2012年07月04日

1972→1976→2012


今夜は二編。もう一編の主題はプロレス。
久しぶりの長編で、
久しぶりのダモログ王道路線の<考察>モノ。

:::::

1972。
これはアントニオ猪木率いる新日本プロレスと
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスが
旗揚げした年。

2012。
今年だ。共に創立40周年のメモリアルイヤー。

間の1976。
これはダモシが初めて生でプロレス観戦した年。
父親と最初で最後の一緒に行ったプロレス。
ところは、札幌中島スポーツセンター。
レアだ。
団体も超レア。国際プロレス。
ラッシャー木村の金網デスマッチ。

もう一回、2012。
今年の7.1。
ダモシが初めて己が直系遺伝子アントニオと
一緒にプロレス観戦へ出かけた年月日。
新日本&全日本の創立40周年記念イベント。
ところは、両国国技館。

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(パンフレット)

:::::

直系遺伝子="息子"と共に行く。

野球。
これはメジャーリーグが先。
ニューヨーク・ヤンキースのゲームを
旧ヤンキー・スタジアムで観た。
アントニオ三歳のバースデイ。
2006年、秋。

厳密には、それより先の
アントニオが一歳になる前の夏。
スタッテン・アイランドで執り行われた
マイナーリーグでのダモシ始球式の日が
アントニオにとっての<野球観戦>デビュー。
2004年のことである。

プロ野球は、何とまあ
ダモシのプロレス初観戦同様に
レアな札幌ドームでのゲーム。
その翌年には西武球場での西武vs.巨人戦。
ダモシが学生時代にバイトした
西武球場へ共に行くことができた。

大相撲は09年初場所。両国国技館。
横綱・朝青龍の晩年。

空手も極真館を手始めに、
緑代表率いる新極真会の東京体育館での
全世界大会の観戦も済んでいる。

競馬はやはり米国時代が先。
ニュージャージーの競馬場で。
ハーネスレースも共に観ている。
札幌競馬場、東京競馬場へも既に行っていて、
東京競馬場では幼児年長時に初馬券的中も
果たしている。

その他、もろもろ。

とりわけ野球、そしてプロレス。
この二つは特に、
ダモシにとっては己が直系遺伝子と共に
観戦に出かけることの至福は
尋常ではない。

野球は、それこそ
あの旧ヤンキー・スタジアムで経験出来た以上の
感慨は今後ないだろう。
何が何でも旧のうちに
NY在住のうちに
彼自身が記憶に残る年齢として、
ヤンキー・スタジアムに連れていきたかった。
だから、平易にいえばもう"最高"だったのである。

東京ドームの巨人戦にその感慨は皆無だ。

そしてプロレス。
遂に連れていく機会を見出したのだ。

なにしろ新日本と全日本の40周年記念合同大会だ。
出場する選手は現代のレスラーがほとんどで、
ダモシ自身も遠ざかって久しいが、
それでもテーマが「40周年」ということで、
それに対するノスタルジックな世界観が想起され、
行くならまずは今回だ、と。

そして、行ったのだ。この日曜日に。

以下、本編である。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


7.1.2012:::::

7.1 両国国技館。
新日本プロレスと全日本プロレスの創立40周年記念
合同イベントの観戦に出かけてきた。

個人的には、自身の直系遺伝子と初めてのプロレス観戦。
己が"息子"とプロレス観戦へ
一緒に出かける日が来たことへの嬉しさは
ハンパではない。

DSC1406.jpg


Summer, 1976:::::

時は1976(昭和51)年。
所は札幌中島スポーツセンター。
自身が初めて生でプロレス観戦したときだ。
ウルトラの父にねだって連れていってもらった。

当時第三の団体だった国際プロレス。
ラッシャー木村の金網デスマッチを観た。
その日、上田馬之助も登場した。
中島スポーツセンターから
ウルトラの母方の祖父母宅で待機していた
ウルトラの母と合流し、遅い時間に帰宅した。

父親とプロレスを一緒に観に行ったのは、
この一度きり。
父親自身はプロレスに興味はなかったからだろう。


4.4.1998:::::

以降は、一人で、あるいは時代時代の友人と、
アントニオ猪木引退試合(98年4月/東京ドーム)
まで適宜、観戦に出かけていた。

新日本、全日本問わず。UWFも観た。

98年4月の猪木引退をもって、
自身もプロレスからやや離れた。
世はそれと同時に総合格闘技ブーム。
プロレスラーがことごとく総合格闘家に破れた。

猪木引退時の、あの
<迷わず往けよ、往けば分かるさ>が
不安を感じていたダモシに
渡米への勇気を奮い立たせた。

あの4.4で、ダモシ世代の多くの
猪木ファン&プロレスファン(新日ファン)は
卒業した。ダモシもその一人。

次世代の長州力、藤波辰巳、ジャンボ鶴田、天龍源一郎。
さらにその後の
闘魂三銃士(武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋)、
三沢光晴、川田利明、獣神サンダーライガー、
高田延彦などで世代的にはギリギリだろう。
既にベテランである
現・三冠王者の秋山準の試合を観た
という記憶はない。

1.4.2006:::::

ダモシはニューヨーク在住。

新日本の1月4日の東京ドーム興行は、
ダモシがヤングボーイ時代からのルーティン。
恒例のイベントとして毎年出かけていた。
それも98年まで。

2006年正月。
ダモシは余儀ない東京出征で、
その前年末から東京に来ていた。

取材名目のもと、
タダで観戦に出かけた。
だが、当時の新日本はガタガタ。
観客も、昭和の時代の日本ハムvs.南海戦の後楽園球場
がごとく、ガラガラを超えて、千人くらいしかいない
最悪の状態だった。

『厳しいな、こりゃ・・・』と
新日本並びにプロレスの衰退を嘆いたものだ。

メインは、中邑真輔vs.ブロック・レスナー。
この試合もしょっぱかったが、
その他の試合もどうしようもなかった。


Spring, 1994 / Summer, 1987:::::

公式にチケットを買って一般客として
純粋なプロレス観戦に出かけたのは、
4.4.1998以来、何と14年ぶり。

両国国技館でのプロレス観戦ともなれば、
記憶を絞りに絞り出して出てきた
マニアックなWARという団体の興行で、
メインで
大仁田厚&ターザン後藤vs.天龍源一郎&阿修羅・原
というレアな試合が行われた
(ちなみにこの試合は素晴しかった)
1994年3月以来、実に18年ぶりのことになる
(国技館来場は朝青龍時代の大相撲観戦=
 2009年1月以来、3年半ぶり)。

そして、7.1の大会名。
<サマーナイト・フィーヴァー in両国>。
これは紛れもなく、
新日本プロレスがまだ全盛期で隆盛を誇っていた頃、
二日間連続で両国国技館で行われた
<サマーナイト・フィーヴァーin国技館>を
想い出させるのは容易だった。
それが、8.19&20.1987。
あの時、二日間連続で国技館へ出かけた。
そして、熱狂した。
<サマーナイト・フィーヴァー>括りでの
+<両国国技館>で考えた場合は
その1987年以来だから、25年ぶりになる。

ある意味で、何だかなぁ・・・である。
要するにダモシ自身、
言いようのないくらい齢を重ねたのである。

まとめてみる。

◆14年ぶりのまっとうなプロレス観戦
◆18年ぶりの国技館でのプロレス観戦
◆25年ぶりのサマーナイト・フィーヴァー
◆自身が子として父親と共に生観戦してから、
36年の月日を経て
今度は自身が父親として己が子を伴っての
プロレス観戦

ものものしい年数の「〜年ぶり」が並ぶ。
新日本と全日本はそして、それぞれ
創立から40年。

今や重鎮の武藤敬司(全日本プロレス会長)は
25年前のサマーナイト・フィーヴァーでは
若手で頭角を現した頃で、
メインで猪木軍に抜擢されたスター候補生。

14年前の猪木引退試合時に出ていたレスラーで
7.1にも出ていたのは獣神サンダーライガーや
永田裕志など数えるほど。

バリバリにUWF戦士でパンクラスや総合で鳴らした
総合系の船木誠勝が今や全日本の一員として
プロレスラーとして出てきていた。

その他、メイン含めてすべて現在旬なレスラーが
大勢を占めた。当然のことであろうが。


そして本題の、7.1。


7.1.2012:::::

DSC10403.jpg

<猪木、来ますかね>

隣に座る二人組が
〜明らかに同世代だということを〜
確認した上で、問いかけの声をかけた。

<いやぁ、どうっすかねぇ。
 僕らも来ないかなぁって思ってるんすけど>

<僕は猪木世代なんでね。
 そもそも猪木が好きだったので>

と語る二人組。

<僕もそうなんですけどね>とダモシ。

言わんとすることは、
互いにそれだけで良い。

左隣の二人組も
40代あるいは50代と思しきカップル
(おそらく夫婦)。

猪木世代なのは、間違いない。
猪木全盛期あるいは
長州の維新革命、
ぎりぎり闘魂三銃士まで、だろう。

"そこらへん"は、ダモシと同じだ。

周りを見れば、
仮面ライダー映画の上映館内のように
親子連れの姿も目立つ。

小さい子と両親が多い。

バトル・オブ・ジェネレーション。

仮面ライダーも競馬も、プロレスも。
もちろん野球も。
それらにあって、サッカーにないもの。

これまでの
(もしかしたら今もまだ)サッカーが
保持し得ていない特権。

それはこのジェネレーションである。

世代ごと紡がれてきたヒストリーである。

音楽にも映画にもアイドルにも、
そして鉄道にも、それはある。

連綿と脈打たれてきたヒストリーの構築。連鎖。
親から子へ。

いわゆる、あの日、あの時。
いまここに或る「現在」。
一方で同じくいまここに厳然と在る「過去」。
ノスタルジー。松明は次の世代に受け継がれつつも、
ヒストリーはしっかりと息づいている。

文化としての「昭和」へのノスタルジーが
多くの人々の心にあって、
それを提示された時の心の動きが高いことは
映画「Always三丁目の夕日」シリーズの
ヒットでも証明済みだ。

サッカーの場合、ひとつには、
釜本や奥寺でそれは難しかったが、
キング・カズが唯一、可能性がある。
あるいはドーハの悲劇。

Jリーグ発足時に若かった世代
すなわちダモシ世代だ。
この世代とキング・カズの年齢も一致する。

そう遠くない将来、
サッカーにもようやくカズを媒介として
他の文化やスポーツが持ち得る
ヒストリーに裏づけされたノスタルジーの享受が
新たな楽しみとして付加され、
ひいてはそれがそのジャンル自体の奥深さへと
つながっていくだろう。
まだ、サッカーにはそれがない。

あの時の猪木、長州、タイガーマスク、
あの時のオグリキャップ、あの時の松田聖子、
あの時の本郷猛・・・。
これと同等に
あの時のキング・カズ、
あの深夜のドーハの悲劇となる日が
やがて来るだろう。
サッカーにはもう少し時代が必要だが。


だが、いくら何でも
プロレスはノスタルジーや過去に頼り過ぎた。
観る側のマインドも切り替えが出来ていなかった。

未だに
<猪木、来ますかねぇ>と
それに期待している自分。
己が直系遺伝子に
棚橋弘至よりも猪木を見せたいと願う父親。

それはイコール、今のプロレスには
興味がないことを表している。
ならば、なぜお金をスペンドするのか、と。

だが、
結果、ノスタルジーに頼っていたのは
己自身であり、
そうであってはいけないのだなという区切りを
淡々とした中で示されて、
叩きのめされたダモシがいた。

<ん?>と。

<あれ?>と。

総力を挙げて『今』の集大成を見せるのが、
この7.1に賭けた
新日本&全日本双方の戦略だったのだ。

第一試合から、
何の脚色(合間の余計な演出)なしに
試合だけが淡々と進んでいく。

しかもその第一試合から観客のノリも良い上に、
レスラー全員が素晴しい組立てで
スイングした試合を提供する。
第一試合から沸き上がったのである。

愕然とした。

明らかに、昭和のプロレスよりも
今のプロレスの方のレスラーに
エッジがある。

正直なところ、昭和のプロレス興行は、
アントニオ猪木、ジャイアント馬場以下の
スーパースターとスターの試合がある
メインイベント以外は、
極論すれば
しょっぱい試合が多かったのである。

いわゆる前座といわれた試合の中には
当然、玄人ファンを唸らせる試合はあったが、
必ず1試合か2試合は
ため息が出てしまうような
つまらない試合、しょっぱい試合があった。

だから毎回、そういう試合の際に
休憩タイムを個々が設けたり
喫煙タイムに充てていた。

要するに、昭和の音楽(レコード)アルバムになれば
必ず、しょうもない曲が1〜2曲入っていて
そこが休みどころ
(何でこんな曲入ってるのだろう的な)
だったように、

興行の中においては
前座の第一試合からメインイベントまでの
約10試合程度の構成(音楽でいうところのアルバム)で
息抜きあるいは見るに耐えない(聴くに耐えない)
ものが1〜2は必要悪として存在していたのである。

それがある意味で「間(ま)」にもなっていた。

ところが、
善し悪しは別だが、
7.1で現在のプロレスを観て
第一試合から目の離せない試合が続いたのである。

『ふぅ・・・』とため息が漏れる試合や、
よしここで喫煙タイムだと
席を離れることができそうな試合は
ひとつもなかった。

これは驚くべきことだ。

akebono.jpg

(曙が登場したアジアタッグ選手権も、
 間断なく盛り上がった。"しょっぱい"代表格ともいえた
 曙でさえ、自身の味の出しどころを覚えた上に、
 周りもまたそれを思う存分に生かしている。
 曙のスーパーヘビー級は分かりやすぎるほどの説得力が
 技に込められている)

もちろん40周年記念大会ゆえに
現在のメンバーで考え得る好カード
(ノスタルジー派のダモシには、
 そそられるカードは事前にはひとつも
 なかったのだが)をラインナップしたといえるが、
それでもメインイベンターではない
レスラーの試合も含めて、
いずれも間のとり方も上手く
見せ方も心得ていたために、
目を引きつけたのである。

そして、この日、唯一といっても良い
ノスタルジーの登場。

40周年ということで
過去のレスラーや関係者が登場して
セレモニーがあることを想定していたのを、
淡々と「現在のプロレス」の試合だけが
進行していくだけの
〜試合内容で魅せる世界に徹していた〜
時間の中で、

全体の進行が中盤に差し掛かった頃、
突然、スタン・ハンセンのテーマ曲が館内に
鳴り響いたのである。

一斉に沸き上がる大歓声とハンセン・コール。
昭和のダモシも、周辺の観客は大喜び。

昭和の、あのハンセンならば、
このテーマ曲に乗って
カウベルを振り回しながら
勢い良くダッシュで出てきて
そのまま滑るようにリングイン。

リングインするや、右手を高く突き上げて、
人差し指と小指を天高く指し示して
大きな叫び声で

<ウィーッ!>とやる。

我々は、それを期待した。
ところが、だ。

hansen.jpg

(ハンセン、リングイン)


6.30.2012:::::

空手道場。

アントニオのスパー相手を務める。
周知の通り、
スパーといっても
ダモシは手は出さない。
いわゆる受け手である。

道場ではアントニオがエース。
アントニオより学年下がほとんどで、
昔は上ばかりだったから
アントニオ自身も稽古でのスパーでは
向かっていくことで磨かれた。
だが、下相手になると
どうしても受けがメインになる。

そうなると
アントニオ自身の鍛錬において
プラス面もある一方で
マイナス面もある。

そこで、アントニオのためにも
ダモシが起ち、自らの肉体を、
まるでサンドバックのような形で
生身の肉体をもってして「受け」るのである。
ハイキックもミドルキックも、ローも。
ナイアガラの滝のような大技も
その他の細かい技も。
実際に的確に強い打撃を当てる。
そして同学年の相手よりも大きいダモシの
上段にそれを入れられるようにすることで
プラス面の多い練習になる
ということから、だ。

063012b.jpg

<よし、来い!>と。

063012a.jpg

<300%ぶつけてこい。 
 すべて受けとめてやる!>と。

さふ。
これまでは受け切れていた。

その日の二日前から風邪をひいていた。
風邪は酷く、
風邪で病院へ行くことなど
十数年、否、何十年ぶりかという世界で
近所の内科へ行った。

そこからの回復途上にあることで
絶好調ではないという割引はあるにせよ、
この日、受け切れなかった。

脚がもつれたわけでもなければ、
流れの上で(危険回避の上で)倒れる
ことはあっても、
リアル・ダウンというのは、
いくら打撃強度が日に日に増している
とはいっても未だ小学三年生のアントニオの
それを受け切れないわけはない。

だが、受けるごとにキックの強度が増していて
肉体ダメージは蓄積されている中で
この日、ミドルキック左右の連打を
食らっている最中、突然、脚がガクッとくる感じで
ダモシはダウンした。

正真正銘の、これはダウンだ。

アントニオのオフェンスの勢い、スピード、キレ、
打撃の強度についていくことができない。

最後も、ナイアガラの滝を、予期せぬところで
出されて頭頂部にモロに食らい、ダウン。

ダモシはたいへんブルーになった。
もちろん直系遺伝子がそうして
日に日に強くなっていることを
肉体で実感出来る喜びがある一方で、
己自身の肉体の衰えを感じることは
やはりブルーになるわけだ。

<衰えたか・・・>と。

その日、整骨院で肉体ケアを施してもらう最中、
ドクターにも呟いたのだ。

<衰えを感じますね・・・>と。

063012.jpg

上段左から右へ。
下段の左端から右へつづく。
脚にきてダウンしているのが分かる。
右下のヨコ長画像は、
大技ナイアガラの滝をモロに食らいダウンの図。

年齢的には、抗えないもはや斜陽。
なにを強がったとしても、
ライジング・サンとは絶対に言えない。
肉体はもう斜陽なのである。
その斜陽の中、いかに凌いでいるか、
衰えの速度を遅くさせるか、騙せるか、という世界だ。

対富士山という部分は、
己が衰えの斜陽の中で
経験や根性などを付加させることで
肉体をカバーして、
<まだまだ元気だぜ>と心のヨリを戻す
ある意味で格好の挑戦になっているのだが、
空手のそれも同様なのだ。

現実的には、
いくら小学三年生といっても
悪党の大人がいたとして
アントニオが素で本気で蹴りを入れたら
失神させることはできるくらいには
なっている。
遊びや習い事としてではなく
「選手」としてやっているから当然でもある。

そんな蹴りや突きを、
ノーガードで防具なしで受けていることは、
己が肉体の強靭度をアピールすることにも
つながるわけだが、
一方で衰えをも感じさせられるという点で
二律背反がある。

二律背反。セザンヌと蛙は、富士山にも空手にも
潜んでいるわけである。

<俺もやはり歳をとっているのだな・・・>

<動きがやはり落ちてきているか・・・>

<脚も痛むし、なにより身体が重い。
 脚に来てるね>

と嘆く現実。

ライジング・サンのアントニオ。
斜陽のダモシ。
この構図が、顕著だ。

特に肉体を直接コンタクトする分、
微妙な、わずかな衰えをも
逃さずに襲いかかってくる。

ダモシ自身、歳をとり、衰えたベテラン。
あるいは、過去の動きは望めない
昭和のレスラー。

そんな感覚が取り巻いていたタイミング。


7.1.2012:::::


もう入ってきても良さそうな頃合い。
だが、ハンセンはまだ来ない。

と、人垣を縫うように、
ゆっくりと、のっそりとリングに
歩を進めるハンセンの姿が見えた。

まだ老人という年齢ではないが、
62歳だ。
猪木と激闘を繰り広げ、
後に全日本へ移籍しても暴れ回った
ハンセン自身の全盛期は80年代で、
年齢も30代とピークだった。
あれから30年、歳をとっていることになる。

だから、しょうがない。
しょうがないのだ。

しかし、<不沈艦>あるいは
<ブレーキの壊れたダンプカー>と呼ばれて
怖れられたあのハンセンのイメージが
あまりにも強烈であり、
せめて入場時のパフォーマンスくらいは
負担がないだろうから、
当時のままやってほしいという/
やってくれるだろう/
ハンセンはまだ元気でしょう/という
期待は、あった。期待を持っていた。

というよりも、静かなハンセンは想像していない。

リングにゆっくりと近づいたハンセンは、
脚が悪いのか、あるいは身体が重いのか、
動きがかなり緩慢だ。
のっけからもうかつてのイメージがない。

否。リングインしたらいきなり
大声で<ウィーッ!>を元気よくやってくれるだろう。
まだ淡い期待を持っていた。

だが、リングに上がるのもやっと
という感じで、
緩慢な動作のままエプロンに上がると
そのまま、あろうことか、
ロープの間を普通にまたいで
リングインしてしまった。

<あぁ・・・>。

失望が漏れる。
周りも『あれっ?』という雰囲気だ。

それでもまだ、
リングインした後、
勢い良く<ウィーッ!>をやるだろうと
期待を残していた。

しかし、リングインした後も、
すぐに右手を挙げることをしないハンセンは
「普通に」ゆっくりと歩き始めた。
大歓声が終わりそうになる。
キョトンとしているのだ。観客は。

<ウィーッ!>を、やらないのか?と。

と、微妙な数秒感の「間」があって、
<あっ、やるかな?>的な
身体アクションが一瞬見られた。

その直後、促されるように
ハンセンは、
〜決して勢い良く、ではなく〜
緩慢な動作で右手を"慎重に"掲げて
<ウィーッ!>をやった。

ハンセン自身のその叫び声は、
超満員の国技館の大観衆の
<ウィーッ!>によってかき消された。

かつてのハンセンのそれは、
大観衆のそれがあってもなお
声が轟いていた。

かつての勢いと威勢が
まるで感じられないハンセンを眼下に、
久しぶりに生で見た嬉しさ
(2.10.1990/東京ドームでの
 ビッグバン・ベイダーとの
 IWGPヘビー級選手権試合以来、
 22年ぶり=IWGPは第一回の猪木vs.ホーガンも
 旧蔵前国技館でナマ観戦している)もあるにせよ、

やはり
<衰え> <斜陽>というキーワードを
自身のそれにも重ね合わせて
ズシリと来てしまったわけである。

止めに入る若手を捕まえては
ロープに飛ばし、
跳ね返ってきたところに
至宝ウエスタン・ラリアートをぶっ放す。
受けた若手は皆、モロにそれを食らい失神。

このお決まりの様式美はもう見られない。



*****


貫禄の武藤敬司の
未だ色褪せないムーンサルト・プレス。

横浜文化体育館で行われた
ジャンボ鶴田vs.天龍源一郎
(10.11.1989)戦以来、
23年ぶりとなる生で観る三冠ヘビー級選手権。

そして、IWGPヘビー級選手権。

トリプル・メインイベントで締めくくられたとき、
時計の針は既に21時を回っていた。

muto.jpg

(世代ギリギリ、闘魂三銃士の武藤。
 久しぶりにムーンサルト・プレスを観た)

akiyama.jpg

("昔"なら微妙な組み合わせだろう
 秋山vs.太陽ケアの三冠戦だが、
 これも面白かったのだ・・・)

tana.jpg

(これも微妙だった棚橋vs.真壁という、
 ダモシ世代にまったく縁のない二人の
 IWGP戦だったが、不覚にも最後、真壁に
 大きな声援を贈っている自分がいた・・・)


17時からの、
脚色を排して(ハンセンの挨拶を除き)
淡々と熱い試合だけを見せてきたが、
それでも4時間。

長丁場で疲弊しかねないが、
すべての試合が沸き返り、隙のない
ある意味でパーフェクトともいえる試合内容で
全レスラー、観客を魅せた。



Summer Night, 2012:::::


昔のサマーナイト・フィーヴァーは
8月中旬の開催だった。
熱い熱い真夏だった。
国技館の二階席も熱気でむんむんしていた。
今もその感触は忘れていない。

翻って、2012年版の
サマーナイト・フィーヴァー。
超満員の観客はあの頃と同じだが、
密集度や熱気は
やはりあの頃に分がある。

しかし一方で、
現在の観客たちのプロレスへの接し方、
楽しみ方が微妙に当時と違う気がした。
その違いが何か。
これは答えが出なかった。
分からないのだ。具体的に何が?となると分からない。

分からないほど、違いがないのだ。
逆にいえば。
リング上で行われているプロレスも
やはりプロレスで、
現在/現代的に技とアクロバティックな動きは
増えているのは当たり前としても
基本的な部分では何ら進化も退化もしていない。

ひとつ、現在のそれが上回っているとすれば、
レスラー一人一人のキャラが立っていることと
観る側も好意的に
一人一人のキャラを楽しんでいることか。

それからリング上のレスラー同士の闘いを観ていると、
相手を生かす術の上手さは
現在に分がある気がした。

最も微妙で、下手打つとしょっぱい典型に
落ちぶれかねない新星・岡田カズチカのことを
観客総出で後押しし、
"メッキが剥がれないように"="メッキじゃないよ"
="本当に凄いんだよ"
をフォローしている。

okada.jpg

(ダモシの中でこの日のベストバウトは、
 中邑&岡田vs.諏訪魔&近藤のタッグマッチ)

この夜、レスラーの凄みとして
ダモシの目に最も強いインパクトを残した
諏訪魔(全日本プロレス)の厳しい攻めも、
岡田の力量を理解した上でのもので、
そのバランスが実に上手く図られていたのである。

かつての昭和のプロレスであれば、
もしかしたら現状の力量では
岡田はまだしょっぱいレベルに終わっている
可能性はある。
デビューしたての"谷津"になる
危険性が香る岡田だが、
微妙なラインで現代ゆえに生かされている。

だが、ダメな奴を無理矢理生かしているのではなく、
岡田も岡田で微妙な中でも
強烈な光彩を放っているのも事実で、
そこでは単に強い弱いだけでは計れないsomething
〜つまりそれがプロレスの魅力のひとつなのだが〜
が、やはりあると気づく。

とにかく、前座の選手からして皆、
放つ光彩が強い。
プレゼンテーションも上手だ。
魅せる要素の匙加減のレベルが高い。
その部分は、確かに現代的である。

そもそも、新日本の現在のトップ選手
(棚橋、中邑、真壁、岡田、後藤)は
いずれも結構これは微妙である。
唯一、真壁はダモシの中で評価が高いけれど、
全日本系の選手である
秋山準(三冠王者:ノア)や諏訪魔、太陽ケア、
元新日本だが今は全日本の武藤などと比べると
"強靭さ"や"強さ"としては後者(全日本系)に
エッジを感じてしまうわけだが、
それは実はもともとの新日本x全日本の構図が
そのまま現代にも連動していることを
改めて認識させてもらうことになった。

猪木x馬場の頃から一貫して変わらない世界。
新日本の方が強いと思っているのだが
なぜか全日本の選手は皆デカくてパワーがある。
対抗戦になると全日本に押される新日本
という構図がもともとあったのだが、
その部分も現代にも変わらず生き続けているわけだ。
全盛期の長州が全日本へ乗り込んだ際、
天龍はおろか大熊元司にまで押されたシーンが
甦ってしまうのである。

<強いな>と率直に感じるのは、いつも全日本の選手。
今回も、それは諏訪魔だったのだ。

そして、究極の驚き。
それは、
<今日の内容なら、猪木は必要ないな>と
自身が感じてしまったことである。
出番がなかった。
猪木が来ないのは必然だった。

同時に、新日本と全日本のNOWでは
<もう猪木じゃないんだな>を実感した。
(もちろん猪木はIGFという世界観で、
 今も生きる伝説として存在している)。

ハンセン以外は、猪木はおろか、
ザ・ファンクスやミル・マスカラスですら
来なかった40周年イベント。

それは裏返せば、現在の選手たちの
リアルタイムの、そのママを魅せてくれた
試合内容からしても、
セレモニーや往年のレスラー、そして猪木など
いずれも必要がなかったのだなハナから
と、大いに認めることが出来たのである。

松明は、遅ればせながら次の世代に引継がれた。
否、もうとっくにそうなっていたのかもしれない。
だが、少なくとも2006年1月4日の時点では
もう潰れるのでは?とさえ思えるほどの
ていたらくだったのだ(新日本は)。

それがこの7.1では完全に甦っていた。
どうやら企業としての収支も
続いていた赤字は解消されて
単年黒字にここ二〜三年はなっているようだ。

やはり最近なのだろう。

今の時代にマッチしたプロレス。
これは確かに構築されていた。
それは認めたい。
闘魂よりも今はプロレスLOVEが似合うのだろう。

だが、ひとつ苦言を呈するとすれば、
やはりスーパースター不在は否めない。

今の状況を続けた上で、
猪木や馬場、否、少なくとも初代タイガーマスク
くらいでも良いから
突出したスーパースターが登場することで
いよいよ完全復活と松明伝承は果たされるだろう。

野球に王&長嶋以降不在だった
スーパースターの地位にイチローが就いたように。

例えば、やはり
女子テニスのように
いつまでもクルム伊達ではダメなのだ。

DSC10412.jpg

最後に、
直系遺伝子へ買った
新日本プロレスの創設以来のロゴTシャツで締めたい。


posted by damoshi at 01:26| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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