<本妻>復帰後、
仕事柄また居住エリア柄、
<渋谷>が一つの基点となっている。
だから
必然的にそこへ出かけるケースが
増えている。
とはいっても
基本はR-246側/六本木通り側や
駅周り(東急側か京王側)で、
ヤングボーイ&レディやコドモたちが
闊歩するハチ公やセンター街側は
昔と変わらず
極力避けている。
特に駅前とセンター街のエントランス(109)を
結ぶ大横断歩道などは
もってのほか。
以前掲載したように
サッカーW杯日韓共催期間中に
ニューヨークから出張で訪れていた時、
たまたまそこを通ろうとしたら
ダモシが嫌う乱痴気騒ぎが
繰り広げられていたこともあるが、
そもそも
オールウェイズここは大混雑。
雨が降ろうものなら、さあ大変。
時に、JRと京王を結ぶ上階連絡通路
(渋谷マークシティ)から
高見の見物を決め込んだダモシは、
彼らを忌憚なく蔑んだ
ことも既載した。
先般の
同年齢の友人との
新宿での
<ぴったり10年ぶり>の再会
に続き、
今宵も
旧知の友人と8年ぶりに再会した。
所は、渋谷。
彼もまたダモシと同年齢/同学年。
"同年齢なのに、まったく話が噛み合わなかった"
<北の某>とのドラマティカリーな差だが、
今宵も
時代考察から恋愛、
そして共に過ごした歌舞伎町時代等
単なる同窓会ノリではなく
カルチュラル談義や
ビジネス談義に花が咲いた。
新宿で再会した友人も
渋谷での彼も
いずれも業界がダモシと同じだけに、
当然ビジネスの話にもなるが、
それは
ほどほどに
まずは<本妻>復帰を祝い、
旧友を暖めると同時に
<空白の10年>の出来事などを
基軸に
テーマが明確な一本勝負が
展開されたわけである。
常々記載しているように、
ダモシは漫然とした酒席や
だらだらした宴会、飲み会は大嫌いである。
儀礼的なそれも
行きたくもないのに付き合い云々系も
忌憚なく大嫌いである。
明らかなる主題があって、
そこで
濃密な時間(=心の利益)が得られる場合にのみ
酒席に着席する。
だから必然的に回数は減る。
だから必然的に酒を飲んだ際の密度は濃くなる。
そうして
一対一の濃密な
何年に一度の、あるいは数カ月に一度の
五時間一本勝負などが成立し得るのである。
ところが
相対的にニッポン人はそうではない。
主に<会社>絡みなどでは
飲む必要ないだろと感じられるケースでも
漫然と飲む。
酒席を設ける。
人によっては毎晩。
だらだらと飲む。
<酒を飲まなければやってられない>
がエクスキューズとなる。
ヤングボーイ時代から
そういうものを嫌ってきたから、
これはまず99.99%そうだが、
ダモシが酒を飲むときは
その一対一もしくは三人、四人という
場は、
大いに盛り上がる。
濃いからである。
しかもそれが10年に一度の席であったり、
一年に一度であったりするから
よりインパクトは強くなる。
競馬でいえば
ムダなレースに出ない。
大きなGIレースしか出ない。
昔のプロレスでいえば
来日が頻繁になりすぎて
too muchになり新鮮味がなくなるような
スタン・ハンセンやザ・ファンクスではなく、
"未だ見ぬ強豪"的立場。
そういう意味でも
この夏以降の
<本妻>復帰シリーズでは、
かつての上司とのお見舞いという
病院での再会
後輩たちとの
それぞれの大阪行、日本シリーズ行、
先般の新宿での10年ぶり
今宵の渋谷での8年ぶり、
そして夏の
ニューヨークの聖母との
R-246での再会
(彼女とは年に一度の再会が
二年続いている)
"土" 仙台での酒席
その他、
いずれも濃密な一夜限りのイベント
として
ヴァリューの高さをもたらした。
これが
ひとつには<旅人>の特権でもある。
・絶対的な主題があり、それが明確であること
・主題が拡散して座が曖昧にならないこと
・主役は誰なのか。クリアであること
これがダモシの酒席に対する観念である。
それは
サラリーマン時代から変わらない。
二十代の頃も、
仕事帰りに酒を飲みに行くヒマがあるなら
己自身の夢のことに時間を使う、
夢を実現するにはどうすれば良いのかを
考える時間にスペンドする、
己の恋人やワイフとの時間にスペンドする、
を基軸としていた。
そして
それは今も変わらない。
<じぶん>自身に関することで
やることが膨大にあるからだ。
その時間を
酒席に変えるに値する最大の理由は、
その酒席自体が上記のテーマに合致することと
相手がそれに相応しい人であること
である。
終電間際の田園都市線もまた
10年前と同じように
飲み疲れたサラリーマンとOLで
溢れかえっていた。
10年前と同じように
その顔は疲れ果て、暗い。
<きっと毎日のように
会社にこき使われ、酒を飲んで、
疲れ果てているのであろう>
と同情するがしかし、
やはり忌憚なく思うのは、
<さっさと帰って、
自分の夢に時間をスペンドすれば良いのに>
ということである。
10年前と
やや異なる車内の様相は、
飲み疲れているOLや女性が多いことと
その年齢層が高くなっていることである。
30代、40代の
働く女性の、飲み疲れた顔が
98年までより多い。
<仕事終わったのなら、
さっさと帰れば良いのに>
<そんなに誰かと交わっていたいのか?>
と率直に感じてしまう
ダモシのような人間もいる
ということである。
飲み屋での客の様子を見ていても
個々が
"弾けている"感じを受けないのである。
要するに
しんみり話す
笑って話す
それぞれ楽しみ方はあれど、
そのアトモスフィア全体ムードが
<話が弾んでいるか>
<場が弾けているか>
となれば、疑問に感じるのである。
もし
毎日オフィスで顔を合わせている人と
毎日のように同じ顔ぶれで
酒を飲んでいるとしたら、
話は弾まなくなろう。
会社の忘年会と思しきグループも
当然いるが、
そのいわゆる団体旅行的な一群も
店内出入り口で
全員が全員明らかなる願望と愉悦をもって
その場に臨んではいない
というアトモスフィアが見えてしまうのである。
苦痛であろうな、と。
逢いたい。飲みたい。
でも逢わない、でも飲まない。
一定ラインで時間の熟成は必要である、と。
そういった<間合い>あるいは<間(ま)>。
それこそ
ニッポンの良さである
ワビサビの一種ではないか、と。
恋人と逢いたい。
セックスしたい。
しかし
毎日逢える、毎日床を共にするでは
節操がない。
心と時間を熟成して、
<ようやく>
<やっと>
がそこに加わることでの妙がある。
先般
ぴったり10年ぶり
に再会して酒を飲んだ友人との間での
共通感覚である
<また逢えて良かった>
<生きてて良かった>
は、
そういったことから生まれるのである。
今宵も同様。
この
<また逢えて良かった>
<生きてて良かった>
という
特異感覚に関しては、
別途年内にディープに掲載したい。
今宵の渋谷そして飲み屋、
田園都市線で
そんなこんなを感じた次第である。
帰宅したダモシが
そんなこんなの一部を述べると、
ワイフが言った。
<基本的に、OLも、
よく身体がもつよね>。
まさしく。
ダモシは、もたない。
これで明日仮に
9AMに出社しなければならないとすれば、
赤ちゃんのようにイヤイヤするであろう。
酔わないダモシ。
酔っていないダモシ。
酔っていて
顔も身体も疲弊しているOL。
前者は明日10:30AMに有楽町。
後者はおそらく9〜10AMに
"属している"組織に出社。
後者の方が
短絡的に考えれば"大変"だろう。
だが
物事そう単純ではないぞ、と。

98年までも、
ニューヨークからの出張時も、
そして今も。
渋谷のこの横断歩道のシーンを見ると
申し訳ないが
皆がバ◯に見えてしょうがないのである。

まあ皆々様、ようやるわな、といった感覚である。
この中を歩きたくない。
こういうシーンは
上から見下ろすに限る。

東京人ではなく、
<東京で暮らす人々>は
ヒト恋しい人がおそらく多いであろう。
孤独を埋め合わせる手段は
夜の酒席か。
暗いニッポン。明るい話題は
一般ゼネラルには、ない。
だが翻って考えてみれば、
異国で
手持ちのお金がなくなる危機や
命の危機に陥ることより
楽でしょ?
ということである。
危機だ、暗い、深刻だ
と下を向いても
まだ命のやりとりをしているわけでもないでしょう?
と。
勝負は、
ほんとうのSINK or SWIM(のるか、そるか)
になってからですよ?
と
ニッポンとニッポン人には
言いたい。
ニッポンのダサダサ&ダメさ加減を示す
絶対象徴が、
この渋谷の横断歩道である
と
ダモシは昔から思っている。
ニッポンの状態が悪い時に
ここの様子を見れば
なぜダメなのかの根本が見える。
状態が良く
ニッポンが浮かれているときも同様に
ここの様子を見れば
そこに危うさを見て取れる。
ここの光景を見下げ、
そこを歩く人の様子を見るにつけ、
そのボンクラな
危機管理ゼロの
からっぽな
無機質な
幸せごっこな
顔に
虫酸が走ると同時に、
己自身は常に
"keep going"せんといかんぜよ
と、改めて思えるから、
ダモシにとっては
有益な教科書である。
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