2012年02月26日

ジンクスor三度目の正直


アントニオの空手は、三月に2大会。
いずれも欲しいタイトルの大会がある。

一つは今週末。

正直、縁のない、相性の悪い大会である。

一昨年の幼児時代は、
一回戦の本戦で勝っていながら(副審の旗が二つ上がっていながら)
なぜか分けとなり延長。その延長で不可解な判定負け。
ダモシもブチ切れた大雨の酷寒の二月末。
陰気くさい、ダークスカイが記憶に残っている。

昨年は、一月の大会で優勝し、絶好調で臨むはずだった。
だが何と大会当日にインフルエンザ発症。
無念の欠場となった。

東日本大震災が起こるのはその数日後。
アントニオの後、ワイフにうつり、
ダモシもとっくにうつっていて高熱だったが放置。
気づけば治ったのだが、
そのワイフ、アントニオ二人揃ってダウンで
自宅にいた日が東日本大震災だった。

三度目の正直。

三月のもう一つの大会も、二年連続で準優勝。
ここもまた三度目の正直となる。

三月の2大会は、いずれも三度目の正直。

これがキーワードになる。

さて、どうか。

<インフルエンザになるなら今週までだな、ギリギリ>
と懸念していた先週は乗り切った。

が、乗り切ったことで、
明日以降でそれにかかったらもうアウトという
期間内に入ってしまった。

インフルエンザはもとより、風邪も同様。

<風邪もひくなら昨日までならギリギリだな>と見越していた
昨日土曜日も今日も乗り切ってしまった。
明日以降で風邪をひいたら回復期間も考えればもうアウトである。

毎回そうだが、ほとほと胃がきりきりである。
神経がすり減る。

<学校でうつされなければ・・・>との切実な想いである。

どうか、すこしでも風邪っぴきの子供がいたら、
親は学校を休ませて欲しい。
ほとほと、願うところである。

会社も同様だが、今や、風邪やインフルエンザを押してまで
<来る><行く>ことは無礼の極みである。
他人にうつすことで迷惑をかけるのだから、
潔くすぐに自宅に籠り、治すことに専念すべきである。

<ちょっと具合が悪いくらいで休むな>は、
昔のニッポンの悪癖の一つである。
本人や親はそれで良いかもしれないが、
そんなものはガッツでも何でもなく、
他人のことを考えないワガママに過ぎないのである。

今週の大会こそ、絶好調で、現時点の状態のまま臨ませたい。
明日以降体調不良等が起これば、
もう完全にその大会とは縁がないということになる。

いわゆるジンクスである。

まずは今週の大会。一つのジンクスを壊したい。

もう一つの大会もそうだが、
<三度目の正直>イコール、<ジンクスを打ち破れ!>である。


*****


キャリアを重ねていくと、コドモでもそうなのだから、
オトナになればそういったジンクスや相性というものが
対<大会>、対<イベント>、対<場所>、対<他人>に
色濃く出てくるだろう。

<ダモシx甲府=青空>しかり。

格闘技や野球などの場合は、主たる対象は対戦相手となる。
対戦相手との力関係や相性が大きく影響する。

一方で競泳やマラソンなどタイムが秤になる競技の場合は
自分自身が主たる対象となる。
場所などを含む広義でのアトモスフィア全般も大きな要素
であることは言わずもがなだが、
個人競技で且つタイムが勝敗の秤の競技の場合は、
格闘技とは趣は違う。

キャリアを積めば、ある程度、
自分自身の持ちタイムとの比較で
現在の体調やマインドなどを総括したところで
<だいたい〇〇くらい>という読みが立つ。

例えば100m走の近半年内の持ちタイムが25秒の人が、
いくら調子が良いからといって
<五輪で優勝する!>という読みはおろか、目標すら
立ちようがない。

格闘技の場合は、出会い頭の一発だったり、
疑惑の判定などを含む多くの要素から
アップセットの可能性は大いに高いが、
陸上や競泳ではその可能性は大いに低い。

要するに白帯が黒帯に勝つ可能性は大いにあるが、
持ちタイム20秒のランナーが
9秒99のランナーに勝つ可能性は大いに低いということである。

<だいたい〇〇くらいだろう>という想定が、
より多くの一般人が持ち得るものの一つが『マラソン』ではないか。

これまでのベストタイムすなわち持ちタイムが
3時間50分ならば、
次なる大会に出る目標の一つは<優勝>よりも
<自己ベスト更新>になるのが妥当だろう。

ここでは基本的に
出ることに意義がある選手の場合ではなく、
どの競技においても
"コンペティション"として臨んでいる選手の場合を言っているのだが、

いわゆる<自己ベスト更新>型競技と
<対戦相手凌駕>型競技では、同じスポーツでも、
共通点は当然多々あるが、考察するポイントが大きく異なってくる
ということである。

<自己ベスト更新>型競技の主だったものは、
競泳、陸上になる。
特に陸上は多いだろう。
走り幅跳び、走り高跳び、棒高跳び、長距離走、短距離走、
ハンマー投げその他膨大だ。

その中の一つの特性に、

『負けても(予選墜ちでも)、自己ベストを出せれば満足』
『世界で相手にならなかったが、日本記録更新したから大喜び』
というものがある。

逆に、勿論、
『優勝したけど、自己ベストに遠く及ばなかった・・・。ダメだな』
というマインドも発生するだろう。

一方で、例えば格闘技。例えばアントニオの空手。
相手がいて、相手も千差万別。スタイルも様々。
時に異種格闘技戦になる。

そうなると、相手関係が大きく評価に左右してくる。

もちろん『優勝』したら、大いに評価するのだが、
『準優勝』でも"事実上、優勝"というケースもある。

例えばそれは、衆目の一致するところでの
<事実上の決勝戦>が準決勝であって、
それに勝って決勝に進んだが、
決勝の相手は一学年上から下におろして出てきた者だった場合、
それには負けてもしゃあないでしょ、となる。
そもそも<下に出てくるなよ>という世界だからだ。

ヒトが絡む判定の場合は〜特に格闘技の場合〜、
ホームタウン・ディシジョンも介在するから
結果が悪くても、<何だそりゃ?>で終わるケースもある。

タイムという絶対的な秤がない分、
すべてはそこで繰り広げられる闘いにおけるLIVE感で
とても良かったのか、たいへん悪かったのかを察知して
それが勝ち負けを超えたところでの評価となる。

どちらの型の競技が面白いか、良いか、ではなく、
さように、一つの側面だけで見ても
スポーツは奥深いということがいえる。

また、それを考えれば考えるほどに、
スポーツこそLIVEである、と。

LIVEを我等に。

LIVEで、目の前に提示される、闘っている者の所作。
そこにしか真実はない、ということである。

堕落したニッポンのテレビが捏造して作り出す
サイドストーリーの中には
スポーツの本質は何一つ、ない。

スポーツの本質は、現場。LIVEにしかないのである。

競泳や陸上などの、
ひとつには<自己ベスト更新>型といえる競技に
励んだことがまったくないダモシ
〜ダモシはすべて<対戦相手凌駕>型競技〜であり、

己自身がまず誓って言えるだろうが
絶対にやらないスポーツの最右翼マラソン。

好き嫌いではなく、
ダモシの趣向とは対極に位置するスポーツ<マラソン>。

しかしそれは一般大衆がこぞって応募し、
三万数千人もが実際に走るほどのイベント。

ある意味で東京だからこその、東京マラソン。

今年も後輩が出たので応援に出かけた。

昨年もこの応援に出かけた翌週、
空手の大会があり、
その日の朝にインフルエンザ発症した
ある意味でのルーティン。

ジンクス破壊へ、今年も同じローテーション採用で、
今宵、アントニオとワイフを伴い
東京マラソンの応援に出かけた。

昨年同様に、寒い寒い一日。


0226121.jpg

応援する相手を最も探しやすい場所の一つが、
品川の折り返し地点周辺。

0226123.jpg

東京タワーを背後に走ってくるランナーたち。
この道路の広さが、応援する相手を探し出せるキーの一つ。
しかもこの時点ではある程度、集団もばらけつつある頃合い。

特にその後輩は速いから、団子になっている集団が来るよりも
かなり前に折り返し点に到達するため、
発見しやすいのだろう。

競技の種類は違えども、
<闘い>と<スポーツ>という部分では同じである。
アントニオも彼の姿にインスパイアされて
己が闘いへまた改めて心を引き締めるか。

平日の夜、そして前日の土曜日も練習場を確保。
個別で最終調整を今週、図る。

最後まで、出来得る最善を尽くす。

これもまた一貫して行っているルーティンである。

今回もまた優勝賞品は、過去最高のものを提示してある。

そして過去、もっとも多く
ダモシ自らがスパーリングで受けている。


spar22.jpg


*****


さて、人混みを嫌うダモシゆえ
沿道でたびたび肘や膝が炸裂してしまったわけだが、
それはそれとして、

往路でも復路でも東急線の駅ホームには常に
カメラを抱えた多くの人々がいた。

自宅最寄駅にも、乗り換えの大井町駅にも溝の口駅にも。

で、彼らを撮った。

0226122.jpg

例えば富士山では
ご来光を待ち構える人々にフォーカスして撮り、

例えばセントラル・パークでは
バードウォッチングで一斉に双眼鏡を覗いて
宙を見上げる集団を撮った。

要するにご来光や野鳥、そして鉄道ではなく、
それらの主題を撮ろうとしている人々を主題にして
撮るのが、面白い。

被写体に夢中になっている人自身を被写体にする。

その瞬間、人間は無防備だから、面白いのだ。

<何だろうね>とワイフ、アントニオと言い合ったが、
きっと何かのさよなら運転?か何かだろう。


posted by damoshi at 23:58| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

前掛け


今週は、
二日「遠征」(甲斐国と上野国)、二日「空手の稽古」、
二日「酒席」の月〜金。

「酒席」自体、もはやダモシはめったに着かないが、
珍しく二度着いた、と。

「空手の稽古」があるゆえに、
打撃受けで身体はアザだらけに痛みに、という状況での
長時間ドライブでの遠征は疲れるのだが、
その上に酒席となれば、もう今宵は久しぶりに八時間寝たよ
という始末である。

普通に"仕事で疲れました"という世界ではなく、
それはもとよりとして
打撃を受けていることでの肉体疲労、
長時間ドライブでのそれは、相当やはりダメージになる。

だから、ボケてもくる。


*****


昨晩の酒席は、焼き肉であった。

23時。
店を出て駅まで十分歩く。
巨大な駅は、昔ほどではないにせよ
やはり金曜の夜ということで大勢の人が行き交っている。
駅に入ってから改札までも長い道のり、数分。

店を出てから改札を入るまでの間は約二十分。

改札に差し掛かれば席を共にした者たちと
「じゃあね」と分かれる。

その後はそれぞれ一人になる。

一人になる直前、並んで歩いている最後の局面で
その中の一人が言った。

<あっ、ダモシさん。前掛けしたままですよ!プハァーッ!>

その瞬間、メンバー間に大爆笑が広がる。

<うわぁーはっはっはっ!>

<ぎゃはははははーっ>

焼き肉を食している間、身につけていた前掛けを
付けたまま店を出て
そのままずっと歩いてきていたのだ。

<えっ?あっ>と気づいた瞬間、
ダモシも己の醜態に爆笑せざるを得なかった。

<わぁーっはっはっは!>

再現すると、このような感じだ。
前掛けは本物だ。

021712a.jpg

ジャケットにコート。
実際にはジャケットの下にシャツを着ていた。

この状態で店を出てから駅につくまでの下界を、
そして駅舎内に入ってから改札につくまでの構内を、
普通に歩いていたわけである。

<どうりで、すれ違う人が笑っていたような気が・・・>

すれ違って気づいた者たちはおそらく爆笑していただろう。

<あいつ、前掛けつけたまま帰ってきてる(笑)>と。

間違いなく、その人が気づいて言ってくれなければ、
そのまま「じゃあ」と分かれて
ダモシはずっと電車内もこれを付けたまま乗っていて
自宅最寄駅まで来ていたことだろう。

気づくとすれば帰宅して着替える際のみ。

あるいは電車内で誰か他人が親切に
<前掛け付けたままですよ?>と言ってくれた可能性も
なきにしもあらずだが、
おそらく言う前に/言うよりも、黙って見て/誰かと共有し
『笑い』のネタにする方が多いだろう。

ヒソヒソヒソ、と。で、顔はニヤニヤニヤ、と。


*****


帰宅したのは0AM過ぎだから、
今朝逢ったワイフとアントニオに顛末を語ると
大爆笑されたが、

本来的なダモシの美意識とキャラクター性からすれば
こういったボケ行為はちょっとあり得ないから、
自分でも想い出すたびに笑ってしまうのである。

羞恥にまみれることであっても、
あまりにもおかしいと
自分自身で笑ってしまうものだが、

まさにこれはそれに該当する。

北の某国拉致中に、首都サツホロの真冬の路上で
普通のビジネスシューズで歩いていて
アイスバーンの上ですってんころりん派手に転んだ際も、
転んだまま仰向けになってしまい
完璧な構図で夜空に煌めく星を視界に捉えた瞬間、

転んだ恥ずかしさや、
自分自身に対する「なにをしとるのか、みっともない!」
という憤りよりも、
おかしさが際立ち、すぐさま立ち上がることもせず、
星を見上げたままゲラゲラと一人で笑ったものだが、
それに類する事象であろう。

指摘した人も爆笑
〜指摘している途中から既に吹き出していた〜、
指摘された方も、その周りにいた人も、爆笑。

おそらく仮に電車内で他人が指摘することになっていたとしても、
その指摘をした人は爆笑するだろう。
そして車内であっても
指摘されていたらダモシも爆笑しただろう。
電車はたいへん混んでいたから、
仮にダモシが電車内でも前掛けをしたままで
そういうことになっていたら、
その車輛中が大爆笑に包まれていた可能性は大いにあるだろう。

駅舎内歩行中に指摘された後、爆笑しつつも
<僕としたことが、あぁ、はずかしい・・・>
と言ったのは本音だが、

一方で、でもまあこの笑いと事象の面白さは<OK>だな、と
思えたのは、自分自身でも素直に笑えたからだろう。

作為なき笑い。

これが現代では欠けていて、
くだらぬ三流四流のお笑いタレントが
自分がウケたいだけの心持ちで芸とはいえぬ芸を見せる状況下、
そういった作為的な笑いの強要ではなく、
作為なき笑いを享受できるのは、そうそうない。

だから、OKとしやふ、といったところである。


が、一方ではボケているのは確かで、
年々こうして脳が硬化?あるいはキレがなくなってゆくのか?
とも思えるところである。




posted by damoshi at 16:19| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月11日

long time no see


long time no seeである。
しかしここはニューヨーク時代からの学び舎。

キャラクターのダモシの領域だが、
本名含む数あるキャラクターの中でも
最も本質に近いのがダモシでもあり、
一方で最もキャラクター化しているのもダモシである。

ただ、そのキャラクター化の中にも嘘偽りや虚勢はなく、
本質の中の本質、否、原点、あるいはパッション。
本名名義も本質の一端であり、他のそれも同様。
すなわち、すべてのキャラクターは本質で、
それらの中の点が線になる時、結晶として結びつくのだろう。

本名名義がオフィシャル事案で携わっているもので、
自身が企画開発しディレクションしている商品の
発売がまた月曜日である。

本名名義もダモシも、毎回だが、ドキドキしている。
パブリックに全国に出る"モノ"。
日米で出た"モノ"の経験もあるが、ニッポン帰国後に関わっているモノは、
その「量」のレベルが違う。実際に売れている量も、種類の数も。

これまでも自身が関わった対パブリックの"モノ"でも、
好意悪意双方必ずパブリックからは声が出ることは知っている。
政治家ではないが、いちいち気にしていては心も持たない。
ただ、手前味噌や机上の空論、マスターベーションではなく、
対パブリックへの責任感と、消費者への便益を最重視し、
そして誇りを持って作っていれば、それが自信となるし、
それだけ多くの時間と胃が痛む日々を経て、
そういうモノは完成する。そして多くの人が関わり協力がある、と。

それを手にしたパブリックの人々が喜んでくれれば良いし、
それによって利益をクライアントが得られればそれで良いのだ。

キレイごとを言うつもりはないが、
真摯に、消費者とクライアントそれぞれが
ダモシが作ったモノで喜んでくれて利益や便益を享受できれば
それが最も嬉しいことであるし、
そうなってもらえるよう、それこそ必死に、手抜きゼロで
自ら手を動かしているわけだ。

だが、スポーツの試合前同様に、恍惚と不安がある。
じりじりし、ひりひりし、眠れなかったりするのだ。

自らが手掛けたモノの完成や発売。
それは嬉しさは少なく、安堵感も少ないものである。
自信はあるが、当然、一方では、それゆえの大きな不安もあるのだ。

もうかれこれ今回も、出来上がり、発売に至るまでの
制作中の数ヶ月、突然夜中に飛び起きたり、
眠れなかったり、と〜「これで、いいのか?」という自問自答〜。
ダメだ、これでは。もっと追求しよう。何度も直す。
こりゃ身体もたんぜよ、という世界。

発売当日は毎回、いないようにしている。
というか、遠征して現場を観に行くようにしている。
<動いている>方が様々な意味で、救われるのである。


これでいいのか?

という不安を少しでも払拭するために、<やる>のではないか?
必死に。

何でもそうだ。

アントニオの空手もそうだ。

これでいいのか?
優勝しても、当然、これでいいのか?
これで勝てるのか?
KOされるのでは?
一本とられるのでは?

と、自信の裏に、不安が常にある。

次の大会も一ヶ月を切り、
そういう不安を払拭し、まだまだだ、これでいいのか?
を繰り返すべく、ダモシも身体を張って自ら相対して
アントニオのスパーリング相手を道場で務めている。

正直、身体はボロボロであり、ボディ、脚、
夥しいアザだらけで腫れ上がっている。

いささかグロテスクだが、こんな、だ。

foot.jpg

こんなのが全身である。

数年前に大学の相撲部に乗り込んで一敗地に塗れた時どころではない。

それだけアントニオの、小学二年にしてはあり得ない
キックとパンチの威力がさらに増していることの証明である。
館長もダモシもヤワじゃない。
打撃への耐性は強い。且つ太く硬く鋼鉄のような筋肉の脚だ。
それがこうなってしまう。館長もダモシも、二人とも。

もっと来い、もっと蹴れ!効かせろ!と
己の身体を張ってやることで〜父親が自らの身体で受けることで〜
子供自身もモチベーションが上がるわけである。

<俺にやっている蹴りを敵にやってくれ。一発でKOだぞ>と。

そして、遂にアントニオは、
ダモシにでさえ一本とりそうな局面を迎えた。
本来、あり得ない世界である。
そのシーンを掲載したい。

一瞬、道場の空気が静まり、直後、笑いの渦が巻き起こった。

kkt1.jpg

左インローから、左の飛び後ろ回し蹴りが来ると思ったダモシ。
左手にハメているグローブで受けようと左腕をやや上げている。
右が完全に開いている。

ところがアントニオは予想外の動きをし、突然、右脚を上げた。
かかと落としか内廻し蹴りか裏回し蹴りか。
ダモシの右のガードが下がっている。

kkt2.jpg

(左)
<あっ、右脚だ>と察知した時すでに遅し。
アントニオの右脚は放物線を描かず
直角に上がってきたため、
ダモシの右腕の外側を通らずその内側からシュッと上がってきた。
この段階ではまだダモシはかかと落としが来ていることを
気づいていない。まったく見えていない。

(右)
アントニオの爪先がダモシの右眼のあたりを捉えんとしている。
この0.01秒前にようやくダモシの視界に
アントニオの爪先が入り、
<うっ、かかと落としだ>と気づくか、もう遅い。
かかとはダモシの右肩に、爪先は右眼を弾く。


kkt3.jpg

(左)
ヒットした直後。
ダモシの顔は<うわっ!>という感じになっている。

(右)
アントニオの身体はヒットの衝撃で後方に飛んでいく。
ダモシはヒットされたことで
咄嗟に顔を背けて両腕のディフェンスをとるが、
完全にもう遅い。

kkt4.jpg

(左)
吹っ飛んでいくアントニオ。
ダモシは<うおぉっ、ヤバいっ>という顔。

(右)
飛んでいって膝から着地したアントニオ。
髪の毛が逆立っているから、
そのスピードと衝撃が分かるだろう。
ダモシは<おおぉぉっ、危ないぃ>とヒヤ汗の表情。


基本の、そもそもアントニオの主武器のローキックは
その強度を増し、もう受けるのも相当キツくなってきているが、
現在取り組んでいるフェーズ.4&5段階のマイナーチェンジでは、
他の二年生が絶対にやらない動きやコンビネーションを繰り返しやっている。

その一環で、咄嗟に出たアントニオの技だが、
これが完全に見えなかった。
確実に、そして明らかに、スキルアップしているのが分かるのだ。

アントニオに、
上段にせよ何にせよ完璧な一本をとられたら、
ダモシはもう道着を纏うことはできないだろう。
その日は近いのか、どうなのか。

画像で見ると分からないが、これを映像で見ると、
もの凄いスピードであることが分かる。
機会があればダモシvs.アントニオのスパーリング動画を
掲載したい。

不安を払拭するために。

スパーリングも、試合本番の一分半よりも長い時間でやっている。
稽古で二分動き通せれば、
仮に本番で一本とれずに一分半フルに闘っても
スタミナは落ちないという算段である。

しかも前回の寄稿から今宵までの間に、酷い風邪もひいていた。
喘息か気管支炎では?と思えるように咳がずっと続いていた。
結構キツいなぁ、と受けていて思うこと多々ありだが、
これもアントニオのためだ。

またこの週末も(今週は日曜だけ)だ。


*****


tocho0210.jpg

東京都庁。
例の、ダモシ、プロポーズの場所である。
今宵のオフィシャル事案から。

不掲載の間も本は本で一杯読んでいる。
それらの紹介もまた書きたい。

明日の土曜日は、久しぶりに稽古もない。

ちょっと梅でも観にファミリーで散歩に出て
リラックスしたいところである。
もう咲いているかな?


*****


ああ、そういえば。

フェイスブックだ。

フェイスブックを始めたのである。昨日から。
もちろんこれは本名名義だ。

当欄をご覧頂いている方の多くは、
ダモシの本名もご存知と思うので
ぜひフェイスブック上で本名名義を検索頂き、
<お友達>になれれば嬉しく思うところである。

fbdamo.jpg


週明け月曜は、甲斐国遠征である。

この週末は、当欄、ちゃんと書きたい。




posted by damoshi at 01:42| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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