2010年03月28日

日記〜ダモシゃんぽ



こんばんわ、櫻井よしこです。

といえば、
日本テレビの<今日の出来事>でした。

ダモシ世代にとっては
少なくとも
櫻井よしこさんと今日の出来事は
リンクします。

中学生の頃ですね。


中学生の頃といえば
アントニオ猪木に
最もハマっていた時代です。

ミュンヘン五輪柔道金メダリストの
ウィリエム・ルスカ

ボクシング世界ヘビー級王者の
モハメド・アリ

などとの気狂い沙汰の
格闘技戦を敢行して、

それもピークに差し掛かり
いよいよ極真空手の熊殺し
ウィリー・ウィリアムズと決闘し、

格闘技戦に一区切りをつけて
いよいよ天下統一のIWGPへ向かう時分。

新しく仕入れた
<1976年のアントニオ猪木>を読んでいて、

導入部で語られる
その76年の猪木は
筆者が書いている通り<狂気>を孕んだ
暴走特急に猪木自身がなっていたといえましょう。

それこそ柔道の五輪金メダリストや
世界の王者アリと闘うなど、

猪木以外には出来ない
エキセントリックなことで、

コドモのダモシは大いなる
インスパイアを受けたわけです。


1976年のアントニオ猪木こそ、

ダモシの
日常非日常問わず
その分水嶺すらもはやないぞという

現在のダモシに至る

その人間形成に大きな影響を与えた
アイコンはありません。

王や長嶋には影響は受けませんでした。

野球ならばジョー・ディマジオ。
そして近年では
ダリル・ストロベリーや
ホゼ・カンセコ。


人間、そして生き方、モノの考え方、
エキセントリック性などといった
根本的なインスパイアは、

ウルトラの父と
アントニオ猪木のただ二人が
ダモシの指針となっているわけです。


大作です。
単なるプロレスの本と思ったら大間違い。

<1976年のアントニオ猪木>は
時代考証であり、
格闘のみならず
人間として生きている限り不可避の
闘いという名のスリリングな営みにおける所作、
戦略、戦術などなどが満載されている
アントニオ猪木vs.モハメド・アリ戦を軸に展開される



であります。

ページ数は500弱に及びます。


その本を今日は読みました。

今日は
ワイフとジュニアが不在の
<一人暮らし>二日目です。


昨晩は、
オフィシャル事案からの帰路、
最寄駅にあるマクドナルドで
ディナーを買って帰宅。

深夜から未明にかけては
ワイフが買っておいた
"円盤"(白い甘いお砂糖が塗られたくるくるパン)
とペヤングのソース焼きそばを食したのですが、

朝方、胸焼けで目が覚めました。

隣を見ると
いるはずのジュニアとワイフがいません。

寂しい気持ちになりましたが、
眠くて眠くてしょうがないので
深い眠りに落ちました。

何と目覚めると11時。

久しぶりにそんな時間まで眠りました。

その15分後には出かけました。
今日は一人でぶらぶらと
ダモシゃんぽ(ダモシのお散歩)です。

田園都市を歩ける範囲で
ぶらぶらとするわけですね。

気分転換です。


ランチは中華料理店で食しました。

炒飯にラーメンに餃子です。
半ちゃんセットなどというものでは
ありませんよ。

ダモシの場合は
そんな炒飯半分orラーメン半分いずれか
というセットでは不足ですから、

すべてフルセットです。


お腹一杯になって
R-246沿いに咲く桜を愛でました。


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桜は青空に映えるな、と一人
想いに耽りながら
さらに歩を進め、

見つけたカフェでお茶を飲みながら
<1976年のアントニオ猪木>の頁を
開きました。


今日は仕事はしないと決めているのです。


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さらに歩くと
先般の久しぶりのゴルフの前に
練習を行ったゴルフ練習場があります。

瀟洒なストリートにあるのですが、
駐車場はやはり満車で
とても高価な車ばかり並んでいました。

皆々様、不景気とは無縁のようです。


田園都市エリアの基軸でもある
たまプラーザは今、
桜並木。

未だ三分咲き程度と思われますが
既に桜の回廊で
桜フェスティヴァルの真っ最中です。



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キレイです。

満開よりも
それ以前の状態の方が過剰ではなくて
バランスが良い気がしますね。

東京の桜の満開は来週末でしょうかね。

来週末は、各所、花見の人々で大渋滞になるのでしょう。

今年の桜の花見もまたファミリーで。
行ったことのない桜名所へ行ってみる予定です。



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しかしまあ
いつもいつも人が多いです。

皆々様、今宵もショッピング。

未だ風も冷たくて寒いのですが、
それも厭わないのでしょうね。

元気です。皆さん。



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こんな小冊子を手にすることができます。

女子が喜びそうな
カワイイ冊子ですね。

エリア特性と相まって
消費者便益を満たす取り組みといえましょう。

中を開くと、


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女子大好きな食べ物やスイーツが満載。


ダモシもディナーを買いました。
ご当地モノの駅弁です。



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名古屋嫌いなダモシですが、
目当ての駅弁が売り切れだったことと、

名古屋云々は別として
これが残り一つだったことや
見た目が美味しそうだったので
選びました。

<夜は、これにしよう>と。


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実際、美味しかったです。

<ときどき一人暮らし>の際の特権は、
こういう部分でもあります。

一人で気ままに歩いて
気ままに自分が食したいものを
自分だけで決めるという。

これも、ときどきだから良いのですがね。



歩き疲れました。

そろそろおウチに帰ろう、と。

帰り道、
ブックオフに立ち寄って
また本を仕入れました。



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名古屋に等しく
こちらも嫌いな猪瀬氏ですが、

内容が三島由紀夫なので
以前から手にしようとは思っていました。

それが105円になっていたので
買いました。

もう一冊は、写真の通りです。


帰りにコンビニエンスストアで
東スポを買って
家路につきました。


そしてケイバタイムスをまとめました。

今年の第二戦です。
開幕戦を飾ったので
明日も当たるといいな、と思います。



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夕方、
久しぶりに昔観た映画をDVDで観ました。

最近、なかなか自分の思う時に
好き勝手に映画を観ることもできないので、

これもまた
<ときどき一人暮らし>のアドバンテージです。



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<第三の男>。

これも何度観ても良い映画であると思います。



部屋の掃除は明日にして、
今宵はお腹が空いたので
カップヌードルを食しながら、

明日の競馬の馬券戦略を再確認してから
ベッドルームへ行き、

横になりながら
<1976年のアントニオ猪木>を読んでから、

レディー・ガガを聴きながら
目を閉じやふと思います。



明日は新横浜へ馬券を買いに行って、
その足で
猫の二号の病気騒動の際に祈願した神社へ
祈願成就の御礼詣をして、

その後はまた田園都市の桜を愛でようと

考えていますので、

早起きしなくては、ですね。

今日のように
目覚めたら11AMなどというようでは
タイム・イズ・マネー思想に反しますので

ダメです。



明日のランチ、ディナーは何にしようかな

という考察もしなければなりませんね。


ご飯を作ることは、ダモシは出来ます。

でもやはり
一人で、自分のためだけに作るのは
気が進みませんね。

食、作る。
これに関しては、
誰かと共有することが基盤であると思います。

家族、親戚、友人。

誰かと共有することで
作る意義もより高まってくるのだ、と。



なるべく早く眠りたいですね、今夜は。

でも
ドバイの結果が気になります。

仮に民放で放送があるのなら
寝ないで観てしまいそうなくらいです。





それでは、
皆様も良いウィークエンドをお過ごしください。






posted by damoshi at 00:22| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

ケイタイより/女子のレッグ・ファッション




ケイバタイムス2010が今宵から
本格開戦。

以下、ケイタイより出張寄稿。



*****



まだまだ風は冷たくて、寒い。
すっきりとぽかぽか陽気の春が待ち遠しい。

汗ばみたい。

そんな、未だ春に届かない
春直前の微妙な時期。

GIもまた中途半端だ。

フェブラリーSと高松宮記念は
中途半端だ。

どうも、桜花賞からが本番
というイメージは拭えない。




*****



先般、仕事関係で訪れた
埼玉県にある鉄道博物館。

見応えのあるミュージアムだが、
その中の一つに
オレンジ色の車体のJR中央線が
展示されていた。

中に入ると昭和50年代の様子が
再現されている。

サラリーマンのスーツも
女学生の装いもその時代を再現。

気になって目を真っ先にやったのは
女学生の足下。

ソックスである。

女学生の制服に組み合わせられる
ソックスの、

そのポスチャーは

時代時代をあまねく映し出す
一つのファッション文化である。

筆者が高校生時代は
白のソックスが主流で
丈は
ふくらはぎの筋肉の下あたりまで。

程よい長さで、足の長さをうまく見せていた。

当時のスカートは
膝下だったため、
ハイソックスでは合わないし
スニーカーソックスもルーズソックスも合わない。

白の、ふくらはぎの筋肉の下までの長さのソックス。

これが定番だった。

90年代後半まで。
ちょうど渡米するまでの時代の
女学生の足下の定番はルーズソックス。

これがどうにも納得いかなかった。

阿呆に見えた。
そして大根ぶりをあえて強調するかのような
だらしないルーズソックスは嫌いだった。

なぜ、あんなに足が太く見えるような
ソックスを履くのか、と。

しかも当時のスカートは
これもまたアグリーなまでの短さ。

エロティックというものは
バランスがほどよく図られた露出において
生まれ得るものなのだが、

そんなことはお構いなしの
ガン黒女学生たちは
Tバック下着丸出しのミニスカートに
醜く太った黒いふとももをドカーンと見せしめ、

とどめはこれまた膨張 too muchな
ルーズソックスという出で立ちだった。


それが消えて、清楚&ほどよいエッチ感を
醸し出すようになったのが
米から日本に出張で来ている頃合い
(2000年代前半〜)から始まった現在の趨勢である

紺ハイソックスに、バランスの良い短さのミニスカート
である。

これは足が細く見える。
バカにも見えない。
誰もが賢そうに見える。

紺のハイソックスというのは不思議なもので、
どんなに頭が悪そうな女学生でも
足が大根な女学生でも

少々まともに見せる効果がある。


代々、継承されている"決まりごと"としての

白ハイソックスや白ふくらはぎの筋肉下までソックスは
永遠不滅で常に一定の女学校で採用されているが、

猫も杓子も

という部分での当世ソックス気質でいえば

・白ふくらはぎの筋肉下までソックス

・白ルーズソックス

・紺ハイソックス

という系譜が、一つには認められよう。


そしてそんな系譜の前世代。

すなわち筆者が未だ
小学生や中学生時分の
お姉さんたちのソックス事情。

それがちょうどこの鉄道博物館の
JR中央線展示車輛内の当時の様子に表れている
わけである。


これだ。


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左にいる女学生の白ソックス。

これがいわゆる
先ほど記載した
白ふくらはぎの筋肉下までソックスに
近いものである。

時代的に、この長さをキープするためには
当時流行した
ソックタッチを用いた場合である。

左の女学生は昭和50年代前半のこの車輛内では
先鋭だった。制服もブレザーで
スカートも短め。


そして右側にいる女学生。

これこそ
前世代の様相である。

白の三つ折り。
スカートも膝下。

この、ソックスの短さと
スカート丈の長さの
微妙なバランス感覚が秀逸で、

まさに
スカートをめくりたくなる世界観が
演出されていたわけである。


このバランス感覚のそれを
めくろうと思えば、

こちとらもまた
繊細な心持ちと指づかいが求められる。


現代のミニスカートや
90年代の阿呆ミニスカートなどはもう

そんな繊細さは不要で、

ただただバーッとめくれば済む。


ここにエロティシズムの、
衰退が見られるわけである。

それはすなわち、

ポルノ映画館におけるポルノ映像

ビデオでのアダルトビデオ

DVDでの、インターネットでの映像

という衰退の系譜と趣を同にする。


今も尚、時々、かような
清らかな真っ白の三つ折りソックスや
白ふくらはぎの筋肉下までソックスを
目にすることがあるが、

その瞬間、何とも言えぬ安堵感を覚えるのは、

筆者が昭和の人間だからか。


今宵、たまプラーザ。

そこに女学生制服姿は見られないが
ヤングガールやヤングレディは
わんさかいる。


今や女子のファッションには、
清らかな、秘められた、微妙なバランス感覚の
エロティシズムは消え失せた。

ドカーンと迫力ボディに野太い足。
殴られたら吹っ飛ばされそうな
豪快な腕。

そしてその顔つきにももはや
昭和レディが持つしとやかさは皆無で
顔面が筋肉で出来ているかのような
オンナが目立つ。

いかがなものか、と。


しかもその服ときたら、


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まるで競馬の勝負服。

いやはや、これでは
何も"感じ"ないよ、と。


そういえば昔は
ストッキングひとつをとっても

黒でも絶妙な薄さのエロティックなものや
こげ茶系や薄めのグレイなど
もうこれエッチすぎますから的なものが多かった。

今やそれも
黒の厚手のタイツ系が隆盛だ。

さらに
スーパー・ストロングマシンのように
ラメ入りで光輝いているときた。

お先真っ暗な格好である。


しかもソックスも

エロとは無縁のへんてこりんなレギンスで
お前はバレリーナか?と問いかけたくさせた
かと思えば、

五本指靴下だの足袋のようなソックスだので
キミは大工さんか?と疑念を覚えさせたり、

あんたは新体操の選手か?と見紛う
足と靴の間をカバーするかのような小さなソックス
のような布きれ、

などなど

まってくもってワケが分からん、
セクシーとは対極にあるようなモノが横行している。

レッグファッションという世界観から
ある意味で機能性や合理性を追求した挙げ句、

鎧や兜を纏うのと同じような感覚に
なってきてしまっているのではないか、と。





*****




高松宮記念。

96年の、未だ高松宮杯だったレースが
記憶に残っている。

秋のスプリンターズSほど
スプリントのGIとして
アイコニックな存在ではなく、
開催地も地味なことから
その存在感は希薄なこのレースだが、

ナリタブライアンが出てきた96年だけは
筆者の中で記憶に残っている。

当時のケイタイでも
散々批判した、陣営の選択。

ナリタブライアンほどの馬を
なぜ高松宮杯に出すのか、と。
なにをもって1,200mのGIに出すのか、と。
勝つわけがない、と。

結果、四着。

その後、引退。

筆者が渡米する直前、
ナリタブライアンはその短い生涯を閉じた。

ナリタブライアンの最後のレース。
それが高松宮記念(当時は、高松宮杯)への
イメージである。


層が薄いと言われているスプリント。

せめてやはり
マイルからクラシック・ディスタンスが
基盤ではないか。

水泳でいえば50m、陸上短距離でいえば100m。

本来ならばもっと華があって良いはずだが、
競馬での1,200mは
いささか地味な感は否めない。

やはり1,600m〜2,500mが競馬の華。


地味な中、
それでもレースは行われ、予想も馬券も飛び交う。

基軸は、

・外枠有利
・差し、追い込み有利
・外に持ち出した方が内よりも馬場が良い

などの環境条件にプラス
馬個々の

・実績
・枠順
・ローテーション
・人気順

を加味して取捨選択。



今回は巷では、

アルティマトゥーレ
キンシャサノキセキ
プレミアムボックス
エーシンフォワード
ビービーガルダン

が人気を集める。


その中から
左回りに信用がおけない
ビービーガルダンは外す。
力はあるが、
どれかを切るとなると
得手不得手からこの馬を外さざるを得ない。


三頭出しの厩舎から
人気のエーシンフォワードと
もう一頭
距離への適合から見れば
エッジにあると思われる
エイシンタイガーの二頭をピックアップ。


騎手で見れば
武豊は完全に昨年からダークサイドに
嵌っていて、

今宵も落馬して骨折。

散々な運気だが、

その一方で
昨年からやることなすことハマっているのが
横山典。

今年は勢いが衰えるかと思いきや
厄年にも関わらず
絶好調。

ここは横山騎乗で、
しかも馬自体がラストランとなる
アルティマトゥーレは切ることはできない。

キンシャサノキセキは
昨秋のスプリンターズSで
筆者が筆頭に推したものの
その武の稚拙な騎乗で敗れ去り、

失望した。

その際の不信感が残り
イキとするが印は落さざるを得ない。


追い込み型と最後の脚を考えれば
好都合な枠順も伴って
プレミアムボックスも外すことはできない。


あとはそれらの順列だけ。

未記載の一頭。
それを本命とする。

くさっても一昨年の同レースの覇者であり
同レースのレコードホルダー、

ファイングレインに◎。

当該距離で
最も速い持ち時計を計上したこの馬を
外す理由は見当たらない。


先手を進む
アルティマトゥーレ、
エーシンフォワードを

最後の直線で差しにかかるのが、

キンシャサノキセキと
プレミアムボックスと
ファイングレイン。

タイミング的にはおそらく
キンシャサを交わして
レコードホルダーの
ファイングレインが抜け出すだろう。

プレミアムボックスも
怒濤の勢いで外から追い上げるが
ファイングレインよりも外を走るロスからも
最後は少々届かず、といったイメージが沸く。

問題は、中団からどう競馬を進めるかによって
結果は変わってくるであろう
エイシンタイガーだ。



◎ファイングレイン
〇エーシンフォワード
▲キンシャサノキセキ
△アルティマトゥーレ
△プレミアムボックス
注エイシンタイガー





posted by damoshi at 21:55| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

<信濃・甲斐の旅>-2/平静の国宝、松本城




信濃国。

そのセンターステージとして
かつて国府が置かれた松本市。

戦国、明治維新、そして戦災。
その動乱を経てもなお無傷を誇った城は、
国内にわずか12基。

いわゆる<現存天守>〜オリジナル・トゥエルヴ〜
である。

世界遺産・姫路城、
ダモシ訪問の中でベスト3に入る犬山城、
昨年訪れた松山城などと共に
オリジナル・トゥエルヴを構成するのみならず、

姫路城と共に
国内に二基しかない
現存天守の中でも五重天守を備えるのが
松本城。

そして松本城はさらに
<現存天守の中で唯一の平城>であり、

五重六階の天守と
5棟の建造物が連結していることで

城として
抜きん出た規模とポスチャーを擁する

国宝中の国宝の城といえよう。



それは見た目の、
いささか小さく見えるスケール感を

意匠デザインの妙から
観る角度によって儀容に変えるパワーをも持っている。



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その端緒は、深志城。

小さな城だった深志城を
本格的にエクスパンドしたのは、

武田信玄。

信濃を制圧した信玄が
領国支配の拠点とするべく城を増強した。


その後、さらに本格的に松本城を
現在のような五重六階と5棟の建造物との
連結複合式城に仕立て上げたのは

豊臣配下の1500年代末のことだった。



一見すると質素、簡素に見える
ブラックな外観は、

豊臣方の城に多いようである。


前二枚の写真のように
闇夜に浮かぶ松本城を観れば
そのブラックの様相がより分かるだろう。



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*****




松本城のポイントの一つとして

戦国と平和の
二つの時代にまたがって造られたことが
挙げられよう。


築城の名手といわれた加藤清正の手による
これもまた
ブラック&ホワイトの名城・熊本城の
鉄壁のディフェンスとの違いでもある。

天守は戦に備えたストラテジーで
クローズな面持ちである。
窓も当然小さく
堅牢である。


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それに対して
赤い欄干の回廊で囲まれる
優雅な空間が月見櫓。

こちらは窓はまた当然ながら開放的だ。


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平静の世に、
月を観ながら酒宴に興じたか。


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五重六階の天守の左側に連結する
中二階にある赤い欄干の建造物が、
月見櫓にあたる。


乱世と平静。

アトモスフィアの異なる二つの時代を
軸に建造されたことで

その時代時代を映し出す
意匠デザインと構造が生まれた。

そしてそれが
連結した建築構造になっている点が
松本城をして

国宝たらしめる

要素の一つになっているのだろう。



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これがパンフレットに記載されている
公式コピーのように
<四〇〇年余の風雪に耐えて…>
に値するのだろう。

むろんここでいう風雪は、
風や雪のことではなく
戦国、明治維新、戦災などと指すだろう。




*****



さて、松本城。

昨年来、
多くの城に出向いているダモシだが、

来城者数日本一を誇る
熊本城でさえ
これだけの人はいなかった

と言えるほどの大混雑。

時期的に今週末から来週末などは
桜満開も重なって
さらに増えることは容易に想像出来るほど。


なにしろ

それなりに
生まれてからこの方、
多くの城には足を運んでいるが、

城の中で

人間大渋滞になったケースは
一度とてなかったのであるが、

松本城に関しては
パーフェクトなまでの、

そしてそれは
中央フリーウェイや東名高速のそれに
匹敵するばかりの

人間大渋滞が発生したのである。

天守に、その最上階へ辿り着くまでに
六階分を上がる所要時間はゆうに60分を
超えてしまったのである。

途中途中の階でじっくりと
展示品を観てスペンドした時間ではない。

実際の<通行時間>である。

これには驚いた。

もとより歴史ブーム、
ニッポン国内へのフォーカスが高まっている時世、
そして歴女増幅という折、

理解出来なくはない。


だが、中央フリーウェイの大渋滞に等しく、
先般の三連休は
ただの三連休で
桜満開の頃まで(今週末と来週末)は
レジャーで多くの人は出かけることは避けるだろう

というダモシの読みは
完全に外れてしまったわけである。


<なんじゃ、こりゃ>と。

<歴女か?>と。



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ご覧の有様である。

異常だ。


むろん、
松本城のこの天守が狭いこともある。

階段も
オールモースト一方通行の狭さに関わらず
対向している。

要するに一人通ればギリギリの狭さに加えて
急勾配急角度(ほとんと垂直では?と思えるほどでもある)
の階段を、

登る人と下りる人が交錯してしまうのである。

だから流れは断然悪くなる。

いずれも譲らず
どんどん登り、どんどん下りてくるから
シニアの方々や幼児にとっては
大変である。

幼児はそれでもアクションが
最も素早い上に面積もさほどとらないから
大きな影響はないが、

シニアが問題だ。

ただでさえアクションはスローな割に
身体は大きな差異がないレベルである。

しかもマインドだけはポジティヴであり
アグレッシヴだ。

譲らない。

これが厄介になる。

こういった要素が絡み合っての
大渋滞なのではあるが、

それを割り引いても
それだけの多くの人が来城している
ということは言えるわけであり、

松本城、侮れないぞ

といった感覚を得る。


愉快なのは、

各所で

<横入りするなよ!>
<ちゃんと並べ!>
<危ない!>

などという怒声が飛んでいたことである。


ここは国宝。そして現存天守にして
平静の城。

そんな中で飛び交う現代人の怒号。

これは愉快で、
横入りする人も怒声を飛ばす人も
コメディである。

渋滞大嫌いのダモシもまた
ちょっぴり苛々はしたものの、

やはりジュニアの優勝という
機嫌が良くなる最高のエポックがあった
直後だっただけに、

努めて笑顔、努めて平静を装ったわけである。



そして、夜。

雪降る、ほぼ零度の松本城へ出かけて
誰もいない中で
心ゆくまで写真を撮り、眺め、想いに耽ったのであった。



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*****




松本城を観る構図は、

主に二つがあると感じる。


一つは、
メインのエントランスを入って
すぐにある構図。


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ここから城内へ入っていく。

城内へ入ると
真正面に松本城を捉えるが、

これは大きなポイントになる
構図ではない気がする。


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だがそれでもこの構図では、
五重六階の天守と
5棟の建造物の連結の妙が観られる。



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これも城内に入ってからの絵。


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そしてもう一つのポイント構図。

これが
メインではないかと思える構図である。

朱塗りの橋と外濠、城。
赤と黒の構図である。

重要文化財である旧開智学校側、
すなわち西側から入ると
目の前に広がる構図である。



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ここに朱塗りのこの橋が
あるのとないのとでは
雲泥の差のポスチャーになるだろう。



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朱塗りの橋にはダモシも登場で、
"観光記念撮影"。





*****




長野の人にとっては
まずはご当地モノといえば

りんご。


次いで出てくるのが、
やはりこの松本城という想定通り。

それは当然ながら
国宝であるという重みであろう。


そして時間だ。

松本城は
変わらぬ姿で400年もここに立ち続けてきている。

それは再建された城の400年とは
当然ながら
ヒストリカルな部分での重みの違いになる。


著名な武将絡みは少なく、
名勝負数え唄も行われていないが、

それでも歴史散歩のみならず

ニッポンの文化遺産として国宝として
観る価値は十二分にある城といえるだろう。



最後にもう一つ所持している
松本城の称号でありブランド力。

それは、

<現存する日本最古の五重天守である>

ということだ。





:::::



<国宝・松本城>

中央フリーウェイから長野道。
松本IC下車、約15分。

田園都市エリアから約三時間。

観覧料(オトナ600円)
8:30AM-5PM(入場は4:30PMまで)
12/29-1/3はクローズ



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東京タワーと枝垂と増上寺と、傘をさす男




天気はいったい、なにをしとるのか、と。

この冷たい雨は何様だ、と。

そもそも
既にもう春のこの時節に
ダークスカイに冷たい雨に、

吐く息は白いという有様は、

冬の悪あがきといえよう。



そんな中、
オフィシャル事案で東京タワーへ出向いた。

久しぶりに展望室へも詣でて視察した。

雨の東京タワー。

これもまた粋ではあるが、
荷物がある上に
カメラを構えるわけである。

雨のせいで手にする傘が邪魔なのは
言うまでもない。



しかし相変わらず東京タワーは
さすがのポスチャーであり、

この存在感は際立っている。


昭和のノスタルジーは
列車、建造物に溢れている。

それこそ
松本の旧開智学校ではないが、

明治や昭和の方が
圧倒的にデザイン性に優れた建造物が多い。

なぜ現代は味のない建造物やデザインばかりに
なってしまったのかと嘆く。


要するに広告にしても何にしてもそうだが
デザインというものに
骨がまるでない。

お洒落で品のあるデザインなどは
ダモシ的には簡単なもので、

そこに魂や意思が投影されていなければ
ただの無味乾燥とした
Macintoshを駆使すれば可能となる
器用さだけでのデザインであり、

そこにセンスは感じない。

骨太で意思があり、
その存在感が飛び抜けているデザイン。

これこそが真のセンスである、と。


旧帝国ホテルしかり、
東京タワーしかり、である。



大雨の中、
傘をさしながら
バッグを持ちながらもなお

カメラを片手で構えてよく撮った。



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東京タワーと枝垂と増上寺と、
傘をさす男。


この、増上寺と東京タワーの交錯はまた
見事である。


どんなに超高層であろうが
新東京タワーが
東京タワーを上回る存在感になるのは
難しいと思われる。


それはエリア・ロケーションの問題もある。

そして建築的な美学の相違もある。
それはしかし時代のせいではない。

意思が、骨が、パッションが
投影されていない
ただ近代的なだけのデザインは

ダモシは決して認めない。



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東京ネイティヴのダモシは
他の東京人同様に
東京タワーに初めて登るのは
齢を重ねてからであった。

それこそ在米時代の東京出張時に
ようやく登って、

驚愕したという有様だ。


以来、東京タワーを
富士山同様に
飛び抜けた存在感として

世界に御すレベルに位置づけしている。


くさっても東京タワー。

往けば分かるさ。登れば分かるさ。
まさにそういう存在である。




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むき出しのオレンジの鉄骨が秀逸だ。



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とにかくこのオレンジの鉄骨が、
ポイントの一つである。



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エレベーター内の様子。



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途中階から。




そしてオフィシャル事案の資料としても
グッズを購入した。

ベタだ。だが、ベタで良いのだ。

結局は分かりやすさとベタさなのである。



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*****





今宵、別のまたオフィシャル事案で
地図のプロフェッショナルと逢った。


氏は、日本全国の道路を知り尽くしている。

どの道路が渋滞頻発地帯で
どういう抜け道があるのかまで
熟知している。

那須邸付近の
マニアックな道路まで氏は知っていた。

<ここを曲がれば〇〇があって…>等。



そしてダモシの先般の信濃甲斐遠征の帰路の
件に話が及んだ。


先般記載した通りの
中央フリーウェイを避けて
甲州街道を採って帰路についたが
膨大な時間を要してしまった件である。

氏は言う。


<中央道の鉄則がありますよ>と。


<ほぅ?>とダモシ。


<中央道はどんなに混んでいても
 絶対に下に降りてはいけません>

と。


中央フリーウェイの場合は
どんなに渋滞していても
下へ降りて一般道を用いて東京に戻ることは
してはならない愚策である

というわけだ。


下の一般道とは、まさに甲州街道である。

ダモシはハマり、
高尾の峠越えの真っ暗闇の中でさえ
車は一向に動かないという
最悪のシチュエーションに陥った帰路である。


<なるほど、そうなのか>と。


これからは中央フリーウェイを利用した場合で
渋滞していたとしても
絶対に下へ降りないようにしようと
学んだ。






*****





さて相変わらず今宵も眠くて眠くて
といった世界である上、

実際、もう寝ようと思うが、


未だ<人間失格>を読み終えていないが
新しい文庫本を仕入れたので
読みたいのである。


<1976年のアントニオ猪木>

という長編ノンフィクションである。



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76年のアントニオ猪木といえば
異種格闘技戦をスタートさせた時である。

そしてモハメド・アリとの闘いをした年である。


ダモシの中で最高の格闘技戦。

それが76年の当日に
10歳の時点でテレビ観戦して以来、

34年経っても変わらぬところである。


アントニオ猪木vs.モハメド・アリ戦ほど

格闘技や闘い、勝負という意味で
包括的に
すべてのエッセンスが詰まった真剣勝負はない。

これはもう断言して良い。


この試合から少年だったにも関わらず
多くのことを学んだ。


この試合とそのエッセンスこそが
ジュニアの格闘への
ダモシからの教示の原点となっているのである。


いつかジュニアもそれを理解する。

そのときには
この類いの本やビデオは
すべて譲渡伝承するつもりである。


そういえば、
アントニオ猪木主演の映画が
この六月に公開されるようだ。


これは観賞しなければ、といったところである。









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2010年03月25日

銀座は今日もまた、雨だった



あぁあぁ
銀座わぁ、今日もぉ、また、雨だったぁ〜。


<また>が入る。


Tシャツ一枚で過ごすことができる
暖かさと桜。

そんな甲斐国から戻ってきた東京は
冷たい雨。


それもそのはず、
ダモシが銀座へ訪れる日だから
雨と相場が決まっている。



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そして歌舞伎座は、
クローズまであと38日。

四月の最終公演は
全日全席完売だという。

四月になれば雑誌やテレビでの
エクスポージャーも増加して
注目がさらに高まろうが、

その時には既にチケットはない。


エクスポージャーが増加してからでは
遅いというのは
なにごとも同じである。





*****




今宵オフィシャル事案で逢った人が、
お子さんが風邪をひいたという。

体調を崩しやすい
三月下旬特有の気温の上下動。


虚弱体質は周知の通りのダモシも
注文通り、風邪である。


ジュニアもまた、同様。


激闘の末に優勝を果たした
その翌日からの
信濃甲斐の旅。

厳寒の信濃、既に春の甲斐という
気温の変化が影響したか、

とにかくこの三連休で
体調を崩した子供が世の中には多いらしく
前述の方の子供同様に、

ジュニアも小児科へ出向いたのだが

二時間待ちという大盛況。


昨晩は深夜になってクループを発症。

昨年一度発症して
深夜に救急病院へ出向いたアレだ。


ダモシはすぐに気づいた。

デスクに向かっているダモシは、
深夜から未明にかけて
おしっこに起きるジュニアを
いつも様子を見ている。


<あぁ、また、おしっこか>と様子を
探っていたところ、

レストルーム内で
犬の遠吠えをし始めた。

このクループという症例は
死に至ることもあるという
危険なものである。


症状としては深夜から未明にかけて
咳のサウンドが
犬の遠吠えのようになるものだ。

呼吸器系の疾患。
呼吸困難を起こして死に至る。


<あ。犬の遠吠えだ>とすぐに察知したダモシ。

注意深く様子を見る。
おしっこをした後、
急いで布団に戻ってマミーにくっついて眠るジュニア。

その呼吸音を間近に行って聞くダモシ。

ワイフを起こす。


<またクループだぞ>と。


早速、リビングでお湯を沸かす。

<マスクをつけよう>と
ジュニアの口にマスクをつける。

しばし様子を見て
呼吸がぜいぜいしてきたら即、
救急病院へ行こうという算段を立てるが、

静かに眠るジュニアを見て
ひと安心して
ダモシも眠りについたのが、

信濃甲斐の旅から戻った日と同じく
4AM。


昨日の朝も今朝も早かったので
ダモシは電車内で大爆睡。

冷たい銀座の雨に打たれながらも帰宅し、

今宵は
新団体での練習があることと
雨が強いことで


<迎えに行くよ>と

ワイフとジュニアを港北エリアまで
ダモフィーロをひとっ走り10分、

迎えに行って今宵遅く戻って来たわけである。


今宵は今のところ
クループらしき症状は見られず
空手の練習の疲れも相まって
ジュニアはすやすやと眠っているから、

ダモシも早めに眠ろうと思っているところである。





*****




今宵、
卒園した後、一回だけ
ランドセルを背負って
小学校のオープン戦的な形で
みんなが幼稚園で再会するというイベントが
あったらしい。


昨日、
ふだんはめったにしない写真のプリントを
カメラ店でした。

空手の優勝写真である。

それをサツホロの空手の先生、
同じくサツホロの幼稚園の先生、

そして田園都市の幼稚園の先生にあげよう、と。

ジュニアは昨晩から手紙を自分で書いていた。


今宵、幼稚園に行って
先生に写真とレターを渡すと
先生が皆の前でそれを披露して

皆が群がって来たという。


ジュニアは上機嫌になった。

女の子たちも男の子も寄って来て
写真を見て、

<すごいね、優勝おめでとう!>

<カッコいい!>

と祝福の嵐だったようで、

それは本人はご満悦であろう。


実際、既に
ジュニアに影響されて
同じ幼稚園から同じ道場に通い始めた子もいる。


今宵の練習でも
やはり一つの壁を超えたという部分が
見られたようで、

練習にもハリと自信をもって
臨んでいたようである。


ダモシとワイフも
大会後はじめて試合のビデオを観たが、

それを観ながら改めて感嘆すると同時に、

ふだん練習に行っているワイフに
次なるフェーズでの
アドヴァイスを施した。


<〜〜〜をするように、練習でやってみてくれ>

と。


闘いにおける精神的な部分や、
技は自宅でダモシが教えるが、

道場で実際のスパーリングなどを通して
試しておくべきことを
早速伝えたわけである。


いずれの試合でも
相手がやらない/できない技と動きを
ジュニアがしたことが

紙一重での闘いを制したことは
ビデオを観るまでもないが、

ビデオを観て改めて感じたことである。

いずれダモシのように大きな身体になるだろうが、
ジュニアの身体を見ていると
後から大きくなる(中学や高校)タイプ
であると想像出来、

そうなれば幼稚園児代同様に
小学校の階級になって以降も、

常に相手の方が大きいという状態で
闘いに臨まなくてはならなくなる。


事前に分かっているそれを前に、

パワーで押すだけではなく
今まで以上に
頭を使う(戦略を構築する)ことと
技のヴァリエーション(戦術を遂行する)ことが
必要になってくる。


そこにはむろん、心理的、精神的な
相手に与える無言の技もあるが、

実際の技のヴァリエーションとして

純然たる空手の技だけではなく

アントニオ猪木を丹念に観ることで学び
ダモシ自身も実際に青少年時代に
路上の格闘技戦で慣れ親しむことで得た

"格闘"用のキックやパンチの
ヴァリエーションを取り入れて伝授するわけである。

浴びせ蹴りや水面蹴り、延髄斬り、
ローリングソバット、月面キック、
反則すれすれの裏技などの既存の技のみならず、

ジュニアと共同開発した

ジャンピング・ゼロ以下、ツー、スリー、フォー。

それらを反復することである。




ジュニアは楽しい春休み。

空手の練習は来週水曜まではおやすみで、

今週は
くまのプーさんの舞台観劇や
マミーと二人での那須への旅行もある
(ダモシは留守番で猫と戯れる)。

彼は上機嫌な日々である。



先般の大会は
運営側もたいへんしっかりしていた。

専門の写真家が
主な上位の闘いを撮影していた。

それを専用のサイトでサーチして
自分の子供のそれを選んで
購入することができるわけだ。


ダモシは今回は一枚も撮っていなかった。

ジュニアの試合写真が
いっぱいそのサイトには出ていた。

だから当然、買う。

専門の写真家だから
とても良い写真を撮っていた。



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前蹴り気味のミドルキックを決めるジュニア(右)。


セコンドについていた
ダモシの写真がないかと探していたが、

一枚もなかった。




ダモシも一生懸命やっているのだが、
相変わらず誰も褒めてくれないし
一枚も写真を撮られないし
女の子から<すごいね>と言われたり
群がられたりすることもない。

ワイフと二人でデートすることも出来ない。


まったくもって
ジュニアが羨ましいところである。



オフィシャル事案でも
相手やクライアントの人々を褒める側。ケアする側。

プライベートでも
ジュニアとワイフを褒めて、ケアする側。


銀座もまた、いつも雨で、

冷たい。



そして今宵もまた、眠い。



<信濃甲斐の旅>シリーズは
明後日以降からの寄稿となろう。














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2010年03月23日

信濃甲斐の旅-1/信玄への戦勝報告




2010年、Spring Has Come。

<信濃甲斐の旅>シリーズを寄稿する。

時系列とは別に進めていくが、
その第一弾は
ある意味でメインでもある。

甲斐国首都・甲府の
武田信玄のもとへ
ジュニアの戦勝報告と御礼を兼ねて、

ずっと計画していた
ファミリーでの甲斐詣を挙行した。


そして、やはり、

<ダモシx甲府=青空の法則>は
ノーダウトの通りに、

絶好のサニースカイと相成った。

これぞ有無を言わせぬ青空。
それがダモシx甲府の法則である。



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出た。武田信玄。

いつものスタチュであるが、
構図を変えた。

甲府駅前の武田信玄スタチュは、
青空以外は知らない。


そしてジュニアは初邂逅。


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*****



甲斐国の信濃寄りの山側某地、
そして信濃の松本。

帰路。

<リニア新幹線を見るか?>と

昨年見て驚嘆した
リニア新幹線の実験センターへ
連れていく予定であったが、

中央フリーウェイ走行中の車内で
ワイフが言った。


<甲府は?>と。


ダモシが昨年何度も何度も訪れた地である
甲府へのインタレストを示した。

それはダモシにではなく、
主にジュニアの御守である
武田信玄の武田神社の<勝守>に対する興味
であることは

すぐに分かることだった。


そして例の善光寺。

そこで七年に一度しかやってこない
勝縁に触れるチャンスに遭遇したことへの
インタレストである。


<武田神社と善光寺に寄っていくか?>

と、

前々から計画していた上に
今回も密かに
<(優勝したから)もうこれで行くことができるな>
<連れていって、御礼をしなければならないな>
という心理を後押ししてくれるような

ワイフの台詞に喜んだダモシ。


<勝ったから、やはり御礼しないとな…>

と提示する。


<行きたい>とワイフ。

<よし、行こう>とダモシ。


中央フリーウェイを甲府昭和ICで降りて
すいすいと甲府駅方面へ走るダモシ。

ワイフは爆笑した。

<まるで自分の庭のように走っているでしょう>と。

そして
<地図も見ないで
 すいすい走ってるし>と。


<俺は山梨県民より山梨全域に詳しいぞ?>

と自信満々で応える。


それは、そうだ。
そのくらいプライドを持って
昨年、周ったのである。


<要するに反復ということだよ。
 空手も勉強も結局は反復練習だから。
 何度もやれば身につくということだよ>

と誇る。



そして
<あれを見ろ!>と
<これが、例の武田信玄スタチュだ>と指差す。

笑うワイフ。

写真で見せられて、
言葉で語られていたから知っていたものを

実際に目にしたときの笑い。

それが起こったのだろう。

見たことがないのに
見たことがあるような。

それだけダモシからの
エクスポージャーが多かった一つが
甲府駅前の武田信玄スタチュである。


ワイフは、きゃっきゃっと笑っていた。
なぜそんなに笑うのか、と。



<俺がいつも泊まっていたホテルはあそこだ>

とホテルを指差す。


ここを曲がって真っすぐ行くと
武田神社だ、と。


Tシャツ一枚でも暑いほどの陽気と
サニースカイに、

信玄桜が重なって

ダモシ軍を迎えてくれた武田神社。



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春の武田神社は
当たり前だが、一年ぶりである。

昨年はしかし
基本は二月だった。
それは梅の時節だった。

桜の武田神社は、リアルな意味では初めてだ。

今宵は絶好の時期だった。



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*****




ここで揃って戦勝報告と御礼、
そして新たな誓いと祈願をした。



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信玄公が使用したという井戸も拝観。



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やはり趨勢か。
今回の旅シリーズで後述するが、
国宝・松本城も
城内が人間大渋滞で大混乱だったのだが、

この武田神社も
昨年ではあり得なかったような

・参道の道路が駅から渋滞
・駐車場も満車
・境内も多くの人でごった返し

という状態になっていた。


むろん天候と時節のアドバンテージが
大きかったのだろうが、

歴女は明らかに多く、

歴史全体への
ニッポン人のインタレストが
高まっているという趨勢の一つの傾向が
ここでも見られたわけである。


とにかく、明らかに歴女は多い。

松本城が
昨年訪れた際の熊本城(来城者日本一)
以上の人で溢れていたことには驚いた。


三連休であることを差し引いても異常である。




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信玄桜のクローズアップ。





*****




そして、善光寺。


車中また解説するダモシ。

<上杉謙信との川中島での
 名勝負数え唄の際に、
 消失を怖れて信玄が善光寺を移した。
 それがこれから行く善光寺だ>

と。


<昨年関わった〇〇〇〇の、ね?>とワイフ。

<さよう>とダモシ。



善光寺もまたオールウェイズ、
サニースカイである。



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これもまた、
"あ、出た"という感覚を得る儀容である。


武田神社同様、
最新、構図を変えた撮り下ろし。



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何度来ても、何度見ても、

<おぉ…>となる。

とにかく、
ここに向かってくる市街地の道路の
最後の交差点を左折してすぐ
真正面遠くに姿を認めた瞬間の、

<おぉ…>は、

その大小の違いはあれども
富士吉田市内に入って
左折してすぐに真っ正面向こう側に屹立する
富士の巨大なインパクトにも似た感覚を得る。




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ここでもまた揃って、
戦勝の報告と御礼、
今後のさらなる精進を誓うと共に、

努力の成果が出ることを祈願した。




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境内。

振り向けばそこには富士。

ダモシはまた言った。

<あれだ、あれ。本気で闘うに値する相手だ>

と。




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善光寺櫻。

背景はサニースカイ。





*****





一緒に来たかった。

連れてきたかったのである。

<戦勝>の報告と御礼。

これこそが、
最高のモチベーションを創出する。

その意味で、
春という時節も伴って
タイミング的には最も相応しい流れになった
といえるだろう。



今回の旅の
メイン・デスティネーション及び
メインのターゲットは

松本城だったが、


本質的且つ精神的なメインは、
武田神社と善光寺だったことは言うまでもない。





*****





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黒Tシャツに示されるは風林火山。

ジュニアに購入した。
空手の練習と大会に行く際に着用である。


ダモシは
昨年、武田神社で
ジュニアへの<勝守>を購入して与えた。

彼が練習と大会へ持っていくザックに
それは常に付いている。


今回ダモシも同じそれを自分用に買った。


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信玄の愛娘がつかった産湯といわれる水。

それも汲み取って持ち帰ることが出来る。
有料(100円)の専用ペットボトルを買って
それに汲むのである。


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そして、

前々から
一人で武田神社に来る度に

気になっていたもの。


それが境内に入る直前にある
記念写真撮影である。

ジュニアがやりたそうにしているのを
ワイフが見逃さなかった。


<せっかくだから、やったら>と。


係員が
<お父さんも一緒にどうぞ>と促す。


ダモシは、分かった、と。
バカになれ、と。


ベタな観光記念写真を
バカ親になってジュニアと撮った。

こんな姿は見せたくないが、
致し方ない。



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ダモシンゲンである。

ダモシが纏うは武田信玄。

ジュニアが纏うは
信玄の戦略アドバイザー山本勘助。


そして地元のコンビニエンスストアで
例の戦国武将コーヒーから

山本勘助を見つけた。



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*****




リニア新幹線は別機会に連れていこう。


信玄詣でも
まだまだ訪れていない場所もある。


善光寺、3PM。

中央フリーウェイの情報を聞くと
<笹子峠、事故渋滞3km>となっている。

どうやら勝沼からのようだ。


<笹子を下で超えよう>と
ダモシは甲府から甲州街道:R-20に入って

"下"で東京方面へ向かった。


途中、ラジオの交通情報を聞けば
その渋滞は突然10kmに増えている。

勝沼を通過する頃、
甲州街道の上に示されている
中央フリーウェイの渋滞情報を見ると、

笹子峠のみならず、
大月まで、

さらに大月から調布までも
20kmレベルでの大渋滞に変化している。


<あぁ、ダメだ、こりゃ>

<よし、下で相模湖まで行って、
 相模湖から抜けよう>


と昨年歴戦を重ねたことで
知り尽くしている道路を駆使して
帰路につこうと考えたダモシ。


大月、都留、猿橋…。

東京方面へ進むごとに
甲州街道も流れが途絶えてくる。

やがてそれはまったく動かなくなる。


<ダメだ。中央フリーウェイを走っていて
 あまりの渋滞に
 下に降りてきた輩が増えたのだ、デムイット!>

とダモシ。


ラヂオからの情報では、

東名高速40km、
中央フリーウェイも
大月から調布までが3時間45分かかるという
大渋滞が示された。


<いったい、何だ。何だこの大渋滞は>と

怒るダモシだが、

不意に気づいた。


<三連休の最終日だからか?>と。


これまでダモシ軍の旅は
渋滞というものを回避するように
仕組まれていたから、

連休などの最終日の高速道路や
一般道の渋滞の様子を把握していなかった
のである。


だから
<連休の最終日は誰も出かけんだろうよ>
という誤った解釈をしていたのだ。


<明日仕事でも、
 遠出して夜遅く帰ってくる人も多いよ>

とワイフ。

翌日にオフィシャル事案がある場合、
ダモシは
その前日は概ね休養にあてるタイプである。

仮に土日が休みで
月曜がオフィシャル事案だとしたら
出かけるのは土曜日

というのがダモシ相場である。


日曜日に夜遅くまで遠出して
渋滞の中で帰ってくるという所作が出来ない。

連休も同様。

ズラしてウィークデイを用いての旅が基本だ。


しかし今回は、

・櫻の満開はもう少し先
・だからこの三連休はみんなあまり出かけないだろう
・だから渋滞もそんなにはないだろう

という見込みを立ててしまったのである。


ところが松本城にしても武田神社にしても
それぞれの市街地の道路にしても
人も車も多いのである。


<あれ?>と。

<おかしいぞ?>と。


ダモシが想像している以上に、

皆々様タフで
且つ不景気どこ吹く風で
旅行に勤しんでいる。


そしてこの大渋滞である。


3PMに善光寺を出て
通常であれば拙宅までは
かかっても2時間半。

だが今宵、

途中で45分程度のディナーは挟んだものの

9:30PM過ぎに拙宅到着という有様。


2時間半のところが、
6時間という
膨大な時間的スペンドということになった
わけである。


甲斐国内を甲州街道で横断し、
相模湖を抜けて
高尾方面へ垂水峠を超えてから
多摩エリアを通過して
町田街道、鶴川街道を用いて田園都市へ

というルートを採用。

峠を越えて
高尾山口駅前を通過する際も大渋滞。

そのまま府中・新宿方面へ流れる
甲州街道と

町田方面へ右へ折れる(町田街道)
位置まで

大渋滞は続き、

その町田街道でようやく車は姿を消した
という有様だったのである。






まずは今宵は、旅で得た資料その他の整理も
ままならぬ状態で、

当欄だけまとめて

早めに眠る所存である。



明日は朝からオフィシャル事案での千葉遠征。


明日から
<信濃甲斐の旅>シリーズをまとめていきたい。


今回は
撮った写真の枚数が、912枚になってしまった。


一泊二日にしては異様に多い。

それだけ絵になる構図が
多かったということであろう。



しかも、

甲府のサニースカイ



雪の松本

という

気象条件も絶好の
アトモスフィアを演出したのである。








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2010年03月21日

ファイナリー、<ゴールド・メダル>




7AMに拙宅を出発して、
21時過ぎに戻ってきた。

そして
ジュニアは既に眠りにつき、
ダモシもデスクに向かっている。

もうとっくのとうにミッドナイトを回っている。

長い長い一日が終わった。

今宵(もう昨日だが)の2010年3月20日は、
ダモシ、ワイフ、ジュニア、そして猫たちの
ファミリー揃って迎える
今後に渡って記憶の残る日となった。

ファミリー揃って、
そしてダモシとワイフにとっては
2006年のやはり3月の

対米戦線における最終戦争だった
東京裁判での大逆転勝利の日以来の
4年ぶりとなる

エモーショナルな、
勝利の喜びの涙に咽んだ日
ということになった。





*****





・ジュニアの急性胃腸炎が再発し
 嘔吐と下痢を発症して救急病院へ出向いた

・体力低下と栄養不足

・その中で幼稚園卒園式は、
 何とか急場の絶好調で凌いだ

・ダモシは疲れていた。寝不足だった

・昨日の練習では、
 大会直前ということで
 お兄ちゃんたちが手加減しなかったことで
 ジュニアは二度練習中に戦線離脱したばかりか、
 いつもと同じように悔しさと痛みの涙を流していた

・だがジュニアの口から初めて
 自分から<勝ちたい。一位になりたい!>という
 発言が出ていた

・団体は騒動の渦中。
 現時点では同団体所属のままでの
 "特殊部隊"として最後の他流試合であり
 何でもありルールの大会であった

・新団体旗揚げとなるトップも今回は
 先導して会場入り。
 すべてのコドモの試合のセコンドにつく
 ことになった

・ダモシと新団体トップは和解した



こういう背景がまずは存在していた。

さらに、


・ジュニアにとっては今宵の大会が、
 幼稚園時代のラストの大会であると同時に
 それは幼稚園時代の最後の
 他流試合&何でもありルールの大会

であった。


以前から記載している通り
<幼稚園時代>に一度、優勝させたいと
切望していたのがダモシ。

<幼稚園時代>に区切らず、
とにかく毎度毎度泣きながら
悔しい想いをしながら苦しい練習を
しているジュニアに
優勝という最高の結果を
得させてあげたいと願っていたのがワイフ。


男親と女親、男と女、

そして

濃密に関わっているワイフと
そうではないが
闘いというイデオロギーでの
ダモシズムを直系遺伝子ジュニアに継承する
という意識のダモシ、

それぞれ細かい部分では異なるものの、

望むべき結果は同じだった

というマインド的な背景。


それらをまずは包括的に抱える状況。

さらに現場での
起こりうるすべての事象がどう絡んだのか
というアトモスフィアを支配しかねない
背景要因が以下。


・闘いの地が、
 昨年、一回戦負けからの
 敗者復活全戦怒濤の勝利で敗者復活優勝した
 ときと同じような会場のノリと
 特殊部隊員たちのノリ。

・それはエリアロケーションの観点からも
 ジュニアが
 東京ダウンタウンよりも
 山の手及びビーチ寄り
(神奈川の湘南、江の島、藤沢等)がフィットする
 というエリア適合性

・特殊部隊全体が、
 そのスタイルを否定した所属団体への
 <ほれ、見ろ>を最後に見せしめてやろう
 というパッションが充満していた

・ジュニアの出るトーナメントが
 この日のメインイベントとして
 プログラムの最後の最後だったという
 一日の流れのアトモスフィア


などが絡んだ。



闘いにおける紙一重の勝敗の趨勢は、

多くの要素を孕んだ背景要因が
折り重なって生まれる
<アトモスフィア>に支配されることは

以前から説いていることである。


よって、
いかにアトモスフィアを己が支配するか。

それが重要になってくる。

勝負ごとは要するに
その競技、種目などにおける<実力>だけでは
計り知れないということである。


not only, but alsoの世界で、

あらゆる要素が噛み合って
最大最適が得られるということである。



最後に述べておくべき
背景要因。


それは、


・今回は二名だけセコンド可

だったということである。

一名は代表者(師範やコーチ)。
もう一名は誰かがつく。




ここまで記載した要件をまずは踏まえた上で、
展開をまとめていきたい。





*****




朝。

眠い。だるい。
ダモシは今朝も疲れを感じていた。

だが、妙に気分が良い。

そして用意も軽快に進む。
ドライブも妙な落ち着きのもとに
進められるのだ。

ガソリンを入れる。
満タンを指定して一万円札を入れる。

給油機に表示される金額を見る。
給油が止まる。

7,777円。

スリー7ではないが、

<お。7,777だ。今日はいけるぞ>
と無条件で感じる。


会場入り。
ジュニアのゼッケンにも7が入った。


ジュニアは最近の大会と同じく
リラックスしている。

だが、顔の表情が
これまでとはまったく異なることに
ダモシは気づいていた。


<引き締まっているな。
 彼は今日は狙っているぞ>と。


会場のムードは、これもまた
実にダモシ軍団向きといえた。

開会式では
アメリカンなダンス・ショーが
ヤングガールたちの手によって
催される。


そして国歌斉唱では
君が代のみならず、なぜか米国国歌。


まさにムードはダモシ寄り。

米国人でもあるジュニアを
後押しするようなアトモスフィアが
漂い始めたのを

ダモシは感じていた。




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GOLD2.JPG


星条旗はおそらく、
我々を応援しに来たのだろう

と忌憚なく感じた。



参加者数が膨大ゆえ
進行には時間がかかる。

プログラムを見る。

団体戦や型(演武)の試合などが行われ、
個人戦に入っても
オトナ階級や高校生階級などからスタートする順番。

中学生階級、小学六年生階級などと
階級分けごと行われるのは
いつものことだが、

ジュニアの属する幼稚園児階級は本来、
年齢を考えれば
先にやるものなのだが、

今宵の大会はなぜか
メインイベント扱いになっている。



<おいおい。これでは結びの一番の世界だろ。
 早朝一番から会場入りしていて
 出番まで何時間あるのか>と

嘆くダモシ。


実際、
結果的に
8:30AM会場入りしてから
最初の一回戦が行われたのが16時頃である。


だから出番までランチやおやつタイムを挟んで
8時間強の間合いがあったわけである。


これが吉と出るのか凶と出るのか。

今宵、結果的に吉と出た。

途中で
お兄ちゃんたちと遊んだり
練習をすることで
身体が十二分に温まっていたのである。


と同時に、

ダモシの疲れを解消したのである。


要するに8時間何もしないわけにはいかない。

PC持参で出かけているため
まずはその間合いで
仕事を済ませてPCを閉じる。

その後は、
疲れていて眠いため
爆睡に落ちたわけである。

これは完全なる眠りに入ったダモシ。

目覚めるとバイタリティ復活という
最高の状態になっていたのである。


心身ともにハリを取り戻したダモシ。

十二分な間合いによって
身体が暖まったジュニア。


セコンドにはジュニアの希望もあり
ダモシがつくことになった。


そして<出番です>と招集がかかる。


よし行くぞとはならずに
過度な力みがない状態で
自然体で<行こうか>というノリで

アリーナへ歩を進める。


そしてジュニアは
闘いの舞台袖、控えに入り腰を下ろした。

背後に立つダモシ。
その隣に並ぶは、新団体トップ。

二人の強面が、
相手応援団を
その顔とポスチャーだけで威嚇する。



順調に勝ち進むジュニア。

静かに、だが、太く指示を飛ばすダモシ。

闘いは準々決勝へ。



<ここからが勝負だ。さて、アレを言うか…>

とダモシは、
次の試合を待つジュニアの肩を叩いて
<おいで>と己のもとへ呼んだ。




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開会式でのジュニア。
顔の表情がこの時点で
いつもとは異なっていた。

目が厳しい。
いつものKY的なのほほんとした風情がない。



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間合いでの練習。

ダモシは黙って見ていたが、
率先してジュニアは練習していた。

これが今まで欠けていた。
否、これをする時間の余裕が
これまではなかったともいえる。

十二分に身体を温めていたジュニア。





*****




ただ前へ前へだけでは勝てない。

時に
前へ出ることも難しいほど
実力差が伯仲してきている上位戦線。


<間合いをとれ>

<頭を使え>

これを基軸にここ数ヶ月、
反復してきたわけである。

単純な動きや
正面から向かい合ってのやり合いだけではなく、
風車の理論を手始めに
ロジカル・シンキングを用いろ、と。

突きとローだけではなく、
左のインロー、右の外からのロー、
回り込んでのロー、間髪入れずにヒザ蹴り、
前蹴りでペースを変えろ、
間合いをとって己の距離で的確にハイキックを入れろ
等々。


それが出来るか否か。

ここが、
精神面と共に

ここから上で勝つための
必須条件となる。


準々決勝の八強からインターバルを挟んで
また八人が整列する。

ジュニアの顔が、本気モードであることが
手にとるように分かる。

ダモシはもはや今回は、
カメラを捨てている。

彼の試合を撮るどころではなく、
本気で<勝たせるための後押し>を
魅せる要素、周囲にも聞かせるような台詞、
声の強弱、顔とポスチャーで審判の心理をも動かす
等々、

出来得るあらゆることを駆使して、

本気で勝ちにいくモードに突入した。


<絶対に勝たせてやる>と決意した。


そしてジュニアを呼んだ。

腰を落として
同じ目線で優しく言った。

これも考えに考えたことだ。

立ったまま言うのではなく、
声の強弱や色にまで今回は気を配った。

同じ目線で肩を抱いて
笑いながら優しく言った。

<おい。あと三つだよ。三つ勝てば、
 おもちゃ10個だよ〇〇>

頷くジュニア。

そして言うダモシ。

<大丈夫。〇〇が一番強いのは
 今日ずっと見ていて、もう分かるから。
 あとは、頭を使うことだよ。
 頭を使うことと、間合いね。
 これだけ忘れなければ絶対に勝つから大丈夫。
 よし、行って来い。後ろに、ここにいるぞ>。


頷くジュニア。

トップもジュニアの耳元に
何かを囁く。

あとで聞いたところ
<最初に一発で飛び蹴りをしなさい>
と言ったらしい。


準々決勝。

相手はジュニアより大きい。
だが、ダモシはそのコの前の試合を
見ていたこともあり、

これは勝てると踏んでいた。

闘いは互角になった。
紙一重の攻防。

ダモシ、トップの声が響く。


<しっかり突いて、ロー!>

これが基軸だ。
突きをしっかりと突いて
その流れでロー。

それで優勢になるが、
相手もしぶとい。

決定的な一打が決まらない。

これ以上同じ展開は避けたいダモシ。

声を高める。


<〇〇!左右に動いて外からロー!>

指示に応えて
相手を交わして右に動いてから
外からのローを決めると
相手はぐらつく。

<はい、流れで今度はインロー!>

<その後、突いて、突きまくれ!>

残り三十秒。

<よし〇〇!ラッシュかけろ休むな>
<手数で上回れ!>
<突いて突いてロー、はい外に回ってインへロー!>

<左開いてるぞ、ハイも狙えるぞ!>

<前蹴りをはさめ!>


ゴング。

判定で3-0。圧勝。



準決勝も互角の
スリリングな攻防。

相手の応援団も声を飛ばす。

ド突き合いの中で
ここでもジュニアは
間合いを意識して
前蹴りを挟んでから効果的なインローで
ぐらつかせ、

正面からの叩き合いになれば
左右に動いて
外からのロー、ミドルで有効打を連発。


技らしい技はもらわずに1-1ながら
誰が見ても優勢で
主審が迷わずジュニアをとって2-1の判定勝ち。


勝利して戻ってくるジュニアは
ダモシの目を見る。

その度に目を見て頷くダモシ。


決勝。


ここでハプニングが起こった。


準決勝第二試合が行われるはずだったが、
そこに出るはずの選手がリタイア。

準決勝第二試合はもう一人の選手の不戦勝となった。

しばし時間があるなと思っていた
ダモシとワイフとトップは、

主催者側の<決勝を行います!>宣言に
詰め寄る。


<アンフェアだろ!>と怒るダモシ。

<こちらは今やったばかりではないか>と。


その際、ワイフは
セコンド二人という規定を無視して乱入してきたことで
主催者側から注意を受けて退場宣告を受けて
アリーナの奥で見ている応援団の輪に退去。

ダモシとトップがそこに残り、
一分間だけ
ジュニアに休憩が与えられた。


しかしここまで
かなりリアル・ファイトしてきていることで
ジュニアの顔が明らかに疲弊してきていることが
手にとるように分かった。


一分間ではそれを解消することは
まず不可能だろう

とダモシは判断した。

そしてここで言わねば後悔する
とばかりに
ダモシはジュニアに近寄った。

すると退場宣告を受けたワイフが
またそこに来た。

これにはもう主催者側も容認せざるを得ない。

それだけ必死だったのだ。
ダモシもワイフも。

何が何でも勝たせたい。
出来ることはすべてする、と。


ワイフは技のことを言おうとしたが
<もう細かいことはいい>と
ダモシは制して、

ジュニアに言った。


<練習でお兄ちゃんたちとやっているのを考えれば
 楽だろう?
 試合時間はあと何分だ?
 一分半だろ?

 あと一分半。あと一分とちょっとだけだよ?
 がんばろう!>

と。


そして向かい合うジュニア。

相手はさらに大きい。
そして相手は疲弊していない。


ゴング直前、静まる会場。

ダモシはだめ押しをした。

響き渡るダモシの声。

俺は必死だぜ、本気だぜを
会場全員に分からせるのだ。


<〇〇! 死ぬ気でやれ!>。


自分でももう後で考えれば
笑いが漏れるのだが、

言ってしまったのである。


<俺も富士山、最後は根性だったぜ!
 〇〇! 死ぬ気でやれ、あと一分半!>

という台詞が響き渡った。

気づけば、
特殊部隊の親たちが
ルール無視でリング周辺を取り囲んでいた。


ど真ん中にダモシは立った。

もう既にリングに入っている状態であるが、
審判も主催者側係員も何も言わない。


はじめっ!

ゴングが鳴り、
最もタフなバトルとなる。


両陣営からの声が入り乱れて
聞こえない状態。

どつき合いが行われるも
ジュニアは頭を使い間合いをとり
きっちりとダモシ戦術を採用。

それでも相手も引かない。

一進一退で互角の攻防が続く。

途中、
ジュニアの悪いクセが出るが、

そのたびにダモシが


<ほら間合い!間合い!>

<左右に動いてロー!左右に動けって!>

それでもジュニアが聞かずに
悪いクセの頑固病で
どつき合いに終始していると

ブチ切れたダモシは叫ぶ。

この日一番の大声で叫ぶ。


<〇〇〜っ!!!>

<左右にっ!動いてっ!ローッ!>


その瞬間、ダモシの口の中にあったガムが飛んだ。

飛んだガムは宙を舞って
リングに着地した。


残り10秒。

ジュニアが優勢なのは明らかとなっていた。


よし、もうすぐだ、勝ったぞ
と思った次の瞬間、

ジュニアが一瞬、前のめりになった。
そこへたまたま上に上げた相手の足が
ジュニアの顔に当たったかに見えた。


<あっ!>

<げっ…>


天を仰ぐダモシ。

(またか…。また出会い頭のたまたま一発で負けるのか…)

と思ってしまったダモシ。

思わず叫んでしまった。


<ばかっ!>。


誰に対するバカなのかは
自分でも分からないが、

とにかく

<ばかっ!>と叫んでしまったのである。


審判から<待て>のサイン。

仕切り直しで、
ラストチャンスの残り三秒。

ジョー・モンタナのモンタナ・マジックを
やるか、

マイケル・ジョーダンの
ラスト1秒のスリーポイント・シュートを
するしか、

勝ち目がない。


そう判断したダモシは
イチかバチか、最後に例の秘技を指令した。

仕切り直しで向かい合うジュニア。
主審が今にも<はじめっ!>の合図をしようとしている。

脇にいるタイムキーパーは、
終了のゴングを告げるべく投げ入れる
赤いタオルを手に
既にスローイングの態勢にある。


ダモシが口を開く。


<〇〇!>

振り向くジュニア。


ダモシは言った。


<ここで、ジャンピング・ゼロ!>。


出た。秘技ジャンピング・ゼロ。

例のアレだ。

そしてそれは
ダモシの秘技
100m助走つきジャンピングニーパットを
さらに合理的にした一撃必殺技である。


もう頼るのはこれしかない。


微かに頷くジュニア。


事後、ジュニア談では
<あのコは出てくる時に同じ出方をしていた。
 左脚がバッテンのところに出たら
 スタートを切ろうと思っていた>
というくらいジュニアは冷静に
間合いをとっていたわけで驚いたのだが、


ジュニアはこれまたものの見事に

モンタナ・マジックを見せたのである。


バシーン!

ジャンピング・ゼロ、炸裂。


<すこし背が大きかった>(ジュニア、事後談話)
せいで、

<狙いより少し下だったから倒せなかった>
けれども、

大きな大きな土壇場の蹴りが
見事に決まった。


判定にもつれた。

(微妙だな…。いつもならこれで負けだが…)
と固唾をのんで判定を見守るダモシと、
トップ以下、関係者。

副審一人が、ジュニアを挙げる。

ワイフが<おっ!>と驚きの声をあげる。

ダモシも<おおっ?>と叫ぶ。

副審のもう一人は旗を揚げない。

(揚げろよ、お前…)。

決勝はこの場合、
主審判断では決しない。


ドロー。

引き分け、延長サドンデスへもつれ込んだ。

これは大きかった。
ジャンピング・ゼロが決まっていなくても
引き分けになっていたかもしれないが、

ジャンピング・ゼロが決まったことで
少なくとも一人はジュニアを判定支持したわけだ。

もしくはあれが決まらなければ
負けていたかもしれない。



ワイフがここで叫ぶ。

<〇〇!延長になったら(どうするんだったっけ)?>

ジュニアは頷く。


ワイフはこれまでの稽古において
試合で延長になった場合は
とにかく手数を休まずに出せということを
徹底してきたという。

それを明示したのである。


ダモシは最後に言う。
もう相手の手は出尽くしている。
見えている。



<突きがメインだから。
 突きを10やったら必ずハイキックやってくるから、
 ディフェンスを固めろ。
 いいか?左右に動けよ。左右に動いてローで崩せ。
 左右に動いていればハイキックは当たらんから。
 動けよ、いいな>。


そしてまた言った。


<死ぬ気で、やれ!>。


もう根性以外の何物でもない。

この土壇場の紙一重の戦いにおいて
ついに
ふだんタフな練習を泣きながら
お兄ちゃんたちとしていることの
成果が出たのである。


スタミナと根性である。

技術的には
完全に上回っていた。

的確な技も決めている。
だが、相手もポイントで当ててくる。
そして重量感がある。


だが、時間がなくなるにつれて
手数がジュニアが上回って来た。

最後まで手数と動きが途切れなかったジュニア。

スタミナが勝ったのである。

それでも微妙な判定になることは
疑いようがなかった。

KO勝ちや判定でも圧勝というレベルではないことは
誰が見ても明らかで、

リアルに紙一重の攻防だったといえる。


ゴング。試合終了。

決勝は延長でも判定にもつれ込んだ。

主審が宣言する。

<必ずどちらかに旗を揚げてください>。


そして言う。

<判定っ!>

固唾を飲む観客たち、関係者たち。
ダモシ、ワイフ、トップ。


一人がジュニア、一人が相手に。

一対一。

最後は主審がどちらを優勢ととるか。
主審権限で決まる。


<白一、赤一で一対一、主審は…>


緊張が走る。


<主審は白っ!二対一で白の勝ちっ!>


その瞬間、ダモシは左手を天に突き上げた。

<よしっ!>

トップも
<よぉしっ!>

わき上がる特殊部隊員とその親たちの
歓声と拍手。


戻ってくるジュニア。

顔が泣いているではないか。

ヘッドギアをとって
ダモシを見る。

ジュニアの顔がくしゃくしゃだ。

それを見て
ダモシはグッときて
今にももう涙があふれて嗚咽しそうになる。

それを堪えながら
リング端に戻って来て座る
汗だくのジュニアを

乱入防止柵から身を乗り出して

その頭を撫でて撫でて
ガッツポーズをとって

で、何かを言おうとするのだが
何か言葉を発しようものなら
言葉にならなくて
嗚咽我慢で裏声になりそうで、

何も言わずに
ただたた頭を撫でて撫でて
そして感動のあまり
その髪の毛を引っ張って
頭を叩いて、

そうこうしているうちに
ワイフが駆け寄って来てもう泣いている。

ワイフはジュニアを抱きしめて
二人で泣いている。

ダモシはもうそれは見ていられなくて

ダモシの泣く姿などは
誰にも見せられなくて
これはまずいぞと思ったので
その場を離れて、

まずはトップに御礼と握手をして、

それでもまずいぞ我慢出来ないぞこりゃと
アリーナから外に出ようと隠れようと
レストルームで泣こう
と思って

歩を進めようとした
アリーナ内のど真ん中で

もういてもたってもいられなくなって

左手でガッツポーズをして、

その後に
デレク・ジーター式ガッツポーズで
右手を天高く突き上げて、

そうこうしているいちに

涙を流しながら
お兄ちゃんたちのお母さんたちが
駆け寄って来て

<〇〇君、やりましたね、ついに!>

<もう泣けてきて泣けてきて>

<必死さにもうたまらなくて!>

と嗚咽している中で、

ダモシ的には
こっちがそれをしたいのよと思いつつも、

涙だけは決して落ちぬよう
我慢の限界まで我慢して
目をパチパチさせて
早くその目の潤みの中から
水分を消そうと試みながら

それぞれと握手して

感謝を述べて、

そうして
とにかく姿を消そうと
急ぎ足でアリーナを出て
靴をはいて
外に行きかけたのだが、

ジュニアに逢いたくて逢いたくて

夢遊病者のように
ウロウロして目から水分を削除して
またすぐアリーナに入っていって
リングのところにいる
ジュニアの近くへ行ったのだが、

<よくやった>と言おうとしたら

<よ…く…>で声が裏返ってしまい
それ以上台詞を述べようとしたら
もうダメだ、と

また立ち去って、うろうろして、

もう大変な状態に陥ったのであった。



その後も、
何度もお母さんたちやお父さんたちから
祝福を受けて感謝を述べて、

そしてそのコドモたち=お兄ちゃんたち
それぞれに感謝を述べた。


<いつも鍛えてもらっているから
 こうして優勝出来たのだよ。
 ありがとうね>

と。

<これからも鍛えてやってね>

と。


小学生も中学生も
リアルに素晴しいコドモが揃っている。

礼儀も出来ている。

そして素直に祝福してくれる。


ジュニアは最年少であることもあるが、
本当に恵まれていると思うところである。




ジュニアはこうして、

遂に、ファイナリー、
ゴールドメダルを勝ち取った。


幼稚園時代最後の大会で、
遂に優勝した。


彼の幼稚園時代の
フィナーレとして

最高のストーリーとなったわけである。



感服する。

己が直系遺伝子にリアルに感服し、
尊敬すら覚える。

良い意味での表現として
<きちんと帳尻を合わせる>この所作。

幼稚園時代としての最後に優勝。
しかも紙一重のドラマティカリーな展開。


あぁ、もう見事だな、と。

魅せる要素を彼はそもそも
伝授しているが、
ダモシ以上だな、と。



そして、特殊部隊。

今宵は六階級で優勝。

団体別では金メダル獲得数最高で
五輪でいえば
最強の結果を示した。


これはまた、新団体として
旧団体への

<ほれ、見ろ>ということになる。


明日、ダモシが要求した
本家との直接会談が行われるらしい。

ダモシの推測通り
本家から回答は来ないため、

こちらから乗り込むことになったらしい。

ダモシは<行けませんよ、明日は>と
言ってあるから、

任せるしかないが、

特殊部隊のトップ(=新団体のトップ)は
誇らしげに明日
乗り込むことができるだろう。


<ほれ、見ろ>と。




富士山の際にも記載したと同じだが、

古くさいかもしれないが、
闘いと勝負における
紙一重の攻防は、

心身両面の強さ、
技量や頭脳のみならず、

最後の最後は


<根性>になるということである。


努力した者すべてが成功するわけではない。
だが、成功した者は皆、努力した。

この格言である。


ジュニアはこれまでも努力していた。
そして結果は残して来た。

一回戦突破、ベスト16、ベスト8、第四位、
銅メダル、銀メダル。


だが、紙一重で優勝に手が届かなかった。


しかし、勝ち味の強さではないが、
ウオッカがハナ毛の差だろうが
勝ち切る強さを持っていたように、

勝つということの味への強さは
どこかで絶対に必要になる。

それがない場合、
それこそブロンズメダル・コレクターや
シルバーメダル・コレクターに
甘んじることになるわけだ。


ここぞ、というとき。

ドラマティカリーなシチュエーションと展開のとき、
勝ち切ることの強さは
どこかで必要になる。


勝つという結果を残すことは、

努力したことが報われるということを
本人が知ることになる点で
重要なのである。

負けを知ることが重要であるのと等しく、
勝ち味を知る、勝ち味に強くなることもまた
重要なことなのである。


<頭を使え>。

これは正直、幼稚園児には早すぎるとは
ダモシはそもそも思っているが、

それでもあえて指示しているわけである。


本来的には、
順序的にこうなる。

努力しても報われない。
その場合、それが続けば、負け犬になる。
どうせ頑張っても無理なのだから、と。

それでは意味がない。

だから
努力したら
それ相応の結果を残さなければ
本人のモチベーションが下がる。

優勝という結果に顕著に
己の努力の結晶が表れることで
本人はそれを理解する。


<ああ頑張れば、こうなるのか>と。


そして次だ。
ここからは次のフェーズに入っていく。

負けることがあるからだ。

時に勝ち、時に負け、
時に雨が降るのは
人生のルーティンであるからだ。


次に負けたとき、
それが己の驕りなのか
あるいは努力の不足なのか
努力したとしても何かが不足だったのか
気合いが足りなかったのか。

そこで考えるわけだ。


<おかしいぞ><なぜだろう>と。

そこで初めて
本人が自分の意思と脳で
<頭を使う>ことの必要性を感じるのである。


漫然とやっていた

負けた

ちゃんとしろと怒られた

ちゃんと練習して頑張った

勝った

でも一定以上進めない
(銀メダル止まりだ)

頭を使え、と指示されて
色々とアドヴァイスされた

自分も練習を頑張った

自分で勝ちたいと思うようになった

必死にやった
頭も使った
指示も吸収した

優勝という結果が出た

嬉しくて泣いた

頑張れば結果は出るのだと知った


この後の展開が
次のフェーズになるのだ。


この次のフェーズに進むためにも、

そして
これまで
きちんと努力してきたことを
知っているからこそ、

一度はこの幼稚園時代に

形としての目に見える結果を
出させてやりたい

というところでの

今宵の大会だったというわけである。




誇らしい。

ストレートに、素直に誇らしい。

忌憚なく自慢だが、
ジュニアの誇らしい写真を掲載するところである。


これまで一連の空手に関する
記事をご覧頂いて来た方には一目瞭然で
今宵のジュニアの表情が
いつもとは違うことは
分かるだろうと思う。




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表彰式。

賞状を受け取る際の
ジュニアの両手。

やったぜ、という気合いが入っている。



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<ほら。星条旗の下で撮ろう>と
ダモシが言うと、

ジュニアは喜んだ。

彼の原点、
リアル・ホームである米が
今宵ジュニアを後押ししたのは間違いない。


顔がキリッとしている。

今までとまるで違う顔だ。




GOLD11.JPG


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<どうじゃ>と。




今宵は、
各階級の優勝者だけが立つ
ウィナーズ・サークルがあった。

そこでカメラマンによる
写真撮影も行われた。



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ダモシもファインダーを覗いていたが
もうそれは曇っていたのは言うまでもない。

なぜ、こんなに愛しいのか、と。

彼の恥ずかしげな、嬉しそうな顔を見ると

<良かったね…>という感覚に包まれて
涙が止まらないわけである。




GOLD13.JPG


ようやく緊張が解けたジュニアは
破顔一笑。

幼児に戻った。

この後、ダモシに甘えまくったジュニアは
<抱っこして>と意図的に甘えた。

ダモシは抱っこして外を歩いて、
肩車して会場内を闊歩した。




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忘れられないメモリアルな会場。




GOLD17.JPG


そしてジュニアの、
オフィシャルなコンペティションで
優勝して獲得したものでは生涯初となった

金メダル。


彼はいつまでもそれを首にかけていた。






*****




大会に出始めて
ちょうど一年。

何でもありの他流試合の
大会に出始めてわずか九ヶ月。


遂に優勝で、
幼稚園児時代の有終の美を飾った。


次は小学一年生の階級で、
新しいフェーズを迎えることになる。


振り返って感謝すべきは、

"北の某"の空手の先生である。


ダモシvs."北の某"は様々な遺恨を残して
絶縁となったが、

それはダモシのことであって、

ジュニアには関係ない。



ジュニアにとっては
リアル本妻という
精神的バックボーンはニューヨークだが、

幼児期の一部を過ごしたのが
"北の某"である。


幼稚園のエントランスも
空手との出逢いも"北の某"首都サツホロである。


今も、
当時の幼稚園と空手の先生には
近況報告を欠かさない。


エントランスがサツホロで
イグジットが田園都市という差異で、

〜その差異は当然大きいが〜

それでも<幼稚園>と<空手>
という括りでは
点と線で結ばれている

彼にとっては
もちろんワイフにとっても

欠かされざる地である。



一枚、当時の写真を紐解いてみる。




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ニューヨークから
"北の某"へ拉致されて過ごした一年の中で
始めた空手。

そこでの当時の写真である。

まだまだ赤ちゃん。四歳手前である。
今は六歳で、今年の九月で七歳だ。


道場へ行くだけでメソメソして
ワイフやダモシの顔ばかり
振り返って見ては泣きそうな顔をしていた

ジュニア。


この頃、
ジュニアを空手嫌いにさせなかった
空手の先生には敬意を表したい。


<うまいよ。見込みある>と。

その先生の目は、確かだったということである。


感謝、である。


そして特殊部隊のトップ(新団体のトップ)。

新しく入ったジュニアを
ひとめ見て
<見込みある。俺の特殊部隊に入れる>と
引っ張ったわけで、

その目は、確かだったということも、

優勝という結果は
端的に表しているといえるわけであり、

感謝、である。



それは、
ジュニアを幼稚園嫌いにさせない
入口での教育をしてくれた

"北の某"首都サツホロの幼稚園の
先生たちにも同様のことが言えるわけである。





コドモをきちんと育むのは、

親であり
周囲のオトナたちであり
歳上のコドモたちである


ということを

リアルに実感するところである。




<泣きながら厳しい練習に
 いつも頑張ってついてきているのを
 見ていたから…>



自分も泣けてきた

と他の親御さんも仰られていた。



認めてくれるオトナがいることの
大切さを、

身を以てコドモは知るだろう。





今宵ダモシは、

2006年3月以来の、
最高の喜びである。


こういうレベルの喜びは、

五輪に等しく
きっちり四年に一度なのだろう。


その間の四年は、

日々、悲喜こもごも。



だが、確実に言えることは

<なにごとも、真摯な努力は必ずしよう>

ということである。



最後にまた改めて。



努力した者すべてが成功するわけではない。
だが成功した者は皆、努力した。



そして


時に勝ち、時に負け、

時に雨が降る。




明日は雨か。

雨の中の旅になる。



これからパッキングである。

彼に最高の旅を提供することもまた
親として
オトナとしての

レスポンシビリティであると


強く理解しているから、

そのパッキングや行程企画は
ばっちりとこれから立てなければ

といったところで、

遊びではあるが、

これはダモシが努力する領域である、と。




ジュニアは
今までで一番、必死にやっていた。

リアルに死にものぐるいでやっていた。


それが報われて、

本当に嬉しい。素直に嬉しい。


七年前までのダモシでは
想像すらできなかった

今やただの"バカ親"


ダモシである。







posted by damoshi at 02:07| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

多事総論




相変わらず貧乏暇なしは、多事。

多事にて
時間が追いついてこない。

自室仕事部屋も乱れてきて
掃除に手を回すこともままならない。

おかげで未だ<人間失格>も読み終わらず、
他にも雑誌や新聞読むもの多々あれど
なかなかそこへ回らない。

せめて電車の中で<人間失格>を読むのだが
座っている際は読み始めて三分後にはもう
睡魔が襲ってきて、

目を閉じれば、

次に目覚めるのは降車駅という
タイミングの妙。


今宵はまずマーケティングと視察で、
田園都市からは
まずもって行くことはない"遠距離"の
大宮まで、

鉄道博物館へ出かけたわけだが、

幸い、
東急田園都市線も
渋谷から乗ったJR湘南新宿ラインも
座ることができ、

これまた熟睡を超越した爆睡。

首がもう痛くなるほど
おそらくうなだれていたであろう。

他人が見れば
<あぁ、この人は疲れているのね>となる
そんなポスチャーを露呈していたはずだ。



ニッポンのミュージアムにおいては
美術館を除きまずは
江戸東京博物館(東京)と
明治村(愛知)はダモシ的に世界に御すと
評価しているわけだが、

鉄道マニアでも鉄子でも撮り鉄でもない
ダモシをして

唸らせた秀逸ミュージアムが、

鉄道博物館。


これは後日、
<オトナの遠足&お散歩>で
ディープに掘り下げたい。

なにせ撮影した写真は500枚に至った。

館内に三時間。

スミソニアンを筆頭とする
北米のミュージアム群にも
ヒケをとらないレベルの高い博物館と認められる。


オールウェイズ主張している、

・カルチュラル
・ヒストリカル
・エンターテイメント



・エデュケーショナル

これらすべてを兼ね備え、

且つ
コドモには夢を
オトナにはノスタルジーを提示してやまない
鉄道博物館。

これは、すばらしい。

埼玉にあることが不思議だが、
これは埼玉は誇って良い。


今宵は三枚だけ掲載したい。

多事の中の各論で
鉄道博物館をフィーチャーするには
今宵は時間が追いついてきていないから、

総論で。



tetsu4.jpg


鉄道博物館を象徴するシーンは、
中央のターンテーブルと列車群。

親和性の高い構図だ。

それは単に、鉄道ファンという領域を超えて
老若男女多くの来場者を招き入れて
堪能させる。



tetsu5.jpg


"ひばり"や"とき"。
昭和のノスタルジー、満載。


誰もが通過した鉄道。

それは誰もが通過する切手収集やミニカー、
戦隊ヒーロー、仮面ライダー、ウルトラマン、
アンパンマン、

そして父とのキャッチボールと同じだ。



tetsu1.jpg


単に鉄道を超えて、
時代考証のヒストリカル要素満載の
0系新幹線。

いわゆる日本の英知を結集した
夢の超特急の第一号・東海道新幹線である。

1964年10月1日、デビュー。

それから二年後の1966年、ダモシは生まれた。
そしてさらに四年後の1970年、
四歳のダモシは大阪万博へ出かけた。

ダモシはこの新幹線に乗った。
この新幹線の顔の部分で
叔父と誇らしげに立つ写真が残っている。


一昨年の大阪の項でも記載した通り、

<新幹線>といえば東海道新幹線である。

そして
東海道新幹線といえば、

車窓から見える富士山が
シンボリックな既視感である。

中学。
修学旅行で奈良京都へ。

我々東京っ子は全員、往路で、
車内右側に集まって富士山を見た。


新幹線といえば、そして、

ダモシ世代にとっては、

現在のあのフォルムではなく
あくまでもこの
"ウルトラマン時代的な"この顔なのである。




追って、ディープに
鉄道博物館、愛称"てっぱく"を取り上げる所存である。

重要文化財も満載で
かなりレベルの高いミュージアムである。






*****






明日から世間は三連休。

その前の今宵はメインが
記載の通り埼玉遠征。

大宮は、
90年代中盤に
ワイフと
山下達郎のLIVEへ出かけた際に
大宮ソニックシティへ行って以来だから、

それこそ15年ぶり程度になる。

大宮で食事もしたのだが、
そもそも
生まれてこのかた、大宮で食事をしたのは
今宵が初めての経験と相成った。


川崎、立川をやや小さくして
宇都宮をやや大きくしただけで、

基本的なアトモスフィアはやはり
川崎、立川、宇都宮の世界観であり、

忌憚なく言えば、ドン臭い。


まあ、いい。



連休明けのオフィシャル事案での遠征は
逆に今度は千葉。


間の連休。

明日は
ジュニアの空手の大会(他流試合&なんでもあり)で
早朝から湘南へ出かける。


むろん応援するし後押しするが、
やはりいささか溜息もある。

疲れているからだ。

多事の連鎖の中でウィークエンドも、
また空手の大会で早朝からとなると
やはりいくらダモシでも疲れる。


だが、一方で、
"入って"しまえば、またパッションも沸き立ってくるだろう。

先般のトラブルの回答もまだ得ていない。

それこそ本家からは
直接ダモシの目を見て<回答する>旨を
表明したわけだが、

逃げずに回答を寄越せ、と言いたい。

なあなあで自然消滅で
なにごともなかったことになるのは
ダモシは好きではない。

且つ、
タイム・イズ・マネー思想のダモシからすれば、

わざわざ"出て"問いかけ、求め、仕切り、
と、時間をその際にはスペンドしているわけであり
口数もスペンドしたのである。


それへの回答や白黒がつかない限り、

一連のスペンドがムダになる。

ムダになることに時間をスペンドしたという結果は
最もダモシが嫌うことである。


回答がないなら回答を受け取るまで
しつこく言うだろう。

オトナのなあなあは嫌いだ。


それはむろん、新団体の方も同様。

ダモシが問いかけたのだから
ダモシにレスをするのが礼儀だろう。


明日も荒れなければ良いとは思うが、
荒れても致し方なかろう。

そういう類いでの妥協は、しない。



それが終われば、
本来ならば家族での旅は
リラックスするべきものなのだが、

そうもいかぬ現況で、
疲れている上によけいに疲れる可能性はあるが、

それでも己の好きなことであり
嬉しい、楽しいことであるはずの旅に一泊で出る、と。


昨年末に回避した松本遠征である。

むろん通過点の甲斐国も含めての
信濃甲斐遠征ということになる。


しかし悪いことに
メインに日曜が雨の予報である。

まあそれでも雨の松本城も風情があって良かろう。

良い旅になるかどうかは
天気次第ではなく
己のマインド一つでどうにでもなる。


道路がムダに渋滞しないことだけは
お願いしたいところである。




といったところで、

多事の中での総論で今宵は失礼する所存である。


もう眠い。
ほとほと最近、眠いのである。


リラックスしたい。








posted by damoshi at 01:04| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

ヒズ・グラデュエーション〜嘘つきになるなよ




先般記載した
自身が手がけた商品。

チャネルAとB。

自身がその販売力を信用していないことから
セールスを懸念していたAは、
意外な好調であることは記載した。

その後、もう間もなく完売するまでに至った。

前回の寄稿ではBの様子が未判明だった。

Bの中にも
異なる三つのチャネルがある。

その三つとも好調どころか
絶好調なセールスで、

目標であった<早期の完売>は
成し得るだろうと想定できるまでに
至っている上に、

今度は逆に
対消費者目線に立てば
もっとも消費者の
バイイング・モメンタムが高まる
四月下旬には、

既に品切れになってしまっているのではないか

という懸念が生まれている。

もとより嬉しい懸念だが、
懸念は懸念だ。


チャネルBの途中経過が伝わってくるまでは
眠っている夢の中にまで
その販売シーンが出てくるほど、

やはり精神的には気を揉んでいたのだろう。

夢の中で、
そのチャネルたる売店の中には
大行列が出来ていた。

その大行列が目指している先にあったのが
推進した商品であるというシーン。

複数回、
ダモシは夢の中でハラハラドキドキしていたのだが、

途中経過を聞いて以降は
夢には出てこなくなった。


<まさに、正夢だったのだな>と。


そして嬉しいことには、
ウルトラの母はもとより
ダモシの友人知人に案内を出したところ
彼らが率先して購入してくれたことである。


<〇〇へ行ってきて買ってきましたよ!
 〇〇ではもう売切れになったようです。
 祝・完売!>

というメッセージも届く。

さらに、
関係先の内部の人も
<欲しい>
<母親から頼まれた>
<祖母にプレゼントしたい>と

興味を示し、購入をしてくれた。


なんでも
母親にそれを差し出したら
クオリティの良さに
<もう一つ欲しい>と言われたというから、

ダモシ的にも本望である。



昨年企画して推進した
現在も全国津々浦々で販売されているモノは、

<分かりやすさ>
<親和性>
<老若男女万人ウケする>

そして
<ニッポン全国、特にローカル活性目的>
<ベタ>
をポイントにした。


場はある意味で、オープン。


それが当たったわけだが、

今回はターゲットは完全に
"富裕層"。

富裕層は富裕層でも
下品なそれではなく、
そもそも上品な人。

そしてカルチュラルな領域に造詣のある人。
文化芸能芸術に親しんでいる人。

言ってしまえば
<婦人画報>や<和楽>などの雑誌を
購読するような層である。

且つ、完全なる首都・東京フォーカス。
場はある意味で、クローズ。


この二つのモノは、
完全にフォーカスとポイントを変えたわけである。


オープンvs.クローズ

万人ウケvs.富裕層&カルチュラル趣味層

ローカルvs.東京・江戸



まさまだ"売れる"札とネタはある。

それが具現化されるチャンスがあるかどうかの
問題である。


"売れる"と同時に重要なことは、

エキセントリックな話題性であったり
キャッチーなメディア受けする素材である
ということである。

そういうものであればあるほど
一般大衆やファンがブログで取り上げる時代ゆえ、

必然的に多くのエクスポージャーが実現し、

それがクチコミを呼ぶ。

正の連鎖である。



とまれ、

<売れるよ>と言った手前、

売れなければ嘘つきになってしまうからして
まずは現状ひと安心ではあるが。





*****




一方で、負の連鎖と嘘つきは、
相変わらず永田町。

アグリーな小泉ジュニアが
調子に乗っている自民は
何も言うことはないが、

民主党がこの頃、いただけない。

もはや<嘘つき>の世界に入り始めている。

これ以上の嘘つきはマズいことになるだろう。


こども手当は必ず全額支給すべし。
初年度は半額で衆院を通過したが、
問題は来年度である。
必ず全額の約束を果たすべきである。

高速道路完全無料化も
なにがなんでも実現すべし。

特に首都高、東名、東北、中央などは
絶対に有言実行していただきたい。

どうでもよい高速道路ばかり無料にして
"実験"する意味が不明で、
それは時間稼ぎと首都高などはやっぱり出来ません
とするためのエクスキューズにしか見えない。


しかも、だ。

今宵も<首都高、実質値上げへ>などと
まるでジョークのような記事を目にした。

なにをしとるのか、と。

そもそも自民のETCだけ特権割引は
大酷評していたダモシだから、
ETC特権の廃止は理解出来るが、

首都高の料金(700円)を
走行距離に応じて変更になる
距離別料金へ移行するというプランを
検討しているというのだ。


おかしな話である。

高速道路は完全無料化のはずだったのに、
なぜ首都高を
実質的な値上げになる距離別料金制へ
移行するのか。


そもそもダモシは
首都高など渋滞の激しい高速道路自体、
高速道路通行量を搾取する方がおかしな話で

首都高こそ無料化にせえよ、と
唱えているわけで、

それが出来ないのならばせめて
渋滞でスピードを出せない場合は
<一定走行スピード以下でしか走れない距離が、
 〇〇km以上になった場合は無料とする>
等、変化をつけるべきだという考えである。

その真逆を往く民主党の案。

これは納得出来ないし、支持出来ない。

こんな<嘘つき>ばかりを乱発するなら
夏の参院選は民主党には一切投じない。


仕分け仕分けと
さも"やっているように"見せてはいるが、

もっと搾取すべきお金と人物は在るはずだ。

それこそ天下りは全廃だろう。
そもそも高給をとっていた輩が
さらに天下ってお金を得るなんぞ
おかしな話ではないか。


とても高速道路とはいえないほど
スーパースロー・ドライビングしか出来ない
ことが多い首都高で、

仮に1,000円〜2,000円搾取されるとするならば、

到底納得などいくわけがない。

誰が賛成するのか、こういう暴制を。


帰化していない永住外国人に
参政権を与えようだの、

民主党ではないが与党として
福島"コンプレイン"娘などのような
夫婦別姓を吠えるだの、

<?>な部分は多々ある。

高校授業料無料化に関しては
某国系学校を除外した点は評価出来るが、

これもこれで途中でブレて
やや危うい局面があった。



要するに、以前も記載したように

ああだこうだと
意見や評論が多過ぎて
且つそれを聞きすぎるのが良くないのである。

中途半端なディスカッションはしない方が良い。

よゐこぶって
周りの意見を聞きすぎるから
調整がつかなくなる。

時に、物事、強引に進めることが重要なのである。
得てしてその方がうまくいく。


意見を聞けば聞くほど、話をすればするほど、泥沼。

これはよくあるケースである。




*****




負の連鎖は、コドモの身体も同様。

ひとたびノロや急性胃腸炎が流行れば
積み木崩しのように
流れ現象を起こす。


だが、コドモの凄いところは
回復力が突出している点である。


ジュニアは朝になると
ケロッとして起きてきて
昨日のことを忘れているかのように
絶好調。


しかも幼稚園の卒園式は
誰一人休まず、
全員が絶好調の顔つきで行われた。


現代のコドモは、

アジャストする力も
ダモシ世代のそれと比べると
格段に進歩していると認められる。


きちんと全員、
遠足や運動会、そして卒園式などの
ビッグイベントに帳尻を合わせてくるのである。

これが不思議だ。


さて、卒園式。

幼稚園が良い幼稚園だったこともあるが、
卒園式も実に良い式典だった。

仕切りが上手いのである。

それは運動会などでもそうだったが、
ダモシをして
この幼稚園時代、
苦言を呈する機会はほとんどなかったくらい、

仕切りがうまかった。

そしてコドモたちの対応力に目を見張る。
教育が良かったのだろう。


卒園式でのチャプターごとのアクションが
一糸乱れず
(練習したのだろうが、聞けばそれぞれ一回しか
 練習していないという)、

遂行されるのである。


年中組代表による
贈る歌でも
普通に歌うだけではなく、
最後に仕掛けがある。

座って聴く卒園していく年長組のコドモたちの前で
舞台から歌う年中組のコドモたち。

輪唱その他、
グループごとに合唱していく歌の最後、

一糸乱れぬ呼吸で、

<お兄様がた、お姉様がた、
 卒園おめでとうございます>

と述べたかと思ったら、

最大の声量で
全員揃って大声で

<ごきげんよう!>とやった。


<ほぅ>と唸るダモシ。

次は卒園していくコドモたちが
逆に卒園の歌と在園生へ贈る歌を唄う。

組ごと、そして整列して座る列ごとに
パートごと唄うのだが、
唄う段階で列ごと数人が立って唄う。

数十列すべてが唄い終わると
全員で唄い
歌も終わりを迎える。


と、その歌の流れのままに突然、

これも驚いたが
一糸乱れぬ完璧な呼吸とリズムで
全員がさっと立ち上がり0.1秒で直立したかと思えば、

在園生たち以上の
キリッとした大声で
これまた台詞が誰一人乱れない状態で


<ごきげんよう!>とやったのである。


しかも
それを言った後、誰一人乱れずに
さっと着席する彼ら。


ダモシは唖然とした。

いやぁ、すばらしい、と。

女子フィギュアのキム・ヨナか
歌舞伎座役者かというノリである。


一人一人卒園証書を受け取る際も
次の人はココに立ち
舞台に上がったらまずはココに立って
会場側を向き、

受け取る際は左手から〜おじぎはこういう角度で、

受け取った後は
舞台左側のココに立って
すぐに舞台を降りないで
客席を見てからおじぎして、

それから上品に舞台を下りていく

という一連の動作を
ほぼすべての幼稚園児がこなしていた。


まあまあ、驚いた。

どこぞの永田町や霞ヶ関などの面々より
きちんとしているし、

近頃、問題が起こったと取りざたされている
目白の学校よりも
こちらの方が上品でちゃんとした園だぞ?

と思えるほど、であった。



それこそ
<お兄様、お姉様>だの
<ごきげんよう>だの、

ここは目白か?

とリアルに思えてくるほどである。





*****




ダモシは泣かないが、

当たり前のように母親たちはすすり泣いていた。


不謹慎なダモシは、

母親代表の
ちょっとどころではないほど
肥えた、丸みのあるどころではない丸い方が
お母様代表として謝辞を述べている際に、

そのふくよかな方が
感激のあまりか、嗚咽をもらしはじめた。

しばらく堪えて謝辞を読んでおられたのだが、
堪えれば堪えるほど
嗚咽我慢は逆に<裏声>を生んでしまう。

嗚咽と裏声が混じり合った絶叫のような
サウンドがこだました瞬間、

わるいこダモシは、

ぷふぁぁ〜っ

と吹き出しそうになった。


(<マズいぞ、これはっ!堪えるんだ!>)

と自分を戒めたが、
堪え切れない。

ずっと会場の真ん中くらいの横隅で立って
写真を撮っていたから
目立つのである。

皆は座っているのに
ダモシだけ立っているから目立つのである。

嗚咽我慢と同じで、
爆笑我慢も
よからぬサウンドを生むことになる。


グフゥッ…

だの

ククゥグーッ…

だのといったサウンドがこだまして、

さらには
痙攣がごとく震えるダモシの身体。

ファインダーを覗くフリをして
顔を見られないように
操作するので精一杯。

必死に堪えているのに、

舞台上ではそのお母様がまた
裏声連発で

<ありがとう>と言うところを

嗚咽我慢のせいで
裏声のままに

<あっはぁー!りぃーっ!がぁぁーっ!>
となってしまっているから

手に負えない。


ダモシは
身体をプルプル痙攣させて
もはや堪えきれずに
カーテンの中に隠れた。


だが、おそらく、

会場のお客さんたちから見れば
カーテンが大いに揺れていたであろう。


一方で、お上品且つ素直なお母様方が
多いのだろう。

その間、

否、

最初にそのお母様が嗚咽我慢の
裏声を発症した瞬間、

笑いが起きるどころか、

各所で一斉に
すすり泣きが沸き起こったのである。

なんたることか。

ダモシの感覚と、

彼女たちの、否、多くのお父様方(でさえも)の
感覚が

劇的に違いすぎるのか。

お父様方も泣いている。
誰もがハンカチーフを手に
すすり泣き、

しまいにはそれは

ハナをすするサウンドと
ブファァ〜ッとハナをかむサウンドが
混じり合った

空間力を発揮し始めたのだった。


ダモシもよふやく笑いが収まり
カーテンの中から会場に姿を現したが、
顔はまだ笑っている。

だからまた<蝶野状態>で演技して
堪えたわけだが、

その間、ダモシは想っていた。


<皆々様泣いておられるが、
 ワイフは泣いていないだろう。
 こんなことでもらい泣きするような
 女ではない>

と。


そしてワイフを見た。

ワイフの隣には
仲の良いお母様がいる。

ワイフはまあ、下を向いていたのだが、
顔はどうやら笑っている。

隣のお母様が
いつものようにクールな眼差しで
当然ハンカチーフは不要だ。


<やはりな。泣くわけないわな>

と妙に納得したダモシだが、

帰宅後問いかけた。



<俺は裏声の瞬間、笑いを堪えるので
 たいへんだったよ>と言うと、

ワイフは言った。

<吹き出した。でもあそこで笑うとマズいと思って
 下を向いて我慢していた>

と。


やはり、か。

同じことを考えていたようだ。

同じ感覚と感性があるから
夫婦で長いわけだが、

少なくとも
見渡す限りでは、

笑っていた
(堪えていたとはいえ顔は笑っていた)親は、

ダモシとワイフくらいであったと
認められよう。

まあ不謹慎といえよう。

でも、
素直に面白いのだから
笑いたくなったのだから
致し方なかろう。


圧倒的多数決が
あの局面ではもらい泣きする感性だった。

そして
完璧なるマイノリティとして
ダモシとワイフは
あの局面は<笑う>ところ
という感性だった

ということである。


感性の問題で、
どちらが良いという問題ではなかろう。


ワイフはその後、謝恩会だの
役員をやっていた関係で
その会合などを経て

夕刻戻ってきた。



ダモシはダモシで
先般から厄介な問題になっていて
車検すらダモシはスムーズにいかないのか

という事象を済ませるべく、

先般22万の見積を
最終的には13万にして、

明日受け取りにすべく

今宵ふたたび
オフィシャル事案の合間を縫って
ダモフィーロを工場へ運んだ次第である。




不謹慎なワイフはもう寝たが、
ダモシも今日の仕事は終わったので

これから不謹慎男らしく
まだ読み終わっていない<人間失格>を
読むとしやふ。



むろんジュニアの卒園は感慨深い。
当たり前だ。

無事に幼稚園を出るまでに育ったわけだ。

彼の最初の卒業は<ニューヨーク卒業>。
二度目の卒業が<幼稚園卒業>である。

おめでとう。

彼に限らず
同じ幼稚園のコドモたち卒園生には
多くの言葉がオトナから語られたが、

ダモシが言うとすれば

<嘘つきになるなよ>ということである。


イノセントとは異なる、ピュアでいろよ、と。

大きな五歳ダモシは
今でもピュアだから、

不謹慎男とはいえども、

それはそれで見習う部分は
0.1%くらいは、あろうよ、と。


否、

近頃、
ほとほとコドモから教育されている気がする。

小学校に入れば
学校の勉強も一緒に見るようになるだろう。

そこでダモシはまた
もう一度小学校の勉強をすることができる。

それはそれは楽しみこの上ないわけである。


どうせなら永遠の五歳で、
いつまでも卒業しないで
永遠に色々な勉強をしていくことができるのだから、


コドモと付き合うのは、大きなメリットである。






:::::





sotsu1.jpg


賞状をもらうことには慣れているだろう。



sotsu2.jpg


空手の時とは
当然ながら顔つきも違う。

おめでとう、である。



sotsu3.jpg


コドモのパワーは、
前夜急性胃腸炎になって
前門の虎、肛門の狼を発症しながらも
劇的に回復して
卒園ケーキも食したところであろう。





ダモシは今、お腹がグルグルしているのである。

発症は、明日か…。明後日か…。








posted by damoshi at 00:27| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

前門肛門、アゲイン




今宵、久しぶりに
テレビで唄う安全地帯を観た。

新しい曲はなかなかで、
玉置氏も
齢を重ねただけではなく
"いろいろ"あったようで

その枯れた感もまた年輪として
往年の軽薄さが消えれば
もっと良くなるだろうと思わせた。

だが、氏のこと。

安全地帯はないだろう。
いつまた暴発するか。


前門の虎、肛門の狼にも
安全地帯はないようだ。


要するに
それに免疫はない、と。

まだまだ、そして、またまた
急性胃腸炎、ノロ系が流行っている。

突然、教室で嘔吐するコドモがいると
それだけで感染するのが
幼稚園や小学校。


いよいよ明日、卒園式という
まさにそのタイミングで
ジュニアは感染したようだ。

それこそ発信源のコドモは逆に
明日はケロッとしていることだろう。

まったく、ほとほと、頭に来る。

どのみちまたこれ、ダモシもうつるわけだ。
既にお腹はグルグルしている。

深夜、肛門の狼が洪水を始めそうだ。
明日のデイタイム、前門の虎が発露しそうだ。

もう気配で分かる。

必ずダモシはジュニアのそれを
もらうことになっているのである。



今宵、帰宅時、田園都市線に乗っていると
ワイフから携帯へ着信履歴が。

さらにメールも来る。


<すぐに帰ってきて>と。

なにごとか、と
ダモシは最寄駅に着くとすぐに
電話を入れると、


<頭が痛くて泣いている。嘔吐した>と。


ダモシには分かっていた。

一昨日のディナー時に
幼稚園で嘔吐したコドモがいたことや
またそれが流行していて
休んでいるコドモが多いことを
聞いていて

その時に既に

<うつるのでは?>

<しかもタイミング悪く、
 前夜とか当日に発症するのでは?>

とダモシは事前苦言を呈していた。

ダモシはそもそも
己に対してはポジティヴなのだが、

他人が絡むことには
オールウェイズ、ネガティヴな考えであるからして、

すぐに<うつるだろう>

そして<俺もうつるだろう>

さらには
<まったくもって最悪だな>

とブツブツ言う性分でもある。


そして、たいがい、というか、
ほとんどそれは的中する。


要するに
他人が絡むもの:
ジェットコースターや飛行機などへは
信用がまるでないから、

常にネガティヴな思考で、

己が直接全面的に責任を負うものに関しては

常に
成功するだろう、勝つだろう、
当たり前だうまくいく

というポジティヴという

都合の良い考えをするタチである。


ゆえに、
他人のコドモというものは特に
信用ならない。

風邪、嘔吐、頭痛、感染症。

これらを発症しているならば
登校させるなよ、と。

うつすために来ているのか?

と、そもそも不審でいっぱいなのである。


とまれ、ジュニア。

帰宅してすぐ車庫の鍵を開けて
ダモフィーロを走らせて

一路、港北ニュータウンの夜間救急対応病院へ。


まあ、これまた、ほとほと困るのだが、
相も変わらず超満員札止めの患者たち、急患たち。


ドクターはすぐ
<あぁ、急性胃腸炎ですね>と。


ジュニアは前門肛門いずれも発症したが、
睡眠効果のある臨時の座薬で
帰宅後すぐにとにかく眠った。

コドモのことだから
うまくいけば明朝には、とは思うがどうか。


一生に一度の卒園式を
こんなくだらぬ前門の虎、肛門の狼で
欠席するわけにはいかない。


<いずれにせよ行くぞ。
 最悪、他にうつして差し上げろ。
 こちとらもうつされたのだから>


とダモシ。


<最悪でも今週末の空手大会と旅行までには
 治そうな。せっかくの春休みをつぶさんようにしよう>

と檄を飛ばしたが、

そのダモシもどうせ発症するだろうから
困り果てるところである。

まあ発症してもオフィシャル事案は行くし、やるし、
大会も行くし、旅も行くが。

こんなくだらぬ前門の狼、肛門の虎で
それらが台無しになるのは
許し難いわけである。




もう春だ。
三月もダモシ・バースデイは過ぎたのだから
後半に入っている。


いいかげん
<二月特有>の前門の狼、肛門の虎は

安全地帯に入って良いはずだが、

玉置氏同様に

なかなかそう簡単には
問屋は卸さないといったところであらふか。








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2010年03月15日

サクラ色のサンデー




サニースカイが広がった、
まさに小春日和のサンデー。

午前零時を前に
ようやく仕上がった確定申告をまとめて
税務署の前にある
時間外収受箱へそれを投函してきた。


一日がかりの作業であったが、

その合間、
もういいかげんプライベートというか
ゆっくりとまったりともしたいわな、
ジュニアも毎日忙しいし、

ほとほと気分転換も必要だよな



ジュニアと二人で
東京の田舎へ
ママチャリを駆って
ゆっくりと出かけてきたデイタイムのPM。


サクラ色景を掲載したいところである。

田園都市エリアで知られる
某学校前のサクラが一足先に満開。

卒入シーズンに差し掛かるこれから、

これだけ見事にサクラ色が
サニースカイに広がると
気分もそれに相応しいものとなり、

絶好のアトモスフィアが漂うことになる。



haruiro1.jpg


haruiro10.jpg



もういいかげん、良いだろう。

陰鬱なダークスカイと寒風は
そろそろ終焉へ向かっていただきたい。

サニースカイに、ぽっかりと浮かぶ白い雲。
寒くもなく暑くもない
小春日和の世界観とサクラの交錯は、

卒入シーズンが<春>という
これは世界よりも素晴しい
ニッポンの美徳である。

誰もが経ているそのアトモスフィアを、

己が子をもって
まさしく卒入と絡むことで

よりノスタルジーが高まるというものである。


さすがにダモシが泣くことはないだろうが、
今週はジュニアの幼稚園の
卒園式である。

それはそれは、

米保険会社の詐欺疑惑騒動や
出産翌日の深夜の退院劇などなど
米での出産というシチュエーションで
様々な面で苦しんで、

且つ
ワイフのみならず
ダモシも
その出産に実際に参戦して
己が手で"取り出した"

ジュニアである。


それが今、ニッポンにいて、
幼稚園を卒園するまでに六年経っているわけだ。

感慨深くないわけがない。


そんな日、そして入学式などの日には、
サニースカイと白い雲、
そしてサクラの交錯は、

親としてはまずもって欠かせない

空への条件である。


そんな日に陰鬱なダークスカイはあり得ない
という認識は前提である。



haruiro2.jpg





*****




菜の花も咲き並び、

一方で
未だ冬のしぶとさか、

梅も残り香を漂わせる。



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田園も間もなく色づくだろう。

田圃にも水分が溢れ、
そろそろ蛙の足音が聞こえてきそうだ。



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田園を、長閑な心持ちでそぞろ歩く人々が多い。

そんな一日ではあったが、

ダモシのような人

すなわち
<確定申告の締め切り日前日に
 一日かけて作業して、
 その深夜に投函する>

という面々も多くいる。



それを感じさせたのは、
先ほど訪れた税務署の時間外収受箱の前。

車でその前につけて
助手席からもう一人が降りてきて
投函箱にささっと投函して去ってゆく。

徒歩で、自転車で、バイクで。

それぞれ深夜にやってきては
封筒を箱にささっと入れて帰ってゆく。

ダモシもママチャリでその前に乗りつけて
さっさと投函して帰ってきた。


<まったく…。
 ほんっとにもう、めんどくさいんです!>

という世界観である。


単にPC上でその申告書に
数字を入れていくだけならば楽である。

ダモシの場合は
申告書は複数になる上、

そこへ書き入れられる状態に
なっていなかったことから、

まずは朝からその作業をすることから
始まったわけである。

すなわち
毎月の経費はまとめてあるし
領収書類もまとめてあるのだが、

経費の勘定項目を正規のものにして
区分けしていなかったのである。

交通旅費や通信費、接待交際費や打合会議費、
はたまた消耗品費、広告宣伝費に、
修繕費や新聞図書費などなど。

漫然と交通費、諸経費などとしか
まとめていなかったから
厄介なことになるわけだ。


今後は正規の勘定項目ごとに記載して
整理していかなくてはならないな…
と改めて想ったわけであるが、

まあとにかく面倒な作業であって、

ジュニアとのお散歩の間
(2時間)以外は、ほぼ丸一日この作業に
時間をスペンドさせられた。


改めて整理してみると、

新聞図書費や交通旅費が
目立って多いことに気づいた。

夏頃などは
2万円ベースで新聞図書費がかかっている。

交通旅費も複数の月で30万円かかっている。

昨年、異様に旅が多かったことが
これで窺い知ることができるわけであるが、

まあいずれにせよエクスペンスが
多いのだから、

粗利益が少なくなるわけだな


これも改めて貧乏暇なしを印象づけた。

これでさらにタックスをとられるのは
いかがなものか、とシャクにさわる。

PCでの申請書記入も
複数になると良くわからない。

もっとそのサイトも
ユーザビリティを高めて頂けないか、と。


運良く、
既に確定申告を済ませた友人がいて、

何度も携帯電話で話をしながら
教授を受けての作業だったから
事なきを得たが、


途中、何度も<はぁ?>的な局面に
差しあたったこともまた
作業時間が多くなってしまった要因だろう。


いずれにせよ
この<もう、ほとほと、めんどくさいんです!>的
作業も終わったので、
清々しているところであるが、

このせいで
今宵は、"じぶんじかん"を休日に楽しむことが
まったくできていないわけで、

これから少しは本を読んだりして
リラックスしやふ、と。

それより早く寝た方が翌朝は楽なのだが、

こういうことは
精神的な充足の問題であり、

こんな面倒な作業だけで
ウィークエンドの一日が終わるのが
シャクでしょうがないわけである。


結局、またこのウィークエンドも
一日中、コンピュータの前にいるではないか

と。


この憤りはいかんともしがたい、と。

むろん、
二時間だけでも
ジュニアと二人で
サクラ色の田園をお散歩できたことは、

何よりも替え難い至福ではあるが。









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2010年03月13日

銀座は今日は晴れだった





<自分は、実は、ひとりでは、
 電車に乗ると車掌がおそろしく、
 歌舞伎座へ入りたくても、
 あの正面玄関の
 緋の絨毯が敷かれてある階段の
 両側に並んで立っている
 案内嬢たちがおそろしく、
 レストランへはいると………>。


太宰治のNo longer human、
すなわち「人間失格」の一節である。


クローズまで、今宵でちょうど50日。

現在の四代目歌舞伎座が生まれた1950年、
プロ野球のセ・リーグが始まった。

同年の、
セ・リーグの初代覇者が松竹ロビンス。

歌舞伎座を運営する松竹が
パートナー的にプロ野球に関わっていた頃だ。


それから60年の歳月が流れている。

ダモシはむろん、未だ生まれていない。

建物のポスチャーからして
古いようだが、
人生80年の現代にあって
未だ60年といえば
まだまだ若いともいえるが、

建物の老朽化や
現代的なバリアフリー思想に合致しない館内の
問題などから、

取り壊しとなる。

そのカウントダウンがあと50日となっているわけだ。

太宰が「人間失格」を発表した1948年には
歌舞伎座はない。

45年の東京大空襲で消失した三代目歌舞伎座が
その頃は廃墟姿となっていたはずだ。

太宰は、自身が東京に出てきた頃合いを指して
「人間失格」の序盤部分で歌舞伎座を登場させているから、

書いた年度に関係なく、
心象としては
三代目歌舞伎座を指したものと思われる。

太宰が東京に出てきたのは
30年だから、
三代目歌舞伎座が存在していた時期と合う
(25年から45年まで)。


建物のポスチャーは、
初代の洋風以外は
二代目から現行の和風になり
基本的に変わっていない。

場所は初代(明治時代)から同じだ。

基本的に
変わったのは歌舞伎座の周囲だろう。



syodai.jpg


初代歌舞伎座。

二代目から現在のような和風になり
ポスチャーを同じくする。



31210e.jpg


昨年末から度々当欄に登場する
歌舞伎座、今宵の姿。

歌舞伎座の全体を捉え
(左側にある"歌舞伎座"幕も映し)、

且つ
よけいな存在
(周囲のビルや景観ぶち壊しの広告サイン等)を
カットするには、

晴海通りをはさんだ向かい側の歩道、
この角度から撮るしかない。


この建物は全体を捉えることは実に難しい。

歌舞伎座の前が狭いのだ。
目の前はすぐ交通量の多い晴海通り。

狭い歩道には
劇場前ということもあって
人で溢れているから

十分な間合いをとって撮影することができない。

特に昨年来、
撮影するプロアマ問わない
多くのカメラマンで溢れている。

建築の構造上、
目の前から全体を捉えることはできない。

且つ、
左右にある幕。

歌舞伎座と書かれた幕を入れようと思うと
尻切れとんぼになる。

尻切れとんぼにならなければ
隣のビルのネオンサインが邪魔になるからだ。

前回も記載したが、
景観という意味では
"北の某"国首都のシンボルの一つである
時計台もしかりだが、

そういった建造物の周囲に
景観を壊すようなサインを出す
企業の姿勢を
ダモシは厳しく疑う。


歌舞伎座を正面から見て
全体を捉えようとする時

明らかに邪魔といえる存在は、
出光のサインである。

こういう位置にサインを出す
無神経さをもって
ダモシ的にはこういう企業は見下す。

あまりにも
文化芸能や都市景観美に対する
センスがないからだ。

歌舞伎座を撮る際は
徹底的に出光のサインを拒否して
カットするよう撮る。

やむなく映ってしまったら
容赦なくトリミングして
出光のサインは切る。


"北の某"と時計台を庇うわけではないが、
時計台が
三大がっかりに挙げられてしまう
最大要因にして手かせ足かせは、

時計台の景観を破壊する
その周囲のビルにある
センスのない広告サインや社名看板である。

そういう企業には
すこしはジェントルマンになって
自粛しろよ、と言いたい。




以下、いつもと異なる構図を。



31210d.jpg


31210b.jpg


31210c.jpg






*****




今宵も銀座。

しかし今宵はいつもと異なっていた。

<嗚呼ぁ〜 銀座わぁ〜 今日わぁ〜 晴れだぁった〜>
となるか。


"銀座はいつも雨"に対して、珍しく晴れだった。



31210a.jpg



その銀座を後にしての帰路。

東急線車中、
居眠りしながらも
<異様に眠いぞ、疲れているぞ>と
感じられるほど、

真剣に眠りに落ちた。

今週は妙に疲れたのである。

昨日は
霞ヶ関から築地まで
延々と片道一時間歩き、

築地市場内で所用を済ませてからまた
霞ヶ関の人と
霞ヶ関まで延々と歩いて戻る。

二時間以上、歩いたわけだ。

その間、新橋で

〜それこそ新橋でランチなんぞ、
 96年以来ではないか〜

射幸心煽るエリアにある
カウンター式のとんこつラーメン専門店で
ネギのりチャーチュー麺を食したのだが、

その際に
味付玉子はもとより

霞ヶ関の人が<替え玉!>とリクエストしたので
ダモシもつられて<僕も替え玉ね!>と
リクエストしたら、

出てきたそれが1.5人前はあるという量で、

他の客も替え玉をしていたのだが
彼らは概ね普通のラーメンで、

霞ヶ関マンも普通のラーメンだったのだが、

ダモシの場合はそもそも量の多い
ネギのりチャーシューであって、

そもそもチャーシューだけでも
お腹いっぱいのところに
1.5人前の替え玉が登場してしまい、

途中から"気持ちが悪く"なってきたのだが、

ある意味で気合いで完食したわけだが、

霞ヶ関マンもスーパー満腹になったようで、

二人揃って
その店の前で煙草を速攻で吸って
満腹の後の一服という
至福の瞬間を味わったのだが、

そこからまた歩いて霞ヶ関へ行ってだの、

夜は車検を出しに行った後は
最寄駅まで二十分以上も歩くハメになり、

さらに一日で終わるはずだった車検が、

今朝連絡が来て
<ダモシさん、四ヶ所NGなので車検通りません>
<今日、車を戻すことはできません>
と担当者が述べられるから、

朝から不機嫌になり
<なにごとか!>となり、

<明日、コドモの空手の大会があって、
 車を使うのだよ>

と怒り、

怒られた車検の人は
ワケが分からず
つい
<ぶ、ぶ、ぶひんはどのみち月曜にしか
 届きませんので手が出せませんから
 お車が必要なら今夜持っていって良いですよ>
と言ってしまい、

ダモシはさらに怒って
<で、いくらかかるのですかね、困りますわな
 そんな四ヶ所もNGだなんて>と問うが、

それ以上怒られたくない車検の人は
<今夜いらっしゃられた際に
 ご説明しますので>と電話を切られてしまい、

怒っているダモシは今宵、
銀座の後にその工場へ行き、

顛末を聞けば、

そもそももうフロントタイヤは
高速道路には乗ってはいけないレベルにまで
すり減っていて、

ブレーキオイルももうない、と。


その他もろもろ部品だ工賃だ含めて
車検のトータル費用が22万6千円だと知るに至り、

<ちょっと電卓を借りますよ>と
とんとんとんと弾きながら、

<で、いずれにせよマストはどれですか>
と仕分けがごとく冷徹に述べて、

車検の人たちが解説するたびに

<なるほど、で、これはマスト?あるいは
 した方が良いですよと薦めているだけ?
 この金額ならばもうマストのマストのマストしか
 出来ないですから、
 リアルにほんとにどうにも譲れないという
 マストのマストのマストだけ
 言ってくれればいいですから、時間のムダですから>



さっさと済ませたい
お腹がすくとさらに機嫌が悪くなるダモシ性を
露骨に発露させながら

さながら仕事のミーティングか、仕分けのように
その場を仕切り始めて、

しまいには、


<いずれにせよ車検が切れる
 18日過ぎたら運転できんから、
 この場でマストのマストのマストだけは
 もう確実にお願いしますから
 今この場で部品を発注してくださいライトナウ!
 
 で、車をまたここに運んでくるのはどうでしょうね、
 一つの案としてはこうでしょう、ええ、ええ、
 部品が届くのはいつかは確定出来ない?なるほどね、
 ならばこうしましょう、部品が届く日が分かったら
 すぐに連絡をしてくださいね。

 で、部品が届いた日に車を持ってくれば合理的でしょう。

 仮に部品の到着が18日以降になりそうだということが
 分かったならば、それもすぐに知らせてくださいな。
 その場合は車検の切れる18日までに
 車を持ってくるようにしましょう。

 いいですね、それで、どうですか、いいでしょう?>


とまくしたてて、

<お腹も空いていますし忙しいので
 これで帰りますからね。
 で、一応、明朝、マスト以外のご推奨部分も
 やって頂く場合は連絡しますし。

 いずれにせよ部品をもう今、ライトナウ、
 発注してしまってください>

と念押しし、

自ら見積書に記載した確定事項に星をつけた
パートを示して、

同じようにこれをそちらの書類にも
書いておいた方が良いですよ、

齟齬や相違がないように

とsuggestionして、

どうにも不慣れなような
入りたてのような係員二人に述べて、

彼らにとっては風のように
さっと来て、ぱぱぱっと、さささっと述べて
びゅーんと去って行くかのごとく

<じゃあ、持って帰りますよ>と
ダモシはダモフィーロにエンジンをかけて、

もはや危険水域に入っているという
フロントタイヤを
しゅるしゅるしゅる〜とサウンドなびかせて

一路、自宅へと戻った次第である。




そんなこんなもあって、疲れたのです。






*****





明日も朝早くから空手大会である。

既載の通りだから
波乱含みではある。

しかもダモシも何だか疲れていて
機嫌はけっして良くないとなれば、

それこそ不穏な空気も流れよう。

ただ、
ジュニアにはそれは当然、
感じさせないようにするべきであり
そうしている。


彼は今週は、前回のブチ切れ叱られを経ているから
ばりばりやっている。

それをそのまま出せば良い。

練習のビデオを見る限りは
ダモシが指摘した通りの動きをしている。

しかも本人がそれを楽しんでいる。

だからその通りに、
自分のそれが持てる力なのだから
それを発揮しさえすれば良い。

もはや
ヘナチョコ・ルールでは、

ルール上、そして意図的判定操作以外では
負けることはないだろう。



彼にとっては、
最後のヘナチョコ・ルールでの試合だ。

手かせ足かせはあろうが、
その中でどう闘うか。

それも勉強になろう。


一つだけだ。

ダモシが口酸っぱく言っている
<間合い>をきちんととって、

相手のペースではなく
己が主導権を握り試合をコントロールする。

そして自分の思う通りに
描く通りに
出来ることを
力をめいっぱい発揮する。

それらが出来れば怒らないし、結果は問わない。


万が一、オトナがオトナの政争や都合で
コドモのそういうことを
妨害した場合は、

ダモシは今回は"出る"だろう。

明朝起きてから、

万が一に備えて
トレーニングしてから出かけやふ。

ジャンピング・ニーパットの練習だけは
しておこふ。

たとえ10cmしかジャンピングできなくとも。





*****




「人間失格」では、

冒頭の後、しばらくして
太宰はこう書いている。


<その頃になると自分も
 (中略)
 ひとりで電車にも乗れるし、
 また、歌舞伎座にも行けるし、
 または、絣の着物を着て、
 カフエにだってはいれるくらいの、
 多少の図々しさを装えるようになっていたのです>。




31210g.jpg







posted by damoshi at 01:36| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月12日

ペイン&トラブルサム




ほとほと、面倒である。

<もうめんどくさいんです>と
言いたくなる。

タックスと車検である。

確定申告が3/15まで。

米時代もセルフ・エンプロイメントでの
タックスリターンをしていたが、

主な収入と、
レシートを整理して経費を割り出して、
その額を知り合いの経理畑の人に依頼して
4.15の米の〆切に合わせて
アプライしていたが、

ニッポンでは自分で確定申告を
しなければならない。

これがまた昨年もやったが、
コンピュータで入力すれば
自動的に計算はしてくれて、

それを出力して届け出れば済むことだが、

面倒といったらありゃしない。

やれば簡単なのだが、
なかなか手をつけることが
億劫なのである。

おそらく今年もこの週末にやって
締切日当日の3/15に
ワイフに行列に並んで行ってもらうことになるだろう。

むろん対象となる当該年月の
レシートは整理してある上、

その合算であるエクスペンス(経費)も
エクセル表で毎月まとめてはあるが、

実際にタックスのウェブサイトを訪れて
それを作業するとなると
億劫で後回しになってしまうわけだ。


夏休みの宿題と同じである。

実際にやれば、
やった直後は、
何だ簡単じゃないかさっさと済ませれば良かった
と思うのだが、

そもそもやりたくないことだから
後回しになって
ぎりぎりにならないとやらないというのもまた

人間の性でもあろう。

まさに夏休みの宿題である。



*****



同じく面倒だなぁ、と思うものが
自動車の車検である。

米はない。

ほとほとニッポンの二年に一度?
の車検は面倒である上に
コスト的に大きな出費となるがゆえ、

快い気分にはならず、

ついつい後回しになる。

その期限も残り一週間。


ダモシ国の国家を司る全部門の大臣の
ワイフが機転を利かせて
近隣にあるオートバックスへ予約していた。


<木曜日の21時までに持っていけば
 その日の夜中の0時から始めるので
 翌日には戻るらしい>

と。


今週の土曜日は空手の大会があるから
車が必要。

来週にずらせば
それこそ期限が危ない。

ということで、今宵の21時までが
ダモフィーロの搬入リミットとなった。

明日戻れば土曜日には使えるからだ。


急いで帰宅して
残り30分の時点で拙宅を出る。


<じゃあ行ってくるよ>と言いつつも
浮かない顔のダモシは心の中で

(<まったく面倒くさいなぁ…>)と
不貞腐れている。


(<米はないからいいよなぁ>)と。

(<二年に一回、大金をスペンドか。
  たまらんなぁ…>)と。


さっさと手続きを済ませて
ダモフィーロを置いて
オートバックスから田園都市線の近隣駅へ向かうが、

駅との立地関係がよろしくないことから、

徒歩で20分以上も歩くハメに陥り、

歩きながら
<まったくニッポンはほんとにムダが多いぞ、
 何なんだこれは…>

と声を出して一人コンプレインをしたわけである。



タックス、車検。

これに関しても
米の方が合理的で
ムダな出費スペンドを回避出来る上、
時間的スペンドも軽減できる。


タックスに関しては
ニッポンでも誰か個人的にフィーを払って
やってくれる人を探さねば。

車検に関しては
五輪のように四年に一度で良いのではないか、と。


<車検は四年に一度にします>
という選挙公約を掲げたら、
ポイントは上がるだろうか?


<高速道路無料化>を民主党は掲げてくれて
それに賛同したわけだが、
どうやらそれは怪しく
詐欺では?と思えるほど
その実施路線が何の影響もない意味もない
スーパーローカルの
そもそも車走らんだろうよそんなにさ
と思えるような道路ばかりで、

対象路線の中には
実際に走行したことがあるものも
含まれているが、

そもそもそこを走行した際には
実際に<こんな道路でお金とるなよ>的なものが
ほとんどだった

という有様を鑑みるに、



<車検は四年に一度>


高速道路無料化は詐欺ではなく、

<首都高、東名、中央、東北道など
 大都市圏絡みの重要高速道路をメインにします>

<最低でも時速40km以下走行しかできない
 渋滞になった場合は、
 上記の主要高速道の通行量は100円均一にします>

といった方が本質的ではないか、と。


そもそもだが、ETCは別として
一般車用の"あんな"料金所があるから
渋滞を引き起こしたりするのである。

完全無料にすれば
料金所もいらないわけで、

すいすい行くだろう。

まずはとにかく
ETC特権をASAPで廃止して、

且つ
無意味な路線での無料化実験なんぞしないで、


さっさと<主要高速道路>の完全無料化を
推進すべきである。

そのための仕分けだろう。
どんどん天下りの甘い蜜を吸う輩の
仕分けをしてお金を浮かせるべきである。


・こども手当の一刻も早い全額支給
・高校授業料無料化の本質的な実施

・"主要高速道路"の完全無料化

は急いで頂きたい。


普天間にしてもダムにしても
八方からああだこうだと
ある意味で好き勝手にモノを言う状況と、

中途半端にそれに耳を傾けようとする

現在の民主党のポスチャーは
よろしくない。

どちらかを立てれば
どちらかが立たなくなるのは
いつの世もどのジャンルも同じことである。

万人が大賛成というものなどあり得ないし、
あってはならない。

意見は聞くが、聞き過ぎは良くないのである。


古今東西、
逆にいえば反対の多い方を選択した方が
結果的にうまくいくというケースもある。

よく起業したり事業を行う場合で
あることだが、

反対が多い方を選ぶ方が
結果的に成功している事例は多々ある。

なぜならば
"意見"の中にはコメンテーター的あるいは
評論家的な感覚での物言いが多いからだ。




*****



それはそうと、
自身が企画して推進したあるモノが
月曜から販売されている。


販売チャネルは複数ある。

Aというチャネル。
その中には23の場がある。

Bというチャネル。
その中には
1つの場と
2つの異なる手法がある。


Bがメインである。

ダモシの推測では
Aが全般的に懸念された。

Bは問題なく売れるだろう、と。


懸念していたAが主に先行した。

発売初日から
チャネルAの23の場のうち複数が完売。


<?>と感じた。

翌日も完売が相次いだ。

そして今宵の段階で
23の場のうち17の場で完売となった。


これはポジティヴな意味合いで
予想外だった。



そもそも<売れる>という直感と、
それを後押しするロジックが重なったから
推進したわけだが、

実際に自身が手がけたモノが売れると、
且つすぐに完売するという状況を目の当たりにすると

逆に<?>と思えるのがまた不思議だ。


昨年も自身が企画したモノが売られ始めたが、
これもこれでネット上で話題になり
様々な消費者がブログで取り上げてくれている。

好評ゆえ
現在その第二弾を準備中である。


世界的、国内的に全部という意味では
対象は狭いが、

それでも確実にそれらは
ヒットしているわけである。

むろん、
自身の感覚に間違いがなかったことの証明であり
嬉しくは思う。


一方で、
チャネルAの23は
そのうちの20近くは自身で選んだものである。

エリアとターゲットで鑑みて
<売れるのはココだろう>と踏んだのだ。

それに誤りもなかったわけだ。

ただ誤りというか
うれしい誤算としてはその数量。

そもそもチャネルAのことを高く評価していないから
いくら厳選した23場といっても
量的には厳しいだろうと踏んでいて、

精査してぎりぎりの低い数量で入れた。

だが
これだけすぐに(一週間もしないうちに)
完売してしまったということは、

その数量に誤りがあったのではないか
とも一つにはいえるのだが、

そこは食事と同じで
腹八分目が良いということもいえよう。

多ければ多いで
売る側のまた意識も異なってこよう。

限られた品数ということもあり
レア感が出て消費者もアクションを起こすのだろう。


問題は、チャネルB。

ここが特殊なチャネルで、
一般は入ることができない。

そのチャネルに別の目的で
足を踏み入れる何千人何万人、
最後まで入れれば10-30万人の
ある特定の人しか買うことができない。

限りなくクローズな環境である。


救いは
そのチャネルBの中にも
異なるもう二つの方法があるから
(インターネット・ショッピング)、

これに期待するところではある。


狙いは早期完売。

この狙いが目論み通りにいくか否か。

緊張はしばし解けないだろう。



チャネルAの複数の場に
視察に出かけたのは昨日の雨中。


その途中、

所用があり帝国ホテルに立ち寄ると、
館内には
120周年を記念した展示が行われていた。


帝国ホテルは、
ニッポンのホテルの中では最も
<ニッポンを代表するホテル>と
認められるホテルだろう。

大学時代に
フランクロイド・ライトの本の
アルバイトをして以来、

ライト建築はもとより
二代目帝国ホテルなどを見るために
明治村へ訪れるなど、

ファンである。



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こちらは初代帝国ホテル。
ハイカラだ。


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これがライト建築の名作、帝国ホテル。

関東大震災でも崩れなかったことで
ライト建築が評価された。



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ツェッペリン号が
東京-ロサンゼルス間を飛行した際、
船内食を提供したのが帝国ホテル。

そのメニュー表も展示されていた。

富士山にツェッペリン号。
実に洒脱な構図である。




*****



ジュニアとワイフは、
やはりそのトップの旗揚げする新団体へ
移籍するようだ。


そうなることは分かっていた。


特殊部隊員の間では
<ご主人はどう言われていたのですか>


ダモシがどういう反応をしているのかを
聞いてきていたようだが、

今回の件は
静観していたわけであるし、

ダモシ自ら
自身への決定権は放棄していた。

自身がやっているわけでもないし、
やっているのはワイフとジュニアだから、だ。

他の"ご主人"の立ち位置とは異なる。

大会へは顔を出すし
ジュニアに伝授はするが、

他の"ご主人"のように
道場に深く関わることはしないと
どこかで決めている。

だから
飲み会などにも参加しない。

一歩引いているわけだ。


だが、必要に応じて出るよ
というスタンスである。

なにごともそうだが、
求められれば出るし、
出るとなればメインだよ
という感覚だから、

中途半端には出ないという
イデオロギーである。

そして、出る時は有事の際。

平時には出ない、と。

出る必要があるのは有事の際。

これはなにごともそう。
それがスタンスだからしょうがない。

野球をやるなら
自分で旗を揚げて監督するし主砲よ、と。

そういうノリと同じである。


新団体ということで、

先般記載した通り
今週末の団体内の大会が
その団体でのラストの大会となる。

ジュニアには有終の美を飾って頂きたいが、

これも先刻ご承知の通り
様相的には

"精神的他流試合"になることは明白で、

王道側メインの審判らが
王道側の選手に優位に運ぶのは
これまででもあったことだから
今回それに拍車がかかるのは安易に想像できる
といった状況にあるからして、

ジュニアに対して
そういうことをやらかしたら、

今度ばかりは"出る"可能性もあるだろう
と想定している。


今宵ワイフに冗談めかして言った。



<ヘタなことしたら、
 今回はそういう状況だから
 俺の秘技である
 100m助走つきジャンピングニーパットを
 かましてもいいか?>

と。


するとワイフは言った。


<いいけど、
 やるならちゃんとやってね。
 ただでさえ体力落ちているのだから
 100m走っている段階で終わっちゃったりしたら、
 みんなガッカリするからね。
 "何だ、期待倒れだったな…"と>。



そうか、と笑うダモシ。

ならば
逆にハイキックなどはもう足が上がらないから
キック系はやめておこう。


<やるならラリアットか。
 で、寝かして腕ひしぎ逆十字だな>

と笑う。


<俺が暴れたら、
 〇〇君のお父さんとか
 大喜びで便乗するだろう。
 そうなるともう大混乱で、
 全員入り乱れての大乱闘になりかねんな>

と大いに笑う。


ダモシ的には
ぐちゅぐちゅ言っとらんで
文句あるなら
いっちょう裸で乱闘した方が

お互いすっきりするだろうよ

というのが本音である。


それこそ昭和の
昔のニッポンには喧嘩上手な人が
多かった気がする。

昔のオトナは、コドモもそうだが、

侃々諤々やり合っていた気がするし
コドモも原っぱでケンカして仲良くなる
などというケースが定番だった、と。


表面的には<よゐこ>ぶっている者が多い現代。

でも心の中では
"気に食わない"だなんだあるわけで、

たいへん病的な気がする。

それも心の病が増えている
一つの要因のような気もするわけだ。





とまれ、

もろもろ

心のペイン(痛み)やペイン(面倒)、

そして
トラブルサム(面倒)の多い現代ではある。



ニッポンにアジャストするのに
けっこうたいへんなのですよ。

<よゐこ>ぶってみたりもしますしね。


時には
はぁ、暴れたいなぁ

と思うこともある、

未だオトナではなくて

大きな五歳ダモシである。











posted by damoshi at 02:15| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月10日

銀座は今日も雨だった




嗚呼〜、銀座は〜、今日もぉ、雨だぁったぁ〜。

そんな歌を口ずさみたくなる。

なぜこうも
銀座に来る時はいつも雨なのか、と。

自身で口をついて出る呟きは
<ほれ見ろ。けふもまた雨だ>。



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むろん銀座のみならず雨。

しかも
ダモシが最も嫌う
首都圏の"中途半端な雪"。

<雪よ、降るならちゃんと降らんかい>と

この冬はリアルな雪が多く
ちゃんと降っているニューヨークの友人から届く
知らせや写真に心をときめかせる。


ほとほと東京は、
<今日は雪です>と言いながら
まともに雪が降ることがない。

雪です予報の日の雨ほど
アグリーな天候はない。

雨風、雪に脆弱な東急田園都市線は
注文通り
夜のダイヤが乱れる。

しかもそういう日に限って

<お客様が荷物をドアにはさみましたので>だの
<具合の悪いお客様がいますので>だので、

遅延する。

延々と停車する田園都市線。

比較にならぬほど、
ニューヨークの
ダイアなんぞそもそも存在しないし
そもそも"来ない"地下鉄の
ぶっ飛びぶりの方がマシである。

ニッポンの電車は
中途半端に<よゐこ>だからタチが悪い。


ほとほと、天気も電車もタチが悪いのである。

ドラマティカリーに善し悪しの振り幅が極端で
苛烈でぶっ飛んでいるニューヨークの、

やはり強力なこと、この上ない。

どうせきちんと出来ないことが多いのだから
田園都市線にしても
ハナからもっとぶっ飛んで良いのではないか?

いずれの電鉄もマジメ過ぎるぞ

と言いたくなるわけである。


それにしても田園都市線は
<車内で具合が悪くなるお客様>が多すぎる。

なぜなのか。

沿線利用者は虚弱体質が多いのか?

しかも、だ。

ひとたび具合の悪い乗客がいると
延々と停車することになる。

一本長々と停車すれば
後続が芋づる式に遅延する。


<具合が悪くなったお客様>がいるのなら
その方を車外へとにかく出して介抱すれば良いわけで、

なぜ延々と電車が停車している必要があるのか、と。

さっぱり理屈が分からないのである。


まあ、いい。



ダモシが最も嫌いな
陰鬱なダークスカイ&中途半端な雨雪。


そんな絵的にはよろしくない今宵だが、

オフィシャル事案で
苦手なダウンタウンへ出かけて
空を見上げると


東京の空の木があったので撮った。

雨風に耐えてよく撮った。




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建設途上の今、
その高さは先週、東京タワーを超えたという。

東京ダウンタウン押上は、東京スカイツリー。
自立式鉄塔の世界最高峰は2012年完成。



以前もサニースカイのスカイツリーを取り上げた際に
記載したが、

どうしてもこのエリアの
アトモスフィアが好ましくない。

趣向がダモシに合わない。

そもそもダウンタウンは苦手だが、
このエリアは
世界最高峰の建築物であり
東京の新しいランドマークを擁するにしては

シャビーと言わざるを得ない。

良く言えば<昭和>の香りがぷんぷんするのだが、
悪く言えば
ある意味で東京のダウンタウンはそもそも
ローカルチック(千葉や埼玉に近いからか?)な
装いがあり、

人もどこか垢抜けない感じを受ける。

そこに最先端的なスカイツリー。

当然、スカイツリーの至近は開発して
オフィスビルやショップが生まれるのだろうが
(駅はキレイ=田園都市線から直結の半蔵門線終点)、

いささかミスマッチな様相を呈しているわけである。

しかも
少し歩けばそこは錦糸町である。
ダモシ的には避けたい
ドン臭いエリアである。


まあ、
そもそもスカイツリーに来る人は
展望室へ行くわけで
押上エリアで遊ぶことはなかろう。


眺望、そしてカルチュラルなお散歩と
クロスさせるならば、

隅田川を渡った押上サイドではなく、

ダウンタウンでも
ぎりぎり境界線許容範囲として
ダモシが定めている
隅田川の"こちら側"である浅草が

ポイントになるだろう。


浅草でヒストリカル&カルチュラルな
所作を堪能し、

隅田川はけっして渡らずに

赤い欄干ルックスグッドな吾妻橋から

"うんち"オブジェやその他のビルと交錯する
スカイツリーを眺望することがベター

と感じられるところである。


おそらく吾妻橋周辺からの
新たなスカイスクレイパーを堪能する人が

完成後は増えると

想像することができる。



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晴れていれば、

そして
スカイツリーが完成すれば、

よりグッドルッキングな構図になるだろう。



しかしそれにしてもスカイツリー。

なぜ唐突に、
東武が"がんばっている"のだろうか…。

正直、

<え?東武が…?>という感覚である。


贔屓目抜きで、

東急あたりが頑張ってくれて
二子玉川(至近の多摩川河川敷)にでも
新東京タワーが出来るならば、


もっと話題性とインパクト、
そして経済効果はあるような気がするのだが…。



そもそも論としてかねてから何度も記載しているが、

ニッポンの首都・東京の
国際的エントランスであるべき
新東京国際空港は

成田ではなく

そもそもお台場(or羽田拡張)が良かったわけで、

それと同じく、

なぜ
新しいランドマークの新東京タワーが

<東急X二子玉川>ではなく

<東武と押上>という世界観なのか
さっぱり分からないし納得がいかない

ダモシである。




これも、まあ、いいが。



最後に、
今宵のダウンタウンで
冷たい雨に打たれる梅を。



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posted by damoshi at 01:53| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

<オトナの遠足&お散歩>ミニ嵯峨野



タイトルにある通り、

東京は世田谷に、

<ん?嵯峨野みたいだな>と感じた
ミニ嵯峨野がある。


むろん嵯峨野の竹林のスケール感とは
相違あれど、

ちょっとした東京さんぽで
大都会にありながらも
古の風情を感じながらそぞろ歩きするに
うってつけ。


それが、延命山勝光院。



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世田谷や杉並といった
山の手エリアの
電車でいうところの私鉄タテ・ライン沿線は、

住宅地として入り組んでいる。

東急世田谷線や京王井の頭線沿線だ。

家々が密集し、
道路も狭く、凝縮された空間設計になっている。

そんな双方の沿線には
入り組んだ住宅地の中に
忽然と姿を現す寺社仏閣が多い。

首都圏山の手の寺社仏閣めぐりは、
それだけで
下町の浅草や谷根千などのそれと
趣を異なものとして

独特の世界観を演出しているケースに
出逢うことがある。

それはまた、
府中の大国魂神社や
調布の深大寺、日野の高幡不動尊などのような
地方の霊場的荘厳なる世界観ともまた異なる。

京王井の頭沿線でいえば
烏山エリアの寺町が名高い。

そして東急世田谷沿線は、
豪徳寺、世田谷八幡宮、松陰神社
そしてここで取り上げる
"ミニ嵯峨野"延命山勝光院などがある。




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1335年、吉良氏の創建という。
今から675年前の創建となる古刹だ。

境内にある梵鐘は元禄時代のものだが、
それでも世田谷区内では二番目の古さという。


梵鐘の周りには枝垂、背後に竹林。
粋な空気を流している。



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歴女か、ヤングレディが一人、
カメラを抱えて散策していた。

大小、新旧問わず、
寺社仏閣はまずはそのアトモスフィアの構成が
ポイントになる。


むろん国宝や重要文化財を擁するそれは素晴しいが、

それがなくても
"地元"的、そして、オトナのお散歩レベルとしては
十二分に堪能することができる。

静謐なる心持ちで臨めば、
清らかなるマインドが柄にもなく得られる時間。



その空間を離れても、

寺社仏閣は
余韻として様々な静謐を見せてくれる。

ここでも、家々の先にはお花さんが。

ミモザか?


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:::::



<延命山勝光院>

東急世田谷線・宮の坂下車
徒歩約8分。


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posted by damoshi at 18:25| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブラッディ・マリー



今朝のスポーツ紙の
ほとんどの一面を飾っていたのが
女傑ウオッカの引退。

それを知らなかったダモシは、
新横浜での馬券購入後に
立ち寄ったコンビニエンスストアで

たまたま目にしたそれに驚いた。


<はぁ?ウオッカ、引退だと?>。

買う予定のなかった
ニッカン・スポーツ紙を
思わず手にとり

<なんだよぉ…>と独り言を呟いた。



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*****




ニューヨークとの愛人関係を終えた後、

ニッポン競馬に
98年以来関わるようになって
初めて邂逅した名馬が

ウオッカだった。


"北の某"に拉致されていた時期の
日本ダービー。

その前々日、

<ウオッカだな>と感じた。

それまで牝馬のダービー制覇は
63年間も阻まれていた。

64年ぶりの牝馬によるダービー制覇。

アトモスフィアを察知しての
ダービーでのウオッカ制覇は
馬券も的中に導いた。

その後の不振。

だが、ダモシが<今回は来るぞ>と
ウオッカに馬券を投じたレースでは
ウオッカは勝った。


<今回は勝たないだろう>と思い、
馬券も買わなかったレースでは
ウオッカも負けた。


<ダモシxウオッカの関係性>も構築された。


ウオッカの
ニッポンでの最後のレースは
昨年のジャパンカップ。

ここもまた不振が続いて
やや人気を下げていたウオッカだったが、

ダモシは投じた。

そしてウオッカは念願の国際GIも制した。



優雅でもなく、圧倒的な強さでもない。

名馬という響きとも異なる。

名牝といえば
どちらかといえばダイワスカーレットの方が
相応しい。

最強馬でもなければ、
一般的に言われるところでの女傑
という表現もいささか違和感がある。

ではウオッカは何だったのか。


強いのはたしかだった。
でも強さだけではない何かがあった。

女王でもない。

強いて言えば
オグリキャップ的な世界観のサラブレッドで、

それにプラスαで女性であるという点が、
ウオッカの
ただ強いだけではない<エンターテイナー>としての
一級品たる要件となっていたといえる。


絶好調で勝つ時の、
時に優雅ささえ漂わせるポスチャーや、

負ける時の
まるっきり気乗りしていないようなそれ、

さらには
なぜか突然、勝利に執着して、
ひとたび勝利にこだわると
ハナ毛の差でも絶対に勝ってやる的な
我の強さ。


表現的にせざるを得ないので
許して頂きたいが、

あえて言えば、

ウオッカに最も相応しい表現としては

それがメンスの時か否かで
劇的にパフォーマンス差が生まれる

という

女らしいサラブレッドだったとなる。


そういう意味では
ウオッカという馬は、

ウォッカベースのカクテルで
血の色かまびすしい
まさにブラッディ・マリーだった、といえるのだ。


アナタは、メアリーさんですか?

というノリで
レース前に尋ねたくなる馬。


それがウオッカ。


そのストレートな、ある意味で直情的な、
気まぐれなウオッカゆえ、

観る者に

強さだけではない
明確な仕分けを行うだけではない
カツマとも異なる

"スキ"をも見せてくれたことが、

よりシンパシィを覚えさせ
多くのファンを得たことにもつながったのではないか。

ただ勝てば良いというものではない。
逆に時代はそうなっているが、
あえて言えばそれではダメなのである。

勝つだけではなく、
且つ
勝つ際も強い勝ち方をするだけではない何かを
必ず見せてくれたウオッカを、

名馬だの女傑だのという括りだけで
語ることは失礼であろう。



ウオッカは、ブラッディ・マリー。


ダモシ的にはそういう表現で
最大級の賛辞を贈り、

引退を惜しむ。





*****




youtubeへの動画リンクで、
印象深いウオッカのレースを。


ウオッカの得意な、主に勝利を飾り、
印象に残ったレースはすべて東京(府中)である。

ウオッカが東京好きだったことは
紛れもないだろう。



■天皇賞・秋

ハナ毛の差で
名牝ダイワスカーレットを差し切った
伝説のレース

http://www.youtube.com/watch?v=JEKp6vv_f_U

痺れた。しかもタイムもレコード決着。
98年までの本妻時代に観たレースを交えても
最上位クラスに残る名勝負だった。



■安田記念

武豊の稚拙な騎乗ながら、
最後の瞬間だけで驚嘆の差し切り勝ち

http://www.youtube.com/watch?v=ZpuvNom7Lhw

武豊が散々だった昨年。
このレースでダモシも武の衰えを感じた。

それでも武の拙い騎乗のおかげで
ウオッカの強烈さが際立ったレースといえ、
こういうレースはそうそう観られない
という意味でも、歪なレースとして白眉だ。



以下、ウオッカの全盛期的なレースを二つ。
おそらくこの二つが、
ウオッカの精神状態も安定していて
メンスではない日で
機嫌も良かったと思われる。

が、一方で、
こういうレースの時のウオッカは
<つまらないわね>と言っているようで、

それがまた愉快ではあった。


□ヴィクトリアマイル

http://www.youtube.com/watch?v=Q--cpnDO2Ow

強すぎるウオッカ。



□日本ダービー

http://www.youtube.com/watch?v=ME-8CrFBeuw

皇太子が来場。
64年ぶりの牝馬によるダービー制覇。

レース後、ウィニングランする四位騎手は
皇太子の前で敬礼した。
それに喜ぶ皇太子の表情がまた良かった。

<ダービーx東京=晴天で暑い>
という方程式を感じられる映像でもある。


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*****




以前も掲載したが、
ウオッカの携帯ストラップ。

競走馬グッズを購入したのは
オグリキャップ(90年)と
このウオッカ(09年)だけだ。

後追いでシンザン(初代五冠馬)の食玩を購入してあるが。


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:::::



ウオッカは
目指していた今月の
ドバイ・ワールドカップへ出場することなく
引退。

かわりにレッドディザイアが臨むのか否か。


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先週、レッドディザイアは
もの凄い末脚を見せてドバイで前哨戦(GII)を
勝つという快挙を成し遂げた。


ニッポンの牝馬は、

これで
ブエナビスタを交えて世代交代か。













posted by damoshi at 14:08| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月06日

<オトナの遠足&お散歩>吉田松陰先生を詣でる



幕末といえば
とかくヒーロー(坂本龍馬など)への
フォーカス・ウェイトが高い。

一般ゼネラル的にもその方が
ウケが良いのであろう。

ただ、
ダモシ的には
<坂本龍馬が好きです>とか
<高杉晋作が心の師だ>とかいう
言葉や感覚には

いささか安易さを覚えてしまう。


<メジャーだからでしょ>と言いたくなるわけだ。

同時に、
本当に彼らが英雄視されるほどか?
語られる姿や言動、所作に
事後創造されたものが多いのでは?

というシニカルな疑問が普通に沸くからだ。

伝説を否定するものではない。

伝説はあくまでも伝説であり、
それに付随する素養が本人になければ
そもそも伝説も成り立たない。

昭和のプロレスがなぜ良かったかといえば、

そういた虚実皮膜の世界観を
許容する余裕と
心の豊かさが
ニッポン人にあったからでもある。


現代、なにごとも真実や事実を追い、
白黒をつけようとしたり
仕分けを明確にしようとする風潮がある。

ヒトのことをもモノ扱いして
命を軽んじたり
その価値をリストラだなんだが象徴されるように
軽んじる傾向がニッポン人の中に増えてしまった。


ヒトをヒトとも思わないくせに
オフィスや組織の中では<よゐこ>ぶり
心のセンサーを常にOFFにして
粛々とやり過ごす。

けったくそ悪い国とは今のニッポンのことをいう。


今のニッポンを嘆くであろう
歴史上の人物で思い浮かぶ筆頭は

三島由紀夫だが、

それより昔の人で
今のニッポンを見たら
どのように嘆くか話を聞いてみたい人物の
一人として、

吉田松陰が出てこよう。


幕末は何もヒーローだけではない。


ニッポンという国の未来を、

米欧などの列強のアプローチを受けて
その脅威を事実として捉えた上で

描こうとした
ストラテジストが吉田松陰ともいえよう。



<オトナのお散歩&遠足>。

今宵は、吉田松陰の眠る

東京・世田谷は、松陰神社。




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*****




はじめは八畳一間で、

人が増えると十畳半間を増築。

松陰はその部屋で
多くの子弟を教育した。

松下村塾である。


実際に松蔭が松下村塾で教鞭をとった期間は
わずかに二年半。

だが、その短期間の間に
後に明治維新において活躍する
錚々たる志士を育成した。


育成の根幹は<心>。


松蔭は、
米欧列強の渦の中で
将来のニッポンを形成するべく存在は

モノというパワーではなく、

<心>というパワーであることを示した。


現代の教育が学問ならぬ
<点数稼ぎ>に走る中で、アンチテーゼである。


心をこそ鍛え、教えるのが教育本来の
イデオロギーではないのか。

スポーツも同様だ。

教育者の組織にしても
"北の某"の教職員組合は
お金を溜め込んで
己らに有利になるように
選挙でそれを不正に用いたり、

ニッポンの歴史や領土問題を
勝手に"北の某"だけ
事実と異なる教え方を推奨するなど、

そんなことをしていると
"北の某"には非ニッポン人ばかりが育つぞ?
ならばニッポンからリアルに離脱したらええやんか?
だから北の某はダメだと言っているのだよ?

と、リアルに言いたくなるような
アグリーな教育者と組織がある現代にあって、

そして私利私欲権力欲に塗れた永田町や、
社会常識とはかけ離れた非常識な霞ヶ関などが

包括的に学ぶべき対象が、
吉田松陰と松下村塾でもあろう。



高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、
品川弥二郎、山田顕義などなど
輝かしい面々が松下村塾を巣立ち、

やがて倒幕と
新しい近代国家としてのニッポンを形成していった。



松陰神社には、
移築された松下村塾がある。


これがまずは一つの見物である。



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さて、吉田松陰と子弟。

面白いことに、
そのゼネレーション差がなかったという。

つまり同世代だったのだ。



一方、
吉田松陰と
その師である
佐久間象山や緒方洪庵らとの差は二十歳。

2ディケード(ディケード=10年単位)分の
時代誤差があるわけだ。

つまり
たとえばダモシが
青春時代(10代として)を過ごしたのが
76年から86年の1ディケードだとする。

たとえばダモシと向かい合って座る
ヤングボーイが
現在23歳だとすれば、

彼が青春時代を過ごしたのは
97年から07年となる。


1976年〜1986年と
1997年〜2007年という
二つの異なるディケードに渡る相違は大きい。

そのヤングボーイが
ニッポンで青春時代を過ごしていた時代の
ほぼすべてをダモシは同じニッポンにいないわけだ。

それだけでももの凄い認識の違いは生まれよう。

それだけの違いがある場合、
トモダチとしては成り立ちにくい。

会話で出るべき一つのテーマである
時代考証の面で
折り合いがつかないからだ。


ところが、教師と生徒、上司と部下、監督と選手
というかかわり合いになれば
この2ディケートの差というものは、

逆にバランスが良くなる可能性があるのだ。

中途半端にカルチュラル・マターで
リンクしていない(同時代性がない)から、

ニュートラルに接することができるという意味で。


それが1ディケードだけの差であれば
反発や嫌悪が介在する可能性はある上、

同世代から1〜5歳の年齢差ともなれば
ライヴァリー等々、
中途半端な無用な感情が入り込む。

2ディケードも離れていれば
ある意味で
まっさらな状態で臨めるのではないか
と考えることができるわけである。


だからか?

現代においては
不惑の男性と二十代の女性の
不倫はもとより、

<恋人として見ることはできるか?>
という問いに、

二十代の女性側も
四十代の男性に対して"イエス"と思えるという
様態が発生しているのではないか

とも

一つには考えることはできまいか。


2ディケードの歳下側からしてみれば、
ストレートにニュートラルに
寄りかかることができやすい存在。

それが2ディケード年上の人ということでもあろうか。


そんな松蔭と、その師・佐久間象山ら。


さらには、
真剣にニッポンの将来を考えざるを得ない
という時代背景。

これらが見事に重なったことでこその
松下村塾誕生であったのではないか。



黒船ペリーの登場によって
ニッポンが米欧、西洋の脅威を
実感した初めての経験ではなく、

黒船よりも50年以上前から
諸外国のプレッシャーは
鎖国ニッポンに差し迫っていて、

一部の賢者はそれに既に初めて気づいていた。

松蔭の逆に師、先生でもある佐久間象山、
緒方洪庵らは既に気づいていた。


佐久間象山、緒方洪庵ら

吉田松陰


ここに横たわるインスピレーションは、
2ディケードのバランスのとれた
好意的ゼネレーション・ギャップ。



この流れで見れば、

後に幕末の志士となる者たちを
教育した吉田松陰と、

その志士たちの差も
2ディケードくらいの隔たりは
あったのだろうと想像することが出来る。


吉田松陰

高杉晋作、伊藤博文ら


この構図はしかし

前述の通り、
驚くことに同世代だったという
不思議が横たわっている。


子弟のみならず、
明治維新の牽引者たち、
すなわち
木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、
小松帯刀、坂本龍馬などは皆、

松陰は同世代だったのである。


同世代の子弟(高杉晋作や伊藤博文ら)を
教育した吉田松陰。


よほどの人徳と知力があったのか。


松蔭が採った戦略<尊王攘夷>。

根本は、国家戦略である。

まさに現代の、
政府の国家戦略室という
名ばかりの世界観とは雲泥の差だったろう。


これに対して
快く思わなかった人などは
50歳(5ディケード)の隔たりがあった。

ここまでの隔たりがあるとこれはまた
ネガティヴ性ゼネレーション・ギャップ
ということになるのだろう。



松蔭は、
<ニッポン人の心>を最重要視した。


いま、確実にそれは失われつつある。

丁寧な応対や社会常識性は
備わっているものの、

生来の偽善性がもたらすものとして
<よゐこ>ぶりはますます際立ってきていて
没個性はさらに拍車がかかっているという

時代は逆行しているように思えてならない。


個性を伸ばす、個性的であれ
という教育を受けたダモシとしては
実に嘆かわしいのである。

個性よりも規律や点数稼ぎが
ここ十数年の教育では施されたのか、

なぜか奇妙に横並びで<よゐこ>が多いのが
実に不快に思えるのである。


そもそも90年代から既にニッポンは
アグリーだったが、

良くなった面が何一つ感じられないのである。

よりアグリーになっていて、
表面上は誰もが<よゐこ>だから
良くなっているように見えるのだが、

皆、本性やパッションを
隠すようになって久しいのではないか?

<よゐこ>になるべく教育され、
<よゐこ>を演じ、
突出することをせずに
飄々と粛々とやるべきことをやるという

ノンポリ。


これはニッポン、ますます厳しいぞ

と忌憚なく思うこの頃である。



<よゐこ>になったのだが、

心がなくなっている。


心がなければ、何も生み出すことはできない。

そこが
ニッポンの危うさを既に超えてしまって
出しても出しても次から次へと悪い部分が
際立ってくるという

永遠の下痢状態にあると断罪するところである。


歴女や城ブーム、その他、
昔に親しむ趨勢があるが、

そもそも城を見たり写真を撮ったり
武将について語り合うなんぞ
誰でも出来ることであり、


本質的なところでの

ニッポン人の心というものを
考えなければ

永遠の下痢は治りようがないのである。




昔はそれこそ百姓一揆を起こすほどの
パッションがニッポン人にもあった。

そういうピープルズ・パワーも
70年代が最後。


その後に始まったシラケは、
シラケを超えて諦めとなって
現代のニッポンに横たわっている。




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吉田松陰先生の
スタチュとお墓。


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*****





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松陰神社もまた、
先般掲載した豪徳寺と同じく

駅名でよく知られている。

駅名は松陰神社前。
東急世田谷線。


祭神はむろん、吉田松陰。


安政の大獄に連座して
江戸は伝馬町の獄中にて
三十歳の若さで逝去した吉田松陰。

門下生だった高杉晋作、伊藤博文らによって
当時、長州毛利藩の藩主だった毛利大膳大夫の所領で
大夫山と呼ばれていたこの場所に改葬された。

そしてその19年後、
多くの門下生たちのディスカッションによって
墓畔に社を築いて松蔭の御霊を祀り、

この松陰神社が創建された。

1882年のことである。

現在、創建118年を迎えている。



同じく松陰神社は、
松蔭のホームである山口県の萩にもある。



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:::::



<松陰神社>

東急世田谷線・松陰神社前下車、
徒歩約5分。



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posted by damoshi at 21:03| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小咄-2 <ラヂオ・デイズ>




ラヂオというものは
永遠普遍の存在かもしれない。

基本的に、
昭和の時代に比べれば
テレビや百貨店同様に
聴取率や売上(広告収入等)の面など
タフな環境にあるのは否めないが、

世の中になくてはならない存在なのは
確かであろう。

同時にまたラヂオは、時に、
その時々の己自身を投影したり
メモリーズとして残存したりといった世界で

カルチュラルな香りを発するケースがある。


音楽や映画、小説同様に
それを耳目にした内容と、その時の自分によって。





*****




昨年のWBC決勝。

延長戦でイチローが
決勝タイムリーを放った瞬間、

ダモシは甲府にいた。
車の中にいた。

車の中とラヂオというものはまず
前述したカルチュラルな香りを発散するに
あまりある空間関係である。


ワンス・アポン・ア・タイム・イン "北の某"
という少年時代の記憶で
今もなお鮮明に残っているのが

やはりラヂオと車の空間関係である。

北の某・首都サツホロで開催される
アイスホッケー世界選手権Bグループへの
日本代表を選手するべく
異例の開催となった

アイスホッケー日本国内対抗戦。

北の某国軍vs.ジャパン。

その熱狂を
ウルトラの父が駆る車の中で
ラヂオによって聴いていたあの日。


そしてファミリーで北の某全国を
周遊する際にはいつも
カーラヂオから流れるプロ野球放送で
巨人のゲームをハラハラしながら
聴いていた。

何もないただただ漠然と広大な
北の某ゆえ
夜ともなれば灯りもない。

そんな中を一本のただただ長い道を
走っている間、

巨人のゲームに胸をトキめかせていたのである。

今もなお、アナウンサーの声が甦る。




ニューヨーク時代の現代においても
ラヂオが一度、大きな存在感をもって
ダモシの前に現れた。


あの、ブラックアウトの時である。

北米の東海岸が
大停電に襲われた03年、真夏の或る日。

午後から翌日の午前までの大停電。

当時、ワイフのお腹の中には
ジュニアがいた。


真っ暗闇のベッドルームに、
ワイフと二人寝そべって。

することといえば、

仮に妊娠していなければSEX
ということになるだろうが、

さもなくば、

<寄り添って会話>する以外になくなる。

逆にこれが奏功して

この日の的中によっての
ベイビー・ブームが各所で発生したり、

様々なアベックが、ファミリーが
ふだんできない会話をすることができた
ケースも多かっただろうが、

ダモシとワイフも
大停電という非日常的なネガティヴな
トラブルに際しても、

奇妙なほどの落ち着きの中で、

真っ暗闇の中で
二人寄り添って会話が弾んだわけである。

死ぬまで大事な
とてもカルチュラルで想い出深い出来事
だったわけだが、


その夜に活躍したのがラヂオだった。

電池式のラヂオがたまたまあったのだ。

携帯電話も通じない。
インターネットはもとより
テレビなども当然、意味をなさない中で、

情報入手手段と
隔絶された真っ暗闇の中で唯一
社会との関わりを持てる手段としての、

<電池式>ラヂオ。

幸い、電池も、あったのだ。
たまたま、あった。


まさに古き良きアメリカ映画の世界。


真っ暗闇の中で寄り添って
心穏やかに会話する男と女。

ラヂオからは
ややかすれた音でオールディーズが流れる。


何ともいえない
逆説的な幸福、至福の時間が同時に流れていた。


忘れがたき、ラヂオの想い出である。





*****




先の冬季五輪。

日本人最大の注目だった
女子フィギュア・スケートのフリー。


その日ダモシは、
小咄-1で記載した<恐怖の報酬>の
都内編の一回目の日だったのである。

ちょうど急性胃腸炎で前日の夕方から夜にかけて
苦しんでいた翌日のことである。

この<恐怖の報酬>があったからこそ
その状態を押してダモシは
日常の路上へ出かけたわけである。

路上は日常ながら
行為は非日常。

これが面白いのである。
こういうことが好きなのである。


日常の中に、いかに己自身の惑星で
非日常を作り得るか。

ここが日々是エンターテイメントの基軸となろう。

お腹ぐるぐる&嘔吐感の中、
それでも<恐怖の報酬>ゆえの
ピリッとした緊張感を持って臨み、

無事に終えて帰宅する際の安堵はまた心地よい。


その車中のこと。


<そろそろフィギュアだ。
 ラヂオではやらんかなぁ>と

カーラヂオのチューナーをいじる。

やるならNHKか?
と思いながらいじっていると、

聞き覚えのあるサウンド。

AMラヂオのスポーツ中継特有の
騒々しさとノイズ。


そのノイジーなラヂオの中継がまた
ノルタルジックな香りを
運んでくる。


フィギュア・スケートをラヂオで聴くとは、
想像したことがなかった。


(アナウンサーは難しいだろう)と思いながら

ダモシは
ドライビングしながら耳をそばだてる。

ヨナ・キムの演技においては
目に見えないのだが
不思議なことにラヂオの中継だけでも

十分にその演技の出来映えの良さが
伝わってきた。

ラヂオから流れてきた大歓声と
アナウンサーの<完璧です!>の声から、

ヨナ・キムが失敗せずに
且つパーフェクトに芸術的な演技をしたことと、

金メダルだなという確信を得る。


対するマオー。

これはラヂオという
目に見えない媒体にあって
不思議なことなのだが、

キムに対して
明らかにマオーの演技中に聞こえてくる
"会場"のサウンドのテンションが低いことが

分かったのである。


<あ、こりゃぁ演技的にダメなのだな>と
察することができるのである。


それは事前に、
コレオグラフィーなどマオーには
低い評価しか持っていない前提があったからかも
しれぬが、

ラヂオを通して計り知る会場のアトモスフィアが、

マオーに支配されていないことが
はっきりと分かったのである。


目に見えないものを解釈する際のポイントの一つには、
イマジネーションがあるだろう。

それは聞こえてくるサウンドから
そこに漂うアトモスフィアを察して、

それを基盤として
己がイマジネーションをかき立てる。



帰宅後、夜に映像でも同じように観たが、

ラヂオで耳にした上で
イメージした際の方が
格段に"分かった"ことにも気づいた。


映像よりも
イマジネーションをかき立てるラヂオは
すごいな

と改めて感じたわけである。


だから
ダモシの先般のフィギュア・スケートに関する
寄稿には、

ラヂオでイメージした上での解釈も
含まれた上で書かれたものであるということを

事後にはなるがここに掲載しておきたいところである。





*****




そして昨日。


まさに小春日和の外気を受けた
ダモフィーロ車中の
<恐怖の報酬>。


朝はクラシックを聴くため
NHK-FMに合わせているのだが、

そのチャンネルのままに
午後の<恐怖の報酬>に臨んでいたのだが、

そこで連続で流れてきた曲。

これがまた何ともいえない
小春日和においても陽光とは異なる方向での
しんみり感というか
おだやか感をダモシのもたらしたのである。


連続してかかっていた曲を以下に。


福山雅治「桜坂」

鬼束ちひろ「月光」

イエン・タウン・バンド
「スワロウテイル・バタフライ〜あいのうた〜」

浜田省吾「もうひとつの土曜日」

グレイ「BELOVED」


以後も曲は続く。

これらは"この手の"と一括りにできる種類ではないだろう。

それでも選者は
何かしらのテーマをもって
曲を選んでいたのだろう。

いずれにせよ現代の曲ではなく、
ダモシ世代というか

ダモシで括るところの
ダモシ時代としては

・昭和
・俺たちの時代(70-80年代)
・バブル世代として(90年代)

という定義があるが、

中でも
<社会人になってから渡米まで>
という90〜98年の音楽や映画、スポーツ等は
またこれが特別の時代性をもって

ダモシの中には介在しているわけだが、

昨日ラヂオから流れてきた曲も、
<もうひとつの土曜日>
を除いては
<社会人になってから渡米まで>の曲だった。

それがまたノスタルジーを喚起させたのは
言うまでもないだろう。




小春日和の空気感。

そして車中とラヂオのアトモスフィア。

これが重なり、
ハンドルを握る手も緩みがちに
心は微睡みかけたがしかし、

己は恐怖の報酬のイヴ・モンタンだったのだな

と思い直して、

大きな欠伸をひとつして、

またピリッと気持ちを引き締めて
ドライビングに勤しんだのだが、

それでも道中の車内で
喉の乾きに耐えきれずに
調子に乗ってアイスコーヒーを
がぶがぶ飲んだことで、

またぞろレストルームへ入って座り、


ピーッ!

と水分を放出したのだった。





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ようやく"伊達政宗"も仲間入り。



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近頃読んでいる本は
再読となるが久しぶりの「人間失格」と「伊豆の踊り子」。

現代小説や
売れっ子のサスペンスやスリラーは一つも読まない。
拒否している。

時代小説も読まない。

たいてい主に読むのは、
時代考証モノやノンフィクション、

小説ならば昔の米文学や純和文学である。









posted by damoshi at 14:14| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小咄-1 <「危険な報酬」と「天気の相性」>




昨日だけ
春のウォーム&サニースカイが広がった首都圏。

今宵からはまた
陰鬱なダースクスカイ&レイニー・デイズ。


昨日だけお門違いな天気になったのには
理由がある。


雨に濡れてはいけない
紙幣ではないお金を1,000万円分以上抱えて
現金輸送車がごとくダモフィーロが疾走して
都内を走るミッションがあったからである。


ニトログリセリンを運ぶイヴ・モンタンの
<恐怖の報酬>がごとく。


それは先週の急性胃腸炎まっただ中に続いて
二度目のことである。

もっといえばそれは
昨年の甲斐→東京という長距離のそれにおける
輸送も交えれば三度目のこととなる。

だが今回は総額が最も高く
冒頭記載の通り1,000万円を超える
"紙幣ではないお金"であった。


それを霞ヶ関から板橋まで輸送。
車の中だけなら雨でも良いが、
車と施設の間のブツの搬入搬出があるから
雨ではマズいわけである。


昨年のその際も晴れた。
そもそもダモシx甲府の関係性は
<晴れの法則>という新たな定説を生んだが、

先週の
急性胃腸炎まっただ中のそれでは
品川→板橋間、
雨の天気の日だったが
搬入搬出と輸送の間だけ
雨は降らなかった。

搬出と最後の搬入(納品)が終わると
雨は降り出した。


そして昨日。


一昨日も雨。
今宵からまたずっと雨。

梅雨かよ、と思えなくもない上、

特にウィークエンドに雨が降ると
<イジメか?>と。

さらにファミリーに対しては
せっかくのウィークエンドで
コドモが喜ぶレジャーを勘案していても
雨が降るとキャンセルになってしまい
コドモもかわいそう

ということで、

ほとほと雨は性格が悪い生き物だなと
想ふところであるが、


昨日だけ、晴れたのである。

しかも妙に暑い。
その前後は寒い。

この晴れもまた基本的には
性格の悪い天気ということになるのだが、

それでも現金輸送と搬入搬出へ向けた
ダモシに対する天気としては
奇妙に性格の良いものと相成ったわけである。


晴れ男の本領発揮といえるだろう。


昨日晴れた理由は他にもある。

ジュニアの幼稚園での
ドッヂボール大会が昨日の午前に
開催されることになっていたからだ。


ジュニアもまた、そもそも晴れ男であることは
これまでも記載したことだが、

そのイベントでもまた晴れたわけである。

その前後は雨。





*****





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写真は、

危険物輸送を行う
「危険な報酬」の前夜、銀座の景。

ご覧の通り、雨。


これがまた不思議なのだが、
昨年末来、
オフィシャル事案で頻繁に訪れている銀座との
関係性においては、

雨が多いのである。


なぜなのか。


思えば、

人間が関わる土地との関係性の中には
それぞれ相性というものが
存在していることは
言わずもがなだが、

そこに天気も介在してくるということである。


そもそもニューヨーク時代のダモログでも
散々揶揄して記載した
<記号ケイ・イガワxニューヨーク>は
絶対に合わないぞという主張は、

その後のイガワの状態を見れば
既に証明されているが、

ヤンキースが、ニューヨークが、
ケイ・イガワなんぞと愛人関係を結んだことが、

ニューヨークxダモシのハニームーン関係を
終焉させる最大のポイントになったわけだが、

かねてより当時から
特にニューヨークという地は、

合わない人は散々な結果に終わる街

であるとも
主張していたダモシとしては、

ランディ・ジョンソンや
ロジャー・クレメンスなどの超大物とて
<ヤンキースに来たらダメになった>事例は
多々証明されているのだが、

そういった<人間と土地の相性>を
超えたところにある
特殊なニューヨークを端緒として、

それでも島根でも大阪でもどこでも
合う合わないは存在する。


少年時代のダモシと"北の某"の
相性が良かったのに対して、

オトナになったダモシによって
散々だった"北の某"という事例なども
顕著だ。



負の連鎖としてそれに天気が加われば
よりアグリーな様相になる。

ダモシx北の某=ワースト
プラスαでオールウェイズ・ダークスカイ。

こうなるともう、
ワースト・オブ・ワーストとなる。


フロリダや伊豆箱根、駿河の陽光と
"良い出来事"で絡んだことで
ダモシの中で印象がどんどん良くなるのと
対比である。


甲斐国や甲府に
ダモシが良いイメージを抱いているのも
天気は無関係ではないのである。


そして、それらは
土地との相性とある程度パラレルに
天候が左右されて絡んできていることでもある。

相性までいかずとも
めぐりあわせ、ともいえる。


銀座へオフィシャル事案で出かける際は
いつも、雨。

同じく甲府へ出かける際は
すべて、晴れ。

昔のチャゲ&飛鳥の、ASKAの歌ではないが
<はじまりはいつも雨>的世界観は
少なからず存在するのであると
肌で感じるところである。








posted by damoshi at 13:23| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

春よ、来い




三月にはなったものの
まだまだ寒く、
そしてまた明日からは雨が続きそうな気配の
けふこのごろ。


ダモシのお腹は未だ本調子ではない。

今回は寝込まず、
夕刻から夜にかけて発症した
前門の虎・肛門の狼に対して

翌日はダモフィーロで走り
翌々日はゴルフと

動いて治す手法をとったわけである。


肛門の狼は
ゴルフの時点では
下痢的水分を含んだ軟便レベルにまで回復し、

月曜からは
いわゆる"ゆるい便"となったのだが、

未だ快便という世界にはほど遠い。


一方、お腹のぐるぐると嘔吐感。

これがなかなか消滅しない。


でも、こちらの方も
<食べる、飲む>ことで
強引に治そうと今回は試みているわけだ。

"飲"の方には酒類は含まれない。

そもそも水分を多くとるカッパ男だけに
ポカリスエットという
対策飲料を経て、

麦茶、紅茶、水、そして缶コーヒーにまで
裾野を広げているものの、

未だ愛飲している
ワイフ手製のアイスコーヒーは回避の状態である。

ミルクと氷が多分に含まれるそれを飲めば
またぞろビーッ!の洪水に逆戻りしかねないだけに
オトナの処方で我慢対応しているわけだ。


そうこうしているうちに

ジュニアは元気に水族館への課外授業へ
出かけたわけだが、

その帰路からまた下痢を発症。

今宵も空手へ行ったようだが
帰ってきたらまた、といった具合に
彼の方は肛門の狼が未だ治らないといった世界だ。


そしてまたそうこうしているうちに
元気者のワイフまで
うつってしまったようで、

一昨日の夜以来、

表情は冴えず、口数も少ない。


けっこうジュニアもワイフもダモシも
口数が多い方だから
揃っていても
それぞれのフォーカスで話が飛ぶケースが
往々にしてあり、

中でも最も機関銃のように喋るジュニアの
ペースに巻き込まれてしまうことが
往々にしてあるのだが、

ここ数日は、ワイフもジュニアも
口数が少ないから
いささか拍子抜けといったところで、

ダモシも
さすがにワイフに倒れられては
何もできないし困るぞということで、

柄にもなく

食器洗いや片付け、洗濯をしたままで
眠ってしまったワイフを尻目に

せっせと夜中に皿洗いと
リビングの清掃などに勤しんだりもしている
わけであるが、


ワイフの嘔吐感は未だ消えず、
食欲もない、と。


ダモシがあえて食べて治すという
逆療法を措っているわけだが、

昨日のランチは特に多く食した。

異様なる空腹感と、

例のゴルフでの<うな重、我慢>への怨念が
たまりにたまっていて、

そのランチにおいては
イタリアン・レストランにおいて、

明太子のクリーム・パスタとパンという
ノーマルなメニューでは飽き足らず、

バイキング(四種類のイタリアン取り放題)まで
手を出してしまう始末。


だが、
ふだんならば何のことはないその大量な食事も、

途中から苦しくなってきて
完食するのに這々の体で、

共に食した人に

<やはりまだ本調子ではないなぁ。
 この量で苦しいものなぁ>と嘆いてしまったわけであるが、

それでもまあ
そうはいっても普通の量よりは
多く食しているわけで、

それで調子が悪いのか?

と他人からは疑惑の目が向けられても
致し方はないといったところであらふか?


今宵もディナーでは
三食丼とけんちん汁を
たっぷりと食して、

今もまたよしゃあいいのに
ポップコーンと黒糖かりんとを
ぽりぽりぽりぽり食べていて

気づけばポップコーンを一袋食してしまった

という有様は、


あぁ今宵もまた未明に胃もたれ&胸焼けで
目が覚めるのだなと、

そして
またパンシロンの空き袋が置いてあるのを
朝ワイフに見られたら

<また夜中に食べたのね!>と叱られるのだろうなと、

ちょっぴり不安になったりもするのだが、

それでもハングリーというか、
特にお菓子の場合は
食べはじめると止まらないわけで
気づけば一袋食べてしまったというケースは
普通にあるわけで、

でも本来はそれを我慢して
アジャストしてバランスをとるのが
オトナなのであろうはずだが、

やはりダモシは大きな五歳だから
こうなるのも仕方ないだろうさと
割り切ったりもしているところであって、


具合が悪い中でもワイフは昨日、
機嫌が良い局面があったので
<どうした?>と問えば、

近頃、卒園が近づき
ママの会などのイベントが増えてきていて
忙殺されているのだが、

昨日行われて出席したママの食事会の席上で
面白いことが(本当は嬉しかったのだろう)
あったというので話を聞いたわけだ。



ワイフが座っていた。

その右となりにAさん、
さらにその隣にBさんが座っていた、と。

むろんワイフの左側にも、
Bさんのさらに右側にも、
あるいは向かい側にも
ママたちが座っていた、と。


Bさんが
Bさんの向い側にいるママや
右側にいるママたちと
<〇〇さんのご主人>の話で盛り上がっていた。

そしておもむろに左側を向いてBさんは
ワイフに言った。

Bさんとワイフの間にはAさんがいる。


<ダモシさんのご主人、カッコイイわよねぇ。
 ダンディだしぃ>。

うんうん、そうだそうだ、と頷く
その他のママたち。


と、

Aさんが<え?>という表情をしたと思ったら、
急に顔を赤らめて
手を大仰に振って述べたという。


<やだぁ。何からかってるのよ!>
<ウチのがぁ?>
<そんなはずないですよぅ>
<しかもダンディだなんてぇ、いやだぁ>
<はずかしいわぁ。でも嬉しいわぁ>


興奮するAさん。

場は、静まる。

たまりかねたBさん、
ここはバカになれ、とばかりに
ボケるAさんに対する
ツッコミにならんと言った。


<何、勘違いしてるのよっ!
 あなたのとこじゃないわよっ!
 ダモシさんのところよっ!>。


また静まる、場。

気まずい空気が流れる局面だ。

勘違いは0.5秒程度に済ませたい。

それが30秒近くに至ったものだから
取り返しがつかなくなりかけた。

しかしここでAさん、割り切った。


<えっ!? あっ!ダモシさんのことねっ!
 やっだぁー、私ったらぁー、
 そうよね、ウチのなんてあり得ないものー。
 はぁー、はっずかしい勘違いだわー>

と快活に笑った。


場は一気に爆笑の渦に包まれて、

大いに和んだ、と。



まあ、そういう話をして
きゃきゃきゃっと笑うワイフは
実に楽しそうなのだが、

どこかで嬉しいのだろう。

そりゃあダモシだって
強がりを言えば
頻繁にこういうことは言われるので

ご存知のように性格が悪いので
心の中では

(そりゃあカッコいいさ)と思っているわけだが、

言われれば、
言われないよりは嬉しいのは当たり前で、

素直に<そっかぁ。面白いね>と笑いまして、

近頃、前門の虎・肛門の狼で具合が悪く
これがまたぞろ猫たちにまで
順番に感染してしまって
彼らも下痢と嘔吐をしている中で、

一服の清涼剤、否、

一陣のそよ風、否、

ちょっとした0.3秒間の
ささやかな幸福

といったアトモスフィアになりました。



それにしてもですよ。

猫がうつりますかね?

いくら<家族>とはいっても
ここまで絆が強いものか、と。

ただこれは予測はしていたことで、

ダモシもワイフに
<猫も下痢するぞ?見ててみ?>と言っていて、

それもまた

最初に猫家の大黒柱であるジャックが
下痢をしたと思ったら、

次には最年少のケロが嘔吐。

今宵はポポがこれまたものすごい、
ダモシの初日のような
肛門の狼で
もはやそれはナイアガラの滝、否、
猫だから小さいから白糸の滝くらいの
勢いで放水して、

そのスメルがまたタフなことタフなこと、

ダモシのデスクにまで
背後から
ダモシのそれとまったく同じ
下痢特有の匂いがたゆたうてきて、

それを嗅いでしまったことで
ダモシ自身も
中身は出ないのだがまたぞろこれ
ウェーッ!
とリバースを起こしてしまうという有様で、


この自分のどこがカッコよくてダンディなのか?

と、

発症初日の最大の苦しみだった
池上駅前のビル内のレストルームにおける
自身を思い出すに至り、

あぁ何とカッコ悪い男なのか

と自己嫌悪にも陥るのだが。




そんな中、

二号が元気だ。

もうあれ以来、day by dayで肥えてきている。

あの腫瘍騒動を乗り越えて、
目はコドモ時代に戻り、
肉体も往年の張りを甦らせてきている二号。


さすが不死身の奇跡のジャックの
直系遺伝子と思わざるを得ず、

二号を見れば
ダモシもしっかりせんとなと
やはりまた戒めるわけである。



そんな中、

仕事でまた自身が企画して
ここ数ヶ月携わっていたある商品が完成。

明日その現物を見て、
自身でメディア用の写真を撮る。

来月から各種雑誌に出るだろう。
来週からは発売開始になる。

自身のカンが頼りで、
昨年企画したそれは当たったが、
今回のこれも当たると
当然嬉しいわけである。

商品との対面が楽しみだ。



一方、空手ではバッドニュースというか、
騒動的ニュースが持ち上がっている。


ジュニアが所属する団体から、
特殊部隊軍のトップが離脱するというのだ。


どこでも派閥やスタイルの相違はある。

だからといって
それまで認めてきたものを
突然認めないというのも大人げないが、

ダモシが介在していない事案だけに
静観するしかない。


二週間後の大会は、団体の大会であり、
同じ団体ながらも
通常のグループvs.特殊部隊的な様相を
毎回呈しているのだが、

その通常グループを王道とすれば、
こちらが邪道だとする。

あえて、だ。

当然、王道側は
王道vs.邪道の組み合わせになれば
王道側に判定を動かすことが
これまでままあった。

端的にいえば
<快く思っていない>連中がいるわけだ。

他流のバチバチ、タフな闘いが出来る
(あえて)邪道な我々特殊部隊に対する

やっかみやなにやら
人間のサーガである。

トップの離脱、新団体旗揚げとなれば、
ポイントは
特殊部隊員たちの動向である。
共に新団体へ移籍するのか
あるいは王道路線だけに残るのか。

今後、ワイフも交えて話し合われるのだろうが、
ダモシはしばらくは静観する予定である。

どのみち性格的にどちらを選ぶかは
分かっているからだ。


二週間後の同団体の大会が、
仮に新団体へ行く人にとっては
最後の"他流試合"になる。

言い方は悪いが、
ダモシも先般エキサイトして
ジュニアに言ってしまったように

<お腹だけでやってるヘナチョコに負けるなよ>

は、

特殊部隊の親、
そして子供の年齢によってはその本人が、

感じている核心部分だろう。

離脱、新団体旗揚げという状況の中で迎える
その大会は、

逆に言えばセパレイト・ウェイズへの
<精神的なんでもあり>になる危険性がある。


団体内同士ではあるものの、精神的他流試合。

これがキーワードになるだろう。

ダモシが最もエキサイトして燃えるといった
シチュエーションだが、

ここは静観しやふ。


だが、アトモスフィア的にはこういったモメ事というか、
旗揚げだなんだとか
離脱だなんだとか
そういうことは大好きな質なので、

話を聞くにつれ

<静観するよ>と言いつつも、

心の中では

(面白くなってきたぞ)
(どんどん、やれ)

(必要に応じて、出るぞ?)

と虎視眈々といったところではあるのだが。




とまあ、そんなこんなの三月頭。


せめて
バースデー月間なのだから

ダモシに少しでもハッピーを分けてくれないか?

と願う日々の中、


とにもかくにも寒いのと
ダークスカイは大嫌いなので、

さっさと冬はバイバイして


春よ、来い。









posted by damoshi at 00:02| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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