2008年12月18日

教科書〜渋谷・大横断歩道









<本妻>復帰後、

仕事柄また居住エリア柄、
<渋谷>が一つの基点となっている。

だから
必然的にそこへ出かけるケースが
増えている。


とはいっても
基本はR-246側/六本木通り側や
駅周り(東急側か京王側)で、

ヤングボーイ&レディやコドモたちが
闊歩するハチ公やセンター街側は
昔と変わらず

極力避けている。

特に駅前とセンター街のエントランス(109)を
結ぶ大横断歩道などは
もってのほか。




以前掲載したように
サッカーW杯日韓共催期間中に
ニューヨークから出張で訪れていた時、

たまたまそこを通ろうとしたら
ダモシが嫌う乱痴気騒ぎが
繰り広げられていたこともあるが、

そもそも
オールウェイズここは大混雑。


雨が降ろうものなら、さあ大変。


時に、JRと京王を結ぶ上階連絡通路
(渋谷マークシティ)から
高見の見物を決め込んだダモシは、

彼らを忌憚なく蔑んだ

ことも既載した。





先般の
同年齢の友人との
新宿での
<ぴったり10年ぶり>の再会
に続き、

今宵も
旧知の友人と8年ぶりに再会した。


所は、渋谷。


彼もまたダモシと同年齢/同学年。


"同年齢なのに、まったく話が噛み合わなかった"
<北の某>とのドラマティカリーな差だが、

今宵も

時代考察から恋愛、
そして共に過ごした歌舞伎町時代等

単なる同窓会ノリではなく
カルチュラル談義や
ビジネス談義に花が咲いた。



新宿で再会した友人も
渋谷での彼も
いずれも業界がダモシと同じだけに、

当然ビジネスの話にもなるが、

それは
ほどほどに
まずは<本妻>復帰を祝い、

旧友を暖めると同時に

<空白の10年>の出来事などを
基軸に


テーマが明確な一本勝負が
展開されたわけである。



常々記載しているように、

ダモシは漫然とした酒席や
だらだらした宴会、飲み会は大嫌いである。

儀礼的なそれも
行きたくもないのに付き合い云々系も
忌憚なく大嫌いである。



明らかなる主題があって、

そこで
濃密な時間(=心の利益)が得られる場合にのみ
酒席に着席する。


だから必然的に回数は減る。
だから必然的に酒を飲んだ際の密度は濃くなる。

そうして
一対一の濃密な
何年に一度の、あるいは数カ月に一度の

五時間一本勝負などが成立し得るのである。





ところが

相対的にニッポン人はそうではない。

主に<会社>絡みなどでは

飲む必要ないだろと感じられるケースでも
漫然と飲む。

酒席を設ける。

人によっては毎晩。
だらだらと飲む。

<酒を飲まなければやってられない>
がエクスキューズとなる。



ヤングボーイ時代から
そういうものを嫌ってきたから、

これはまず99.99%そうだが、

ダモシが酒を飲むときは
その一対一もしくは三人、四人という
場は、

大いに盛り上がる。

濃いからである。


しかもそれが10年に一度の席であったり、

一年に一度であったりするから

よりインパクトは強くなる。




競馬でいえば
ムダなレースに出ない。
大きなGIレースしか出ない。

昔のプロレスでいえば
来日が頻繁になりすぎて
too muchになり新鮮味がなくなるような
スタン・ハンセンやザ・ファンクスではなく、
"未だ見ぬ強豪"的立場。




そういう意味でも
この夏以降の
<本妻>復帰シリーズでは、


かつての上司とのお見舞いという
病院での再会

後輩たちとの
それぞれの大阪行、日本シリーズ行、

先般の新宿での10年ぶり

今宵の渋谷での8年ぶり、

そして夏の
ニューヨークの聖母との
R-246での再会
(彼女とは年に一度の再会が
 二年続いている)

"土" 仙台での酒席

その他、


いずれも濃密な一夜限りのイベント

として
ヴァリューの高さをもたらした。




これが
ひとつには<旅人>の特権でもある。



・絶対的な主題があり、それが明確であること
・主題が拡散して座が曖昧にならないこと
・主役は誰なのか。クリアであること

これがダモシの酒席に対する観念である。

それは
サラリーマン時代から変わらない。




二十代の頃も、

仕事帰りに酒を飲みに行くヒマがあるなら

己自身の夢のことに時間を使う、

夢を実現するにはどうすれば良いのかを
考える時間にスペンドする、

己の恋人やワイフとの時間にスペンドする、


を基軸としていた。


そして
それは今も変わらない。



<じぶん>自身に関することで
やることが膨大にあるからだ。


その時間を
酒席に変えるに値する最大の理由は、

その酒席自体が上記のテーマに合致することと
相手がそれに相応しい人であること
である。






終電間際の田園都市線もまた
10年前と同じように
飲み疲れたサラリーマンとOLで
溢れかえっていた。

10年前と同じように
その顔は疲れ果て、暗い。



<きっと毎日のように
 会社にこき使われ、酒を飲んで、
 疲れ果てているのであろう>

と同情するがしかし、

やはり忌憚なく思うのは、


<さっさと帰って、
 自分の夢に時間をスペンドすれば良いのに>

ということである。




10年前と
やや異なる車内の様相は、

飲み疲れているOLや女性が多いことと
その年齢層が高くなっていることである。

30代、40代の
働く女性の、飲み疲れた顔が
98年までより多い。



<仕事終わったのなら、
 さっさと帰れば良いのに>


<そんなに誰かと交わっていたいのか?>


と率直に感じてしまう
ダモシのような人間もいる

ということである。




飲み屋での客の様子を見ていても

個々が
"弾けている"感じを受けないのである。

要するに
しんみり話す
笑って話す
それぞれ楽しみ方はあれど、

そのアトモスフィア全体ムードが

<話が弾んでいるか>
<場が弾けているか>

となれば、疑問に感じるのである。



もし
毎日オフィスで顔を合わせている人と
毎日のように同じ顔ぶれで
酒を飲んでいるとしたら、

話は弾まなくなろう。



会社の忘年会と思しきグループも
当然いるが、

そのいわゆる団体旅行的な一群も
店内出入り口で
全員が全員明らかなる願望と愉悦をもって
その場に臨んではいない

というアトモスフィアが見えてしまうのである。


苦痛であろうな、と。




逢いたい。飲みたい。

でも逢わない、でも飲まない。

一定ラインで時間の熟成は必要である、と。



そういった<間合い>あるいは<間(ま)>。

それこそ
ニッポンの良さである
ワビサビの一種ではないか、と。


恋人と逢いたい。
セックスしたい。

しかし
毎日逢える、毎日床を共にするでは
節操がない。


心と時間を熟成して、

<ようやく>
<やっと>

がそこに加わることでの妙がある。



先般
ぴったり10年ぶり
に再会して酒を飲んだ友人との間での
共通感覚である


<また逢えて良かった>

<生きてて良かった>

は、

そういったことから生まれるのである。



今宵も同様。



この
<また逢えて良かった>
<生きてて良かった>
という

特異感覚に関しては、

別途年内にディープに掲載したい。






今宵の渋谷そして飲み屋、
田園都市線で


そんなこんなを感じた次第である。




帰宅したダモシが
そんなこんなの一部を述べると、


ワイフが言った。



<基本的に、OLも、
 よく身体がもつよね>。


まさしく。


ダモシは、もたない。

これで明日仮に
9AMに出社しなければならないとすれば、
赤ちゃんのようにイヤイヤするであろう。


酔わないダモシ。
酔っていないダモシ。

酔っていて
顔も身体も疲弊しているOL。

前者は明日10:30AMに有楽町。

後者はおそらく9〜10AMに
"属している"組織に出社。


後者の方が
短絡的に考えれば"大変"だろう。


だが
物事そう単純ではないぞ、と。





shibuyoru3.jpg



98年までも、
ニューヨークからの出張時も、
そして今も。

渋谷のこの横断歩道のシーンを見ると

申し訳ないが
皆がバ◯に見えてしょうがないのである。




shibuyoru4.jpg


まあ皆々様、ようやるわな、といった感覚である。

この中を歩きたくない。

こういうシーンは
上から見下ろすに限る。





shibuyoru2.jpg


東京人ではなく、
<東京で暮らす人々>は
ヒト恋しい人がおそらく多いであろう。

孤独を埋め合わせる手段は
夜の酒席か。




暗いニッポン。明るい話題は
一般ゼネラルには、ない。


だが翻って考えてみれば、

異国で
手持ちのお金がなくなる危機や
命の危機に陥ることより

楽でしょ?

ということである。



危機だ、暗い、深刻だ
と下を向いても

まだ命のやりとりをしているわけでもないでしょう?

と。



勝負は、
ほんとうのSINK or SWIM(のるか、そるか)
になってからですよ?




ニッポンとニッポン人には
言いたい。




ニッポンのダサダサ&ダメさ加減を示す
絶対象徴が、

この渋谷の横断歩道である




ダモシは昔から思っている。



ニッポンの状態が悪い時に
ここの様子を見れば
なぜダメなのかの根本が見える。

状態が良く
ニッポンが浮かれているときも同様に
ここの様子を見れば
そこに危うさを見て取れる。



ここの光景を見下げ、
そこを歩く人の様子を見るにつけ、

そのボンクラな
危機管理ゼロの
からっぽな
無機質な
幸せごっこな

顔に

虫酸が走ると同時に、




己自身は常に
"keep going"せんといかんぜよ

と、改めて思えるから、




ダモシにとっては

有益な教科書である。
















posted by damoshi at 01:59| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする