2010年04月29日

続 - 銀座は、今日も雨だった



やはり
銀座は、今日も雨だった。

今宵、異様な渋滞。

田園都市からまずは品川まで二時間。

そこから
東銀座まで本来ならば15分。
だが、30分を要する。

別離の雨か。


フロントガラスに
激しく打ちつける雨。

エモーショナルな後押しの、
耳障りの良いサウンドが
カーラジオから流れる。

山下達郎の新曲
<希望という名の光>。

"運命に負けないで。
 たった一度の人生を
  何度でも起き上がって
   立ち向かえる
    力を送ろう"と唄われる。

シンプル・イズ・ベスト。

様々な立場と境遇に位置する
人々を励まそう。


妙に、春の長雨にフィットした。

築地で左へ折れれば歌舞伎座。

今宵が
一般ゼネラル・パブリックへの
さよなら興行の最終日である千秋楽。


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結局、最後まで雨だった。

昨秋からの関係性の中で
<ダモシx銀座>=雨の法則は出来上がり、

千秋楽までそれは続いた。



歌舞伎座の千秋楽。
ニュースで多々取り上げられている。

http://news.goo.ne.jp/photo/jiji/nation/jiji-9264131.html


最後ゆえ、また記念にグッズを仕入れた。
携帯根付は三つ目。
最後に弁慶を。


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洒脱なイラストのポストカード三枚セット。


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こちらは"筋書"。
いわゆるプログラムである。

1,500円と高価だが、
映画のパンフレットも近年高いだろう。

こちらは、演目のあらすじなどが
掲載されているだけではなく
読み物や過去の上演記録等、豊富な素材で
150頁の大作。

巻頭には鳩山首相が言葉を寄せている。

その中で鳩山首相は歌舞伎座を
<国劇の殿堂>と称しているが、
事実、そう言って良いだろう。


歌舞伎座は終焉を迎えて
三年間の建替休場となるが、

歌舞伎自体は
新橋演舞場に所を代えて上演される。

新橋演舞場での歌舞伎は
五月から新たなステージとなるが、
のっけから海老蔵登場で
大いに賑わうことだろう。


事実上の
ファイナル・カウントダウンにおける
ゼロは、明後日の30日となる。




*****




ダモフィーロを銀座に停めて
徒歩で向かう途中、

雨に濡れた歩道で
松葉杖が滑り、危うく横転しそうになった。

患部をボンテージで圧縮しているため
足首を動かすことは問題ないことから、

ドライビングはスムーズにいった。

シチュエーション的に
無理はできないことを踏まえて、

逆に今宵は
異様な渋滞と雨という天候が
ダモシの味方をしたといえよう。

空いていて晴れていれば
爆走しかねないだけに、

今宵はそういう状況を生み出して
ダモシに自制を促したのだと思える。

かえって足首を用いて
ドライビングしたことで
昨日までよりは
若干、脚全体のアクションもとれるように
なってきた。

むろんペインは続いているが、
当然ながら
day by day、復活してきている流れである。

GWも静養などせず、
逆に少しづつ
動かしていく(歩く)方が良いと判断する。


帰路、港北エリアの映画館へ立ち寄り、
仮面ライダーの次回作の
前売チケットを購入した。

前売特典がつくからだ。


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デンライナーのスタンプが
前売特典として付いていた。

仮面ライダーの劇場映画の最新作は、
全国の親が困る仕掛けとなっている。

一作だけではなく、三作となっている。

それも
biweeklyで最新作が公開されていく。

さすがに三作すべてを
連れていくにはお金もかかるため、

<どれが観たいんだ?>と聞いた上で
チケットを買うわけだが、

チケットは共通で
<このチケットでどれかお好きな一本を
 ご覧頂けます>ということである。

人気のガンバライド・カードも
入場者先着でもらえるようで、
ジュニアは早くも興奮気味である。


なんだかんだ言って
ダモシも観たいので、

ジュニアがワイフと行きたいのか
ダモシと行きたいのか
気になっていたのだが、

<ダディと行きたい>というので
一安心したところである。

調子に乗ったダモシは
<ダディのこと、好きか?>と
聞くと、

ジュニアは
<今だけ>と応えた。


なんでもワイフによれば、
二人で布団にもぐりながら
お話をしているときに

ジュニアが言ったという。


<今はダディが一番なんだ。
 一番好きなのはダディなんだよ>と。

<そうなの?>とワイフが言うと、

<いつもはマミーだけど、
 今は怪我をしているから
 今だけダディを一番にしてあげるんだよ>

と応えたという。


"今だけ"でも、一番なのは嬉しいから
まあいいや、と。


でもダモシは
仮面ライダーも観たいが、
それよりも観たい映画がある。


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RAILWAYS〜49歳で電車の運転士になった男の物語。

5/29公開。
前売特典がまた
男心をくすぐる代物で、

電車のきっぷ型ストラップ。

その特典も欲しいので
前売チケットを早々に手にしたいところである。

映画は
<Always三丁目の夕日>のスタッフによるものだという。

その49歳の男の母親がキーになるのか。

その母親の

<好きなことをやりなさい。
 それが一番の親孝行>という台詞が

込み上げさせる。


ファミリー。
これが基軸だろう。


そもそもダモシ自身は
この映画のキャッチコピーである
<大人が夢見ても、いいんですね。>に対しては、

当たり前だ

というイズムであり、

そもそも大人で夢を持っていたから
海を渡ったわけであるし、

今も夢を持っている。

逆に大人だからこそ持てる夢がある。

コドモとの違いは、

大人だからこそ
"夢"という曖昧模糊としたものを
現実の世界に引き寄せるダイナミズムを持ち得る。

だが、大人だからといって
それが難しいのも現実で、

そういったダイナミズムを、

要するに<持てる>か否か。
ごり押ししてでも
それが持てるか、引き寄せられるか
ということが核となり、

最大のKSF(キー・サクセス・ファクター)
となるわけである。


そして、それに至る初動段階で
絶対条件として
マスト・イシューになるイズムが、

ニューヨーク時代の訓示である
<ゲームが終わるまで、ゲームは終わらない>
であり、

今年の年頭の訓示でもある
<バットを振らなければ、ホームランは生まれない>
という、


"そもそもの"チャレンジング・スピリット
である、と。


アントニオ猪木の言葉である
<人は、挑戦をやめたときに年老いてゆく>
ではないが、

まさにそうで、

年老いてゆくのは肉体ありきではなく、
且つ
フィールド・アスレチックで怪我したからといって
年老いてきているというわけではなく、

挑戦という歩みを止めたときに
年老いてゆくわけである。


常に自戒の念も踏まえて、

己自身に対して
ダモシも言いたい。



*映画<RAILWAYS>公式HP:
http://www.railways-movie.jp/




*****




GWは皆様はどのように過ごされるのでしょうか。

ダモシは遠出はしない。
こういうことになったため、でもある。

ただ、
こういうことになったとはいえ
小学一年生のジュニアがいる中で
彼をやはりレジャーに
遊びに連れていってやりたい。

出かけることで己のリハビリにもなろう。

一つには、開催が東京・府中にやってきた競馬だ。
ようやく東京に戻ってきてくれた。

ダモシに限らず
首都圏の"お父さん"が
競馬に行く口実(エクスキューズ)として
見事にJRAも設定してくれているのが、

今週の日曜日である。

戦隊ヒーローの現在ヴァージョンである
<天装戦隊ゴセイジャー>が
東京競馬場にやってくる。

そして
定番のヒーロー・ショーと握手会が
催されるのである。

見事なエクスキューズ。


<日曜日、競馬に行くか>というのと、

<日曜日、競馬場に
 ゴセイジャーがやってくるらしい。
 行くか>というのとでは、

リアクションはまったく異なる。

日曜日は
ここ最近では最高の23度で晴れの予報。

サニースカイの暖かい日曜日。
ワイフお手製のお弁当を持って
きれいな芝生で食べて
遊戯場で遊んで
ヒーロー・ショーを観て

という世界観を捻出できるわけである。

その間、"お父さん"は競馬に勤しむことができる、と。

ダモシも
他のお父さんたちの
エクスキューズに相乗りして、

早速、提案して
行くことになったわけである。

その日は競馬場、現場に行くわけだから
少々、勝負を楽しんでみようと
目論んでいるところである。



その他、後輩夫婦が遊びに来たりなんだり。

読書もしたいし
ちょっとこう、
休日らしい休日を
すこし"のんびり"できると嬉しいところである。




*****



同じ田園都市エリアで近隣に住む
後輩夫婦がGWに水天宮へ詣でるという。

かくいうダモシも
水天宮にある
ロイヤルパーク・ホテルで結婚式を挙げた。

92年のことである。

その後輩も当時、
結婚式に出席してくれて
米米クラブの浪漫飛行を唄ってくれた。

もう18年経つわけである。

時にダモシ、26歳。後輩は24歳。

その結婚式の披露宴で
新郎新婦入場の際の音楽として
ダモシが採用したのが、

冒頭に記載した山下達郎の曲だった。


ちょうどその頃合いに出た
アルバムから、

"飛遊人"と"スプレンダー"の流れを
採用したのであった。


今宵、後輩の奥方のご懐妊を祝いつつ、
山下達郎の音楽を耳に当てながら
眠りたい。





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2010年04月28日

雨女、来たる&銀座は、明日も雨だらふ




北の某国で唯一の
ダモシズム継承者である
ヤングレディが、

北の某から空路、
田園都市までわざわざ
負傷ダモシを見舞ってくれた。

二年ぶりの再会である。

むろん彼女の今回の東京遠征の
メインはそれではないが、
東京入国後、

羽田エアポートから
たまプラーザ行きバスに乗り
真っ先にやって来てくれた。

未だ二十代半ばで
まだまだこれからさらにオンナ度を
増していく上で、

ダモシとしても
東京移住を推奨したわけである。

そもそもダモシズム継承者だから
頭も良く
感性も鋭いが、

不惑の齢でさえ
オールウェイズ悩みはあるのだから
二十代中盤であれば
必ず抱える
オールウェイズ悩み
というものはあり、

いわゆる平易にいえば
相談もあったわけであるが、

ダモシ自身は
<相談される>という感覚は昔からなくて、
実際にはダモシがそれに応えられているかは
分からないところではある。

ナアナアにはしないから
気の利いたことをsuggestionしたり
いわゆる
一般的な風情での<相談に乗る>的なことは
あまりしない。

常に、

〜〜してみるのも手かもしれない
〜〜することも、一つには良いかもしれない

といった言い方になるからである。


先輩面や歳上面は
好きではないので、

<私はよく相談を受けます>的な
よゐこでもないから、


Aということがあった
と言われれば、

僕もAという類いのことで
こういうことがあったと言い、


Bのような問題が今ある
と言われれば、

僕もBのような類いで
こういう問題があると言う。


要するに、
似たような、あるいは同じ、
境遇であったり環境であったり
相対している人の種類であったり

なぜ〇〇が出来ないのだろう

なぜ〇〇すれば良いのに
今の環境の人たちは〇〇なのだろう

といった部分での

僕が関わっている〇〇も
同じだよ、



過去に〇〇ではこうだったよ

といった実経験での事例を述べて、
その際にどうしたかや
その際にどういう対処方法や取捨選択があるかを

述べるわけである。


果たして
それがいわゆる相談に乗っているのかどうかは
分からないが、

そもそもそのヤングレディにしても、
他の後輩たちにしても

よくよく考えれば
一般的にありがちな
相談があるのですが&相談に乗ってください
的な所作は、ない。

結果的にそうなっているが、

ダモシに求めているものは
どうやらそういうことではない気がする。

悩みの相談とその解決を求めているのではなく、
ダモシズムの確認
なのではないか、という気がするわけである。

それで良いのであるが、

ダモシもダモシで
suggestionはするが、
根本的には悩みの種類はさほど違いなく、

あるいは
通ってきた道であれば
先に通った年長者として言えることはあるが、

基本的には
物事の考え方や
「トライすることはマイナスではない」
「やってみよう」
「往けば分かるさ」的な

いわゆるダモシズムの発露をもって、

彼らも
その確認をもって、ヨシとしてくれるのではないか
と。

そう感じるわけである。

おそらくそういった
イズムやイデオロギーといった部分では
他とは異なる台詞は吐くだろうから、

その部分の確認なのではないか、と。


よく友人同士や先輩後輩間での
相談云々では、

得てして
<こうしろ>だの<こうしなよ>的な
ある意味で
おせっかい所作が多く見られるだろう。

だが、
そもそも最終的には
その本人が取捨選択して
恋路や進路や将来をピックアップしていくわけで、

その過程でのモヤモヤにおいて

どれをピックアップするかに関しては
他人がとやかく言うことではない
というのが考えである。

あるいは
自分ならこうする等々。

自分はその人ではないのだから
自分ならこうする云々も
本来はあり得ないことである。


だから、話を聞くのがまずは最重要である、と。

そして
言えることがあるとすれば、

<〇〇してみるのも悪くはないだろう>
といった世界観の、

とどのつまり、
<思うようにやってみたら良い>
<やりたいのならば、やってみることだ>
という"背中押し"

である。


ダモシとしても
<相談して、良かった>と思われるより、

<逢って、良かった>と
思われる方が断然嬉しい。

逢うことで
自信を持ってトライすることの
気持ちを、そもそも持っていたとしても、
さらに後押しになれれば
それで良い、と。



*****


<相談>されるのが苦手でもある。

前述の通り、
先輩ぶったり歳上ぶったり
偉そうにモノを言えない性質だからだ。


ワイフが言う。

<何かあるみたいだから、
 それとなく聞いてみて>と。

ジュニアのことだ。


痛い脚を引きづりながら
<ちょっと散歩でコンビニに一緒に行こう>
と誘い出した。

歩けないから
近くのコンビニエンスストアへ行くにも
牛歩戦術であるからして
時間はある。


<どうだ、小学校は。楽しいか>
<…>

<何か問題とかあるか?イヤなこととか>

と問うと、

ジュニアは溜息まじりに呟く。

<小学校になったら
 イヤなことばかりだ…>と。

<イヤなことばかりが多くなるのかな…>と。

ダモシは
困ってしまうのである。

いわば、打ち明け話である。
相談に乗らなければならない。

だが、こういうことを言われて
気の利いたことが言えないのである。


<うぅ…。そ、そうか…>

<あぁ、まぁ、でも俺だって、
 毎日イヤなことはあるがね…。
 なんというか、こう、
 まあ、楽しいことばかりではないのだが…。
 それをこう、楽しいと思うように…>

と言って、言葉に詰まってしまう。

安易にモノは言えない
繊細なことだからだ。

実際、中学校、高校、大学、
そして会社なんぞもそうよ?
イヤなことばかりだよ?逆に。

などと小学一年生には言えないだろう。


<そ、そうか…。例えば、イヤなことは何だ?>

問いかけて、話を聞く。

ジュニアが言うには、
二年生、三年生、四年生、五年生、六年生が
ジュニアが休み時間に
レストルームにいると
いつもやってきて

<イジめるなよ!>と因縁をつけるらしいのだ。

ジュニアは
<誰のこともイジめていないのに、
 そうやって言ってくるんだよ>と言う。

<ほぅ。で、〇〇はその時、どうしているんだ?>
<まともに相手にすると、
 闘いになってしまうから、
 無視して教室に戻るんだよ>

<なるほど。でも六年生とか大きい子まで
 言ってくるのか?みんなして>
<うん>

<一年生に対してそれはヒドいな。
 何か殴ったりはしてこないのか?>
<うん>


いやはや、困った。

<先生には言ったのか?>
<言っていない>

<言っても良いのでは?>
<まだ言わない。
 それほどまだ本当にイヤではないから>

<そうなのか?>
<殴ったりしてきたら先生に言うよ>

<そうか…>
<うん>


話は続く。


<こないだ同じクラスの子と一緒に、
 一番イヤな二年生のコがいるクラスに
 そのコを見に行ったんだよ>

<ほぅ。一番ムカついているコのクラスに
 行ったのか?>
<うん>

<大丈夫なのか?>
<大丈夫だよ。見て、さっと逃げたから>


なるほど。

ダモシは言う。

<前も言ったけれど、
 仕掛けてくる奴がいたら、
 一発やっていいからな?>

<うん。空手の先生も
 そう言っていた>

<そうだな。一発やっていい。
 そのかわり、一発だけで一発で決めろ>
<うん>

<一発で決めるのはどこだったかな?>
<うん>

<ここだぞ、ここ。みぞおちだ。
 ここに正拳、入れろ。ハイキックでも
 ジャンピングゼロでもいいぞ>
<インロー、がいい>

<インロー?どうして?>
<インローなら倒れないでしょ>

相手を気遣う余裕があるジュニア。

<そうか>とダモシ。


話が続く。

この話は昨日のことである。


<今日は、二年生のそのコに
 頭に来たからインローをやったんだよ>

笑うダモシ。

<やったのか?>
<やったよ>

<やったらどうしたそのコは>
<分からない。インローを入れて
 一気に逃げたから>


とまあ、そんな話である。


ダモシは夜、ワイフに語った。

<とまあ、そういうわけだ>と。

そしてワイフにsuggestionした。


<一応、just in caseで
 先生には明朝、話をしておいた方がいいな。
 安易に想定出来るのは、
 やられた二年生が仲間を連れて
 リベンジに来る可能性がある。
 それがレストルームだった場合、良くない。
 ジュニアがキレて
 本気を出したら、怪我させたらマズい>

と。


<先生に、アテンションしてもらうことは大事だよ。
 休み時間というタイム感覚や
 場がレストルームという密室性は
 ややもすると仕掛ける側にも問題がある
 陰湿さの発露にもつながるからね>

と。


ワイフは朝、伝えたという。

そして今宵、家庭訪問という
タイミングだったわけだ。

ベテランの担任女性教師は、
それを受けて
明日、

その二年生のコがいるクラスに
ジュニアを連れて行って、
そのコが誰かを教えてもらい
その上でそのコにメンションすることにしたという。

教師が言うには、
ダモシと同じ考えで、

<場>が悪いということだ。

場がレストルームという密室を
舞台にしている点が
ポスチャーがアグリーであると。

ダモシも分かるが、
レストルームという場は
コドモや学生にとって
ネガティヴな意味合いの空間である。

小さなうちから
そういう場を用いて挑発してくるという所作は
よろしくない。

ジュニアがやられるという心配は
素人の六年生には負けないだろうから
まったくしていないが、

ジュニアがキレて怪我をさせる場合の
相手への心配と共に、

コドモという世界観で
そういう<場>を用いることの
陰鬱性をダモシは嫌うと同時に
危惧するからだ。

教師もそれは同様に懸念したから
早期に手を打とうと考えたのだろう。

そこはプロである教師に任せよう。


その他、
オトナのダモシでも
"小さなこと"とは思えないから
ジュニアにとっては
大きなことであろう問題が

いくつかある。

他のコの心の病的な部分になるので
記載は控えるが、

ダモシもダモシで
オトナのくせに
同じ目線で<う〜ん…>となるのだ。

だから
<何かイヤなことはないか?>と
聞くのは良いのだが、

適切なアドヴァイスなどは出来ないのである。

<そうかぁ…。困ったなぁ…>と。

ダモシも日々いろいろと
<困っているしなぁ…>と。



まあ、しかし、
でも、そんなだから
結構、己がジュニアに限らず
コドモに好かれるのではないかという
気がしているのである。

コドモにとっては
身体が大きいだけで顔が恐いだけで
立場は一緒、心は一緒、的な
トモダチのような感じなのだろう。


不思議と、なぜか
コドモはダモシを怖がらない。

これが、ほとほと不思議なのであるが、

こういう性質にも起因しているような
気もしているこの頃でもある。




*****




さて、表題の<雨女、来たる>。

冒頭に記載した
北の某国から飛んできてくれた
ヤング・レディが雨女である。


<やっぱりな、と。
 アタシが来るから東京は雨>。

そう言ったヤング・レディ。

<ね。ほんとだね。あの時もそうでしょ>

とダモシは言う。

あの時とは
彼女が沖縄旅行へ行くときのこと。

よりによって
台風が直撃して
乗り換えの東京までは来たは良いが、
沖縄まで飛ぶことができないという
トラブル。

その他、大事なイベントの日は雨。

それが多い、もともと雨女なのだが、

曰く
<東京は何度も来ていますが、
 全部、雨ですから>

と。

<僕は甲府に何度も行っているが、
 毎回、完全な晴れ。
 そういう構図っていうのはあるよね>

と慰める。


学生時代含めて
何度も東京上陸している彼女は、

そのすべてにおいて
東京都内は雨という

<東京x雨>が法則になっているというのだ。

おまけに、明日も雨。

曰く、

<で、アタシが帰った後は
 きれいに晴れるようですよ>と。


<ふふふ。もう完全に、
 東京との関係性が雨なのだよ>と

ダモシは笑った。


こういうことは、必ず存在するのである。



*****



ダモシ負傷の続報だが、

右脚をかばうあまり
予期されることだが
左脚に大きな負担がかかっていることで
左脚まで痛んできている現状。

しかも
悪いことに
特殊ボンテージ&湿布で固めた患部だが、

むれてはきていないが

ボンテージのせいで
痒くなってきているのである。

腫れは未だに収まらない。

そして
ボンテージのせいで
微妙に歩行(松葉杖は必要だが)可能であるが、

湿布交換等で
いったんボンテージを外すと
圧縮しているものが外れるため

断裂した筋が
またブラブラするのだろうか、
激しい痛みが襲いかかってきて
歩くことは当然出来ない。


まあ、まだ二日だから致し方ないか。

昨晩から入浴しているが、
その際も
右脚は当然太腿から投げ出して
外に出しておかなければならない。

非常に難儀で、

そういった不自然なポスチャーの数々によって

・腹筋を多く用いることからくる腹筋の痛み
・左脚への負担からくる左脚太腿の震えと痛み
・松葉杖で支える両腕上腕の筋肉痛

等々が発生している現状である。


だが、明日はオフィシャル事案を
外すことができない。

歌舞伎座がクローズするということで
関わっている事案もあるゆえ、

ダモフィーロで出動を決行する。

患部の右脚を用いてのドライビングとなるが、
アクセル&ブレーキで使うのは足首である。

足首の上げ下げなら
何とかなるだろう、と。


そして、

例の
<銀座は、今日も雨だった>となる公算が

やはりまた高い。


銀座へ行くときはいつも雨。

これがまた続くわけである。


今から言っておこう。

<銀座は、明日も雨だらふ>。


ダモフィーロに松葉杖を乗せて、強行である。





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2010年04月27日

ダモシ負傷-続報




ダモシ負傷をパロディにすれば
このような感じになるか。


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扇情的なコピーが並ぶことで
愉快に出来よう。


各方面から案じるメッセージを
頂いたが、

笑いを伴うそれも多く、
その基軸は
からかい半分での

<もう若くないのだから>的な声がけ
であった。

ダモシはしかし
それを否定した。

分かってはいても
未だ根本的な肉体の衰えは否定する
といったところで
パロディ新聞にも

<肉体の衰えは否定>のコピーが踊る。


そもそもドクターにも聞いたのだ。

<これは四十代に多いのですか?
 やはり肉体の衰えでしょうか?>

と。

ドクターによれば
そうではないという。

運動不足ともまた異なる、と。

今や三十代でも二十代でも起こることで、
運動選手でも起こるものである、と。

ダモシの今回の最終的な診断は、
<あと20cmの差で
 アキレス腱になるところでしたから
 不幸中の幸いですよ、これは>
ということで、

腓腹筋断裂で全治三週間と相成った
わけである。

<いわゆる肉離れですか?>
と問えば、

<まあ、その一種ですね>ということで、

ドクターが事例として出したのは、
昨年のWBCでの村田(横浜)。


<どうしましょうか>という相談の末、
最終的には
特異なボンテージをもって
まずは様子を見ることになった。


ドクターは述べる。


<最近、ギブスでの固定は
 危険であるということになりました>。


ナメたらアカン、ということである。

ダモシも想像だにしなかったし、
旧来はドクター側も
予想しなかったらしいが、

昨今、このような類いの症例で
今までの通例であった
ギブスを用いたケースで、

心停止などが発生しているらしい。

田園都市エリアでも複数あり、
ギブスで固定することで
血流が悪くなり
呼吸困難、心停止にまで至ってしまう、と。

それに学び、
その病院及びドクターは
こういった症例の場合において
ギブスは用いないことにしたという。

一方で、
ある程度の負荷(キツさ)をかけて
固定しなければならないのも確かで、

その策として
特異なボンテージを採用している、というわけだ。

ダモシもそれを採用した。


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十分に注意をしながら様子を見て
血管が浮き出てきたり
息苦しくなったりすると
そういう疾患に陥る可能性もあるため、

負荷は都度調整してくださいとのことである。

ドクターは言う。

<それを分かっているから、
 昨日診察した応急処置のドクターも
 こうして包帯を巻くことにしたのでしょう>

ということである。


いわゆる怪我が、
その処置の仕方の差異によって
心停止などに至る場合もあるのだから怖い。

良いことを学んだ。


<普通に歩いて生活出来るまでは三週間ですね>

とドクターは言う。

<でも、静養しているわけにもいきませんから、
 適宜、松葉杖なしで歩いてみたり 
 やってみることは良いわけですよね?>

とダモシは問う。


ある意味で
GW前のオフィシャル事案では、
水曜日にファイナルを迎える歌舞伎座は
行かねばならない。

ただ、公の場に松葉杖で歩行というのは
本人が頑張れば済むという問題ではなく
周囲への迷惑となるから
控えることがベターでもある。


<車で行く>と宣言すると、
関係者は
<ただでさえそういう状態なのに、
 危険すぎるからやめて…>などと
suggestionをするが、

ダモシ的所作では、
有事の際の方が
逆にそういう行動をすることが多く、
言っても聞かないだろう。


且つ全治三週間という部分を
少しでも減らすと同時に
全治五日くらいに何とか縮めたい
と目論んでいるため、

隠密に脚を動かして、歩いて、
ゆっくり走って等をも
早期にやらなければならないと
考えているところでもある。


とにかく松葉杖がきついのである。

左脚にまで負担がかかり
痛みを発症させている上、

両腕で支える分、
筋肉痛のレベルではあるが
両腕(特に左腕上腕部)の痛みが
気持ちが悪い。


しかも松葉杖には慣れないから
室内を歩行する際も
脇で支えているそれがズレて、
ときどき身体が前へつんのめり
松葉杖と己の両腕だけが
そのままの位置にとどまっている
といったケースが起こり、

逆にこの方が危ない気がするわけだ。

しかもこのレンタルのための
保証金を1万円預けていることもまた
気持ちが悪い。


<さっさと返却して一万円返してもらおうよ>

とワイフに提案するが、

調子に乗るなと一喝されて
ショボくれるダモシ。

それでも密かに
己がデスクの前に座りながら
じっくりと足首を動かしたり
超スローだが屈伸めいた動きをしたりと
早期復活へ向けて
アクションは起こしているところである。



これまで中長期的な戦線離脱といえば、
どういうものがあったろうかと
ちらっと考えてみた。

91年の水疱瘡。

これが長かった、か。
ワイフのそれがうつり、ダモシも発症。

二人ともオトナになってから
水疱瘡になったことで
大変なことになり、

ワイフは入院、
ダモシは一人暮らしの中野新橋の
アパートメントで静養したが、

10日程度の戦線離脱となった。


ニューヨーク時代にも
謎の高熱病にかかり
やはり10日程度、床に伏していた。

その頃、ちょうどワイフが
ニッポンに一人で帰省していたから
さあ大変。

ほとほとあのときは死ぬのではないか?
と思ったほど
一人で何日もベッドに伏していた。

しかも保険のない米暮らしだから
病院へも行けない。

ようやくワイフが帰ってきて
ダモシの異変を察し、
お金の問題ではないと
ドクターを自宅に呼んで診察してもらった。

完全復活まで三週間は要した。

時にベッドに伏していた数日間、
ウルトラの父は出てくるわ
日中戦争の暗号が出てくるわ
もはや夢の中のダモシは
てんやわんやだった。


そして記憶に新しい
2006年頭の
ニューヨークからの東京出征寺の
対ノロ戦線。

これもまあ大変だった。

東京裁判の大逆転勝利を飾った喜びで
焼き肉を食しに行った
その翌日
(東京裁判勝利の翌日)から

一気に
ダモシもワイフもジュニアも
前門の虎・肛門の狼発症で、

ニューヨークに帰国するまでの間、
大いに苦しんだのである。



GWに合わせるかのような今回の負傷。

これは
良く解釈すれば
GWに遠出することを
やめさせるためのお告げなのかもしれぬ。


GWに遠出したら事故に遭う。

仮に
こういう、一つのデスティニーが
あったとしたら、

ダモシを守る何者かが
ここでダモシに怪我をさせて
GWはおとなしくさせようとしているのかもしれない。

あるいは近場だけにしておけよ
という目に見えない何かのサイン。


そう、好意的に解釈することで
少しは救いも出てくるわけである。


油断は禁物。

肉体は未だ衰えていないが、
精神的には未だ大きな五歳ゆえ

焦って急いで動こうとすると
失敗して
全治の期間がさらに伸びる危険性もあるため、

積極的ではあるが慎重に
治癒へ向けた動きを採っていきたいところである。






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2010年04月25日

ダモシ、全治六週間でDL入り




<やっちまった>という感じである。


ダモシ、負傷。
休日ゆえ応急処置での段階で
仮で全治六週間と相成った今宵である。


あくまで、仮だ。
六週間なんぞ、かなわない。



042510a.jpg


ただでさえ太い脚が、
右脚はこの時点で既に1.3倍に
膨れ上がっている。

これを書いている今は、2倍近くになっている。


青葉台にある
休日対応ERの
今日の担当受け持ち病院で
応急診断と処置を終えて、病院を出るダモシの図だ。


記念すべきといって良いのかは
分からぬが、

紛れもなくこれは<人生初の松葉杖>。

右脚はまったく使えない状態である。

右脚下腿三頭筋のうちの腓腹筋断裂。
アキレス腱か否かは明日の通院とMRIによる。

仮に、いわゆる肉離れだとしても重度で、
痛みと腫れが改善され運動も可能になるのが
三週間を要し、全治は六週間ということである。

もはや
尋常ならぬ痛みと腫れ、
右脚は全体が変色してしまっている有様で、

明朝は早くから病院へ行かねばならない。

いずれにせよ
<プチーンッ!>という大きなサウンドが
聞こえたくらいだから、

肉離れであっても
そもそもよろしくはないが
せめて手術を要するアキレス腱ではなく
肉離れで済んでいることが
逆説的だが
現時点では願うべきことか。

おそらくアキレス腱は大丈夫と踏んでいる。
アキレス腱はもっと下だろう。

いずれにせよ明朝、病院へ行って
きちんと診てもらわなくてはならない。

これでGWを含めて、明日以降の
スケジュールの修正等が必要になってこよう。

松葉杖の貸与の保証金も一万円ということで
病院へ支払った臨時の額はもとよりだが、
松葉杖自体、それを用いたこともないから
まともに使えず、

しかしそれを用いなければ
一歩も歩くこともできず、

しかしそれを用いても
前へ進まず
いかんともし難い中で、

とにかく安静にするしかない
といった状況である。



*****



負傷の舞台。

それは、
<金曜日の妻たちへ>の舞台でもある
東京都町田市つくし野にある
首都圏最大級のフィールド・アスレチック。


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田園都市エリアの西部へ進む。
東急田園都市線沿いを歩く。


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R-246。
この道路沿いにアスレチックは、ある。



<なんだ。フィールドアスレチックで?>
と思うなかれ。

やったことありますか?
そして、オトナになっている今、
やりましたか?

SASUKEではないが、
コドモにとっては疑似SASUKE。

それが
フィールド・アスレチックともいえよう。

首都圏で小学生、中学生時代を
過ごしたならば、

鎌倉への社会科見学同様に
定番中の定番が、

フィールド・アスレチックへの課外学習。

ダモシも小学生の時に行き、
プライベートでは
中学生時代に行ったのが最後だ。


主に小中高生が
コア・ターゲットの
レクリエーション&レジャー。


森の中を探検。
数々の体育的アトラクションをクリアしていく
例のアレである。


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このフィールド・アスレチック(以下:FA)。

これがまた
考察の新たな材料となった。

親の関わり方で
共通の所作が見られたことと、

ダモシとワイフのそれが
まったく異なっていた点が
興味深いものとなった。


FA。ファミリーがほとんど。
今宵も晴天も伴って大賑わい。
園内にはバーベキュー場もあることで
さらなる集客を誇っている。

そのファミリー。

FAに関わるコドモに対して
その両親たちは
いずれも
過度なまでに<声がけ>をしていることが
目についた。

いずれも
コドモがトライしているそれの途中で

<大丈夫。怖くないから>だの
<落ちても死にはしないから>だの
好き勝手言っている親が大半だったのである。

そして
怖がって、レベル的に
そのコドモ自身が<無理>と判断したものに
対しても

<やってみなさい!>と叱咤している。


<これは違うぞ?>と
ダモシもワイフも察していた。

言ってしまえば単純なことである。

<やってみろ>ということである。

やれば分かるさ、と。

いざ己もやってみると
このFA、大変難しいばかりか
その名の通り
アスレティックなものである。

運動神経、バランス感覚、パワー、
戦略的頭脳など包括的に
用いなければならない。

しかも高さも危険も伴う。

自分がやらずに
見ているだけでは分からない。

見ているだけでは
簡単に見えてしまうものもある。


だから

<怖くないからやってみなさい>
となるわけだ。

<早くしろ>とか。

周りの目もあるから
己がコドモが
ちんたらしていたり
怖がって身動きできなかったりすると

そういう暴言を吐く親たち。

そして
クリアすれば
<やれば出来るじゃないか>と喝采をあげる
バカ親。

これらは、
空手におけるダモシ&ワイフと
ジュニアの所作とはまるで異なる。


ダモシもワイフも
仕事でも何でもそうだが、

己自身が何もしないくせに
評論家的にモノを言うことを
異様に嫌う性質である。

まずは自分が率先してやること。

これが基本である。

ダモシがやって
<ちょっとこれは小学一年生には危ないな>
と思えば、

無理にやらせることはない。

それこそ
そういう局面での根性論こそ不要。


親として
己もやっている中で、

<これなら〇〇ならば出来るだろう>
というものは
可能な限りトライさせるが、
無理強いはしない。

これが基本だ。


ある女のコが親に言い放っていた。

<やれやれって、自分はやらないくせに。
 それに怖がっているのを
 強制しないでよ>

と。

ダモシは
<その通りだよね>と女のコに言った。

ダモシは逆に
コドモたちと一緒になって
同じ土俵でそれをやっているから

並んでいる間も
コドモたちに声がけする場合の

他の親の声がけとは
明らかに異なる種類のものとなり、

コドモたちと仲間になる。

ダモシも一緒になってやって
出来ないものも出てくる。

ワイフは
ダモシ以上にすべてをクリアするほど
軽快に、それこそ猿のように活発に動く。


ワイフは言う。

<言ってやったわよ。他のお母さんに。
 空手もそうだけど見てるだけで
 指示だけするのはよくない。
 
 自分のコドモにやってみなさい!
 と指示するお母さんに言ってやったわ。

 アンタがやれよ、ってね>。


さよう。

口で言うだけなら
言うだけ番長である。

そんなことでコドモはついてこない。


親としてはもとより、
人間として
男として
女として

何をもって
時間をスペンドして
コドモと一緒にFAに来ているのか、と。

ただ、同伴して
見て、指示を出してだけで良いのか?

と。

ダモシはそれは徹底的に嫌う。


<俺はやるぜ。勝負だ!>とジュニアとやる。

ジュニアも
己がダディも一緒になって
そういうことをすることで喜ぶ。


忌憚なく、
誰一人として
父母がFAをやっている姿はなかった。

ダモシとワイフだけだった。

ダモシのようなヘビー級が、
池などを渡るアトラクションをやれば
その船は沈む。

周りの観客たる親たちから嬌声があがる。

ダモシは想う。

<ボケッと見とらんで、やらんかい!>

と。




*****



最終局面。

ファイナル・ステージまで進み、
<アリ地獄>という
アトラクションがある。

大きな穴が地面に土を掘られてある。
まるでUFOが着陸したかのようなホールだ。

そこは滑る。


SASUKEでもあるが、
勢い良くダッシュして
急勾配の斜面を駆け上がるものである。

SASUKEとの違いは、
ここが自然であり
土であり
滑るということである。


ほぼ99.9%のコドモたちは
一気に駆け上がる途中で滑り落ちる。


ジュニアは逆にトライした中の99%を
一発成功させた。

その穴の中にいる大人は
ダモシ、一人。

誰も出来ないそれを
軽々とやってのけるジュニアが

<ダディもやって>と言えば、

やらないわけがない。


<ふふふ。俺だって、出来るぜ>と
闘いのワンショルダーに装いを変えて、疾走。

ヘビー級の肉体が
土の穴の中を全力で疾走し、
急斜面を駆け上がっていく。

成功。

百発百中で成功である。

何度も何度も
ダモシとジュニアが
周囲の観客に誇示するかのように

アリ地獄からの脱出を成功させる。


<あんな大のオトナが…>

<あんなヘビー級なのに…>

とのツブヤキが聞こえる。

ワイフは
ダモシのその姿を見て
喜んでいる。


<何だ。衰えただの言っておいて、
 いつもそうだが、結局、
 さすがの運動神経と体力だわ>

と。


それまでも
ファースト・ステージからサード・ステージまでの
50にも及ぶアトラクションを
八割方やり切って来たダモシである。

時に腕力で唸らせ、
時に意外なバランス感覚で驚かせ、

ワイフともども

ジュニアに対して
親の、同じ運動における凄さをも
見せしめてきた。


他のコは己が親の指示に
<じゃあ、やってみてよ>と言われ
絶句し、身動き出来ずにいる。


要するに
肉体ポスチャーに自信がない男が多いのである。

体力と運動能力にも自信がないのだろう。

ダモシは近年、
体力の衰えに気づき懸念もしているが、

くさっても
昨年の富士登頂完遂は
大いなる<まだまだ>の証明である。

ふだんは
パワー以外、肉体や体力面での凄さや
<あぁ、まだあの頃(20代/出逢った頃)のようだわ>
的所作は見せていないが、

こうして眼前に見せれば分かるわけだ。


ワイフのその軽快さと運動能力にも逆に
ダモシは舌を巻いた。

運動音痴だったはずのワイフが
NY生活や出産を経て
さらに今や空手の黒帯という世界観で

週に三回は
腹筋や腕立て伏せ100回に
ハイキック100発などなどの
鍛錬を重ねていることの成果か、

とても元気で
コドモ以上に運動能力のある
四十代お母さん

になっている現実を目の当たりにして、

さすがのダモシも驚いたわけであるが、

ワイフもワイフで
ダモシのそれを久しぶりに
目の前で見て

<あぁ、まだまだいけるわね>とは感じただろう。



とどのつまり、
コドモの領域にある運動や遊戯などを
コドモと一緒に行うことの大変さ。

これはやってみなくては
ほとほと分からない。

コドモ領域だから
簡単に見えるが、

実はオトナにとっては
たいへんハードでタフなのである。

それを
コドモと一緒になって遂行する体力と気概と
運動能力を基盤として

やってしまうことの大切さ。


これはたいへん重要である、と。


ジュニアも忌憚なく言った。

<ダメだね。他のお父さんお母さんは。
 何も出来ないじゃん>

と。


まあ、"普通のオトナ"はやらないだろう。

ダモシ&ワイフはしかも
率先してやっているから

元気だと思う。


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やれば、分かるさ。

必ず難儀するから、
一度オトナとしてやってみてほしいFA。


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今や逆に、体力面では全盛期か。
ワイフも大活躍で
コドモが逆に怖がって出来ないものは
ワイフが率先して遂行。

どこに、他のお母さんがこんなことをするか。
誰も、いなかった。


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ワイフはほぼ100%。
ダモシは八割方コンプリート。

こうして自ら実践することで
コドモたちとの連帯感も生まれる。

他の競技へ入る前、
他のコドモも交えて指導、否、

ダモシの場合は指示や指導ではなく
一緒に頭で考える。

コドモたちにとっては、それが良いのだ。

他人にコドモであっても
素直に話を聞くのは
そういう背景があるからである。

<このオトナは違うぞ?>と
コドモでも、
否、
コドモだからこそ
よけい繊細にそういうことは感じるものである。


こういう
レクリエーションで、
己は何もしないくせに<指図(さしず)>
だけするオトナは

実にアグリーといえる。

オトナの
それが悪いところであり

親の
それがエゴであると断罪するし
大嫌いである。


踊る阿呆に見る阿呆。
同じ阿呆なら
踊らにゃソンソン(損損)

という基本的なダモシズム(イズム)である。



*****



だが、
そういうふうに杭を出せば、
行動を起こせば、

必ずリスクは伴ってくる。


<もう一回、全部回りたい>。

ジュニアのそのリクエストに応え、
二時間強で
すべてのステージをクリアして
ランチを食した後に、

もう一度
ファースト・ステージから
再度行うことになったわけだが、

二度目の完全制覇の最終局面の、

<アリ地獄>で
ダモシにリスクは現実のものとなって
襲いかかってきたわけである。



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アリ地獄の、急斜面。

この土がまた厄介で
水分を絶妙に含んでいることで
パーフェクトに滑る。


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親たちは
ニヤニヤしながら
危機管理ゼロの様態で、

己がコドモに<指図>する。

<なぜ、出来ないのだ!>と。

その中、
ジュニアだけは一気に駆け上る。


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猪木と化したダモシは
闘いのワンショルダーで仁王立ち。

見本を見せるから、皆、ドケ、と。
その中をジュニアが駆けてゆく。


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空手で培われている
身体バランスが奏功していると思われる。

高度や回転を伴う運動は
苦手の部類に入っているジュニアだが、

身体バランスを擁するものは
特にアドバンテージを持っている。

体操や跳び箱、鉄棒系ではなく

ボールゲームでのアクションや
格闘系に向いている、



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<どうせ俺たちだけだ。出来るのは。
 よし俺たちで勝負だ!>

とダモシとジュニアは競争し
駆け上がってゆく。

ヘビー級にも関わらずの
このアリ地獄踏破は
運動能力の成せる業であると

自画自賛する。

他の父親がなぜやらないのか
不思議でならない。



さて。

こういった類いの運動の場合に
リスクヘッジ。

それはアキレス腱を伸ばし、
十分な事前運動である。

だが、このアリ地獄という存在を
予期していなかったことと
一回目コース完遂時の数回では、
脚に不備は生じなかったこともあり、

油断をしていたのは事実だ。

過信といっても良い。


且つ、悪いことに
二回目の周回を経てきて
ファイナル・ステージのここにきた時、

アリ地獄が異様に混んでいた。

それにより、
幾度もスタート延期を余儀なくされた。

アリ地獄の中に入ってから
斜面を登るために駆けるまでの間に
大きなタイムラグが生じてしまったのである。

その間、ジュニアは何度かやっている。

ダモシはタイムラグも開いたことで
<やめておこう>と思っていた。

ジュニアの最後のトライアル。
駆け上がったジュニアが叫ぶ。


<最後にダディもやって>と。


そう言われて、
既にアリ地獄の下にいる以上、
やらずに
そそくさとロープをつたって
上の戻るわけにもいかない。

他の観客もいる。


<おう!分かった!>と叫んだダモシは、

不意にスタートしてしまったのである。


一気に駆け上がる。
勢いは消えずに
そのまま成功へと結びつく。


<よし、あと少しだ>と思った
最後の
あと一歩の
右脚を踏み出して
斜面にそれを着地させた瞬間、


<プチーンッ!>という大きなサウンドと共に、

強烈なる痛みが起こった。



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ちょうど
逆側の上方から
ワイフが写真を撮っていたが、

この写真がまさに
プチーンッ!となった直後のシーン。

ジュニアが左側から<あれっ?>
という表情でダモシを見つめている。

ダモシはやや前屈姿勢で
俯き加減になっている。

倒れるというか
踞る直前のシーンである。


<あっ、いっちゃった…>。

即座にダモシは思った。

倒れ込むことは出来ない。
観客がいるからだ。

それこそ、みっともない。

<ほれ、見ろ>と
他の親に思われかねない。

頂上まで登り切った後、
横へずれて木の影で
屈伸運動的に
静かに確かめるように運動してみるが、

完全に脚は"イって"しまったようである。

試しに
アキレス腱を伸ばす事前運動的な
アクションも静かにしてみたが
もはやそれはできない。


動きを止めるダモシに
ワイフとジュニアが駆け寄る。

異変を察知したワイフは問いかける。

<どうした?大丈夫?>。

ダモシは言った。

<やっちまった。
 これはイッちゃったな、腱か筋か。
 いずれにせよ切れたな、こりゃ>。


サウンド的には、
バチーン!や
パーンッ!ではなく、

プチーンッ!といった感じである。

その音があったことと、
痛みの激しさから
何かが切れた感覚を得るわけだが、

即座にもう右脚は当然、不能になる。

何とか歩いて電車で帰宅してから
ワイフが探した
今日担当のERへと
ワイフ運転のダモフィーロで出向いたわけである。


<あぁ、イッていますね…>。

ドクターの談である。

正確には
明日、整形外科へ出向いての診断となろうが、
最低でも肉離れとなろう。


これまでも
スポーツのニュースで
頻繁に肉離れ、筋断裂、アキレス腱などは
見聞していたが、

ややもするとそれは現実味がないだろう。

己自身の体験数は
案外少ないだろう。

ダモシもそうだ。

今もプロ野球では
東京ヤクルトの福地選手が
筋膜の肉離れで全治二週間
(復帰はさらに後)、

サッカーでは
大阪の平井選手が
太腿肉離れで復帰まで三ヶ月は擁す状態で、

肉離れに関しては
昨年のWBCで当初四番を打っていた
村田選手(横浜)が
離脱したし、

アキレス腱に関しては
世界のサッカーでのベッカムが
それに陥り、Wカップ出場が絶望的となり、

今も現役のプロ野球、前田選手(広島)は
95年に禍となって以来
幾度となくアキレス腱や肉離れに苦しめられている。

今年も
バレーボールの女子日本代表で
ヴィジュアル系の狩野舞子選手が
アキレス腱断裂で戦線離脱してしまった。


こうなってみて、
特にスポーツ選手の
戦線離脱への忸怩たる気持ちの一端を
少しでも感じることができる。


ダモシの場合は
スポーツ選手ではないので
日常的なオフィシャル&プレイベート
両事案は、

最悪、松葉杖を用いて凌ぐことはできよう。

ただ、満員電車などには
それで乗ることはできない。




*****



いずれにせよ、
オールウェイズだが、

好事魔多し。


ジュニアの言葉が救いである。


<今日は楽しかったか?>と聞いたダモシ。

<うん。楽しかったよ。
 でも一つだけ悪いことがあったよ>とジュニア。

<何だい?>とダモシ。

黙ってダモシの右脚を指差すジュニア。

ダモシは微笑んで言った。


<でも、逆にこれで済んで
 良かったと思うことだよ。
 俺が死ぬより、いいだろ?>。


怪我して情けないと言わないところが
カワイイところである。

ワイフが
ジュニアに語っているのを
ダモシは聞き耳を立てた。


<ダディは、
 〇〇に良いところを見せようと
 一生懸命やったんだよ。
 だからいいんだよ。
 カッコいいよ>

と。


ダモシは、
二倍に腫れ上がり
包帯でぐるぐる巻きになっている
右脚を見ながら、

目頭を熱くした。



メジャーリーグ流に言えば、

全治六か月は勘弁なので
短く見積もれば、

DAMOSHI on the 15-days DL with leg injury.
<ダモシ、脚の負傷で15日間のDL入り>

といったところか。


DLとは、
Disabled List(負傷者リスト)である。


ダイスキー松坂ではないが、
DL期間は最短にしたいところである。



GWが、
<裏窓>のジェームズ・スチュワート状態に
なるのだけは

何とかして避けたいところである。


ワイフがその間、
グレース・ケリーに化身するなら、

話は別だが…。







posted by damoshi at 23:58| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鉄-後




青森など東北からの
集団就職列車でやってきた
ヤングボーイ&ヤングガールたちが、

最初に邂逅する
大都会・東京が、上野駅だった。

上野駅は、
北の玄関口と言われた。

・東北からの集団就職での上京
・上野駅

は、
高度経済成長を象徴する
これもまたニッポンのアイコンといえよう。


映画<Always三丁目の夕日>でも、
東北から集団就職列車で上京した女性が
東京タワー建設中の都内の、
自動車工場に就職して働く。

車窓から見える東京に、
同級生たちと嬌声を上げて
夢と希望に溢れるポスチャーを出していた。

映画ゆえポジティヴな所作が描かれるのは
当然として、

現実には厳しい環境と待遇もあったことだろう。

それでも
オクラホマからニューヨークに出てくる
ローカルのヤングボーイ同様に、

当時のニッポンでは
東北から東京に出てくることでの

大いなる刺激とインスパイアは
あったことは疑いの余地はない。

米映画でいえばそれは
古いが
マイケル・J・フォックスの
<摩天楼はバラ色に>となろう。


ニューヨークの、
駅としての玄関口が
ペン・ステーションと
グランド・セントラルだとすれば、

東京のそれは
東京駅と上野駅となる。


特に後者、上野駅は
東京人は逆にあまり好んで近づかないが、

50-60年代という時間軸の中で
多くの東北地方からの若者を受け入れたことでも、

その若者たち(今では元気なシニア層)の中には

己が現在居住している東京との
若かりし頃における
ファースト・コンタクトで邂逅した存在ゆえに、

言い知れぬ存在感で
今もなお残しているであろう。

別の意味での
カルチュラル&ヒストリカル・アイコン
といえるわけである。



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往時の上野駅が再現されている。


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上野駅の開業は1883年の夏。
上野と高崎を結ぶ列車の始発駅。

駅舎が完成したのは、その二年後となる。

<Always三丁目の夕日>の時代には既に
山手線の運転もとっくに始まっていて
地下鉄の浅草〜上野間も開通し、
国鉄が誕生し(1949年)ていた。

華々しい駅だったのである。


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復刻されている上野駅の駅前には
ミゼットも停まっている。

<Always三丁目の夕日>の冒頭、

工場の主である堤真一が
集団就職でやってきた堀北真希を上野駅で出迎えて
ミゼットに乗せて工場へ連れていく。

フィナーレ部分では
実家に帰省する堀北を、
工場から
やはりミゼットに乗せて上野駅まで送っていく。


上野駅といえば、
やはり津軽海峡冬景色だろう。

<上野初の夜行列車、降りたときから>
というフレーズは歴史に残ろう。

ダモシ自身の想い出における上野駅といえば、
数少ない。

そもそも東京人のダモシには
縁遠い存在だからかもしれない。

山手線で上野動物園へ行ったりという
世界観くらいだが、

やはりインパクトに残る記憶は
<修学旅行>となる。

高校時代の修学旅行である。

中学時代の修学旅行は
何度も最近記載している通り
定番の京都・奈良。

高校時代のそれは、北海道。

往路は寝台列車と青函連絡船。
復路は飛行機。

そういう行程だった。

寝台列車に乗ったのは
記憶ではそのときが初めてだった。

寝台の上部に寝たのだが
あまりの圧迫感に眠ることがままならず
気持ち悪くなった。

ようやく青森に到着して
陽射しを受けて気分も治るかと思いきや、

今度は青函連絡船上からの
津軽海峡の逆巻く波を見ていれば
これまた船酔いのダブルパンチで、

津軽海峡上へリバースという醜態を晒したわけだ。

上野駅から夜、発つ。
その何とも言えぬ暗さ。

これが妙に記憶に残っている。

それは
ニューヨーク時代の
ビジネストリップでロンドンへ行く際、

真冬の夜中のJ・F・ケネディ空港で抱いた
絶大なる恐怖感と孤独感とは異なるが、

<暗さ>という点では似通う部分もある。

特に
語弊なく
善し悪しではなく

<東北方面へ向かう>という
方向的アトモスフィアと

<夜>という
時間軸的アトモスフィアが

いずれもネガティヴな装いを持って
襲いかかるに値するシチュエーションと、

東京とはいっても
山の手の人間にとっては
"田舎"に位置する上野駅の閑散が
重なることで、

何とも言えぬ寂寥感に苛まれたのである。

それこそ
異国でさえどうこうない今となっては
話は別だが、

未だ高校生という
グリーンボーイにとっては
上野駅というだけで

何となく暗い気持ちに陥る響きだったのである。

トラウマか。

今もなお、
上野駅には良いイメージは持っていない。

出来れば避けたいエリアである。

だから
上野動物園に行くことはあっても
車で行くし、

浅草・上野方面へ電車で行く場合でも
山手線は用いずに
東京メトロを用いるという作法を採っているわけである。




*****




そして、東京駅。


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1914年、完成。

往時の、
天部のドーム奥ゆかしき東京駅が
復刻されて展示されている。

2012年の完成へ向けて現在、復刻作業中の東京駅。

意外に歴史は浅く、
未だ100年経っていないのが驚きだ。

東京駅100周年となる2014年は、
おそらくイベントが行われるのだろう。

過去、二度、
内閣総理大臣狙撃という
穏やかならぬ事件があった
(原敬総理大臣、濱口雄幸総理大臣)。

松本清張の<点と線>では
15番線プラットホームがフォーカスされた。


東京駅も案外、東京人にとっては
あまり縁がない駅かもしれぬ。

むろん東海道新幹線という切り札があることで
東京人の利用も多いが、

どちらかといえば
ビジネストリップを除けば、
やはり<帰省>ユーザーが多いのではないか。

これもまた
先に掲載したように

奈良京都への修学旅行でのユーズと
<帰省とはいえない帰省>で
度々、名古屋と往復したことでの利用が

主だ。


そもそも、やはり山の手エリアから見れば
東京駅は
上野駅同様に
アクセス的に<めんどうくさい>位置にある。

東急、小田急、京王などの
私鉄山の手路線から
東京駅へという関わりは、

いささか面倒である。

そこが中央駅としての認識では、

ニューヨークの
グランド・セントラルや
ペン・ステーションの

バランスの良いロケーションと
比べてしまうと、

やや格落ちの感は否めない。


とはいっても、
ニッポン及び首都・東京においては
くさっても東京駅である。


ダモシも、
新卒ルーキー一年目早々の
名古屋・岐阜出張の帰り、

出張中に交際開始となった
現在のワイフとの逢瀬。

東京駅着東海道新幹線を降りた
ダモシは
待ち合わせしていたワイフを
ホーム上に探すも見つからず。

ワイフはそのとき、
東北新幹線のホームで待っているという
コミカルな装いを行い、

せっかくのドラマティカリーな
交際開始して最初の逢瀬が破綻した事件。

これが東京駅の、
近現代における想い出となろう。


未だ携帯なんぞ、ない時代である。




*****



鉄道の夜明けは、新橋-横浜間。

新橋には今、
旧新橋停車場を再現した外観の
鉄道歴史展示室があり、

駅前には蒸気機関車が展示されている。


"てっぱく"では
やはり新橋停車場が復刻再現されている。


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*****



鉄道博物館が誇る
ヒストリカル・アイテムも膨大。

長過ぎてキリがなくなるため
その一部を写真と共に紹介したい。


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ヘッドマーク。


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国鉄民営化の末、誕生したJR。


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列車の模型も多々ある。
模型を見ているだけでも楽しい。



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最近、妙な違和感を覚える
女性専用車輛だが、

驚くことに
昔もこれがあったようだ。

知らなかった。

何も今に始まったことではないのだな
と改めて思ったところだが、

逆に現代における
女性専用車輛というものの
そこにいる女性たちの<感じ悪い>佇まいは、

時代の問題なのか。

あの、
現在の女性専用車輛にいる
女性たちの<感じの悪さ>は
何とかならないものかと思っている向きも
少なくないのではないか?

だから廃止論や区別論も起こるのではないか、と。


とにかく、
あの"キーッ"とした感じ悪さと
ポスチャーのアグリーさは
いただけない。

女性専用車輛に座っている
彼女らの得意満面の顔を見るにつけ
失笑を禁じ得ないこの頃ではある。

そんなに男が嫌いかい?
なら一生、男と関わるなよ?

とでも
ひとこと言いたくなるわけである。



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かつての御所トンネル
四谷隧道にあった兜。



*****



鉄道博物館の
また別の見どころは、模型鉄道ジオラマか。

それは鉄道ジオラマとしては
ニッポン最大の25mx8m。

線路の総延長は、何と1,400mもある。

それを観る観客席も多く、200。

夜明けから夜中、そして夜明け。
一日の流れを通して
鉄道の発着を見守っていくジオラマで、

スタートすると館内は暗くなり、
ジオラマ内は
一日の時間の流れに沿って
明暗彩られる。

見事な仕掛けで、大いに楽しむことができる。


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*****



そろそろフィニッシュと参りたく存じます。

鉄道博物館の魅力は、

・トレイン展示
・ヒストリカルなアイテム展示
・ジオラマ
・その他

膨大にあるが、

全体的なアトモスフィアを演出している
最大のキーポイントは、

<駅>である。

実際の駅と遜色のないポスチャーと
モード感に、その時代の色合い。

これを巧妙に意匠デザインとして
施されている点が、

ダモシ的には
このミュージアム最大の肝になっていると
感じずにはいられない。


そこに
どんなに希少価値の高い品々や
ヒストリカルなそれがあったとしても、

全体の雰囲気や空気感などといった
ムード、モードを包含したところでの
<アトモスフィア>が
シャビーなものであれば、

格落ちする。


それを分かっているのか、
魅せる要素に徹して
そういったアトモスフィア構成を
重んじた所作。

これが成功の最大のポイントであると
感じるところである。


だからこの特集の冒頭で、

実際の駅といっても遜色のない
写真を持ってきたのである。

鉄道。そして列車。
それらと駅は切っても切れない。

単に乗り物としての列車/鉄道では
カルチュラルな視点で見ても
ただの機能的便益を享受するに過ぎない。

それを超えたところで
我々人間が
列車や鉄道に対して思う"気分"が
上々になるのは、

そこに心理的便益が
しっかりと存在しているからである。


ここでいう心理的便益とは
乗降におけるそれではなく、

<駅>という空間がもたらす

人間の精神的なあらゆる機微のことである。

喜劇、悲劇。
悲喜こもごも。

人間が抱える様々な心理的な揺れを、

駅は、空港同様に

大きな心で受け止めるのである。



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2010年04月24日

鉄-前




駅。そして空港。
これらは出逢いと別離の舞台。

ストーリーの肉付けがしやすく、
多様なイマジネーションをかき立てる。

だから小説やドラマ、映画に
登場する頻度は高い。

日常と非日常の分水嶺の一つでもあるのが
駅や空港であり、

そこでは個々の人間の心象を、
その場のアトモスフィアに重ね合わせることをも
容易足らしめることで、

寂寥感や緊張感といった感情が露呈する。

いわば駅や空港は、
そのアトモスフィアをもってして
どんな旅にも必ず介在する
"余儀ない"観念を助長することで

人を非日常へ入り込む覚悟を与え賜う。



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鉄道博物館"てっぱく"から、
特集で掲載する所存である。

ミュージアムとしては、

米ワシントンDCのスミソニアンにある
航空宇宙博物館や
アメリカ歴史博物館に似た
カテゴリーの鉄道博物館。

ここがニッポンであることを鑑みれば、
そのレベルは高く秀で、

江戸東京博物館や明治村にも匹敵する
鉄道博物館。

鉄子や鉄っちゃんのみならず
一般ゼネラル老若男女満遍なく
受け入れることもできる上、
それぞれが
駅や列車という素材を通して
己の人生を振り返るという意味での
ノスタルジー享受の観点においても

秀でたミュージアムといえよう。

鉄っちゃんではないダモシであっても、

且つ
欧米のダイナミックなミュージアムを
多々観てきたダモシをしても、

<これは、すごいぞ?>と認められるほど。

そして撮り鉄ではないのに
都合500枚にも至る写真を撮ることを
無意識のうちに促すほど、

このミュージアムには
膨大なるアイコンと素材が集約されている。


二回に分けて、
フォーカスごとに展開したい。


まずは前編として、<トレイン>編を、
後編では、
駅や歴史素材など<ヒストリカル>編を

それぞれお届けする次第である。




*****



その前に、前振りを。

鉄道博物館とは。


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まずは、巨大。
巨大である。

ニッポンでこれは秀逸だ。



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これがシンボリックな光景。

中央メイン・ステージに
ターンテーブル。

中央にいる
C57形式蒸気機関車(1940年製造)が回転し
一周するアトラクションも行われる。


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鉄道博物館のキャッチコピー。

<ここは、人と鉄道の歴史が集う巨大空間。
 みんなの夢をのせて走ります>。

その名に偽りはない。

前述の通り、
まずは巨大な空間力に驚かされる。

<国内でこれは、驚きだな…>と。

空間のダイナミズムは世界に御す上では
必要不可欠な重要エレメンツである。
まずそれを満たしている。

埼玉という
ある意味で土地のあるエリアだからこそ、か。

ただ、
埼玉といっても大宮ベースなので
その点は首都圏からのアクセスのイージーなことが
過大な集客を誇っているポイントにも
なっていよう。

JR東日本の創立20周年記念事業の
メイン・プロジェクトとして
2007年の秋にオープンした。

未だ新しいミュージアムである。

当初の目標を大きく上回り
昨秋の開業2年時点で既に300万人の
来場者を突破している人気を誇る。


鉄道の歴史にフォーカスした夥しい展示品は
まさに世界に誇り得る。


鉄っちゃんでなくとも、
誰もが持っている既視感の中に存在する
列車の数々。駅舎、ヘッドマークに、
あまりある貴重な品々。

丸一日をスペンドするに値する場。

それが鉄道博物館である。



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まさにデジャ・ヴ。

誰の胸にも去来する、
無意識のうちの既視感と郷愁。

たまらない列車のポスチャー。



*****


前編として、その列車、車輛に
フォーカスして取り上げていく。


まずは、これだ。

既視感だ。


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右から。


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<とき>。

上越線を走っていたクハ181形式電車(1965年製造)。
このフォルムがたまらない昭和の味を出している。

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隣が、クモハ455形式電車。


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こちらも1965年製造。
昭和が40年代に入ったと同時に出来、
昭和の後半を駆け抜けてゆく。

この車輛は全国で長距離急行用として
用いられたという。



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<ひばり>(1965年製造)。
クハ481形式電車は、東北本線・仙台行きが展示。

当欄冒頭に掲載した写真もこの列車の、
ホームでのものである。

哀愁漂う昭和的世界観は、
行き先が東北方面であることで
さらに、何となく甘酸っぱいノスタルジーを誘う。

その背景要因には、
一つには、

<上野初の夜行列車…>的アトモスフィアがあろう。

古くは、東北と東京の、
デスティネーションとディパーチャーは
<上野駅>だったのだ。

(上野駅に関する写真と文章は後編で掲載)。


<ひばり>は、車内も歩いてみる。


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既に昭和40年以降の列車は、
かように快適な空間は所持していたようだ。

古くさいというよりも
広告やデザインと同じで
<昔の方が圧倒的にパワーがある意匠デザイン>
という感覚に帰結する。

列車自体のフェイスや車体フォルムにしてもそうだが、
意匠デザインとしての
当時のニッポンの感覚は
たいへん優れていると認められる。


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美空ひばりの
自身最初の最大ヒット曲<柔>が
売れたのが、

<ひばり>が製造された1965年のことである。




*****



ブルートレイン、寝台特急<あけぼの>。

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ED75形式電気機関車は、
現在も上野→青森を走っている。


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<エルム>。


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EF66形式電気機関車は、
当時の国鉄において最大の出力を擁する
高速の貨物列車用電気機関車。



*****



皇室用客車。

避暑に那須へ出向かれる際にも
鉄道を利用する天皇家。

その中でも皇族が乗車する車輛が
御料車と言われているようだ。

その初代御料車もまた展示されている。


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明治天皇専用の御料車。
国重要文化財。


初代二号車、
二代目(大正天皇専用)、
七号、九号食堂車その他、

皇族の専用客車が展示されているのもまた
ポイントの高さでもある。



*****



1872年10月14日。

ニッポンの鉄道の夜明け。
東京・新橋と横浜の間を走った。

その一号蒸気機関車。


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英国から輸入した
150形式蒸気機関車(1871年製造)は、
国重要文化財。


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こちらは二号。



ミュージアムにはその他多くの車輛が
展示されている。

首都圏の人向けだが、
旧国鉄及びJRの
中央線(オレンジ)や
京浜東北線(ブルー)の旧車輛もある。

車中に入ることもでき
往時の車内の様子を見ることができる。


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*****



ミュージアム屋上は
ちょっとしたブレイキング・スポット。

これの意味するところは何かは
すぐに分かる。

左を見れば屋上からやや下程度を
東北新幹線が走り、

右側から眼下を望めば
JRの各線が通っている。

撮り鉄にとっては最高の撮影スポットか。


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(後編では、ヒストリカル編を掲載する)。




:::::



<鉄道博物館>


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JR大宮駅からニューシャトルに乗り換え、
一つ目の鉄道博物館前駅下車。

駅から既にミュージアム。


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(駅からミュージアムまでの通路床は、
 電車時刻表になっている工夫がグッドである)。




最後に。


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シゴイチ。

ダモシが生まれた66年3月の
一ヶ月前に最後の現役が姿を消した。









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日本国民の叡智と努力によって…



<この鉄道は、
 日本国民の叡智と努力によって完成された>。


この鉄道とは、東海道新幹線。


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ニッポンの"今"ではなく、

ニッポンの歴史の<時代>を象徴する
カルチュラル・アイコンが、

0系新幹線。




*****




東京タワー
東京オリンピック
首都高速
東京モノレール

そして
ウルトラマン
大阪万博…。


戦後の敗戦焼け野原からの
乾坤一擲をかけたニッポンが、

熱気と興奮と高度経済成長にある中で

その時代と共に登場し、
シンボリックなアイコンとして
成立し得た数々の存在。


<もはや戦後ではない>の1956年から、
<巨人軍は永久に不滅です>の1974年まで。

ダモシの中では
この50年代後半〜70年代中盤までの
18年/2ディケードが、

ニッポンが(戦前を除き)最も光り輝いていた時代
ではないかと想像し得る頃合い。


それは、

56年を萌芽として
本格的に活況を呈す58年からがスタートとなる。

長嶋茂雄が四打席四三振でデビューし、
王貞治の入団も決まり、
川上哲治が引退し、
東京タワーが完成する。


その頃合い、
世界も変わりはじめる。

キューバ革命でカストロやゲバラが活躍し、
ケネディが登場し
マリリン・モンローが怪死し、
そしてケネディも暗殺される。
何かが終わり何かが始まる。
ビートルズがデビューした。

ニッポンでも
戦後を支えた
力道山が刺殺されて一つの戦後がまた終わりを迎え、
今度はファイティング原田が現れる。

ケネディが銃弾に倒れ
力道山が凶刀に死した63年から、
いよいよニッポンは
本格的なライジング・サンへと入っていく。

そのエントランスとして
一足先んじて狼煙を上げていたのが
先述の東京タワーだったわけだが、

その東京タワーを基軸にして
63年からは続々とアイコンが登場する。


日本初の横断歩道橋が出来、
これもまた日本初の高速道路である
名神高速のファースト・ステップが開通。

64年、
海外旅行が自由化され
本格的に世界へのステップが開かれる。

ニューオータニや東京プリンスなど
ホテルが続々とオープンする。

富士山頂には気象レーダーが出来、
東京モノレールも開業し
羽田エアポートへの道筋が出来た。

日本武道館も完成し
仙台空港が開港し
シンザンが戦後初の三冠馬となり、

そして東京オリンピックが開催され、

<夢の超特急>東海道新幹線が開通した。

熱狂は翌年も続き、
万博の大阪開催が決定し、
巨人軍のV9がスタートする。


66年。

ビートルズが来日。
田園都市線が田園都市エリアを開通。
ウルトラマンが放映開始。
悪太郎・堀内恒夫が新人開幕13連勝を飾る。

そしてダモシ、誕生。
サンダーバードやマグマ大使もこの年だ。


アイコンと熱狂と高度経済成長は続く。

ピークは、1970年の大阪万博と
ダモシは見ている。

この年の秋に
三島由紀夫が自決してからが
ニッポンは"おかしな"感じになってきた。

巨人も常勝末期に差し掛かり、
大鵬も引退を迎え、

連合赤軍のあさま山荘事件に
大衆は"引き"、

大阪と熊本のデパート火災は衝撃を与え、
川端康成もアグリーな自殺。
大場政男が首都高で事故死。
不可解で不気味な金大中事件が起こる。

確実に、何となく"おかしく"なってきた。

それでも
ハイセイコーと田中角栄が
辛うじて"保って"いた勢いだが、

1974年の
巨人軍V10消滅と長嶋茂雄引退、
田中角栄辞任にて


<終わる>。


ニッポンが
80年代の経済大国的意味合いではなく、
心理的精神的に最もライジング・サンだった
輝ける希望の時代は、

本質的には58年から74年。

ここはまた、
巨人軍の九連覇と重なるのである。

そういう意味では<巨人のV9>というものもまた
大いなるアイコンである。


そしてその間の2ディケートにおける
アイコン。


その主なところが

先駆者としての東京タワーを起点に、

東京オリンピック
東京モノレール
首都高&名神高速
日本武道館

ウルトラマン
巨人・大鵬・卵焼き
初代からアマゾンまでの初期・仮面ライダー
シンザン
ハイセイコー
長嶋茂雄とV9巨人
三島由紀夫
ケネディ、モンロー、ビートルズ…

などとなる。


そしてその中でも主砲格にして
まさに

<日本国民の叡智と努力によって>
生み出されたのが、

夢の超特急・新幹線だったわけである。


外国人観光客向けの
ニッポン土産としての
ポストカードで描かれるニッポン。

そこには

・富士山
・東京タワー
・東海道新幹線

が登場している。

京都や浅草寺は
アトモスフィアとしての象徴で
取り上げやすいが、

富士山や東京タワー、
東海道新幹線は、

それ自体のアイコン性と
キャラクター性が色濃く、

それこそ永遠に不滅の存在である。


いま生きているダモシ世代とその上の世代。
そして昭和にインタレストを抱く
若い世代。

いずれにとっても
大いなるノスタルジーを享受してやまない存在
であるのも、

京都などの風景ではなく

且つ
富士山を別格とすれば、

カルチュラル・アイコンとして
その時代をも映し出す鏡たる
東西両横綱は、


東京タワーと東海道新幹線ということになる。



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第一号の発車を見守る
ホーム上の群衆。




*****




埼玉県にある鉄道博物館。

略して"てっぱく"。


その中の"特別室"に
初代・夢の超特急<0系新幹線>が
往時の姿のまま多くの人に
そのメインイベンターとしてのポスチャーを
披露している。


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あの日が、ここに再現されている。

ホームに位置する新幹線。
ホームは"あの日"である。

東海道新幹線、東京-新大阪間の開通の日である
1964年10月1日。

ダモシが生まれる一年五ヶ月前のことである。


主な稼働期間はこの64年から
1986年までという。

ダモシが大学生になった初期の頃まで
これは走っていたことになる。


何度も記載しているように
ダモシ四歳の誕生日に開幕した大阪万博。

これへの訪問が
強烈なメモリーとして
残っているわけだが、

新幹線体験もその頃となる。

三歳まではリアルホームの世田谷だから
東京→大阪。

四歳時点では大阪、兵庫に在住。
新幹線に乗って東京へという逆パターンである。

且つ山陽新幹線が出来たから
兵庫在住時代には
やはりそれに乗って岡山へ行き、
後楽園へ観光旅行をしている。

ウルトラの父の転勤で
北の某の首都サツホロへ移住する際、

大阪から新幹線で東京へ出て、
東京の親戚の家に遊びに行った後、

羽田から千歳へ飛んでいる。

だから
ダモシx新幹線の邂逅と初期は
66年〜73年ということになる。

その間に東京→新大阪、新大阪→東京、
そして山陽新幹線で岡山まで、も体験しているわけだ。



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夏休み。
誇らしげに0系のフェイス部で記念撮影。


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大阪万博で喜ぶ
幼児ダモシ。



本妻・東京に戻るのが1977年。

1977年から86年までの九年間が
0系新幹線との関わりの第二期になり、

この1ディケードで
例の<修学旅行>という括りと、
<初めての一人での旅>という冒険、
さらには
<帰省ではない帰省という、矛盾の旅>が
出てくるわけである。

いずれも小学生時代晩年から
大学時代初期が軸となる。

京都・奈良への修学旅行。
中学校の仲間たちと新幹線に乗る。

三島あたりで
誰もが進行方向右側の窓へと集まる。

<富士山だ!>。

ティピカルな、
シーンとしての通奏低音。


一人旅。
新幹線に乗って名古屋へ。

ドキドキしつづけた二時間の記憶。

そして大学時代初期。

夏休みや正月になると

ダモシが高校卒業すると同時に
ウルトラの父の転勤によって
東京から名古屋へ引っ越していた
ファミリーのもとへ、

一人暮らしのダモシは
"帰省"した。

実家ではないから
正しくは帰省ではないが
親元/親が住んでいる家へ戻る
という意味での帰省。

東京と名古屋を往復した。

それらが
主な0系新幹線との関わりである。


"てっぱく"に在る0系新幹線の中に入ると
往時の記憶が甦ってくる。



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トイレは、"こうだった"。

水を飲んだのは、白い紙コップだったと記憶している。
灰皿が懐かしい。

先々週の西都遠征でまた新幹線に乗った。
一昨年夏の本妻復帰以来、
三年連続で乗っている。

未だ喫煙車輛があるのが嬉しい。

東海道新幹線からは、
喫煙室をなくしてはいけない。

健康だの嫌煙だのという
まったくもって非文化的発想に
縛られてはいけないのが、

新幹線である。

カルチュラル・アイコンには
それなりの
モードは残すべきである。



<夢の超特急>新幹線。

開業当初は、
東京〜新大阪間を四時間で走った。

そして、本数は
現在に比べるべくもない少なさだった。

一時間に二本。
実に希少価値の高い乗り物だったのだ。

それはアトラクションと言っても良いだろう。


だが時代は高度経済成長。
Oh!モーレツに働くニッポンのサラリーマンが
ビジネストリップに活用。

活況を呈した。



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*****



その後、新幹線は
東北新幹線としても成り立ち、

多くの人を
東京から大宮を介して
北関東と東北へと運んだ。

ダモシも仙台へ行った。

そして
ワイフと出逢ってからは
東京〜那須間で
何度か東北新幹線を利用した。

結婚式の前々日。

独身最後の二日間を実家で過ごすために
那須へ帰るワイフを
東京駅の
東北新幹線のホームで見送った。

今は円熟だが、
当時はもうそれこそアツアツの頃合いで、

80年代末から当時にかけて
ちょうどピークにあった
JRのシンデレラ・エクスプレスや
クリスマス・エクスプレスに

己を準えたりして、

バックには当然
山下達郎の軽快なヴォイスが流れていた時世。


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東北新幹線は「緑」。





*****




東海道新幹線ひかり号。


雑誌<東京人>五月号の特集
〜新幹線と東京〜

は、実に読み応えのある内容だった。


その中で
ダモシと同じ年齢の
女性エッセイストがこう書いている。



<新幹線を走らせ、
 オリンピックを成功させ、
 万博を開催させた昭和の人々>。


<斜陽感漂う、今の日本。
 パッとしないことばかりが続きますが、
 そんな時はここへ(てっぱく)来て
 0系を眺めると、

 私達が忘れかけている
 「ガッツ」とか「発奮」ということを
 思い出すことができるかも>。


その通りだと思う。


同じ雑誌の中で
「昭和39年、
 オリンピックと新幹線の時代」
という記事がある。

筆者である川本三郎氏は
新幹線が開通し
東京オリンピックが開かれた
昭和39年に大学に入学したそうだ。

氏は文中、ある歌人の筆を引用している。


<昭和39(1964)年に開かれた
 東京オリンピックを境に、
 日本人の生活は音を立てて変わった。

 第二次大戦の敗戦後の処理に
 一段落がつき、

 古いものから新しいものへと
 意識が向かったのである>。


さよう。

実際、そうだったのだと思う。

それだけ
この時代に生まれたものは多い上、

その後のニッポンを象ってもいる。


ダモシは1964年という括りでは
未だ生を受けていないが、

先述した通り
1966年以降、74年まで、

1964年の余熱と
新たな熱(大阪万博等)の最中に
幼児期を過ごすことが出来たわけである。

これは誇らしいことである。

当時0歳〜8歳という年齢期だが、
朧げにも
ニッポンが持っていた活気と熱は
感じていたし、

今も記憶に残っている。


なんだか凄いぞ、という
幼児にとっては意味不明な大仕掛け。

要するに、
昭和のプロレス的な大仕掛けを
世間全体、オトナ全体、社会全体で
一緒になって行っているような

そんな気配を感じながら
ノビノビと幼児期を過ごし、

小学校でも
今でも覚えているが、

<個性的であれ>
<夢を持て>

とチャレンジング精神と
世界への夢を与えられたわけである。


だから、ああして遂には
渡米するにつながったのだと思う。


時代である、時代。
社会である、社会。
熱である、熱。

時代の差異は、こうして明らかに
存在しているわけである。


そして前述したエッセイストの言。

0系新幹線を目にする時、
忘れかけていた
ガッツや発奮といったワードが甦るという

その気持ちも理解出来る。


ダモシも
"てっぱく"で0系新幹線を目にした瞬間、
言い知れぬノスタルジーに、

鉄道ファンでないダモシをして
目頭が熱くなった。

そして
その時代への想いや
当時の己への想いと共に、

やはりガッツとか発奮
といった世界観の発露を見た。


アイコン。

先に述べた

富士山、東京タワー、東海道新幹線。


昨年、富士山に登頂した闘いの中で、
苦悶の中で
最後の最後で武器になったのは

<根性>だったことは既載した。


あの時代のニッポンを象る
これらアイコンと接すると、

女性エッセイスト曰くの
ガッツと発奮、

ダモシ曰くの
根性、

といったものに帰結するのだ

ということである。


だからこそ
己自身への自戒、今後への発奮も込めて

それを得られるのは何かといえば、

やはりそういう存在
(=富士山)

ということになるからこそ、


<また登ろう>

そして

(仲間と)<一緒に登ろうじゃないか!>

というマインドになるのだろう。


見るが良い。

鉄道博物館で
0系新幹線と接するが良い。

根性、ガッツ、発奮、
さらには
奮起、モーレツ、健闘、


そして

努力

などといった

<昭和>の良さ再発見的な
時間を享受し得るであろう。


そしてまた、
自戒のみならず、

こういうことやモノを
己がコドモに伝えていくこともまた

たいへん重要なことであろうと感じる。


いずれジュニアを連れて行こう。
そして、語ろう。

<俺がキミくらいの年齢の頃>のことを。



0kei6.jpg


0kei22.jpg


0kei1.jpg




:::::



"てっぱく"で買った新幹線グッズ二点。



0kei30.jpg


0kei31.jpg




最後に。

表題のプレート。
夢を感じさせる。誇りと達成感を感じさせる。

<東海道新幹線
 この鉄道は、
 日本国民の叡智と努力によって完成された>


0kei19.jpg



<時代>をめぐる旅ゆえ、

カテゴリーも<旅>へ掲載した所存である。







posted by damoshi at 02:27| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月23日

タワーは、けふも雨だった





<ダモシx東京タワー=雨の法則>。

これが新たに成り立っている。

既載の通り
オフィシャル事案で
東京タワーへ詣でる際、いつも雨。

今宵もまた、雨。
しかもいつもその雨は本降りで、
"まともな雨"である。


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鯉のぼりが、
今もなお変わらずやってくる
修学旅行生をウェルカムする。


エリアとの相性や
天気との関係性などは、れっきと存在する。

たとえば
シカゴは暑く、きれいなサニースカイの印象。

ロンドンや
英国の辺境ボーンマスは
ダークスカイと寒風。

ニューヨークは絶対青空と
度を超えた暑さに
やはりこれも狂った寒さ。

マイアミなどフロリダは酷暑とイグアナに
ターコイズブルーのアトモスフィア、

ニューオーリンズは
朝からこちらもアルコール、しかも
バーボンなどをストレートで
喉に押し込みたくなる
異次元のマギー感。

香港なら
呼吸困難に陥る全体的な"臭さ"と
異様な湿気。

ワシントンD.Cは
身の危険を感じた寒さと劇的な夕陽。

北の某ならば
オールウェイズ、陰鬱。

そして甲斐国は甲府は、サニースカイ。
駿河は陽光な、これまたサニースカイ、等々。


今年でいえば、
年初からの
<銀座は今日も雨だった>と

今回の東京タワーの
オールウェイズ、雨。


天候、風の匂い、気温の寒暖その他
もろもろのバランスが、

その地に接する己の心理に影響を与え、

ひいては
そのエリアへの
己が抱くイメージとなって形成される。


昨年、登頂した富士。

これは
昨夏の富士登山期間の中でも
ノーダウトで
<最高の天気の日>だったこともあり、

富士山x絶対青空

というイメージがある。

むろんその背景には
暴風、酷寒といった登頂過程過程における
様々な顔も見せたが、

それらタフなシチュエーションの記憶を
超えてあまりあるほどの
最高の絶対青空を見せてくれたことで、

それが最も心理に働いて
イメージとして残っているわけである。

これが真冬に登ればまた
当然異なるイメージとして残る。


かように、影響があるというわけだ。




*****



帰宅すると、いつものことだが、
<今日の出来事>を
ヒアリングする。

メインは、ジュニアのことである。


<今日も楽しかったか?>で
たいてい始まる。

<うん>と元気のよい答えがくるのが
通例であり、

逆にそうでない日も
この先、当然やってくるだろう。

それもまたプロセスだ。


今宵も<うん>で始まった。

ジュニアの就寝時刻が迫っていたことで
ぎりぎり言葉を交わすのみで
彼は歯磨きをするために
洗面所へ行った。

その隙にワイフが
今日の出来事を語り出した。


<今日、先生に怒られて、
 立たされたみたいだよ>と笑って言う。

<ほぅ?>と喜ぶダモシ。

その声が聞こえたのだろう。
洗面所から
ジュニアの真剣な声がする。

<言わないで!>。

<ダディには言わないって約束したでしょ!>

と怒っている。

ワイフは
<言ってないよ。違う話だよ>と言うが、

ジュニアは真剣で、
泣きべそをかいている。

先生に怒られて立たされた
という話を
己がダディに知られたら

自分が怒られると思っているのだろう。

ダモシはそんなことでは
当然怒るわけがなく、

逆に、もっとやれ
と言う方だが、

ダモシが何に対して怒り、
どういうことには怒らないのかの
区別は未だ判然とはしていないらしい。

・先生に怒られた
・罰として立たされた

という一般的にはネガティヴな所作が
ジュニア的には
ダディに知られたらこっぴどく
どやされると思えるようなことなのだろう。


空手の道場でも
少しでも気を抜いたり
スパーリングをさぼろうとすると
ワイフは言うらしい。

<いいよ、やりたくないならやらないでも。
 そのかわり今ダディに電話して
 すぐ来てもらうよ。いいのね、それで>

と。

するとジュニアは目の色を変えて
闘うというから、

よほどダモシを怖れているのだろう。


先生に怒られて立たされた
ということを
ワイフにも自らが告白したわけではないらしい。

仲良しの女の子が
ジュニアのマミー(ワイフ)に"ちくった"ようだ。

<〇〇君、今日怒られたんだよ。
 それでね、立たされたんだよ>と。



ジュニアが眠った後、ワイフに話を聞いた。

そもそも、もとより、
慣れるまでは
他のクラスに行って遊んだり
勝手に廊下へ出て遊んだりが禁止されている中、

幼稚園で同じクラスだった子で
現在も同じクラスになった子がいるのだが、

その子の母親に
ワイフが<〇〇と遊んでいる?>と聞いたところ、

その母親が
<ウチの〇〇が言うのよ。
 〇〇君はいつも教室にいないんだよ。
 だから遊びたくても遊べないんだよって>

と応えたらしい。

どうやらジュニアは
他の教室へ遠征に行って
幼稚園時代の旧知の友達や
新たな友達と遊んでいるようだ。

遠征好きは、ダモシ譲りだが、
それをのっけからやっているというのだ。

今宵もそれをやっていた、と。

休み時間が終わり授業が始まる。
先生が教室に来る。
ところがジュニアはいない。

なにをしとるのか、となり、
他のクラスに遠征して遊んでいた、と。

それで怒られて、
罰として<立っていなさい>となったわけだ。


ダモシはそれを聞いて微笑んだ。

<面白いな。それで、いい。
 活発でいいことだ>

と。

ワイフも
もとよりそんなことに目くじらは立てない。

だから怒ってもいないし
笑って<怒られたんだって?>と
ヒアリングしたようだ。


両親が怒っていなくても
やはり自分では反省しているのだろう。
悪いことをしたと思っているのだろう。

だからダディには知られたくない。
怒られると思うから。


振り返ってみればダモシもそうだった。

悪ガキが過ぎて
停学の憂き目を一度ならずとも浴びたわけだが、

初回ではないある時、

その晩。

遅くにウルトラの父が帰宅したのだが、
その帰宅しそうな時間を見計らって
己が部屋で布団をかぶって眠っているフリをした。

声は聞こえる。

事態を知らされて激怒している
ウルトラの父の様子が手にとるように分かる。
布団の中で<ヤバい。来る…>と
ウルトラの父が激怒しながら
己が部屋に来ようとしているのを察知して
怯える。

それをウルトラの母が制するわけだ。

このときダモシは
ウルトラの母が頼りなわけである。

やはり父親が怖いのだ。

煙草を吸った、喧嘩をした、等々は
ある意味で大したことではない。
誰かを致命的な負傷させたとか
お金を盗んだとか
そういう陰鬱な所作ではなく、

ある意味で爽快な所作だからだ。

それでも一般的な世界観と
学校という枠組みの中では
ネガティヴなことになり、
停学等々で具体的に罰せられる。

何回やってる何回!
という部分もある。

どうしようもない焦燥感の中でもがくのは
ヤングボーイの当たり前だが、

そこには己に対する憤りもあるのも
現実だ。

悪いとは思っている。
そりゃあ悪いですよ、はいはい、という。
怒られてぶっ飛ばされてもしょうががいという。

そういう理解もあるわけで、
だから
布団をかぶって泣いているわけだ。


有無を言わさず父親は怖いものである
という観念は、

男の子の方が高い気がする。


レベルは異なれど、
<父親には知られたくない>
<ダディには言わないで>
という意識は、

同じである。


だからある意味で
知っていたり把握していたとしても
致命的なことでなければ
父親としてのダモシとしては
過度に入り込まない方が良い
知らないフリをする方が良い

ということもある。


そんなことを今宵、感じた次第である。

知っていて、泳がしておく。
これもまた必要なことである。


それを間違うと小沢一郎のようになる。




*****



久しぶりにニュースを見れば
民主党の混乱が語られる。

高速道路の件だ。

現場、担当者、案件推進者。
それらが時間をスペンドして
頭を使って決めたことを、

最後に出て来て
ああだこうだ言うのは、

組織において
"上"がやってはいけない最たる例の一つである。

小沢一郎である。

どうなるか?

関わる者のモチベーションが明らかに下がる。

<なら、あなたがすべて自分で決めなさいよ>
となるのが、
人間ならば当たり前だ。

それまでにスペンドした時間や情熱。
これを一秒で、一言で覆すような行為は

それこそハレンチである。
デリカシーも気配りもない。

ならば最初から言えよ、と。
且つ
ならばあなたが全部一人で決めればいいでしょ、と。

前原大臣の怒りは察するに余りある。

こういうことをやっていては
組織は必ず疲弊して崩壊する。

ヒトありきのところ、ヒトなし、に陥る。

危険なのは
その"上"にいる者が
"上"にいることで勘違いして

自分はすべての事柄のプロフェッショナルであり
すべて理解していて
すべては自分の感覚と戦略が正しいのだ
という裸の王様へ陥ってしまうケースである。

そういう存在がいたり
そういう行為があったりすると

意思決定の時間が
明らかに遅くなってゆく。

結果、何も決まらない
という最悪の事態に陥るわけである。

事案ごと、それぞれの担当者や
関わってそれに時間を最も多く割いている者を
尊重してこそ、である。

敬意が無さ過ぎるのである。

上下や権限だけで
物事を動かそうとするから、
そこに敬意が欠乏する。

これでは民主党もこの先、危うい。

そもそも
高速道路完全無料化という
当初の目論見を困難にしたのは小沢である。

にも関わらず
それに応えた前原大臣その他が決めた
ある意味で折衷案に対して

今度は最悪のタイミングでまた出て来て
NOと言い、

己が所作を顧みず
堂々と
<無料化といっていたのに実質値上げとは何事か>
と言ってしまう。

支離滅裂である。

鳩山首相もここまでくるともう
リーダーシップ欠乏性は
リアルなところになってきた。

民主党は、小沢一郎が居続けるならば
あまり将来への期待は抱けない。

小沢一郎は嫌いではないが、
ここのところ
石原慎太郎同様に
齢を重ねて悪い方向に進んでいる。

要するに、イカしていないのだ。

権力を振りかざして
何にも口を挟み、
且つそのタイミングも悪く
関わっている者への敬意もない。

これはルックス・グッドとは言い難く、
格好悪いし
スタイリッシュでもない。

すこし考え改めた方が良いだろう。



一方、自民党は話にならないばかりか、

ここのところ
<エブリバディ坂本龍馬気取り>状態な
新党旗揚げブームがあるが、

こちらもこちらで
失笑が漏れるのみである。

中田前横浜市長も
どの面下げてそういうことが出来るのか。

舛添氏もまた旗揚げするようだが、

ほとほとそれぞれが勝手で、
それぞれの自己顕示欲と権力欲だけで
アクションを起こしていることが
見え透いてしまうから夢を感じられない。


・権力の一点集中
・to be 坂本龍馬

このいずれかのみを
永田町関連の面々は欲しているのか。

彼らにとっての
己が消費者便益はイコール

<権力>と<名誉>であることは
今に始まったことではないが

既に明白である。


しかも、
堀内恒夫だの岡崎友紀だの
庄野真世だのって、

いったい、どないなってんねん

と相変わらず言いたくなる。

結局、著名であって
いかに票がとれそうかが重要であって、

国をリードする政治家としての資質なんぞ
どうこうないということであろう。


まったく困ったものである。








posted by damoshi at 00:50| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月21日

<西都&コテコテ>の旅-E/新世界より



<新世界より>と言っても、
ドヴォルザークの
あの親和性の高い第四楽章でお馴染みの
交響曲第九番ではない。

大阪コテコテの本丸<新世界>である。

地下鉄御堂筋線・動物園前駅で降りる。

歩道には
すぐに奇異なニュース・スタンドが現れる。

その奇異は、東京にとっての奇異であり、
ニューヨークを知るダモシにとっては
奇異ではなく、

ポスチャーこそ当然異なれど、
そのアトモスフィアには
言い知れぬ懐かしさと既視感を得る。

この時点で
脳内ではドヴォルザークの<新世界より>が
流れてくる。

新世界に、<新世界より>は
案外フィットする。

すぐジャンジャン横丁という
いかにもコテコテ本丸らしい
アーケードというか商店街というか
とにかく"そういった"ストリートが現れ、

その中を一直線に歩けば
未だ明るい16時であっても
酒の匂いをぷんぷんさせた"昭和的なオヤジ"が
覚束ない足下でふらふらしながら
スローモーに歩いている。

よれよれになって
ストリップ劇場で下手な歌を唄い
飲んだくれて
もはや声も嗄れて出ない上に
歯ももうないぞという
かつてのヘビー級王者ジョー・フレイジャーの
ごとく、

この場にフィットした気怠さを披露する
"昭和のオヤジ"たち。

受け入れ難いと思われがちだが
意外にこういったポスチャーに好意的な
部分も持ち合わせているダモシ的には、

超党派解釈で
<明るい時間から酔っぱらって
 気持ち良さそうに歩いているのは、
 逆に優雅であり幸せなのだな>
と感じる。

要するに
あくせく働かなくても
真っ昼間から酒を飲んで
楽しく酔うことができているという逆説である。


エリア領域は、

かつての国内最大の遊郭街や

やはり
その昔存在した
ニューヨークの哀愁ブルックリンは
コニーアイランド的な
辺境の遊園地ルナ・パーク、

はたまた今も
こんな現代にあってもなお
変わらずにその存在感を披露する
これもまた国内最大のドヤ街である
西成のあいりん地区をも包含する。


ポルノ映画館、ストリップ小屋、
将棋&囲碁センター、
一杯飲み屋、
どて焼きをサーブする飲み屋、
典型的な定食屋に
<ソースの二度づけ禁止>の
注意書きが貼られている串カツ飲み屋
などなどが立ち並ぶ、

射幸心と
その表裏一体にある諦念が綯い交ぜになった
世界観が広がっている。



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ニューオーリンズのような
気怠さとやる気のなさ

チャイニーズのように群れて異様な熱気を
ほとばしらせている将棋センター、

なぜかこういうエリアに
ミスマッチ的に
完全にターゲット属性の異なる動物園もある。

しかもその動物園は
国内で三番目に出来た天王寺動物園。

それは大阪を代表する、否、
国内で見ても
その総入園者数からも上位にあり
関西三大動物園にも位置する。


しかし大阪の人は言う。

<あのエリアは近づくなと言われた>

<動物園の周りにもホームレスがいて…>

等、ネイティヴであっても
そういう感覚を持つエリア。


なぜ
<ファミリー&ピースフル&明るい>
というキーワードを持つ
動物園という存在が、

エリアとしての認知では
ネガティヴの筆頭でもあるこの地にあるのか。

実に不思議だが、
そこがまた大阪の大阪たる所以でもあるのだろう。


そのエリア内で
ひと際目立つ高い建物。

周囲には高いそれは皆無。


<通天閣>である。



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大阪のランドマークの一つ。

ある意味で
古き良き大阪の、コテコテの本丸。

その高さ100mジャスト。




*****




<通天閣へ行く>。

そう言ったダモシへ、
大阪ネイティヴで
大阪を知る人からは

<エリアがちょっと…>

<あまり行こうとは思わないエリアで…>

などとネガティヴな論調が多かった。


ガラが悪い、治安が悪い等々。
翻ってポスチャーがシャビーである、と。

しかし
ガラが悪いだの治安が悪いだのといっても
ここはニッポンである。

ニューヨークのブロンクスやハーレム、
夜のボルティモアやフィラデルフィア等ではない。


<この程度、逆に愉快なレベルだ>と
忌憚なく思うわけであり、

そこがまた好意的解釈につながるのであろう。



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突如現れる大きな王将の碑。

坂田三吉に村田英雄。
まさに昭和のかほりがぷんぷんと漂う。




*****




大阪府は大東市住吉。

近隣でいえば
兵庫県尼崎市武庫之荘。

ダモシが住んでいたエリアである。

その頃、
もしかしたら
一度は通天閣に登っているかもしれない。

だが記憶はないし、写真もない。

よって、今回の訪問が
初の通天閣訪問と
その展望室への初登頂ということになる。


通天閣へ、生まれて初めて登ったわけである。



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最上部に映るスペースが
展望室となる。


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下から見れば
100mという高さに対する高度の実感は乏しい。

周辺に高い建物がないこともあるが、
孤塔的な佇まいは
通天閣に高度の実感を与えない。



だが、
この周囲に高い建物がないということが
展望室にとっての
アドバンテージになっている。

展望室へ登って眼下を遠望すると、
実際の高さよりも
妙にその高さを感じるわけである。



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周囲に高い建物はない。

高さ100mにしては
妙に高度を実感する通天閣。



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大阪ドームも見える。



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ご存知ビリケン。
通天閣内にもビリケンに関する陳列が
施されていた。



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新世界は、通天閣を
土俵の真ん中に位置づけて構成される。

仮にここに通天閣がなかったならば…。

通天閣が逆に睨みを利かせているから
現状維持で済んでいるのやもしれぬ。



かくいうダモシは
既載の通り、

このエリアで、一人で串カツを食した。















posted by damoshi at 00:25| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月20日

<西都&コテコテ>の旅-D/日本生誕の都



都としての東京の歴史は
案外、浅い。

1869年からだから
未だ141年しか経過していない。

最後の京の都であった平安京の
688年にも及ぶ
都としての歴史には遠く及ばない。

だからこの先、
現代の"首都"としての都が
東京から他へ遷都される可能性は
まだまだあるということだ。

実際、数年前には
那須への遷都が取沙汰された。

今でもダモシは遷都派である。

ただしこの場合の遷都は、
正しくは機能とヒトの移転であり
純然たる遷都ではない。



*お台場拡張による
 羽田空港の国際第一空港化

*高速道路の全面フリーウェイ化

*車検の廃止と
 車輛定期点検と整備の自己責任化

*北米並みのカジノシティの、
 マイノリティ・エリアへの建設と
 それによるマイノリティの
 包括的成長戦略と地方戦略

*欧米並みのドネーション社会
 及びドネーション・メリットの強化

を唱えてきているのに等しく

*首都機能の那須への移転

派、である。

ダモシが政治に出る場合、
これらは説くだろう。

世界の大都市で
ニッポンほど
国際エントランスの国際空港と
首都圏のアクセスが悪く
時間と距離をスペンドさせられる地もない。

そもそも成田にそれを設けた自体が
この阿呆と言いたくなる上、

なぜ
あんなにエンプティだった
お台場エリアへ
羽田空港を拡張して
羽田をこそ国際エントランスのメインとしての
リアル東京インターナショナル・エアポートに
しなかったのかという大疑問。

今からでも遅くない。

羽田を国際路線のメインにすべし。

高速道路は
有無を言わせず全面フリーウェイ化し、
ウィークデイ&ウィークエンド関わらず
首都圏の環状線と高速に
交通量を分散させることで

ドライバーの精神的豊かさを得ると共に
リアルな意味での渋滞回避でのエコを
実現することができよう。

逆にタダなら高速に乗らないドライバーは
必ず増える。

上も下もタダであれば必ず分散する。


車検もある意味で
無駄に高額な出費である。
それを他のことに回すようにすれば
消費動態も変わってくる。

日本車はそんなに弱くない。

車検のスパンは短すぎる。
自己責任においての点検整備で
十分である。

ドネーションという発想と文化が
ないこともまた
ニッポンの精神的にシャビーな点である。

ドネーションをすることで得られる
タックス的メリットを付与することで
より多くのドネーションが増え、
有形無形の救いを得られる人もいれば
する側もメリットを得られれば
win-winになる。

カジノもお台場などではなく、
最も好ましいのは
沖縄か北の某であろう。

カジノ構想は
民主党や石原都知事が言うまでもなく
ダモシの中では以前からある。

話せば長くなるのでここでは割愛する。


そして、首都機能移転。

これはやるべきだ。

ニッポンの首都構造を、
便益と機能で分散させるのである。

米国の
ニューヨークとワシントンDCが
その見本である。


首都の中で
"便益"となる部分(と象徴=皇居)は東京に残す。

"機能"と
その機能に関わる"ヒト"だけを那須へ移すのだ。

機能=霞ヶ関及び永田町、である。

そもそも霞ヶ関が
調子に乗ってきた歴史は、

便益の多い東京に存在しているからである。

ある意味での、
大自然の中への隔離。

遊ぶこともままならない
酒を飲むこともままならないエリアへ移す。
仕事に励め、というわけである。

同時に、
国立の美術館や博物館群を
より整備して
自然豊かな那須に
スミソニアンのように形成する。

ついでにメディアも移転。

日本テレビと読売新聞、
テレビ朝日と朝日新聞の
それぞれ本社機能は東京にイキママとして、

例えば
調子に乗り過ぎたフジテレビ
(と産経新聞)は、那須へ移転させて
静かにしてもらう。

TBSと毎日新聞も
禊として移転した方が良いだろう。

それぞれは那須を本社とする。

ニューヨーク・タイムスと
ワシントン・ポストの世界である。

那須には
銀座や赤坂や六本木はないから
政治家も霞ヶ関の連中も
仕事にちゃんと勤しむことができる。

東京が恋しくなっても心配無用。
近距離だから通勤圏で
すぐに往復出来る。

それこそ
ニューヨークとワシントンDC間
ほどの、距離はない。


東京の通勤電車内、道路、
いずれも空く。

精神的に皆、ゆとりができる。

道路はそもそも
フリーウェイ構想だから
那須と東京の
車での移動もスムースになる。



<都>東京。

ここの最大にして致命的な問題は、

ヒトと車の異常なる密集。


ニッポンの過去の都の中でも
こんな都市はあり得なかったろう。

本来的には優雅でゆとりのある
精神的な豊かさこそが

都のイデオロギーではないのか。

東京という都は、
前へ前へ邁進するスチームローラーと化して
しまったことで

あまりにも致命的な問題を
孕み過ぎている。


かつての都を訪れてみれば、

その空間力の
ありあまるスペースと
それゆえの精神的な優雅さやゆとりを
享受し得ることが分かる。

月を愛でる豊かさ。

都には本来、
そういう要素が必要である。


首都。その夜明けは、奈良。

そして
史上初の、リアルな都も奈良で
藤原京。


藤原京の後、遷都された奈良は平城京。

今年は、
平城遷都から1300年の
メモリアル・イヤー。



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<世界遺産-平城京跡>。




*****



JR東海の
<奈良>キャンペーンの広告は、

秀逸なデザインである。


今年、平城遷都1300年を迎えている
奈良へ
行きましょう、という訴求である。


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ニッポン生誕の都を祝い
その奈良の
遷都1300年を祝そう、ということである。


平城京は今年、

己が1300年を祝い
<平城遷都1300年祭>というカーニバルが
通年で開催されている。


そのカーニバルのメインは
間もなくこの24日からオープンする。

県内各地はもとより
平城宮跡会場をメインとして
様々なカルチュラル・イベントが開催される。


メイン会場の
平城宮跡における目玉は、

復原された
第一次大極殿、遣唐使船、
そして朱雀門。


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歴史か日本史の授業で、教科書で、
かつて知ったる遣唐使船。

文字通り、
唐に遣わす使いが乗った船。

当時の遣唐使と遣唐使船は
その多くが難破、漂着、遭難、水没。

尋常ではないリスキーな旅だったようだ。

ゆえに遣唐使として
そのミッションにあたることを拒否する者も
多かったようで、

仮病をつかってサボタージュし、
流刑などの厳罰に処されたりもしたようである。

ほとんどが難破、遭難では、
ハナから命の危険は分かっているわけで
好き好んで行くことはしないだろう。

だが、その遣唐使の中には
誰もが聞いたことのある錚々たる名が並ぶ。

山上億良、阿倍仲麻呂、
吉備真備、そして最長に空海…。



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平城京の正門たる朱雀門。

この朱雀門から
一直線上、遠く向こう正面に第一次大極殿がある。


オフィシャルサイトの説明によれば、

***
朱雀門の前では外国使節の送迎を行ったり、
時には大勢の人達が集まって
歌垣なども行われました。

正月には天皇がこの門まで出向き、
新年のお祝いをすることもありました。

朱雀門は衛士によって守られ、
常時開いていたわけではありませんが、
宮の正門としての権威とともに
その雄姿を内外に誇示していたと思われます。
***


とある。

要するにメイン・エントランスである。

現在の
平城宮跡の象徴的存在でもある。



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*****




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平城宮を守った
偉大なる人物は、棚田嘉十朗。


784年、首都のロールを終えた平城京。

都は長岡京
そして平安京へと移っていった。

それと同時に
平城京はいつしか
人々が耕す田畑になった。

古代の都が
その下にあるとは知らずに
人々は生きていた。

しかし己が私財を投じ、
目まで失い(失明)、
最後には自決するまでの苦難を経てまで
平城宮跡の保存に心血を注いだ
棚田嘉十朗の存在によって、

現代、今まさに
平城宮跡は生き残り、復原もされ、
こうして1300年を祝うことができている。



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いにしへの奈良のみやこの八重桜
けふ九重に匂ひぬるかな。

ここで言う<いにしへ>は、
平城京時代を指している。

むろん<奈良のみやこ>が平城京になる。





最後に、第一次大極殿を遠望。


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朱雀門から一直線上、
遥か遠い向こうにある。

第一次平城京(平城京時代は二度ある)時代の
正殿である
第一次大極殿。

いわゆる前庭が遠大だ。

正門たる朱雀門と
この正殿たる第一次大極殿の間は、

歩くことに難儀する距離。

その距離が前庭になるのだから
たいへんな敷地面積である。


朱雀門と第一次大極殿は
広大な前庭を挟んで
一直線上にある。

だが、

奇妙な光景が
そこには広がっている。

写真で分かる通り電車が通っているのだ。

間に線路があり、
近鉄電車が横切るのである。

これだけの都、平城京の地であるにも関わらず、
電車がその真ん中を走るとはなにごとか。

一体、なぜこういうことになったのか。

実に滑稽であり、
残念なまでのポスチャーである。


本来あるべき姿としては、

正門・朱雀門があり、
その向こう一直線上に
第一次大極殿が鎮座している。

我々現代の人々は
古代に想いを馳せながら
その道を歩いて次第に近づいていく

といった構図である。


だが実際には、
朱雀門から第一次大極殿までは
歩いてストレートに行くことはできないし
その前庭の壮観を楽しみながら
歩を進めることはできない。

間に線路があるからだ。

間を電車が走っているからだ。



だからポスチャーも、


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このような世界になってしまう。

(撮影時期は4月上旬。
 未だ24日のオープンに向けて
 最終整備中の現場)。


横へそれてから
線路を渡り、
前庭の横側から第一次大極殿へと
向かわざるを得ない。

これが、いささか興ざめするわけである。


実際の
平城遷都1300年祭では、どうなるのか。

このアクセス難の部分が
集客にどう影響するのかは何ともいえない。





*****




余談で、長屋王。

平城京跡近くに
その邸宅跡がある。

こちらも
日本史の授業で
誰もが耳にしたことのある名である。

平城京時代の政権実力者。


長屋王は
藤原一族との対立の果て、

己が邸宅で服毒自殺する
(長屋王の変)。

その長屋王の変の舞台であり
長屋王の邸宅があったのが、
こちらになる。


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歴史の証言地は今、
イトーヨーカドー奈良店になっていて
何とも味気ない。

発掘調査によって
この地が長屋王邸だったと判明したのは
バブル時代の80年代後半だというから
新しい。

貴重な遺構、出土された遺物。

保存されるべき存在だったろうが、
多くの反対に抵抗されながらも

結局それは取り壊され、

今では
イトーヨーカドーになっているという、

これを何と言えば良いのか分からない
残念な所作。




:::::



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平城遷都1300年祭メイン会場、
世界遺産<平城宮跡>。

近鉄・大和西大寺駅下車。

朱雀門までは徒歩約20分。










posted by damoshi at 00:49| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

日記〜久しぶりの春に、やる気のない動物たち



"日本ダービーの日"と"10月10日"は、
絶好のサニースカイ。

これがダモシの中の通念で存在しています。

後者は
言わずと知れた旧・体育の日。

古くは東京オリンピック開会式の日。

前者は、実際的なトラウマです。

前者は
気温的にも最適に近く
後者は
猛暑という世界観。


日本競馬ブーム頂点の日である
1990年の日本ダービーの日。

世界史上最高入場者数を記録して、
19万6千強のスーパー大観衆が
府中の杜を埋めました。

その入場者数も希有ならば、

勝ったアイネスフウジンと
騎手の中野栄治を讃える
<ナカノ・コール>という

競馬場でのコールが起こったのもまた
史上初の出来事となった
メモリアルな日です。

現場にいました。

そして五月最終日曜日のその日は
"ものすごい暑さ"でした。

それもそのはず、
調べてみると
出走時刻になる頃には
府中の杜は27.5度もありました。

五月でこの気温ですからね。
しかもその場には20万人の人がいるわけです。


その翌年。
また五月最終日曜日です。
猛暑でした。

当時一人暮らししていた
中野新橋のアパートメントから

朝一番でバイクで渋谷までひとっ走りして
ダービーの馬券を買って
帰って来たウィークエンドのオフ。

あまりの暑さに
アパートメント屋上へ出て
裸になって日焼けをしようということで
横になると、

そのまま眠りに落ちてしまい、
気づけばダービー発走時刻。

慌てて部屋に戻ってテレビをつければ
大本命のトウカイテイオーが
強い勝ち方で皐月賞に続いて
二冠を達成しました。

直後、レストルームへ入り
用を済ませて鏡を見れば
ダモシの顔は真っ黒焦げになっていたのでした。

それもそのはず
その日は朝10時の段階で既に
27度を超えていて、

12時には29.6度と
限りなく30度という猛暑を記録したのです。
その炎天下でダモシは
日焼けしていたわけです。

ダービー出走時刻になっても
27.6度という
これもまた五月の猛暑の威力を
見せつけたわけです。


こうして、

アイネスフウジンのダービーと
トウカイテイオーのダービーが
あまりにも強烈過ぎて、

<日本ダービーの日>は
絶好のサニースカイに猛暑である
という観念が出来上がったわけです。


絶好のサニースカイに、
最適な気温。

空は絶対青空で決まりですが、
それに合致する
最適な気温は何度くらいを言うのでしょうか。

人それぞれではありますが、
一つには
春、初夏、初秋。

季節的に見れば
このあたりの標準的な気温が
最適な感覚を受けます。

競馬と五月でいえば
ダービーよりもむしろ
オークスの方が
現場経験から最適気温と感じたケースが
多い気がします。


オークスで、
現場皮膚感覚に残る
サニースカイのもとの最適気温を
得たケースとしては、

1993年のベガが勝ったオークスの府中です。

調べてみると
その日のデイタイムの気温は
24〜26度。

やや汗ばみましたが、
それでも猛暑ではなく
適度な暑さだったと記憶しています。

20度くらいでは
いささか肌寒さも感じる局面があります。

快適な屋外。動かずとも寒くなく、
過度に暑くもない。

そういう意味では、
あくまでも空がサニースカイという前提で、
その下の気温は22〜25度くらいが
ちょうど良いという気がします。

どうでしょうか?

これでダークスカイや雨ならば、また違ってきますよ?
ただの、陰鬱になりますからね。



*****


あした天気にな〜れ

とお願いした今日。

朝から好天でした。
絶対青空というわけではありませんが
一応、記録上は<晴れ>。

しかし気温的には
まだまだ不満な20度以下。

これでTシャツになることができるくらいの
快適気温(ダモシ推定で22〜25度)
だったならば、

もっと良かったでしょう。


しかし、
久しぶりに
春の陰鬱天候から脱することができた今日、

皆々様、
たまっていた鬱憤を発散せんと
各所へお出かけなさったことでしょう。

多摩動物公園もまた大盛況でありました。

属性的には90%以上が
小さなコドモを連れたファミリーでした。

アベックよりも
おじいちゃん&おばあちゃんが
孫を連れて来ているケースも
目立っていました。

父母はその間、どうしているのでしょうね。



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チューリップも緑も水も花たちも
皆、ご機嫌な日でした。

やはり明るいと、良いですね。


しかし一方で、
好意的な意味で面白かったのが

今日のこの多摩動物公園の動物たちの
やる気のなさでした。

一様に皆、やる気がなく、
だらだらして
もはや寝そべって
人間への魅せる要素も消え失せ、

彼ら自身が人間同様に
久しぶりの暖かいサニースカイの
ウィークエンドを楽しんでいるかのようでした。

しかも
楽しんでいるのであれば本来
魅せる要素満載で
動き回ったりといったことがありましょうが、

いずれもやる気がなく

"俺たちは知らないよ。
悪いが、
久しぶりの陽射しを受けて眠るからね"

と言っているかのようでした。


写真も一杯撮りました。

動物にフォーカスをあてて
掲載したいと思います。



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カンガルーです。
見てください。このやる気のなさを。

仰向けに眠りこけ、
足も投げ出しています。


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人間たちの爆笑を浴びていましたが、
コドモたちが呼びかけると
薄目を開けて
<なんだうるさいな>とでも言いたげな
表情でちらっと一瞥しました。



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こちらも、だらんとしています。
呼ばれれば
しょうがなしに顔を向けるわけですが
面倒くさそうです。眠そうです。



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ダモシが
動物園の優等生として
高い評価を授けているキリン。

多摩動物公園の妙。

それが
シマウマとキリンの組み合わせです。

やる気のない動物たちの中で
優等生キリンは
今日もファン・サービスに
余念がありませんでした。

さすがですね。


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多摩動物公園の名物は
世界初のライオンバスですね。

以前、当欄でご紹介しました。

興奮する内容のライオンバスでしたが、
ライオンの数が減ったか?
と感じるくらいに少なかった上、

いずれのライオンもやる気がなく
バスが走って来ても
我々お客さんの方へ来てくれません。

どうしたことでしょうね。



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掲載しませんが
ライオンもまた
お腹丸出しで仰向けに寝ていました。



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猿も
アクロバティックに遊ばず、


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オラウータンも
俯き加減に目ヂカラもなく
ただただ座っていました。



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トナカイさんも、ボーッとして、


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象さんは
まあいつもではありますが
今日はいつもに輪をかけて
だらんだらんと気怠そうに
左右に身体を揺さぶっていました。

目はうつろ。俯き加減です。



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コアラさんは
いつなんどきでも
オールウェイズこの状態ですね。

やる気があるのかないのか
分かりませんね。


まあ、基本的にあまりやる気はないでしょう。



そんな動物たちの中で、
頑張っていたのが<コウノトリ>です。

兵庫県に次いで
この多摩動物公園が
コウノトリが多く存在する場です。

自由に空を飛ぶコウノトリ。
その中で
自然のままにその華麗なるフライを
見ることができます。

期待するお客さんたち我々に、
コウノトリは
魅せる要素を鑑みて

何度も何度もスーパーフライをしてくれました。



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最後に
今日最も気に入った動物が、
こちら。

ターキンです。


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ゴージャスです。

何とも言えない
幸福そうな顔の表情です。

優しい微笑みをたたえたような顔。

動きも優雅で、
このレベルになれば
やる気があるとかないとかは
無関係になって参ります。


サニースカイに、
久しぶりに
少々春らしい気温。

これを喜んでいるような顔が
とても良いです。



*****



結局、5時間の所要となりました。

上野動物園なら
ここまで所要時間はかからないでしょう。

多摩動物公園は、広いです。

むろん米のそれには及びませんが、
かなり広く、

すべてを見て回ると
とっても疲れます。

今日ももう、ヘトヘトです。


でも
ジュニアの喜ぶ顔が見られれば
それで何よりです。

動物園や水族館へ行った際の恒例
として、

今日もジュニアに
記念のぬいぐるみを買いました。

マレーバクかターキンか
コウノトリか…

といった今日の印象度から
何を選ぶのかなと思っていましたが、

<トラの赤ちゃん>の
ぬいぐるみを選びました。

帰路の車中。

後ろの座席で
トラの赤ちゃんの
ぬいぐるみを抱いて
すやすや眠るジュニアを

バックミラー越しに見て、

ダモシはとても良い気分になりました。


でも、もう今日も
身体が疲れてヘトヘトです。

帰宅後も
夜になってまた
ベイブレードで遊んだり、

このウィークエンドは
かなりジュニアとの時間を
多く過ごしたことになります。


競馬も
5レース中1レースは
辛うじて的中しましたし、

ケイバタイムスでも
ダモシも
ワイフもジュニアも的中して
いずれも上位につけていますので、

こちらもこちらで
まあまあな結果に終わったサンデーでした。


さあ、もう寝ましょう。


眠いですっ!




Good Night.






posted by damoshi at 00:27| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月18日

諸々、徒然、まとめて、日記。




どんなウィークエンドをお過ごしですか。

間もなくゴールデンウィーク。
そこでの遠出を控えて
今週と来週のウィークエンドは
少々、混雑も緩和されましょうか。

さふいった想像は、
東急田園都市線に乗れば
すぐに打ち砕かれてしまいます。

オールウェイズ通勤ラッシュ。
そんな感じが田園都市線にはありますね。


目覚めて一発目に、
ジュニアが言いました。

<今日、ダディとお散歩したい>
<一緒にお出かけしたいんだよ>

と。


最近まったく的中しない天気予報では、
今日は悪天候でした。

しかしながら目覚めると晴れていました。

土曜日は悪天候、日曜日は晴天。
そんな予報でしたから
土曜日はゆっくりして
日曜日にどこか連れていこうと
考えていたのですが、

その想定も
寝起きに打ち砕かれました。

<水族館に行きたい>と言いました。

ダモシはこう言いました。

<水族館など遠出は明日にして、
 今日はお散歩レベルにしようよ>と。

<東京タワーのチケットがあるんだ。
 日曜日に三人で行こうよ>とも提案しましたが、

<水族館(もしくは動物園)が良い>と言います。

曇天ならば水族館
晴天ならば気持ちが良いから動物園。

そのラインで妥結しました。

<明日も出かけるとしても、
 今日もダディとお出かけがしたいんだよ>
とジュニアは言います。

その背景には、
今日は夕方からワイフが
小学校の役員の会合(食事会)があり、

もとよりディナーは
ダディとジュニア二人でする
ということになっていたことが
ありましょう。

己がマミーが不在になるのならば
デイタイムからダディに甘えよう
という計画なのでしょう。


まあ、そうはいっても、そもそも
お母さん方の
カンバセーションでも通例ですが、

<土日はお父さんにベッタリよ>
という構図が基本でしょう。

"じぶんじかん"が多いダモシの場合、

土日といっても
ジュニアとべったりということは
ありませんから、

ジュニアとしては
ウィークエンドはダディを独り占め
という構図をそろそろ知ってきて、

己も他のコドモ同様に
それに浸かりたいという想いもありましょう。


それに最近、
ダモシとジュニアの二人で
オトナの遠足&お散歩的行動も
増えてきている中で、

ジュニアも寺社仏閣含めて
オトナのそのコースであっても
ダディと一緒ならという
未だそういう年齢で、

それはやがて中学高校になれば
次第に減少していくのでしょうが、

そういうこともあって、

ダモシとしても
何もコドモだけが喜ぶ場に行くわけでもなく、

オトナの遠足&お散歩するならば
ジュニアと二人で出かけるのは
とても楽しいですし、

やはり何はあっても今だけしかできない上、

いつ死ぬかも分かりませんから、

できるうちにやっておこう
という気持ちもあるわけですね。


そんなこんなで、<どこに行くか>は
当然ダモシが決めるわけです。

東京、そして横浜。

腐っても東京、そして横浜。

ニューヨークではありませんが
いっぱしのそのへんの観光地では
ありませんから、

行く所は山ほどあります。

ネイティヴであっても
行ったことのない東京
行っていない横浜は、

まだまだあるわけです。


そして、行ってみると、

あぁやっぱり東京は凄いわな
横浜はさすがだな
ということを知るわけです。

今宵の
オトナの遠足&お散歩は、

九品仏。



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拙宅を出発してすぐ。
R-246沿いです。

久しぶりの絶対青空ですね。

絶好のお散歩日和。
本来、春ならば、
毎日こうなって良いはずです。


陰鬱な天候は、大嫌いです。




*****



九品仏を掲載する前に、
こんど新たに創刊されるという雑誌。

その表紙を
ダモシが飾ったのでご紹介したいと思います。


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女性週刊誌ですね。
定価は350円のようです。

<販促集客のカギを握る
 この方に独占インタビュー!>

ということで
ダモシが真ん中で登場しております。

撮影もスタジオで5カットは撮りましたでしょうか。


お分かりですね?
当然、これはフェイクです。

記念に手元には
A4でハイクオリティに印刷された
これがあります。


昨日。
東京ビッグサイト(お台場)でのこと。

それを発見したダモシは、
<やってみようかな>と係の女性に述べました。

そのコーナーの担当女性は言いました。

<男性の方は、やはりレオンが多いですね>。

フェイク雑誌表紙は数種類あり
選ぶことができます。

男性ファッション誌のレオンなどは
カッコいいので
男性は選ぶ傾向が高い、と言われました。

それはそうでしょう。

ダモシは言いました。

<そうでしょうね。だから、私は、
 女性週刊誌を選びましょう。
 構図的には、
 不倫が発覚した怪しい男。
 直撃された私は、でも、
 "え?知らないよ?"と、とぼけている。
 そんなイメージかな>。

係の女性はウケていました。

でもその女性は
お世辞でもなくリアルに言いました。

<でも、レオンとか
 とびっきり似合いそうですが>と。

数年前の、あの、"ちょいワル"でしょうか?
でもダモシの場合は
"ちょい"どころではないでしょう。

その意味ではなくとも
カッコいいという意味であれば
それは当然ダモシは似合うでしょう。

そう思っているわけですから
<そんなことはないですよ>という
謙遜もないので、

そういう台詞は返さずに、

<まあ、そうですね。
 だからこそ、女性週刊誌なのですよ。
 面白いでしょ?不倫。
 マジメにやったって面白くないのですよ。
 遊ばないとね。バカになれ、ってね>。


女性はどちらを好むかといえば、

皮膚感覚上、

マジメな顔をして格好つけて
レオンだのの表紙のフェイクを
嬉々としてやるような男よりも

笑いをとって
それでも"男"度の訴求と
ちょっとした"軽さ"をも魅せて
後者を選んで楽しむタイプである

という認識がダモシの中にあります。


その"軽さ"のレベルと
同じそれでも意味がまったく違いますがね。

それこそ"業界的軽さ"は
絶対にダメです。それは逆効果です。

ジェントルマン。これが基本であります。

そして、こういう時は
大勢の人が見ていたり、その場にいたとしても
恥ずかしがったりしないで、

堂々とポーズを決めることが良いのです。

"中途半端"は
最も避けるべきシャビーな所作なのです。

タダでトライ出来るわけですから、
こういうことも楽しむことが得ですね。

帰宅後、ワイフとジュニアに見せたら
大笑いしていましたが、
ワイフは何度も見ていました。

つい
<格好良いでしょう?
 まだまだ、イケるでしょ?>と
ワイフに問いましたが、

ニヤニヤするだけで
彼女は何も言いませんでした。

(相変わらず子供みたいだな…)

とでも思っていたのでしょうか。


冗談ではなく、
モデルや映画スタアをやってみたいとは

ずっと昔から思っていることでもあります。

一度、オーディションでも
受けてみましょうかね。


巷では
"やくざ映画"が似合うだろうという
声は多いでしょうが、

そうはおっしゃらずに

"ハードボイルド"と言って欲しいものですね。

あるいは齢を重ねたことで
枯れた感じの
往年のケビン・コスナー?

良く言い過ぎでしょうか?




*****




さて、九品仏に参りましょう。

初めて参ったのですが、
これもこれで
ある意味で<へえ>でありました。

まだまだ知らない東京は多いな、と。

なんか、凄いな、と。


先日掲載した京都の清水寺ではありませんが、
写真で見てもお分かりになられるように
やはりきれいなサニースカイの日は
写真映えが素晴しいですね。

九品仏は、その空間力は
かなり秀でています。

奈良京都にも負けず劣らず、です。

だから写真もいっぱい撮りました。
その中の一部ですが、それでも多めですが、
せっかくなので掲載したいのです。


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東急大井町線。
田園都市線の溝の口で乗り換えて
二子玉川から四つ目の九品仏駅で下車。

歩いてすぐが参道です。

正式名称は、九品仏浄心寺。


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参道を渡り切ると
高さ30mの楼門があり、
両側に仁王像が屹立しています。

開山は、1600年代後期とのこと。

門を過ぎれば庭園かと見紛う
"きれい"な空間が広がっています。

寺社仏閣特有の
パワー・スポットたらんという
意図的なオーラはありません。

それが好感を持てる要因でもありましょう。

寺社仏閣というよりもむしろ、
庭園と見て良いのではないかと
ダモシはすぐに察知しました。


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楼鐘。


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本堂、
そして9体の阿弥陀如来像を
三つずつ安置している
三つの阿弥陀堂である三仏堂(上品堂、中品堂、下品堂)。

堂が多く、見事です。



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ジュニアが見ている先には
猫がいました。

東京さんぽ。

この領域でどのエリアでも
頻繁に登場するのが猫です。

それは
ダウンタウンでも山の手でも、です。

東京は、猫にとって
おそらく
とても住みやすい都市なのでしょう。



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本当に気持ちの良い光が、
今日は久しぶりに注いでいました。

明るくて、
こういった天候は大好きです。



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ジュニアはこれを見て、
<ダディ?今は春でしょう?
 もう秋になっちゃったの?>と素直に聞いてきました。

<そうだね。秋みたいだね。
 でも春だよ。否、まだ春も来ていないかな>

<春の次が秋になっちゃうの?>

<いいや。次は夏だよ。
 でもその前に梅雨があるよ。
 雨が続く頃だね。
 夏があって、秋が来る。
 そして冬になるのが
 フォーシーズンズだよ>

<夏がいいね>

<そうだね。やっぱり暑いのが、
 一番楽しいね>

<そうだね。やっぱり暑いのが、
 いいよ>。




*****



九品仏にもまた、
"女性ひとり"が結構いました。

最近、どこでも多い属性です。

それは歴女に限らずですね。


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妙齢の、
きれいな、黒タイツの女性です。

この女性は
ダモシとジュニアが引き上げる頃に
入っていったのですが、

ダモシとジュニアが
帰りの参道に出る前に
既に戻ってきて

先に参道へと歩を進めていらっしゃいました。

随分と早い参拝だったようです。


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ご覧の通り、抜かれてしまいました。


話は飛びますが、
昨年くらいからでしょうか?

巷にマスク姿の人々が増えたのは。

写真を撮る場合、
その対象が人の姿だったりすると
女性はとても良い構図を演出してくれます。

景色と女性。

これが基軸になるわけですが、
その場合、
言葉は悪いですが
邪魔になってくるのが、

マスク姿の人

です。

せっかく素敵な構図の中に
観光地やランドマークですと
人が多い上に

その中にマスク姿の人が大勢いたりすると

台無しになってしまいます。

かといって
マスク姿の人だけ映さないように
することもできません。

たいへん難儀します。

時々、
ファインダーを覗きながら

<そこのマスク!どいてくれよ…>

と呟いてしまいます。

あの、鳥みたいな、ポスチャー。
やめませんか。



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こういう絵でも、
"招かざる客"がいない瞬間を得るのは

なかなか難儀するものです。

やはり同様に
そこに招かざるポスチャーが
存在すると、


(<さっさと歩いて消えてくれ…>)

と、不覚にも思ってしまうわけで、
いけませんね。

性格が悪いですね。

でも、致し方ありませんね。



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明るい今日は、
チューリップもご機嫌でした。

こちらも気分が良くなりますね。
天気が良い、と。

デリカシーのある雨や、
ゴッホの雨のような雨ならば、

許せるのです。

菊の季節に桜が満開、も許せます。


しかしここのところの
四月の、春の、寒さと大粒の雨は、
許し難いものがあります。

競馬のクラシックも始まっているわけです。
もういいかげん、やめて欲しいところです。




*****




そんなこんなの九品仏。

お薦めです。
首都圏にお住まいの方は
オトナの遠足&お散歩で
一度、訪れてみても
マイナスにはならないと思います。

駅との間の
わずかな距離の道路に
粋な、正統的な町の古本屋さんがありました。

これは無視するわけにはいきません。

古本屋さん独特の匂い。

これが
ブックオフには欠けているわけです。

古本屋さんと古本の
あの独特の香り。

あれを嫌う人もいるでしょうが、
ダモシは案外、好きですよ。

ブックオフは利便性は良いですが、
古本屋さんが消滅するのは
避けなければなりません。

古本は古本らしく。
例の匂いがあって。

それは根本的に大事なことだと思っています。


当然、店先外の書棚にある
100円均一コーナーにあった本を
買いました。


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読んだことがあっても
文庫本で所蔵していなかった
川端康成の<雪国>と

いかにも昭和らしい装いの
美術書<ゴッホ>。

これで200円ですから、
とても良い買い物ですね。


"国境の長いトンネルを抜けると雪国だった"

で始まる<雪国>。

川端康成は
<伊豆の踊り子>の

"道がつづら折りになって、
いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、
雨脚が杉の密林を白く染めながら、
すさまじい早さで麓から私を追って来た"

でもそうですが、

冒頭の出だしがとても上手い作家
であると思います。

キャッチーというか、
暗記することを容易たらしめる
意図的かとさえ思える

印象的な言葉と、独特の書き方。

その基盤は、映像的表現でしょう。

読んでいる者がすぐに
その文章を映像化しやすいような表現。

とても素晴しいと思っています。


<叙情歌>という作品の出だし、

"死人にものいいかけるとは、
なんという悲しい人間の習わしでありましょう"

も同様です。



<ゴッホ>。

ダモシはゴッホ、ゴーギャンは好きで、
考察対象として
ニューヨーク時代からあります。

雑誌に記事で
<ゴッホと雨>も書きました。

米の美術館でも多く
作品を観ました。

洋書でもゴッホ本は
かなり所蔵しています。

ゴーギャンの大作

<われわれはどこから来たのか
 われわれは何者か
 われわれはどこへ往くのか>

をボストン美術館で観たことは、
忘れ難い想い出です。


東京でも
例のゴッホの<ひまわり>は観ました。

この古本。

<雨は、掲載されているかな?>と
開いてぱらぱらと眺めていると

一枚の紙が
ひらりと宙を舞って床に落ちました。

<ん? 何かな?>と手にとり目をやると、
それは一枚のチケットで
招待券でした。


041710x2.jpg


ゴッホ「ひまわり」特別展観。
1987年10月13日-12月27日。
新宿・安田火災東郷青児美術館。
招待券。

おそらくこの本を
古本屋さんに売った方が
持っていたチケットでしょうか。

半券になっていないので
この方は実際には
展観を訪れなかったのでしょうか。


タイトルとその開催時期を見て
<おやっ?これはもしかして?>と思いました。


時に1987年。

ニッポンがバブルを謳歌していた
経済大国的精神的バブリー時代の
頂点にあった頃。

ニューヨークの
ロックフェラー・センターを買取り、

そしてゴッホの<ひまわり>をも
60億円近い大枚で落札したニッポン。

ニッポンが
もっとも調子に乗っていた時代といえましょう。

ゴッホの<ひまわり>を
今はなき安田火災海上が落札したのが
1987年の春。

ですから、この特別展観は
もしかしたら
ゴッホの<ひまわり>がニッポンに上陸して
誇らしげに公開される

最初のイベントだったのではないか

と気づいたのです。

おそらく時期的にそうなのではないか、と。

ならば、
この特別展観はたいへんな騒ぎとなったでしょう。

安田火災海上はその後、
日産火災海上と合併し、
さらに大成火災海上をも合併して

現在の損保ジャパンになっているわけで、

当時の開催場が
安田火災海上東郷青児美術館となっているのは
やはりその時代ならではといえましょう。

現在その美術館は、
ダモシもそこでこのゴッホ<ひまわり>を
観ましたが、

損保ジャパン東郷青児美術館となっています。



古本がもたらす、時代の匂い。

これがまた、古本の良さでもありますね。

とても貴重なチケットを
古本と共に手にすることができ、
嬉しく思った次第です。




*****



帰り道に
たまプラーザの
イトーヨーカドーに立ち寄って、

小学校で使用している
<じゆう帳>の一冊目が
もうすぐ使い切るということで、

ジュニアに
仮面ライダーWのじゆう帳を
一冊買ってあげて、

ガンバライドを二回
一緒にやって遊んで、

美味しいという
ドーナツを買って、

お寿司を買って家路につきました。

一緒にお風呂に入って
二人でディナーを食して、
その後は
仮面ライダーの人形や
ベイブレードで一緒に遊んで過ごしました。


20時過ぎてワイフが帰ってきました。

ジュニアは
ダディと一緒にいたとはいっても
やはり寂しかったのでしょう。

なぜか知りませんが
泣いて甘えて、抱っこしてもらっていました。


そしてダモシは、

夜遅くなって
じぶんじかんを過ごすのでした。





*****




最後に、

明日は競馬の皐月賞ですね。

これから予想をしなくては、です。
皐月賞の、ではありませんよ。

他のレースです。

一頭、鉄板の馬がいるレースを
狙い目としています。

混戦が想定されるレースには
手は出しません。
考える時間が無駄になるケースが多いですから。

合理的にやることが基盤です。

鉄板の馬が一頭いる場合、
それが勝たずとも二着もしくは
三着には来るだろうというケースです。

その場合はその馬から
どう流すか、あるいは
その馬のシンプルに単勝もしくは複勝を買うわけです。

<鉄板>の馬がいるレースを探すことと、
それは本当に<鉄板>か?どうかを
見定めることに、

時間をスペンドするのです。

でも、こんな時間ですね。いけませんね。


昨日やはりオフィシャル事案で
競馬関係の打合せがありました。

その現場で、
昔なつかしいオグリキャップの
ぬいぐるみが売っていたものですから、

つい買ってしまいました。


041710x3.jpg


もはやオグリキャップも
ノスタルジーの世界です。

ワイフと出逢った、そして交際していた時代の
馬ですので、

まさにドンピシャの存在でありアイコンです。

ゴッホの<ひまわり>が
ニッポンに買われて
やって来た翌年から、

オグリキャップは快進撃を始め、

90年の年末の有馬記念で
あの奇跡の復活ラストランを魅せたわけです。




明日は、7時半起床で
ワイフに依頼しています。

なぜならば
起きてすぐ
コンビニエンスストアへ走り
スポーツ新聞を買い、

軽く
狙いのレースを見定めたら
ダモフィーロでひとっ走り
新横浜ウィンズまで行って

馬券を買い、

すぐに帰宅して

その足で
9時半には出発して

ジュニアと約束の動物園へ
行くからです。

上野動物園か多摩動物公園か
迷いましたが、

前者は既にファミリー三人で
行ったことがありますので、

未だダモシとジュニアの
二人でしか行っていない
後者へ、

行きましょう

ということに相成りました。


明日天気にな〜れ、

といったところです。



長々と失礼致しました。

皆様も
Have a nice weekend.


そして、Good night.












posted by damoshi at 02:47| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月17日

(ケイタイから)春の雪





〜以下、ケイタイ(ケイバ・タイムス)から出張寄稿。



春の雪

線香花火

熱病

泡沫

ぬか喜び

等々、季節外れ的(=KY的)な、
そして一過性のブームあるいは
徒花的な言葉の数々が思い浮かんでくるような

最近の、異常天候。

その異常さは一過性。

思えば温暖化も、
先頃英国の権威がデータを捏造していたことが
暴露されたことで、

そもそも温暖化自体、怪しいぞ?
という趨勢も起こりかねない中で、

この冬シーズンは
<温暖化はどこへ行った?>という、

まるで
<花はどこへ行った>に乗って
氷上を踊るカタリーナ・ヴィットがごとく
嘆きの表情をもってして

日常の路上を歩く勤労者諸君がいた。

諸君の中に

新卒という
日常の路上の中に
未だ夢か現か幻かという
精神的区別をつけられずにいることで
<群れる>集団がさらに加わることで

暑苦しいぞ!

と揶揄の対象になるのだが、

それを回避するがための
寒い春となっているのかと思わざるを得ない。

それほどまでに
ダークスカイと寒さが続いている。

このままいけば
また来週も中盤から雨。

もはや春を通り越して梅雨か、と。

いいかげんにせんかい
と声を荒げたくもなる。

天気が悪いというポスチャーは、
健康的ではないのである。

人間にとっては、
相次ぐ天候不順は
精神的によろしくない。

夏の甲子園や競馬の日本ダービーが
雨天の中で行われるよりも
晴天の猛暑の中で行われる方が

平易に言って、気持ちがよいのは言うまでもない。


異常気象。

これは
なにをもって異常かといえば、

例えば
<春><四月>という季節性と時節に
これまでの長い年月の積み重ねで


晴れ
暖かい

といった構図が

人々の深層に刻み込まれている
既視感や慣性に厳然と存在している
"気温"や空の色、風の匂いなどと

合致する上に、

それが数値としてのデータにも
それは歴然と証明されているからである。


人は、特にニッポン人は、
フォー・シーズンズという括りで
一年を通して展望するものであり、

それを後押しするのが季節感に
裏打ちされた気象なのである。

そしてそれを裏づけるものが、データとなる。


不愉快な異常気象。

それは何を指すのかといえば
そういった既視感や慣性、データの裏づけを
すべて根本から覆すような

データ無視の結果が目の前に提示されるからである。

<招かざる客>。

春の豪雪、四月にも関わらずの真冬のような寒さ。
そして陰鬱なダークスカイ。

これらは招かざる客なのである。




<菊の季節に桜が満開>。

これは、競馬史に残る実況名言。

これぞ
季節外れ、及び、一過性のブームや徒花を
象徴し得るフレーズである。

この時の
サクラスターオーの菊花賞制覇と
名言は、

けっして招かざるものではなかった。


基本的にスポーツは、

競馬に限らず野球でもそうだが
データの裏づけは重要になってくる。

番狂わせが、なぜ番狂わせと認定されるかといえば、
あらゆる要素の数値的に
アンダードッグとされた側が
フェイヴァリット(本命)に勝つケースにおいて
である。

フェイヴァリットとアンダードッグの
位置づけと設定そのものが

過去の戦歴や力量、数値などを網羅した
データをもとに行われるからして、

データは必要不可欠にして重要な
エレメンツとなるわけである。

データはそして必ずしも絶対ではない。

絶対ではないから
日常的に番狂わせも起きる。

だが番狂わせもまた
データがなければ、
そもそも起こらないという理屈である。



今週の皐月賞は、

データにフォーカスをあてて
取捨選択をした。

むろんデータも各種あるからして
どのデータを採用するか
どのデータをポイントにするかによってもまた

見解は異なってこよう。




*****





datasatsuki.jpg


小さくて申し訳ないが
ギリギリ見ようと思えば見えるだろう。

視力の落ちたダモシでも見える。


まずはデータとは別の視点で見た場合、
今回の皐月賞はもともと
<アリゼオ>を主眼にしていた。

だが、
あまりにも新聞各紙、記者の中で
<アリゼオ>を推す数が週の頭から多すぎて
食傷気味になってきたのは否めない。

本来、穴的な人気で
密やかに狙える馬的なアリゼオが
表の人気馬になってしまうのであれば

これは見解を異なるものとしなければならなくなる。

要するに
あまり目立たないが
自分は密かに目をつけていた女。

それがある日のパフォーマンスを境に
表で注目され始めてしまい、
挙げ句の果てにはミスコンの優勝候補に
なってしまったようなケース。

そうなると扱いを変えざるを得なくなる。

それがまた男の心境でもあろう。

さて、表だ。

実際の人気順に馬を並べてみて、
それぞれ
過去十年の皐月賞のデータを重ねてみて
割引、もしくは加算をしてみた上での
取捨選択へと結びつける。


どうあがいても本命になる
ヴィクトワールピサ。

データも後押しする。

一番人気の勝率、連対率、三着以内率
いずれもトップであり、

且つ
過去十年の皐月賞馬のうち
前走で勝率も三着以内率も
最も高い<弥生賞>を勝ってきている。

経験加算とした項目においても
過去十年の皐月賞馬のうち
ダントツの勝率、連対率、三着以内率を
誇る<通算勝利数4勝以上の馬>に
該当する

ただ一頭の馬。

ヴィクトワールピサを、
▲以下の印にする行為は軽卒と言わざるを得ない
データが出ているわけである。


表でグレイに網かけしたパート。
それは四番人気リルダヴァルと
五番人気エイシンアポロン。

皐月賞の過去十年において
この二頭が現在立っている四番人気&五番人気
という人気の馬は、

勝率も連対率もゼロであるという
大きな懸念材料。

しかもエイシンアポロンに関しては
入っている枠番号が6だが、

6枠の馬は過去十年で
やはり最悪の成績で
勝率も連対率もゼロとなっている。

人気になるであろう
エイシンアポロンにとっては
データ的には最悪のシナリオ。


その他、表の通りだが、
目立つ馬はダイワファルコン。

人気は下だが、
案外この皐月賞では過去十年、
十番人気以下の馬が
勝率2%、連対率6%、三着以内率7%と
健闘している上に、

ダイワファルコンの前走と経験加算が
うまいことプラスされる。

ダイワファルコンの前走(弥生賞三着)は、
過去十年の皐月賞の中でも
前走としては最高のステップであり、

経験加算の<通算勝利数>でも
Bランクの
<1勝馬>に該当するわけである。

ダイワファルコンは確かに
デビューから未だ1勝しかしていないが、

1勝馬の皐月賞における
過去十年の成績は(1-3-1-16)で
勝率4.8%
連対率19%
三着以内率23.8%
と、

ヴィクトワールピサの<4勝以上>に次いで
皐月賞では
好結果を誘発しているのである。

(中途半端に2勝や3勝という経験の馬より
 良い結果を出している)。


しかもダイワファルコンは、
今回の本命ヴィクトワールピサと
前走のその弥生賞で肌を合わせている上に、

ヴィクトワールピサに直線で差されて
勝負づけが済んでいるのではなく、

さらに後方から追い上げての三着に
食い込んでいるという
目立たないが
目立つ
仕掛けを施している。

ヴィクトワールに、負けたものの、
差されて負けたわけではなく
後ろからそのヴィクトワールを
追いかけてみた展開で
三着にまで押し上げたのである。

それは無視出来ないだろう。


心情を排除して
今回はデータによる見解に頼った上で
取捨選択をすれば、

以下の馬が順列で残る。


ヴィクトワールピサ
ローズキングダム
ダイワファルコン
アゼリオ
ゲシュタルト
ヒルノダムール

そして
ぎりぎり圏内としてイキママで残るのが、
リルダヴァル
エイシンアポロン。

なぜなら人気順は
本命以外は
当日にならなければ分からず
変動する可能性があるからだ。
この二頭は人気順でのポイントが響いて
割引されているが、

それぞれ前走加算では
きっちりポイントされている。

合計八頭の中から
印をつけられる六頭を選ぶ作業になる。

二頭を、カットアウトするわけだ。

条件が揃った
ヴィクトワールピサとダイワファルコンは
そのママ残る。

データも実績もある
ローズキングダムとアゼリオも外せない。

となると、

リルダヴァル
エイシンアポロン
ヒルノダムール
ゲシュタルト

といった穴党が喜んで選ぶ馬たち四頭から
二頭をカットアウトすることになる。


オープン特別に勝利歴のない
ゲシュタルトは切らざるを得ない。

デビュー戦に負けた後、
重賞で連対または
オープン特別以上を勝っているような馬が
皐月賞で連対しているケースも多い。

そういう意味では
重賞で連対しているゲシュタルトだが、
デビュー戦で勝ってしまっている。
デビュー戦で勝っていながら
その後、勝っていないという、

勝ち味の遅さは割引になる。

皐月賞と同じ距離の2,000mを経験し
且つ勝っているか上位に来ている馬。

これに該当するヒルノダムールはイキ。


残るは
リルダヴァルかエイシンアポロンか。

後者は、
デビュー以来、走り過ぎの気がする。

善戦マンだが、
その善戦の壁を破れずにいる。

相手強化する今回は
その善戦で毎度の二着すら危ういと見る。

案外、王道的なキャリアを積んでいて
未だ底が割れていない
リルダヴァルを選択するのが
よりチャレンジングを見る。



ヴィクトワールピサ
ローズキングダム
ダイワファルコン
アゼリオ
ヒルノダムール
リルダヴァル


の六頭が残った。

あとは、印をどうつけるかになる。
が、今回のフォーカスがデータゆえ、

その視点で残った順列で
そのまま印をつけることにする。


◎ヴィクトワールピサ
〇ローズキングダム
▲ダイワファルコン
△アゼリオ
△ヒルノダムール
注リルダヴァル







posted by damoshi at 22:22| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<ディスカバー・ジャパン> 世界の四番打者(後編)




東大寺。

大仏殿の中もまた
主役のオールスター。

南大門、大仏殿に加えて
さらに
その大仏殿の門番・賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)。

数々の睥睨に包まれながら
中に歩を進めると

己が口から出ざるとも
心の声として

<いったい、何をしているのですか…>
<まったく、そのポスチャーは…>
<どうしろというのですか…>

といった台詞が沸き立つ。



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いよいよ大仏殿の内部へ入る
そのエントランスへ。


0todaiji61.jpg


"門番"
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)、ここに在り。



***
仏弟子で、
如来・菩薩以前の修行過程にある
十六羅漢のうち、第一の聖者である。
説法に優れ、釈迦にとがめられたほど
神通力の持ち主でもあったという。
***

と、
そのスタチュの下に説明記載があったが、

正直、意味は分からない。

いずれにせよ、
数多くのスーパースティションがあるという
この異形スタチュである、賓頭盧尊者。

その中でも最たるスーパースティションは、

<病人が患っている箇所と
 (このスタチュの)同じ部分を撫でると、治る>

というもの。


訪れる多くの観光客がそれを知り、
この賓頭盧尊者のボディを撫でてゆく。




*****




奈良、そして東大寺。

そのメインイベンターであり、
主役の主役。

それが、

奈良の大仏、あるいは東大寺の大仏として
知られている<盧舎那仏像>。


今まさにダモシも、
あの中学時代の修学旅行以来となる
再会を果たした。

だが、既載の通り、
存在は知っていたとしても
見たことはあるなと分かっていても

初めて邂逅するかのような存在。

<あぁ、こんなだったかな>
<こんな大きさだったかな>
<こういう位置に鎮座していたっけ?>

という数々の、薄いメモリーズへの疑問。

目の前に在る現実だけが
あらゆる事象における真実だが、

それを真実とはすぐには認められないのは、

己が<見たはずだ(が、記憶にない)>という
薄い観念や疑念が横たわっていることと、

あるはずの既視感もまた薄い上に
残っているその既視感の対象は
実は<鎌倉の大仏>の方であるという

セザンヌとカエル状態=二律背反が
生まれ出ていることと、


そしてこの場が
非日常なのか日常なのか
もはや区別がつかなくなっているような

隔離された第9地区である

ということが要因として挙げられる。


隔離された空間。密閉されたアトモスフィア。

そして
金網デスマッチあるいは
リング下には五寸釘が敷き詰められているから
逃げ場のない=退路を断たれた状態という

環境設定。


それらが盧舎那仏像の、
そしてそれ以上ともいえる
夥しい数のスタチュたちのオールスターの
異形を、

さらに後押しするわけである。



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3ディケートぶりの、再会。



0todaiji60.jpg


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0todaiji52.jpg



<こんな、だったか…>と改めて感じる。

"大仏"というものの既視感はあれど、
そのモノ自体の記憶がないのは
なぜなのか、不思議だ。

鎌倉の大仏は、屋外にあって、
大阪の<太陽の塔>同様に
空に向かって、周囲に同様の塔や像がないから
イメージしやすいのか。

密閉空間、隔離された睥睨の中にある
この大仏の場合、

大仏自体のフォルム以外は、
その周りに存在しているものに対する
かつて見た(はずの)記憶が皆無なのである。



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後ろ側も、もとより、見た記憶がない。




そして不思議なことが、
この大きさの実感が沸かないことである。

沸かないというよりもむしろ、
これが大きいのか小さいのか
何とも言えないのである。

たとえば鎌倉の大仏や
大阪の太陽の塔であれば、

大きさを目算で測ることができる。

周囲の、何もない、という環境設定が、
見る者に

<あぁ、大きいな>とか
<意外と小さいのだな>と感じさせる。


ところが東大寺の大仏の場合は
隔離された空間であると同時に
"屋内"という場に存在しているという条件ゆえ、

大きさを測る基準が何もない

ということになる。


例えばそれは
ワシントンD.C.の
リンカーン・メモリアル(リンカーン記念館)と
その中にある
リンカーン・スタチュ(リンカーン像)の
関係にも似ている。


リンカーン・スタチュは
ワシントンD.C.のスミソニアン(=1エリア)の
屈指のランドマークの一つだが、

たしかにそれは大きいのだろうし
実際にも大きいのだが、

それが巨大なリンカーン・メモリアルという
建造物の中にあるという
室内展示ゆえに


<大きいのか小さいのか分からない>

という矛盾を生んでいるわけだ。



リンカーン・メモリアルが東大寺仏殿。

リンカーン・スタチュが、大仏。

構図的にはこのようになる。


リンカーン・スタチュに等しく
大きいのか小さいのか判別しにくい
東大寺の大仏と再会した瞬間、

異形には好意的な笑いが湧き出たものの

大きさというダイナミズムに対しては
いささか
<キョトン>としてしまったわけである。


<う〜ん、これはリンカーンの方が大きいな。
 しかも、鎌倉の大仏の方が大きいのでは?>

と。


ところが、だ。

リンカーン像、すなわちリンカーン・スタチュ。
その高さは19フィート(5.8m)。

それに対して、
大仏は14.7mであるということを知り、驚いた。


何と、リンカーン・スタチュの
約3倍近くの高さを誇っているのだ。

且つ
鎌倉の大仏とは少々の差ではあるが、
東大寺のこれの方が
若干高いことも分かった。


これは何を意味しているのか。

建造物としての
大仏殿が発している睥睨と異形に対して

あまりにも
微笑ましくも優しく佇む大仏。

しかもそれは大きさを感じさせない。

大きさを感じさせない大きさ。
これがもしかしたら
大仏様の、東大寺の御本尊としての
逆に凄み、深みなのかもしれない。



この大仏様は、異形ながらも
大きさを(見る者にプレッシャーを)
与えないのだが、

全体的な空間モードは
やはり隔離された世界観には違いない。


大仏様の代わりに、

<いったい、何をしているのですか…>
<まったく、そのポスチャーは…>
<どうしろというのですか…>

と感じさせ、

上から目線での睥睨甚だしく
怯えさせるのが

同じく大仏殿の中、
大仏様の裏手左右に位置する二者である。


広目天、多聞天の両スタチュである。



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<何か、ご用ですか…?>と言いそうになる広目天。




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<はい、ごめんなさい…>と言いそうになる多聞天。



大仏殿の中にあるスタチュで、
ダモシが最もインスパイアを受けたのは
この多聞天である。


もはやここまでくると、聳え立つ威容である。





*****




東大寺。

前中後編と三回に分けて掲載した。


有無を言わせぬ説得力。

ここに帰結する。


さすが世界遺産、国宝。

紛れもなく東大寺は世界レベルである。

世界の四番打者である。




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2010年04月15日

フェイク・ファイト? or リアル・ファイト?



偽物の春が続いているこの頃、

けふもまたダークスカイ。
寒風に雨。

どないなってんねん、と言いたくなる
ロンドンもしくは北の某のやうな
天気が続く東京。

相変わらず慣れていないのか
いずれの駅にも必ず、未だ、存在する
新卒の輪。

彼らはなぜ円を描いて
公共のスペースで
通勤ラッシュで急ぎ足の人々の
スムーズな進行を妨げるのか。

そもそも彼ら新卒は
駅などの混雑する場で円になって
何を協議しとるのか。

これから行く飲み屋をどこにするか
決めているのか?

あるいは合宿、研修での愚痴を
同期の桜で即席ミニ座談会でも
催しているのか?

靴もスーツも真新しいから
ひと目でそれと分かるのだが、
なぜ彼らは揃いも揃って
気味悪いくらいに初々しいのか。

今や小学校一年生ですら
そういった<群れ>たり、
初々しかったりというポスチャーはないのに、

なぜ社会人ルーキーは
ああして群れたがるのか。

まあ群れたがるのは日本人が
世界に誇る特性の一つだから
致し方ないが、

それでもあの新卒ルーキーたちの
群れっぷりはアグリーであると同時に、

輪になって公共の場で
だらだらしているその所作は、

じゃまくさいぞっ!

と一喝したくなるダモシである。

こちとらそもそも
新卒ルーキー時代にも
リクルート・スーツ系は着ていないし
群れていないし
すぐに単独で出張に出かけているし、

また、これ、そもそもが
一匹狼だから
ああいう所作がまったく理解出来ないのである。


なぜ群れるのか。

群れた上で、いったい、何を話し合っているのか、と。


一匹狼の、
オールウェイズ外様のダモシであっても、

案外、仲間は多いのである。

外様の特権。

それは
関わった各所に仲間がいることである。

関わる箇所が増えれば増えるほど
仲間も増えるわけである。

だが、その仲間や友人というものも
世間一般のそれとは異なり
かなり互いに厳選されたものである。

要するに
<群れない>イコール、
<スイングしない相手とは根本的に試合はしない>
スタイルだから、

誰かれ構わず友達になるというような

<友達の多い人>とは意味は違う。


ダモシは
<友達は少ない>が、

一ヶ所にいる人よりも
圧倒的に多くの<仲間>しかもそれは
<理解し合っている>&<ベタベタしていない>
関係の"味方"ということになる。

関わった各所で出来る仲間は
基本的にスイングする上に

ニューヨークならニューヨーク

東京なら東京
北の某なら北の某

といった具合に、

それぞれのエリア、それぞれの時代ごとに
濃密にその時代と場所での闘いを共有したことで
生まれ得る共感や

言葉にせずとも分かり合えている
通奏低音があるのだ。



今宵、

・<愛人>ニューヨーク時代
・98年以前の<本妻>時代

それぞれでの仲間と
久しぶりに再会して近況を語り合ったが、

いずれも久しぶりという感覚がないのだ。

逢えば、それぞれ、関わった時代とアイコンが
一致することで、
すぐにそれらの投影が心の中に生まれることで、

うまいこと

非日常的空間に浸りつつも
今これは日常なのだという
二律背反のエクスタシーの中で
一定時間のベタベタしないスイングを
奏でることができるわけである。


何度も、且つ、頻繁に。

仲間や友人と、
これを基本的にしないダモシである。

年に一度、あるいは何か明らかなるテーマがある際のみ。

その一戦一戦に凝縮して濃縮して
その人との邂逅、スイングを
互いに持っている通奏低音を軸に

相見えるわけである。


その結晶として、
もし度々逢う必要性が生まれる場合は
それは当然喜ばしいことではある。


例えば
ニューヨークの仲間で
現在大阪にいる人とは、

先般の西都&コテコテの旅で
逢おうと思えば逢えないことはない。

だが、あえてそれはしない。

富士山で再会。
これが軸にあるからだ。

そこが通奏低音であり、
相手もまた
ダモシが<大阪に出張で行くので逢おう>
とは言わないことは分かっているはずで、

そのあたりが重要である、と。

そういうふうに大事にしたい、と。

それが流儀である。


例えば<富士山>という軸があって、

そこで再会することが叶うならば、

あえて
その前に逢う必要はなく、

富士で互いに言葉を交わさずに
苦闘の中で苦悶に塗れても
頂上に到達した互いの顔を見るだけで、

何度酒を共に飲むよりも分かり合える。

そういう世界観を大事にしたいわけである。

また、今の時代、
そういった世界観も必要である、と。


何も新卒ルーキーに限らないが、
オトナも同様で
どうしても群れたがり、群れている風情が
各所で目立ちすぎる。

あまりにもそれはバッド・ルッキングである。


外の、公共の場で円を描いて相談せずに、
会社かどこか別の場所で
予め行く店くらい決めておいて
集合も個々にせんかい!

と、ほとほと言いたくなる。


小学一年生ですら、

既に
もはや
入学の三日四日後から
自分で登校しているわけである。

幼児を見習う必要があろう。





*****




ジュニアは、
自閉症の同級生のケアもしているようだ。

同じクラスの泣き虫の女の子がいれば
駆け寄っていって
相変わらず

<俺がいるから大丈夫だ>と励まし、

傘が誰か別の子に持っていかれたと
泣いている同じクラスの男の子がいれば
それを探す作業を一緒に行い、

登校の際も
自閉症の同級生と、自ら共に行くことを
提案して、一緒に行っているらしい。


親としては自慢したくなる上、誇らしい。

本人とて
マミーと離れて行くのは
寂しいだろうに、たいしたもので、

それらジュニアに援軍された子の親から
ワイフに御礼の携帯メールが届き、

それで初めてワイフもジュニアの行いを
知ることになったという。


ダモシは忌憚なく、褒めた。

そして、100円玉を
<偉いぞ。ご褒美だ>と差し出した。



一方で、男として当然今後、
中級、高学年、中学、高校となるにつれて
やんちゃな世界観が
否応無しに、招かざるともやってこよう。


<空手やってる子を負かしたことがある>
<俺はつよい>

と強がる子供がいるという。

それをジュニアにも言ってきた、と。


<で、何て言ってやったんだ?>と聞けば、

<空手は強いよ?
 それに僕の方がきっと強いぞ。
 いつか分かる日が来るさ>

と言ったという。


ワイフは爆笑した。

ダモシは言った。

<あまり挑発してきたら
 一発やっていいぞ。

 一発食らわして黙らせるのは
 俺が許可する。

 そのかわり、魅せろよ。
 魅せる要素を忘れるな。

 怖さを知らないナメている奴には
 一回分からせてやるのも救済だからな>

と。


その話を、道場でもワイフがしたらしい。

すると
その団体のトップがまた
やんちゃが好きだからか、

ダモシと同じことを言ったという。


<一回だけやっていいぞ。
 ただし、一発で決めろよ。
 何発もやるな。一発で黙らせろ>

と。



ダモシ、先生いずれからもゴーサインが
でたからして、

まあそのうちやるだろう。


やれば良い。

なぜ、ゴーサインか。

それは
ジュニアは
"そういうこと"を理解しているからであり、

ちゃんと<プロレス>が出来るからである。

これは
プロレスを理解していないと
分かりにくい表現かもしれないが、

要するに<プロレス>が出来るか否か
という技量は非常に重要である。


<1976年のアントニオ猪木>
という本を読んでいるということは
以前も記載したが、

その本は
ダモシ的には、いささか短絡的な箇所が多く
承服しかねる内容が多かった。

解釈の違いではなく、フォーカスの違い。


その昔、まだダモシが子供の頃の喧嘩
といえば、魅せる要素満載だった。

相手を傷つけたり潰すことだけに
邁進するそれとは異なり、

頭に来てこの野郎と思っているから
喧嘩になるわけだが、
そこには同じ人間としての愛情があったのだ。

要するに

<これをやったらおしまいだよな>的な技は
やらない。

相手を傷つけるだけの、
そのへんのちんぴらとは違う。

リアル・ファイトなのではあるが、
その中に
プロレスが入っているのである。

プロレスを、それを指して、
八百長だの、脚本があるのだのという論議は、

それこそ

人生、仕事、恋愛すべて
では脚本や八百長ですよ

という結論につながっていくわけで、

そういう議論自体、意味をなさない。

それを分からずに
上述の本は、

猪木vs.アリ戦はリアル・ファイトで
猪木vs.ルスカ戦は予行練習ありの脚本ありの
フェイク・ファイトだった等、

記載していく。

フォーカスが、
リアル・ファイトかフェイク・ファイトか
という点に向けられていたことと、

いささか
フェイク・ファイトが悪いような
物言いに、

ダモシは大きな違和感を覚えたわけである。


ならば、あんた、人間皆、
ほとんどが毎日フェイク・ファイトですが?

と言いたくなるわけで、

人間の営みに対して
いちいち八百長だのフェイク・ファイトだのと
言いますか?

と。


ジュニアの幼児の空手の組手(大会)と
道場での練習における組手を観ていても
分かるのだが、

やっている本人は常に真剣なのである。

ところが
仲間とやっている道場でのそれは
<本気じゃない>と言うジュニア。

大会でも
一回戦など下位のレベルでは
とてもリアル・ファイトとは思えない

<試合を魅せているぞ?作ってるな>
と感じるほど

いわゆるフェイク・ファイトをしている。

何が何でも
死にものぐるいでやれ!
とゲキを飛ばされた優勝した大会の
準々決勝以降は、

ある意味でリアル・ファイトを
ジュニアはしているわけだが、

それは真のリアル・ファイトではない。

リアル・ファイトならば
相手を潰しにいくからだ。


そういった機微や微妙なバランスを
理解せずに、

短絡的に語るのは危険である
ということである。


ダモシが米国時代に行った
数々の体験的ジャーナリズム。

例えば黒人のアマ王者とのボクシング。

それは
雑誌の取材用で行っているという前提と
エキシビションという成り立ちゆえに
フェイク・ファイトに属するものと
思われるだろうが、

実はあれはやっている二人は
リアル・ファイトが入っている。

黒人はある瞬間、
完璧に目の色を変えて
一発で倒しにきた。

ダモシも
一発だけだったが、リアルなパンチを入れている。


しかし、そのリアル・ファイトでも、
どこかで互いのルールがプライド的な
魅せる要素を織り交ぜ合っている。

100%リアル・ファイトならば
ダモシが掟破りに
突然ローキックを放ったり
膝へ垂直な蹴りを入れれば終わり
ということだって十二分にあり得たわけである。

あちらも同様。
一発リアルなパンチで
ボディブローを入れれば
ダモシが悶絶KO負けとなろう。

しかし
ぎりぎりのところでそれをやらない。

それがスイングした。

そういう所作もまたプロレスにはある。

それらを指して
八百長だの、脚本があっただのというのは
まったくもって物事を理解していないの極みである。


恋愛もしかり、仕事における
取引先や職場の人間関係もしかり。

どこに
オールウェイズ、リアル・ファイトがある?

と。


<どれだけプロレスが出来るか>。


これはある意味で、
たいへん人間にとって
重要な資質なのであると

ダモシは常々思っているわけである。



ニュートラルに見て
例えば
他校の学生との喧嘩における
イトーヨーカドー屋上での戦いという
一例。

相手は空手。ダモシはプロレスが基軸。

一般的に
他校の生徒とのガンつけあいから
<何だコラ>となり
<屋上に来い!>となって
一発始まった喧嘩の場合、

リアル・ファイトと位置づけられる。



一方、
同じ学校の中で
プロレス的な、且つ今でいう総合格闘技的な
プラス喧嘩で王者を決めようというバトルが
あったとする。

そこには魅せる要素があるから
二対二のタッグマッチで決しよう、という
前提があったとする。

once upon a time、そういうことがあった。

ダモシ&〇〇vs,〇〇&〇〇。
舞台は教室。

基本的にベアナックル禁止(拳での顔面殴打禁止)
というルールを取り決めた上で
技はプロレス技を基軸に何でもありとした。

周りで見る生徒たち。

魅せる要素満載の"プロレス"だから
フェイク・ファイトに位置づけられる。


ところが

前者がフェイク・ファイト的なプロレスになり
後者がリアル・ファイト的な
シュートっぽいプロレスになった。

こういった二律背反があるわけだ。

表現を理解してもらえるだろうか。


前者は
相手は空手のキックや突きを放つ。
ダモシは猪木を己に準えて
張り手や捕獲してのバックドロップを狙う。
そして、アリキック。

後者の戦いは
なぜか
一組は壁際で延々と立って組み合って、
互いに壁を背にしようと
押し合ったり引き合ったりしている。

もう一組の
ダモシvs.〇〇は
ゴングと同時に
上体を覆いかぶせたダモシが
ヘッドロックに相手を捕獲すると
そのままグラウンドに持ち込んで
延々とヘッドロックをかけ続けている。


壁を背に立ったまま組み合って
押したり引いたりを繰り返して
膠着状態の一組。

延々とグラウンドで
ヘッドロックをかけ続けるダモシと
そこから展開を変えようと思案しつつも
へたに動くと危険とばかりに
動かない相手が寝転がっている一組。


見る者にとって何も面白くもない展開。

フェイク・ファイトのはずが、
一歩でも相手の展開になってしまうと
何をやらかしてくるか分からないという
恐怖感から、

いずれも動けない状態で
完全にシュートしてリアル・ファイトに
なっている世界。


こういうことは、ままあるのだ。


仕事でも同様。

会議その他、
予期せぬときに
予期せぬ問いかけは、ある意味でそれはシュートである。

シナリオや脚本(事前根回しなど)が
あった上で、

いかにシュールに行うか、

あるいは
いかにその場をまずはうまく
核心を語り合わずに済ませるか等々、

そこには

すべてフェイク・ファイトあるいは
リアル・ファイトの二律背反という中での
プロレスが仕込まれているのである。


すべてがすべて正論や理想論だけでは

物事を進めることができないのと、

同じことである。


とどのつまり、
シナリオがあろうがなかろうが、

フェイク・ファイトとリアル・ファイトは
常に表裏一体で存在しているということである。


通常の喧嘩で、ゆえに
相手を傷つけたり潰したりしてはいけない
ということであり、

上述した諸々のことを
文化的にも体育的にも
理解出来ていないandそういう教育を施されていない
平成のクソガキどもが、

どれだけ程度のわきまえない乱暴を
これまで行ってきているか

ということこそ問題なのである。



<一発やっていいぞ>という言葉の裏には、

そういった
諸々のことが内包されている。

単に、潰せだのとは次元の異なる世界で、
またそれをジュニアは
理解出来る人間だから

先生もまた笑顔で言うわけである。


けしからん!
何て親だダモシも、先生も、

というのは、ただの世間知らずであり、

そういうことを感じる輩こそ、

攻めと受けの美学というものを
まったく理解出来ない者であるケースが多く、

会話も闘いも何もかも、

相手の技をいかに受けるか。
相手をいかに引き出すか。
その上で、己はいかにするか。

ロープに飛ばされたら
いかにして飛んで跳ね返っていって
相手の技を受けるか否か。

こういう所作が、重要なのである。



今宵、久しぶりに逢った旧知の仲間と
対コドモで
まったく同じことを
己がコドモに言っていたことを
互いに知り、笑った。


その人のコドモが
ぬいぐるみで闘いごっこをしていた、と。
善悪の構図を自分で決めて。

コドモの場合、
基本的には勝つ方をやるから
一方的に攻めるだけ。
そして勝つ。

ジュニアの場合も
仮面ライダーなどの人形で
闘いごっこをしていると

怪獣ではなくライダー側が
一方的に攻めて、一方的に勝っているように
当初は遊んでいた。


その人も、ダモシも、
己がコドモに言った同じこと。

それは、


<相手の技も受けないとだめだよ>

<こちらが技をやったら、
 相手にも攻めさせないと>

ということである。


そして、いかにして
魅せる要素としての
スイングした闘いの
エンターテイメント性を己が手で創造するか

という点である。


バスタイムに共にジュニアと遊ぶのだが、
たいていダモシが悪役である。
怪獣側を持つ。

ジュニアは当初、
一方的に攻めるだけで
まったく自分側はやられることを受け入れない。


だが、

<相手の技を受けること>を知って以降、

"やられること"が上手になった。


ウルトラマンでも仮面ライダーでも
<昭和>のそれが面白かったのは、

そして力道山から猪木など
<昭和>のプロレスが面白かったのは、

そういった点にある。


<ヤバいのでは?>
<あ、カラータイマーなってるぜ!負けるのでは?>

と、相手の攻撃にやられまくった上で、

最後は伝家の宝刀で逆転勝ちするという

見事な<フェイク>&<シナリオ>&<八百長>
があったからである。


あえて書いたが、

さふ。

これらを
わざわざ八百長だのフェイクだのシナリオだのと
言いますか?


こういうことなのである。


ジュニアが仮に
そのコに一発やらかすとしたら

間違いなく
良い意味でのフェイク・ファイトであり
シナリオに沿ってであり
八百長であろう。

その中に、当然、
リアル・ファイトの部分も折り込むだろう。


そしてその時に、
目くじらをたてて
けしからんと言うのは、

前もってもう分かり切っているが、

ここに記載したような機微や
文化的な理解に乏しい親であろう、と。


あるいは
お腹だけルールの大会で
逃げ回りながらも
点数稼ぎをして勝つようなタイプのコの親
であろう、と。


いつか
あの<1976年のアントニオ猪木>という
本についてのおかしなフォーカスについての
反証としてのダモシのロジックを
記載する予定だったが、
今宵、流れで書いたところである。


解釈の違いは当然何事もあるが、

危険に感じるのは
その解釈が浅い場合と
浅いにも関わらず
その浅い論こそが真実だと誤解している点である。

もしかして
そういう経験
(格闘など。格闘技とまでは言わずとも、喧嘩の経験すら)
がない人なのでは?

とさえ思ってしまうような記述が多く、

非常に読んでいて不愉快な点が
多かった本ゆえ、書かざるを得なかったところである。

筆者がリアル・ファイトとした
猪木vs.アリ戦。

たしかにリアル・ファイトだが、
ダモシ的にはあれは
リアル・ファイトではない。

100%リアルならば、
猪木の側にいくらでも勝てる技はあった。

だが、猪木はそれをやらなかった。
相手が世界のアリだったからだ。

それが相手に対する、尊敬なのである。



<新卒ルーキーの、円を描く群れ>同様に、

相変わらず
不理解な面々が多いのが

コミカルであるな、と思うところである。

もうすこし<相手>や<他者>への
尊敬という部分が
あって良いのではないか


ということである。






*****




ワイフもまた元気にやっているようだ。


今宵も
小学校で親が集まっての役員決めがあった、と。

役員の役は三つあり、
それがPTAになるわけだが、
役の中でももっとも花形的な役を

自ら挙手して立候補した、と。


<まあ、随分とアグレッシヴだな>とダモシ。

三つある役に対して
全員で自ら立候補した者は
ワイフを含めてたったの二人だった、と。

ワイフともう一人の母親いずれもが

希望する役は
その最も花形。

じゃんけんで決めましょう

ということになったらしい。


既に
(あぁ、じゃんけんするしかないな)と
察していたワイフは、

さすが心理カウンセリング。

その際、相手の気色ばんだ顔を見て、
握った拳を見ていたという。

くじ引きという運頼みは嫌うワイフは

自ら先手を打って
<じゃあ、じゃんけんで決めましょう>と
提案した。

<そうしましょうか>となり、

じゃんけんに。


己が提案した闘いだから、
既にその闘い模様を描いて
相手を観察していたワイフは

相手がグーを出してくると
確信していたという。

その確信を得た上で

<じゃんけんで決めましょう>と

己がルールでの闘いに見事に持ち込んだ。

相手は予期せぬじゃんけんだ。

リングは明らかに
ワイフのリングとルールになっている。

じゃんけんぽい。

注文通り、
相手はグーを出し、
ワイフはパーを出し、

ワイフが勝ち、

その役を獲得した、と。


その瞬間、
あろうことかクールなワイフが
ガッツポーズをしてしまった、と。

他の母親が後から

<ダモシさん、ガッツポーズしていましたね>
とワイフに述べたことで
ワイフは気づいたらしいが、

己がしたガッツポーズにすら
気づかなかったとは、いかがなものか。


なんでも、ワイフによれば、
一度やればあとはやらなくて良いらしい。

当然、六年間ある小学生生活。

六年間のうちに
一度は役をやってください的な
世界観があるらしいが、

どう考えても

全員が役になるほど
その数は多くない。

生徒の(親の)数の方が
圧倒的に多いからだ。


<最初に、一年生の頃に、
 やっておこうと思ったのよ>

と述べるワイフだが、

実はそうではなく
己がジュニアと関わりが多くなるわけで、

学校と絡む時間が増えるのと
目立つという部分で
花形の役を

最初から狙っていたのではないか?

と思えなくもないわけである。


まあ、いずれにせよ
本人がやる気があって
やろうと思って
積極的なアプローチをして

しかも、じゃんけんで勝って
そうなったのであるからして、


<おお、そうか。それは良いことだ>

とダモシも褒めたところである。




さて、このじゃんけん。

フェイク・ファイトであろうか?
リアル・ファイトであろうか?



今日デートで羽田へ飛行機を観に行って
青山のレストランで
イタリアンを食べて、

最後は出来立ての東京都庁で
プロポーズしよう。


この脚本を描いた上での一連の行動は

フェイク・ファイトであろうか?
リアル・ファイトであろうか?


すべてのノンフィクション本に
フィクション的要素は入っていないか?

すべてのフィクション(小説)に
実際にあった事実は含まれていないか?


皆、仕事の会議などで
自分のリアルな主張ばかりしているか?

ナアナアで済ませていることが多くないか?

合コンはそもそも
フェイク・ファイト?
それともリアル・ファイトですか?


送別会や歓迎会など、飲み会は?
面倒くさくないですか?



そして、男と女のセックスは、

では、
フェイク・ファイトですか?
リアル・ファイトですか?


ダモシの
新宿歌舞伎町東京大飯店前乱闘事件における
100m助走つきジャンピング・ニーパットや
一連のその場での闘いは、

フェイク・ファイトでしょうか?

それとも
リアル・ファイトに属しますか?


時々ある、各所での<おしくらまんじゅう>は
フェイクでやっていると思いますか?
それともリアル・ファイト?


相手に呟く

<愛してるよ>
<愛してるわ>

は、

フェイク・ファイト or リアル・ファイト?




と、いうことである。







posted by damoshi at 23:52| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

<ディスカバー・ジャパン> 世界の四番打者(中編)




南大門をくぐり、
一直線に伸びる参道を歩く。

既に、
大仏殿の睥睨は感じている。

何となく
<睨まれている>感覚がある。


シカはそろそろ姿を消す。

というよりも
むしろ
"この紋どころが目に入らぬか"的な
大仏殿の凄みに畏れおののき、

ここからは
自分たちのロールではない
とばかりに、

そして
急に人に対して冷たくなって

<あとは自分で行っとくれ>と突き放す。



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そろそろ妖気も増してくる。


角度を変えて
池の方から遠望すれば
既に<何かたいへんなことになっているぞ…?>
と感じてしまうポスチャーが展開されている。


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まずは現れる重要文化財・中門。

本丸たる大仏殿の前に
人々に"前座の鬼"的に立ちはだかる。


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この中門から左右に
ループ、否、四角に回廊がある。

中門と大仏殿を左右で結び
その空間スペースを囲む
限りなくスクエアに近いポスチャーの回廊。

その中は四角いジャングルならぬ
第9地区か。

アイソレート・スペース。

大仏殿と中門の間を
回廊という壁で隔絶された隔離空間とすることで、

より大仏殿の睥睨を強調するか。

人に逃げ場を与えない
不思議な、それでも心地よい緊張感。



本殿たる大仏殿へ入るには
山門、中門とそのままに
ストレートに入るものという認識があるが、

東大寺は異なる。

中門の左側(回廊の左端)から入る形になる。


これもポイントの一つだ。

その隔離された第9地区に
自ら足を踏み入れるか否かを

人に判断させる最後の機会を
東大寺は与える。

それが中門の隙間から
大仏殿をピーピングすることができる、
垣間みることができる、

仕掛け。



ここでは東大寺が現(うつつ)で、
人間こそがエイリアン。

己がエイリアンであることを認知し、
現の隔絶空間へ
アイソレートされることを受け入れるか否かの

最終デシジョン。


これを見てから、それを下すことになる。



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The largest wooden building in the world.


世界スーパーヘビー級木造ビルヂング王者は、
国宝・東大寺金堂(大仏殿)。




*****




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やふこそ。


人々は意を決して
大仏殿へと歩を進める。




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左右の回廊を見る。

そして正面、大仏殿へと
そろりと視線を移す。



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シカからロールをテイクオーバーしたのか、

桜が出迎えてくれるがしかし、
この桜をもってしても
それはまったく通用せず、

静謐に化身せず
大仏殿の戦慄は増すばかり。



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<何ですか?いったい>
<何をしているのですか…>
<何もそこまで…>

と言いたくなる儀容。


じわじわと無言のプレッシャーを
己が睥睨によって
ダモシに押し寄せていた大仏殿は、

この段階で素で襲いかかってくる。


しかも
大仏殿にとっての完全無欠のホームである。

ダモシにとってはアウェイ。

大仏殿は己が得意なルールと土俵
(回廊を用いることで隔離空間を生んだ)
である第9地区に

見事にエイリアン・ダモシを導き入れた。

あとは
どういう方法でダモシを始末するか。

それだけになる。



そして、
それを見届ける立会人がごとく
遠望すれば<ミイラか?>とも見紛う

恐怖のスタチュが

微動だにせず座っている。



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その立会人たる
<賓頭盧尊者>は、赤い"何か"を身に纏っている。



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*****



このオープンな
屋外というスペースにも関わらず、

場のアトモスフィアは完全に
隔離された空間である。

空間内が広大だから
まだ救われるものの、

それでも圧迫感があるのは、

やはり大仏殿の
世界レベルのダイナミズムと
ヘビー級の凄みのせいだろう。

きれいにシカはもうここにはいない。
それもまた頷けるところである。



ここでの隔離空間は、

さらに大仏殿の中へ入っていくことで
隔世感と共に
密閉空間の高い濃度によって

凌駕される。




その閉ざされた大仏殿の中。

そこには

<お前は何様だ…>と口を滑らせてしまうほどの
また夥しい刺激が待っている。





(つづく)






posted by damoshi at 01:28| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月13日

未だ、タワーは変わらぬ姿




東京タワーである。


未だ98年以前の<本妻>時代。
那須から
女三人組の姪っ子がやってきて
東京観光案内をした際、

最初に行ったのは鎌倉・由比ケ浜だが、
その後に
高速道路を飛ばして戻ってきた東京で

真っ先に向かったのは

東京タワーだった。


時代は既に平成に入っていたものの
東京を見せる際の
筆頭格として

東京タワーは存在していた。


<あれが、東京タワーだよ>と。


今宵も雨の東京タワー。

銀座に等しく
オフィシャル事案で絡む際に
なぜか東京タワーはいつも雨。

ダモシx甲府=晴れの法則

の真逆で

<いつも雨>となっているのが、

同じくオフィシャル事案で対峙する
銀座の某であり
東京タワーである。


携帯電話のカメラゆえ
画質は悪いが、

雨のAM、東京タワー。



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2006年頭、
ニューヨークからの東京出征中に
取材で出向いて
あらためて登ってみて
その素晴しさに感嘆した東京タワー。

そしてフィーチャーした。

それは紙に残っている。

それは、貴婦人のスカート。



東京タワー
東海道新幹線
東京五輪
首都高

などに加えて、

東京以外でいえば

大阪万博。


昭和ニッポン、高度経済成長ニッポンを彩る
アイコンである。

昭和33年の東京タワーだけが、やや早い。

これだけは
ダモシ世代よりもずっと上が
主軸だろう。


大阪万博、
東海道新幹線(東京→新大阪)、
新幹線車内から見る富士山、
<定刻通り三河安城を通過しました>という決め台詞
などなどの

夢溢れる

時代を投影するアイコン。


ダモシの生まれたのが1966で、

東京五輪/1964
首都高(適宜開通)/1962〜
東海道新幹線/1964



いずれもダモシ誕生の直前である。

1965年には
シンザンが史上初の五冠馬に輝いている。

その頃、コドモだった人こそ
現在の<元気なシニア層>を構成しているのも
頷くことができる。

東京タワーだけ
50年代(1958年)だが、

西暦で括れば
違いが生まれるのだが、

元号で見れば
いずれもれっきとした昭和30年代。


あの映画<Always三丁目の夕日>の時代だ。


東京タワーは
ダモシが生まれた1966年には既に
来場者数で3,000万人を超えていたというから
驚く。



いずれにせよ
ニッポンが大きく変貌を遂げる
夜明けの時代であり、

変貌と成長を遂げてしまった後の
つまらなさとは無縁の、

ある意味で最も人々の

覇気

というものがあった時代とも
一つには考えることができる。


今や腐っているニッポンだが、
東京タワーは未だに
あの当時の姿のまま屹立している。

新幹線がその車輛を
味気ない現代的なものに姿を変え、

首都高は
オールウェイズ大渋滞の
スーパー・スロードライヴィングにも
関わらず、

やれまた実質的値上げだのと
へんてこりんな様相に陥っている。


もはや
いまや
五輪なんぞ、東京には不要になっている。
やる意義と意味は皆無になっている。


東京タワーだけは、
あの頃と変わらぬ姿で在る。


そして、今宵も、嬉しくなったが、

明らかに地方から出てきた
修学旅行生と思しき
女子中学生の数人組が

目を輝かせながら

東京タワーを見上げていた。


そして嬌声をあげて
一生懸命撮りっきりカメラで
写真を撮り合っていた。


捨てたもんじゃないな。

端的にそう思ったわけである。



オレンジ色の貴婦人のスカート。

それが
東京タワーを表現する
ダモシとしての喩えである。



<修学旅行>。

これもこれで考察に値する素材である。

己がジュニアが
修学旅行に行く頃、

もしまだ生きていたら
いろいろ話を聞いてみたい。

まだまだ、中学生までは6年以上あるが。




先日に続いて、

修学旅行生に混じって
東京タワーの中のお土産物屋さんで

記念グッズを一つまた買った。



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2010年04月12日

<ディスカバー・ジャパン> 世界の四番打者(前編)




ノース奈良の、
世界に誇るニッポンの美。

他の組織であれば
主砲になるのに
ここではトップバッターとなる
<数年前の読売巨人軍の高橋由伸>的存在が、

興福寺。

天下の世界遺産・興福寺をもってして
一番打者にしてしまうノース奈良。

その基軸は、シカと奈良公園。

とどのつまり奈良公園は、
その緑地という包含意味合いで言えば
春日大社、東大寺、興福寺を内包する
広い同一エリアである。


奈良公園という大枠の中に
それら強烈な個性の面々が
ラインナップされているといえ、

さながらそれは
アントニオ猪木、藤波辰爾、長州力、
前田明(当時の記載)、ハルク・ホーガン、
アンドレ・ザ・ジャイアント、
そしてタイガーマスクなど、

他団体へ行けばいずれもメインを張ることのできる
突出したスターたちが揃った
全盛期の新日本プロレスともいえよう。


まさに四番打者を集めた
ニューヨーク・ヤンキースや
レアル・マドリード、
読売巨人軍。

それがノース奈良。


重々しいスーパースター軍団の中での
潤滑油であり、

場を和ませるムードメーカーは、

既載の通り

シカ。



これがノース奈良の、
考察の一つとして成り立つ図式である。


その中の絶対主砲。

ニッポン勢にして
メジャーでも主砲を張る度量を持つ

文句なしの世界レベルの
世界遺産は、


<東大寺>。





*****




忌憚なく、
世界で、世界レベルの
破格のスケール感とダイナミズムを観てきた
ダモシをして、

リアルにそのダイナミズムは世界王者クラスと
認められた存在でもある。


一昨年の、大阪での劇的な再会を果たした
あの<太陽の塔>の衝撃を上回った。

<なんじゃ、こりゃ>は同じだが、

文字通り目を丸くしたと共に

<いったいオレはあの時、
 何をしていたのか>

<本当にあの時、ここに来て、
 これを見たのか?>

と己を恥じた上、

<太陽の塔>との再会時以上の
大爆笑を

一人、境内でせざるを得ないほどの
その存在の、肉薄。

迫真的にして
あまりある破壊力。

考察対象としてもG線上を超えている
刺激的な存在感を擁する数々の建造物とスタチュと、
慄然とする全体のアトモスフィア。


まずは
前編で<南大門とシカ>を中心に掲載したい。



ほとほと、これ、

シカがいなければ
大変なことになりかねない。


なぜ、このノース奈良の
重々しい世界遺産群にシカがいるのか。

真に、一つの発見を見た。



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*****




東大寺。


それこそ
分かりやすさの象徴として、

中学生の修学旅行で迎える
ノース奈良において

・奈良公園とシカ

と共に

・東大寺の大仏様

は、知名度が高いだろう。

安心感ともいえよう。

関東の小学生・中学生は既に
その時分に
鎌倉の大仏を観ており、

大仏様への既視感はある。

そして既にそのとき、

<大仏様って、こんなに小さいんだ>

と理解と失望もしている。


それを踏まえての、東大寺の大仏様である。
ここがまず一つのミソがある。

大仏、大仏殿については後編で触れる。


とまれ、
そんなふうに既視感と知名度のある
東大寺。

このノース奈良の絶対主役であり、四番打者。


しかしあの頃、
我々が
ニッポンの四番である王貞治や
各チームの主砲である張本、田淵、山本浩、
掛布、門田、落合などが

メジャーという世界の舞台で
主砲として君臨するどころか
プレイすることへの

イメージすら持てなかったように、

東大寺は
ニッポン有数の存在ではあったにせよ

それが世界レベルであるとは
知る由もなかったし
理解すらできなかったのではないか。


そもそも
そういう観念(世界との相対評価)を
持ち得なかったからだ。

だから我々中学生は、

<教科書に出てきたニッポンの凄いもの>

程度にして、東大寺と接したはずだ。

そして、
まともには見ていない。

まともには感じ入っていない。

当時。


東大寺という
オールスターズを"見て" "感じる"よりも、

シカと戯れたり
他校の学生とガンを飛ばし合ったり
同級生とペチャクチャ喋っていたのだ。


これでは、何もインスパイアはない。

修学旅行で訪れた際の所作は
その体たらくだからして、

はっきり言って、

ダモシに関しては
今回が初の邂逅といっても良い。

事実、東大寺の記憶というものは
皆無なのである。


<東大寺へ行ったはずなのに、
 大仏様以外、既視感が一つもない。

 その既視感とて、
 どちらかといえば
 東大寺のそれというよりも
 鎌倉の大仏というメモリーへの既視感だ。

 本当に修学旅行で行ったのか?
 とさえ、己自身でさえも、疑問に覚える>


という世界である。

それほど、印象が皆無。
それが東大寺。

<シカ>のみが、記憶に残る存在。

だとすれば、
ほとほと中学生の修学旅行は
情けなくなってくる。

ダモシだけか?



今回、

興福寺、奈良公園を経て
正しくは奈良公園の緑地の敷地内を
ひたすら歩き続けると出てくる

東大寺の参道に辿り着いて

ストレートに向き直して

<さあ行くか>とその中へと
歩を進めた瞬間、

真正面に見えた南大門。

そして参道に
所狭しと佇んでいるシカ。


それらを目にして、何もプレイバックがなかった。

これは完全なる初邂逅
といっても良い。

そういうレベルであったわけである。



構図は、以下のようになる。

参道

南大門

南大門から距離あって
正面に中門。

中門の向こうに大仏殿。

左手側が大仏殿へのエントランス。

距離あって広大に
右手側には二月堂以下、夥しい建造物の数々。


この構図の既視感が、まるでない。

通常、
いくら幼児期や青少年期に
訪れたキリであっても

全体像や構図、アトモスフィアへの既視感や
プレイバックはあるものだ。

再び訪れたとき、

<あ、思い出した>となるだろう。

だが、
これほどの存在にも関わらず

東大寺には何一つ、プレイバックしてくるものが
なかったのである。


<なんだ、あの大きい門は…>。

まるで既視感がないから、
たとえば甲斐善光寺その他
昨年来、多々訪れている寺社仏閣のそれへの
サイズの既視感との相対評価で

己が脳は自然反応する。


<ええっ?
 で、でかいな…。なんだ、この門のデカさは…>と。

<こんなだったか?東大寺>と。



ダモログのサイズでの写真では
伝わらずにたいへん残念だ。

映っている人々との対比で
その大きさをイメージして頂きたい。


これぞニッポン最大の山門、<国宝・南大門>。



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<なにをしとるのか…>。

思わず、そう呟かざるを得ないポスチャー。


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いよいよ向こう正面に、
メジャーの四番が姿を見せている。

恐怖の光景。



1199年に上棟。平安時代に
大きな風で倒壊したものの
鎌倉時代に再建された南大門。


アップで映っている円柱は、
屋根裏まで到達するという
野太さと力強さ。


もともとは朱塗りだったのか否か。

それっぽいが、
年月を経て剥げている。

そこがまた恐怖の図を描き出し
重々しいオーラを発露させることになる。



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門をくぐる際、
その両脇にいる仁王像に睨まれる。

これもまた人との対比で
大きさを測ることができよう。


門を通り過ぎ、
しばらく歩いて振り返る。



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*****



東大寺はまず、

この南大門で
驚かされるわけだが、

その南大門と、
そこから先を見れば
憤懣やるかたない風情で地座する大仏殿
といった具合に、


威風堂々だの壮観だのパワースポットだの
というキレイごとや
美とは

まったく異なる

甚だしい、やはり戦慄であり、
威圧感が

場の全体アトモスフィアを構成しているわけだが、

それを和ませて、
老若男女、洋の東西問わずに
喜色満面な万人を受け入れることを
可能たらしめている

MVPが、

<シカ>ということになるわけである。



美徳のよろめきならぬ、

"美徳のたじろぎ"を与え賜るがごとき
無言のプレッシャーをかけてくる
東大寺・大仏殿へ

万人が、
そのプレッシャーを過度に
直接的に受けることなく

入り込んでいくことができるように、

シカは仕向けるのである。


まさにそれは、

恐怖の睥睨vs.つぶらな瞳。

シカは
その愛くるしい眼差しをもってして

東大寺の強い睥睨から
人々を守るのである。



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<いらっしゃい。大丈夫よ。怖くないわよ>

と言っているかのように
ウェルカムするシカ。


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これを目の当たりにして、

シカと奈良公園の意味が
また一つ理解し得た。

そうか、と。

世界遺産の寺社仏閣群のもたらす
威圧的な睥睨だけでは、

来る者は畏れおののき
直接的邂逅を果たすことに、

二の足を踏んでしまう。


だからこその、修学旅行なのである、と。

シカとの戯れに夢中になったり、
他校の学生とのガンつけ合いに注力したり、
おしゃべりに現をぬかす
修学旅行の中学生だからこそ、

東大寺の睥睨に

何の影響も受けることなく
やり過ごすことができるのだ、と。

そして、だからこそ、
まったくといって良いほどに
インスパイアもメモリーズも残っていないのだ、と。



シカはご丁寧にも、
南大門の目の前にも立って
我々、人間をお出迎えしてくれるほどの
サービス精神である。


これは奈良ノースの世界遺産の各寺社仏閣に
ジョブとして
正式にオファーされた上で
やっているのではないか

とさえ思えるほどである。



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これだから、笑みが漏れる。

シカがいなければ、
ビクビクしかねないアトモスフィアが
ある中で、

シカの果たすロールは大きい。





*****




そして、

例の旗ふり団体バス旅行。


これもこれで、
こういう世界観の中では
まさしく
<みんなで渡れば怖くない>
ということになり、

添乗員の持つ<旗>自体が、

シカに頼らずとも
シカの代わりのロールを果たしていることになる。

みんなで来れば
南大門も大仏殿もその他含めて
東大寺全体に漂う
得体の知れぬ恐怖感に

打ち克つことができるわけだ。




<ちょっと、いやだな…>。

忌憚なく、
仮にこの東大寺に
夜、一人で来ることを想像した際に

感じたことである。


とんでもない、何か異種の、
なにかが発露する可能性。


それを感じずにはいられない。

それが現代的な趨勢でいうところの言語の
<パワースポット>という
意味なのであろうが、

なんでもかんでも英語やヨコ文字にすることは
ダモシは嫌いである。

強いて言えば、
パワースポットという
甘っちょろい世界観ではないということである。


それは<大仏殿>という

世界の四番打者中でも
本塁打王のタイトルをメジャーでも
争えるレベルの大砲そのもの(建造物自体)

と、

これまた
<いったい、何ですか、これは>
としか言いようがない

凄まじく
もはや笑いが出るのは当たり前級の、

あらかじめ破壊されているような、

それであっても
異次元の美徳をもたしている
スタチュ群と
それを取り巻く内部のアトモスフィア

を前にすれば、

その言語自体がナメていると
感じることになる。


そこでは、誰もが、

たとえば阿修羅像を前にした場合に起こり得る

<静寂を装ってはいるものの
 実はものすごく甲高い
 黄色い歓声が
 沸き上がってしまっている>状態

とは異なり、

誰も言葉を発せなくなるほどの
静かなる騒然たるモードに

陥ってしまうのである。



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愛くるしいガールから、
時と場所を選んでシカは
レディに変身する。



相対する心持ちとしては、
いささか軽卒だった。

嬉しい誤算。

世界を見た中で、
ニッポンなんぞ
美はあったとて
世界レベルのダイナミズムが欠けているぜよ

とナメていた。


<ニッポンは、ちっぽけよのぉ>と。


その軽率に、
東大寺は
スペクタクルとダイナミズムをもってして
ダモシを睥睨。

直接的に襲いかかった。


"世界に御す"を超えて、

これは紛れもなく"世界"である。





:::::




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歩を進める。

いよいよそのメジャーの主砲、
世界の四番打者たる<大仏殿>、

これぞまさしく
木造ゴジラが姿を現した。


それは、
The largest wooden building in the world.

すなわち
世界最大の木造建築物。




(後編へつづく)









posted by damoshi at 23:36| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記




ビジネストリップから戻った週末
ということで、

ゆっくりしたいところですが、

なかなかそうもいきませんね。

相変わらず
時間は追いついてきてくれず
困ったもので、

気づけばもうこんな時間です。


・ジュニアと公園へお出かけ、キャッチボール
・ワイフも交えてお出かけ、ショッピング
・家族団欒
・ジュニアの空手トレーニングと秘技伝授
・空手道場への送迎


これらファミリー・ビジネスだけで
本来はウィークエンドは終わります。

これは大事な時間ですからね。

テレビはこのウィークエンド、
まったく、一分たりとも観ていません。

読書も出来ていません。

ぎりぎり新聞を急いで読むくらいです。

沖縄返還の際の密約に関する記事が目に留まりました。
山崎豊子女史の「運命の人」の事件ですね。
ようやくその小説の主人公の正当性が
裁判で認められた。

西山氏にとっては
長すぎた春、といえましょうか。



競馬のGIシリーズが本格化したことで
週末は合間を縫って
ケイバタイムスもやらなければなりません。

そして今、仕事もよふやく終わりました。


さらに
じぶんじかんで
定期的に出かける書店周りで
雑誌や本をチェックして、

せっかく買ってきた本があっても
読むことはできないという案配で、

でも朝は早く起きて
急いでまずは馬券を買いに行く、と。


一日30時間は最低でも欲しいです。
あと6時間は少なくとも必要ですね。


さすがに
ダモログでの<西都&コテコテ>の本丸掲載が
滞ってしまいます。


あとは
やることとしては、トレーニングも残っています。

また、こんな時間にそれをすることになります。




*****



未だ田園都市は桜が咲き残っています。

近隣の、
ジュニアが通う小学校の近くにある公園で
キャッチボールをしました。



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かなり良いボールを投げるようになってきました。


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グローブも慣れてきて
ピッチング・フォームも板についてきました。



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いつ野球デビューするか(チーム入団するか)。
そのチームは
ダモシが作るのか、あるいは既存のそれに入るのか。

タイミングとアトモスフィアを見定めて
その時が来たらアクションする予定です。




野球ならば、
少年野球の監督は出来ると自負しています。

自身の経験と共に、
少なからずも草野球といえども
2チームの監督を経験したという値も
そういう経験がないよりはアドバンテージでしょう。

且つ日本流だけではない
米国流のエキスも入っています。

ダモシが仕切れば、
他の少年野球チームとは異なる
独特のチームなることでしょう。



一方、空手の道場を
旗揚げすることは
ダモシには出来ません。

ノウハウがないですしね。

そこは既存の、その道の先人に任せたい。

それでも、
空手には格闘技やプロレスの要素も
入っていますので、

格闘という観点から
ダモシがジュニアに対して、

空手の師範が教えることにプラスαで
教示することができます。

実技込みで教えることはできます。


昨日も稽古が終わる時間に
迎えに行って
一緒に帰ってきましたが、

帰ってくるなり
<新しい技を教えてもらった>と言うジュニア。

<そうか。どういう技だ>と
やってみろとダモシが言いますと、

ジュニアは
<まわり胴蹴りだ>と言いながら
その技をやります。

ダモシにはすぐにその技が分かりました。

<それは骨法浴びせ蹴りだな>と。

<猪木がやっていた技だ>と言い、
<本来はこうやるのだよ>と
実演つきで教示しました。

<他に新しい技はない?>とジュニアが
求めるので、

<いっぱい、あるよ>と言いまして
またさらなる技を伝えました。

その一つは以前一度彼に伝えた
<水面蹴り>ですね。


<水面を切るように蹴るんだぞ?
 分かるか?水面の意味は>

と問うと、

<分かるよ>と言います。

<池とかの水の上のところでしょ>と。

だいぶ理解力がついてきたようです。

<そうだ>と。

<水面に散った桜が浮いている。
 〇〇は相手の正面から下に
 一瞬にして姿を消す。
 その直後、〇〇は後ろ回転して、
 ちょうど水面上をシュッと切るように
 後ろ回し蹴りをするわけだ。

 最後は相手の膝裏を踵の後ろ側で蹴る。

 その際、イメージ的には
 蹴るのではなくて、斬る世界だ。

 分かるか?>

と言えば、

それも分かる、と。

ほぅ、たいしたものだ、ならやってみろ
と言うと、

実際に出来るのです。



さらにその日、道場では
スライディングしながらの
ローキックを教えてもらったという。

ジュニアが実演する。

それを見たダモシは笑います。


<それこそアリキックだぞ。
 まさにそれが猪木アリの、
 猪木のアリキック。

 またの名を、
 スライディング・ローキックという>。


<これも猪木の技なの?>とジュニア。

<そうだよ>とダモシ。

調子に乗ったジュニアは
<もっと猪木の凄い技はないの?>と言う。

気色ばんだダモシは

<あるぜ。最強の技だ。延髄斬りだ>


形だけ実演して
実際には宙には飛ばずに見せた。

<いいか?ここが延髄だ>と
ジュニアの延髄を触る。

<要領としては
 ジャンピング・ハイキックだ。
 その要領だが微妙に違うのだよ。

 いいか?

 相手が前に出てくる。
 いつも言っているように
 左右か後ろに間合いを図って
 己がポジショニングを得る。

 延髄斬りの場合は
 右で蹴るからして
 相手の左にそれなければならない。
 一瞬にしてそれるんだぞ?

 左にそれたら、一瞬にして
 ジャンプする。

 その時に、"ダーッ!"という
 かけ声をかけることを
 忘れてはならないぞ?

 ダーッと言いながらジャンプして
 上体をやや己が左側に預けながらも
 右足高く、相手の延髄を蹴る。

 この場合においても
 蹴るのではなくて
 イメージ的には斬る世界だぞ>


と説明するダモシ。

<ダディもやったことあるの?>
と屈託なく問うジュニア。

<ああ、あるよ>とダモシ。

<いつ?>とジュニア。

<高校のときだよ>とダモシ。

<大会で?>とジュニア。

<いや、ケンカでだよ>とダモシ。


まったく、なんという会話でしょうか。

猪木とタイガーマスク。
空手へのアプローチとしては
この猪木とタイガーマスクの技は
ぜひとも会得させたいのです。

一度でいいから、

骨法浴びせ蹴りや延髄斬り、アリキック、

そして
タイガーマスクの
ローリングソバットを

他流試合でやって欲しいものです。





*****




格闘技以外でも、競馬でもリンクできるのが
男の子の面白さですね。

まあ競馬はワイフともリンクしていますが。

ケイバタイムスでは
今年は
<五位以内に入らなければ引退>
と表明しているダモシですが、

今宵も的中して三戦二勝です。
でも現在、七位です。

なんとジュニアが
大量得点の初勝利を挙げて
現在四位ににつけているのです。

ワイフも三戦三勝で三位。
ワイフは絶好調のようです。
というよりも、
98年以前のケイバタイムスでも
上位にいたので
もともとワイフにはその素養はあるのでしょう。


実際の競馬はどうなのか。

実は今年ダモシは
一度も当てていません。

連戦連敗。

しかし今宵は遂に連敗街道から脱出し
ベットした5レース中2レースを当てました。

ようやく、といったところです。



041110a.jpg


ジュニアも
ケイバタイムス初勝利は飾ったので、

実際の馬券的中も
そろそろ実現させたいところで、

府中開催が始まったら
朝から連れていって1レース目から
二人でやろうと思っています。


あ。禁止でしたね。幼児の馬券購入は。

まあ、いいでしょう。

やれば分かるさ。
どうってことねえよ。



041110b.jpg


ちゃんと新聞を見て
予想をするジュニア。

印も覚えてきました。




*****



最近は洋服にも
興味を持ち始めてきています。

今宵、
久しぶりに洋服ショッピングに出たわけですが、

ダモシは
ジャケットにパンツにシャツを買い

ワイフは
小学校の授業参観その他
オフィシャル用途に
スカートとワンピースを購入したのですが、

自分も欲しい、と。

そして試着室へ
自分で選んだ服を持って
張り切って入って自分で着替えをして
鏡を見るわけです。

小学校へ入って間もないですが、
確実に
小学生になったことで
何かプラスαが芽生えているようですね。


ワイフのスカートなども
ジュニアは自分が見立てたものでなければ
怒るのです。

自分の見立てこそ、
大好きなマミーには似合うのだ、と。

以前は、
とんちんかんな服を選んだものですが、

今宵は
ダモシが見ても<いいじゃないか>
と思えるものを選びました。

洋服の選択眼も少しずつ
身についてきましたでしょうか。





*****




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今月号の<東京人>。

Always三丁目の夕日を
テレビで視聴したタイミングに
合致する特集でしたので、

手にとりました。

当然、未だ読めておりません。

ちらっと見ました。
ワイフに今宵、ヘアカットを少々
してもらっている間に
それを手にとって眺め、

ヘアカット中のワイフとの話題にしました。


・修学旅行
・東京タワー
・昭和

そして
・新幹線

が話のネタになります。


<時代だよな>と。

<モノがない時代、心が豊かだった>と。


この雑誌、<東京人>の表紙には
開業を控えて
試運転する東海道新幹線が映っています。

写真の場所は新橋あたり。

国鉄の電車が停車しています。
その車内から
多くの人が身を乗り出して
遠くからでも想像出来るような
<目の輝き>をもって

新幹線を観ています。


夢の超特急。

今や
超高層ビルは
ひたすら空へ空へと向かい、

速さも、限界がないとばかりに
競い合っています。

面白みも興奮も何もありません。


<そうよ>と、ワイフが笑いながら言います。

己が中学時代の修学旅行。
那須からやはり奈良京都へ行った。

東京からは東海道新幹線。

ワイフは何と、
新幹線のドアが自動ドアだということを
知らなかったそうです。

その時まで
電車に自動ドアがあることを
知らなかったそうです。

京都で降りた際に、
新幹線のドアを自分の手で閉めようとした、と。

ところが微動だにしない
新幹線の自動ドア。

<どうして閉まらないのだろう>

とワイフは屈託なく思ったそうです。

同級生の一人が
自動ドアであることを知っていて

<なにしてるの!>と大笑いされたそうです。


そんな話や、

<ちょうど富士山が見える頃、
 みんな富士山側に集まらなかったか?>

という、

これもまた昭和ならではの価値観

的な話で
束の間、盛り上がりました。


最後は、

<〇〇がオトナになる頃、
 ニッポンはどうなってしまっているのだろうね>

という話で終わりました。


気分的には、
Always三丁目の夕日のラストのように


<ずっとずっと夕日はキレイだよ>

という子供の声が
聞こえてきて、

大団円といった感覚でありましたが、

実際には、
大いなる不安を
将来のニッポンには感じますね。

憂国です。





*****




明日(もう今日)から
ジュニアは登下校時に、

マミーの送迎は、なくなります。

ちょっぴり不安があるでしょう。
きっとドキドキしていることでしょう。

そこで、泣くかもしれませんね。



でも、そういう一つ一つの壁を
クリアしていくことが

とても大事なことですね。


頑張って欲しい。

自立への、はじめの一歩でもありましょう。



何だかまあ、
ウィークエンドなのに疲れました。


そろそろデスクを離れようと思います。


皆様にとっても
今週も良い一週間でありますように。


Good Luck.









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2010年04月11日

<ディスカバー・ジャパン> 一番・高橋由伸



奈良の最高層建築にして、
日本国内で
京都の東寺に次いで二番目の高さを誇る。

その五重塔と、

東金堂が立ち並ぶ姿が
シンボリックな世界遺産は、

興福寺。


近年大ブレイクした阿修羅像以下、
国宝の数々を擁する

藤原一族の氏寺。



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現在は、中金堂の再建中。

天平時代の壮観を再現すべく
境内全体が復原中であるが、

それでも東金堂と五重塔は
訪れる者に
変わらぬ象徴的なポスチャーを提示している。




*****



近鉄・奈良駅から奈良県庁や東大寺方面へ
一本の広い上り道を歩いていく。

右手にまず現れる
世界遺産、国宝、名勝の一発目が
この興福寺であり、

それと隣接して名勝・奈良公園が広がり、

シカがお出迎えしてくれる。


<奈良のエントランス>としては、
その後への期待感を抱かせる
存在が興福寺と奈良公園ともいえよう。



koufuku21.jpg

登りを歩いていくこと15分。


koufuku22.jpg

左手、奈良県庁。

通りを挟んで向こう側を見れば
興福寺。


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世界遺産のプレートが
誇らしげに鎮座している北参道入口。



のっけから、野球のラインナップでいえば、
主砲がトップバッターに来てしまうと
バランスを欠く。

すなわち、

近鉄・奈良駅から延々と歩く道すがらに
続々と登場するランドマーク群の中で、

トップに<東大寺>が来てしまえば

すぐにお腹満腹になってしまい
疲弊してしまう。

むろん興福寺も素晴しい存在だが、

春日大社や東大寺の前に
奈良公園という潤滑油と共に
ラインナップされているのが
その興福寺であるという構成は、

バランスがうまく図られていると
認められるわけである。


トップに、興福寺と阿修羅像。
その脇に奈良公園。

これは近鉄・奈良駅を起点とする
奈良ノースのまずはメイン部分としては
嵩張っていない点で
秀逸な仕掛けといえるわけである。


それこそ
いきなり東大寺が来てしまうと、

嵩張ってしまうだろう。


観光地の都市構造という意味では、
それぞれのタレントやアイコンの
ラインナップの仕方も大きく影響するわけである。

それが実に見事に配されている好事例
の一つが、

日本三景の松島である。


奈良は世界遺産という名に恥じぬレベルで
世界レベルのものものしい存在が
多々在ることで構成も難しいと思われるが、

そういう意味でも
バランス良く配置された"曲順"で
並べられていると感じる。


ダモシはこのラインナップに
現場で大いに<頷いた>。

これで良い、と。




*****




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興福寺北参道の入口と
同じ位置がエントランスの一つになる
名勝・奈良公園。


<奈良公園とシカ>こそ、

中学生の修学旅行で
ある意味で奈良でのメモリーズの中で
最も光輝いている存在。


それこそ東大寺や法隆寺、興福寺などは
<あぁ、行ったな>レベルであっても、

修学旅行を語る際に
<あぁ、行ったな>を超える
既視感としての話題の共通項足り得る存在。


大学生だとする。
ところは、アルバイト先。
休憩中。

ウェイトレスの女子大生、
男の他のバイト仲間も休憩に入ってくる。

ふとしたことから
中学時代の修学旅行の話になる。

<やっぱり奈良京都だったよね>で始まる
そのカンバセーションの中で

最も高い確率で出てくるであろう
アイコンは以下ではないか。


・部屋での枕投げ
・女子風呂ピーピング
・他の修学旅行生や地元の学生との乱闘

などの直接的行為と

・東海道新幹線と車窓から見える富士山

そして

奈良でいえば、
・シカ

京都で言えば、
・清水寺の音羽の滝


など。


特に直接的行為と次元の異なる
<観光>のフォーカスでは、

中学生x修学旅行という図式の中で
よりメモリーズに残りやすいアイコンは、

いずれも
やはり
<ただ見る/ただ接する>だけではない
ものではないかということだ。


すなわち

東大寺や金閣寺は<見るだけ>だが、

同じアイコンでも
<奈良のシカ>や
<京都・清水寺の音羽の滝>は、

己が直接的行為も加わることから
よりインパクトが残るということである。


結局、若年期であればあるほどに、
己が直接的に関わった行為こそが
印象と記憶に残るものであるということの
証明である。

観たプロ野球よりも
プレイした野球の方が記憶に残るのと同じである。

振り返れば、
やはりダモシにとっても
幼少期に<見ただけ>のアイコンよりも
<関わった>それに対する
より強いインスパイアとメモリーズが
残っている。


ダモシの幼少期に黎明期だった新幹線、
同じく幼少期に訪れた大阪万博などは
そういう意味で突出したイベントであったわけだ。


要するに
新幹線も<己が乗る>という
直接的関わりがあって、

大阪万博と<太陽の塔>も
見るものではあったにせよ
あまりの衝撃に(特に太陽の塔の内部)、
その中を歩く=ただ歩いて見るだけに留まらない

直接的邂逅

があったからこその

四歳にも関わらずの巨大なる
メモリーズの残存へとつながったわけである。


生涯で初めて訪れた野球場と
初のプロ野球観戦は、甲子園球場だったが、

その記憶がまるでないのは

何も年齢のせいだけではなくて、

己自身が野球をそこでやったわけではないからだ。


それだけ
<見るだけ>と
少なからずも何かしらの<直接的な関わり>が
存在した対象物では、

己に残る印象度は雲泥の差が出るということである。



さて、その奈良公園とシカ。

今回改めて知った/驚いたことは、
当時は
奈良のシカは奈良公園にしかいない
というイメージを持っていたが、
実際にはそうではなかったという点だ。


興福寺の境内に多々、いた。

さらに後述する<東大寺>には
さらに多く、いた。


むろん奈良公園は、
興福寺や春日大社、東大寺などと

言ってしまえば

距離が広いが同一エリアに属するから、

シカ自身が
あちらこちらに移動しながら
暮らしていてもおかしくはないのだが、

あまりにも
修学旅行時のイメージが強かったせいか

シカといえば奈良公園という
認識があったわけである。


ところが
既載したように

<奈良公園はこんなに狭かったか?>

という当時の印象との齟齬があった上に、

<奈良公園のシカが減っていないか?>

という、これまた当時とのギャップが
発生したシチュエーションの中で、

実は興福寺や東大寺の境内こそ
シカにとっては
メインのダンシング・ステージなのであった

という発見。



それこそ、それは、
ややもすると重厚長大&へたすれば恐怖
の存在でもある

東大寺や興福寺などの威厳を

観光客向けに
ソフトなタッチへとうまく配合する存在が、

シカである、と。



シカの愛くるしい目と、
のんびりとした、人懐っこい佇まいが、

世界遺産の寺社仏閣のもたらす
息苦しくなるような威厳を

和らげてくれる。


そんな重要なロールを、
シカこそが担っているのではないか

と新たに感じたわけである。


<そうか>と。

<シカは、"奈良公園とシカ"なのではなくて、
 世界遺産の寺社仏閣群を
 和らげるための
 マスコット的な存在としての成り立ちなのか>

と。




koufuku8.jpg


奈良公園の一部。



koufuku9.jpg


興福寺境内で
愛くるしい姿を披露して
観光客をウェルカムする、シカ。



そして、シカ。

奈良のシカは、背丈がちょうど良い。

コドモにとっては
大きすぎず小さすぎないレベルで
バランスが見事だ。

また、オトナにとっては
歩きながら
そこかしこにいるシカの
頭をそっと撫でながらやりすごすに
ちょうど良い高さなのである。


計算されたわけではないだろうが、

シカの背格好。
これがまたベストといえることが、

奈良のシカが愛される要因の一つでもあるのだろう。






*****




興福寺に戻りたい。


興福寺は今年で創建1300年。

まさにそれは
平城遷都(710年)と同じ年月である。

それを期しての
中金堂の再建と境内の復原なのであろうが、

その歴史はまたこれ凄い。
なにせ1300年である。


koufuku5.jpg


koufuku2.jpg

奈良を象徴する塔。
高さは50.1mの五重塔は国宝。

"媚びない"色づかいがルックスグッドである。



koufuku3.jpg

国宝<東金堂>。



koufuku7.jpg

<南円堂>は、国重要文化財。



*****




興福寺は、その境内にある伽藍、建造物に
過度なまでの驚きは得ない。

だが、興福寺は
強烈な国宝館を擁している。

これがディープ・インパクトな興福寺の
ヴァリューをさらに高める。

一般的な人気のある阿修羅像を含む
国宝26点、重要文化財44点は壮観である。


そして何よりも見せ方が秀でている。

国宝であるにも関わらず
ガラスなど越しではなく
そのママで観ることができるわけだ。
至近距離で。


それこそ互いのプライドがルール
といった世界観で、

観る者と国宝のせめぎ合い。

傷つけようと思えば
出来ないことはない距離感と
プロテクトするガードのない状況。

これが良い。


むろん阿修羅像ばかりに
フォーカスを向けるのではなく、

この中に
ひとたび入れば、

阿修羅像よりもインパクトの強い
国宝群がところ狭しと並んでいる。

それこそ
阿修羅像も
<乾漆八部衆立像>の内の一つ。

他の七つの<乾漆八部衆立像>もそれぞれに
突出したオーラを持っている。

他のスタチュもまた同様。


5mを超える木造千手観音菩薩立像、

木造金剛力士立像、
迦楼羅像その他、

国宝館を観るだけでも破格である。


koufuku20.jpg





*****




さらっとした興福寺境内。
ディープな国宝館。

日常的空間の
"のほほん"風情の奈良公園。

そして、シカ。


本来であれば
"他チームなら四番"の興福寺が、

トップバッターとして登場する
ロケーション的構図。


さながらそれは、
数年前の読売巨人軍の

<一番・高橋由伸>といった世界観である。


これが奏功するケースもある。

その一つが、興福寺と奈良公園である。


この背後に、
奈良県のホテルの横綱たる名門<奈良ホテル>
があることもまた、


見逃せない配置の妙だろう。







posted by damoshi at 15:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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