0shimosha4.jpg


凍る手水舎。



*****



以下、諏訪大社下社春宮の景。



0shimosha7.jpg


0shimosha6.jpg


0shimosha12.jpg


0shimosha5.jpg


0shimosha8.jpg


0shimosha9.jpg


0shimosha15.jpg




*****



上社本宮同様に、
多くの国重要文化財を抱える諏訪大社。

ここ下社春宮にもそれらはある。

その一つ、幣拝殿。
下社春宮の文字通り拝殿である。


これがまた荘厳な造りを成し、
背の高い木々に囲まれた中で
その木々たち同様に
天に向かってそびえ立っている。



0shimosha10.jpg


0shimosha11.jpg


0shimosha13.jpg





代々、諏訪大社の上社、下社は
諏訪家が祭政一致的な支配を行ってきた。

信濃国諏訪と諏訪大社は、
諏訪家のものだったのである。

だが、武田信玄によって諏訪家は敗れ去り
諏訪は武田の領家となる。

ヒール信玄は、したたかに、

軍神であるこの諏訪大社を重用する。
戦の際には勝利を祈願して
これを崇めた。


諏訪大社は当時、
上社と下社で争いが起きていた。

諏訪家は上社に仕えていたわけだが、
この上社では内訌すなわち内紛が勃発。

上下それぞれの社同士の諍いや
上社の内紛等、

諏訪はまさに内戦状態にあった。

この混乱を武田信玄が見過ごすわけがない。

家康にまで勝つなど、

ある意味で
グレイシー一族的な強さ

負ける相手とは戦はしない

勝つ闘いしかしない

信玄の嗅覚がこのとき
敏感に働いたのだろう。


<今だ>と。

他者の混乱を
侵攻のエクスキューズとする戦法は、

後に近現代の米国が
武田信玄戦法を倣い、
イラクやアフガンへ侵攻した。


ある意味で
オフェンスに向かう際の
大いなるエクスキューズ。

それが
攻め込む先の内乱、混乱である。


信玄は既に闘う前から勝っていた。

否。勝てると思ったからこそ攻めた。


<よし、今だ。攻めよう>と。


それまで同盟にあった信濃諏訪への
侵攻を図った。


<軍神>諏訪大社を勢力化に置いた信玄は、

諏訪の民に対しては
心理的にシンパシィを得るべく動いた。


己が自ら諏訪大社を保護することで、
侵攻された信濃諏訪の人心を掌握する
というストラテジーによって

彼の地に横たわっていた
ヒールのイメージを体よく

少なからずも払拭したのだった。




オールモースト甲斐ともいえる
諏訪を押さえた信玄。

信濃侵攻の手は緩まず、
北へ北へと向かった。


伊那、そして北信越への要衝・佐久。

さらには美濃、尾張さえも
攻めようと伺い
松本から南へ中信濃へも進軍。


しかし
信濃をさらに北へ侵略する信玄の
壁となって立ちふさがったのが
村上義清。

信玄はデビュー以来の初黒星を喫する。
そして連敗。

立ちふさがる村上。

だが信玄はひるまず向かい、
遂には村上を撃破。

北信濃は上田まで手中に収める。

いよいよ信濃全制圧に
マジックが点灯した信玄。


この段階で
いよいよ信玄打倒に立ち上がったのが、

上杉謙信だった。


謙信は
信玄による信濃全制圧を警戒。

その分水嶺として
己が本拠の春日城に近い川中島を選択。

謙信にとっては、死守すべき川中島。

全制圧を目論む
信玄にとっては、打破すべき川中島。

かくして
信玄vs.謙信の
戦国名勝負数え唄<川中島>が
幕を開けることになる。



その闘いの途中で、
戦火が及ぶことでの消失を怖れて
信玄が甲斐国・甲府に移したのが、

善光寺である。

善光寺が信濃に戻るのは
豊臣秀吉の手による。

以後、甲府のそれは甲斐善光寺と呼ばれ、
信濃のそれは善光寺もしくは
信州善光寺として知られている。

この二つの善光寺で
昨年、七年に一度のご開帳が行われた。




*****



諏訪大社下社春宮。

そこからすぐの位置に秋宮がある。

そして
それらの背後、山の奥上には

御柱祭の木落し坂が悠然とそびえ立っている。



:::::



0shimosha14.jpg


下社春宮、御柱起つ。



0shimosha17.jpg


0shimosha18.jpg


川の水も凍り、雪が道を白塗りする。

身体の芯まで冷える春宮の周囲の景。













posted by damoshi at 21:20| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そして神々は舞い降りる-1




経年変化もしくは経年劣化。


人にも当てはまるが、
商品や建造物など
年数を経ることで
変化したり劣化するモノやコトがある。


ニューヨークのフラットアイアン・ビルや
エンパイア・ステート・ビルを筆頭に
それこそ欧米は古い建築・建造物で溢れている。

それが欧米の都市の景観美となっている。

邁進するスティームローラーがごとく
建てては壊し、壊しては建てるという
先鋭的なスクラップ&ビルド思想が
必ずしも良いとは思えない。

ニューヨーク、パリ、ロンドンなど
欧米の先鋭都市は
逆にヒストリカルなそれらをキープすることで
連綿と脈打つ美観を
気持ちよい視認性ももたらしながら
エクスポージャーが図られている。

日本でも
京都・奈良、鎌倉などをその代表例としつつも
それらは、あまたある。


経年劣化による組み替え、建て替え。
商業ビルにおけるそれは
単なるリノベーションというワードで
括りかねられないが、

こと、それが、日本の歴史ある、
そしてそこに神事が背景にある場合は、

意図的に長年持つ構造ではなく、
材料から何から
一定期間ごとに建て替えが必要になるよう
あらかじめ図られていることがある。

三重県の伊勢市にある伊勢神宮が
その典型例だろう。

式年遷宮、式年造営という神事により
二十年に一度立て替えられ、遷座する。

出雲大社もまた遷座が
六十年に一度行われている。



いわば
本殿などを建て替え、
ご神体を移動する神事である。




*****



武田信玄の信濃侵攻によって、
信濃国・諏訪は
その領土となった。

後に再生するが、
諏訪氏は武田信玄の軍門に下る。


彼の地には
日本最古の神社と誉れ高い
"信濃国一之宮"たる諏訪大社がある。


信玄は諏訪大社、諏訪明神を
深くリスペクトし、
バトルのたびに必勝祈願をし、
己がバトルフラッグにも
"南無諏訪南宮法性上下大明神"と書いた。


諏訪を己がものとした信玄は、
彼の地への事業計画書ともいえる
<信玄十一軸>を用意した。

諏訪をどうするのかという
信玄の事業ストラテジーの中に、

乱世の中で中断を余儀なくされていた
諏訪大社の神事を分析した上で
古式ゆかしき伝統ある神事を
復活させるというプランニングがあった。

小さな神事から
彼の地最大のそれまで
微細にプランニングされていたという
事業計画書<信玄十一軸>のタイトルは、

<諏訪上下宮祭祀再興次第>。

まさにリビルド施策である。

特に指示したのは、造営の再興。


信玄の意を汲み、
その事業を継いだのが
信玄の四男・武田勝頼。

父・信玄と母・諏訪御料人の間の子。

そもそも母が諏訪氏だったこともあり、
勝頼は
信玄の信濃侵攻目的のために
いったん諏訪氏を継いでいた。

武田氏の正嫡すなわち
正妻(三条夫人)が産んだ長男
だったのは武田義信だが、

己が父・信玄暗殺を企てたとして
甲府の東光寺に幽閉されて
失脚したことで、

家督を継ぐハメになった。


諏訪氏筋の勝頼としては、
信玄と義信による信濃侵攻を
快くは思っていなかったのではないか。

一方で、
武田家の家督を継いだが
領国となっていた諏訪を
己が手でその神事を再興させるロールを
担うことになったことは
喜びでもあったか。

勝頼は積極的に信玄十一軸に則り
信濃・諏訪の神事再興に乗り出した。


母が諏訪氏ということもあり、
己が体内に諏訪の血が流れていた
勝頼は信玄以上に綿密な事業計画をもって
信濃国中に造営の再興を発令したという。


その造営の再興の最高峰。

それが諏訪大社版式年造営・式年遷宮たる
<御柱祭>であり、
それと同じ年に行われる
諏訪大社宝物殿の建て替えである。




onfryer.jpg




*****



御柱祭といえば、

上のフライヤーに見えるように
急勾配の山の坂を
巨木とともに人々が駆け下りてくる
危険極まりない光景が
既視感として存在しているだろう。

山出しから里曳き。

御柱たる神木を勇壮な男たちが
大社の四つの宮へと
町中を曵いてゆく。

最後、
大社内にその御柱を立てる。

山出し(スタート)
大曲(カーブを曲がる)
木落し(坂を落ちる)
川越し(川を越える)
里曳き(町中を曵いていく)
建御柱(建てる)

という順を経てそれは終わる。

御柱祭の正式名称は、式年造営御柱大祭。

御柱を坂から落とすシーンが
クローズアップされる上、
もちろんそれがハイライトの一つだが、

リアルなところでは、
式年造営であるということが
根本になっている。



<既に去年から盛り上がっている>

<御柱祭にはお金を出す>

<一年を通して御柱祭>

という声が地元からは挙がる。


"唐津の太陽"たる唐津くんち同様に
ニッポンの祭は
地元の神事であり
その人々にとっては
己がライフステージごとに
それが在ることで、

<それがなければ、
 とっくに地元から>

東京や海外へ

<出ていく>というヤングボーイも
多々いる、と。


祭は、
その地で生きる人々の
精神的支柱であるばかりではなく、

現実的なところでは

<地元に若者を留めておく>
大いなるツールでもあると考えられるのだ。


しかも
昨年の信濃善光寺、甲斐善光寺の
七年に一度のご開帳同様に、

御柱祭は

五輪のスパンを超えた
<数年に一度>という
ヴァリューを持っている。


公式には七年に一度
(数えでは六年に一度)行われるそれを

人々は
己がライフステージにおける
成長を実感しつつ、

待ちに待った状態で
一種のクライマーズハイがごとく
興奮をもって邂逅する。




*****



信濃国一之宮諏訪大社。

それは
諏訪湖を挟んで

甲斐国寄りに上社。
奥に下社の二社がある。

加えて

それぞれに
本宮、前宮
春宮、秋宮と二つずつ擁している。

寅と申の年に
前述の通り宝殿を建て替え、
それぞれの社殿の四隅にある
モミの巨木を建て替えることで
御柱祭は成り立っている。

だから
その木を山出しし、坂を落とし、
町を曵き歩いて、社殿へ持ってきて
最後に建てるわけである。


その四社、四本ずつの合計16本の
巨木を、

四月から六月にかけて
出し、落とし、運び、建てるのだ。


諏訪大社の上社も下社も
いずれも荘厳な社であり、
御柱祭に関わらず
詣でる者、訪れる者に
エキゾチック・ジャパンを与え賜う。


前述の通り、
武田信玄のみならず
徳川家康などからも厚くリスペクトされたほど、
諏訪大社は<軍神>として崇められている。


戦勝祈願は、諏訪大社でしたい。



当欄ではまず、
日本最古の神社といわれる
諏訪大社の上社本宮を、

その夜の景から取り上げてみる。



0kamisha9.jpg


橋を渡って鳥居をくぐる。



0kamisha8.jpg


静謐な時間が流れる回廊。


0kamisha3.jpg


0kamisha1.jpg


0kamisha7.jpg


0kamisha4.jpg


信濃国出身の江戸時代の大関、雷電。

当時の仕組み上なのか分からぬが
とにかく雷電は横綱ではなく大関だったが、
それでも史上最強の力士という説は
消えることがない。

幕内通算35場所で254勝10敗。
たったの10敗しかしていない。
大関としても8敗だけ。

同じ大関でも
先に引退した千代大海とは雲泥の差である。

幕内最多勝を
現在開催中の初場所で達成した
魁皇は、大関在位57場所。

魁皇の幕内通算勝率は、60.5%。
雷電のそれは、96.2%。





*****




0kamisha6.jpg


0kamisha10.jpg


厳寒の夜に、祈りを捧げる人ひとり。
微動だにしない。
何の戦の勝利を祈るのか。



0kamisha5.jpg


本宮一之御柱。

これが
御柱祭で建てられた御柱。



0kamisha2.jpg





"七年に一度"の御柱祭は、
いよいよ今年の春である。

上社の山出しが先行する。


上社の
山出しは4/2から
里曳きは5/2から、

そして上社の宝殿遷座祭が
フィナーレで
6/15正午となっている。




今年は春から年中、
信濃の国は御柱祭。

諏訪大社のそれが終わると
諏訪地方の各神社での御柱祭(小宮祭)が行われ、

御柱祭の一年ということになる。




七年に一度の大祭。

そして神々は舞い降りる。






posted by damoshi at 13:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月16日

中央FWYの陰、東名HWYの陽



中央フリーウェイを、
甲斐国を越えて西へ往くのは
1997年以来十三年ぶりのことである。

国立・府中から尾張・小牧まで。

その区間を当時何度も走った。

ウルトラの父が尾張名古屋に滅する前のことである。


以来、中央フリーウェイは
その走りにくさも伴って
嫌いな道路になっていたが、

昨年、
中央フリーウェイ自体走るのも
十年ぶり以上という中で、

甲斐国への度重なる紀行に応じて
利用していたわけである。


しかしその際にも
最も西へ向かったのは
南アルプスや身延方面へ向かうために
中部横断自動車道
(信濃・佐久と静岡・清水を結ぶ)
を利用するために、
そこへ連結する甲斐国の甲斐市まで
走ったのが、

最西であった。


したがって、
甲斐・甲斐を越えて西へ往けば
必然的に十八年ぶりということになる。




chuo4.jpg


中央フリーウェイ。

昨年末にも取り上げた
武蔵と甲斐の
精神的分水嶺である
長い長い笹子トンネルを越えて
"さんさん七拍子"を通過すると

開ける視界の向こうに広がる
南アルプス。

夜はこの眼下に見える
甲府の夜景が素晴しい地点。


中央フリーウェイはこの後、
甲府や韮崎を経て標高を次第に上げていく。

小淵沢を過ぎれば諏訪国で長野入りする。


諏訪国入りするまでの過程、

前方には八ヶ岳連峰
左手には南アルプスの山々が

走るものの視線を捉え、
ときにハンドルを握る手への
集中力が遮断される。



chuo5.jpg


chuo7.jpg


八ヶ岳連峰の一部が
中央フリーウェイ走行中、
正面に捉えられる。

諏訪と甲斐の県境にまたがる連峰。

赤岳(2,899m)を筆頭に
2,500m超級が立ち並ぶ。

視覚での高度感はしかし、
富士吉田市に入ってすぐの道路から見える
富士山と比べると
いささか物足りない部分があるが、

それでもこれを捉えている場所が
標高の高い中央フリーウェイ
であることは加味したい。



左を見れば、南アルプスの山々。


chuo6.jpg


富士山に次ぐ第二峰の北岳(3,193m)を
筆頭に、

いずれも3,000m超級と
3,000mに迫る高さの山々が並ぶ。



この南アルプスを
目線的に下に見えるように
捉えることができるのが
中央フリーウェイの高度の高さを示す
一つの指標にもなる。


chuo8.jpg





*****




それもそのはず
中央フリーウェイは、

日本最高標高地点を走る
高速道路として

東海北陸自動車道が抜くまで
日本一を誇っていた。



chuo1.jpg


その標高は、1,015m。

諏訪国に入った直後の位置が
これに当たる。


道路としての
車が辿り着ける最高峰は、

昨年の富士登拝での起点とした
駿河側の富士宮口の終点
富士山スカイラインの五合目(2,400m)。


中央フリーウェイはここから下っていく。


下り道。

間もなく
諏訪、信濃方面と
尾張方面への分水嶺である
岡谷ジャンクションが現れる。



chuo2.jpg


道路上、実際には
岡谷ジャンクションから左、
すなわち西南方面へ往けば尾張方面で、

右、すなわち北東へ往けば諏訪、信濃
果ては新潟へと向かう。

構造上、表示にあるように
諏訪、信濃方面へは
いったん左へ進んでから右へ折れて、

尾張方面へは真っすぐ進んでから
左へカーブしていく。


十三年前までは
何度かこの分水嶺で尾張方面へと

病に伏しているウルトラの父に
逢いに行くべく走ったのである。

深夜も走った。

それはまさに
<余儀ない中央フリーウェイ>だった。



東京から名古屋へ行くには
この中央フリーウェイと
東名高速という2パターンがある。

現在の田園都市エリアからの場合は
明らかに東名を用いる方が早い。

時間にして最大で一時間は早いだろう。

なにしろ東名のICに
すぐ乗ることができる位置だからだ。


当時は小金井に住んでいた。

中央フリーウェイの場合は
国立・府中ICもしくは八王子IC、

東名高速の場合は
東京IC。

いずれから乗るにも
そのICへ向かうまでに

それぞれ
甲州街道を
環八を
用いてしばし走らなければならず

どちらを選ぶかは気分によるところもあった。

東名を用いて名古屋へ走ったこともある。

高速道路のポスチャーとアトモスフィア的には
夜の中央フリーウェイの方が
圧倒的に<暗い>。鬱蒼としている。

東名は既載の通り、
陰陽でいえば陽に
明暗でいえば明に該当するほど
明るいムードがある。


しかし当時、
その走る目的自体が<暗い>ものだったからか、

イメージが悪くなることを畏れて
東名を選ぶことは避けていたフシがある。

そもそもイメージの暗い中央フリーウェイが
それ以上、暗くなっても
トラウマ的に悪いイメージになっても
どうこうないだろう、という感覚だ。

せめて東名の陽のイメージは
悪くしたくない。


そんな想いが無意識のうちに働いたとも
考えられるのである。


現実的に、今も東名のイメージは悪くない。

夜の暗い中央フリーウェイを
5-6時間一人で走る。

行く目的も目的ゆえ、
暗い気分の中を悶々と走ったものである。


しかし最期に東京-名古屋を
その目的で走ったのは
東名高速だった。

いよいよM78星雲へ
ウルトラの父が還る最期の数日を
迎えるにあたり、

往路で東名を用いた。

最期と知って
なぜか無意識のうちに東名を選んだのか、

あるいは
そのときは
いよいよ最期ということで

21時頃の出発の際に
一人ではなく
ワイフとウルトラの妹も伴っていたことで

より走りやすい東名を選んだともいえる。


M78星雲へ
ウルトラの父が還り
葬儀も終わってから東京へ戻る帰路。

そのときは単独走行だったが、
ウルトラの父の遺骨の一部を持っていた。

帰路に選んだのもまた東名だった。

そして東名の駿河エリアで
あの薩た峠付近で正面に
富士を捉えたとき、

ウルトラの父にも
その富士の絶景を車内から
遺骨を掲げることで見せた。


最期に東名を選んだのは、

中央フリーウェイは好まず
東名を好んでいるという
根本的な趣向が
如実に現れた

一つの結果といえるだろう。



国、都市、市町村などの土地やエリア、
そしてエアラインなどの乗り物、道路など。

陸海空に関わるマテリアルやマターには

かように
人それぞれ必ず好き嫌いと趣向が
存在しているということである。


それは
どこでも生きられる
どこでも生活できるという
ヒトとしての根本的な強さや耐性とは別の、

問題である、と。


人同士も好き嫌いや合う合わないが
あるのとそれは近いものがあるだろう。




ダモシの世界にとっては
中央フリーウェイは
いささか負に位置する存在である。

それを
少なからず払拭し得たのは

甲斐国との邂逅である。

それもまた
ある意味でオフィシャル事案ということで
<余儀なく中央フリーウェイ>的な部分が
あったものの、

昨年ほど度重なれば

それこそヒトの関係同様に

何度も何度も邂逅
すなわち
コミュニケーションを重ねれば
好き嫌いを超越した部分で

その関係性を基盤とした
言葉要らずの間柄というものが
生まれるものである、と。


むろん、
そうは言っても
東京-名古屋間同様に、

甲斐国との邂逅においても

節目や局面では
昨年も東名を選択していたケースも多い。


どちらかといえば
十三年経っても
中央フリーウェイ=陰/東名高速=陽
の構図は、

しっかりと根づいているのだ

ということがいえようか。





*****




中央フリーウェイ。

大月IC&笹子トンネルという
第一の分水嶺の後にやってくる

第二の分水嶺である
岡谷ジャンクションで、

尾張方面へ往かず
進路を北東へとる。


下ればそこは雪の国、諏訪。


chuo3.jpg



ここから、
それでも未だ標高の高い地、

諏訪国へ往くのであった。







posted by damoshi at 13:21| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月11日

成人の日を迎えた大きな五歳




成人の日を基点に
89年1月〜90年1月の間に生まれた人だから、

主に89年生まれの人が
今年の成人の日を祝された人々となる。

まさに馬子にも衣装の世界観で
男も女も精一杯の扮装をして臨んだ
主に今宵のセレモニー。

エリアによっては誤差あれど
今宵が今年の成人の日。


その昔は現在のような
移動祝祭日ではなかった成人の日は、
1月15日だった。

ダモシとしても
ウルトラの父が尾張で逝去し
M78星雲に還った日であるから
永遠に記憶に残る日だ。

一月の乾燥した
しんしんと冷えた空気感は、
12年前の成人の日を思い起こさせる。



在米中に
いつの間にか
移動祝祭日になった成人の日。

体育の日同様に
<10.10は体育の日。それは晴れの特異日>
という決まりごとが、

移動祝祭日になることで
失われてしまう感を覚え、

いささか趣の欠如につながっているような
気がするところである。


それは
ウルトラの父が光の国に帰った日として
記憶されていて
それが成人の日として結びついていた
<1.15>や
天皇誕生日(12.23)のような日が、

移動祝祭日として毎年日付が変わるようでは

やはりいただけない
という想いから来ているのであろう。

そこに何らアイコンとしての関連性がないものなら
いざ知らず、

己が誕生日や結婚記念日、
渡米記念日や
ファミリーの冠婚葬祭、

はたまた

<晴れの特異日=体育の日=東京五輪=10.10>
という
もはや記号化されていたそれも含み、

動かさない方が良い

ものもあるだろう、という感覚である。



まあ、いい。




*****




今年、成人の日を祝してもらった
ヤングボーイ&ヤングガールは
主に89年生まれ。


今宵ニュースでその報を知り、
ディナー時の食卓で
会話となった。


<出逢ったのが、89年だったな>

と。


ワイフと初めて出逢ったのが、
89年の秋のことである。

ダモシとワイフの関係性も
成人の日を迎えたということだろう。

人間の二十歳の成人とは
比べるべくもないほど、

オトナの関係性というか
成熟した間柄になっていると自負する。

むろん
今後さらに熟成されていくべき
青さも未だ残っていることも然り。

まだまだ
いわゆる老夫婦のキャリアと
経てきた艱難辛苦には遠く及ばない。


だが明らかなことは、

互いのファミリーの死
(ウルトラの父、ウルトラの祖母、
 ワイフの祖父、ワイフの姪、
 そしてNYでの猫ローク等)



米での異国生活



少なからず経たことは、

二人の関係性に
オトナの成熟度合いを計る上で

大きく付与したということである。


恋人時代から新婚。
そして二人だけのハニームーン時代から
子供ができてからの生活へ。

場所も

上北沢(東京)
朝霞(埼玉)
那須(栃木)
小金井(東京)
フォレストヒルズ(NY)
レゴパーク(NY)
サツホロ(北の某)

そして
田園都市(横浜)

と経験値を重ねてきたことも
大きな付与となっているわけだ。

それ以前も、
ダモシは中野新橋(東京メトロ丸ノ内線)で
ワイフは喜多見(小田急線)、初台(京王新線)
という恋人時代の互いの居住地もある。


旅で出かけたところは
ここで書ききれないほど
世界とニッポン国内各地にまたがる。


それはそのはずで
それなりにオトナにもなるさ
といったところである。




*****



世の中の二十歳同様に
出逢ってからという意味での
二人の関係性において<成人の日>を迎えた
ダモシとワイフ。


出逢ったのは
前述の通り、89年秋。

ダモシは大学の最終学年、
ワイフは既に社会人になっている。

その年の晩夏。
社会人ルーキーとしての入団先も決まり
あとは無事に春の卒業へ向かう状態にあった
ダモシは、

長らく居住エリアとしていた
初台から中野新橋に転居した。

数件の不動産を回ったわけだが、
物件を探している間は
中野新橋は希望地に一切入っていなかった。

田園都市線の
三軒茶屋、駒沢大学前、桜新町などを
第一希望に、

第二希望として
初台、幡ヶ谷、笹塚、下北沢、代々木上原
といった世界で、

いずれにせよ
それまで同様に
世田谷区か渋谷区を希望していたわけである。

入団先が青山(表参道)だったこともあり、
住むならそのあたりが
妥当なラインとして存在していたのである。

だから
バイクで走り回って物件を探すべく
起点とする不動産会社も
田園都市沿線の世田谷区エリアのそれを
ハシゴしていたのである。


しかしバジェット面から
なかなかそのエリアで合致する物件が
見つからない。


不動産会社が
たまたま薦めてきたのが
中野新橋だった。


<希望のエリアとはやや違いますが、
 中野区ですし良いところですよ。
 今の初台からもすぐ近くですし>

と薦められて物件を視察に出かけると、

中身自体は過不足がなく
もとよりアクセスは良いので

そこに決めた。


電車では難しいが、

初台のアパートメントからは
バイクでわずか五分。

至近距離だった。

新宿までもわずかに10分程度。

自転車で代々木上原まで
20分ほど走れば
東京メトロ千代田線で
表参道までもすぐ。


アクセス面からも
部屋の過不足ない状態からも
ある意味で即決したのだった。


引越も己がバイクで
小分けにして運んで終了。

89年秋、
親元を離れてからの暮らしでは
荻窪〜相模原〜初台〜初台に次ぐ
五ヶ所目、

一人暮らしとしては
最初の荻窪は寮のため除けば
四ヶ所目となるエリアだった。


そのアパートメントの最上階に住んだわけだが、

当時建設中の
東京都庁が真正面に見えるという
景観もまた気に入ったのである。

アパートメントの
エントランスを出て左へ五秒歩けば
駅へ続く主要道路。

右に曲がっていけば駅だが、
右に曲がってすぐの位置に美容室があった。


<髪、切るか>と
引越後、部屋から三十秒とかからない位置にある
その美容室のドアを開けた。

指名制の美容室で

<ご指名は?ご予約ですか?>と
聞かれたダモシだが、

<いや、初めてです>と応えて案内された。


そして、やってきたのがワイフだったのである。


以降、
翌年の四月に初めてデートに誘い、
いわゆるダモシがプレゼンテーションし
その帰りの電車内で告って、

その後、数回、
青山を主舞台にデートを重ねて

当時ワイフが住んでいた
喜多見までの道のりを

明治神宮前駅から
千代田線〜小田急線直結に乗って
成城学園前まで見送って、

その足で折り返したダモシは
代々木上原で自転車をピックアップして
中野新橋まで帰路につく

というルーティンを何度か繰り返す。


梅雨に入る頃合い、
明治神宮前駅のホームで
<つき合っている人がいる>と
交際を断られたダモシだが、

即座に
<否。俺のところに来るさ>と
勝手に無視を決め込んで

なおもプレゼンテーションを続行し、

梅雨真っ最中の頃合いに
新卒ルーキーながら
単独出張で出かけた
名古屋・岐阜・静岡遠征の逗留先に

夜、電話が来て、

その電話で
交際受諾の返答を受けたダモシは
大喜びし、

出張からの帰還時に
東京駅の新幹線ホームで
待ち合わせをしたわけだが、

とんちんかんなワイフは、
名古屋から戻ってくるダモシを
東北新幹線のホームで待っているという
失態を演じて、

それでもしかし
当時は未だ携帯電話もない時代であって、

互いに連絡もとれずに

ダモシも東京駅構内で右往左往
という情けない状態に陥るものの、

よふやく
その夜の深夜になって
既に帰宅していたワイフの
自宅アパートメントに電話をしたら
つながったので、

なにをしていたのかと問うものの、

そんなことより逢いたくて逢いたくて
どうしようもなくて、

ダモシはバイクを爆走して
深夜の甲州街道を突っ走って

一路、喜多見へ馳せ参じたは良いものの、

熱い抱擁も束の間、

当時ダモシは虫歯だらけで
よりによって
その日の夜は疲れもあったのだろうが、

虫歯が異様に疼き始めて
それこそ甘い色恋どころではないよ
という世界観の中で
朝まで眠ることもできずに
呻いていたという

まさに青臭い時代である。



とまあ、

書き出すと
いつまでたっても終わらないので

このあたりでやめるが、

とまれ
成人の日を迎えた
ヤングボーイ&ヤングガール諸君同様に、

ダモシもワイフも

祝・成人の日であるぞ

ということを言いたいわけである。



<少年よ、大志を抱け>は消えないだろう。


テレビで
新成人の豊富を聞いていたが、

今の若者はコンサーバティヴというか
しっかりしている。

現実的だ。


ある青年は
<今の環境を大切にしたい>と語っていた。

今、己が在る、その土地、仲間、恋人。
それを大切にしたい、と。


あの頃のダモシにはあり得ない。

二十歳そこそこである。

未踏の地へ、己が未知の領域へ
どんどんチャレンジせえよ

と言いたいところである。


若いのだから、
現状維持ではなく
未知の、失敗しても良いから
世界に飛び出そうとか

そういう大志はないのか?



いささか物足りなさを覚える、

ようやく
ワイフとの関係性においては
成人の日を迎えたダモシである。



かくいうダモシ自身は、

毎度記載する通り

まだまだ、

未だ大きな五歳であることに

変わりはないのだが。





:::::



seijin2.jpg


89年秋に転居した
中野新橋のアパートメント。

結婚する92年春まで住んだ。

このアパートメントの
メイン・エントランス前に
公園があった。


seijin4.jpg

"初ちゅ"をした公園である。


アパートメント前を左にちょっと行けば、

seijin5.jpg

角の左側に居酒屋がある。
アパートメントは
この写真の右端にある居酒屋の
隣の隣にあるやや黄色がかった建物だ。

メイン・エントランスもこの側になり、
その向かいに公園がある。

この写真の左へ折れてすぐが美容室。


seijin1.jpg


整骨院の隣の茶色いビルの1Fだ。

今ではもう
その美容室はなく、
メンバーは個々に独立するなどして
今もジョブは継続しているという。


当時、店ではワイフが最も若手だった。

ダモシもむろん社会人ルーキー。


店のすべて女性のスタッフは
ダモシに優しかった。

結婚式には
店のオーナー以下スタッフ
全員が来てくれたことも想い出で、

ダモシとワイフが結婚後、
毎年、米旅行をする間は、
猫を各スタッフが自宅で預かってくれる等
協力してくれた。

中野新橋もまた、良い想い出である。



seijin3.jpg

初台。

ダモシの
大学時代の大半を過ごした地だが、

90年梅雨に交際を開始した後、
<喜多見では遠すぎるよ>
ということで、

二人の距離を縮めたい思惑から

ワイフは初台に転居した。

中野新橋のダモシ居住地とは
バイクでほぼ一直線で至近距離に
ワイフが転居したことで、

仕事後の邂逅もスムーズに運ぶようになった。


米から帰国後、
中野新橋や初台は
回顧の旅でやはり訪れた。








posted by damoshi at 23:01| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

度を超しているエリア消費特性



成人式。

日本で最も大きいそれは横浜市。
大きな横浜アリーナをもってしても
二度に分けなければ収まり切らないほど。

そして今宵もまた
<オールウェイズ・ショッピング>という
ニューヨーク並みの消費パワーを伴って、
横浜18区の中でも最大の青葉&港北エリアは
どのモールやショップも超満員&大渋滞。

IKEAは遂に昨日などは入場制限するに至っている。

なぜ田園都市エリア(青葉区)と港北エリアは
これほどの消費パワーを持っているのか。

おそらくこのエリアは
その消費パワーにおいては
日本最大と言っても過言ではない。


今朝は特に酷かった。

道路は渋滞、
どの店のレジも長蛇の列。

ガンバライドの前にも
10組以上のファミリーや小学生が
群がっている。


卒業、入学、引越等
新生活への物品購入という
モチベーションは皆々様あれど、

いくらなんでも
このエリアの混雑ぶりは度を超している。


いったいこのエリアの状況は
どのようになっているのか。

マップと共に見ていきたい。




*****



日本の市町村で、
最大人口を誇る横浜市。
二位の大阪市を100万人以上も
引き離してダントツの日本一。

それを構成する主な区分は、横浜18区。
以前も掲載した。

ひとくちに<横浜>といっても
一つの市だけで見ても
エリアによって異なるのが特性。

例えば他は、
兵庫県などのように「県単位」で見た場合は
エリアごと(神戸や姫路等々)の違いは
発生するが、

「市単位」で見た場合にさえ
エリアによって様々な顔を持つということは珍しい。

一般的に<横浜>といえば、
ランドマークタワーやベイブリッジ、
山下公園などの横浜をイメージするだろう。

<横浜から来ました>と言えば、
たいていの人は
それをイメージするからだ。

だが、そうは問屋が下ろさない。

<横浜>と言っても、
一般的に描くだけの横浜で考えると
大きな間違いを生む。

エリアを大きく、
主だったところだけで分けてみるとこうなる。


A.みなとみらい21&中華街エリア

いわゆるベイブリッジやランドマークタワー
などから中華街、山下公園、外国人墓地
などを包含した旧ヨコハマ・エリア。
JRの駅でいえば桜木町、関内その他、
東急東横の横浜、みなとみらい線各駅が該当する。
横浜スタジアム、横浜文化体育館もこのエリアだ。
コンサーバティヴ。

一般的にイメージされる横浜が
これに該当する。


B.田園都市エリア

主に東急田園都市沿線の
たまプラーザ〜青葉台間。

"金妻"の世界観。

ここに住み田園都市線で
渋谷や品川を起点に
都内へ通勤通学する人(=青葉都民)が多いエリア。

基本はコンサーバティヴだが、
どちらかといえばリベラルか。

海外経験者含め外からの移民ファミリーや
30-40代ファミリーが多いことから
相対的にスノッブである。


C.港北ニュータウン・エリア

主に東急田園都市線の田園都市エリアと
横浜地下鉄ブルーライン沿線一部を俯瞰する
ニュータウン。
広義で、日産スタジアムや横浜アリーナを擁する
新横浜も含まれる。
選挙では浮動票が最も多いとされ、
30-40代ファミリー多く

やはりここも相対的にスノッビーである。
青葉区同様に外国人(白人系)が多いのもまた
特徴である。

主に都筑区だが、
一部港北区も含まれる。




一つには、B&Cには
海外居住経験などがあり
現地で外国人男性と知り合って結婚。
出産を機に帰国した女性
というパターンが
相対的に多いと思われる。

事実、幼稚園にそういうパターンの
ファミリーが複数存在する。
それ自体、
他のエリアとは異なっていることが分かる。


以前も記載の通り、
横浜18区の中では
Bの青葉区とCに該当する
(メインは都筑区だが)港北区が最も人口が多い。

その両者で60万人を超え、
横浜市全体(18区以外も含む)人口の
17%を占めている。

横浜の約1/4に近い人口が
田園都市エリアと港北エリアに
密集していることが窺える。

青葉区は
ダモシ家が現在住んでいて
ダモシの後輩家も昨年末から住むエリアで、
ニッポン全国の中での
男性最長寿エリアとして君臨。

田園都市(青葉区)も
港北ニュータウン(都筑区&港北区)も
若い世代のファミリー層がメインながらも、
長寿エリアであり、

まさに老若男女全世代入り混じった
居住エリアといえるわけである。




*****



オリジナル・マップを見てみよう。

これをポップアップで
別画面で見ながら話を進めていきたい。


mktvalue2.jpg


薄い緑で括ったエリアが
田園都市エリア&港北エリアである。

区で見れば
先述の通り青葉、都筑、港北。

東名と第三京浜という
二つのハイウェイが走り、
前者とはパラレルにR-246が走っている。

タテ・ラインには
普通の道路はあるが、
大渋滞を引き起こすような
環八や環七のような大きな道路は、
東名・町田ICと交差するR-16まで
存在しない。

アドバンテージの一つはそれだ。

タテ・ラインの
大渋滞&野暮ったい
幹線道路とJRタテ線がないことがエッジになる
(JR横浜線はあるが、エリア範疇外である)。


いつも記載している通り、
多摩川分水嶺論がこれで良くわかるだろう。

多摩川を分水嶺にして
それを超えてすぐにある
<川崎ブラックホール>。

これが川崎市に該当する。

田園都市線でいえば、
前述したダモシと
同じく青葉都民になった後輩氏の
リアル・ホームである
<田園都市沿線の世田谷エリア>

<田園都市エリア>
の間にあるブラックホールが、

川崎市区分。
駅でいえば高津、溝の口の世界観。

要するにタテ・ラインの
JR南武線で川崎へ下っていく
独特のアトモスフィア。

先般掲載の
車で川崎へ下る場合の
劣悪なる尻手黒川道路も
多摩川沿いを走るパートが出てくる。

多摩川を越えて
駅でいえば
たまプラーザから青葉台。
この世界観が田園都市エリアとなり、

横浜地下鉄の支線である
ブルーラインの数駅区分が
港北エリアということになる

(このエリアに東横線は該当しない)。

エリアには昭和大学横浜北部病院や
昭和大藤が丘病院など
大病院、救急救命センターも複数あり、

オリンピックなどの大型店や
東急ストア(東急沿線各駅に点在する店)、
成城石井などの
スーパーマーケットは膨大数あるから
割愛したところで、

ショッピング・モールや
大型家電量販店、GMSが
主だったところだけでも
どれほど点在しているかをマップで示したわけである。

距離にして半径3km程度である。

その短い距離圏内にこれだけの
大型ショッピング・ファシリティが存在
しているわけである。

その密集度は群を抜いていることが
分かるだろう。


且つ、

ローカルの場合、

大型店はもちろんあるが、
これだけの密集度がないことに加えて、
それぞれのファシリティにおける
集客力で問題が生じるが、

このエリアは
ほぼすべてのファシリティが
駐車場満車、場内超満員という状態が常時
という有様なのである。


昨日は
ダモシ軍がショッピングを終えた後の
IKEAではあまりの集客に
入場制限をし、

今朝の港北エリアのヤマダ電機などでは
開店と同時に入庫したダモシ軍が
昼前に店を後にする際には満車になっている。

駐車場といっても
いずれも大型ゆえに
地上階から2-3-4-5Fと続いた上に
屋上まで大量に入庫できる
キャパシティを擁しているにも関わらず
である。


これは異常である。

なぜこんなに人が多いのか。
そして
なぜこのエリアの人々は
オールウェイズ・ショッピングを
しているのか、と。

コドモたちの遊び道具である
ガンバライドのブースも二つあるが、
朝一番から長蛇の列。

レジも100人規模で行列を成している。

映画館とて
至近距離にある
大型モールの

・横浜ららぽーと
・ノースポートモール


ワーナーマイカル・シネマズなどの
複合シネマコンプレックスがあれど
いずこも超満員。

どのモールの
フードコートもファミリーで満杯。


これはもう
ほとんど在米中の
ニューヨークはクイーンズの
一大ショッピング・エリアである
クイーンズ・モールその他と
同じ様相を呈しているわけである。


ニューヨーク時代も
大型GMSやモールがあるエリアに
住んでいたが、

<本妻>復帰後もたまたま
そういうエリアにいる。

人の流れと消費様式が
ニューヨークのクイーンズと
この田園都市エリア&港北エリアは

とても似通っていることに気づく。


IKEAやスポーツオーソリティ、

エリア範疇外にはなるが
近距離にはCOSTCOがあるという

米同様の有様に加えて、

同じ店(オーケーストアやビバホーム、ヤマダ電機)が
至近距離の密集した中に
複数店舗を
いずれも大型店を擁しているという所作は、

それだけお客さんが分散しても
それでも超満員になって利益を生むという
エリア・ポテンシャルの高さを
証明しているわけである。


IKEA、スポーツオーソリティ、COSTCOが
存在している自体、
このエリアに上述した通り
外国人が多いことの証明でもある。



マップで分かるように、
例えばオーケー・ストア。

ダモシの拙宅から
いずれも車で10分の位置に
三つもある。

普通、三つも10分圏内に同じ店があれば
その店の客は分散することで
空くだろう。

100人いて
その100人が一店舗に来ていたのに、
三つあることで
客が三分割されてしまい、

一店舗あたりの売上は減少するだろう。
そう考えるのが普通だろう。

だが、見ている限り、
最初にあった店の客の数が
減っていないのである。

消費パワーが強烈なエリアには
至近距離であっても
同ブランドの店を複数出しても成り立ち、

それどころか相乗効果で
さらに客を呼ぶということなのであろう。

オフェンシブに出店するに耐え得るエリア。

それが田園都市エリア&港北エリア
であると
一つには言えようか。

ヤマダ電機も同様。

<本妻>復帰時点では
R-246の
拙宅から車で二分の位置にある
一店舗だけだった。

ところが一年半の間に、
最初の店から車でこれまた
わずか一分の距離に
大型ヤマダ電機が出来て、

その後にはまた
港北エリアにも超大型ヤマダ電機が出来た。


そうなるとエリア居住者の
ダモシとしては、
ヤマダ電機の選択肢が三つできることになる。

オーケー・ストアと同じ構図だ。

そのときの気分に応じて
どのオーケーに
どのヤマダに行くかを
使い分けることになる。


百貨店も東急が二つに阪急が一つ。

そして
複合モール。


これが膨大に存在する。
しかも至近距離に、だ。
青字で示したのがモールだ。

ららぽーとを筆頭に、
ノースポート・モール、
港北みなも、ルララ港北。

至近距離にこれらが密集しているにも関わらず
まったく分散しない消費パワー。

恐れ入るわけである。



むろん
"ブックオフ"もこの範疇には
多々存在していることもまた然りである。


港北エリアは
横浜も渋谷も
25分以内というアクセスの良さも手伝い、
多くの居住者を招いている。

そして
彼らは
田園都市エリアの人々と合体して、

一大消費動向を形成しているのである。


そもそも
田園都市沿線は
小学校、中学校での私立受験度合いが
高いと言われるエリアであり
富裕層が多い。

そんなエリアに
多くのショップがあれば
商売も成り立つのは当然といえるわけだが、

富裕層ではない
ダモシ家と後輩家にとっては
何とも厳しい世界ではあるが、
これが現実だから致し方ない。


全国の
マンスリーでの
世帯当たり平均消費支出額は
20万円台中盤から後半だが、

それとの相対評価でも
田園都市エリアと港北エリアは
群を抜いていることが分かる。

青葉区のそれは41.6万、
港北エリアの主舞台・都筑区は38.4万、
そして港北区も38.4万。

上述した区分けでAとしたところに
該当するエリア(38.1万)
と共に横浜の消費パワーを牽引している
ことが如実に現れているわけである。

いずれも38〜42万の範囲だ。

横浜市のそれは35万。
総じて横浜市は平均が高いと見られる。
その中でもやはり
田園都市エリア&港北エリアは高いということになる。

国内の大都市にあたる
大阪府大阪市(27.3万/最高は都島区の36万)
愛知県名古屋市(33.4万/最高は天白区の42万)
福岡県福岡市(29万/最高は博多区の34万)
宮城県仙台市(32.1万/最高は泉区の35万)

との比較でも
名古屋市の天白区が唯一
40万超えとなって肉薄するものの、
総じて横浜に及ばない。

東京都でさえ
全体(34.5万)で横浜を0.5万下回り、

特別区内最高の文京区(43万)と
都下最高の武蔵野市(44.6万)が
ようやく青葉区を上回るという状態だ。





:::::




そんなエリアだ。

皆々様、よほど収入があるのだろう。

たいした収入のない
ダモシ軍にとっては

居住エリアとしては
いかがなものかとは思うものの、

消費支出額が低い

エリアの活気がない

につながるとも考えられ、

住むならやはり
<住>の世界観で
消費動態が活発で
活気のあるエリアの方が、

破綻したところや
それ一歩手前のエリアより、



精神的には良いだろう。



なにせ、

死んでいる土地に住んでいると
己自身も死んでしまいそうになる

という傾向を

北の方の某地で
身を以て知った今となっては、なおさらだ。



活気は大切だ。

そして文化レベルも大切である。


ニューヨークは言わずもがなとして、

ニッポンでは
東京と横浜は、

インスパイアはないにせよ

上述した意味では

相対的に
アドバンテージにある

エリアということになるのである。





旅と、日常的な生活は異なる。

日常的な路上は
活気があればあるほど良い。



ニューヨークのように

日常自体が既に旅

という次元に至ることは
ニッポンでは不可能だが、

せめて活気だけは
東京と横浜は秀でている点が

救いである。








posted by damoshi at 18:11| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ザ・ウォール〜フレームのスペース争い



昨日の午後、
川崎大師から帰宅後は
さながら年始大掃除のノリで
未だそれが終わらない。

年末大掃除をしなかった分、
年始で部屋の模様替えや
大掃除といった案配で、

そのモチベーションとなっているのは
ジュニアの学習デスクである。

ウルトラの母からも
一足早い入学祝がこのウィークエンドに
届いたが、

学習デスクもまた入学祝ということで、

ダモシ国の財政支出は
軽減されている恩恵は受けているが、

むろん
その他もろもろの買い物や
学習デスク以下の組み立て作業から
設置作業まで

親が、しかも男がやらねば
といったところで
時間的スペンドは余儀なくされるわけである。


昨日の午後からスタートしたそれは
たいへん難儀する組み立てを伴って、

もうこりゃ己の部屋も含めて
写真展示等も込みで
年始大掃除をついでにやってしまおう
ということになったのである。



今朝も早くからIKEAやニトリへ出かけて
昼過ぎに帰宅してから
延々と大掃除をしている。


大掃除のみならず、
狭いジュニアの部屋に
学習デスクが入るだけでたいへんなわけで、

そのスペース確保のための
大掃除が始まったかと思えば、

リビングのウォールを彩る写真群も
新たに仕入れてきた
フォトフレームや
絵画フレームの設置〜印刷〜配置までの
作業も発生し、

さらには
己が仕事部屋であり個室でもある
ダモシ部屋も大掃除。


未だに終わらない有様である。



要するに
一つの部屋を集中的に作業して
そこが終われば他の作業
というように

段階的に遂行することができない。


己が部屋を作業している途中に、
思い立って
リビングのウォール作業をしたり
といった具合で、

気分に応じて作業をする部屋が異なってくる。


今宵、
特に力を入れたのが
リビングのウォール・フレームである。



もともとそこには
ニューヨーク時代に撮った写真をプリントし、
それをフォトフレームに入れて
エキシビットしている。

その他では
ジュニアのバース・サーティフィケート
(米の病院での出生証明書)や

ニューヨークの地下鉄マップ等々が
エキシビットされているが、


いよいよ富士か、と。

昨年も今年も年賀状でも描いた
筆による冨士を新たに描いて
それをフレームに入れた上でエキシビット
しよう、と。

するとジュニアも
<自分も描く>という。


<なら、俺のと一緒に並べよう。俺が上>

と述べると、

<自分が上>と譲らない。

ならば、絵で勝負しよう、と。


結局はワイフ裁定で
ジュニアの描いた富士が
ニューヨーク写真群の中の真ん中に
エキシビットされることに相成った。



10heya2.jpg


作者の名も入っているが、
写真ではその部分はカットした。


そして、ダモシ。


10heya3.jpg


それなりに重厚なフレームを
IKEAで仕入れて
それに一発勝負の筆で描いた。

ワードも入れる。

<常在富士>。


ジュニアの
バース・サーティフィケートの額の下に
これはエキシビットされた。


さらには大判で、
ジュニアが彫刻刀で削って刷った<顔>。


10heya4.jpg


これは郷愁を誘う。

長年目にしないものだったが、
今でも学校(幼稚園)でこれをやっているのか、と。

ダモシもまた
これをやってみようかと新たに思うところである。


一つには筆での一発勢いでの描画は
昨年からトライしているのだが、

この<筆一発勢い描画>は
富士のみならず

逆にいえばニューヨークの
エンパイア・ステート・ビルや
ツイン・タワー、ブルックリン・ブリッジなど
錚々たるランドマークの数々に対しても
面白いのではないか、と感じている。


頭で考えず、筆の勢いに任せるわけで、
そこでは
己が既視感における経験値と感覚が
すべての頼りになる。

それをニューヨークの存在で
今年はトライしてみる算段であるが、

それとは別に
彫刻刀で掘ったそれを刷る
昔ながらの描画にもトライしてみようと
思うところである。


幼稚園、小学校の図画工作は
オトナになって関わると
きっと面白いぞ?

と常々感じているところである。

社会にしても歴史にしても国語にしても
地理にしても、

興味あるジャンルは
コドモと共にすることで
己もまた学習できるから
それはそれでアドバンテージになると感じられる。




その他、
ジュニアが筆(習字)で書いた
己が名前の半紙もフレームに入れて
エキシビットした。


あとは一枚、
ニューヨーク写真用の
カラー・フレームを買ってきてあるため、

それに明日プリントして設置すれば
とりあえずウォール・エキシビションは
終了となろうか。



ダモシ部屋も
レイアウトをいじったりしたので、
まだしっくりきていないが
明日には終了するだろう。




*****




ジュニアが
生まれてはじめて手にする学習デスク。

それは
生まれてはじめて手にするグローブがごとく、

本人にとっては
うれしいものであろう。

デスク表面には、
ポケモンの絵がプリントされた紙が
中に入っている
デスク大の透明下敷きがある。

めくって、中に自分の好きな写真などを
入れるアレだ。


<俺もウルトラマンの写真とか入れてたよ>
とダモシ。

<中学時代は猪木とアバだったな>と懐かしむ。


ジュニアは早速、
仮面ライダーのガンバライド・カードの
己がコレクションを
丁寧に下敷きの中に並べて悦に入る。



10heya1.jpg



どうせこの学習デスクでは
小学校高学年か中学くらいまでは
まともに勉強に励むことは少ないだろうが、

それでも用途は別として
本人のデスクであるからして、

大事に使用して欲しいところである。


下敷きの中身は、

年齢を経るにつれて変わっていくだろう。


今は仮面ライダーだが、
ベイブレードだったり、
その後はその当世でのコドモの流行モノだったり、

実在のヒーロー
(野球選手など)に移行していくのだろう。


女の子ならば
嵐だののジャニーズ系になるのだろう。
あるいは宝塚等。

男でも趣向のジャンルは様々あろう。

まさか
スーザン・ボイルの写真は
入れないだろうが、

リアーナを入れたとて不思議はない。




*****





いずれにせよ

モノを書くことや
写真を撮ること、描くことは面白い。

コドモと共にやるとまたさらに面白い。


まだまだ
エキシビットの方法(見せる要素)や
カラーリングの組み合わせまでは
コドモは考えられず、

ただただ己が作品を
己自身が最も置きたいスペースに置く
という猪突猛進で

己が便益を満たそうとする。


そこでダモシが、

<自分の満足ではなく、
 エキシビションというものは
 他の人が見てどう感じるか、だ。

 カラーリングというものもある。
 緑と赤のフレームが二枚ずつ並んでいて、
 その次に選んだのがスカイブルー。

 それも二枚整列させてバランスが良いのだよ。
 だからこの富士は、ここではなく、
 自分のバース・サーティフィケートの下に
 タテ並びで置く方が良いよ。

 自分のものが二枚続くわけだから、
 フォーカスが一点集中されるのだよ>


と諭しても、

そんなことは彼にとっては
どうだって良いことなのである。

でも言わずにおけない。

ニューヨークの風景写真が並ぶ中に
突然
クレヨンでの富士が来ることはおかしい。


<ココに来るならば、
 モノトーンの黒のフレームに
 筆書きの富士という
 ニッポン、イコール和を感じさせるものだよ。

 それでこそニューヨーク写真に違わぬ
 逆説的なバランスの良さが生まれるのだよ>

とダモシも譲らない。

頑固なジュニアは泣き出す。

<泣くな!>と怒るダモシ。


場所争いは、
結果、先述の通り
ワイフ裁定で<上手い方>の絵が
ニューヨーク写真群の中に
配置されることになり、

ジュニアのそれが選ばれたというわけである。



一方で、
ダモシの絵が置かれたところは

ジュニアの
バース・サーティフィケートは
白フレームで、

隣にある大きなフレームは黒フレームに
モノトーンの
エベッツ・フィールド(ブルックリン)の
古写真だから、

これはこれで
ダモシのモノトーン&筆描き富士が
妙にフィットするわけであるからして、

ダモシは己を納得させたところである。



今後もジュニアとの
スペース争いは激化の一途を辿るであろう。

それで良い、

はやい段階から
そういった見せる要素や
カラーリングのバランスなども
頭に入れていっていただくよう

今後もダモシの考えと感覚は示唆していく次第である。



ワイフの服選びにしても
反目するダモシとジュニア。

常に二人が<これが似合うよ>と
ワイフにsuggestionするものが異なる。

色もタイプも、だ。


ダモシからすれば
ジュニアはセンスがないが、

おそらく
ジュニアからすれば
ダモシのセンスがないと感じているだろう。



だが、
ダモシからすれば
ジュニア以上に
ワイフの服選び経験は豊富なわけで、

そのキャリアの差は歴然だ

ということで強がっている日々である。








posted by damoshi at 01:37| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月10日

おしくらまんじゅう、押されて泣くな



昨年の当欄における
年初一発目の
<オトナのお散歩&遠足>カテゴリーが、

川崎大師だった。


川崎。
六郷川を挟んで対岸の宿。

武田信玄率いる甲州軍団が
関東に攻め入った際、

北条軍は
ここに架かっていた橋を焼き落とすことで
信玄たちの流れを止めたという。

東京都と神奈川県の分水嶺。

川崎はちょうどそんな間合いを持つエリアだ。

オールモースト東京、
一方で実際には神奈川県に組み込まれる
川崎市だが、

それは武蔵中原や武蔵溝ノ口を
例にとるまでもなく、

その先の
田園都市エリアからが
神奈川の横浜に入るというところでの

やはり
東京と(神奈川というよりも)横浜の合間の
ブラックホール的存在ともいえるほど、

存在の耐えられない曖昧さ
もしくは
アイデンティティの宙ぶらりん状態


甘受せざるを得ない大都市。

それが川崎へのイメージである。

奇妙なほど人が多く
車の交通量も多く
店も多いのだが、

永遠に垢抜けない街ともいえる。


要するに
ダモシにとっては
ポジティヴ or ネガティヴでいえば
後者に位置する街である、と。


しかしながら
一般ゼネラルにおいては
れっきとした東海道。

その第三番川崎宿という
絶大なるヒストリカル性を得ているわけである。



daishikawara.jpg


二代目広重による
<東海道 大師河原>で描かれる
川崎大師。

描かれている行列のロールモデルは、

この絵が製作された年の正月に上洛した
第十四代徳川将軍・家茂の行列だという。

この大師の門前を
今年も多くの人々が初詣に訪れた。



川崎大師は例年、

明治神宮、成田山新勝寺に次いで
全国ベスト3の初詣客を誇る名刹だ。


昨年の三が日。
ダモシ軍も
<本妻>復帰後初の初詣として
大師へ出向いた。

そこで
ものものしい人の数の中での
おしくらまんじゅう状態に
苦言を呈した。


本質的な部分での初詣、祈願と
この
おしくらまんじゅうの中でのそれは

相反するものであり、

本質にもとるのではないか、と。


そもそもからして
渋滞・行列ヘイターで
ウェイティング大嫌いなダモシのこと、

それに加えて
そんな状態で誰もが行う祈願に
果たしてスピリチュアルな本道を
得られるのか、という疑問である。


それを当欄にも記載したわけだ。


今年は、三が日を外した。

296万人という
約300万人が三が日に初詣でやってくる
川崎大師。

一日100万人。

それはもういいだろう、と。

三が日を外して、
最初のウィークエンド三連休の初日の今宵、
出かけたわけである。


<いいかげん、空いているでしょう>

と。





*****




空いているだろう、という読みは
見事なまでに外れた。

朝一番にも関わらず、

いつものごとく
道路としては
最悪の動線である

R-246から川崎への一本道たる
"尻手黒川道路"が

"ここは北の某か?"と
見紛うばかりの
とろとろとろとろおたんこなす
スロードライビングの嵐と
無用に多い信号のせいで、

渋滞。


川崎駅に辿り着くだけで
車が一台もいなければ
ものの15分程度の距離を
50分も要してしまう始末で
先行きに不安を与え賜うた。


そもそも、

首都圏のタテ・ラインはいただけない。

電車でいえば
私鉄沿線がヨコとして
それをつながく合間合間を
タテに走るJR。

これが品がない。

そして道路。

環七
環八の世界だ。

都内のそれはもとより、

横浜や川崎の世界へ結ぶ
タテ・ラインの

例えば
国道16号は最悪中の最悪レベルでの
オールウェイズ大渋滞であるし、

この
ただでさえ通行量の多い
川崎方面へ至る
尻手黒川道路も

狭い・走行する車がのきなみ遅い・信号が無用に多い

でどうにもならない。


首都圏の<タテ・ライン>は、
たいへん大きな問題を孕んでいるのは
昔からのことである。


ヨコ・ラインの

電車における
東急・小田急・京王などや

道路における
R-246
甲州街道などの

アドバンテージと比べれば

その劣悪度合いは一目瞭然である。


<ほんっとに、もう少し何とかならんのか?>

という想いは、
1ディケード経っても
何ら変わらない。


例えば
田園都市を出発点にして
練馬ICから関越自動車道に入ろう
などと思ったら最後、

環八を通るハメに陥るわけだが、

結局は
どこが最も所要時間がかかったかとなると
最も距離の短い環八だった

という喜劇が普通に発生するわけである。

国土交通省は何をしとるのか
と普通に感じるわけである。



この川崎へ至る
尻手黒川道路も
完全に構造上の問題によって

ダモシのような
善良な小市民の貴重な時間を
ムダにスペンドさせているわけである。


且つ道路とエリアによって
ドライバーの傾向もあるもので、

この道路を走るドライバーの
相対的な傾向としては

・時間にゆとりがある
or
・時間を潰したい
or
・暇すぎてたまらない
and
・下手だから普通に走ることができない

などなどの理由からか、

異様に遅いのである。

普通に30-40kmで走行しているわけだが、
相対的に若葉マークが多いのも特徴だが、

それにしても
いくらなんでも30km走行は
やめていただきたいのである。



といった具合に、

<あぁ…。相変わらずこの道路は…>
と嘆きのスタートから発し、


川崎から京急で川崎大師駅へ向かう
その電車がまた
超満員札止めという世界観に陥るに至り、


<昨年の三が日より混んでいるではないか!>



のっけからダモシは
苛立ったわけである。




*****




10daishi3.jpg


人を映さないようにすることが
たいへん難儀な仲見世。


なぜ、こんなに人が多いのか。

もう新年も九日だぞ?と。



要するに、行動形態が同じなのであろうか、と。

そんな
自虐的な考えも浮かんできてしまうのである。


渋滞・行列ヘイターゆえに
旅でも何でも
<皆の逆を行く>を基盤としているわけだが、

今宵の川崎大師を見ると、


<三が日を避けて、
 最初のウィークエンドの、
 しかも三連休の初日だから、
 そこで初詣に行こう>

という

同じ考えを持った人々が
より多く存在しているということが
言えるのではないか、と。

皆と逆を行く。

これを実現することができなかったわけである。

皆も同じことを考えていたとも考えられるのが
今宵の大混雑である。



<なぜ、こんなに人が来ているのか>

<皆々様は三が日に行ってくれたのではないのか>

と憎まれ口を叩くダモシ。


ワイフはクールに言う。

<考えていることが結局は同じだったということ>

と。



それでも我慢ならないダモシは、

<シット。
 ならば、朝6時とかにここに来れば良かったな。
 そうすれば、さすがに渋滞も行列もないでしょう>

と述べるが、


<起きられるわけないでしょ>

と一喝されて終わった。



まったくもって納得がいかない。

人もあまりいない。

すいすいすいすい道路も参道も流れていく
と読んでいたダモシは
己が読み違いに苛立ちながらも、

参道を歩いたのだった。





*****




10daishi6.jpg


昨年の掲載でも
同じ構図があるはずだ。

普通に捉えるとこうはならない。

理想的に門を捉える場合は
こういう構図ではないのだ。

理想的且つ普通にこの門を捉える場合、
ファインダー内での
トリミングがたいへんになってくる。

加えて、
ここを撮る際には
できれば五重塔も入れたい。

さらには
写真左側にある寺のタイトル石碑を
<寺>の文字まで写したいのである。

これらを実現させようとすると、
多くの邪魔が登場してしまう。

どんなにトリミングしても無理が出てくる。




10daishi2.jpg


こういった具合に、
どうしても
露店が入り込んでしまうのである。


<邪魔だよなぁ…>と。

まるでそれは
コドモの運動会での徒競走を撮影する際に
ベストポジションを得ないと
必ずファインダーの中に
登場してしまう他の親のハゲ頭だったり、

古式床しい建造物を撮る際に
そこに
必ず映り込んできてしまう
修学旅行生だったり
チャイニーズ観光客だったり。


ほとほと<どいてくれ!>と叫びたくなる世界観。

それが
川崎大師においては
こういった露店のベタな幕やコピーである。

景観の観点から、
せめて門付近からは
こういうものを排除して頂いてはいかがか、と。

駅からの動線上の商店街にそれは多々あるのだから、
何も門の直前で
店を出さなくても良かろうよ、と。

そのあたりはもうセンスであろう。

実に残念だ。



無理矢理それを排除して
さらに五重塔をも一緒に写らせると、

トリミング上、
天地左右がこういう写真になる。



10daishi1.jpg


それでも門はすべて入っていない。
右側が切れざるを得ない。

だからバランスが悪くなる。

これでは便益を満たさない。
ほとほと困ったものである。





*****





さて境内。

これがまた人混みで大賑わいなのであるが、
昨年の三が日の際には
地元警察による行列整理が行われていたことで
小競り合いやモメごとがなかったし、

ぎりぎり流れは通っていた。

さすがに祈願する際には
辟易するほどの
おしくらまんじゅうとなっていたため

当欄でも苦言を呈したが、


今宵は警察による整理が行われず、

祈願の際には
たいへんな
おしくらまんじゅうと相成ってしまい、

ジュニアが泣き出す始末。


誰もがそうだが、
祈願して手を合わせている最中も
おしくらまんじゅうになっているわけで、

しかも
そこへ辿り着く前も
祈願した後も

無理矢理にでもプッシュしていかなくては
身動きとれない状態になっているわけである。

手を合わせて静寂な心持ちで
祈りを捧げるその数秒、十数秒の間も
後ろから押されているわけである。



こんな状態で、

本質的な初詣における祈願ができるのか?


と。


昨年同様に怒りと疑問がわいてくるわけである。


ダモシ自身は
己がポスチャーによって
おしくらまんじゅうの中にあっても

オフェンス一辺倒だが、

おばあちゃんや女性はたいへんである。
むろんコドモもだ。

ダモシはジュニアをプロテクトして
彼が祈願している間は
誰にも押させず触れさせずを通した上、

その中から脱出する際も
ジュニアを抱き上げた上で
ヘビー級のパワーで圧倒して出ていったわけだが、

それはそれは皆々様、たいへんである。



忌憚なく、

それで静寂の心持ちで祈りを捧げることができたのか?

と問いたくなる。



昨年同様だが、
このニッポンの初詣は考えものだ。

手を合わせて祈願するという
本質的な部分を鑑みた場合、

その環境が

おしくらまんじゅう

というのは、間違っている。



顔に出さぬだけで、

多くの人が
他人を<邪魔だ>と思いながら

境内や参道、仲見世を歩いているはずだ。


あるいはまた、
イノセント・ワールドの世界観で

これはシニアの女性に多い傾向だが、

普通に<押す>輩や
米におけるラシアンやチャイニーズに
匹敵するパワーで
普通に<横入りする>輩も

多数輩出するわけで、


これは、ほとほと間違っているぞ?

と忌憚なく感じるわけである。


それをやれば、
見えないところで
ヒザ蹴りやエルボーパットを
ダモシに食らっても何も文句は言えないはずだ。


幸い、今宵は一発もそれを放たなかったが、

それを
放たずとも
肉体的プレッシャーでのプッシュは
やらざるを得ないほどの人混みには
至っていたことが、

残念であった、と。



<空いているはずだ>というダモシの読みは、

心のどこかに
<空いているべきだ>という願望が
含まれていたということは言うまでもない。



不機嫌ダモシではあったが、

己のそれも咀嚼した上で、

帰路の参道で
お好み焼きとたこ焼きともつ煮を食して
大満腹に至り、

己が便益を消化した次第である。





10daishi7.jpg


昨年も掲載した
おまんじゅう店。

これまたお笑いか、

どう考えても
たかだかお饅頭を買うために
門の前のこの店で
百人レベルで大行列する様は、

異様である。


一つのものに群がる日本人の
習性の象徴でもあろうか。

店も考えてはいかがか。

そもそも門の目の前で
最も人の流れが込み入る場所にあるわけで、

行列するのが分かり切っているならば
もうすこし
その列のさばき方に頭を使うべきではないか、と。

この店のせいで
人の流れが止まる部分もあるわけで、
そのあたりは
いかがなものかと

これも思わざるを得ないところである。


どうしてなのか。
意図的なのか知らぬが、
妙に<人混み>=<盛り上がり>を
演出しようという魂胆を感じてしまい、

違和感を覚えるわけである。


もうすこし、

しっとりと
静粛に

物事を進めても良いと思うのは
ダモシだけか?

と。



無理して"浮かれる"こともなかろうよ、と。




10daishi5.jpg


おしくらまんじゅうの舞台、大本堂。



10daishi4.jpg


こちらは、
聖徳太子像が奉られた聖徳太子堂。






:::::




<おしくらまんじゅう
 押されて泣くな、

 押し合えば
 身体暖まるよ、季節は未だ真冬さ>


といった具合か。







posted by damoshi at 01:06| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

ふるさと祭り:ご当地:上限2,000円



今宵から東京ドームで
<ふるさと祭り>が始まり、
オフィシャル事案で訪れたところである。


日本テレビと文化放送、東京ドームが主催する
"ニッポンのいいもの再発見"と銘打ち
"日本のまつり・故郷の味"に
フォーカスをあてたイベントである。


0gtd17.jpg

昨秋の日本シリーズ以来の
東京ドーム。


0gtd14.jpg

出迎えるのは、

横山典弘騎手同様に

昨年のニッポンで最も
やることなすことうまくいった人物、原監督。

今年の趨勢に
大きな不安を覚えているのは
誰よりも本人であろう。


"さすがの浅田真央"や
"さしもの上田桃子"でさえ、
やることなすことうまくいった後は
やることなすことうまくいかない趨勢を経ている。

あとは
ずっと
"やることなすことうまくいく"が
続いているダルビッシュが、

いつ

普通に"山あり谷あり"を経験するかであろう。

今年のオフ、メジャー入りすれば
来年それに該当する可能性に
期待が高まるところである。

谷があってこそ。
谷があって、それを凌駕しての
"うまくいく"があってこそ

昨年の宮里藍のように
他人に教示や示唆を与え賜う。


ダモシの場合は

基本は
"オールウェイズ、そんなにうまくいかない"

けれど

"オールウェイズ、どこででも、
結局は、<生きている>"

であるからして、

やることなすことうまくいくケースにおける
人間の心理状態というものは
理解し得ないが、

おそらくかなりハイになることであろう。

だからこその反動なのではないかと
想定するところである。

むろん原監督も
それ以前のダークサイドを凌駕したところでの
昨年の栄光ではあるが、

あまりにも光が重なりすぎると
当然本人が一番
大きな不安を覚えることではあろう。




*****



ある意味で、

(バジェット等の)手かせ足かせがあることで
やることなすこと中途半端ゆえ、

下手をすれば
やることなすことうまくいかないのが

"地方"である。


それぞれの地方には
それぞれの良さがあり特性がある。

いわばそれは、ご当地モノである。


<東京で>ご当地モノを行えば
普通にヒットするのが通例である。

百貨店は地方物産展や駅弁大会を
目玉の定番イベントとし、

多くの集客を得る。

有楽町や銀座などには
多くの
地方の物産店があり、

何処も多くのお客さんで賑わっている。


しかしそれはあくまでも<東京>で
行われているものであることを
忘れてはならないだろう。

むろん各地方は己がPRにはなっているだろうが、

では

だからといって

主な観光客である首都圏からの人々が
実際にそこに行っているのか/来ているのか
となると

疑問である。


異国だが"北の某"が好例だ。

チャイニーズ観光客が膨大になる。
日本からの観光客にも
相変わらずの人気だ。

だが、お金が落ちない。

首都サツホロにしても、
実はただのエントランス・シティになっていて
そこがデスティネーションにならないから
さっぱりお金が落とされない。

だから潤わない。

サツホロをエントランスとして入ってきて
そこはただの通過点、動線にすぎないという悲劇。

阿寒湖が、
チャイナ映画の舞台になったことで
ロケ地探訪目的などで
チャイニーズたちから人気になり
大挙として観光客が来ているらしいが、

彼らはそもそもバスで乗りつけて
ホテルで暴れて
台風のように去っていくだけで、

<旅>ができない。

完璧なる"観光旅行"スタイルであるからして
ホテルも観光地も店も儲からない。

ランドマークにしても
バスでやってきて
バスの車窓からそれを観て
写真だけぱぱぱっと撮って去っていく。

"北の某"に拉致されていた頃に
市や観光地などから直接聞き、

自らの足でも同国内のほぼすべてを
周って見たが、

それはもう惨憺たるものであった。

<お金が落とされない>という悲劇に
喘いでいるわけだ。

一方で、
お金を落としてもらう努力を
何らしていない彼らには
呆れ返ったわけだが、

今宵の会場でも
最も近い異国の一つとして
"北の某"は参加していたが、

まあステレオタイプに
ラーメンだのジンギスカンだの
<食>人気にあやかって
それをエキシビットするだけという
芸のなさを披露していたわけで、

相変わらずだな…


嘆かわしい気分になるわけだ。



0gtd13.jpg


ジンギスカンの串焼き。

味はまあまあだが、
こういう世界ならば
ニューヨークで食するシシケバブの方が
100倍旨い。

限界だろう。




*****




地方は地方として、彼ら自身は何を求めるのか。

そこが大きな問題になる。

昨年の佐賀県唐津への遠征でも気づいたが、
実際には
地方はその地の人だけで成り立っていて、

その地に根づいた祭や祝祭、物産は
結局のところ
その地の人々と近隣の人々だけの間での
誇りであり、文化であり、歴史である、と。


例の
<唐津の太陽>で取り上げた唐津くんちにしても

<年中、くんち>という
シンボリックな台詞に象徴されるように

一年を通して
オールウェイズそれがあって
盛り上がっている。

人生の中にもそれが大きく存在する。

地元の人にとっての誇りがあるから
それで良いわけである。

それをダシに
外国人や首都圏からの観光客をアテにしようとも
していない。

それで良いのではないか、と。

中途半端に観光需要を高めようとするから
そのエクスポージャーが満たされず
ドン臭くなるのが地方である。


地方は地方で完結する方がベターではないか、と。

己がそれに誇りを持てば
数十万人を動員して
ちゃんとお金も落ちていく。

普通にそれで活気もあるのだから、
それで良いではないか、と。


計算してウケ狙いをせざるを得なくなり
中途半端な最悪の結果に陥る事例は
"北の某"でいやというほど見たが、

昨年ニッポン各地を見て回る中では、

やはりニッポンの地方と"北の某"では
明らかなる差異がある。

それは
地元への誇りの熱いニッポンの各地方と、
かなり冷めている"北の某"の差である。

地元の良ささえ知らず
誇りに思って語ることもしないくせに
中途半端に
その虚像を"憧れられてしまっている"
"北の某"と、

実は知られていないが
地元は地元で誇りを持っていて
熱くそれを語ることのできる
ニッポンの地方の、

違いである。



現地を歩き、語り合うことで、
その差は明確に感じられるようになったのが
昨年でもある。


結局、こういう会場でも
"北の某"は
憧れられている&旨いと錯覚されている
<食>だけしか

アプローチ手法がない。

それが悲劇であり、
それだけでは何にもつながっていかないのである。

なぜもっと
文化的な存在などをPRしないのか。

ばんえい競馬だって良い。
雪まつりだって良いではないか。

そのあたりが相変わらず下手であると
手厳しく"北の某"には言いたいところである。



"よさこい"とて
本場のリアルよさこいの高知が
お台場なども擁しながら
着々と

"北の某"のニセモノよさこいたる
"よさこいソーラン"を追いつめている。

そのうち
"よさこいソーラン"も厳しくなってくるだろう。


0gtd1.jpg


0gtd2.jpg




*****



0gtd4.jpg


ひとくちに<ねぷた>と言っても
種類は複数ある。

こちらは青森県の青森のではなく、
青森県の弘前の<ねぷた>の
象徴の一つだという。

ヒアリングによればこれは
弘前ねぷたの際に
子供たちが手にして歩くものだという。

知らなかった。



0gtd5.jpg


0gtd6.jpg


東北でも屈指の山車まつりといわれる
青森は八戸の三社大祭の山車。

八戸の夏の一大イベント。

期間中の人出は百万人を超えるというから
たいへんなものである。




0gtd11.jpg


0gtd16.jpg


仙台のあんこう肝鍋、牛タン塩焼き、
ダモシも昨年食した静岡の富士宮やきそば、

岩手の冷麺、八戸のさばなど
全国各地のご当地食が並ぶ中、

イベント初日はウィークデイに関わらず
大盛況。


明日からの三連休では
たいへんな数の動員が見込まれるだろう。




0gtd10.jpg

駅弁大会ならぬ
<第一回ご当地どんぶり選手権>が
開催されている。

400円でチケットを購入し
好きなどんぶりを食して投票するわけだが、

いささか公平性を欠く気がする。

どんぶりは小さくボリューム的には
満たされないが、

400円という価格が中途半端だ。

400円x一杯(一種類)。
これで終わる人も多いだろう。

となると
その一杯が旨ければ
当然ながら投じられる票は
そのどんぶりに与えられるだろう。

仮にその一杯が不味ければ
投票するものがないということになろう。

三杯、四杯と食す中から
相対的に旨いものとしての一票でなければ

<見た目で選んで食されたものの数が
 最も多いもの>が
そのまま第一位に輝く可能性があるから、

公平には思えないのである。


これがチケット代金が1,000円として、
現在のどんぶりのボリュームをさらに少なくした上で
<1,000円x五種類のどんぶり>という形にして
より多くのそれを食せるようにした上での
投票ということにでもすれば、

その結果の公平性は
より得られるのではないかと感じたわけである。


当初のこのどんぶり選手権の中から
ランチを摂ろうと思っていたのだが、

400円という価格と
どんぶり自体の中途半端なボリュームを見て、

ダモシは辞退したところである。




*****



0gtd3.jpg


ここでもニッポンの象徴として
描かれるのは
やはり富士である。



三重県四日市市。

そのブースでのヒアリングで、
四日市が
ニッポンにおける土鍋の八割を
生産しているという話を聞いた。


そのPRブースで、
土鍋もしくは皿に
筆で絵や文字を描いた上で

それを焼いてくれて
一ヶ月後に手元に届くという所作が
行われていた。



<せっかくだから、やろう>と
同行者二人と三人で一枚の皿に
己が絵と文字を筆書きした。


まず最初に絵だが、
そのセンターにダモシが筆をとり
富士を描いた。

年賀状に描いたような
筆描きの富士である。




0gtd7.jpg



焼くため、
当然ながら写真に見えている色は
より鮮やかになって仕上がるようだが、

出来上がりが楽しみである。




0gtd8.jpg


久しぶりに東京ドームの
グラウンドに降りたことで
ご機嫌のダモシは、

己が野球選手になって
フェンスにジャンプして
大飛球を捕球している風を気取った。

"いい歳をして…"といったところだろう。





0gtd12.jpg


0gtd9.jpg


0gtd15.jpg




*****





さて、2010年の今年。

各地で
アニバーサリー・イヤーを迎える。


まずは長野の諏訪では
七年に一度の御柱祭という
毎回のように死者が出る
"バカになれ!"を地でいくカーニバルがある。


<遠野物語>は100年を迎え、
遠野でもイベントが行われる。

<富士山>では、
"冨士に一緒に行こうじゃないか
Fuji-tohai Damoshi-gun 2010"が行われる。


各地にそれはあまたあれど、
2010年の筆頭は、

やはり平城京遷都1300年祭だろう。

平城宮の復原公開以下、
アニバーサリー・イヤーを彩る
錚々たるラインナップが揃っている。



長野の諏訪、奈良の平城京
それぞれ今年訪れたいところである。



0gtd20.jpg



<今年は奈良に行きたい>というマインドを
高速道路料金変更が後押しする。


今年の六月から
ETC搭載車のみならず
現金支払いの車も含めて一律に、

高速道路最大上限2000円

という施策が具体的に浮かび上がっているからだ。


田園都市から平城京までの
ダモフィーロでの所要時間は約六時間。


かなり遠いが、
ぎりぎり許容範囲とも思える。

ぜひ、行きたい。




ダイレクションが異なる東北方面では、
平泉や山寺行きは
これもまた秘められたプランには
既に入っている。



0gtd22.jpg



双方の車でのダイレクションを見てみる。


田園都市から平城京までの場合:

東名高速利用。
豊田JCTで伊勢湾岸自動車道にリンクして
三重県を横断。

四日市JCTで左へ流れて東名阪道。
さらに亀山JCTで右へ流れて新名神高速。
ここで滋賀県を横断。

その後
京滋バイパスを経て京奈和道へ。
京都を縦に走って奈良へ。


この行程で、約六時間。



同じく
東北路で
平泉ではないが
仮に山形の山寺(立石寺)を目指した場合は
約5時間だから、

平城京は
かなり遠いということになる。


御柱祭の行われる諏訪までは、
約3時間。


平城京は諏訪のちょうど倍ということになり
遠距離感は甚だしいが、

その所要時間が
高速道路料金とガソリン代同様に
大きなネックになり得るため、

六時間という所要時間は、
高速道路上限2000円という
恩恵がある場合においては
ぎりぎり許容できる範囲という気もするわけである。


あくまでも高速道路は一律料金として
EAC搭載車だけではなく上限2000円
という設定になっているから、

<早くそれを実施してくれ>と
手ぐすねを引いて待っている状態である。




0gtd21.jpg


富士山写真を使用したポストカード。

富士登拝に関しても、
関係者と懇談した。



0gtd23.jpg


縄文のスーパースターこと<土偶>。

国宝を含むその<土偶>が一堂に会する。





:::::



<ふるさと祭り>

東京ドームで11日(月)まで開催中。







posted by damoshi at 00:21| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月06日

ばぁ〜




<ばぁ〜>と言って
驚かせるのが、

ダモシとジュニアの間で流行っている。

昨晩、那須から戻ってきた
ワイフとジュニア。

何でも、
じいじとばあばに
学習机とランドセルを買ってもらったようで、

ダモシが昨晩帰宅した際に
出迎えたジュニアは、

己が背にランドセルを背負っていて、

その背を向けて
<ばぁ〜>とやっていた。

デスクは今週末に配送されるようで、
狭いジュニアの部屋には
それを置くスペースがないから
どうするのか

といったところである。



これで猫たちの世話、
ボンカレーの生活から足を洗い
ルーティンに戻るのは良いことだ。


ほとほと、たいへんだ。


猫の世話だけでも
・ジャックへの朝晩の薬投与
・ご飯あげ
・水取り替え
・お遊び
・トイレの清掃
など、やることが多い。


自分で食事となれば
その用意と後片付けに食器洗い。

部屋の清掃その他なにやら
すべてやらなければならない。

料理に洗濯に清掃にを遂行しつつ
ジュニアの世話、幼稚園の送迎、
幼稚園の公式行事や係に
ダモシの世話も行いながら
じぶんじかんも遂行するワイフは、

やはりスーパー・ウーマンであると想ふ。


"キレイな女&勝った女"勝間にそれができるかな?




*****




今宵、オフィシャル事案で頂戴した
博多のご当地銘菓。



niwaka1.jpg


何とも言えないムードである。

この目と眉毛の
それぞれフォルムが絶妙である。

博多の銘菓で長いヒストリーがあるという。

二〇加煎餅(にわかせんぺい)というらしい。
開けるとこれまたこの絵とフォルムのおせんべい。

そしてパックの包み紙の中に
お面が入っていた。

このお面が妙にハマった。


<よし。帰宅時、これを冠ろう>。

そう企んだ。

<コドモをびっくりさせよう>

と。



niwaka2.jpg


両側にゴムを入れるお面だ。


夜、帰宅する際、
たいていジュニアが

<ダディ?>と言って確認。

ダモシが
<おうっ>と言えば、

彼は鍵を開けてダモシを迎え入れる。



<ダディ?>。

<おうっ>。


ガチャッとドアが開いた。

エレベーターの中で
お面を付けておいたダモシはその瞬間、

顔だけ玄関に入れて

<ばぁ〜>とやった。


するとジュニアは
<うわぁ〜>と言って背を向け

一目散にリビングで料理中の
ワイフのもとへ駆けていき、

大声で泣いた。



あまりに驚いたことと
泣いているため、

ダモシは
<ごめん、ごめん>と言って
お面をとりながらジュニアのところへ行って
だっこした。


<そんなに驚くとは思わなかったよ。
 まだ赤ちゃんだな>

と笑った。


まだこうして純然と驚き、泣く。
そんなジュニアがやはりかわいいわけだ。


未だに
<抱っこして>と甘えるから
たまらんなぁ、と。

どのみち、いずれ
そんなことは言わなくなるわけだから
言う間は抱っこしてあげたいわけである。


誰に似たのかなぁ、と。


ダモシは
そういう純然とした所作は
幼児期なかったと思われる。

ウルトラの父にも
<抱っこして>だのと甘えることは
なかったのではないか。

記憶にないだけか、
抱っこされた記憶というのも
一回あるきりだ。


あれは台風の日だった。

阪急電車のあの茶色いボディを覚えている。
一昨年の大阪との再会の際に書いたが、
茶色いボディの阪急電車の沿線に住んでいたのだ。

或る日、

幼児ダモシにとっては
とても大きな台風だった。

ただの暴風雨だったのかもしれないが、
台風だったと思われる。

駅に阪急電車が停車するたびに
開いたドアから吹き寄せる暴風と雨。

斜め前を見れば
幼児期ダモシが恐怖の対象としていた
電車連結部のヒダヒダが視界に入る。

あの
電車連結部のヒダヒダが
怖くて怖くてしょうがなかったのである。

それに輪をかけて
暴風と雨。


己が家の最寄駅に着くも
ホームには屋根がなかった。

と、ウルトラの父が
ダモシを抱き上げて
抱っこしてくれた。

駅から何分だったのか分からぬが、

駅から家までの道のり、
暴風雨の中を
ウルトラの父が抱っこして
ダモシを家まで連れ帰ったことが
鮮明な記憶として残っている。


阪急電車沿線時代だから
小学校一年生か二年生のことだ。

帰宅後、
ウルトラの母に
その顛末を語った気がするが、

父親を何とも頼もしく感じた
と同時に、

抱っこして
暴風雨から守ってくれたことへの
奇妙な嬉しさに
気分が高揚していたことも

鮮明に覚えている。



いつか暴風雨の日に
ジュニアを抱っこしなきゃな

と常々想いながら、

かれこれもうジュニア六歳である。




*****



<ばぁ〜>で記憶に残っているのは、

これもまた
幼児期時代の大阪のことだ。

阪急電車時代は尼崎だから兵庫県だ。

<ばぁ〜>は大阪府だ。


これは今のジュニアくらいか、
もうすこし下くらいの年齢だったと思われる。

或る日、ウルトラの父が
部屋のリビングの真ん中から

<ほら、おいで>と両手を広げていた。

幼児ダモシはこのとき純然たる
マインドを未だ所持していたのであろう。


幼児らしく
父親の広げる両手と胸に飛び込んでいくべく
ダッシュした。

無垢だ。


羽田空港やNYバファロー空港で、
ジュニアが
ダモシのもとに
猛ダッシュで<ダディ!>と言って
駆けてきた構図と同じである。


諸手で、胸で、思い切り走ってくる
己が直系遺伝子を受け止める。

これが父親の筋である。


だがあのとき、ウルトラの父は、

その寸前で
<ひょいっ>と己が身体をよけた。

幼児ダモシは
その背後にあった
ちゃぶ台的テーブルの角に
頭から突っ込んだ。

そして、大泣き。

ウルトラの母は
ウルトラの父を叱責した。


なんとなくだが、
このとき以来、警戒するようになった気がする。

このとき以来、
己が父親の胸に、無垢に飛び込むようなことや
<抱っこして>は

しなくなった気がするわけだ。


記憶にはないが
それ以前はもしかしたら
ジュニアのように
<抱っこして>とダモシも己が父親に
言っていたかもしれないが、

言っていたとすれば、

おそらくこのときに
<言っちゃいけない。落とされそうだ>
などという警戒心が芽生えたのかもしれぬ。




明日からジュニアは一つ、警戒するだろう。

あんなに驚くとは
思わなかったが、

今宵の一件で

<ダディが帰ってきたときは
 ドアを開けたら
 ダディが何をするか分からないぞ>

という警戒の念を持ち、

もう無垢な気持ちで真っすぐに
<ダディ!?>と言って
<おうっ>の後に
鍵を開けてくれなくなるかもしれない


などと

ちょっぴり懸念している

今宵のダモシである。





*****




<冨士に一緒に行こうじゃないか>。


ニューヨークからの参戦要望も来た。

実にうれしいことである。


東京はもとより、
既に大阪からもある。

国と地域を越えて
富士を軸に闘いを展開したい。


共通のTシャツか携帯根付など
なにかしらオリジナル・グッズも
作りたい。



その
<冨士に一緒に行こうじゃないか>の
メールアドレスに

別件でメールが届いていた。


ニューヨーク時代に邂逅し、
ダモシ軍より先に
ニッポン(東京)に帰国していた人だ。

互いに連絡先が分からずにいた。

昨年も、
ニューヨーク時代の人との
偶然の再会が二回あったことは掲載したが、

<愛人>であり
<移動祝祭日>たるニューヨークは

今もなお、そうして仕掛けてくる。


なんでも
ファミリー同士での付き合いがあったため、

その奥方が
たまたまダモログに行き着いたというのだ。

そして
通常ダモログには
ダモシへのメールアドレスは掲載していないが、

<富士に一緒に行こうじゃないか>の
特設アドレスが掲載してあるから、

そこにメールをしてきてくださったのだ。


旧交はもとより、

そこで氏は
ダモシ主宰の<ケイバタイムス>への
参戦を表明なさったわけである。


ダモシも、
むろん<ウェルカム!>した次第である。



それにしても、驚いた。

まさにそのメールも
予期せぬものであったがゆえ、


<ばぁ〜>


といえよう。


まさに、ばぁ〜メールである。















posted by damoshi at 23:24| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月05日

日記



リラックスのお正月休みも
そろそろ終わりになってしまいましたね。

皆様はいかがお過ごしでしょうか。

一般的にニッポンは今日5日から
仕事始メということになりましょうか。


充分、英気を養われましたか?
それとも休みボケでしょうか。
いずれにせよ明日の朝は億劫ですよね。
気持ちは分かります。

いまどき、
何でもポジティヴ云々で
朝からハイというのは
いかがなものかといった案配ですからね。


年明けの風物詩としては、

いささか一般ゼネラルとは
異なるやもしれませんが、

ダモシ的には

1.4 新日本プロレスの東京ドーム
1.5 競馬の金杯

が浮かぶものです。

この二つはいずれも
仕事始メという億劫な仕業と
日付的に近い関係があります。

いずれも日付変動ではなく固定です。

ですから毎年恒例のこととなっています。

勿論後者は、
ダモシがニッポン不在の間に
1.5開催固定は解除されてしまったようですが、

今年は幸い1.5開催です。


その昔、

1.4の東京ドームで
新日本プロレスを観て、

たいてい毎年仕事始メだった1.5は
開催が重なる金杯の馬券を買うために
年始の挨拶でクライアントを訪れる傍らで
後楽園ウィンズに立ち寄って
馬券を買ったりしたものです。



そんな、1.4&1.5のノスタルジーですね。

今や
1.4の東京ドームは
ダモシが毎年行っていた
98年渡米までの時代の
6万人動員という力はなく、

せいぜい2-3万といったところでしょうか。


今宵、どうだったのでしょうね。





*****





さて、世の中の仕事始メの前日の1.4。

ワイフとジュニア不在の
束の間の一人暮らし最終日でした。


お昼は、自分で作って
アメリカン・ブレックファストを楽しみました。


0104f.jpg


ふだん
こういった類いの
ブレックファストもランチも摂りませんが、

たまに食したくなるのです。



今日もサニースカイのよい天気。


朝から猫たちが
ワイフがいないならダモシにとばかりに
腕を噛んだり啼いたりして
ダモシを起こします。

<ご飯ちょうだいよ>と。


ダモシが起きて
<しょうがないな>とご飯をあげると

みんな勢いよく食べて、
食べ終わるとトイレをして、

それぞれソファの上や
押し入れの中の毛布の上などに
寝転んで

微睡みます。


まったくもって、リラックスしていますね。



0104a.jpg


0104b.jpg



比較的、
ダモシの方が厳しくなく
食事を与える量が多いので、

ダモシだけの際は
とても甘える猫たちですが、

甘えるのは

<ご飯ちょうだい>の時だけなので
困りますね。




これを書いている今、

外から、雨が降る音が聞こえてきました。

雨でしょうか?





*****





夕方、

コンビニに煙草と夕刊紙を買いに行きました。


今宵が夕刊紙の新年最初の発行です。
東スポですね。


0104d.jpg


明日の金杯の確定と予想です。

金杯は
昨年も、そして今年も買わないでしょう。

そもそも98年以前も、
一年の最初ということで
勇んで買っていましたが、

金杯、当たった試しがありません。



新聞を買って戻る際、
自宅の前の坂道の上から西の空に見えた夕陽です。

今宵もまた
煌煌と輝いていました。



01014c.jpg




三日連続の、一人でゆっくりとバスタイム。

ひとりじかんも
たまには良いものです。

じぶんだけの世界観で、
お風呂でゆっくりと本や新聞を
読むことができます。


でも三日がよいところですね。

もう寂しいです。


食事も飽きてきました。
やはり家族揃って食すのが良いです。


束の間の一人暮らしの今回の最後のディナーは、
ボンカレーです。


0104e.jpg


10年以上ぶりに食しました。

レトルトのカレーを
スーパーマーケットで選んでいたとき、
ボンカレーに目が止まったのです。


これよりも高額な、
なにやらタイトルもパッケージも
立派なレトルト・カレーが
いっぱいありましたが、

妙にボンカレーに引っかかったのです。

今やこれはクラシック・ホテルの
領域に入っているのではないでしょうか?


パッケージに書かれたコピーは、

<おいしい進化は、とまらない。>。



美味しかったですよ、これ。

さすが
レトルト・カレー界の
クラシック・ホテル

だと思いました。


<富士屋ホテルの名物カレーのレトルトと
 大差ないのでは?>

<否。どちらがどちらか分からないのでは?>


と感じました。


年に一度くらいは、良いかもしれませんね。





*****




まだまだ
読み切れていない新聞や本、雑誌が
いっぱいあります。


年中これです。


まだまだ書ききれないことは
山ほどあります。


年中これです。


これだからイヤになりますが、
致し方ありません。


昨日も古書店で
新たな古本を仕入れてしまいました。


01014d.jpg


原田康子女史の<挽歌>は
ずっと探していました。

新刊で買えばすぐに買えたでしょう。

古本で欲しかったのです。
しかも105円で。


さふ。ブックオフです。

<ブックオフで見つけたい>。
<あの105円で探したい>。

これがブックオフの存在意義ですね。

105円の古本でこそ手にしたい。

この本はそんな本でした。
ずっと読んでみたいと思っていたのです。
ようやく見つかりました。

著者は昨年、お亡くなりになられました。



新田次郎は、

ほんとうは富士山絡みの小説を
探したのですが見当たらず、

たまたまあった
<武田三代>に手が伸びました。


そしてロバート・B・パーカー。

定番のスペンサー・シリーズから
<失投>ですね。


いずれも105円でした。


まだこの三つは読み始められません。

先に読まなくてはならない本が
まだ残っているからです。


今年も可能な限り本を読みたいと思います。

なにもそれは
今年が国民読書年だからではありませんよ。

毎年読んでいますから。



国民読書年だからといって
わざわざ読書するなどという所作を
する人が

過度に多くないことを願いたいですね。

そういうのは好みではありません。


それは

この三が日、たまたま見るテレビで
出まくっていた感のある
バドミントンの潮田嬢に

覚えざるを得なかった


<調子に乗っていないか?>

という反感

と同じくらい
ダモシは好きではありません。



何かに乗じて調子に乗っている風情。

筆談ホステスとか潮田嬢とか
国民読書年とかが該当しましょうか。


もしかしたら
あまり過度にやりすぎると


龍馬


もそのメンバーに加わってしまうかもしれませんね。



まあ、いいでしょう。

乗っているなら
どうぞ乗りに乗って頑張って頂ければ。


こちらは
オールウェイズ粛々と
オフィシャルなミッション遂行と、

己が
プライベートでの夢へのチャレンジングと

己が
オフィシャル&プライベート両面での
企画へのトライを

日々是遂行していくだけであります。





バットを振らなければ、
ホームランは生まれませんからね。




それでは、Good Night.


良い仕事始メをお迎えください。


明朝の電車は皆様やる気ないでしょう。

それで良いです。

のっけから気合い満タンは
気持ちが悪いですし、


ゼネラルな環境においては、迷惑ですからね。









posted by damoshi at 00:54| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。