2012年01月15日

青空の法則


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お馴染みの、武田信玄公。
そして、この空。

<ダモシx甲府=青空>という青空の法則は、
プライベートでは一昨年三月以来1年10ヶ月ぶり、
オフィシャルを含めれば昨年四月以来9ヶ月ぶりの
甲斐国遠征でもまた生きていた。

山梨県民よりも、甲府市民よりも詳しいダモシ。

<住んでいるみたいに運転しているでしょう>
とワイフがダモシの運転中に爆笑するレベルの関係性。

それだけ甲斐国に、武田信玄に、リスペクトを示し
ディープに付き合ってきている。

信玄がアントニオに対してもダモシ軍に対しても
守護神として今や存在しているのは頷けるわけである。

こんな青空〜あのニューヨークの<絶対青空>のような〜は、
ニッポンでは甲斐国でしかダモシ軍の頭上に広がらない。
ボンクラ東京なんぞあり得ない。
越後も素晴しい青空だったが、そこは上杉謙信。

信長ヘイターのダモシにとって、
信玄x謙信はダモシ派である。
返す返すも世代がもう少し違っていれば信玄こそが
天下統一に最も近い武将だったというのはダモシ論であり、
信玄にかかっては家康も信長も相手ではなかった。

もとより、武田信玄・上杉謙信・伊達政宗派であり、
御三家の信長・秀吉・家康は大いなる疑問符をもって
ダモシはヘイトしているわけであるが、
ここまで縁近くなれば、もはや信玄は守護神である。

ということで、ファミリーでゆっくりと一日休日を過ごす
という所作がほとんど困難になっている昨今の中で
久しぶりの全員揃ってのオフでプライベートで甲斐国遠征をしてきた
サニースカイのサタデー。
例の<週山>(週末は山梨にいます)である。

そして迎えた信玄とあの青空。

<ほれ見ろ。この青空だ>とダモシはどや顔で誇った。

主目的はしかし、単なる休日のお出かけではなく、
<戦勝報告>と戦に対する心得の交錯、そして詣である。

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信玄に戦勝報告をしたアントニオ&ダモシ。

山梨。甲府。
甲府を訪れる時、まず最初に行くのがこの信玄スタチュ。
JR甲府駅前にある。

現地では待ち合わせスポットとして最も分かりやすい。
<じゃあ駅前の信玄像のところで>という世界だ。

その後、度々逗留したホテル前を通り過ぎ
武田神社へ行くコースがダモシ定番だ。

全国展開するオフィシャル事案の端緒がこの甲斐国だった。
それがニッポン復帰後に携わっている事案である。
ゼロから全国展開する上で
なぜか甲斐国でそのテストを行ったわけだが、
そのように甲斐国を舞台に闘うにあたり
最初から武田信玄にリスペクトを表し武田神社に詣でた。

以来、関わりを持っている武田神社である。

アントニオが一昨年春に初めて優勝した直後も
きっちり訪れて報告と御礼を行った。

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いつものコースを今回も辿る。

続いては甲斐善光寺。
当欄恒例の、善光寺である。

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出た。

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アントニオとワイフも二度目。
ダモシはもう十回以上訪れている。
もとよりオフィシャル事案の打合せでも訪れている。

善光寺詣でを終えれば時刻は11時半。甲府駅へ戻る。

これもまたオフィシャル事案で何度も何度も甲府で食した
ほうとうをアントニオ&ワイフに初案内するため
駅前の定番<小作>へ行く。

小作でも何度もオフィシャル事案のミーティングを兼ねて
ほうとうを食しているニッポン復帰以降だが
ダモシにとっても久しぶりとなった。

特に土曜日は厳寒だったため、最高のタイミングで
信玄の野戦食を頬張り身体を温めた。

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旨い。もうイヤというほど食した当時だが、
久しぶりとなると実に旨かった。

甲府駅前に武田信玄スタチュ、小作があり、
さらにそこから三分ほど歩けば甲府城。
高台にあり天守跡に登れば甲府市街地が一望できる。
富士は雲の中にあり稜線しか見えなかった。

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甲府城天守最上部で絶対青空をバックに。



*****


この日のメインは国重要文化財にして
ダモシのディスカバー・ジャパン認定・恵林寺。

武田信玄公墓所がある。
アントニオ&ワイフを初案内。信玄の墓参である。

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信玄墓所へ。

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手を合わせるアントニオ。その先に信玄公の墓がある。

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そして風林火山。闘いの指標。

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風林火山。
疾如風・徐如林・侵掠如火・不動如山。

疾きこと風の如く
徐かなること林の如し
侵略すること火の如く
動かざること山の如し

である。

<疾きこと風の如く>は既に幼児期から
アントニオのスタイルである。

それに今、
<侵略すること火の如く>がフェーズで加わった。

オトナになっていく過程で、空手に限らず
様々なカテゴリー(対米含む)において
彼が今後構築していき、最後には
<徐かなること林の如し>と<動かざること山の如し>に
至っていくだろう。得て欲しい。その境地を。

既に幼児時代からこれらは語って聞かせているが、
二年生の今、ようやく少し理解してきている。
特に今週の大会での闘いぶりはそれを理解している世界観が
如実に出ていた。

恵林寺、現地でもそれらを前にして語って聞かせた。

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そして、こちらは信玄の名言が刻まれた石碑。

あの、
戦勝は十分をもって下となし
七分をもって中となし
五分をもって上とする
というイデオロギーである。

<見ろ。十、勝ってしまうと、驕りになってしまうと
 書いてあるだろう>

とこれもまた語って聞かせた。

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恵林寺といえば、忘れてはならないのが<心頭滅却>である。

信玄との蜜月関係により恵林寺に入山した快川紹喜の辞世の句。
<心頭滅却すれば火も亦た涼し>。

ある意味で試合中の瞬時の対応力は、戦時においても平静な心を
どこかに持っているからこそだろう。
その部分で、既にアントニオは持っている部分がある。
これをさらにフェーズアップしていくことで、
焦って反則負けなどを回避できることにもつながっていく。


*****


目的を果たし、行くべきところへ行った後、
中央フリーウェイの復路渋滞を回避すべく
17時前には首都圏へ戻ったダモシ軍。

今回は土産で、ほうとうと甲州銘菓定番中の定番"信玄餅"を。

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そして幟も購入した。

風林火山のそれを二種だ。

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信玄グッズは書籍以下、かなり増えてきた。
いつかそれらもアントニオに受け継がれる。

風林火山の戦法は今後も学び、駆使していく。

プライベートのファミリーのレジャーも今や
闘いが軸になっている。

ビーチや温泉等に行かない限り、そうなってしまうのだろう。
それはそれで致し方ないところだ。

そこかしこに、闘いのイズムとその術のヒントはあり、
そのすべてに矜持があるからだ。

旅にはまた、そういったインスパイアも必要ということである。



posted by damoshi at 14:16| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月14日

侵掠如火


プロレスでいえば新日本の<1.4東京ドーム>に匹敵する、
2012年頭のアントニオの空手大会ビッグイベントである
日本選手権が終わった。

終了後数日経過しているが、ビデオ検証等の事後処理や、
自身のオフィシャル事案等によりここまで掲載が遅れたが、
明日、甲斐遠征のため、今宵まとめる次第である。

今回はアントニオにとって<三冠戦>。

いつものフルコン、型、そして初となるグローブと、
スーパー・ハードな三部門での闘い。

背景環境は、以下となる。

既載の通り、型をやっている選手は型だけ集中で、
実際のバチバチの闘いはしないか、出来ない。

フルコンの選手は、
型はほとんどやっていないか出来ない。

そしてさらにはグローブ系はそもそも
空手道場ではなくキックボクシング専門の
ジムや道場が主体である。

こんな背景環境の中での、闘いである。
むろん、一部門だけの方が体力の疲弊は少なく、
且つより高い集中力を維持できる。
その中での三部門での闘いである。

特にグローブは、
一昨年から極秘練習しているボクシング練習の中、
昨年、ボクシング参戦もグローブ・ルールでの空手
(K1やキックボクシング等)参戦もせずに
ある意味で<満を持して>のダモシによるGOサイン。

さらには

・今回、代々木国立が三度目の正直となる。

・今回は、道場の他の子供たちも出る。
 その中でエースとして無様なマネは出来ない。

・ダモシの後輩が三たびこの代々木国立での闘いに
 応援に来る。

・年末に続き、KO(一本勝ち)1試合につき
 500円程度の中古DVDを提示。
 <三冠>を獲ったら
 Wiiの新品ゲームソフト一本という破格の賞品を提示していた。

などの背景環境があった。

果たして、如何に。

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第一体育館。
いよいよこの夏、ここでの初めての闘いがある。

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ある意味で三度目となった第二体育館は、慣れた。
アントニオも慣れたが、ダモシたちも慣れた。
まず会場慣れというアドバンテージが早々にアトモスフィアを支配した。


*****


初のグローブ。

要するに、当時のアンディ・フグやフランシスコ・フィリオが
極真空手からK1のリングにグローブをつけて上がった世界である。
道着にグローブ。
ルールはキック・ボクシング。ムエタイのような"ヒジ"や"投げ"は禁止。
分かりやすく言えば、キック・ボクシングである。

そもそも昨年、ボクシング参戦を標榜し、
一昨年からボクシングのパンチと動きの練習を
ダモシ&アントニオで地道に取り組んでもいた。

昨年のボクシング参戦は見送ったが、
いつでも行ける状態にはフェーズ的には進んでいた。

そして迎えたキック・デビュー。

強かった。

練習したボクシングの動きをマスター。
それに加えてそもそもフルコンをやっていることからくる
キック系にはないバチバチのフルスロットルの蹴りがある。

<グローブが違うのでは?>

<同じ学年?>

と、いずれもキック専門に行っているジム側が抗議。
ダモシもブチ切れ、トーナメントは一時中断にも至る。
しかもアントニオの勝ち進みをまたも妨害する連中や動きが出たことで
ダモシは本部席に乱入。
半分本気、半分演技で魅せる要素で
「これ以上ヘタなことすると本気でブチ切れるぞ?」を臭わせば、
大会会長が登場しダモシを説得。

<大目に見てやってください>と。

ダモシはキレているフリをして、
本気では<キレていないですよ>状態だから
そこで会長とヒソヒソ話。

その直前、トーナメントのくせに、
事前登録していない選手をアントニオへの刺客として
突然送り込んできたりと傍若無人な進行を施していたことに対し、
冷静に時間稼ぎしながらも刺客を様子を見極め、
本部席で猛抗議していたのである。

<何試合、やらせるんだ!不公平だろ!>と。

だが、怒りながら、状況を見ていたから、
連続で試合してもアントニオは十分対応できる
〜なぜなら道場ではふだん7-8人連続で相手している〜
と踏んだダモシは、猪木ばりに叫んだ。

完全に魅せる要素に入り込んでいる。
アリーナと観客席から人々が見守るセンターで
<よし、やってやる!続けてやっていい!>と叫ぶ。

主審が
<それは(試合順)は、私が決めることだ!>と威厳を見せるが、
大もめの最中に会長とヒソヒソしていることで
試合続行(アントニオひとり、他の異なる選手との連続試合)と
相成った。

こうなれば、同じ道場から今回は来ている
アントニオの後輩のちびっこやそのご父兄も
一気にボルテージが上がる。

<よし、やってやれ!>となる。

こうなると、完全な判官贔屓になる。
ダモシはその構図をお見通しだ。
不公平なシチュエーションに晒された
最軽量/最低身長の小学二年生。

応援しないはずが、なかろう。

その試合も、もちろん相手も簡単ではないが、
アントニオ劇場。

フルボッコの世界で、一分半、まったく動き止まらず。
蹴りなら完全優位のアドバンテージを生かしつつ、
さらにパンチもこちとらボクシングのパンチだぜ?で制圧。

その燃え上がったパッションに、
モメンタムはそもそもある上、完璧なるフローが構築された。

ここはもう、今回はフローが構築された。

<あぁ、もう、今日はフィールでいい、フィールで>
と館長とヒソヒソ話し合うダモシ。

細かな指示はもう今日はいらない、ということである。

アントニオの、本人自身の、頭で考えるのではなく、
感じろ!という世界が完璧にハマっていたのである。
さらに本人の
<何が何でも勝ってやる!>という
ふだんの彼のベイビーフェイスとは別人の破壊者の顔。
これが普通に見えたことで、
ダモシも館長も細かい部分は何も指示せずにいけるのでは?
という様態に入り込んだのである。

結果、全試合KO(一本勝ち)の優勝。
且つそれは無効試合(勝ったのに取り消された)や
事前のトーナメントにはいない刺客とも闘いも含まれている。

さらに返す返すもこちらは初だ。
相手は皆、それ専門である。

現段階で、これまで教えてきたボクシングのパンチと動きは、
ほぼ8割方、否、100%に近い形で、本番でやったアントニオ。
ここは満を持して、という部分で
これまで慎重を期して昨年一年間は避けた所以である。

ここはビデオ映像からキャプチャーした画像で
主な技と動きを振り返ってみる。

否、その前に、彼の闘っている最中の顔だ。
これは今まで見たことがないほどの殺気と覇気に満ちていた。

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これは一部だけだ。
そもそも幼児時代から試合でキラー性を発揮していたが
今回は異なるルールに適応する中で
反則が完璧にゼロの中で勝つことへのキラー性を
満面に見せていた。

必死さ。これが伝わってくる。伝わってきた。

むろんこっちも必死だ。
だから、負けさせようとする側へは徹底的に対峙し、
アトモスフィアを支配させず、
こちらにそれを向けるように諸々演技もするわけだ。

さて、今回初めてビデオ映像から連続写真を作ってみた。

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上の段:左から右へ
下の段:同じく左から右へ

接近戦の中、アントニオは左手前で踏み込む(上/左から二枚目)。
だがこれは、囮(おとり)。
相手はアントニオが入ってくると思い
右の前蹴りと直後に右ストレートを放つ(上/左から三枚目)。
だがアントニオは待ってましたとばかりにスウェイでかわす(同)。
交わされた相手はバランスを崩す(下/左端)。
スウェイした後、体重を乗せて右ストレートを放とうとする
アントニオ。その際、左脚は最初に囮で踏み込んだ位置にあるから
膝と腰の動きだけに体重を乗せていくだけで良い(下/左端)。
バランスを崩している相手に右ストレートが飛んでいく
(下/真ん中&右端)。

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右ストレートがクリーンヒットする。
そこまでのスピードがあるため、
相手は前蹴りを出した右脚が着地するに至っていない状態で
右ストレートを浴びることになるから
大きなダメージを負う。
アントニオの態勢はしっかり体重が乗っていることで
腕だけパンチではない威力を伴っている(上/左端)。

相手は無重力になり倒れていく(上/真ん中から下/真ん中まで)。

ここで見ているだけでは素人だ。
アントニオは、相手が倒れない場合に備えて
すぐ左フックを入れるべく態勢を移動させていることが分かる
(下/右端)。

スウェイからのカウンター。
これはしつこいくらいに練習した技である。
道場でのフルコンの稽古でこれが出てしまった際は、
<フルコンではそれはやらない方がいい>と線引きを理解させた。

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こちらのウィニング・ショットは教えたものではなく、
幼児期から本人が得意にしていたもので、
フルコンでは使えない技である。これも遂に本人が嬉々として
実戦で披露することになった。

この日は全試合を通して、この技で四回、ダウンを奪っている。

接近戦での最中、冷静に本人はこれを狙っている。
それをどちら周りでやるかを計算し、
その周りに応じて脚の手前を変えている(左端)。

左ストレートを打つと見せかけて(左から二枚目)、
勢い良くものすごいスピードで回転する(左から三枚目)と同時に
左腕をマッハのスピードで回転させる(右二枚)。

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離れた位置や間合いを意識している中では
相手はこれを防御できるが、
接近戦の中、既に間境を超えている位置で
マッハのスピードでこれをやられたら防御できない。

腕の回転に劣らず、しっかりとアントニオの目(顔)も相手側へ向いていく
(左端)。

そしてクリーンヒット。
その瞬間、アントニオの顔と目はしっかり相手に向いている(左から二枚目)。
強烈な裏拳を食らい相手の下半身は浮き上がり、
瞬間、脳しんとうを起こす。

一瞬、意識が飛んでいる間に
〜回復する0コンマ数秒の猶予も与えぬ間に〜
アントニオはフォローの右ストレートを放つべく
身体の回転の原理のまま、右を放つ態勢を既にとっている(右端)。

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相手が0コンマ数秒の後に回復して
辛うじて反撃の右を放つよりも速く
アントニオの右ショート・ストレートが顔面のやや下を捉える(左端)。

相手の右は虚しく宙を彷徨い、脳が揺れ無重力状態になる。
既に脚にダメージが来て、両腕もだらりを彷徨っている。
あとは倒れるだけの状態(残りの三枚)。

それでもアントニオは万が一に備えて
左ショート・アッパーを出せるよう準備している(右端)。

実際にはこの後、さらに左ミドルキックを出している
(当てずに済ませた。自然に追い打ちの、さらなる追い打ちを
 用意している点が、ダモシも舌を巻いた)。

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こちらは相手の右ストレートをかわし、
それに対する右のカウンターブローを決めている図。
カウンターの練習はまだまだフェーズ.2の段階である。
応用で様々なカウンターを練習し始めている。

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そしてこれが試合一週間前に、
ダモシが<念のため一つ、これも覚えておこう>と伝授した
ジャック・デンプシー伝説のショベルフック。

ショベルカーが砂をショベルすることをイメージして教えたところ、
一発で理解して、まずは第一段階レベルを会得したアントニオ。
いきなりそれを実戦で出すとは思わなかった。
むろんまだ第一段階で身体がいささか流れてはいるが、
体重はしっかり乗っている。

これが仮に相手がヘビー級で身長差がさらにある場合は、
アッパーになるため、アントニオの最軽量/最低身長の
ディスアドバンテージは、フルコンほどはなくなり、
逆にアドバンテージになってくる。

その他含めて多くあるが、あと一枚。

010912e.jpg

この写真を見れば分かるが、ボクサーになっている。

果たして、いよいよ今年はライセンスをとり、
ボクシングの全国大会へいきなり挑むか否か。
状況を見て検討したいが、
アントニオ本人はグローブがどうやら好きなようだ。
ムエタイにも興味を示している。

空手においては、カンフーやテコンドー等との異種格闘技戦。
グローブ系においては、ムエタイとの異種格闘技戦。
これらは大いに夢を感じるところである。

抜群である。想像以上に、アントニオはグローブが上手かった。
上手いのは分かっていたが、
実戦では初のため、やってみなくては分からなかったが、
たいへん上手かった。闘い方が上手かった。

特にダモシからすれば、大人の実際のヘビー級とフライ級では無理だが、
子供の領域で一定重量範囲内の差であれば
小さい方にもアドバンテージは生まれるということである。
それはフルコン以上に顕著になるだろう、と。

まずはグローブ系デビューで優勝。一冠。

そして本領のフルコン。

ニュー・アントニオのお披露目。
スタイルをさらに変えてのお披露目。

全試合、秒殺の一本勝ちで優勝と相成った。

過去最高のスピードとキレは、もはや稲妻。

しかも決勝は、念願の打倒ヘビー級。
体重で10kg以上、身長でも10cm程度の差。
これはこの日のアントニオにとって
何のディスアドバンテージもなかった。

決勝のヘビー級との試合は、開始2秒08で左ハイキックで技有り。
さらに数秒後、
遂に実戦で初となる<信玄堤>披露。
惜しくも外れたが、その直後、またもや左ハイキックを決めて
ストップ(技有り)。合わせ一本でKO勝ち。

ウィニング・ショット以上に、全体的な闘い方と動きである。
この点でニュー・アントニオに取り組んでいた
マイナーチェンジのフェーズ.3が、ここに完成した。

むろん、まだまだ、である。
もう少しこういうポイントでこういう技を
という不十分は一杯、ある。

まだまだ微妙なポイントのズレはある。

それらを三月のこれまた全日本までインプルーヴしなければならない。

010912k.jpg

フルコンから一部を掲載。

<さあフルコンだ>。

ダモシはフルコンが始まる前に、観客席で後輩に行った。
<頼むよ。降りてきてくれよ>。

過去二度の代々木国立の際、
後輩はスタンド(観客席)で応援してくれていた。
そこでは内容は別として、
結果としては望むべきものが出なかった。

鬼門。

その後輩は、

<彼と東京ドーム行くと巨人は勝てない>

<彼とヤンキーススタジアムに行くと、
 ヤンキースが負ける>

という、暗黙の危惧がある。

グローブの闘い時には彼はまだ会場に到着していなかった。

彼が来た後、
<おい。まずはグローブ、優勝したぞ>と
ダモシは言ったのだが、内心、
(フルコン、大丈夫かな・・・彼が来てくれた時、勝ってないんだよ)
と感じていた。

だからこその、
<下に降りてきてくれよ>だったのだ。

彼はフルコンの試合が始まる際、下に降りてきて
アリーナでコートの近くでアントニオを応援してくれた。

これで、二冠。

いよいよトリプルクラウンが視界に入る。


*****


だが、結論からいえば、無念。三冠ならず。

<型>。
逆にいえば、これがもっとも安定していて、
優勝を計算でき、最も可能性の高いものだったが、
これを落とした。

完全なポカ、である。

が、それは小学二年生の彼にとって、
あまりにもかわいそうな結果だった。

実は試合順。

朝の開会式後すぐにグローブが先に行われた。

フルコンは〜なぜか二年生の部は〜この日のメイン級で、
最後の17時。

型は進行上、午前。

ところが、ここでアントニオだけがいつものごとく
複数に出場することで問題が生じた。

グローブのトーナメントが滞っている間に
〜他の学年はすべてスムーズに終わったのに、
 二年生だけ上記の事由から大モメにモメ
 進行が大幅に遅延した〜
型の二年生のトーナメントが始まってしまったのだ。

ワイフが途中で別のコートで始まってしまった型の委員へ
事情を説明に行く。

グローブの件は前記の通り刺客が不意に現れたことで
トーナメントの試合もさらに増えてしまったアントニオ。
当然、当該学年の試合進行も大幅にズレる。

二年生の型の試合は、アントニオの番になって待ちに入り、
そのまま延々と待っていることになる。
その隣のコートで大騒動とアントニオの魅せる要素満載の
激しい闘いが展開されているという異様な状態になった。

<何試合やらせるんだ!何試合!>というダモシの怒号が飛び、
周りのエキサイティング且つ判官贔屓の歓声が混じる中、
ボコボコの闘いを終えて優勝したまま、
その足ですぐ隣のコートへ行って一分以内にすぐ
型の試合に入り込んだアントニオ。

スタート。

最初に動きでもう勝っていることはすぐに分かる。
あとは普通にやって決勝まで行って
最強型をやれば負けないと誰もが感じたその瞬間、

アントニオの動きがぴたりと停止した。

凍りつく応援団、ワイフ、ダモシ、館長。

忘れたのである。型を忘れてしまったのである。
その時点でアントニオの型は終了。

無念。型においては、もはや滅多にあり得ない一回戦負け。

さすがの館長でさえ
<しょうがない>と認め、誰もが
グローブの苛烈な闘いの直後の型に同情した。

が、ダモシは怒った。

<ちょっと来い>とアリーナの隅に、
大泣きしているアントニオを連れていき説いた。

<慌てないでいいよ、と審判も言ってくれていたし、
 俺たちも言っていただろ?
 なぜ慌ててやった。少し呼吸を整えて、
 頭で型を反芻してから、型の試合に入っても良かったんだ。
 なぜ、あそこで、安易に大丈夫だと慌てて型の試合に入った>

と。


<いいか?動き出したら、フィールだよ。Feel。感じる。
 だが、勝つ為に何をすべきか、狙う技、型の反芻などは
 頭で考えなければならない。ThinkとFeelをもう二年生なのだから
 自分で切り替えろ!>。

鬼だろう。
他の親御さんからすれば鬼だろう。
館長ですら、<しょうがない>と、
この過酷なシチュエーションに理解を示してくれた。

だが、全員が全員、<しょうがないよ>では、いけないのである。

そこはやはり父親だけが、叱る権利を持つ。
否、父親こそが、厳しく説かなければならないのである。

過酷なのは、分かっている。
だがそれを分かっていて出るのだ。
エクスキューズはするな、と。

そして怖いのは、一度、忘れてしまうと、
それが傷になることである。

昨夜、自主練習で、道場で<やれ!>と
その忘れた型と共に、
<試合の再現だ>と勝ち上がるごとにやるはずだった
一級品の型を試合のつもりで演武させた。

それのすべてが終わり、<よし。優勝だ>とダモシは褒めた。

"その場では"父親は、叱らなければならない。
あの局面においてでも叱らなければならない。
いいよいいよ、しょうがないよ、は、存在しない。


アントニオ、三冠ならず。

という結果で、2012年最初の大一番を終えた。


*****


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型のポカがあったことで、
本人は、よりフルコンに燃えただろう。燃えていた。

フルコンの試合前、ダモシは言った。

<フルコン、絶対獲れ!
 皆も見ている。ここは勝ち方も大事だぞ。
 魅せる要素で、カッコ良く勝て。優勝、獲れ。
 内容と共に結果も優勝したら、
 本当は三つ優勝の場合のモノ、買ってやる。
 さあ、勝って、買って帰るぞ>。

そしてフルコンもまた闘志満点で、勝ち取った。


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内容もまた、よし。
今回の闘いぶりはまさに信玄の中の<侵掠如火>だった。

加えて、いつものごとく課題もまた見えた。

それもまた信玄の訓示である
<凡そ軍勝五分を以て上となし、七分を以て中となし、
 十分を以て下と為す>の通り。

今回もまた十分の勝利ではない。
仮に型も優勝して三冠をとっていたら
逆に良くなかったと感じる。

NEXTへ。勝っても負けても勉強。
さらなるインプルーヴへ既に昨晩から始動している。

帰宅後、館長からメールが届いた。

長い始動歴を持つ館長だが、

<これまでに教えてきた弟子の中で、小学二年時で比べれば過去最強だ>
と。

本人に見せると喜び、
アントニオはそれを壁に貼った。

そして勝負ごと。
これはやはり万事が思うようにいくということはない。
改めて、それを感じた。

落とし穴は、そこかしこに存在するということである。

失敗は多くの糧になる。
フルコンも多くの失敗を経て今があり、
今もまた今後失敗が生まれ、
そこでさらにフェーズが上がっていく。

グローブも、次回は苦杯をなめるかもしれない。
仮にボクシングに参戦したならば、
その場合でもボクシング専門にやっている子供の方が
一日の長があるのは当然だ。

だが、敗北からしか基本、学べない。
それを前提とし、勝利からもなお、課題が浮き彫りになる。
その両面があったのが、今回である。

ダモシも何十回と映像を見直している。
課題を徹底的にクリアにしてインプルーヴさせるためだ。

それはダモシの役目であり、レスポンシビリティである。

明日は戦勝報告と御礼も兼ねて、武田信玄に逢いに
ファミリーで甲斐国へ行く。

武田神社、恵林寺は基本である。

あまりの大会後の疲労で、ふだんは大会当日に掲載するのだが、
今日まで出来なかった。

それだけ疲れたわけだ。今もまだその疲れは消えていない。
明日、甲斐国でほうとうを食して疲れを癒せるか否か。


次へ。勝って兜の尾を締めよ。



posted by damoshi at 00:02| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月04日

Year In Review-旅-


ようやく2011年の<旅>をレヴューする。

この寄稿は、久しぶりにダモシらしさで大長編である。

なにごとも
しっかりと<レヴューする>ことは、
原発しかり、現在と未来への指針となる。

すべての過去は物語となり、すべては人生予告編。

<一期一会>などという甘ったれた観念ではなく、
旅は己の本質と向き合う営みであるという概念。

そこ(旅)には、常に初の邂逅であろうとも
どこかで見た、どこかで逢った、いつか来たという
既視感:デジャヴュがもたらす
破滅的なコンフュージョンとの闘いが潜んでいる。

だから、
ナカタやキムタクなどが知たり顔で言う前から
既に先人たちに使い古された言葉である
<旅は人生である。人生は旅である>などは、甘い。

そんな台詞は教示も何もない。甘い。

ダモシは言う。

旅はコンフュージョンである、と。

そして<一期一会>ではなく、<メビウスの輪>である、と。

supposed to beは、そこにはないのである。
旅に、supposed to beは不在。

仮にsupposed to beと安心してしまったが最後、
旅は旅先の地はどこであっても
コンフュージョンを眼前に提示する。

甘ったれていると、すぐにnot supposed to be。

ダモシに言わせれば、それが旅である。

返す返すも、高速道路の大渋滞の中を帰省する行為も、
Uターンしてくるそれも<旅>ではない。
渋滞もまた、supposed to beの範疇に他ならず、
そこに恐怖も畏怖もトキメキも皆無であり、
すべてが予定調和だから、だ。
そして阿呆どもはそんな赤信号皆で渡れば怖くない的な
大渋滞に身を置いて疑似社会参加を喜んでいるわけだ。

もう一つ、旅とは、
<赤信号、注意して渡れ>である、と。

ニューヨーク流で言えば、
赤信号は止まるものではなく、
注意しながら渡るものである。

皆と共にだらだら止まって待っているのが赤信号ではない。
そこのところ自体、ニッポンは未熟でありダメなのだ。

そもそもの通念として、

赤信号は止まるもので、
渡る場合は皆で渡れば怖くないのだよとするニッポンと、

赤信号は、
注意しながら普通に渡るものというニューヨーク。

この違いは、旅の所作においても絶大なる相違を生む。

赤信号を皆で渡ることをなぜ否定するのか。
そこに緊張感がないからである。
皆で渡れば万が一があっても
もしかしたら自分だけは助かるかもしれない
というニッポン人の得意な
安易で中途半端な第三者的ノンポリ性がどじょう的に
露呈されるからである。

そんなだらしのない所作はない、と。

そしてそんな甘ったれた感覚でいるから
有事に対応できない。

ひとりで己が自己責任をもってして
注意して進めば
赤信号を渡っている最中は、緊張感が走る。

八方から攻撃をしてくる敵に対して
背中にも目があるかのような防御と攻撃を即座にすることができる。

まあ、いい。

永遠にニッポン人は、
赤信号皆で渡れば怖くないから脱却できない。
それで、良い。

そうでいてくれなくては、揶揄と失笑の対象が減ってしまう。


*****


2011年は、宇宙の旅ではなく、ニッポン国内の旅。
昨年も多くの土地へ出かけた。

例の<ぬり絵の旅>でまずはレヴューしたい。

http://www.246material.me/nuri11.html

地図上、2011年に訪れた土地は黄色で示されている。
むろん近隣首都圏は除く。
そして逗留した地はオレンジ色で示されている。

北の某国と琉球王国を除き、
ニッポン国内で見れば

東北・関東・東海・北陸・信越・近畿・中国・九州と、
四国以外、すべて行った。

鳥取、島根を山陰としてしまえば、山陰も行っていないが、
そこは中国で括る。

四国以外、すべて行ったのが昨年だ。

<ぬり絵の旅>として昨年新たに塗られた県は、
新潟県・福井県・大分県。

新潟はともかく、福井と大分は難易度が高い県だ。
そういう意味では北陸・信越地方で
最も行きにくい〜なかなか行かない〜新潟と福井を
塗ったのは大きな収穫といえるだろう。

そして大分。ここが別府や由布院ならば特に珍しくないが、
初上陸で行った地が中津というところが面白い。
しかもここに逗留しているのだ。


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新潟は出雲崎で見る日本海。
夏の日本海は、爽やかなブルーであり、浅さも感じさせたことが
明るいムードを残した。
これが冬になると激変するのだろう。

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旅する時期は重要だ。
四季で顔を変化させる土地であればなおさらだ。
新潟の日本海側を北上し、西下し、と往復したが、
明るいイメージしか得なかった。

一部を除いて。

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柏崎原発。
時節柄、暗いイメージが増幅。特にこの様相は不気味だった。

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いくつの無人駅へ行ったことか。まさに刑事の世界だった。

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こちらは上越は春日山。
遂に今年は上杉謙信とも邂逅した。

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信玄と甲斐国にどっぷりと浸かったニッポン復帰以降の
この数年。

甲斐国の信玄とくれば、越後の謙信を無視できない。

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上越高田。
見知らぬ、行ったことのない土地で、
不意にこういう駅と光景に出逢うと
己が油断を恥じることになる。

<なるほど>と。
そして好意的な<う〜ん・・・>という唸りを発することになる。
<自分はまだまだだな・・・>と。

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これもまた既視感。だが、場所は初の高田城公園。

信玄と謙信絡みでは、最も行くべき地であるが、
ここだけはなかなか行く機会に恵まれなかった地。

それが甲斐善光寺ならぬ、信濃善光寺である。

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長野県の長野市。長野県は行ったことはあっても、
長野市には初上陸となったのも2011年。

ここには、信玄vs.謙信の戦国名勝負数え唄の舞台たる
川中島がある。

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福井県。
これはもう九州訪問時に感じた
<ニュースでいつも見ている九州の大雨は、これなのね?>
と納得した大雨を遥かに超えるリアル大雨、否、豪雨。

豪雨に遭遇の中、まったく視界がない状態で
岐阜県の大垣市から一気に福井県内をタテに駆け抜けた。
完全にムードは松本清張の世界。

そこに出てきた存在が、東尋坊に永平寺とくれば、
ダークサイドの権化か。

荒れ狂う福井県側の日本海の様相は、
真夏の新潟県側の日本海とまるで別物。

<これが日本海だぜ>と言わんばかりに、怒っていた日本海。

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東尋坊。かつては"自殺の名所"と呼ばれた。
が、今のダモシは世界を経てきている。
ダモシ、ビッグ・ディスアポイントメントは東尋坊。

2011年の旅先で最大の失望が、東尋坊。

ダモシのみならず、豪雨の中、傘をさして断崖の上に立った
シニアの夫婦。その主人が憤りを隠さずに言った。

<何だこれは。これが自殺の名所か?>

ダモシは感じた。

<死なないだろう。これでは・・・>

観光旅行で見た場合、
<ここは行くな>の筆頭に東尋坊を入れざるを得ない。

忌憚なく言いたい。
行こうと思っている人へ。
東尋坊へ行くのはおよしなさい。

時間とお金の、ムダ。

そして、永平寺。

ここは触れたくない。触れるべきアイコンには違いないが、
ここは何かを隠匿していると感じられる不気味さがある。
ここで暮らす者たちが武闘集団に思えるのである。

見映えとアトモスフィアが、である。

得体の知れぬ武闘的パワーを持っているような寺。
そんな世界観なのである。
単なる寺社仏閣・神社仏閣ではない気がしたのだ。

異様。平易な表現で、ひとことで言えば、そうなるか。

あるいは、怪奇で異境的な。

そんな世界観、そんなアトモスフィアが圧迫感を伴って
襲いかかってくる。

何かを強制されそうな空間。

単なる凄い空間、旅先で見た"建造物"として考えれば、
すばらしい空間なのだが、
あまり語りたくない。そんな心境を得たのである。
リアルタイムで当時も触れていないはずだ。

ちょっと"カチン"と来たということもある。
神社仏閣系で"そこにいる"人間にカチンと来てしまう
というケースはさすがのダモシでもほとんどないが、
ここではあった。

だが、ブチ切れを自ら収めた。

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多くの写真を撮ったが、一枚だけ掲載したい。
異境的な写真はまだ一杯、ある。
ここは、ちょっともう、行かないだろう。

ダモシ的に<何か、イヤだな・・・>と感じてしまったのである。

この
<何か、イヤだな・・・>が、
ブチ切れをあえて収めた理由でもあるのだが。

いずれにせよ、二度と行かないだろう。永平寺には。

むろん、これも豪雨と真っ暗という異常な天候時の邂逅
だったことも、背景要因としては確実に、ある。

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こちらは三国駅。
良い意味で"こんな駅"に行くとは、当然ながら
想像し得なかった。その当日、そこに行くまで。


*****


Long Time No See.

長い年月ご無沙汰で、久しぶりに交錯した地。

高校時代の部活動の夏合宿以来となる29年ぶりの再会は、軽井沢。

大学時代の後輩を訪ねて行き共に鰻を食して以来となる
21年ぶりの再会は、浜松。

ウルトラの父、母、そしてワイフ。四人で共に歩いて以来、
18年ぶりとなった犬山城。

さらには、ニューヨークからニッポンへ出張という
逆輸入で1999年に行って以来、12年ぶりとなる広島。

当然いずれもエモーショナルな再会。

広島に関しては当欄でフィーチャーしてあるが、
99年時は市内をしっかり歩いていない。
今回は、広島市の四番打者である原爆ドームと平和記念館を訪れて、
大きな衝撃を受けた。
それはダモシ認定ディスカバー・ジャパンに登録された。

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"知らなかった"広島城も訪れた。
これも無知ダモシを恥じるくらい、
<なるほどぉ・・・>な存在であった。

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*****


三月。東日本大震災を受けて仙台へ。
五月。南相馬と飯館村へ。

これは昨年に関しての行き先としては、
今後に残るエモーショナルなものとなった。

これでダモフィーロがダメージを受けて、
その後の度重なるトラブルを誘発したのは間違いない。
それだけ過酷な行軍だったわけだ。

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若林エリアを訪れた後、高台にある神社から仙台中心部を一望。
その神社も大きなダメージを受けていた。

ダモシが訪れた日は、皮肉なほど青空だった。

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こちらは南相馬の原ノ町駅。
復旧していない。電車は来ない。ただ駅はそこに在った。
そしてこの日、見事なまでの青空が皮肉にも広がっていた。

<せめて、空だけサニースカイか・・・>

ひとりで呟いた。


*****


ニッポン復帰後の旅のテーマが複数ある中で、
<信玄>絡みと共に、<松尾芭蕉>がある。

特に"奥の細道"を基軸に、東北をメインとして歩いた。
まだ東北でも訪れていない所縁の地はあるが、
昨年は新潟県内の日本海側をめぐったことで
そのエリアも踏破し得た。

未踏が残る中、先に<奥の細道むすびの地>を訪れた。
岐阜県の大垣市である。


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こちらが<奥の細道むすびの地>。
一大紀行文の最終ゴールの地である。

彼の地には今年、記念館が完成するようだ。

それにしても大垣。
ここも大垣に非はないが、
正直、<大垣に泊まる>ことがあるとは思わなかった。

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大垣駅。

この"大垣のような"、
<ここに泊まるとは到底想像できなかった>地へ逗留した
ケースが多かったのも昨年の傾向だ。


*****


<ここに泊まるとは到底想像できなかった>地へ逗留したケース。

〇岐阜県大垣市(駅でいえば大垣)
〇新潟県上越市(駅でいえば直江津)
〇滋賀県長浜市(駅でいえば長浜)
〇福岡県北九州市(駅でいえば小倉)
〇大分県中津市(駅でいえば中津)

など、だ。

中津は、とりわけ自分でもびっくりした。
喜んで行ったのだが、
まさか行くとは思わない。
その数日前まで自分が中津に行くことは想像していない。
大垣も小倉も同様だ。

昨年でいえば、長浜は唯一、
一般的に見ても<行くかもしれない>地だろう。
NHK大河ドラマ『江』があったからで、
実際に行ってみると、
ダモシの嫌いな観光客がわんさかいた。

<ほぅ、長浜。マーケット的にも凄いね>と。

滋賀県でいえば琵琶湖の北いわゆる湖北に該当するが、
湖北の主砲だろう、長浜は。

そういう意味では、小倉もまた大都市だ。
この大きなと繁華街っぷりにはまたびっくりしたものだ。
<へぇ。知らなかったよ>と。

<小倉。こんなに大きかったのか・・・>と。

小倉城があり、いわずとしれた松本清張のホームである。

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長浜の一景。

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小倉の一景。

小倉、松本清張が出てくれば、香椎が出てこよう。
名作「点と線」の舞台・香椎も訪れた。

そして香椎は福岡。

2011年、最も多く訪れた広義でのエリアは<九州>。


*****


まだ昨年の九州行の最初の頃は、ノーマルに飛行機を用いていた。
何度も書いている通り、
福岡(博多)は、奇跡的な空港→市街地のアクセスを誇っている。
飛行機での福岡上陸がベストなのは言うまでもない。

ところが。

九州新幹線が開通した途端、飛行機で行く気がなくなってしまった。

これはダモシだけの感覚だろうが、
何度も九州へ行くという中では、
新横浜から新幹線でゆっくりじっくりが好ましくなったのだ。

羽田へ行くのが面倒だ、ということもある。
新横浜が近いということもある。
だが、それが理由ではない。

複雑なのだ。

<墜ちたくない>のである。なぜか東京→福岡あるいは東京→熊本で
空路を用いて<墜ちたくない>のである。

それはニューヨーク→ボストンが感覚的に近いか。
ニューヨークとボストン間ならアムトラックで行く。
決して楽で時間も短縮されるから飛行機で行くという所作は選ばない。
なぜなら<ニューヨーク→ボストンで墜ちたくない>からだ。

これはうまく表現できないが、そういうことなのである。
分かってくれるだろうか。

とても感覚的なものである。

東京(or横浜)→九州(福岡/熊本)は飛行機を用いたために
<墜ちる>ことになった場合、
最も納得がいかないケースなのである。
ダモシにとっては。

東京→北の某(サツホロ)は<墜ちない>と感じるのである。
東京→四国(松山など)も同様。

だが、九州はダメだ。イヤなのだ。

さて、九州。

メインは福岡(博多)である。豪雨の、台風の最中にも行った。
都合四度。逗留は三度。
冬、梅雨時、初夏、そして晩夏と行った。
最後に11月に九州へ行った際は、福岡は駅だけのためカウントしていないが、
これも含めれば五度行っている。二月、五月、六月、九月、十一月。

福岡を主軸に、同県内の香椎、小倉、門司、熊本県、大分県と跨いで
九州を舞台に捜査は展開されたのである。

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博多駅が"こうなる"前の最後も博多へ行っている。
そして"こうなったら"徹底的にこの駅と付き合ったのが昨年だ。
この駅から何度も列車に乗った。

ニッポン復帰以前の、渡米前のニッポン時代には
一度も訪れたことがなかった福岡(博多)。

だが復帰以降、プライベートで初めて行き、
オフィシャル事案でも毎年のように行っていて、
昨年はピークを迎えた。

不思議な、これも縁。そして何かのサイン。
あるいはメビウスの輪。


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門司港駅。
ニッポンの駅として国重要文化財になった第一号。

駅舎内もノスタルジーそのまま。

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港エリアはまさにその名の通り門司港レトロ。

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門司まで来れば、なぜかこの関門海峡を渡らなければ
気が済まなくなる。

それは対岸からも同様。

プライベート事案で09年に福岡県側から車で海峡を越えた。

2011年。遂にその逆、下関側から海峡下を歩いて九州に入る機会を得た。

門司から門司港へ行く列車から飛び降りて
思い立ったダモシは下関へ出る列車に乗った。
長いトンネルを超えて下関に辿り着き、
下関駅から延々と歩いて、関門海峡大橋へ。
そして橋の下を歩いて海峡を越えて門司港へ戻るという所作だ。

<なぜか好きな山口県。妙に好きな下関>。

ダモシの皮膚感覚である。

気に入ったのだ。09年に初めて下関に往って。
二年ぶりの下関。
そこは県内では仙崎(長門)に次ぐ金子みすゞゆかりの地。

<こだまでしょうか>を胸に、みすゞゆかりの地を歩いた。

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関門海峡までの長い道のりだが、
市内各所にみすゞゆかりの場所があり、
そこかしこに童謡が碑に刻まれているから疲労しない。

且つ歴史的建造物やカルチュラル・アイコンが豊富である上、
現代的なタワーもあることで
市内は飽きることがない。

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手前が
現存するニッポン最古の郵便局。

その隣にあるのが、
現存最古級の鉄筋コンクリート造りのビル、旧秋田商会ビル。
ビルの一階奥には金子みすゞコーナーがある。

歩く歩く。"ものすごく"歩いた。
ようやく関門海峡大橋のたもとに辿り着く。

と、そこに勇壮なるスタチュがある。
平知盛と源義経だ。

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知盛。悲劇となった。

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義経。

とどのつまり壇ノ浦である。
壇ノ浦の戦いの壇ノ浦である。
ニッポン人なら誰もが歴史の授業で習った。

平家の終焉の舞台だ。

その下を渡って九州へ往く。

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ここが国境。

2011年、旅の主軸は九州だった。


*****


城も取り上げておきたい。
城もあまた訪れているが、2011年に初めて訪れた城も
複数存在している。

北から南へ順番に

宇都宮城(宇都宮)
千葉城(千葉)
春日山城(上越)
高田城(上越高田)
清洲城(清洲)
大垣城(大垣)
小倉城(小倉)
長浜城(長浜)
広島城(広島)
中津城(中津)

となる。

なかなか行く機会がないような城もあるだろう。

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こちらは暑い盛りの清洲城。
因縁の名古屋市街地からほど近い。
織田信長ゆかりの城である。

"清洲越し"で知られている。

鉄道と絡んだのも2011年の傾向だった。
とりわけ、やはり九州。
九州新幹線を筆頭に九州内は観光特急が多い。

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こちらは群馬県。碓氷峠に近い場所。

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かつての鉄道橋梁。国重要文化財の碓氷第三橋梁。
通称:めがね橋。


*****


大長編でのYear In Review -旅-も終わりが近づいた。

常に我々は、旅で学ぶ。
旅はまた、学び舎でもあるのだ。

最後に。

昨年訪れて未公開写真から、栃木県は足利市から
ニッポン最古の学校<足利学校>。

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*****


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旅は、出逢いではない。

冒頭記載の通り、コンフュージョンである。


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posted by damoshi at 00:35| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

初詣


新年をいかがお過ごしでしょうか。

旅先、実家など様々な場所で
それぞれが良い一年を願っていることであろう三が日。

否、もう既にUターンか?
またぞろ高速大渋滞のニュースを見るのが楽しみな頃合い。

年末、空の上から見た富士が届けられた。

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北国、近畿、山陰、中国、四国
そして九州の人には縁遠く、
もしかしたら見たことがない人もいるであろうが、
富士はニッポン一の山であり、常在富士である。

そして古くから、一富士二鷹三茄子という諺がるくらいだ。

甲斐国からは富士と初日の出の画像が届けられた。

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宝永山が見えないから、紛れもなく裏富士:甲斐国からの富士だ。

そして北の某国からも初日の出が届けられた。

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微かに見える防風林が北の某らしさを感じさせている。


*****


ダモシは既に元日に富士を見たが、未だ撮っていない。
明日くらい晴れならば早めに起きて
今年の初富士撮りをしたい。

いわば遥拝富士。

今年は登拝富士を二年ぶりに挙行する。
しかもワイフとアントニオを伴い、
ダモシ軍も交えての行軍となる。

富士は、常在。
だが、登拝するとなれば、遥拝している時とは異なる顔を
じわじわと日ごと見せしめる。

そして前日ともなれば、恐怖感をも浴びせかけてくる。
それとの対峙のゾクゾク感がたまらないのである。

常在戦場。


*****


ニッポン復帰後、四度目の正月を迎えている今年。

初詣の行き先を変えた。
過去三度は川崎大師だったが、
そこでは毎回ブチ切れていたダモシ。

過度な、許し難いほどの"多すぎる人"がその原因だが、
昨年を振り返れば
相対的に実は<あまり良い年ではなかった>ことが
初詣の参拝先を変えた理由である。

<何だかんだいって、良くなかったのだよ、実は去年は>。

東日本大震災は多くの人々に暗い影を落としたが、
ダモシ軍で見れば、
猫が二匹も死んでしまったことや
友人が大病したり、
ダモフィーロの度重なるトラブル
〜マフラー落下、ドア損傷破壊、トドメは発電機のジ・エンド〜
などなど、悪い出来事が多かったのである。実は。

アントニオの空手も既載の通り、正直、運が悪かった。

それをダモシの対国家試験勝利や、
アントニオの辛抱を重ねた上での優勝二回
その他の卓越したパフォーマンス、
そしてダモシ国全体の根底にある根本的な"明るさ"と
経済小国ながらも軍事大国という"強さ"によって

<悪い>を感じさせなかったと共に、
悪いことが起こってもすぐにそれを取り返してきた。

だから救われたのだが、全体を取り巻くアトモスフィアは、
正直、悪かったのである。

それを打破しよう。

"悪い"タイミングではないはずなのに
〜<悪い>は「7」絡みのイヤー=1977、1987、1997、2007年〜
なぜか悪いことが実は重なっていたよな?というイヤな部分

一方が良くても、的は八方から攻めてきていたという部分


これを消し去ろうぜ、という心である。

そこで変えたのだ。

八方をすべて除ける。
空手や合気が如く、八方から攻めてくる敵を捌き、除ける。

国内で唯一の八方除け。

それは、寒川神社。

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万全を期して車を用いずに、電車で一時間強。
てくてくと出向いた。

大勢の人が参拝していたが、川崎大師のような
"あまりにも多すぎる人"でもなく、
且つ境内空間の妙で分散し一度も歩が止まることなく
スムーズな参拝で、ダモシもブチ切れることなく無事に参拝。

出店で焼きそば、広島風お好み焼き、綿アメ、チョコバナナを食し、
復路は途中まで直行バスでゆったり。

ニッポン復帰後で最もスムーズに初詣が執り行われたわけである。

これで良い、と。

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熊手は部屋の中心に、恵方の北北西へ向けて。

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八方除けは、最も北北西にあるダモシの部屋の壁に。


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2012年最初の、オールウェイズ246の夕日。

一昨年、昨年と1.2はひとりだった。
ワイフとアントニオが那須に帰っていたからだ。
今年は既に昨年末に二人は那須へ行き戻ってきている。

そして今宵はまた後輩が遊びに来て、
先ほどまで酒席と相成った。

かなりこの年末年始は飲んで食べている。

体重計はのっけから、過去最高を更新する88.4kgを示した。

むろんこれは飲食した分であり
明朝は当然ながら減っているが、
<90kgになったらダモシ国から追放>が
現実味を帯びてきた数値であることには違いない。

元日も今日も早起きしている。
明日はゆっくり眠ろうと思っているところであるが、
寝る時間が遅いから
どのみち睡眠時間はやはり変わらず最長でも六時間程度か。

2012年最初のダモシ最近影でまずは当寄稿を締めたい。


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2012年01月01日

2012-元旦-



ニッポン復帰以降、年始に揮毫している。

手書き年賀状にもそれはしている。

今年は、常在戦場。

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ニッポン全国の"たっちゃん"たちが、
まさに今年は己が年だぜと張り切る2012年。
その意気込みが空回りしないと良いが、
知ったこっちゃない。

全国のたっちゃん、頑張ってくれ。

ダモシは今年に限らず例年通り。
常在戦場も毎年のことだ。
特別なことは何もない。

ただ、今年はいよいよアントニオを伴い富士と三たび対峙する。

もうこのくらいの齢になると、
良い年でありますようにと願ったところで
良いことは、ほんの一握りしか起こらないことは分かっている。

性悪説、ネガティヴ志向で今年も変わらず行く。

それは、明日何が起こるか分からないニューヨークで
暮らしてきたことで染みついてしまった概念だ。

基本、皆、誰もが、俺たちに明日はない。

かといって今を、その瞬間を、すべて全力で生きるなど
ということはあり得ない。

要はすべて、今年の年賀状にしたためた
英語の台詞が言い表している。
訳はここには書かない。
どう訳すかは、それぞれでよかろう。

常在戦場の中でダモシ及びダモシ軍はオールウェイズ、
下記の概念に在る。

年賀状の画像を住所や氏名部分をカットして
そのまま掲載したい。

そしてこの言葉は、
ダモシに関わるすべての人に贈りたい。

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Year In Review-3/紅白


当欄好例の、紅白歌合戦のレヴューである。

近年では最も良い内容だった。
ひとえにそれは、
パフォーマンスを丁寧に見せたことである。

つまり、"端折る"ことなく
ある意味でフルコーラスで歌手に歌唱させたことである。

そして、一部を除き、
ほぼすべての歌手がプロのパフォーマンスをした。

レディー・ガガを語ってしまうと、
そのダンスとコレオグラフィー、
エンターテインナーとしてのレベルなどなど、
オトナとコドモのレベル差があるから
日本人がかわいそうになってしまうため割愛するが、

良い意味で別格のレディー・ガガと
悪い意味でのCGコンビ<芦田&福>は除外したところで語りたい。

近年で最高の紅白だったと認めることが"出来た"。
最後の最後までは、そう感じられた。

が、すべてはSMAPがブチ壊した。
だから、彼らを大トリにしていることへの苦言を
事前に呈していたのである。

案の定、アマチュア以下の歌唱力と
やる気のないパフォーマンス、
特にキムタクの相変わらずの人をナメくさった態度、
そしてまったくアトモスフィアに合致しないKY性・・・。
どれをとっても一流とは言い難い、
小学校の学芸会以下レベルのお粗末さで
最後をとってしまったから、さあ大変。

ダモシも激怒のお粗末紅白で終わってしまった。

白は、
陸前高田から生中継で現地で熱唱する
千昌夫の<北国の春>で良かったのである。

赤は、
問答無用、ユーミンの<春よ、来い>で
締めれば良かったのである。

この二人のそのパフォーマンスを最後に持ってくれば
それですべて良かったのに、
なぜそれが出来なかったのか。

おそらくプロデューサーもバカじゃないであろうから、
松田聖子にも<あなたに逢いたくて>を唄って欲しかったろうが、
松田聖子本人があろうことか
なぜか<上を向いて歩こう>を唄いたがった。

プロデューサーもSMAPなんぞを大トリにしたくなかったろう。
だが、事務所のプレッシャーでそうせざるを得なかった。

そう判断するしかない。

さもなくば、プロデューサーはアホだ。

そもそも氷川きよしも、何だアレは一体。
なにを考えとるのか、と。
なにをどう感じたら、あんな衣装でへらへらするのか、と。
あれをやるなら前半に"ああいうのは"全部集約すれば良いのだ。

その代わり、
ダモシも見直した
flumpoolやゆずをもっと後に持ってきて
エモーショナルな所作を施すべきだった。

全部が全部、震災絡みにすることは、当然ない。
その必要性はない。
バランスだ。要は。

無関係な歌であっても坂本冬美のような貫禄充分なプロの
パフォーマンスを見せてくれるなら良い。

ところが何だSMAPは。
もう中井や香取あたりを筆頭に〜全員そうだが〜
ステージで唄うのはやめてはいかが、か。
あまりにも歌手としては下手すぎるし、情念もこもっていない上、
パッションの投影がまるでない。
ふざけているのではないか?キムタクの顔を見ていて特に
<この男、ナメてるな。一度、道場でしばいたろか>と
つい感じてしまうのである。

あまりにもチヤホヤされ過ぎたか。

その反面、嵐は頑張っている。何よりも良いのが、舞台では真面目なことだ。
今夜のストーリーならば、
大トリが嵐で、且つ楽曲も途中で見せた「ふるさと」であったならば
理解はできる許容範囲となっただろう。

とにかくSMAPだ。この連中が、台無しにした。
あとはもう一人、サッカーの長谷部だ。
なにをのこのこ、本が売れたからと調子に乗っているのかもしれぬが、
出てきたのか、と。

勝敗でいえば赤組の圧勝だったが、それも当然だろう。
ユーミンの事実上の大トリでそれを決定づけ
石川さゆりの貫禄の、今宵実に好調だった歌唱でだめ押しした。

だが、実際には大トリのSMAPがやるまでは甲乙つけがたかったはずだ。
赤組が圧勝した最大の要因は、
最後のSMAPがあまりにも
ここまで演じてきた全員の中でも
〜CGの芦田&福よりも〜酷かったからである。

ここまでアグリーなプロの歌手のパフォーマンスは、
そうそう見られない。

そんなレベルの"アレ"のせいで白組から一気に票が赤組に流れたと見て良い。
あらかじめのAKB48票だけでは
ここまでの大差にはならなかったはずだ。

事前に、SMAPが大トリであることに異議を唱えていたが、
実際のパフォーマンスで
最初の出だしの香取の歌唱で吹き出すくらいに酷かった時点で、
<ほれ、見ろ。だからやめろと言っただろ!>と
ブチ切れてしまったわけである。

もうね、都合や圧力や力関係でそういう順番を決めるのは、
やめなさいよ、ほとほと。

あまりにも酷い〜紅白をこれまで観てきた中でも、
最も酷いレベルに類する〜SMAPのそれはもう、いい。
これ以上語っていると、さらにイライラしてくる。

ああいうアマチュア以下は放置しておき、
プロのパフォーマンスを見せた面々の中でも
とりわけダモシ評価が高かった歌手を取り上げたい。

今宵の和田アキ子。これは良かった。
久しぶりに"ちゃんと"本気で唄っていた。
紅白の舞台でも「またか」に属する曲であったが、
今宵のそれは装いが異なっていた。

長渕の後だったことが、和田の闘志に火をつけたか。

松田聖子はあんなものではない。
今夜は完全に選曲ミス。
<あなたに逢いたくて>を切々とドラマティックに唄うべきだった。

前記の通り、坂本冬美と石川さゆりは貫禄の歌唱。
特に前者は、戦略的に成功している。
ポップス的&洋服の世界観の露出が増えている中で、
和服に久しぶりの<夜桜お七>。
魅せる要素としての戦術は奏功している。

もともとダモシ評価が高い絢香は久しぶりだったが、
まだまだコドモだが
以前よりはオンナ度が増した。歌唱力が高いのはもとよりだが、
あと五年だろう。あと五年経ってさらにオンナとなった時が楽しみだ。

平原綾香も着実に大ママへの道を歩んでいる。
良い感じで齢を重ねている。
まずはあと三年か。

長渕だ。気持ちは分かるが、
もう少し語りを少なくした方が、より良かっただろう。
逆に何も言わずに、ただただ、あの場所で歌を唄っていたならば
異なるポスチャーになっただろう。

だが、あれが長渕だ。


*****


全体的には冒頭に記載の通り、とても良かった。

これも前記の通り、
無駄な意味不明な乱痴気騒ぎの遊戯が完全に消え、
レコード大賞のように
パフォーマンス重視のプログラムにしたことが
その効果を発揮したのだ。

その点ではプロデューサーの手腕を評価したい。

が、プロデューサーも苦渋だっただろうが、
<SMAPの大トリ>という
ある意味で不可避だったのであろう失敗が
全体を台無しにしてしまった。

やるならば、徹底的に震災絡みで進めるべきだった。
中途半端が最も避けるべき行為であるが、
どじょうが如く八方美人的所作を残してしまったのだろう。

今回の紅白の、最大メインの顔は、
ユーミンの<春よ、来い>だったのだ。

だから、それを最後に持って来るべきだったのだ。

あるいは何度も書いているように
陸前高田からのLIVEの上での千昌夫<北国の春>。

このいずれかであれば、大団円だったのだ。

非常に、残念である。

天童よしみに罪はないが、
そもそもこの順番もおかしい。

なぜユーミン→天童→石川なのか。
百歩譲って石川はまだしも、
なぜユーミン<春よ、来い>の後にトリの前に
一人、天童を挟むのか。まったくこれも理解が出来ない。

要するに、<間(マ)>が抜けるのである。抜けたのである。

あの空気感のイキママで、ユーミンで終わるのと、
EXILEはともかく、赤の次が天童よしみになるのとでは、
雲泥の差である。


近年最高だった全体面と、

最後が最悪だったという一部の面。

その両面が、へんてこりんに綯い交ぜになってしまった紅白。

徹底し切れなかった中途半端なニッポンならではの紅白。

そんなレビューとなる。

残念だ。実に残念だ。最後さえ・・・。

リアルに、最後のSMAPさえ・・・である。

SMAPには、できれば来年はもう出てこないで欲しい。

というよりも、
本人たちは恥ずかしくないのだろうか?
あのレベルで大トリをとって。
プロたちの間に混じって恥ずかしくないのだろうか?

大いに疑問である。


興行は、大トリ=メインイベントをいかに締めるか。

これが重要である。

忌憚なく言うが、
小学二年生のアントニオですら
大トリのステージを空手で演じている。

そして大団円のパフォーマンスを演じ切っている。

メインイベンターとは何か。大トリとは何なのか。

それをSMAPはまったく理解していないと断罪する以外にない。

ほとほと小学二年生以下の、アマチュア以下の
<SMAP>には腹が立った。


SMAP分の視聴料を払い戻して頂きたい。
彼らのパフォーマンスは<カネ、返せ!>レベルである。

それほど酷かったということだ。

それも、
中井が唄い出すまでもなく、
のっけからもう<あちゃぁ・・・>的な世界だったから
始末に負えないのである。




posted by damoshi at 01:11| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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