2009年01月11日
真のメインイベンター
昔から書いているように、
ダモシは
朝青龍派であり、
プロスポーツや興行、伝統芸能などの
メインイベンターを
考えるときは、
その人格等よりも
オーラであったり
ポスチャーこそ重要である、と。
そこでは
硬軟や清濁を
あわせ飲んだ感性をもって
"見る"ことが求められる。
"内舘おばさん"のような
一般論は、
ある意味で
そういった存在や大きさを
小さくしてしまう
器量の狭い
文化レベルの低い
ものの見方なのである。
朝青龍を見れば、
昔の
アントニオ猪木、
野球でいうところの
王&長嶋、
近年では
01年までの
ニューヨーク・ヤンキース、
そして
イチロー、
といった世界観での
突出したオーラと
観客の心と目を吸引する磁力が
あることが分かるであろう。
今宵の大相撲"本丸"場所初日の、
<朝青龍vs.稀勢の里>は
その黄金カード性、
朝青龍を取り巻く環境、
場所が両国という舞台、
などなど
すべての要素が絡み合った上で
且つ
内容も
刺激的であり扇情的でもあったという、
<最高のメインイベント>
を演出した。
何度も記載しているように
ダモシは
世の一般ゼネラルが
"けしからん"
と嫌う
朝青龍や亀田家に
好意的でありつづけている。
ニューヨーク時代から
これも一貫してブレがないと
理解している。
いまごろになって
両国の客席も
朝青龍を応援するムードになっているが、
それまでは
"あのような"作法は
否定的だったはずだ。
"内舘おばさん"に
ほとほと問いたい。
闘いであり、伝統芸能であり、
興行である。
その中で
全員が全員
<よゐこ>で成り立つか?
と。
横綱としての品格をどうこうする前に、
横綱としての
存在感やオーラや鬼ぶりや
強烈なるエゴイスト性を問え、と。
前者と後者。
いずれが
人の心をとらえる磁力が
あると
お思いか?
と。
ダモシ的には、後者である。
"内舘おばさん"にとっては
前者が重要なのであろう。
では、今宵の土俵を見てみた上で
それでも
その考えは変わらないのか?
とお聞きしたい。
今宵の国技館。
そして、おそらくブラウン管の前。
もっとも人々の注目を集めたと同時に、
その気合い、ポスシャー、
取組内容
等々で、
人の心を高揚させたのは
誰か?
と。
朝青龍である。
何度もいうが、
大相撲は
・プロスポーツ
であり
・伝統芸能
であり
・興行
である。
それらの三つの要素に潜む
膨大な勘案材料を
きちんと理解すれば、
今さら
・品格
だの
・八百長がどうの
だの
を
口うるさく
説教する方こそ
論外である、と。
そういうことをすればするほど
力士は小さくなり
米=デッカイ
ニッポン=ちっちぇえなぁ
という
あらゆる構図と同じになってしまう
のである。
プロレスも政治も
野球も相撲も
昔のニッポンは、
もっともっともっと
<デッカかった>のである。
ニッポン人自らが
それを育まずに
枠をハメて
他の"社会人"と同一線上に
配置しようとしてきた。
ニッポン人自らが、
あらゆるものを
<ちっちぇえなぁ>と
感じさせる趨勢に劣化させてきたのである。
そういった
世界を見た上での
考え方を含めて
モノを語っていただきたいのである。
"内舘おばさん"のような人には。
なんでもかんでも
否定から入るような人には。
すばらしいものを見て
一生懸命やっている者の
気合いを見て、
興奮して
感動する。
こういったシンプルなことで
良いのである。
そして、
それを己に生かす、と。
今宵の
<朝青龍vs.稀勢の里>は、
近年のニッポンの
プロレスも政治も野球も
失っている
"ケンカ"的な興奮をもたらした
真のメインイベントであった
と忌憚なくいえよう。
朝青龍は
昔から言っているように、
真のメインイベンターである。
メインを仕切り、
その場を興奮させる器を持っている
のである。
まだまだ消えて欲しくない。
今宵の勝ちは大きい。
明日も勝ち、
一気にダモシ予想通りへと
邁進していただきたい
ところである。
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