2010年07月31日

不易流行



明日から日光路を往く。

<全盛期のオグリキャップ並みローテーション>のジュニアにとっての
試練の連戦・最終戦がメインである。

那須、福島。日光路を往き、週明け帰京。
ワイフとジュニアはそのまま"田舎で過ごす夏休み"。

渦中、出来れば福島の須賀川、那須の遊行柳に立ち寄りたい。

<おくのほそ道>紀行の地であるからだ。


*****


<不易流行>。

この夏の旅の主題である。
ジュニア共々、心中の境地としては、そこに至りたい。

ニッポン復帰以降の旅と精神性のテーマとしては、以下がある。
適宜、それらは当欄でフィーチャーしてきている。

■霊峰富士との対峙
■武田信玄
■東海道五十三次

そして
■おくのほそ道


日光を手はじめに、
<おくのほそ道>紀行では、ニッポン本格復帰以降、以下に出向いてきた。

東から、
東京は深川。おくのほそ道のリアル出発点は芭蕉庵。
清澄庭園、隅田川、清洲橋…。

日光を経て、日光街道の中でも芭蕉がご機嫌に至った
包括的な那須エリア。

大田原に黒羽。
ダモシによる<ディスカバー・ジャパン>称号認定の
すばらしすぎる寺たる雲巌寺。そして、那須温泉に殺生石。
アイコンが豊富だけに芭蕉が熱狂したのも頷くことができる。

福島。ここは飯坂温泉。芭蕉が浸かった湯。

奥州路の本丸ともいえるのが宮城県。
まずは仙台。瑞鳳殿に青葉城は伊達政宗。

そして主砲・松島も二度。

昨年はビジネス・トリップで金沢も訪れている。
そのメインイベンターは、兼六園。

これらニッポン復帰以降で出向いた
<おくのほそ道>紀行をマップでまとめてみると、こうなる。


http://www.246material.me/okuhoso.html


ブルーの罫線で囲ったところが訪れた地である。
むろん通過しただけならば日光路と奥州路はすべて経ている。
だが、確実に、確かに、その地を歩いた場所だけを認定するとこうなるわけだ。

北陸路などは、金沢だけである。

そして、マップを見ると、
<おくのほそ道>のメイン部分の中でもまだ未踏の地があることに気づく。

奥州路でいうところの平泉。
ここは必ずや近年のうちに訪れたい。

さらにもう一つ。包括的に見て、主要エリアで未踏の地がある。

そう。出羽路である。

出羽路には夥しいコンテンツがある。

立石寺山寺に最上川、
そして山岳信仰の霊山たる羽黒山・月山・湯殿山の出羽三山である。


ジュニアを伴い、
<おくのほそ道>紀行を往くことと同時に、修験道。

富士はもとより、ダモシは今宵、言った。


<旅も、ちゃらちゃらしたのは、ごめんだぞ。
 修行だ、修行。出羽三山、修験道だ>。

と同時に、
ニッポン史上最高の旅紀行文学たる
松尾芭蕉<おくのほそ道>の中でも、
錚々たるカルチュラル性を備え、感性を磨くことができるであろう
立石寺山寺以下、最上川舟下り、出羽三山修験道を
共にこの夏経ることで、

何かを得ん、と。

渋滞大嫌いマンのダモシは、当然、その旅を、
御盆明けからというスケジュールを設定した。

<皆が動くときに、己も動くバカ、いるかよ>と。

<やる前に、負けること考えるバカ、いるかよ>と同じである。



問題は、行程である。

そうはいっても、日数には限りがある。
せいぜい二泊三日だ。

立石寺山寺は良いとして、

最上川を下り芭蕉を感じ入るエリアと
出羽三山エリアもまた離れている。

初日と二日目をどういう行程で進め、どの地に逗留するのか。

そのプランニングが難儀している。

それまでは、この夏の、旅のデスティネーションも決まらずにいた。

・高知から入って四国縦断して岡山に入る
・黒部ダムと川中島
・大阪から入り、適宜、京都奈良もしくは神戸、淡路島へ往く

などなど、候補は多々あったが、
いかんせん<ファミリーでの、新幹線や飛行機の旅>となると
とんでもないコスト・スペンドが起こってしまう。

それこそ、そんなに高い値段ならば海外に行くことを選ぶよ
とさえ思ってしまう。

そもそもファミリーになれば飛行機での旅をしようものなら、
エアのコストだけで国内でも10万円を超えてしまう。
ならば近場の箱根へ行って富士屋ホテルに泊まる方がマシ
となってしまう。

さらにいえば、
小学一年生という世界観でのジュニアの
レジャー&レクリエーション的要素も勘案しなければならない。

だが、ダモシは、旅で遊園地や水族館やといった世界は嫌いなのである。
それはあくまでも遠足&お散歩の世界である。
ビーチもしかり。

旅は、旅であり、旅以外のなにものでもない。旅行ではないのだ。

そこに教示がなければならない。

コドモであってもそういう場に連れていくと共に、
教示を提供し、共に時間を過ごす中で得られることをこそ
絶対視したいわけである。

だから、コドモであっても山寺であり出羽三山である、と。

文句は言わせない。

ちゃんと存分に楽しませる自信もある。

ジュニアは言う。

<ハワイアンズに行きたいんだよ>と。

福島にあるエンターテイメント・プールである。
むろん楽しいだろう。

<優勝したら、連れていく>とダモシは言った。

だから、明日からの遠征のバゲージの中には、
ダモシもプール用着衣も入れた。

<勝ってみろ>と。


<やる前に、負けること考えるバカ、いるかよ>は変わらぬが、
一方でクールなマインドも必要である。

優勝するには、ハードルはこれまでで最も高いと見るのが、
今回は妥当であろう。

だが、やることはやった。

今宵もまた、ダモシが直々に教示し、共にスパーリングも行った。
朝も、朝練と称して、ランニングも行っている。

出来ることはやる。やることやって、本番でも、出来ることをすべてやって、
その結果、どうこうない。


勝てばハワイアンズ。
勝っても負けても、修験道。
ダモシ自身もまた、修験道。



<不易流行>。

芭蕉がこのイズムに辿り着いたエリアである出羽路。

そこへのエントランスとして、
この週末がまず、在る。

それは日光路。


八月は、<おくのほそ道>が主軸となる。



*****



前述した、ニッポン復帰以降出向いた
<おくのほそ道>紀行で撮った写真で、その系譜を辿ってみた。

先般掲載した<ぬり絵の旅>同様、これもすべて踏破できれば
それはそれで喜ばしいところであろう。





http://www.digibook.net/d/8245e51bb01bba2877a09747d5d302c8/?viewerMode=fullWindow




*****



ジュニアの大会は、常に他流への参戦であるが、
今週末のそれは遠征でもあり、
リアルなアウェイでの他流試合となる。

同団体からも一組だけが同行。

相手のホームに乗り込んでの他流。

ダモシもまた気負わずに気合を入れて、後押ししたい。

そういう意味では、常にそうだが、
常在戦場であり、いざ鎌倉、である。



明日からは、那須・福島など、日光路からのレポートとなる。





posted by damoshi at 01:34| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

デジタルブック-2



デジタルブックの第二弾は、
05年夏の想ひ出であり、在米時代の行為の中で、
<最もうれしかったこと>の一つである

マイナーリーグ・ベースボール、
スタッテンアイランド・ヤンキースでの始球式
すなわち<ファーストピッチ>の模様。




こちらもクリックでフルスクリーンで
ご覧頂けると幸いに存じている次第である。




posted by damoshi at 19:55| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

デジタルブック



<富士登拝2010>から一部の写真でデジタルブックを作った。

以下にて音楽付で閲覧可能である。

追って、米国時代の体験的ジャーナリズムでの闘いの系譜の
デジタルブックもアップしたいと思うところである。





フルスクリーンでも閲覧可能。

暫時、お楽しみ頂ければ幸いである。



posted by damoshi at 15:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月27日

日焼けコンパリソン



思えば社会人黎明期の広告代理店時代、
オフィス内の日焼け王だった。

当時は焼き肉食い放題王決定戦でも決勝で分けた。

食欲は今も落ちていないが、
日焼けは年々、勇んですることはなくなった。

勇んでしなくても、
ニューヨークやフロリダを歩いていると
ラテン系から同郷と見られて
その国の言葉で自然と話しかけられた。


91年、
トウカイテイオーが勝った日本ダービーの日の
当時住んでいた中野新橋の
アパートメント屋上での日焼け



06年、
フロリダはフォートローダーデールのビーチにおける
たった一時間での日焼け。

この二つが苛烈日焼けの代表例だ。

それには及ばぬが、
それでも富士山〜湘南ビーチと続いた日焼けは
近年では(06年のフォートローダーデール以来)
"相当な日焼け"となった。

皮はしかしもはや剥け、せっかくの顔のブラックも
色落ちが早く、不満である。

昔はもっと色落ちが遅かった気がする。

いずれにせよ06年フォートローダーデール以来の
相当な日焼けということを記念して、
ついでに"プーチンではないが、話の流れで"掲載した
裸画像も伴って、

06年フォートローダーデールから、
当時のダモログからの再掲載となる画像で
それを振り返ってみたい。

フォートローダーデールは、米東海岸フロリダ。
マイアミまでは車で約60-90分。


*****


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このときは、ニッポンの後輩の
米国メジャーリーグ単独観戦の旅の最後、
いよいよフロリダのボールパークをもってして
コンプリートとなる際に、

<最後は一緒に>ということで
ダモシもセコンドとして同行した。

最も行きにくいボールパーク。
そこは観光でよほど慣れていないと、
あるいは米国在住者が一緒にいる方が良いと
思われる場所。


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レンタカーで出かけた。

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完全黒光り日焼けで、まさにラテン系。
フロリダで違和感がないのが恐ろしい。


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この遠征でのニューヨークへの帰路で
フォートローダーデールの空港セキュリティは
ダモシのみ
<ゴーアヘッド・サー>とサー付けで素通しさせた。

ジャパニーズ・マフィアと思ったのか否か。


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ホテルもビーチ沿いにとった。


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*****



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フロリダらしい世界観。

フロリダのご当地となれば
こういった光景も一つだろう。


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スコールも定番。雲がまたフロリダならでは。
向こうで雨が降っている。
やがてこちらにやってくる。

雲を見て、人も動きをとる。



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最後に、当時のダモシ。

肉体ポスチャーで湘南での先日のものとの
コンパリソンで見てどうか。

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posted by damoshi at 08:27| NY_アーカイブス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月25日

さながら肉体品評会



むろん、ニューヨーク時代の夏の方が
その酷暑ぶりは高いが、

それでも本妻復帰以後の首都圏では
今年の夏が最も暑いと感じられる。

首都圏はこれで五日連続猛暑日。

対富士が終わると梅雨明け。
梅雨明けと同時に真夏に入り、
以来、猛暑日が続いているという世界である。

先週末につづいてこの週末も湘南のビーチで
<コドモの夏休みの海水浴>。

ワイフと二人だけのビーチ:
鎌倉由比ガ浜やフロリダでのリゾート型

とはまったく異なる世界観が、
対コドモの海水浴である。

そこでは、いちゃいちゃもできなければ、
読書もできないし、悠々自適な日焼けや居眠りもできない。

寝ていようものなら
<遊ぼう遊ぼう>と求められ、
砂場遊びに海の中での波遊びで、

横になるのは四時間のうちのわずか10分である。

今宵は特に、二週連続ということで
すこしは海慣れしたジュニアが大喜びで
海の中で遊ぶから、四時間のうち三時間は海の中。

男の領域に関しては
"パパは何でも知っているし、何でも出来る"から
いずれにせよレクリエーションやレジャーや
遊びやスポーツは、
ダモシが濃密に関わることになる。

あぁ…、俺はもうヘトヘトだよ、となる。

そして帰宅後、たまらず眠るが、
それもまた10分で起こされて、<お風呂タイム>だよ、と。

かわいいジュニアとの時間共有だから
良いことではあるが、

こうしてオールウェイズ、ダモシのじぶんじかんは、
夜も深まってから、と相成り、
ゆえに寝不足につながる、と。


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*****


さて、ビーチ。

そこは多くの人が裸を見せる場所である。

相対的に多くの人の
水着姿での姿態のエクスポージャーが見られる。

一般的な社会生活においては、
人は、他人に自分の裸を見られるケースは
ほとんどないだろう。

女性の場合はさらに己が素顔を他人に見られるケースも
ほとんどないだろう。

基本、人は衣服をまとい、裸を隠して生きている。
姿態すら分からぬように衣服でごまかして生きている。

<裸になれない/裸を見せられない>という
肉体ポスチャーも多いだろう。

見せる必要もなければ、肉体を美化する必要もなくなる。

欧米など諸外国の場合、比較的、
己が姿態を見られることへの抵抗感は少ないと思われる。
米国時代に出かけた各地のビーチでもそれは分かる。

見られることを厭わない。
厭わない上に、己がポスチャーに無頓着である。

だから奇想天外な肉体フォルムの人や、
見たことのないような体型の人が多く
ビーチで姿態を晒している。平気で、普通に。

日本は違う。

他人の目を気にする民族である。
他人のことも気になる民族である。

だから社会的な日常生活においては
誰もがお洒落して衣服でごまかすことに専念する。
或いは、化粧で。

平均的に皆、小綺麗だから外見上、よく見える。

が、その実、内面はどうかとなると疑問符が生まれる。

内面とは心などではなく、<裸>、つまり肉体である。

衣服にごまかされていない肉体こそが、
人間の本質的な内面である。

衣服は、内面をごまかしたり、内面をさらに良く見せたりする
ツールに過ぎず、

最終的な局面や有事においては、
裸の肉体と、それを支える心、精神という
内面のすべてが絶対的な切り札になる。


数年前までのニッポンへのイメージとしては、
草食系に代表されるようなヘナチョコ男や、
女性でいえばオトナのくせに幼児体型であったり
スキニーもスキニー、スキニーすぎてガリガリ
といった体型が、衣服の上からでも見られた趨勢だが、

ところがどっこい、湘南のビーチにいる
老若男女、ファミリー、アベック、学生グループ
というあらゆる属性の人々は驚くことに
総じて良い肉体ポスチャーをしていたのである。

成人女性は肉付きよくセクシーで、
幼児体型もガリガリ女もほとんどいない。
いずれもビキニでそのお尻はといえば欧米チックに
半ケツ状態の見事なエクスポージャー。

ビーチバレーボールのコートでは
肉感豊かな女性たちがビキニをヒップを食い込ませて
真っ黒に日焼けしながら駆け回っている。

オトナの女もまた、バブルに戻った?
と思えるほどのハイレグを披露。

すばらしいぞ? と。

男がまた意外で、ヤングボーイたちのほとんどが
鍛え上げた贅肉のないボクサー体型
(階級は中軽量級から中量級クラス)。

ファミリーで来ているお父さんもまたいずれも
真っ黒日焼けに、シェイプされた肉体を披露。
昔の中年サラリーマン的世界観である
腕脚が細くて腹が出ているといったポスチャーは皆無。
アラフォーのお父さんはいずれも元気だ。
"バブル期にブイブイ言わせた世代"はやはり強いのか。

時々、ただの筋肉バカ的な、スーパーヘビー級の
<キミは何者?>的な肉体もいるが、

総じて湘南のビーチは男女揃って肉体のレベルが高い。

これには<おやっ?>と感じたわけである。


そして、いずれも皆、堂々としている。

まるでそれは肉体の品評会のようである。

喫煙所やレストルーム、着脱所、海の家等が並ぶ
ボードウォークは姿態を披露する人々でいっぱい。

当然、ダモシも裸で闊歩するわけだが、
そういう肉体の品評会、披露会的になれば
いずれもライヴァリーとなり、視殺戦にもなり、
裸だからそのままストリート・ファイトになりかねない。

誰もが<俺の方が鍛えてるぜ><俺の方が強いぜ>的な
感情を露骨に表しているからだ。

何となくそれは古き良きアメリカ、あるいは、
昭和のニッポンの世界観が体現されて甦っている
かのような色合い。

面白いな、と。

ビーチはこういうモードがあっても良い。

要するに、ギラギラしていても良いのである。

ナンパにケンカ。こういうのがまたビーチの一幕でもあるのだ。
特に江ノ島や湘南といったエリアは、
そういう世界観があって似合うだろう。

オトナの所作としては、
鎌倉や葉山或いは伊豆あたりでリゾート・ビーチ的に愉しむ
という部分がある一方で、

フロリダでも
フォートローダーデールになればオトナの所作だが、
マイアミになればエリアが例えばサウスビーチになれば
それはそれはもうニッポンのその比ではないレベルで
危険がいっぱいになるわけで、

そういったオトナのリゾート的な所作と表裏一体で、
ビーチというものにはギラギラした要素もあるのが
<夏>というカテゴリーとの合致でも
一つのカルチュラル・アイコンとして存在しているのであろう

と。


未だ、ギラギラしたものの欠片が、かろうじて残っている。

それが湘南のビーチであると、一つには言えるだろう。


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プーチンとは違うが、
話の流れから、ダモシ最近影肉体編を。

いやでも、年齢を経るごとに肉体ポスチャーは
劣化していく。

避けられないそれを、どういう方向でキープするか
或いはインプルーヴするか。

そこが問題になる。

消耗品としての肉体が示す劣化の顕著な点は、
<下がり>である。

下がっていく。筋肉が下がっていく。

では二十年前の己と比べてどうかとなれば、
パワーの面では明らかに現在の方が上だ。

格闘になれば、まず現在の方が勝つだろう。

だが、肉体ポスチャーにおける各パーツごとは別として
総合点では断然、当時が勝つ。

パーツごとでは、現在の方が勝つ部分もある。
だが、やはり総じて見ればポスチャーは当時の方が良い。

しかしながらその二十年前がベストかといえば、
まったくそうは思わない。

体力という面でも二十年前よりも、
例えば世界最難関の室内ロッククライミングや
黒人アマ王者とボクシング対決などをした4-5年前が
プライムタイムかもしれないし、

対富士を連続して闘った今現在がプライムタイムかもしれない。


肉体、体力。
それらにおけるプライムタイムというものは、
後々、総合的に振り返ったときに初めて分かるものだ。

まだ、振り返る時期にはないのだ。

そういう意味では、
今もなお、否、年齢的なことも鑑みれば
キープ&インプルーヴを怠らないとすれば

<今>だ、ということを感じる。

一つには、全体の筋肉の<下がり>を回避し、
より張りのある筋肉及び肉体ポスチャーを作ろう、と。

そういう視点で、目標を持って
肉体改造をするならちょうど良い頃合いである。

重みや厚みはさらに増したい。
減量や階級下げはしない。

張りと厚みを増す。

このための努力=このための運動を強化

を図りたい、と今宵、品評会にて想った次第である。







posted by damoshi at 20:42| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月24日

なわとび, etc...



ジュニアが今日から夏休みに入った。

ジュニアが通っている小学校はレア・ケースで
昨日まで正規授業があった。

首都圏(東京・神奈川)の小学校は
ほとんど月曜日で終わって火曜日から夏休みに入っているが、
こちらは特殊だということだろう。

四日分、夏休みが短いというわけだが、
そもそもジュニアの本質的な夏休みは8.1の空手大会が終わってから。

それまではモチベーションを8.1へ向けて
引き続き道場で皆と、自宅でダモシと、
それぞれ練習に励むことになる。

8.1が終われば、9月までは大会を入れていないから
本質的な夏休みとなる。

8.1の福島決戦を終えた足で那須に滞在して、
しばし彼にとっての
<母方祖父母と過ごす>
<田舎で過ごす>
というティピカルな夏休みを経て、こちらに戻り、
その後は映画に遊びにイベントを楽しみ、
宿題や空手道場通いも継続しながら、

八月中に予定されているファミリーでの旅へ流れていく、と。

その旅のデスティネーションも四国を含めて検討中である。

ジュニアは妙に箱根好きで
<やっぱり箱根がいい>と言い張るが、

<たしかに箱根は最高のリゾートだけど
 俺たちは距離的にいつでもちょろっと行ける。
 ふだん行かないところがいいだろう>
というダモシの間で、意見が割れているところではある。


*****


ダモシも今宵は朝一番から出かけるという予定は
立てていないことから久しぶりにリラックスか?
とも思われたのだが、やはりそうもいかない。

朝も朝っぱらから
<よし、やるぞ>と空手の練習。

たっぷりとスパーリングで、
異種格闘技ルールから総合ルールへの対応戻しを強化。
前回の大会で出た課題をまとめたタスク・リストを、
一つ一つ実践して塗りつぶしていく。

ジュニアも最近、
新技であるフライング・ニールキックを
道場で多用。

今宵、遂に上級生に一発きれいに決めたが、
かかと落としや水面蹴り以下、
技のヴァリエーションのみならず
基本的アクションでの応用を自宅で繰り返し練習するわけだ。

対ヘビー級、そして前回の大会で出た
喫緊の課題である<同型タイプ>対策。

その両方を行うと同時に、
相手の型に応じて様々な己のスタイルに化身できる術。

これを会得させるべき練習を行うわけである。

朝っぱらからナイアガラの滝の汗を流しながら
ジュニアのオフェンスを受けるダモシの脚はまた痛む。


練習を終えると10AM。
ブックオフへ出かけて<空手バカ一代>を探そうと思うと、
ジュニアも<一緒に行く>という。

夏休みの宿題である読書用の本が欲しい、と。

じゃあ一緒に行こうということで近隣のブックオフへ出かける。
炎天下、未だに<肩、して>と肩車をせがむ
ジュニアがやはりカワイイ。

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ジュニアは読書用の本一冊と、あらいぐまラスカルのぬり絵、
そして植物図鑑を購入。

ジュニアは描画や読書をマメにする。
好きなのだろう。それはとても良いことだ。


一方、ダモシは
<武田信玄〜風林火山の大戦略>と
<白洲正子〜鶴川日記>を購入。

<空手バカ一代>は見つからず、未だ一巻〜二巻しか揃っていない。

072410a.jpg

歴史群像シリーズは武田信玄をもう一つ持っている。
<武田信玄
 〜風林火山・武田信玄の闘いと二十四将>。

今宵入手したそれはより信玄イズムを分解するもの。

常在戦場で、オールウェイズ闘いにおける戦略を考える中では、
信玄のそれは薫陶に値する。

信玄率いる甲州軍団の、状況次第で千変万化する戦闘隊形と
信玄の自由自在な戦法。

それこそが、臨機応変、相手に応じて合わせるのではなく
相手に応じて己が化身して幻惑する闘い方を身につけよ
という対ジュニアへの示唆である。


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こちらはご存知、白洲次郎の妻君・正子女史の
<鶴川日記>。

知らなかったが、今年の出版のようだ。
その初版が既にブックオフで105円。

当欄では09年1月31日掲載分でフィーチャーした
<武相荘>。

http://damoshiny.seesaa.net/article/113471330.html

白須次郎・正子の二人が過ごした屋敷は、
東京都町田市にある。
拙宅からも車でほど近く20分程度。

その場を訪ねてもいたから、この本に目がいったのだろう。

鶴川の地にある武相荘での日々を
正子女史が綴った本が。


*****


午後は、
現在勉強中の、ある国家資格のお勉強をデスクで。
先週後半からは対富士があったことと事後の疲労で
しばし穴をあけてしまったため、
昨日と今日はかなりの分量をこなした。

夕刻、ジュニアが道場から帰ってきたら
すぐに道場でのスパーリングのビデオを観ながら
アドバンテージとディスアドバンテージを検証しながら
また再度、ジュニアに練習を施す。

その後、今度はジュニアが苦手としている
<なわとび>のレクチャーと練習を外で行う。

なわとびといえば、
ダモシ自身の"北の某"での小学校時代に
校内記録となる1,077回連続成功という快挙を成し遂げた。

ジュニアはどうやら
小学校で行われる基礎的な体育が苦手のようで
器械体操やなわとび、水泳が
よろしくない。

徒競走が速いことや格闘技をやっていることでの
身体バランスと動きは良いのだが、
一般的なコドモのアクションがどうも不得手のような。

そういえば自転車も苦手だ。

なわとびも、一回しかできない。

<こりゃダメだ>と、ダモシが初めてレクチャーしたわけである。

三十分近い練習で、
最終的には六回跳べるようになった。
あとはこれを増やしていけば良い。

要は、コツである。

水泳も、水への恐怖、あるいは浮遊なども
ある瞬間から<何だ、こういうことだったのか>と
分水嶺を越えて出来るようになる。

それもまた、コツ。

コンペティティブなレベル
(ジュニアの空手など)に至るにはセンスや相応の努力、
あるいは時には奇想天外な創造力が必要になるが、

かけっこやなわとび、自転車、水泳などは
ある意味で誰もが通過する"普通の"動態アクションである。
そこに奇想天外さや創造力は必要ない。

運転免許も同様。キャッチボールも同様。
オトナのゴルフも同様。

"ある程度までは"普通に出来なければ、という類いであり、
コツをつかむことと、反復練習で何とかなる。

可能な限り、ジュニアの夏休みには
そういった種類のものも教えてあげたい。

運動神経と運動能力は、
ダモシの直系遺伝子なのだから、悪いはずがない。

コツである。


とまあ、今宵もなんだかんだ結局、身体を動かして
汗もいっぱいかいたサタデー。

気づけばもう9PMに差し掛かる。

明日はまたビーチだ。

晴れのち雨という、変な天気予報だ。
これは曇りを挟まずに、
サニースカイから突然、雨になるということなのか?


今宵の勉強はもう終わり。対ジュニアも終わり。

早めにデスクを離れ、早めに筋トレを終えて、

カウチでゆっくり
<武田信玄〜風林火山の大戦略>を読み、
ジュニアの来週の空手戦略を練りたいところである。


Have a nice weekend.




posted by damoshi at 20:52| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富士2010-雑感



今宵も猛暑だ。今年の夏は、リアルに暑い。
夏だから、これで良い。

夏なのに、アイススケートリンクで冬服で涼むのはおかしい。
夏は夏らしく、冬は冬らしく。
提示される"らしさ"に身をゆだねることが、耐性獲得につながる。

昨日、富士山登山マラソンが行われたようで、
その映像をニュースで観たが、
あれは、おかしい。

対富士という意味では、ああいう所作はよろしくない。

富士は、走ってマラソンして急いで登るものではない。
遥拝と登拝が基本である。
霊峰富士へのリスペクトを忘れてはならない。

そもそも山梨側の市街地からスタートして、
富士吉田側の整備された道を走って急ぐのは
富士登山ではない。

五合目までのゴール以前で倒れ、
救急車で運ばれていては、なにをしとるのか、
なにがしたいのかと大いなる疑問を覚える。

より過酷なものへチャレンジしたいという
射幸心が芽生えるのは、人間の性だが、
倒れてリタイアするのでは意味はない。

いずれにせよ、富士は、登る速さを競う場では、
断じて、ない。

冨士にマラソンで臨み、倒れて運ばれる若年中年の姿より、
シニア夫婦が何時間かけても登り切る姿の方が美しいのは、
言うまでもないことである。

走ることで自分を追い込み限界に挑みたいのなら
稚内から指宿まで休憩なしで走れば良かろう。
何も霊峰冨士でそれをする必要はない。



*****



富士登拝2010から、未掲載写真の雑感で締めたい。


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六合目に着くダモシ。

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ザックもひとやすみ。

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恒例のダモシ苦悶の図。

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九合目山小屋。ここはベター。

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富士でしか見られない空と雲は種類が多い。

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朝、目前。佇むアベック。

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霊峰富士。

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全国に多く存在する浅間神社の本丸。
静岡の富士宮にはその本宮があり、ここ山頂には奥宮がある。

富士山頂のここは静岡県となる。

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最後は、ダモシと雲海。

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来年は、99.99%、ない。

次に富士と邂逅するならば、ジュニアと共に往く時だろう。

その頃もうダモシは生きていないかもしれないから、
今年のこれが最後になるやもしれぬ。


今回のメンバーの中には、昔からの真性ダモシ軍がいた。
その二人は、いずれも98年以前の本妻時代に
ダモシ主宰の野球チームに参戦していた者である。

米国時代の晩年から延々と密かに描いている
野球チーム復活計画。

現実的にそれをするか否かは、
延々と密かに描いている中で、
あらゆる要素を勘案して<いけるな>と思えるときだが、

一つには今回、その二人の富士登山を見て、
肉体的には<いけるな>と感じた。

<たいしたものだな>とリアルに感じたわけだ。

それはダモシNY派のT氏も同様だが、

皆、<たいしたものだな>と思えるだけの
肉体的体力を示したのは、ある意味で驚きでもあった。

精神的な強さは、いずれも友人であり
ダモシ軍であるからして、ハナから問題ないが、
年齢的なものや運動不足的な部分からも
肉体面での懸念はあるわけだが、

それを払拭するほど、誰もが素晴しいアクションをした。

前述の通り富士は速さを競うものでもなく
あくまでタイムはおまけに過ぎないが、

そのタイムにしても
例の、忌々しい山梨側の谷"パフォーマンス"亮子を凌いでいるわけで、

山梨一般側からのパフォーマンス七時間と
静岡側からの登拝五時間では、劇的な差異があると認める。

そういう点でも、我々はよくやったと、忌憚なく、誇りたい。

まだまだ"俺たち"は大丈夫だな、と。





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2010年07月23日

富士登拝2010 (7)



人は、朝に在った。

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人は、朝に集まる。明けない夜はない。朝の来ない夜もない。


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朝の色が増えてきて、夜が明ける。

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光が来た。

朝になって眼下を見る。
その雲海の様相も色もデイタイムとはまったく異なる。

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昨年同様、
ご来光での感動だの、達成感だのという
甘ったれた感情はない。

ただただ、安堵。

そして帰路へ向けた懸念。


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岩山から山頂地点を見る。
その先、向こうには未だ最高峰地点が
<ここまで、おいで>と待っている。


*****


しかも、まだある。

ここ山頂がゴールではない。
目指すは地続きの日本最高峰地点と、
その先にある
"立つことのできる"リアル日本最高峰の二ヶ所。

疲弊し切った肉体と精神に鞭打って歩を進める。


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朝の中、岩山の上を歩く人々のシルエット。

最高峰へ向かう途中、
例の巨大なるホール、噴火口を横目で見る。

滑り落ちたら出られない巨大休火山の恐怖。


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そして、二年続けて立つ日本最高峰地点は、富士山剣が峰。


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ここが、リアル・ゴールとなる。

富士登山は山頂がゴールであり、ここ剣が峰もゴール。
しかし山頂まで到達したならば
あともう少し奮闘すれば、剣が峰。

せっかくだから目指したい。この剣が峰に立たなければ、
必ずや後悔するだろう。

さらにここ剣が峰に来たのならば、
地続きではないが、どうせならば
立つことのできる/行くことのできる
リアル日本最高峰地点へも歩を進めたい。


<この先に、リアル最高峰がある>。

ダモシはそう言って、T氏と共に向かった。

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立つことのできるリアル日本最高峰地点。

ここからは山梨側を含めての眺望がある。

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また異なる味の雲海。

そして朝、山梨側にかかる影富士を見ることで大団円となる。

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*****


山頂に戻り、ダモシはオフィシャル事案で所用を済ませる。

人の数は、昨年より断然多い。

土曜日。朝になって既に暑さが忍び寄っている。
(<猛暑になりそうだ…>)という懸念の中、
一刻も早く帰路につこうと感じる。

<早めに下りましょう。早く温泉につかりたい>。

奇想天外な勘違いで、
集合場所を間違えて山梨側の一般ルートから登ってきた
N.S氏とも無事に山頂で邂逅。

しばしの歓談の後、全員握手してN.S氏と別れる。

N.S氏はまた一人、山梨側へ下山していく。

M.T氏が問いかける。

<下山は隊列は関係ないですか?>。

ダモシも応える。

<ああ>。

登山リーダーK.Y氏も言う。

<では、山小屋に着くごとにお逢いしましょう>。

しかしながらパブロフの犬の法則か、
登山リーダーK.Y氏を除き、不思議と登山時と同じ隊列になる。

先頭をM.U氏、続いてM.T氏。三番手でT氏。
この後にK.Y氏が入る。

これが第一陣。

離れてダモシとその後ろにK.N氏。

ダモシは徹底してスローペース戦法を採る。

<さあ、帰ろう!>。下山が始まった。



*****


昨年ダモシは下山のダメージによって
足の左右両方の親指爪を失った。

だが、今年は快調そのものであった。

途中、登山者とのすれ違い時には
自らより大きな岩場へよけた上で
それを走り下りるアクションをするなど好調。

頭痛は延々と続いていたが、
それは高山病のというよりもむしろ
通常の日常的頭痛の世界観であるからして、耐性がある。

(<このレベルのヘディクであれば問題ない>)と
順調に下山する。

これまで最もダメージ少なく、好調をキープしていた
K.N氏が下山でいよいよダメージが発露した。

ダモシ同様、否、ダモシに次ぐ重量ゆえ
下山時に腰と脚に大きな負担がかかってきていたのだ。

腰と脚がダメージを受けて、急激にペースダウン。


(これはマズイな…)と感じたダモシも
ペースを落して、K.N氏のサポートに回る。

途中、何度も止まり、K.N氏が来るのを待つ。

下山の最終盤である
六合目から五合目への最後の行程では、
ダモシが最後尾につけて
K.N氏がダモシの前を往くパターンを採った。

それだけダモシにはまだゆとりがあったのだ。


途中、T氏もM.T氏も、そしてK.N氏も転倒するが
大怪我には至らず。

逆にダモシは一度も転ばなかったのは
昨年経験して下山の忌まわしさを知っていることもあっただろう。

昨年感じた<何だこの下山の苦しさは!>という苦悶が、
今年はなかった。

むろん苦しいが、昨年ほどではない。



*****


昨年の富士登拝。

直前に急死した後輩のソウルを共に連れていった。
そして頂上で<バカヤロウが!>と。

今年。

ウルトラの父、グランマ、ワイフのグランパ
を連れていった。

そして頂上での、日本最高峰での散骨。

その場は、ここである。


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<ほら、ここが日本の頂上だよ>と。


大学の後輩M.T氏もまた、彼なりに、
昨年急逝した後輩を抱えていただろう。

"向こうの岩山"に立ちご来光を見て、何を想ったか。


それぞれがやり遂げた、
それぞれが抱く安堵感や達成感や充足感や疲労感などの
様々な感情を山頂で吸収し、

下山はただただまたもや無心。


<ほんと、これが頭に来るんだよ>とダモシが言う
"二つある七合目"。

これを過ぎれば、オールモースト・フィニッシュ。

六合目まで下れば、
そこから五合目までの下りは整備された登山道。

七合目から六合目までの、登山者にとっての序盤。
この段階で余裕が生まれてきたダモシは
登山者とすれ違うごとに挨拶を交わす。

登山時には下山者から発せられる
<こんにちは!>の声に、カチンときてしまい
ほとんど返答することのないダモシは、

その悔しさを、晴らすかのように、

<俺は登り切ったぜ。これから登るの?大変だね>
という優越感を心に秘めながら

爽やかに挨拶する。自ら声がけをする。


<こんにちは!>

<おはようございます!>

高尾山しかりだが、山登りですれ違うごとに
挨拶することの煩わしさを嫌うダモシが
こういうことをできるのは、

己が下山時だからである。

優越感から、ワザと挨拶するのだ。

しかし、性格が根本的に悪いから、
そこであえて楽な態度をせずに
疲弊し切った態度をとる。

<はぁ、苦しい…>と。

登山者はそれを見て、
下りてきている今もなおこんなに苦しいのか?
俺はまだ登りの七合目を目指す途中だぜ…

と、苦渋を覚える、と。

そういう世界一性格が悪い男の所作が出る。

それでも時々、ダモシは"よゐこ"になる。

コドモ、女性には心からエールを送る。
すれ違いザマにダモシは声がけする。

<がんばれ!>と。

性格の良い"よゐこ"と
世界一性格の悪い男のジキルとハイド。

それが発露するのもまた、富士である、と。


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下山。

尋常ではない猛暑が襲いかかる。
下山時で救われた。

この日の登山者は、地獄の苦しみになる。
無風状態で猛暑。地上はちょうど梅雨明けして
真夏へ入った頃合い。

富士登山にとっては、雪や雨、風を除いたところでの
夏季における最も厳しい状況がここにあった。

山頂ですら10度に達する猛暑。
日本で最も太陽に近い場所を歩くには
猛烈すぎる熱。

下山する者の皮膚をもそれは貫いた。

下山者は、登山者もまた、オールブラックスと化した。

地上、御殿場の気温は
登山日は最高27.1度、下山のこの日は29.4度。

この温度差と、雲の量(下山時は皆無)から
太陽の猛烈具合は増し、

地上に照りつける前に、目の前にいる、冨士にいる
我々に、太陽はそのすべてをぶつけてきているかのようだった。

<七合目でこれかよ…>。

すれ違う登山者が、這々の体で述べた。

さよう。
この猛暑での富士登山は、難しい。

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登山者の誰もが
スローペースのダモシ以上のスローペースで
亀の行進。

否、現実的にはその動きは、亀よりも遅い。

そして各所で、倒れ込む人々。

尻目に下りた。

我々はもうこの苦行を経たのだ、と。
だから彼らを尻目に下りるのみ。

あとは温泉が待っている、と。

ダメージが目立つK.N氏と共に、
五合目のゴール地点で待つ他のメンバーのもとへ
ゴールした。

<ゴールだ!>。

そして我々は、見上げた。

己が登り、下りてきた先を。

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かくして、富士登拝2010は、全員登頂及び下山成功で終わった。

当たり前のこととして
それぞれがダメージを負った。

登山リーダーのK.Y氏とて楽に登ったわけではない。

多かれ少なかれ、箇所と種類は異なれ、
誰もがダメージを負った。

しかし、最大ミッションである<全員無事の成功>を果たし得た。

これが最高最大の結果である。



*****


POINT.5。

<運>すなわち<ラック>。

それは既に出た気象。これは大きかった。

登山初日と下山日のデイタイム双方の
富士山自身の気温差。

10AM時点で5.5度も差があった。
5.5度も下山日の方が気温が高かった。
やはりそれだけ猛暑と感じたのは確かだったのだ。

仮に登山日をこの17日としていたならば、
土曜日ということで
既に五合目までの道路は封鎖されていたから
二合目からシャトルバスなどで移動しなければならない
疲弊や、スタート時点で既に猛暑になっていたこと、
さらには膨大数の登山者がいたこと
などを合わせ鑑みれば、

非常に困難な登山になったことは容易に想像がつく。

むろん、事前にそれらをも含めたところでの
日程的なベストを選択していたわけだが、
気象に関してはこちらがコントロールすることは出来ない。

事前の天気予報並びに
五合目からスタートする直前に係員からも言われたが、

<雷雨の予報になっていますが、装備は大丈夫ですか?>

は、リアルに懸念材料だったわけだ。

霧と雷雨という懸念が
まったく無縁のところに消え去ったと同時に、
結果的にサニースカイと猛暑ながらも
絶妙なタイミングで吹いた冷房風があったことで

最高の気象条件

の中で、我々は登ることができたわけである。

それらはもうラック:運

という以外のなにものでもない。

常にこういうことは紙一重。

仮に雪山であったとしても、
そこでの生死も紙一重であり、
冬の富士では無事でも夏の富士で死ぬケースもある。

すべての事柄は表裏一体であり、紙一重である、と。

それが正負いずれの座標軸に
己を持ち込むか、また、己がどちらに転ぶのか。

それは己自身の強さ次第であると共に、

ラックも重要になってくる。


富士はなぜ今年は、悪魔の本性を、そう、
昨年見せた富士の本性を見せなかったのか。

なぜ、すばらしい富士を見せたのか。

ダモシに対しては
昨年悪魔性を見せたのにまた来た奴へのリスペクトとして
素晴しい富士をもってして迎えてくれたのかもしれないが、

今年はじめての富士も四人、いた。

彼らには悪魔富士を見せても良かったわけだが、
富士は見せなかった。

我々は我々自身の成功を誇ると共に、
富士を安易なものと思っては危険である。

むろん、そんなことを思うわけがない。

苦行は、これ以上ないほどの苦行だったからだ。

富士へのリスペクトと畏怖は消えない。

それを消さずに常に思慕し、接することが大事だ。
さもなくば富士はすぐにその悪魔性たる本性を
いつなんどきでも見せしめる怖さを持っている。


やはり生きてくるのが、武田信玄の、
闘いに関する名言である。

この意味もまた、冨士に登ることでさらに現実味を増す。


勝敗は六分か七分勝てば良い。
八分の勝ちはすでに危険であり、
九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる。


まさにこれは富士に対する観念の一つでもある。

昨年より楽だったから、
あるいは想像より楽だったから、
ということから仮に人が想いを突き上げてしまったならば、

それは危険であり、大敗を招く下地となる。

今年、富士は、ダモシの前に
その本性たる悪魔性を見せなかったと書いたが、

実はしかし、密かに見せ、忍び込んでいた。

昨年よりも好調に上り下りをできたダモシをして、
今年の方がより強く、ほとんどそれはもう
"誓い"というレベルに至るほど

<もう、やらない>という想いを濃くしたのは、

それだけ過酷だったということの証明である。


二〜三日は機能不全。身体は、そうなる。

しかしダモシは空手大会にビーチと
コドモという世界観との絡みでの行事とレジャーゆえ
機能不全に陥っていることを淘汰した上で連闘した。

それがまた尋常ならぬダメージとなって
ダモシに襲いかかってきたのは言うまでもない。


一週間が経過して、ようやく、今日、
肉体のだるさと疲労感が、すこし収まったというレベルである。


昨年も書いたが、
太宰治いうところの<富士は月見草>では、

けっして、ない。

富士はけっして、月見草ではない。

やはり壮大なる悪魔である。


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<富士登拝2010>シリーズは、これで終了。












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富士登拝2010 (6)




<眠いぃぃ…>。

ダモシはそう言いながら、
まるでイヤイヤするかのように起きることを拒んだ。

それほどまでに気持ちよく眠っていたのである。

これはもう間違いなく
もうそろそろ頭が割れるであろうとさえ思えた
大激痛の頭痛と、

聴覚から襲いかかり心身を蝕もうとする
山小屋に打ちつけて建物を揺らす暴風とその音、

体感的に蝕んでくる酷寒、

そして視覚効果でダモシを参らせようとする
真っ暗闇などが

折り重なって悪魔富士の様相をもってして
ダモシを覆い尽くした昨年とは、

雲泥の差。

メンバー中、最後に半身を起こす。

頭は痛いが
(<このレベルはふだんの頭痛と同じだ>)と
感じたことで精神的なゆとりも生まれる。

依然、U氏の様子からは復調の気配が見られない。

さらにT氏の容態が、おかしい。
<吐きそうです…>と半身で言うT氏。

T氏はレストルームへ。
悪寒に吐き気、頭痛。深刻な高山病が襲いかかっていた。

<リタイアか、と…>も感じたT氏だが、ここで根性。

U氏もT氏も、着替えて登頂へ臨戦態勢をとる。

K.N氏は前夜のディナー時にビールを飲むほど元気で、
この朝、否、未明でも好調をキープ。

M.T氏も睡眠をとったことで回復。

登山中、もっともダサダサなダモシだが
トータルに見れば元気な今年。

未明の起床後も数分後には、
あらかじめ配布された朝ご飯を食するほどの好調ぶり。
朝ご飯は肉団子が二個その他が入ったお弁当だが、
これがこれでこの空間で食することで感じる美味。

ダモシは未明からペロリと平らげ、
さらには吸わずにいられるかとばかりに煙草を吸う。

高山病忍び寄る高地で、未明に起きてすぐに食事をし、
すぐに煙草を吸うという所作は、
肉体的な好調さを如実に表している事例といえた。

足腰も問題ない。

要は、<息切れ>がダモシ最大の問題になっているわけだ。

<煙草のせいでは?>とT氏が言う。

<おそらくそうでしょう>とダモシも応える。

運動神経や運動能力さらには体力は高い方だが、
富士登山における<息切れ>は尋常ではない。

むろん場所が場所ゆえに酸素は少ない上、
誰もが息切れはする。

他人との相対的な観点ではなく、

ダモシ自身における<息切れ度>が尋常ではない
ということである。

猛暑の大都会の中を歩いたり、走ったりした際の
息切れと比べて、尋常ではないということである。

まさに心臓が飛び出るのでは?
と思えるほどに、それは激しく脈打ち、
口から漏れる苦悶の声もまたその尋常ではない様相を
後押しする。


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未明。起床後、月を見上げて撮る。


*****


隊列は初日と同じ。

ヘッドライトをつけて<さあ、最後だ。行こう>。

だが、真っ暗闇の富士、九合目から山頂までの
最後の行程はまさに苦行の中の苦行。

厳しく大きな岩を、足を一歩ごと上げて、
それこそ、よっこらしょ!と上がっていく。

必然的にペースは落ちる。

少し登れば先頭のU氏は立ち止まる。
第二陣のダモシたちもそれに追いつく。

もはや第一陣、第二陣の別はない。

一つの隊列で九合五勺、山頂という二つの関門へ向かう。

真っ暗闇ゆえ、次の目標のゴール地点がまったく見えない。
デイタイムの登山であれば
次の山小屋のゴールが視界に入るから
心を奮い立たせることができるが、

真っ暗闇の未明の登頂では、次のゴールである九合五勺も、
ゴールである山頂も、視界に入らない。

どこまで歩けば良いのかが見える場合と、
いったいどこまで歩けば着くのか?と
先が見えない場合では、

心理面で大きな差異が生まれる。

九合五勺に到着してしばしブレイクの後、
山頂までの最後のトライへ。


<頂上はまだか!全然見えない!>。

ダモシの声が次第に苛立ってくるが、
昨年のような罵詈雑言は一つも出ない。
なぜか。

事前に、別件で怒りがあり、それを溜め込んで、
一気にここで爆発するはずだったが、
さすが富士山なのか、
登りながら六根清浄が果たされていたのか。


ゴール。午前四時。ご来光まで、まだまだある頃合い、
山頂に到達。

二年連続で富士山登頂を果たした。

呆然と座り込むダモシ。
その隣にはU氏。
周りにはメンバーもいる。

しかしそこに平易な意味での感動はない。

ダモシの場合は、昨年同様、安堵と、もう一つ、
<解放感>である。

この苦行から、まずは解放されたことの安堵。
山頂に到達したことの安堵。

言葉はもう出ない。発したくもない。
ただただ疲弊したそのままに座っていたい。

そんな感覚である。



*****



そして一行は、それぞれご来光を見るべく、
山頂からさらに歩いた位置にある
二つの岩山へ別々に登った。

山頂から近い岩山へダモシとT氏。

登山リーダーの計らいで
ご来光をストレートに見るために
M.T氏とK.N氏は遠い方の岩山へ。

U氏はそのまま山頂に座り留まった。


ご来光は向こうの岩山の上からでこそ
何の障害もなく拝むことができる。

ダモシは身体疲労もあり
その岩山へ行かなかったという面もあるが、
一方で、手前の岩山の下から向こうの岩山を見た際に
視界に入った<人間のシルエット>に興味を覚えたこともあり、

手前の岩山を選択したのだった。

遮るものがなく、ご来光のみへフォーカスできる
向こうの岩山に対して、

あえてご来光そのものを撮るのではなく、

その岩山と人々とご来光を同格として捉えて
切り取ることで得られる図というものを狙ったのだった。


まずはストレートにご来光。
向こうの岩山に立ち、K.N氏が撮った。


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そしてダモシがこれを
手前の岩山から撮ると以下のようになる。

フォーカスは<人のシルエット>である。

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そして、その岩山から何が見えるのか
という世界観になると、
ここに登って向こうを眺めた瞬間に、
視界に入った空の微妙なグラデーションに

<"これ"だ>と感じた。

"これ" とはまさに<夜と朝の分水嶺>である。


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人は皆、"朝"に在った。




:::::(7)につづく。




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2010年07月22日

富士登拝2010 (5)



二つある七合目。その陥穽。
今年はそれに引っかからない。
メンバーにもあらかじめ伝える。

新七合目、そして元祖七合目へ。

次が昨年の初日のゴールである八合目。

勾配はさらに急に、岩場はさらに険しくなってゆく。

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むろん、酸素も減っていく。
乱れる呼吸、朦朧とする意識。

その間、想うことと支えは、ジュニアとワイフ。

五合目でのスタート目前、
携帯で電話して<これから登るよ>と告げると
ジュニアは言った。

<〇〇も頑張るから、ダディも頑張ってね>。

スー!シー!。
そんな呼吸音を出して登る。

スー!ハー!ではない。

息を吐く際に<シー!>と声を出しながら吐く。
そしてスローペースながらも
その歩幅とテンポを乱さずに歩く。

ただただ目線は下。

昨年陥った、遠のく意識と
<完全無欠の惰性>もまた、目前に迫っていた。


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(photo by K.Y)

昨年騙された二つ目の七合目たる元祖七合目に着く。

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(photo by K.Y)

元祖七合目で大学の後輩M.T氏と語らう。
M.T氏の笑顔がすばらしい。

98年に別離して以降、
ダモシの東京出張時の酒席再会の他、
彼自身、ニューヨークにも来てダモシ宅に泊まったことがある。
共に旧ヤンキー・スタジアムへ出かけてヤンキースの試合も観た。

これだけの時間を共にするのは、ニューヨーク以来となった。


*****


八合目への道中、先頭を往くM.U氏の姿が消えた。

<Uさんは?>と問うと、M.T氏が応える。

<トイレに行きたいからペースを上げて先に行くそうです>。

スタート時から一貫して
ハイペースで登っていたU氏。

昨年と大きな違いがそのペースであった。

その頃、ハイペースでの登山が、彼をじわじわと蝕みつつあった。


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(photo by K.Y)

疲労の色濃くなるメンバー。
第一陣とダモシのいる第二陣が揃って
岩場でブレイクも、皆、苦悶の表情。

ダモシはいよいよブレイク時に立っていられなくなる。

この中に既にU氏の姿はない。


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(photo by K.Y)

八合目。

先に到着していたU氏(左)の隣で、苦悶のM.T氏。
U氏はこの時点で昨年の初日のゴールに着いたことになる。
そして既にこの時点で高山病の魔の手が襲いかかっていた。

ハイペースという時間軸の流れと肉体が合致せず、
高山病の餌食になってしまったのである。


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(photo by K.Y)

当初、第一陣のU氏とM.T氏のペースについていた
ダモシの仲間のNY派であるT氏は
元祖七合目以降、ペースダウンが顕著になる。

第二陣のダモシのやや少し前を進む。

そして八合目へ到達する時点で、
T氏のすぐ後ろにダモシ、その直後をK.N氏が連なる。
八合目に届く最後の岩場を登る。


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*****


今年はここからまだ先がある。

目指すは九合目。

九合目から頂上の間には
<二つある九合目>のもう一つたる九合五勺があるが、

八合目の次は陥穽はない。ストレートに九合目となる。

ゆえに
<よし。あと一つだ>とモメンタムが生まれる。

あと一つ登れば今日は終わりだ、という理解が、
既に疲弊している心身の糧となる。

だが、足はもう上がらない。
しかも勾配と岩場の険しさはさらに増す。

<あと一つ>という理解と、
それぞれが抱えている"何か"が支えとなる。


八合目から九合目への道程、
先頭のU氏はさらにペースを上げていく。
何かに焦っているかのようにペースを上げる。
M.T氏はそれに遅れずについていく。

やや離れてT氏が一人、黙々と登る。

T氏からさらにやや離れて
ダモシとK.N氏が相変わらず一糸乱れない前後構成で登る。

最後方は一貫してK.Y氏。


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(photo by K.Y)

うなだれるダモシとK.N氏。
もはやフニャフニャになる一歩手前。
心の中で激しい闘いが繰り広げられている。

八つ当たりのしようがないほどのゴツゴツした岩岩。
岩と傾斜の視覚効果がさらにダメージとなる。
それを見ないようにする。


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(photo by K.Y)

意識朦朧。

呼吸の乱れが少し収まってもなお、心の臓は
飛び出さんばかりの激しさで体内で脈打っていた。


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そして初日のゴールである九合目に到着。

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(photo by K.Y)

時に午後4時。
結果的には何と驚く四時間での九合目到着。

それを知り、元気になるダモシ。
高山病はない。疲弊も呼吸の乱れも解消される。

なによりもこの山小屋でゆっくりすることができる
ほどの時間的余裕をもって到着できたことの喜び。

これが疲労を一気に消し去る要因。

ダモシはすぐに携帯電話を取り出して
テレビ電話でジュニアに電話する。

<今日のゴールに着いたぞ。ほら、見てみろ>

と眼下を映す。

身の危険はどの段階においてもあるが、
最大の懸念ポイントであった
五合目から九合目を無事に終えたことの安堵。

それはワイフ&ジュニアも同様だろう。

<そこまで行ければ大丈夫かな?>と。

ワイフは驚く。

<ずいぶん速いのでは?すごいね>。

<今年は去年より調子がいいぞ。ペースも良い>
と応えるダモシの声からはもう疲労感は消えていた。

その頃、U氏に異変が生じていた。

U氏はダウンした。



*****


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九合目で見た影富士。


山小屋にチェックインすると、
U氏はすぐに横になり眠りに入った。

既に八合目へ急いでいた時点で高山病に苛まれていたU氏。
トイレに駆け込むも身体異変は消えない。

震えが襲いかかり、激しい頭痛と吐き気が包み込む。

辛うじて山小屋のディナーを口に運ぶが、
吐き気がまた襲いかかり
その後すぐまたダウンしてそのまま眠りに落ちた。

M.T氏もチェックイン後、すぐに横になる。

先行してハイペースで登った二人がダメージを負った。

その間、
ダモシ、K.N氏、T氏に登山リーダーY氏の四人は
ディナーのカレーライスを頬張る。

調子の良いダモシはそれでは満たされず
800円の山菜うどんも食す。

同じく好調のK.N氏とY氏はビールを飲む。

第二陣で、結果的に第二陣の先頭となったダモシの
超スローペース
(といっても四時間で九合目まで来ているわけだから
 一般的スローペースよりは速いが)が奏功したと
推測される。

要するに高度が上がるにつれて
忍び寄る高山病の影に対して、

スローペースで登ることによるアジャストメント。

時間以外にアジャストし得る方法はない。

時間を、じっくりと使って登ったことで
高山病の襲撃を結果的に回避した。


しかもダモシの場合、
"たらふく"ディナーを食するほど地上と同じ食欲を見せた。

食事をして満たされると、しばしの時間をあけて眠る。

横になるとまさに"ひとり快眠"とばかりに
これはもう完璧に無呼吸症候群といえる世界観の
<ものすごいイビキ>と<呼吸停止>を発露し、
他のメンバーに迷惑をかける。

その迷惑を意に介さず快眠するダモシ。

その間、T氏もまた苦悶に喘いでいた。

ほとんど一睡もできないほど、
夜になり高山病に襲われたT氏。

ダモシのイビキと高山病のせいで眠れぬ夜を過ごすT氏。

T氏もまた途中までハイペースで登っていたことの
影響か、激しい高山病に襲われていた。


登山リーダーのY氏を除き、
この九合目山荘の夜の時点で
U氏がダウン、
それに次いで登っていたM.T氏もまた早々に横になり、
T氏は一睡もできないほどの苦しみの中にいた。

K.N氏は好調キープ。
ダモシも好調で、ガーガーと眠っていた。

この流れは、未明の起床時から登頂までにも影響した。

午前2時過ぎの起床まで、
それぞれどれくらいの時間を眠ることができたのか。
それは定かではないが、
全員がいずれにせよ横になり、目を閉じた。


0fr.jpg

初日、最後に撮った空。


:::::::::::(6)につづく



POINT.4。

ここでPOINT.4となる。

<山小屋>と<食事>である。


昨年のそれを簡単に振り返ってみる。

・八合目
・職員の態度が最悪
・トイレは外
 そのトイレへ駆け込むと、その前にいる職員が
 <宿泊者以外は有料です>と宣ったことでダモシが激怒。
 <宿泊者だよ!>と怒鳴る。
・ディナー時間に間に合わず。無情にも提供されず。
・寝床も最悪
・布団はなく薄い布一枚
・酷寒と暴風が吹き荒れていた
・冬用防寒着で眠ってもガタガタ震えていた
・夜中に目覚めると異次元の激しさの頭痛

良いことが一つもなかった。

今年の<山小屋>と<食事>はどうだったのか。

まず山小屋は九合目。
精神的に<ここまで来ればあとは頂上だ!>
というゆとりがあった上で、

まずは職員の態度が丁寧だった。
一見すれば態度が悪そうな相の面々だったが
我々への敬意を忘れずに応対していた。
過不足なく及第点。

食事は遂に、山小屋のカレーライスを得た。
それのみならず<800円の山菜うどん>まで食した。

そして寝床だ。
この差が大きかった。

今年のそれも狭いは狭いが、
<ちゃんとした厚めの掛け布団>があった。

しかも小屋内が暖かく、
眠っている間、汗をかくほど。

快適な睡眠を得ることができた点は非常に大きい。

さらに<トイレ>。
宿泊者は小屋内の寝床から直結で
屋内トイレに自由に行くことができた。

夜中に一度目覚めた際も楽々とトイレに行き
用を足すことができたのである。

その際にも、
<ん?これはいつもの頭痛レベルだぞ?>
と思えるほどの軽い頭痛で収まっていた。

これもまた精神的なアドバンテージを得ることにつながった。


0fp.jpg

ボリューム的には異様に少ない上、
なんてことのないインスタント系の味なのだが、

富士山九合目という非日常空間で食すこれは
何にも替え難い美味であった。

忌憚なく、あと五杯は頂戴したいレベルである。


0fi.jpg

寝床の列を俯瞰した図。
(photo by K.Y)







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2010年07月21日

富士登拝2010 (4)




前項で記載したPOINT.1。

予定より早め早めのアクション。
五合目到着時に時間的余裕があったこと。

昨年は都内出発が遅延したことで
五合目到着後、アジャスト十分ならずに登山開始。
まずはこの時点で焦りがあった。
精神的焦りから早めたスタートの影響は、
肉体が高度に順応していくペースを崩した。

呼吸困難に陥り、ダモシの唇は紫に変色し、顔面は蒼白になる。

既に六合目到着時点で
<これはマズいぞ>と感じていたわけである。

八合目までの苦しい道のり。

今年はまずは九合目まで行くという
さらなるタフな行程が用意されていたわけだが、
これがまた別のポイントになる。

POINT.1とクロスするPOINT.3。
それは
昨年登ったことで知っている八合目までの距離感と苦しさを
前提とした上での
さらなる上まで行かなければならないという覚悟。

精神的な覚悟が、POINT.3である。


POINT.1における五合目でのスタート前のアジャスト。

ここで一つのハプニングが起こる。
待てども待てども、待ち合わせ時刻の10:30AMに
一人が来ない。

最終的にはその彼〜トップバッターに起用した最年少〜は
何と、偉大なる勘違いにて
集合場所を静岡側ではなく、一般ルートの山梨側とし、
その五合目に到着していたのだった。

とき既に遅し。

彼は山梨側から大量の観光登山客と共に登ることとなり、
山頂で逢おうという了解のもと、
セパレイト・ウェイを歩むことになる。

彼を待っていたことでの時間的ロス。
しかしこの時間的ロスは、
我々に五合目でのスタート前の十分な高度アジャストを
与えたのである。

予定よりやや遅れて、12PM、五合目よりスタートした。


F10A.JPG

<そろそろかな>。
メンバーの中の二人と会話し、登る方向を指差すダモシ。

(photo by K.Y)

こうしてPOINT.1を経て登山開始。

トップバッターには、
もともと二番手に推していた最年長M.Uがつく。
二番手に大学の後輩M.T、三番手にNYつながりのK.T。

やや離れて第二陣でダモシ、その後ろにK.N。
最後方に登山リーダーのK.Y。

ダモシはスローペースで歩みを進める。

まさにそれはミスターシービー戦法。
己が肉体的対応力がどのレベルか。
対冨士におけるそれを分かっているからこそのスローペース。

一方、先頭を行くM.Uのペースが昨年より速い。

これを見たダモシは懸念を覚える。
ほとんどブレイクせずに
ハイペースを保ちながら歩を進める。

しっかりついていくM.TとK.T。

(あとでダメージになるのでは…?)と懸念する。

ダモシはペースを上げない。亀の歩み。

この頃、二番手を往くM.Tは密かに感じていた。

(<最初の六合目までで、これかよ…>)と。

思いのほか、苦しいことに
昨年のダモシ同様に
<これはマズいぞ…>と感じていたのである。



*****



苦しい。たしかに苦しい。

(あぁ、去年もこの苦しさだったな…)と
それが甦ってくる。

例の、ダモシ苦悶の"金剛杖支え"が出て、
ふさぎ込み、倒れこむ寸前をその杖が支えながらも
喘ぐという所作が露呈するのは時間の問題だったが、

それでも六合目、七合目と、
昨年にないペースと
昨年よりも苦悶の局面が減っている
〜一回の立ち止まり:ブレイクが短時間〜
状況に、ダモシ自身、不思議な感覚を抱いていた。

(<去年よりは、まだマシでは?>)と。

ダモシ自身、昨年よりも体力がついたということはない。
昨年と今年で運動量に劇的な差異もない。
その上、一歳確実に齢を重ねている。

一度経験しているとはいえ、

昨年よりも"楽"とは言わぬが、
"苦"のペースが減っているのはなぜなのか、と。

それはPOINT.1の<五合目でのアジャスト>はもとより、
ここで前項で掲載したPOINT.2が出てくるわけである。

POINT.2:気温と気象。

そう。
富士山を取り巻いているオンタイムでの気象条件である。

ここに微妙だが、大きな影響を及ぼす小さな違いが
昨年と今年で存在していることが明らかになる。

気象庁のデーターベースから紐解いた、
富士山(エリアや地上ではなく、富士山そのもの)の
昨年の登山日と今年のそれとの気象条件比較である。


まずは<気温>。

fdata1.jpg

ピンクが今年、ブルーが昨年。
いずれも登山中の時間の一時間ごとの気温の
移り変わりをまとめたものである。

気温がどんどん下がっていった昨年に比べて、
今年は気温が一度上がってから一定になった。

この違いは顕著に表れている。

富士山を登るにつれて
気温が下がっていった昨年は、途中、七合目過ぎで
Tシャツ(タンクトップ)から冬用に着替えている。

だが今年は九合目まで一気にタンクトップで行った。

さらにデータでは決して出ない、<風>。
風の向きや勢いではなく、それが肌に与える影響。

昨年は絶好のサニースカイで滑り出し、
空の色はそのままだったが、上に行くにつれて
冬用装備にしなければならなかった上、
途中から暴風が吹き荒れた。

その暴風は恐怖を覚えるほどであり、精神にダメージを与えた。

しかしながら今年の風は、絶妙な強さとタイミングで
さらっと吹きつけたばかりではなく、
奇妙なほどのちょうど良さで<冷たかった>のである。

上に行くにつれて気温が上がっていった今年だが、
それに合わせて風が絶妙なタッチで吹き、
身体にまるで冷房のようなバランスの清涼感を与えたのである。

それは図らずも、下山の際に立ち寄った山小屋のおばさんが
端的に言い得た。

<昨日登ったのでしょう?
 昨日は最高だったわよ、あなた。
 だって暑かったけど、風が気持ち良くて
 あれが冷房かわりになったのよ。
 それに引換え今日登る人はこれ、たいへんよ。
 猛暑だし、風がないもの>。

さよう。昨年の気象は、今年でいえば
ダモシ軍が下山している土曜日(関東や東海が梅雨明け)の
猛暑日と同じような感覚だったのである。

今年は、見事なまでに冷房効果を風がもたらした。

そして、その風は、上に進むにつれて
予報で出ていた霧&雷雨の懸念をものの見事に消し去った。


f10k.jpg

最初の到達点は、六合目の山小屋。

この絵は昨年も掲載している。
比べてみれば分かるが、昨年、この場所での写真は
サニースカイに、見るからに猛暑の様相。

しかし今年のそれは霧雲が立ちこめている。

<ここからがさらに本番だよ>というダモシの声で
始まった六合目以降の本格登山。

その段階で、断崖の向こうにも未だ霧雲がある。
未だ霧&雷雨は本当に来そうだな
という懸念を抱かせるに値する色。

f10j.jpg


次第に足取りも重くなり、呼吸が苦しくなってくる。
立ち止まり、ブレイクして、呼吸を整える。

f10b.jpg

次第に険しくなる傾斜。
見上げる先に、目指す次なる新七合目や元祖七合目、
さらには八合目が視界に入るか確認するダモシ。

POINT.2の覚悟があるから、八合目ではなく九合目という
長い苦行を勘案し、このあたりで苦しんでいられんぞ?
というパッションも沸き出る。


*****


新七合目、そして元祖七合目という
<七合目が二つあるという陥穽>にも
昨年経験していることで戸惑うことはない。

<これが頭にくるんだよ。
 新七合目という七合目があったわけで、
 さあ次が八合目だと思って頑張ってきて、
 で、到着してみると元祖七合目という。
 そのときの怒りと脱力感は精神を蝕むんだよ>

と語る。


気象に関する差異。もう一つは、<湿度>である。

これも昨年との対比で見てみると
その違いがよく分かる。


fdata2.jpg

ピンクのラインの今年の方が
明らかに湿度が高いことが分かる。

しかしその辿り方にも微妙な差異がある。

昨年は上昇一途だった湿度。

気温が下降線を辿っていった上に
湿度は上昇の一途を辿った昨年。

今年はどうかといえば、前述の通り
気温は一度上がってから一定になり
湿度は一度下がってから上がっている。

こうなると昨年の方が厳しい闘いになるのは明白だ。

しかも今年の湿度の最初の位置は90%に近いのだが、
実は五合目でスタート前のアジャストをしている段階では
湿度は100%だった。

湿度100%という中でアジャストを時間をかけて行い、
スタートした段階では下がっていることになる。
スタートしてから三時間、
上に進むにつれて湿度が下がっていくという
有り難い状況が生まれていたのである。

しかも湿度が上がりはじめた頃には、
より上に進んでいる。
そこではあの絶妙な冷房風が吹いている。

助けられたのである。この湿度%とその変化様態に。



*****


そして、気温と湿度と共に重要な気象条件。
その差異で、これもまた明らかになるのが
<気圧(hPa)>である。


気圧は、数値が高ければ高いほど
空気がしまり、酸素の濃度も濃くなり、疲れにくくなる。
逆に気圧が低いと酸素が薄くなり、疲れやすくなる。

昨年の気圧。
その登山中の一時間ごとの数値を見てみる。
延々と645-hPa台である。

今年の気圧。その登山中の一時間ごとの数値。
653〜654-hPa台。

10-hPa近い差で、今年の気圧が高かった。


つまり、今年は、
気温=上がってから一定になった
湿度=下がっていってから上がった
気圧=昨年より高かった

昨年は、
気温=下降の一途
湿度=上昇の一途
気圧=今年より低かった

ということになり、

どちらが疲れるかという平易なところでいえば、
今年の方が<疲れにくい>条件が整っていたといえるわけである。

今年は前段階での霧があり、雲も高い位置にまであったのだが、
それが絶妙な冷房風によって流されて途切れて、
結果的には(この部分においては)昨年同様に
絶好のサニースカイが広がったわけだが、

同じサニースカイの猛暑でも、
気温変化、湿度変化、気圧のバランスにプラスαで
風の匂いやその冷たさなどが重なり、

条件的には、よりベターだったということに帰結する。

グラフにはしていないが、0.1単位での気圧においては、
やはりグラフにしてみると、
その一時間ごとのブレ幅が少ないのは今年である。
一定の線が描かれる今年の気圧に対して、
たとえ0.1単位でも微妙にブレて波打っている昨年では、

人間の気圧への対応においても微妙な相違を生むだろう。

当然それが一定の線が描かれる方が、よりベターであろう。
それもまた今年の傾向だったわけである。



*****


f10h.jpg

登っても登っても、まだまだ霧と雲はそこにある。
昨年はなかった。


f10i.jpg

下から吹き上げてくる、例の<空を飛ぶ巨象>の世界の雲。
これが今年はさらに多かった。

しかしそれらをきれいに流し去ったのが、
昨年の暴風とは異なる
絶妙な冷房風だった。


::::::(5)へつづく


*****


ここでは登山途中(九合目まで)のダモシ写真を掲載。

ここまで記載した内容からすれば
昨年と比べて苦行ではなく楽な闘いだったのかと
錯覚するムキもあろうが、

相手は富士山である。

これ以上ないほどの苦行であることは
昨年と変わりはない。

<二度とやるか>。

これは昨年と同じである。

死にものぐるい。全力を出し切らなくては闘えない。

ダモシ、ダサダサの図は今年も健在である。


f10g.jpg

出た。これぞ<金剛杖支え>。
photo by K.N


f10f.jpg

photo by K.Y

苦悶。ブレイク時、ザックを肩から外して降ろす。
これを背負っていることのまた疲労も甚だしい。

<なぜこんなに重いのか!>と。

この頃になるともう
(八合目や九合目へ向かう頃合い)、周囲はサニースカイ。
いよいよ雲海が眼下に広がろうかとしている。


f10d.jpg

photo by K.Y

立っているのがやっとという状態になる。

しかしながら今年は昨年よりも
<金剛杖支え>の回数も、
この局面で座り込む回数も格段に減った。

むろん、こうしている時間も。


f10c.jpg

photo by K.Y


f10e.jpg

photo by K.Y

頭上の空の様相も、
冷房風のせいか、真夏の空というよりも
爽やかな秋の空といった感覚を得る。

上へ上へ、とにかく
<今日は九合目まで行かなくてはならないのだ>
という覚悟のもと、歩みを進めるダモシ(黒シャツ)と
その後ろのK.N(赤シャツ)





posted by damoshi at 01:02| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

リアルな夏は七月



絶好のサニースカイと猛暑の
いわゆる<真夏>というものは八月ではなく、
本質的には七月であり、
その中でも海の日の頃合いはまさにピーク。

青少年の夏休みの期間的メインは八月だが、
案外それは雨が多かったり寒かったり
台風が来たりと容易ではない。

そこで<田舎>がロールを得るわけだ。

夏休みと都会の猛暑は重ならない。

夏休みと田舎の早朝の、
ちょっぴり涼しげな風と緑の匂いと、
数時間後の暑さとサニースカイこそ、夏休み。

少年時代の夏休みといえば、
仙台や熊本を訪れたりした際の空気感が残っている。

都会の真夏のピークは、七月下旬。
梅雨明けと海の日を境にした頃合い。

学生時代もワイフとのDINKS時代もすべて
ビーチといえば、米時代を除けば七月。
七月こそがビーチの最盛期である。

今宵、今年最高の猛暑と絶好のサニースカイ。
海の日とくれば、ビーチである。

だが、そこで江の島では芸がない。
湘南のビーチでも平塚エリアなどの穴場で、
人が多くないそこへ行くのがやはり良い。
且つそのエリアへのディレクションであれば渋滞にも遭わない。

あの、鎌倉・湘南エリアの
メイン・ストリームのエントランスである江の島〜鎌倉間
を走るR-134なんぞはもう
夏でなくともオールウェイズ大渋滞の片側一車線。

そんなエリアとビーチに、
わざわざ海の日に行くほど芸がないことはない。

それらを避けたところで、
快適なビーチタイムを得る/演出する
ことが重要である、と。


もしかしたら今宵はこの夏、最高の夏らしい日。

江の島は早朝から既に渋滞。
同じ方角ながらも
道路が微妙に異なることで
平塚まではスイスイで一時間以内圏内。

9AM前にはもうビーチにいた。

そこは、富士山を間近に望むビーチ。


072010a.jpg

一日500円という駐車料金もお得な穴場。
既に富士山が見えている。


072010b.jpg


<ほら。一昨日、登った富士山だ。
 あの一番上にいたんだぞ>とジュニアに語る。

だが、ジュニアはそれこそ
久しぶりのコドモらしいリラックスタイム。
久しぶりのレジャーということで
海遊びが待ち遠しくてしょうがない。

ダモシはダモシで
98年以前までと、ニューヨーク時代のように
ビーチでリラックスということはもはや
ジュニアがいる現在は出来ない。


富士山、空手大会、ビーチ。

この四日間、忌憚なく、良い意味で疲弊。
疲労感がどっぷりと肉体に今、
襲いかかっている。

空手があるから、富士山のダメージを意識しないよう
無理したツケがくる。

大ダメージを受けている脹脛や太腿だが、
そこへジュニアのローキックを受ける。

海へ行けば、浮き輪に入るジュニアを、あるいは
そのジュニアを抱っこして、波遊びすれば
ダモシが足で踏ん張るしかない。

帰宅後の今、もう足は大ダメージで遂に動けなくなった。

整骨院もあいにく祝日で休診。

参った、といったところである。

それでもコドモにとって楽しい海の日。
ビーチでの海遊び。

ジュニアが大満喫して何よりといった
2010年/海の日だったといえるだろう。


072010c.jpg

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9AM前に着いてから、遊び疲れた3PM。

問題の帰路。
東名高速・厚木ICからのそれが懸念された。

渋滞である。

走行区間は短いが、東名高速の問題児である
<大和トンネル>を通らなければならない。

なぜか常に渋滞の基点となる<大和トンネル>。
そこを過ぎればスイスイ流れるのに
なぜかそこまで渋滞。

不可思議な<大和トンネル>を基点に、
やはり11kmの渋滞に疲弊。

後部座席では、コドモの定番的所作として
<海遊びの帰りの車中、スヤスヤ眠る>を
ジュニアは遂行。ワイフも気持ち良く眠る。

渋滞の中、ダモシは一人、
眠い目をこすり、<大和トンネル>を過ぎたら
怒りの大爆走で帰宅。

夜のニュースでは、<大和トンネル>に限らず
東名高速は45kmの渋滞の報。

アホか、と。

なぜに、皆々様、
夏休みにまだ入っていない、
one of themの三連休の最終日に関わらず
こんなにも喜び勇んでお出かけなさっているのか、と。

そして、どこへ皆々様、行ったのか、と。

ほとほと不思議な様相が、これである。

江の島を回避したことで得た往路のノン渋滞。
帰路もまた11kmだけ(20分間)の渋滞で済んだ。

徹底的に渋滞を嫌うからこそ。

絶対に45kmの大渋滞にハマるような
連休の行動形態はとらないという自負もある。

毎度、だからこそ、不思議に思うのだ。
なぜ相対的に多数がとる行動形態が存在するのか、と。
45kmも大渋滞するということは
多くの人が東名高速の静岡、名古屋方面へ
この連休で出かけて、東京・横浜へ戻ってきているわけだ。
あるいは千葉、埼玉、茨城、栃木へ戻るわけだ。

なぜそれほどの数の人が同じ行動形態をとるのかが
毎度不思議でならないのだ。

写真で分かるように、
今宵最盛期とも思われる首都圏のビーチ
(鎌倉・湘南、江の島)に関わらず、

ダモシが訪れているそれは砂浜が大渋滞していない。

隣と密接な位置関係になるような
巨大賑わいのビーチが大嫌いだからということもあるが、

例えば江の島や由比ケ浜などに今宵訪れていれば
道路の大渋滞にハマるわ、砂浜も大渋滞になるわで
たいへんなことになっているわけだ。

だが、それでもそんな様相が好きな人々も
かなりの数で多く存在しているからこそ
そういった渋滞が発生しているのだろうが、

ではどちらが多いのかといえば、
渋滞が好きな人の方が多いということになる。

なぜならば、渋滞が発生しているからだ。

渋滞を厭わない人の数の方が、
あるいは
人が密集するビーチが好きな人の数の方が、
それぞれ多いから、

渋滞や大混雑というものが発生するからである。

むしろダモシにとってはその方が良い。

少数派であることでこそ得られるメリットを選ぶ。

それはビーチに関しては、
過度に人が多くないことで静かにじぶんペースで
快適な時間を過ごすことができるメリットや、

渋滞にハマることがないから
道路もスイスイ快適に走ることができるメリット。

ひいては、それは、精神的にも良い、と。


072010h.jpg

東名高速、11kmの渋滞の図。

渋滞にハマり、ぎりぎり許容できる範囲だ。
渋滞時間は20分が限界。



*****



金曜日から、まったく
プライベートでのじぶんじかんが持てないのは当たり前だ。

金〜土の富士山との激闘、
土曜日に帰宅後の空手の練習、
日曜日は丸一日、空手の大会、そして今宵はビーチでまた一日。

必死にやって、必死に眠る。
その繰り返しの、夏のエントランスの四日間であった。

<富士登拝2010>シリーズは今宵はもう掲載できない。
疲れ果てた。

明日以降、掲載するところである。


今宵もう一つ。

久しぶりにリアルに日焼けした。

むろん、既に富士山で日焼けしたのだが、
それに輪をかけてビーチで日焼け。

過去でいえば、

由比ケ浜でのそれや、
中野新橋の一人暮らしアパートメント屋上での
トウカイテイオーが勝った日本ダービーの日のそれ、

はたまた
06年夏のフロリダは
フォートローダーデールでのそれらに

匹敵する度合いで日焼けした。

黒光りする例の奴以上に、黒光りしている現状であるが、

やはり夏は、男なら日焼けしている方が良い
と改めて思うところである。
コドモもむろん、そうである。



まさに
富士山が分水嶺として梅雨明し、海の日で夏が来る。


それが移動祝祭日として成り立ったかのような

この四日間であったといえようか。



今宵渋滞にハマった皆々様もまた明日から

"日常"に戻り、心の渋滞にハマろうか。





posted by damoshi at 21:33| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富士登拝2010 (3)



精神的な充足度、肉体的・精神的双方のダメージ度、
踏破タイム、チームとしての人員的ワーク、
その他もろもろが、

結果としての
富士登拝を検証するマテリアルとなる。

まずは<踏破タイム>。

これを見る。2009年と今年の比較から。


●往路(最高峰剣が峰除く五合目〜頂上間)

*2009年
スタート2:40PM
八合目着6:30PM
<所要時間3時間50分>
八合目発2:45AM
頂上到達5:45AM
<所要時間3時間>

■合計6時間50分


*2010年
スタート12PM
九合目着4PM
<所要時間4時間>
九合目発2:50AM
頂上到達4AM
<所要時間1時間10分>

■合計5時間10分

トータルで1時間40分もの短縮。


●復路(下山)

*2009年:3時間30分
9AM-12:30PM
*2010年:2時間30分
6:45AM-9:15AM

■トータルで1時間の短縮。


●往復総合計

*2009年:10時間20分
*2010年:7時間40分

■総合計で2時間40分の短縮。


*****


総合計で2時間40分の短縮を果たし得た要因。

まず、それは何だったのか。
なぜ昨年と今年でそれだけ時間が異なったのか。

要因は、ひいては肉体的及び精神的ダメージ度の差
にも同時に関連してくる。


10fuji2.jpg

御殿場。ここでT氏と五年ぶり、
ニューヨーク以来の再会で合流。

下界は、晴天の真夏日。


10fuji1.jpg

富士山スカイラインを抜けて五合目に着。

予定より早めの10AM到着。

POINT.1=
予定より早め早めのアクション。
五合目到着時に時間的余裕があった。


10fuji3.jpg

下界の晴天、梅雨明けのタイミングを匂わせる色。
しかし雲の位置は昨年より断然高く近い。


10fuji4.jpg

昨年はこの光景で眼下に見えるはパーフェクトな雲海。
だが今年は霧雲が次第に浮き上がり
富士山を覆い尽くそうとしていた。


10fuji5.jpg

五合目から、これから登る富士山を見る。

霧雲で目指す頭上は見えない。
加速度的に霧雲はどんどん上がる。

霧〜雷雨という予報が、現実味を帯びてくる。


そして五合目は、肌寒かった。
昨年のここは猛暑。

肌寒い気温の今年と、猛暑の昨年。
霧雲浮き上がる今年と、絶好のサニースカイの昨年。

この五合目での気温と気象。
これがPOINT.2となる。



*****



これから湘南のビーチへお出かけのため、

続きは後ほど。





posted by damoshi at 07:41| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月18日

It ain't over till it's over.



結局、一日がかりになってしまう。
ジュニアの空手大会である。

071810a.jpg

エリア的には会場は45分圏内だが、
普通は道路が空いている日曜に関わらず
三連休が影響しているのか大混雑。

三連休の土日月の場合、土曜から出かけないか?
と思うのだが、
昨日の富士からの帰路、御殿場から乗った東名高速は
ガラガラで、それは下り(静岡・名古屋方面)も
空いていたから、

相対的に多くの人が中日の今日に出かけるのが多く
集中したといえるのかと思える様相。


闘いが難しいのは毎度のごとく言わずもがな。

今宵、"オールジャパン"という称号まで
あと一歩及ばず、ベスト8止まりと相成った。

今回の大会はベスト4進出でその称号を得られる。
多くの親や本人が目指す割合としての
ヴァリューがあると言われているものであるが、
当然そこで勝つだけが、また、それを得るだけが勝利ではなく、
いずれの大会でもコンシステンシーが求められるのだが、

一つの、秤の一つとしては得ることが喜ばしいわけである。

要するに全豪も勝ちたいが、全米も勝ちたい。
そして全英も当然勝ちたいという世界である。

全仏で何度も勝っているが、どうしても全英では勝てない。
あるいはその逆。

プロのテニスでもゴルフでもそれはある。

コドモたちの、競技の一つとしての空手のジャンルでも
それはある。

他の大会では優勝を複数していたとしても、
この大会だけは勝てない人もいれば、
その逆もある。

この大会でジュニアのようにベスト8止まり
に終わったとしても、称号を得ている人と他の大会で
当たれば勝っているケースもある。

それだけ大会ごとに結果も異なるケースが多い
ということは前提の上で、

それでも目の前にある闘いは制したい。
闘う以上は当然のことであり、
目指すべき頂である。

<山には頂上以外、ゴールはない>。

今宵、外でのディナー時にジュニアに言った。

何をやるにせよ、
目標とするのはゴールであり
ゴールはどこかといえば頂上であるということだ。

闘い模様としては、
やはり一週間練習できなかったことと
流行風邪で寝込んだことでの体力低下は
ジュニアの動きに如実に出ていた。

が、それでも勝ち上がるスキルは備わっている。

そこでの破れた闘いでも判定であり、
勝負としては紙一重なのだが、
その紙一重の厚さはまた、その時々で異なる。


一つの新たな今宵の発見につながったことは、

ジュニアにとってもダモシにとっても
その破れた相手のスタイルが、
これまでに当たったことのないスタイルだったことだ。

破れる場合は相手がヘビー級で、
動きやキレはジュニアの方があるのだが
ナタの切れ味を持っているプレッシャーの強い相手か、

明らかにこちらが圧倒しているのだが
出会い頭的にポコンとポイントをとられるケース。

これだけだったところに、
いくらジュニアが不調だったとはいえ
ジュニアの動きについてこられる選手がいて、

しかもその相手のスタイルはジュニアに似通っていた
という初邂逅。

ジュニアのシャープさと得意のローが奏功しない。

己自身と合わせ鏡で闘っているような世界観。

ダモシは初めて試合後に相手のセコンドと握手した。

<もう一回、やろう>と言った。

それだけ認めたわけである。

ただ単に体格差を利してくる相手でもなく、
ただスキを見て一発狙いの相手でもない。

きちんと闘いをスイングさせられる相手で、
ジュニアと同じスタイル。
噛み合うわけだ。

当然やっているジュニアとしては、
己の独自の動きやオフェンスが通常は奏功するのだが
それが有効にならない上に
動きでもついてこられてしまうと
やりにくい感覚を持っただろう。

<おかしいぞ?>と。

互いに決定的な有効打はないのだが
同じようなスタイルの闘いの中で
手数含めて微妙な点で相手に分があった。

その部分で破れて清々しさはあるのだが、
当然、その一方で、
<絶好調だったら負けないだろうな…>という
恨み節は出るのが人間だ。


むろん、勝負ごとはそういった体調面その他
あらゆる要素を包含したところでの結果である。

紙一重の差だったとすれば
この一週間、どちらが練習したか?となれば
ジュニアはまるっきりしていないわけだから
仮に相手が週に一日以上実のある練習をしていたとすれば、

相手の勝ちになる。


これまでは、
対ヘビー級という観点での戦略が多かったが、
ダモシ自身も反省だが
想定外だった<同じスタイル>との対決に
戸惑ったダモシがいるのも事実で、

今後は<同じスタイル>で互角の相手と闘う場合の
戦略も構築すると同時に
それをも含めたところでの練習と技などの習得と鍛錬も
新たに必要になってきたということが、

分かった。

これが一つの今回の、勉強になったという点であり、

<何が足りないのか>を発見して
それをどうインプルーヴさせていくのかが、

やはりこれも重要なKSFである、ということだろう。


同団体からはお兄ちゃんたちも参戦したが
残念ながら誰一人として
その称号を得るまでは勝ち上がらなかった。

今宵はコドモたち本人全員はもとより
その親たちにとってもまた
事後の疲労感がドッと襲いかかる一日だったといえよう。


今回のリベンジ。それが8.1。

8.1がまた
<全盛期のオグリキャップ並みローテーション>の
最終戦である。

そこへはジュニアと、もう一組の兄弟の三人が参戦する。
いずれも今宵、無念な結果になっている。

8.1へ向けて、可能な限り練習をすることと、
よけいな体調不良(風邪その他ウィルス等)に
襲われないことが重要である。

むろん、戦略もぬかりなく、である。

悔しい上、残念だが、まだまだ次がある。
切り替えて前に進むことだけだ。

ゴールは、目指す限り、逃げてはいかない。

It ain't over till it's over.
〜ゲームが終わるまで、ゲームは終わらない〜

である。




posted by damoshi at 20:35| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月17日

富士登拝2010 (2)



本編に入る前に、ご来光絡みの写真二点の競作を。

ダモシ作は、
<夜と朝の分水嶺>。

yorutoasa.jpg

空の色で左が夜、右が朝。
その分水嶺の頃合いは、午前四時台。気温は零下。

今回の登拝メンバーの写真からKen氏の
ご来光写真との競作。

fuji2010j.jpg

(photo by Ken.N)


ダモシの<夜と朝の分水嶺>は以下クリックにて拡大写真を。

http://www.246material.me/yorutoasanobunsuirei.html



*****



富士登拝2010本編は明日から掲載。

今宵は本来ならばもうダウンで就寝だが、
明日のジュニアの大会へ向けて
夜の練習を行った。

一週間まったく実戦練習していないと共に、
ヘルパンギーナによる体力低下。

このディスアドバンテージの中で明日迎える
<全盛期のオグリキャップ並みのローテーション>の
夏の試練の勝負第三弾は、
最終二大メインイベントのパート.1。

彼自身どのような所作で、どう闘うのか。

見物であると同時に、
ダモシも"監督"としてベストを尽くす。

<俺も富士山、全力で頑張った。
 明日も頑張ろう!>

そう言って、既にジュニアはすやすやと眠りに入った。

明日も朝一番からだ。今宵は早く眠ろう。

昨日も今日も決戦。明日も決戦。
日々是決戦、常在戦場である。

体調不良、練習不足は、
あえて厳しく課してコドモであっても
それはエクスキューズだぞ、と。


ベストを尽くし、ベストを目指そうぜ、と。




posted by damoshi at 22:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富士登拝2010 (1)




富士登拝から帰還した。

fuji2010b.jpg

谷亮子ら、一般観光登山ルートとは異なる行程。
"ふざけるな、谷"という新たな仮想敵国も加わった
今回の富士登拝。

<谷亮子、七時間>というトピックと
谷の参院選出馬表明以降の軽々しさぶりに
頭に来ていたこともあった。

五合目から九合目までという昨年以上の
タフな世界観の中で、四時間というタイム。
そこから頂上へも一時間強。

登山及び登頂含めてタフなコースでのそれを
合計五時間強という、昨年と比べるべくもないタイムで踏破。

一般ルートでの谷の賞讃される七時間を凌駕したといえよう。

むろん登拝であるからして、
そもそも"ああいう"谷のパフォーマンスとは
大違いであることからタイムの問題ではないが、
チームとしてのそのタイムは誇りたい。


そして、全員成功。

タイムを含めて、あらゆる事柄において
昨年と今年ではどういった違いがあったのか。

その違いそれぞれはどういう影響を及ぼしたのか。

パート(2)で項目ごとの対比の上で、検証したい。


ただ一つ、まず今言えることは、
今度こそ本当にもうやらない、もうごめんだ、
ということである。

こんな苦行は、ない。

しかしながら一方で、今年の富士登拝は、
やはり富士はダモシとダモシ軍の味方をした。
一年間ずっとリスペクトを示してきたことと、
ナメなかったことが、最高の富士として今年、発露した。

昨年をも上回る最高の気象条件が今年のそれは整った。

これ以上ないだろう。

昨年も、その日こそがオフィシャルのライブカメラで
流されるほどにシーズン最高の一日だったのだが、
今年はまたそれを上回ったというのは
単なる運の良さでは片付けられない。

そのあたりも検証したいところである。

まずはエントランスとして、ここでしか見られない
<こんな空>を三枚掲載したい。

身体はボロボロである。

だが、明日はまたジュニアの空手大会。

結局ジュニアはヘルパンギーナという流行の子供夏風邪
ということで、今週まったく機能せず、
学校も空手道場も休んだ。

その状況で、明日をどう迎えるか。

ボロボロの身体だが、ダモシは休んでいられないところである。


fuji2010d.jpg


fuji2010c.jpg


fuji2010a.jpg


いよいよ夜明けの光が来る寸前。

これらの空は、富士でしか見られない。
非日常の空である。






posted by damoshi at 16:02| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月15日

時は、来た




富士登拝-カウントダウン1である。

相棒の一人が拙宅に到着した。
明日、彼と出る。
近隣駅でもう一人の仲間をピックアップし、
共にダモフィーロで御殿場へ。

御殿場のホテルで前泊している
ニューヨーク以来五年ぶりの再会となる
大阪ネイティヴをピックアップ。

四人でダモフィーロで富士五合目へ。

そこで個別にやってくる三人と合流し、いざ出陣。


明日の富士山の天気。エリアではなく、富士山そのものの天気は、
変わらず、霧〜雨〜雷雨。

さらに明日は、仏滅。

最高の舞台が整った。

怒りの発露。怒りも沸点に達しており、
その鬱憤の爆発を対富士へとタイミングも整っている。

昨年それに耐えた金剛杖は既に
ダモフィーロのトランクに入った。

吹けよ風、呼べよ嵐。

谷亮子と、我々は違う。
らくちんな行程のパフォーマンスではない。
ふざけるな谷、と。


対富士は、登拝であり闘いである。

対富士は、静岡側からでこそである。

ジュニアが空手で闘い、頑張っている。
今も高熱で眠っている。
今週末のメイン目標大会は、ぶっつけだ。


明日と明後日はダモシと仲間のオトナたちが闘う番だ。


時は、来た。

OK, I'm ready to fight.





posted by damoshi at 22:45| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

富士登拝- カウントダウン2



風雲急といった感じである。


<ワザとだよ>とワイフは言う。

さふ。
大事な闘いが迫るときに限って、悪戯が増える。

オフィシャル事案で問題が発生したことでのバタバタと苛立ち。

ジュニアの
<全盛期のオグリキャップ並みローテーション>
第二弾の10時間の闘いの疲労と、
今週末の第三弾(と第四弾)のメイン目標としている
二つへ向けての過程での

今宵から発症したジュニアの高熱風邪。

これではもう彼はそのメイン目標の大会の
第一ラウンド(試練の勝負第三弾)へは
まともな練習が出来ずにぶっつけ本番となってしまう無念。

そして九州を襲っている異常大雨は
ちょうど明後日、富士山へもやってくる。

富士山の登山における天気予報は
登拝初日(九合目までの激闘)が
曇〜雨OR霧〜雷雨という惨憺たるものとなっている。

おまけに気温も登山と登頂の二日間だけが
零下となっている。

結局、オフィシャル事案の数々と、一部のトラブル、
そしてジュニアの戦線などが
ちょうど対冨士にかけてピークになってきてしまい、

昨年同様に
肉体的準備はゼロのまま臨むことになってしまった。

ジュニアの風邪が既にうつっていなければ良いが、
いずれにせよ今の状況では
風邪をひいたり体調を崩すわけにはいかず、

今宵は念のため己が部屋で眠ることにした。

まったく摩訶不思議な谷亮子の富士登山のような
山梨側からのそれではない。あんなものは話にならない。

タフなルートであることは歓迎な上、
悪天も辞さずであったから
吹けよ風、呼べよ嵐といったところだが、

今宵オフィシャル事案でミーティングした
今回も富士へ共に往く最年長氏とも話をしたが、

予報通り、もしくは予報よりも悪く
天気が荒れて、
それこそ霧と雷雨になった場合、

未明の真っ暗闇と暴風の中では登頂はかなり危険になるだろう、と。



ただでさえ対富士が迫り、ピリピリしてきている中で
沸き起こってしまったオフィシャル事案での火の粉。
そして悪天の予報に、
最大目標の大会を目前にしたところでのジュニアの高熱風邪。

毎度のことだが、何かに臨むとき、万全の環境や状況とは
正反対の事象が取り巻いてしまうのは、笑うしかないが、

そこで当然感じることは、怒りである。

ふざけるなよ、と。

その怒りの、且つ、日常での怒りのすべてを

吐き出し、ぶつけ、叩きつけるということであろう。

<よりによって、こんなときに>。

これが案外、人生の根幹なのかもしれぬ。

逆にそういった怒りの対象や
思うようにいかぬことがあった方が燃えるかもしれぬ。

何よりも、実際のヒトや、目に見えない負のアトモスフィアに対する怒り。
その怒りをこそがパワーの発露にもつながろう。


どうあれ、カウントダウン2である。





posted by damoshi at 22:48| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10時間の闘い/後編



タイトルに相応しく、前編以上に長いため、要注意である。
読後、疲労甚だしい可能性もある。

まあ、いい。


*****


アリーナにマイク・アナウンスが流れる。

ただいまより小学一年生級の決勝戦を行います。
赤、〇〇会  〇〇〇〇君!
青、〇〇会館 〇〇〇〇君!

拍手が起こり、両者入場。
ダモシも当然、柵を乗り越えリングイン。
お前は関係者か、と。

普通の親、応援団は柵の外で皆、
黒山の人だかり状態で応援スタンバイ。


決勝のゴングが鳴ってもジュニアに気負いと焦りはない。

ほとほと、どてらい奴だ。
己自身の小学一年時を鑑みれば、あり得ない。

完璧にダモシが教えた通りの動態をしていることもまた

驚くことである。
一週間である。たったの一週間での異種格闘技ルールである。

コドモの吸収力の凄まじさを、ここに見た。

ボクシング及び格闘技スタイルでポスチャーをとっているのは
この大会で、少なくとも小学一年生階級では
一人もいない。

そのポスチャーがまた美しい。

脇をしめ、両腕きっちり上がり、
ただの空手の構えとは異なるボクシング&格闘技スタイル。
フットワークを駆使して蝶のように舞うことの初動が既に出来ている。
実戦における、且つ、一発勝負のサドンデス的様相。

ただ、密着すると、元来の気の強さと負けん気で
ムキになってパワー絶対主義のヘビー級と
真正面からどつき合うジュニア。

途中そのパワーに押されて転倒したり、
クリーンヒットさせずともアゴを上げられてしまう。
見ていられない。

<やり合うなっ!動けっ!フットワークと間合いっ!>

ダモシの怒声はさらに高まる。

しかしながらday by day進化するジュニアは、
ただやり合うだけではなく
間合いをとることやフットワーク並びにヒット&アウェイを
少しずつ理解してきているようで
時折それを交える。

得意のインロー、アウトローが使えないハンデを
もろともせずに華麗に闘うのがスタイルだ。

型同様に、華麗に美しく。これがジュニアのポスチャーだ。

そしていつもの何でもありルールでさえ、
まともにダメージを負う技を食らうことがほとんどないほど
ディフェンスも高いレベルで出来ている。

出会い頭だけ気をつけろ。
パワーに圧倒されている流れの中での
わずかなスキで一発入れられることを気をつけろ。

まさに一進一退の紙一重の攻防が続く。

残り時間が1分になっても互いに一発入らない。

この試合ではパンチは届かない。
アッパーカットが反則ゆえ
いくら低い位置からパンチを突き上げてストレートをしても
それはアッパーになってしまう。

もはやミドルキックかハイキックしかない。

それも
相手は右しか出してこないから
左半身が開いたその瞬間にジュニアが右ミドルを入れること。

フォーカスはここだった。

先にミドルで2ポイント相手がとったが、
失望する間もなくすぐさま一発返礼して2-2。

時間はなくなる。

残りは30秒。

この段階で相手のミドルがまたもや入ってしまった。

2-4。

しかし我々側には誰一人ここで諦める者がいなかった。
ダモシはむろん、逆転を狙う。

まだやはり準決勝同様に20秒ある。

応援の声もさらに高まる。
逃げ切りたいヘビー級。何とか攻めたいジュニア。

ダモシが最後の指令を出す。
<もうジャンピング・ゼロいっていいだろっ!
 なあ、おいっ、ゼロいけっ!ゼロっ!>。

しかし、
"俺の話を聞かない"ジュニアは今回はかなり
"俺の話を聞いていた"が、このときは聞かなかった。

"けっこう"土壇場になると大技指令を出すことのある
ダモシであるが、

ここで分かることは
"案外"闘っているジュニアの方が冷静だ、ということである。

おそらくジュニアは分かっていた。
残り時間はもとより、相手の動きは当然もう分かっている。
どこへどのタイミングで狙えばいける、ということも。
ポイント差も。

仲間の他の親たちも声援を送り
<もう時間ないぞ、攻めるしかないぞ!>と声がけするが、
ジュニアは冷静に蝶のように舞い、
ヘビー級が不覚にも前に出てジュニアを追おうとした時を
見逃さなかった。

ここでジュニアは、ダモシが教えたことのまた一つを
完璧な形で実際に用いた。

不用意に前にするするすると直線的に出てきたヘビー級を前に、
左右に身体を動かしながら前蹴り一閃、

そしてその流れで間髪入れずに0コンマ何秒の世界観で
右のミドルキックをボディにパーフェクト・ヒットさせた。

前に出てくる相手に前蹴りして動きを止めた上で
その精神的空白の一瞬で
すかさずミドルキックをボディにぶち込むという
見事すぎる連携。


<パーフェクトッ!ヒットォッ!入ったぁっ!オラッ!>

ダモシが叫ぶと同時に、
審判団全員の旗があがり、応援団からも<入ったっ!>の声が轟き、
4-4、同点。

そして終了のゴング、鳴る。

土壇場の土壇場で、同点に追いつき、延長に持ち込んだ。

延長開始まで
相手もジュニアも立ったまま静止。応援団も静まる。
異様な静寂が館内に広がった。


<〇〇!モメンタム!キープだぞ!>

<キープだ、キープ>

と言いながら、両手両指用いてサークルを描いて
リングを全部使え、前後左右動け、と指示。

そして言う。

<一発だぞ、一発。間合いをとって、狙えるときに
 一発狙え。一発で決める覚悟でやれ!>。


そう。決勝戦の延長戦はサドンデス。

一発決めた方が勝ち。

レベルはもう小学一年生という幼児の、
ただの取っ組み合いや殴り合いではない。

完全に、格闘技になっている。居合いの世界になっている。

<〇〇!目で殺せ!>。

互いに間合いをとって睨み合う。
一発で決まるサドンデスゆえ、幼児でもそれを理解し、
ただがむしゃらに出ることはしない。

いずれが先に動くか。どう動くか。
先に動かせるか。動いてきたらどうするか。

互いにおそらく目で殺し合いながらも、脳は活発に動いていただろう。

ジュニアの構えはもはや、ボクシング流にさらにアレンジされた形で、
それはもうヒクソン・グレイシーそっくりの構えに進化していた。

(<こ、この構えは、ヒクソンだぞぉ…>)。

プロレスはもとより格闘技好きのダモシを感動させる
ポスチャー。

しかも、ビリビリと痺れるような睨み合い。騙し合い。

これで小学一年生か? と。

誰もが声を潜める。何も言わない。ダモシも黙る。ただ、仁王立ち。

すり足でじりじり前へ出ることも教えた通り。

<指先まで神経をめぐらせろ。
 猪木は常に指先まで動かして神経を集中していた>とも
教えたことである。

グラブの中の指先が、動いていた。

構えはヒクソン。

相手の構えは空手そのもの。

右利き構えのジュニアはさらに
時々、構えを左半身に変化させたりする。

これも教えた通り。

異常なほどに今回は特に短期間で教えたことを
すべてジュニアは実戦の舞台で実行しているという
驚嘆のパフォーマンスをしている。

それだけでダモシ的にはもう込み上げるわけであるが、
そもそもベスト8くらいから込み上げているわけだが
そんなことは男であるし、ここで満足するわけにもいかない
ことから、見せずにいたが、
あまりの素晴しさに感極まってはいたのである。


(<あぁ、もう、また今回も脱帽だな、こりゃ>)と。


ワイフや他のお母さんは既に準々決勝あたりから泣いている。

<あんなにおっきい子に立ち向かって…>

<しかも勝ってるし…>

と。

館長も驚いたことだろう。
なにしろヒドかったのだから。
今回の異種格闘技ルール用の練習でのジュニアが。

練習でまったくダメで、ボコボコだった一週間前。

それをビデオで観たダモシが激怒して
毎晩、自宅で練習を施すと同時に
ストラテジーを懇々と説いた。

すべて平仮名で、彼が分かりやすいよう、
さらに彼がモチベーション高く練習できるよう、
練習内容と戦略を画用紙に書いて練習した。

さらには仮面ライダーなどの好きな人形を使って、
相手がこう来たらこういう動きをすれば
相手のパンチやキックは絶対に当たらないのだよ、と。
だから怖がるな。怖がらないで前へ出ろ。
前へ出るタイミングや出方の問題はこうすれば良いのだよ、と。

彼も律儀に、道場へ向かうバスの中でまで
それを読み返していたという。

<ダディが書いてくれたのを読むんだ>と言いながら。

こんなだからかわいくてしょうがないわけで、
勝ち負けは時の運も大きいのは当たり前だが、
練習や努力は嘘をつかないということは
結果としてもたらしてあげたいわけだ。

それが一回戦突破を目標としていた今回、
ここまで来ている。

ここまで来たのならば、当然、目指すは頂点。

それが一歩、あと一重、目前にある。

にもかかわらず、
痺れるような魅せる要素満載の試合を演じるジュニア。

まさにもう脱帽、である。


そして、両者、動いた。

一分経過に差し掛かる頃合い。

互いにそろっとした動きで距離が縮まった刹那、
どちらからともなく
互いにミドルキックを放った。

相手のそれは引っかかり気味にポツンと入った。

そして
ジュニアのそれはパシンッ!とパーフェクトに入った。

<よし、入ったっ!>

<よっしゃぁっ!>

ダモシと応援団の歓声が一瞬で上がる。

勝った。

が、副審の一人(相手側のキックがモロに見える側)が
相手に旗を上げた。

ジュニアのキックが相手のボディに当たることが
完璧に見える場所にいたのがダモシだけだった。

主審もあちら側。

試合終了。相手の勝利で、ジュニアの敗北。

<おかしいだろうがっ!>。

ダモシ、激怒。

審判団の席の方
(セコンドとして柵内に乱入していたのとは逆サイド)
(=通常の応援団がいるサイド)

へと柵外からじわじわと歩を進める。

そして柵外に揃っている親御さんやワイフのところへ行くと、
誰もが<〇〇のが入っていたでしょ!>と怒っている。

<言わんとダメだな、こりゃ>とダモシは柵内へ入り込んで
つかつかと審判団席に歩み寄る。

危険を察知したのか、それより前に館長が審判団へ詰め寄る。

<こっちが入ったでしょ>と抗議する館長。
<え、いや、ええ、入っていましたが…>と曖昧な回答。

そこへダモシ、登場。

<こっちのミドルがバチーンと完璧に入ったでしょ!>。

すると危険を察知したのか主審が応対し
<はい!入っていましたっ!でもあちらのキックを副審がとったのです>
と回答。

ダモシは納得しない。

<否。こちらのミドルの方が完璧に入っている。
 俺には見えている!>と抗議。

主審は副審を庇うように、
ダモシをなだめるように言う。

<はい。完全に入っていたのはこちらです。
 しかしあちらの方を先に旗を揚げたので>と

誤審を認めながらも、判定を覆せないことを述べた。

当然ながら納得はいかぬし、到底、我慢ならないがしかし、
館長も引き下がった上、
ダモシもここで引き下がることが
<審判>という、神聖なものがキープされるべき存在への礼儀でもある
と判断して、怒り心頭であるからして、

<納得いかん!>と叫びながら、両手をもろてあげて
コンプレインを表明しつつも、あえて引き下がった。

こうして、残念ながら準優勝という結果に終わったわけである。

型(演武)及び闘い、この二種目の両方で入賞(三位以内)
という結果は、同団体からすべてのメンバーが参戦した今回で、
ジュニアだけという、ある意味で快挙ではある上、

一回戦突破が目標だったから、

素晴しいパフォーマンスには違いないのだが、
ダモシ的には<勝たせてやりたかった>という想いと、
こういった誤審という後味の悪さの面から、

100%納得のハッピーという結末にはならなかった。

ジュニアはむろん、号泣し、
ワイフも号泣し抱擁し合い、他のお母さんも泣いていて
健闘を讃え合っている。

抗議を終えて皆の元に、そしてジュニアのもとに戻った
ダモシは、もちろん泣かないが、
ジュニアに対して<俺こそがモノを言える一番手だ>という
誇りを持って周りが取り囲み、見ている前で
ジュニアに言った。


<〇〇! 〇〇!の優勝だ!俺が見ていた。
 〇〇のミドルが先に決まったし、
 完璧に入っていた!俺が認めるぞっ!
 本当に今日はよく頑張った!素晴しいぞっ!〇〇!>。





*****




タフだ。ハードだ。too muchだ。否、もはやO.D.だ。

ここまででもう疲弊している。

型も闘いもいずれも決勝まで進んだ上に
決勝でも延長戦をしている。
朝から連続である。

もはや時刻は17時。

ランチも当然、まともに食していない。

ジュニアはもう疲労困憊だ。

だが、団体戦がオーラスに控えていた。

団体戦に出る同団体のメンバーの中で
型も組手も決勝までフルに闘ったのはジュニアのみ。

通常、型で上に進めば、同日に行われる闘いの方でも
上に進むということはレアである。

それだけハードだ、ということだ。

肉体面のみならず、ものものしい集中力を要するからだ。
オトナでも難しいことを
コドモに長時間の緊張と集中力を求めるのである。
酷だ。

酷だが、今、この時期は、
<全盛期のオグリキャップ並みローテーション>という
試練の勝負なのである。

乗り越えろ!

壁を一つ一つ、経験として乗り切れ!

キープだぞ、キープ。モメンタムを途切れさせるな!

とオールウェイズ、言っていることだ。


旧団体の特殊部隊員が分裂・離脱して
新たに旗揚げされた新団体である。

そこで初めて団体として出るチームマッチである。

重要だ。

旧団体の特殊部隊員たちもチームとして出場してきている。

団体戦はすべてで8団体対抗戦ゆえに
試合数としてはベスト8からの闘いとなり少ないが、
それでもタフさは変わりない。

ダモシとしては、決勝で旧団体の旧特殊部隊員と
相見えるという構図を望んでいた。
ダモシだけではないだろう。

だが、我々は未知数。

且つメンバーが不足していることから
前編で記載したように
階級が上(学年が一つ上)と闘わなければならないハンデがある。

戦前の予想では一回戦負け。完全なアンダードッグである。

旧団体の旧特殊部隊員チームは
他のチーム同様に学年が上のコドモが下におりてきて闘う
メンバー構成を採ることができる。

普通に考えれば、我々の勝算は、薄い。

だが、それが燃えるモチベーションになる。
想像を超えるレベルで皆が燃えた。親も燃えた。

ダモシなんぞはもう完全にセコンド
(柵内=リング内に入ってはいけない)として
リングイン。

それがもうルーティンとして
<この人はもういいや>的に一日で支配した関係で、
場のアトモスフィア全体が
<この人は乱入を認める>ということになっていたから、

また、入った。

入って先にもう身構えていた。

団体戦はジュニアだけではない。

すまんが全員に、他人のコドモとはいえ、
言わせてもらうよ、と。
指示出すよ、と。

全員柵外に一列に並び集合。
ダモシはリングインで、並んでいる五人の代表的に立つ。
館長は逆サイドでいつの間にかリングインしている。


先鋒/ジュニア:一年生
(型で準優勝/闘いで準優勝)

次峰/Y君:二年生
(彼はこの日の出場は団体戦のみ)

中堅/R君:三年生
(闘いは二回戦負けだったが、
 三年生階級の型でこの日、優勝)

副将/S君:三年生
(型、闘い、いずれも下位で負け)

大将/U君:五年生
(型は初戦負け。闘いは準優勝)


この五人構成。

他のチームを見てみると、
先鋒には<二年生>をほぼ持ってきている。
大将はいずれのチームも同じ<五年生>

つまり相対する階級的には
先鋒は不利、大将はイーブン。

次峰は相手側チームはいずれも
同じ二年生だからイーブン。

中堅の三年生に対しては
いずれのチームも<四年生>を持ってきている。
不利だ。

副将はそもそも四年生のはずだが、
こちらに四年生がいないことから
三年生を入れているから、不利になる。

階級での有利不利を包括的に鑑みれば
アドバンテージにある者は一人もおらず、
ディスアドバンテージなのが
ジュニアと三年生の二人。
イーブンなのが次峰と大将。

この時点で、2-3。

イーブンなのは大将だから、
大将まで回せば、勝機は見えてくるが、
大将まで回らずの段階で有利不利を見れば
一対三で負けることになる。

こういう構成を考えれば、
仮に三年生の二人がいずれも破れる可能性はあると見れば、
先鋒のジュニアが何とかして勝たなければ
大将戦に持ち込む確率も必然的に減ることになる。

それだけ重要な先鋒となる。

だが、もはや疲労困憊のジュニアは
団体戦が始まる直前に、弱気に化身した。

出たのだ。いつもの弱気が。

ワイフがダモシを呼ぶ。

<ダメだわ。気合を入れて>。

それだけでもうダモシには分かる。

ジュニアを捕まえて
<疲れたな。俺も疲れたよ>と言いながら
場を替えて壁際に二人だけになって
<少し眠ったらどうだ>と促す。

ジュニアは眠る。
ほんの少し眠るとすぐもう団体戦開始を告げる
アナウンスが流れた。

ダメだ。復活しないジュニア。

親御さんたちや館長、他のメンバーの輪に入っても
目覚めないジュニア。

もうやるしかない、とダモシは意を決して
皆がいる前でジュニアをどついた。

<てめえ、この野郎!ナメるなよ!
 イヤイヤやろうがどうしようが、
 やるのはやるんだよ!
 同じやるなら明るく楽しく元気にやれよっ!
 疲れているのは分かる!
 だが疲れているのは〇〇だけじゃないんだぞっ!
 俺も疲れてる!俺も眠いんだよ!
 マミーだってそうだ。他のお父さんお母さんもだ!
 今日の最後だ!ビシッとやらんかい!>

ものものしい怒声と、
ボディに防具をつけているから出来るのだが、
そのボディめがけてパンチするダモシに
周りの親御さんや館長らもビビった。

むろん、

それは周りに対しても魅せる要素として
ダモシは気合と怒りを表明したわけだが、
それで全員も疲れている中で覚醒することを促したのである。

泣きそうになるジュニアだが、
ワイフの<泣かないよっ!>の声に
幼稚園児の頃のようにはメソメソしなくなる。

<怒りを持たんたい!
 怒りがなくなったらダメなんぞっ!
 あと一発、今日最後だ、バシッとやれやぁっ!>。

怒るだけ怒るとひと呼吸あけるべく
ダモシは少し距離を離れた。

あとで聞いたところでは、
他のお父さんがすぐにフォローして
ジュニアを取り囲んで、

<お父さんに怒られた悔しさと怒りを、
 相手にぶつけるんだよ。がんばれ!>

とダモシを仮想敵として、フォローしたらしい。

それ以前に、
他のお母さんはワイフに大会中、
<〇〇君のお父さんは本当にジェントルマンですよね>だの
<〇〇君のお父さんはいつも冷静だし、
 決してお子さんを怒ったりしませんでしょう?>だのと
いう話になっていたそうだが、

これで見方が変わってしまっただろう。

それだけ団体戦というものは、個人戦とは違う
レスポンシビリティがあるものなのだ
ということをジュニアに学ばせなければならない。

だからハンパはするな、と。
やる以上、
<踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損>精神で
やれよ、と。

お前が勝たんでどないすんねん、と。

一人一人がやる気を持って覇気をもって
闘うことの連結が団体戦のKSFの一つでもあるのだ。

やる気のなさも伝染する。
覇気も伝染する。

同じアウトブレイクならば、良い細菌の感染こそが
良いに決まっているわけで、
それこそがケミストリーなのである。

団体戦にはケミストリーが不可欠なのである。

それがあれば奇跡も起こる。



*****



ダモシのぶち切れに刺激され、覚醒した全員と親御さんたち。
臨戦態勢は整った。

勝ち上がれば決勝で旧団体と当たる。

先鋒ジュニア、堂々とリングイン。
もうこれはモメンタム高まった状態である。

相手は学年上のヘビー級。

しかしまあジュニア、これがまた怒濤のオフェンス。
個人戦の勢いそのままにいく。

相手に先制を許して2ポイント奪われるも
即座に取り返したと思ったら
その後すぐに強烈な右ストレートでポイントをとると
さらにはその後もすぐにミドルキックを叩き込む。

沸き上がる大歓声。
パワーで何度も押されて倒されるものの
すぐさま立ち上がって向かっていく下級生のチビッ子ジュニア。
もう込み上げるったら、ありゃしない。
他のお母さんも泣いて目が腫れまくっている。

するとジュニアのミドルが効いたのか、
相手の上級生が泣いているではないか。

我々サイドのお父さんが数人叫ぶ。

<おい相手泣いてるぞ!>

<泣いてる泣いてる、攻めろ〇〇!>

もうこれは勝てるぞ?という状態で
応援の声がより一層高まる。

ダモシは既に勝利を確信し、
泣いている時点で

<泣いた!これでKOだ!シャーッ!>と叫んでいる。

それでもまだ時間は残っている上、
ポイント差がそこまで開いていない。
主審は試合続行を宣告。

試合続行の声と同時に、応援団から
<一気に勝負だ!>と前へ出るジュニアを後押し。

またキックを決めて、その時点で終了。
まったくもってのワンサイドで一本勝ち。

ダモシ、この日最大のガッツポーズ。

意気揚々と引き上げてくるジュニアに大歓声が迎えた。
ダモシは頭を撫でて
<グッドジョブ!>と叫んだ。

これは団体戦だ。ダモシはもう全員へ対して、
ジュニア同様の指示と声援を送る。

次峰もワンサイドで仕留め、2-0。

いけるぞ?と期待が高まる。

が、中堅、副将相次いで破れ、2-2。

決着は大将戦に。
大将戦は一進一退の攻防となったが、
さすが同団体のコドモ部では最年長の五年生。
貫禄溢れ、責任感もひとしおで、
延長戦で勝ち切った。

3-2で勝ち、準決勝をコマを進めた。


ジュニアの勢い衰えず、
準決勝でもヘビー級の上級生を圧倒してしまった。

一体なんだ、これは、と。

途中から完全に相手は戦意喪失でイヤイヤ状態。
もはやロベルト・デュラン状態に陥った相手を
執拗に追いかけてパンチ&キックのラッシュは
シュガー・レイ・レナードと化したジュニア。

試合終了を待つまでもなく、大差で完勝。

団体戦まで力を温存していた次峰もまた
前戦同様に完璧な試合運びで圧勝。

2-0として中堅、副将へ。

だが、相次いで破れてまたもや2-2で大将戦へ。

大将は互角の闘いを見せたが、
またもや延長にもつれこんだサドンデスで
一発食らってしまい、無念。

2-3で、決勝進出と共に
旧団体旧特殊部隊との因縁の頂上対決は実現しなかった
(旧団体旧特殊部隊は、堂々の優勝を果たした)。


三位決定戦。

もはやジュニアには
気合とモメンタムで進むだけの余力は皆無だった。

すべてフルに決勝まで闘ってきた上に
団体戦の二試合を上級生にのるかそるかを仕掛けて
勝ってきたジュニアに、もう余力はなかった。

動きは止まり、足ももう出ない。

ぽんぽんポイントをとられた。

試合中ダモシももうそれ以上は望まなかった。
隣で見ていた館長に
<すいません。もう彼は疲れ切っている。
 もう動けないですわ>と述べた。

館長は<ああ>と言った。

それでもジュニアの負けん気を見た。

圧倒的にポイントで負けている試合の
最後の残り五秒で、
この日最高ともいえるレベルのミドルキックを
クリーンヒットさせてポイントをとったのである。

ここにジュニアの根性を、見た。

もうそれだけで賞讃した。
戻ってきたジュニアをただただ頭を撫でて
<グレイト・ジョブ。ご苦労さん>と言った。

次峰は
<ボクの今日は団体戦のためにある>とばかりに
すべての体力をここに向けていたこともあり
素晴しい動きを見せた。

また快勝。

1-1。

中堅、こちらも疲労甚だしく破れる。
1-2。

副将が破れれば、ジ・エンド。


副将の彼は、型でも個人の闘いでも
なかなか毎回、結果が出ない。

それが親御さんはもとより館長も、そしてダモシも歯がゆく、
且つ、かわいそうだ。

一生懸命に努力している真面目なコドモだ。

それが結果として結実することが
一回くらいあっていい。

ダモシは、対ジュニアとは別で見たら、
この日最大の叱咤と声がけを彼にした。

見ていても、もう勝ち目は薄いと思われる
上級生のヘビー級相手に
弱気にならせずに、ぶち当たらせる。
そこで得られる/分かることが必ずあるからだ。

ダモシが叫ぶしかない。


<おい〇〇!前へ出ろ!
 いいか、前に出て懐に入れば
 相手のパンチやキックは当たらないから、大丈夫だから!
 勇気を出して前に出ろ!>

すると、そのコのお父さんが突然、
リングインしてきてダモシの隣に来た。

己がコに対して真剣に声がけしている他人(ダモシ)を見て
いてもたってもいられなかったのだろう。
燃えたのだろう。
試合中も叫び、

<ほら!頑張れ!怖くないぞっ!前に出ろ!
 積極的に前に出て、相手を怖がらせろ!>

と言うダモシの後に続き

<そうだ!前に出ろ!>と言うお父さん。

このコは、この試合、負けたが、
ダモシがこれまでに他の大会含めて見た
このコドモの試合では、これが最も良かった。

これだけ感情を出して、アグレッシブに攻めたのは
見たことがない。

気づいたのだろう。

前に出れば怖くない、と。
どんどん積極的にオフェンシブにやれば、
いずれは相手がイヤがって腰が引けてくることを。

途中、明らかに相手のトーンが下がった。
それはやっている本人も分かったはずだ。

果敢に前に出てくる勇気ある、己よりも小さい者。

ジュニアもそうだ。

平均的な身長体重よりも低く軽い者が多いのが
同団体のメンバーの特徴だが、
それでも大会で好成績を収めているのは、なぜか。

身体が大きくパワーもあることで
コドモの世界では絶対的なアドバンテージになる格闘技だが、
逆にそこで創意工夫や努力が
小さい者の方が上回ることがある。

そして、気迫だ。

怖いのは誰もが同じだ。

身体の大きい者の方が恐怖は少ない。
だが、ひとたび小さいことを武器にすれば
逆転することができる。

動きの速さであったり、気迫であったり、
技のキレであったり、一つ一つを上回ると同時に、
前に出るということである。

ジュニアにも懇々と説いていることだが、
怖がって腰が引ければ引けるほどに
間合い的に、大きい者のキックが当たる距離になる、と。

相手の懐に入り込んでしまえば、
そのキックやパンチは当たらないのだよ、と。

相手の懐に入り込む、一歩踏み出す勇気と、
その技術を持つこと。

これが重要になってくるわけである。

そのコドモの気迫というものを初めて見た。

負けて泣くそのコドモの母親と本人に
真っ先にやはり駆け寄って声をかけて
頭を撫でた。

<俺が見た中で一番良かったぞ。泣くな。
 素晴しかったぞ>と。

そして説いた。

<分かったろ。中に入れば怖くないんだよ。
 な?明らかに相手がイヤがっていたぞ?
 元気よく積極的にいくことだぞ。
 大丈夫。必ず結果は出るから。
 次がある、次が。次、また頑張ろう!>

と。

うんうん、と頷いていたコドモ。

ありがとうございますと頭を下げる母親。

それはお互い様である。


コドモにとっては、
なんだかもう〇〇君のお父さんは…的なものだろうが、
必ず言ったことは耳から入り、心には残るはずだ。

当たり前だ。そういうことを言っているわけで、
他団体の親のような
負けた場合の無意味な叱責や罵倒などは一切していないのだから。



*****



かくして、長い長い一日は終わった。

すべての試合が終わり表彰式も終わり
会場を後にしたのはもう8PMに差し掛かる頃。

朝、会場入りしてから10時間の闘いは長過ぎる。

長過ぎて、且つ、内容も濃厚すぎて
全員がもう疲労困憊と相成った次第である。


ジュニアについては、
会場の一角で館長と二人きりになった際に話をしたが、

館長曰く
<〇〇の試合はいつも、終わるとドッと疲れるんだよ。
 ほんとにいつもスリリングな試合ばかりでね…>と笑う。

ダモシも同様。

それはジュニアならではの、魅せる要素の伝承である。

武田信玄言うところの

<勝敗は六分か七分勝てば良い。
 八分の勝ちはすでに危険であり、
 九分、十分の勝ちは大敗を招く下地となる>



<戦いは五分の勝利をもって上となし、
 七分を中となし、十分をもって下となる。
 五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、
 十分はおごりを生ず>

は、まさに闘いの真理であり王道。

それを実践しているわけである。

時間ぎりぎりでの逆転。
時間ぎりぎりで追いついて延長に持ち込む。
決勝延長サドンデスでの、誤審につながるほどの相打ち的様相。

観ていて痺れるような試合を魅せる。

ここがまた、ジュニアの闘い模様を
忌憚なく賞讃する部分である。

精神面が強い、と。
小学一年生で時間を読みながら
試合をコントロールするというのは驚異である。

そして、最大は、
幼稚園時代最後の大会での優勝や
前々回の<脱帽>同様に、

きちんと本番に帳尻を合わせてくる所作。

これが、いくらダモシや館長が教えてところでも
出来る芸当ではない。

脱帽も脱帽、である。

まさにシリーズ開幕直後は不調でやられまくっていて、
最終戦の蔵前国技館でのタイトルマッチ防衛に
赤信号が灯りながらも最後に逆転して勝つという
アントニオ猪木の所作そのもの、である、と。

今回初導入の、闘魂タオルも奏功しただろう。
ダモシも持参した武田信玄の勝守も奏功しただろう。


疲れに疲れまくり、その後はもう
帰路はディナーをしていこうと
びっくりドンキーに立ち寄ったダモシ軍団の長ダモシは、

<たまには飲みたいな。ノンアルコールでも飲むか>と
上機嫌だったのに、

なぜか、びっくりドンキーにはそれがなくて、
ビールのフレイバーの飲料と書かれたものが
メニューにあったから
そういう書き方をされていたら普通
ノンアルコールビアだと思うわけで、

それを注文しようとして、
<これはノンアルコールビールですよね?>と問いかけたら
元気だけは良いのだが仕事のできないKYな店員が
<ええ>と中途半端に応えるので、
ダモシは念のためメニュー表の説明文を見ると
<しかしこれはお車の方へのご提供はしておりません>的な
記載があったため、

<これ、でも、車の人はダメなのでしょう?>と聞けば
<はい>と言うから頭に来て、

<というか、これビールのフレイバーって書いてあって
 普通アルコールじゃないと思うわけで、
 それでも車の人はダメってどういうことよ。
 そもそもいいよ、じゃあ、
 ノンアルコール・ビールくださいよ>と言うと、

<ノンアルコール・ビールはありません>と宣うから、

もう頭に来て、

<いやいや、いまどき、こういう店で
 特にここはほとんどの人が車で来ているわけで、
 ノンアルコール・ビールを置いていないとはなにごとか!
 しかもこれ、ビール・フレイバーと書いてあるが、
 これはビールじゃないし発泡酒でもないわけで、
 じゃあ何なのよ。そもそも聞きたいが、あなた、
 どう思いますか?じゃあ、車じゃない人でビール飲みたい人の
 誰がわざわざこんなビール・フレイバーのなんか頼むかいな>

と懇々とコンプレインを述べて、
それでも収まらないので
注文した食事が来た際にも店員を捕まえて

<納得いかないんだ、納得が。
 そもそもこれ、誰がこんな飲み物頼むのよ、教えてよ>

と質問すると、
<すいません>と謝るので、
<いやいや謝る必要はないよ。お客様の声として
 ちゃんと店長などに伝えることが大事だよ?
 誰がこんなもん飲むかいな、と。
 あと、いまどき、ノンアルコール・ビールを置いていないのは
 マズいよ?と>と教示すれば、

<はい。分かりました>と言って下がる店員。

まったくなっていない。
ほとほと最近のこういうレストランは人不足なのか知らぬが
相対的にクオリティが落ちている。

時流を読め、と。

車での来客者がほとんどの
幹線道路沿いのレストランで、
ノンアルコール・ビールがないとは、認められない。

一日疲れて、車での帰路途中、食事をする際に、
ほんの気休めでもいいから
ノンアルコールでいいから飲んだ気分を味わいたい
というのが、当たり前の要望であり、
それこそそういう客にとっての消費者便益なのである。

消費者便益を満たすことを考えれば、
そういうお客さん用にそれを置いておくのが
一流の店ではないのか。否、今やそれが当たり前だ。

一気に大不機嫌になったダモシだが、
それでもジュニアの上機嫌を見れば
すぐに機嫌を直して気分良く楽しくその場を過ごすことが
出来たわけであるが、

そんなこんなで10PM過ぎにようやく帰宅して、
それから入浴したり何だりで
じぶんじかんでのオフィシャル事案の用意やなにやらで
結局4AMくらいまで眠ることができず、

ただでさえ疲労困憊なのに寝不足のままに
早朝起きてダモフィーロで
オフィシャル事案のタフな会議で江の島で二時間もスペンド。

まさに昨日(月曜)は、疲労と
オフィシャル事案の内容での苛立ちが重なり、
この世の終わりレベルの不機嫌で
外でのオフィシャルを終えて、
R-246でダモフィーロでの帰路もまた眠くて眠くて
どうにもならないといった状態で、

その途中、江の島から都内へ移動する車中も
何度も落ちて、珍しいことで
リアルにこれは危険だぞと自ら車を側道に停めて
ブレイクと睡眠をとるほどまでに至る始末。

昨晩の帰宅後もPCに向かうものの
まったく疲労は収まらず一分毎に眠る始末でもうダメだと
0AM前には倒れるように横になったという有様だった。


今宵も疲れはとれずだが、まだ眠れない。


次はダモシが頑張る番で、
いよいよ対富士もあと二日と迫っている状況だが、
直前に来てさらに疲労しているという二律背反は
事前苦行か?

と嘆くところである。


<全盛期のオグリキャップ並みのローテーション>という
試練の勝負は、第二弾、ジュニアは見事なパフォーマンスで終えた。

残り二大会。これこそ、いつものガチンコであり、
さらにレベルも上がるニッポン代表戦。

今週末と試練の勝負最終戦8.1。

ダモシの対富士が金曜〜土曜。
ジュニアのそれが日曜。

フル回転となるのは明白だ。


頑張るしか、ない。



最後に、これだけ頑張ったジュニアの、自慢で
いつものように写真群を。

長編で、読む方も疲労することを考慮し、
今回は二枚だけに留めたい。


0714a.jpg

団体戦に臨む。
右端がジュニア、左へ次峰、中堅。

お兄ちゃんがいないジュニアにとっては、
良い勉強になっているのが空手道場での
年長者との付き合いだ。


0714B.JPG

いつもの表彰式後の個別記念撮影にて。

次第に幼児から少年の顔へ。だいぶキリッとしてきた。
喜ばしいことだ。


ダモシもあと二日でモメンタムを上げて、
顔もキリッとさせていかなければならない。

ダモシの不安は根性とは別の次元での、

肉体面、特に心の臓と、脳である。





posted by damoshi at 02:37| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

10時間の闘い/前編




朝8時に自宅を出て、夜22時過ぎにようやく戻ってきた。

今宵の空手大会は、予想を超える長丁場になった。
身体はヘトヘト、声はガラガラである。


いつもの"何でもあり"と異なる今宵の大会ルールは以下。

・ポイント制
・7ポイント差以上つけた方が勝ち
・時間切れの場合はその時点でポイントの多い方が勝ち
・アッパーやローキックなどは反則
・攻撃可能なのはボディと顔面

ダメージを与えるクリーンヒットがポイントになる。
それがポイントになる箇所は以下。

・KO=7点
・ハイキックで頭部及び顔面=3点
・ミドルキックがボディに&強烈なパンチが顔面に決まる=2点
・パンチがボディ及び顔面に決まる=1点

このルールだけを行っている流派も当然、ある。
それらの流派のための大会ともいえる。

こちらとしては、
フルコンタクトで何でもありのリングに
引きづり出してKOしたくなるスタイルである。

大方、相手の出方を待って
適確にミドルキックやパンチをぽーんと入れて
ポイントを稼げば勝ち的な世界観もあるが、
むろんそれとてハードな闘いである一方で、

闘いという意味での間合いやせめぎ合い、視殺戦
その他の要素は当然介在している。

怒濤のオフェンスで攻めていき、
相手が逃げるのを追いかけていくその刹那、
一瞬のスキをつけれてぽーん、あるいは、バーンと
入れられてポイントを稼がれる。

それに長けているグループや団体たちに対して、
勝ち目は薄いのは明白であるが、
そこはまたそこで我々の世界観は異なり、

<やるからには勝つぞ>という気概をもって臨むのが、
いつなんどき誰の挑戦でも受ける
というイデオロギーであり、
常に他流の異なるスタイルへも乗り込んでいく
我々のスタイルでもある。


今宵ジュニアは、

・型(演武)の個人戦
・組手(闘い)の個人戦
そして
・組手(闘い)の団体戦

という、
ただでさえ日程的に"全盛期のオグリキャップ並み"な中で、
今宵だけでも三連戦という
強行軍を迎えたのであった。

しかも団体戦に出るのはジュニア自身、初。
しかも重要な先鋒。
団体戦に同団体が出る自体、旗揚げ後、初のこととなる。

且つ、言っておくとすれば、
新団体ゆえにメンバーに限りがあり
通常小学一年、二年、三年、四年、五年という
五人で構成されるチームは、

二年が一年に、三年が二年にといった具合に
学年を一つ下げて出ることも許されているがゆえに
メンバーが豊富な団体の方が、これまたアドバンテージになる。

我らが新団体は、
ジュニア(一年)、A(二年)、B(二年)、C(三年)、D(五年)
であるところを、

一年のジュニアは先鋒で、相手はいずれも二年生と一つ上になり、
Aは相手が二年生と同じだが、Bは相手が三年生と一つ上になり、
Cもまた相手が一つ下げてきているから四年生となる。
Dの相手は同じ学年の五年。

つまり
ジュニア、B、Cの三人が1学年上の選手と
闘わなければならないというハンデを事前に負っている。
要するに、普通、学年が一つ上と闘う場合は、
勝ち目は薄くなるから、
この三人が全員負けた場合、同学年が相手のAとDの二人が勝っても
2-3で団体戦は負け、ということになる。

その状況が前提にある中でどうするか。

これがポイントになる。


■久しぶりの型(演武)の個人戦
■不慣れな苦手な異種格闘技ルールでの個人戦
■同じく不慣れで皆苦手なルールで、
且つ、相手学年が上の団体戦

という、
正負でいえば限りなく負に属する環境が設定されていたのだった。



*****



今回、初めて行ったゲンかつぎ。
ふだん、しないことをした。

それは、

遂に登場させた
<アントニオ猪木の闘魂タオル>と<武田信玄の勝守>。

前者はダモシの後輩が
二枚、ダモシにプレゼントしてくれた闘魂タオル。

昨日、ジュニアに一枚を贈呈した。
<これを、明日持て。使え>と。

そして猪木はこうして使っていたんだぞ、と実演。

肩にかけて闘魂タオルを左右でつかんでシュシュシュッとこすり、
コールと同時に右手でそれをバーッとやって
左手で先端を掴んでビシッと決める。
それにプラスして、<ダーッ!>も一緒にやる。

共に何度か練習したそれもジュニアは、マスターした。

猪木を入り込ませ、
且つ
甲斐国の武田神社で購入した武田信玄の勝守(御守り)は
ジュニア自身は既に昨年から持っているが、
今年になってからダモシも持っている同じそれを
ダモシ自身が今宵は腰につけて登場させたわけである。


少しでもアトモスフィアをこちら側のものとしようと
ふだんやらないことをそうして行った一方で、
些細なことではあるが、
今朝の大会会場へ向かう車中のカーラジオからは
New York State Of Mindや
ヤンキースの勝利試合後に流れていたNew York, New York
などが続々と流れてきたことは、

(<ん? これはムード的にいいぞ?>)

とダモシ自身は、察していたわけである。


ディスアドバンテージが多い今回、
新たな所作をすることでアトモスフィアを引っ張り込もうとする
意図とプラス、後押し的なラジオからの音楽。


その時点でもう、闘いは始まっていたのである。




*****




今回に臨むべく
ダモシがまた特訓を施したことは既載した。

このルールに短期間で適応させるべく
戦略を授けつつ、技と動きを実際に習得させるのだ。

day by day、それは出来つつあったが、
いかんせん短期間である。

一回戦を勝てれば御の字、という冷静な目標設定が
あることも、既載した。



久しぶりの<型>から闘いは始まった。

これが始まると、

ジュニア自身の型の精度が
以前より格段にインプルーヴしていることに気づいた。

他とまるで差がある。

そしてリラックスしている。
だからか、身体のキレが良い。

旧団体の特殊部隊員も参戦していて、
その親御さんたちも会場に来ていたが、
<どこの凄く上手い子かと思ったら〇〇君だった…>
と驚かれるほど。

贔屓目抜きで、
喩えていえば
ドンドンという勢いと力強さとは異なる、
カミソリの切れ味的な鋭さと
そのポスチャーの美しさでは他を圧倒。

最後は、もはや審判の好みの問題で
(だから客観的選択旗揚げ採点はイヤなのだが)、
ドスンドスンという迫力と勢いと元気の相手と
シュッシュッという切れ味と芸術性の高さの
ジュニアのどちらが好みかという判断になり、

相手に軍配があがり、
ジュニアは準優勝に終わったものの、

旗がどちらに上がるか以前に
誰が見てもジュニアの方が美しさと適確さは勝っている
見事な準優勝という結果に終わった。

この<型>に関してはワイフに任せ、
ダモシは単純に静かに見て応援しているのだが、
その見事なパフォーマンスに、

彼自身のモメンタムが<闘い>に向けて
高まりつつあることを感じていた。

朝から昼過ぎまで要した長丁場の<型>の闘いを
ファイナルまで進んで準優勝したことで、
ほとんど休みなく、

いよいよ異種格闘技ルールの闘いへと、時は流れていった。

ダモシの出番である。



kata.jpg

型の試合に臨むジュニア。

リラックスしつつも、適確に、美しく決めていった。
忌憚なく、彼の型はポスチャーが美しい。

立ち姿時点で、他との違いが露骨に出た。

武道の、根幹である。



*****



<やるぞ>と言うと、今宵は、前回の大会での
ナヨナヨといった弱気性とは異なり、
ジュニアも応じてきた。

そこでダモシはこの一週間、自宅でこつこつとやってきた
異種格闘技ルール対策である<ボクシング>的動きを反芻。

さらには

・ただ前へ出るのではなく、
 前へ出ていくと相手はカウンター狙いだから、
 ジャブを織り交ぜたり、前蹴りを見せ球にしたり、
 左右に動きながら間合いをとって詰めていく

所作を反復。

そしてオフェンスに転じる際には
一発だけではなく連打。
左ジャブ→右ストレート→左ミドルキックなどの
連続攻撃を仕掛けて、ヒット&アウェイ。

さらには、
<絶対に正面からやり合うな>
<あごを引け>
<パンチで殴り合うだけは素人だ>

等々を実践。

ダモシ自ら<俺も本気で動くから、試合だと思ってやれ>と
久しぶりに、
"蝶のように舞い、蜂のように刺す"動きをし、
高速左ジャブ〜右ストレートを当てずとも
当てる寸前まで放って、それへの対処策を何度も繰り返し
反復練習をアリーナ内で行った。


教えた通りの動きをするジュニア。
マイク・タイソン戦法で
低く入ってワンツーで右ストレートでポイントをとれば
あとはミドルキックで仕留める。

動きが良い。

目標としていた一回戦はおろか、勝ち進む。

ボクシング戦法から、ミドルキック主体の戦法に切り替えた
ベスト16での闘いでは、
昨年のある大会で
ちょこんと当てられて破れた相手と相見えたが、
もはやここまでくればモメンタムはピークに
差し掛かる頃合いのジュニアにとっては
難なく試合をコントロール。

逃げ腰で一発狙いの相手を、
左右に動くことで翻弄して、
出てくるところを適確にミドルキックをヒットさせる。

圧勝。

応援の歓声と共に、この日はじめての
ダモシのガッツポーズが出る。

戻ってくるジュニアと目を合わせて
米国流にトゥー・サムアップ。

高まるモメンタム。

館長も興奮してくる。<勝てるぞ。いけるぞ>と。


またもや、おやおや?
といった展開になってくる。


ベスト8へコマを進める。

ここまで来れば周りもダモシも、
目標を一回戦突破から優勝へ切り替える。

十二分に異種格闘技ルールに対応しているだけではなく、
そこでの勝ち方を試合を重ねるごとに
己で掴んでいくジュニア。

同団体のみならず旧団体で一緒だった特殊部隊員たちも
応援につく中、
ダモシだけはセコンドとして別枠で
コーナーに陣取り、もはや関係者のノリで柵内に
勝手に入り込んで、指示の声で場のアトモスフィアを
完全に支配していた。

ここからは特に、相手がいずれもヘビー級になってくる。
判官びいきも重なって、
他の既に負けたコドモの親軍団も

<あのコは小さいのに、凄い>と口々に言いはじめる。

(ウチのコを負かしたあのデカイ子を負かしてくれ)と。

準々決勝。

デカいコドモが相手だ。

途中、気の強さが出ていつもの悪い癖で
正面からアゴを上げた状態で殴り合う。

ダモシの怒号が飛ぶ。

<打ち合うな!相手に付き合うな!ゲームを支配しろ!>

ブレイクになるごとに
ダモシを見るジュニアに身振り手振りで指示を出す。

<左右に動け!動きながらミドルいけ!>

頷くジュニア。

互いに一本ずつ取り合うが
後半にジュニアのミドルと顔面パンチが炸裂し、
5ポイント・リードで試合終了。


<おぉっし!>。

完全に己よりも身体の大きな相手を翻弄した。

カミソリの切れ味を、発揮するジュニア。


残るは準決勝と、勝てば決勝。

決勝にはおそらく今大会中でやはり最もヘビー級で
最高身長のコドモが出てくることは明白。

それをも視野に入れながらも、
まずはこれまたヘビー級が相手の準決勝がポイントになる。

際どい攻防が続く。
ダモシの声が轟く。

ジュニアのミドルキックと
相手の右ストレートが同時に交錯。

互いのポイントになり、2-2。

2-2のまま互いに譲らず、紙一重のつば迫り合いが続く。

交わし合い、攻め合い、視殺戦を仕掛け合い、
動きのある一進一退の攻防が続く。

互いの応援団から歓声が轟き、アリーナ内は大興奮。

これはもはやベストバウト。

他の観戦客からも
<これは素晴しい試合です!>という叫び声が出る。

意に介さず、叫び続けるダモシ。

密着戦になった一瞬のスキに
相手が軽めの右ボディブローを入れた。

<入ってない!>と叫んだダモシだが、
副審の一人が相手方のこの攻撃にポイントの旗を挙げてしまった。
軽いパンチのため1ポイント。

<なんだよ!>。怒るダモシ。


残り時間は、20秒。
時間を考えたら、1ポイントでもとられるのは致命傷だ。

2-3。

1ポイント、ビハインドで試合は最後の20秒に入った。


(<うぅぅ…。くそぅ…。ここでとられたくなかった…>)

(<残り時間を考えたら…。一発ハイキックで逆転狙うか否か…>)


ダモシは迷った。

ダモシを見るジュニア。


この後の入り方。
相手は20秒稼いで逃げ切ることができる。
ジュニアは攻めなければ逆転はない。

その攻めてくるジュニアに
相手はカウンターを浴びせてヒットさせれば
決定的なポイントを得る。


(<どうするか…>)


そこでダモシは、
この一週間さんざん練習したボクシング戦法をやれ
と指示を出した。

己から相手のスペースへ攻め入っていく際に、
必ずボクシング(特にマイク・タイソン)のように
腰を落として低く構えて左右に動きながらするすると行くことと、
脇をしめて両腕をしっかりとガードすることと、
キックが来たらヒザを立ててディフェンスすること。

これを3秒の間に、伝えようとした。


<練習したことをやれ!入っていくときと、その後の連携!>。


連携とは、
上述のような入り方をした上で、
まずは左ジャブを見せて、右ストレート。
その後、すかさずミドルキック。

この連打、連携である。

要するに、
パンチやキックという打撃というものは
相手の懐の中に入ってしまえば当たらない。
だから入っていくその過程でカウンターを食らわないことが
重要になってくる。

レスラーがK1と異種格闘技戦を闘った際に、
低いタックルを仕掛けた瞬間に
その出鼻にヒザ蹴りを浴びせられて一発で沈むケースがある。

これを避けたいのである。

ボクシングの要領で顔面をガードしつつも
相手のキックがミドルに来たら
ヒザを立ててボディもガードすれば当たらない。

そのまま懐に入りこむ寸前で右ストレートを放つ。
外れてもその流れのままに左右に微妙にずれて
ミドルキックを放つ。

そしてそのヒットの後、アウェイ(離れる)。

オフェンスする際は連打。
連打したらアウェイ。

ヒット&アウェイのボクシング戦法。

この一連の動きは、この一週間、練習していたことである。


<はじめっ!>

レフェリーの合図が出た。
残りは20秒。
時間はない。

時間はないが、ジュニアは猪突猛進しない。

ボクシング的に身構えて
フットワークを使い、じりじりと相手との距離を詰めていく。

あとはジュニア自身の間合いの判断で
どの距離感で、一気に入り込むかどうかを決める。
それを誤れば一発食らう。
成功すれば、懐に入り込むことができる。

ここでジュニアは身体をスウェイさせつつも
左ジャブを見せ球にして
相手の懐に入っていないのに
右ストレートを放とうとした。

これを見た相手は、<絶好の間合いで>攻めてきた
と錯覚し、不用意にミドルキックを入れてこようとした。

ジュニアの右ストレートは三味線だった。

右ストレートをやるフリをして、
それにつられて相手がキックを出してきたら
それに合わせてわずかに左にズレた上で、
相手がバランスを崩してボディががら空きになった
ほんの0コンマ何秒の瞬間に、

右ミドルを完璧にヒットさせた。


<ビシャッ!>。


それと同時に、
応援団とダモシの<へいっ!入った!>の怒号が飛ぶ。

審判全員の旗が揚がる。

ジュニアの右ミドル、クリーンヒット。

主審がコールする。

<中段、入りました。2ポイント!>。

採点掲示板のジュニアのボードが3から4に変わる。

4-3、逆転。

沸き上がる歓声。


そして主審の次の<はじめっ!>の声とほぼ同時で、
試合終了のゴング、鳴る。


<キャーッ!>。お母さんたちの大歓声と、
<よぉしっ!>。お父さんたちの怒声と、

ダモシのガッツポーズに、トゥー・サムアップに、
さらには戻ってくるジュニアに向けて
両手のひとさし指で指差しての<グッドジョブ!>と
<よしオラッ!>の怒声が

クロスして、アリーナに轟いた。


4-3、ジュニア、逆転勝利で決勝進出。


周りの他のコドモの親たちも皆、
<すごい試合だった。ベストバウトだ>と口々に言い合う。

この段階ではさらに
<あのコ凄い。小さいのに、あんな大きいコに…>
<動きは一人、違うわよ>という会話が渦を巻き、

完璧にアトモスフィアはダモシ&ジュニアの世界観に
入り込んできた。


そうだ。ベストバウトだ。
よくぞ、勝ち切った。

あとは、一つ。

まさかの決勝。
相手は参加者中の最重量級。


試合ごと控えにいるジュニアに
何度もアドヴァイスを授けてきた館長が、

同じく試合ごと、待機中のジュニアのもとへ
柵を乗り越えて侵入してアドヴァイスしていた
ダモシに、

歩み寄ってきた。


お互いの思惑と決勝の相手に対する策は、一致しているはずだ。


相手は右ストレートと右ミドルキックしかできない。
それはもう見抜いている。
ただ、パワーは圧倒的だ。
一発食らうと危険である。

館長は言う。

<右しかやってこない。左へ動いてミドルだ>。

ダモシも頷く。
そして、言う。

<先生から〇〇に言ってやってください>。

館長がジュニアの耳元で囁いた。

その後、ダモシもジュニアのもとへ行き、
耳元で囁いた。


<先生の言ったことをやれ>。

そして

<気持ちだぞ、気持ち。気持ちで負けるな。
 この野郎!と。怒りだぞ怒り。
 何が何でも勝つんだ、と>。



両者、距離をとって、身構えた。


ダモシは
柵から中にインして、コーナーに一人、
腕組みをして仁王立ちした。



決勝のゴングが鳴った。






posted by damoshi at 03:03| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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