2011年02月27日

東京マラトン



今宵は、東京マラソン。
参戦した後輩の応援に出かけてきた。

帰宅後にちらっと観たそのテレビ中継は、
"観て一秒"で激怒する内容だったため、すぐにチャンネルを変えた。
語るのもバカバカしいフジテレビ。触れるのはやめておこう。

一つ言えることはフジテレビは特に、
大相撲の八百長云々を語る権利はないということだ。


*****


前夜、

<半蔵門のTFMから新宿寄りで想定している>と
ダモシから後輩へメール。

しかし、そこはコースに入っていないことが分かる。

<半蔵門は通らないようだな。「飯田橋1」を過ぎて、
「西神田」で右折して「専大前」交差点で靖国通りとぶつかり、
 それを越えて「竹橋」へ向かうようだから、
 駅でいうと神保町駅で降りていって
 『専大前』交差点(靖国通りとぶつかるところ)を過ぎてすぐ
 右側に集英社があるが、そのあたりにいるよ。
 だいたい7km経過地点くらいだな。スタートは9:10だよな?>

と追記する。

<竹橋あたりは9時40分過ぎですかね…。
 竹橋あたりはスタート間もなくなので、
 たくさんの人だと思うので、
 見つけられなかったら、すいません>とレスが届く。

東京都庁をスタートして九段下/神保町エリアを通過して
竹橋あたりであれば、未だ10kmにも達していない。

だから、ランナーがばらけず混雑状態なため
目当ての後輩を見つけられる可能性も低くなる。
後輩もダモシ軍も互いに見つけられなければ
せっかくの応援も悲しいものとなる。

そうか、とダモシ。

<よし。見つけられんと悲しいから品川にした。
 品川の15km折り返し点あたりにする。
 そのあたりなら10時10分〜10時半頃通過だろう。
 追跡できたらゼッケンで追跡しつつ。
 いずれにせよ品川で声を張り上げるから!
 では、おやすみ!GOOD LUCK!>

と送る。

後輩は、ダモシ軍が本当に応援に来るということに
いささか驚いていたようだった。

<本当に来るのです?>と。

"口だけ"と思っていたとしても致し方ない。

なにしろ彼はダモシ及びダモシ軍に
何度も痛い目に遭っている。

わざわざニューヨークのダモシ宅に来たのに、
来た日からダモシ&ワイフはマイアミへ出かけ
<留守と猫を頼む>とやっている。

それ以外にも、多々ある。

後輩は昨年11.28のアントニオの大会に応援に来てくれた。
その男気に対して
ダモシ軍は<東京マラソン、行くぞ>と男気返しを約束した。

だが<ニューヨーク留守番事件>と、
己が到着したその日に
ダモシがキドニーストーンズで救急搬送される等、
彼の中ではダモシとダモシ軍は
顔を見て逢うその瞬間まで油断がならない存在になっている。

そしてダモシもこういう性格だ。

行くからには、最も目立ち、
彼に気づかせ/彼に気づき、
めいっぱいの応援をしなければ気が済まない。

<応援するという目的を果たすぞ>という気概は、
ひっそりとではなく
何が何でも気づかせ/気づき
直接、声を張り上げるぞということである。

実際に"行く"ということが目的達成ではないのだ。
"行く"という/"行った"という事実が残れば良い
ということでは絶対に納得しないわけだ。

オフィシャル事案で08年夏のニッポン復帰以降、
かつて知ったる品川。

しかもニューヨーク時代の東京出張の際の定宿の地で
かつて知ったる品川。

東京マラソンの<折り返し地点>でもある。

相対的に沿道に人が多い品川が、必然的に選ばれたわけである。

品川駅高輪口へ出てR-15へ。
既に大勢の人が沿道を埋め尽くしている。
ひと目見て誰もが分かりやすい<沿道では人が多すぎて観られない>
というシチュエーションが既に出来上がっていた。

先頭集団は既に折り返し地点を旋回している。

<彼は10時15分から45分の間に来るだろう>という読み。

携帯で追跡するが、沿道を目指している時点で
混雑しているのか接続が出来なくなっていた。

<ちっくしょう!つながらないぜ>とダモシ。

群衆で埋まる沿道の中で、エアポケットがあった。
ドリンク・コーナーである。

アントニオの空手大会その他でのイベントで
自然に関係者的に"乱入"する術を得ているダモシ軍。

すかさずドリンク・コーナーへ。
まさにここは特等席。

<大群衆の沿道なんぞで応援できるかいな!>とダモシ。
もはやアントニオの空手大会に近い
セコンド的なモードになっている。

<何が何でも見つけるわ。ちゃんと見てるから大丈夫よ>
とワイフも頼もしい。


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東京タワーを借景に走るランナーたち。
LIVE(現場)では、
タレント云々やテレビ局のブックは忘れられるし介在し得ない。

ただ目の前にあるものだけが、耳目と心に入り込んでくる。


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このスペースこそ、唯一の特等席。
ここにいなければ、まずもって
<気づく/気づかれる/気づかせる>ことは不可能だ。

ワイフが第一発見者となる。

想定の範囲内での時間に後輩が来る。
彼の様子からもダモシ軍を探していたことが分かった。

ワイフが叫ぶ。

<〇〇ちゃーんっ!>

アントニオが叫ぶ。

<〇〇ーっ!>

アントニオにとっては
ダモシの友だちは皆、己の友だちになっている現状。

そしてダモシがひと際大きな声で叫び、手を振る。
アントニオの空手大会でのセコンドのように、
俺がついてるぞ、と。

<〇〇ーっ!>

ちょうどそのヨコに歩道橋があった。
折り返し地点は
ダモシ軍と後輩が逢うことができた位置から
品川駅の方へ数十メートルある。

彼が折り返して銀座や汐留方面へ向かい走るのは
R-15の反対車線側だ。

<歩道橋を渡って向こうに行くぞ!>

ダモシの声がけに走るダモシ軍。

<歩道橋を降りたら右に回れ。駅側に、
 ドリンク・コーナーがあるぞ。
 またそこに行こう!>。

同じくドリンク・コーナーがあったが、
今度はそこへ入らず、
そのドリンク・コーナーと歩道橋の間の
わずかな空間がエアポケットになっていることを発見し、
そこへ陣取る。

<もう来るだろ>

すると後輩は、まだダモシ軍が同じ位置にいると思っていたから
走ってきた車線寄り(センターライン)を走りながら
ダモシ軍がいた位置を目で追って探している。

<あっ!〇〇ちゃんだっ!>と気づいたワイフとアントニオが、
大声で<〇〇ーっ!>と叫ぶが、
大都会の広い国道沿いであり
大勢の人がいる空間ゆえに聞こえない。

完全に手遅れ寸前という段階で、ダモシが出た。

やはりアントニオの空手大会での、
分水嶺時に発する
最大声量の叫びを発した。

その声には、(<気づけよーっ!>)というパッションも含まれていた。

<〇〇ーーーーーーーーーーっ!>。

野球だなんだで
何度も己がその名をダモシに呼ばれた後輩は、
その声に気づいて、ドンピシャでダモシ軍のいる位置を
振り向いた。

気づいた後輩に、ダモシは拳を振り上げ、

<〇〇ーーーーーーーーーーっ!>と再び絶叫。

すると後輩は、
斜め後ろに他のランナーをよけながら戻ってきて
ダモシ軍のところに駆けて来た。

アントニオと握手する後輩。
ワイフ、ダモシとも握手。

ダモシは声がけする。

<〇〇っ!行けーーーーっ!>。

その声に〇〇は、ものすごい勢いで駆けていった。


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後輩が駆けていった後。落ち着いて撮る。
これでは普通に立っていては、気づかない/気づかれない。

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ダモシ軍のように、
特定の誰かを応援して声を張り上げていた人はいなかった。

おそらく普通にこの人たちはマラソンを、
東京マラソンを観よう/応援しようということで
こうして早くから沿道にやって来て最前列を確保するなどして
長時間過ごすのだろう。

<じゃまくさいなぁ。何なのだ?こういう人たちは>とダモシが言うが、
ダモシよりはオトナなワイフは言う。

<マラソンが好きなのでしょ>。

空手の大会でも運動会等でも
コドモ絡みのイベントでも場所争いは出てくる。

ダモシの感覚では、
己はコドモに関係のないときは
最前列やその場を離れるべきではないのか?
ということになり、

ダモシ自身はそうしているのだが、

一般的/相対的に
それが出来ない親・関係者が多い。

己が身内や関係する者とは無関係の者が
いままさにLIVEでやっている中でも
最前列などを譲らない者が多いのが実情で、

ダモシ的にはこれが不思議でならないのだ。

運動会などティピカルな例だが、
己がコドモがやがて登場するから、
登場するずっと前から良い位置をキープしておく
という発想なのだろう。

だが、それはやはりデリカシーがない。

直接的に応援する相手がいて、応援したいとき、
それが出来るスペースが無関係な人によって
占められているというのは、
ダモシ的にはフェアではない。

ある意味で完全入替制ではないが、
そういった線引きは必要なのではないか? と。

そういう環境を社会的に自然に個々のデリカシーで
整備できないから、
ダモシはこうしてゴリ押しして
何が何でもという手段をとらざるを得なくなるわけだ。

人が多くて場所がないから後ろからでも
ひっそりと…

ということに甘んじることはできない性分だからだ。

まあ、いい。



*****



後輩は結果、3時間25分23秒でゴール。

5kmごとのラップが
最後まで6分差以内だったから、ペースが落ちなかった。

膝を痛めていたこともあり、
タイム的には本人としては完全納得は出来ないだろうが、
LIVEとして応援したダモシ軍には
彼のパッションはしっかりと届いた。

アントニオの奮闘が、彼に届いたように。

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アントニオにとっても良い教材となったことだろう。

己が一生懸命闘う姿を見ることで
彼にとっても刺激となったことだろう。

帰宅後、ダモシとの特訓も二時間に及んだが、
自ら積極的に稽古に取り組んでいた。

アントニオも、一週間後の大会で、
応援に来てくれる同級生に対して
何を見せられるか。そこもまた重要になる。

そこにはダモシのまた別の友人も来てくれる。

応援に来てくれる人に対しての教示。
何を感じさせるかというフェーズも、
アントニオは学んでいっている過程であり、

闘いというものは<勝った負けた>がすべてではない
という原初的なイズムの理由もそこにあるわけだ。

むろん、応援に来てくれる同級生の女子自身も
アントニオのそれを見て
<勝った負けた>だけで判断しては成長はない。

LIVEで何を見せられるか。LIVEで何を感じて得るか。

それが両者ともスイングできるとき、
そのLIVEは最高のものとなる。

決して、フジテレビが提供する堕落した作り物とは、
それは相反するものであり、

それこそがストロング・スタイルである、と。

東京マラソンのフジxAKB秋元より、

雲泥の差で

小学一年生のアントニオの空手が
それを教示できる自信は、ある。

ダモシxアントニオの特訓は、火曜と土曜。
道場での最終追い切りは木曜。

今週は、アントニオは友だちとの放課後の遊びは
一切ナシになり、
戦闘モードへと入っていく。

そしてダモシはダモシで
己がオフィシャル事案での
オールウェイズ、マスト・ウィン・シチュエーションで
"頑張る"云々は当たり前のことだが、

一つの事案の勝負へ、特にこの三月は戦闘モードである。

睡眠不足に、朝から東京マラソン応援外出、
家具の再組み立て作業に大掃除に空手特訓で
もう這々の体だが、

今宵またこれから未明までオフィシャル事案となる。


頑張っているのは、"秋元"だけではないのだぞ?

ほとほと、馬鹿にするなよと言いたいところである。



posted by damoshi at 23:36| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

徒然徒然サタデー



民主党、あるいは菅政権。
これがそろそろ、もうダメだというところまで来た。

ダモシも民主党及び"スッカラ菅"政権には
既に<詐欺師>認定しているが、
そもそも、当欄にも当時書いたように
小沢vs.菅の代表選の際に小沢支持だったからして
<ほれ見ろ>といった感じである。

小沢が好きか嫌いかではない。
ダモシ型はまず小沢型に与すことはあり得ない。
例えば上司部下である場合、
ダモシのような人間は小沢型人間の下ではまず無理だし、
小沢型もまたダモシをコントロールすることはできない。

そういう好き嫌い/合う合わないは別として、
政治家及び政権、首相(トップ)という部分では
<とにかく一度、小沢にやらせてみてほしい
 =小沢でなければもうダメだ>という
レベルになっていたわけだ。

ところが小沢を選ぶ度量が、国民にも民主党にもなかった。
そこが大きな失敗の始まりだ。

既に自民党で延々と失敗していたにも関わらず、
せっかくの民主党も失敗した。

ダモシからすれば、まず足下の
・高速道路の完全無料化
・コドモ手当満額支給
が「ほぼ無理だ」となった時点で激高したわけだが、
それが今や「そんなこと言ったっけ?」という世界にまで
成り下がっている民主党及び政権。

・脱霞ヶ関

も同様。

おまけに

・増税

ときた。

もうここまで来てしまっては
彼らはただの<詐欺師>軍団である。

何はさておいても
<国民生活が第一>というスローガン堅守や
マニフェスト堅守を掲げる小沢派を支持するのも当然となる。

対霞ヶ関にしても、ある意味で小沢のような
ゴリ押しの効く者でなければ、ほぼ無理だ。

そもそも民主党が掲げたスローガンやフィロソフィーは、
ゴリ押ししてでもパワーでやるぞという
根底での覚悟があったはずなのだ。

その覚悟がもはや消失した。
それならば、もう退散すべきである。

<ごめんなさい。出来ませんでした>と退散し、
評価はすべて<成果主義>として断罪され、
成果ゼロとして関わった期間の給与は返納せよ。

イマドキ、一般大衆でさえ一部では成果主義だ。

特に国民の税金で己が糧を得ている政治家は、
今後、成果主義にすべきだ。

ダモシが政治に関わる運動をするならば、
<政治家はすべて成果主義>を打ち出すだろう。

どれだけ国民のためになることを成し遂げたか。
そこ以外、政治家の評価基準はない。
その達成したパフォーマンスの対価として
国民から税金で糧を賜る。

そういった根本的なフィロソフィーなくしては、
なんびとも政治家たる現在の存在たちは
すべてが偽善者であり詐欺師であると断罪する。

<政治家>あるいは<大臣>その他の肩書き。
それが欲しくて日々活動しているとしか思えないのだ。

谷亮子しかり、だ。
谷とて、武道・格闘に属する柔道において
素晴しいパフォーマンスをしてきた長い年月が
ある意味で"台無し"になったことに本人がどれだけ気づいているか。

欲がくらんで、ヒトとして道を追求してきた凄みを
すべて台無しにしてしまった。

視察や選挙応援や会議出席等を重ねている中で、
<仕事をした気に>なっているのではないか?

谷に限らずだが、
夜な夜な酒を呑み会食をし、
コメンテーター顔負けの勝手な口だけ論をぶって悦に入り、
パワーバランスでの党内闘争を繰り広げ、
結局はサラリーマンの社内出世競争と同じ世界に陥り、
<国民のために>という業務内容のメインに

どれだけ実働タイムをもってして臨んでいるのか,と。

政治家。
この種類の人種に対しては
同じ日本人として情けない想いを
抱かざるを得ないところである。

<マジメにやっている議員もいるのだ>
<国民のためにこんな成果を上げた>というならば、
それを誰でもひと目見て分かりやすいように
発信しなければならない。

特に民主党は、発信能力も欠けている。
そしてバラバラだ。
仮にスポーツのチームであれば、
今の民主党チームはまったく話にならない。
勝ち負けになるレベルのチーム力も皆無だ。

所属議員の誰もが<大臣>などになりたくて、
それになるためには己が属する政党を
政権政党にしなければならず、
その一点のみで利害が一致した
そもそもは不一致な人々が
選挙の際にとりあえず<和>を演じて
ていよく勝って政権をとった。

だが、政権をとってみれば案の定、
権力争いが起こり、
それはやがて派閥間闘争になり、
といったふうに、お決まりのパターンを示している
といった具合か。

要するに民主党とそこに属する政治家こそ、
相撲を超越した究極の八百長をしたわけであり、
さらには希代の詐欺師集団だったということになる。

<まだ始まったばかりではないか>
<時間がかかるのだよ。
 自民党のウミを出して改革するには>
というオトナぶった意見はもう結構。

真の改革や維新は、
<勢い>と<ゴリ押しするパワー>が必須だ。

民主党にはもう、そういったモメンタムは皆無だ。

名古屋の河村氏にはモメンタムがあった。
この違いは、分厚い差となっているわけだ。

チュニジア、エジプト、リビアも
内容やレベルは異なれど、
根底にあるものはモメンタムだ。

なにごともモメンタムは、
ゴールを目指して闘う上での
不可欠の最重要エレメンツの一つだ。

フィロソフィーやストラテジーがバラバラ、
タクティクスはもともとなく、
ゴールも既にバラバラであるばかりか消失し、
モメンタムは発生しようもないという、救いようがない状況である。

あのとき、"スッカラ菅"に小沢が勝っていれば、
まったく違っていたはずだ。

<国民生活が第一>というスローガン、イコールそれが
ゴールであるべきはずだった。

それをゴールに、ただただ邁進すれば良かった話なのだ。

<ゴールを決めて、それに向かって邁進する>。
こんなことアナタ、イマドキ幼稚園児でも出来るぞ?



*****


さて、皆様は今週一週間も忙しく過ごされたことでしょうが、
どのように過ごされましたか?

そして月〜金でどのような食生活を送られたか
記憶されていますか?

今週のダモシの食生活を、
大枠での一週間と共に振り返ってみたい。

政治家のように夜な夜なグルメで高価なものを
召し上がることは出来ないが。


(月):::::
拙宅の己が事務所仕事部屋で
終日オフィシャル事案のデスクワーク。

合間にIKEAへ出かけ、
ワイフが欲しがっていたタンスと、
アントニオの殿堂としてのリビングボードを購入。
五万円近くスペンドしてしまった。
大きいためダモフィーロで運搬はおろか
自宅に運び入れることはダモシ一人では不可能なため、
デリバリーを頼む。

昼:外食(ファミリーレストランで)
  レストランでハンバーグ・ライス

夜:自宅(ワイフ手料理)
  イタリアン風のチキン料理/ライスx二杯/サラダ

就寝3:30AM。


(火):::::
朝からオフィシャル事案で横浜市の動物園へ。

昼:外食(動物園内レストランで)
  塩ラーメン/アメリカンドッグ

金沢八景から一路、京急に揺られて
オフィシャル先の品川オフィスへ。車中、爆睡。
品川で打合せやデスクワーク。

夜はオフィシャル事案での打合せで
そのまま品川の宮崎日南料理の店で会食。

夜:外食(宮崎日南料理店で)
  ビール〜宮崎の焼酎をボトル一本
  炊き餃子/宮崎地鶏ほか。
  炊き餃子の後、その鍋でそのままラーメン。

オールモースト終電タイム。
拙宅最寄りのコンビニへ立ち寄り、お弁当を購入。
帰宅して入浴後、深夜にまた食す。

深夜:コンビニ弁当
就寝3AM。


(水):::::
朝からオフィシャル事案で品川へ。
品川オフィスで終日、打合せやデスクワーク。

昼:外食(品川オフィスの食堂で)
  豆腐ハンバーグ定食/ご飯普通盛り
  シャケおにぎり一個/お味噌汁/コロッケ

21:30帰宅。入浴後、食事。

夜:自宅(ワイフ手料理)
  豚丼/ニラ玉炒め

就寝3:30AM。


(木):::::
朝からオフィシャル事案で永田町で打合せ。
終了後、移動して、オフィシャル事案の関係者の
入院先の病院へ見舞う。
午後、拙宅オフィスに戻り後、昼食。

昼:自宅(惣菜等で)
  簡単にご飯x二杯、納豆、コロッケ、
  白身魚のフライその他

木曜のこのあたりはもう疲労が滲み出てきている。
疲労は,足に来る。だからすぐに分かる。
あぁtoo muchだな、と。

昼食後、デスクワークに戻ろうとしたら、
IKEAで買ったものが届いているということで
<タンスだけでも>やってしまいたい
というワイフの要望で組み立てにかかったところ、
これがまた難儀で難儀で疲弊した。

4PM前にデスクに戻る頃にはもうクタクタ。

夜:自宅(ワイフ手料理)
  ご飯x二杯、鳥の唐揚げ、イカフライ、
  カボチャ煮物、がんもどき

比較的この日は、軽めである。
軽めだった分、未明に小腹が空いてきた。

深夜:菓子パン("円盤")

この"円盤"。ベストセラーだろう。

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高校時代、高校の食堂で売っていて、
しょっちゅう好んで食べていたものだが、
今もなお、存在し続けている。
甘さのバランスとパンの柔らかさがちょうど良いのだ。
これは菓子パンの名品といえよう。

就寝3AM。


(金):::::

疲れも完全に増している。
だが、この日の夜はオフィシャル事案での飲み会が入っていた。

就寝が遅いのはもとより、毎晩未明まで結局、
オフィシャル事案件を行っていることで疲労が増える。

移動の電車内での爆睡モードは苛烈になる。

朝からオフィシャル事案の品川オフィスへ。
打合せ、デスクワークが続く。

昼:外食(品川オフィスの食堂にて)
  担々麺xふた玉/シーチキンのおにぎりx一個
  肉団子(三個入り)

  そのランチの後、
  女性から「ちょっと残ってしまったので食べてください」
  という巨大な五目おこわを頂戴する。

  それを食せば、さすがのダモシもお腹がパンパン。

この日は7PMから汐留でオフィシャルな飲み会があったが、
品川オフィスを22:30まで出られず
参加費だけ前払いしていた上で、残念な欠席となった。

一人だけ同じオフィスにいた
他のオフィシャル事案関係者と二人で
<時間も時間だしメシ食って帰りましょうよ>と誘われ、
打合せを兼ねて品川の居酒屋の門をくぐる。

夜:ビール中ジョッキx四杯
  刺身盛り合わせ/いかげそ/肉豆腐その他。
  最後のご飯モノでヘヴィーな焼き肉炒飯を。

火曜に続きオールモースト終電で帰宅。
珍しくその時間帯まで起きて待っていてくれたワイフに
小腹の空いたダモシは携帯メールを送付。

<カップヌードル、たしか、あったよね?>
<あるよ>

就寝3AM。


といった具合だ。


そして今宵、土曜日。
昼はワイフ手製の生ラーメンとハムカツにご飯x二杯。
夜は豚トロとカルビで焼き肉に、ビールを軽く一杯だけ。

<完全なる肉食派><炭水化物王>的な様相は、
米国時代から一貫して続いている傾向ではある。

酷い日は、
昼は品川の食堂でカレーライスと天ぷらそば、
夜は焼き肉というケースもある。

今週だけで見ても<肉>を食べない日がない。
肉を食べない日がないどころか
深夜のそれを除いたところでの
月〜土の昼夜合計12回の"食事"のうち
<火・水・木の昼>の3回以外、すべて肉が登場している。

オフィシャル事案で食事を共にする際に、
他者からは既に大食漢であることは
普通の認識として持たれているが、

よく言われることとして
<奥さんに言われませんか?食べ過ぎだ、と>ということだ。

ワイフも時折、
<食べたいものを食べたいだけ食べるのは、やめた方が良い>
<すこし食べる量を減らした方が良い>と言うものの、

そこにリアリティが欠けていて、

提供する量がそもそも多く、
例えばパスタなどにしても
店ならこれ三人前だろという量を出してくる。

ダモシが笑うと、
<もう感覚が分からなくなっているから>と笑う。

そしてダモシが食べ終わるかお代わりか?という
分水嶺にあるとき、問うてくるのだ。

<もっと食べる?>ではなく、<もう食べないの?>と。

そう問われれば、食べるだろうよ、と。

且つ、さほど暴飲暴食をしているとは思えないのだが、
いかがであろうか?



*****


今週末こそ、土日とも仕事をするなんてことはやめよう。

そう昨晩(金曜の夜)、決めた。
今宵の土曜日は一切、しなかった。

朝、9AM。
アントニオの声がする。ダモシを起こす声だ。

<ダディ!もう始めているよ>という。

微睡みながら想い出した。
<あ。今日は土曜日か。あ、殿堂を組み立てるのだった>と。

朝から、寝起き十秒後には力仕事に取りかかるダモシ。

<午前中で終わらせよう>と意気込む。

<起きてすぐ、よく出来るね>とアントニオ。

<俺は寝起きは良いのだよ。
 起きて十秒後に空手も出来るぞ?>とダモシ。

だが眠い。だが身体の疲労感は抜け切っていない。

タンス同様に難儀した殿堂。
ニューヨーク時代も当地のIKEAで殿堂を購入し、
そこにスポーツ関係のグッズを入れて展示していた。

今や殿堂は、アントニオのトロフィーやメダル、写真用になる。

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2mを超える高さの殿堂だが、天井ぎりぎりで入った。

ちょうど昼頃に組み立てが完了し、ランチ。
ランチ後に陳列を始めた。
まだ終わっていないが、夜にはある程度、形にはなった。

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殿堂の外右下に見える青いファイルは、賞状ファイル。
アントニオの大会での賞状がすべて収められている。
かなりの枚数になっている。

殿堂の中を増やそう。一緒に頑張ろう、と話し合った。

これまでリビングのウォールは、
アントニオ関係が支配していたといっても
・ニューヨーク系
・アントニオの
 米でのバースサーティフィケートやフットスタンプ
・空手系
・タレント系
などなどの写真やメモラビリアで分割されていた。

それを統一しよう、と。

前述した賞状も飾りたい、と。

そこでリビングの壁のメイン部分はすべて
空手関係の賞状と写真にしようと変更した。

022611e.jpg

左側奥へ続くウォールは空けてある。

タレント系の先般の合格証書やスタジオ撮影写真は、
いずれも逆側のウォールに揃えた。

そして今までリビングのウォールに最も多くあった
ニューヨークの写真、ニューヨーク時代のアントニオの写真はすべて
玄関のドアとリビングを結ぶスペース
(ダモシ軍は廊下と呼んでいる)のウォール一面を支配するように
レイアウトを変更した。

ニューヨーク系はまだまだこれから作業である。

ニューヨーク系の写真でウォールが埋められるスペースの
左右にアントニオの部屋とダモシの仕事部屋兼個室があるわけだ。


同じ部屋でも、ベッドルーム、リビング含め
タイミングと時季節でレイアウトを変えたり
テーマを変化させることで
また新たな感覚をそのスペースに与え得る。

その際、ポイントになるのは、
同じ部屋でも
それまでよりも<広く感じる>ことである。

広く感じる/すっきりした

にも関わらず、その時季節に合致した
己が心理的便益を満たす風に彩りを変える。

それが大切なことなのではないか、と。


今宵は、夕方には二時間みっちりと
アントニオと空手の特訓。

先週末から
ダモシxアントニオのスパーリングにおける
ダモシの打撃の強度を意図的に増した。

今宵も、二分x2Rを
アントニオにとっては
当然ながら道場でのお兄ちゃんとのスパーリング以上の
打撃強度をもったダモシと闘っている。

引き続き<今のアントニオは強いよ?>状態をキープしている。

彼自身の体調も最近は不安が減少している。
このまま、文字校正でいうところのイキママ、
競馬でいうところの<そのままーっ!>で進められれば
よりベターである。

はっきりと、他の小学一年生の空手選手が
やっている以上の受ける打撃強度の特訓はしている。

ダモシは言う。

<半年後、同じ道場の上級生の中でも
 苦手な人相手でも、勝てるようにしてやる>と。

さらに前回の大会までの内容に、
レベルアップしたフェーズでの練習をしている。

疲労困憊な中だが、
必ず勝ち負けさせてやるという強い強い覚悟をもって
臨んでいる。

それがダモシのレスポンシビリティ。

オフィシャル事案も、
己がレスポンシビリティは徹底的に追究する。

それはプライベートでも同様だ。


ダモシが強度を増して打撃をアントニオにしている分、
ダモシもまたあえて彼の100%のそれを
素で受ける。

だから、身体も痛くて痛くて、眠いし眠いし、
となってしまうわけである。

いつまで受けられるかな、と考える時、
彼の現在の打撃の強さで鑑みれば
あと二〜三年かな…とも、ちょっぴり弱気になることもあるのが
実情ではある。



*****



動物の写真をもって最後としたい。

今週、初めて出向いた横浜市の金沢動物園にて。

哺乳類とその分類である哺乳綱に属する
四本足の動物は、どこかホッとする。

キリン、バッファローやバイソン含む牛系、
カンガルー、ウォンバット、シカなどなど、だ。
綱としては同じ哺乳綱に属する猫が
そもそも好きだからかもしれない。

のほほんとした顔で気持ち良さそうに微睡み、
四本足を折り畳んで横たわっている姿はたまらない。
やる気のなさそうな、眠そうな目もまた良い。

そんな動物たちが多いのが特徴の動物園だ。

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このボケーッとした感じが,良い。

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立てばカワイイ、マーラも春の陽気にダラダラ。

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ウォンバットもたまらないポスチャーで眠っている。
気持ち良くてしょうがないのだろう。

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"動物園の優等生"キリンの、トロンとした目も良い。


明日は後輩が出走する東京マラソン。
朝から応援に出かけるダモシ軍。

午後、戻り、アントニオとまた空手特訓。

そして夜はオフィシャル事案と流れていく算段である。

来週は火曜日にまたファシリティを貸し切っての
大会直前追い切りでの特訓を行う。

現在携わっているオフィシャル事案の一つの、
最大のピークは三月めいっぱい。

ちょうどその三月。
来週末からアントニオの空手大会での<春の三連闘>や
ヒップホップの発表会とビジーとなる。

それぞれがひと段落した三月末に、
まずは春の大団円として旅に出たいところである。



皆様におかれましても、良い週末をお過ごしください。




posted by damoshi at 01:55| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

梅と菜の花



啓蟄は来週末、
アントニオの空手大会がある日がちょうどその頃合い。

それまで少し早いが、既に春の足音は確実に聞こえてきている。

春の代名詞の一つでもある菜の花。
そして春手前の二月〜三月の象徴的な光景の一つ、梅。

今年最初のそれを今宵、目にした。


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花の陥穽に自ら取り込まれる蜂。
互いに予定調和と理解しつつの構図。
"人情相撲"の一種でもあろう。

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間隔が空きすぎたため、少しだけでも掲載。

とにもかくにも、ODな最近であり
肉体疲労と頭脳疲労が著しいところであるが、

むしろそれよりも
<時間>がダモシ時間に追いついてきてくれないことが
最大の問題となる。

だから今宵も電車内で一時間完全なる爆睡に至るわけだが、
電車内という睡眠空間は
今は特に貴重である。

むろん、一服の清涼剤として花もしかり。



posted by damoshi at 02:14| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月20日

フェブラリーS



諸々オフィシャルな事案に時間を要し、
今年最初のケイバタイムスの予想が遅くなってしまった。

めぐり合わせでのビジーだが、ニッパチの二月なのにビジーという反比例。
しかし、例えば国内でも消費力がトップクラスの横浜港北エリアは、
まさにニッパチの法則は無関係。
どの複合型ショップ店内も駐車場も常にいつなんどきでも超満員。

いやはや、である。

もはや過去のニッポンで見られた<閑散期><繁忙期>という
時節的な観念は既に失われているのだろう。
それは<ウィークエンド>x<ディークデイ>の
人混みの差別化も失われ、
今や観光地一つとってもウィークデイの方が
かえって人が多かったりするという

どのジャンルにおいても線引きや壁、境界線といったものが消失し、
悪い意味での"なんでもあり"になっているともいえよう。

ダモシ自身は、物事に対する考え方が、
実際の自身の行動や選択とは異なり、
コンサーバティヴな保守層ともいえる部分が多いのだが、

特に物事に対する<線引き>は重視する。

それは、やりたいことややるべきこと、
あるいは、やらなければならないこと、
さらには「ロール」(役割)と「レスポンシビリティ」(責任)。

これらは明確にして、きちんと線引きすることでこそ、
個人の道程しかり組織の人員しかり
合理的且つ戦略的に進められると常に考えているわけである。

実際にはすべてが合理的に進まないのが、人間という生き物の性である。
そこには心があり、個々の感性もある。
それを包含したところでなお、それでも特に<線引き>は重要である、と。

己自身のことは己自身が決められるが、
例えばそれが組織となった場合は、
それぞれのロール(役割)とレスポンシビリティ(責任)を
すべてに対して明確にして、分担し、<線引き>することこそが、
各自のモチベーションにつながる。

だから大事なのである。

競馬で、騎手がいて、調教師がいて、調教助手がいて、厩務員がいて、
オーナーがいて…といった具合に、
それぞれはそれぞれの領域でロールとレスポンシビリティを持つ。
それぞれは、それを果たせば良いだけの話だ。
その領域を超越したり逸脱したりすれば
リアルな意味での<和>も乱れる。

プロ野球で、オーナーが現場に口出しするケースが最たる例。
監督が過剰なまでに組織づくりに関わってしまうケースもしかり。

それぞれのロールとレスポンシビリティさえ果たせば、
そしてそれを果たせるように
明確に線引きすることさえできれば、

初動段階におけるマスト・イシューは一つクリアされ、
勝ち負けできるように仕立てていく戦略立ても可能になる。

何よりもまずは<線引き>は、大前提で重要なこととなる。

それは競馬の予想においても、恋愛においても、
出るコンペティションを選択する作業においても、
企画製造する商品のディテールを選ぶことにおいても、
クリエイティヴにおいても、

すべてに通じてくる。


*****


唐突に二月に一つだけ存在するG1、フェブラリー・ステークス。

時期的なものと共に、
それがダートであるという点から、
いささか予想する側のモメンタムも高まらないのは否めない。

やはり、どちらかといえば一月、二月は雌伏の時で、
三月の春の足音の時節から〜否、少なくとも二月でも梅が咲く頃から〜が
そろそろ動き出すという感覚はある。

いわば、それは啓蟄。

啓蟄の頃より前の今の時期は、コドモの空手に関しても大会には出ない。
(一月に、一つ出たが、それは新日本プロレスの東京ドーム大会のノリで、
 二月とはまたムード的時節は異なる)。

やはりその時期〜二月〜は雌伏の時間で、
春の足音聞こえる三月からが本格化という世界である。


*****


ダートの中央G1で考えれば、
このフェブラリー・ステークスという不埒な時期に行われる
レースに対して、きちんと標準を合わせてきたかどうかは
特に重要だろう。

他の時期のそれとは異なるからだ。

本来的にはモチベーションもモメンタムも構築させるのは、
難しい寒い寒い時期。
しかも二月下旬といえば、待ち遠しい春(三月)が近いことから
人の心も<さっさと冬よ去ってくれ>とそわそわしてくる頃合い。

だから特に、ここ照準の場合、正月も普通に走っていたような、
冬眠をしていない馬が狙い目になると考えられる。

実績がある馬の中で、
年末に走り、そして冬眠せずに一月下旬も走って
いずれも勝ち負けしてきた馬。

フリオーソを筆頭に推す。

力的には本命と目されるトランセンドは、
冬眠を挟んでしまっている。その点が懸念材料となり、
フリオーソに一枚譲る。

二番手に挙げるのは、
冬眠をしていないどころか
昨年九月から毎月走っていて走り詰めにも関わらず
その六戦すべて勝ち負けしているダノンカモン。

一月末にフェブラリー・ステークスと同じ
東京コース/ダートを踏んでいるのはポイントが高い。
(距離は異なるが)。
しかも昨秋には距離も同じ1,600mを走っている。

そしてコスモファントム。
こちらは芝ながらも新年最初の金杯からエンジン全開。
さらに驚いた次のAJC杯にまで出走。
芝の馬だが、ダート1,700mで勝っている経験もある。
フェブラリー・ステークスは、スタートが芝。
この点も好材料。最近のモメンタムからして外せない。

フリオーソ◎
ダノンカモン〇
コスモファントム▲

本命トランセンドは注

残るは△二頭。

ここでちょっと気になるライブコンサートをピックアップしたい。

芝の馬で、ダート適性は不明。
ダートでの勝利経験はない。
だが、デビューから二戦はダートだった。

そして何よりも

・ここ近走のデキの良さ
・距離が最適のマイル
・今日の馬場は必ずしもダートダートしていない(大雨の影響)

という点から、無視すると危険な香りがするわけである。

昨年、夏場四ヶ月の放牧休養を挟んで、
GIIIの芝マイルで二着、G1マイルCSでも芝マイルで五着、
冬眠せずに年明けのGIII京都金杯/芝マイルで三着。
年齢的にも最後の覚醒を果たすなら、ここしかない。

△でピックアップ。

最後の△。

遡上にいるのは、

マチカネニホンバレ
シルクメビウス
セイクリムズン
バーディバーディ
オーロマイスター

の五頭。

人気のセイクリムズン。
これはマイルは持たないだろう。
モメンタムの面では秀でているが、近走の勝ち負けすべて
1,200m〜1,400m。

マイルを走ったのは生涯でたったの一度で、
しかもそれは二年前に遡る。その時は七着惨敗。
1,600m以上に範囲を広げてもその次走での芝1,800m(十五着)のみ。

調子が良く人気なのも分かるが、厳しいと判断するのが妥当だ。

ここはバーディバーディを選択する。
五〜六〜四〜三着という昨秋以降の成績。
勝ち負けするにあと一歩だが、
確実に何かが弾ければ勝ち負けのレベルになる位置にはいる。

師走のG1、JCダートがその基点になった気もする。
あのレースで十番人気ながら四着し、
その流れで年末の東京大賞典で三着。
2,000mまでの中距離をこなせる上、
ダート1,600mでの持ちタイムもトランセンド、フリオーソに
大きくヒケをとらず、出走馬中で最上位クラスに位置する。

ここはピックアップだろう。


◎フリオーソ
〇ダノンカモン
▲コスモファントム
△ライブコンサート
△バーディバーディ
注トランセンド




posted by damoshi at 15:22| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

ケイバタイムス開幕



早くも、といった感じか。

有馬記念で2010シーズンが終わり、正月を迎え、
新年で新たに何かを誓った人もいれば、
今さら誓わない人もいるが、いずれにせよ年が明け、
その新たな年である2011年が始まったのだが、

既に二月も下旬。

早い。光陰矢の如しである。

齢、重ねた我々<俺たちの時代>にとっては
年々、時が経つのが早くなる。

子供がいれば、子供の成長の早さに比例して、
否、反比例か、加速度的なスピードで
親である我々は、年老いてゆく…気がする。

人生は酷だ。

子供の成長と、大人の退化が重なるからだ。
逆に、退化及び老化しない大人は異常ともいえる。

子供の進化のスピードに負けぬよう、
刺激を受けつつ、退化のスピードを緩やかにすることが
出来ることの先決になろうか。

退化はいずれにせよ、抗えない。

退化というよりもむしろ、消耗だ。

少々の前後はあるが<40年>という年月は、
確かに我々人間を消耗させる。

あとは個々の根本的体力や基礎生命力、
そして日々の意識や感じるストレス、肉体的消耗の
度合いによって、それぞれ異なるが、

使い減りしていないからといって健康体ということも言えない。
ヘヴィ・スモーカーでも元気モリモリということもある。
或る日とつぜん、超人のような人でも死ぬ。

すべては、運命という名の、
何者かがあらかじめ設定しているストーリーのもと
我々は日々を送っているのか、未来を描いているのか。

そう考えてみると、物事のみならず、人生、生命すべてが
ブックでありアングルであり
検察がごときストーリーであり
大相撲がごとき八百長であるともいえまいか。


継続なったケイバタイムス。復活してからフルでの2シーズン目が始まる。

二月のこの、今週末のフェブラリー・ステークスから
年末最後の有馬記念まで。

メンバーの誰一人として欠けることなく、
最後の有馬記念まで出来ること。


これが、主宰者としての最大の願いである。

俺たちはまだまだ大欅の向こう、なのだから。



posted by damoshi at 23:46| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月17日

蛉返り


枝野官房長官が定例会見で
ロシアの主張に反論する形で
<ロシア高官が何を言おうが、
(北方領土が)我が国の領土である歴史的、
 法的地位はなんら揺らがない>と述べたらしい。

ニッポンの政治家は、"定例"という名のもとの
ムダな会議や会見がお好きのようだ。
そして、そういう場でしかハッキリ主張を言えなかったりする。

直接言えないわけだ。要するに。

上記の発言も、本来はロシアに対して直接言うべきで、
直接言えないのであれば、言動としての効力は何ら発生しない。

直接、言う。フェイス・トゥ・フェイスで真摯に話をする。

この当たり前の重要なマスト・イシューが出来ない者が多過ぎる。

直接、顔を見て、話をするために、福岡へ飛んだダモシ。
日帰りのビジネストリップである。

今宵、ヘトヘトである。


*****


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朝五時台に起きて六時半前には自宅を出ている。
朝五時台や未明に起きて出かけるのは、
昨冬の大阪ナイトメアでの大阪遠征以来か。

一路、羽田へ。

道路が想定外で空いていたせいで、
普通に空いていれば、ものの三十分でドア・トゥ・ドアで着く羽田へ到着。
搭乗時間まで間がある。

早めにチェックインは、恒例のスカイマーク。安さがウリだ。
だから満席だ。いまどき、法外な価格のANAやJALに誰が乗るかいな、と。

特に羽田〜福岡間はスカイマークがあることは大きい。

福岡。
ここもまた大阪と並び、急に行きはじめたエリアだ。

福岡に関しては渡米以前を入れても
ぬり絵の旅で未踏の地だったのだが、

一昨年初夏の九州縦断の旅(鹿児島へ入り、レンタカーで北上)、
同じく一昨年秋のビジネストリップ
(福岡で入り唐津がデスティネーション)に続き、

ニッポン復帰以来で三度目の訪問となった。

前二回はいずれも福岡(博多)に逗留。
だが今回は、日帰り。

前二回はいずれもレンタカーだったが、今回は、
初めて福岡空港から地下鉄で市街地へ出た。

毎度思うが、福岡のアドバンテージのひとつは、
空港〜市街地中心部の異常なる距離の近さである。
地下鉄でたったの二駅、三駅の世界である。
世界中を見渡してもなかなか大都市圏でこれは難しい。

シカゴなどは遠くて遠くて酷かった。
ロンドンも、近いとはいえない。
ニューヨークはまだ、マシな方である。
成田を基軸とした場合の東京は世界最悪。

<羽田>がパーフェクトに第一国際空港になれば、
東京は一気に、世界の大都市の中でも
市街地中心部との距離の近さではトップレベルになる。

ずっと昔から、
羽田こそ第一国際空港にすべきと論じていたダモシとしては、
良い流れになっていると認めるところである。
それだけ、何度も経験した成田は劣悪な位置関係にあるということだ。

羽田に早く着きすぎたことと、空腹を覚えたため、
朝七時台に既に崎陽軒のお弁当を食した。

往路。着席したとほぼ同時に目を閉じて爆睡。
離陸したことは知らず、
着陸した際の衝撃で目覚める始末。

苦手な冬ということもあるだろうが、
とにかく最近は電車でも何でも乗り物に乗って座ると
すぐに爆睡する傾向がある。
それも目覚めるのは必ず到着した際。
その間、目覚めないわけだ。

きっと、サウンドを立てているだろう。

急いで市街地へ出てランチをかきこむ。

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"博多名物"だという(真偽は知らぬが)<かろのうろん>へ入る。
打合せ場所のすぐそばに、たまたまあったからだ。

<ん? かろのうろんって何だろう?>

店先のメニュー表を見ると、どうやら<うどん>屋さんのようだ。
店内は狭いが、完璧な和テイストで統一されている。
気の良いおばちゃんがいる。

<ごぼう天うろんの大盛りと、かしわおにぎりね>。

何か分からぬが注文するダモシ。

旨い。旨いが、いささか味が薄い。
ピザもタバスコをかけて辛く,濃くする。
ダモシ的には薄いが、それでも旨いのは確かだ。
麺も少々、つるつるしている。

(味も、麺も、少々の違いはあるが、
 とりたてて特殊な感じはしないが…)と
訝しがりながら食すダモシ。

たまらず、ミドルエイジの女性店員に声がけした。

<あ、すいません。わたし初めてなのですが、
 この、"かろのうろん"というのは何ですか?
 どういう意味が…>

すると、そういった問いに慣れているのだろう。
その女性はテキパキと回答した。

訛って、"かろのうろん"になる、と。
要するに<角のうどん>。

店は実際に"角"にある。
角にあるうどん屋さん、ということのようだ。

お腹一杯になって、打合せへ。
打合せを終えて博多の氏神、総鎮守である櫛田神社へ参拝。

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福岡のまつりの象徴である
祇園山笠、博多どんたく、博多おくんちすべてと絡む。

ここに奉納されている博多祇園山笠もまた、迫力あるものだった。

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駆け足で戻る。福岡空港で"とりてん"(鶏肉のてんぷら)を食し、
いつものごとく
空港では虐げられているために場所が最端の
スカイマークのカウンターでチェックイン〜搭乗。

アメリカのように飛行機は発着とも遅延するが、
ダモシはそんなこと知る由もなく
着席直後に目を閉じると、次に目覚めるのは羽田に着陸した瞬間
という有様。

復路もまた、強烈なるサウンドを発して眠っていたことだろう。

往路も復路も満席。
皆々様、ほとほと、人が多過ぎるわな、と。
どこもかしこも人が多過ぎるよ,と。


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羽田空港駐車場で待っていたダモフィーロ。


*****


飛行機に乗る際に、いつも感じることがある。

なぜ皆、飛行機に早く乗りたがるのか,ということである。

搭乗口で待つ。
搭乗時間がやってきてアナウンスが流れる。

<混雑緩和のため、20番から後ろの座席の方から>云々。

ハンディキャッパーや乳幼児連れが最初に乗るのは通例。
その後は、座席番号が後ろの人から乗る。
これも当然だろう。合理的だ。

スムーズに乗るのではなく、着席させるための方策だ。

だが
<それでは15番から前の座席の方、どうぞ>云々の
アナウンスが流れて、前の座席の乗客が
乗り込んでいく際、

必ずといって良いのだが、スムーズに乗ることができない。

それどころか人間渋滞になっていて、
さっぱり機内に辿り着くことができない。

しばし、待たされるのである。通路で。

<後ろの者から乗せた意味がないではないか>と
いつも不機嫌になってしまう。

<ふぅ…>と。

<なぜ、ここで止まるかなぁ…>と。

結局は、先に乗った連中の動きが緩慢だから、こうなる。
さっさと己が座席の上に荷物を入れて
ぱっぱっぱっと己が座席にとにかくインしろよ、と。

それをせずに、だらだらと何度も位置を変えたりして
荷物を置いている上に、
遠慮なしに通路に留まりながらその作業をするから
どんどん入ってくる人が詰まってしまうわけである。

一人、こういう輩がいるだけで渋滞になる。
自動車の高速道路と同じ仕組みだ。

止まるなよ,と。さっさと機敏に動けよ,と。

ほとほと、そう言いたくなるわけだ。

機内に入る際、アナウンスが始まる前から立ち上がって
多くの人々は待っている。

なぜ、そんなに早く乗りたいのか,と。
心理的なものなのだろう。
乗ると決まっている乗り物がそこにいる以上、
さっさと乗りたいと思うのだろう。
その割りには乗った後、座るまでの所作がスローなのは、なぜなのか。

降りる際も、そうだ。

誰もが落ち着きなく、ベルトを外し、
ピンポーンの合図がなると
まだ出られないにも関わらず
立ち上がり、荷物を取り出したりしてそわそわする。

そして降りるためのドアが開いて
アナウンスが始まるのを立って待つ。

なぜ、そんなに早く降りたいのか,と。
これもまた心理的なものなのだろう。

もう着いたのだ。だからさっさと降りたいのだ、という。
だが、これもおかしなもので、
降りたら降りたで機内を出ると
とろとろとろとろ歩き始める。

あんなに早く降りたがっていたのだったら
さっさと歩いたらどうだ?

と言いたくなるわけだ。

たいてい飛行機に乗ると、不機嫌になるのは何故なのかと
考えてみたが、

結局はこういうことに対する
<まったくもう…>という感覚が発生するからだろう。
ひとつには。

トロイのが大嫌いなのだ。とどのつまり。
チェックインの際も、その後の荷物検査なども。
他人の動きがすべてスローに見えるのだ。
実際に、スローだから、おそらく不機嫌になるのだろう。

いつも、(<さっさとしろよ…>)と感じる己がいる。

その場の、最たるものが空港といえよう。


博多。

蛉返りには、もったいない地である。

だが、今宵は蛉返り。文字通りの。

蛉返りというのもまた、別の意味でたいへん疲れるものである。








posted by damoshi at 01:49| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月15日

雪のショコラ



雪のヴァレンタイン・デイとなった。

ガチンコ・チョコをもとに展開される男女にとっては、
クリスマスには雪は降らないが
たいてい二月のこの時節には降る首都圏において
舞台は整った夜になったことだろう。

否。もはやデートする男女すら減っているらしい。
蔓延するのは八百長ショコラか。
ジュリエット・ビノシュは何処へ。


アントニオはまた今宵、チョコ受け取りを増加させた。

まったく羨ましい限りである。

朝。
ワイフが委員の関係で
アントニオと共に登校。

その登校路でのこと。

遠くに、クラスメイトの女の子がいた、と。
どうやらアントニオは彼女を避けているようだ。

<早く行こう>と足早に歩くアントニオ。

と、その女の子とグループがアントニオに気づいた。

<あっ!アントニオ君!アントニオ君ったらぁっ!>

<待ってよぅ!>

<アタシ、急いで行くから待ってよぅっ!>

と叫ぶ。

(げっ…。気づかれた…)とアントニオの顔には書いてある。

なぜ避けるのか。

その一つには、
ワイフと一緒だったこともあろう。

母親と一緒に登校してきているところを
その途中で見られたことの気恥ずかしさが
そうして女の子を避けるポスチャーに至っていると
考えられる。

もう一つは、その女の子のことを
本質的に避けている可能性。

追いついた女の子は言った。

<ねぇ。アタシ、チョコレート買ったのよ。
 アントニオ君に。でも学校に持ってきちゃダメだから、
 今日,帰りにお母さんが学校の外に持ってきてくれるの。
 あげるわね、チョコレート>。

まったく、齢、いくつだよ、と。
マセているどころではないのではないか?

エリア特性か?
このあたりの女の子はマセているとも考えられる。

さらに聞こえ伝わってくる話。

<〇〇ちゃんが、
 アントニオ君にチョコレートを作った。
 今日、家まで渡しに来るらしい>。

そのコのことはダモシも知っている。
マセていることはパッとひと目見て誰もが分かる。

既に色っぽくて、艶っぽくて、ポスチャーがオンナだ。
顔の表情も腰のくねり方も
既にオンナを武器にしているのが、分かる。
そんなコだ。

そのコなら、アポなしで、突然、家に来かねないぞ?
とダモシも懸念する。

<どうするのだ?来たら。あがってもらう?
 お茶でも、と>

とダモシが提案すると、ワイフは即座に言う。

<一年生がお茶なんか飲まないから、いいの!>。

ワイフとしては同じ女としてジェラシーか?

放課後。

アントニオが他の友だちと共に校門を出ると、
そこで待っていた朝の女の子が
駆けて来た。

そしてチョコレートを手渡した。

アントニオはハニかみながら、
即座にそれを革ジャンの下に隠した。

帰宅後、他のクラスの男友だちとスケボーで
遊ぶために、公園へ行くと出かけたアントニオ。
ワイフも一緒だ。

その途中、"彼女"と一緒に並んで歩く〇〇ちゃんに遭遇した。

"彼女"は〇〇ちゃんに言う。肩で肩を軽く押す、
促しのポーズをしながら。

<ほら。〇〇ちゃん、チョコレート作ったんでしょ?
 あげないの? アントニオ君にあげないの?
 あとで家に行くの?>。

〇〇ちゃんは、艶っぽく腰をひねりながらも、
口ごもり、その場を去っていった。

ワイフは言う。

<まったくもう!今からオンナしているのだから!>。

いやぁ、困ったものである。
ダモシも授業参観や運動会その他で
学校へ行き、同じ小学一年生を見る機会はあるが、

仮にダモシが、そういったコに
ガチンコ・チョコレートをもらったら、
ドキマギしてしまうだろうなぁ、と想像できるほど
カワイイ/キレイ/オンナ
しているコがかなりいるのが実情だ。

決してロリコンではない。

そういうことではなく、
既に小学一年生レベルでもオンナはオンナであるということだ。

そしてコドモ時分は、オトコよりも圧倒的にオンナの方が
先鋭的でマセている。

昔からの、これは通例である。生物的な/生理的な、ものなのだろう。

ダモシは、
ディナー後にチョコレートを頬張り得意げなアントニオに言った。

<俺に惚れたら火傷するぜ、くらい言ってみたらどうだ?>。

アントニオは<キョトン?>として、
ダモシをバカにするように一瞬、見た後、言った。

<シ〜ン…>。

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むろん文字部分はモザイクを入れているが、
きっちりとハート・マークも描かれているのが見える。

いやはや…。


*****


にわかにダモシ家とダモシが騒がしくなった。

ワイフは笑ってアントニオに言う。

<遂にダディにも届いたよ。ダディが嬉しそうだよ>と。

ダモシは言う。

<へっへー。オレももらったぜ。しかも、とびきりのやつをな。
 あっげないよー!>。

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皆が食べたがっている。
だから致し方なくワイフとアントニオにもあげた。

ダモシはひとくち食べた瞬間、叫んだ。

<ん? こ、これは、旨いっ!>。

素晴しい味。お世辞抜きの美味は、富良野産。
北の某国のスペシャルなヤング・レディからの贈り物。
チョコレート・スペシャルで、<ケーキ>だ。

女性ながら、彼女は立派なダモシ・イズムの継承者だ。


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これはある意味で、
"ブック"や"アングル"ではなくガチンコである。

リアルに言うならば、
これはジャイアント馬場の、先般、昭和プロ格で記載した
あの名言

<プロレスはシューティングを超えたもの>

に該当する。

この微妙な差異は、
ダモログのスマートな読者諸兄ならお分かり頂けることと
ダモシは信じられる。

それが分からない人は、おそらくダモログは読んでいないだろう。

そして、とどのつまり
アントニオがもらったチョコレートも、

ワイフとアントニオ、その他の父兄諸氏から
空手道場の館長がもらうチョコレートと異なり、

すべてが
<プロレスはシューティングを超えたもの>に該当する。

それが2011年ヴァレンタイン・デイ考察の基盤であり、
結論になる。

ウルトラの母がダモシに贈ってくれたそれもまた、しかり。

その
いずれもが
<プロレスはシューティングを超えたもの>的な
チョコレートだが、

むろん、それぞれでまたディテール要素が異なるのもまた
言うまでもないことだが。


*****


そのヤング・レディは、
ダモシを<灯台>であると、一つには言った。

秀逸な表現だが、
その女性の性格や生き方などを鑑みると、

<灯台のように少し離れたところから照らしてくれている>

ポスチャーは、居心地の良いものなのかもしれない。

基本的には"優しくない"ダモシだが、
その意味は様々あるが、
そういった<距離感>がまた良いのかもしれない。

友人はもとより、後輩にしても、
頻繁に逢ったり、連絡を取り合うこともない。
それこそ逢うときは、ビッグマッチのような
国技館や武道館、東京ドーム大会のノリになる。

要するに、存在証明を、逢う回数などではなく、
不在証明をもってして果たすという形か。

単純に、<付き合いが悪い>ということも
言えるのかもしれぬが、
それは空手道場などに関しても同じだ。

だが、嘘ではなく、
ダモシ側にとっては常にそれぞれの存在は心にある。

心でつながるものが、人と人で、
人と人の間には、言わずとも、微妙な距離感に則った上での
信頼が必要になる、と。

<灯台>発言は、図らずも年初に後輩の一人も言っていた。
似たようなことを言って、ダモシを評し、

<だからダモシはそれでいいんです>と。

<残された人、感じた人が
 それを実践できるできないは別として、
 どの環境、世界においても、
 必ずダモシ・イズムを残してきているわけですから>

と。

それは、反ダモシの中にも。

北の某国唯一の、直系ダモシ・イズム継承者が、
根性のある女性であることは、嬉しい限りである。

ダモシは女性に言った。

<私は変わらず、your sideです>と。



*****



夜、ワイフは笑いながら言った。

<あっ。ダディへのチョコレート忘れた!キャハハハハ。
 これから買ってこようか?>

なにをぬかしとるのか、と。
ダモシは笑って述べた。

<いらんわな!>。


雪のヴァレンタイン・デイ。

深夜、ダモシは想った。

<やはり、
 プロレスはシューティングを超えたものなのだな…>

と。

そして、

<まだまだ己が直系遺伝子には負けないぞ?
 キャリアが違うよ、キャリアが>

と。



posted by damoshi at 02:09| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月13日

徒然サンデー



田園都市も金-土と雪が降った三連休。

皆様におかれましては、いかがお過ごしになられましたでしょうか。
サザエさん症候群の、特に三連休の最後の日曜日の宵の口は、
マインド的にも<ふぅ…>的な感慨に至っている諸兄も多いのでは、と。

こちとらは、三連休も関係なく、
オフィシャル事案のデスクワークは進んでいる。
再来月に発売される或る商品の追い込みにあるからでもある。

己が企画開発した商品のパート.3である。

消費者便益こそ最優先に考えた上での企画開発である。
一歩間違えば、ファン離れはすぐに起こる。
緻密な計算と戦略が必要であるが、
それはパート.1から一貫して立てて行っている。

それでも夜、目を閉じてまでも、それをアレコレ考察する。
夢の中にまで出てくる。
本当にこれで良いのか、と。
もっとこの部分をこうした方が良いのではないか,と。

<消費者便益>。

米国のマーケティング手法の基礎だが、
これはすべてのことに/すべてのジャンルに
相通ずる考え方である。

何かを提供する場合、これを主眼にしなければダメだ。

ニッポンのテレビ局や新聞社がダメになったのは
<消費者便益>を無視したところで
ヘタな大義名分としてのジャーナリズム云々に
あぐらをかいてきたツケである。

イマドキのテレビ・コンテンツや新聞エディトリアルに
消費者の誰も何も求めていないし、喜んでいないし、
便益を満たされていない。

それを考えなければならない。彼らは。

キムタクを出せば消費者便益が満たされるだろう的な
甘ったれた安直な考え方はもう終わったのである。

"番宣"も、消費者便益とは遠く掛け離れた
ただのマスターベーションである。

サザエさん症候群とは無縁のダモシでも、
サラリーマン諸兄とは別の
<もうめんどくさいんです!>的な作業が
この三月にやってくる。

確定申告である。

昨年も、ほとほと辟易した。

米国時代は、知人の会計士にフリーで依頼していたから、
レシート類などを渡せばすべてやってくれたが、
昨春からニッポンでは己自身でそれをやっている(初めてやった)。

すると案の定、間違いがあって
〜その間違いは、ダモシ側にメリット/デメリット双方付与される
 二つの間違いだが〜
二度、仕切り直しをした。

幸い、役所の担当者がマトモだったために大団円で終わったが、

その提出までの書類の一連の作業が
今年も差し迫ってきたというところで、
今からもう<ふぅ…>という感覚である。

早めにやってしまえば良いものだが、
こういったもの(めんどくさいんです!的なもの)は、
ぎりぎりにならなければ手を出せないのもまた、
人間の性、ダモシの性でもある。


*****


オフィシャル事案に、空手の稽古に、食料品買い出しに、
アントニオとの遊びに、なんだかんだと、

そしてアントニオのタレント活動の部分でも
この三連休はスタジオ撮影等あり、

結局は、気づけばもう三連休の最後の日曜の夜になっていた、と。

本格的な活動は4-5月あたりからとなるが、
所属タレントとしてのポートレート撮影があったわけだ。

既に空手に関する部分でやはり戦績含めて
目立っていることから
それが武器になり、PRポイントになっている。

撮影でも真っ先にそれを聞かれるわけだ。

・いくつから始めたのか
・どういう練習をしているのか
・週に何回くらい稽古しているのか

等々。

その他、趣味のことから
お父さんお母さんのことまで聞かれるわけだが、
さすがに大舞台に慣れていることで
<緊張する>ということが
相対的に他の同学年の子供よりは少ないはずの
アントニオでも、

スタジオという異種格闘技な空間と、
フラッシュや照明の下、
すべての視線が己に注がれている状況下では、

モジモジするケースも見受けられる。

空手など格闘技ではないから
ダモシは何も言わずに黙って見ているわけだが、
もどかしくなるのは致し方ない。

<はい><いいえ>をはっきり言えないことや、
質問に回答する際に
<う〜ん>と時間がかかったり、
ダモシの方を見たりといったことは、
今後、直していかなければならない。

はい
いいえ
ありがとうございます
おはようございます
しつれいします
さようなら

などは、コドモであっても基礎中の基礎である。
そのあたりは畑違いではあるが、
きちんとこれからさらに仕込んでいくつもりである。

プラスα、ダモシは言った。

<PRだぞ、PR>
<セルフ・プレゼンテーションを出来るようにせよ>
と。

例えば<ペットを飼っていますか?>と聞かれた場合、
<はい>と応えたとする。

たいていのコドモは<はい>で終わる。

だから相手は<何を飼っているのですか?>となる。
その場合でも<猫です>と応えて終わってしまう。

のっけから己が主導権を握って話を展開させろ、と。
その部分を軽くさわりだけをアントニオに示唆した。

<ペットは飼っていますか?>と聞かれたら、

<はい。猫を飼っています。しかも四匹飼っています。
 ニューヨークでボクが生まれた時、
 既に家にいました。
 ニッポンに帰国する時、猫たちも一緒に飛行機に乗って
 帰ってきました>

くらいに、話を己が主導権で展開するということである。

<誰に空手を教えてもらっていますか?
 練習はだいたい週に何回くらいやっているのですか?>
と聞かれたら、

<お父さん。月に二回くらい>と誤った応答をするのではなく、

<週に三回は道場に行って稽古しています。
 お父さんにも家で週に二回は教えてもらっています>

くらい展開させなければならない、と。

展開の仕方は、長過ぎずにうまくとどめて、
その上で、相手にさらに興味を持たせて
質問を残してあげることがポイントである。

むろん、これは難しいことである。
まだ一年生くらいなら
問われたことに一つ一つ(え〜っとぉ…)的に頭で考えてしまう。

致し方ないことだが、
そのあたりもまた訓練すれば違った回転が出てくるということだ。


撮影時とは別だが、
オーディション時に撮ってもらった写真を贈呈された。
一億総写真家の現代だが、
さすがにコマーシャル・フォトでのプロが撮る
ポートフォリオは見事だ。

早速、フレームに入れて壁に陳列した。

021311A.JPG

021311B.JPG

空手のトロフィーやメダル、
表彰写真群が陳列されている側とは反対側のウォールは
今後、この系統の写真が増えていくか否か。


*****


世はヴァレンタイン・デイを迎えている。

もはやダモシは"ブック"や"アングル"としてのものを除いて、
それこそ"ガチンコ"のチョコレートをもらうことは
残念ながら、ない。

逆に、もとより、
ブックやアングルでのチョコレートは不要
という人間だから、それで良いのだが、
今やブックやアングルでのそれすらもらうことはない。

サラリーマン諸兄ならば、毎年この時期は、
エッブリバディ、"ブック"&"アングル"もしくは"八百長"の
チョコレートを一杯、もらうことだろう。

ブックだから、アングルだから、
三月にはそのお返しをするのもまた予定調和である。

ヴァレンタイン・デイの女性から男性へのチョコレートという
<ニッポン独自の文化>もまた、近年衰退した。

もともと"ガチンコ"だったはずのものが、
いつからか"ブック"主体に転嫁したからだ。

だからこそ、今の時代、
"ガチンコ"のチョコレートは価値を持とう。

アントニオは人気だから、
来月の大会にもクラスの女子が三人応援に来るが、
チョコレートももらっている。

021311c.jpg

021311d.jpg

むろんコドモのこれらも"ブック"だが、
それは良い意味でのブックである。

そしてコドモだからこそ、
"ブック"であっても、そこに恥ずかしさやテレが介在することで
疑似ガチンコになり得る。

渡す/受け取るという行為に関わる両者が共に、
そのラインで愉しみ、スイングさせる。

コドモでも、互いをスイングさせる術を自然に持っているから面白い。

今宵、アントニオが空手道場での稽古に出かける数分前、
"彼女"から電話が来た。

<これからチョコレートを渡しに行きたい>と。

14時半には家を出なければならないアントニオ。
アパートメント下で待ち合わせることになった。

<14時半までなら逢える>と。

<急いで行くわ>と。

出かけるアントニオとワイフを見送る際に
その話を聞いたダモシは
アントニオに言った。

<なんだよ、おい。モテるなぁ…。ええ?>。


一年生だ。携帯電話なんぞ持っていない。

ここがミソで、
昭和の俺たちの世代もそうだったように
携帯電話がない状態での
逢いたい/逢えるかな/時間が差し迫っている/待ち合わせ
というシチュエーションにおける
ハラハラドキドキが生まれる。

きっと大急ぎで走ってきただろう。

アントニオもドキドキして待っていただろう。

ワイフからダモシにメールが入る。

<〇〇ちゃんに逢えなかったよ>と。

時間までに彼女は来ることができなかったようだ。

ダモシはワイフにメールする。

<空手から戻ってきたら、
 俺が一緒に行くから受け取りに行こう>と。

帰路、ワイフから電話が入る。

<ダディと二人で受け取りに行きたいって>。

既に夜。寒さは増していた頃合い。
ダモシとアントニオはママチャリで彼女の家へ向かった。

その途中、
向こうから彼女とその弟、母親が歩いてくる。

ダモシはママチャリを止める。
アントニオは降りる。

しばしのカンバセーション。
当人たちはテレている。

<ほら、ありがとう、は?>とダモシがアントニオに促す。

<ありがとう…>と下を向いて言うアントニオ。

ダモシが彼女を見て
<ありがとうね>と微笑むと、
彼女はダモシを見て
(いつもながらカッコイイお父さんだわ)と思いながら
顔を伏せてテレた。

ダモシはしばし母親と懇談して、バイバイ。

021311f.jpg

一年生の彼女が手づくりしたチョコレートを、
アントニオは嬉しそうに食していた。

それを見てまたダモシは、
<なんだよ、おい…。モテるなぁ…>と
いつまでも言う。

そして
<俺だって昔は…>と言いかけて、やめたとさ。


*****


とまあ、そんなこんなの三連休だが、
今宵もまたこれからデスクワークやら経費まとめやら何やらで、

水曜は博多への日帰りビジネス・トリップである。

あぁ、博多は泊まりたいわなぁ、というのが本音ではある。


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ダモシも、昨年に続きウルトラの母からチョコレートをもらったが、
アントニオに食べられてしまった。



posted by damoshi at 20:44| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

大橋の左アッパー



ダモシの現在の住まいは横浜市。

現在の日本プロボクシング協会の会長である
大橋秀行の出身地は横浜市。

世代は同じ(大橋が一学年上)で、大学は同じ。

ダモシが同じ大学の五年生に未だ在籍していた
1990年2月の今ごろ。

大橋は日本中の期待を背負った世界タイトルマッチに望み、
すばらしい試合(年間最高試合賞受賞)をした上で勝ち
世界チャンピオンに輝いた。

大学卒業と春からの社会人デビューを控えた
最後の真冬の二月の今ごろ、
ダモシは中野新橋のアパートメントの自室内テレビで
この試合を観ていて、共に大喝采をあげた。


*****


大橋は過去二度、世界タイトルに挑戦して破れていた。

また、一昨日、日本人史上最速で世界王者に上り詰めた
井岡一翔の叔父・弘樹が"しょっぱい試合"で
タイのナパ・キャットワンチャイに破れて王座陥落して以降、

日本ボクシング界が陥った不毛地帯。

世はバブルに浮かれていたが、
何でもカネで解決しようという風潮は顕著で
それはボクシングの世界にも溢れ、
世界挑戦を乱発しては無惨に破れ去るを繰り返していた時代。

前述の井岡弘樹の王者陥落による
日本人王者不在期は1988年から始まり、
以降、延べ18人21試合連続してカネにモノを言わせた
特権的な世界タイトル挑戦に失敗し、

アトモスフィア的にも、
<日本ボクシングは終わった>世界観で蔓延していた。

そんな背景環境があった時代である。

ただ、その前年にも日本タイトルながら
J・フェザー級の日本タイトルマッチでの
伝説となったマーク堀越vs.高橋ナオト戦など
白眉な試合はあるにはあった。

要は、"ちゃんとした"挑戦者が、
満を持した状態="勝ち負けになる"土俵で
世界タイトルに挑戦していなかったのである。

そこで、大橋だ。

<150年に一人の天才>だった大橋は二度、世界挑戦に失敗。


・日本ボクシング界の暗黒時代に
 最後の切り札として大橋が挑む試合

・大橋自身も三度目の正直であり、
 過去二度の世界挑戦時よりも階級を一つ下げて、
 パンチの破壊力では王者を上回る中での試合

・日本人世界タイトル戦21連敗中での試合

という主たる要素が厳然と横たわった中で、
大橋は試合を迎えたのだった。

この1990年2月というのは、ニッパチの法則に逆らって
大きなイベントが続いた。

ローリング・ストーンズの日本初公演シリーズが
東京ドームで行われたが、
それもこの2月だった。

ダモシもこの公演に足を運んだ。

そして当時の世界最強マイク・タイソンが
東京ドームで
ジェームズ・ダグラスにKO負けして王座陥落したのも
1990年の2月。これもダモシは現場で観ている。

衆議院議員の選挙もこの年、2月に行われている。
自民党が圧勝。時の幹事長は小沢一郎。

世はバブル。

そんなシチュエーションである。


*****


ボクシングの殿堂<後楽園ホール>は、
異様な熱気をもって大橋を迎えていた。

WBC世界ストロー級タイトルマッチ、
王者・崔漸煥(韓国)vs.挑戦者・大橋秀行。

試合もスリリングな、激しく打ち合うバチバチの内容。

<勝てるだろう>

<今日こそ世界チャンピオンの誕生ではないか?>

<否。今日こそ、ここで大橋こそ、
 負けてはならないだろう。勝て!大橋>

といったアトモスフィアが支配する中、

当然ながらどんな試合も楽に勝てるほど甘くはない。
リーチやパンチ力でのアドバンテージを生かす大橋だが、
王者も簡単には崩れない。

試合は第9Rに決する。

大橋の強烈な左アッパーが、王者のボディにヒットした。
王者、ダウン。

総立ちの後楽園ホール。

立ち上がり、試合再開。
大橋は千載一遇の好機に焦らずに
最後のKOパンチを左アッパーと定めたかのように
王者の苦し紛れの猛攻をガードを固めて、スキを窺った。

まさに一発=左アッパーを狙うための時間が数秒過ぎた後、
狙いすました大橋の腰の回転の効いた左アッパーが
王者のボディを再びえぐった。

王者、ダウン。悶絶。もはや立ち上がることはできない。

狂喜乱舞の後楽園ホール、関係者、そして大橋。

ついに大橋の手によって
久しぶりにニッポンに世界タイトルが戻ってきた瞬間。




(決着のつく9Rの攻防)。

この大橋の左ボディへのアッパー。
ボディブロー、フックともいえるが、
空手でいうところの下突きにも該当するパンチだ。

アナウンサーは思わず<左ボディブロー!>と叫んでいるが、
やはりこれは正確にはアッパーだろう。
特にKOに至った二発目のそれはアッパーである。

説得力十分の、まさに教則ともなり得る<左ボディへのアッパー>。

この残像は、21年経った今もなおダモシに焼きついて離れない。

大橋の左アッパーこそ、
アントニオに昨冬以来伝授しているパンチの
一つのロールモデルとなっているほどである。

上述した背景環境と、実際の試合内容、
さらには最終回(終幕)での作法の説得力。

これらが合わせ重なって、
この試合もまた魅せる要素満載の闘いとなり
後世に語り継がれるものとなっている所以でもある。


今、大橋氏は冒頭記載の通り、
プロボクシング協会の会長という要職にある。

いわば貴乃花が大相撲協会の理事長になるようなものだ。

新世代として今、業界のトップに立ち活動する。
大橋氏自身はある意味で今やメタボ中年となり
ポスチャー的には別人だが、

あの時の大橋を知る世代の我々にとっては、
それで大橋の価値を下げるものではない。

逆に大橋ならしょうがない、という許しの部分も生まれる。
それほどまでに
あのときの大橋の魅せたパフォーマンスは素晴しかった
といえるわけである。

マスト・ウィン・シチュエーションをくぐり抜けて
あのとき勝ち切った大橋の偉大さは、
少しでも闘いに関わった経験があったり
現在関わっている者ならば、分かるだろう。

この試合は、年間最高試合賞に輝いたことは前述したが、
大橋はその二年前にも別の世界戦で同賞に輝いている。

その合間の1989年の年間最高試合が、途中で記載した
マーク堀越vs.高橋ナオトの日本タイトルマッチだったわけだ。




(名場面を展開したダイジェスト版)。


まだまだ、

"しょっぱくない"試合で、"ちゃんとした"試合が当時、あったのだ。

今もむろんそういう試合は多いが、
それでも亀田を含めて現在のボクサーに足りないものは何かといえば、
"こういったこと"を指しているのである。

そして、後楽園ホールの熱。

今の総合格闘技やK-1系では、ちょっとあり得ないだろう。

それだけプロレスもボクシングも、
そして例えば極真空手のオープントーナメント全日本選手権でも
<昭和>は計り知れない熱があったのである。

大相撲もまた、しかり。

放駒親方には頑張って欲しい。
親方の現役時代の魁傑をナマで観て大ファンになったのがダモシである。
魁傑には当時、サインまでもらった。

魁傑なら、ちゃんとやってくれそうな期待をしている。

大橋がボクシング界を、ちゃんと導いてくれそうなように。




posted by damoshi at 22:15| <昭和>プロ格 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1977-ザ・ファンクス



格闘技は、人間同士が行うものである。

人間だから、そこには心がある。
心を消し去ってという部分もむろんあるが、
心ある人ならば、完全にそうあることもまた難しい。

たとえば相撲で、
事前擦り合わせや金銭の発生なしに
肉体をぶつけ合う者同士の中で
片方が「今日は彼に勝たせても…」と感じて
力を抜く場合もある。

だがそれは意図的に負けたということとは
いささか趣は異なる。

たとえばコドモとの空手で、
組手の稽古をしている中で
こちらも手を抜かずにいくぞ?という姿勢の上で、
それでもコドモに自信をつけさせるために
オトナ側が「今日はこの技を決めさせてみよう」
と感じて、力を抜く場合もある。

これもまた意図的に入れさせた/負けたということとは
いささか趣は異なる。

同じ格闘技でも、
旧UWFからPRIDE、MMAに至る
"真剣勝負"を謳ういわゆる総合格闘技といわれるものの中にも、
すべてがすべてガチンコということはあり得ない。
そこには人間の心が介在するからだ。

そしてプロレス。

ニッポンが今よりも良い時代、人の心もあった時代、
しかし今よりもなお文化レベルの一部で劣っていた時代、

「プロレスは八百長」という下らない論理が横行し、
アンチ派のそれは楯となっていた。

これほどレベルの低い論はないのだが、
それに関して語り出すと長くなる上、
今さらもう説明は不要であろう。

空手にしても相撲にしてもプロレスにしても
格闘技はすべて己の力を駆使して
ぶつかり合う意味では真剣なのである。

鍛え上げた肉体と厳しい稽古があって
はじめて成り立つものであるということを
大前提として考えなければ、

テレビによく出ている"素人"コメンテーターのような
まさに三流以下レベルの解釈しか出来なくなる。
机上の空論だけで語るコメンテーターのような輩こそ、
ダモシ的には糾弾されてしかるべき存在だから、
彼らのような論にほだされてはいけない。
一般の新聞もしかり。

大相撲の一件で、テレビでも論点がズレた議論

八百長か、そうではないか

が展開されているが、
ほとほと情けないわけである。

携帯電話や直接的な会話をもってして、
大相撲において勝ち負けを<譲り合う>構図は
当然ながら八百長という解釈になるわけで、

それをもってして、
その他のすべての"ブック"や上述したような仕掛けを
八百長あるいは片八百長と捉えたり、

野球やサッカーその他のスポーツはおろか、
さも自分たちの日常ですらも
一切<八百長>や<片八百長>、
そして<ブック>やそれに準ずる心ある行為は
存在しないとでも言いたげな輩には腹が立つわけである。

毎度記載するように、
ではキミたちは人生の中で一度も
そういうことはなかったか?

いつもすべてにおいてシュートしてガチンコしているのか?

と、問いたくなるわけである。

ダモシは今回の大相撲の件はさすがに擁護できず
怒っているが、

それとは異なるものにまで議論の遡上にのせて
くだらないディスカッションもどきをして
公共の電波や紙で提示する文化レベルの低さもまた同時に

怒っているぞ!

となるわけである。

ダモシが常々提唱している
<見せる要素(魅せる要素>は人生においても
格闘技、スポーツにおいても何においても
必要であると考えているからである。

こういう問題が起こると、
必ず一般ゼネラルは<よゐこ>ぶる。

そして、さも自分は常にシュートでガチンコだと言わんばかりだ。

ナアナアを多々、行っているくせに。

ダモシから言わせれば、
そういうコメンテーターや輩こそ
オールウェイズ八百長をしているではないか
ということになるのだ。

昔の、
真剣勝負を謳う系統の格闘技が
自分らは真剣勝負(シュート)でプロレスは八百長
という打ち出しをしたことには強烈なる嫌悪感を覚えたが、

その際に故ジャイアント馬場が言い放った
<プロレスはシューティングを超えたもの>
という名言や、

アントニオ猪木の提唱した
<ストロング・スタイル>は、

すべての下らない論を破るものとして後世に残っている。

これらの言葉を理解出来ないと、
ビジネスでも恋愛でも日常的社会生活において
机上の空論を振りかざして正論や
己の身を顧みずに常識をかざるよゐこに陥るわけである。

また、それほど文化レベルの低いことはない。

ある意味で、善し悪し好き嫌いは別として
石田純一の過去の名言<不倫は文化だ>も
<プロレスはシューティングを超えたもの>に
一部で相通じる部分もあるわけだ。

そういった硬軟清濁合わせ飲む器量を持つと同時に、
<心>が介在する中での見せる要素/魅せる要素。

これこそが原初にあるべき大前提である。

八百長云々をもってして、
論の矛先を展開させることほど乱暴なことはない。

ダメなものと、そうではないものの
明らかなる線引きは必要なのであり、
またその線引きをそれぞれの心の中で自然に理解できなければいけない。

理解できない"素人"が
マスコミやコメンテーターの中には多過ぎる。
彼らが文武の中の文オンリーの属性傾向が高いから
そうなってくるわけだが、

力士からすれば、
その線引きは語らずも分かるだろうと言いたいだろう。
<お前、やってみろよ>と。まずは。

空手もしかり。やってから語れよ、と。

ネガティヴな方向で語ったり、
机上の空論で誤った論を公共の電波や紙で流すならば、
その前にやってみろよお前、と。

それはダモシも、同様に思う。

やれや、と。
やってから言えや、と。

やらんのならば、理解してからせめて語れや、と。

コメンテーターという輩やマスコミを見ていると、
そもそも論だが<敬意>が欠如していることに気づく。
彼らはその対象と競技に対する
そもそものリスペクトがない。

リスペクトがない中で語ればどうなるか?
ネガティヴにしか語ることができない
という最悪のケースに陥るのである。

<抜本的な改革を>なんぞ、誰でも簡単に言えることだ。

八百長の根絶を、と言ったとて、
言っている彼ら自身が八百長とそうではないものの
線引きもも理解していないだろう。


<昭和プロ格>コーナーで、
教示を伴う、ダモシ的な提示を二編したいところである。

まずプロレスからは、
ザ・ファンクスvs.アブドラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの
世界オープンタッグ選手権決勝戦(1977年)。

(次はボクシングから)。

コメンテーターやらその他の<よゐこ>の類いには
絶対に理解し得ないタイプの試合である。

とにかくフルで見てみ、と。
魅せる要素とは何なのか。



*****



映像を先に見てしまうと、
それに頼ってしまう。
だからリンクは後にするとして、
まずはその試合に関わる背景環境。

<連続ドラマ性>という
近年ニッポンが失って久しい昭和の良さ。

ここから始めたい。

その昔は、
<太陽にほえろ!>から<熱中時代>、
<教師びんびん物語>などに至るまで
テレビが未だマトモだった時代には多くの名作ドラマが生まれた。

昭和である。

今はもう、あり得ない。
ニッポンに帰国してきて
復活したかな?と淡い期待を抱いたが
それがムダだったことも既に気づいてしまった。

今やテレビも新聞も、<恥を知れ>レベルに陥っている。

その、昭和の良き時代の
〜テレビとテレビマンたちがマトモだった時代の〜
ドラマにはきっちりとした連続ドラマ性があった。
初回から戦略に則って
毎週ストーリーが連続していく。

連続ドラマ性がもたらす期待感は、
最終回というゴールにすべてはつながっていく。

オーガズムを最終回へ。
この明確なイズムが生きていた時代である。

平成に入って以降、ドラマは最終回が<キョトン?>
としてしまうような尻切れトンボに劣化した。

要するに作り方にムリがあるから、
連続ドラマ性を生み出せず
ひいては最終回のトンチンカンに至るという
まさしく負の連鎖である。

おそらく作っている側も、途中、判然とせずに
作っているのだろう。
結局はすべて視聴率というくだらない秤に
縛られてしまっているからである。

今ではもう<川口浩探検隊>などのような
プログラムは二度と無理だろう。
ほとほと情けない時代である。


この<川口浩探検隊>もまた、
くだんの八百長議論にも該当し得る素材である。
きっと前述した輩たちは
<川口探検隊>を楽しむ作法を持たないだろう。

きっと言うだろう。<ヤラセでしょ?>と。
それで終わらせてしまうようなタイプの人間
にとっては、格好の存在の一つが
この<川口探検隊>シリーズでもある。

金曜午後八時の世界観。
ここには<太陽にほえろ!>と共に
アントニオ猪木率いる新日本プロレスの
<ワールド・プロレスリング>があった。

猪木のこのプロレスこそ、
連続ドラマと同じで、
きちんとシリーズごとに
開幕戦から最終戦(たいてい蔵前国技館)への
一連のストーリーを展開しつつ流れていく。

観る者は来週どうなるのだろうか、
しかしそれにしても今の状態なら
最終戦でのタイトルマッチで猪木はヤバいのではないか?
等々、ワクワクドキドキする。

格闘技、エンターテイメント、スポーツ、その他の
あらゆる要素を、まるでサラダボウルのごとく包含して
突出したコンテンツを提示していたのが
アントニオ猪木だったのである。

そして、その猪木に対する昭和の巨人が、
ジャイアント馬場。

馬場率いるは全日本プロレス。
土曜午後八時はこれまた<8時だョ!全員集合>と共に
アイコンとしての
<全日本プロレス中継>が存在していた。

1977年12月。

小学六年生のダモシを興奮させたのが、
全日本プロレスが開催した
<世界オープンタッグ選手権>である。

文字通り世界最強のタッグチーム(二人組)を決める
オープン・トーナメントである
(実際にはトーナメントではなく総当たりリーグ戦)。

オープンというのは、
門戸を他団体にも開放するという意味である。

テニスのUSオープンと同じ世界である。
空手でいえば極真その他の団体が主催する
オープン・トーナメントに
他団体からアントニオが出るのに等しい。

実際には当時のプロレス界は、
馬場率いる全日本、猪木率いる新日本、
そして第三の団体としての国際プロレスがあり、
国際を除く全日vs.新日は犬猿の仲だった。

むろんプロレスは興行であり、
当時はゴールデンタイムで放送される
キラー・コンテンツでもあったため、放映権の問題もある。

"オープン"と謳い
他団体からの参加も受け付ける風を装うことで
その大会にヴァリューを付与する意図は当然としても、
全日本と日本テレビが主導するオープン大会に
新日本とテレビ朝日が参加するわけがない。

それでも、
国際プロレスからはエース・チームの
ラッシャー木村&グレート草津組が参加したことと
韓国代表としても
大木金太郎&キム・ドク組が参加したことは
"オープン"の名を汚すものではなかった。

むろんここに
アントニオ猪木&坂口征二という
当時の新日本の黄金タッグが参加すれば
当然ながら優勝候補筆頭になったであろうが、
そういった"実現不可能"な壁があったこともまた
昭和の良さの一つでもある。

<垣根を越えて>云々という名のもとに
ベルリンの壁崩壊以降、
あらゆる壁〜正義と悪の境界線も〜が
消滅してしまい、<何でもあり>になったことも
いずれも功罪相半ばするところがあるわけだ。

存在して良い壁もある。簡単に破られない壁があるべきだ。
何でもありにも限度がある。

そういった部分のぎりぎりの分水嶺は、
個々のセンスの問題になってくる。

さて世界オープンタッグ選手権。

主催の全日本からは
もちろんエースのジャイアント馬場が
次代のスター、ジャンボ鶴田との師弟タッグで参加。

米国からはドリ&テリーのザ・ファンクス。

そして世界最凶コンビの
アブドラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組。

欧州代表は
ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマン組。

ザ・デストロイヤーも参加。

メンバー的には世界選手権に遜色のない状態に整った。

優勝争いは、
馬場&鶴田組、ブッチャー&シーク組、ザ・ファンクスの
三つ巴と見るのが、当時としては妥当であった。


そして、馬場・全日本は<上手かった>。

これほど完璧なストーリーでの連続ドラマ性と、
最高の最終回を見せたシリーズも、思い浮かばない。

馬場は開幕戦でいきなり
優勝候補同士の
自身と鶴田組vs.ブッチャー&シーク戦を持ってきた。

そして試合結果よりもむしろ、
<ザ・ファンクス>に誰もが心は奪われた。

荒れた試合の最後、
なぜそうなったのかは覚えていないし
当時も判然とはしなかったが
とにかく唐突にザ・ファンクスの弟テリーが
そこにいて、ブッチャー&シークに襲われて流血。

ゴングが鳴らされる大混乱の中で
テリーは首を絞められて白目をむいて失神したのである。

その衝撃的なシーンと唐突な事態に、
テレビを観ていて、一瞬、ついていくことができなかった。

<テリーは、いつの間に、なぜ出てきたのか…>

<なぜこんなにやられているのに、
 馬場も鶴田も兄のドリーも真剣に助けないのだろう…>

そういった疑問は覚えたものの、
あまりの衝撃的なシーンと
ブッチャー&シークの凶悪ぶりに目を奪われて、
この開幕戦の最後の光景をもってして、
ダモシはもとより
おそらく多くのファンの心理はこの時点で既に

<最終戦の蔵前国技館での
 ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シーク>

へと完全フォーカスが向けられたのだった。

ある意味で日々の優勝争いはどうでも良くなり、
度を超した極悪非道な
ブッチャー&シークの仕業に対するリベンジを
必ずやザ・ファンクスが最終戦の蔵前で果たすだろう、と。

果たしてくれ,と。応援するぜ、と。
どんな激しく爽快なリベンジが待っているのか
という期待感。

そんなムードで支配された。

シリーズは進む。

最終戦の蔵前国技館大会を迎えた。

この時点で
馬場&鶴田、ブッチャー&シーク、ザ・ファンクスの
いずれのチームも優勝の可能性を残していた。

リーグ戦を終えた馬場&鶴田は勝ち点13で首位。
最終戦のメインイベントのリーグ戦、
ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シークを迎える時点で
この両チームの勝ち点は12。

この試合の結果如何で
馬場&鶴田の優勝、もしくは同点決勝での優勝決定戦、
あるいはファンクスかブッチャー&シークのいずれか優勝
という見事なまでの、設え。

この試合が

A:30分時間切れ引き分けの場合、
  3チームが勝ち点13で並び巴戦での優勝決定戦へ

B:両者リングアウトの引き分けの場合、
  加点なしのため、馬場&鶴田の優勝

C:いずれかが勝てば、その時点で勝ち点14となり優勝

という構図にある中で、
ここまでの連続ドラマ性で鑑みれば、
普通に考えればBという結末は考えにくい。

Aは、ブッチャー&シークという凶悪コンビを鑑みれば、
あまり考えづらい。

ファンにとってはCでのザ・ファンクスの優勝こそ、
最大親和性と消費者便益を持っていたことは
疑いようがなく、まさにそれはNo Doubtだった。

且つ消費者の心理的便益を考えた場合、
ザ・ファンクスが
開幕戦のリング上で受けた屈辱を晴らすことが望まれた。


以上のような背景環境があった中での、

1977年冬の、ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シーク戦
ということになる。


*****


開幕戦での大乱闘及びテリー・ファンクの大流血:




*****


そして迎えた最終戦。東京・蔵前国技館。
現在の両国国技館の前の国技館である。

昭和のプロレスのビッグマッチといえば<蔵前>。

アントニオ猪木vs.ウィリー・ウィリアムスの
新日本対極真カラテの異種格闘技戦もここだ。

既に背景環境は整っている。

あとは消費者便益を満たすか否か。

ザ・ファンクスの入場で
早くもボルテージが上がる。

選手入場の際にテーマ曲が流れるようになった
黎明期の頃だ。それは斬新なことだった。

猪木のイノキボンバイエ一本かぶりの新日本に対し、
全日本は、錚々たる顔ぶれとテーマ曲が揃っていた。

中でも
ミル・マスカラスの<スカイハイ>と
ザ・ファンクスの<スピニング・トーホールド>は
多くの少年ファンの心を掴んだ。

<スピニング・トーホールド>の軽快なリズムに乗って、
テキサスの、いかにもアメリカ的な
ザ・ファンクスが入場。

期待感で溢れる国技館、そしてテレビの前のファン。

続いて
<吹けよ風、呼べよ嵐>に乗って
ブッチャー&シークが入場すると、
ザ・ファンクスがいきなり奇襲攻撃で
開幕戦での鬱憤を晴らしてリベンジ態勢を煽った。

会場総立ち、大歓声。

ゴング前のつかみは、完璧にOKとなった。



<あっ!シーク、出血!>

名アナウンサー、倉持隆夫さんの声が引き立つ。

<真っ白いベールが血に染まりました!
 真っ白いベールが血に染まりました!>

二度、強調するワードを繰り返すことと、
その際の抑揚。

アナウンサーもまた昭和ならではの卓越した技術。
今の、絶叫するだけのそれとはレベルが違う。
倉持&解説の山田隆コンビは郷愁を誘う。

試合も組み立て見事に進み、中盤を迎える。

ここで、ザ・ファンクスが痛快なリベンジ劇を
展開するだけならば、それは予定調和で終わってしまう。

物事には、魅せる要素には、予期せぬ感動が必要になる。

それでこそ、最大の消費者便益の享受となる。

中盤、世界最凶コンビの凶器攻撃が
ふたたびテリーを襲う。



この動画の3分30秒経過の頃合いから
ブッチャー&シークの伝説の<フォーク攻撃>が始まる。

倉持隆夫さんが
<あっ!フォークだ!フォークです!フォークですね!>
と叫べば、

解説の山田隆さんも
<フォークですね!>と呼応する。

テリーは右腕を刺され、場外で昏倒。
ここから兄ドリーの孤軍奮闘が始まる。

そしてこの試合、最大のハイライトが訪れる。

場外で包帯を巻かれるなど応急処置を施したテリーが、
リング上でブッチャー&シーク二人がかりで
痛めつけられる兄ドリーの救出にやってきた。

そして、アメリカンな所作で、左ストレートをぶち込む。

最大の見せ場であり、
ここでもう消費者便益は完璧な構図となって満たされる。

(映像の8分15秒くらいからのシーン)。


*****


試合は、ザ・ファンクスの反則勝ち。
ザ・ファンクスの優勝で幕を閉じる。



表彰式でもザ・ファンクス一色。
<スピニング・トーホールド>が鳴り響く感動の中、
満場の国技館、テレビの前のファンから
ドリー&テリーに惜しみない拍手と声援が贈られた。
(映像の4分経過の少し前から)。

テリーは目を潤ませて歓声に応える。
茶の間で観ていたダモシだが、
共に観ていたウルトラの母が涙したのを記憶している。

かくして大団円で終わった世界オープンタッグ選手権大会。

穿った見方をすれば、
これを"アングル"だの"ブック"だのとは言える。

しかしながら、そう言ってしまっては
すべてそのレベルで終わってしまう。

例えば、アントニオの空手にしても
優勝あるいは準優勝もしくは入賞という
難易度の高い結果に終わる場合においても
<アトモスフィア>というものがある。

優勝するようになっていたというのは、
<アトモスフィア>である。

何となくイヤなムードが、
会場や相手のみならず日常生活すべてにおいても
漂っている場合で、
その予感通りに望まないような負けを喫するケースも
それは<アトモスフィア>の仕業である。

心において、それらは
<優勝出来る気がする>
<優勝するようなムードだ>
という大気感としてのアトモスフィアや
その逆も、

現実的に常在戦場の日々の中では、明らかに存在する
ということが分かるわけだ。

大気感、仕掛け、構図、構成、環境マップ、
そこに関わるキャスト(人々)、モメンタム、モチベーション、
連続ドラマ性、魅せる要素、その他もろもろ多く存在する
<エレメンツ>一つ一つの積み重ねと交錯が、
スポーツや格闘技においては重要なものとなり、

結果に影響を及ぼしてくる。

興行としてのプロのそれにおいては、
お金を払って得る対価として
消費者が最大重視する

<お金を払ってこれを観る/買うことで得られる
 『得』(便益=それは物理的&心理的双方)は
 何なのか?>

に応える義務がある。

それを提供する義務が、
通常の企業が出す商品から
プロスポーツの興行においては厳然と存在する。

それを提供出来ない場合、商品回収や売上低迷、
ファン離れ、<カネ返せ>という事態につながり、
双方ハッピーにならない。

ここをまず、考えなければならないのである。

八百長だの、ブックだの、アングルだの
という安直にして単純でレベルの低い議論で
片付けるものではないのだ。

もっともっと文化レベルの高尚な世界観がそこにあるのだ。

その意味で、
一例としての
この世界オープンタッグ選手権大会と
その最終戦における
ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シークは、

消費者便益を完璧に満たす最大化を果たし得たもの
として、後世に残る。



posted by damoshi at 14:02| <昭和>プロ格 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

ちゃんと、せんかい



まずは、こちら。

goodnews.jpg

このカテゴリーでの、
アントニオのはじめの一歩である。
見事に合格。

トライしてみると、良いだろう。

この世界は、努力や意思のみならず<星>も必要になろう。
いわば持って生まれた星のもと、である。
それが合致するか否かによって、
ゆくゆくビッグネームになるか、
この世界と相容れないかに分かれてこよう。

いずれにせよ、それはやってみなくては分からない。
賽は投げられた。なにごととも、迷わず往けよ、往けば分かるさ。

<やる前に負けること考えるバカ、いるかよ>である。

おめでとう。

春前には、はじめの二歩目へと向かうだろう。
むろんダモシも虎視眈々ではある。


*****


大相撲。揺れている。
今回ばかりは、相撲界に比較的寛容なダモシも怒っている。

だから言っただろう,と。
朝青龍問題で騒がしかった頃、
朝青龍を庇うばかりか、
問題の本質は朝青龍ではないよ?と本編にも記載していた。
その通りになっただろう、と。

もっと本質的で根本的な問題があったにも関わらず、
目先を朝青龍に仕向けていた罰だ。

それは本質と根本を見失い、
目先を小沢に仕向けてズラしている民主党も同じである。

いったい、何をしとるのか、と。ダモシは怒っている。
怒ることだらけだ。日常も、世間も。

いずれも本質と根本の部分から逃げる者が多い。

なぜバチバチやり合わないのか,と。
なぜストロング・スタイルの闘いをしないのか、と。
それはビジネスから政治、相撲まですべて、だ。

小沢や朝青龍やダモシ型は、悪役に仕立てるにはちょうど良い。
それがニッポンという国のまた限界を見せているわけだが、
そうやってくさいものに蓋をし続けるとどうなるかといえば、
民主党や日本相撲協会のようになる。

結果は見えているのだ。ナアナアでやっているから、そうなる。
シンプルな話である。

相撲に関しては今回は、ワイフも怒っている。

それもそのはず。
身近なところで真剣に真摯に格闘技に関わっている
<コドモ>たちがいるからである。

コドモでさえ、泣きながらもシュート・ファイトして
バチバチやり合って、一生懸命闘っているのだ。

大金を稼いで、一般消費者たるお客さんからお金をとって
闘いを見せるプロの相撲が、いったい、なにをしとるのか、と。
ナメるなよ、と。

寛容なダモシも今回ばかりは許さんぞ。

返す返すも、"ブック"と"八百長"は違う。
ここのところをはき違えてはいけない。

相撲はむろん<興行>であるからして、
<エンターテイメント性>は必須である。
朝青龍を擁護していた部分の一つがそこである。
朝青龍には見せる要素としてのエンターテイメント性があったからだ。

しかし一方で相撲は、くさっても<国技>である。
ナショナル・パスタイムである。
国民の宝であり、それは国宝や重要文化財と同じニュアンスを持つ。

ニッポンが世界に誇る、国の国民の宝。
それが国宝であり、国技である。
そしてそこには神事という特別な要素も孕んでいる。

だからこそ、特別待遇を相撲は受けてきたのである。

興行&エンターテイメント(&スポーツ)
という側面に+α、格闘技であり、伝統芸能であり、
国技であり、神事である。
それが相撲なのである。

だから、どちらが格上云々ではなく、
プロレスや空手などとは異なる。

その昔、メジャーリーグがブラックソックス事件で揺れて
多くのファンを失った。
そこで救世主がごとく登場したのがベーブ・ルースだった。
ルースはボールパークにファンを呼び戻し、
己が家(ルースの建てた家)「ヤンキー・スタジアム(旧)」を
ブロンクスに建てた。

春場所と巡業の中止は当たり前だろう。
徹底的に失望される必要がある。相撲は。

<すべての膿みを出す>と宣言したからには、
徹底的に、本質的にして根本的な部分から
やり直せるようになるまでは本場所も中止せよ。

そもそも報じられているところで知る限りの
<八百長のやりとり>はアグリーこの上ない。

ほとほと、"オトナのナアナア"ほど
みっともないものはない。
相撲だけではないぞ。そこにも、あそこにも、それは在る。

共にニュースでこの件の報道を観る際に、
我々親がコドモの前で怒りを表すことこそ重要だ。
ナアナアになってはいけないという姿勢を示さなければならない。

そのアンチテーゼとして、
我々武道や闘いを常としている者は、より一層、
ストロング・スタイルに励むことが必要だろう。

恥を知れ。

忌憚なく、大相撲界には言いたい。

とにかく今回ばかりはもう許容出来ない。



*****



アントニオの五月までの大会参戦予定も決まってきた。
当欄右サイドにポスターも増えてきた。
未作成のそれもある。

五月の大会の
オリジナル・ポスターに入れたヘッドコピー。

これは、
昨冬以来の捲土重来を期して
マイナー・チェンジを図ってきている
アントニオへの指針としている一つであると共に、

現在のダサダサ・ニッポンへの喝でもある。

kjapan.jpg


<技は力の中にあり>。

すべてに通じることである。

小手先や知恵、頭でっかち。
ニッポンが陥ってきて、今もなおその世界へ邁進してしまっている悪癖。

要するに、意志やソウルがないのである。

物事を動かすのは、最終的には意志であり、魂である。

ぶつかり合うことを避けて、
バランスばかり考え、小手先の小細工で
ナアナアに済ませるのがニッポンの今のビジネス、政治。
日常的な部分でも往々にして、それが多い。

技術や頭の良さだけでは
突出した何かを成し遂げることはできない。

民主党も好例で、頭でっかちの小細工ばかりで、
彼らを見ていると
なにがなんでも国を良くするぞという
強い意志や魂をまったく感じられない。

当時の自民党もそうだったが、
なぜ政治家はそうなのかと思うわけだが、
しかしそれは政治家に留まらず
多くの社会人も同様である。

今や、誰もがビジネスマンをあきらめて
サラリーマンに成り下がっている。

同じ組織に雇われている身でも、
ビジネスマンになるかサラリーマンに劣化するかで
動きのシャープさがまるっきり異なってくる。
そこのところを分かっていない者が多い。

国を動かす政治家(霞ヶ関は論外として)から
強い意志や魂が感じられないのだから
国が良くなるわけが、ない。

時には強引にやることも必要で、
そういう意味では小沢のような存在こそ必要なのが
まるっきり分かっていない。

頭脳明晰、小細工得意などの<技>は、
すべて<力>の中にあるわけで、
なにがなんでもという意志を伴った力があって初めて
効能を発揮するわけだ。

力が伴わない頭でっかちが多すぎるわけである。

根本的な原初的観点に立ち返す必要がある、と。


まあ、いい。

他人にはまったく期待していないし、する必要もない。
己自身と己が直系遺伝子に多くの期待をしているから、
それで良い。

反面教師が多くいて、
そのアンチテーゼとして怒りをもって生きることで
より突出する何かを見出せるだろう。



*****


<なぜ銚子なのか…>という
デスティネーションの、銚子。

銚子行きのフライデー。
往復で都合、八時間以上のドライヴィング。

金曜はもう疲れ果て、0時には眠りについたほどである。

その銚子から写真を数枚掲載したい。

07年、ニューヨーク。
四年後に銚子に行くことなど当然、想像していなかった。
大阪や京都などは想像し得ても、
さすがに銚子は無理だった。

だが、人生はそれだから面白いのだろう。

己自身でも、その地を歩いていて、
<俺はなぜ、銚子を歩いているのか…>と、
目的があって行っているにも関わらず、
そう感じてしまう一瞬がある。

レジー・スミスやボブ・ホーナーの、
例の
<俺はニッポンくんだりで何をしているのだろうか…>
という世界にも等しいか。

分かる人は分かるだろう。


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ヤマトを想起させる、案外大きな漁船。

そういえば映画のヤマトは、ほとんどコケたようだ。
当たり前だ。
そもそもの原初のヤマト自体がブランドであるにも関わらず、
"キムタクなんぞ使いよって"という
ある意味で冒涜行為をしたから、ソッポを向かれたのだろう。

消費者はバカではないのだ。
"キムタクを出せば"的な安直な手法はもう、
いいかげんやめてはいかがか、と。

銚子の漁港も漁港で、一度しか行く機会はなさそうだが、
そのオンリーワンが逆に、心に響いたりする。

銚子漁港も犬吠埼燈台も銚子ポートタワーも、
一度きりだからこそ
その一度だけの際に共に行った相手は
永遠に存在感を示して残るのではないか。

逆に上野動物園や東京ディズニーランドしかりだが、
何人も何回も女性と行った場所は、
その一回一回が大きな存在感を伴って残らない。
残ったとしても希薄である。

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"案外"登ってみると高い銚子ポートタワー。
馬鹿にするなかれ。


そんなこんなの金〜土〜日のウィークエンド。

むろんアントニオとの空手個別特訓もし、遊び、出かけ、
そしてやはりこの土日もデスクでオフィシャル事案。
この後も、遅くまで掛かるだろう。

それもこれも、ナアナアにしたくないからである。

諸々、怒っているぞ、ほんとうに。

諸々、ほとほと、


ちゃんと


せんかい!




posted by damoshi at 23:23| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

徒然サースデー



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ゴリラ母子。

先般、オフィシャル事案で訪れた上野動物園でのヒトコマ。
久しぶりにゴリラの赤ちゃんがお目見えだ。

何でも、ゴリラは乳離れが遅いという。
四年くらいは母親のそばを離れない、と。
そもそも熱帯雨林の弱肉強食とは趣の異なる
彼らにとっては優しく豊かな環境で生きるからなのか、
穏やかでのんびりとしているゴリラ。

赤ちゃんも、子供へ育つ間、
ずっと母親に甘えてすくすくと天真爛漫に育つのだろう。

ゴリラの出産は、五輪に等しく、最速でも四年に一度だという。

そんなことも知らなかった。

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上野動物園といえばニッポン最古の動物園。
園内を走るモノレールもニッポン初である。
まさに動物園の王道中の王道である。

そして上野動物園といえば、パンダだ。

この三月に久しぶりにパンダが復活する。
その準備で忙しい。

未だ正式な日程は決まっていないため、
相手が相手(チャイニーズ)だから
延期もしくは土壇場でキャンセルなどという
不遜な事態に陥らないことを願いたい。

良い意味で、くさってもパンダ。
そしてパンダは上野動物園でこそ、である。

ダモシが今のアントニオと同じ齢の頃合い、
上野動物園にパンダがやってきて
フィーバーになった。

当時、すぐに連れていってもらいパンダを見た。

その後も、学生時代のデートユーズで
幾度となく利用した上野動物園。

上野動物園にデートで行った最後の相手は、
当時交際中のワイフだ。

アントニオが生まれファミリーになって、
ニッポンに帰国してから一昨年、
久しぶりに上野動物園に出かけた際は
当欄に掲載し、動物園考察を展開した。

ダモシ大酷評の旭山ズーに
来場者数で迫られた云々があるものの、
パンダがいなくなった影響は少なくなかっただろう。
実際に、パンダ不在となって
年間来場者数が300万人を割ってしまったわけだ。

ここでパンダ登場は、大いなる活気を生むだろう。

パンダといえば上野動物園。
上野動物園といえばパンダ、なのである。

良い意味でのまさにそれは、客寄せパンダである。


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<パンダが来たら、すぐ行こう>。

ダモシ軍の合言葉である。
アントニオにとっては、
ワシントンDCの米ナショナル動物園で邂逅して以来の
パンダとの再会となる。


*****


ダモログの一月の掲載を見ると、12となっていた。

12掲載しかしなかったのは、
現在のversion-3になってからでは最低数だ。

ネタがない、ということは
ダモシの場合はあり得ない上、そもそも速筆だから、
掲載数が少なかったり、
今宵も久しぶりだが、間隔が空いたりするのは
やはり時間が追いついてこないから
ということが理由といえば、理由になるのだろう。

だから久しぶりの掲載となれば、
アレコレあるわけだが、
久しく掲載していない間に世間でも色々なことが起こっているようだ。

クリスティーナ・アギレラは激しく太り
ファット・レディに変身し、

<ニッポン代表を唯一、
 素直に応援することができないだけではなく
 むしろ"負けろ!"とさえ思ってしまう>サッカーは
アジア王者に輝き、

でも
最新版"やることなすことうまくいきすぎ"な人になっていた
香川は、
やはりバランスは常に図られるものですよ
という典型で負傷離脱し、
"やることなすことうまくいきすぎ"から好事魔多しの
標的は、次は長友か川島かなという状況になり、

サッカーのアジア杯なんぞどうこうないよレベルで、
新潟など大雪被害が深刻で
霧島も噴火が深刻で
宮崎も口蹄疫でダメージで、

でもそんな中で
相変わらず、否、もういいかげんダメだわな的な
"すっから菅"民主党はさらに劣化して、
もはやコドモ手当も高速道路完全無料化も
"そんなこと言ったっけ?"というノリで、

ワケの分からない小沢イジメもアグリーで、

世界を見れば
これまたワケの分からない所作で
<石を投げ合ったり>という
まるでコドモの喧嘩か?というレベルのポスチャーで
エジプトはモメていて、

そうこうしているうちに
大相撲には比較的寛容なダモシでさえ怒って
<あ、もうダメだな、もう許さんぞ>となるほどの
アグリー過ぎる八百長問題が発覚し、

ほとほと、もうニッポン、どないなってんねん
といった世界ではあるが、

そんなことより、"じぶん"とファミリーの世界で
エポックが山ほどで、構っていられんよ
といった世界のけふこの頃であり、

ダモログの掲載も滞っていた次第である。

明日も朝も早くから<なぜ銚子なのか>という世界の
銚子行きを挙行しなければならない。
普通に渋滞する朝の首都高をどこで降りて抜け出すか
を考えなければならない。


*****


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40周年イヤーの仮面ライダー。
4.1にアニバーサリー映画の公開で、
特典がつくから前売券の親子ペア・チケットを早々に買った。

公開が愉しみである。

先般、アントニオの、オーディションへ出かけた。
写真撮影や説明を経て、親も交えた面談。

と、関係者がダモシに目を止める。

<あれ?>と。

そして
<ん?>と。

<あれれ?>と。

反応の順番と呟き的にはこのような形で、
目の動き、心の動きもそれに同調して
ダモシに迫ってきた。

ダモシも心の中で、順番的に

(<え?>)

(<な、なに?>)

(<ええっ? なんですか?>)

といった感じになる。

交互にいけば、

先方:あれ?
ダモシ:え?

先方:ん?
ダモシ:な、なに?

先方:あれれ?
ダモシ:ええっ?なんですか?

という世界で、互いの顔、身体の動きも、
この台詞に同調する。

微妙な十数秒の間合いがあって、
先方が口を開いた。

先方:<お父さん…>
ダモシ:(<え? は、はい?>)


<お父さん、いけてますよ!>。

ダモシ:(<はぁぁ?>)

珍しく即応できず狼狽するダモシ。
予想外のゴング前の奇襲攻撃を受けた。
完全にアントニオの世界の、
空手同様のセコンド感覚でいたことも要因だが、

なめるようにじっくりと見つめられる
ということが最近ではなかなかないからでもある。

裸を見つめられている女性の気持ちは分からぬが、
"そんな感じ"のような"感じ"がした。

<ええっ…?>と。
<はぁぁ?>と。
<ちょ、ちょっとぉ…>と。

先方は続けた。

<カッコいいですねぇ…。イケてますね…。いやぁ、いいなぁ>。

そして言った。

<お父さん、仕事来ますよ、ありますよ。カッコいいなぁ>。

直接、言われることは、めったにない。
学校関係のお母さんなどが<カッコいいと"言っていた">など
ワイフづてに言われるのが通例で、

ビジネスなどの日常的な一般ゼネラルな社会生活の中では、
直接、言われることはない。

もしかしたらニューヨーク時代のフェデックスのオフィスで、
いつも応対してくれた黒人女性店員から
<アタイはアナタの顔が好きなのよ>と言われて以来かもしれぬ。

世界が違うといえばそれまでだが、
"そういう世界"だから
そういう見方もするのだろう。

<キャハハハハ>と、ワイフは大受けしている。

アントニオもむろん褒められたが
合否は未だ分からない。
受かればそれは嬉しいし、彼のまた新たなジャンルでの
可能性も広がってくる。

だが、のっけからこの世界観はダモシだったのだ。
少なくともゴング前の段階で、
1試合分特別に行われたような世界である。

完全に虚をつかれたダモシは押されまくる。

<はぁ…>
<そうですかぁ…>
<ええっ?>
<あぁ…>

という珍しいパターンである。

セコンドについていたら
相手に挑発された挙げ句、
いきなり特別試合に雪崩れ込んでしまい
ブレンバスターやらパイルドライバーやらを
連続して食らっている世界である。

その後も
<お仕事はどんな?><オフィスの場所は?>
などなど、ダモシ面談は進み、

<やりませんか?考えてください。
 お父さん含みで。いけますよ。
 いやぁ、イケてますよぉ。
 ちょっとすいません。名刺交換してもらえますか>
となり、名刺交換をして、
ダモシの一本負けで試合は終わった。

帰路、ワイフは言う。

<だから、要するに顔がカッコいいとか、
 イケメンとかではなくて。
 決して顔がカッコいい男ではないわけで。
 雰囲気よ、雰囲気>と。

さよう。
それは、その通りであろう。決して、顔ではない。
身体バランスや顔の一つ一つの表情含めたところでの
全体ポスチャーの雰囲気であろう。

前述したニューヨークの黒人女性が言った
<アイ・ライク・ユア・フェイス>も
顔がカッコいいということではなく、
顔の造作と表情が好きなのだという意味であろう。

ただ、そういった褒め言葉やリアクションは、
たとえ営業的トークやお世辞であっても
決して受けた方は気分は悪くなくて、
気分上々になるものだから良いのだ。

素直に受け止めれば。

そんなこんなでオーディションの場である
都内の"そういう世界のエリア"から
ファミリー三人で田園都市線に揺られて戻った或る一日。

アントニオは、仮に合格したら、
ここはまた空手同様に、頑張ってみると良いと思っている。



*****


優勝から二週間が過ぎた空手。

大会から数日後の道場。
その日はダモシは不在である。

極真系の、もう齢はシニアの御大がやってきた、と。
先日の大会でアントニオのファイトを見たのかは定かではない。

帰宅後、ワイフが嬉しそうにダモシに報告する。

<〇〇さん(館長)が言っていたのだけれど、
 極真の〇〇という人、知ってる?
 その〇〇という人が〇〇さん(館長)に
 "アントニオという子がお宅(の道場)にいるでしょう?
 あの子は凄いよ"と褒められたって言うんだよ>

と。

大会直後だから、闘いぶりを何らかの方法
(現場にいたのか/後でビデオ)で観たのだろう。

観たこともない選手を評価することはないからだ。

そして今宵。
道場から戻ったワイフがまた報告する。

<五月に極真の大会があるらしい。
 〇〇さん(館長)が、それにアントニオが出ろ、と>。

通常、大会出場の選択はダモシとワイフが決めている。
館長自らが指名するのは異例のことであるが、
大会と賞讃が同じ系統だけに
何らかの要望があってのことではないか、と。

その大会の詳細はまだ確認していないが、
そのあたりは当然、ダモシも探ることになるだろう。

次の大会は3.6。

013011a.jpg


先般、まずはダモシ単独で会場視察に出かけた。
ほぼ地元、ホームタウンといっても良い。

013011b.jpg

013011c.jpg

巨大なアリーナである。

その3.6に向けて既に動き出しているところだが、

アントニオの学校の"彼女"に先般、
ダモシがオリジナルで作成したポスターとチケットを
アントニオに直接渡すことを促し、
彼もそれに従い渡したという。

<女の子はこういうの喜ぶぞ?
 レターも添えて
 "応援に来てくれたらキミのためにも頑張るよ"
 くらい書くんだぞ?女の子にはそれくらいしなきゃな>

と指南していたダモシ。

するとその彼女が他の女の子にも
それを見せたらしい。

ワイフがまた報告する。

<私が委員会で学校へ行ったら
 〇〇ちゃんが飛んできて
 "いいなぁ、アタシにもチケットちょうだいよ!"
 って言うのよ。
 "分かった。アントニオに持たせるね"と応えたら
 イマドキの一年生はマセているのね、
 いきなり
 "いつくれるの?ねえ、いつくれるのよ!"
 と押してきた。
 だから"明日"と応えてしまったから、
 今日中に作っておいてね>。

なんということか。

すると、他にもう一人、女の子が同様に言ってきた、と。

ダモシは深夜、せっせとそれをプリントして
きちんとコドモ向けのカワイイ封筒に入れて
用意した。

<渡したのか?>とダモシはアントニオに問うた。

<うん>と応えるアントニオ。

<で?どうだった?喜んでいたか?>
<喜んでいたよ>

<そうか>
<BちゃんとCちゃん、二人とも応援に来るって>

<え?そうなのか?
 じゃあAちゃん("彼女")だけではなく、
 あと二人女の子が来るのか?>
<そうだよ。今日は帰りにBちゃんと途中まで
 一緒に帰ってきた。お父さんが迎えにきていて、
 Bちゃんがそこでお父さんに
 "応援に行ってもいい?"って聞いたら
 お父さんが"いいよ"って言ったんだよ>
<へぇ、そうかぁ>

オーディションの際、
<学校できっとモテるでしょ?>と問われ
ハニかんでいたアントニオは、
ダモシとのバスタイムでもハニかむ。

そのハニかむところがカワイくて、
ダモシはついちょっかいを出す。

<そっかぁ。三人かぁ。モテるなぁ。
 どうするんだ?三人。焼きもちやかせるなよ?
 女の争いは怖いぞ?>

ニヤニヤしながら<大丈夫だよ>と言うアントニオ。

<で?一番好きなのは結局、誰なんだ?その中で。
 そういえば、Bちゃんは、ヒップホップの時にも
 見に来てたな?俺も授業参観に行った時、
 目立ってたコだな。知ってるよ。
 あのコはカワイイよなぁ?>

<顔は、Bちゃんはカワイイよ…>とハニかむ。

<で?誰が一番好きなんだ?結局>
<う〜ん。マミーだよ。でもマミーはゼロ番。
 特別だからね。だから一番はやっぱりAちゃんだよ>

<そっかぁ。やっぱりAちゃんか>
<うん。二番はBちゃんで三番がCちゃん>

<Aちゃんのどこが好きなのだ?一番の理由は?>
<やっぱり性格だよ>

<そうかぁ。それは大事だよな。
 合う合わないが一番だよなぁ>
<もういいから、早く遊ぼうよ>


学校で空手の型を披露したことと、
金メダルを披露したことが影響しているのだろう。

しかしコドモの世界だ。

仮にその応援に来てくれる大会で
ぶざまな敗北に終われば
一瞬にして熱が冷める危険性はある。

なにしろ、相手は女のコだ。

ダモシはワイフに言った。

<こりゃあ、よけいに負けられない理由が出来たぞ。
 より強化しよう。特訓を>。

バスタイムの最後、ダモシはアントニオに告げた。

<ちょっと悪くて、運動が出来て、強くて、
 でも女の子には当たりがソフトで優しい。
 これがモテる要素だからな>

<女のコに優しいというのは、
 どういうふうなこと?>と指南を乞うアントニオ。

<それはな?〇〇したり〇〇を受けたり〇〇…………>

とバスタイムが終わってからも指南は続いた。

これからは空手の練習の際に、
対女のコという所作の部分も取り入れやふ。


*****


久々の掲載のため、<徒然>として各種話題を折り込んだが
留まらないため、このあたりで締めたい。

早めに寝なくては、
最悪の農道での時間的スペンドの銚子までのドライビングが
明日あるからである。

最後に、今週オフィシャル事案で貰ったお土産。

020411d.jpg

パリのエッフェル塔と凱旋門の置物。

タワー系の置物好きなダモシのために
パリ旅行をした人が買ってきてくれた。

自由の女神、エンパイア・ステートビル、
東京タワー、通天閣、国会議事堂、大阪城
その他のタワー系スタチュの殿堂に仲間入りである。



posted by damoshi at 00:04| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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