2011年08月28日

乱れる愛人



愛人ニューヨークが乱れている。

地震に,ハリケーン直撃の可能性。
ニューヨーク、ワシントンなど主に東海岸が乱れているわけだ。
ノースカロライナでは今回のハリケーン"アイリーン"で
死者が出て、ニューヨークの地下鉄は既に運休しているという。

後述するが、米はまさに常に
<備えあれば憂いなし>を地で行く国だということである。

地震の際の対応、ハリケーンを前にした段階での対応を見ていると、
<大げさでは?>とニッポン的感覚では覚えるような行為を
普通に採っている気がする。今回も。

それは在米中、何度も経験したことである。

なるほど、これが備えあれば憂いなし、の真の意味なのだな。
ニッポンはその点、口だけで何もしないからダメなのだな、と。
これが日米双方を比べたリアルな感覚だったのだが、
ニッポンに関してもその口だけ性は大きな人災を招いている。
一方で<大げさでは?>とさえ思えるくらいに
事前にやっておく/すぐにやる米の用心深さ、

すなわち、JUST IN CASE思考はある意味で<なるほど>となる。
実際に現地で暮らす中でそれを経験すれば
より良く分かってくる。

どうしてもニッポンだけにいて、ニッポンから見ていると、
<大げさでは?>と思える人は多いだろう。
<この程度でこんなに騒ぐの?>と感じている人は
今回、ニッポンには多いはずだ。

だが、それは間違いだ。

観念の相違、JUST IN CASE思考があるかどうかの差。

それこそダモシ&ワイフも経験したことがなかった
レベルの厳寒の日、
ニューヨークでは外出禁止令が出たこともあったのだ。



*****


米時代、毎夏恒例のイベントの一つに
後輩のニューヨーク訪問があった。

何度も記載している通り、彼がやってくるタイミングで
<何かが起こって>いたわけだ。

毎年。

彼が毎年の米旅行のトリとして
ニューヨークのダモシ宅を訪れるとき、事件は起こっていた。

ダモシ&ワイフのマイアミ行き不在事件
ダモシのキドニーストーンズ事件
ブラックアウト
ワイフのフルー騒動
その他、もろもろ。

必ず何かが起こり、マトモな"旧交温め"的所作を施すことが
ままならなかったわけだ。

ダモシ軍が悪いわけではなく、彼がそもそも
対ニューヨークという面で疫病神的な部分を持っている
と断定できるのは、

ダモシ軍がニューヨークを去った後の彼の旅行でも
引き続きトラブルが起こっているからだ。

今年は、その地震が起こった。

まさに彼がニッポンへの往路の機内に乗り込み、
これからケネディ空港を飛び立とうという時、
それは起こった。

それから二時間、飛行機内に閉じ込められた。

発生から閉じ込められている最中、
彼からワイフにメールが届いていた。

その瞬間、感じたのは、
<ニューヨークx地震>の違和感である。

キドニー・ストーンズも何年かに一回。
ワイフのフルーも数年に一回。
例のブラックアウト等は数十年に一回あるかないか。

そして地震に関しても彼の地ではイメージできないくらい。

にも関わらず、それにまさに出逢ってしまう。

彼自身がそこに来ていることで、いることで、
それらは起こっていると言えるわけである。

愛人ニューヨークを想えばこそ、
ダモシは彼に<もうニューヨークに行くな>と言うやも知れぬ…。

ニッポンがおかしいのはもう1ディケード以上つづく
ルーティンで、今回の東日本大震災を経験してもなお
チェンジできないから、もうこの国はダメなのだが
〜今回で完全に、"北の某"同様、ダモシは見放した〜、

ニューヨーク及び米東海岸もまた気象/自然という面では、
今年明らかにおかしい。
地震にハリケーン直撃の可能性…。

気象と自然の面ではニューヨークに限らず世界中でおかしいのだろうが、
言っては何だが意識の面で発展途上国だった国々が
今年連鎖反応的にマトモな国運営を目指すべく
人々が立ち上がっているが、

あらゆる要素を勘案して包括してみれば、
世界中がチェンジの渦中にあるとも考えられるだろう。

チェンジの果てどうなるか。創造が起こるのか。

しかし創造が起こるには、必ずその前に破壊がなければならない。

スクラップ&ビルド。

東日本大震災という未曾有のスクラップがあってなお、
チェンジできないニッポンの場合、
それこそやはりダモシが常々説いているように
<首都・東京>こそスクラップされなければならないだろう。

それこそ昔は、江戸は何度もスクラップを経てきた。
関東大震災、東京大空襲以降、それはない。
多くの時間が経っていて、
昔から一定期間を経て起こっていたスクラップもなくなり、
あまりにも平和ボケの時間が長過ぎた。

東京こそ、今こそスクラップである。
それでしかニッポンがリアルにチェンジする好機はない。

東日本大震災で犠牲になった人々のためにも、
今回はニッポンは絶対にチェンジすべきだったのだが、
スッカラ菅以下、"国を動かしている"と錯覚している連中の
器の質量と感性があまりにも劣悪だったことで、
被災者の哀しみと苦労をさらに無にしてしまった。

<やるべきことはやった>だの、
<与えられた条件の下では>だの、
最後までスッカラ菅の感性はニッポン人として恥じるものだった。

何をもって、
ニヤニヤしながら<やるべきことはやった>と言えるのか。

すべて視点は己自身にしか向いていない。
言葉遣いにそれは露呈する。
被災者や国民のことをリアルに考えていたならば、
まず初めに<謝罪>ありきのはずだ。

<自分が至らず、たいへんなご苦労をかけて申しわけありませんでした>
という挨拶こそ、先にあるべきところ、
それがない自体〜そもそも期待していないが〜
彼のヒトとしてのダメさ加減があらわになっているわけである。

海江田がなろうが、前原がなろうが、野田がなろうが、一緒である。
彼らを見ていると代表選に関しても
すべてのフォーカスが<自分>になっていて、

ニッポンのことや被災地被災者のことなど、まるでない。

だから言うのである。
やはり東京がもう一度スクラップされなければダメだな、と。

スクラップされるのは、愛人ニューヨークではない。

ニューヨークが心配だ。
きっとニューヨークのことだから大丈夫だろうが、
バチバチやり合った既に愛人関係となったニューヨークに対し、
アイリーンから守るべく
ダモシからも腐ったニッポンからピュアな気を送る次第である。

ちなみにニューヨーク。

ダモシ在住九年間の時代、
一度も地震はなく、ゴキブリにも出逢わなかった。



*****


現在、ダモシのオフィシャル事案用のオフィシャルサイトを
リニューアル作業している。

ビジネスサイトとしては放置状態だったから、
さすがによろしくないからチェンジしよう、と。

個人色、イズムもより打ち出し、
コンテンツも"普通の"ビジネスサイトではなく
根っこがダモシならではの豊富なジャンルの読み物含めた
コンテンツを擁すべく。

リニューアルでのオープンの目玉を
<9/11 Tribute>として今年十周年を迎える
9.11をディープに掘り下げる予定である。


そんなこんなの先週一週間も各所、ほぼ毎日、
一日中、外を歩き回りMTGが連続した。

逢った人は30人を超え、MTGは25を数えたタフな一週間だった。
今週もそうだが。

今週はウィークエンドに、アントニオの空手大会で、
いよいよ全日本選手権がある。
フェーズとステージのアップを図り、
マイナーチェンジ/モデルチェンジも進んでいる。
今回はまた新たなアントニオが闘いの舞台で出すことができるだろう。

ニッポンにも言いたいが、
ダモシもアントニオも実際にそうであるし、
そうすべきであると思っていることだ。

日々是、チェンジ。

チェンジはイコール、進化である。

進化するに年齢は関係ない。

<行動することこそ、生きることである>と。

次の首相には是非、北の工作員ではない人を、
せめて望む上、
その言葉だけでも伝えたい。


*****


先週一週間の中から写真を数枚。


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有楽町にて。

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虎ノ門の某所から見た東京タワー。

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群馬県の最近の名物は、かりんとう饅頭。
中はこしあん、外側はかりかりのかりんとう。

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リニューアル中/復原中の東京駅を、
丸の内某所から見下ろす。

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チェンジは、古き良きものへの復興という意味もある。

まさにチェンジとは、<不易流行>なのである。




posted by damoshi at 10:20| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月22日

long time no see


long time no see.

このままでは、ニューヨーク時代:NY-eraの初代から数えて
過去最低月間投稿数だった今年四月の<9>を
さらに下回りそうである。

気象的に"おかしな夏"も、オールモースト終わった。
あとは名残の残暑が未だ夏と勘違いさせるが、
事実上、このウィークエンドにかけてのダークスカイで
既に夏は終わっている。

なのに、今月の投稿数は未だ<2>。

よふやく、否、いいかげん学び舎に戻らねば
ずっと戻れんぞ?ということで今宵戻ってきた。

決してサボっているわけではない。
busyさは本妻復帰後変わらないが、
やはり、オフィシャル/プライベート両面で
やることがさらに増えているのは否めない。

それこそ"飲みに"すら、行っていない。
それこそ"飲んでいる"場合ではない。
それでも追いついてこない。時間が。

直近の軽井沢すらフィーチャーできない。
そんなだから、<旅>や<オトナの遠足&お散歩>
カテゴリーで未掲載が増えていくだけ。

増えれば増えるほど逆にどれからフィーチャーするか
迷うことになり、手がつけられないということになる。

素材が2つあって
フィーチャー順を集約すれば良い場合と、
それが100ある場合では異なってくる。

多くなれば多くなるほど順番をつけられず、
整理も集約も出来なくなってくる。

ならば<ダイアリー>カテゴリーだけ書けば良いとなるが、
例えばそれにおいても
オフィシャル事案、プライベート事案それぞれでの
出来事や考察事項がある。
そしてそれぞれでジャンルや舞台が複数ある。

いわゆるビジネスはオフィシャル事案だが、
オフィシャル事案はビジネスだけではない。
空手も"ただの父兄"ではないから
オフィシャル事案になる。その他も含めて。

プライベート事案の括りの中にも当然、
誰もが複数案件持って生きている。

では<ファミリー>マターだけで見ても、
そこにコドモがいれば
ダモシの場合はアントニオになるわけだが、
アントニオ一人をとっても
空手活動、タレント活動、学校、友だち、
遊戯、成長、日々の発見や笑い話その他多岐に渡る。

特に、初代ダモログの頃や以前と比べて、
アントニオが成長してきて
彼自身とダモシが共に関わる事案がますます増えてきて、
そうなることで自然とダモシがスペンドする時間も想いも
金銭も比例して増加しているから、
必然的にダモシの<じぶんじかん>は
より追いつかなくなってくるわけだ。

決してあらゆることに対するダモシの処理能力の
スピードが落ちたわけではない。
多少の衰えは出てくる上に疲れてはいるものの
まだまだ四十代だから元気だ。

要するに、時間自身がついてこられなくなってきているのだ。

まあ、いい。

とにかく今宵は久しぶりということで、
徒然のダイアリーである。


*****


まずは最近、手にとって読んだ雑誌だ。
これとてカウチでのんびり読むのではなく、
移動中の電車や駅のホーム、
レストルームで座っている際とバスタイムで読む世界だ。

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遂に最終号となってしまった<ぴあ>。

ダイハードなファンだったというわけではないが、
当然ダモシも世代的にお世話になった雑誌だ。
時代のカルチュラル・アイコンには違いない。

ネット時代の中、役目を果たし終えたのだろう。

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復刻創刊号が付録となっていた。
1972年。ロードショー公開は<ゴッドファーザー>。
未だダモシは小学生で読んでいない頃だ。

中学生時代、最も<ぴあ>を買った。
当時、映画のチラシもご多分に漏れず集めていた。
そしてこれも多くの若者がそうだったように
二本立て400円の名画座を<ぴあ>でチェックして、
新宿と池袋に一人で観に行ったりした。

<ぴあ><ポパイ><ホットドッグプレス>は
世代的にも合致した時代のアイコンである。


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<Pen>。何と「ウルトラマン」大特集。
重厚な内容で、雑誌メディアとしての気概が感じられる
贅沢なつくりだ。

昔の雑誌はこうだった。
今はこういう作りをしているそれを目にすると
"成り立つのかなぁ…"と心配になるほど
活字&印刷フィールドが厳しい。

だが、嬉しい。
活字&印刷物はやはりこれも世代である。

仮面ライダーが40周年のメモリアル・イヤーであるに等しく、
ウルトラマンもまた45周年メモリアル・イヤーである。

ダモシはウルトラマンタロウだから、
この雑誌でも"ちゃんと"タロウが最強という論を
捉えていたことや、
ウルトラの父と母の直系遺伝子がタロウであるという
系譜もまた図解の上、きちんと説明されていた点も
見逃すことはできない。

歴代怪獣人気カタログも贅沢なページ数を割いている。

久しぶりに作り手の<想い>が感じられた雑誌だ。

45周年記念映画<ウルトラマンサーガ>は来年公開。
楽しみである。


そして、オトナよりちょっぴり上の世代向けの雑誌。

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オフィシャル事案においても必要な資料として
<サライ>最新号。日本の建築をこちらもヘヴィにフィーチャーしている。

ただ、エディトリアル的には<Pen>の方がエッジだ。
取り上げるアイコンが多過ぎるためか、
日本の建築という括りに存在する絶対数が多過ぎるからか、
いささか食傷気味である。
もっと絞って一つ一つをディープに取り上げるか、
あるいはさらに増やして割り切って完全総花的にするか。
そのあたりが微妙に中途半端な気がする。

読後感の心理的便益満足度は<Pen>が強かった。

書籍も相変わらず速読しているが、
特にこの夏に読んで<なるほど>と感じ入ったのは
後日別途取り上げるが
スポーツにおける<メンタル>にフォーカスした書物。

様々な事例を考察しているのだが、
特に大きなポイントとなってフィーチャーされているのが
ダモシNY-eraのためリアルタイムでは観ていなかった
夏の甲子園決勝戦における松山商業外野手の
奇跡のバックホーム。

この書籍は、アントニオの空手に対する
ダモシ側のコーチング面での勉強に大いに参考になった。


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金子みすゞ詩集と、
内田百間(ひゃっけん)の<阿房列車>。

前者はACで登場したことで、今年改めてフィーチャーされている。
後者は内田百間のトボけた顔と出で立ちが中身と比例していて
実に愉快な内容である。

"昔の作家"の、世間における格の高さを感じずにはいられない。
昔の作家は、今では考えられないくらい偉かったのだろう。
まるで"上様"のようである。

<阿房列車>ではないが、
ダモシもオフィシャル事案で最近、都電に乗った。
東京都の交通は今年100周年を迎えている。

<都電に乗ったこと、あったかな…>と考え込むほど、
その記憶や縁がない。

東京で育ち暮らしてきたのに
もしかしたら都電に乗ったことがなかったか?
と考え込んでしまった。

実際、荒川区など都内の北側を主に走っているから、
山の手人間ダモシにとっては
エリア的には合致しないから
今まで乗ったことがなかったとしても不思議はない。

しかし早稲田エリアは走っている。
ぎりぎり早稲田や池袋エリアは絡みがあるから、
乗っていてもおかしくはない。

本当は乗ったことがあるかもしれない。
だが、乗ったという確かな記憶がまったくない。
だから、乗ったことがなかったのかもしれない。

<初めてだ>。

そういうことにしておこう、と思った。

そして始発の三ノ輪橋から乗った。

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三ノ輪橋停留場は、レトロ。
<ぴあ>が普通に売られていて
名画座が存在していて、銭湯があって。
そんな昭和の世界にタイムトリップしたかのような佇まいだ。
広告看板も昭和のまま、だ。

雑誌づくりも、広告も。そして街も人も。
どこか、のんびりしていて、
一つ一つに対する取り組み方が丁寧な昭和の豊かな時代。

そんな世界観を都電に乗ると感じられる。

デートも、一つ一つに時間をかけていた。
どこへ行くかも何をするかも。
今では携帯でちょろっと、指でぴぴぴっと押したり、
さーっと画面をなぞれば
洪水のような情報を示してくれる。

雑誌もMacで"出来ちゃう"。
写植版下時代の切り貼り的世界観では
一つ一つ丁寧に、時間をかけて思慮深く、感性を研ぎ澄ませて
作ったものである。

広告コピーも当時は<100本書け>と言われた。
光るとすればそのうちの1本。
今ではルーキーがMacでちょろっと単語を、
しかも普段言葉で並べるだけ。三分もかからない。

これでは、ダメだ。

ダメなものは、ダメだ。

男女の恋愛も、だからダメになる。

セックスまでに至るストーリーにおける
思慮深さともう一方にある情熱。
タガが外れる最後の一瞬までの豊かな時間。
外れたら最後、燃え上がる炎。

それが、ないだろう。

ぴゅっぴゅっぴゅっとそこに雪崩れ込み、
あとはスピーディに男女それぞれ怒濤の洪水を発射して
フィニッシュ。

コンビニ・セックスだ。ファストフード・セックスだ。

何でもコンビニ化、ファストフード化。

なぜ皆、そんなに急ぐのか。
そんなに忙しいわけが、ない。

ただ、ニッポン人は総じて
<面倒くさがり>になってしまったのだ、と思うわけである。


まあ、いい。


******


最後に仮面ライダーである。映画,だ。
よふやく観に行った。このウィークエンドに。
アントニオの友だちはとっくに観に行ったようである。
夏休みも終わり近い今、やっとこさ行ったのである。

もう、ほとほと最近は、
結局、昔のニッポンの文化は何でも素晴しかったのだ
という結論に至るわけである。

歌も同様に。

<仮面ライダー>というカルチュラル・アイコン。
<戦隊ヒーロー>というそれ。

いずれも昔の歴代のヒーローが出てくるのは
最近の趨勢だが、その手法が上手いのだ。

作り手が、消費者便益を完全に把握していて、
それをブレなく提供しているから面白いのだ。

最新作では、またもダモシは落涙したほどだ。
ここのところ<仮面ライダー>で泣いているのだ。

今回は、何と<暴れん坊将軍>が登場。
あのテーマ曲に乗って
バイクに乗る仮面ライダーと併行して
白馬に乗る徳川吉宗が登場。

痺れるわけだ。

キョトンとしているアントニオの隣で、
ダモシは身体を奮わせながら笑い、そして泣いた。

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昭和のプロレス的手法。まさに夢のタッグである。
一つ一つの所作や台詞、登場のタイミングなど、
前回の歴代全ライダー登場の映画同様に、
完全に古き良き昭和の時代のプロレスの手法が
採られている。

ダモシ、大興奮で劇場を後にした。

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入場者特典はガンバライドカード。
観賞後、<特別だぞ>とアントニオに
これまた戦隊ヒーローも昔のレンジャーの人形を
最近売り出しているが、
そのシリーズ"レジェンド"からアカレンジャーのそれを
買ってあげた。

アントニオ猪木が来週、国技館で格闘技イベントを開催するが、
その中で藤波辰巳vs.ミル・マスカラス戦が行われる。
これもまた、そういったレジェンド的世界観で、
ファンは落涙するに違いない。

ダモシが昔の仲間と集まってメモリアル・イベント的に
草野球試合を一回きりで開催したら、
おそらくダモシのみならず、メンバーも、それぞれの家族も、
大いなるノスタルジーに包まれ、
エモーショナルな空間になるだろう。

そういう世界,だ。

ヤンキースが試合前に時々、レジェンド・プレイヤーを
フィールドに招き入れてセレモニーをやっていたが、
その世界観である。

過去と現在、未来はすべて点と線でつながっている。

人生すべて予告編。

そして
<人生はもしやメビウスの輪ではないのか>という
NY-era以降のニッポン各地でダモシが感じている事象。

それらを包含したところでである。


いずれにせよ、これもまた、まあ、いい。


空手の稽古もぬかりない。
次戦へ向けてのフェーズUPと二度目のマイナーチェンジ敢行中である。
まずは9.4で成果を挙げたい。


Good Night.


See you soon...といきたいところである。



posted by damoshi at 01:30| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月09日

2011-夏旅(1)


吾輩は、此処に在る。

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暑い。だが、さすがに涼しい。

そして何よりも<これぞリアルな自然>といえる
空気の絶対質の違い。

箱根、那須と共に避暑地としてのリアル・リゾート。

1984-夏。高校時代、テニス部の夏合宿で。
1992-夏。広告代理店時代、接待ゴルフで。
いずれもオフィシャル事案で訪れた。

逗留という部分で考えれば前者以来28年ぶり、
足を踏み入れたと考えれば後者以来19年ぶり。

いずれも久しく訪れていなかった地、軽井沢。

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*****


金曜日のオフィシャル事案を終えて夜遅く帰宅。

土曜日は遠方(二時間レベルの距離)へ早朝から
アントニオの空手大会と

慌ただしいウィークエンド。

ダモシ自身、
<親をこれだけ喜ばせたり、子を誇らしいと思わせるような
 パフォーマンスを、自分はしたことがないのではないか?>
と思えるほど、アントニオはダモシを喜ばせているが、
毎回、そう思うようにいかないことは了解済みである。

常に記載しているように、100回のうち1回のハッピー。
これが基本である。

演武会での、破格のパフォーマンスの翌週となった大会では、
久しぶりにクリーンに負けた。
要するに<負け>ときちんと認められる敗北。

昨年末の"大阪ナイトメア"以来、である。

演武会への集中の翌週。そして旅前日。
この日程的なバランス感覚も良くなかったのだろう。
要するにモメンタムである。
ここにいささか無理があった。
そしてダモシ自身にも若干、油断があった。
多少なりとも歯の生え変わり期で
歯がない/歯がぐらぐらしている状態という
微妙な心身変化もあっただろう。

勝てば本人の手柄。負ければ監督のミス。
今回は、後者である。
来月から全日本選手権シリーズが始まる上で、
ある意味で"大阪ナイトメア"以来のきっちりとした負けは
プラスになるだろう。

ダモシもまたこれでさらに燃える。
やはりエポック的な敗北があってこそ
次のフェーズへさらなるアップを図る基盤となる。

"大阪ナイトメア"以来、フェーズを上げて練習し
マイナーチェンジを施して仕上げてきたことでの成果は、
まずはこの初夏までに出すことができたわけだが、
さらに新たなフェーズへの足がかりとなるナイトメア。
それは名づけるとすれば"埼玉ナイトメア"。

この"埼玉ナイトメア"を起点に、
今後また新たなフェーズへ上げていく決意をした。
またマイナーチェンジへ向かう。
今度のマイナーチェンジはどれだけ時間を要するかも
ポイントになるが、"あっと驚く"部分を付加するつもりである。

努力、武道精神、勝負根性等々を満たす中、
さらに"技"の部分と、さらに深い心理面、精神面と共に
矜持の部分も付与していくフェーズとステージのアップである。


そんな、アントニオにとっても
いささか天狗になっていた部分もあったろう。
それを<あれっ?>というところで得たエレメンツを
逆に己自身の矜持として携えて、どういったポスチャーを
見せるのか、も大切なことであると同時に、

言っても、コドモであり、夏休みである。

<気分をしっかり入れ替えて、楽しい旅行は旅行で楽しむぞ?>
とダモシが言わずとも、
コドモはコドモらしく敗北を引きずらず、
大会から戻ってきて自宅に着けば
もう旅行モード。

そんな姿に安心しつつ、ダモシとしても
ある意味で己もまた学校レベルであるが部活で
闘いの日々だった青春時代へのエモーショナルな時間旅行
というエレメンツも抱えつつ、ワイフにとっては初の、
軽井沢への夏旅へと向かったのは、
サンデー・モーニング、6AMのことだった。


<既にお盆休み>。

今年の夏は、異常である。
そもそも大震災以降、天気まで異常。
政治はとっくに異常なニッポンだが、
曜日の関係上、組み立てが奇異になる今年の<お盆休み>。

<いったい、お盆休みっていつからよ>。

そんなマインドが支配する異常な夏、2011年。

そもそもサラリーマンではないから
組織的な<お盆休み>とは無関係だが、
それでもビジネスをしている以上、気にはなる。

ワイフにしてもアントニオにしても
<コドモにとっての夏休み>のティピカルな文化的様相である
"里帰り"を挙行するのにも世間のお盆休みがいつなのかは
気がかりである。

なぜならば、我々ダモシ国は常に、
一般社会のお盆やGW、年末年始の様相を図り、
それとは逆を往くことで
天敵の<大渋滞>回避を至上課題としているからである。

困るのだ。

皆が赤信号を一緒に渡る的世界の一斉に休みで大渋滞&
乗車率200%というのはいつかを把握しておかなければ、
へたすればそれをぴったり行動が合致してしまうという
最悪の事態に陥ってしまうからである。

ダモシ国の国家的プライオリティの一つには、

<皆と一緒の休みのタイミングに出かけない>
があるのだ。

大渋滞、大行列といった類いに遭遇したが最後、
ダモシが狂ってしまうからである。
裸の王様が狂ってしまうと手がつけられなくなる。
且つダモシだけではなくワイフもアントニオも
そういった皆と同じ休みというのを嫌う。

様々な事情〜オフィシャル事案やワイフ&アントニオの
空手大会やタレント事務所のレッスン等〜を鑑みた上で、
可能日程を割り出し、
その上でそこから<皆が休みの頃合い>とかぶる日をカットする。

そうすることで残った日が、<動く日>となる。

だが、既に土曜日の空手大会へ向かう早朝の道中。
既に、通常で考えれば"ただの土曜日"にも関わらず、
しかも朝6AMであるにも関わらず、
既に、既に、東名高速〜東京IC〜首都高〜中央環状線は
大渋滞に陥っていた。

<まったく…。こりゃあ、分かったぞ。
 もう世間はお盆休みに入ったのだよ>とダモシは愚痴をこぼす。

"ただの土曜日"で、且つ6AMなのに大渋滞。
ありえへん、となる。

それを踏まえての日曜。

普通に走れば軽井沢まではダモシ・タイムで見れば
一時間半である。

だが、6AMに出た。

前夜(土曜の夜)、
<何時に出るの?>と聞くワイフ&アントニオに
ダモシは言った。

<6時だ>。

軽井沢のエリア内を車で移動することは
あらかじめ考えていない。

どうあれ、軽井沢は大渋滞するから、
現地での足は自転車と決めてある。

ホテルに問えば、チェックイン前から自転車を使う
ことができるということで、9AMから使う予約をしていた。

9AM着を考えた場合
通常のダモシ・タイムで見れば7:30AMに出発すれば良いが、
土曜日の大渋滞を鑑みて
事前に日曜日の高速道路渋滞予測を見れば関越道と上信越道が
7AM台で既に10数kmレベルで渋滞すると予測されていた。

だからJust In Case、6AMという早出を決めたのである。

ドンピシャでそれが奏功し、
ホテルに間もなく到着という頃合いに
ダモフィーロ車内の時計を指差して

<ほれ見ろ。ぴったり9AMだろ>と

ダモシは自画自賛したのであった。


*****


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今年、自転車に乗ることができるようになったアントニオ。
拙宅から往復一時間レベルの走行は可能となっていた。
初の旅先でのタフな長距離走行へ向かう。

目論見通り、9AM過ぎには自転車にそれぞれまたがった。

結果、出発から戻りまでの時間は八時間強、
総走行距離は25kmにも及ぶ、
ある意味でこれは<修行か?><トレーニングか?>といった
様相の、さすがに軍事国家ダモシ国ならではの
ハードな軽井沢散策が執り行われることに相成った。

しかも最後、ホテルへの帰路途中、
今年の夏の異常気象の象徴である<突然の豪雨>が襲いかかり
しばしの雨宿りの後、
<キリがない。往くぞ!>というダモシの号令のもと、
豪雨の中をこれまた30分走ったり、
途中、他者と激突して転倒するなど、
アントニオにとっては初モノ尽くしの苦行があったものの完走。

<よく頑張ったぞ>と男同士、湯に浸かり、
ダモシとしても奇跡的に9PM台にベッドに横になるという、

もうこれは、オシャレな軽井沢旅行ではなく、
場所が軽井沢というだけで完全な修行だぞ
という様相の夏旅となったわけである。


未だ溜まりに溜まっている未掲載の旅があるが、
夏旅〜軽井沢を、次回の投稿から取り上げていきたい。

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posted by damoshi at 00:18| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月03日

メイン・イベンター



演武会が開かれて、アントニオが参加した。
参加できるその機会があったことがまず在りき。
そして本人の努力在りき。
あらゆる事象が折り重なって初めてその場やその結果がある。
"なでしこ"同様である。

正も負も、勝ち負けも、その他あらゆることの積み重ねである。
そして、すべての事柄には表と裏があり、
善悪でいえば、善いことばかり起こらないし、
悪いことばかりもまた起こらない。
後者は続く上、より多く起こるが、百回に一回は善いことも起こるし、
起こすことができるのもまた、努力と運、めぐり合わせと"星"である。

まず志あるオトナがいて、そういう場を設けることが大切である。
"ズル"ではなく、また、勝った負けただけではないところに
<道>はある。

柔道、剣道、空手道…。
すべての<道>は、勝った負けただけではない。
もっと深い心の問題である。

だから勝った負けただけがコドモたちの基準になるのは
<道>に悖る。よって、"ズル"はいかんよ、ズルは、となる。

あるいは、コドモにおいても、空手
(ここでいう空手は、防具空手や寸止めではなく、
 直接打撃制のフルコンタクト)では、
毎回勝ち進む者の顔ぶれが同じになってきて、
組手の強いコドもは得てして「形(型)」の試合になど出ない
というケースが多い。

組手と形(型)双方とも、コンペティション(勝ち負け)として
結果的に優秀な成績を残すコドモは限られてくる。
というか、ほとんどいない。

アントニオの場合、
組手で毎回勝つことは当然出来ないが、
"ニッポン代表"であり、
今年もここまで5大会出場で優勝一回、準優勝一回、銅メダル一回
という戦績を残している。
秋の全日本選手権シーズンには、既に2大会への出場権を得ている。

そして、形(型)も上手い。忌憚なく、上手い。
今年も3戦して準優勝一回、銅メダル一回と好調だ。

贔屓目抜きで、現実的に組手と形(型)に1大会で
ダブルエントリーして闘い、結果を残すのは、
かなり難易度は高いのだが、彼はそれを遂行している。

端的にいえば、ボクシングの階級世代を超えた最強を決める
システムの<パウンド・フォー・パウンド>的にいえば、
空手においては組手と形(型)両方を総合的に見た実力
としてリアル強者を見る場合の
<パウンド・フォー・パウンド>でならせば、
アントニオは一番ではないか?

と、少し贔屓目を入れれば思えるし、
贔屓目抜きに見てもトップ5には入るだろうと思える。

それだけ両方とも同一レベルで高い。

要するに、ダモシ自身が昔から標榜している文武両道。
インテリジェンス・モンスターの世界である。

組手はもとよりだが、
特に形(型)はダモシも安心して観ていられる。
上手いことは分かり切っていて、
審判が普通に見てくれれば勝ち負けでいえば"負けない"
と感じているからである。

しかも、演武する形(型)=マスターしているそれの演目
(レベル)が、小学二年生にしては上級のものである。
ひとえに指導者の指導力の賜物だが、
もちろん本人の吸収力や取り組む姿勢の賜物でもある。

形(型)は流派によって同じ演目でもアトモスフィアや
一つ一つの動作まで異なってくる。

ニュートラルに見て、他のそれはカチッカチッとしている。
硬い印象を受けるのだが、
アントニオのそれは独特で、
流れるようであり、動と静のバランスが、
とても小学二年生とは思えぬほどの芸術性の高さを見せている。

それはタレント事務所での演技レッスンやダンスレッスン
などの好影響もある。

『間(ま)』の取り方が実に巧みなのである。
そして、顔の表情。

<まるで役者だな…>とダモシが思うほどである。

アントニオの形(型)は、忌憚なく、
ステレオタイプの空手の形(型)
〜"武道っぽい" "気合云々" "カチッカチッとした"もの〜
ではなく、流麗且つ周囲をシーンとさせることができる
魅せる要素を存分に理解した<役者の演技>〜殺陣のような〜
となっているのである。

だから他流の大会に出ていってその流派の面々と
同じ演目(主催者側によって指定された演目)になると
当然、ディスアドバンテージを背負う。

その流派の教えに沿って演武するコドモが勝つのは、当たり前だ。
いくら全体的なポスチャーがこちらが明らかに良くても、
ディテールでの動きがその流派のやり方に沿っていなければ
当然マイナスされるからである。

そうなると、勝ち負けで見れば不公平になる。
組手における先般記載の通りの
ホームタウン・ディシジョンと同じである。

<道>という部分での本質に悖る部分は、かように在る。


そして、格闘技でもある。<道>であると共に、
格闘技という側面的要素も持っている。

人間社会においては、あらゆるジャンル、カテゴリーにあっても
必ず存在するのが、石原慎太郎・東京都知事いうところの<我欲>。
芸能人も弁護士も医者もサラリーマンも皆、<我欲>に支配されている。
主婦もそうだ。女子高生もそうだ。

特に格闘技になれば、顕著だ。

プロレス界を紐解けば分かりやすいだろう。

離合集散の繰り返し。
我欲が集まり、それが支配力を強めると、離合集散が始まる。
政治の舞台も同様。
一度始まってしまった離合集散は以降、永遠に続く。

さらにそこにコンペティティヴな要素が強まれば、
勝った負けただけの世界になり
ますます<道>の精神は皆無になり、
それがコドモの活動であっても
そこに介在する親その他含めて<我欲>の塊となり、
勝てば官軍的に、そこまでのプロセスを忘れ去る。

これでは、何のためにやっているのかが薄くなる。
本末転倒になるのだ。

政治しかり、個々の仕事しかり。

何のためにこの仕事をしているのか。
何のために政治家をやっているのか。

そういったことが失われるのである。

失わずに、きちんと誘導するのがオトナであり、親である。

そしてセグメントされた一つの項目でいえば、
コドモの空手においては、
組手で勝った負けた、強い弱いだけではない部分で、

そもそも<道>として、身体を鍛えて技量を磨いて
強くなるという目的は目的としてありつつも、
本質的な部分は、もっと精神的なものであり、
そこに関わるところでの心を磨くということが大切になる。

これを忘れている選手や親が多い。

また、強さだけを求めるオトナも多い。

いただけない。

毎回、大会になれば勝ち進む面々が同じになれば、
面白くないだろう。

ふだんのそれぞれの努力。修練の披露。

レベルがどうこうではなく、
そういう場があることで
さらにコドモたちのモチベーションも高まる。

そういった志のあるオトナが舞台を用意して、
流派を超えてコドモたちに
鍛錬や修練の成果を披露させてあげるのが、
この演武会というイベントである。

各流派各団体が一堂に会して行われた演武会。

アントニオは初めての経験。

同じ団体から出るメンバーは、三組8人。
その中でも館長を除けば、アントニオがキャリア最上級。

そして、当初のストーリーでは、
館長と二人での演武という晴れ舞台。

演武する演目は、アントニオ十八番の

〜アントニオ曰く、
 『形のトーナメントでも指定ではなく、
  一回戦からこれを出せれば絶対に負けない』〜

"セイエンチン"。

そういった
背景環境マップと環境設定があった上で迎えた演武会。

この日曜日のことだった。



*****


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時節的に真夏なのに、梅雨まっただ中の異常気象の下、
著名な建築家によるデザインの宇宙空間的な建造物が会場だった。
このファシリティ内にあるシアターが演武会場だ。

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イベントは盛大に行われた。
開会式では議員などによる祝辞も述べられた。国歌斉唱。


前日、ダモシ軍は拙宅近隣のスポーツセンター貸切を予約していた。
いつものように大会前個別特訓するためだ。
土曜日のことだ。今回は演武会への形(型)最終確認と、
今週末の大会(組手)へのスパーリングや技の反復練習のためだ。

演武会に出場する他のコドモの親御さんへダモシは声がけした。
<もし練習したければ、場所はあるので>と。
積極的に皆、やってきた。

学年では下だがキャリア最上級のアントニオが、
他のコドモたちが合同で演武する形の演目をチェックし
修正箇所を告げる。

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左端オレンジ・シャツがアントニオだ。

教えられ、教え。代々受け継がれていく。
アントニオも立派になったものだ。
彼にとっては、"教える" "面倒を見る"という所作も
このように小さいうちから出来ることはプラスになろう。

オトナになっても大きな七歳で面倒見の悪いダモシの、
小学二年生時では当然あり得ない所作である。
既にアントニオxダモシでは、この時点で差が歴然とある。


演武会。

各団体各流派の演武が進む。
アントニオの属する団体は、トリだった。

まあ、最初から分かっていたことである。

<トリだぞ、トリ。
 しかも大トリで、〇〇先生と二人でシメだぞ>

と数日前からアントニオに告げていた。
アントニオは満足気だった。

既に彼の本性、本質は幼児時代から出ていたが、
ここにきてタレント事務所でのレッスンや青山などの地に
頻繁に触れていることや、
空手の大会でも全日本などビッグイベントの経験を
積んできていることで、彼は舞台が大きくなればなるほど
<アクション>が良くなることは分かっていた。

そして、主役度が高ければ高いほど、緊張とは真逆の、
<存分に楽しむ>ことができる人間であることが
露呈されてきていた。

もはや彼は緊張するということは、ない。

仙台の幼稚園時代、ネガティヴなダモシを見かねたのか、
先生がダモシにお遊戯会(学芸会)の総合司会を命じた際、
ダモシは思い切り緊張していた例の
<幼児ダモシ学芸会司会強制事件>を例に出すまでもなく、
青少年時代の部活動の大会その他、
本番で緊張することしばしだったダモシとは異なる。

幼児期から大舞台を経験していることと、
やはり生まれが米国でありそこで三歳まで
善い部分の米国的エキスを吸収したことが
彼にプラスに作用しているのは言うまでもない。

他のコドモたちが<ふぅ…>とため息をついたり、
緊張を隠せない様子の中で、
リラックスにもほどがあると思えるほど
リラックスしていたアントニオ。

途中、リハーサル室へ行っての最終練習でも、
ダモシの
(他団体のコドモが練習していようが)、
<ど真ん中に行ってやれ!>指令に、
自信満々で演武をするアントニオ。

(<まったく、大したものだな…ほとほと…>)と舌を巻く。

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皆の方を向いて見せつけるようにリハーサルするアントニオ。
一人っ子の甘えん坊で
2-3年前のメソメソ坊主が嘘のようだ。
コドモの成長というのは、時に恐ろしい。
むろん、未だに甘えん坊で"マミー、マミー"と母親から離れないが。


さて、演武会。

総勢でいえば、このようなアトモスフィアである。

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各団体各流派、複数での舞台登場での形、試割、棒術等を披露。
(最前列センター、緑帯がアントニオ)。

長丁場に渡ったイベントも
いよいよ17時過ぎ、アントニオが属する団体(道場)が
本日のメインイベントでトリとして登場。

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舞台袖から、出番を待つアントニオ。
一つ前の団体の演武が行われているのを見つめる。
このとき彼は何を想っているのだろう。

父親ダモシとて、それは分からない。

指導する立場であり監督でありセコンドであるが、
組手の試合もそうだが、
こうなるともうダモシもただの父親、観戦者となる。
ダモシの方が、ハラハラはしないが、ドキドキである。

だが、そのドキドキは、大丈夫かな?というドキドキではなく、
一刻も早く彼の勇姿を見たいという
ワクワクでのドキドキである。

もはや彼を見る時に感じるワクワクドキドキは、
好きな女性と逢う前のそれと同じである。
それだけ胸が、良い意味で痛くなるのだ。
ドキドキで。ワクワクで。

直前、リハーサル室で館長が告げた。

体調が悪く自分は演武できない、と。

だから
<アントニオ、大トリをピンでやれ>と。

普通、おそらく、そもそも大トリの大役である上に、
結果、ピンでやることになったのだから、
<げっ…>となるだろう。しかも直前だ。

緊張するだろう。

ところがアントニオは、どこか嬉しそうだ。

<ピンならピンでOKさ>と顔に書いてある。

さらには、インタビューがある、と。
館長はインタビューを受けることが決まっているが、
<アントニオ、インタビュー受けるから、
 演武したら、そのまま舞台に残れ>と言われたのである。

普通、おそらく、<げっ…>と思うだろう。緊張するだろう。

ところがアントニオは、
<分かった>と平然としているのである。

その時、ダモシは思った。

<本質的に、彼はメイン・イベンターだな>と。

その"星"にあるのだな、と。

昨年、離合集散の末に新団体旗揚げとなった同団体。
その初年度で、いきなりニッポン代表を生んだのだが、
それがアントニオだった。上級生が一杯いたのに、である。

それも、やはりその"星"なのである。

タイミング。

今流にいえば、"持ってる"となるのだろう。
むろんダモシも"持ってる"方の部類だが、
彼は確かに"持っている"。

さらにその"持っている"背景にあるマインドが、
本質的なこれは要素だが、
<我欲>や<欲望>が先立つのではなく、
きちんとやるべき努力を真摯に遂行していることが基本
となっている点がある。

意図してそのポジションにつくのではなく、
気づけば自然にその役柄やポジションについている。
それが"星"ともいえるわけだ。

むろん周りのオトナや親の誘導と後押しは欠かせないが。

かくしてアントニオは、大勢の出場者の中の大トリとして、
しかもオトナも大勢いる中で
小学二年生にして、
さらにはこの日のすべての演武の中で唯一となる<ピン>
での演武を行うことになった。

むろん館長との師弟演武は最強の大トリだったはずだが、
ある意味で、
小学二年生が難易度の高い演目の演武を
大トリでピンで行うという構図は、
メインイベントとして相応しい舞台になったわけだ。

これまでの演武者すべてが観客となるから、
この日、最も多くの目を集める瞬間となる。

大トリ、ピン。そしてステージのど真ん中。

アントニオは、立った。
館長は舞台横からマイクで紹介する。

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泣きそうな顔に、一瞬なるアントニオ。

(おい、頑張れ!俺たちがついてるぞ!)

館長が大きな声で<形名称!>と気合を入れると、
アントニオは役者に化身。

三月の大会での過去最高の気合に等しい大声で、
日の丸の下、<セイ、エンチン!>と叫んで演武を開始した。

ダモシは観客席上方ど真ん中に立ち、望遠レンズを構えた。

<よし、いけ!気合入れて元気良く!>とダモシも思わず叫ぶ。

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アントニオと真正面に向き合い、
ダモシも真剣勝負でシャッターを押す。
左胸からは心臓が飛び出さんばかりとなり爆音立て、
ファインダーを覗く目は当然、潤んでいるのは言うまでもない。

<一人でメインで立って…。
 立派になったな、おい…。すばらしいぞぉ…>と。


始まると、勢いに乗ったアントニオ。
言うことない、素晴しい演武を披露する。
会場は静まり返った。

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自信満々。大見得。まさに役者になっている。
始まれば"入り込む"。これが本質的に必要な要素だが、
彼はそれを備えている。役者に向いている。

必死にシャッターを押しながら、
ダモシはもう完璧な<ファン>になって小躍りしている。

<はぁ…かっこいいぞぉ…>と。

完全にファンだ。

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<エーイ!>と気合を入れる箇所も、
シアター全体に轟く声を出したアントニオ。
ふだんはおとなしく声も小さいコドモだが、
舞台や大会になると化身する。
ここがポイントである。

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演武終了。満場の拍手でメイン・イベントを締めくくったアントニオ。

100点満点だ。見事に大役を務めあげた。
この日、演武が出来なかった館長の分も。


演武後、ステージ上でインタビューが行われた。

未だ小学二年生だ。当然、演武が終わればコドモに戻りハニかむ。
その様子を見ている観客席の他団体のお母さんたちから
<カワイイわねぇ…>の声があがる。

ダモシはファインダーを覗きながら
心の中で、<だろ?俺が父親だぜ?>と誇らしげになる。


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<何を聞かれるのだろう?>と不安げに
インタビュアーを見上げるアントニオ。

これがまた、インタビュアーの質問が
とても小学二年生にするようなQではなく、
事後皆で話したが<あの質問は、ないよね>というレベルのものだった。

小学二年生にはかわいそうな、質問。
ダモシも、ステージに乱入しそうになった。

<今後、どういう空手を目指していきますか?>。

これは小学二年生にする質問ではないだろう。
<空手をやっていて楽しいことは?>だの
<どうして空手を始めたのですか?>だのという
レベルの質問であるべきではないのか?

と。

実際、他団体のコドモへのインタビューの際は、
高学年のコドモにもそういうレベルの質問だった。

なぜアントニオの時だけ、難解な質問をするのか。

案の定、アントニオは十数秒黙ってしまった。
会場全体にハラハラしたムードが漂った。

だが、役者アントニオ。ここで分かりやすく、忌憚なく、
<その質問、ちょっとどうなの?>的な仕草を見せた。

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(<おもしろいねぇ…>)とダモシは笑った。

ただ単にドキマギしたり沈黙するのではなく、
誰にも、ぱっとひと目見て分かりやすいポスチャー。
それを魅せる要素として見せる。
これがまたダモシが指針としているべき褒めるところである。

そして、放った台詞がまたお見事。

<まず先生にいっぱい技と形を教えてもらいたいです>。

強くなりたい、勝ちたいではなく、
そして横にいる先生(館長)へのリスペクトを重んじる。
とてもとても小学二年生でこれはない。
少なくともダモシでは無理だった。

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立派でした。

<立派だったぞ。カッコよかったぞ>。

ダモシからアントニオへ最高の褒め言葉が投げられた。


これですべての演武が終了。閉会式が行われた後、
音楽が鳴り渡る中、格闘技イベント恒例の、
メイン・イベント後に全選手がリングに上がっての記念撮影。

その直前、アントニオと、他にも同団体のコドモたちに
ダモシは言った。

<全員で記念撮影があるぞ。いいか?アントニオ。
 〇〇と〇〇たちと一緒に、真っ先に舞台に上がって
 一番前のど真ん中を獲れ!>

頷くアントニオ。他のコドモたちを引っ張って、
他団体の大勢のコドモたちよりも早く舞台に上がり
悠然と最前列ど真ん中を確保した。

ダモシは、

<面白いねぇ…昭和のコドモみたいでいいぞ>と大いに喜んだ。


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安堵と充実感が彼を取り巻いた。
今流にいえば、堂々の"センター"である。


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誇らしげにポーズをとるアントニオ。
これもまた今流にいえば、
センターでの、"どや顔"だ。

ダモシを喜ばせてあまりあるパフォーマンス。

かくしてアントニオの晴れ舞台は大団円で終わった。

彼は立派なメイン・イベンターである。

ほとほと、
こういった舞台を与えてくれた
関係者と館長には感謝、多謝である。

"ズル"はいかんよ、ズルは。
"我欲"も良いが、"我欲オンリー"はいかんよ。

かように正々堂々と、勝った負けたを超越した、
根本は<道>として、関わる者すべてが臨みたい。

あくまでも、エデュケーショナル(教育)的所作である。

今週末はまた闘い、だ。

勝ち負けがすべてではないことは、しつこいくらい書いている。
その通りである。

だが、勝負は勝負。

<やる前に負けること考える、バカいるかよ>イズムは、変わらない。

とにかく、Do Our Bestである。

ダモシもワイフも館長も、共に闘っているのである。



posted by damoshi at 00:46| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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