2011年09月29日

精神的異邦人はBIG-8



アントニオが八歳になった。

光陰矢の如しといふが、今やそれ以上。
矢が飛ぶ速度などというレベルではない。
もとより音速よりも光速。そして光よりニュートリノという時代だ。

そうなれば
<時(が経つの)は、ニュートリノが如く(速い)>が時流か。

"Time flies like Neutrinos"ということで良いのだろうか?

同時にダモシもBIG-8、大きな八歳になった。

同じ八歳でも、
アントニオは十七歳までライジング・サン。
ダモシはトゥワイライト・ゾーン。

東から未だ昇り切っていない前者。
西へ沈むゆく後者。

<変わりなく元気そうですね>。

三年ぶりに逢ったニューヨークの聖母は言う。

<最近は疲れやすくなりました>。

ダモシは言う。

互いに不思議なことに"久しぶり"感がない。

ニッポンで逢うのは二度目。
同じ日本人同士なのにニューヨークが主舞台。
ニッポンで逢うことの違和感は未だ在る。
聖母が旅人として"異国ニッポン"に来ていて、
迎えるダモシも"心"がニューヨークにあるからだろう。

逢っている間、二人の中では、そこはニューヨークなのだ。

<牙を隠して日々を過ごしていますよ>とダモシ。

<自分でマインドのレベルをキープしておかないと、
 この国にいると、終わってしまう。
 だらだらしてしまう>とも、ダモシ。

<ニューヨークを想わない日は、ありません>とも、ダモシ。


この齢になれば、"致し方ない"中で、
ぎりぎり何かを見出して
モチベーションを己自身で折れぬようキープするしかない。
特にニッポンは<ヒトのモチベーション>を折る国だからだ。

"楽しそうに"するしか、ない。
そんな局面は、ニューヨークでは皆無だが、
ニッポンはそれがほとんどである。
"しょうがない"と奇妙な割り切りが多い国。
仕事でも何でもそうだ。ヒトがもうそれに収まってしまっている。
これは、ほとほとこの国、致命的だと感じる。

アントニオの存在が、そういう意味でも救いである。
"しょうがない"も存在せず、"あきらめない"が存在し、
ダモシの思った通りに、戦略通りに出来る。

ダモシは己が戦略に自信を持っている。
関わる何に置いてもそうだ。
己が力を出すものにおいては。
要は力を発揮することができる環境があるか否か。
そして戦略通りに邪魔されずに進められるか。

その点、
ニューヨーク>日本という図式の差はあまりにも大きい。

いずれにせよ、聖母もご主人を昨年亡くした。
ダモシも一昨年、後輩を亡くし、今年は愛猫ポポを亡くした。

ライジング・サンがあれば、一方で、トゥワイライトがある。

<齢>に沿って、それなりに消耗する。

互いに外見上は
さほど変化はないが、それでも<齢>なりに、
良い意味で時を重ねているわけだ。

亡くなったご主人と、アントニオが、
キャッチボールをしている写真が夜になって見つかった。
後日、郵送しようと思う。

アントニオが二歳の初夏、ニューヨークでのものだ。


*****


アントニオが風邪をひいてしまった。

あぁ・・・という気分である。

館長も風邪で発熱。道場は休みになった。
明日もどうなるか分からない。

今週末の大一番へ向けて、<よりによって>というところだ。
しかも当日朝、四時間以上かけて福島へ乗り込む。

まあ、もう満身創痍の闘いは否めない。

ダモシも異様に疲れている。
出張と、博多-新横浜間の新幹線移動がこたえている。
明日も埼玉遠方、明後日も四時間近くかけて静岡の山間部へ。

こりゃこりゃ、満身創痍での福島決戦になるのは目に見えている。

それぞれtoo muchかO.D.が過ぎるのだろう。おそらく。

疲労もなく、ばっちり元気で何かに臨む
という構図がまったくないのである。

早速ワイフは病院へ連れていき
ドクターに事情を告げて何とか治せないか、と。

ドクターは
<抗生物質で抑えましょう!>と処方した。

決戦まで、もう日数的余裕はない。
今夜と明日だけで体調を戻すことにトライである。

最悪、前日の土曜日に少し最終調整して臨むしかない。

そんな体調でも
アントニオは己がバースデイを楽しみにしていた。
本来であれば道場での稽古の後に行く予定にしていた
アントニオが<やはり好きな>アメリカの店だ。

ささやかに八歳のバースデイを祝っていると、
さすがアメリカ、
店内の全員の客が大拍手でアントニオのバースデイを祝ってくれた。

さすがにアントニオも虚をつかれたようだ。

<これがアメリカだよ。アメリカはいいぞ>とダモシは言った。

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田園都市にあるアメリカ。

やはりこの風情こそ、心が落ち着く。
ダモシはアメリカが根っから好きなのだろう。

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完全に具合の悪い顔のアントニオだが、
奇妙なほど食事をし、ケーキも食した。

間違いなく彼はアメリカの食事が肌に合っている。
この店に来ると、別人のように量を食べるのだ。


最後に久しぶりのダモシ最近影含みで。

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リアルに、ささやかなバースデイ・ケーキである。
大きな八歳の、ますます大きくなった身体が
構図的に怪獣のように見えるが気のせいか・・・。

"アメリカの店"の計らいでローソクも立ててくれ、
他の"アメリカンなお客たち"も好意的に祝ってくれた。

ニューヨークな、そして表層あるいはステレオタイプではない
"本質的な"アメリカン風情な、一日。

精神的異邦人&"BIG-8"ダモシとしても

地方含めて、どっぷりとどっぷりと、

そもそも井の中の蛙なニッポン人以上に
ニッポンに浸かっている日々なので、

"こういうの"も、たまには良かろうよ。



posted by damoshi at 01:17| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月28日

旅手帖


広島で<お好み焼き>、博多で<もつ鍋>、門司で<ふくプラフ>。
"ふく"は、"ふぐ"である。

門司は小倉と共に一大商圏の北九州市を構成。
同じ福岡県でもロケーション的に別物で、
オールモースト本州。文化圏・商圏としては下関。
だから、"ふく"。

それぞれの名物を今回も食す。

むろん、グルメ旅行でもプライベートの旅でもない。

広島〜博多〜門司をデスティネーション&エクスカージョンとする
今回の旅は終わった。

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今朝の博多駅。秋空は高く在る。

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今回逗留したホテルも見える。

博多。今年だけで四度目の訪問。三度目の逗留である。
まさに今年の旅先/逗留先ではヘヴィ・ローテーションが博多。
2-5-6月と今回9月。

何度も記載しているが、
それこそ博多はニッポン復帰後の一昨年初めて訪れて以来、
特殊な甲斐国を除けば最も多く訪れている都市になっている。
不思議な縁である。

そして、もう慣れた。旅先という感覚ではなく、
スーツを着て歩いていて違和感がなくなった。
博多は<慣れた>都市となった。
好き嫌いは別である。
でも、"嫌い"ではない。

そんな地である。

巨大な新博多駅になってからも既に三度行っている。
その三度ともその駅前のホテルに逗留している。
今や博多は天神などから人の流れが駅へと戻っている。

キャナルシティにもホテルはあり、そこにも逗留したことがあるが、
いま博多で逗留するなら駅前だ。

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間もなく帰路へ向かう。
新幹線ホームへと連なる駅構内。

博多駅は鉄道ファンにはたまらないだろう。
多くのホームに多くの観光特急、在来線が
やって来ては出発し、また滑り込んでくる。

真新しく巨大な駅にも関わらず、
なぜかそのホームには哀愁が漂っている。

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帰路で新幹線に乗り込む頃は未だデイタイム。明るい。


*****


今回は予定になかった門司行きも。

前回に続き、
やはり門司も生涯で一度も行ったことがなかったが、
今年はじめて行った上に、
今回もまた行くことになったわけだ。
これもまた不思議な縁だ。

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門司は林芙美子ゆかりの地でもある。
女史の作品に引っ掛けた喫茶店もある。

放浪記である。

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門司はオールモースト本州。下関である。
対岸すぐに下関がある。関門橋が結ぶ。
前回その下の海峡トンネルを歩いて下関から門司へ渡った。

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こんなに近い。右手に見えるが関門橋。
下関は結構好きな部類に入る街だ。
そもそも山口県が好きな部類に入る県である。

いつか仙崎へ行ってみたいのである。むろん、萩も。岩国も。

広島から岩国へエクスカージョンで行く手もあったが、
そのための時間は届かなかった。


*****


素材多数。今回もディテールをいつ取り上げることができるか。

ダイジェストで今宵掲載。

さて、帰路。
博多から一気に新横浜あるいは品川、東京。
この行程は、想像以上に疲れる。

都合5時間の長旅である。直行ではない。
乗車した<のぞみ>は博多を出て、
小倉、新山口、広島、福山、岡山、
姫路、新神戸、新大阪、京都、名古屋を経て新横浜である。
新横浜まで来れば品川も東京も違いはない。

この間、5時間である。

間違ってはいけない。<新幹線で5時間>である。

米時代も長距離列車で旅をした。アムトラックだ。
例えばニューヨーク〜ボストンは約3時間半
(勿論列車によって所要時間は異なり4時間半掛かるものもある)。
ニューヨーク〜ワシントンDCも列車で行った。
これが約2時間40分から3時間。
ニューヨーク〜アルバニー(オールバニ)は、2時間半。
これらは同じエリア=東海岸内でのことだが、
それでも広い米を象徴しているケースだが、

新横浜-博多間の距離(1,146km)を米にならせば、どうなるか。
メジャーどころで近いものを挙げれば
ニューヨーク〜シカゴ(1,270km)ということになる。

ニューヨーク〜シカゴ間は飛行機で行ったことがあるが、

新幹線での新横浜〜博多間をこれに準えることで
<こりゃ、遠いわな>と実感できるわけだ。

120kmの距離差はあれど、
先述のアムトラックでニューヨーク〜シカゴ間を走った場合、
何と19時間もかかる。

これを飛行機で見た場合、
ニューヨーク〜シカゴは約2時間強。
羽田〜博多は約2時間弱。
ほぼ同じだ。

これを鑑みれば、いかに新幹線が素晴しいかが分かる。

いずれにせよ遠い<新幹線での博多〜新横浜>。

よふやく、といった感じで新横浜に着く。

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ダモシを博多から運んできた<のぞみ>が、
品川、東京方面へ去ってゆく。

新横浜はもう真っ暗だ。

それでも新幹線が良い。
前回も新幹線を利用した。
<何となく>博多へ行く場合は飛行機という気がしないのだ。

その<何となく>の背景には、
『博多へ行く際に飛行機を選んで落ちたらイヤだな』
という心理が働いている。

なぜ to博多に関してはその心理が働くのかは、分からないが。

もう一つ。

to博多に関しては、妙に羽田空港へ行くことに
面倒くささを感じてしまうのだ。

それなら新横浜まで近いから、
そこから新幹線でゆっくり座って行こう
という気持ちになるのだ。

博多は福岡空港からも奇跡的なアクセスの良さがあるが、
問題は東京にある。
成田(千葉)は論外の最悪アクセスとして
羽田も決してアクセスが良いとは言えない。

福岡空港は、博多の奇跡といって良いほど、
大都市にしてはアクセスが良過ぎる。

正直、<羽田空港に行くには面倒くさい>のである。

それが海外へ飛ぶのであれば、羽田行きも苦ではないが、
博多へ行くとなれば
新横浜から行く方がダモシにとっては断然、
便益を満たされるわけである。

自身の旅手帖に
<博多へ行くなら新幹線>という定義が書き加えられた。


*****


http://www.246material.me/nuri11.html

最新の<ぬり絵の旅>マップである。

注釈も加えた。

今回の<広島>。
早々にフィーチャーするが、
1999年以来12年ぶり二度目の訪問&逗留だった。

そういったLong Time No Seeだったデスティネーションで
今年行った地も書きまとめた。



posted by damoshi at 02:16| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月25日

ガブリエール


大相撲。
今場所は全体的にたいへん良かったと思う。

興行としては、観客動員につながらなかったが、
終盤の盛り上がりは、失われて久しいものが甦っていた。

まずは"ガブリエール"琴奨菊。

<出来過ぎです>。

NHKのスポーツニュースに生出演した際の第一声。

その通りである、と感じる。

今場所のガブリエールは、最後までアトモスフィアを支配。
モメンタムも途切れることなく、
フローも90%噛み合った。

いったん向いたアトモスフィアは途中で途切れることもある。
それが勝敗を争うコンペティションにおける
ワンデイ・トーナメントや大相撲のような15日間である。

流れが向いていても、ある局面で一気に崩れるのだ。

トーナメントの場合、たとえばベスト4が出揃った時点で
<休憩>になってしまい、
準決勝以降は後から行う場合。

アトモスフィアはもとより、モメンタムも急激に途切れるケースがある。
モメンタムは持続しても、アトモスフィアが急にそっぽを向く場合もある。

15日間の大相撲も同様。

綱獲りというテーマがあることで、
周囲の期待と認識も自然に加わり
己のモメンタムのみならずアトモスフィアも満点で臨んだ日馬富士。
しかし序盤で連敗した時点ですべてが途切れた。
フローはまったく向いていなかった。

同じく"自然と"アトモスフィアが出来上がっていたのが、
ガブリエールと稀勢の里の二人。

後者は、ガブリエールよりも先に、連敗したことで
ずるずるいくかと思われたが、途切れかかったアトモスフィアを
己がキープし続けたモメンタムが引き寄せて逃さなかった。
それによりフローが後押ししはじめて
千秋楽まで優勝争いに加わり、来場所の大関昇進へ向けての
最高の結果で今場所を終えた。

来場所、どの力士よりもアトモスフィアが初日から
既に自然に備わっているのは稀勢の里ということになる。
よほどの事情がない限り本人のモメンタムもつくはずだから、
あとはフローが向くかどうか。
そこに来場所の大関昇進がかかってくるだろう。

さて、ガブリエール。

<出来過ぎです>。

これは謙遜ではないだろう。

先般記載の通り、<なでしこジャパン>と同じ構図だ。

良い意味での<出来過ぎ>。

この構図をもたらすためには、
アトモスフィアとモメンタムの高いレベルでのハイブリット
のみならず、フローがついてくることが条件となる。

それがガブリエールには、これまでのどの場所よりも
最適な様相で見事に絡み合った。

特に稀勢の里戦に勝利した時点が分水嶺だった。
あの一番で勝ち切ったことで
フローがついてきた。

敗戦後、国技館からの帰路の車中では、
付き人たちが歌を唄い暗いムードを除去。
場所前にはメンタルトレーニングも施したガブリエール。

そういった一つ一つの工夫と努力が実を結び、
フローの構築へとつなげた。


*****


千秋楽。痺れる展開は大相撲の醍醐味。

ニッポンの伝統芸能、文化、そしてスポーツ。
神事とはいうが、実際に最も大相撲の魅力が出るのは
優勝争いに絡む勝ち負けを基盤とした人間ドラマである。

要するに、コンペティションなのである。
大相撲は格闘技でありコンペティション(=勝敗を争う競技)であり、
それをお客さんに見せる興行である。

野球などと同じように、
勝敗を争う、のるかそるかの痺れる攻防。
ここにこそ大相撲の魅力があるのだ。

伝統芸能の要素はあれど、それだけならば勝ち負けは不要だ。
お金を払って観ている観客、
テレビの前で観ているファンは、
勝ち負けを観ているのである。優勝争いに痺れているのである。

その、のるかそるかの攻防における、控えにいる時の表情や
仕切りの緊張感、立ち合いの紙一重の動きが勝敗にもたらす影響
その他もろもろをこそ観ているのだ。

優勝争いで鑑みれば、ガブリエールにとっては立ち合いが致命的だった。
解説の舞の海も語っていたが、
先に立ってしまった際にもろ差しを狙っていることがバレてしまい、
二度目の立ち合いでそれをとれなかった点が大きい。

一発目で立ち合っていれば狙い通りもろ差しをとることができ、
そうすれば一気にがぶりよって勝った可能性もある。

アントニオの空手でもそうだが、
そういった展開の紙一重は勝敗に大きな影響を及ぼす。

一方、白鵬。

アトモスフィアとフローがどんなに向いていなくても
横綱として己が力だけで
それを凌駕しなければならない立場にある。

だから、横綱なのだ。
だから、それだけ横綱は偉大なのだ。

千秋楽も、日馬富士がこの一番だけに賭けるモメンタム絶頂で、
アトモスフィア(=この場合、館内の雰囲気)も
三つ巴での優勝決定戦を観たいという大多数の観客の大歓声
を受けて、より日馬富士に向いていた。

それをバックに、気合良く立ち合ったが、
白鵬は見事に力で勝ち切った。

さすが、横綱といえるだろう。文字通り、綱の風格である。


面白かった。

昨秋のプロ野球日本シリーズ。
地味といわれ注目度も低かったが、
千葉vs.名古屋のシリーズは、忌憚なく面白かった。

スポーツ、コンペティションの醍醐味。

今場所の大相撲は、その魅力の原点に立ち返っていた。
稀勢の里も、一皮むけた感がある。
"お尻ふりふり"はなくなったが、風格が出てきた。
ムラがあったが、安定感が出てきた。

魁皇がいなくなったことと、不祥事続きであったことが、
ガブリエールと稀勢の里には、特に吉と出ている気がする。

むろんガブリエールも、ただ大関になるだけで、
"琴欧洲のように"なってはいけない。
あるいは一時期のような"8勝7敗大関"に落ち着いては
本末転倒である。

今後こそ、よりタフなシチュエーションで闘うことになるが、
まずは、おめでとうございます、である。

来場所も、今場所のようなハイレベルな攻防を期待したい。


今宵は広島。

ホテルに戻りチェックインしたのが17時過ぎ。
部屋に入りテレビをつけると
ちょうど稀勢の里の取り組み。

そして、ガブリエール、白鵬。

すべて観ることが出来た。

すばらしい千秋楽、"これより三役"を堪能した後、
お好み焼きを食すべく街へ出た。


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(ホテルの部屋にて)。


最後に、
白鵬もガブリエールも<父親>が来ていた。
その嬉しそうな顔にはシンパシィを覚え、
エモーショナルな感覚を受けた。

<気持ち、分かるよ・・・>と。

子が闘い:コンペティションに臨んでいる際の親の心境。

これはジャンルやレベルを問わず、
親なら皆、同じ感情があるだろう。

大相撲も理解してきて今場所は観ているアントニオに電話した。
<これからガブリエールだぞ>と言うと、
青山から帰ってきたばかりのアントニオはマミーに
<ガブリエールやるって。テレビつけて>と言って
電話を切った。

今宵、アントニオは昇級試験に合格したようだ。

帯は、長い間の緑を卒業して、紫になる。
残りは茶、そして黒帯だ。

バカ親ダモシは、紫帯が届いたら、
それをつけさせてアントニオの撮影をしやふ
と今から楽しみにしているところである。

10.2福島は、緑帯での最後の闘いになる。
10.15全日本は、紫帯での最初の闘いになる。

稀勢の里、ガブリエール、白鵬からも学びたい。

親と子の対コンペティションにおいても

日々是勉強、である。



posted by damoshi at 22:40| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

12年ぶりの広島へ


ニッポン人は、楽しい三連休をどのように過ごしているか。

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今朝、道場近くの風景。まさに秋晴れ。
空は澄み切っている。そして、風は冷たい。
シルバーウィーク後半の三連休初日から、一気に秋になった東京首都圏。

今や時代は、お盆やお正月よりも、普通の週末や三連休の方が
高速道路も一般道も大渋滞になるご時世。
昨日も朝から東名は40km大渋滞。
当然、避ける。

否、避けるといふよりも、ここのところレジャーで出かけていない。
プライベートでの旅も、ない。
夏に軽井沢へ一泊で行ったきり、だ。

いずれにせよ秋になった。

猫は特に敏感だ。
早速、三匹はくっつき合って眠ったり、
少しでも暖かい場所を見つけて眠る。

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既に老境に入っているが、ずっと最年少できたから、
老境の今でも最年少で幼さの残るケロ。
ケロの特性は、こうして正面から顔を埋めて眠る所作。

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e-MacからHDデータが無事救出され、
中古だが新たなMacに移植されて甦った。

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G3だ。懐かしい。
まさにニューヨーク時代のオフィスで使用していたMacである。
モニターが思いのほか状態が良く、明るい。


*****


アントニオの空手は、
10.2福島、そして10.15国立代々木と大一番が続く。

現在さらにフェーズアップ中である。その過程だ。
野球やゴルフのスイング改造に近い。
その過程では、結果が出ないケースが往々にしてあるが、
どこまで10.2と10.15に間に合うか。

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既載の通り、アントニオは型も重視して行っている。
組手のフェーズアップ練習と共に
型にもきちんと時間を割いた指導を館長がしてくれる。

明日は昇級試験。課題の型を最終練習。
合格すれば、帯が紫にアップする。
緑時代が長かったから、彼の帯は緑のイメージが強い。

紫になると同時に、様々なフェーズアップをさらにトライである。

10.15。舞台は国立代々木競技場という大舞台。

主催者から早々にゼッケンが届いた。
さすがに全日本だけに事前に準備されるようだ。
当然、組み合わせも決まっているだろう。
後日、確認したい。

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ゼッケン・ナンバーは当然、消した。

開封するとゼッケン。
ゼッケンには全日本らしくその大会名が書かれてある。
記念になるゼッケンである。

同封されていた詳細が書かれたペーパーを見ると、
この大会は<舞台上の1コート>での試合であるという。

大会場である上に、出場全選手ヒーローになれるよう、
センターに舞台を設けて1コートだけでの試合になるという。

嬉しいことである。すべての観客の目線が、すべての選手に公平に集まる。
すべての選手が試合を行う時間は、主役になる。
勝ち負けでいえば負けたとしても無様な負け方はできない
と誰もが思うだろう。

俄然、やる気が出る。

舞台が舞台だけに、応援が来てくれる。
ダモシ後輩、ダモシのダチ、アントニオの"彼女"・・・。
10.2福島には那須から祖父母が駆けつける。

10.15はチケットも用意した。
3.5もアントニオの"彼女"とダモシの"ダチ"が来てくれる
ことになっていたが、例の通りフルー発症で欠場の憂き目にあった。

<今回こそは>である。


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一気に寒くなったから体調を崩しやすい。
どうか、10.2と10.15が終わるまでは風邪が忍び寄らぬことを切望する。
学校でうつされることが最大の懸念である。


*****


巷のニッポン三連休。前半は空手三昧。
後半の今回も空手特訓で二日終わり、
明日の日曜も朝からダモシはビジネストリップである。

デスティネーションは、博多。

が、博多の月曜に設定されたオフィシャル事案の一件目の時間が、
10AM。

<博多、10AM>という場合、新幹線では間に合わない。
そもそも間に合う時間帯の新幹線はない。
では、飛行機。

が、"決められた"のが、あろうことか木曜の夕方。
ビジネスデイで見れば「月曜の、前日の夕方」である。
金曜から三連休だから、だ。

<こんな時間に、月曜=博多=10AMに設定するかねぇ・・・>
と大いなるコンプレインを抱くも、致し方なく、
当然そんなタイミングでは飛行機も満席。

ならば、と前泊という手段を考えた。

だが、単に前泊するにしても
日曜日に一気に新幹線で福岡へ行っても
しゃあないだろ、というのがダモシ・イズム。

月曜の朝、新幹線で博多へ苦のない所要時間と距離で
行くことができるエリアはどこか?

と考えた。

大阪や神戸、岡山ではまだ遠い。
相当早く朝出なければ、博多10AMのアポイントメント
(当然その20分前には博多駅に着かなければならない)には厳しい。

どこか?

下関か?逆に近過ぎる。今年、行っている。

行ったことのない地、久しく行っていない地で、
エリア的にベターな場所はどこか?

答えは、広島。

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むろん岩国という手もあるが、ここは広島を選択。

1999年、秋。
ニューヨークからのニッポン出張時に
<初めて訪れて>以来、12年ぶり二度目の広島となる。

しかも12年前は、ホテルと繁華街での会食以外、
広島は歩いていない。

だから、ほとんど訪れていないに等しい。

且つオフィシャル事案で広島でやりたいこともある。


翌月曜日の朝。広島を8AM台の新幹線に乗れば、
程よいタイミングで博多入りできる。

が、その新幹線が既に満席。

致し方なく、広島6AM台発→博多8AM台着の新幹線をとった。

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復路は博多から新横浜まで一気に新幹線。
初夏の前回の博多行きの帰路と同じだ。
博多から新横浜まで一気の新幹線は、疲れます。

が、新幹線があるならば、無理に飛行機を選ぶ必要はない。
急いで戻るより、少しでも現地にいて
やれることをやりたい。
そしてゆっくりと長時間座って帰ってくる。
本も読むことができる。ぐっすり眠ることもできるのだ。

また現地から掲載したい。


*****


ベースボール・カードのようなトレーディング・カード。
アントニオのそれを作った。
そしてラミネート機でラミネート加工をした。

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完全にファンの所作、だ。

夜、アントニオが眠る前、
ワイフとひそひそ相談し、自室で何かやっている。

ビジネストリップに出るダモシへ、
彼は自分で絵を書いてラミネート加工した応援カードを差し出した。

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日の丸を描くところが、自分のいつも作ってもらっている
大会ポスター等の影響だろう。

二晩、不在だ。

無事に、元気にいて欲しい。


最後に、先日買った<金子みすゞ下敷き>から。

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すずと、ことりと、
それからわたし、
みんなちがって、みんないい。


さふ。みんなちがって、みんないい、なのである。

これもまたニッポンが失っている感性である。



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2011年09月22日

だから言わんこっちゃ…


端的に、

だから言わんこっちゃない・・・

という気分である。

危機管理がなっていないというか、学習能力がないといふか。
甘く見ているというか。

ボンクラ大都市・東京、のことである。


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オフィシャル事案で八重洲を歩いている時に
携帯で撮った台風上陸時の様子。

昼から地下街はたいへんな賑わい。
サラリーマン諸氏は例の如く群れを成してランチ。
ぞろぞろぞろぞろ、緊張感のないへたれ顔で並んで歩く。
巷でよく存在している"OLなのか何なのか分からない"
二十代私服女性たちもヒマなのか
コーヒーチェーン店の窓際席を占領している。

いつも不思議に感じているのは、
ファスト系のコーヒーチェーンの
外の窓を向く側の席や、壁を背にする一人席を
なぜかどこでも常にそういった
"OLなのか何なのかさっぱり分からない"二十代私服女性が
占領している光景だ。

キョトンとしてしまう。
なぜ彼女らは占領できるのか、と。
ファスト系(純喫茶など寛ぎ系の逆=スターバックスやドトール系)
のコーヒーチェーン店は常に混んでいて
ベストポジションを得ることは難しい。

だのに、なぜか彼女らはそこをゲットして
一人で座り、液晶画面を指でちょろちょろしている。

いつどのタイミングで彼女らは、
そういったベストポジションを得ているのか、と。
不思議でならないのである。
ダモシはそういった店にはまず入らないが
稀に入ると、己が望むポジションの席は、たいてい、ない。
だからイヤなのだ、と。
いつも混んでいて席を見つけるだけで疲れる。
だからイヤなのだ。だから入らないのだ。

でも彼女らはいつも悠然と偉そうにそういう席に座っている。
不思議だ。

さて、そんな彼女らや群れるサラリーマン諸氏が今宵、
学習能力のなさを見せたからダモシは手を叩いてその映像を見て
喜んだ。

<ほれ、見ろ。阿呆>と。

<だから、言わんこっちゃない>と。

タイフーンである。

ダモシ自身にとってもこういったタイフーンは
過去に記憶がないほど、なかなか本気のフルコンタクトなタイフーン。

たいてい<来る来ると言って来ない>のが、
東京首都圏へのタイフーンなのだが、
今回は来た。

今年はそういう意味でもおかしいのである。

津波も<来る来るといって来ない>ものの筆頭格だったが、
今年は来てしまった。

東京首都圏へのタイフーンも今年は来た。

だから、おかしいのである。今年は。


*****


危機管理能力、あるいは経験値。

もしくはニューヨークで学んだJust In Case思考。

これがダモシにはある。

特に、Just In Case思考は強い。

先のニューヨークへのハリケーン上陸。
同じく先の近畿地方を襲ったタイフーン。

双方、事前に<来る>と分かっていた。

前者では大統領自ら事前に注意を喚起しアクション。
事前に現地へ行った。
そして社会全体が事前に大げさとも思えるほどの
ディフェンスを施した。

まさにJust In Caseである。備えあれば憂いなし。

対して後者の場合はどうか?
野田どじょう首相は、事後に現地へ行った。
事後に行って偉そうなことを言っても何の意味もなさない。

事後では意味はないのである。
亡くなっている人がいるのだ。
且つ、事前に<来る>ことが分かっているのだ。
事後に来るならば、事前に来るなりアクションを起こせよ、と。

そのあたりが、甘過ぎる。ニッポンは。

どじょうもまた緊張感がまるで、ない。

<低姿勢>をエクスキューズに、<よゐこ>を戦略的エクスポージャーとし、
口ではもっともらしいことを宣っているが、
実際の行動が伴っていない。
そもそも思想や思考に危機管理がまるでない。

なぜに、ニッポンは一国のトップがこうも酷いのか。

何なのだ、一体。

危機管理のなさ、甘さ、Just In Case思考の欠乏。
これらは政治家のみならず
一般の東京首都圏民も同様である。

<来る>ことが分かっているのに、ダラダラと外にいる。
仕事がある?会社が?
すべてエクスキューズである。
大混乱すると分かっているのに、
駅やバス乗り場で大混乱して阿呆面を晒す。

こういう時は乗るなよ、と何度言っても
車で移動する輩が後を絶たないから大渋滞になる。

ほとほと、呆れ果てる。

だが、こういう輩が大多数いてくれることで、
ダモシ軍は大いに快哉を上げ、拍手し、
世界一性格の悪い所作で<よし、いいぞ!>と喜ぶことが出来るのだ。


ダモシは分かっていた。

特に東急田園都市線は大混乱になることを。
<どうせ、止まるぜ>と。
分かっていた。確信していた。

ダモシは、リアルに我慢ならぬほどイヤなのだ。
大混雑の駅や電車に己を存在させることが。

一人一人が認識を高く持ち、正しい<選択>と<行動>をすることで、
都市という空間における混乱を回避することができる。

その点、東京は世界でも最悪クラスに民衆が未熟だ。

世界で最も高い<群れ率>と<赤信号皆で渡れば怖くない率>、
そして体面上の<よゐこ率>が手かせ足かせとなって
それぞれが自分の判断を下すことができずに
何か起こると、そういう局面においてでさえ
横並びの行動しかできないから

都市空間が大混乱に陥る。

東日本大震災の時しかり。そして今宵、しかり。

何度やったら分かるのか、と。

ダモシは危険を察知し、オフィシャル事案を切り上げ、
午後、早々に帰宅した。

電車はまだ余裕で動いていた。
だが、オフィシャル事案中、ちらっと見た際に
既に他の路線の一部が止まっていたから、
<田園都市線はマズいぞ、やはり。今なら間に合う>と判断し、
即断で帰路に着いた。

帰宅してから三十分後、

092111a.jpg

東急田園都市線は止まった。

これにて危険だと感じて即断して行動した
己が選択が正しかったことになった。

<ほらな。見ていろ。これから夜、駅は大混乱するぞ>

とウッシッシ状態のダモシ。

夜、案の定、注文通りの構図が繰り広げられた東京。

092111c.jpg

092111d.jpg

<ほれ、見ろ>と。

この光景、春にもあっただろう。
皆、シンプルに学習能力がない。
だから東京はダメなのだ、と常に言っているのである。

リアルに、言っておくが、首都圏直下型地震や東海地震が来たら、
想像を絶する光景が東京で起こるだろう、と。
間違いなく、その時でも物事を自然をナメた大勢の東京在住民の
アグリーな所作が、人災をも招くだろうことを、予め言っておきたい。

アントニオに言った。

<いつも何かあったときはいるだろ?>

<危ないと思ったら・・・>とその後の言葉を続けようとしたら
アントニオが言葉をつないだ。

<引き下がることだ>

と。

ダモシイズムが完全にアントニオに浸透しているわけだ。

富士も同様。

ダメだと思ったら引き返す勇気が必要である。

<大丈夫だろう>と思って川や海や何かを"見に行く"人々の
何と多いことか。

そのアクションをしてしまうと、たいてい犠牲を被る。

ナメたらあかん。自然はナメたら、絶対に、あかん。

そもそも自然や地球、宇宙は想像を絶するものなのである
という大前提に立ち、
加えてヒトはそれらには絶対に勝てないという
思考のルールを徹底しなければならない。

そして東京のようなボンクラ都市で生きる場合、
東京の悪癖を理解しておけば
こういった場合でも
<アグリー極まりないことになるぜ>と想定して
それを回避すべきアクションを起こすことができる。

世界一性格の悪い男ダモシは言った。

<ゆっくりと進めよ、タイフーン。
 夜中まで東京にいていいぞ。
 ずっと電車も動かなくていいぞ>

と。

そして大混乱する東京のニュース映像を期待した。


が、奇妙な速さでタイフーンは首都圏を去ってしまい、
深夜を待たずして電車も暫時動き出したようだ。

R-246はしかし、注文通り、あほんだら車たちで大渋滞。
それを部屋から"上から目線"で見下し撮った。


092111e.jpg


そして最後に東名。清水エリア。
ここは毎度想うのだが、あまりにも危険な構造である。
東海地震での津波、大型台風などの際は
一発でやられてしまうだろう。

なぜ、こういう構造にしたのか。

092111b.jpg

東名も東海道も東海道線も
有事の際にここを走っている膨大な数の車と、電車。
それらすべては飲み込まれてしまうだろうことは
容易に想像がつくわけであるが、
このまま放置とはどういうことなのか?

毎回、このエリアをニュース映像を観るたびに
<危ういなぁ・・・>と感じるのだ。

まったくJust In Caseが介在していない放置状態。

ここにもまた、自然とナメているとしか思えない絵があるわけだ。


危機管理意識もなく、自然をナメている東京首都圏民に混じり
己も被害を被ることは絶対に避けたい。

彼らと共に大行列に並んだり、大混乱の駅構内に佇むなんぞ、
己の美学としても絶対にしたくない。


ニューヨークは素晴しかった。

市長自らが少しでも何かあれば<外出禁止令>などを出し、
きちんと即座に記者会見を開いていた。

ニッポンは、やはり<甘い>。

甘過ぎる、この国は。

何か有事があっても大混乱しない大都市づくり。

ダモシから言わせれば、
東京都知事のメインの仕事は、そこにあるはずだ。

東京五輪を実現させることではなく、
リアルに危機管理を徹底することこそ東京の最重要課題なのである
と予め言っておきたいところである。



posted by damoshi at 01:20| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月20日

フロー


レスリングの世界選手権が現在、行われている。

体操の世界選手権も10月に行われる。

前者では浜口京子が五輪代表枠を逃した。
激しい闘いの中で、階級ごと五輪枠獲得を争っている。
ただ、当該階級で五輪枠を獲得しても、
その選手が五輪代表になれるわけではない。
全日本選手権で勝たなければ代表にはなれない。

可能性として、世界選手権でその階級の五輪枠を
獲得したパフォーマンスをした選手が、
全日本で敗れて五輪代表権を獲得できないケースも出てこよう。

後者では、アイドル視されている田中理恵以下が代表。
世界選手権を控えてエースの鶴見虹子は、
社会人全日本選手権を欠場。
エースのいない間に田中は全日本クラスで初優勝。

いずれもそのクラスの鍔迫り合いは痺れるものがある。

<全日本>。

英語で言うならば、NATIONAL CHAMPIONSHIP。
米ならば全米選手権。
それはUS NATIONAL。

全日本を喩えれば、
ALL JAPAN、あるいはJAPAN NATIONAL。

世界選手権はもとよりとして、
全米の陸上のように世界選手権より難儀な
NATIONALの様相は多々ある。

WORLDよりNATIONALがタフで、
さらにLOCALもまた侮ることができない。

LOCALすなわち、例えばそれは高校野球の
夏の甲子園を目指す神奈川県大会などが好例。
甲子園の闘いより神奈川県大会を勝ち抜く方がタフである、と。

そしてスポーツにおけるコンペティションでは、
<代表権><出場権>という特別な勲章はメダルに等しい価値を持つ。


*****


シーズンを締めくくる季節になって、
アントニオの空手の世界も<全日本>のよりタフな
闘いが続いている。

既載の通り、三つあるうちの一つは先般終わった。

組手ベスト8/型準優勝。

10.15には国立代々木競技場でもう一つの全日本選手権がある。

そして残り一つ。

その代表権(出場権)を賭けた関東代表を決める大一番が
今宵あったわけだ。

<全日本>クラスになれば、賞状にも
「予選を勝ち抜き、各流派を代表して出場し・・・」
云々という記載もあるから、さらに重みが増す。

誇らしげにそういった賞状などをダモシ軍も
リビングに飾っているわけだが、

道場や団体としてもそういう選手がいることは誇りとなる。

昨日の練習試合で、
いわゆるそういったオールジャパンの称号を道着に身に纏う
選手は、アントニオただ一人の状況下で、
いよいよアントニオ登場となれば
衆目が集まる。だからヘタ打てないとなる上、
館長としても親のダモシとしても
そういった選手が登場していくことの一連のシーンが
誇らしく思えるわけだ。

むろん相手も皆、素晴しい。
コドモは皆、努力している。
勝っても負けても皆、紙一重。

しかしながら、そういう場で、プライドとしても
本人も周りも<次は左を>というふうに、
勝ち方にも工夫と魅せる要素を鏤めて
<さすがだな・・・>という部分のエクスポージャーが必要になる。

その称号だけがすべてではないが、
そこに、それが、存在している限りは目指すのは当たり前だ。

かくして、その大一番となったのだが、
準優勝者と優勝者のみがそれを得られる今宵、
残念ながら得ることはできなかった。

当たり前だが決して負けていない。
どちらをとるかというレベルである。

ただ、ある技のポイントが微妙にズレている点と、
結果として判定で相手にとられてしまう場合のパターンに
共通しているシーンが出てしまった。

動きも申し分なく、ステージ的には満たしている。

■微妙なポイントのズレ

■微妙な判定で相手側に旗が上がってしまう場合の
共通のシーン

という、それこそ陸上のトラック競技でいえば
0コンマ数秒の微妙な部分。

その誤差があった。

今回はズルはなかったが、当然、不納得ではある。
しかしながら翻って厳しく見つめると、
上記二点があった点が負けにつながったと分析できるだろう。

そして、望むべく最高の結果に至らなかった要因で、
ダモシがここ数ヶ月、彼の大会で毎回感じている最大の問題。

これが最大要因に、ある。

要するに、
モメンタムにアトモスフィアとフローが微妙に重ならないのである。

フロー。

これは初めて持ち出す概念である。

持論として、
スポーツにおける「結果」にもたらす大きなエレメンツとして
モメンタムとアトモスフィアを挙げているが、

それに対してフローという概念が加わっているのが最近である。

スポーツにおける「結果」としての勝ち負けは、
実力以外の多くの要素が絡み合って影響を及ぼす。

毎度記載しているから今宵は割愛するが、
要約すれば、<運>という大きな大きなエレメントはもとより、
モメンタムとアトモスフィアは最重要エレメンツである
という点である。

それにフローというものも実は内包されている。

"なでしこジャパン"の女子サッカーW杯優勝は、
それらすべてが最高潮で結びつき絡み合い
マグネタイズドした(磁力で引き合った)
もっとも分かりやすい事例である。

日程、試合開始時刻、天候、周囲の音、匂い、風、
クジ運(トーナメントの組み合わせ運)、
選手個々の体調とモメンタム、
チームとしてのモメンタム、
全てを取り巻くアトモスフィア、

そしてフロー。

さらには、ラック(運)。

極論すれば"なでしこジャパン"xW杯は、
イコールとして=<出来過ぎ>だったのである。

ただ、コンペティションにおいては、
この<出来過ぎ>を演じられた者が最高の結果を得るのだ。


2003年メジャーリーグのフロリダ・マーリンズもしかり。
ジュニア時代からシニアに上がった頃の浅田マオーしかり。
今では村上がそうだろう。今後、村上は厳しくなるだろう。

言ってしまえば、体操の田中理恵は現在がピークだろう。
アトモスフィアとフローが田中に向いている中、
黙々と己のペースをキープし続けている鶴見は凄い、ということになる。
ある意味で今の鶴見は<実力>だけで頑張っている。
なぜならばアトモスフィアとフローは完全に田中に向いているからだ。

大相撲の稀勢の里と"ガブリエール"琴奨菊は、
モメンタムが最高レベルで成り立っている状態。
しかしアトモスフィアは未だ60-40レベルにある。
これでフローが最高レベルになれば、
アトモスフィアも引き上げられて90-10になる。
そうすれば最後までベストパフォーマンスが可能となり、
残るネガティヴ10%を<ラック>が消し去れば、
望むべき最高の結果=大関昇進が実現する。

"ガブリエール"にとっては明日(既に今日)10日目の
稀勢の里戦が大きな分水嶺になる。
ここを乗り切れば、フローは一気に高まる。


古くから<運も実力のうち>と言う。
これは正論であるが、必ずしも納得感は得られない。
<実力プラス運>という方が、より正しい。
コンペティションでコンピートを常にしていると
それは感じられるはずだ。

前者の言い方をしてしまうと後ろ向きである。

そもそも<運>は目の前には、ない。
実力の中に運がもともと入っているのではない。
実力にプラスαで引き寄せたり、自然にやってきたりするものである。


これらを踏まえたところでアントニオ。

ダモシがここのところ感じている点として、
最も懸念=最大要因として存在している部分が
こういったことである。

要するに、クジ運や判定を端緒とする
あらゆるエレメンツが
本人の実力とパフォーマンス、モメンタムに合致していないのである。

ズルや組み合わせの変更などという目に見える妨害含め、
ズルではない部分での組み合わせ(クジ運)も明らかに向いていない。

<ここまでは、このような選手と当たりたいよなぁ>的な世界。

肉体が激突し、動態アクション100%の格闘技においては、
他の試合を、ひと目見て分かるのだ。
"あぁ、最初の頃の数試合はこのあたりの選手と当たればいいのにな"
ということが。

例えば優勝候補の選手でも、
一回戦で酷い動きの場合がある。
<あれっ?>というケースはコドモだから、ある。
その際に決勝で当たるような選手が相手だった場合、
その選手も一回戦で敗れる危険性はある。
だが、ラックがあると、己が不調な出だしに比較的楽な相手になり
救われる。

レスリングの吉田沙保里のように
相手がどうあれ常に勝つというケースもあり、
<強い者はどんな状況でも強いのだ>という論もまた正しいが、
そう単純なものではないのは周知の通りだ。

いずれにせよ、どうも<噛み合っていないな>という感覚を、
確かにダモシは得ているわけである。

何とかここ数大会、力で引き寄せようと尽力しているのだが、
全体アトモスフィアとフローが、
我々のモメンタムと実力に交錯してこない。

ダモシはワイフに言った。

<いくつかの要素がちらばっていて、
 一つ一つそれらがまだシュッとこっちに来ていない。
 来ないのだよ>

と。

ワイフはこれだけで理解する。

<分かるよ>と。

同様に彼女も感じているのだろう。

宗教的なことや非科学的なことは興味はないのだが、
ある意味でそういった宇宙力学的な部分は
コンペティションにおけるのるかそるかの世界になると
<存在する>と感じられるのだ。

それは人生も同様。

<ダモシx米>という世界観はまさにそれが言えるわけで、
渡米実現から米での生活のすべてにおいて
目に見えない<ラック>が存在していたのは確かに感じるのだ。

むろんその中での一つ一つディテールにおいては、
当然、<向いていない><今は引き寄せられない>
<来ていない>という時も多々あったが、
全体として俯瞰して見れば、

単純に言って

<運が良かった>といえるわけである。

それは対米に限ったことではなく、
結果を見れば何事も、
〜一つ一つは別として〜総合的には<運が良い>と
自身で感じられるのだ。


今回、ウルトラの父に、
<一回でいいから叶えてくれ。
 今回は本当に頼みますよ。孫を後押ししてよ>
と真剣に祈った。

だが、真逆になった。

もうこれはリアルにウルトラの父にはお願いしない方が良い。
もう、やめようと思った。

"上"。要するに、お兄ちゃんたち。
彼らと練習することで確かに強くなったアントニオ。

しかし離合集散の中で、彼らが離脱し、
アントニオがエースとなって以降、

シンプルなことだが、初心者ばかりになった。

当然、アントニオはスパーリング練習は本気で出来ない。

大相撲も同様に、大関でも横綱の胸を借りて稽古することで強くなる。
下とばかりやっていては強くならない。

ワイフはその不満を抱えている。
<練習で本気で出来ないから、
 試合で強い蹴りが出せなくなってきている>と。

ダモシは、
<それはあるけれど、それは辛抱して、言うな>と言う。

エースとして求められる強さはもとより、
しかしながらそれだけではないからである。

下の面倒を見たり、胸を貸すことも大切なことだからだ。

<俺がやればいい。俺が手加減なしにスパーリングすればいい>。

ダモシはアントニオに対して、
これまで打撃は10%の力でやっていたが
これからは50%〜60%で打っていく。

そうしなければ勝ち負けだけで見た場合の強さは、彼は得られない。

今後の考察課題としてダモシも持つべきは、
<では、自分より上がいない"横綱"は、
 どのようにして強さに磨きをかけていっているのか>
という部分である。


そして、体格。

一層、大型化が進んでいる。
アントニオの身長/体重では、一学年下の一年生よりも小さい。

同じ二年生になると頭ひとつ違う。

これは致命的なのだが、
デビュー以来それでやってきている。

小さいなりのアドバンテージを、
彼しか出来ない動態のアドバンテージを、
さらに活かすことと同時に、

ここでも辛抱である。

いずれ、必ずや大きくなる。

コンペティションとしての空手は、
ジュニア時代で引退するとイメージすれば
六年生までのどこかの段階で体格的逆転はあり得る。

六年生までのあと4年の長いスパンで物事を見る必要もある。

それら諸々を踏まえた中で、今年残りをどう闘うか。



*****


大一番。その一つは、10.15の全日本だが、
その前に残りの全日本の称号を獲得すべきラストチャンス。

それが、昨年同様に、福島で残っている。

昨年も最後の最後の一枠で土壇場で彼は福島で獲得した。
道場としては団体初の快挙だった。

今年も全日本クラスは彼だけだが、
残る一つも可能性がある限りトライする。

今宵もそうだが、昨年獲得した選手たちで
今年まだ獲得していないコドモたちがうようよいる。
皆、目指しているのだ。

今宵出てきたうち二人(優勝者と準優勝者)以外は、
まだ残っている。

それらも当然、ラストチャンスの福島に乗り込んでこよう。

猛烈にタフな一枠の争いになるのは先刻承知だが、
挑むしかないのだ。

他の者よりも実力以外でアントニオが得るアドバンテージ。
それは、昨年彼がその福島で獲っていることである。

昨年同様、満を持して那須から応援も来る。

最後の福島で、

実力とモメンタム以外の、
運、アトモスフィア、フローが最高レベルで折り重なることを
大いに期待しながら、

来週末までの残りで

■微妙なポイントのズレ

■微妙な判定で相手側に旗が上がってしまう場合の
共通のシーン

をインプルーヴするよう最善を尽くすことになる。

それらをすべて行った後は
<体調>というある意味で最大の難敵も残るが、
ここはまた運にも属する。

三月。

春の最大目標としていた大会。
当日の朝、インフルエンザ発症でキャリア初の欠場。
例の<風雲急フルー>寄稿シリーズの発端である。

その前の大会で、マイナーチェンジしたアントニオは優勝。

絶好調で臨むはずだったその大会は、
一連の称号獲得への権利をかけた今シーズン最初の大会だった。

事前に組み合わせも知っていたが、
その大会のクジ運は大変良かった。

当時、絶好調(直前大会で優勝)だったこともあり、
<一気にいける>と感じていた中での
当日朝のインフルエンザ発症。

あの時の無念。

福島でどのように帰結するのか。

猛烈にタフなシチュエーションは明らかだが、

<やる前に負けること考えるバカ、いるかよ>で当然、臨む。

<大変な毎日で疲れているのも分かるよ。
 あともう少し。10.15までは頑張ろう>と言っている。

エースゆえ、練習も休めない。気も使う。
試合も毎回タフなレベル。

かわいそうだ、と思う。よく頑張っていると認める。

身体ももう少しだけもってほしい。
結果は別として10.15が過ぎれば少し休ませてあげたい。

今年は旅もレジャーも、リアルに少ないのだ。


091911a.jpg

皆、本当によくがんばっていると感心する。
(右から二人目がアントニオ)。

091911c.jpg

帰宅後、公園でトレーニング。
階段駆け上がりラン。

091911d.jpg

縄跳び。

091911b.jpg

ダモシxアントニオで相対して、"スペース"と"角度"を調整練習。
蹴りのポイントや動態の微妙な角度のズレなどを反復。

これらをやった後、
アントニオが一緒にやりたがるサッカーをした。

無邪気にサッカーをするアントニオが、かわいい。

本人が勝ちたいと感じる以上、
練習だけではなく、
遊びもすることで、
精神的なバランスを保ってあげることを
忘れないようにしなければならない。

何かかんやと、難しいが、親もまた同時に勉強である。


今宵触れた"フロー"については、また別途後日記載したい。



posted by damoshi at 01:03| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月18日

決戦前夜


空手三昧の、世間的三連休である。

昨日は道場の懇親会。
今日はエキシビション・マッチ参戦。

そして、明日は"決戦"である。

公式大会はすべて他流乗り込みであり
すべてが決戦であるが、
種々の絡みや関係性の中にあって
明日の大会はまさに"決戦"である。

一回戦負けも優勝も同時にあり得るレベルの"決戦"。

既にアントニオは就寝。

ダモシは、
期待と恐怖に胸が裂かれそうな状態である。

緊張ではない。緊張感が異常に高い。

胸は苦しく、胃がきりきり痛い。痺れる。


*****


今宵、エキシビション・マッチ。

未だデビュー戦前のコドモたちも参戦し、
想像以上の好ファイトを見せた後、
アントニオ登場。

当然、期待は高まる。
エースとしてみっともない試合は出来ない。
そこにまたこれまでにはないミッションがある。

むろん、負けることはハナから考えていない。
エキシビション・マッチとはいえ、真剣勝負。
ヘタをすれば無様な敗北を喫する。

相手は、緑帯のアントニオに対して二段階格上の茶帯だ。

またもやダモシは畳の中にまで入り込む。

試合前、
<カッコ良く決めてくれ。
 上段二発決めて、きれいな一本勝ちでいけ>
とアントニオに耳打ち。

ゴング直後の、はじめの一歩でその日の調子が分かる。
以前、そう書いたことがある。

ゴング。

はじめの一歩=最初の動態で、周囲から<おぉっ・・・>と声が挙がる。

手前味噌ではなく、
アントニオの格闘における、空手における動きは、やはりレベルが違う。

開始10数秒。右上段ヒットで技有り。
応援団から拍手と歓声が挙がる。

畳の中に入っているダモシ、声がけ。

<アントニオ。次は左で。ビシっと決めろ>。

頷くアントニオ。

試合再開。10秒経過。左上段ヒット。
合わせ二本で一本勝ちで試合を終えた。

ようやくこの水曜日の道場でのスパーリングでの
上級生(二学年上)との最後の二試合で
今回のスタイルが出来上がった。
ぎりぎり間に合った。

そして今宵のエキシビション・マッチでも
そのスタイルを試すことが出来た。

今回のフェーズにおけるスタイルは
相手がどんなスタイルでも通じる一貫したもので、
アントニオがこのスタイルの動きを確実に遂行すれば
相手がどうこう関係なく、

<いける>と感じることができるものである。


明日、
アトモスフィア、モメンタム、ラックなど
すべてがアントニオにそろそろ向くことを願うし
向くように支配できるようダモシも最善を尽くす。

彼自身はもう力はある。今回のスタイルも会得した。


<一番強い。自信を持て。
 この動きをすれば負けないから>

同じことを何度も言っている。

やってはならない闘い方=負ける闘い方も、
これをすれば勝てるというスタイルも、
何度もしつこく説いてきた。

明日も直前、同じことを言うだろう。

ほとほと、とにもかくにも、
明日、体調万全であることを祈る。
朝、目覚めた時が怖い。どうか元気であって欲しい。万全であって欲しい。

体調万全で、彼が持てる力を、彼の出来る動きを、
すべて整ったところで最大化すること。

それらが成立すれば、良い結果として
そのまま必ず反映される。

今回に関してはもうこれ以上、授ける戦略はない。
試行する動きもない。

整った。

ダモシは今宵、なかなか寝つけないだろう。

努力の結晶としての望むべき最高の結果を
彼が得られるよう、

切望し、祈る時間はいくらあっても足りないのである。

明日の大一番の会場は、彼が二年前にデビュー戦を闘った場であり、
初めてメダルを獲得した場である。


091811a.jpg

エキシビション・マッチですら
彼の試合を撮ることはできない。

試合終了で引き上げてくる際、急いで撮ったくらいだ。


091811b.jpg

萎縮や緊張は、彼はもうない。
気持ちで負けることもない。
彼のポテンシャルに期待である。


091811c.jpg

今宵も、オールウェイズ246の夕日を過ぎた頃、帰宅。

明日、我々の頭上に最高の空が広がることを願う。




posted by damoshi at 23:04| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

徒然フライデー



今週、或る日の昼時。
所用で、"サラリーマンの聖地"新橋にいた。
よくニュースで、酔っぱらったオヤジがインタビューを受けている。
あの新橋だ。SLが横たわっている方の新橋だ。

一人でランチ。どこにしやふ。

目の前にニュー新橋ビルヂングがある。
ニューといっても、ニューではない。
1971年に出来た、完全無欠の昭和的世界観のビルだ。

オシャレな店舗が入っているのではない。
金券ショップやらマッサージ屋やら雀荘、パチンコ屋など
サラリーマン、否、サボリーマン御用達の遊戯ビル。

地下一階は飲食店街になっている。

エスカレーターを下りた。
そして、店を品定めしながら歩く。
そもそもダモシ自体が、怪しい。
怪しいダモシを、怪しいチャイニーズ女子が一瞥し、
直後に声がけする。

<どですか。ランチやてますよ。ご飯おかわり自由よ>。

中華が好きなダモシだ。
店に入る。

テーブルの上には、当たり前のように灰皿がある。
客は皆、煙草を吸っている。
客はたいてい一人だ。

OLだの、ヤングボーイのサラリーマンだのが
群れを成してランチをしに来るような店ではない。

こざかしくも姑息な小宮山的"嫌煙ヒステリック・ババア"なんぞいない。
キレイキレイ、オシャレオシャレを気取るボンクラもいない。
煙草の煙、ムンムンだ。

青椒肉絲定食を食す。

懐かしいアトモスフィアが支配する中、
店内に流れる音楽もまた
それを助長する。

世代的安心感。

なぜか店内に流れる音楽は、
マライア・キャリーの<HERO>。

全体アトモスフィアとその音楽が重なって、
エモーショナルなムードになる。

<いいぞ、この世界観・・・>と、ひとりごちる。

と、次にワム!の<ケアレス・ウィスパー>が流れる。

青椒肉絲定食を頬張りながら、ひとりで微笑むダモシ。

隣の席ではOLだが、三十代中盤と思しき、
酸いも甘いも的な女性が一人、担々麺をすする。

これがまた、良い風情。

<味も旨いし、なかなかいいじゃないか、この店>。

ご機嫌になったダモシは
チャイニーズ女子を呼び止めて言った。

<ご飯、お代わりね>。

この日のランチ時のわずか30分。
唐突に1990年代初頭にタイムトリップした。

そして、また想うのだ。

<結局は人生、メビウスの輪なのだよ>と。


*****


そんな今週もウィークデイは終わりだ。

今週は先週までよりは少ないトータル9人とのMTG。
だが、遠いところまで電車で行った。

千葉だ。

千葉といっても広い。
オールモースト東京の千葉もあれば、
銚子のような東端もある。

千葉の"千葉"、いわゆる千葉だ。行ったのは。
<千葉の"千葉">といえば県庁所在地である。
幕張や西船橋などではなく、森田健作知事のいる"千葉"である。

これが遠い。二時間かかった。

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東京ディズニーランドでも、幕張でも、西船橋でもない"千葉"を見下ろす。

091611e.jpg

"千葉"に城があるのは知らなかった。

<えっ?城?千葉に城、あったか?千葉城?>と訝しがる。

もちろんフェイク城。
もともとは、亥鼻城という城がここにあったらしい。

熱海城を見た時に感じた、胡散臭さとインチキ臭さ。
そこまで酷くはないが、
どこか、まっとうではなく、いわくありげ感が漂う。

<そこまでして、城を造る意味は?>と感じるのだ。


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こちらは不忍池。

相変わらず過不足のバランスをやや超えた満腹感の蓮で
池は埋め尽くされている。

だが、蓮はこの満腹感があってこそ、か。

上野動物園。
もちろんダモシはオフィシャル事案で行っているわけだが、
ウィークデイの上野動物園は、
ファミリーはもとよりとして、学生のアベックが異様に多い。

二人で手をつないで歩く彼らを見るにつけ、
<どうせ別れるぜ>と意地悪な感情を持つわけだが、
振り返るとここは大学生アベックにとっての
ある意味でベストのデートスポットともいえる。

そしてその所作が、時代を経ても変わっていないことに驚く。

ダモシ自身が大学生の数年間、何度、異なる女性と行ったことか、と。
上野動物園自体は、当時と何ら変わっていない。
西側へ下っていけば不忍池がある。
その池の周囲に柵がありベンチがある。
ここに腰掛けてアベックとして語り合い、
静かな時間を過ごす。

この所作とまったく同じ構図が現代のアベックに見られる。

手をつないでゆっくりと静かに語り合い、甘い言葉をかけ合い、
ゆっくりゆっくりと歩いている学生アベック。

<じゃまくさいぞ>と感じるものの、

逆に彼らからすれば、ダモシこそ、じゃまくさいか、
あるいは空気のような無視される存在。

091611l.jpg

20年前のダモシがアベックでここを歩いている時、
今のダモシが同じくそこを歩いていても
まったく気づかないし、目も向けないだろう。意識も向かないだろう。

そんなもの、だ。

だが今、想う。

今の俺には俺の用事があってここを歩いているのだよ、と。
君たちはまだグリーンボーイだよ。
それにどうせ別れるから。
今は君たち<ずっと一緒にいようね>だのと宣っているだろうが、
そのほとんどは、別れるのだよ?と。

要するに、それぞれの立場があるということである。

やがて彼らの中から、別の異性と結婚し子供を持って、
そのファミリーとして上野動物園に来ることがあるだろう。
その時、この日一緒にここを歩いた相手を
一瞬でも想い出せば、良かろう。

ダモシは今週、上野動物園をスーツ姿で歩く中で、
大学時代の女性を想った。

<元気にしてるかな?結婚してお母さんになっているかな?>

と。


*****


今宵のディナータイム。
ウィークデイに三人で食卓を囲むことは当然少ない。

歌番組を流し見しながらディナー。
過去の映像なども出てきた。
都度、ワイフと<なつかしいな>と語り合う。

AKB48が出ていた。

ワイフがアントニオを見ながら、ダモシに言う。

<トモちゃんが好きなんだよね>と。

照れてハニかむアントニオ。

アントニオは、板野友美がお好きのようだ。

実はダモシも、AKB48の中ではダントツで板野が好きだ。
板野以外、どうでも良いくらいだ。

すかさず言う。

<何だ、やっぱり俺に似てるのだな。
 たぶん女性のタイプは俺と似てるぞ>。

振り返っても、一貫しているのだ。
ダモシの女性タイプは。
すべての人に共通項がある。

ヒトの趣味趣向、特に対異性における趣向は曲げられないものなのだ。

気づけば結局・・・というタイプになっている。

そういうものは、見た瞬間に/出逢った瞬間に感じるものだ。

<あっ・・・>と。

<これはマズいぞ>と。

<いかんぞ?ダメだぞ?妻帯者だぞ?家庭持ちだぞ?>と。

まあ、そもそもダモシ自身が経済大国の長ではないから、
そういう不埒な関係は成立しないが、
異性同士、おそらく相手も、<あっ・・・>と感じ、
<いいな・・・>と想うケースは往々にしてあり、
また、そういうものは互いに感じるものだ。

だからといって、そこから先云々の話ではない。

ダモシは<ちょっと、待ってろ>と言い、
己が部屋に行ってから一冊の雑誌を手に戻ってきた。

板野友美が表紙になっていて、
AKB48特集があって、
板野友美のポスターがついている雑誌だ。

といっても芸能雑誌ではない。
<日経エンターテインメント>誌だ。

アントニオのタレント活動を踏まえて、
諸々、戦略等参考にすべく
<日経エンターテインメント>は時々購入して読んでいる。

今年のある号で板野友美がフィーチャーされていたのを
持っていて、それをアントニオに見せたのだ。

<欲しいか?あげるよ、ポスター>と言うと喜ぶアントニオ。
一方で、ハニかんでいる。

食後、カウチに座って歌番組を観ながら、
その雑誌をめくるアントニオ。

<ダディ?ここも欲しい>と表紙を指差す。

<いいよ。とってやる>と、中とじのその雑誌の、
センター見開きに出ているホチキスの芯を指でこじ開け
きれいに雑誌をばらした。

<こうすればキレイにこの部分だけとれるよ>。

そして表紙、フィーチャーされている中面、ポスター部分を
アントニオに差し出した。

アントニオは眠る前に自分の部屋へ行き、
大事に己がデスクの上のシートの中に入れた。

<ダディ?キレイにしまったよ。こうすればいいでしょ?>。

091611g.jpg

こういう所作もまた、ダモシのコドモ時代と変わらない。
同じことをやっている。
時代が変わっても、ここにもまた"ニュー新橋ビル"がある。

己が直系遺伝子のこういった所作は、微笑ましく、
親であることの喜びを感じる。

アイドルだったり、プロのスポーツ選手だったり、バンドだったり、
映画スターだったり・・・。

ダモシは逆に今やアントニオのばかりを貼っている。


*****


<ほら。こんなのあるよ?>とアントニオに渡した。

今度はウルトラマンだ。

缶コーヒーの食玩である。
これが実に秀逸だ。
これは便益が高い。
オフィシャル事案中に発見し、迷わず二缶、買った。

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45周年を迎えたウルトラマン。
人気のビークルをモデル化して食玩付録とした
缶コーヒー、BOSS。

むろんターゲットは、己がコドモ時代にウルトラマンを観ていた人々。
彼らが買えば、その彼らのコドモが喜ぶ。
親も子も喜ぶという仮面ライダー方式の戦略は現代の定番。

同じくボスは8月には
ランボルギーニ・カウンタックのシリーズがあった。
これも五台買った。

これもまた世代がドンピシャ。

狙いは見事にハマっているというわけだ。

ここにもまたメビウスの輪が、ある。



*****


どうやらe-Macは死なずに済んだようだ。

むろん機種は死去した。
だが想い出の品。
処分せずに持って帰ってきてもらい、ダモシ部屋に、
ダモシが死ぬまで展示する。

明日、救われたHDが新たに移植された別のMacが届く。
どういうMacか、楽しみだ。

これで、ダモシ・オフィシャル事案用HP(ビジネスサイト)の
完成を急ぐことができる。

空手のHPも旧Macで作業している関係で、
この三連休は空手三昧でニュースが多くなるため
その掲載もしなければならないから
ちょうど良い帰還となる。


さて、その空手。

明日(土曜)は懇親会、日曜は他団体主催のエキシビション・マッチ参戦、
そして月曜は重要な大会がある。

日曜日のエキシビション・マッチには、
道場からは、まだ大会出場経験のないコドモたちが多く出る。
アントニオ以外はほとんど、そうだ。

エキシビション・マッチ=練習試合。

とはいっても、大会経験のないコドモを持つ親にとっては、
ビッグイベントである。

水・木と道場で懇談したが、それぞれ緊張している様子が窺える。
ある親御さんは、
その練習試合に万全を期すべく前日の懇親会には参加しない旨を
表明した。

懇親会を取りまとめてもいるダモシだが、
そもそもダモシの性格は<人それぞれ>だから、
そういう飲み会だの何だのにおいても
参加する人/しない人、それぞれいてしかるべきという人間である。

だからそういう理由で参加しないのもまた、あり。
しっかりと万全を期して満足のいく状態で
当日に臨ませてあげたい。

ほとんどのコドモが初心者だから、
当日はダモシ軍も後押ししたい。

むろんアントニオも登場する。
アントニオにとっては、月曜の大一番へ向けて
うってつけのスパーリングとなる。

大会よりは気分は楽だが、
それでもダモシは<本番のつもりでいけ>と言ってある。
<イメージしろ>と。月曜の闘いのために。
そして練習試合であろうとも負けるなよ、と。
道場のコドモたちも皆いるわけだ。
その中でアントニオがカッコいいところを見せなければならない。

単なる1選手ではない今、本人もそれは分かっているだろう。

初心者の親御さんと、ダモシも何ら変わらない。
コドモ自身のキャリアと実績、力量には違いはあっても、
己が子が闘いに臨む前の気分は同じである。

特に大一番を控える中では今週ずっとダモシは、
緊張というか、頭の中で様々な考えがめぐり
いささか機嫌が悪い/試合前のピリピリした状態が
ずっと続いている。

ようやく水曜日の稽古で上級生相手に、
ダモシがここのところ懇々と説いている動きを
アントニオが出来たことで、

<それでいい。それをやれば負けないから。
 その動きをすれば絶対に勝つから>と言えるに至った。

あとは毎回同様に、体調面で絶好調で、
なにはさておき風邪や体調不良に陥らぬように
当日をどうか迎えてください、本当に頼みますよいいかげん!
という世界観である。

今回、久しぶりに祈願した。

今回は遂に徳川家康公にまで登場願った。

ところは神田明神。

ここで家康は勝守を得て、
向かった関ヶ原の戦いで見事、勝利した。


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他の親御さんもとても真剣だ。
それで良い。
そうでなくては、ならない。
やっている限り。

ダモシもそれに負けないくらい必死だ。真剣だ。
己が子が努力しているそれの結晶としての<結果>を
まっとうに出させてあげたいのである。
アントニオ自身に喜ばせてあげたいのである。
そのために出来ることはすべてするのだ。

神頼みでも何でもするのだ。

もう、ほんとうに、必死に祈った。願った。


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*****


子、そして親。

先般、ブックオフで105円で買った
角田光代の<八日目の蝉>は、母と娘の世界観ではあるが、
同じ子と親という部分では、考えさせられるノヴェル。

なかなか読ませてくれる。勢いがついて長編だがすんなりと
ページが進んでいく。間もなくラストで読み終わる。

今週、香川県関係とのMTGでたまたま
いま読んでいる<八日目の蝉>関連で、
入手にした<八日目の蝉>の映画のフライヤー、
小豆島観光案内リーフレットと共に。


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どちらかといえば女子的小説だからか、
映画の舞台となった小豆島をめぐる旅ガイドも
<女子旅>と銘打っている。

091611j.jpg

最近は各地の行政が努力して、
映画やテレビドラマ(特に大河や朝の連続テレビ小説)と連動した
観光誘致を行っている。

地方は地方なりに頑張っている。
オフィシャル事案で"地方"と逢い/感じるたびに、そう想うわけである。

ダモシですら、行ってみたくなるもの。
これは逆にDVDで映画も観たいところである。


長くなりました。

今宵の最後に、オールウェイズ246の夕日を、いつもと異なる風情で。
下は国道246号線。もう少し秋が深まれば向こうの稜線に富士が現れる。

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さあ、この三連休も、じぶんじかんは、ほとんどないぞ。

全部、闘いであるぞ。日々是、決戦。


忘れていた。

最後に、冒頭記載したマライア・キャリーの<HERO>。
そのプライムタイムの映像を。

http://youtu.be/2vZkJxO90C0





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2011年09月12日

Moonstruck


-Moonstruck-.

邦題は<月の輝く夜に>。
1987年の米映画。舞台はニューヨーク。

質の高い素晴しい映画。
<カウチ・イン・ニューヨーク>
<恋におちて>などと共に
ニューヨークを舞台とするダモシが好きな映画だ。

満月の夜、男も女も気が狂い、恋に落ちる。

ロマンティックだ。

その昔はニッポンでも平安貴族などは
そのままストレートに観月せずに
器や酒に映し出して楽しむ優雅さを持っていたらしい。

現代人では無理な所作だ。

そしてニッポンでは、Moonstruckなどという
洒落たストーリーは生まれ得ない。

一般の路上でも、日々のそれに追われて、
実際には満月を楽しむゆとりもない。

アントニオとワイフが言った。

<今日は満月だね。お祈りした?>。

ダモシは<そうか>と想い出した。
十五夜だ、と。中秋の名月ではないか、と。

<出てるのか?見えるのか?>と聞けば、
リビングの窓の方を見て
<ほら>と指差すアントニオ。

立ち上がり、窓から見れば煌煌と輝く円。

ダモシは部屋を出て、撮った。


jyugoya2011.jpg

ここが宮城の松島か、紫式部が見た石山寺の月見亭ならば、
なお良かっただろう。

新作の構想に煮詰まっていた紫式部は、
天皇しか上がれない月見亭がある石山寺に籠っていた。
十五夜。そこから見上げた空に輝く満月。

それを見た瞬間、着想し、後の<源氏物語>が生まれた
という。

昔のニッポンはロマンティックではないか。


genji.jpg

(所蔵の源氏物語グッズより)。



posted by damoshi at 22:58| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

A Decade Ago-fin.


久しぶりにカウチに座り、ワイフと二人、
テレビを観た。

こんな時間、いつ以来であろうか。

NHK-BS1は終始、米ABCのLIVE映像を流してくれた。
視聴者便益を満たす、余計な語りや賑やかしのない
良質な放送で、9.11の1ディケードを捉えた。

これで、良い。

あの忌々しい世界陸上の織田某擁する低能民放との雲泥の差。
織田を映すヒマがあったら、
なぜ競技中の映像を映し出さないのか。
何度画面に怒ったことか。

<お前の話なんか、誰も求めていないよ>と。

スポーツならスポーツのそのLIVEだけを流せば良い。
余計な前振りやストーリーづくり、
不必要なキャスターやタレント共のレベルの低い語りなんぞ
一切要らんよ、と。

LIVEこそ、我等に。

スポーツも跳躍や投擲する瞬間だけ映すのではなく、
そこへ至る一連の表情や動作をも捉えて流さなくてはならない。
そうしてこそ闘いにおける一瞬の機微を視聴者それぞれが
感じることができる。

競技の瞬間(跳躍や投擲の瞬間)だけ流すようでは、
ただのハイライトやニュースと同じだ。
そこのところを分かっていない、特にTBSとCX。

走り高跳びや棒高跳びなど、その高さと跳躍の変遷や
跳躍とパスの仕掛けと選択、ライヴァルの跳躍後に見せる
他の選手のフトした一瞬の表情・・・。

それら一連の構成要素を映し出さずに、競技の一瞬だけを映す。
これでは、スポーツや闘いというものの本質を
テレビに関わる者たちがまったく理解していない
と言わざるを得ないわけである。

LIVEのみこそ、我等に。

これがテレビが甦る唯一の手段。
しかし、民放はもはやそれすら気づかない。
終わりだ。民放はその役目を終えた。

対するNHK。良質なプログラムが多い。

射幸心を煽る無駄な仕掛け不要で、
震災にしてもスポーツにしても
その現場のLIVEとナマ感だけを伝えてくれる。

それでもまだ多い。
それでもBS1の今宵の放送は、無駄が多い。

ニッポン側の女性キャスターは冒頭だけで良く、
度々テーマを切り替えるごとに映し出され、語る。
この語りが不要なのだ。

淡々と事実だけを映し出せば良い。

とにもかくにも無駄な語りと賑やかしは絶対不要である。

今宵のような米ABCテレビをそのまま流す所作。
これで良いのだ。

言ってしまえば民放なんぞ特にそうだが、
異国で行われる五輪やサッカーW杯などへ
局アナやタレントをわざわざ行かせる必要などなく、
ダモシならばその国と現地の放送局の放送を
交渉してそのまま流すことにするだろう。
英語であろうが独語であろうが。

その方がよっぽどリアリティがあり、緊張感も生まれる。

観る者が得る刺激は、その方が断然高いはずだ。

試しに異国で暮らしてみると良い。

野茂しかり新庄しかり松井しかりだが、
米で米の放送で彼らの試合を観ると
いい知れぬ緊張感と刺激を得られるから。

よけいに応援したくなるから。


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エモーショナルな時間だった。

モーメント・オブ・サイレンス(黙祷)も共に行った。

画像は最後の六回目の時。
ジュリアーニ前ニューヨーク市長が追悼の意を表明しているシーン。

ジュリアーニ氏、パタキ氏、ブッシュ前大統領・・・。
彼らの姿が映し出されるたびに
当時が甦ってきた。

ジュリアーニ氏を想う時、
今回のニッポンの東日本大震災における
総理大臣、政治家、行政や市町村長の対応を比べると
やはり残念ながらスケール感の乏しさは否めない。

当時、ジュリアーニ氏は市長である。
しかし当時のブッシュ大統領を押しのけて、
尋常ではない所作をもってして事に当たった。

さすが米。そう唸ったものだ。
さすがニューヨークの市長と、驚いたものである。

世界一の大都市ニューヨークといえども、一介の市長である。
そういう意味では東北各県の知事や市長と同じだ。

が、残念ながら後者のそれに、
当時のジュリアーニ氏の所作に匹敵する者は一人もいない。

彼らの"やりたくても出来ない"気持ちは分かるが、
そこがやはり差だ。

当時ニューヨークにいて、LIVEでジュリアーニ氏の対応を観た人なら
誰もがその凄さには舌を巻いたはずだ。
すごいな、やはり、と。
これぞリーダーであり政治家だな、と。

<アメリカの市長>。そういった称讃がジュリアーニ氏に集まった。

残念なのは、東日本大震災において、東北六県の中で、
<ニッポンの市長>と呼ばれるほどの人が現れなかったことだ。

これは、どうあがいても現実の差なのだ。

そういう観点でもきちんとニッポンを考察しなければならず、
常に内向きの考察が支配していることこそ
ニッポンが"遅れている"、"成長しない"悪い部分の一つなのである。

昔はきっといたのだろう。
田中角栄、中曽根康弘、そして後藤田正晴・・・。

そういった骨太な政治家、行政の長が不在。
これが政府はもとよりとして、致命的な部分である。

自民党の石原某幹事長も、米同時多発テロのことを
<歴史的必然>云々と知たり顔で論じるヒマがあったら、
こういった致命的な部分にこそ眼をむけて
己が行動で示さんかい!

と言いたくなるわけである。

未だ、ダモシは怒りが消えていない。
この9.11に関しては怒り心頭はまだまだ消えていない。
知たり顔で論じる前に、犠牲者がいることを皆、忘れているからだ。
特にニッポン人の多くは知たり顔で
この9.11を論じているが、不愉快極まりない。

歴史的にだの、宗教的にだの、米の自業自得だの言う前に、
まずは<犠牲者がいる>ということが第一義である。
それをもってして、語るなら語らんかい、と。

さらにいえば、
ニューヨークの象徴であり、世界のランドマークでもあった
ワールドトレード・センターが崩壊しているわけである。

ほとほと、本質を忘れて好き勝手語る者が多過ぎる。


つつしまんかいっ!



*****



A Decade Ago。

当欄で触れるのは今回は、この寄稿で最後だ。

ディープな掘り下げは、
ビジネスHPのコンテンツの一つで後日となる。

未公開写真はまだまだあるが、
先に掲載した五周年の2006年9月。

同じく9月から、
ワイフの先輩(当時、ダモログにおいて"どてらい奴"と表現した)が
ニューヨークを訪れて、
グラウンド・ゼロを案内した時の写真から
アントニオとグラウンド・ゼロを。


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9.11当時に、このアントニオくらいのコドモを残して
犠牲になり亡くなった父親、母親も多くいる。

そのコドモたちが成長し10年後の今日、
追悼式典で挨拶をしていた。

心が痛む。

あらためてご冥福をお祈り申し上げます。


最後に、
未だデジカメになっていない時代のカメラで、
パノラマ設定で93年と97年に撮影した
ワールドトレード・センターのあるマンハッタンを。

いずれもブルックリン側から撮った写真だ。

wtcwtc.jpg


ワールドトレード・センター:ツインタワーよ、永遠に。




posted by damoshi at 00:31| NY_アーカイブス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月11日

A Decade Ago-3


今宵、ダモシの
State Exam Challengeが終わった。

ひとまずこれで毎日勉強しなくて済むことは、
一つやらなければならないことが減ることであり、
他のことにスペンドすることができることであるからして
喜ばしく、ほっとしているところである。

結果は如何に。

科目A、科目B。
最難関の科目Cを昨年突破したことで
シード権を得て臨んだわけだが、
会場はシード権を持っている選手だけが集うものの
膨大な数の老若男女がいた。

スパーリング同様、科目Bの方が苦戦した。
が、科目Aも思った以上に苦戦。

序盤、<楽勝だな>と思えるペースで進んだが、
途中からイヤらしい問題が多発。

<どんな試験でも一番に退場する>という
ダモシの試験流儀は今回不発。
何と終了時刻ぎりぎりまでかかってしまった。

それもこれも、難儀した問題への解答を、
一旦先延ばしして出来るものからやっていったからだ。

難儀して残しておいた問題は、科目Aで5問、科目Bで7問。
やはりここでも科目Bが多い。

これらが全滅の可能性は当然、ある。
これらが全滅しても他が正解すれば
何とか合格ラインには達していると想像できるが、
他がすべて正解しているとは到底思えない。

敗北か、勝利でも薄氷。一問差の紙一重となるだろう。

結果は一ヶ月以上先を待ちたい。

昨年、三科目だった。
その際、ダモシも途中退場したが、
相当数が制限時間いっぱいまで時間を使わずに
試験を終えて退場していた。

が、シード権で二科目になっている今年、
退場者は限りなく少なかった。

そこから見ても分かるように、相対的に難しかったといえよう。
もしかしたらシード権者と三科目者では
問題を変えている可能性がある。

二科目だけになったことで、当たり前に三科目より楽なはずだが、
解く時間を相当時間要したことでも
それは当たっているのではないか。

とにかく、イヤらしい問題が多い。
もっとストレートな問題出せんのか?と思うほどで、
制限時間が修了しマークシートを回収された後、
一斉に皆、退場するわけだが、
その際に、友人同士で受験している者も多く、
当然、退場時に友人同士ですぐに会話を始めるのだが、

漏れ聞こえてくる台詞といえば、

<何これ〜っ・・・>

<ちょっとイヤらしいよね・・・>

といったものが、ほとんど。

どうやら自信満々で試験を終えたという
全体アトモスフィアが漂っていない。

ダモシだけではなく、
<意外な苦戦>を誰もが経験したのではないかと思われた。

ダモシも途中、一瞬、焦った。
二問、難儀する(すぐに正解が分からないもの)が続いたときだ。

<マズいぞ、これは・・・>と。

そして、<焦るな>と。

まだ貯金はある。
これらの問題は最後に回して、出来るのから進もう、と。

まったく埒があかずに適当に解答をマークした問題は、
一つもなかった。

それは救いだろう。

これはもう、あとは運だな、と。
そう感じたわけである。

四択あれば、二つは明らかに間違いだと分かる。
残り二つがイヤらしい記述で
どちらも正解と思われるもので、
それを一つに絞り込む作業となればもう、
あとは運だろう、と。

そして帰路、思った。

<やっぱり何でも楽勝というものは、ないわな・・・>

と。


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ヤングボーイ、ヤングレディも、ダモシも、おじさんも。
皆、どことなく昨年に比べて
消沈したような感じで引き上げていった。

<よし、いったぞ>という風情もすぐ分かるものだが、
それが皆無だった。

全体的に
<やられたな・・・>
<さすがに、甘くないな・・・>というモードが感じられた。

特にこのシード権。前年の結果がもとになっていて、一年(翌年)限り。
仮にこの面々が今年敗北したら、
シード権は消滅し、また最初から闘わなければならない。

そういう意味でも、ダモシはもとより、
受験生の中には<今回が勝負><今回がチャンス>という姿勢で
臨んでいた人は多いはずだ。

そして、同時に、
二科目なのだから比較的楽だな、と感じていた人も多いはずだ。

さらにいえば、
にも関わらずこの苦戦は一体・・・と感じた人も相当数いるだろう
ということである。



*****


帰路、試験会場近くにあったブックオフに立ち寄った。

勉強がなくなった分、
朝夕の電車内で読書できる。

久しぶりに新たな本を、と。


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角田光代の小説は読んだことがないが、
たまたま手にとった。

三島は、外遊記が収録されている文庫本。

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格闘技と<東京人>それぞれ古本。
両者ともダモシ好みの特集。

前者は
<なぜ木村政彦は力道山を殺さなかったのか>。

後者は
<太宰治と三鷹>。

今宵久しぶりにカウチで読むことができようか。

そして帰宅。
これもまた久しぶりに、それを見る心の余裕が一分出来た。
オールウェイズ246の夕日。

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*****


間もなく9.11から1ディケードである。

今宵、NHK-BSで追悼式典の生中継がある。
ワイフと、まさに久しくないカウチで並んでの視聴が
実現するなら、このプログラム以外にない。

観ることになろう。黙祷もする。
特別の想いで、エモーショナルである。

A Decade Ago-3。

今年は1ディケード=10年。

五周年にあたる2006年9月11日は、
直接、現場の追悼式典へ出かけた。

その時、アントニオは二歳。連れていった。
何が何でもアントニオに見せておきたいと思ったからだ。

あれからも、5年である。

あの日の写真から掲載したい。


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2006年9月11日。グラウンド・ゼロにて。

あの日、ダモログにこう書いた。<絶対青空が、戻った>と。
五年前の9.11は、9.11以前にあったニューヨーク独特の
絶対青空が戻っていた。

それまではずっと、9.11以降、空は霞がかっていた。

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あの日ダモシは、デイリー・ニューズ紙記者のインタビューを受けた。

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エレーナ・イシンバエワのような美人記者と
やりとりする五年前の今日のダモシ。

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もう理解する力は備えてきたアントニオに、
この一週間毎日のように9.11を語って聞かせている。

そして
<五年前、行ったのだよ。現場に>と写真も見せた。

アントニオなりに、今の七歳なりに何かを感じただろう。
数年後、共にニューヨークへ行く時、
もっと己自身で何かを感じとるだろう。

あの時、連れていって良かった。
彼にあの現場を幼いうちに見せておいて良かった。
そう今は思っている。

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当時二歳のアントニオを肩車して現場を見せた五周年の追悼式典。

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あの日も素で語ったが、彼は理解していなかっただろう。
五年経って七歳。
今の彼はもう理解することができる。

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追悼式典から自宅に戻って、自宅前の道路にて。

あの日、快晴だった。程よく暑く程よく涼しかった。

あれから十年、そして、あれから五年。

A Decade Ago。そして、Five Years Agoである。


十年前の今日、あと一時間後にワールドトレード・センターに
一機目の旅客機が激突した。

間もなく、だ。



posted by damoshi at 20:49| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

A Decade Ago-2


昨晩、NHKの良質なプログラムで
東日本大震災をフィーチャー中でも
未だ復興進まず、食糧も配給に頼らざるを得ない実情が
取り上げられていた。

プログラム中、大臣も登場していたが、
取り組みに対する回答が何とも歯切れが悪い。
それは地元自治体も同様。

何が手かせ足かせになって進まないのか。

有事にあってもなお、決めごとを曲げられなかったり、
奇妙に中途半端にバランスをとろうとする
ニッポン的悪癖が露呈する。

硬直化している国の悪い事例である。

人が複数存在し、その数が増えれば増えるほど
<統一>は難しくなる。
意見の完全一致など、あり得ない。

ニッポン文化は、その意見の完全一致を図ることを
物事を前へ進めないエクスキューズにしてきた何十年。

独裁者やゴリ押しを、ダモシは悪いとは思っていない。
キレイごとでの民主主義は逆に認められない。

それは何か組織や倶楽部など人間が複数介在する場を
仕切ったことがあるかないかで考え方は変わってくる。

一元的に強権発動的に物事を決めていかなければ
物事は一向に前へ進まないケースが、実は多いのである。

中途半端に民主主義だの和だのバランスだのを
図ろうとすればするほど、
それぞれの我欲〜我欲にまで至っていなくても、
それぞれのリクエストや要望は必ず存在する〜が溢れ出て、
意見統一や全員が納得できる回答などは
どんどん出せなくなってきて、収拾がつかなくなるのだ。

それは小さいコドモの活動でも大人の会社でも同様だろう。

<意見を、意見として聞く>ということと、
<出たすべての意見に縛られる>ことはまったくの別物である。

賛成もあれば、必ずそこに反対もあるのだ。
正解もあれば、必ずそこに不正解もある。
また、
"必ずしも"な正解が存在しない場合は、同時に不正解も存在しない。

そういった中では、ミッション遂行のロールを持つ者にとって
最も重要なことは何かといえば<決断力>以外の何者でもない。

その背景には、実行力。実戦力。
そしてもとよりは、物事を己がレスポンシビリティをもってして
doneして実行へ移すことの<ゴリ押し>力である。

ニッポンの場合、会社もどこもかしこも、
その<ゴリ押し>力が欠けている者がそういったポジションに
就いている。

そこが大変、昔から気になるのだ。

全員のバランスを図ることと気配りや配慮はまた別物である。
そこのところを理解していない。

また、政治家の場合は、それらに加えて、
"称号"や"ポジション"に対する並々ならぬ野望があり、
それこそ国民のために何をするかではなく
己自身の栄光と末代までの誇りのために
そのイスを目指しているだけ。

これではもう、どうにもならないのである。

コドモの草野球の監督をやるならば、
全体を見てそのチームにとって何が最適なのかを見るべきで
己が監督としての栄光を求めてはならない。
一方で、<勝利>を目指すならば、
バランスを欠いたとしてもゴリ押しで勝つ為の
オーダーを組まなければならないのもまた然りである。

支持してはいないが、
東京都知事の石原慎太郎氏がsometimes
まっとうな的を得た言葉を吐くが、
<我欲>に関しては近年では最もニッポン人の特性を
顕著に表現した名台詞であると認識している。

かくいう都知事もまた、妙に東京五輪にこだわるが、
これも一方で己がそれを実現したいという我欲には違いない。


*****


時に、我欲は必要であり、
勝負ごとになれば我欲を全面に持つ必要性も一方では、ある。

だが、スポーツ以下、勝負ごとにおけるこの<我欲>
というものも厄介で、
得てして<我欲>を超えたところでの
パフォーマンスが出来た時に、望むべく結果が出るケースが多い。

どちらに転ぶか、である。

<我欲>が勝利への後押しとしてメンタルを刻むか、
あるいは
それがプレッシャーなどに転化して力を発揮できずに敗れるか。

我欲と勝負ごと(スポーツ)を心理学の面から考察した書籍で
大変面白いものがあり、今年読んだが、
それを踏まえてこれらの件はまた別考察で
コンテンツを当欄に設けていく予定だが、

いずれにせよ勝負においては、必ずしも<気迫>が上回れば勝つ
という単純なものではない、目に見えない様々な要素が介在
しているということである。

ダモシからすれば、
スポーツ等の勝負ごとの方がよっぽど
政治家の面々よりも、より繊細で複雑な要素が絡み合った
中に存在していると思っている。


*****


2:30AM就寝で、8AM起床。
当然寝不足で眠いが、ヘディクに襲われることがない
ぎりぎりの五時間半睡眠だ。

起床してアントニオと<仮面ライダーフォーゼ>を観た後、
コーヒーを飲みながら、毎日新聞を読む。

そして道場へ行くワイフ&アントニオを見送った。

昨晩、否、未明。最後にもう一度模試を行った。
三回目だ。

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三回行ったそれの結果を時系列でグラフにしてみた。
最後のそれは88点/79点。

"一応"やるたびに上がっている。

これにて練習問題:模試としてのスパーリングは終了。
現場へ向かう電車内と着席後開始前数分、
最後にミット蹴り(参考書を読んで)して本番へ臨む。

ワイフはその点数を知り
<大丈夫だよ。冷静に。勘違いだけしないように>という
助言を残して道場へ向かった。

アントニオは己が大会よろしく
<ダディ?何回勝てば優勝なの?>と聞く。

<俺はシードだよ。だから二回(二科目)だよ>。

己が大会でのそれと比べて
随分少ない試合数だなと思ったのか、
不思議な顔をしているアントニオがいたため
ダモシは追加した。

<でも、試合時間が90分とかだぜ?>
<10人のうち7人は落ちるのだぜ?>

と語ると、己が試合(1試合=一分半)と比べて
その長さに驚くアントニオ。

<応援しててくれよ>と言うと、
前回の大会でアントニオに与えた
金沢県の<塩>をもってして、

<ダディもあの塩、ちゃんとなめるんだよ?>
とアントニオも助言を残して道場へ向かった。

ダモシは一人、己が炒飯をこれからつくり、
早めのランチを摂ったら
大会会場へ出発となる。

もとより、今さら何かがあるといって
緊張するということもなく
己が持てる力は出し切ることはできるが、

それでも、力がそもそもない可能性もある。
且つ、実際のそれにおいては<勘違い>もあり得る。

物事はすべてフィフティ・フィフティ。

ただ一つ、己が行った努力と出来ることは
すべてぶつけるだけだ、Let's Try。


*****


A Decade Ago。

9.11当日になった。米はまだなっていない。

今宵は十年前の9月12日の、
居住エリア、レゴ・パークの路上にある
バス・ストップの壁に掲げられていたポスターを。


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十年経った今年、これは成し遂げられた(ようだ)。


posted by damoshi at 10:09| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

A Decade Ago.


鉢呂某が経産大臣を辞任した。

たばこ発言の小宮山だの、
自らを<素人>と言いながら大臣のイスに嬉々とする一川だの、
まあアグリーこの上ない・・・。

これらが一国の大臣だぞ? と。
あり得ないぞ? と。
なんちゅう国だ、ニッポンは、と。

とにもかくにも
皆々様の"大臣"という肩書きをもらった直後からの
ハシャぎぶりと、それを背景とする軽々しい発言は、
アグリー極まりない。度を超えている。

スッカラ菅は酷かったが、今回の<どじょう>も酷い。

そもそも<どじょう>に統率力やリーダーシップを
求めるのが無理で、<どじょう>は、そういうタイプではない。

閣僚のキャスティング自体、既に誤っているわけだ。

ベビーフェイスで典型的な"よゐこ"。これはまずもってダメなのだ。

民主党政権はあまりにもアマチュアだが、
民主党だけがダメなのではない。
自民党も、もとより偉そうなことはいえない。
未だに幹事長ともあろう石原某が、
9.11を迎えるというタイミングの悪さで
米同時多発テロを<歴史の必然で起こった出来事ではないか>
などと軽々しく言ってしまう。

返す返すも<起こった出来事>ではなく、
<起こした側>がいて、<起こされた側>がいて、
<それによって犠牲になった無実の人々>が多くいるのだ。

何を考えた阿呆発言か、と言いたくなる。
どうしたのか、一体、政治家共は。
こんな低レベルか?皆。

もう、どうしようもない。政治家連中は。

考えてみて欲しい。
9.11にしても東日本大震災にしても
そこに無実の犠牲者・被災者がいるのだということを。

まず第一義に、彼らへの配慮。
これをもってして、何かを語るなら、語らなければならない。

政治家個々の私論・持論は不要。一切、不要である。

それを勘違いしている連中の何と多いことか。

だから皆、我欲だということになるのだ。

石原某にしても、9.11のときにニューヨークにいたのか?
問いたい。
その場でLIVEでキミは体験したのか?
と。

アメリカに長期住んだことがあるのか?
ニューヨークを知っているのか?
イスラムとの関係性をどこまで理解しているのか?
実際にニューヨークの日々の生活における
多人種間の所作を身を以て知っているのか?

と問いたい。

それら知らずして、体験せずして、何をかいわんや、である。

何をもって偉そうに、<世界>レベルのことを語るのか。

どんな権利があって、それを<歴史の必然>と言うのか。
"歴史学"として学問的な机上の空論だけで述べたのだろうが、
それにしてもお粗末過ぎる。

石原某と徹底的にサシで議論したい。

たかだかどこぞの二世のお坊ちゃんが
ニューヨークを語るなよ、黙っとれ!と。
忌憚なく、そういう気分である。

鉢呂某にしても石原某にしても、
少なくとも
9.11でも東日本大震災でも
<無実の犠牲者・被災者>がいるのだということを忘れてはいまいか?

政治家は、
公のオフィシャル&ゼネラル事案の場での私論・持論は、もうやめよ。

怒り心頭である。ほとほと、調子に乗るな! と。
そして、恥を知れ! と。

七歳の小学二年生でも言わない稚拙な台詞の数々。

こんなていたらくだから、
政治家共は、もはやコドモからもリスペクトされないのだ。

不愉快な国だ、ニッポンは。ほとほと不愉快な国である。

霞ヶ関と永田町の連中はもう総取っ替えが求められるだろう。
スクラップ&ビルド。その対象は完全に東京である。
東京の中でもスクラップすべきは、
不治の病に陥っている霞ヶ関と永田町である。

そうしなければこの国から我欲は消えない。



*****



9月11日に入った。

米時間とニッポン時間は異なるが、
先んじてニッポンが9.11に入った。

A Decade Ago。

あれから10年。

ヘヴィ・コンテンツは、Macが復旧した後、すぐにでも
リニューアル公開するビジネスHPの中のコンテンツの一つで
公開するが、

今宵はまず、既出含めて未公開画像と共に
ワールドトレード・センター絡みを。

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1993年、初めてのニューヨーク。
初めてワールドトレード・センターに登り、
ブルックリン橋でそれを借景に記念撮影。

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同じく初邂逅時、下から何枚を撮った。

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これは初公開。
1998年。
渡米が決まり、ビザも下りた後、
ニューヨークへ三泊の予定で渡り
住むアパートメントを決めた。

アパートメントも決まり、あとは渡米引越日を決めるだけ。
ニッポンに戻る前、束の間の観光で
また大好きなブルックリン橋へ行き、
ワールドトレード・センターを借景に撮った。
手前はワイフだ。

三十路に入った直後。まだまだ若い。
新たな大勝負のチャレンジングへの希望が溢れている。


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自分で見ても、何と若く清々しいのか、と
失笑すら漏れてしまう。

それほど希望に溢れている。ダモシもワイフも若い。
未だコドモがおらず、二人だけ。
結婚して六年後の渡米。

ニューヨークに正式に引越をしての新生活が始まった
翌々日、引越の手伝いに来てくれた後輩交えて
自由の女神へ行った。

自由の女神があるリバティ島から
ワールドトレード・センターを背景に撮った
<ダモシ&ワイフ。NY移住上陸記念写真>。


かように、
ワールドトレード・センターは、
ダモシ&ワイフにとっての希望の象徴だった。
ニューヨークの象徴だったのである。


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いよいよ9.11が三日後に迫っていた2001年9月8日の夜。
ところはフロリダ州のマイアミ。

ソシアル&ボールルーム・ダンスの世界大会イベントにおいて
イベント進行業務を行うダモシ。
マイアミへはワイフも同行していた。

この後、ニッポンのクライアント一行を連れて
ニューヨークに戻り、
ニューヨーク観光をし、
9.11の二日前の夜はディナークルーズで
ハドソン・リバーからワールドトレード・センターを見上げ、
9.11前日の朝、
ワールドトレード・センターへまさに行き、
9.11当日、早朝から同時間帯へかけてのドラマへと雪崩れ込んでいった。

膨大な人々のドラマ。
その中の一つに、ダモシのそれはあり、
紙一重の世界観の発露がある。

例えば分かりやすいのは、

***
あの日、朝から婚姻届を出しにいくはずだったカップル。
事件が起こったことでそれをキャンセルした。
その後、カップルは結婚することなく別離した。
***

というストーリーだが、
そういった糸の絡み合いは
あの日ニューヨークで
あの事件に遭遇した者すべてが抱えるものである。


9.11で運命が変わったのか。
それとも、そもそもそうなる運命だったのか。

という命題である。

紙一重で助かった人、
たまたまあの日あの時間に
ワールドトレード・センターに行っていた人・・・。

どちらが、そもそもの運命であり、変わった運命なのか・・・。



posted by damoshi at 00:24| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月10日

経年劣化との闘い


日本時間の明日21時過ぎに、
米同時多発テロで最初の航空機が
ニューヨークのワールドトレード・センターに
激突してから1ディケードを迎える。

10年経ったからといって特に犠牲者に想いを持つ
わけではなく、そういったものは常に変わらずであるが、
個人としての生きてきた道程における絡みとしては
特に9.11は、
阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件や東日本大震災よりも
濃厚でディープであるがゆえに、

<今年で10年か>という感慨は強くなる。

明晩その時刻、黙祷する。

明日はまた、今年の東日本大震災から半年の日にもなる。

東日本大震災に関する復旧復興、そして福島の原発問題は、
感覚として<一向に進んでいない>気がする。

ニッポンを仕切っている面々がだらしない。
その一言に尽きる。


*****


そうこうしている中、今週もまたダモシはOD状態。

要するに、
・オフィシャル事案
・空手道場と空手練習
・国家試験の勉強
・己がオフィシャル事案用会社のHPリニューアル作業

を毎日のようにやっているから、
それこそ毎日3AM-4AMに眠り7:30AM頃起きるという
流れになっている超O.D状態。

加えて空手に関しても、"ただの父兄"ではなく
アントニオが顔であり
ダモシ&ワイフも事務局長としてのロールもあるから、
そこで"やるべきこと"がまた発生してくる。

オフィシャル事案を終えて帰宅して食事して入浴。
その入浴時のバスタイムに急いで新聞や雑誌を読み、
あがってきたらすぐデスクに向かい
オフィシャル事案のメール対応や各種作業。
国家試験の勉強をして、でもその前に空手団体の事務局として
各選手や他団体等と連絡とやりとりに資料作成、
"普通の"会社HPや事業HPではないから
コンテンツが膨大なオフィシャル事案用HPリニューアル作業を行う。

むろん道場がある日は可能な限り顔を出し、
アントニオの状態をチェックしたり
館長や他の父兄等とコミニュケーション。

ほとほと、もたんよ、と。

アントニオも身体的に最も調子の良い真夏が過ぎた今、
これから秋冬になるにつれて体調もまた不調な面も出てくる。
ただでさえ忙しい中で、
週に四日空手道場、青山の事務所に週に二〜三日。
まったくウィークデイもウィークエンドも休みがない。
彼もまた疲れている。
少しの時間が空いたら空いたで休めば良いのに、
友だちを自宅に連れてきて遊ぶ。これが週に二〜三日。
わずかな時間でも遊び、時間を区切れば、
その後すぐに空手か青山に出かけなければならない。
帰ってきてから宿題をすれば就寝時刻が遅くなる。

<もうちょっと辛抱だぞ>と叱咤激励である。

空手ももう少し落ち着いてくれば、
週に一回は道場を休めるようになるだろう。

アントニオも頭痛もちだが、
ダモシがまたこれ最悪の頭痛もち。

通常、連日の睡眠時間は3-5時間。
これをキープしなければ激しいヘディクに見舞われるから
ウィークエンドも早起きを心がけているが
たとえば今朝もそうだが、
7:30AMに目覚ましをかけていたのだが
どうしても起きられない。
結果、9AMに起きてしまうと
睡眠時間はそれだけでふだんより長い6時間になってしまう。

6時間眠ってしまうと、激しいヘディクに襲われてしまうのだ。

これが厄介でである。
すぐさまバファリンを飲むが、
米のアドヴィルでなければ効かない身体だ。
飲んでもまったく効能を発揮しないケースが80%。
今宵は先ほど飲んでから既に二時間経過するが
まだヘディクは収まらないといった有様である。


さて、今週。
オフィシャル事案でMTGした
(述べではなくリアルな)人数は、18人。

今週は多かった。
昨日はオフィシャル事案を回避して(自身のオフィスで対応)、
外でMTGはなかったから
先週、先々週と比べれば一日少ないのだが、
それでも18人になった。

それも対一人につき30分といった短いものではない。
すべて同じ場所であるわけでもない。
それだけ移動して、それだけ一人一人長い時間
相対しているわけですからして、
連日、最後に逢う人と話をする頃には
かなりダメージを負っていることになる。

そもそもが寝不足だから、
そんな日々の連日の帰路は
何が何でも着席するぞと意気込んで電車に乗り、
座れば一分以内に爆睡という世界になるのである。


*****


まあ、そうはいっても永田町の偉い偉い政治家や
霞ヶ関の"この国を動かしていると錯覚している"連中
の方が、さぞかしお忙しいだろう。

お忙しいのは分かるが、
それでも皆様結構、夜な夜な食事や酒席など
体力が有り余っているのか、あるいは、
もしかしてヒマ?なのか分からぬが、
まあご立派で豪勢である。

そもそもダモシなんぞ、酒席につく時間すらないし、
もとよりお金もない。羨ましい限りである。

まあ忌憚なくいえば、
<直接自身の手でやるべきこと>として
ダモシの方が彼らより間違いなく膨大だろう。

そんな、政治家の面々。

スッカラ菅がいなくなったと思ったら、
今度は<どじょう>である。

どじょうはどじょうとして、まあ、
己自身がそう言うなら、どじょうでやってくれ、
どうでもいいよ、というレベルだが、

"大臣"が、笑わせてくれる。
ほとほと、呆れさせてくれる。

リアルに不思議なことなのだが、
大臣に任命された方々は、よほど嬉しいのか、
皆ハシャグのが、とにかく不思議なのである。

<大臣になって>張り切ってしまうのだろう。
舞い上がってしまうのだろう。

そもそも「電話で」大臣就任依頼を受ける際、
その電話が鳴るのを今か今かと待ちわびて
焦って、落ち着きがない様は、
自民党でも民主党でも変化はないのだが、

普通に考えれば、
本人がそれを喜びハシャぐ以前に、
拝命された重みを受け止めて神妙になるはずでは?
と思うのだが、それが見られない。

それどころか皆、やはり我欲というか、
大臣になって嬉しくてしょうがないといったポスチャーで
早速、口が滑らかになってしまう。

先の小宮山大臣など好例で、
ダモシも怒り心頭なのだが、
なにをもってあなたが<たばこ700円>などと宣うのか,と。
そもそもキミは所管の大臣ではないでしょうよ、と。

私論をぶるのは良いが、私論をぶるなら別名/ペンネームで
己がブログなどで宣えよ、と。

あまりにも喫煙という明確な権利のある所作に対して、
あまりにも喫煙者という、自分とは異なる趣向を持つ
他人に対して、
無礼千万な暴論をよくぞ言ったものだ、と。

たまたま小宮山大臣の暴論をテレビニュースで観た
アントニオが吐き捨てたという。

<何だこのおばさん。偉そうだぞ!>と。

その通り。
コドモにも"お前がなにをか言わんや"レベルの大臣なのである。

己が言ったことの責任もとれない=ただの私論
を、大臣になったことで勘違いしてハシャイでぶってしまった小宮山大臣。
アグリーこの上ない。

黙っとれ!と忌憚なく言いたい。
お前がたばこを語るなよ、と。

<何が増税のためではなく健康のため>だよ、と。

他人の健康のことは大きなお世話だろう。
単に自分がたばこが嫌いなだけなことは明白で、
それをまたああいう類いの女性が言うから頭に来るわけだ。

鉢呂経産大臣の原発と福島に関する幼稚な所作と台詞も、しかり。

あらあら、キミも大臣になって
ハシャイでしまったのね?と失笑である。

辞めなさい。さっさと辞任しなさい。
末代までの誇り=成功の象徴としての大臣就任という
彼らにとっては至福の金メダルなのだろうが、
勘違いも甚だしい。

彼らがやるべきことは私論をぶったり、
己が大臣称号を得てハシャぐことではなく、

<国と国民のために>汗水流して働くことである。

彼らには今、エンターテインメントや酒席に時間をスペンドすることは
決して許されることではない。

そんなことをしているヒマや、私論をぶる余裕があるのなら、
一刻も早く被災地と被災者のために働けよ、と。

声を大にして彼らのような輩には言いたい。

根本的に彼らは皆、間違っている。

政治家は国と国民のために命をかけて携わるべき仕事であり、
酒を呑んでいるヒマはないはずだ。
私論を記者たちにぶって悦に入っているヒマもないはずだ。

どうも彼らを見ていると、
己がそういうポジションに出世したことの喜びがまずありきで、
苦悶の国民への想いや具体的に遂行すべきことが
ないがしろにされているように見えるのである。


*****


さて、そんな中、
米に移住する直前の数年、そしてニッポン復帰後。

ずっと新聞を宅配でとっていなかった。

が、それこそ10数年ぶりであろうが、
とりあえず三ヶ月だけ新聞をとることにした。

毎日新聞だ。

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はっきりいって新聞も終わっている。
特に朝日、読売等、酷い。基本的には日経も面白くない。
日経なんぞ正直、ブランドで読んでいるだけの人も多いはず。
そもそもビジネスに関しても、
日経に出たとすればもう出た時点では遅いのである。
トレンド云々でもない。

そんな面白くない新聞メディアは宅配でとるまでもない
というのがダモシのスタンスであった。

日曜だけ、
ニューヨーク時代のニューヨークタイムズ日曜版に等しく、
各種新聞を販売所で買っていたのだが、
たまたま先々週の日曜日に販売所で手にしたのが毎日新聞。
毎日新聞を読むのはその時が生まれて初めてだった。

なぜその日、毎日を選んだかといえば、
他のすべての新聞の一面メインが民主党代表選だったのに対し、
毎日だけが福島の放射線のことにスペースを割いていたからだ。

伝えすべきことは何か。何がフォーカスされるべきで、
プライオリティが何なのか。
この点で毎日を選んだのだ。

以来、月火水木金とウィークデイも
朝オフィシャル事案に出かける際に駅売店で
毎日新聞を買って読んでみた。

面白い。初めてニッポンの新聞を認められた。

他紙とはフォーカスが違う。
エディトリアルデザインも秀逸で、
紙質もまた異なっていてダモシ好み。

<よし、とろう>。

ワイフに言って、三ヶ月だけ宅配を依頼した。

十数年ぶりの新聞宅配である。


*****


9.11のリニューアル・オープンを目指して
鋭意、作業をしていたダモシのオフィシャル事案用
ビジネスサイトだが、
残念ながら9.11リオープンは不能となった。

なぜならば、その作業ができるデスクトップMacが
遂にその役割を終えたからだ。

ニューヨーク時代の2003年春に購入したe-Macである。
今や化石ともいえる存在。
途中、ニューヨークで一度壊れて修理されて復活した。

8年間の膨大な作業を支えてくれたそれが遂にダウン。

起動するのだが、青い画面から先に進まず、
デスクトップが立ち上がらなくなって
昨日、Mac修繕の出張検査を受けたところ、
もうダメだ、と。

しかし今ならギリギリ、HDは取り出すことができる。
データはぎりぎり死んではいない、と。

ならばと、それを預け、
データ取り出し〜新たなMac(中古の当時のものと同じもの)手配
〜それへのデータ移管すべてを依頼した。

8万円のコスト・スペンドとなってしまうが、
そのe-Macは要するにOSXとそれ以前のOS9を併用できる機種。
近年のMacはすべてOSXで、昔のOSを使うことができない。

ノートブックは2008年春に購入したMaxBookで三年経過しているが、
そのe-Macはとにかく2003年当時最新だったもので、
その当時のソフトも入っている。

ウェブサイト作成その他、"昔のソフト"で作業しているものもあり、
最新のマックに切り替えるだけが能ではないのだ。
だからこそ、当時のMac(OSXとOS9併用できるMac)の手配と
それへのデータ移管も依頼したわけである。

消耗品。

生き物も同様。

今年、猫のPOPOが老衰で死去した。
今年、ダモフィーロのマフラーが消失した。

そして、e-Macの役割終焉に、テレビの故障。

相次ぐ、経年劣化。

テレビは08年春以来だから三年。
急にデジタル放送が映らなくなりアナログでの視聴を
ここ数日続けていたのだが、
これは幸い五年補償があったから
無料修理を昨日施してもらい復旧した。

しかしダモフィーロの、

・左後部ドア全壊と取り替え
・マフラー消失での取り替え

という二つの多大な出費に加えて、

e-Macの役割終焉でのまた多大なる出費。

いやはや困ったところである。

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ニューヨーク時代、デスク上にあるe-Mac。
猫ジャックも映っている。
ジャックもPOPO死去以来、弱ってしまって痩せてしまった。
残念ながらジャックもそう長くはないだろう。

こうして何もかもが経年にて、消耗してゆく。

もとよりダモシも同様。

ダモシこそ、普通に健康診断などはかれこれ十数年受けていない。
オーバーホールやリビルドもない。
目に見えない部分での経年劣化は著しいと想像でき、
コンピュータのようにある日突然は大いに考えられよう。

そしてコドモも同様。

人間もまた十七歳がピークで以降は劣化すると言われているが、
もしかしたら赤ちゃんから三歳くらいまでが
最絶頂期で、以降は、もろもろ世間と社会の中で、
さらには己が関わる中での<奮闘>により

経年劣化は始まっているのだろう。

そういう意味では、蝉などの生き方も一計やもしれぬ。

老いたケネディ大統領や大場政男を見たくないのと同じだ。
衰えていくイチローのイメージがないのと同じだ。

かつて衰えていくアントニオ猪木を見ていて辛かった。

抵抗しても老いは、誰の身にも、既にコドモの時点から
始まっているのである。

だからか?

最近、ここ数年来の傾向としてニッポンで顕著な
<元気なシニア>を見ると、

不思議なならないのである。

今のシニアは
〜特に首都圏や観光地にいるシニアは〜
<元気なシニア>を超えて
<奇妙なほど元気過ぎるシニア>にまで至ってしまっている気がする。

この大変な世の中で、

ある面で一部浮かれているシニアと
首都圏で遭遇すると
こちとら忙しいのに/疲れているのにという感慨も重なり

いささか嵩張っている感を受けて、あまり気分の良いものではない。

<うるさいなぁ…>と、
最近、首都圏のシニアに
いささか嫌悪感を覚えはじめてもいるところである。

特にビジネスのオンタイムにおいて混んでいる中で
電車にリュックを背負って元気満々で乗ってこられると
辟易とするし、

そんなに元気なら着席しなくてもいいでしょ?
私の方が這々の体ですからと言いたくなる状況でも、
女性専用車両のごとく特権的所作で着席する彼ら。
そして大声で、女子高生以上に騒がしいとくればもう、

<うるさいぞっ!>

と、ただでさえ不機嫌な上、
アントニオの大会で不埒な結末になった翌週などは、
もうそれはそれは大変なのである。

ほとほと不機嫌なときは、小宮山大臣のようなご立派な方と
徹底的にたばこに関して議論をして
論破してやりたくなるわけである。


*****


ダモシの闘いの一つは、明日だ。9.11だ。

負けたくない。
出来る可能な範囲で、当たり前だが、頑張った。

今宵、直前追い切りをして最終調整。

模試を昨晩やってみた。
一週前と昨晩。

突破すべきは二科目。
双方とも60点を超えなければ不合格。
いずれか100点でも、もう一方が59点ならアウト。

一週前に行ったスパーリングでは
科目Aが76点で、科目Bが72点。

昨日行ったそれでは、
同じくそれぞれ85点と74点。

いずれもインプルーヴしたと共に、合格ラインは超えている。

しかしながら、だからといって本番は違う。
当然、出てくる問題も違うのだ。

正解率では、
スパーリングの一週間差では
科目Aは5問多く正解したが、科目Bは1問多く正解しただけ。

科目Bに関して、いささか気がかりな面を覚えた。

要するに一週間分の勉強で1問多く正解しただけというのは、
一週間何をしとったのか!ということになる。

勿論、勉強できる時間も限られるが、
それはエクスキューズ以外の何ものでもない。

加えて経年劣化によって、暗記力も理解力も落ちている。
吸収力も当然、下がっている。
それでも1問多く正解できるようになったのだから
良いではないかと思えなくもないが、
こんなことではダメだ



アントニオの空手なら言うだろう。

さらには毎晩、勉強していても眠い。
つい、どうしようもなく、ウトウトとなる。
途中、<ちょっと休憩だな>と己に甘えが出て、
読書してしまったりする。

ダメだな、と。集中力ないぞ、と。


だからこそ、

<ところでダモシ? そういうお前は、大丈夫なのか?>

というブログ右欄へ掲載したポスターのコピーになるのだ。

全日本選手権銀メダルで不満、ブチ切れに至るくせに、
己は四十数年生きてきて銅メダルすらない、と。
あなたがやってみなさいよ、と。

そういった中で、ではダモシ?お前はどうなのよ、と。

<練習で出来なければ、本番では出来ないぞ!>
と練習でアントニオに檄を飛ばすならば、
己自身もそうだぞ?

と。

練習=模試で80点なら、本番で60点と見た方が良いだろう。
となれば、科目Bは非常に危険だ。

もう一度今宵、最終でやるが、
そこで同じ問題で正解できないようでは、
ダモシは
<同じ問題、何回間違えたら済むのだ!>ということになる。

正直、毎日勉強するのは辛い。
早く終わりたい。

でもきっと、今回勝利したら、また別のそれにチャレンジするだろう。

そして既に決定したが、
来年は富士へワイフ&アントニオも同行しての
チャレンジもある。

宇野千代の名言
<行動することが、生きることである>は真実だ。

アントニオ猪木の名言
<人は挑戦をあきらめた時に、年老いていく>も同様。

経年劣化著しく、もはや当たり前だが、
それに歯止めは効かないダモシであっても

そういった行動とチャレンジングな所作は、
変わらずに、といったところであろう。

それがなければ、それこそアントニオに何も言えないのである。

常に、親であっても、コドモに何か言うならば、

<お前はどうなのだ?>と意識していなければならないだろう。


*****


最後に、先般のアントニオの大会から、
型ではなく組手におけるアントニオ・ブチ切れの画像を。


anton112.jpg

ケンカ・ファイトとなった試合で。
この後、顔面パンチが炸裂した。

器用に、相手に応じて楽に勝つという所作がまるでない。
常に"相手の力を3から8に引き出した上での全力ファイト"。

anton45.jpg

審判ぶち切れて両者を分けて注意を与えている時、
アントニオの顔は怒っている。

いいぞ、と。怒れ、と。
怒りを忘れたら、それこそダメだ。男なら。

anton11.jpg

ケンカ・ファイトにおける裏技も身についてきた。
相手の右を己が右手で逆にとって押さえ
己が左手は相手の道着を一瞬掴んで引き寄せておいて
右のヒザ蹴りをぶち込む怒りのアントニオ。

こういったケンカ裏技もダモシを喜ばせる。

むろん学校では手加減しているだろうが、
男の子だからケンカもする。

先般、大きなコが両手で諸手で上から両肩を押さえてきた時、
空いているボディに
アントニオはヘッドバットを叩き込んだという。

試合ならその後、すぐさまローキックをやってから
左上段を決めるだろうが、学校だから空手技はむろん使用しなかった、と。

だが上級生や不埒な輩が仕掛けてきた時は、
<やって、いいぞ>と言ってある。

<その代わり、一発で決めろ>と。

まともにやれば、
何も運動をしていないオトナ相手でも、ローキック一発で倒すだろう。

アントニオにいつまで負けないか。

ダモシ自身の経年劣化との闘いはここにもある。




posted by damoshi at 16:15| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月06日

何度でも最高の結末を



アントニオの空手イベントは常に
こぼれるほど山積みの台車か
はたまたラッシュアワーの電車が、
でこぼこ道を怒濤の勢いで押し走っているか
ジェットコースターに乗っているようなものだ。

楽勝や手抜きがなく150%全開であることと、
相手の力量に応じて闘いをスイングさせるから
どんな相手とも互角の鍔迫り合いが展開され、
スリル溢れる、スペクタキュラー・バトルになる。

単なる空手キッズではなく、
常に<魅せる要素>を意識しているがゆえ。

もしダモシ&ワイフが、"ただの父兄"ならば、
勝ち負けだけにこだわり、
<魅せる要素>は求めないだろうし、
同団体におけるアントニオに求める所作も
単なる"一人のメンバー"に過ぎないものとなるだろう。

今、アントニオは団体のトップになっている。

格闘技団体にありがちな離合集散によって、
この夏から彼は小二にして団体トップになっている。

要するに、学年ではなく実績と帯の格でトップという意味だ。

ダモシも言った。

<ただの選手じゃないぞ。皆を引っ張っていく器量になれよ>。

そこで生まれるプライドと共に、
単なる1選手ではない部分で発生するミッション。

それは、皆の面倒を見なければならないことが一つある。
型(形)を教えたり、まだ初心者から大会に出始めたばかりの
ルーキーとスパーリングの相手をしたりということが出てくる。
自分と同等あるいは学年上の選手とスパーリングすることで
自身の強さはさらに鍛えられるが、
その機会を失った一方で
"下"とのスパーリングが増えることで
己のスキルが上がらないのではないかという懸念も同時に
抱えることになるわけだ。

単なる"父兄"、単なる"1選手"であれば、
自分のことだけを<我欲>で考えて
己の便益の少ない"下"とのそれを避けて
より自分だけが強くなる為を模索するだろう。

だが、そうではない。
スポーツは、武道は、教育は、
そういう勝ち負けだけではないのである。

<団体を背負っていく器量になれよ>というのは、
こういう部分である。

その分、先般も九人掛けを行った。
いくら格下相手といっても休みなく九人と続けて
スパーリングするとなれば、相当タフさが求められる。
九人目だからといって疲れているからといって
格下に技有りや有効をとられるようではダメだ。

そのあたりのプライドも必要になる。

また一方で、
先の演武会しかりだが、団体のメインイベンターとして
他団体集まった中での大トリも見事にこなす器量。

それも求められてくる。

彼はそれをすることができる。

<You can do it>。

学年上、格上とばかりスパーリングを行ってきて
確実に彼は強くなってきたのだが、
その時代はもう終わったのである。

彼は二年生にして、そういったロール(役割)を担ったのである。
演武会の大トリも、
一年生でのニッポン代表選出も、
そういう意味では物事の流れ、タイミングといった
目に見えざる力も働いているわけである。

目に見えない力は、大会という舞台での結果にも影響する。

目に見えない何かが操作しているとしか思えないことが、
スポーツにおけるコンペティション(勝敗を争う闘い)では
どんな種目にも介在する。


*****


この時期からはシーズンの終盤戦。
<全日本選手権>が続いてくる。

三つあるうちの2つは出場権を獲得している。
もう一つはまだ、だ。

まずは昨日。そして10月には国立代々木競技場でのもの。

タフでチャレンジングな大会が続いてくるわけだから、
よけいに目に見えない力が作用する。
目に見えない力は時に自分サイドにつくが、
ほとんどが逆サイドにつく。

それもまた、アントニオのスリリングな所以である。

そして闘いはまた、
全日本クラスであれ、ローカル大会であれ、
すべてが紙一重であり、
すべて一回戦で負ける可能性もあれば
当然ながら優勝する可能性もある。

臨む全員に、その機会はある。

ただし、判定が介在する競技においては、
どんな大会にも主催者がいて、
その主催者側の選手もいることと
判定をするのは人間だからこそ
そこに必ず感情というものが入り込んでくるということが
まずは大前提になる。

ホーム&アウェイ。

これは、どんなに綺麗事を言ったとしても、
必ず存在する。

特にアウェイは、格闘技においては基本、
ディスアドバンテージになる。

そしてアントニオの出る大会はすべて、
<完全無欠のアウェイ>であることが前提である。

いわば、分かりやすくいえば"他流試合"。
すべてがアウェイでの闘いということである。

それらを踏まえての、<全日本選手権>第一弾。


*****


各流派の精鋭が集う。一般(大人)まで階級がある上に、
組手ひとつとっても
アントニオが常に出ているバチバチの"フルコンタクト"部門
だけではなく、直接打撃しない(寸止め)のノンコンタクト部門、
防具で固めた防具空手部門、
そしてグローブをつけてのグローブ部門と
主要部門すべてで行われる総決算。

もちろん、型(形)もある。

以前も掲載したように、
フルコンタクトで強い選手は<型>は苦手である。
"強く"なることに比重がほとんどだから
型にまで気も努力も回らない。

そういう意味では、
<全日本選手権>レベルで
フルコンタクトも型もダブル銀メダルをとっている実績のある
アントニオは、掛け値なしで
<パウンド・フォー・パウンド>で見れば最強ともいえるわけである。

だからこういった<全日本選手権>で各他種目が同時進行で
行われる場合、アントニオのように
フルコンタクトと型の二種目にダブルエントリーする
ということはレア・ケースである。

型のうまい選手は組手は苦手。その逆は、しかり。
だからどちらか一つに集中して臨む。

大盛況の会場は、大混乱した。

試合の進行スケジュールとアジェンダが
ことごとく現場で変更されたのである。

加えて、選手呼び出しや進行が不手際多く、
各所でトラブルが起こった昨日。

他団体のコーチ陣も激怒し、当然、親御さんたちも怒る。
実際の組み合わせではない試合が行われ、
その後、その試合は取り消され、その選手はもう一度試合をやり直し。
さらにはレア・ケースのアントニオのような
二種目出場の選手が出るそれが
異なるコートで同時進行しているから、
出られず、その選手を待っているがために
度々試合進行が停止するというトラブルが続発した。

アントニオの場合も、
まずパンフレット掲載の組手のトーナメントが操作されていた。
アントニオがいる山は
<普通にやれば決勝まで行ける可能性は相当高い>
と思われたが、

『誤植があった』という不思議な理由で、
正しいトーナメント表が配られると、
アントニオのシードが取り消されており
一回戦からのバトルとなったばかりか、
狙いの選手が別の山に移動していた。
しかも意図的に一部の選手をアントニオにぶつけてきている
ことが露骨に分かる組み合わせに変わっていた。

アウェイゆえの、ことである。

全日本選手権といっても、当然、主催者はいるわけだ。
主催者及び協力団体がいるわけだ。
それらの団体の選手への、当然ながらの身びいきは、
ないとは言っても、必ず存在する。

<うまく組み合わせ、変えたな…>とダモシはすぐに分かった。

だが、相手が誰であろうが関係ない。
一回戦からの闘いは限りなく少数なのに
そこに移行させて他の大多数より試合数を増やそうとしても、
アントニオのスタミナへの自信はある。

<そう来るなら、俺もかなりドス利かせるぞ?>
とダモシは決意した。


090411d.jpg


<うまくまた同時進行で組みやがって>。

アントニオの出る組手と型。
AコートとBコートで同時進行というアジェンダ。
ここにも意図的なものを感じずにはいられないわけだ。

<徹底的にアウェイでの闘いをしてやるぞ。
 逆にアトモスフィアを支配してやる!>

と、久しぶりに燃えたダモシ。

この日は久しぶりに館長も共に来た。

団体の顔であり"エース"のアントニオ単騎での
全日本乗り込みに強面二枚が久しぶりに揃い踏みした。

時間的に見て型が先になると読んでいた。
<型の一回戦を終えたら組手か>と。

ワイフも交えて、コートごとの進行をチェックする。

<いいか?同時進行だ。
 型、組手双方フォーカスは必要だけど、出来るな?
 こっちで型一回やったらすぐに組手になるそうだぞ>

とアントニオに示唆。頷くアントニオ。

だが、組手のコートの進行が異様に手間取っている。
型のコートも同様。
各所でトラブルが起こっている。

ワイフが情報を持ってきた。

<一年生の後は、高校生をやるみたい>。

型のアジェンダのことだ。
一年生の後にアントニオの二年生階級の型が
このコートでは行われることになっていたが、
勝手に主催者側が
<一年生の後は高校生に上がり、
 高校生から下がっていく>と変えた。

ダモシが動いた。

本部席へ歩を進め、
<小学二年生は次でしょ?高校生になるのですか?>と詰め寄る。

そうだ、と言う。
何だそれは、と。

一方で組手のコートも小学一年生の後が二年生なのに、
一年生をやったり幼児をやったり右往左往している。

情報が錯綜した後、アントニオの出番は、<組手>が先となった。

この時点で、
型に意識をフォーカスしていたことが崩れた。

コドモである。言っても。
二種目闘うのである。
アジェンダは何のためのアジェンダなのか、と。

フォーカスをまたここで変えることは容易ではない。

ところがアントニオはそれが出来る。
否、そうするしかないシチュエーションになる。
既に怒っているダモシと共に館長もいる。

<期待>が高ければ高いほど頑張るのがアントニオである。
彼はプレッシャーをプラスにする。

優勝までに勝つべき試合は5試合。

マイナーチェンジで施している中の一つで
確実に切れ味を増している見事な左上段で一回戦を制する。

<今日はいいぞ。この動きなら、決勝であの選手に勝つだろう>
とダモシは感じる。

二回戦。これが乱戦になった。

もちろん一回戦も二回戦も相手はアントニオより大きい。
アントニオより小さい相手と試合したことがない。

過去最高の乱戦。度々審判団が両者を分け、反則の旗が挙がる。
アントニオも反則をしたが、
何と相手が顔面パンチを繰り出した。

既にエキサイトして柵の中(コートのぎりぎり端)に
入っているダモシと館長。

ベースボールの白線よろしく、
最後の一線(コート内に)を超えんばかり。

<こらっ!>とドスが飛ぶ。

しかし、言う前にアントニオがぶち切れた。

(あっ、怒った!)と即時に分かるアントニオの所作。

怒りの鉄拳をアントニオもぶち込んだ上に、
審判が間に入るのも聞かずに
相手のボディにパンチを乱打する。

大興奮の会場。歓声と怒声が飛ぶ。

しばし両者に注意が与えられた後の試合再開。
激しいド突つ合いの最中、
アントニオはもうこれ完全にブチ切れているぞ?
と分かる、ものすごい三日月蹴りをみぞおちにヒットさせた。

館長が叫ぶ。<あっ!>。
ダモシが叫ぶ。<おっ!>。

明らかに効いた。しかし相手も根性がある。
ダウンせずに密着してきた。
その密着を嫌うダモシが叫ぶ。

<ヒザ入れろ!>
<ボディボディボディ!>

次の瞬間、相手が苦し紛れにまた顔面パンチを繰り出した。
揺れるアントニオの頭部。

ダモシ、ブチ切れ寸前でコート内に足を一歩踏み出し
<ほれまたっ!こらっ!ダーティだぞっ!>
と叫ぶと、館長がダモシの右腕上腕を引っ張り制止。

しかしながらアントニオ、怒りの鉄拳報復。
さらにまたボディをボコボコ打っている。

大荒れの展開の中、審判、激怒。
叫びながら両者を引き離し、相手に"注意"を超えた警告と
反則減点をとることを宣言。


と同時に、試合終了のゴングが鳴った。

判定だ。

ダモシの真横には副審が座っている。

ダモシがあからさまに言った。

<ダーティだな、ダーティ。ダメだぞ、あんなので勝っては>。

判定は4-0でアントニオの勝利。
技の精度、スピード、切れ、いずれも当然
アントニオだが、エキサイトした乱戦ゆえ
見逃すと判定を誤る危険性があるが、
誰がどう見てもというストレート勝ち。

凱旋するアントニオを迎えたダモシは冷静になり、
<相手に挨拶だけ行ってこい>と言ったが、
挨拶に行ったアントニオの先に
相手がいない状況や、
アントニオ一人で行かせて何かトラブルがあった場合を
懸念して(この後も試合は続くため)、ダモシも歩み寄り、

<もういい。いないんだから、いい。放っておけ!>
とアントニオを己がそばに呼び戻した。

<ふざけた相手だな、おい。ぶっつぶせ!>と
アントニオに叫ぶダモシ。

しかし、アントニオの目が空ろになっていた。
意識も呆然としているようだった。

(今の乱戦で疲れたか?)とダモシはこの時点で感じた。

休憩なしで準々決勝。

ほとんど攻め続けたアントニオ。
しかしながら後半、相手の道着を掴み、
それが厳しい判定で反則警告減点をとられてしまった。

<マズいぞ、これは>。

相手に技はない。
あとはアントニオがいつ技有りの左上段あるいは秘技を決めるか。

刻々と試合終了時間は迫る。

攻め続け大技を連発するアントニオだが、
疲れなのか脚が上がらなくなってきた。

<がんばれ!決めろっ!>。

左上段も秘技も終了間際、一発ずつノーガードの相手に決めたが、
強度が弱く技有りをとってもらえず、試合終了のゴング。

例の、
"攻め続けない方が勝つじゃん"的試合。
攻め続けバチバチやったがゆえの反則減点により
ポイントで負けるパターン。

ダモシ軍の戦略は、
<適度に攻めて、ポイントをとって後は逃げる>ことで
勝利を得るのではなく、
<バチバチやり合って、反則減点をとられても、
 一発KOか技有り、有効をとって勝つ>というものがゆえの

この試合パターン。

減点がなければ、手数や動きでの判定では勝っているのだが、
明らかなる減点がゆえ、審判全員相手に挙げる以外、
選択肢がない。

判定負けでベスト8で姿を消した。

ダモシも館長もアントニオを叱らなかった。

ただ、
<厳しいことを言えば準々決勝の動きは、
 疲れからか、キレが少し足りなかった>という
共通の見解を示した。

が、これには後で知ったが、ワケがあった。

逆にそれを知って、よくぞ一回戦負けしなかったな
とリアルに感じた。

一回戦開始直前、アントニオは持病の激しい頭痛に見舞われていた。
ワイフには告げていたようだが、
もう試合直前である。
<何とか頑張れ>とワイフも励ましたという。

アントニオのヘディクは苛烈である。
何度も深夜含めて狂ったように泣き叫び
救急病院へ連れていった。

ヘディクは、病気である。今や、ヘディク専門の医療があるくらいだ。

心理カウンセラーのワイフは述べる。

<アントニオはきちっきちっとしていて、
 アジェンダ通りにいかないことがストレスになるタイプだ。
 だからいつも試合は何時頃?とか聞いてくるでしょ。
 スケジュール通りにきちんと進まないことが
 ものすごくストレスになるのよ。
 今日、酷いでしょ、進行。
 型を最初にやるのだということで気持ちを持って行って
 いたところで、このクソ暑い中でずっと待たされて。
 で、急に組手でしょ。
 だいたい頭痛が起こる時はストレスを感じた時だから>。

『条件は皆、一緒』と言うが、実際、違う。

人にはそれぞれスタイルや性格がある。

何のための進行予定表なのか、と。

甲子園の高校野球でも第何日目の第何試合と
アジェンダで決められ、
それに沿って皆、マインドを持っていく。アジャストする。

それがすべてその場で変えられ、狂うのだ。

しかも二種目出るわけだ。
同じコートにいる組手の選手は組手集中だ。

『強い者はどんな条件でも強い』というが、
スポーツにおける機微はそう単純なものではない。

倒れて泣き叫ぶほどになるアントニオのヘディク。
それなのに、
その状態であれだけのバトルをしたわけだ。

<準々決勝はキレが落ちていた>と語るダモシに
ワイフは冷静に反論したのは、
そういうことからだったのだ。

<彼はスタミナは負けないよ。
 頭痛じゃなきゃ、勝ってるよ>。

その通りだと思った。

ダモシは、シンプルに、アントニオが可哀想だと思った。
同時に、凄い男だな、と思った。

至急、控え室に退避し、頭痛薬を飲ませて横にならせた。
試合に負けたことと、ヘディクの苦しさから
号泣しているアントニオ。

本当に、スーパー・ベストな状態で試合に臨むことが出来る
ことは、稀なのである。

毎回、何かある。

人生、思うようにいかないのが、ほとんどである。

しばらくの時間を経て、
ようやく落ち着いてきたかな?と感じられたとき、
ダモシは声がけした。

<外に行ってキャッチボールして遊ぼうか>。

アントニオは笑顔を取り戻して、<うん!>と答えた。

男同士の親子のキャッチボール。
NY時代から連綿と行っている行為である。
キャッチボールが主題ではない。
キャッチボールを通して語り合うのだ。

キャッチボールというのは、矜持が多くある。

<さあ、もうすぐだろう。組手の悔しさ、全部ぶつけろ>

とアントニオの背中を押した。

今回、特に型は必勝態勢を敷いていた。

<優勝する>という演武種目選定のプログラムを立て、
その演武をすべて完璧にマスターした。

演武会で大トリを努めた十八番技"SEC"から、
まず二年生のコドモでは出来ない大技"SL"まで三種類。

明らかに勝ちと思われる中でも、
なぜか相手に旗を挙げる審判がいる。

ここが、アウェイの難しさである。

まったくもって、
技の難易度の格差もある上、
その完成度も誰が見てもという世界にも関わらず、
相手に挙げる人がいる。

ダモシは毎回、諸手を挙げて欧米人ポスチャーで
不平と疑問を示す。

館長も怒る。

<ナメとんのか。型わかってないんじゃないのか?あの審判>。

<技と完成度の格が違うだろうが>とダモシも怒る。

090411A.JPG

絶対的な自信を持っている技。


目論見通り、決勝へ。

相手が型の名称を述べる。
その瞬間、ダモシは<よし勝った>と感じた。

決勝戦で繰り出すアントニオのそれは、
まず誰もやらない大人の難易度最高峰クラスの技だ。

館長、ワイフ、ダモシそれぞれ違う場所で見ていた。
リスクヘッジである。
おかしな判定があった場合に備えてだ。

館長がいた場所にも多くの観客がいたが、
アントニオが型の名称を言った途端、
ざわめいたという。

<二年生がアレをやるの?>と。

ちなみに
相手がやる技は初級的な型である上、
その選手はその技しかこの大会やっていない。

アントニオはすべて繰り出す技を変えて見せている。

型のトーナメントというものは、
同じ型しかやらないよりは
難易度の高い技を多彩に繰り出す方が良い。
且つ、ちょっとのミスよりも
全体的な難易度や気合、動き、キレなど総合的に判断される。

要するに、この一つの決勝戦だけでの、
単に技種類に関係なく
どちらが完成度が高いか(どちらがミスを一つもしないか)
だけが判定基準にはならない。

コートの周りにはアントニオのことを知っている
他団体のコドモたちからコーチ、親御さんまでが座り、
一回戦から注視している。

皆、過去、アントニオに敗れている。
アントニオが絶対的な本命であった。

もう演武途中からダモシは勝利を確信。
技の難易度も高ければ、演武時間も長い。
相手より数分も遅く、締めもビシッと決めてフィニッシュ。

<勝ったな>と館長は判定を見る前に歩き出す。
観客の誰もがアントニオの勝利を疑わなかった。
ダモシはもとより。

が、判定は何と1-2。二人、相手に挙げて、アントニオの負け。

その瞬間だ。
他団体の子供たちが一斉に声を挙げる。

<えーっ!?>

<あっ?負けたっ!>

ダモシは旗が挙がった瞬間、上体を大いにのけぞらせ、
過去最大級の諸手広げと顔の表情と
<WHAT!?><WHY!?>と叫ぶ欧米風アピールを
観客席側へ向けた。

目が合った他団体の親も歩調を合わせて首を傾げ、
諸手を広げる。

館長も口を尖らせながら呆然としている。

近寄ってきた他団体の親御さんに
<これで勝たないんだったら勝つ方法ないよ?>と言うと
頷く親御さんたち。

まったく理解不能な判定。

ダモシと館長も集まり、話し合う。

コート上では、アントニオに旗を挙げた副審男性が、
主審に詰め寄っている。
主審は何やらアクションをもって説明している。

それを見ていると、
ワイフがコートに乱入して主審と副審に詰め寄っていく。

<あっ>。館長とダモシはそれを見た。

ダモシも動いた。

周囲を観客が取り囲む中、コートの真ん中に
ダモシ、ワイフ、アントニオ、主審、副審の一人が集まった。

異例の光景である。

まさに、組手から続くスペクタキュラー・ムーヴィー。

まさに第一回WBCでの米のズルに対して抗議に向かった
王監督のような世界で、
人差し指を振りながら、
いかにも激怒しているぞ顔のダモシが静かに
歩を進めて審判団に近づいていったから、
すべての視線が集まった。

これから繰り広げられる
こういった試合場では未知のシーンに誰もが固唾を飲み
静まり返った。

<まったく、一つも、納得のいく判定ではない。
 なぜこちらが負けなのか、説明が欲しい>

ダモシは冷静に言った。

完全に主審は焦っていた。

あろうことか、
アントニオが演武した技の
あるパートの技を<五回やるところを三回しかやらなかった>
から、その部分が減点であり、
相手は完璧にやったからその差であると告げた。

完全に焦った回答である。

型の判定基準は、間違えたか間違えていないかだけではない。
前述した通り
難易度や気合、スピード、切れ、緩急、
そしてラインナップ(一つの技だけではなく多彩な技を
トーナメントで見せてきたか)等の総合的判断である。

<間違ったか間違わなかったか>だけが判定基準である
と言ってしまったのである。

これは詰め寄られて焦ったがゆえの回答であるから、
これ以上重箱の隅はつつかないが、
完全にミスである。

さらに館長含めて主審以外の関係者に問いつめたが、
<三回が間違いということはあり得ない>
<どちらが正しくてどちらが間違いということはあり得ない>
と回答した。

主審のミスが一つ。

そしてもう一つだが、副審にもう一人女性がいたのだが、
一回戦からずっとアントニオの相手側に旗を挙げていた。
毎回そうだから館長と共にあからさまに指差し怒りを表明していた。

すると途中からその女性副審は顔がひきつり、
汗が吹き出て、何度もハンカチで汗を吹いていた。

途中からもう、完全にこの女性は意図的だな
ということが分かった。

調べればすぐに分かるのだが、
ちなみに主審は、
決勝戦の相手選手の団体の長であった。

<なるほどね。だから相手に旗を挙げたのね>

ということが、分かるわけだ。

これが五輪や世界選手権であれば、ただでは済まさないだろう。
正式なゼネラルパブリックの度合いが高い
五輪等であれば、正式な文書をもって抗議するレベルの誤審、
否、意図的なズルとなる。

こうして、言ってしまえば、またもやズルされて、
優勝を逃してしまったのであると言われても
仕方がないだろう。

これがズルでないという説明が成り立たないからだ。

間違いを犯してもいない。精度、完成度も高い。
ほぼパーフェクトである。
しかも、誰も出来ない大技を異なる二つも見せている。

ラインナップとした三つとも、誰もやらなかった。
それほど難易度の高いものである。

館長は、女性副審を指して
<彼女は〇段だろ。型、知らないんじゃないのか?>と怒った。

おそらく、そうだろう。
アントニオが行った型は出来ないだろう。
そして出来ないがゆえに、分からないのだ。ポイントが。

主審は言った。

<〇〇君は本当に上手いです。知っています>と。

他の大会でも見ているのだろう。
もはやアントニオの型は知る人ぞ知るである。

ダモシは言った。

<でもね、正当に勝ってこそ、だから>と。

イコール、正当にオトナが判定しなければダメだよ、と。
政治力や都合で旗を挙げるなよ、と。

シンプルに言えば、

相手に旗が二本挙がり、アントニオが一本だった瞬間は、
リアルに<びっくり>した。

押し問答は続いたが、残念ながら判定というものは、覆らない。
ダモシ軍もそれを覆そうだの、単に怒って抗議しているわけではない。
<明快な理由><納得のいく説明>を求めたわけだ。

だが残念ながら納得はいくことのない結末となった。

ここまでくればNFLなどのように
ビデオ判定の"チャレンジ"制度などを導入しない限り、
いつまで経っても、ホームタウン・ディシジョンは続くだろう。

<今度からやる前に審判団に聞くか。
 このパートはこれを何回やるのが正しいのか?と>

とダモシは皮肉たっぷりに言った。

教えた館長としても己が教えが間違っている
と言われたようなものであり、
納得がいかなかったようで自身も他の関係者に問うていた。

人によって言うことが違うのは、どういうことか。

<間違いではない>と言った人が主審だったならば、
判定は違っているわけである。

こんなことでは、まともな判定など
到底、望むことはできないということになる。

一生懸命やっているコドモのやる気を削ぐような
オトナの所作がまたこうして存在していることを
由々しきことと思う。

と同時に、

アントニオはそこまでの選手なのだ、ということである。

組手でも型でも、もう警戒されて警戒されて、しょうがないのである。

すべてがアウェイでの闘いであるがゆえ、
当然相手側は作為策謀の限りを尽くして迎え撃つ。

それをどう力で凌駕するか。有無を言わせぬ徹底的勝利をあげるか。

これは大変、厳しい要求ではあるが、
そういうレベルだということで、
可能な限りの努力をその部分にも施していかなければならない。

表彰式でも、これまでで最も怒り、悔しさを全面に出した
アントニオが、いた。

本人が悔しいと感じられれば、それが最もプラスである。
本人が何も感じなければ進歩もない。

<絶対に負けない>という絶対的な自信を持って臨み、
自身は最高のパフォーマンスをしたのは事実である。

こういった、人が何かの思惑をもって施す判定に、
いつまでも縛られてはいけない。

ダモシは翌日の今宵も終日、不機嫌で、
たいへん危険な状態だったが、
自分自身で矛先を収めるより術はない。

皆、悔しい想いをした。

何度悔しい想いをしても、何度でも立ち向かうのみである。

ニュートラルに見ていて、
<なぜ、あのレベルで?>と思える選手が
ちょろっと優勝してしまうケースが往々にしてある。

アントニオの場合、それがない。
毎回、全力疾走で、毎回、悔しい想いをして、
それこそ毎度記載するように
100回悪いことがあって、1回だけ幸福がある。
恋の一時間は孤独の千年の世界である。

この違い、不公平では?と怒るダモシに
ワイフはまた言った。

<彼には神様が試練を与えているのだよ。
 何てことない大会に出て簡単に勝ってしまう子もいるけど、
 彼には絶対に勝たせない。
 頑張れ,と。試練を与えて、後々、それがプラスになるよう
 仕組まれているのだよ。
 これで楽な大会だと思われる大会に出てみ?
 そうだとしても必ず何かがあって、
 簡単には勝たせてくれないから>

と。

なるほど、と。

大きな七歳ダモシも、勉強になった。

館長も、毎回、アントニオの試合は疲れるようだ。
ダモシも、ヘトヘトになる。

トップレベルのニッポン代表同士の試合では
とてつもなくレベルの高い攻防を繰り広げ、
そこまではまた至っていない相手との試合でも
紙一重のぎりぎりの鍔迫り合いをする。

たいていトップレベルの選手は、ベスト8くらいまでは
楽勝で進んだりするのだが、
アントニオの場合、それがない。

まるで昔の競馬のシンザンのようである。

強いのに、あれっ?というレースで負け、
勝つときも
シンボリルドルフやディープインパクト的に圧勝
ということがなく、ぎりぎりで勝つ。

まさに競馬のサラブレッドに喩えれば、
アントニオは<シンザン>であるといえよう。

馬車馬的な奮闘ぶりは、さながらオグリキャップ。

そして格闘技でいえばアントニオ猪木。
やられてやられて
相手の技を受けて、相手の技量に応じて
相手の良さを引き出した上で勝つ。
決して、圧勝しない。
相手とスイングすることが大前提。

このあたりに、彼の<魅せる要素>がある。

ベイビー時代からダモシが常に言っていた
<魅せる要素が重要だぞ?>という教えが
完全に三つ子の魂で浸透している証拠といえるだろう。

そして、彼特有のケンカ・ファイト。
二回戦での乱戦で勝ち切る気の強さと
喧嘩殺法が自然に出る部分。

気の強さはワイフの血を、
喧嘩殺法はダモシとの個別特訓で得た技を、
それぞれ己のモノとしている証明。

<逃げる奴は一瞬道着を掴んで引き寄せてパンチしろ>

という、マジメな向きが見れば眉をひそめるであろう
ダモシ直伝の作法も幼児年中から教えていたものが
既に幼児年長時から自分のモノとしているだけで、

<ダディが教えてくれた>という部分で、
彼は否定しないし、ダモシも否定しない。

仮にそれが行き過ぎて反則をとられたならば、
一本決めれば良いのだよ、というスタンスだから
しょうがないのである。

そもそもが、ある意味で所属は違うが、
根本的には極真スタイルに最も近いといえるわけで、
出発点だった団体のルール
(逃げ回っても、ちょこんとお腹に入れたらポイントで
 勝ってしまう)の頃から、常に前へ前へという
彼の性格的なスタイルの問題も肯定できることである。

男のくせに逃げ回るより、アグレッシブにファイトする方が
よっぽど良いということと、
細かいことは気にしないというダモシ・イズムである。


<悪いことばかり教えないでよ?>と母親的には
ワイフも笑って言うが、
彼女もまたそういう意味ではストロング・スタイルゆえ、
内心喜んでいるのだ。

特に二回戦での喧嘩ファイトを指して
<ダディが喜んじゃうからね、ああいう試合は>となる。

何だかんだ大いに喜んでいるダモシがいたのは事実だ。

<ぶっつぶせ!>と。

なんちゅう親や、と。
そういう世界でもあろう。そういう向きの人種からすれば。

ただ、<やられたら、やりかえせ>がダモシ国元来の基本中の基本。

しっかりとアントニオが直系遺伝子として
受け継いでいることを嬉しく思うことで、
今回のまたもや不納得の判定にケリをつけるわけである。

なによりも本人が、
型の判定に悔しいと感じて怒りを発露させたこと。
そして喧嘩ファイトで負けなかったこと。

さらには、翌日の今宵、
彼は気分良く学校へ行き、
青山の事務所へもヒップホップのレッスンにも
大喜びで行って元気に帰ってきて
すやすやと眠っていることが、

最大の幸福であることはいうまでもないのである。

ダモシは言った。

<いいか?勝ち負けがすべてじゃない。
 だが、闘いがある限り、勝利を目指すのだ。
 富士山に頂上があり、
 五合目を目指すバカはいない。頂上を目指すのだ>

アントニオは、笑って頷いた。

こんな話をベイビー時代から聞いているので、
彼も彼自身で流す部分と真摯に聞く部分を
もうそろそろ使い分けていることだろう。

本人に響く言葉が、100のうち1でもあれば、それで良いのである。


090411B.JPG

正当な判定はダモシが下してあげて認めてあげる。

<一位だ。一位のところに乗っていいぞ>と怒りのダモシに
促されて表彰台の一位に立つ。

審判団は忌憚なく、真摯に今回の件を反省すべきである。
反省せずとも、少しは顧みるべきである。
さもなくば、全体的に進歩はない。

090411C.JPG

表彰者の撮影ブースで。

金メダルというものは、遠いものである。

もとよりスポーツは、
すべての構成要素がすべて折り重なった時でしか
結果として最高のものには至らない。

構成要素とは、
そこにいる人々個々を取り巻く感情や思想、
時間帯、天候、匂い、会場の音、色、体調、組み合わせ、
開始時間などなどと共に
いつも書くように、
アトモスフィアやモメンタムなどが含まれる。

突然の変更その他があり、
度々アトモスフィアとモメンタムを途切れさせられながらも
組手、型と流れてきた中で、
型全体を取り巻くアトモスフィアとモメンタムは最高にまで
逆転させていたのだが、最後の最後で人的感情操作が・・・


090411E.JPG

それでも、立派な銀メダルである。

全日本選手権で、
組手ベスト8/型準優勝は、褒め讃えてしかるべき。

ぶつぶつ言うダモシを
ウルトラの母はメールで叱った。

<あなたがやってみなさいよ!>。

ワイフもダモシを叱った。

<銀だって凄い、一握りの子しか貰えないのよ。
 自分なんか40何年生きてきて
 一つもないでしょ!>。

いずれも、さようでございます。
銅すら、ありません。

大きな七歳ダモシは、
ぶつぶつ言いながらも今宵、早速
"ただの父兄"、"バカ親"に化身し、
オフィシャル事案からの帰路、
昨日の写真をプリントしてきた上に
店員に<どうよ、カッコいいでしょ?>と
聞かれてもいないのに述べ、
さらにはアントニオに好きな雑誌を買ってきた。

<頭が痛かったのに、
 そんなことは俺には言わず、
 泣きごとひとつ言わずに
 組手を頑張って闘ったご褒美だ>

と言って帰宅してすぐ、<ほれ>と手渡した。


何度でも、何度でも、最高の結末を目指しましょう。

高い山で苦しむ方が、長期的には大いなるプラスである。

今週のウィークエンドは
今度はダモシも国家試験との闘いである。
お前は大丈夫なのか?と。
自分はださださで惨敗するのでは?と。
もう一人のダモシが語りかけ、今、ニヤニヤと笑っている。

ウルトラの父がいたら、何と言うだろうなぁ・・・と。
まだまだ色々と教えられたかったなぁ・・・と
思うにつけ、

現在父親が存命の人には切に言いたい。
父親の矜持には、きちんと耳を傾けてよ、と。

ただ、ウルトラの父の仕業という説もある。

大会前に自宅を出る時、
毎回ではないが、
ウルトラの父に<頼むよ>とお祈りするのだが、
それで最高の結末になったためしがないのだ。

そのうち<いいかげん、頼むよ?>という祈りになってしまった。

ウルトラの父が己が直系遺伝子であるダモシの願いを
聞き入れてくれて、孫の最高の結末を導くときは、
いつなのか。




posted by damoshi at 01:26| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月02日

from NY


今週もようやくウィークデイが終わった。
ウィークデイ=ビジネスデイ。

疲労感でいっぱいである。

振り返ってみる。

打合せをした人の数は、延べではなく、
実数(すべて別人カウント)で23人。
一回平均90分だから相当ボリュームとなる。
先週に引き続いてのタフなウィークである。
来週もそうなるだろう。

移動だけでも疲れる。
重い荷物を持っていることはもとより、
駅の階段上り下り、混雑している電車での移動、

さらには最大の問題が
<過度な節電>のおかげで、どこもかしこも暑いこと。
ひんやりと涼む空間が一つもないことで
身体的な一瞬でも良いブレイクが皆無となるから、
さらなる疲弊を生むわけだ。

脚全体にずっしりと疲労のダメージが滲み出て痛み、
持病のヘディクがガンガン頭を痛め、
睡眠不足から来る慢性的な睡魔。

Mtgの合間に30分でも時間的ブラックホールが出来れば、
すぐにレストルームに駆け込み
便座に座り目を閉じれば熟睡。
頭がカクッとなって目覚めればアポイントメント・タイム。

といった世界である。

要するに、帰宅してもブレイクがないわけだ。
アントニオが眠るまでの間、アテンションが必要になり、
急いでバスタイムに食事にアテンションに、
それが終われば自室デスクで仕事に国家試験の勉強に、
自身のオフィシャル事案用ウェブサイトのリニューアル作業に、
と、普通に時間は追いついてくることが出来ずに
あっという間に3AM-4AMになる。

<一瞬でも休みがないのだよ。これは完全にダメだ。
 完全に今、疲弊している・・・>と愚痴るダモシ。

とにかく睡眠不足は、ニューヨーク時代からのルーティンだが、
基本、3-4時間睡眠の中、ウィークエンドにまかり間違って
6時間でも眠ってしまうと、目覚めた瞬間にもう激しいヘディク。
最悪とは、このことを言うのだろう。

少し眠ればすぐ頭痛。米の最強ドラッグ"アドヴィル"なき今、
弱々しい薬しかないニッポンでは"バファリン"になるが、
これがダモシにはまったくといって良いほど効き目がない。
米の強い薬でなければ効かない身体に米暮らしの中で
なってしまったのだろう。

外でのランチも、ダモシにはまったくボリューム的にあり得ないほど
少なく、足りない。

それこそワイフの料理なら、パスタ(スパゲッティ)一つとっても
日本人成人男性の平均で見ても
気狂い的に<三人前>ともいえるボリュームを皿に盛る。

で、<もう食べないの?>と来る。

スタンダードが、ダモシ家の場合、米になっているわけだ。
サイズが。

そんなだから、この、ちっぽけなニッポンに満たされるわけがない。
街も乗り物もちっぽけだから、よけいにダモシは疲労するわけだ。

<もうちょっと、電車の一人分の座席も、
 そもそもの電車のサイズも何とかならんのか?>
というのが、本音である。

狭すぎるのだ。

だから、"あんなふうに"毎朝毎朝、意味のない満員電車になるのだ。
そもそも女性専用車両なんぞ、
混雑する時間帯に設けるなよ,と。
逆だろうよ、と。
昔から女性専用車両には大いなる違和感と不納得を覚えているわけである。
以前も書いたが、女性専用車両に乗っているオンナは、
言ってしまうが、たいていブ〇である。そして、たいていブスッとしている。
それを見るたびに、
彼女らなんぞに特権的待遇を与える必要はどこにもないぞ?
と思うわけである。
何を優越感に浸っとるのじゃ、と。

イイ女に属するオンナは、たいてい女性専用車両には乗っていない。
普通に、男、子供などと共に普通車両に乗っているものである。
まあ、そうはいっても、ニッポンは年々、イイ女が減っているが。
(男は既にとっくのとうに、ダモシを除いてイイ男はほぼ絶滅しているが)。


そして、ブレイクがない間断ないデイズの連鎖。
これが疲労を消すことができない最大の要因なのだが、
ウィークエンドとて
今週も明日は大会総仕上げで道場での稽古と、別途自宅でも行う。
そして明後日は大会で一日がかり。
で、週明ければまたずっとオフィシャル事案。
ウィークエンドも来週は来週で今度はダモシの闘いで国家試験。
再来週のウィークエンドもまた空手の大会・・・。

ウィークデイが朝から翌日未明までフルフルに加え、
ウィークエンドもこれである。
自分が選択しているには違いないが、愚痴りたくなる。

毎度毎度だが、
映画もドラマも音楽も小説もまったく触れることが出来ない。
そして酒を呑みに行こうぜと、呑みに行くことはまったく出来ない。
そういう世界である。
レストルームの便座に座る数分、電車内で眠るまでの最初の数分、
一人で入ることができる時のバスタイムの十数分。
これだけだ。これだけが本を読むことができる時間だ。

オフィシャル事案だけデイタイムに行い、
夜は酒を呑みに行き、帰ってきたら寝るだけ
という毎日の過ごし方が、そもそも拒否しているから、
自業自得といえようが、それにしても、too muchもO.D.も
既に超えてしまっている状態は、
さすがに、そろそろこれ身体持たんよ、と。

そう感じられるところでも、ある。

貧乏性なのだろう。何かチャレンジングがないと気が済まないのだろう。

カウチに座ってボーッとしたり、ビーチでボーッとして過ごす
というスタイルは相容れないのだろう。
だから、"しょうがない"。

ただ、ウィークデイをフルに緊張感のストロングスタイルの中で、
ウィークエンドもこれまた格闘技の闘いという世界で
緊張感フルフルのストロングスタイルの中で、
という<オールウェイズ緊張感>で痺れているということ自体は、
本当は、脳梗塞や心筋梗塞という危険をもたらすから要注意だ。

突然、死ぬということも大いにあり得るスタイルだ。

心身という面では、リラックス・タイムというものを
無理にでも設けなければ、このままのスタイルだけで齢を重ねていけば、
可能性的には突然死も高いと想定されるだろう。

慢性的なヘディクは、その予兆とも考えることができるわけだ。

想定は、意味のないもの。
これは大震災でも学んだことだろう。
もとより、9.11で既に。

<想定>という日本人が好きな言葉は、もはや意味はなさない。
想定外が起こること自体、想定している意味がないからだ。

突然死はもはや想定外ではなく想定内。
だから、それ以上のことが起こるのが、現代であるからして、
突然死よりも酷いことや死とは結びつかないにせよそれに類することもまた
想定しておかなければならないわけだ。

<発狂>、等々。


*****


さて、そんな中、今宵のランチタイムで後輩と逢った。
米帰りである。

依頼していたNYモノやお土産の受け渡しが主目的である。

愛するニューヨークは、間もなく9.11から1ディケードを迎える。
当欄右窓にも新たにバナーを設けた。
これは現在リニューアル作成中のウェブサイトのオープン目玉コンテンツである。

<あれから10年>。

ここ数日、ワイフと限られた時間で語り合う素材が、9.11である。
二人の間にしか存在しない通奏低音である。
ブラックアウトしかり、アントニオ誕生しかり、
すべてが苛烈に大変だった米時代の、闘いを通して構築された
男と女を超えた戦闘の同志的関係性の基盤にあるものの代表格が、
9.11である。

それこそ一つ一つのディテールを含めれば語り尽くせぬ
ストーリーが、ダモシ&ワイフの二人にもある。
当時、ニューヨークにいてリアルに体験していた者すべてがそうだろう。

9.11とブラックアウト、そしてアントニオの出産にまつわる闘い。
これらの三大エポックと、
米マイナーリーグでの始球式実現その他もろもろの
ニッポンにいたらまずあり得ないエポックの数々があってこそ、

ニューヨークとの<愛人>関係も成立したわけである。

それらがなく、平和で、そしてただ漫然と過ごしているわけでは、
<良い街だった>で終わるだろう。

何はあってもダモシ&ワイフの中で、
ニューヨーク以上の場所はない。断定できる。
それほど凄かったのである。ニューヨークは。
そしてダモシ&ワイフも120%すべて本気で闘った。

もう、ある意味で、今は<しょうがない>のである。
ニッポンという舞台にあることでの
<しょうがない>場であってもなお
それでも<一応>本気で生きているが、
苛烈なる刺激やスーパー本気にならなければダメだという
レベルには到底至らないのは、これまたもう<しょうがない>。

善くも悪くも<しょうがない>という世界観の中で、
ニッポンは存在しているのである。

悲しいかな、母国がこのレベルということは残念でならないが、
これもまた<しょうがない>。

ダモシ自身が総理大臣にならない限り、変わらない。
これは断定的にダモシは感じている。
誰がやっても無理だ,と。風土だ、と。
この国のこの風土はもう無理だ,と。

だからそのあきらめと<しょうがない>という中で、
いかにやるか、いかに闘うか、いかに己を捨てないかが
大切になってくるということなのである。

これまだ<怒り>があるうちは良いが、
本気でもうこれニッポンに対して<あきらめ>100%になれば、
己はここにはいられなくなる。

その分水嶺の見極めと、一方で、方法論としての<しょうがない>を
うまく使い分けながら、それでも己のチャレンジングは続けなければならない。

アントニオが小学五年生になったら
<旅でまずニューヨークに行くぞ。連れていく>と決めている。
その学年でこそ連れていくには、れっきと理由がある。

善くも悪くも様々な意味で、

<辛抱辛抱、しょうがないしょうがない、
 発狂しないように発狂しないように>

である。

<我慢>が出来ない性質の人間のため、<辛抱、辛抱>である。

多くの日本人は、
今回の大震災を受けての被災者の所作を見て
日本人は素晴しいとポジティヴな評価をしているが、
ダモシは逆である。
そうは感じられなかったのである。

ここがもう、考え方の違いの顕著な部分で、
おそらく多数決で何かを計った場合、
おそらくダモシは大多数の日本人と考え方や価値観が異なるだろう。
善し悪しではなく、致命的なほどの違いを感じることが
日常的にある。

所作や行動様式を見ても,同様。
<なぜこういう選択をするのだろう>
<なぜこういう所作をするのだろう>という
ピュアな疑問を日本人に感じることが多い。

だから、ダモシはガイジンとしてこの国で生きている。

ガイジン目線で見れば怒りも沸かなくなる。
これが一つの方法論なのである。

<へぇ、日本人ってこうなのね。変なの>と。
そう思えば済む。
単一及び同一民族としての視点で見るから
違いに対して怒りや疑問が沸く。

日本人の多くが、やや異なる行動をとる者を否定する。
それは同じ民族なのになぜ異なる選択や行動をとるのかが
許容できないからだ。

そこで、ガイジンになれば良いのだ。

へぇ、こんなに違いのね。面白いね、と。

逆に言えば,ここまで対ニッポンにおいては、
残念ながら来てしまっているということである。

語り出すとキリがないテーマである。
ニューヨークについて語り出すと、愛や笑いになる。
ニッポンについて語り出すと、怒りで充満してしまう。
困ったものである。

ただし、まだ怒りが残っているのは救いである。

キリがないし、他のやるべきことへの時間がまた
追いついてこなくなるため、先に進みたい。

後輩からのグッズである。

涙モノである。

I Love NYだから、もうたまらないのである。

そして、<いいなぁ、やっぱりNYは>と。


090211a.jpg

服やバッグ。
アバクロは残念ながらニッポンに来てしまったが、
Aeropostaleはまだ来ていない。
来なくて、いい。何でもかんでもニッポンで手に入るから、
ニッポンはダメになったのである。

ダモシTとアントニオT&ポロ、ワイフにバッグ。

090211b.jpg

ダモシ国がリアルに認めたプロスポーツ選手は、
アントニオ猪木やモハメド・アリなど数少ない。
その中の一人がデレク・ジーター。

ジーターのプライムタイムとダモシ軍のNY時代はぴったり重なるから、
いまトワイライトに入っているジーターが今年
3,000本安打を達成したことはひと際感慨深いのである。
3,000本安打記念Tはアントニオ用。

090211d.jpg

より巨大なパッケージになっていたワセリン。
NY時代に愛用していたもので、これでなければダメなのだ。
毎回、買ってきてもらう定番である。
ヘディクには"アドヴィル"、ワセリンはこの米のVaselineが
ダモシ国認定の銘柄である。

アントニオのベイビー時代から必須のアイテムだ。


090211e.jpg

こちらもダモシ国認定の最強チップス、"ブルーチップス"。
これもまたワセリン同様にモデルチェンジしていた。

デザイン面でこの1-2年でモデルチェンジの時期なのか。

090211c.jpg

ダモシが大ファンだったニューヨークタイムズ日曜版。
これもまた感涙モノである。
定期的に手にしないと、心が枯渇してしまう。


090211f.jpg

今年のメインがこれだ。
ダモシたってのリクエストは、<9.11>絡みのグッズである。
1ディケードを迎える今年、これにまつわるグッズが多く出るだろう
という"想定"のもと、後輩に依頼した。

カップ、そしてツインタワーのミニ・オブジェその他。

さらには部屋に陳列するために、
己が撮ったニューヨーク写真以外に
定番のお土産物屋さんで売っているニューヨークの写真の
ポストカード群。

リビングルームは、アントニオの空手関係等で占拠。
ニューヨーク・コーナーは廊下の壁一面を支配。

そのニューヨーク・コーナーを、9.11の10周年を機に
さらにきれいに充実させたいということから
リクエストしたわけだ。

ミニオブジェもこれで自由の女神、エンパイアと共に
ワールド・トレードセンターが揃った。

ピュアに、<とっても>嬉しかった今宵である。



*****


最後に、後輩から驚くべき情報を得た。

何と、
あの、世界最悪のNY地下鉄が、少々改善されたようなのである。

彼曰く、

<メジャーな駅だけでしたが、
 あと何分で地下鉄が来るというのを
 ホームでアナウンスするようになったのですよ>。

爆笑した。

ダモシの<NYの笑体>で多くのスペースを割いて揶揄した
世界最悪の公共交通機関であるニューヨーク地下鉄。

時刻表がなく(実際にはあるが掲示されていない上、
ほぼ100%時刻表通りには運行していなかったことが
当時調べて分かった)、待てども待てども来ない、
走っていると突然急行に化身して駅をすっ飛ばす、
運転手が突然ドアを開けて
<これって急行だっけ?各駅だっけ?>とダモシに問う
等々、百花繚乱の異次元ストーリーが満載だったわけだが、

その地下鉄で、次の来るそれがあと何分後なのかを、
アナウンスするようになったというのである。

<やっと気づいたのでしょうかね。
 少しずつ進化しているのは確かですよ>と後輩。

ダモシは言った。

<そのうち、日本みたいに、
 ホームに電光掲示板があって、
 次の電車が今どこを走っているかを示したりしてな。
 でも、それをやり出したら逆にもうおしまいだな。
 ニューヨークの地下鉄がそれをやっちゃあ、ダメだわよ>。

さよう。

ニューヨークの地下鉄は、マトモになってはダメなのである。

ブッ飛んでいなければならない。

ニッポンみたいに小さくまとまってはいけない。

ブッ飛べ!世界最悪の公共交通機関、ニューヨークのMTAよ!



posted by damoshi at 23:58| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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