2012年08月01日

判定と組み合わせ順の陥穽


先の週末から巷では
当然のごとくロンドン五輪の話題が多くなっている。

ここまでの数日で気になることが二つ、ある。
むろんリアルタイムでフェイスブックに掲載しているが、
その二点とは以下だ。

◆判定問題(誤審からの再判定/ジュリー出現)
◆トーナメントの組み合わせ(めぐりあわせ/クジ運)

まず、前者。
リアルタイムでテレビで目撃しただけでも多い。
とりわけ柔道、そして体操。
いずれも日本絡みだ。
これが日本国内での放送で日本選手を映している
一部の中でさえ多いのだから、
全体で見ればもっと起こっているのではないか
とさえ思えてくるほど、アグリーだ。

技有りや有効の判定取消が度重なった上に、
とりわけ目に余る事象が、
柔道男子66kg級準々決勝の
海老沼選手と韓国のチョ選手の試合で起こった。

そもそも最初の旗判定で
主審・副審全員がチョ選手に挙げて
3-0でチョ選手の勝利になった自体、
What !?と言わざるを得ない判定だったが、
それに対して日本側が猛抗議。
ジュリーが登場し、協議。

そして驚愕のシーンが訪れた。
何とまあこの審判団、旗判定のやり直しをした。
びっくり、である。
そして何と今度は逆に3-0で
全員が海老沼選手に旗を挙げた。
口あんぐりである。
何をしとるのか、と。
チョ選手の肩を持つわけではないが、
これはいくらなんでもアグリーであろう。

この主審・副審合計三人の
存在証明とレスポンシビリティとは一体、何なのか、と。
どういう意識で判定を下しているのか、と。

厳しいようだが、一生に一度あるかないかの大舞台。
選手はまさにSINK or SWIMの状況で
闘いに臨んでいるのだ。
審判も、それなりの<覚悟>をもって
その任務にあたらなくてはならない。

極論すれば民間航空機のパイロットと同じである。
乗員乗客の命を預かり、覚悟を持って
操縦席に座っているはずだ。
そのくらいの覚悟を持たなければ
厳しいようだが、審判をやる資格はない。
簡単に覆す判定を下すのは、けしからん!
とダモシは率直に思うわけである。

且つそれが生む弊害が、ある。

このジュリーの存在強化と
判定の取消は、度々、試合を止める。
流れを阻害するのである。

それは、
歓喜と失意という
スポーツにおける闘う者が表現する
特有の美:<モーメント>を
度々阻害しているということである。

瞬間の美。瞬間の歓喜、失意。
ひとたび歓喜したのに、
それが取り消される。
これはどういうことだろうか?
気持ちの持って行き場がなくなるだろう。
選手は。

もちろん誤審や恣意的な判定を
正常化させる意味でのジュリーの存在は否定しない。

アントニオ選手の空手でも
度々、不可解且つUnacceptableな判定で
決勝で負けにされたケースが複数回ある。
明らかに誤審だろうというケースで
後にそれを認めたということも実際にある。
そして、どう考えても"恣意的"な判定も度々。

スポーツマンシップやらアマチュア精神などで
昔は審判に抗議することは認められなかった。
今も高校野球はもとより
子供の空手も同様だ。

だが、審判の質の低下は全体的に否めない。

だからこそそれを正すジュリーの存在や
ビデオ判定は必要性を増している。

だが、
正常化を図るためのジュリーは良いとしても、

・スポーツの機微である歓喜や失意の
 モーメントを阻害し、やり直させることで、
 "どっちらけ"をもたらしている現実

・では、そもそも主審と副審の
 存在とはなんぞや?という大いなる疑問

を、
ジュリーの存在(あるいは)
審判の質の低下が、
皮肉にも生んでいると言わざるを得ない。

はっきり言って、「しらける」わけだ。
スポーツの絶対的な魅力の一つである
<モーメント>を取り消して
なかったことにしてやり直させるという所作は、
Sink of Swimの闘いをしている
選手たちには酷である。

男子体操団体も同様だ。
これも日本絡み。
日本側の猛抗議によって判定は覆され
辛うじて、「結果銀メダル」に輝いたが、
内村選手を筆頭に
何とも後味の悪い結末を感じただろう。
見ている側も同様だ。
覆って銀になったとて、歓喜はない。
逆にひとたび結果を受けて歓喜にいたった
イギリスとウクライナを応援していた人々と
選手、関係者の心中を察すると
たいへん残念な事象と感じるわけである。

<判定>競技は大変難しいのは分かっている。
アントニオのそれで身に染みている。
だが、或る一定レベル以上になれば、
勝ったか負けたかは分かるものだ。
贔屓目抜きで、負けてるかな、と感じた場合は
負けと判定されても納得がいく。

不思議なもので、
互いに技有りなしの
紙一重の判定勝負になった
これまでの試合で、
<負けかな・・・>と感じた場合、
100%負けの判定になっている。
だが、
<こりゃあどう見ても勝ったな>と感じた場合でも
負けにされるケースも多く、
<微妙だな>と感じた場合は、
ほとんど負けにされている。

ラッキー勝利が一度もないのだが、
相手にはそういう意味でのラッキー勝利は多い。
実際、主催者の息子だのが相手の時はそうなっている。
さらに相手選手の道場の先生が主審をやっていたり、
主催者と関係のある団体の選手が相手の場合に
往々にしてこういう判定になっている。
ある意味で、短絡的な判定というか、
分かりやすいほど恣意的な判定は、
現実にあるのだ。

それが子供の、しかもドメスティックの試合ですら
あるのだ。

国際試合や五輪になれば、よりあり得る
という前提がダモシの中にはあって、
そもそも判定競技における審判に対する信頼は
まるでないといっても良いのだが、
図らずもウクライナの監督のコメントが
すべてを表していると思う。

<陸上の100mは、100m。
 でも体操だとそれが95mや105mに
 なることがある>

皮肉とエスプリの利いたコメントといえるし、
リアルな現実を表している。


*****


後者。

トーナメントにおける組み合わせ順。
クジ運あるいは
操作された組み合わせのめぐり合わせの悪さ。

これもまた厳然と闘いには存在する。

だから結果としての優勝と一回戦負けは、
常に表裏一体なのである。
むろんそれは選手の実力が一定レベル以上
であることが大前提だが。

そしてもちろん、
強い馬はどんな馬場でも強い
という理想論的格言があるように、
強い選手はどんな組み合わせでも勝つ
とスーパー・ポジティブにモノを言うこともできる。

だが、実際に闘いという舞台で
常在戦場で
SINK or SWIMの闘いをしていると
そこまで言い切ることはできないのである。

トーナメントの場合は、
<組み合わせ>が大きく結果に影響を及ぼすのは
明らかなることである。

直近では、卓球女子シングルス。
福原選手と石川選手揃ってベスト8。

が、準々決勝のそれぞれの相手は、
福原選手が世界ランク一位の選手で
石川選手が自身より下の同十一位の選手。
福原選手は破れ、石川選手は勝ってベスト4。

結果だけ見れば石川選手の方が上になる。
仮に石川選手が準決勝も勝てば
銀メダル以上になる。
破れても三位決定戦に勝てば銅メダルだ。
石川選手が上となる。

が、事はそう単純ではない。
ベスト8で闘いを終えた福原選手がダメなのか
ということにはならないのである。

女子柔道52kg級の
金メダル候補だった中村美里選手も同様。
あまりにも組み合わせ順が
悪かったとしか言いようがない。
もちろん勝てば良いのだが、
前述の通り、それは酷だ。

よりによって中村選手にとっての一回戦
(=初戦:実際には二回戦)で
金メダル候補のアン選手(北朝鮮)と
当たってしまったわけである。
アンは既に一回試合をして充分暖まっている。
アンが勝利。
結果的には中村選手は初戦敗退となった。

が、これを指して中村選手がダメなのだ
とはならない。

これもまたアントニオ選手で身に染みている。

アントニオ選手は直近の空手の大会で、
よりによって一回戦でチャンピオンと
当たった。当欄に掲載した<ザ・ショット>の
試合である。

残り二秒での
大技ナイアガラで大逆転勝ちしたのだが、
その一番にある意味で
すべての集中力を使った。
で、二回戦の対戦相手は
一回戦で普通に楽な相手に勝って消耗していない。
しかもアントニオ選手はインターヴァルなし
で二回戦を迎えざるを得なかった。
で、延長の末に結局判定で破れたわけだが、
普通にやれば負けないと素直に感じるわけだ。
且つその選手は最後まで勝ち上がった。
要するに、こういうものである、と。
これがクジ運、組み合わせ順の陥穽なのである、と。

優勝という最高の結果は、
これらも含めてすべての要素が完璧に
絡み合わなければ成り立たないということである。
特にこれに判定という微妙な世界観も介在してくる
競技の場合、その部分も鍵になってくる。

だからこそ、今年既に四度優勝を得ている
アントニオ選手はラックも多くあるということであり、
同時にまたこのような敗北や、
初戦負けというバッドラックも多くあるということである。

こういうふうにトーナメントの難しさは
厳然とあるのだ。
それを理解しなければならない。
金メダルを獲得した者だけをチヤホヤしていては、
物事の本質は何も見えてこない。

アントニオ選手の<ザ・ショット>の試合の後の
二回戦での敗北は、では、これが「二回戦負け」
と短絡的に言えるのかどうか、
ということであり、
中村選手のそれも「初戦負け」と単純に
消し去って済むのかということである。

ダモシは、アントニオ選手にこの時、
優勝と同等の価値を認めた。

中村選手も今回の五輪においては、
メダルに届かず
形としては初戦負けであるが、
決勝戦といっても良い組み合わせだったわけだから
悔しいのは大いにに分かるけれど
ちゃんと理解している人もいるのだから、
これを糧に次回に臨んで欲しいです。

仮にアン選手に勝ったとしても
アントニオ選手のように
次の試合で負けた可能性とて、あるわけなのだし。

必ず毎回組み合わせ順の悪い
アントニオ選手でリアルに身に染みているので、
特に中村選手には感情移入してしまったのである。

そのアントニオ選手の
よりによって天敵ともいえる
チャンピオンとの一回戦での激突を制した後の
二回戦での敗北。

これと同じ構図が、
ロンドン五輪フェンシング男子の太田選手と
いえようか。

これもまた、
よりによって初戦(二回戦)で
北京五輪の金メダリストとの対決となった太田選手。
しかしこれを打ち破った。

アントニオ選手と同じ構図だ。

が、次の試合で敗れてしまった。

まさにアントニオ選手と同じ構図である。

で、この選手が金メダルに輝くかもしれない。

ふたたび「要するに」ではあるが、
要するに、こういうことである。

これが闘いの機微である、と。

いわば、究極は
<(結果として)勝った者が強いのだ>
ということなのだろう。

そして言うべきこととしては、
やはり勝負は時の運も大きいということであり、

<時に勝ち、時に負け、時に雨が降る>
に行き着くのである。


*****

さあ、アントニオ選手の
ボクシング全国大会が刻一刻と迫っている。
今週末だ。

相手は皆、専門。
アントニオ選手は空手からの
異種格闘技参戦にして
初のボクシング試合。

どうなるか。
相手は学年上の公算が高い。
ボクシングだから体重階級別の闘いだから、
学年上との対決を覚悟しなければならない。
となれば、リーチでは圧倒的に不利だ。

戦法は、ひとつ。

マイク・タイソン型でいく。

正直、彼の格闘センスは高い。
そのセンスと、負けん気の強さに期待だ。

先週末、
マウスピースとボクシングシューズを買った。
そして今日、トランクスが届いた。
来年はムエタイにも臨み、
今後はレスリングや柔術も視野に入り、
本人は「プロレスもやりたい」と言い出している。

女子柔道の松本選手同様、
闘いになると目が変わるアントニオ選手。
ふだんのベビーフェイスは消える。

勝っても負けても元気よくガンガン闘って欲しい。

明日は通常の空手道場での空手稽古。
明後日の稽古は休み
別途施設を借りてボクシングの最終調整で、
ウィークエンドの闘いに臨む。

それが終われば来週は、
富士山に続く登山修行第二弾。
画像の山へ往く。

常在戦場、である。

闘いは、良い。
緊張感は、リアルにしびれる。

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posted by damoshi at 00:16| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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