2009年01月04日

40年目の、安田講堂







1969(昭和44年)1月19日、
東大・安田講堂、落城。



その前年の6月にも
東大の学生は安田講堂を占拠したが
排除されていた。



いわゆる"東大紛争"の
クライマックスともいえる闘いの舞台は、

<安田講堂>。









*****








・三億円事件(1968)
・安田講堂攻防戦(1969)
・よど号ハイジャック(1970)
・三島事件(1970)
・あさま山荘事件(1972)




とくれば、

60年代後半〜70年代序盤の

熱いニッポンが
いよいよ終わりを迎えて
シラケていく分水嶺に起こった

象徴的な事件であろう。



いずれもその生中継などの視聴率は
現代では考えられないほど
高い数値を記録している。




ダモシは既に生まれているが、

LIVE映像で
"何かたいへんなことが起こっているな"
と朧げに理解できたと
記憶に残っているのは

あさま山荘

から、である。






安田講堂攻防戦は、

ダモシが
二歳十ヶ月の時である。





まずは

youtubeから
事件と安田講堂の画像を。





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後付けで
映像や写真で何度も目にすることになる
この攻防戦。


現代では
テレビの特集番組を待つまでもなく
youtubeで観たい時に観られるし
インターネットで画像も観られる。





映像と写真で見ていた<安田講堂>。



それは

高く大きいものであると
感じていた。



反代々木系が篭城した安田講堂の
最上部からの
投石、火炎瓶投下等の映像と写真からは、

それが
随分と高いものに映った。


落ちたら死ぬであろう
レベルの高さにはある、と。





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安田講堂。



時代性か。

前述の同時代性ある事件群で
三島事件における
"三島バルコニー"とその建物
(自衛隊東部方面総監室)と

類似している。






赤門をくぐって東大構内へ。

真っすぐ進み左へ折れると
右手下には三四郎池。


突き当たりを右へ折れると
左向こうに一際
言いしれぬ時代のオーラを抱えた
建物が現れる。



それが、


実際の大きさよりも

大きく見せる

安田講堂。






最初にそれを目にする瞬間は

デジャ・ヴから発生する観念

=

大きい/高い

と比べて、


やや

<思ったほど大きくないな…>

<意外と小さいな…>

となる。




だがそれは
事前のデジャ・ヴにおける
<たいへんな事件/騒動>を
バックボーンとしているからであり、


それなしで
ニュートラルに見れば

大学の講堂としては
十二分に大きく高い。




且つ、

デジャ・ヴと共に介在している

<歴史の重み>
=
ヒストリカル性

があることで、



実際の大きさよりも
さらに大きく見せるオーラを持っている。





傷跡ともいえるその建物の外装、

東大全体がそうだが
建造物としてのハイカラ性、


そして
あの攻防戦での画像を見ていることで
刷り込まれている

<講堂前の喧噪>をイメージし得る
広場


などなどが


講堂の大きさと高さを

より助長する。







<三島バルコニー>も

<安田講堂>も

いずれも
あの時代の大事件建造物は、


<意外と低い>という感覚を
最初は与えるが、


次第に
時間を経るごとに

己がそこで
ヒストリカルな要素を解釈し
混ぜ合わせることで


<あぁ、激動の時代の証人だな…>

<それだけの存在感がある>


と納得するに至るわけである。







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講堂建物の左手が、広場になっている。





安田講堂攻防戦は、落城まで二日掛かっている。


あさま山荘事件といい
解決までに
妙に時間をスペンドしている。


むろん
色々な都合は抱えながらも
警察側は当時もベストは尽くしたのであろう。





意外と小さい安田講堂が、

今宵ダモシが見て感じたように、

現場にいた機動隊にとっては
大きく難攻不落に見えたか。


攻め手がない。

攻略まで二日を要していることからも、
そう思えなくもない。




どうやら

実際に大きいようだ。



高さは40mという。

それなりに高い。

しかも
上がるには階段で

それも狭い、と。



その内部に入るには
講堂裏側の小さな入口から。


エントランスは小さく、
階段も狭い。
高さは40m。


そうなれば
この構造自体が
機動隊が攻略に時間を要した背景要因の
一つとして考えられるのかもしれない。






<30歳代で、
 医師免許を持つドクターでも
 助手の場合は無給>


などという

ドクターでありながらも
助手である限りは
サラリーをもらえないという
不可思議な決まりなど

当時の東大には
質すべき問題が多かったという。




当初は
東大紛争として
大学側との闘いが基軸だったはずだ。



それは
あの時代の学生運動に留まらず

一般ゼネラルも
初動段階では<運動する側>に
シンパシィを抱いていた局面もあったろう。



だが、

あさま山荘しかりだが、


ある一定レベルを超えてしまったことと

もはや
理解や共感の及ばないところまで
突き進んでしまった各種闘争は、



時代の空気感と
次第に相容れなくなってきたのか。


三島の主張と行動も同様。



東大紛争もやがて
代々木系vs.反代々木系など
派閥やグループ間の主導権争いに変化。


そうなると

ある意味で

<痴話喧嘩>の世界観になってくる。




あさま山荘のグループの
仲間内での殺害等もそうだが、



可能な限り
一般ゼネラルでも理解共鳴でき得る
ゼネラル・インタレストな主題と
闘いのポスチャーから


やがて
それらはすべて

<痴話喧嘩>へと劣化したのではないか、と。




他人の<痴話喧嘩>に肩入れすることは

人間の性として
それは不可能である。


且つ

そこに暴力や殺人、
無意味な時間的スペンドと
税金という金銭的スペンドが加わることで、


微かなシンパシィは

絶対的な嫌悪感へと変わってくる。




当時の三島を取り巻く環境も同様。





<そこまでいくと、
 もう理解できませんよ…>


と目を背けたくなるわけである。




それが大衆の心理であろう。








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試合時間は、36時間46分。

安田講堂は
冬で既に暗闇に包まれた5時45分、落城。


荒れ果て破壊された安田講堂と東大。

唯一その中で
狂うことなく壊れることなく
時を刻み続けていたのが、大時計。







ここで一句。



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本郷の 杜が死した夕闇に
安田の時計 唯一狂はず











*****








大学紛争から<痴話喧嘩>へ化身し

その抗争は激化を辿る中、


代々木系と反代々木系の両陣営は
<三十八度線>を設定した。


図書館と三四郎池を分水嶺に、

赤門側を代々木系
正門側を反代々木系

それぞれの陣地にした、という。






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右手に三四郎池を見下ろす代々木系側。





安田講堂から正門までは
反代々木系。



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それぞれの陣地で、


代々木系は赤門放送

反代々木系は
時計台放送で

アジテーションを交錯させたようである。









そして三四郎池。


三四郎池といえば
それはもう夏目漱石であろう。




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夢か現か

池の畔に立つと
三四郎と美禰子の幻影が
浮かび上がってくるかのようだ。



池の形は、<心>の字になっている。





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米ボストンのハーバードの
銀杏並木にハーバードおじさん他、

"北の某"の北大ポプラ並木、

上智大の
グラウンドを見下ろす高台から見る
丸ノ内線


などなど

大学と景観美は数あれど、



東大と三四郎池は
ひと際、味がある。






"文"の都(京)たる文京区。

東大がここにあるのもまた頷くことができよう。



本郷、西片一帯は錚々たる"文"の
カルチュラル・エリアである。








最後は、


・安田講堂
・三四郎池

と共に

東大散策の三大主砲を成す


<赤門>





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1827年、
加賀藩主前田氏に嫁いだ
十一代将軍・家斉の
息女・溶姫のために建てられた

朱塗りの御守殿門。


国重要文化財。





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こちらは正門。


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*****








激動の時代。

それは善し悪しは別として

且つ

清濁併せ飲み
虚実皮膜の世界観を包含して


<夢>があったのではないか。




その夢の跡が、東大にはある。



過去の
夢の跡を抱えつつ

その町もまた今を生きている。







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昭和の香り漂う
老舗の喫茶や個人古書店が
軒を連ねる大学前のストリート。








最後にもう一句。



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赤門安田三四郎
心(しん)の字描く 夢の跡









今年は

安田講堂攻防戦から、ちょうど40年。



同じ年、

東名高速が開通。


その東名高速は昨日、

<東京>に戻ってくる車で
40kmレベルの大渋滞だった、と。





まさに

10年前と比べても
相変わらず
"平和ボケ"ニッポン驀進中、といえよう。






















posted by damoshi at 01:05| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする