2012年07月15日

宿題


フェイスブック既報の通り、
"東日本大震災鎮魂/新田次郎生誕100年トリビュート"
<富士登拝-2012->から昨日、帰宅した。

そして、既報の通り、
今回は「悪魔富士」の本性を遂に見せた富士が、
<経験したことのない暴風雨>をもってして
ダモシ軍及び同日登山者たちの登頂を阻んだ。

ダモシ&アントニオの父子同時登頂、
キラー・ワイフを含めたファミリー同時登頂
それぞれの夢は八合目で潰えた。

午前六時、撤退を決定。午前十時半、五合目に下山到着。

『共に登頂するのは、宿題として残った』。
ダモシはそう語りながらも、
アントニオの奮闘を誇り、目頭を熱くした。

当欄限定で、以下にストーリーを掲載。


:::::

富士の悪魔性。
これを見る機会が必ず来るだろう。
そう思っていた。

前二回、そのシーズンでいずれもベストの日の
登頂だったからだ。

あまりにも良すぎた条件。

海の日の三連休前の金曜日。
これが09年、10年の過去二度の富士登拝。
今年も同様に、それは7.13。

タイミングは同じだ。
その頃合いは、過去二度はちょうど「梅雨明け」。
だが今年は、その前日から九州で
<経験したことのない>大雨が降っていた。

前日確認した富士山自体の当日の天気予報は、
雨、雷。

毎回リーダーとして参加している
ヒマラヤ6,000m級経験者の
マスターKEIJIが前日、ダモシに電話をかけてきた。

<五合目でとりあえず集合して、
 あとは状況を見て撤退もありということで>。

今回のメンバーに初挑戦の
キラー・ワイフと小三のアントニオがいることを
慮ったのである。

未明。自宅の外は大雨。
朝8時半の出発時には雨は止んでいたが、
暗雲が漂っていた。

東名で御殿場まで。あとは市内を走り、
自衛隊演習場を超えて富士スカイライン。
そして五合目。

キラー・ワイフ&アントニオが
この静岡側(富士宮口)五合目まで来るのは、
08年秋以来、四年ぶり二度目。

約一時間半の高度慣れ休憩を挟み、
後から来たマスターKEIJIと合流し
12時、いざ登山開始。

その前日の登山では、
八合目までも誰も来られないほどの
悪天候。

この日も同様の悪天候が予想された中、
予約してある八合目まで行くことができるか。
そもそも天候の問題だけではなく、
肉体的にも持つのか否か。

ダモシ、先頭。二番手にワイフ、三番手でアントニオ。
オーラスにマスターKEIJIという布陣。

ダモシが先頭であれば、
必然的に超スローペースになる。
それがワイフとアントニオには大きな
アドバンテージになる。

高度が上がるごと、
超スローペースで上がっていけば
自然と高度に順応するという算段だ。

六合目、新七号目に順調に到達。

未だにダモシ恒例の<金剛杖支え>が出ない。
過去二度にはない好調ぶりが
ダモシに見られた。

途中途中、登山者や下山者と
すれ違う際に、多くの人々が
登るアントニオを見て声をかけてくる。

<え?すごいねー。何年生?>。

ほとんど、同じ質問だ。

むろん山梨側からなら大勢いるだろう。
小学生高学年や中学生で
山梨側ともなれば当たり前の光景であろう。

だが、この静岡側からの登山である上に、
この悪天候である。
苦しい闘いに彼ら自身も臨んでいる中で
小学三年生のちびっこが黙々と登っている姿に
逆に励まされている。

健脚な68歳男性とその妻がすれ違う。

<はぁ、キツイですね>と言いながらも
彼らの表情には余裕がある。
しっかり脚を踏み登っている。

<健脚ですね>とダモシが言うと、
<初めてですか?>と妻が問う。

<三回目ですよ。息子を連れて初めて今回>
とダモシ。

妻がアントニオに問う。

<何年生?>

アントニオは<三年生です>と答える。

この
<何年生?>
<三年生です>のやりとりは、
登山中、二十回は超えた。

<おじさんは100kgを背負ってるんだぞ>
と笑顔で声がけしてきた五十代と思しき
ヘビー級男性。

<まだ、(登るには年齢が)早いんじゃないかぁ?>
と挑発。

その後、
<これくらい言っておけば意地でも登るだろう>
と笑う。

ダモシはアントニオに向かって笑顔で言う。
<登ってやるぜ!って言ってやれ>。

忌憚なく、過去二度とは異なり、
軽快にダモシが登ることができた
最大の要因に、

ワイフ&アントニオが共に登っている
ということと、
自身が先頭で彼らを先導している
というポジションがあった。

彼らを守るのは己だ、と。
むろんマスターKEIJIがいるが、
父であり夫であるのはダモシだ、と。

そのポジションが、
自分自身がヘナヘナしていられない
という責任感を発露させ、
ひいてはそれが
過去二度に存在していた<甘え>を
消し去ったといえるだろう。

彼らの姿を撮影するのもダモシ自身だ、と。
俺が撮らないで誰が撮る、と。
そういう意識が、
対富士の過酷さを超越した。

先の68歳夫と妻は初の富士だ、という。

ここでも余裕のあるダモシは教えた。

<いま新七合目だったでしょう?
 この後、八合目だと思いますよね?
 でも違うのですよ。
 次も七合目で、その次が八合目ですからね>

<えっ?次、八合目ではないの?>
と目を丸くする妻。
夫はその上で苦笑している。

<私も初めての時、辟易して、
 ヘコんだのですよ。萎えました、あそこで。
 だから先に伝えておきます。
 次は元祖七合目です。あれね?見えるのが、そう。
 で、そのさらに上にずっと向こうにあるのが、
 八合目なのですよ>

彼らはそれを聞き、
覚悟を決めたかのように上を見つめ、
さらに歩を進めていった。

アントニオ。
ちびっこの彼にとって、
どれだけ他人の声がけ=<すごいねぇ>に
勇気づけられたことだろうか。

自分以外に小学生はおろか
中学生も高校生もいないのは分かっている。
そのことが
どれだけ凄いのか。
それを他人から脚を止められて
言われる度に、実感しただろう。

<すごいことに挑戦しているのだ>と。
<すごいことなのだ>と。

それも
<途中で投げ出さないことでこそ、
 すごいことなのだ>と。

自分で実感したのだ。他人から言われることで。

そして、いま、登っていることがすごいのではなく、
これをやり遂げることこそがすごいことなのだ、
ということも彼は事前に理解していたが、
さらに現場で実感したのだ。

そもそも彼は途中で投げ出すことをしない人間だ。
空手でもそれは証明されている。
しょっぱい男になるな。
赤ん坊の頃から厳しく言われている。

闘いは、最後まで投げ出さない。
ゲームが終わるまで、ゲームは終わらない。

Go the distance.最後までやり遂げろ。

これを己が通奏底音として
既に保持している中で
何に対しても挑んでいるのだが、
これまでで最も過酷な相手と闘っている
その最中に、応援してくれる人がいっぱいいる。
それは大きく彼を後押しした。

2012f1.jpg

2012f2.jpg

その時ダモシは不思議な感覚に囚われていた。

空手や日常のその他の闘いにはない現象。
それは
父親としてのダモシによる
過度な叱咤が不要な世界観がそこに展開されていたからだ。

それは「山」がもたらすものなのかもしれない。

共に登っているのだが、
闘っているのは己自身。
アントニオの姿を見ていて
ダモシ自身もそう強く感じたのである。
それはアントニオ自身も感じていた。

ここは己自身に賭けて登るのだ、と。

もちろん空手もタレント活動も、
やるのは己自身だ。
だが、セコンド等、後押しや声がけ、
アドバイスがそこに存在する。

しかし共に闘っている山、対自然の前では、
最悪な局面を除けば、
誰も助けてくれない。己自身の脚で登らなければ
何も始まらない。

それをアントニオ自身、悟ったように見えたのだ。

山:孤高の人。
そんなイメージが存在するのも頷けるのだ。

そして、一人で対峙している
その姿こそが、美しい、と。

2012f4.jpg

:::::

新七合目、そして陥穽の、罠の、元祖七合目。

上に視界に捉えることができる建物がある。
そこがゴールの八合目。

ここまでやり切ることが大切だ。
天候はちょうどタイミング良く、
この日のデイタイムにおける
悪天候の分水嶺を超えた。

八合目のゴールへ辿り着ける条件は整った。
あとは己自身にすべてがかかっている。

この元祖七合目から八合目が、
身体的に厳しくなってくる。
高度3,000mオーバーの領域に入るからだ。

明らかにダモシのペースが落ちる。
二番手を歩くキラー・ワイフも落ちる。
ワイフの口から
「くそぅ。このやろう」と台詞が漏れる。

呼吸も明らかに苦しくなる。
数十歩進んでから休憩が、
十数歩進んでから休憩に、
そのスパンが短くなってくる。

アントニオ、
未知の領域、高度3,000mオーバーに差し掛かり
さすがのアントニオの顔も歪む。

<空手の稽古の方がキツい>と言っていた
元祖七合目までの足取りは
明らかに落ちた。

立ち止まり、岩場に座るシーンが出てきた。

2012f3.jpg

ここでマスターKEIJIが動いた。

彼は一昨年の登拝時、
ダモシの異変を即座に察知して
ダモシのリュックとカメラの望遠レンズを
持ってくれたことがあった。

その再現が起こった。

アントニオのリュックを背負ったマスターKEIJI。

(内心、ダメかな・・・とも感じた・・・)
とマスターKEIJIは後に述懐したが、
ここはアントニオの分水嶺だった。

初めてダモシも声がけした。

<もう少しだ。がんばれ>。

そのダモシにもいよいよ
あの金剛杖支えという
ダモシvs.冨士における定番のシーンが訪れた。
この段階までそれが出なかったのが
好調の証だった。

途中、
<どこまでアレが出ないか。楽しみだ>
と余裕すら見せていたが、
遂に高度3,000mオーバーでそれに襲われた。

2012f12.jpg

出た、象徴的な<金剛杖支え>。

この時、ダモシは異変を感じていた。
好調の裏に、これまでにない異変。
頭痛であった。

09年、10年と比較的軽い方だった頭痛:高山病。
むろん酷い状態に陥ったものの
この段階での頭痛は初めてだった。

(頭が来てるな・・・)
(少々、頭痛が来るのが早いな)
と密に感じていた。

それでも進軍するしかない。
ゴールの八合目の建物は視界に入っている。
雲に覆われた中だが、確かに見えている。

高度のみならず、岩場も増す
元祖七合目から八合目の
(八合目〜頂上を含めた)最初の難関。

それを乗り切った。
午後四時半。八合目、到達。
既に暗闇が迫り、
この後の悪天候が予測されるアトモスフィアが
支配し始めたぎりぎりの頃合いで到着。

2012f6.jpg

さすがのアントニオもこの疲労の表情。

好調を維持してきたダモシは、
ここで安堵したのか一気にトーンダウン。
激しい頭痛に襲われてKO寸前になった。

夜食のカレーライスは完食できない。
一方のアントニオは元気で完食。
山小屋に到着したことで
アントニオに元気が出たのだが、
ダモシはこの時既に予見していた。

(いつ、彼に頭痛が襲いかかるか。
 これが問題だ。
 そして、彼がそれに耐え切れるかどうか)。

良い意味での無知。
だからこそのここまでの段階での達成感。
それがアントニオを上機嫌にさせていた。

しかしダモシは知っていた。

必ずや激しい頭痛:高山病が
アントニオに襲いかかることを。
マスターKEIJIも
<食べた後、すぐに寝ない方がいい>と
アドバイス。

過去最高の登山中の好調。
が、山小屋到着後は、
過去最悪の状態に陥ったダモシは
ほぼKO状態で六時前には横になり、
言葉を発せなくなる。

眠るしかない状態になる。

だが、常にそうだが、
眠っていても眠っていない状態。
頭が割れそうな頭痛。
地上での日常の頭痛の数十倍の強烈さが襲う。
嘔吐感も催す。

うとうとしていた中、
隣のアントニオとワイフが
ヒソヒソと話し込み
慌ただしくしていることに気づいた。

目覚めて半身になったダモシは
ワイフに問う。

<なったか?頭痛いんだろ?>。

夜九時を過ぎた頃だった。

ここからは、ほぼ全員が
少し眠っては起きるの繰り返し。
既に山小屋の外の暴風雨の音が
激しく轟いていた。

恐怖の時。

トイレへ行くために小屋の外に出るだけで
恐怖に怯える。
この悪魔富士から振り落とされてしまいそうな
暴風雨。異様なそのサウンド。

寝床から出たワイフ&アントニオは、
ここから朝まで延々と小屋入口や
特別に入れてもらった畳の小部屋で過ごし、
嘔吐を繰り返すことになる。

ワイフは一睡もせずアントニオを介抱。
ダモシとマスターKEIJIは
眠ったり起きたり様子を見に行ったりを
繰り返す。

午前二時。

本来であれば頂上アタックのために起きる時刻。

だが、小屋にいる数十人誰一人起きない。
(「無理だ」「待機だ」「危険だ」)と
ヒソヒソ皆、語り合う。

この間、アントニオは頂上アタックを
あきらめていなかった。

途中、少し声を強めたダモシの言葉を
受けていたからだ。

<皆、なるのだ。すごい頭痛だろ。
 これは皆、なるのだよ。これを耐え切るのだ>。

<俺もものすごい頭痛だよ。同じだよ。
 登れば治るんだよ>。

午前三時、午前四時、止まらない暴風雨。

マスターKEIJIとヒソヒソ語り合う。

<無理ですね>
<動きようがない>

せめて雨さえ少し収まった頃合いを見計らって
下山することを決定した。

撤退である。

それを聞いたワイフがアントニオに別室で告げた。

<頂上は行けなくなった>。

アントニオは驚くことに
この最悪の肉体状態においてさえ、
さらに
この経験したことのない
高度3,000mオーバーの地点での暴風雨を
前にしてでさえ、

『やり切る』=『頂上踏破』へ
アタックする気でいた。

<え?そうなの?残念だ>とアントニオ。
そして
<じゃあ、どこ行くの?>と
ワイフに問うた。

ワイフは答えた。<下りるんだよ>。

母親の業。彼女もまた母となってから、
ひとつひとつ強くなっている。
まさにザ・マミー。

己はまったく頭痛にならなかった。

ベイビー〜幼児期、
NYからの東京出征時に
ニッポンに来たからこそ
それにかかってしまったアントニオの
<ノロ>と<インフルエンザ>の際、
ワイフは己自身もそれを発症しながらも
たった数時間で元気になってしまった
驚異の逸話があるが、

それも母として、
幼児を看病しなければならないという
レスポンシビリティと母性がなせる業だった。

そして今回、
己自身も初めて味わう恐怖の中、
高山病の頭痛にもならず
一睡もせず
アントニオに付き添っていた。

驚異である。

アントニオも驚異だ。
以前の彼なら間違いなく、
否、小学三年生なら責められないだろう、
この状況下において
<泣く>ということが一切なかった。

泣きべそもかかず、不平も述べず、
黙々と登り、
恐怖の中での最悪の体調にも泣かず、
それでもなお
頂上アタックをあきらめていなかった強さ。

ダモシは負けたのだ。完璧に負けているのだ。

(あぁ、凄いな・・・)
意識朦朧の中、再び
うたた寝のために目を閉じたダモシは
ひとり想った。

2012f5.jpg

(山小屋到着直後のアントニオ。
 元気一杯だった。
 空手で鍛えられている体力は嘘ではない。
 彼の懸念は唯一、高山病だったが、
 その通り、肉体的にはまったく問題なかった)。

:::::

午前六時。雨は少し弱まった。

<行こう。下りよう>。

撤退。下山開始準備を始めた。
そして午前七時。下山開始。

雨は一時的に止んだが、暴風は変わらず、
霧と雲が混じり合う
一寸先は見えない状況には変わりない。

暴風にヘビー級のダモシですら
肉体そのままよろけさせられる世界。

危険な下山が始まった。

アントニオの身体であれば
簡単に吹き飛ばされてしまう。
そして岩場と崖は滑落の危険性がある。
恐怖の下山。

2012f7.jpg

下山時はマスターKEIJIが先頭。
アントニオ二番手、
ワイフが三番手で、
最後方に守護神として大きな壁になるべく
ダモシという布陣。

アントニオを、マスターKEIJIとワイフが支え
危険な崖や岩場を下りる。
吹き荒れる暴風、遮られる視界。

早くこの恐怖から逃れたい。
下山するとなれば
一刻も早くこの場から逃げたい。
焦りが出る。それを必死に抑える。

2012f8.jpg

アントニオの徳。
それは大人に好かれることだ。
いわゆる"お兄さん"や"おじさん"に好かれることだ。
素直に話を聞くからでもあり
教えられたことをすぐにマスターし実践できるからだ。
空手も覚えが早い。何でも覚えが早い方だ。
そして、よく懐く。

マスターKEIJIを完全に信頼したアントニオ。
マスターKEIJIの後を
必死についてゆく。

下山時は、時に二手になった。
マスターKEIJIとアントニオ、
ワイフとダモシだ。

恐怖の下山を続けた末、雲が少し切れた。
暴風は最後までやまずとも
雨が収まり、雲が時々切れた。

そうなるとさらにその様相は顕著になる。
ダモシもマスターKEIJIと共に往く
アントニオを、黙って放任した。

ここで、予想していなかったことが起きる。
アントニオが生まれてから
ほとんどない
<ダモシxワイフ=二人だけの時間>が
不作為に生まれたのであった。

崇高な時間に思えた。

ワイフと二人だけの空間。時間。
必死に下りるワイフを
支えるダモシ。
時に横に行き、並びながら、
語り合いながら下りる。

まさにこれは崇高な時間だった。
地上ではあり得ない世界観が
そこに漂っていた。

これもまた富士でこそ生まれた、
富士でこそ気づいた何かである。

このタフな状況下においてさえ、
アントニオを放任し
自分たち「夫婦」だけの時間を持てたことに、
ひとつにはアントニオに対する
誇らしさを覚えたのである。

先月の靭帯損傷の中、激闘を繰り広げて
優勝した『ガッツ』の際と、
先の大会での大一番での勝利
『ザ・ショット』の際に
ダモシがアントニオに言った
<またひとつ、男になったな>。

この下山している今、この瞬間まで、
その前日からの一連の彼の所作を見ていて
感じていたことを、
夫婦二人だけの崇高な時間軸の中で
二人で語り合う。下山しながら。
乱れる息で。

<またひとつ、あいつ、男になったな>。

シンプルだが、最高の気分になった。

2012f9.jpg

親を頼らず甘えず、
己の脚で下りてゆくアントニオ。
美しい、と感じた。

ワイフとダモシは
その時間を楽しむかのように
ゆっくりとゆっくりと下りてゆく。

最後の局面。

大きく先に行ったマスターKEIJIとアントニオが
下山ゴール直前の岩に二人並んで座り
ワイフとダモシを待っていた。

アントニオの顔に満面の笑みがある。

それを見て、ダモシは込み上げるものを
抑えるので必死になった。

<男になったなぁ・・・>
<憎いね・・・>
と一人で呟いた。

最後は四人揃って下山ゴール。

ダモシにとっては過去二度よりは
短い時間だが、
それでも長い長い時間の闘いは
ここに終わりを迎えた。

やり切った。やるべきことはやった。
アントニオは、やり切った。
これ以上、求めるものは何もない。
何一つ苦言も注文もない。

賞賛以外、なにひとつない。

頭上には、
今回の富士では一枚もない
絶好の風景写真の素材が
空に姿を現した。

皆で見上げた。

2012f10.jpg

また、ひとつ男になったアントニオ。

2012f11.jpg


:::::

駐車場へさらに下りていく道。

ダモシは言った。

『頂上はいつかな。宿題として残ったな』。

ダモシは内心、また
『もう二度とイヤだ』と感じていた。

そして今回の登拝に
ワイフとアントニオを連れ立ったのは
自身の自信のなさだった。
年齢的な部分もある。
強い父親として先導できるのは
ぎりぎりかもしれない、という。
対冨士に関して、は。

(早い方がいいな)とは偽らざる心境だった。
でもそれは小学二年の昨年ではなかった。
昨年なら彼は耐え切れていない。
それは一番ダモシが分かっている。

<男になった>。
このパフォーマンスが多く、
明らかに様々な面で成長著しい今年:
小学三年の今なら、という想いだった。

だが、富士はその悪魔性を存分に見せつけて
我々の頂上踏破を阻んだ。
八合目から先へは行かせなかった。

それでも前日は八合目までも受け付けなかった
わけだから、ダモシ軍のことは
受け入れたのだが、
ここですんなり頂上踏破を
させなかったのは、富士なりの配慮と
試練を与えたのは間違いない。

アントニオは空手でもそうだ。
簡単には勝たせてくれない。常に。
だが、空手でも
幼児期から初心者用の大会には出ていない。
それに出て優勝するのは容易い。
だが、それを選ばなかった。
だから優勝まで時間がかかった。

しかし高いレベルでタフな相手を
多く闘ってきているから
今のレベルがある。

それと同様に、
アントニオには平易で安易な道は、
富士もとらせなかったと見て良い。

そして同時に富士は、
弱気になっているダモシにも
宿題を残したのだ。

<父子同時登頂>は来年以降だって
あるだろ?

と。

<頂上はいつかな。宿題として残ったな>
と言ったダモシに対して、

アントニオは即座に驚くべき台詞を返した。
すこしハニかみながら。

<来年ね>。

ダモシは涙が溢れそうになった。

(今年は何回俺を泣かせるんだよ)。

忌憚なく、毎年、
すばらしい根性と奮闘をしている
アントニオだが、
今年はさらに感動を多く与えてくれている。

『ガッツ』でも『ザ・ショット』でも、

そして先般死去した猫ケロが
入院中、泣いてケロを自宅に連れて帰りたい
というワイフに対して
ダモシがふだん口にしているのと同じ
<連れて帰っても何もできない。
 ここはプロに任せよう>と諭したと
ワイフから耳にした際も。

闘いにおいても、日常の些細なことにおいても、
八歳アントニオは大成長している。
そのタイミングでの富士、
そして今度の五輪。
これらひとつひとつが今こそ
彼の成長の糧になると踏んでいる。

この富士登山と下山時の、
彼自身、放任しても安心出来るような強さ。
自覚。

ひとつひとつに、素材として提供している側
としては、何にも替え難い喜びをもって
彼は返してくれるのである。

富士。それは崇高な時間。

今年の富士登拝で得た新たな感覚と認識。

これをもって本編を締めたい。



以下、雑感。

DS2.JPG

登山中、ポーズで
恒例の<金剛杖支え>をしたダモシを見て
アントニオも演技でそれをする。
こういうことを即座にできる点
:魅せる要素も、
今年より多くの理解を深めてきている。

要するに、物事がより<分かって>来ているのだ。
八歳はある意味でその分岐点かもしれない。
ダモシ自身も何となく三年生くらいから
諸々、<分かり>始めたと記憶している。
むろん個人差はあろうが。

いずれにせよ、これもダモシにとっては
夢の<父子での金剛杖支え共演>だった。
忌憚なく、嬉しい。

DS.JPG

"それどころではない"ため、希少なツーショット。
ワイフの携帯カメラでのもの。

2012f13.jpg

過去二度恒例の下山後の
御殿場市内での温泉。
そこへも連れていって。
共に裸になって露天に入り、
食堂でランチ。至福の瞬間だ。
アントニオはダメージなく、
活発な男の子、普通の三年生に戻っている。

むろん、それでも、
ワイフとアントニオは帰りの東名で
爆睡していたが。

:::::

最後にデータ類。

この分析はまだ済んでいない。
過去二度と今回の気温、気圧、湿度の比較だ。
登山当日の一時間ごとのそのデータをグラフにした。

また、過去二度との所要時間等の比較も描いた。

fujidata2.jpg

なぜ今年が最もダモシは
ダメージ(高山病)を受けたのか。
そして、それは天下のマスターKEIJIも同じだった。
そうなった要因は何だったのか。
データから読み取れることがあるはずだ。

fujidata3.jpg

ひとつには、
過去二度との顕著な違いは「気温」。
低かった。登山中、低かった。

皆、頭痛の苛烈さが増したのが夜八時、九時
くらいだったのだが、
過去二度は気温が下がっていっていたのに対し、
山小屋到着後、今回は気温がどんどん上がっていっている。
そして、湿度は過去二度よりも高い。
これも夜になりさらに上がっている。

気温と湿度が双方、夜になって
さらに上がったのが今回の特徴といえるだろう。

気圧は、やはり高山病が酷かった09年と
ほぼ同じ数値を記録している。

だから、顕著な差異として、
今年高山病が酷かった要因のひとつに
考えられる候補としては、

<気温と湿度、双方が、
 夜の時間帯になって上がっていった>こと
が挙げられるだろう。


- fin. -


posted by damoshi at 23:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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