2010年08月30日

猛暑の茶畑



今年の夏は、戦後もっとも暑い夏らしい。

ダモシx東京首都圏という括りだけで見ても
仙台や大阪などに住んだ時期を除き
その関係性にあたる

1966-1969
1976-1998
2008-現在

という延べ27年の間で
記憶しているだけでも、やはり今年の夏が最も暑い気がする。

ニューヨークは酷暑だったが、ニッポンは猛暑。
暑さの種類が異なり、
陽射しの残酷さはニューヨークが圧倒的だが、
ジメジメとしたイヤな暑さはニッポンが圧倒的に勝る。

ところは12月でも陽光で暖かい駿河。

今宵は
オフィシャル事案で出かけた駿河から、いかにも暑そうな景を。


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既にこの空の具合でもう暑そうだ。


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静岡らしい茶畑。

その段々を見下ろせば…。

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そして面白い景。

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広がる茶畑と立ち並ぶ防霜ファンが、宇宙的な異形景を導き出す。


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ダモフィーロも日焼けしてしまいそうなくらいのサニースカイ。
雲の具合が最適だ。


*****


東名高速のSAの中で屈指の富士眺望を誇るのが富士川SA。

しかし、
薩た峠と同じく、なかなか冨士にお目にかかることは
夏の時期は難しい。

昨年見たが、今宵は頭しか見えず。
全体が見えるここは角度的にも、見えれば壮大なのだが。


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たいてい雲が富士だけを包む。


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見えますか? ぎりぎり富士の頭上だけ雲の合間から姿を見せた。


今宵、時間もなく、SAで<富士宮やきそば>を買って頬張るのみ。
まさにその味は、うみゃ〜。

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*****


ヤマハ・ブラザースでならした山本小鉄氏が死去された。
これでまた昭和の名優が去った。

山本小鉄と星野勘太郎のタッグ・チーム。
それがヤマハ・ブラザースだが、
ダモシは後楽園ホールで生でこの二人がタイトルを獲得する試合を観ている。

中学生のことだ。

当時存在していた国際プロレスのリングに乗り込んだ
新日本プロレスのヤマハ・ブラザースは、
国際プロレスのタッグチームが保持していた
IWA世界タッグのタイトルに挑戦した。

猪木シンパだったダモシは当然、新日本の応援。

国際プロレスは当時レギュラー放送していた
東京12チャンネル(当時:現テレビ東京)で毎週のように
無料招待券プレゼントがあり、毎週応募し、毎週当選するという
よっぽど応募者がいないのか?状態の中、
後楽園ホールには頻繁に出かけていたのだが、

とりわけ新日本が乗り込むということで
この試合はダモシも燃えたものだ。

見事、格の違いを見せてヤマハ・ブラザースが勝ち、
タイトルを新日本に持ち帰った。
ダモシもリングサイドで歓喜したものである。

山本小鉄もまた、<魅せる要素>を常に意識したレスラーだった。

合掌。





posted by damoshi at 23:38| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

夕陽に向かって蹴れ



今宵もまた、
期待通りの"ものすごい空"になっていた。

<あの空を見ろ。行くぞ>。

ジュニアと二人、高台に下りた。


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今宵は夕陽を。

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<夕陽に向かって蹴れ>とダモシは言った。


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<夕陽が沈むときは早いんだよ>とジュニアは言った。

<早く撮らないとな>。


夕陽に向かって蹴っていると、
ダモシは十一箇所、ジュニアは五箇所、蚊に刺された。


そして富士を遥拝。

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<来年、共に往くぞ>とダモシは言った。


来年の富士登拝ダモシ軍。

ジュニアとワイフ、参戦である。





posted by damoshi at 20:09| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アスレチック再戦(2)



<100歳-over所在不明>案件で
東京・足立区の当事者が逮捕されたが、
それは、長女と孫という二代での確信犯。

むろんその行為は誉められるものではなく逮捕されてもしょうがないが、
一方で、では、ボンクラ公務員はどうなるのか。
それこそ26年もそれを調べずに年金を支給しつづけた役所の怠慢に
何もペナルティが課せられないのは、明らかにおかしい。

ニッポンは、おかしいことだらけだ。

Do the right thing!
(正しいことを、まともな、普通のことを、ちゃんとしよう)。

まずその基本に立ち返るべくボンクラ公務員の意識改革は、
日本相撲協会の改革と同様に必要なことではないのか。

そもそもこの足立区の件がなければ、
"龍馬より歳上"も"ショパンと同じ年齢"も現れなかった(発覚しなかった)。

それこそ市町村の役所の者どもの仕事実態を公開しなければならない。
税金から給与を得ている彼らが
日々どういう事案でどのような内容でどういう所作で仕事をしたのか。
そして事案ごとにスペンドしたジョブ・タイムはどれくらいなのか。

毎日彼らはデイリーのジョブ・タイムシートを国民に公開すべきである。

米時代のオフィスでは、
デイリーのそれがあり、事案ごとにどれだけのタイム・スペンドを持ったか。
そしてその事案を遂行することで得られる粗利益はどれくらいなのかを
詳細にレポートしたものだ。

当たり前だ。タイム・イズ・マネーだから、だ。

一つの事案に複数人数でかかることのムダも、明らかになる。

なぜこれしか粗利益がない事案なのに
それほどまでにタイム・スペンドするのか。

かけた時間、労力、人数と粗利益をコンペアして初めて
そのジョブの正否が明らかになる。

当たり前のことである。

そういうシビアさこそ、ニッポンの企業には求められることで、
社内公用語を英語にすることではない。

特に公務員に関してはジョブ・タイムシートはマストだ。
ダモシが市長あるいは知事なら職員に対してそれを実施するだろう。

効率よく遂行して利益を得る。
そしてぱぱぱっとオフィスは後にしてひきずらない。
だらだら残業して効率的なことは何一つないのだ。

彼らが「頑張って仕事をしている」「残業までして頑張っている」
というのならば、その手法があまりにも稚拙なのだろう。
さもなくばこういう問題がここまで放置されていなかったはずだ。

厳しいようだが、衆参両議院の議員(政治家)から公務員までの者は
国民にデイリーでジョブ・タイムシートを公開すべし。

政治家もおそらく、どれだけ一日を会食や酒席で浪費しているかが
明らかになるだろう。酒を飲むヒマや派閥づくりのヒマがあったら
仕事しろよボケ、と。

足立区の逮捕された長女を庇うわけではないが、
一方で逮捕されているのだ。
であればそれを職務怠慢で放置した公務員(担当者や上司)も
ペナルティが課せられるのが、普通のことである。

だらだら毎日、記者会見して行方不明者を発表しているが、
その彼らからもまた悪びれた様子や反省の色が見えない。
己が職務怠慢を恥じたり反省する態度も見られない。

ほとほと、おかしな国である。



*****



さて、<4.25の筋断裂>事件からちょうど四ヶ月。

サニースカイと猛暑の中、八月最後の日曜日の午前、
ところは同じ横浜市の田園都市エリアから田園都市線で
さらに先にあるフィールド・アスレチックへと馳せ参じた。

朝もはよから皆々様、99%ファミリー軍団で駐車場は即刻、満車。
それが分かっているからダモシ軍は電車で。
サンデー下りは、一人もいなくてもよいほど空いている快適な車内。

週末は、あの忌々しくアトモスフィアも匂いも最悪な
女性専用車両は、ナシ。

女性専用車両で悠々と到着。

いざ、リベンジへと相成った次第である。

フィールド・アスレチックは四ヶ月前も書いたが、
お父さんお母さんいずれもやらない。
にも関わらず、己がコドモに指示を出す。

これもまた、ニッポンのおかしなところで、
それには反するダモシ軍は当然、
ダモシもワイフも率先して、やる。

またダモシの"現役復帰"へ向けた、ジュニアの"天皇賞"へ向けた、
有益な身体トレーニングにもなる。

格闘技における身体バランス、動態アクションの基盤は
アスレチックにも相通じる。

他の、コドモやお兄ちゃんと比べて、
明らかだから、贔屓目もなにもあったものではなく、
現実的にジュニアの身体アクションは優れている。

ミッション一つ一つをクリアするスピードが違うのだ。

たいてい、トロトロやっている。
あるいは登ったは良いが、怖くて身動きできずにいる。

ところがその親連中ときたら
己が貸切かと見紛うばかりに
なんとかちゃ〜んがんばってぇ〜と阿呆臭い黄色い甘い声を出したり、
ちょっと出来ただけで歓声をあげる。

こういうのをバカ親というわけであるが、
バカ親が多いのもアスレチックの特徴か。

そもそも己がやれないことをコドモに強要して
どないすんねん!と言いたくなる。

あるいは、
そもそもここは公共の場であるわけで、
他のコドモもいるにも関わらず、
トロトロトロトロやらせたり
身動きできずにそのままさせているから
後ろがどんどんつかえてしまうという有様。

ほとほと、ブチ切れを堪えるのでたいへんである。

しかもそういうバカ親は、
こちらが辟易としていたり、諸手をあげて首をすくめているのに、
そのアクションが欧米のだから分からないのか知らぬが、
平然としている。

結局、己がコドモしか目に入っていないわけだ。

こういうバカ親が増えているから
さらにこの国は劣化するわけである。

ちょっと出来ただけで黄色い嬌声をあげて、アホか、と。
指示するだけで、お前がやらんかい、と。

こちとら何でも、コドモに指示せんで、自身もやっているぞ、と。
実演した上で教示しとるぞ、と。

ほとほと、バカ親が多いファミリー主体の空間に行くと、
毎度毎度苛々するのがダモシである。

その苛々をまた、実技にぶつけるのである。


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平和ボケの、黄色い嬌声の、己は何もせず指示だけする、
バカ親率いるファミリーで、朝っぱらから超満員の駐車場。


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<行ったれ、トロいのはどんどん抜いていけ>と
ダモシの"指示"が飛ぶ。

<バランスだぞ,バランス。空手も他の運動も同じだ。
 ヒザを軽くして左右の身体バランスだぞ>と。


たいてい、どのミッションも、
先頭ダモシ、二番手ジュニア、三番手ワイフでトライする。

高度を伴い、落下危険のあるミッションは、
ダモシが先に終えて下から指示をしながら
万が一の際の捕獲に備える。

<落ちた場合は受け身だぞ。手をつくな、腕でバチンだぞ>と、
常に言っている/練習しているプロレスの受け身をすることを
リマインドする。

映画<ミリオンダラー・ベイビー>でも
同じように、クリント・イーストウッドが女子ボクサーに対して
<己を守れ>を徹底して説いていた。

"両腕バチン"の受け身は、必ず覚えておくべきことである。

それが鉄棒などの基本的遊具から格闘技に至るまで、
致命傷を負わないリスクヘッジにつながるわけである。


実際、あるミッションで他のコドモが空中から頭から落下した。
幸い、そこにダモシがいたことで事なきを得たが、
親は何をしとるのか、と。

そのコドモは受け身など知らぬ。一切受け身をしていない状態で
宙から頭から垂直に落下してきた。
ラックがなければ致命的な、最悪は脊髄にダメージを負いかねない。

<アゴを引け>
<ガードを下げるな>
<最悪は、受け身をしろ>

は、格闘技をやっている以上、
マスト・イシューとして叩き込まなければならない要素であるが、
やっていなくても、知っておくべきことである。

ダモシ自身、それを知る以前の幼少期には
鉄棒含めて落下する際、背中からモロに落下して
たいへんな目に遭ったものである。


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四ヶ月前は、こわごわ行っていた水面渡りだが、成長した。
<小学生として最初の夏休み>と<山寺・中尊寺などのみちのく行>と
<ニッポン代表獲得>を分水嶺に、
ジュニアは明らかに心身ともに、一つ、ここで成長した。

それは最近、手にとるように分かる。
空手にしてもダモシとの練習でも意識が変革していることが
手にとるように分かる。

むろん今後も波はあるのは当たり前だが、
そういった一つ一つの分水嶺ごとに
少しずつ成長するのが、コドモなのであろう。

水面渡りは当然、ダモシも行ったが、
ヘビー級のダモシの場合はこの上を走るだけで足と筏は水面下に沈む。
周囲からは笑いが起こるが、
何もしない親どもの笑いなど、どうこうない。

夏だ。足が濡れることで、より良い。


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フライングもダイナミックに喜ぶジュニア。
男の子らしく闊達なことが、何よりも喜ばしいことである。

これで他のコドモが頭から落下した。

ダモシが、撮影するためにこの最高度に達する位置にいたから
事なきを得た。



*****



そしてクライマックス。終盤の、最後のヤマ場。

これが<アリ地獄>。

<やめた方が良い>というワイフの言が出る。

<だな>とやめておくダモシ。

ジュニアが何度もスイスイ登る。

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なかなか他のコドモは上まで行くことができない。
むろん入れ替わりやってくるファミリーの親はやらない。

<だな>と、やらないと言いながらもダモシは、
何度もアキレス腱のばしだの屈伸だのを繰り返している。

そして<カメラを持っててくれ>とワイフに手渡した。

<やるの?やめた方がいいって!十一月まではケガできないよ?>と。

やるとなったら聞かないダモシである。

<ヤバいと思ったらやらんよ。前回で学んでいるから。
 だいじょうぶ。リベンジはしなければならない>とダモシは言って、
アリ地獄の下へ降りていった。

<やるの?>とジュニアがアリ地獄の下で問う。

<おう、リベンジだ>とダモシ。


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ジュニアが先に行く。
このアリ地獄駆け上がりも、良いトレーニングになる。

そしてダモシ。


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親子逆で、子が心配して見つめている。

ジュニアが<大丈夫か?>と心配そうに見つめる中、
ヘビー級のダモシが一気に駆け上がる。

前回と異なり、足の筋肉活動も十分なことが画像で分かる。
手も振られ、脚もきちんと上がっている。
ここのところ"現役復帰"へ向けてトレーニングを積んでいる成果か、
身体バランスを用いて登っている。

ただ力に任せて脚だけで登り、筋断裂した四ヶ月前と異なる見映え。


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<ヒザを軽く柔らかく、回転もアクションもつま先だぞ>と
指示している通り、ダモシの動態もそうなっている。

アリ地獄に降りていく際も、
<ヒザを使って腰を落としてフットワークを使えば転ばない。
 つま先だ、つま先>と教示する。

<ベタ足と棒立ちはダメだぞ>と。

かくして五本、六本と駆け上がったところで
ワイフから
<調子に乗るな>指令が出たことで、フィニッシュと相成った。

ダモシは悦に入り、ワイフ&ジュニアに
<どうじゃ。リベンジしたぜ>と宣言したが、

ワイフは冷たく
<少しは学習能力があったということが分かった>と述べるに留まった。


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最後は、
アスレチックのミッション一つ一つを
トレーニング器材と化身させてしまうプーチン・ダモシの図。


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*****


八月最後のサンデー。
こうして四ヶ月前の悪夢を振り払い無事に帰宅したダモシ軍。

帰宅してジュニアの部屋を開けると
猫ジャックが待ちわびていたかのように
走って入っていく。

なにごとかと思って見ていると、
ジャックは、ジュニアの部屋にいるハムスターに
興味津々。

最近では毎日こうしてジャックはハムスターを見つめ、
ときにこの隣で眠るのだ。


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ふぅ。さすがに肉体は疲れた。

先ほど少しデスクで居眠りしたところである。

きっと今宵もまた
オールウェイズ246の夕日が見られるだろう。




posted by damoshi at 15:59| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アスレチック再戦



<黒船来航より前の生誕>。その後、<龍馬より歳上>。

day by day、お笑いに劣化してきているのが
100歳-over所在不明の連鎖。

ようやくレベルの低いひな壇芸人たちの内輪の宴会を
公共電波で垂れ流す世界最悪文化レベルな所作が、
今年になってからのお笑い番組の打ち切りの連鎖で
光が差してきたかと思ったら、

今度はシリアスな社会問題のお笑いへの劣化である。

逮捕された孫も、まったく悪びれない言動と態度は、なにごとか。

ニッポンがもはや再起不能のノックアウト状態なのは
何度も書いているように今にはじまったことではなく
ダモシ渡米時点で既にそうなっていたことであるが、

もはやこの国は、ノックアウトで引退ならまだしも、
引退後、パンチドランカーになってしまっている世界である。

とっくにダメになっているから
今さら<もうダメだな>ともならず、ゆえに始末が悪い。

こうなればもう、世界最悪のお笑い国家に特化すべきではないか。
救いようがない存在を、それでも救いを求めるとすれば
一億総白痴化を超越したところでの一億総お笑い化しかない。

とはいっても、どうあがいても、その方向でさえ、
<ニューヨークの地下鉄>を筆頭とする世界の強豪には
かなわないというコメディ。

まさに、no way outである。
小沢でアウトなら、完璧にno way outである。


とまれ、冒頭のお笑いは、さらに進行し、
まるで<打ち切り連発のお笑い番組>の反動がごとく
ついに<200歳>の戸籍上生存者が登場した。

ここまでくるともう、この世界トップレベルの長寿国家は、
破廉恥な、起上がりこぼし状態である。

黒船来航以前から、龍馬より歳上になり、さらにはショパンや国定忠次と同級生。

笑いしか起こらない。

タイガー・ウッズの、当時の愛人騒動がごとく、
止まるところを知らぬ100歳-over所在不明者軍団。

こうなると不思議なもので、どんどん期待が膨らんでくる。
十分、シニカルなエンターテイメントになる。

200歳が登場したのだから、
どうせならベートーヴェンと同級生(240歳)や
葛飾北斎と同級生(250歳)の登場に期待が高まるというものだ。

さらに、ここまで続くと、
それらの中に、現実的に生きている人:生存者が出る可能性とて否定できない。

必ずしも、所在不明者が死亡しているとは限らない。
死亡届も出されていなければ死体もない。
記録上、生きている。

だから生きている可能性はゼロとはいえない。

とりわけ時流から見て、<龍馬>より歳上の人が、
実際に生きていたら相当なインパクトになると思われる。

役所のボンクラ公務員の"おかげで"エンターテイメントになっている。
せっかくだから阿呆公務員の皆々様には、どうか、
さらなる記録更新を目指すと同時に、
世界最高齢の生存者の発見にも全力を挙げて欲しい。



*****


今宵、Macintoshで一人でDVDで映画を観た。
<ミリオンダラー・ベイビー>。

在米中の映画だが、見逃していた。
遅ればせながら観たわけだが、実にシリアルでヘビーな映画。

ただ、一つには、
ボクシングを通してトレーナーと女子ボクサーのやりとりからは
得るものはあった。

教示がある。

それはブルース・リーの名言<Don't Think! Feel!>に等しい。

格闘技(この映画の場合はボクシング)全般に通じる身体動態や
カルチュラルな所作の教示は大いに参考になる。

劇中に出てくる格闘技にまつわる動きに関する名台詞は書き留めた。


ダモシもまた、広い意味で密かに今、あることで"現役復帰"を目論んでいる。
そのため、ここ数年、否、ここ二十年で見ても
最も身体運動を施している。

あるレベルまで"戻れば"、そして"態勢が整えば"、GOする可能性を含めて、
ルーティンで身体を鍛えているパート以外にも、
新たなそれを行っている日々である。

昨日も今宵もまた、ジュニアの空手に関しても
言葉と映像、実演そして相対してのスパーリングをもって
トレーナーとして教えた。

そして明日は、今年、筋断裂で全治六週間の怪我を負った
因縁のフィールドアスレチックへリベンジで出かける。

ジュニアが行きたい、というわけだ。

<プールの方がいいのでは?>と言うダモシだが、
ジュニアはアスレチックに行きたい、と。

あのアクションは、格闘技絡みでもバランス感覚含めて
ジュニアにとっても良い練習になる。

<よし、行こう>と相成ったわけである。

ダモシはまた筋断裂を負うのか、リベンジするか。

現実的には、
ある"現役復帰"も考えて準備している今、
そして
十一月のジュニアの天皇賞を控えている今、

あの怪我を負うことは、期間的に見ても、
絶対に避けなければならない。

<蟻地獄は、やらない方がいい>とワイフの指令が飛んだ。

その忠告を聞き入れてそれは避けるか、
あるいは
リベンジだ!と言ってまたやるのか。

現時点では分からない。

基本、やらない方が良いのは当然だ。



*****



昨晩は久しぶりに拙宅にダチを招いて酒席と相成り、
気分良く飲み、たらふく焼き肉を食した。
そして気分良く眠った。

明日は朝一番からアスレチックだ。もう寝やふ。

今宵の最後に、夕方、またこの田園都市の、
なんだかいつもたいへんなことになっている空を。

希有だ。こういう夕方の空は、なかなか首都圏では見られない。

ニューヨークのようだ。

今夕は、久しぶりに富士まで姿を現したほどだった。



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この稜線の左側に富士は、いる。


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posted by damoshi at 02:17| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月28日

Sloppy Joe's



当欄に新コンテンツを二つ追加した。<昭和-プロ格>と<グッズ>。

前者は、
主に<昭和>範疇でのプロレスをメインとする格闘技関係のノスタルジー。
昭和の格闘技ファンなら頷ける共有事項を満載するだろう。

後者は、
ダモシが所蔵する何の財産価値もブランドもない
個人的趣味でのおもちゃや旅先で買ったグッズなどを紹介するコーナー。

これで当欄は24コンテンツとなる。



*****


今回は<グッズ>の一回目。

表題は、
米国フロリダのキー・ウエストにあるバーの店名。

今では、
マーティン・ルーサー・キング牧師の生家とお墓のあるパークや
フランク・ロイド・ライト建築のロビー・ハウスなどと共に
米国の国家指定の歴史財に登録されている。

アーネスト・ヘミングウェイゆかりのバーである。
創業以来のパトロンだったヘミングウェイは、
このバーのオーナー、ラッセルとハバナへ出かける。

そして長い海洋の旅で、
フィッシャーマンのカルロスと出逢い、彼を雇うわけだ。

ヘミングウェイの<老人と海>は、
主人公となる老人サンティアゴを
そのカルロスをベース・モデルとして生まれた。

ヘミングウェイはその航海をもって、
その後の海での漁という格闘にのめりこんでいった。
後、12年間、ラッセルもまたヘミングウェイの海洋での仲間となった。

ヘミングウェイがフローズン・ダイキリを好んで飲んだのは有名な話だ。
Sloppy Joe'sで20年以上バーテンダーを務めた
黒人の大男が、フローズン・ダイキリのヘミングウェイ・スペシャル
ともいえる"パパ・ダブル"を創造した。

ラムのダブルにグレープフルーツ・ジュース、ライム、クラブ・ソーダに、
グレナデン・シロップを加えるフローズン・ダイキリの特別ヴァージョン。

ヘミングウェイが三番目の妻マーサと出逢ったのもこのSloppy Joe's。

1928〜38年の1ディケード、
キー・ウエスト在住時のヘミングウェイはほぼ毎日、Sloppy Joe'sで飲んだ。

38年、ヘミングウェイはキー・ウエストを去る。
その三年後、オーナーのラッセルは死去した。

しかし今もなお、
キー・ウエストにはこのバーは残り、
ヘミングウェイの家と代々の猫たちもまた生き続けている。


*****


ダモシとワイフが彼の地を訪れたのは、
今から15年前の九月のこと。

既にその時には、<渡米>の夢を描いていた。

その三年後に実際に移住渡米したのだが、
この1995年の米国への旅の際もまた
毎年必ず立ち寄っていたニューヨークを
ファイナル・デスティネーションとして、
エクスカージョンとしてキー・ウエストを選んだわけだ。

・猫好き
・ヘミングウェイ好き
・フロリダ好き

という点からも、キー・ウエスト訪問はまた夢の一つだった。

米国最南端の地からカリブを望みヘミングウェイを思慕した。
Sloppy Joe'sを訪れて酒を飲み、
ヘミングウェイの家に向かい猫たちと戯れた。

そして、マロリー・スクエアでレモネードを飲みながら
キー・ウエストの横綱でもある<夕日>を二人で眺めたのだった。

結婚の三年後。未だジュニアが生まれる前の話だ。
二十代最後の、それは米国旅行。


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当地でグッズも多く仕入れた。

その中から紹介は、
Sloppy Joe'sのマッチと灰皿。
そしてヘミングウェイの家の記念絵はがきセット。
Sloppy Joe'sではショット・グラスも買った。


この灰皿は、95年以来、ずっとレギュラーで使い続けている。
今もこのデスクの上にはこの灰皿に煙草がたまっている。




posted by damoshi at 13:16| グッズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

旅:コスモロジー(終)



今回の旅:コスモロジー。
未公開画像の雑感と共に締めくくりたい。


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夜の帳の、逗留地の岩手県一関市。
市内にあるスーパーマーケットSATY駐車場から見たムーン。


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平泉。中尊寺の、混雑している第一ではなく、
天の邪鬼のダモシは第二駐車場へ。

佇むダモフィーロ。今回も長距離を走った。


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こちらは山形県。
山寺から、松尾芭蕉のスタチュ未公開画像。
趣を変えて撮ってみた。


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中尊寺から洒脱なグッズは、かるた。


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飾りとしてダモシ個室兼仕事場にエキシビット。


最後は、ジュニアへの勝守。勝利の御守りである。


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既に武田信玄の勝守はあるが、それに義経のそれが加わった。

いずれもそれはジュニアの空手用のザックに付けられた。








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旅:コスモロジー(9)



仮面貴族ミル・マスカラスが、
リングイン後のコール時にオーバーマスクを脱ぎ捨てると
その下にまたマスクがあるようなものか。

はじめは白鹿。その化身は老人。

老人が円仁に
<この地に堂宇を建立し霊場にせよ>と告げるが、

またそれは薬師如来の化身だった。

今から千百五十年前の遥か昔、
この地にさしかかった円仁は
一面を覆われた霧に行く手を遮られた。

その脚元に現れたのは、白鹿の毛だった。

毛越寺のはじまりである。


旅:コスモロジー。フィニッシュは、毛越寺。


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*****



平安時代の伽藍様式を知る上で、現代において
最も貴重な遺構とされる毛越寺。

円仁による開基、
藤原二代基衡から三代秀衡にかけて造営された伽藍。

円仁と藤原栄華三代が絡むという
奥州ゴールデンタッグが中尊寺を凌ぐ規模と華麗さを
毛越寺にもたらした。



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上三枚、常行堂と鐘楼。常行堂では法楽として
<延年の舞>が奉納される。

奥には魔多羅神が祀られ、ふだんは閉ざされている。
そのご開帳は何と33年に一度という。
善光寺の七年に一度のご開帳どころではない。


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開山堂。円仁が祀られている。



広い。存分な面積を感じさせる空間、毛越寺。

しかし山寺や中尊寺とは異なる美は、
奈良・京都を想起させる。

奈良・京都の寺に見られる世界観は、
気を抜けば漫然とした徒歩になる危険性を孕んでいる。

しかし、ポイントごとのアイキャッチがそれを許さない。

そぞろ歩きにフィットし、もの想いに耽るに相応しい空間でもある。


威厳やオーラよりも、安穏の場。
一つには毛越寺はそう言えるのではないか。

それをもたらす主役が、
平安時代の作庭様式を残すニッポン最古の庭園たる浄土庭園だ。

その浄土庭園のセンター・ステージは大泉が池。


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浄土を現世に体現させた浄土庭園。
その池には浄水が戯れ、波を返す立石、
その昔、管弦楽が奏でられた龍頭の船がある。

かつてはここに橋が架かっていたという。

池の周囲をめぐって散策する形になる毛越寺。

常に視界に池、浄土庭園が中心にある。

面積は広いが池の周囲をまわることで
全体像を把握することができるわけだ。


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*****



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拝観券を手にして入ると最初に出逢うのが本堂。

本堂に参拝するまでは
浄土庭園に深入りしないようになっている。

浄土庭園が先にありきになってしまうと
本末転倒になるからかもしれない。

否、ここは本堂云々よりも
浄土庭園を主軸として
王朝当時の土塁や堂宇、廻廊の基壇、礎石などの遺構が
見どころとなる。

建造物やオーラよりもむしろ、
空間設計の妙を楽しむことが毛越寺の基盤だろう。


ここで不思議なものを目にする。

松尾芭蕉の句碑だが、
<おくのほそ道>と毛越寺の絡みは希薄な上、
その句碑が英語なのである。

なぜ毛越寺に句碑があるのかということと
なぜそれが英語なのか。

それが不思議でならないのである。


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境内にはこれとは別に
<夏草や 兵どもが 夢の跡>の
芭蕉直筆のものといわれる句碑が建っているが、

こちらは英語の句碑だ。

調べてみると
これは新渡戸稲造氏による英訳で、1967年に地元有志によって
建立されたようであるが、

なぜ英語なのかが分からない。

<夏草や 兵どもが 夢の跡>の英訳は、こうなっている。

The summer grass 'Tis all that's left of ancient warrior's dreams.

無理して英語にする必要はないのではないか、と感じずにはいられない。


芭蕉が語る<兵ども(つわものども)>とウォリアーは
どうしても結びつかない。

やはり英語では、侘び寂びは出ない。



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posted by damoshi at 14:02| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

MTAの真骨頂



後輩が米から戻り、品川でランチを兼ねて
歓談のひとときを持った。

ニューヨークの五番街にあったディスニー・ストアはクローズした、と。
ジュニアが依頼していたアイテムは
それにより残念ながらといった具合だが、

ダモシ軍が在米時のニューヨークの夏といえば
狂ったような暑さが当たり前だったが、
<今年は妙に涼しかったですよ。逆に戻ってきた東京。異常ですよ、これ>と
彼は言う。

夏は暑くて当たり前と好意的なダモシですら
ニッポンの、否、この東京の世界最悪ともいえる
蒸し蒸しマギー猛暑にはさすがに<ちょっと酷いわな>と愚痴る。

小一時間ほど歓談して、土産を受け取り、see you again.

<ダモシ・サイズのXXLはこの色しかなかったですよ>という
アバクロのTシャツはダモシへ。

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随分と派手ではあるが、
米のですらサイズがこれしかないのだから致し方ない。
否、そもそもタンクトップもアバクロTもピンク系も好んで着ているから
これは嬉しいチョイスであった。

ワイフにはアバクロのポロシャツでシックなグレイ。
これはジュニアも兼用できよう。

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胸の<NY>のエンブレムが泣かせる。
ダモシ軍、誇りの、愛するニューヨークである。

本来的にはZARAなどもそうだが、
アバクロなどはニッポンに来て欲しくなかった。
易々とニッポンで何でも手に入るようになってはいけない。

ジュニアには、
MLBで現在首位のミネソタから主砲マウアーと
NYヤンキースのデレク・ジーターTシャツ。

ヤンキースTシャツやジーターTシャツはダモシ家の必須アイテム。

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その他、
ダモシが在米中愛読していたニューヨーク・ポスト紙や
ヤンキースのプログラム等に、恒例のダモシ軍大好きお菓子のブルーチップス。

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後輩のセンスの良さを感じさせたのが
ワイフへのエコバッグ。実にNYらしいデザインと都会的な品格。

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ぱっと見た瞬間、
<おぉ、これはグッド・チョイスだぞ>と呟いた。

ワイフも<センスがいい>と大喜びだ。


ダモシのメインのリクエストは、
エンパイア・ステート・ビルの置物。

自由の女神など、いわゆるNYのいかがわしい土産物屋で売っている代物が
当時から大好きで、イエローキャブのミニカー等々、在米中から
ちょこちょこと買っていた。

エンパイアを買い逃していたため、依頼したわけである。


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嗚呼,素晴しい。込み上げるものを堪えるので必死だ。


そして大笑いしたのが、
ニューヨークのサブウェイ・マップ。

その表紙デザインが変わったのである。
98年から07年までの在米中、一度も変わらなかったし、
昨年も変わっていなかったそれが、変わったのである。

後輩は言う。

<ダモさん。サブウェイ・マップの表紙が変わったんですよ!>。

<えっ? どれ>。

手にとると二人で笑った。

ニューヨークらしからぬデザイン。
なにを急によそ行きになりすましたのだ、と。
なにを偽善者ぶっているのだ、と。

あの、地球上最悪の乗り物たるニューヨークの地下鉄。

その、梶原一騎が百万人分、あるいはドン・キング千人分の
いかがわしさが消え失せている。

<何をお行儀良くしているんだ、こりゃ?>と笑うダモシ。


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だがダモシは、
いくらお行儀良くしてセンスのあるフリをしても
どう抗っても
地球上最悪の乗り物たる、あほんだらぶりがどこかに露呈しているはずだ
ということを見抜いていた。

長い付き合いだったから、分かるのだ。

そして言った。

<こ、これを見ろ!やはり彼らは阿呆だぞ>。


柄にもなく"キレイに"デザインデザインを頑張って、
繊細さもあるのだよとアピールしたかったのであろう。
そんな所作を施したのであろう表紙。

路線ごとのアルファベットと番号が
その路線のカラーで描かれているわけだが、

やっている途中で、スペースが合わない
(路線の数が足りない)ことに気づいたのだろう。

これを見てください。


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1〜7の数字の路線とそれぞれのカラー。
Aから、途中でH、I、K、O、P、T、U、V、W、X、Yを除いてZ
まであるアルファベットの路線とカラー。

最後のZまで来たのは良いが、その先にまだスペースがあるにも関わらず、
さてどうしようかといった状態に陥ったのだろう。

1〜7、A〜Zの数とスペースを勘案して、
カラーの線の太さを調節することも考えたかもしれないが、
途中でスペースが余ってしまった。

で、どうしようとなった時に、
米特有のアバウトさが露呈した。
地球上最悪の乗り物たるニューヨークの地下鉄の悪行が出た。

路線名(数字&アルファベット)も何も書かずに
ただただひたすら同じ太さの線を配置し続けた。

しかもそのカラーリングには何の脈略も関係性もない、ときた。

二人で爆笑した。

<いいかげんさが出てるでしょ、ここに>。

<さすがだな米。色も微妙に違っていて統一感ないし>。

これでいいよ、と納めてしまうのが善くも悪くも米の所作。
さすがとしか言いようがない。

このような米の所作は在米中さんざん遭遇したが、
大いに笑いのタネになる。

今も、タマゴで大騒動になっているようだが、
そんなものアナタ、
我々が住んでいる際もとっくにモメていて
腐ったタマゴは売っているわ、割れたタマゴが入っているから、
帰宅後にスーパーマーケットにコンプレインに行ったら
<買ったアンタが悪い>ときたのが、米だ。

ヨーグルトもしかり、ミルクもしかり、と。
平気で腐ったものや破損したものを売場に並べておく。
それに苦情を述べると<買ったアンタが悪い>。

これが米である。

ダモシからいわせれば、何を今頃タマゴで騒いどるのかこの阿呆
といったところである。

それでも我々は生きていた。それでも我々は身体が大きくなった。
それでもジュニアはそういうところで
ちゃんと元気に生まれてきた。

これが世界の現実である、と。


後輩の旅の過程でも
MLBのNYメッツの昼のゲームが、当日になって突然、
夜の8:05からのゲーム開始に変更になった、と。

それでも悪びれないのが、米である。

それでも普通に<そうでっか>と観に行くのがまた米である。

"普通"、それはアホである。
だが、米ではそれが普通なのである。


<相変わらずで、俺はうれしいよ>と笑うダモシ。


まあ、いい。


いずれにせよ善くも悪くも
ニューヨークらしさをこうして見せてくれて
久しぶりに嬉しい気持ちになったところである。

米が、そしてニューヨークが、
丸くなっては絶対にいけないのである。

常にデンジャラスであり油断がならず
常在戦場である。それが米であり、ニューヨークの真骨頂でもあるのだ。

そしてニューヨークの地下鉄。
当時のダモシの怨敵であり、さんざん、書いた。

表面をカッコつけても、このていたらくだ。
この具合が、また好きなのであり、ヘイトするという二律背反である。

まさに
ニューヨーク地下鉄=MTA
(メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ)の真骨頂。



*****



後輩はまた、
ジュニアの天皇賞への応援参戦を表明した。

これで現時点では、道場関係者を除き、
プライベートの世界では
ダモシのダチや後輩も含め総勢六名の応援団となった。


そして今宵、賞状が届いた。

先の<バカ野郎!叱責事件>での大会のものである。
ブチ切れていたことで
表彰セレモニーも出ずに帰路に着いたダモシ軍。

かわいそうなことをした、と。

ワイフが大会本部に連絡をとり、
賞状を自宅へ送ってもらったのである。

その賞状は、ダモシ自らがジュニアに改めて授与したが、
賞状を見てダモシは驚いた。

と同時に、ダモシ世代にとっては
好き嫌いは別として
先般掲載したようなアイコンとしてのヴァリューがある存在の
名が記されていたことに、感慨深い想いを持った。


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ゴッドハンドの名が記されていたのである。

極真とは対決する側であるからして、
極真には入らないが、
それでも好き嫌いを超えたところでのアイコンとして
世代的に言い知れぬ感慨があるのが現実。

むろんそうではない男も多々いようが、
<男>としてあの時代を少なからずも生きた
ダモシ世代とそれより上世代にとっては、知らぬ者は少ないだろう。

<おぉ…。ゴッドハンドの名前があるぞぉ…>。

ダモシはジュニアに言った。

<空手バカ一代の人だよ、これが>と。


むろん極真だけではなく
天皇賞には他団体からも代表は出てくるが、

当たればもとより、極真は破りたい。

そのための秘策も、
アトモスフィア構築から戦略戦術、
そして秘技、一発KO技まで着々と水面下で潜航中である。

明日もまた昭和の伝説技の伝授である。

天皇賞でのポイントの一つは、勝ち負けはもとより、
<魅せる要素>である。

我々、昭和世代が涙する技を披露する。
それだけでも勝ち負けを超越したインパクトを
誰よりも残すこともまた、

タスクである。

基礎はもとよりの上で
<他に誰もやらないこと、他とは違うことをやる>。

これが重要なのである。


MTAの真骨頂もまた、そういう意味で、

大いなる教示になるのだ。





posted by damoshi at 02:25| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月25日

旅:コスモロジー(8)




<五月雨の 降りのこしてや 光堂>。

芭蕉の、中尊寺での句。
これもまた学校の授業で習う名句であり
一般ゼネラル・インタレストの範疇にある。

三代の藤原栄華は一場の夢であったのか。

それを芭蕉は
「三代の栄耀一睡の中にして」と記した。

栄耀栄華も一睡のうちになくなったかのようだ、と。

中尊寺金色堂に音も無げに降る五月雨は、
平泉王朝の栄華などなかったかのように、
そして、そもそもなにごともなかったかように降り注ぐ。

芭蕉の脳裏には、平泉に着いて、杜甫の詩が浮かんだといわれている。
誰もが知る著名な詩<国破れて山河あり>である。

国破れて山河あり。城春にして草青みたり。

義経最期の地である高舘。
そこからかつての平泉王朝を眺め見た芭蕉と曾良は、
中尊寺へ向かった。

我々もまた、高台を下りて
そこから車で数分の位置にある中尊寺へと向かった。

偶然にも、
金色堂に差し掛かる頃に雨が降ってきた。

それは、米フロリダのようなスコールだった。

鮮やかな光が降り注ぐ夏の午後。
突然のスコールは、柔らかい。決して大粒のではなく、
降り注ぐスコール。

真夏の強烈な陽射しと閑さという二律背反の中に
やはり音も無げに降り注ぐスコール。
肌に当たるが、その触感も無げ。

ただ視覚として、降る雨。

スコールは中尊寺参道の石段や杉並木、草花、風鈴を
ほどよく濡らすのだった。


*****


中尊寺の表参道である月見坂に入る前、
地上にある弁慶の墓に詣でる。

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月見坂の上に弁慶堂、下に弁慶の墓。
平泉ならではの構図である。


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中尊寺へ入る。ここから表参道。


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伊達藩の手で植樹された杉の並木が続く月見坂。
樹齢は300-400年に及ぶという。

弁慶堂はこの中腹にある。

本堂や金色堂などの平安の世へは、
さらにこの月見坂を山上へと登っていく。


月見坂。途中、優しいスコールが降り、
ほどなくして止んだ。

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少し降った雨は光と交錯する滴を、各所で見せる。
これがまた閑さを助長する。


月見坂を登り切ると、中尊寺本堂以下、地蔵堂、薬師堂、
不動堂、峯薬師堂、大日堂が現れて、
拝観券を購入する地に辿り着く。

その拝観券を買うあたりは、境内で最も広いスペースか。

ここからは拝観券を買うことで、
金色堂や旧覆堂、白山神社に能舞台などへ詣でることができる。

雨はしっかりと止み、さらなる強烈な光が射してくる。
雨上がりの夏の光は、ためこんでいた分、強くなる。
屹立する木々の緑がそれを遮断せずに受け止め、
その隙間から光は堂と滴を照らす。


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国宝・中尊寺金色堂を表現する象徴的な構図で
いよいよ金色堂へ。

上手に濡れた石畳が、象徴的構図を引き立たせる。

ただ晴れているだけでも、ただ大雨が降っているだけでも、
いけない。

侘び寂びとしては、雨に濡れた石畳と
雨上がりのこれから射すぞという光の交錯が味が出る。


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登るにつれてさらに強さを増す光。
それは金色堂が発するものか、金色堂を照らすものか。

ここに見える覆堂の中に入れば、金色堂が鎮座ましましている。
1124年造立という壮大なるヒストリー。千年浪漫のゴールド。
(金色堂内部は撮影禁止)。

まさにそれは極楽浄土の現世への降臨が如く、
光り輝く金色。


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堂内、奥州藤原三代の清衡、基衡、秀衡の首級が納められている威厳と荘厳。

拝観者から溜息が漏れる。感嘆のうちに無言でその場を後にする拝観者。
覆堂を出れば、そこで芭蕉の句碑に出逢う。


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<五月雨の 降りのこしてや 光堂>。

絶妙な位置にそれが配置されていることで、
我々はまた、たった今、拝観した、金色堂を想うのだ。



*****



金色堂を過ぎてさらに登る道が、白眉だ。

これこそが、
これの方が圧倒的にインパクトがあるぞ?
と感じられる異形<旧覆堂>が、ある。


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光を浴びて妖しく輝く旧覆堂は国重要文化財。
金色堂はかつて、この覆堂の中に在った。

道は、この旧覆堂に導かれているようである。

この旧覆堂に辿り着く直前、
左手の草木の中に芭蕉スタチュがおでましする。

金色堂と芭蕉句碑の、そしてこの旧覆堂へ続く道と旧覆堂と芭蕉スタチュ。
それぞれの絶妙なる構成が、中尊寺にさらなるオーラを付加させる。


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ここもまた雨に上手に濡れた石畳。光加減が絶好である。


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芭蕉スタチュでは珍しい、立像。
雨を受けた芭蕉は汗をかいているのか泣いているのか。
そんな風情があった。


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室町時代に建築されたと推測されている旧覆堂。
1964年に現在の位置に移築されるまで、
500年もの長きに渡り金色堂を守っていた。

正直、想う。

金色堂が現在の覆堂ではなく、
この旧覆堂に守られているならば、
あのティピカルな絵の構図はさらに侘び寂びをたたえたであろう、と。

いささか現代的に小綺麗な感なきにしもあらずの
現在の覆堂と石段の風景。

その覆堂がこの旧覆堂であったならば…。

まあしかし、それを望むのは贅沢が過ぎるというものか。


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今もなお健在。旧覆堂の内部は威厳に満ちている。




*****



中尊寺。
いわずもがなその空間には金色堂のみならず
夥しいコンテンツが並んでいる。

満腹になるのだが、
ただの観光ランドマークでの満腹とは異なる。

やはりここにも何かがある。

山寺もそうだが、疲れないのである。
長時間歩いているのだが、
そこらの観光ランドマークと違い、
疲弊しないし疲れないのである。

無常の溜息の中にいるのだろう。
だから、疲れないのだ。
熱病に浮かれている間に、
一つ一つのコンテンツと邂逅する。

一つ一つのその時間も長いのだが、
時間の記憶がその間、常に消失しているのだ。


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中尊寺の鎮守は白山神社。
国重要文化財の能舞台がある。

長い長い参道を歩いていく。


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文部科学省の国重要文化財の説明から引用したい。

<東日本で唯一、完備した構成の近世能舞台>。
それが白山神社能舞台。

今もなおここで能が演じられる。
<白山神社の神事能は、中尊寺一山の僧侶が伝習して行われた>。

正統的で本格的な規模と形式の舞台。
橋掛、鏡の間、楽屋など
近世能舞台の機能を完備させたまま現在も生きている。

西日本でこれに匹敵するのは春日神社能舞台(兵庫県)になる。


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*****



そして中尊寺本堂。


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天台宗の東北大本山たる中尊寺。
今回の旅シリーズ<山寺>の項で取り上げた
"不滅の法灯"がここにもある。


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しばし中尊寺境内の景を。


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*****



最期は、弁慶堂と物見台。

当シリーズ<序>で触れたものである。

我々の旅におけるパーソナルな部分でのハイライトが
ここで訪れたわけである。

忘れ得ぬ地が、また一つ増えた。

ジュニアにとってはここはまた、
彼自身がオトナになった時に訪れるメモリアル。

<きゝもせず 束稲やまの さくら花
 よし野のほかに かゝるべしとは>。

ここから望む見事なまでの束稲山の桜が、
西行が平泉を訪れた時代の
平泉栄華を物語っている。

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高舘から見たような田と北上川を望む。


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現代では、
北上川に沿って、東北自動車道が走っている。


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弁慶堂。

右に物見台、左に弁慶堂。
それは月見坂を登る際の位置。

下る際は、それが逆になる。

牛若丸(義経)と弁慶の木像が安置されている。


桜の名所・吉野。
その「よし野」のほかに、"かゝるべしとは"
と西行が歌った、束稲やまのさくら花。

"束稲やまのさくら花"は今は見えない。
季節も夏だ。

芭蕉の句法である"幻視"の素材として
それを用いやふ。

もう一つ、中尊寺にて稚句を詠む。


予期せぬ吉報が<束稲やまの さくら花>。

夏雨や 止みて染みいる 北上に
見上げれば 束稲やまの さくら花


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*****



中尊寺を後にする。

下山時、弁慶堂のあたりで月見坂の隣に
別坂が現れる。

参道とは異なる、脇道だ。

<またこれは風情豊かな道だな>と
この道を選ぶ。


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この坂の途中、一軒の蕎麦屋がある。

ジュニアの名を冠した蕎麦が木札に示され
軒先に並んでいた。

迷わず入った。

ワイフとジュニアはそれを。
ダモシは義経に敬意を表して<義経御膳>を頂いた。

御膳のメインは、岩手県のシンボルの一つ"わんこそば"。

恥ずかしながら、人生初のわんこそばと相成った中尊寺。


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*****



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この日、一時的に降った雨も、きっと降り残しただろう。

光堂のみならず、
ここ中尊寺に降る雨は、その対象を上手に濡らす具合に降る。

その"降り残し"こそが、また侘び寂びなのであろう。

平泉中尊寺。

これもまた<ディスカバー・ジャパン>認定である。






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旅:コスモロジー(7)



芭蕉にとっての<おくのほそ道>でさえ、
そこには、どんな旅にも存在する"余儀なき"部分はあったろう。

いかなる旅にも、その出発時には寂寥感を伴う。
それを踏まえたところでの覚悟が求められる。

異国へ向かう空港の出発ロビーが最たる例だ。

芭蕉の<おくのほそ道>もまた、
二度と生きて戻れぬかもしれぬという悲壮感は
少なからずあったろう。

その緊張や恐怖を、ある分水嶺で超えたところで、
一歩踏み出してしばらくすると
いずれの旅も道程に集中することや楽しむことができる
余裕が生まれてくる。

旅行としての旅のみならず、人生の日々におけるそれもまた旅。

奥州路に入り、ようやくリラックスしたか芭蕉。

いよいよ奥州路の二大クライマックスであり東西両横綱格である
<松島>と<平泉>になるわけだが、

そもそも脚色が多く含まれているといわれる<おくのほそ道>。
芭蕉の持つ深大なる感性は魅せる要素としても昇華する。

松島という横綱を経て、そのまますぐに奥州路の頂点であり
一方の横綱である平泉に展開することのヘビー感を、
間に石巻を挟むことで緩和させている。

行程計画に既に石巻は入っていたとされるが、
芭蕉はプロレス的な所作を施し、
<道に迷って>たまたま石巻という地に着いたことにする。

例えばダモシが、
一関での芭蕉と曾良の逗留先である"二夜庵"に
市内を走っていたらたまたま出くわしたにも関わらず、
さもそれがはじめから予定されていた場所であるかのように
<行くところがある>とワイフに告げて向かったとしているのに等しい。

あえていえば、それは<構成上の、ロープワーク>。

ロープをうまく用いて
リングという空間をさばくことで
観客に魅せる要素として相手とスイングさせる所作。

芭蕉はその技法を、存分に<おくのほそ道>で駆使している。


とまれ。

奥州路の頂点である平泉へ、ダモシ軍も向かった。

芭蕉と曾良に等しく、
一関市内に逗留した後、
平泉をこの旅のファイナル・デスティネーションとした。

平泉の三主砲は、中尊寺、毛越寺、高舘義経堂。
一般ゼネラル的にも、そのボリューム感からも
中尊寺と毛越寺になるが、

<おくのほそ道>行においては、やはり、

名句
<夏草や 兵どもが 夢の跡>の

高舘義経堂になろう。

そして、そこからの北上川こそ、今回の旅のハイライトである。

芭蕉の足跡における順番通り、
高舘義経堂から、平泉の歩を進める。


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*****



牛若丸と弁慶。

この二つのアイコンを通して今もなお残る言葉はいかに多いか。

・内弁慶外味噌
・弁慶のなきどころ
・弁慶の立ち往生
・七つ道具
・弁慶ガニ

などなど。

牛若丸はどうか。

・ジンギスカン説

・判官びいき

など。


牛若丸こと源義経。そしてそのボディガードは武蔵坊弁慶。
この二人が散った地である。

この地はさらに、三代の栄華を誇った平泉の藤原王朝も絡む。

義経、弁慶、そして藤原王朝。

いずれも果てさせたのは、鎌倉の源頼朝。

弁慶は義経を最後まで守り、
矢を受け続けてもそこをどかず、立ったまま往生して、
弁慶の立ち往生。

奥州藤原平泉王朝の藤原秀衡の庇護を受けていた義経もまた、
頼朝に騙されて寝返った藤原泰衡(秀衡の息子)によって
追いつめられて、この地で自害して果てた。

既に頼朝の陥穽に引っかかっていた泰衡は命乞いするが
"非情のライセンス"頼朝の前では意味をなさず。

父・秀衡の遺言に背き、敵・頼朝に媚びを売った上、
騙された挙げ句に命乞いするも始末された"しょっぱい男"泰衡は
清衡、基衡、秀衡と三代に渡り続いた
奥州藤原氏による平泉王朝を受け継ぐことができなかった。

義経を含めて、鎌倉・頼朝によって滅ぼされたのである。


奥州藤原氏の平泉王朝を望む地、
そして義経最期の地に仙台藩伊達氏の手によって建てられたのが
平泉随一の眺望といわれる高舘にある義経堂である。



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晩夏だというのに
未だに紫陽花が咲き残っている左右の草木の間にある石段を上がる。

その頂上には1683年に建てられた義経堂があり、
中に、本尊として義経公の武者姿像が鎮座している。

石段を上がる途中から、右手眼下に、
壮大な光景が広がる。

夏草や束稲山を従えて滔々と流るる
王者のような褐色の緩やかな流れたる大河、北上川である。


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芭蕉がこの地を訪れたのは、1689年。
義経堂が建てられた六年後のことである。

となれば、今と当時で、
この地では芭蕉は同じ光景を眺めたことになる。

眼下に多くの民が暮らしていた栄華の時代を過ぎて
既に平泉王朝はその頃、夢の跡になっていたから、
この光景とほぼ同じ世界観が広がっていただろう。

芭蕉は六月末。ダモシ軍は八月下旬。
誤差はあれど、前者も既に梅雨は明けていた頃合いで初夏。
夏という括りでは同じで、夏草もまた同様だったろう。

ここに栄華があったことを顧みれば、
<兵どもが夢の跡>となるが、
現在にあって、そういった背景を踏まえて眺めてみても
出てくる感慨は一つには、

ダモシにとっては、大河ミシシッピの幻影である。

まさに、あの、王者のような褐色の緩やかな流れ。

この旅の、ここまでの過程で既に感じていて
ワイフと言い合った<川が違う>。

その帰結点は、この北上川。

あの日、ついに邂逅した、
米国南部で見た、王者のような褐色の緩やかな流れ。

ミシシッピの大河の、
王者の強さと閑さが表裏一体で合わせ鏡になっている異形。

それを、時を経て、北上川で見た。

ニッポン原風景的世界観と、
世界的深淵たる悠然の、閑さを介したハイブリッド。

ダモシは悦に入り、しばしこの光景を隅々まで眺めていたが、
義経堂と石段下部から対向面に鎮座する
芭蕉の句碑に気づいて、その場を離れた。


さふ。

ここは、いずれにせよ、
<夏草や 兵どもが 夢の跡>である。


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そして、
織田信長嫌い、源頼朝嫌いのダモシはやはり
判官びいきではないが、義経を想う。

義経堂に詣でて石段を下りる途中で、広がる景を眺め、
芭蕉の名句の碑に対峙して、

ダモシは稚句を詠んだ。


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<滔滔と 流るる褐色 朝が果つ>。

褐色は言わずもがな
王者のような褐色の緩やかな流れであると共に、
"かちいろ(勝色)"を指す。

北上の滔々たる大河の褐色の流れはやがて
(頼)朝を果てさせる。

頼朝の死因には諸説あれど、
川での溺死説を含めて<水>に絡んだものが多いという。



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2010年08月24日

ベストキッド



<行かれてしまったか…>と内心がっかりした。

映画<ベストキッド>である。

bestkid1.jpg

前売チケットは買っていた。
ダモシも観たかった。
しかしワイフとジュニアに今宵、行かれてしまった。

残念。

http://www.bestkid.jp/

オフィシャル・サイトにある予告編動画だけでも"しびれる"。

ジャッキー・チェンが齢重ねの良い味を出し、
ウィル・スミスの息子が空手キッドを好演していたという。

まさにジュニアにはうってつけの映画だ。

先般、オフィシャル事案の相手との雑談で、
映画の話題になった際、
<子供は今度、ベストキッドを観に行くんですよ>と語ると
<ずいぶん渋いですね>と言われた。

<そもそもレンタルDVDも「燃えよドラゴン」とか
 ジャッキー・チェンの一連のアクション・シリーズや
 スティーブン・セガールの沈黙シリーズなどですよ>と言うと、

爆笑された。

"ポケモン"だ、”ドラえもん"だ、"宮崎駿系"だ、
"コナン"だのは、観ない。

遊びやテレビは仮面ライダー、
映画は洋画のアクションが、ジュニアの趣向である。

とりわけジャッキー・チェンが一番のお気に入りだが、
既に「燃えよドラゴン」のブルース・リー、
「ロッキー」のロッキー・バルボア,
「沈黙」シリーズのセガールは彼の周知となり、
ラインナップに加わっている。

(「ターミネーター」や「プレデター」は、もとより)。

そして
「ロッキー」以外、いずれも空手系がバックボーンにある。

確かに、未だ小学一年生にしては、早いだろう。渋いだろう。


<男>の世界観からすれば、しかし、それは喜ばしいことである。

それこそ
競馬場デビューも米国で二歳時であり
野球場デビューも当歳(生後十ヶ月)で
マイナーリーグ(ダモシの始球式時)を、
メジャー初観戦も三歳の誕生日における
旧ヤンキー・スタジアムでのヤンキースのゲーム等々、

ダモシの影響で早くから、しかも異国のそれで筆おろししている。

競馬の馬券初的中も六歳の今春(東京競馬場)。
既にキック・ボクシング観戦もしている。

当然、ダモシの幼児期・少年期と比べれば
現代の方が圧倒的にコンテンツに溢れ、
情報や選択肢も多いから、経験期が早いということはあるにせよ、
それでも早い方だろう。

それこそ空手も幼稚園に入る前からやっているわけだ。
ダモシとは比較にならない。

だから映画鑑賞も、
仮面ライダー系はもとよりとしても
ジャッキー・チェン系及び<ベストキッド>のような作品を
選び、喜んで観たとしても違和感はない。

だが、現実には今宵の劇場内も、
ジュニアくらいの小さい子はまったくいなかったようで、
子供がいても小学生高学年が最年少クラスだったとのことだから、
やはり早いのだろう。

おそらく観ながら己に準えていただろう。

夜、映画のパンフレットを見せながら
熱く、楽しそうに映画の内容を語り、
そのまま空手のアクションで一人で遊ぶジュニアを見るにつけ、
ダモシも少年期を想い出すのだ。



*****



<男>全員が子供時代に格闘技や野球などスポーツにおいて
ヒーローを持っていたとは限らない。

だが、一般相対的には
あの時代、誰もが<男>なら格闘技を好んで観た。
そしてそのまねごとをした。ヒーローが実際に、いた。

<ベストキッド>ではないが、
さながらダモシxジュニアは
実際にも空手を通してそういう関係でもある。
むろん道場での先生とジュニアの関係もそうだが、
それと父親x息子が空手(やスポーツ)を通しての
幼児期における関係は、
やはり男同士として
イデオロギーやイズムの伝承という部分も含めて,大きい。

ダモシは、ジュニアと空手を通して、
常に己がコドモ時代のヒーローを呼び起こすと同時に、
あの頃の自分自身をも見ているのだ。

それは、野球になってもおそらく同様だろう。

ゴルフやフィギュア・スケートでは、ダモシの場合は、
それはないだろう。

ウルトラマンと仮面ライダー、そしてキカイダー。
心理学的な部分でのファンタジーの世界におけるそれらを経て、
ダモシの場合は、

野球と格闘技に趣向が向いた。

前者は、
長嶋茂雄の現役晩年と王貞治が本塁打世界一へ向かっている頃合い。

後者は、
沢村忠のキックボクシング
輪島功一のボクシング

そして、アントニオ猪木と、
世界ボクシングヘビー級王者モハメド・アリだった。

昭和でいえば48年頃から。つまりダモシ七歳。
あと一ヶ月でジュニアがその七歳になる。
ちょうど同じ頃合いである。

現実世界での闘いのヒーロー。それが多かった昭和40年代。
ある意味で幸福な時代だった。

TBSの夜19時だったか、そのくらいの時間帯に行われていた
キック・ボクシング中継。寺内大吉の記憶が甦る。

沢村忠の真空飛びヒザ蹴りの記憶が、
やがて成人してからの、
あの新宿歌舞伎町東京大飯店前乱闘事件の際の
100m助走つきジャンピング・ニーパットに至る
遠い幻影でもあるわけだ。

昭和50年代に入るとアントニオ猪木が心の中を支配した。
ちょうど<プロレスこそ最強>の旗印のもとで猪木による
柔道五輪金メダリストや全米プロ空手のヘビー級王者、
果ては極真空手の熊殺しなどとの格闘技世界一決定戦が隆盛を迎える。

それは実際の路上では、張り手やナックルアローへと昇華した。
むろん延髄斬り、も。

中でも、世界のモハメド・アリとの決戦に
大きな衝撃を受けた十歳の初夏。

沢村忠の流れは、藤原敏男やベニー・ユキーデにつながり、
猪木のそれは世界統一の野望IWGPへと連鎖する。

<四角いジャングル>や梶原一騎、黒崎健時など
いま考えると、いかにも昭和な扇情的で奇怪な人々が多くいて、
オトナの怖さで引っ張られたような気もするほど
理屈抜きの迫力があった。

プロレス、空手、ボクシング。
これらが基盤だった。
柔道や相撲には強さの幻想を覚えなかったわけだ。

とりわけ
アントニオ猪木vs.ウィリー・ウィリアムス(極真空手)の決戦の
テレビのブラウン管を通してもビンビン伝わってくる緊張感は、
今もなお、それを超えるものはないほど。

前述した梶原一騎や黒崎健時らの空手勢の醸し出す
まるで扮装しているかのように思えるほどの奇っ怪さとインチキ臭には
当時、良い意味で"しびれた"ものである。

"うぅぅ…。なんちゅう顔と服装だよ…"と。

そういう青少年時代、それこそ停学は当たり前、
修学旅行へ行けば悪行三昧、乱闘当たり前という中で、
<極真空手>というものへの、"嫌悪"とはまったく異なる意味合いでの
"敵対心"や"対抗心"というものが存在していた。

NY時代だったか、当時のダモシ・オフィシャルサイトの
<実録小説シリーズ>などにも掲載したが、
いわゆる"ガンつけ合い"から「やるのか」「来いや」となって
イトーヨーカドーなどの屋上へ行くと、
あの頃、<空手をやっている>だの<俺は極真だ>だのと言う相手が
何度かいたものだ。

本当にやっていたら、ケンカしてはいけないのだが、
そういうことも未だ牧歌的な時代である。
やるならやるし、やれんのかお前!的な時代で
ある意味で皆、正々堂々としていたから、
柔道にしてもボクシングにしても空手にしても
それをやっていても、ケンカもやったわけだ。

今では犯罪になってしまう。

ダモシは猪木流が原点のため、異種格闘技。
だから相手が空手でも柔道でも良いわけで、
こちらは常に猪木になれば良かった。
逆に相手が空手や柔道であれば都合良かったわけだ。
組み立てが明確になるからだ。
俺は猪木になればいい、と。

必要あらば、卍固めもやるし、バックドロップもやるし、
なんならアームロックと腕ひしぎ逆十字やったろか?
という世界である。

たいてい相手側のセコンドが言う。
<空手やってっからよ。極真だぜ>と。それで脅すわけだ。

<空手バカ一代>の影響力は絶大で、
あれが極真神話を、我々世代には植えつけたわけだが、
それを一つ解いたのが猪木でもある。

猪木こそ最強。相手が極真でも大丈夫、と。

猪木vs.ウィリーや<四角いジャングル>その他で、
己を猪木に準えるファンタジーそのままに
相手が極真であればなお良い、と。

そういう世界、そういう時代でもあったわけだ。


猪木は、98年の引退まで、ずっとヒーローだった。
猪木引退と同時に、ニッポンを去って渡米したのも因果だ。

その過程で、
格闘技においては青少年時代、鮮烈な存在としては
タイガーマスクがあり、記号としての<UWF>があった。

90年代中期以降から2000年代中期くらいまで
全盛期をもったグレイシー柔術や総合格闘技になるともう
そこには文化的香りは消え失せる。

コドモが見た時にグレイシーや総合格闘技に
ヒーロー性を抱くことはない。

YouTubeでジュニアに見せて喜んだり
<すごい>と言うのは、やはりジャイアント馬場ではなく、
アントニオ猪木やタイガーマスク、
古くは沢村忠などである。

その気持ちは、実に良くわかる。

そしてジュニアはそのままストレートに聞いてくる。

<ジャッキー・チェンとブルース・リーと猪木で、
 誰が一番、強いの?>

と。

<そりゃあ猪木だよ>と応えるダモシだが、
もう笑いを堪えるので必死である。

嬉しい笑いを、である。

己がコドモの頃のヒーローを今、こうして共有できるわけだ。

沢村忠の真空飛びヒザ蹴り
輪島功一のカエル跳び
ブルース・リーのヌンチャクとアチョー!
ベニー・ユキーデのソバット

そして
アントニオ猪木の卍固めやコブラツイスト
(延髄斬りはダモシ中学時代以降)、

同じく高校時代という後年ではあるが
タイガーマスクのローリング・ソバットなどなど。

そのいずれもが、やはり魅せる要素満載の技だったわけだ。

我々昭和のコドモが熱狂し、
いまもなお色褪せずに現代の六歳も<すごい>と感じるのも
うなずくことができるわけである。


それらはアイコンでもある。

格闘技好きでなくとも

ブルース・リーのヌンチャクは
女子のピンクレディーの振り付けに等しく、

極真という響きは、善くも悪くも甘美な価値観を持っていた。

ブルース・リーと極真は、
我々世代の<男>にとっては相対的により多くの者の中で
アイコンになっていたのだ。



*****



だから今、ダモシが親として、
己がコドモの空手を通している中で、
当然ながら極真という存在と対峙しているわけだが、

そこで、やはり相手が極真となると、善くも悪くも<意識>する。

そして他流試合で結果的に
複数参戦しているのが無意識のうちの極真の大会になっている。

むろん相手は様々な団体になるのだが、
どうしても世代的には意識せざるを得ないと同時に、
未だに彼らはそれなりの力を持っていて
強いコドモも多くいるから、そうなるのだろう。

前回の大会では
優勝と準優勝が極真で、
準決勝で負けたジュニアともう一人は別の団体。

それだけで、くそぅ!と思ってしまう。

むろん極真の相手に勝ったこともあり、
勝負は時に勝ち時に負け時に雨が降るものだが、
それでもより多くの対決機会があるため
避けられない存在であることは間違いない。

11月の天皇賞。
現時点で25名いる代表選手の中に極真が7名もいる。
それも北の某代表以下、宮城、山形などの東北から、
千葉、栃木などの関東にまたがっている。

他を見てみると同じ団体から複数代表に選ばれているのが
極真7名、A団体4名、B団体4名、C団体2名。
25名のうち17名が同一団体からの代表権獲得である。
それだけその四団体は層が厚いということがいえよう。
実に七割近い支配率だ。

残りの三割である8名が、ジュニアを含めて単独。

まだ代表権獲得指定大会や地区選抜大会は残っている。
そのうち、極真主催の石川やA団体主催の新潟があるから、
そこでまた極真とA団体からの代表権獲得者が増えることが
容易に想像できる。

ジュニアの団体には、
同じ小学一年生がもう一人いる。
彼は関東地区代表決定戦の最後の切符を九月に賭ける。
お兄ちゃんたちも同様。
仲間である。当然、応援している。

ジュニア一騎当千で、
半ば<対極真>という世界観の天皇賞になるのか、否か。

そうなれば、あの、扮装したかのような奇っ怪な
梶原一騎や黒崎健時の幻影が背後に見えるか否か。

ダモシはその時、
アリと闘った際の猪木のセコンドについた
カール・ゴッチに化身するのか、否か。

ただ、いずれにせよ
そういうふうに(一騎当千で対極真という世界観)
土壇場でなってもいいように、
対極真は何度か経験させていることもあったわけだ。
しかもアウェイで出かけていって経験している。
そういうことが逆に東京首都圏という大舞台で
今度はホームになるジュニアのアドバンテージになるはずだ。


且つ、アトモスフィア構築へ、
その天皇賞には応援団を組み立てる算段である。

彼は見てくれる/応援してくれる人が多ければ多いほど
萎縮せずに、力を出すタイプである。

既にウルトラの母、ワイフの両親、ダモシの仲間の一人、
そして今宵那須から遊びに来た23歳のヤングレディの姪
の応援参戦も決定したのである。

さらには、旗:フラッグを作ろう、と。
言うなれば競馬場に張られる応援幕のようなものだ。
それもオリジナルで作ろうか、と。



*****



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ワイフとジュニアが言った。

<ここに行きたいね…>と。

万里の長城。

<ああ、行きたいね。中国でもここだけは行きたいね。
 ここで国際大会があれば、いいね>とダモシは言った。

映画<ベストキッド>といえば、
今回のリメイク版ではなく
ダモシ世代にとっては84年のそれだろう。

これはまた空手云々を抜きにして
ゼネラル・インタレストの高い人気映画だった。

初代の<ベストキッド>の監督は、
<ロッキー>と同じジョン・G・アヴィルドセン。

抑揚と展開は、アヴィルドセンならでは。



<俺も観たいんだよな…>とダモシはしつこく言った。


ワイフは冷たく、
<ダディは、レンタルDVDになってから観れば>と言った。




posted by damoshi at 01:44| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月22日

旅:コスモロジー(6)



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ニッポン人なら知らぬ人はいないだろう。
なつかしい"きんさんぎんさん"。
それぞれ107歳/108歳没。

長寿がハピネスであると誰もが感じた。

今や長寿が決してそうではない風もある。

百歳以上の所在不明者も300人に迫る勢い。
都内でも大田区で白骨化した登録上104歳の人も発見された。

この国の"社会性"における世知辛さや
公務員のボンクラぶりは今にはじまったことではない。

欧米に明らかに劣る点は
こういったソシアルな部分にもあるのだが、
まったく進歩がないから救いようがない。

進歩するどころか、劣化している。

あるいは、
"きんさんぎんさん"の時代にも
表に出ない"百歳以上の所在不明"は調べれば
多々あったのではないかと思われる。

ほとほと、情けない。


"きんさんぎんさん"は百二歳の時に、
猊鼻渓を訪れて舟下りを満喫した。
そして金と銀の鯉をはなした。

1994年のことだという。

船頭によれば銀の鯉は既にいないが、
金の鯉は未だにこの川を泳いでいるという。

旅:コスモロジー(6)は<猊鼻渓>。


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*****


修行とコスモロジーの旅の中で、
ファミリー及び対コドモという視点での

・カルチュラル
・エデュケーショナル
・ヒストリカル

・エンターテイメント

という不可欠要素をすべて満たす便益を
兼ね備えている一つが、名勝の舟下りでもある。

景勝を楽しむと共に、
舟下りとそれに付随するレクリエーション効果が
ファミリーという括りでの便益を満たす。

ラフティングを選ばずに
舟下りを選ぶところに、根本的な違いがある。

前者が悪いとは言わぬが、
ダモシ派はそれを選ぶことはない。

ラフティングの方がエンターテインできるとしても、
カルチュラルな要素で劣り
ヒストリカルな要素が欠けるからだ。



*****


一関市内の逗留先から車で約30分。

いかにも渓谷へ近づくポスチャーの道を
上り下りすれば、
これまたいかにもなJRローカル線の鉄橋が見えてくる。

そこが舟下りの乗り場となる。


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観光地における
キャパシティに限りのある乗り物に関わる場合、
その日一番目のそれに乗ることがベターだ。

朝一番。早起きは三文の得。これは事実だ。

なにせ、二番舟以降は行列&満員となる上、
渓谷の下の川にも舟が溢れて
それこそ見映えが悪くなる。

朝一番の一号舟で、少ない同乗者と、他に舟がいない
しんと静まり返る川を下りたい。

我々は一号舟の、一番手で乗り込み、
最後尾に悠然と腰掛けた。
最後尾イコール、船頭がいる場所。

船頭とのコミュニケーションも出来る上、
舟内を他の観光客を俯瞰して見ることも出来る。

先頭か最後尾か。
いずれを選ぶかも性格が出る。


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*****


往復90分の行程で、
砂鉄川が石灰岩を侵食してできた約2kmの渓谷を舟旅する。

聳え立つ断崖絶壁に屹立する奇岩の数々。
ゆっくりと下りながらでそれを眺める。

幻想的な深山幽谷を渡る贅沢な文化的所作。


今年の八月はちょうど、
猊鼻渓と命名されてから百周年の時。

家が一軒建つくらいの値段のする
木造の手づくり舟はまったく揺れずに
川に身を任せて流れてゆく。


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真夏の朝一は
朝靄がかり川風情を引き立たせる。

餌を投じれば鯉がゆっくりと集まってくる。

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舟下りの往路、そう見える位置から見せてくれる
<顔>岩。これは女性の顔だという。

いわゆる見どころとして
背景ストーリーのある怪岩も多く、都度、船頭が解説をしてくれる。


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*****


舟下りが単に舟で川を下るだけではなく、
往路と復路のバランスよく設えられているのが、
中間点での下舟タイム。


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皆、下舟して20分の散策を楽しむ。

その散策の目的は景勝"散策"と記念撮影はもとよりだが、
ここで<うん玉>というものが出てくる。

当シリーズの序で掲載した<うん玉>である。

これがこの舟下りのエンターテイメント性をさらに高める。


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この涼しげな深山幽谷を散策するだけでも
気分は穏やかになる。


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100円で五個の玉を選ぶ。

運、寿、恋、願などなどの文字が彫られた
軽石のような玉。

持ち帰り用と投球用に我々も手にする。

ダモシは一回のみ投じる。
その一回が、既載したように
ものの見事に穴のど真ん中に吸い込まれていった。


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ジュニアもトライしたが、そうそう入らない。
オトナでもまず、入らない。

こういうものがスパッと入るときというのは、
その人の腕以上に、
目に見えぬ力学が作用する。


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復路。

川には、二合舟、三号舟が現れてはすれ違う。
朝靄はすっかりと消える。

しかし舟が増えても、そこに賑わいは起こらない。

舟の中の、人もそれぞれ会話はあるが、
やはり山寺や達谷窟毘沙門堂、厳美渓に等しく
閑さが流れている。

とりわけこの猊鼻の舟下りは悠然としている分、
誰もが無警戒な心持ちで、
それは静粛とは異なる、やはり閑さだ。


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ハイライトは、船頭さんによる追分。

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閑さに包まれる渓谷に、
船頭による民謡・げいび追分が朗々と流れる。

潔い絶壁と清澄な空気、凛とした緑の木々、
閑さに沁み入る透き通った声。

まさに絶品。

この空間は、神すみわたる場。




:::::



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地元の高校美術部の学生の描画によるチケット。
四季ごと四種類あるという。


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無人駅の猊鼻駅ホームから線路を見る。


いよいよ旅は、
ファイナル・デスティネーションの平泉へ。





posted by damoshi at 20:05| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏休みのゴール



ジュニアの夏休みの目標。到達点:ゴール。

そのタスクは各種あれど、
一つには不得手だった

・なわとび
・うんてい

を目標とするゴールに到達すること。

なわとびは一回から、うんていは一つ目の棒から。
いわば、まったくできない状態からのスタート。

最初の練習で、なわとびは六回になったから、
夏休みスタート時点では
なわとび六回/うんてい一つ目でリアリア
からのゴールへの到達が目標となった。

次第に増えるなわとびの回数。

前回の練習では、自己最高の71回。
やるたびに更新する。

うんていは、前回の練習(初回の練習)で
頂上(中間点)一歩手前まで出来た。



*****


昨晩、
<明日の朝、夏休みの最後の練習をしよう>と告げた。

9AM、小学校へ行く。

残暑と呼べる猛暑。
甲子園が終わっても未だ強い陽射しは続く。

猛暑の強い陽射しが残る時節の記憶は
自身中学生時代の9月30日の運動会。

だから未だ猛暑なのは、当たり前。
すいとうを持参して出向いた小学校。

夏休み中、一度、うんていの練習を拒否したジュニア。
それにまた
<俺がやるといった時にやらんのなら
 二度と教えてやらんぞ!>とブチ切れていたダモシ。

今朝は素直に、自分から<行こう>と言ってきたジュニア。

一気に完遂が目標である。

<頂上まで行けば、あとは下りだ。
 全部出来たようなものだ。
 なにがなんでも頂上まで行くんだ>とハッパをかけるが、

何度も途中でリタイア。

頑張って行くことができても
頂上までの最後のあと一つで落下。


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<勢いをつけるんだ。ぶらぶらと。
 止まったらアウトだぞ。
 空手の試合でも動きを止めたら負けだ。
 とにかく止まるな。一気に行け>

<最後の一つ。ここというときに負けるのは、
 なにをやってもそうなるぞ。
 ここという、あと一勝というところでは、
 なにがなんでも勝つんだ。やり切るんだ>

<やり切れ!>

声がけが続く。

そして,最後。

遂に頂上に到達し、あとは下りで
そのままスイスイと、うんていを完遂した。

<よしっ! 全部出来たじゃないかっ!>


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勢い良く、身体バランスも良く、
頂上に間もなく着く。

ここの壁を乗り切れば、やり切れば、
あとは流れで降りてゆく。

そうなれば、完遂できるわけだ。


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分水嶺を越えた。あとはモメンタム高まり、一気に行く。


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間もなくゴール。

目標としてのゴールである到達点へ。

これで、一つ、夏休みのヴァリューが生まれる。


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代償は、男の勲章。

<痛い>と言うが、
<そんなものは当たり前だ。バンソウコウも貼らないで、
 そのままにしておくことで固まるんだよ。
 ほら、俺だってこんなふうになっているだろう>

と己が掌を見せる。

<空手でもマメは出来ているだろ>と。

<それを重ねて拳も掌も強くなるんだよ>。


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流れる滝のような汗。

これで良い。夏休みである。



*****



そして、なわとび。

当然、引き続き練習していくし、
彼の最大目標は
ダモシが小学四年時に作った
在籍していた小学校記録となる1,077回連続跳躍。

前回までの自身の記録は71回。


<今日は何回までやる?>と聞くジュニア。

本来であれば自己記録更新が手前の目標になろう。
72回という数値目標が生まれる。

が、

<80だ>とダモシは言った。

<分かった>とジュニア。

20回、30回のレベルで何度も挫折するが、
72回を二度達成。

その時点で新記録だが、
80という数値目標を掲げているため、
ダモシのハッパが飛ぶ。

<80まで、あと8というところで負けるのは、
 またあと一歩で負けることと同じだぞ。
 そこまでいったら、なにがなんでもやり切るんだよ!>。

通算跳躍回数は350回を超えた。
猛暑の中、タフな練習は続く。

<一定のペースで跳ぶんだよ。
 途中から速くなっている。焦るな。
 焦って急いで跳んだり、高く跳んだりすると
 厳しくなってくるぞ。ドンドン跳ばない。
 ぴょんぴょんシュッシュッと跳ぶんだ。
 一定のペースで、気持ちもゆったりとした感じで。
 慌てないで跳ぶんだよ。次、決めるぞ!>。


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通算跳躍回数が400を超えたら、
その時点で今日はストップしようと思っていた。
仮に80に届かなくても、72という自己記録は出しているから、
それで折り合いをつけようと考えていた。

だからあと一回か二回のチャンスとなる。

<決めろ>。


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72を超え、80に到達する。

それでも事前の
<目標に届いても自分からやめるなよ。
 跳び続けろ>と言っていたから、

ジュニアは跳び続ける。
現時点での彼の限界まで。

90を超える。

(<お。100に行くか?>)と思った刹那、
ジュニアの顔が歪み身体バランスも崩れた。

96回で止まった。


<よしっ!すごいぞ。96だ。よし、終わりだ>。



*****



ママチャリで二人で拙宅アパートメントの下に着くと
ちょうど買い物に行くワイフと出くわした。

<マミーに言いな。何回出来たか>と促すと、
ジュニアは
<96回出来たよ。うんていも全部出来た>と報告して
ワイフに褒められた。


ダモシからご褒美は、集めている<仮面サイダー>。

10natsuh.jpg



こうして、

・なわとび
・うんてい

に関する夏休みのゴールには到達した。


成功失敗を問わず、
<やり切る>ということがまずは最重要である。

そして、
ゴールや夢というものは到達し実現させるために
存在しているということを認識することが大切だ。

その上で、
そこに到達するにはどうすれば良いのか、
それを実現させるためにやるべきことは何かを
把握し、

それを行う。努力する。

成功失敗を問わず、その努力をすることがまた大事なことである。

そして、
ゴールという到達点や、夢という存在は
決して逃げやしない。

目指す限りは、そこに在る。

まずは真摯に努力することが、
年齢性別問わず、実行すべきファースト・ステージとなるのだ。


なわとびもうんていも
その他も含めて
コドモの学校関係における基本遊戯や身体運動
に関しては今後も続く。

可能な限り教えていく。

空手も続く。オールウェイズ、共に在りたいし、
出来ることや教えられることは
すべて教えていく/授けていくのが、

己が直系遺伝子に対するレスポンシビリティである。

男が己が直系遺伝子に
それらを通して教える根本は、"イズム"である。


空手も11月の大一番まで、他の大会もあるが、
現在の状況においては
その大一番へ向けていずれの大会もたたき台となる。

天皇賞・秋へ向けての、オールカマーや毎日王冠。
そういうノリになる。

ダモシがやるべきことは
その大一番へ向けた

・アナライジング



・各種新技、秘技、奥義の伝授

となろう。

基礎的アクションや技はもとより、
流れを変える技、一発逆転の大技、土壇場での驚愕技
などなど既に四つ用意してある。

それをあと三ヶ月かけて習得させていくことが求められよう。

まずそれらの技は、誰もやらないであろう技である。


闘いは一瞬の機微で大差になる。

スクイズを外しながらも送球ミスした時点で
東海大相模高の敗北が決まったように、
闘いというものは、そういう些細なことから大敗につながる。

常に紙一重をそれをどう、
こちら側に流れを向かせるのか。

言葉と実践で日々教えているが、
夏休み以降もまだそれは続いていく。


とまれ、
まずは基本的な身体遊戯と運動に位置する
なわとびとうんていを
クリアできたことは、

夏休みの大きな収穫となった。

なによりである。


あとは、<宿題やったか?>か。







posted by damoshi at 12:25| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月21日

旅:コスモロジー(5)



山形県の山寺から一路、山形自動車道を通って
村田JCTで東北自動車道に戻り、宮城を越えて
岩手県へと向かった。

岩手県は縦に長い。

盛岡は北側(地図で見ると県内の上部)及び秋田県側(西寄り)。
真ん中よりやや下に北上があり、そこから東へ横に進めば遠野。
宮古、釜石や大船渡などはいずれも東端の三陸海岸側。
そして奥州、平泉、一関は県内の南部すなわち
宮城県寄りに位置する構図だ。

東北の大都市・仙台からであれば
岩手県であっても一関や平泉は距離的に苦ではない。
それは首都圏や那須エリアからも同様。

一関、平泉あたりであれば一気に行けるという算段が立つ。

これが遠野になれば、やはり"一気"には
いささか無理が生じる。

基本的に
東名高速も東北道も
それを利用して首都圏から旅する場合、
その一本の高速道路を基軸として考えるから、
デスティネーションとしては
その高速道路とのアクセスで見る。

東名ならば、御殿場、沼津、清水、静岡、名古屋。
そのまま結ばれていって京都、大阪も視野に入る。
東北道ならば、那須を筆頭に仙台、平泉、秋田
そのまま流れていけば青森とて視野に入る。

ところが、
前者で例えば静岡県の寸又峡であったり
後者で例えば山形県の山寺であったりと
それら一本の高速道路からヨコにさらに行くことが
求められる地となれば、

いささか面倒になってくる。

ヨコに流れる場合でも
東北道→宇都宮→日光
東名→御殿場→富士山
などのように、
一本の距離がたいしたことのない位置から
ヨコへのエクスカージョンも遠大ではない適度な距離なら
いざ知らず、

それが遠大になってくると厄介なのである。

例えば山寺。

東北道自体、村田JCTまで走るのは遠大な距離である。
にも関わらずそこからさらにヨコへ走っても
そこそこの距離がある。

こういうケースにおける<ヨコ>への派生位置にある地へは
なかなか行くに行けない。

山形県も複雑で、
例えば昨秋に訪れた米沢であれば
ヨコへの派生であってもたいしたことはない。

福島の飯坂温泉より下でヨコへ流れるからだ。

ところが同じ山形県でも
山寺はもとより、出羽三山や最上川下りともなれば
首都圏から東北道を走ったあとのヨコ展開も
さらなる一日がかりとなってしまうから
厄介なのである。

遠野もまた、そういうレベルにある。
盛岡の方が北であり、もっと先にあるのだが、
盛岡の場合は東北道をそのまま一本飛ばしていく
ことができる分、遠い距離感はしないのだが、

盛岡よりさらに下の北上の少し上にある花巻から
ヨコへ行かなければならないというだけで
遠野に対する距離感が遠くなってしまうのだ。

実際、想定所要時間は
那須から遠野まで五時間半。
那須から盛岡までは四時間強。

いずれも那須邸からそれぞれの中心駅までの所要時間。
距離にして10km程度の差だから
ほぼ同じにも関わらず、誤差は一時間半。

これが<ヨコ展開>の位置にある地の難儀さを表している。
容易には行くことはできない。

山形でいうところの出羽三山と最上川下り、
岩手でいうところの遠野。

首都圏をベースとしての
車での旅という括りで考えた場合、
いずれもそれなりの覚悟が必要になるわけである。

そういう意味では、

栃木県の日光、
福島県の会津若松や飯坂温泉、
宮城県の松島などは

ロケーションの妙が優れている。

いずれもヨコ展開ながらも
東北道からストレスフルな距離を持たないからだ。

岩手県でそれに匹敵し、
且ついずれのランドマークも合理的に
位置づけられているのが一関・平泉である。

位置的にも
オールモースト宮城県ともいえる絶好のアクセス。

平泉は言わずもがな、
中尊寺、毛越寺、高舘義経道を三本柱として
至近近隣ほとんど同エリアとしての一関に
達谷窟毘沙門堂、厳美渓、猊鼻渓を擁している。

ロケーション、
そしてコンテンツ群の構造上の合理性。

松尾芭蕉が<おくのほそ道>奥州路の頂点として
一関・平泉を選んだのには
こういう背景もあるのではないかと感じる。

一関・平泉は、
ある意味で
"岩手県入門"としてはうってつけの存在といえよう。


今回の旅における出羽路の<山寺>、
そして奥州路からは既に先行して
<達谷窟毘沙門堂>を取り上げた。

今回は、厳美渓を取り上げる所存である。


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*****


東北道・一関インター。

途中、仙台・泉を通り過ぎる。

そこで降りてしばし走れば、
ウルトラの母方のグランパ(存命)とグランマ(一昨年春没)、
そしてウルトラの母がいる。

仙台。

ここを訪れる場合は、
エクスカージョンではない。

ダモシの中では
仙台はあくまでもデスティネーション。

仙台だけをメインとして仙台だけを感じ入る。
そんな旅の際にとっておく存在。
それが仙台であるが、
それでも己が親である。
逢いたくないわけがない。

そのマインドに封をして、
一路、デスティネーションへと向かう。

料金所で高速道路料金を支払う。
そして、係員に聞く。
分かっているが、コミュニケーションで聞く。

これも旅のルーティンである。

何を、か。

方向を、だ。

<ゲンビケイは左ですか?>と。

係員は言う。

<ゲンビ? ゲイビ?>と。

ダモシは応える。

<ゲンビケイ>。

<ゲンビ? ゲイビ? 似たのが二つあるからね>と
なおも係員。

こちらは既にそれは先刻ご承知だ。

<ええ、だからゲンビ>。

あちらも、こちらが分かっていようがいまいが
関係なしに、お約束としてのルーティンで
<ゲンビ? ゲイビ?>と聞き返すのを
常としているかのようだ。

<左ね。左に行ってわけないよ>

<そうですか。10分くらい?>

<15kmだから、15分くらいかね>

<なるほど。僕なら8分>

そんな、お約束的なやりとりを経て、
ダモフィーロは左へと滑る。

既に分かっている。
そのまま進めばゲンビケイ(厳美渓)があることを。

そして既に計画済みである。
ゲイビケイ(猊鼻渓)は翌朝一番の舟に乗るために
ホテルを朝7時半には出かけることを。

さらに言えば、
厳美渓へそのまま行くわけではなく、
厳美渓の目前で右に折れて進んで
達谷窟毘沙門堂へ先に行く算段である。

毘沙門堂という平泉寄りのそれを先に訪れてから、
逗留先の一関市内に近い厳美渓を
この日の最後のデスティネーションにしていたわけだ。

<あぁ、これが厳美渓ね。
 ならば、これを右に行けば毘沙門堂だ。
 ここは最後にまた寄るから。
 先に毘沙門堂ね>

と車中、ワイフとジュニアに告げるダモシ。

そして毘沙門堂を歩いたあと、
来た道を戻れば厳美渓。

<さあ今日最後の訪問地に着いたぞ>。


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*****



仙台の伊達政宗が、
<我が領地の二大景勝は、松島と厳美>と絶賛した渓谷美。

それが厳美渓。

国名勝及び天然記念物。


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メインの展望場所から眺める構図が
冒頭の写真とこちらの写真となる。

ティピカルに厳美渓を表現する構図。

<ほぅ。なるほど>。

そんなマインドが生じるが、
最も染み入る構図はここではない。

付近を散策する。

と、川の逆側(一関市内側)に架かる橋。

ゆらゆら揺れる橋を渡る。
橋自体の恐怖感は、城ヶ崎海岸の門脇吊橋の1/5程度だが、
城ヶ崎のそれ、あるいはその他のそれが
火曜サスペンス劇場チックな切迫感と恐怖感があるのに対し、

厳美の橋は、また異種の趣を発露させている。

橋は橋ではなく、いずれも海岸や渓谷のそれは
眼下の景がいかなるものかによっても影響される。

荒れた海の上の吊り橋であればサスペンスになるが、
ここ厳美のそれは異国。

南米のジャングル、アマゾン、
あるいは米国に見られる大河のアトモスフィアが広がる。

ハックルベリー・フィンとジムが舟を漕いできそうな
ミシシッピ的な様相がここには在る。


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大河の装い。周囲はジャングルか。
或いは
"王者のような褐色の緩やかな流れ"ミシシッピ大河か。

アマゾン或いは米南部へ一気にワープする。

ここが同じ渓谷でも
長瀞(埼玉県)や塔のへつり(福島県)などとの相違か。

それは、後掲載するが、
この東北のポイントになっている<川>の装いによる。

川の意匠デザインともいえるか。

東北の川はその意匠デザインが特異である。

この厳美に流れる川も既に
南米或いは米南部的な大河の装いである。

90年代中期に、
長い間思慕した末に
ニューオーリンズでようやく邂逅し得た
あのミシシッピ川を想起させるポスチャーと

その川の流れ方。

川全体の意匠デザインと、
川の水自体の、その流れ方の、
日本国内の他エリアの川との相違。


<川が。川が違う>とワイフは既に山形で言った。

<やはりそう感じたかい。
 どこかで見た川でしょ。既視感。
 ニッポンの原風景としての既視感ともう一つ、
 我々がアメリカで見た、あの、
 王者のような褐色の緩やかな流れ、だよ>

とダモシも言った。


今回の旅で、そのハイライトとなるのもまた<川>。

王者のような褐色の緩やかな流れ。

それは、北上川となる
(シリーズ終盤に掲載)。

ニッポンの原風景的既視感への最初は、山寺の川であった。

そして、
"王者のような褐色の緩やかな流れ"北上川へと
つながる最初の既視感が、

この厳美である。


ニッポンの原風景的世界観と、
異国ながらも
言い知れぬ郷愁と思慕を持ち続けている
ミシシッピの大河を基盤とする
"王者のような褐色の緩やかな流れ"的世界観。

この二つの既視感を、
完璧なまでに提示したのが今回の旅先である

山形と岩手ということになるのだ。




*****



厳美に戻る。


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"天然記念物"という響きの持っている
甘みは、ごつごつした岩と不釣り合いだ。

だが、たしかにこの地形は、それに値しよう。

地質学に無知なダモシの知らぬ、
まだまだ膨大な何かがここにはあるのだろう。



*****



厳美渓からダモフィーロでほどなく10数分。

一関市内の逗留先に到着して
一日目の長いドライビングが終わった。

予め設定した
各デスティネーションでの所要時間、
それぞれの到着時刻と出発時刻、
ドライビングの所要時間に
逗留先へのチェックイン・タイム等、

ほぼ想定通りに進んだ。

山寺に一時間早く到着したことは、
現実的には吉と出た。

一つ一つを急がずに済んだからだ。


<一つ、行くところがある。
 また、いつものように一人でちょっと出てくる>

と言って、ダモシは逗留先を出て
再びダモフィーロに乗り込んだ。

必ず、逗留先に到着したら
すぐに一人でまた出かけて
市街地や市内の他の箇所へ出向くのが

旅の流儀である。

逗留先から市街地は近いが
道路は混んでいる。

そんな中、市内中心部を様子見し、
道路構造、市内構造をマーケティングする。

そして、立ち寄るべき場所へ到着する。


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芭蕉と曾良の
<おくのほそ道>奥州路における最北の宿、二夜庵。

元禄二年(1689年)五月十二日、
雨の夕暮れ時、芭蕉と曾良はここ一関を訪れた。

翌十三日は、平泉へ。

そこで中尊寺、高舘をめぐるわけで、
今回のダモシ軍と同じ形となる。

それもあって一関に逗留したわけだが、
芭蕉と曾良は平泉を訪れたあと、また一関に戻る。
ダモシ軍も翌日、平泉を訪れたあと、
平泉インターから東北道に乗らずに
一関に戻ってから復路についている。

ここにある金森家に、芭蕉と曾良は二泊した。
そこから二夜庵という名がついた。

二人はここで奥州路の旅を終えて、
尿前の関を越えて出羽路へと向かっていった。

<おくのほそ道>における地図上の頂点、北端。
それが平泉であり、
平泉に関する著述はここに宿することで生まれた。


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この二夜庵の目の前が、川である。

磐井川。

市街地を流れる比較的大きめの川としては、
北の某首都サツホロの豊平川、
首都圏の多摩川、荒川の世界だが、

それぞれ当然、趣は異なる。


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厳美はこの上流にあたる。

そしてこの磐井川の水は、やがて北上川へと注がれてゆく。


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佇むダモフィーロを横を
地元の高校生が通り過ごしてゆく。

長い旅の初日が終わろうとしている頃合い。




posted by damoshi at 23:03| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅:コスモロジー(4)



鳥取県に、三仏寺という名所がある。
その象徴は国宝・投入堂。
断崖岩場の窪みにそれは創られている。

ここも登山。危険な岩場多く滑落事故は後を絶たないという。

鳥取や島根はとかくマイナー視されるが、
その実,コンテンツは豊富で
なにも鳥取砂丘(鳥取)や石見銀山(島根)だけが
メジャーな存在ではなく、

この投入堂などは、それこそ善光寺(長野と山梨)ではないが
一度は詣でよ投入堂と言える。

ダモシが企画開発して全国で販売されている
ご当地商品でも鳥取県はこれを取り上げた。

絶壁の岩場の窪みから突き出るお堂の風情は、
それだけで見るものに非日常的な世界観へ誘う。

投入堂のある三仏寺に安置されている三仏は、
本尊の釈迦如来に、阿弥陀如来、大日如来。
それらは瑞巌寺(宮城)、山寺(山形)、中尊寺、毛越寺(岩手)
を開基した慈覚大師円仁によって安置されたものである。


<投入堂みたいだな…>
というポスチャーの存在が、奥州路にもある。

国指定史跡<達谷窟毘沙門堂>である。


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*****


東北自動車道・一関インターを降りて十分。
幹線道路から農道に入る。

緑鮮やかな、
茶畑のような段々の田圃道を抜けて
平泉方面へ走ると、

大きな段々の田圃の前に岩場と絶壁が現れる。

猛暑の夏の夕刻。
それでも未だデイタイムの最後の陽射しが厳しく照る。
その頃合いの光は強烈で、
田圃の緑をさらに輝かせる。

何もない田圃が広がる農道にバス停が一つ、
ぽつんと立っている。

都会ではあり得ない
ニッポンの原風景に、心が和む。

車も人もビルヂングも最小化された世界観。
これぞ本質ではないかと悦に入る。

都会は人も車も建物も、too muchを超えてODなのだ。

お盆休みウィークと、
その翌週を終えた、この今の週末の土曜日の今宵。

朝から東名高速も大渋滞、R-246も渋滞。

一体、皆々様はどこへ往くのか、と。
なぜお盆休みウィークに渋滞せずに、
今宵、大渋滞なのか。

都会の人々の行動様式がブレている。
過剰な数の人と車が世の中を狂わせている。


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*****


達谷西光寺・達谷窟毘沙門堂は
征夷大将軍・坂上田村麻呂による建立以来、
千二百年もの歳月を生きてきた。

ここは殺生禁断の地。
<吾妻鏡>にも登場する歴史を持ち、
岩窟に堂宇を構える窟堂としては日本最大の堂。

焼失と再建を繰り返して現在も生きる。
毘沙門堂を再建したのは、伊達政宗。


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神仏混淆の社寺ゆえ鳥居をくぐり入ってゆく。
既にその先に
日本最大の岩窟堂である毘沙門堂が見えている。


ここもまた、奇妙な閑さのある場所である。
それはまさに静けさではなく、閑さ。
遠野もきっとそうなのだろう、と
行ったことのない遠野をも思慕する。

夢遊病者的でもなく、呆然でもなく、
山寺もそうだが、
なぜか足を踏み入れると
そこで会話はあるのだが、会話の声すら岩場かどこかに
吸い込まれてしまい、

あらゆる音が吸収されてしまうようだ。


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長さ150m、高さ35mの断崖の左手頭上には磨崖仏。

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ニッポン最北端の磨崖仏は<北限の磨崖仏>とも呼ばれ、
今では長い歳月での風雨の影響で胸から下は消失。
だがその顔はしっかりと残っている。

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この岩面大仏の顔部分の長さは3.6m。


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江戸時代まではどの社寺でも、
神仏が仲良く一つところにおわしたそうである。


*****


さて、窟堂。

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清水寺の舞台をも想起させるポスチャー。

崖の突起した部分を屋根としても用い、
脚元は太い木の柱で組み立てられている。

堂の中へは登って入ることが可能。
右から入り左から下りる。

下りればそこから柱組を覗くことができる。


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守護不入の床下。

<諸国行脚の遊行の聖や山伏、乞食等の憩める安住の宿として、
 また合戦に敗れた武士が暫し身を隠し
 しかる後生まれ変わってゆく再生の場として、
 さらには御先祖様の霊魂があの世から帰り来りて集う
 聖なる所として>

現在もなお、人が立ち入ることを許さない禁足地とされている。



*****



最後に,毘沙門堂内から見下ろす俯瞰図。


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この先に、まるで茶畑のような段々がある。

<あそこは何を作っている畑ですか?>と聞けば、
米という。

茶畑のような段々の米づくりの空間。

なんともいえぬノスタルジー。

そして、その前には川がやはり流れていた。

川の音、段々畑、田圃の鮮やかな緑
そして閑さに包まれる空間の中で異彩を放つ毘沙門堂。

真夏の夕刻で、時や良し。





posted by damoshi at 15:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅のご当地フーズ



閑話休題で、旅のご当地フーズを。

ジュニアが休暇を終えて
今宵から空手の練習に復帰した。

他の選手たちもそれぞれ夏休みの家族旅行を楽しんだようで、
道場でお土産を交換したようである。

ちょっとしたお菓子がちょうど良い。

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新潟、関西それぞれのお土産。

ダモシ軍は宮城から牛タン絡みを。
個別に袋に入っているのがほどよい。

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牛タンやずんだ餅など仙台モノが大好きなダモシ。

拙宅にウルトラの母から今朝、届いた逸品。

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牛タンに、ずんだ餅。
これらはとにかく仙台モノ以外は食せない。

今宵のディナーで頂戴した。


昨晩、拙宅でのディナーは佐野ラーメン。
栃木で仕入れてきた自分土産。

同じく自分土産で岩手で仕入れてきたのは
前沢牛のコロッケ。未だ食していない。

旅の楽しみの一つには、かようにご当地フーズがある。

山寺の山形では冷やしラーメン、
中尊寺の平泉では
わんこそば(と義経御膳)を食せば旅気分。


ところで那須から田園都市への帰路。
頃合いからしてランチである。
東北自動車道のSAでとる算段であった。

上河内か佐野が、那須からの道程では妥当な位置。

結局、なぜかいつも佐野SAになる。
おそらく佐野SAはそういう位置にあるのだろう。

だからオールウェイズ、大混雑。

まさにそれは東名高速の海老名SAが如き。

お盆休みウィークをずらしているにも関わらず、
且つ昼時を過ぎた13時台にも関わらず、
レストランもファストフード・スペースも
満席&大行列。

もとより"並ぶ"ことが大嫌いであるからして
こんなところで並んでいられるかと、
<ご当地弁当>を手に
ダモフィーロ車中で食すことを選択した。

今やSAのお弁当は、白眉である。


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ダモシは、
<大人の休日/駅弁発祥地より・汽車辨當>。

宇都宮駅が駅弁発祥の地らしい。
おにぎりではなく大ぶりの"おむすび"二個と
カツその他おかずも豊富。


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このような代物が案外と美味で
消費者便益が満たされる。

行列に並び法外な値段のSAレストランで食するより
よっぽど良い。

ワイフ&ジュニアは
日光の<霜降高原牛>の牛弁当。

ジュニアが大喜びで、ヒットであった。

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そして、お土産。

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不在時に猫と戯れてくれたダチへの
ご当地フーズ。

岩手のこの
<盛岡冷麺・じゃじゃ麺・わんこそば>の三大麺は
昔、前二者は食したことがある。

しかし"わんこそば"として蕎麦を岩手で食したのは、
今回の旅が最初となった。

それについてはまた<旅:コスモロジー>シリーズにて
掲載する所存である。



*****



それはそうと、旅などで各地へ出かけると
ダモシが好んでする所作が
地元のスーパーマーケットや大型店に出かけることである。

今回も岩手は一関の市街地にある大きなSATYに出かけて
日常的な食品からご当地食品まで、見た。

地元の店は、それぞれご当地アトモスフィアがあり面白い。

店員も、しかり。
その店独自のその土地のイズムに基づいた所作も見られるから
面白いわけである。

そして、その土地のその店でしか売られていないお弁当や
食材(主にお惣菜)が好きで、よく食す。

一関に逗留した夜は外食せずに、
いつもの旅で必ず一回はする
地元の店で買った食事を宿に持ち帰って食した。

例えば同じ海老フライでも、同じ焼きそばでも
味は、その土地その店で大きく異なる。

店員と接したり、店内を歩くだけでも楽しいのだ。


レジで会計を済ませたあと、
笑いながらワイフが言った。

<馴染んでいるでしょ>。

<どこへ行っても、スーパーに行くと、
 違和感なく馴染んでしまうのが笑える>と。

ダモシは言った。

<そりゃそうだよ。NYでも馴染んだわけだし、
 イギリスのボーンマスでも香港でも同じだよ。
 岩手でも山梨でも佐賀でも同じ。
 俺や俺たちはどこででも変わらない。
 相手が変わるだけだ>。


さふ。

南極だろうが米国だろうが富士山だろうが岩手だろうが、
どこでだってダモシはダモシであり
相手に合わせて変わることはない。

だが、それが郷に入れば郷に従えとは反している
ということではない。

そういう次元とは別世界で、

ニューヨーク・ヤンキースが大舞台で強いのは、
ヤンキースはふだんと何も変わったことを
していないのに、相手が勝手に変わり負けるからである。

その国、その土地、その町には
それぞれの風土やアトモスフィアがある。

それを察知し理解したところでなお、
己自身はふだんと何も変わらない。

時勢や時流に応じた変化とそれはまた別議題である。

違和感を覚えた地は
<北の某だけ>ということに、やはり、なりそうだ。


ダモシも土地も、お互いにふだん通り。

これが最適化。

北の某はどうやら、勝手に自分で変わったようだ。
ダモシを前にして変わった北の某。

ヤンキースを前にして、
ふだん通りを貫けずに変わってしまって
敗北を喫したチームのように。

合うわけがなかったのである。


車も、しかり。

山梨はもとより、一関とて、
一度走っただけでもう道は把握した。
地元民よりスイスイである。



いずれにせよ、
こんなことを書いていると、お腹が空いてきてしまった…。




posted by damoshi at 01:47| フード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月20日

旅:コスモロジー(3)



山寺の登山口へ向かう道沿いには
土産物屋や食事処が並んでいる。

ご当地モノ満載の、そこはまた、
ニッポンの夏らしい懐かしい空気が流れている。

一軒の食事処で、山形名物の
<冷やしラーメン>を食する。


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ワイフは、<ざる中華>。
ざるそばの、麺が中華めんという一品だ。


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いずれも豆板醤的な赤い味噌を加えれば
なお味が引き立つ。

メニュー表に見える<力こんにゃく>の文字。

山寺で食して意外な美味に驚いたそれだ。

<もう一回食べたい>とダモシは
肥えたミドルエイジの女性店員が麺を運んできて
戻り際、その背中に声をかけた。

<力こんにゃくもください>。

だが、距離にして50センチ程度しか離れていない
その背中に投げかけられた声を
女性は無視した。

顔と目は一瞬動いたが、
何かバツが悪そうに無視して、それでも背中には
どこか申し訳なさを漂わせながら
すたすたと戻り足を急いだ。

それに甘んじるダモシではない。

<すいませんな。力こんにゃくをくださいな>。

声のトーンをやや上げて、
もう無視できない音量で呼びかけた。

"しまった…"あるいは、"げっ…"的な身体アクションの後、
ワンテンポ遅れて女性は顔をダモシ側に向けた。

顔には既に"何か都合が悪いことがある"と書いてある。

それでも申し訳ないといった風でもなければ
悪びれた様子もなく、

不思議なことに親戚か知人に相対するかのように、
他の客には決して聞かれたくないかのように、
身と首をすくめて、声を潜めて言った。

<それはちょっと…>。

そして、仕草的には
人差し指を口に当てて"しぃ〜"と諭すかのようである。

その予想外の対応に
ダモシもまたふだんはしない対応で

<あっ、なくなっちゃったのね。じゃあ、いいです>

と即応した。

不思議だ。
ここでは当たり前である力こんにゃく。
メニューにも書いてある。写真付きで。

そして普通のことである。
それを注文することは。

普通の動きをしたまで、だ。

しかし予期せぬ対応。

<しぃ〜>とされて
<それは、ちょっと…>とヒソヒソと言われてしまう。
他の客に聞かれないように。

ここでこの時間にそれを頼んではいけない。

この店と界隈だけで通用するルールでもあるのだろうか。


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同じく界隈で食した
ずんだ餅とさくらんぼのご当地ジェラート。


界隈は、流れる立谷川の上にある。

山寺駅があって立谷川を赤い欄干の宝珠橋で渡る。
右手を見れば仙山線の鉄橋、左手には対面岩がある。

対面岩の対向は、山寺。


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*****



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鎌倉時代建立の山門。

既に登山口からここまで石段を上がってきているが、
ここからが本番となる。
石段の数は全部で千に及ぶが、ここから頂上の奥之院まで八百を超える。


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自然崇拝、山岳信仰に基づき
山の自然に沿ってつくられた石段の参道は、
狭いところで四寸(約14cm)しかない。


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円仁の足跡をふんで登る我々の先祖も子孫も登ることから
親子道あるいは子孫道ともいわれるという。


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西行が雨宿りした笠岩。



*****


途中、芭蕉と再び逢う。


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蝉塚。

名句<閑さや岩にしみ入る蝉の声>の、
その句をしたためた短冊をここに埋めて石の塚を建てた。

この句は芭蕉の中でも名品といわれ、
宇宙的なスケール感が介在しているといわれている。

梅雨明けが近づく頃合いの時節。
蝉の声が岩にしみ入る現実と、ファンタジーとしての<閑さや>の合体。

虚実皮膜の世界観広がる<おくのほそ道>の真骨頂でもあろうか。


たしかに、ここ山寺を登っていくその間、
自然界と宇宙的力学におかれて
言い知れぬ無の世界に入ってゆく。

そこに流れるアトモスフィアは現実とファンタジーの融合。
その分水嶺は、どこにある。

五大堂に、在る。



*****



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さらに登る。

お盆休み明けのウィークに関わらず
まるでお盆休みの旅行シーズンかのように、

そして老若男女入り乱れて、
大勢の登山者が石段を登ってゆく。


距離的中間地点ともいえる仁王門に辿り着く寸前、
ここが自然の風雨の中で生きてきた地であることを示す
弥陀洞が現れる。


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直立した岩が長い年月での風雨によって削られ、
阿弥陀如来のポスチャーを生み出した。

これを仏の姿として認められる人には、
グッドラックがつくという。


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隔世された世界観。
既に日常からは遠く隔絶されている空間。

我々登山者はまさに吸い込まれてゆく。

誰もが黙って登る。言葉不要。聞こえる音は蝉の声のみ。



*****



仁王門に辿り着く。

左右に鎮座する仁王尊像が
邪心ある登山者への睨みを利かせる。


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仁王門を下からと上から見る。

ここをくぐりさらに登る際の画は以下となる。


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登るベトナミーズ・ダモシ。


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そろそろジュニアも"飽きて"くるが、
ダモシの説法が施される。

<ゴー・ザ・ディスタンス(やり遂げろ)>と。


この仁王門を越えれば、壁を乗り越えることになる。

いよいよ頭上に、
山寺のシンボリックな光景としての
一般的なハイライトである納経堂と開山堂が現れる。


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削られた岩のピークに立つ納経堂と
その隣の重要文化財・開山堂の構図が
山寺を象徴する光景の一つ。

雪に包まれる冬の景もまた素晴しかろう。

仁王門を越えて休憩所的な山内支院から
直進すれば頂上奥之院。左へ登ればこの開山堂と納経堂になる。

いずれを先に進むか。人による。

我々は左へ進路をとった。

奥之院へ続く道が分水嶺を越えていると感じたからだ。

非日常の隔世された世界観の範疇にあり
宇宙的空間力を感じさせる
開山堂と納経堂、そして山寺の横綱たる五大堂へ
先に進んだ。


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yamadera34.jpg

その前に山内支院から振り向いて対向の岩場を見れば。
そこはまた隔絶されたリアルな修行の岩場が点在する。

何となくだが、その光景は山と海の違いはあれど、
宮城の松島を想起させた。


そして、左へ登り続ける。

目的地は、開山堂と納経堂の先にある
岩場に突き出た五大堂。

辿り着く。


yamadera29.jpg

観光地、観光ランドマークのご多分に漏れず
多くの観光客で溢れ帰る五大堂。

だがここは誰もが無言。
この閑さは一体、どこから来るのか。

それはここが登山であり登拝の地であるからに他ならない。

霊場登山に、へらへらとした無駄話は不要。

ここでは歴女も幕末レディも、コドモも、静かだ。
静かになるのだ。自然と。

それが、一つには山寺の底力でもある。


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そしてこの五大堂から眼下を望むと、
日常が、ニッポンの原風景が広がっている。

五大堂が、山寺の分水嶺である。


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この光景を見て、
思わずダモシは唸った。

<ニッポン万歳、だな…>と。

深層心理の中で、ニッポン復帰後、尾瀬を思慕し、
だが往かず、

霊峰富士と真っ向勝負し、

そして霊場と登拝をするダモシ。

その根底には、
対世界という視点と
外から目線での厳しくもタフな評価と共に

己がニッポン人というところでの
これぞディスカバー・ジャパンの発掘と再発見をしている中、

東北特有の、
なんとはなしの、ただの、どこにでもありそうなのだが、
その実、東北にしかない、

ニッポンの原風景には感無量。

青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島。
これらすべて連動して
ニッポン復帰以来、訪れている。

そこで見るもの、感じられるものは
善し悪しの比較ではなく

住んでいる首都圏以下、
昨年来、訪れている
静岡・山梨、奈良・京都、四国(愛媛)、北陸(石川)、
大阪、山口、そして九州各地では見られない
ニッポンの原風景である。

その基点はおそらく群馬や福島などにまたがる尾瀬にあろう。

尾瀬にプラスαで<川>がある。

東北は<川>が実に大きなポイントになっている
(これは当シリーズの別寄稿でフィーチャー)。



*****



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五大堂を下りるジュニア。

彼は、視覚的ハイライトの五大堂が
往路の終点と思っていた。

だが、
<最後まで行くぞ>のダモシの声が轟いた。

不貞腐れるジュニアだが、
そこはもう分かっている。

ダモシが行くぞと言えば、最後まで行かねばならぬことを。


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なぜ五大堂が分水嶺なのか。

それはこの画像に表れている。
この絵は、地上の東北の田舎の村風情である。

五大堂から見下ろした地上が、ここにある。

山の上の、中の、田舎の村。
しかし山腹には修行の岩場という隔世。

この、通常あり得ない組み合わせが、
山寺の異様なる静けさと閑さを引き出している。


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日常の、地上の,東北の田舎村を歩けば頂上。
そこは奥之院。

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*****



昨晩掲載した山寺での稚拙な句。

もう一度。


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<空蝉の めぐる四季の音 たちや川>。


蝉の抜け殻、果てた蝉が転がる中、
未だ残り火の中で啼く蝉。

季節は存分に夏を感じさせる。
木や草の色も匂いも、五大堂からの景色も、存分に夏だ。

だが、それがなければ
この登山道の過程すなわち隔世の参道、山内は
季節とは無関係に時間が流れている。

異様なる静けさと閑さ。

登山口から仁王門までの宇宙空間。
それと現世の分水嶺にある五大堂。

蝉の啼く声はしかし、逆に現世で途絶え、
宇宙空間で響いている不可思議。

耳障りともいえる蝉の啼く声を、
季節感を、
きれいに洗い流すかのような立谷川の涼しげで適度な音。

食事処の座敷に座り、
開け放たれた窓から見えるニッポン原風景と
立谷川のささやかながら
しっかりと季節感と蝉の声を洗い流す音を耳にしたとき、

これが山寺のポイントだと感じた。

川だ、と。

<山寺>という括りでは、
取り上げられることのないだろう立谷川。
言ってしまえばただの川だ。
最上川でもなければ北上川でもない。

だが、山寺の眼下に流れるその川が
山寺を守っているのだと感じられたわけである。

四季はめぐる。

山寺の装いは四季で変化し、蝉の声も聞こえなくなる。
雪でも覆われる。

だが、立谷川の流れとその音はおそらく、
日常も宇宙空間もすべてを包み込み、

四季どこにあっても、
ここに在る人に、真なる安息を与え賜うだろう。


この川の流れを耳にした刹那、

ワイフと二人、
ここ最近ではまずない真の安息なる気分に落ちた。

それは凪というのとはまた異なる、
他では味わうことのないものであった。


<山寺>。
文句なしの、"ディスカバー・ジャパン"認定である。




:::::



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JR山寺駅。昔なつかしい赤い郵便ポストが良く似合う。


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昨年来、旅先で最寄にアイコンとなり得る駅がある場合、
乗車券を自動販売機で買うようにしている。
駅名(地名)が入るからだ。


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山寺の参拝券。






posted by damoshi at 23:01| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

渋滞について



タイトルのママ、渋滞について、である。
どうしてもこれが納得いかないのである。

・大会での福島遠征

往路:田園都市から那須まで四時間半
復路:那須から田園都市まで二時間

いずれも拙宅間のドア・トゥ・ドアである。
その誤差、二時間半。


・旅:コスモロジー

往路:田園都市から山寺へ行く途中、
   東北自動車道の那須の拙宅最寄のICを
   通過したタイムが一時間半。
   (仮にここで降りていれば、
    一時間四十五分で到着した算段)

復路:那須から田園都市まで三時間半

その誤差、二時間。


この前者(二時間半)と後者(二時間)の合計、
四時間半が、人生と世の中におけるムダとなる。

四時間半あれば、
それこそ田園都市から山寺まで
道路が空いていれば
ドア・トゥ・ドアで行くことができるわけである。

とどのつまり<距離>と<所要時間>は
実際にはこの程度、ということである。

米とは違う。ニッポンは狭いのだ。
だから道路が空いてさえいれば、
田園都市から一気に異国の北の某まで
行くこともできるのである。

なぜこの世の中は、こんなにもムダを生んでいるのか。



*****



首都高速。

東名高速・大和トンネル
東北道・矢板IC
中央フリーウェイ・小仏トンネル

の問題児ビッグ・スリーを超え、
オールウェイズ最悪のスロードライビングを強要される
忌々しき高速道路が、首都高速。

否、実際にはこれは高速道路ではなく
ただの一般道。

信号がないのに、信号のある一般道よりも
さらにスピードは落ち、所要時間を多くされる。

田園都市並びに東名高速側及び世田谷ラインから
東北自動車道へのエントランスである浦和まで行くには、
それまでは渋谷を超えてさらに真っすぐ進んでから
六本木を超えて谷町JCTで左へ折れなければならなかった。

さらにそこからは忌々しき霞ヶ関を越え、
三宅坂JCT、竹橋JCTという悪夢を乗り切り、
西神田、早稲田、池袋を経て板橋JCTで折れ、
その後もまだ続く問題地点である滝野川や江北JCTを迎えて
東領家や足立入谷を過ぎてからようやく川口JCTを
最後の難関として浦和へたどり着くという行程だった。

その方法が、唯一の方法だった。

だから渋滞してもどうしようもない。

しかし今年、新たなルートが出来た。

東名と首都高の分水嶺である東京IC、用賀、
三軒茶屋という世田谷ラインを滑れば
池尻で<大橋JCT>が出現したのである。

これで渋谷、六本木、霞ヶ関などなどを経ずに
東北道へ向かうことができるようになった。

80年代後半の大学生時代に、
ダモシが一人暮らしで住んでいた初台。

当時から既にそのエリアの幹線道路である
山手通りは高速道路化の工事が始まっていて、
ニッポン帰国後に見た同じ場所でも未だ工事しているという
<何年やってる、何年!>という破廉恥な状態が
続いていたのだが、

それが、一つ、ようやく完成したというわけだ。

それこそダモシが大学時代だから
かなり昔から延々と工事されていたことになる。
アホか、と率直に感じたが、完成したならしたで
エリア的にも直接的な利益を得られることで
憤慨を収めていた。


通常、目的地へ向かうルートが一つしかない場合、
それが渋滞すればアウトである。

通常、そのルートがもう一つ出来たならば、
そこへ向かう車は分散して、渋滞しないor空くだろう
と考えるであろう。

だが、そう問屋が下ろさないのが東京の悪であり、
この世の不条理である。


新たに出来た<大橋JCT>で左に直角に折れる。
あとは渋谷エリアから一気に地下の近未来的な道路を
池袋まで走るわけだ。

要するに、渋谷→新宿→池袋を一気に結んでしまった。
地下を出れば板橋JCTがあり、
そこで東北道方面、関越道方面、東京外環方面へと
放射していく。


普通に考えれば大殊勲、MVP級ともいえる国の所作である。

これで大いなる改善が図られるだろう、と。
そう誰もが考えるのが妥当である。

ところが、そういかないのがまた理解できない。



*****



kosoku.jpg


これが東北道のエントランスである浦和を含む
首都圏の山の手側から見た図である。

書いている現在の渋滞状況が赤で示されている。
真っ赤である。首都高はしかしいつもこうである。
しかも今日はゴトウビである。混むのは当たり前。

記載した<大橋JCT>は最下部中央よりやや左。
そこから左が三軒茶屋や用賀など
ダモシ・ルートとなる。

<大橋JCT>で上へ進んで、図の中央に位置する板橋JCTで
右へ折れてから江北JCTでさらに左へ折れて上がれば浦和になる。

このルートだ。

以前までのルートは<大橋JCT>からそのまま右に進んで
谷町JCTで左、霞ヶ関を通過して三宅坂JCTで右へ、竹橋JCTを左、
西神田らを過ぎて板橋JCTへ行けばあとは新たなルートと同じになる。

現時点での渋滞情報を見ても分かるように
そのいずれのルートもオレンジからレッドのアラートが出ている。

つまり両方のルートとも渋滞しているということである。

なぜだ。

これが理解できないのである。

一つだけだったものが二つになれば、
分散して、そのおかげで車は減るはずなのだが、減らない。
実際、減っていない。

なぜなのだ、と。

その昔、夜や早朝など早い時間はルートが一つだけでも
今回のように空いている際の所要時間で
田園都市・那須間、あるいは世田谷・那須間を踏破できた。

だから空いていれば大差はないということになる。

その<空いている>時間の幅が、<渋滞している>時間の幅よりも
広がるべき状況が、新たなルートの構築であるはずだ。


冒頭に記載した今回の誤差。

那須から田園都市まで二時間だった際は、深夜に差し掛かる時間帯。
那須を21時半に出て田園都市に23時半に着いている。

田園都市から那須を通過した最速タイムの
山寺へ行く途中の時間帯は
田園都市を5時10分に出ている。

だから夜が更けたあとの時間帯と早朝ということになる。

これが一時間でも早かったり、一時間でも遅ければ、
一気に所要時間は二時間単位で増えるという結果である。

福島へ行く際、
既に東京ICの時点で混んでいた。

<これでは大橋JCTに着くまでに異様な時間を要する。
 降りよう。早周りしよう>とダモシは言い、

東京ICで降りて環八と甲州街道を経由して
かつて知ったる世田谷エリアの甲州街道ラインを経て
初台の前の幡ヶ谷から首都高に入り、
新たなルートである中央環状線に入った。

<ほら、抜けた。成功だ>と喜んだダモシだが、
池袋へ向かう地下道ですぐに渋滞が始まった。


<なぜだ!ルートが一つから二つになったのに、
 なぜ渋滞するのだ!>と怒る。

図にある中野長者橋あたりから滝野川まで延々と渋滞。

これには一つ、要因がある。

事故でもなく工事でもない渋滞の場合、
そして坂道やトンネルではない場合の渋滞時に
考えられる渋滞要因は、<車線の減少>。

この中央環状線。構造がまずダメだ。

下りのケースでは特に
池袋を過ぎたあたりで地下トンネルが終わると
唐突に車線が減少する。

これにはドライバーの誰もが泡を食うだろう。

まさに突然、唐突に車線が減少する。
それもトンネルが終わってすぐだから
対応できない人もいる。

さらにその先では、従来のルートから来ている車と
合流する地点がある。

<板橋JCT>である。

車線の唐突な減少と従来ルートからの車との合流地点。

これが渋滞を引き起こす要因になっている。

<なにをしとるのか、この構造は…>と嘆くダモシ。
<こんな構造、わざと渋滞させてるだろうが>と。


そして上がりでも問題はある。

スイスイ飛ばせたとしても
いずれにせよ地下トンネルである中央環状線。
これはある意味で危険だ。

ダイアナ妃の事故死のトンネルを想起させる。
暗い。妙に暗い地下道。

しかも首都高特有のカーブが連発する。

さらには<大橋JCT>に近づくにつれて
そのカーブは日光いろは坂並みになる。
クネクネカーブが高速道路のしかも地下の暗い中にある
という仕掛け。

これはワザとか?とさえ思える。

都度、稚拙なドライバーはブレーキを踏むから
危なっかしい。

しかもトラックが多い。邪魔で危険だ。

必然的にスピードは落ち、
最後、<大橋JCT>で合流する際も渋谷方面(右)へ行く車と
東名方面へ行く車(左)が、
それぞれオールウェイズ渋滞している首都高の渋谷〜池尻間の
混雑の輪の中に入り込んでいくことになる。

先頭がそうなると、地下内も既に渋滞が引き起こされる
という仕組みになっている。


<これでは意味がないだろうよぉ!>とまた怒るダモシ。

かくして、意味のない中央環状線と相成る次第である。

短縮になっていない中央環状線。
これは計画して作った国はどのように思っているのか?
構造上の問題が多すぎるぞ?と率直に言いたい。

国は,国民に意図的に渋滞のストレスを与えようと
しているのか? と。



*****


そして高速道路の渋滞要因で、多いものが事故渋滞である。

昨日の帰路、東北道はスイスイ走行だったにも関わらず、
この中央環状線で引っかかってしまった。

<なにをしとるのかぁ…>。
<おいおい、今日この時間、渋滞はあり得ないぞぉ…>と。

東北道を走り終え、浦和を出てそのまま首都高へ直進。
荒川をすぐに越えるわけだが、
荒川越えをする以前から既に車は止まった。

首都高に入ってすぐに渋滞が始まったのである。

図で見て頂くところでの新井宿から既に車は止まり、
本格的な渋滞が<東領家>から始まった。

道路上に表示されたサインは、
<事故渋滞 東領家→滝野川 50分>。

ふざけるなよ、と。

こんなもの、ものの三分である。

しかも、たいてい渋滞表示はウソが多い。
実際にはもっとその先まで渋滞していて
渋滞通過時間ももっとかかるのが通例だ。

案の定、劣悪なる渋滞80分を余儀なくされた。

いつも<事故渋滞>に遭遇すると思うことだが、
渋滞の原因を生んだ事故を起こした者は
その場に晒し者にすべきである、と。

その上で土下座させて、そこを通過する皆々様に
謝罪をするべきである,と。

ダモシは、事故現場を通過する際に、
そこに当事者がいれば必ず車窓を開けてどやしつける。


<こら!お前のせいで渋滞したんだぞ!反省せい!>

と。

首都高は、特に最悪で、
とても高速道路とはいえない速度でしか走れないのに
700円を徴収されるわけだ。

700円を返してくれ,と。

それが率直な気持ちである。


昨日。
ようやく辿り着いた事故現場。
そこを過ぎれば渋滞は終わる。

現場は運転席側とは反対。

と、ワイフが車窓をおもむろにオープンした。

当事者かは分からぬが、
そこには警官以外に、人がいた。

その人へ向かってワイフが叫んだ。


<700円、返せよっ!>。

警官とその人々はキョトンとして見つめた。

ダモシがバックミラーで、
ワイフがそのまま、
それらを視認すると、

その警官以外の人は、係員(作業員)であり、
当事者ではなかった。

ワイフはそれを知り
<あっ。作業員だった。間違えた。きゃはははは>
と笑った。

まあ、これはご愛嬌として、
いずれにせよ事故を起こして渋滞を生んだ者には
このボンクラが!と叫びたくなるものである。

その者が事故を起こさなければ、渋滞は発生していないのだ。

他人の貴重な時間を奪ったのみならず
700円をムダなスペンドとさせ、
さらにはストレスを与え賜うた。

この罪の大きさを当事者は理解しなければならない。

本来的には、
渋滞が終わるまで晒し者にして土下座の上、謝罪が筋だろう。



*****



とまれ、渋滞。

それはこの世の、ほとほと忌々しきムダ。

国を挙げてその解消に取り組まないと
この国の国民がリアルに欧米並みのヴァケーション
として精神的な豊かさを醸成することは
永遠に不可能となる。

それだけ渋滞というものは、大きなタスクであることを
理解する必要がある。

付け加えるとすればトラック。
輩がまた悪質だ。

急な車線変更、遅いくせに右側の追い越し車線を走る等、
破廉恥で不埒な所作がやたら多い。

ダモシの場合はそういう輩の仕掛けがあった場合、
即座に反撃及び倍返し並びに徹底的にイジメるが、

ただでさえサイズの大きいトラックである。
輩の居眠りや不埒なドライビングで
事故も多発していることを鑑みるに、

トラックに関する高速道路の走行規制も、
あるレベルでは必要であると考えている次第である。

差別ではなく、区別。

その上での<走行規制>。

これは不慣れで下手くそなドライバー、若葉マーク、
シニアマーク、大型バス、軽自動車、軽トラ、
そしてトラック&ダンプ含め、

する必要はあるのだ。

"普通に"運転できる者とそれらを区別する必要は、厳然と、在る。


また、渋滞の場合の<高速道路料金>返金等も
区分ごとに設定することも必要であると考えるところである。



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(一関市内にて)。


ローカルもローカルで、これまた
<なぜこんなローカルで…>と思えるほど
ニッポンは車が多い。

単に車が多いだけなら渋滞はしない。

ローカルの場合に見られる顕著な例は、

・地元の人々のスロー・ドライビング
・軽自動車が多い(女性の不慣れな運転が多い)
・なぜか地元なのに迷っている
・自分以外見えていないから、
 自分だけの道路かのように
 とろとろ&何かを探して
 ウルトラ・スロー・ドライビングをしている

などと共に、最たる例として挙げられるのが、

・左折寸前でのブレーキ踏みとウィンカー出し

である。

これがほとほと厄介である。

地元の人なのに、
なぜ左折する直前で急ブレーキを踏み
急にウィンカーを出すのか。

それがまったく理解できないのだが、
これは端的にローカルいずこでも見られる例である。
どこでも、そうだ。
どのローカルでもこれは見られる。実際に,見た。
それも複数、数多く。

<あぁ、ここもか…>と

山形、岩手を走っていて感じずにはいられない。

だから走るペースが遅くなり、
渋滞をも引き起こすのである。

引き起こしている本人は、己が運転で必死なのだろう。
だから悪びれない。
怒られてもなぜ怒られるのかが理解できない。

こんなだから、この国から渋滞がなくならないのである。






posted by damoshi at 14:01| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅:コスモロジー(2)



そもそも沖縄嫌いということもあるのだが、
どうしても島袋君が苦手である。

勝負の最中、ニヤニヤしているのが相容れない。
そもそも甲子園のグラウンドで
笑顔が増えたのはいつの頃からか。

爽やか。清廉。青春。
そういう言葉との整合性をとるためか、
甲子園に笑顔が蔓延して久しい。

苦手だ。スタイル的に相容れない。

タイプ的には中川君も苦手だ。

出来れば、沖縄と千葉ではなく、
神奈川と兵庫の決勝戦になって欲しい。

いずれにせよ夏連覇/春夏連覇という
<連覇>を許すようではいけないのである。
コドモや青少年の闘いの世界で常勝はあってはならない。
連覇を許すのは他が緩いからである。

一度覇権をとった者を徹底的に分析し、
その対策を立てて、続けて勝たせないようにする。
それでこそ切磋琢磨である。

それは、どんなジャンルでも同じだ。

アナライジング・ディス。

いずれにせよ、
どんなジャンルでも相手のある勝負ごとには
傾向と対策は必要になる。

分析である。

昨晩記載したジュニアの空手の年末の大一番。
その前に再来月には関東エリアの各都県の代表が集っての
合同稽古が開催されるという。

そこでビデオとカメラと双眼鏡をもってして
すべての対戦可能者を可能な限り分析して、丸裸にしたい。


相対する対象へ入り込み、そこで何かを感じ入り、
何かを得たり、理解する。

丸裸にできるほど接することができれば、すばらしい。

旅の根幹の一つは、そこにある。

だが、どんな対象でも、
思惑通り、それと触れても感じ入っても
丸裸にすることは容易ではない。

可能な限り、as much as possibleである。


旅:コスモロジー(2)は、
"ディスカバー・ジャパン"に認定の、<山寺>。


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*****


芭蕉はここで、詠んだ。
<閑さや 岩にしみ入る 蝉の声>という著名な句である。

芭蕉と曾良のスタチュや蝉塚、句碑など
ゆかりのアイコンが点在する。


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上が芭蕉、下が曾良。

幕府関係者のスパイとして、
伊達藩を探る男らしい凄みを漂わせている曾良。
その特徴を表す白眉なスタチュである。

黒羽(栃木)にある曾良スタチュは、
"犬神家の一族"のマスクマンが如きで
いささかも凄みを感じさせないただの随行者の風情だっただけに、
山寺の曾良はポイントが高い。


スタチュが屹立するは、未だ山門をくぐる前。

山寺は山門までの距離もあり、
山門から目指す頂上までも距離がある。

さふ。これは登山である。


そして、登っていくごとに閑さが染み入ってくる。
上に分け入っていくごとに静謐になってくる。
その天候と気温ではなく、心自体が涼しくなってくる。

そして時期的にフィットして、
登っていくごとに蝉の声がより染み入ってくる。

まさに、詠まれた通りの空間美が残っている。



*****


登山口から石段を登り根本中堂へ。

まずは登山口から。


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踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。

冨士に登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿、
同じ馬鹿なら登らにゃ損損。

山寺に"登る"ならば、笠。
それこそかぶらにゃ損損、というわけである。

バカになれ。


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これが"国宝"になっていないのが、理解できない。


登山口から石段を登れば間もなく
重要文化財の根本中堂。

通常の寺であれば、ここで終わりでおかしくはない。


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最初の芭蕉句碑がここにある。
下の写真左手に見えている石碑がそれだ。

860年、円仁開基の山寺立石寺。
のっけから登場するトップバッターがいきなりこれだ。

ブナ材を用いた建造物として日本最古。

"不滅の法灯"がここにある。

比叡山から立石寺に分けられた灯。

もともと比叡山で点されたその灯は、
やがて織田信長の焼き打ちに遭った延歴寺を再建する際に
ここ立石寺からリバースされた。

根本中堂を左へ進むと
前述した芭蕉と曾良のスタチュがある。

その間、日枝神社、宝物館、念仏堂、不浄門、鐘楼を経る。

既にコンテンツ満載で満腹となる。

<いやはや。未だ序章か…>となった頃、
山門が視界に入ると、その手前に茶店がある。

その軒先では、名物・力こんにゃくが100円で売られている。
山形の名物の一つ<玉こんにゃく>である。


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山門前で力こんにゃくを食す。
大きめの丸いこんにゃくが三つ串についている。
しょうゆ味。これに辛子をつけて頂戴する。

これが、驚くほど美味。
迷わず食せよ、食せば分かるさという世界か。

ほどよくそそる食欲。ほどよく小腹を満たす味。
この、ほどよさが、登山への力をつける。

食すダモシは、どちらかといえばベトナミーズか。

ここからが登山の本番になる。
寺院群のオールスターズ、パワーの集合体へと向かう。


続きは、(3)にて。



:::::


今宵の最後は、笠と句。

まずは笠。
普通に駅と登山口の間に並ぶ店で売られている。

大人と子供それぞれの大きさが適度だ。

yamadera3.jpg


山寺ではないが、昨日掲載した句。
平泉中尊寺でのもの。

yamadera2.jpg

隣にあるのは山寺で購入した芭蕉人形。


そして、山寺での句。

yamadera1.jpg

山寺の、今回におけるダモシの着地点。
それがこの句になる。


<空蝉の めぐる四季の音 たちや川>







posted by damoshi at 01:17| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

旅:コスモロジー(序)



未だ<おくのほそ道>道中だが、
今宵、ファイナル・デスティネーションの平泉から
折り返して那須に戻ってきた。

今回の旅のコンセプトである"コスモロジー"。

既に二年前に参拝済みの松島・瑞巌寺を除く
残りの三寺。

出羽路は山形の立石寺・山寺、
奥州路の平泉・中尊寺、毛越寺を
踏破することで得られる四寺廻廊。

円仁により、
四神相応にあたる風水、
地の相と勢に基づいて開かれた
瑞巌寺、山寺、中尊寺、毛越寺は、
地域横断的且つ宇宙的スケールで自然と調和する
"コスモロジー"な空間。

そこで発せられるパワー。
平易に言えば最近流行の"パワスポ"となるわけだが、
そういう物言いになると
ニッポン現代語がもたらす特有の軽々しさに劣化
してしまうわけだが、
パワースポットであることは間違いない。

奈良・京都、三重、和歌山などの近畿勢、
四国八十八ヶ所を擁する四国勢が
パワスポとしてはメジャーであるが、
"往けば分かるさ東北"とあえて言うとすれば、
それこそ松尾芭蕉の<おくのほそ道>における
日光路、奥州路、出羽路はそのメジャーをも超える
異種のオーラを放っているといえる。

今年、再訪を含めて
奈良・京都を歩いた。
そして今回、出羽路と奥州路。
直近で相対的に比べてみると見えてくる点が、
まず一つある。

端的な表現をすれば、それは、
奈良・京都は美男子である、と。
端正なマスクに端麗な肢体。

宮城・山形・岩手は逆に、
いわゆる美男子ではないのだが
雰囲気がある男。

顔がとびきり美男子というわけではないのに、
妙に格好いい男。
伊達であり、侘びと寂びが絶妙に交錯することで
醸し出される雰囲気が妙な男っぽさを
漂わせている。

そんな二極になる。

東北のそれらを"登って"みると
奈良・京都のそれらが
奇妙なほど"作り物"に感じられてくる。

宮城はもとより、
今回のメインである山形と岩手の、
おそるべき実力。

それを示す存在は多々あり、
そもそもコンテンツが異様に豊富な東北だが、
まずは(瑞巌寺を含めて)山寺、中尊寺、毛越寺の
四寺廻廊が、
"雰囲気のある伊達で、侘びと寂びが絶妙に交錯する
ことで醸し出される雰囲気をもってして、
妙な男っぽさ"を感じさせる男としての
分かりやすさを見せているわけである。

連載で、他のコンテンツとアイコン含めて
今回の旅をカルチュラルに掲載していきたい。

なにしろ昨日と今日、二日間だけで
撮った写真は、761枚。

"実力者"山形と岩手が提示する
夥しいコンテンツの数々に、
時を忘れてファインダーを覗き、句を詠み、
頭の中で描画し、共に往くワイフ&ジュニアと会話した。

今宵は、その序章である。

パワーをめぐる、明らかなる驚く事象が今宵、
起こった。

それを記載したい。



*****



ここで一句。

杉ならぶ 木立のぼれば 物見台
弁慶詣で 月見くだれば また弁慶
褐色大河眺むれば 福音如き蝉の声

平泉・中尊寺で詠んだ。

詠んだ句はすべて、
帰宅後、筆書で描画と共にまとめるが、
ここで詠んだ稚拙な句はどういうものなのか。

中尊寺。参道。
月見坂を登っていけば東に物見台。
西に弁慶堂がある。

西の弁慶堂から月見坂を下れば
国道沿いにその弁慶の墓がある。

東の物見台からは褐色の大河すなわち
北上川や衣川古戦場跡が
東北自動車道や新幹線の高架線路、
そして遠大なる緑の田圃が広がっている。

<北上川=褐色の大河>論はまた別項で記載するが、
いずれにせよそういう喩えである。

ちょうどその物見台に在る時、
ジュニアの空手の仲間の母親から
ワイフの携帯にメールが届いた。

それを見て驚いた顔をしながらワイフが
<これ…>とその画面を差し出した。

<どうした。何かあったのか>とそれを覗く。


081810c.jpg



*****



ジュニアの空手。
その大会には様々、ある。
既に掲載しているように。

オープンの全国大会や関東大会もあれば
クローズドのそれもある。
後者の場合は、主宰団体内のものであり、
前者は文字通りオープン。

スタイルにも
バチバチのフルコンタクトから
"お腹だけルール"や防具ルールなど各種。

ジュニア及び所属団体の基軸は、
・他流
・フルコンタクト
という、バチバチである。

以前は、大所帯の所属団体のクローズドの
大会に出る場合は、その団体のルールである
例の"お腹だけルール"に出場したり、
当時の特殊部隊員だけが出られた他流に出て
そこでフルコンタクトのバチバチ勝負をしていた。

新団体となってからは、
そもそもその新団体自体が
特殊部隊員のグループだったことから、
基本は、他流試合に乗り込んでの
バチバチ勝負を主としている。

時に、先般、準優勝した際の大会のように
"異種格闘技ルール"にも出る。

すなわち
リアル勝負の
他流のオープン&フルコンタクトのバチバチが
いつものルーティンであり、
それ以外のルールを総称して"異種格闘技ルール"
と呼んで区分けしているわけである。

そしてその他流のオープン&フルコンタクトの
大会も数多く存在しているから、
そこにはローカル大会もあれば全国大会もある、と。

前回参戦した福島でのそれは極真空手道選手権大会。

ローカル&クローズドあるいは
全国大会&関東大会、各地域(関西や九州)など
いずれも楽に勝てる大会は,当然ない。

その中でも、空手をそのスタイル(実力勝負)で
やっているコドモや青少年及び親が
相対的に多くの数として目標としているものがある。

それが当欄で"ニッポン代表"としているものである。
いわばそれは、高校生の野球選手でいうところの
<夏の甲子園>。

空手をしているコドモ&青少年にとっての
<夏の甲子園>。

それが、"ニッポン代表"たるALL JAPANの称号である。
そしてその称号イコール、
年末に行われるバチバチの空手の、
いわばリアル王者決定戦への出場権なのである。
それはすなわちプロレスでいえば
IWGPでありGIクライマックスであり
チャンピオンカーニバルである。

プロレスが分かりにくければ、
競馬でいえば有馬記念、もしくは天皇賞・秋。
どちらかといえば後者だ。

それでも分かりにくければ…
と喩えを考えるものの、
やはり最も分かりやすいのは<夏の甲子園>だ。

<夏の甲子園>だから、当然ながら、
通常のオープン・トーナメントと異なり
出たい選手が出るものではない。

一年間かけて各地域(関東や九州や関西)の
代表を選抜する予選大会及び
大会出場権を賭けたオープン・トーナメントを
勝ち抜いてきた強者だけが参戦することが出来る。

この夏の、ジュニアの
<全盛期のオグリキャップ並みローテーション>
における大会の中には、実は、
今年初めてそれにチャレンジするとして
その出場権獲得指定大会が二つ含まれていたのである。

そして、その二大会とも、
あと一勝すれば"ニッポン代表"というところで
判定負けに終わっていたのである。

旗揚げした初年度として、団体にとっても、
団体から"ニッポン代表"の称号を得る選手を
輩出したい。

それがその団体の評価にもつながるからである。
評価が上がれば習いにくる生徒も増える。
生徒が増えれば収入も増える。
俄然、正のスパイラルが生まれる。

だが、そう簡単に、その称号を得られない。
意識すればするほど、
あと一歩で得られない。

本人たちもそれが懸かっていることで
逆にプレッシャーとなり、本来の実力が発揮できない
ケースが往々にしてある。

前回の福島遠征で、紙一重のところで、
最後の最後でスタミナ切れと思しき
不可解な<動きが止まった>事象で敗北したジュニア。

そこで、もう、残された指定大会と予選に
出ることを選ぶのはやめた。

それだけがすべてではないからである。

目指してはいたが無念、
今年はそれが足りなかったのだ、と。
他の大会で頑張ろう、と。

その、いわゆるIWGP、否、天皇賞・秋、否、
<夏の甲子園>で優勝してこそ、
ある意味で、リアル・チャンプともいえよう。

むろん<夏の甲子園>で負けても、
<国体>や<明治神宮野球大会>で優勝することも
ものすごいパフォーマンスだが、

コドモの、青少年の、フルコンタクトの
バチバチの実力勝負のナンバー1決定戦として
その<夏の甲子園>が、相対的ヴァリューがある
ということは、一つにはいえるわけである。

そんな背景がある。

かような事情やストーリーがあった。

そこで迎えた、一句である。

その一句に至ったメール。

そしてそのメールは、その後の、旅の行程
〜既に旅の終わりに差し掛かっていた頃合い
 だったこともまたタイミングが良過ぎたが〜
でも、心ここにあらずといった様相を与え賜うた。



*****



ダモシは、メールを覗き込んだ。
そして黙ってワイフと顔を見合わせた。

<なにごとか…>と。

それは、
何とジュニアの"ニッポン代表"選出を
祝福するメールだったのである。

この夏の二大会であと一歩で破れたジュニア。
いずれの大会でも、関係者との間での話では、
ジュニアに勝った相手が
<既に他の大会で代表権を獲得している選手>
だったということで、

その選手に、ほぼ互角という敗北ということで
ジュニアは選出されるのではないか?
という希望的観測が存在していた。

優勝しての代表権獲得を至上課題にしていた
ダモシは、
それには多くの意識は持たずに
ただただ優勝を目指していた。

そして破れた。前回はその負け方が認め難いものだった
ことで、ブチ切れたわけだ。

そしてもう、忘れていた。
"ニッポン代表"の件は、<終わったこと>
として折り合いをつけていた。

そこに、まったく予期せぬ知らせ。

中尊寺境内にこだまする蝉の声が
福音として届いたわけである。

知らせを受けたあと、
弁慶堂へ詣でて、
月見坂の途中にある茶屋で
わんこそばを食してから、降りる。

中尊寺駐車場に駐車していたダモフィーロへ。

すぐにMacを取り出して、ネットをつなげる。

その代表権獲得者リストを見るためだ。

すると、本当にあった。

最終的には47人(各都道府県)になるのか分からぬが、
神奈川県代表としてジュニアの名が、
全体の25番目に載っているではないか…。

<〇〇さんの言う通り、入ってるぞ!>。

ダモシが叫んだ。
ファミリー三人で大喜びである。

平泉・中尊寺は、忘れ難い福音の場となった。


081810b.jpg



*****



これには伏線がある。

多くのそれが、ある。
糸はほつれてしまうと
その修復に時間を要する。

その一方で、
歯車は噛み合うと、存分に噛み合うことがある。

コスモロジーでもある。
目に見えない何かが作用するケースがある。


そもそも。

ダモシ自身のオフィシャル事案でのトラブルが
先月中旬からあった。

なかなか難儀するトラブル。
何度か交渉を重ねる。

そして、
初動段階で設定した
誰もが望む<最高のゴール>があった。

交渉の前面に立つダモシは、
懸念する仲間に言った。

<最高のゴールを目指して、
 出来る限りのベストは尽くす。
 目指すゴールへ到達することを、目指す>

と。

普通のことである。

ゴールがあり、そこでの最高の結果があるならば、
それを目指して出来る限りのベストは尽くす。

それをして、結果がどうなるかは
ある意味で時の運。

まずは、出来る限りのベストを尽くせるかどうか。
そういう努力をするか否か。

した。
最大限の努力を、した。

結果、月曜の大団円に至り、
こうして旅に出られたわけだが、
当初の予定では既載の通り、旅は日曜から。
しかしそのトラブルがあったことで、延期した。
火曜日からに延期した。

デスティネーション及びエクスカージョンの
現地の天気。

日曜日から予定通りに行っていれば
最悪の天気になっていた。

しかし火曜日からの現在の旅では、
これ以上ない最高レベルの天気となった。

そしてノン渋滞。

田園都市→山寺間は、四時間でドア・トゥ・ドア。
平泉→那須間も、三時間でドア・トゥ・ドア。
(高速のICからICではなく、
 出発地から到着地までの総合時間合計で)。

ハイペースという、理想的な展開。

山寺も、何もかも、
コドモにとっては<飽きる/つまらない>世界観も、
ジュニアにとっては
ダモシに怒られる修行である。

山寺も最後まで登り切るのは
コドモにとっては飽きてくる苦行であろう。

<こういうのを、最後まで登り切ること。
 それが心身の修行だ。
 一つ一つ、最後までやり通すこと。
 それが空手にも他のことにも生きてくる>

と、ダモシの説法が、登山中、入る。

彼もまた踏破した時に、
日常では得られない何かを得られているのは
間違いない。

顔を見れば、よく分かる。


そして今朝。

これも旅としては別掲載で触れるが、
岩手県のある渓と川。

それを下っていったある地点にある物。

ここで不可思議な現象が起こったのである。

<うん玉>。

小さい軽石のような玉を、
向こうの岩にある小さな穴を狙って投じる。
見事、その穴に入れば願いが叶うというものである。

やれば分かるが、たいてい入らない。


081810a.jpg


共に舟に乗りここまでやってきた
老若男女、誰一人、何度投じても入らない。
ジュニアもワイフも届きもしない。
たいてい届かない。川の向こうにあるそれに
おいそれとは届かない。
なにしろ投じるそれは軽石のような重度と
文庫本と比較すれば分かるくらい小さいものだ。

むろん、穴も小さい。

周りで人々が見ている中、
玉を手に穴を見て、投じる準備をしているダモシに
ワイフが言った。

<本気でやってよ>。


さふ。

ダモシが"本気"でやればたいてい上手くいくことを
既にワイフは知っている。

だが、ダモシは、めったに"本気"にならないことも
知っている。

本当に何とかして欲しい時や
本当に成功させて欲しい時には
ワイフはそう言うのだ。

<本気でやってよ>
<本気で頼むよ>

と。

ダモシも言う。

<おう。本気でいくぜ。入れるぜ>

と。


この時、不思議なほど力が抜けていた。
野球のスローイングで
力みなく、しかし、それでもその位置まで
軽く投げたら届かないぞ?というレベルで投じた。

放物線を描いた玉は、
まさに文字通りこれぞ
<吸い寄せられるかのように>
小さい穴のど真ん中に吸い寄せられていった。

玉が手から離れた瞬間に既に
入ると確信していたダモシは、
入る前に既にもう右手を高々と上げて
一本指を出していた。

<入ったぁっ!>
<すごーいっ!>
<おおーっ!>

と歓声が上がれば、
ワイフ&ジュニアが
ふだんはめったにない"父親賛美"で
大歓声をあげて尊敬の眼差しをダモシに向ける。

ノン渋滞の中、力みがまったくない中で
スイスイ四時間で辿り着いた山寺に始まり、
異様なほどの物事の正のスパイラル。

これがコスモロジーなのか、と。

しかも全行程、地図なしナビなしで、
まったく迷うことなく地元の山道や農道をも
スイスイ走るダモシ。

地元ナンバーの車が
ローカル特有のスロー・ドライビングに加えて
いわゆる観光ランドマーク付近では
地元ナンバーでさえ右往左往しているのを尻目に
抜き去り、迷いなく右か左かを進んでいく。

<地元民より道分かってるし…>と笑うワイフ。

ダモフィーロにも何かが乗り移ったのか。
ダモフィーロもダモフィーロで、
歴戦のキャリアで
甲斐国その他を走破していることで得た
アドバンテージを、

ダモフィーロにとっての地元:ホームである
東北に来て、
さらに水を得た魚になったのか。


081810d.jpg


081810e.jpg



*****


"ニッポン代表"になったことが発表されたのが
日付を見れば火曜日のことである。

既に山寺にいた頃には発表されていたのだろう。

直接的には、
うん玉がものの見事に入ったこととは
結びつかないし、

中尊寺にいた瞬間に決まったわけでもないが、

すべてが連鎖しているのは間違いない。

ワイフは決めつけていた。

<やっぱり、アレよ。
 あんなに見事な入り方、あり得ないよ。
 本当にあれは吸い寄せられるように入っていった。
 あれが入っていなければ、
 こういうことになっていないのでは>

と。

むろん、時系列で見れば
そういうことにはならないが、

山寺にせよ、うん玉にせよ、中尊寺にせよ、
連鎖しているのは間違いないのだ。

それはコスモロジーである。


*****


<ワッペンが欲しい…>。

ジュニアは負けて泣いていた。
そして、それが欲しいと感じていた。
だから努力もしていた。

ワッペンとは、
"ニッポン代表"だけが道着につけられる証である。

10月に、
その代表選手だけが集い
合同稽古と大会打合せが行われるようだ。

そしてその場で、ワッペン授与式も行われる,と。

本番は、11月。
ところは五輪が行われた国立代々木競技場。
舞台も大きい。

ダモシは言った。

<ワイルドカードだな。
 ワールド・シリーズでは、
 ワイルドカードが強いんだよ。
 あの時のフロリダになろう>

と。

ワイルドカード。

すなわちそれは
メジャーリーグで、
プレイオフに進出する第四の男。

東、中、西それぞれの地区一位と、
全体の二位の中での最高勝率の4チームが
プレイオフ〜リーグ・チャンピオンシップ
そしてワールド・シリーズへと
進むわけだが、

ワイルドカードというアンダードッグが
ワールド・シリーズを制する可能性も大いにある。

実際、ジュニアが生まれた2003年は、
ア・リーグを制したニューヨーク・ヤンキースが
ナ・リーグをワイルドカードから勝ち上がって
プレイオフとリーグ・チャンピオンシップを制して
ナ・リーグの覇者となった
フロリダ・マーリンズに破れた。

ワイルドカードというポジションが
よけいな力みなく、
(一度あきらめていることからくる)
チャレンジャー精神のモメンタム向上と
失うものは何もないという
当たって砕けろ精神が
もっとも図られやすいのである。

ダモシは言った。

<優勝するぞ>。

<俺たちが、誰よりも失うものは何もない。
 俺たちこそ、当たって砕けろでいける>

と。

とりわけ、
対決できなかったスーパーヘビー級や
同型タイプの破れた相手へのリベンジ等、
ここでこそ勝てば良いわけだ。

スーパーヘビー級対策は着々だ。

本番まであと三ヶ月。
対同型タイプ、対ヘビー、対スーパーヘビー
すべてのタイプの対策を立てよう。

ワイルドカードによる
ゴー・フォー・ブロック(当たって砕けろ)。

これがその大会のコンセプトになるだろう。



*****



旅カテゴリーの寄稿としては、
いささか趣が異なる風ではあるが、
これもまた旅である。

次回の寄稿からは、今回の旅を、
余すところなく、
<ディスカバー・ジャパン>認定として
連載したいところである。



:::::


081810f.jpg

山寺修行のダモシ。


081810g.jpg

ジュニアもお揃いの帽。





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