2011年05月30日

台風一過

へとへとだ。夕刻便で帰京だ。博多は台風一過。晴れ博多駅も新しくなり、ここは活気がある。なにより明るい。この博多の活気と明るさは、いまのニッポンで救いだ。博多は、よか。アカンあ管ばかりだから、博多の良さは際立つ。博多は、よか。決定
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2011年05月29日

間に合った


日本ダービーに間に合った。ホテルの部屋。
チェックインしてすぐテレビを付けた。
これから本馬場入場。
府中はドロドロだ。不良馬場もいいところだろう。
入場者数もダービーとしては悲劇的な八万人。

羽田〜福岡。途中スムーズな飛行はあったが、
まあ、とにかく揺れた。
揺れたというよりもガタガタと震え、急降下し、と
何度も足を踏ん張った。

通常、フライト中はずっと爆睡しているのだが、
今回は眠ることができなかった。
それほど厳しい気流だったということだろう。

博多。中心部を歩くにも傘が飛ばされるほど。
首都圏で観るニュース映像の中の九州の大雨と台風そのもの。

ダービーを観てデスクで仕事をして、
18時に関係者と会食。

早めにそれも切り上げて、ホテルにある大浴場とサウナでブレイク
といきたいところである。



posted by damoshi at 15:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空場はどうか

間もなく搭乗か。東京は大雨。ゴッホの雨だ。雨ダービーの馬場は重を通り越して不良だろう。空場はどうか。台風のある南側を避けて北側を飛んでほしい。飛行機飛行機
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AMツアー:4〜福岡へ



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天気図だ。タイフーンだ。猛烈のようだ。
明朝から九州行きだ。

既に当該エアラインの羽田〜那覇、鹿児島便は
欠航が決まっているようである。

羽田〜福岡は大丈夫か。
福岡がさほどでなくとも、上空は大丈夫なのか。
明朝、エアラインの情報をチェックである。

南相馬、飯館村、福島市、宇都宮市の遠征時、
二度、危険があった。
一度目は先ほど記載した。
二度目のそれは同様に危なかった。

しかし、いずれもラックを感じた。
己には常にラックがついている。
それは肌で感じられる。昔からだ。

明日のフライト、明日〜明後日の現地での天候その他。
必ずラックがついて守ってくれるだろう。

月曜の夜、戻り、羽田から急いで田園都市へ帰り、
19時からはスポーツセンター貸切で
アントニオとの大会前追い切りである。

既に南相馬で這々の体だが、AMツアーはまだ始まったばかりだ。


Good Luck, and Good Night.



posted by damoshi at 00:24| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月28日

AMツアー:3〜南相馬



東名高速。
最寄りのICから乗り込んですぐ。
スピードが乗って片側三車線の左端レーンから
中へ、そして右端レーンへ移動。
さらに加速していこうと思った瞬間。

目の前を走るトラックのタイヤが急にパンクした。
爆発音と共に急速に萎む左タイヤ。
なぜか破裂と同時に外れて宙に舞う右タイヤ。

車間距離はさほどではない。

右タイヤ、その他、破片。
それらが一気にダモフィーロに襲いかかってきた。

即座に左にハンドルを切り中の車線へ移動を試みるが、
トラックも同じように急ハンドルを切って中へ移動
しようとする。

<危ないっ>

ダモフィーロはさらに即座に右へハンドルを返し、
追い越し車線へ。
中車線へ移動しようとするトラック後部と
ダモフィーロ左前部が交錯しそうになる。
ここで当たればアウトだ。

ダモシはアクセルを踏んだ。
トラックの飛んだタイヤがごろごろと転がる。
アクセルを踏みスピードを上げることで
トラックとの交錯を交わしたダモフィーロは、
その勢いで転がるタイヤを乗り越え、

そしてジャンプした。

強引ながらもそれしかないという手段で採った
<スピードを上げる>行為が奏功し、
そのジャンプは華麗なる跳躍となり
数メートル先の、追い越し車線ぴったりに着地。
ダモフィーロは止まらずにそのまま
さらにダモシに踏まれたアクセル良しで加速し
走り去った。

バックミラーを見るダモシ。

トラックは路肩へとゆっくり寄せていった。
後方車はいずれも停止し、破片を交わすべく
ゆっくりと各自進路をとっていた。

紙一重の交錯を抜け切ったダモフィーロは、
五月終わりの早朝の東名高速をすぐに抜け、
首都高、中央環状線、さらに首都高を通過して、

<こんなに朝早い時間になぜこんなに車がいるのか>
と怒り心頭の中、東北自動車道をひた走った。



*****


福島県二本松市内へ向かう二本松ICで東北道を下りる。
市内を通過して、村エリアへ入れば、
あとはひたすら山道だ。

3.11震災で福島県内で最多の
死者・行方不明者となっているのが南相馬市。

同市は、
次に多い相馬市(同428人・29人)を大きく上回る
540人の死者、218人の行方不明者となっている。
相馬市の次に多いのが
新地町の93人(死者)・21人(行方不明者)で
他のエリアはさらに少ないことを鑑みると、
いかに南相馬市が被害が甚大であったかが分かる。

もとより原発禍で揺れている。

そこへ行く、今や唯一のルートを進む。

本来は、首都圏からは常磐道で地図上、右斜め上へ走れば良い。
もしくは東北道の郡山から右へ横一直線へ磐越道。
いずれも太平洋岸へ出た後は、南から(下から)南相馬へ向かう。
しかしいずれも高速道路のそれは不通。

東北道で二本松あるいは福島西(福島市街地)まで行ってから
一本の山道を横切っていくしか手段はない。

ここまで東名、首都高、中央環状線、東北道いずれも
交通量は多いながらもスムーズに来た。
二本松から南相馬へも
いつものようにナビなしでノー・プロブレム。
お決まりの軽自動車やトラックの
スロードライビングを追い抜いていく。

対向車が奇妙なほど、多い。
いずれも飛ばしている。
さらにはドライバーの顔に切迫感がある。
皆、マスクをしている。
車中に荷物を多く搭載している。

<何かあったのか?>とAMラジオに合わせるが、
宮城県ローカルの放送は入ったが
福島県のそれは入らない。

福島も、二本松、福島市へ来れば
オールモースト宮城県だ。

後に聞いて判明したが、
南相馬への動線上にある飯館村から避難する人が
この対向車線に多くいたようである。

<今月末までに出なければなりません。
 もう半分くらいは出ていきました>と言う飯館村の住民。

南相馬へ向かう車線から一台また一台と姿が消えていく。
山間部に入り込むにしたがって減っていく。
南相馬へ向かうのは、自衛隊の災害派遣の車列のみとなる。

災害派遣の自衛隊車についていく。
どれくらい走ったか。
南相馬市へ到着した。

市役所等、市内中心部各所でオフィシャル事案を済ませる。
人と逢い、懇談や打合せ。
市内中心部でもエリア差異はある。

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(南相馬市役所)

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市役所前には二宮金次郎のスタチュ。
手に持っている書には<実行のみ>の文字。

原子力不全不安院、倒凶電力、スッカラ菅以下永田町の面々、
霞ヶ関の面々に対するアンチテーゼだ。


<力が沸かなくて>と言う人もいれば、
<相馬野馬追に向けてがんばる>と言う人もいる。

歩いている人は、ほとんどいない。
いるのは自衛隊の人々と災害派遣車。

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東北六大夏まつりの一つで、
東北地方各県の夏まつりの一発目である相馬野馬追。
千年もの長きに渡り途絶えることなく続いてきた祭りだ。
その会場へ行く。

既に原発から半径23km圏内に入っている。

人は当然、いない。
会場である相馬野馬追祭場には自衛隊がいた。
ちょうどこの日、南相馬市民の一時帰宅が行われる。
ダモシが訪れているのと同じタイミングだ。
相馬野馬追祭場がその中継地点となっていた。

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勇壮なる祭において馬たちが駆ける場所だ。

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しかし馬房には一頭もいない。

今年、遂に途絶えるのか。今こそ武士の意地で馬一頭でも開催するか。
問題は会場自体が、エリア的に緊急時避難準備区域になっている。
しかも既に立ち入り禁止区域の20km圏内と大きな距離差はない。
オールモースト、立ち入り禁止区域である。


*****


住民の数は<平時の三分の一です>と言う。
しかも高齢者ばかり。
避難していた住民が戻りつつあるが、
戻ってくるのはお年寄りだけ。
小さな子供がいる家族や若者は皆無。戻ってこないという。

中心部のメイン駅は原ノ町駅。JR常磐線の駅だ。
平時では一日あたり約1,700人の利用者がある。
しかし人影はない。皆無だ。ここもクローズだ。電車は未だ運休である。

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宮城の仙台から石巻へ行く仙石線はさらに一部復旧し、
ついに仙台〜松島間が可能になった。
日本三景・松島への動線が復旧したのだ。
しかしここ南相馬では中心部の駅は未だクローズである。

店も開いていない。コンビニエンスストアも閉まったまま。
既に昼時。ランチを摂るにも店がない。

関係者に<ぜひ、行ってください。見てください>と言われる。
被災地に、被災地を、である。
市内中心部から車を走らせてわずか数分。
既に市内中心部自体が沿岸部だ。

向かう。車中、携帯が鳴る。とる。話をする。
思わず夢中になって話し込んでしまう。
その間、わずか二分程度。間もなくリアル沿岸部。

と、後方で歪なサイレン音が響く。白バイだ。
来訪の要件を率直に語る。

<お仕事でこちらへ…。なるほど>と納得する氏。

免許証を見る白バイ氏が訝しがる。

<二輪と自動車の免許、とったばかりですか?>。

1ディケード、米国に住んでいたこと。
その間に免許証の有効期限が過ぎたこと。
過ぎた期間が長過ぎたから失効したこと。
しかしながらとり直しではなく交渉の末、
筆記だけで済んで再発行処置を受けたこと。
その他を語る。

<アメリカのどちらに住んでおられたのですか?>
<ニューヨークです>
<それもお仕事の関係ですか?>
<ええ、まあ>
<格好いいですね…>
<いえいえ>
<今日もお仕事で南相馬へ…>
<ええ>
<すごいですね…>
<すごいかどうかは…>

ダモシの仕事の何たるかは氏も具体的には聞かずだが、
"何者か"であることは察するクレバーさを持っていた。
実に紳士的にダモシを扱い、
ゆえにダモシも紳士的に振る舞う。

ジェントルマンズ・アグリーメントが成立した。
暗黙の了解である。
男と男の。

これぞ人情相撲。

<厳重な注意>にて大団円。

<ではこれから現場へ向かわれるのですね。
 くれぐれもお気をつけて。
 陥没していますから。通れませんから>

<そうですか。しかしながら私は行かなければなりません>

ジェントルマンズ・アグリーメントで互いに健闘を称え合う。
そして互いにグッドラックを与え合い、別れを告げた。

それから走ることわずか三分。
道はなくなった。途中、存在していた車もいなくなった。
そして誰もいなくなった。

そこに広がっていたのは、NOTHING-ナッシング。


ダモシの口から出た言葉は、

<ナッシング…ナッシング…あぁ…ナッシング…>。


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がっくりと、きた。意気消沈した。頭を垂れ、黙祷した。

有無を言わせぬ、ナッシング。


(つづく)



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2011年05月27日

AMツアー:2


六月一杯にかけての旅、<AMツアー>のトップとなる
南相馬市と飯館村その他から戻ってきた。

諸々,あった。走行中の、紙一重もあった。

疲労感でいっぱいである。

むろん怒りもいっぱいだが、

ワイフの言ではないが
ブチ切れてばかりいると本当に"切れて"しまうから
アンガー・マネージメントを施しながら、である。

今宵はさわりだけ、お届けしたい。

忌憚ないリアルな画像である。

永田町と霞ヶ関のボンクラ共よ、
原子力不全不安院と倒凶電力の能面共よ、
ほとほと、このチキン共は、ええかげんにせえよ! と。

逃げていないで放射能浴びに来い!ここへ。


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NOTHING.

文字通り、ナッシング。
それしか言葉は浮かばない。
すべてが消失した中に、ダモフィーロが佇む。

ダモシは黙祷し、そして呟いた。

<ナッシング…>


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海へと向かった。破壊された堤防を登り、海を見た。

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そして原発方を見た。

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今回は、宮城の時と異なり、
撮った写真は公開する。後日、ウェブアルバムで掲載する。
芸能人のちゃらちゃら慰問名目のPR活動や
"がんばろう"も、ふざけるな、である。
それら偽善者へのアンチテーゼで、まったくなにも復興や復旧は
進んでいない現実を見せなければならない。


*****


今回の旅シリーズのエントランスでも
自身への危険は別の世界であり、紙一重だったが、
このAMツアーと銘打った<旅>は波乱の様相は否めない。

今週末は福岡遠征だが、その日、ちょうど九州に猛烈な台風が来るようだ。
29日の日曜日である。30日(月)の夜にはアントニオとの大会前特訓があるため
戻ってこなければならないが、九州を始め西日本では29日から大荒れとなる模様だ。


今宵はこれにてGood Luck, and Good Night.



posted by damoshi at 02:30| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

AMツアー:1



新たな旅の正式名は<怒りの旅>改め、
<アンガーマネージメント・ツアー2011>。
Anger Management Tour 2011である。

明日の未明から始まる。
今宵間もなく横になる。なにしろ4AM台には出発である。

ツアーのはじめ。
最初の(明日の)デスティネーションは、福島県の南相馬。

そこへ往くには常磐道も磐越道も不能ゆえ、
東北道の二本松で下りてから延々と山道を抜けることになる。
途中、飯館村も寄る。

明日と明後日で、その他エクスカージョンで二本松や那須、宇都宮。

そしてウィークエンドからはツアー二番手、
九州は福岡・博多行きとなる。

明日のエクスカージョンである南相馬まで拙宅からの
走行距離は約350kmだが、
所要時間は360分と出ている。
六時間・・・、異様に時間がかかりそうだ。

明日はネット環境がないため掲載できないが、
今回のアンガーマネージメント・ツアーは
適宜、環境が整えばレポートする所存である。

可能であれば、携帯から寄稿したい。


Good Luck, and Good Night.



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2011年05月22日

何れ菖蒲か杜若



学び舎に戻ってきた感じである。
ある意味で、ここはダモシ自身にとっても学び舎である。

四月は、ニューヨーク時代の初代から数えても
ダモログ史上で月間最少掲載数だったが、
この五月もそれをさらに下回りそうな気配。

率直にいって<気分が悪い>ことと、
オフィシャル事案のO.D.状態が続いていることが主な原因だ。

この<気分の悪さ>=
その大半を占めている<怒り>は、三月から延々と続いている。

あまりにも、関わる相手すべてとダモシの考え方に齟齬があることと、
あまりにも、不愉快な所作や態度がこの国に溢れていることが、
これまた主な原因である。

要するに納得がいかない、わけである。
まったくもって許せんぞ、ということが多いのである。

以前も書いた通り、それは<気づいてしまった損>。
そして、オフィシャル事案で関わりもある
あらゆる"お上"が下す誤った判断への不納得。

ほとほと霞ヶ関を筆頭とするこの国は、間違っている。
普通のことを普通にできない。
良識もなければ、的確な判断や、アクションにおけるスピード感もない。

例えば東京電力とて民間企業といいながら、
オールモースト"霞ヶ関"である。

輩は己が老後の問題に関わるとして退職金にまで手をつけずに
賠償を云々している。
そもそも老後の蓄えや問題どころか命や喫緊の生活自体を
崩壊させられた人々がいる中で、未だなお己が老後を考える思考回路。

これなどは、"霞ヶ関"の思考回路を象徴している。
本来、国民のために満身創痍で奉仕すべき"霞ヶ関"の連中は
それをするどころか、己が保身しか頭に描いていない。

この責任は、
"霞ヶ関"へ多くの人間を送り込んだ小学校〜大学にもある。
結果的にそういう教育をしてしまったのである。

青年よ大志を抱け的な教育は、いま何処。

今回の震災では多くの民間人や民間企業がスクラップの被害を受けたが、
究極は物事すべてスクラップ&ビルドが必要なのは明白な中で
本来的には"霞ヶ関"こそが徹底的なスクラップが求められる。

被災地を訪れる、特に"芸能人"の所作もダモシ的にはアグリーであり、
can not agreeだ。

では、テレビが付いてこないところへ行くか? と。
言ってしまえば所詮彼らはあれこそがPRである。
己がエクスポージャーの好機とばかりに
避難所を訪れて歌を唄う。
きれいごとを言うことは簡単だ。
よゐこを演じることも至って簡単だ。

ふだんエクスポージャーの少ない歌手だかタレントだか分からぬ輩が
テレビとくっついて出かけて、そこで唄う。
さも素晴しいことをしている風に、ともすれば見せることができる。
が、もはや時代はそれを分かっている。
それで感動するなんぞもはやあり得ない。

<一度壊れなければダメだ>というのは、
ニューヨークを筆頭に異国での経験をもとに
相対的にニッポンを見た場合の、
ニッポンに対するダモシの論であることは
昔から周知の通りである。

だが、それを指して今回の震災の被災地や被災者に
当てはめることはあり得ない。

一度壊れなければダメなのは、国である。霞ヶ関である。
彼らこそスクラップされるほどの大きな出来事が起こる
必要性があると同時に、

国全体にとっても、ある意味でスクラップは、
ナアナアやぬるま湯に浸かっていてはダメなのよ
フルコンタクトのストロング・スタイルで
欧米のように忌憚のないところで
仕事も遊びも生き方もやらなければダメなのよ
という世界観では必要なことである。

今回、被災地と被災者を筆頭に、
ナアナアが消えて、国(霞ヶ関)に対してシュートしている。
それはそうだ。文字通りSINK or SWIMの状況だからだ。

しかしこの状況認識は、常にそうあるべきことなのである。
オールウェイズ、ナアナアとぬるま湯をやめて
国と国民が生きてきたならば
このような堕落した国にはなっていないはずなのだ。

それをダモシは言っているのである。

今、ダメなものはダメ、おかしいことはおかしい、
間違いは間違い、ときちんとそれぞれが主張するように
ようやくなってきている。

その意味では、良いことであるが、
哀しいことには、そうなることができたとき
既に遅しでtoo lateな感がある。

それが今回の震災を考える時の、一つのマターでもある。

ダモシから言わせれば
<"ちゃらちゃら"と被災地と避難所に
 やって来ては唄ったりお笑いをしたりする芸能人>が
今宵もまたどこかでよゐこを演じている傍らで、

まだまだまったくといって良いほど復興の足がかりも掴めない、
復興どころかday by day危機的状況に陥っている人々が
大勢いる。

にも関わらず、<ア菅>を筆頭に、国が手を打てない。

どうしようもないのである。

人災のせいで被害を被っている農業や漁業。
那須にもそれはやってきていて
損害を多く被っている。牧草も出来ない。
となれば来年の餌は大金を出して買うしかない。
その損害とかかってくるコストをどう補償するのか。
さっさと補償せえよ,と。

最悪ダモシが出る。
那須側がきちんと対国、対霞ヶ関というマターで
己が正当な主張をすることが得意でないならば
ダモシが出て対霞ヶ関へタフ・ネゴシエーションして
返してもらうものは返してもらうつもりである。

day by day危機的状況に陥っている人々が大勢いることを
まずは考えろよ,と。
芸能人にも言いたい。唄って云々ではないぞ?と。

きれいごとよりも、リアルな実体的な補償と、
将来的な部分での明確なグランド・デザインこそが
最大のマスト・イシューなのである。

そこをはき違えてはならない。

復興へ向けて歩み出している人や
芸能人の歌で勇気づけられた人などばかりを先んじて
露出して状況を改竄して大衆に示すのはメディアの犯罪である。

まだまだ先に考えたりアクションしなければならないことはあるのだ。

ほとほと、何をしとるのかと言いたくなる。

オフィシャル事案でも対霞ヶ関においては、
まったくもって相容れない。共感できる点がゼロというのは異常だ。
これでも同じ国民、同じ民族なのかと呆れ果てるほどの
考え方や観念の相違である。

ダモシがガイジンなのか?とさえ穿った見方をせざるを得なくなるほどだ。

これは、異常だ。

いずれにせよ、
有事にこそ人間個々の本質と本性が出るということは
ニューヨークの9.11の際にイヤというほど分かったから、
既に承知のことであるのだが、

今回も、<ああ、やっぱり出たな>というのが率直なところである。

ふだんナアナアをやっている国と国民だから、
よけいそれが白日の下に晒されるのである。



*****


空手の他団体へ対するダモシのブチ切れ事件。

先方からレターで回答が来たが、
これも霞ヶ関同様に物事の本質をはき違えた内容で
さらにダモシを怒らせた。

ダモシは、<もうこれ以上、相手にするヒマはない>と絶縁を表明した。

なぜ同じ民族、同じ国民でここまで不理解が起こるのか。
結局、その団体も昔から悪評はあったが、
ナアナアでやってきて、
誰も責めなかったから、もはや時既に遅しで、
<何がマズかったのか>
<どこかいけなかったのか>
<自分たちが悪いところはどこなのか>をまったく理解できない。

だから自画自賛のエクスキューズ満載の回答になる。

<日本語を読めない、解釈できない、ただのバカなのか?>
とさえ思ってしまうわけである。

結局、ダモシがシュートしたからこそ、
こうして彼らの無能ぶりが露呈して良かったのである。
さもなくば、何年も同じことを繰り返してきた団体である。
今後も同じことを繰り返す。
だから多くの団体がそこが主宰する連盟から脱退が相次いでいるのだ。
それに対して反省するということができないほど
低温火傷状態に陥ってしまったのは
ひとえにこれまでナアナアでやってきたからに他ならない。

そんなレベルの低い団体とは関わらない。
己が子をそんなレベルの低い団体が主宰し、
もはや内輪しか参加しないオープンの大会に出させることはできない。
だから、もう二度と出さんよ,と。
出るとすればダモシ自身が最初から決闘モードで会場に乗り込む
という世界観になるから、よろしくないだろう。

まあ、せいぜい内輪だけのグループで
とても全日本だの関東だの県などという冠を付けられないような
クローズの大会を今後もそこは続けてゆけば良い。
しょせんフルコンタクトではない、しょっぱいルールだから,
もうどうでも良いのである。


*****


震災に端を発した
仙台と那須といういずれも準ホームが種々受けている被災、
そして空手の某ローカル団体へのブチ切れ事件、
"ダチ"のガン闘病、
ダモシ自身のオフィシャル事案に直接関わる被災地と
それにまつわる霞ヶ関の破廉恥な所作、
その他もろもろから、

冒頭の<気分が悪い>というシチュエーションが続いている現況。

何となくスポーツ等エンターテイメントも盛り上がりに欠ける。
競馬にしてもオークスが典型例だが、
スター不在のワケの分からない何でもありの世界観。

<軸不在>は相変わらず,だ。沸き立つものがないのだ。

アントニオも好調か不調かといえば、後者だ。

先週の大会、今年の三戦目ではじめてメダルを逃した。
優勝どころか、メダルなしという悲惨な結果である。

しかも、敗北は、<取りこぼし>といえる内容で、
久しぶりにアントニオはダモシに
こっぴどく叱られた。

大荒れのダモシは、翌日以降のオフィシャル事案でも
その影響もさらに付加され、吠えまくる始末。

皆、なにをしとるのか、と。

アントニオの場合は動きが悪く、必死さも伝わらない。
完全に、実戦感覚が鈍っていたといえよう。

<実戦不足だな…>とダモシは痛切に感じた。

そもそも大会中止等で戦略が乱れている上、
アントニオも忙しくなり
道場での稽古の不足はダモシ自身懸念していたことでもある。

まったくやられていない上、一方的に攻めているのに、
決め手を欠いた挙げ句、
例のルール上の問題点である
<面>が付いてしまうという反則を三回もとられて反則負け。

<一方的に攻めて、何もやられていないのに負ける。
 これでは何もしない方が勝つでしょ>とワイフも怒る。

60-70人単位で出てきて、
全国大会といえどもそう簡単には負けない中で、
三月の大会同様にニッポン代表だけがトップ18で
組み込まれてしまうという、

<毎回、全日本選手権>という状況。

これは他のコドモも同様で、
<あれ?>というところで、負けたりしている。
あの選手、今日の動きおかしいぞ?と。

要するに、一つにはコドモも疲弊しているということだ。

ある意味で、<またかよ>的な、
毎回毎回、参加道場も主も父兄も選手も
同じ顔ぶれのニッポン代表がいて、
それこそブレーキの弛みがない状態。毎回毎回、潰し合い。

レベルが初級、中級、上級とあっても、
それぞれを分けずに闘う方が良いのである。
初級のコドモがニッポン代表に勝てないとは限らない。
そこにチャンスがあるのにも関わらず、
毎回毎回、出てくるのがニッポン代表だけだったり、
グループ分けされたり、トップリーグ的に組み込まれると、
闘い模様はまったくそれで違ってきてしまう。

昨年末の大阪遠征で感じたことだが、
団体や主宰は多岐に渡り膨大である。
一つのそれだけがすぐれているわけではなく、
初邂逅した大阪のそれにおいては
ダモシも認める強者(アントニオ初のKO負け)もいたわけだ。

<あぁ…。やばい。これはレベルが高いぞ>と。

どの選手も。

未だ見ぬ強豪はごまんといる。

毎回同じ顔ぶれだけで闘うよりも、
以前も書いたように多種多様な選手と闘い、
切磋琢磨することの方が
ダモシにとっては重視することである。

その部分が、いささか最近は、
いかがなものかといった感があるのは事実である。

次戦は間もなく。ここもまた同じ顔ぶれになろう。
今度はアントニオが勝つかもしれないし、
今まで勝っていない選手が勝つかもしれない。

正直、<どうせ、またあの顔ぶれだろう…>と感じることで
湧き出る<ふぅ…>という溜息も漏れる。

本人とはボクシングの練習を積んでいて、着々だが、
一方で<ムエタイの試合に出たい>という意欲も出てきて
その練習もスタートした。

寸止め空手や防具付き空手はやらないが、
バチバチのストロング・スタイルで
フルコンタクトの空手以外のボクシング、ムエタイも
積極的にやっていくことがやはり必要だろうと感じる。

先週、取りこぼしたことで、
また新たに課題は厳然と存在していることに気づくわけだ。
早速、昨日も長時間改めて厳しく指導した。

次戦でリベンジが求められよう。
同じように冴えない負け方やしょっぱい試合をするようでは、
ゼロ・ベースでやり直すくらいの
厳しさは必要である。


ダモシは言った。

<一定レベルになったから、
 最近、すこし楽してるだろ?実際。
 楽したら痛い目に遭うぞ。

 遊ぶときは遊ぶことに、
 空手をやる時は空手に、
 タップをやる時はタップに、演技をする時は演技に、
 すべてそれに集中することが大切だ。フォーカスだ。
 なにをやるにも真剣にやれ!
 
 イヤでもどうでもやるときはやるのだから、
 楽しく明るく元気良く、そして己が主導権でやれ!
 俺も仕事の時はその仕事に100%集中してやってるぞ!
 必死に、真剣にやれ!>。


気分が乗らない時もある。
言ってもまだ小二である。それが先週の試合だったのだろう。

だとするならば、そこでの悔しさを本人が噛み締めて
次に生かさなければならない。
それは小二だろうが大きな七歳ダモシだろうが同様だ。

例の、大会前三本柱への祈り。
これは次回からゼロ・ベースで見直しだ。
次戦は今一度、真剣に、気合を入れて彼には闘って欲しい。

ウルトラの母はダモシを諭した。

<毎回優勝ばかり、ないよ。挫折も必要>。

さよう。
立場的にダモシはこれを前面には言えない。
だから、こういう言で諭す存在がダモシには必要なのだ。
そのロールは実母以外には、いないだろう。


実際、『勉強』というカテゴリーのことは一切していないが、
アントニオも
空手のみならず
タップにヒップホップに演技にと
ウィークエンド含めて忙殺されて、
一日しか友だちと遊ぶことが出来る日はない。

他のコドモも色々やっているだろう。
だが、仮に空手だけに集中しているコドモとは、
練習量で差が出てくる。
最近、道場での稽古不足の感は拭えない。
ダモシの自宅等での直接指導にも回数的に限界はある。

最近は、ある意味で、才能だけでやっている感じである。

かわいそうだな、とも思う。
本人も疲れるだろうな,と。
且つ喘息にアレルギーにと、
本人も体調の折々の変化によって
マインド的にも気分が良くない日もある。

ほとほと常に元気で絶好調なコドモがいるとしたら、
羨ましい限りだが、
それでもそんな中でも諸々笑顔でやることができるだけ
幸せであろう。

そして、どうせやるならば、"結果"も出させてあげたい。
それが親心である。
勝つためだけにやっているわけではないが、
そこにコンペティティブな要素があるならば、
そもそも負けるためにやっているわけではないのだ。


本当に、難しい。難しくて難しくて…といったところで、
これから学年が上がるにつれて
己がコドモに対する教育はさらに難しくなっていくことだろう。

こちらも大きな七歳ゆえ共に成長するしかないわけである。


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もはや大会場で気後れするということもない。
ただ、日によってオトナもそうであるように
コドモはなおさらマインドのノリは違ってくる。
難しいところである。

選手たちは高いレベルでの群雄割拠。
忌憚なくそれは、何れ菖蒲か杜若か、といった状況。
霞ヶ関や永田町などの、ただの横並び/誰がやっても一緒/
どいつもこいつも低レベルのしょっぱさだな
という世界とは、まったくワケが違う。
コドモのスポーツの方がよほど真理をついている。

だが一方で、毎回毎回、何れ菖蒲か杜若では、厳しい。
ポスチャー的に美しくない。
そこに牡丹や紫陽花があることで
彩りと豊かさが生まれるのである。

少しオトナ側は、考えた方が良い。

ダモシが資産家ならば、
コドモの日本最大のリアル・トーナメントを
プロデューサーとして自分が運営するだろうなぁ、

と悔しいところである。

その草案はあって、舞台は迷わず日本武道館なのだが…。



*****


日々是吠えまくり、日々是ストロング・スタイルの中でも、
数少ないリラクゼーション・タイムはある。

アントニオと自転車で散歩することが
最近のリラックスである。

季節的にも、梅雨前の今は、爽やかだ。

ここ最近のそれから写真を。


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まさに何れ菖蒲か杜若。

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田園都市の良さの一つがこういった田園風景だ。

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この季節ならではの、
そして今のダモシにはこういう一服が必要である。

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今週から六月全般にかけて、
オフィシャル事案で<旅>が予定されている。

全国だ。

ある意味で、<怒りの旅>である。

もう行かんといかん!的な世界観の旅である。
闘いの旅である。

そこにはむろん東北も含まれる。
東北の中でも、ある意味で禁断の(原発の)地も含まれるだろう。

まさに怒りの旅だ。

オフィシャル事案については
今まで同様触れない/詳細は一切書かないが、
<旅>カテゴリーに関わることは掲載する所存である。

タイトルはこうなるだろう。

<怒りの旅-2011-梅雨>。



posted by damoshi at 21:58| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月09日

GW-fin./祝-平泉


ゴールデン・ウィークが終わった。
皆々様、明日から仕事か。

久しくスーツを着ていなかったり、
コドモとの時間が多かったことで、
スーツが着たい、仕事がしたい、会社に行きたいという
気持ちになっているのではないか?

ご安心を。そんな新たな心持ちも、一日で終わる。
否、おそらくAMだけで終わるだろう。
「ビジネスマンになろう」という新たな決意はAMで終わり、
すぐにサラリーマンへ戻ることができるから心配無用。

勘は鈍っていないから。

一方、今宵の夕刻から
強烈なるサザエさん症候群スペシャルに襲われた
皆々様もいるだろう。

それも心配無用。明日のAMですぐに戻る。
ナアナアの日々にすぐ戻ることができるから大丈夫。

髪を切ったり、さっぱりした顔つきなどの人々が
明日の朝の電車内には一杯いるのだろうな、
とまたシニカルに想うダモシもまた、
明日からオフィシャル事案に戻るわけだ。

新たな決意もなければ、サザエさん症候群スペシャルも、ない。
そもそもゴールデン・ウィーク中も
オフィシャル事案は忘れていないし
実際にデスクや外でそれにも携わっていた。

ダモシの場合は、休み云々は関係ないのである。

関わっている内容的に、昔からそうだが、
日常も非日常もすべてがオフィシャル事案に絡んでくる。
プライベートもすべてオフィシャルに関わってくる。
関連しているからしょうがない。


*****


一昨日からやきもきしていた件で、昨日、嬉しいニュースがあった。

平泉の文化遺産の<世界遺産>登録が、ほぼ決まったのだ。

昨夏訪れて強烈なるディスカバー・ジャパンと共に
プライベート事案においても
まさに中尊寺にいるその時、アントニオの目指していたものが
達成されたという知らせが届いた出来過ぎの存在。

ダモシ認定<ディスカバー・ジャパン>に認定されていた
その平泉の文化遺産だが、遂に二度目の挑戦で悲願達成となった。

オフィシャル事案でも岩手県と関わっているため、
早速、祝福のメールを送った。

知床などの自然遺産群はピンと来ないが、
ダモシも認める平泉の世界遺産登録である。
プライベートでの格別な想いと
オフィシャル事案での破格なパッションの投影。
その両面で関わっているだけに我がことのように嬉しい。

当時もディスカバー・ジャパンのカテゴリーで掲載したが、
今宵は祝いの三枚。


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東北の復興へ向けた大きなエモーショナルなエポックの
一つになるだろう。

ここは必見である。
ディスカバー・ジャパンである。

韓国や琉球王国、北の某国等、
海外への"旅行"に行く暇があったら、
ぜひ毛越寺、中尊寺、高舘義経堂その他、
奥州平泉にこの夏秋冬、足を運んでみて頂きたい。

ダモシ推奨の、MUST SEEが満載である。


<文化>。
日頃からダモシが重視しているものである。
カルチュラル・アイコンのヴァリュー。

そういう意味では、
富士山が"自然"ではなく霊峰としての
ヒストリカル且つカルチュラルな世界観を主題として
もっとディープにアプローチすれば、
世界遺産に相応しい存在であることは言うまでもない。

単なる山、単なる自然ではあり得ないのだ。
ゴミがどうのの次元ではないのだ。

カルチュラル・アイコンとしての富士山を、
もっともっと深くアプローチするべきである。

富士山は山であり自然だが、
ダモシ的にはそれよりもウェイトが高い主題として
<富士=カルチュラル・アイコン>なのである。

そこを見誤ってはいけない。


*****


2011年のゴールデン・ウィークは時世を反映してか、
ダモシ軍が出かけた日以外は
どこぞの北の某のような、しょっぱい天気が続いた。
アカンわ、と。

最終日の今宵は夏日。
多くの人が想っただろう。

<最終日にこんなに良い天気にならなくても…>と。

ゴールデン・ウィークの終わりを告げる神々しい夕陽が今宵出た。
久しぶりのオールウェイズ246の夕日である。


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最後に、最近はほとんど写真に映ることがなくなったダモシだが、
一枚だけワイフがこのゴールデン・ウィークでのダモシを撮っていた。

アントニオとフリスビーに興じるダモシ at 二子玉川。


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posted by damoshi at 00:20| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

江戸川橋から九段下



本当にこの度の一連の
天皇皇后両陛下の被災地訪問における所作は
素晴しいと思う。

心がある。心が感じられる。
避難所にいる被災者の方々はその瞬間だけでも
救われる気持ちになるのではないか。

スッカラ菅。ほとんどその所作は認められないが、
今宵の浜岡原発の停止要請に関しては、評価したい。
むろん賛否両論あるだろうが、
ダモシは賛成であり、この所作を評価する。

ユッケ問題は深刻だ。"犯人"の実態が見えない。
遺族の心中いかばかりか。
運営会社も卸業者もアグリーな責任なすり付け合いは
いかにもこのような事態における定番だ。
一方で、国も悪い。厚労省だ。
内閣府の食品安全委員会も信用できない。
もしかして彼らもまた原子力不全不安院に等しく
食品不安委員会なのではないか?

すべてはグランド・デザインの問題であり、心の問題である。
そして国=霞ヶ関と永田町の怠慢も責めに帰すべきである。



*****



今宵は長い掲載。

アントニオの大会前恒例の三点セットでの祈願を
主題として出かけた中で、それでは毎回同じ掲載になるからして、
久しぶりの<オトナの遠足&お散歩>カテゴリーで
各所からお届けしたいところである。

エリア的なところでは江戸川橋から九段下の
オールモースト徒歩での数時間のオトナのお散歩。


*****


スタートは、護国寺。

一月の今シーズン最初の、
ばちばちのフルコンタクトの大会を前にして、
昨年までと変化させた大会前祈願の方法。

■護国寺のゴッドハンド墓参
■東京カテドラル聖マリア大聖堂での沈黙と祈り
■関口芭蕉庵でのお願い

この三点セットが早速結果が出て
優勝(組手)と準優勝(型)の金銀メダル獲得。

<ダモシx教会>の関係性はその際、掲載した。
98年頭、<もう寺社仏閣はダメだ>と
教会での祈りに変えた途端、渡米の夢が叶ったことを掲載した。
教会へ行って沈黙し、祈ろう。
アントニオの件も、そのように変えたのだ。
そしてすぐに結果が出た。
これを恒例のコースとした。

三月初旬の大会前も行ったが、当日朝にフルー発症。
アントニオは無念の欠場。

震災に端を発して、三月中旬の大会は主催者側と大モメ。
ブチ切れの不参加とその後の抗議文書発出に至る
(未決着の、継続中の事案である)。
この際は祈りには行っていなかった。

三月下旬の連覇を賭けた大会前も
祈りに行くことができず祈りなしで臨み、
組手・型ともダブル銅メダル。

四月に出場を予定していた大会は、大会開催自体が中止。
祈りに行っていない。

そして今回、だ。
しかもまさにゴッドハンドの本丸の、
その全日本選手権である。

いつにも増して力を込めたゴッドハンド墓参へ
護国寺へと出向いた。

今宵のスタートは、護国寺だ。

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既に掲載しているので詳細は省きたい。
いずれにせよ護国寺といえば護国寺だ。

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本殿は国重要文化財。

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護国寺には多くの人が眠るが、
中でも著名な人、歴史上の人も多い。

大隈重信、山県有朋、三条実美などなど。

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そしてゴッドハンド。
アントニオが今回もフォルムカードで
ダモシと同伴して墓参。

優勝を目標として全力を尽くすことを報告。
見守っていて欲しい,後押しをして欲しいと祈願。
チケットも供えた。

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命日が4月26日ということもあり、
門下生が墓参した様子がうかがえる。

そして今回は同じ護国寺に眠るもう一人、梶原一騎に逢う。
<空手バカ一代>の梶原一騎である。

ここでも来週末の大会の件を祈った。

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後年、ゴッドハンドと梶原一騎は袂を分かったとされるが、
ゴッドハンドにとって梶原一騎は
紛れもなく大きな存在だったはずだ。
<空手バカ一代>こそがゴッドハンドと極真空手にとって
大きなパブリック・リレーションズになったことは
否定できないだろう。

それだけあの<空手バカ一代>は強烈なるインパクトを
今もなお残す昭和のカルチュラル・アイコンである。


護国寺を後にして徒歩約八分。
文京区関口は東京カテドラル聖マリア大聖堂。

既載したが、青少年時代のダモシが
小沢征爾指揮のクラシック演奏会を聴いた場所。

沈黙し、その後、跪いて祈りを捧げた。


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今回のお言葉は、こちらだ。

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<どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
 何ごとにつけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
 求めているものを神に打ち明けなさい>。

ダモシは求めているものを神に打ち明けた。


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ルルドの洞窟のマリア。

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いつものルーティンでアントニオも来た。


*****


護国寺付近には講談社がある。
講談社を過ぎて関口の方へ登っていけば
東京カテドラル聖マリア大聖堂があり、
通りを挟んでその向かい側に
フォーシーズンズ椿山荘がある。

目白方面へ少し歩けば講談社絡みとして、
その創業者・野間清治氏のコレクションを展示する
野間記念館が瀟洒な佇まいを見せる一角にあたる。

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さらに三分ほど歩いて左に折れて
小径を往けば高台から森へつながってゆく。
その途中に木々高く茂り、陽射しがその隙間から射し込む
向こうに洋風建築が見えてくる。

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江戸時代から戦後にかけて在った細川家の屋敷跡。
細川家に伝来する歴史資料や文化財を公開する永青文庫。

永青文庫の門を出て左を見れば長い坂がある。
毎度通るのだが、
自転車を押しながら歩く人も案外多い。
皆、息を切らせ、牛歩で上がってくる。
厳しい階段、坂だ。


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(坂を下から見る)。

これを降りてくると関口芭蕉庵。
文字通り松尾芭蕉が一時期住んでいた庵跡である。
ここも三点セットの一つ。

だが、今宵、休園となっていた。

<うぅ…>

ダモシは呻いた。

これで事実上、三点セットが崩れたことになる。

仮にこれで
ゴッドハンド墓参と大聖堂での沈黙、祈りの二点で
今回の大会を望むべき最高の結果になったならば、
芭蕉庵は次回から外されるだろう。

だが、求める結果にならない場合、
あるいは最悪の結果になった場合、
これはもう芭蕉庵の効能が大きいと考えられるだろう。

どちらに出るか。

しかし、クローズだったとしても
その門の前からいつものように芭蕉さんにお願いした。
だから三点セットは果たせたともいえる。

微妙ではあるが…。果たして、どう出るか。


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*****


関口芭蕉庵は下に位置している。
護国寺から登ってきて東京カテドラル聖マリア大聖堂。
大聖堂から下ってきて芭蕉庵。
そこには神田川が流れている。川を渡り切れば新目白通りに出る。
しばし歩けば東京メトロの江戸川橋駅になる。
護国寺最寄駅の護国寺駅の一つ隣だ。

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途中、このような貼り紙を見た。

江戸川橋から一つ目は飯田橋。
飯場橋駅から徒歩五分の位置には
いま流行のパワースポットがある。

<パワスポ>&<縁結びの神様>とくればもうそれは
イマの女子が勇んでお出かけなさる構図。
イマの女子の消費者便益を大いに満たすは、東京大神宮。

だからか、案の定、想定通り、
もうまさにお約束とばかりに
わんさかと女子たちが境内に大挙として集合。
参拝するのに列を成す始末。


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それぞれにとって
最高のパートナーとの良縁があると良いですね。
少なくとも<男なんか>的に良縁を望まないような女子より
無邪気に真摯にそれを願う女子の方が
ダモシ的には好感が持てる。

男と女の異性としての最高のパートナーは
<出逢い><めぐり逢い>であり
デスティニーだ。

だが、そもそも異性に興味がないと、
恋愛や結婚に興味がないと、
出逢いやめぐり逢いがそこにあるのに逃すことにもなる。
それに気づかないことにもなる。

デスティニーであったとしても、人間なのだから、
己が意思は必要なのである。
そして出逢いとめぐり逢いへ向けて
日々、男として女として己を磨くことはマスト・イシューだ。
格好悪いより格好良い方がいい。
ブ〇よりカワイイ方がいい。
当たり前のことだ。

人は"普通"、顔や肉体ポスチャー、仕草などという視覚で入る。
そして声という聴覚、匂いという嗅覚などなどで入る。
だからそれも無視してはいけないのである。


東京大神宮から目白通りを歩けば靖国通りと交差する。
九段下である。左へ往けば神保町の古書街、
右へ往けば九段下の武骨なファシリティ群が登場する。

震災で問題になっている九段会館、これは必見な昭和館、
国立公文書館、国立近代美術館、科学技術館、
あまりにもヘヴィすぎる存在の靖国神社、そして日本武道館に、皇居。
錚々たるラインナップのエリアである。


九段下へ辿り着く直前、目白通り沿いにあるホテル。

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あぁ懐かしのホテル・グランドパレス。

ニューヨーク時代、
オフィシャル事案での関わっていた時期がある
ボールルーム・ダンスの世界。
欧米プロダンサーを伴い日本逆上陸で
何度かビジネストリップしてきた際に、
一度逗留(一週間程度の宿泊)したことがあるホテルだ。
2003年6月のこととはっきり覚えている。
成田に降り立った瞬間に梅雨入りしたことも記憶に新しい。

ここは日本武道館に徒歩圏。ゆえに選んだわけだ。
国内最大規模の大会に参加する
海外からの選手をケア。彼らもまたこのホテルに逗留。

上階のバーでの前夜祭も想い出される。


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問題の九段会館。
古くは軍人会館にして2.26事件での戒厳司令部。

震災の日、津波よりも真っ先に
テレビ映像で出てきた場所だ。
地下鉄サリン事件の際を彷彿とさせたあの映像。

<なぜ東京でこんなことになっているのか?>
と九段会館前で倒れる人々の映像を観て感じた。

ここは完全に管理不行き届きといわれても致し方ない。
運営している日本遺族会が訴訟されたが、
それも致し方なかろう。管理責任だ。

九段会館以外でも日本科学未来館や
ミューザ川崎シンフォニーホールその他など
ホールやスポーツ・ファシリティで天井落下が震災で起こったようだ。
耐震性の部分で再考が必要だろう。

地震が多く起こる国なのだから、その想定は出来たはずだが。
やはりこれも怠慢と油断か。世の中をナメていたのだろう。

九段会館は目白通りと靖国通りの交差点
である「九段下」から目前に見える。
そしてその「九段下」の角にあるのが昭和館。

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戦中・戦後の生活に係る歴史的資料を展示するファシリティ。
今から12年前のオープンだから、ダモシは在米中。
どうりで入館したことがないはずだ。

<おや?>と
気になるエキシビションが行われていたので入館した。

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<ポスターに見る戦中・戦後>。

なかなか興味深い逸品の数々が展示されていた。
力道山のプロレス興行、ラヂオ体操の会、
青年徒歩旅行などなどのポスター、広告から
映画宣伝ポスター、当時の雑誌までが並ぶ。

時代が時代ゆえ、企業の(商品の)ポスターも、
国の扇動ポスターも、強烈なヘッドコピーが多く見られる。

<勝つ為の統制だ!>
<お国の為に金を政府に売りませう>
<家庭鉱脈根こそぎ動員>
<名誉の負傷に変らぬ感謝>

などという運動的、供出的コピーから、

<戦後10年・・・
 お菓子ならただ甘ければ、
 ビールならただ"にがければ"
 という時代が過ぎて>

<馬強ければ、国強し>

<みんなのまごころを不幸な人々に!>

まで、まあよくぞこんな台詞をと思えるものが連発される。
その言葉の持つ迫力と
絵(デザイン)の圧倒的パワーは、

今や一億総デザイナー、一億総物書き時代への
アンチテーゼとして
善し悪しは別として大きなパワーを感じざるを得ない。

ここには善し悪しは別としたところでの、
言葉とデザインの本質的な力量の凄さがある。
現代ではそれらはまったく失われている。

戦前、戦中は、ではビールは
<ただ"にがければ">良かったといふのか…?

<馬強ければ、国強し>という競馬の宣伝ポスターも、
大いなる矛盾は禁じ得ない。
そもそもようやく今でこそ
ヴィクトワールピサのように世界で勝つ馬もいるが、
まだまだ当時は凱旋門賞やブリーダーズカップ云々なんぞ
日本競馬では視野にすら入っていなかったはずだ。

無知とは恐ろしいものであるが、
ある意味でピュアといふかなんといふか…。

それにしても
<お国の為に金を売りませふ>とは、なにごとか。

今ならまず間違いなく、<ふざけるな!>となるだろう。
誰が今のニッポンに己が稼いだお金を売るかいな、と。



*****


昭和館で面白い勉強をした後、坂を上がる。

それこそ学生時代から何度も何度も来た日本武道館である。
08年のニッポン復帰以降では残念ながら一度も来ていない。


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ゴッドハンドが
フルコンタクトの空手ゆえに
大会使用を断られた日本武道館。

今、ニッポンで空手として
なぜかオフィシャルなものとして存在しているのが
<寸止め>空手であるが、
ダモシ的にはそれはいかがなものか派である。

むろん武道としてだけで見た場合、その寸止め空手はありだろう。
だが、それだけが空手として
日本武道館を使用して全日本選手権を行っているのは
いささかアンフェアである、と。

それはNHKでも放送されるくらいなのだが、
何も知らない人からすれば
<空手をやっている>といえば
その寸止めを想起するのではないだろうか?

ゴッドハンドが大いに苦しんだ偏見の一つ。
それが寸止めvs.フルコンタクトでもあろう。
アントニオ猪木が長年追い求めた
<プロレスに市民権を>と同じ構図である。

世間の、へんてこりんな多数決の論理と
赤信号皆で渡れば怖くない的風土に後押しされた
偏見と不理解を、ゴッドハンドも猪木もそれぞれで打破した。
そのパワーたるや凄まじいと認められよう。

その根幹にあるものは、
ナアナアではなくバチバチやろうという
フルコンタクト思想でありストロング・スタイルである。


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読者諸兄の多くもこの道を歩いて門をくぐって
武道館へ足を踏み入れた経験を持っていることだろう。

国技館(特に蔵前時代)と後楽園ホール、
そしてこの武道館に関しては、
ニッポンでも数少ない
<入っていくときのワクワク感>が高い空間である。
それこそ昔の後楽園球場しかり。

それはあの旧ヤンキー・スタジアムが、
地下鉄のトンネルを超えた次の瞬間に車窓から見えた瞬間に
強烈に感じたワクワク、ゾクゾクに近いものがある。


武道館歴を簡単に振り返ってみる。

1979年8月。
プロレス夢のオールスター戦。行った。熱狂した。
この時、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が夢のタッグを結成。
最期のタッグ結成で会場はフルハウスとなった。

これ以降、プロレスは新日本、全日本何度も行った。

音楽も多い。
端緒は中学時代の甲斐バンドの武道館公演だった。

以降、ビリー・ジョエル、ボズ・スキャッグス、クリストファー・クロス、
ジャーニー、松田聖子、ホイットニー・ヒューストンその他、多数。

そして、自身の大学の入学式と卒業式。
これも武道館だった。


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そしてオフィシャル事案で関わった
ダンスのインターナショナル選手権も毎年、
武道館で開催されていた(関わっていたのは03年まで)。

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近年、スポーツも音楽もビッグイベントは
東京ドームやさいたまスーパーアリーナなどの大箱に
なってきている風潮が、興行的側面からも致し方ないのかもしれぬが、
やはり総合的な格式とヴァリューを鑑みれば
圧倒的に日本武道館だ。

なにしろダモシが生まれた年に行われた
あのビートルズの来日公演もこの武道館だったのだ。

聖地。これは東京ドームではなく、
後楽園ホールであり中野サンプラザであり
代々木国立競技場であり、日本武道館なのである。

意識が拡散し、ムードも弛緩するような東京ドームはダメなのである。


さてこの武道館がある北の丸公園内には、
東京カテドラル聖マリア大聖堂で葬儀が執り行われた
ニッポンの過去の首相のスタチュが屹立している。

吉田茂だ。

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スタチュ好きのダモシも認める出来。

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スタチュは他にもある。
武道館へ入るゲート側、北の丸公園入口に二体。

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精巧な乗馬スタチュは、
日清、日露両戦争で活躍した大山巌。
西郷隆盛の弟・従道とは従兄弟にあたる。
皇族以外の乗馬スタチュは珍しい。

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大山巌と並んで立つのが、品川弥二郎。
戊辰戦争で活躍後、政府入りして内務大臣を務めた。
制作は、高知の桂浜にある坂本龍馬スタチュも手がけた
本山白雲があたっている。


この二つのスタチュを望む位置に
靖国通りを渡る歩道橋がある。

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歩道橋から靖国通りを神保町方面へ目を向けると
遠くに東京スカイツリーの姿が見える。

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振り向けばたまねぎフォルムの武道館上部が見える。

そして歩道橋を渡り切れば、靖国神社が登場する。

今宵のオトナの遠足&お散歩のゴールだ。

むろんスーパー・ヘヴィな存在の靖国神社は
丸一日がかりでそれ単体での取り上げが相応しい。
今宵は足を踏み入れるには,既に疲れていた。


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善くも悪くも、"ものすごいオーラ"がある靖国神社。


といったところで、

護国寺

東京カテドラル聖マリア大聖堂

野間記念館

永青文庫

関口芭蕉庵

東京大神宮

ホテル・グランドパレス

九段会館

昭和館

北の丸公園

日本武道館

ゴールは靖国神社

の、オトナの遠足&お散歩は終わりとなります。



posted by damoshi at 01:43| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月06日

GW徒然-4



今宵は、こどもの日。

こどもの笑顔は、何にも替え難いものである。

もうどうしようもないほど
低レベルなこの国ニッポンを救えるとすれば、今のこどもだ。
むろん大きな七歳ダモシもそれに含まれる。

今のオトナはもうダメだ。
ニッポンは今、以前にも増して恥部と隠匿していた患部が
露呈されつづけ、救いようがなくなっている。

そして、もし今のこどもが既に劣化しているとすれば、
この国の未来は、何一つ、希望はないだろう。

アントニオが持っている米国籍/米国人というカードは
ダモシ国の伝家の宝刀であり、将来、必ず切り札になるだろう。

ニューヨークで彼を生むにあたって既にそれは描いていたことである。

今宵、こどもの日。

皆々様が高速道路で大渋滞の横並びを見せている中、
アントニオと共に大きな七歳ダモシは、こどもの日を祝った。

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事実上、生涯初の"ちゃんとした"愛車といえようか。

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アントニオの笑顔とダモシの真摯な怒り、ワイフの存在自体。
この三つは、ニッポンに対峙する際のダモシ国の救いである。

が、それは将来、ニッポンにないやもしれぬ。

ダモシとワイフにとっては二度目となる見切りのタイミング、
アントニオにとってはリアルホームへの帰還のタイミング。
これは見誤らぬようにしたい。

その時、ダモシ国が、仙台と松島、通潤橋だけ頂戴していく。

ダモシ国の未来と夢を守るためには、
そういう見切りとタイミングのアトモスフィア察知は不可欠だ。

ダメな国に永遠に属するほど、ダメなことはない。

未来のないところにいると、こちらまで未来がなくなってくるのだ。
<心>がないところにいると、こちらまでそれを失うのだ。

己が責務の賠償を、国民に押しつけるべく
電気料金を値上げするだのという国のどこに未来があろうか。
きっとおとなしい大多数の国民は粛々とそれに従うのだろう。
そしてまた横並びの大渋滞に並ぶのであろう。

おかしいぞ? ほとほと、これ。

赤信号、一人で渡る器量持たんかい!

その他、もろもろだ。すべて、だ。

<心>のない所作が、震災以降、あまりにも多過ぎる。

この<国>の本質が様々な形で完璧に露呈されている毎日である。

一体この<国>は、国民を何だと思っているのか。
霞ヶ関と永田町の連中に問いたい。
輩ども、夜な夜な酒を飲んでいる場合ではないぞ? と。



posted by damoshi at 00:24| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

GW徒然-3



明日の<こどもの日>は
今年のゴールデンウィークで最も寒い日となるようだ。

言ってしまえば、一昨日と今宵が絶好の気象条件だったことになる。

今宵は一昨日以上の夏日。動いた。

雨が上がり陽が射してきた頃から出て、
空がダークに染まり風も強くなってきた頃、戻った。

当然ながらノン渋滞だ。
その間、巷の高速道路は引き続き大渋滞。

GWにお盆。そして正月。
これらにおいて横並びの帰省やレジャーにおける大渋滞は、
いったいいつになれば欧米のように豊かなノン渋滞になるのか。
否、ニッポンの風土ではそれは無理なのか。

逆に横並びだからこそ、
ダモシ軍のようなあまのじゃく国家は
スイスイと行動ができる利点もあるが、
ニッポンという国を見た場合、豊かさという観点では
これがある限り、世界レベルには到底なれない。
情けない限りである。

毎度感じるのだが、ほとほと皆々様、
GW、お盆、お正月の横並び高速大渋滞、
新幹線乗車率100%オーバーに嬉々とするその心情が
ダモシには分からないから、
それをお聞きしたいのである。

<苦ではありませんか?>と。
<楽しいですか?>と。

そして
<なぜ皆々様が動くときに一緒に動くのですか?>と。

<そこしか休みがとれないから>という答えはナシで。


*****


だがダモシとて完璧ではない。

sometimes ワイフが言う通り
<結局は俗世的>な面があるのもダモシである。

ダモシからすれば、
<否。仕事柄、特異な部分よりもむしろ
 より一般ゼネラルに整合性を合わせるマインドを
 持っているということだよ>となるが、

時に、選択した地が、わんさか人がいて、
まさにそれこそ大行列になっていたりして、
<何だ、考えること一緒なのだな>という様相に
陥ってしまうこともある。

今宵がまずそのティピカル症例だ。

田園都市及び西東京は田園豊かな緑のエリアだ。
そこには各所、ファミリー・カテゴリーの
消費者便益を満たすファシリティが数多く存在している。

東京の下町や、横浜でもみなとみらい21エリアなどが
持ち得ていないアドバンテージである。

むろん居住空間としても、
ファミリーという括りで見た場合、
世田谷の三軒茶屋や用賀よりもむしろ
東急沿線でも田園都市エリアや、
小田急、京王などの多摩エリアがより便益を満たす。

一人暮らしのデザイナーや若いDINKSなどは
桜新町や駒沢大学で良いだろう。

ファミリーならば、
たまプラーザや青葉台などの
東急田園都市線の田園都市エリアが適している。

それぞれの属性に見合った便益を
それぞれのエリアは有している。

西東京の多摩エリアに位置する一大パーク。
田園都市エリアの拙宅からは
空いていれば車で60-70分の世界である

だがその距離感は首都圏における歪さを表している。

空いていれば60分の距離感は、
混んでいれば120分に一気に劣化するという歪みである。

多摩動物公園、深大寺、神代植物園、高幡不動尊、高尾山…。
西東京の主だったファミリー向けファシリティの数々は
いずれもその世界観である。

一昨日も今宵も、同じ多摩エリアのそれらの世界観へ
ダモシ軍は動いたわけである。
<空いているだろう>と。

道路は案の定、スイスイ。
だが、ある程度は混んでいるだろうと思った
ファシリティに到着すれば
莫大な敷地を誇る駐車場は八割方埋まっていた。
駐車場へ入る位置から行列。
入場し、今宵の主題であるサイクリングの受付へ行くと、
数百メートルの長蛇の列が。

いずれも、開園前のことである。

そこで出たのが、
<結局は、皆と同じこと考えているのだな>である。

まさに今宵、その地を選び、主題をそれに選んだ
ファミリーが、
ダモシ軍だけではなく
少なくとも開園前の段階で数百メートルの列を成すだけ
存在していたのである。

そして、ダモシ軍のわずか数メートル後方で、
これまた莫大な数が用意されている自転車が
すべて貸し出し中と相成った。

午後、終わって帰る時に、その場を見れば
未だに並んでいる長蛇。
帰宅後の夕刻、HPでその状況を調べると
未だ<すべて貸し出し中>のサイン。

数千人レベルで、同じことを考えていたという結果である。

自転車のみならず、
そのパーク内の各施設はどれも超満員。

それを見るにつけ
ダモシは自ら、己が選択の<一般化>を笑うしかなく

<浮き世だよ。俺は案外、浮世離れはしていないのだよ。
 コンサーバティヴな人間だからね>と述べるしかない、と。

今宵もまた、出かけた地から写真でお届けする所存である。



*****


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四時間、サイクリング・コースを走り、
パークでサッカーをし、
花で愛で、お弁当を食して、
文字通りファミリーのレジャーを満喫だ。
その間、当然、山を駆け上がる等、
空手のトレーニングも欠かさない。

サッカーも自転車も山駆け上がりもすべて
トレーニングも兼ねているのだ。

アントニオの自転車熱も著しい。
初めて、持っている幼児用から脱却して
20インチレベルのそれに乗り、快走した。

そして言う。

<やっぱりもうこういう大きい自転車、買って欲しい>と。

<よし、分かった。こどもの日のあした、買いに行こう>。


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(ライ)麦畑でつかまえて、か。
竹馬の姿も見える、昔なつかしい田舎風景がまた良い。

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明日はこどもの日。
こどもの日といって、おじいちゃん&おばあちゃん交えて
皆々様お出かけされるであろうが、
あいにく明日は寒い寒い。


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ちょうど牡丹が見頃である。


*****


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困ってしまうほど、考えることが一緒な図。
あまりの人の多さに<はぁ…>と溜息が漏れる。

ファミリー属性は一定だが、
見ていると微妙な違いがあることに気づき、
そこに喜びを見出した。

ほとんどのファミリーが、おじいちゃん&おばあちゃんを交えたり、
ファミリー同士で連合だったりで、
1グループが6〜9人なのである。

ダモシ軍は、3人。

特にダモシのシニカル・フォーカスのターゲットになるのが、
ファミリー同士の軍団だ。

毎度、どこにでもいる属性だが、
ダモシの揶揄の格好の標的になる。

<よくまあ、ファミリー同士ってあり得るよな>と。

ダモシ軍においては、あり得ないのである。
このファミリー同士という組み合わせが。

イヤなのだ。気を遣わなくてはならないから。
いちいちそのパーク内(施設内)のルートや
留まる場所(遊ぶための場所)、ランチをする芝生の場所
などなどを

<どこにする?>的に協議しなければならない。

これがたまらなくイヤなのだ。

ぱっぱっぱっと、ぴゅっぴゅっぴゅっと
決めたいダモシにとって、
そういう作業が余計なことになる。

余計なこともまた大嫌いなダモシである。
いちいち<どうする?>がもうほとほとイヤなのである。

これは例えば己が主導権云々の世界だけではなく、
ビジネスで二人でいたとして
相手がダモシより目上の場合、
ダモシは相手に決めてもらう。
相手にもいちいちこちらに聞くことを求めない。

ぱぱぱっと決めてくれたらそれに従うよ、と。
フォロー・ユーしますから、というタイプである。

その逆の場合は、ダモシがぱぱぱっと決める。

<よし、〇〇に行こう>と。

ファミリーにおいても最終デシジョンはダモシで、
むろん意見や希望は聞いた上で
<よし、〇〇にしよう!>
<よし、〇〇に行こう!>はダモシがぱぱぱっと決める。

決めたが最後、ダモシがリードする。

それで話はシンプルなのである。
いちいち<どうする?>は
ダモシの中ではあり得ないのである。

先般、児童公園でアントニオのお友達のお父さん交えて
四人で遊んだ際も、
自然にダモシがリードする。

<どうします?>はあり得ないのだ。

何時まで遊ばせるかであるとか
<はい、あと〇〇分で帰るぞ>とかも
ダモシがリードする。

サッカーをやって、次、フリスビーだとか、
次、キャッチボールだとかも
ぱぱぱっと決めるのだ。

ダモシとアントニオが。

これで事がスムーズに運ぶのであれば、
いちいち<どうする?>もクソもないのだ。

仕事でもそうだが、
いちいち<どうする?>をやっていたら
まったくもって進まないのである。

線を引いてデシジョン・メイカーが
デシジョン・メイカーなりの
己がプライドを持って決めれば良いのである。

リーダーとはそういうものだ。
リーダーがそれを出来ない場合、大混乱となる。
会議だ会議だ民主主義だ合議制だ、だのとやっていたら
いつまで経っても物事は決まらないのであるのと同じだ。

その、ファミリー同士のグループ。

今宵も見ていると、
ある一定人数以上になった場合の
<お父さん>が持ち得るエクスキューズがまた
アグリーだから、ダモシからすればイヤなのだ。

要するに、
芝生での皆でのお弁当(おにぎり等)のランチ時に
たいていビールを飲むお父さんたち。

ダモシはまずもってこういう場やこういう時は、飲まない。
電車で行っていたとしても飲まない。
アントニオが<酒を呑むお父さん>を嫌っていることもあるが、
ダモシ自身、そこまでして飲みたくないのもある。

飲むなら青葉台のバーで静かにグラスを傾ける方が
気分に合っている。

お父さんは缶ビールを飲む。
そして、<ふぅ、つかれた>とばかりに
芝生の上に敷いたシートに横になり
ぽってりと出た腹を宙に向けて目を閉じる。

この所作が、ダモシの美意識に合わないのである。

ダモシは食べ終わったら即、アントニオとサッカーしたり
走り回る。己もトレーニングだ。
アントニオが芝生の山から下へゴロゴロと回転すれば
他のコドモたちも真似してゴロゴろする。
アントニオは<ダディも一緒にやって>と言えば、
大きな七歳ダモシも一緒になって
ゴロゴロゴロゴロ転がり
アントニオと仮面ライダーごっこをする。
すると他のコドモもニコニコ寄ってきて
一緒に交えての遊戯となる。
それを他のお父さんは疲れた眼差しで眺めている。

己は決してフィールドアスレティックで蟻地獄から
駆け上がろうとはしないし、
この芝生の山からゴロゴロゴロゴロ回転して落ちていく
お遊びもやらない。

この違いである。善し悪しではない。

サッカー、キャッチボール、野球、フリスビー・・・
一緒に遊んでいるお父さんを見ていると
大きな手加減が目に余る上、
そのお父さん自身
青少年時代に遊びが出来なかったコドモだったと思われるほど
へたくそが多い。

手前味噌だが、何をしても遊びやスポーツは上手いダモシが
手加減せずにアントニオと共にそれをやっていると
〜且つ、すべてコンペティティブな遊びにする
 =対決方式にすると〜
他のコドモの目線や興味が向いてくるのは当たり前で、
そのうちダモシが
<コドモにのみ見せる太陽の笑顔>で接すると、
コドモたちはダモシにフルコンで遠慮なしに接してきて
共に遊ぶ時間=エンターテイメント性豊かな時間が
やってくるという構図である。

<魅せる要素だ。ど真ん中でやるぞ>と、

だから常にそういう場では
アントニオと皆に見える場所で大いに遊戯をする。

"見せて"いるわけだ。

だらだらだらだら疲れた顔とぽってり出た腹で
手加減丸出し〜八百長〜でボールを投げたり蹴ったりするのと、

フルコンタクト&ストロング・スタイル
〜時に人情相撲〜で投げたり蹴ったりしている上に
<決まったぁ!六対四だ。さああと四本で勝ちだぞ>
などとコンペティティヴにやっているのとでは、

コドモのインタレストがどちらに向くかは、
おのずと見えている。

アントニオもアントニオで演技レッスンもしている最中、
スポーツという遊戯で
良い意味でのプロレス的コンペティティヴの魅せる要素で
周りにいる人々を観客とみなして
<演技>しながらも、且つ真剣に無邪気に遊ぶ。

これが、良いのである。

ダモシはそこではブックを描くライターにもプロデューサーにもなる。
10点とった方が勝ちならば、
人情相撲でコドモに勝たせようと思えば
こちらが意図的に9-7までしておいてから9-9にして、
そこで今度は<ジュースだから、11点までにしよう>とやる。
これによりコドモにとっては予測不能のトキメキを得られる。

それらの仕掛けによって
やっているコドモ本人も見ている観客も楽しいひとときを過ごす。

これらがプロレスや相撲が本来持ち得ている
突つく部分とは異なる<良い点>なのである。

そこを理解しなければ、結局は、
缶ビール飲んで横になり、起き上がれば
ぽってりと出た腹で、やる気なくボールを蹴る
という所作に陥るばかりではなく、

己は常に八百長しているくせに〜フルコンできないくせに〜、
相撲やプロレスを否定するような
つまらない人間に成り下がってしまうのである。


まあ、いい。

多数決がそうである方が、ダモシは気分が良い。



*****


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明日はアントニオに自転車を買ってあげよう。
これもまた朝一番で出かけなければ
R-246は動かなくなろう。

ゴールデンウィーク2011も終盤だ。

明後日はダモシは大会前恒例の、
ゴッドハンド墓参、教会での沈黙と祈り、芭蕉庵でのお願い
の三点セットへ出かける予定である。

オリジナルの大会チケットも出来た。

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まさに今回は特にゴッドハンド墓参は重要だ。
大一番へ向けて、とにもかくにも体調である。
体調を崩さぬよう願いたい。
まずは絶好調で臨むことが、現在の最大のマスト・イシュー。
体調面が絶好調であれば、
今のアントニオのレベルはもうそう簡単には負けない。

今回も来週末の大会へ向けて出来得る最善を尽くす。
明日もまた自宅で特訓である。

アントニオは金曜からヒップホップ再開で、
土曜日は久しぶりの道場、
日曜日は演技レッスンであり、GW明けから夏へ向けて
調子を上げていきたい。

ダモシ共々、夏こそ絶好調のアントニオである。
途中、梅雨時や何やらで喘息がまた出るだろうが、
いずれにせよ共に夏にピークを迎えるべく、といった形である。



posted by damoshi at 22:05| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

GW徒然-2


ゴールデンウィークも半ば。
フェーズ.2ともいえる大量移動の日を迎えているが、
首都圏は朝からダークスカイで既に雨が降り出している。

そんな中、相変わらず阿呆ニッポンの醜態を晒している。

スッカラ菅、いやぁ〜んバ菅、アカン、ほんまにア菅は
さらに劣化しもはや低温やけど状態か。

内閣参与の小佐古氏が、
<その場限りの対応で事態の収束を遅らせた>
<(小学生らに)無用な被曝を
 させてはいけないと官邸に何度も言った>
にも関わらず、
小学校や幼稚園の利用基準での被爆限度を
年間20ミリシーベルトと設定した
スッカラ菅や班目委員長などに
<とても許すことができない>と怒り爆発、辞任した。

先般も当欄で書いたが、
"気づいてしまった損"がどこかにあろう。

気づかないバカが得をする。
そしてどのみち「言っても分からない」連中には
何を言っても無意味だということも先般書いたが、
まさに典型例で、いけすかない輩の
筆頭でもある班目委員長なんぞは
<何に憤慨しているのか分からない>という
やっぱり出たトンチンカンを披露している。
どうせスッカラ菅も同様だろう。

こんなだから、この国はダメなのだが、
それをダメだと思わない/気づかない輩が多いから
ますます救いようがなくなる、というわけだ。

昔は米が、米の常識は世界の非常識だったが、
今やニッポンがこの分野では世界一といえるまで劣化した。
この国の常識や多数決は、
世界の非常識になっていることに気づいていない。
今後さらに大やけどを負うぞこの国は、と言っておきたい。

そもそもこの班目某は、事後に反省は口にするが、
反省の色はまったく見えない。

会議の在り方にも問題があるし、議事録すらとっていない、と。
一体、国の事案に関わる会議などで議事録をとっていないとは
どういう了見なのか? 
基礎的な部分からして、なっとらん。
まったく、なっていない。
社会人としてどういう所作で
これまで関わってきたのかが、こうして露呈されてしまうわけだ。

これではエデュケーショナル要素を鑑みても
対コドモに示しがつかないだろう。
輩は己が子にもこういう教育をしているのかと思うと
その子がまた社会に出てきているのだろうからゾッとする。

体よく反省の言葉を口すれば済むと思っているとすれば、
幼児以下である。

いずれにせよ原子力不全不安院を筆頭に、
原子力に関わる天下り組織はすべて解体せよ。
このような輩に税金を払い
食わせてあげなければならない謂れはない。

そもそも東京電力のみならず、国と原子力不全不安院なども
賠償責任や事案責任を負うべき案件であるにもかかわらず
東京電力だけにその責を負わせている自体、
この国の「他人事国家」ぶりと「責任逃れ」体質が
完璧に露呈されている証拠でもあるのだ。

復興会議もそうだ。
何なのだあのメンバー構成と
輩の佇まいのアグリーさは。ええ?

内館牧子某もなぜかまた参加しているが、
正直、何なのだあのおばさんは、と。
何でもかんでも顔と口を出すが、
ただの出たがりバアさんなだけではないのか。

ニュースで復興会議の面々が福島県などを訪れて
関係者と面談している映像を見れば、
なぜか防災服を着た内館某が映っている。
その瞬間、ワイフとキョトンとした。
<なぜ内舘がここにいるのだ?>とダモシが言えば、
嫌悪感丸出しにワイフが述べる。
<相撲だけにしてくれ>。

相撲を、格闘技を、したこともない内舘某が
大いに口を出して好き放題勝手な理屈をぶって役目を終えた今、
ヒマなのか?いけしゃあしゃあと今度は復興会議だと。
ナメとるのか、と言いたい。

ほとほとおかしな国だニッポンは。

肉も肉だ。
特定の本体の系列店で連鎖するナマ肉問題。
ここでも責任逃れが頻発している。
店を運営する企業側も悪いが、卸業者も悪い、
そして絶対的にして明確な基準を設けていない国も悪い。
コドモが複数、命を落としているのだ。
責任逃れは許されないのに
結局やっていることは責任逃れと他人事。

もうどうしようもない。

すべては、この国は<ナアナア>でやってきたから
こうなっているのである。

それが生死に関わることにおいてもすべて
今こうしてナアナアでやっている。

ナアナアが世界一得意な国、ニッポン。
ナアナア世界選手権があればダントツで100連覇くらい
平気でするはずだ。

長年ナアナアをやってきたのだから
こういう有事においてもそれが出てしまう。

ニッポンのナアナア病は不治の病である。


*****


<ナアナア>と共に
ニッポンのお家芸として横綱格にあるのが
<横並び/赤信号皆で渡れば怖くない>である。

分かり切っている今宵の大移動。

朝から東北道は70kmを超え、中央道も東名も50km超えの
大渋滞を演出している。

<ほれ見ろ>と。

中央道は高井戸から大月まで五時間半を要する,と。
通常であればこんなものアナタ、60分で行きまっせ。

R-246は二子玉川から長津田まで延々と大渋滞のようだ。
おそらくこの区間が渋滞ならば通過に三時間はかかるだろう。
通常40分もあればアナタこんなもの通過しますよ,と。

まったくもって、アホの極みである。

否、彼らは、皆々様は、きっと渋滞がお好きなのだろう。
且つ、多数決でいえば渋滞がお好きな面々の方が
圧倒的に多いのだろう。

だから渋滞が起こるのだ。
多数決でダモシ派が多ければ渋滞は起こらない。

<これがまた好きな人、結構いると思うよ>とワイフは揶揄する。

<そうだな。皆がわんさか動く時に己も動く,と。
 そうすることで社会参加しているという錯覚をもって
 自己満足する、というわけだ>とダモシ。

赤信号。
ニューヨークの路上では
多数決で、それぞれが個々でぱぱぱっと渡る。
渡り方もそのタイミングも個々ヴァリエーション豊かだ。
待つのは少数だ。これが面白かった。

ニッポンの路上。
99%の人々が止まって待っている。
だからダモシのようにNYスタイルでぱぱぱっと
機を見るに敏で渡ると皆、<えっ?>という顔をする。
その顔には、自分らは圧倒的多数決に守られ、
社会性高く行動していますよという思想が滲み出る。
まったくニッポンは面白くない。
全然カルチュラルではない。

帰省して?あるいは"被災地見学"に出かけて?
目的地に着いた皆々様は言うだろう、思うだろう。

<大渋滞でたいへんだったよ>と。

そのマインドの裏には、
そんな中、苦労して自分は来たのだよ、という
自己満足があることは言うまでもない。

<お父さんは大変なんだよ>と。

なら行くなよ、と。そう言いたい。

ダモシ軍は逆を往く。

<今日はチャンスだ。今日行こう>と
空いていれば70分で着く場所へ出かけた昨日。

<明日は動かんぞ。明日は行かない方が賢明だ>
と昨晩、告げていた。今日はどこにも出ないよ,と。
行くなら明日だよ、と。


スイスイ、ノン渋滞の中、レジャーへ出かけた昨日。
そこから花とヒトにフォーカスした写真をお届けする所存である。


*****


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昨日は今年最高の気温だった。風も爽やか。サニースカイ。
道路もスイスイ。

<おそらく今日が絶好のタイミングだろう>と目して出かけたが、
それは大正解だったわけで、

今宵の
<今日は動かないぞ>と決めた中での
ダークスカイ、大渋滞と比べると、

ウッシッシといったところである。



posted by damoshi at 13:09| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

GW徒然-1


最大で十連休のゴールデンウィーク2011が始まっている。

初日の昨日は大方の予想に反して高速道路は大渋滞。
ダモシ軍は<往く>ことを決定していなかったが、
初日の様相を見て<動かない>ことを決めた。

何よりも東北道が大渋滞したばかりではなく、
宮城県の松島や石巻への道路がアグリーな様相になったことが
決め手で、正直、シラけてしまったのである。

相変わらずニッポン人、阿呆だな、と。
例の横並び国家の本性丸出しだからである。

例えばゴールデンウィークに
海外へ"旅行"に出かけるのは自由であり毎年のことだが、
今年も例によってそういう輩が多くいて
テレビのニュースでも、逆にメディア側が意図的とも思える
そういう輩のハシャいだ様子をあえてインタビュー。

<楽しみで〜す!>と高揚感丸出しの輩を映し出すことで、
これぞ究極のバカ、究極の"頭悪そう"をブックで演出。
海外旅行へ出かける者もまた案の定、
<迷ったけれど、ずっと前から予約して決めていたので>
という万人が予想し得るティピカルなエクスキューズを述べて
自分らは"頭悪そう"でもKYでもありませんよ、を演出する。

すべてはブックである。すべては八百長である。
大相撲のことをとやかく言う資格はなんびとも、ない。

相撲も相撲で、
技量審査場所として入場無料となれば
やおらチケット争奪に集うバカ。
そんなに相撲が見たければ
国技館で行われた総見にでかければ良いのに
それはまたそれで史上最低の1,708人の入場者数という
アンポンタン。本末転倒もよいところである。

何なのだ,この国は、と。

ゴールデンウィークに際して
<ボランティア>すらをもエクスキューズに利用し
"被災地見学"に群がる大渋滞の阿呆共。

"休みがとれないから"という理由で皆が皆横並びの
休みのゴールデンウィークに、
わんさか一ヶ所集中で被災地に群がる所作の
なんとアグリーなことか、と。

まったくもってこの国の人々は間違っている。

心の問題である。
その本質的な部分で、本気でガチンコで"往こう"と思ったら、
そんなものアナタ、休みが云々GWが云々なんぞ関係ないのである。
だから偽善だ、というのである。

そして何よりも、震災を利用する芸能人や企業ども。
<がんばろう>だの<義援金>だの<チャリティー>だのを
エクスキューズにして、

<自分も何かをやった>感のマスターベーションに浸る。
ビジネスマンに成り切れず
会議ばかりやって資料ばかり作っている
サラリーマンの陥る<仕事をした感>と同じである。

すべてがこの国は、こうなのだ。

"何かをした"という事実と実績はすなわち己がレジメ。
己がレジメに何か社会的な一般ゼネラルインタレストの高い事項で
付加することで得られる心の偽の充足としての社会参加マインド。
そこでの己がサティスファクションを見出すという
心理的な通奏低音がこの国の人々には厳然と存在している。

あらゆる所作を見ていれば、それが透けて見えてくる。
そこが本質的なところで個人個人の問題として
レジメ無関係に心で動く欧米人との
大きな現実的な<差>である。

日本人のやっていることは
すべてはブックでありシナリオである。
言ってしまえば八百長であり、偽装であり、偽善であり、
とどのつまりは自己顕示欲=我欲のエクスポージャーなのである。

90年代から既にそうだったが、
もはやこの国の面々にはデリカシーの欠片もない。

何もかもが、究極は、自分さえ良ければそれで良い。
それが日本人の根本的なイデオロギーであることは
昔から何ら変わっていない上、さらにここ二十年で酷くなっている,と。

我欲が悪いといっているのではない。
所詮、そして人は、そもそも我欲の塊でできている動物である。
そこのところを根源的な理解として備えた上でこその
何が出来るのか/何をするのか/どういった所作で関わるのかであり、
<よゐこ>ぶって偽善の塊が露呈するから
アグリーだと言っているのである。

前提として、<よゐこ>から入るのか、
そもそも<我欲なのだよ>というところから入るのか。
そこの違いである。

ゴールデンウィークに限らないが、
とにかく今年のゴールデンウィークはさらに
日本人のそういった本性部分が試されているわけだが、
初日の様相を見て、ダモシは一気にシラけた。

だから、<動かない>ことにしたわけである。

皆が阿呆みたいに横並びで集う時に、
ダモシが動くことは、その性質からしてあり得ない。
皆が動かない時に動く。
己の感性で、己の都合で。

<ゴールデンウィークを利用して>という
そもそもの出発点からしてもう相容れないのである。

<動かず>といっても、旅などとして動かないだけである。
ゴールデンウィークという
"一応"世間的にも大型連休の中でどう過ごすかは
ダモシなりにあるわけだ。

そのゴールデンウィークの徒然をしばしシリーズで掲載する所存である。


*****


昨日は初日からいきなりアントニオ・タイム。

彼もまた世間がしばしの連休になることを知っているから、
己がダディもオフか?という期待をもとに
自分に対して時間を大いにとってくれるだろうと
ハナから考えていた。

クラスの男友だちと
<互いの父親を交えて遊ぶ>ことを勝手に設定。
仕切っていた。

公園で、サッカーやフリスビー、キャッチボール、自転車で
たっぷりと遊んだ昨日の午後。

世界で唯一、ダモシ派でダモシを怖がらず、
フルコンタクトでダモシと
まっとうなコミュニケーションをとることができるのが
<コドモ>たちである。

ダモシも<コドモ>たちと共に遊ぶ時間こそが、
リアル・ダモシになるか。

そして相変わらずコドモたちに妙にウケの良いダモシ。
他の親もいるのに
他のコドモたちはほとんどがダモシに集う。

途中でばったりやってきた女の子二人組も
<アントニオ君のお父さん!>と言って寄ってきて
途中からは女の子二人とダモシの三人が遊ぶようになる。

<英語で話して>だの
<じゃんけんでアタシたちが勝ったら、
 靴をとってきて>だの
<ブランコ押して>だの

小学二年生といえどもオンナな女の子たちに
圧倒され続けるダモシ。

相手がコドモであってもホストになる。

男のコにも女のコにもウケが良いのは、
数少ないダモシの自慢でもある。

なぜなのかは分からぬが、
なぜコドモはダモシを好くのか。
なぜコドモだけはダモシと
まともなコミュニケーションをとることができるのか。

これは大きな考察材料である。

一つには仕事絡みになると
フルコンタクトあるいはストロング・スタイルの
ダモシに、

ビジネスマンではない多くのサラリーマンは
ついてくることができないという要因がある。

厳し過ぎる部分がかなりダモシ側にあるのも事実だが、
ビジネスはビジネスでシュートしなくてはならない。
むろんナアナアで日本的な部分として
〜ロープに振られたら跳ね返っていって十六文キックを受ける〜
というプロレス的な所作はダモシは大いに出来るし
実際にイヤというほどそれをやっているが、

あまりにも相手側がそこで出す技がしょっぱすぎるから、
もうどうしようもないぞ?となってしまう。

基本的にシュートやフルコンタクトができた上での
ロープに跳んでのショルダースルーならば良いが、
そういったガチンコが出来るという基礎がない
日本のサラリーマンが多すぎるのだ。

大きな企業にそれは特に見られるが
おそらくルーキー時代から連綿と
ぬるま湯のプロレスしかしてこなかったから、
いきなりシュートを仕掛けられると対応できないのだろう。

いつでもガチンコできるよ?という前提があった上で
ロープに跳んだり跳ねたりするのと、
それが出来ない中で長年ナアナアのぬるま湯プロレスしか
してこなかったのでは、大きな違いが生まれるのは
致し方ないのである。

そして、そういう選手には、言っても分からないのだ。
理解がそもそも出来ないから
今さら<姿勢を変えろ>と言ったとて
どだい無理な話だ。

そうなるともう"こっちが"合わせてあげるしかなくなる。
ぴょんぴょんロープに跳んで
どんなしょっぱい技でも<はい、いいよ、いいよ>と言いながら
受けてあげるしかなくなる。

だから、ストレスが大きくたまり、苛々も積もり、
心身ともに大きく疲労するのである。

一部の理解出来る者と共通の話としてはこうなる。
ダモシは慰める意味でこのように言った。

<"気づいてしまった損"なのだよ>と。

情緒豊かでセンシティヴゆえに
気づいてしまう本質や
おかしいだろ、これという事象。

それに気づかなければ何もやらずに済むし、
苛々することもない。

気づいてしまい、

こうしなきゃダメだぜ?
こうするべきでしょ?
理想論は理想論に過ぎないというけれど
それをハナからあきらめて
理想論をあきらめてどないすんねん?

とやっても、それを理解できない者には
何を言っても話が通じないのだ。

<おかしい>と気づいてしまった方が損をする。

その意味で、
<気づいてしまった損>なのである、と。

ぽわんとして、ぽーっとして、ぼぅっとしていた方が
得ではないか,と。

そう感じてしまうくらいヒドいのが、
オフィシャル事案での環境状況である、と。

端的にいえば、
何度言っても分からんかぁ…というところである。

そこのところは、競走馬を御すように
うまくぬるま湯プロレスをやりながら
ちょこちょこ肘を直角に落としたり
関節を決めても決め切ってしまわずに
上手に力を抜いてロープに逃してあげるくらいの
これまた演出を施しながらやっていくしかないだろう

となるわけだ。

それらを鑑みるに、
仕事やオフィシャル事案云々は別として
コドモがなぜダモシとフルコンタクトで
コミュニケーションをとることが出来るのかは、

たいへん興味深い考察材料であることには違いない。

ダモシはダモシと対峙することはないから、
ダモシを対峙したらどのように映るのかは分からないし、
その部分は気にしない。
要するに他人の評価や目は気にしないしならない。

ただ、サラリーマンを含むオトナとコドモで
対ダモシという部分で生まれる大きな違いは何なのか。

それはカルチュラル・アイコンや
エデュケーショナル、エンターテイメントなどの
要素からも大いに気になるところである。

一つには、アキレス腱固めではないが、
ダモシの場合は対コドモに関しては
<ポイントがズレていない>と考えることができる。

サッカーにしても、フリスビーにしても、
野球にしても、空手や格闘技にしても
コドモたちとそれに興じたり教えたりする際の

<ポイント>がズレていないのである。

なぜそう言えるかといえば、
一目瞭然でダモシがアドヴァイスしたり教えたら
コドモはほとんどのケースで
その場ですぐに上手になる。

そしてコドモはダモシがそれらで行う所作に
目を奪われる。

ダモシの話を真摯に聞く。

ここがまず大きな違いである。
オトナは〜特に仕事関係〜ダモシの話を
得てして真摯に聞かない。聞いたフリをするが、
それを実行に移さない。だから失敗する。実際そうである。

素直に話を聞いて実行すれば良いだけなのに…
と常に感じてしまう。ほれ見ろ、ダメじゃん、と。
出来ないのでしょ?と。

だからダモシが権限を持っているものは、
たいてい上手くいく。ああだこうだが起こらないし、
起こさないからだ。俺がやると言ったら俺がやる、と。
ベストな方法はこれだときちんと考えて
戦略に沿ってやっているのだから任しとき、と。
いじられたくないのだ。

一方で、他方がやっているものも見えてしまう。
あぁ、それではダメだぜ?と。こうしなきゃ、と。
でも、それを言っても、素直にそれをやらない。
だから上手くいかない。たいてい。

だがコドモは真摯に聞き、それをすぐに素直に実践する。

そして上手くいく。ほとんど上手くいくし、
結果も確実に出る。

むろん、いずれも、すべてがすべてではないが、
相対的にそうである。

また、その自信もあるから言っているわけだ。
それに対する強い想いもプライドも負けないから
言っているわけだ。

しょっぱい所作で想いもなく他人事の様相で
関わっている者と同じにされたくはない。


正論や理想論はとかく、
<あくまでも正論でしょ>
<理想論は理想論だから>と処理するのが
これまたニッポンの風土である。

それはイコール、<夢はしょせん夢>という
エクスキューズのもとに
結局は夢へのチャレンジをしなかった者が述べる
逃げである。

正論や理想論、そして夢。

それを目指さんでどないすんねん!

と声を大にして言いたいし、
日々、それをしているからこそ、"気づいて"しまうのである。

あぁ、ほとほとナアナアだな、と。
そのせいでダモシが影響を受けなければ
放置するし構うことはないのだが、
直接的に影響を受け不愉快になったり
ストーリーを壊されたりするから、許せなくなるのだ。

あぁ、ならば守るためにはシュートせざるを得ないぞ?

と。

なぜオトナになると、ああなってしまうのか。
悲しい。実に悲しいし、哀しい。

コドモは、いい。コドモと接する時間は、
ダモシもリアル・ダモシで接することができる。
ナアナアでロープに跳ぶ必要がない。楽しいわけだ。

いずれにせよ、引き続き、
<ダモシxコドモの関係性=フルコンタクト可能>
は考察していくところである。



*****



アントニオは昨晩、歯が抜けた。生まれて最初である。

そして一年前は乗ることが出来なかった自転車に
今はもう乗ることができるようになった。

今宵、アントニオ自身では最長距離となる
一時間かけての自転車でのミニ冒険を行った。

歯が抜けたのも遅く、
自転車に乗ることができるようになったのも遅い。
平均より遅いのだ。

それでも一歩ずつ、である。
友だちは既に大きな自転車になっているが、
未だアントニオのそれは幼児が乗るサイズだ。

そろそろ、"ちゃんとした"自転車を買ってあげよう。

<自転車でダディと出かけるのすごく楽しいよ>
と言うアントニオ。

<今日は帰ったら公園に行ってサッカーやろうか>
と言うと、

<今日は本当にいい日だなぁ。今までで一番いい日だよ>
と喜ぶアントニオが、ほとほとカワイイ。

<ゴールデンウィークだからいっぱい遊べるでしょ?>
と言う。

そしてダモシと遊び出かけることが
<本当にいい日>で<一番いい日>だというアントニオが
愛おしいのは言うまでもない。


日常が、旅である。

偽善の旅やエクスキューズの旅に、
わざわざ"ゴールデンウィークだから"ということで
出かけるくらいなら、

よっぽど近場でアントニオとキャッチボールをした方が良い。

そして、空手の特訓をしよう。
5.15の大一番へ向けて山か海かで特訓をしよう。

それがダモシのスタイルである。

被災地見学に出かけて渋滞を引き起こしているボンクラ共、
邪魔だからさっさとハナの都大東京に戻って来いよ,と。

ほとほと、<偽善者よゐこ共>、くそくらえ、だ。


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"近場"の田園都市の中にある"田舎"より。

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例の、金色のライティング・ブラシ。

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主宰するケイバタイムスにも
しばらく競馬の予想コラムは書かなかった。馬券も買わなかった。

明日の天皇賞・春は馬券を買いに行こうと思っている。

なにしろ被災地を訪れた天皇皇后両陛下の所作には
美しく奥深いものを感じた。

比較対象としてレベルが低過ぎるが
スッカラ菅や枝野らのそれがあまりにもしょっぱすぎたので、
両陛下のそれは本当に素晴しいと感じた。救いだ。

その楯たる天皇賞であるからこそ、馬券購入に値する。



posted by damoshi at 02:07| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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