2011年12月24日

"アントキノ"イナリワン


ケイバタイムスとの連動/出張寄稿。
当欄では<時代>カテゴリーに類する。

時代は、1989年。結ばれる記号は有馬記念。
題して<"アントキノ"イナリワン>。

以下、ケイタイからの出張掲載。


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ひとりハシャぐ村上佳菜子に嫌悪感を覚えた今宵。
KYそのもの、だ。
今回の全日本は村上はKYで勝ってしまったら罰が当たるだろう。
フィギュア・スケートの話だ。

それはさておき。

今年の有馬記念はクリスマスの日に行われる。
"クリスマス有馬"としては
ナリタブライアンが勝った1994年を想い出す。

時にブライアン。三歳。
三冠を制した勢いでそのまま暮れの有馬まで制覇した。

だが、クリスマスの頃合いの有馬記念といえば、
当欄でもダモログでも度々触れている
1990年のオグリキャップ奇跡の復活ラストランが
強烈なるインパクトを伴っている。

それは12月23日。
現在のワイフとの交際一年目の、
初めてのクリスマス・イヴ(月)とクリスマス(火)を控えての日曜日。
午前中に渋谷の東急ハンズへ二人で出かけて
中野新橋のダモシのアパートメントで夕暮れ時、二人で観た。

だが、それと異なる種類で、クリスマスの頃合いの有馬記念として
大きなインパクトをもってマインドの中に残っているのが
その前年、1989年の有馬記念である。

クリスマスよりも、クリスマス・イヴ。
イヴの有馬記念。
ダモシ大学五年生。学生生活最後の有馬記念、
そしてクリスマス・イヴ。

高校二年時以来
(浪人時代という雌伏の時期である1シーズンを除き)、
7年連続でクリスマスを過ごす異性がいた。
そして1990年以降は現在まで21年連続でいる。

この1989年のクリスマス・イヴに妻もしくは彼女、
あるいは不倫相手等々、共に過ごす異性がいたならば
その記録は都合29年連続になっていたはずだが、
その年、"いなかった"。

精神的ひとりぼっちのクリスマス・イヴ。

それがこの1989年12月24日。

既にこの年の天皇賞・秋の頃合いには、
アパートメント直近の美容室で現在のワイフと
出逢っていたが、未だ交際していない。

翌春に社会人デビューを控えた大学生活最後の冬は、
本来であれば華々しいものとなるだろう。
一般的な大学生であれば。
だが、ダモシは孤独だった。

対異性、という意味では孤独だった。

時に時代はバブル。
今はなき赤坂プリンスを筆頭に東京都内のホテルは
一年以上前から予約で一杯。
イヴの晩は、都内の主要ホテルは
いずれもぐらぐらと揺れていたといわれている頃だ。

特に赤坂プリンスは、外から見れば、
イヴの夜は、ぐらぐらと揺れていたといわれている。
宿泊しているアベックが皆、勤しんでいたからだ。

ティファニーのオープンハートや
カルティエのトリニティリングが流行。
男はまだ女に熱意があった時代で、
百貨店内のティファニー店舗に並ぶものの
売切れとなり入手できず号泣する男もいたくらいだ。

現在の、今年発表された男女とも、もはや妖怪?
とも思えるほどの異性への興味のなさ
(交際している人のいない率の高さ/交際を望んでいない率の高さ
 =いずれも史上最悪の数値)とは
雲泥の差の、

男も女も、動物として、本能として、オスとメスとしての
<熱意>があった時代である。

今やニッポンの成人男女は、去勢されたセン馬だ。
否、セン馬はまだマシだ。闘争心がある。
今の人間"セン馬"たる異性に興味のない草食系共は、
闘争心すらなく、当然ながら、種もなく、
己が遺伝子を伝承しようという気概も何もない。

勃起できないハナたれ小僧の青二才や
不感症のアタシがアタシが的お姫様という
まことに"しょっぱ"すぎるクソったれ共が増殖している国。

そんな輩どもが興味あるのは携帯やタブレット、携帯ゲーム・・・。
耳にはイヤホンで、耳目をシャットアウト。社会の中での個室を享受。
目の前にオンナのエッチな脚があっても見向きもしない。
それよかコンピュータやゲーム内での着せ替えゲームに勃起か。

それが現在のニッポンの、現実の姿なのである。

もしかしたら輩どもは、iPadやiphoneで射精しているのではないか?
そんな世も末をとっくのとうに過ぎて
終わっている億千万のジャパーンッ!
絆もクソもないぞ、嘘くさい偽善者どもめ、と。

セックスができないなら、せめてセン馬になって競走せんかい!

クリスマス・イヴに共に過ごす異性がいないことを、
本来は、焦らんかい!

異性の肉体を、貪らんかい!

ダモシは、1989年のクリスマス・イヴ。
本当に寂しかったぞぉっ!

と、毎度毎度、<今のニッポン>には怒りしか沸かないのは、
なぜなのか・・・。

悲しい。実に悲しい。

"国際化"という偽善の句。これもまた昔はしかし、本気で、
それを目指そうと、近づこうと努力するニッポンがあった。

だが、ダモシが渡米し、帰国してきてからもそうだが、
一向に近づくどころか、後退している。

そして今年のニッポンは震災抜きにしても、最悪だ。

"国際化"から年々、遠ざかってゆくニッポン。
かといって、まともに国歌も唄えない。
情けないこと、ここに極まれり、である。

まあ、いい。

いずれにせよ、1989年12月24日である。

この年は、
リクルート事件が発覚。
宇野首相が、みみっちいスキャンダルで辞職。
日本シリーズでは加藤の「ロッテより弱い」発言に怒った巨人が
三連敗から四連勝して優勝。
ベルリンの壁が遂に崩壊した年でもある。

プリンセス・プリンセスが世界で一番暑い夏を席巻。
長渕剛が硬派に拍車をかけて「とんぼ」を熱唱。
教師役を務めたトシちゃんも、びんびんで絶好調だった。

そしてバブル象徴の、<24時間たたかえますか>に、
皆、勢いだけで突っ走って、ある意味で勘違いし、
やがて崩壊していくのにまだ気づかぬ頃合い。

ダモシは異性不在のクリスマス・イヴ。
しかし、隣には同じ大学の後輩がいた。
彼もまた一人。

後輩がクリームシチューを料理し、ビール、ワインと共に嗜んだ。
中野新橋の商店街でチキンを買った。

寒い寒い日だった。

有馬記念のレースの時刻には、もう真っ暗だった。

大本命オグリキャップはもがき苦しみ馬群に沈み、
当時出たての武豊鞍上の対抗馬スーパークリークが抜け出したが、
ゴール目前で真っ黒の馬体のゴキブリのような馬が急襲。
スーパークリークを交わして一着でゴールしたのは、
イナリワン。

後輩が悲しげに呟いた。

<ここでイナリかよ・・・>。

この日、深夜まで二人で酒を飲んで
しんみりと語り合った。

この後輩の
<ここでイナリかよ・・・>は、その後、
自身の競馬において、
常に予想する上での〜特に有馬記念での〜
欠かせないファクターとなっていった。

すなわち
<ここでイナリかよ・・・>は、

◆前走や近走で、絶好調ではなく、結果も最高ではない状態の馬
◆最近、さっぱりな馬
◆でも、そう遠くない時期(同一年内=特に春)にGIを勝っている馬
◆実力、地力、底力はあると誰もが分かっている馬
◆そろそろ来てもおかしくはないよな的なイヤな馬

などが、有馬記念で勝った場合を指す。

あの日、夜、酒を飲みながら話をいっぱいしたのだが、
その内容は一つも覚えてない。

1989年12月24日。
今から22年前の今日。
唯一、台詞として覚えているのが、<ここでイナリかよ・・・>である。

今年の有馬記念は、
<ここでイナリかよ・・・>を予想の軸に持ち出したい。



*****



三冠馬オルフェーヴル

この秋あまりにもハマり過ぎのトーセンジョーダン

の二頭は、

ここも勝ってしまったら
<欠点が何一つない福山雅治>
あるいは
<一人で全部出過ぎの芦田愛奈>
的な、世の中の不幸はこの二人が幸福すぎて
全部おいしいところを持っていってしまっている的な
『イヤミ』以外の何ものでもなく、
勝つことを祝福する気持ちは一切ないから、カットアウト。


<ここでイナリかよ・・・>の前記条件に該当する馬は、
ヒルノダムールとアーネストリー。

前者は特に忘れ去られている馬ではないか。
春の天皇賞を勝っている。
まさに、"アントキノ"イナリワン。

後者は前走があまりにも酷過ぎて評価を下げているが、
春のグランプリ宝塚記念を勝っている。

その中でもやはり符号的に合致する
"アントキノ"イナリワンなヒルノダムールを本命とする。
ヒルノダムール◎

そして後者のアーネストリーに〇

さらに該当する馬には、ヴィクトワールピサがいる。
春に海外GIドバイで勝ちながら、先のJCで13着とケチをつけて
評価をがくんと下げている。
"アントキノ"イナリワンの資格は充分の単穴▲。

春のGIで勝ち、秋に不振。
この図式に及ばないものの
春のGI/天皇賞・春で二着したエイシンフラッシュも
辛うじて資格を得て△。

残る二枠は、
"ここで〇〇かよ"という意味であり得る二頭。

レッドデイヴィスとトゥザグローリー。
後者は言わずもがな。
前者も言わずもがなの記号は、"武豊"と"セン馬"。
今回の有馬におけるこの二頭にこれ以上の説明は不要だろう。

ブエナビスタはJCでdone。
もちろん勝てば大団円であり祝福するし
最も多くの勝利の支持を得るであろうが、

"アントキノ"イナリワンという今回の図式からは外れる。


◎ヒルノダムール
〇アーネストリー
▲ヴィクトワールピサ
△エイシンフラッシュ
△レッドデイヴィス
注トゥザグローリー



posted by damoshi at 22:12| 時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月26日

1979年の西本幸雄


中津から帰ってきた。

通常寄稿はするが、その前にケイバタイムスからの出張掲載。
カテゴリー<時代>と併合して
<1979年の西本幸雄>を。


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<1979年の西本幸雄>

"悲運の闘将"と呼ばれた西本幸雄さんが逝去された。
御年91歳。大往生ではなかろうか。

観ていた者の立場として、
西本さんのハイライトと認識するほど
インパクトを残したのは、1979年の日本シリーズ。

あの江夏の21球で名高い広島カープvs.近鉄バファローズ。
日本シリーズ、雌雄を決する第七戦である。

1960年、大毎を率いて初の日本シリーズ。
大洋にストレート負けを喫した監督・西本幸雄。

以降67年から五度、阪急の監督として
日本シリーズに挑み続けた。
そのすべてで、最大二勝しかできず
巨人の軍門に下ってきた。

都合六度、日本シリーズで破れ続けた西本幸雄。

七度目の正直として広島と対峙した
79年の日本シリーズだった。

下馬評優位の近鉄は注文通り二連勝するが、
敵地・広島に乗り込んだ第三戦も優位に進めるが
七回に逆転されて、
広島に日本シリーズ初勝利を献上する。

これで歯車は広島に噛み合ってゆく。
第四戦も広島が逆転勝ち。
第五戦は1-0でまたもや広島。

近鉄は敵地で三連敗を喫した。

第五戦以外、常に押し気味に試合をコントロールしながら
ツメが甘い面が見られた近鉄。

あとがなくなった近鉄は大阪に戻り、
第六戦を本来の力通りに6-2で完勝。
星を五分に戻しつつ、逆に近鉄は流れを己自身に引き寄せた。

ここまで完璧なまでの内弁慶シリーズ。

戦前から近鉄を応援していて、
近鉄が勝つだろうと思っていた中学生ダモシ。

当時の日本シリーズは、平日であろうがすべてデーゲーム。
授業を終えて一目散に帰ってきてテレビにかじりついた。

第七戦の大阪球場は
「近鉄が勝つだろう」モード全開で、
異様に盛り上がっていた記憶がある。
旧シェイ・スタジアムのような
急勾配のスタンドを持つ大阪球場の様子が、
東京在住の中学生ダモシにとっては
異様なアトモスフィアを感じさせた。

<このムードなら、やはり近鉄だよな>と。

平野が五回に同点2ランを放ち、2-2。
ここから近鉄の世界だなと思ったら
広島もしぶとくすぐさま六回に伏兵・水沼の2ランが飛び出し
4-2とリードを広げる。
近鉄もその裏すぐに一点を返す。4-3。

全試合を通した印象として、
近鉄に拙攻のイメージを持っていたダモシ。
攻めているのに攻め切れない。
勝てる試合を落としてきた。

この六回裏も、1アウト2,3塁で、ただのゴロで一点しかとれなかった。

振り返れば敗因は、近鉄の拙攻だったと一つには言えるのだが、
もう一つ、この時代のシリーズはDH制が認められていなかった点が
明らかに近鉄に不利に働いた。

前年の首位打者で、この年のシーズンも
打率.320で18本塁打を放っていた右翼手・佐々木が、
出られなかった。

レギュラー・シーズンでDHを務めていたマニエルが、
DH制のないこのシリーズで右翼に入って出場していたからだ。
マニエルはシーズンで37本塁打でホームラン王。打率も.327。
打点は94を挙げていた。

いわば攻撃の主軸二人のうち、一人を欠いたのだ。
ちなみに成績面で見れば二人ともこの年とその前後が
現役としてのプライムタイムだった。

このマニエルの右翼手起用はある意味で、致命的だった。

シリーズの趨勢を左右しかねない第四戦、第五戦の
大事な場面でマニエルのミス(あるいは佐々木でも
そうなったかもしれないが)のような本塁悪送球と
被頭上超えによる共に試合を決定づける点を広島に与えた。

この部分も79年のシリーズにおけるポイントとして
残っている。

DH制が採用されていなかった時代と現代。
仮にあの頃既に現代のようになっていたら、
マニエルと佐々木の主軸双方をフルに起用できた。
そしてマニエルに右翼を守らせる必要もなかったから、
あの致命的な失点に至っていない可能性は当然、
否定できない。

ここにも西本幸雄の悲運のパートがある。

少年ダモシも、勿論、近鉄に歯痒さを感じながら
シリーズ全体を視聴していた。

だが、第七戦だ。最後だ。勝つしかない。
最後には近鉄打線が爆発するだろう、と思っていた。

近鉄の拙攻が支配していたシリーズ。

いよいよ問題の九回裏に入る。
広島が4-3で一点リード。
マウンド上には守護神・江夏豊。

少年ダモシの目には、当時まだ31歳だった江夏が、
とてつもなく歳上のおじさんに見えた。
今のダモシからすれば31歳なんぞ、
それこそハナたれ小僧である。

腹の出た太々しい恐怖のオヤジ。

中学生ダモシは江夏が大嫌いだった。

いいかげんに打ったれや近鉄!
江夏を泣かさんかい!

と、ブラウン管に向かって声を荒げた。

先頭打者の羽田が初球をセンター前ヒット。
ノーアウト、ランナー一塁。

西本はベンチから小躍りして飛び出し、
脚の速い代走・藤瀬を告げる。
ベンチに座っていても腰が浮いている西本。

次打者アーノルドの勝負中も、
落ち着きなくベンチから出てくる西本。

この時点で、冷静さを欠いている。

江夏は藤瀬の盗塁を警戒して、
ストライクが入らない。

四球目。藤瀬、盗塁。
捕手からの送球をショート高橋が後逸。
藤瀬は三塁へ。アーノルド、四球。

ノーアウト、一塁三塁。
もう笑顔の西本。
勝った、と思ったか。

次の平野も四球。途中、ハーフスイングの判定にも、
西本はベンチを飛び出して一塁線審に抗議。
小走りで出ていく際、西本の顔はどこか
笑みを堪え切れない様子が見える。

一塁ランナー、盗塁。ノーアウト、二塁三塁。
いけいけになってきた近鉄。
一塁が空いたことで、江夏は平野を敬遠。一塁を埋める。

ノーアウト満塁になる。

西本は笑いを堪え切れなくなる。
またもベンチを飛び出し、何やら指示。
完全に落ち着きがない。

江夏は想っていた。マウンド上で。

<落ち着けよ。お前らの勝ちだよ>と。


ここでポイントだ。

近鉄は一塁ランナーに盗塁させるべきではなかった。

ノーアウト一、三塁のまま攻めた方が良かったのだ。
ヘタに二、三塁になってしまったことで
平野が敬遠された。
そして満塁になった。

守る側はもうこの局面では満塁の方がイージーだった。

ノーアウト満塁で、出てきたのが代打・佐々木。
主軸ながら、このシリーズでは一打数無安打。
ほとんど出ていなかった。

四球目。佐々木が打った打球は弾み、
三塁手の頭上を越えた。
近鉄のサヨナラ勝ちか、と思われたが
打球は白線の左側を通過してファール。

西本はまたしてもベンチを飛び出し、呆然とする。
なかなか諦められずにベンチに戻れない。

佐々木は結局、三振。
これで1アウト満塁になる。

こうなるともう満塁になっていること自体が、
近鉄側に手かせ足かせになってしまった。
江夏、優位に立った。

ゴロを打たせれば良い。ゴロで併殺をとれば終わりだ、と。

西本は焦っただろう。

二球目。何とここでスクイズのサインを出した。

江夏の21球のハイライトがやってくる。

浮き足立ってイスに腰掛けていた西本。

打者・石渡のスクイズ失敗と
一気に2アウト二、三塁になってしまったショックで、
急に脚を組んだ。

そして、うつむいてしまった。

この時点で、近鉄の負けだった。

注文通り、石渡、三振。ゲームセット。

近鉄と西本は千載一遇の日本一のチャンスを失った。


*****


石渡がスクイズの構えをした瞬間、
少年ダモシは
<あっ!>と声をあげた。

なぜ、声をあげたのか。

ダモシの頭の中には
この局面でスクイズをやるなどという発想自体
皆無だったからだ。

同時に、激しい怒りが込み上げてきた。

なにをしとるのか!

と。

なにをどう考えたら、ここでスクイズやるかいな!

と。

少年ダモシが、メジャー志向を強める結果的な起点となったのが、
この時の、石渡のスクイズだったのである。

<プロ野球はダメだな>と中学生ダモシはこの時、
強烈に感じたのだった。

もちろん江夏も凄いが、
あの場面でスクイズをやってしまった近鉄サイドに
大きな怒りを覚えたのである。


そして中学生でさえ分かった西本の落ち着きのなさ。

あれが最大の敗因だったと思っている。

空手でアントニオに言っている。

<赤ちゃんと対決する時ですら、絶対に油断するな>

<自分より弱いと思える相手とやる時も、
 絶対にガードは甘くしてはならない>

と。

勝負ごとに、絶対的にしてはいけないこと。

それは<油断>である。
そして、<勝ったなと思ってしまう>ことである。

あの時、西本が<勝ったな>と思ってしまったように
見えたのだ。

それが堪えても堪えても漏れてくる笑み。
嬉しくてしょうがない、勝利が間近な笑み。
落ち着きなくうろうろして、
ベンチを飛び出してきてしまい、
采配に焦りが生じたのではないか、と。

それは本人しか分からないし、
戦術の選択は本人以外、
同じ局面を同じその場、その立場にいない第三者が
言うべきことでもない。

ダモシもあの時、本人だったら
スクイズのサインを出していたかもしれない。

だが、当時の観戦者ダモシとしては、どうしても許せなかった。
あの場面、あの局面でのスクイズ選択は許せなかった。

そして長い年月、プロ野球から去り、
在米時代ももとよりメジャー志向になったのである。

今はオトナ的所作でニッポンのプロ野球も観ているが、
わだかまりは消えていない。
胸を開いて気持ち良くプロ野球というものを
どこかで未だに許していない部分がある。

今年の日本シリーズも評価していない。

正直やはり
今年のワールドシリーズの方が<面白かった>のは否めない。

むろん、それは好き嫌いであり、
個々人の生きてきたヒストリーやストーリーによっても
異なってくる。

ダモシの場合は、そうである、ということだ。

西本・近鉄は翌年もまた日本シリーズに進みながら、
同じ相手の広島に第七戦で破れている。


*****


しかし、だからといって
当然ながら西本幸雄がダメな監督だったとは思っていない。

日本シリーズに都合八回挑んで、すべて破れたが、
監督としてダメかといえば、
ダメではなく、名将の部類に入るだろう。

山際淳司氏の『江夏の21球』は、江夏が主役だ。
だが、破れざる者の美学として西本幸雄は厳然と在る。

<スクイズを選択した采配は今でも間違いではなかった
 と思っている>という西本の談話は、それで良い。

その戦術を選ぶか。
その決定権は、あの時、西本以外には持っていない。
西本はそれを決断し、失敗した。
それだけである。

すべて頂点に届いた者だけが素晴しいのではない。

常にトップで闘いながらも、なかなか勝てない。
そんな敗れざる者の美は、勝者には持ち得ない徳である。

あの時、中学生だったダモシには、
まだまだそういったことは理解することは出来なかった。


*****


あと一歩で勝てない。

ブエナビスタが重なる。
もちろんブエナビスタはそれなりにGIを勝っている。

だが、昨年のジャパンカップがケチのつきはじめ。
GIでは上がり最速を出しながらも
ことごとく二位。

先の天皇賞・秋では、(海外でのレースを除いて)
遂にキャリア最悪の四位に沈んだ。

だが、内容は悪くなかった。
前が塞がった。

あのレースは勝ったトーセンジョーダンに
すべてがハマった。

得意の府中はもとより、ブエナビスタにとって適距離か。
そして叩き二戦目。

ジャパンカップと有馬記念。
キャリアで残すはこの二戦だろう。

心情的な部分も含めてブエナビスタを本命◎とする。


53kgという負担重量のものものしい恩恵を、
凱旋門賞馬が得ることのアドバンテージは脅威だ。

凱旋門賞馬デインドリームを素直に対抗〇。
同二着馬のシャレータを▲。
特に『痛い目に遭う』率の可能性が高いのは
ノーマークのシャレータを無視していた場合だ。
リスクヘッジで押さえておく。


天皇賞・秋で
レコード激走とフローがすべてハマった
トーセンジョーダンは、
<やることなすことうまくいく>が二度も続いてはいけない。
その想いを込めて消させて頂く。
勝ったら、<ふぅ〜ん>で終わる世界だ。

毎度毎度<勝つならここ>と言われ続けている
ペルーサは"一応"注。
ここもダメなら次はもう<勝つならここ>とは言われないだろう。

△二頭を
やはりローテーションとモメンタムから選ぶとすれば、
トゥザグローリー。

残るはエイシンフラッシュかウインバリアシオンだが、
<やることなすことうまくいっている>人は嫌いなので、
池添のエイシンフラッシュは外れてもらう。

ここも勝って、有馬もオルフェーヴルで勝ってしまっては、
それこそ<侘び寂び皆無>な"何でもあり"の世の中になってしまう。
世の中そんなに甘くないという平易な訓示は、
死守すべき世界観であり、それは避けるべし。

女子サッカーの川澄も、MVP受賞で一段落した方が
彼女自身のためだ。

今の池添には、当然、<負けろ>と思っている周囲の人は
多くいるはずだ。今の池添こそ、勝ったら、ダモシは言う。
毎度毎度同じ人の喜びの笑顔ばかり観るのはイヤなのだ。

<勝者には何もやるな>と。

ある意味、ウインバリアシオンは、
ペルーサよりマシな実績は示している。
<勝つならここ>はこの馬にも当てはまろう。

ドバイWCで世界制覇したヴィクトワールピサは
強いのは分かっているが、
さすがに八ヶ月ぶり(ドバイWC以来)という点は
割り引かざるを得ず、この馬をピックアップしては、
ここを目指してローテーションも適している
上がり馬に失礼と思い、消しとする。

これもまた、そうそう物事すべてうまくいかないよ?

と。

十分苦汁をなめた。辛酸をなめた。

そろそろブエナビスタが勝って良いだろう。

スクイズなどせず(内をついて進路を塞がれるのではなく)、
王道的所作で、堂々と外から上がり勝負に持ち込めば大丈夫。

ブエナビスタには、自信をもって走って欲しい。
四度目だよ? そろそろ頼むよ? 岩田よ。


◎ブエナビスタ
〇デインドリーム
▲シャレータ
△トゥザグローリー
△ウインバリアシオン
注ペルーサ


damojc.jpg

大分県の中津。

今日、中津から小倉を経由して
新幹線で出張から帰ってきた。

今回は、
昨日:新横浜〜博多〜熊本〜小倉〜中津(泊)
今日:中津〜小倉〜新横浜
という行程の、すべて列車での移動だった。
乗車時間はトータル11時間。

中津といえば、中津競馬。在米中に廃止された。
当時は大騒動に発展したそうだ。

昨晩、市内にぽつんとあった小料理屋に入った。
カウンターで一人、今や著名な中津からあげを肴に舌鼓を打っていると
いかにも九州男児な初老のマスターが言った。

<あと、ウチはおでんがよく出ますよ>。

ダモシはメニュー表で目をつけていた。

<そうそう。さっきメニューで見て・・・>。

メニューには、
「中津競馬場のおでん」と書かれていた。

旨いと知られていたという中津競馬場のおでん。
その味をたまたまこの店で味わうことができると知って
注文しない手はなかった。

一つ一つおおぶりで、
ダモシ好みの濃いめの味で実に旨かった。



posted by damoshi at 23:31| 時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月12日

1979年の江川


ケイバタイムスとの連動企画<時代>。
今週も以下、ケイバタイムスからの出張掲載。


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『1979年の江川』

今から34年前の1977年11月某日。

東京都下に住んでいたダモシは
通っていた小学校の6年1組の教室にいた。
授業中にも関わらず、担任教師が教室にあったテレビを点けた。
教師も思わず観たかったのだろう。ダモシたちも観たかった。
現代なら「けしからん!」と保護者からのお叱りを受けるだろう。

観たかったのは、プロ野球ドラフト会議だ。

怪物・江川卓を巨人が獲ることができるか否か。
注目はそれのみだった。

現在のように指名が重複したらクジ引きになるわけではなく、
指名する順番をクジで決めてその順番で指名していく。
先に指名する権利を得た球団が
江川を指名したら、その時点で巨人が獲得するチャンスはなくなる。

クジ引きによる指名順。巨人は二番目になった。
一番目に指名する権利を得たのは
当時お荷物球団で散々な不人気球団、お笑い球団だった
クラウンライター・ライオンズ。

この球団は後に西武鉄道に売却され、
現在の埼玉西武ライオンズに至っている。
西武になってから常勝人気チームになったが、
当時はもうどうしようもないチームだった。

教室内に失笑が漏れる。
ダモシもまた<クラウンはないだろうよ>と嘲笑していた。
教師もしかり。
誰一人、クラウンが江川を指名するとは思っていなかった。

好き嫌いは別として教室内を取り巻くムードは、
<江川、巨人決定>を拍手をもって迎えるというものだった。

だが、

レベルは違うものの
今年の菅野をめぐる巨人入り確定の中での
北海道ハムによる掟破りの指名強行に似たケースがここで起こる。

あろうことか、クラウンが江川を指名したのだ。

その瞬間、今想えば巨人ファンだったのだろう教師は

〜というよりもあの頃の東京の人たちは、
 ほとんどが巨人ファンだっただろう〜

苦虫を噛み潰した表情をして言葉を失い、

我々小学校6年生は<ええーっ!>と不満の意を表明した。

好き嫌いでもなく、エモーショナルでもなく。
ただ"なんとなく"そういう全体ムードだったのである。
空気感=アトモスフィアが、<江川=巨人>になっていたのである。


*****


翌1978年・秋。
巨人と江川は当時の野球協約の盲点をついて契約を締結。
騒動の発端となる。

紆余曲折を経て、
阪神・小林との間でトレードという形で
最終的には江川は巨人に入団する。

最終決着は1979年・春のことである。

ダモシは中学生になっていた。
未だコドモながら、「江川と巨人はヒドいなぁ」と理解した。
世の中はたいへんな江川バッシングの嵐となった。

住んでいた家の向かいに怖いおじさんが住んでいた。
その家の主だ。

読売新聞の販売店・店員が読売新聞を定期購読して欲しい
(このまま続けてほしい)と訪れた時、
近所中に響き渡る声で怒鳴りつけた。

思わずダモシも自宅を出てそのシーンを見ていた。

<もう二度とお前らの新聞は読まん!とらん!拒否だ!
 卑怯者!帰れ!>

と怒鳴っていたおじさん。

感情としては正しい。

コンプライアンスではなく、倫理であり道徳である。
野球道に悖る、といった方が通りは良いかもしれない。

目を抉る、腕を折るなど散々キラー性を自ら見せながらも、
前田日明による長州力の顔面蹴撃事件を指して
アントニオ猪木はこう言った。

<プロレス道に悖る>。

上手い言い回しだと思った。

アントニオの空手団体の、格闘技にありがちな
離合集散騒動の際、館長側頭目のダモシが言い、
館長自身も同じことを言ったが、
それもまた

<空手道に悖る>だった。

ひるがえって清武氏。
<コンプライアンス>を持ち出してしまった。
残念だった。

<野球道に悖る>と言うべきではなかったか。

それはさておき、30数年前に戻る。

ダモシ家も読売新聞をとっていたが、やめなかった。
ウルトラの父は生粋の巨人ファンだった。

江川事件についてどう思っていたのか。
二人でそれについて語り合う機会は一度もなかった。
いま存命していたらきっと聞いている。

<あの時、どう感じていた?>と。

とまれ、ダモシ家は読売新聞をやめなかった。

だが、世間はものすごかった。当時。


*****


梅雨に入る直前。蒸し暑い日だったと記憶している。

夜、友だちと遊んでいて
近所の商店街を自転車で走っていた。
中学二年だ。

クラスの女の子は、ツイストの下敷きを持っていた。
水谷豊は、ジグザグ気取っていた。
そんな時代だ。1979年。

電気店の軒先。カラーテレビが並んでいる。
どれも日本テレビの巨人vs.阪神戦が流れている。

<今日は江川のデビュー戦だったな>

<お。勝ってる>

少し見て自転車を走らせた。

しばらく時間が経った。
未だ自転車で走っていた。

ラジオを聞きながら走っていた友人が後ろから叫んだ。

<おいダモシ!ラインバックがホームラン打ったぞ。逆転だ!>

<まじ?>

<ざまあみろだな、江川>

<そうだな。ざまあみろだ。甘くない>

共に巨人ファンながらもそんな会話をしながら、
判官びいきで前日、阪神・小林の勝利と照らし合わせ、
江川の敗北を喜んだものだった。

(そう、うまくいくかいな!)
というエモーション、抗いの心は
中学生であれば生まれていてもおかしくない頃合いだ。


まさに、"えがわる"の真骨頂が、この70年代末だった。

以降、巨人を好きであり続けることはあったにせよ、
江川を応援したことは引退まで一度もなかった。
両エースであれば西本聖の方を応援していた。

エモーショナルな性質のない江川を観て
何もシンパシィを得ることはなかった。

江川が日本ハムとの日本シリーズで胴上げ投手になっても、
喜べなかった。

江川がウィニングボールとなるピッチャーフライを獲って
バンザイして喜んでいる姿を見ても
<江川のことだから本気で喜んでいないだろ>
くらいに感じていた。


*****


あれから32年経った今年の秋。

またも巨人を襲った激震の渦中に<江川>の名前が出た。

ある意味で江川は疫病神か。

ナベツネ&江川タッグは裏で結ばれていたのではないか。
話は聞いていないとする江川だが、
実は裏では進んでいた気がする。

<江川のことだから・・・>という不信感は、
32年経っても拭いされない。

江川のことだから、周りのこと考えずに、
きっとナベツネと二人でヘッドコーチ就任へ向けての話を
着々としていただろう

と。

急遽、夜になって記者の質問に答える江川のポスチャーがまた、
33年前の彼の顔にそっくりで
飄々としていたのが気になる。というか、そういう人なのだ。

飄々と、社会人らしくまっとうなコメントを残した江川だが、
その<よゐこ>的発言は、
どうしても三味線を爪弾いているとしか思えない。

江川のことだから
<痛い>と言うのも三味線で、
<話は来ていない>というのも三味線。

そんなふうに思えてくるわけだ。

もとより、生き馬の目を盗む勝負の世界。

それを咎めるつもりはない。

勝負には三味線を弾くことも時に必要である。



*****


明日の女王決定戦・エリザベス女王杯。

三味線を弾いていると思えるとすれば
メンバー的にはそもそも力が抜け出していると思われる
ダンシングレインだろう。

普通、本命か対抗になってしかるべき実力馬だろう。

だが発熱や不調を表明。
当然、馬券人気は下がる。

だが、そこは外国勢。
ハナから信用するのはリスクがある。

三味線を弾いていると見てダンシングレインに重い印を付ける。

もちろん普通に考えれば圧勝の可能性もある
スノーフェアリーも重い印。

本来的にはこの二頭で◎-〇でいい。
シンプルだ。

だが、この二頭に実力で勝てる馬がいる。
アパパネだ。

そしてこのアパパネこそ三味線を弾いているとすれば、
もっとも巧妙に仕掛けていると見ることができる。

前走14着という、もう限界説を流布させる。
身体が重い、と流布させる。
もう終わった、もうダメだ、早熟だった、と。

だがアパパネはブエナビスタとタメを張って破っている。
タフなレースを勝ってきたそのキャリアは
三歳勢の比ではない。

そして叩き二戦目は無敗。
狙ったピンポイントのレースは必勝してきた。

ここは思いきって、ダメもとでアパパネを本命◎とする。

二番手でダンシングレイン。
単穴、三番手にスノーフェアリー。

あとはもう△二頭と注一頭は時の運。
どんぐりの背比べ。

しまい勝負になった場合、
外からスノーフェアリーと共に駆け上がってくる
イメージが沸くフミノイマージンを△一番手。

フィギュアスケート女子の鈴木明子がごとく
最大の上がり馬イタリアンレッドを二番手の△。

最後の注意はどの馬も横一線で捨て難いが、
地道な努力は無視できないホエールキャプチャ。


◎アパパネ
〇ダンシングレイン
▲スノーフェアリー
△フミノイマージン
△イタリアンレッド
注ホエールキャプチャ



posted by damoshi at 21:25| 時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月30日

90年の天皇賞・秋


新たなカテゴリー<時代>を設定した。

『19〇〇年の〇〇』というタイトルで、
その時代時代の空気感やトレンド、ダモシを絡めていく
時代考察モノである。

例えば、
『1998年の宇多田ヒカル』
例えば、
『2001年のニューヨーク・ヤンキース』のように。

その年代と対象に、時代の空気感やその時のダモシを絡めるわけだ。

第一回目は、<1990年の天皇賞・秋>。

明日は日本競馬最高峰レースの天皇賞・秋。
ケイバタイムスにも掲載した文だが、
本家のダモログにも一部加筆修正の上、掲載する所存である。


以下、<1990年の天皇賞・秋>。


*****


1990(平成2)年。

史実的には終わりに向かっていたものの
感覚的には未だ世はバブルだった。

ダモシはいわばバブル世代である。

否。ケイバタイムス予想家の大半がそうだ。

一浪一留ゆえ、同学年よりは遅くプロ入り(社会人生活開始)。
1990年はダモシがルーキー・イヤーを迎えていたのである。
要するにバブル期にプロ入りしている世代が、バブル世代である。

下っ端ゆえに接待途中で店を抜け出して
クライアントのためのタクシーを拾うのだが、
そのタクシーを<拾えない夜>を、
ルーキー時代に経験している組/世代である。

すわっ二留か。
単位を落とすという致命的的状況で迎えた
大学側温情の<卒業のための追々試>の日の東京は、
朝から大雪だった。

当時乗っていた中型二輪で臆せず雪の中を
中野新橋から生田へ向かう。
多摩川を越えて川崎市へ入った世田谷通りで
脇道から急に通り本線に入ってきた自動車がいた。
大雪。アイスバーンの世田谷通り。
即座にブレーキを踏み、ハンドル操作するも間に合わず、
斜め向きに滑りながら自動車側面に激突。
その衝撃で宙に浮くと着地したままアイスバーンを滑り
対向車線へ投げ出された。

幸い対向車線を走っている自動車がいないタイミングだった
ことで生死に関わる事故にならなかったものの、
ぼろぼろに破れたジーンズの中の脚からは大流血。

だが、ある意味でそれどころではない。
なにがなんでも追々試をとにかく受けなければならない。
<受けさえすれば>卒業できるだろうという
暗黙の温情も存在していた。
にもかかわらず<受けない>場合は、見放される。
もう一年、留年してください、と。

青ざめて謝罪する背広を着た運転手に
<もういいから、大学まで送ってください>と申し出る。
<大事な追々試があるのです。
 受けなければならないのですよ>と事情を話すと、
<身体は本当に大丈夫?>と問いかける運転手。
ダモシが
<大丈夫だから、とにかく急いで!>と告げると
<分かりました!>と、
背広姿の運転手は己が自動車の助手席に
血だらけのダモシを乗せて、
ダモシを大学まで運んだ。

走行中、運転手に
<申し訳ないですが、現場へ戻って、
 バイクを脇に置いておいてください>と頼んでおいた。

既に試験開始から10分以上が過ぎていた。
同じく追々試の憂き目を浴びていた面々が多くいた。
静まり返っている教室に、
がらがらがらーっと音を立ててドアを開けて
大流血のダモシが登場した。

教壇に座る教授に事情を話して試験用紙を受け取り、
座席についた。

そして、ぱぱぱっと終わらせて、一番で会場を後にした。

だが、その席を立ち上がり教壇へ答案用紙を出しに行く際に
また騒ぎを起こした。

流血と負傷激しかった右脚を庇い、
試験中ずっとその右脚を左脚に乗せる形で脚を組んでいたのだ。
負傷している上に、ずっと脚を組んでいたことで、
右脚の感覚はなくなっていた。

だが、
<さっさと終わらして現場へ戻らなきゃ>
という理解と、
<途中退場可な試験はたいてい一番に退場する>
という己が意味不明なポリシーに則るべく
意識が向かっていたため、
右脚の感覚についての意識がまるでなかったのである。

組んでいる脚を解いて
右脚を床につけて立ち上がった瞬間、
まったく右脚の感覚が麻痺していたのである。

右脚を軸に一歩踏み出して歩き出そうという
条件反射的脳指令と、
神経的世界観で麻痺してしまっていた右脚の動きが
まったく噛み合わず、

絶対に意図しては出来ない身体アクションが起こってしまったのである。

派手な轟音が教室内に轟いたと同時に、
転倒を阻止せんと左脚や左右両腕を駆使して
〜だが咄嗟のことゆえに、駆使する所作も歪〜
あっちこっち、ところかまわず
左脚、左右両腕を運動させた。

利かない右脚。不規則な動きをする左脚と左右両腕。
当然、左手に持っていた荷物は散乱。
方々の机や誰かの筆記具類、試験用紙、手、指を
どんどん弾き、叩きながら、
左脚で床をドーン!次に右脚がカクン!、また左脚が変な方向でドンッ!、
左右に身体が派手にカックンカックンしながら、
左右両腕は都度、
新幹線車内通路をトイレへ行く為に歩いている途中の
揺れに対応するために各座席最上部を
手で支えるがごときアクションの対比「五倍」レベルの激しさで方々乱打。

バンッ!ドンッ!ドスッ!バッバーンッ!

現場はモノが散乱し、歪で不規則なサウンドが入り混じった
阿鼻叫喚の渦に陥ったのであった。

当のダモシはそんなポスチャーと身体運動ながらも
遂に転倒を免れ、
歪なアクションの進捗のゴールが教授が座っている教壇
という、ある意味でのミラクルを披露。

最後、決して手放さなかった答案用紙
〜だがグチャグチャになっていた〜を
カックンカックンの勢いでバーンッ!と教壇に叩きつけてゴールイン。

息を荒げながら
<受けましたよ!とにかく私は試験を受けましたよ。
 確かに受けましたからね。とにかく帰らねば!>
と述べて、皆に謝罪の言葉もなく去っていった。

まさに嵐だった。

公衆電話から友人に電話。
町工場を営んでいた友人が工場の軽トラで現場まで
迎えにきてくれて、壊れたバイクとダモシを初台まで
送り届けてくれた。


卒業の通知が
中野新橋のアパートメントに届いたのは、三月の或る日。
金曜午後8時にバイトから帰宅したらポストに入っていた。
部屋に入って急いでテレビをつけてチャンネルを10に合わせると、
この日が引退試合だった坂口征二がジャンピングニーパットを
披露していた。


*****


春。紀子さんブームが訪れた。
世は未だバブル。お祝いムードに溢れていた。
新卒の中では女性の方が多かった。
まだまだ若いダモシは女性好き。
同期の女性と代わる代わるデート。

ある女性とのデートでは、
完全に仕切られ、
半ドンの午後、銀座で映画を見る際も作品を勝手に決められた。
<ドゥ・ザ・ライト・シング>を一緒に観賞させられ、
映画鑑賞後の夜の飲み屋も勝手に決められた。
会話も映画や文学を一方的に語られ、
ちょっと間が空くと
<で、ダモシ君は?どういう映画が好きなの?>と聞かれたから
<ええと・・・スティングとか>と答えると
<そう>で話は打ち切られ、
またその女性は己が身の上話を始める始末であった。

別の同期女性からは、やはりなぜか<銀座で二人で飲もう>と誘われ、
<いいよ>と言って付いていくと、
やはり勝手に店も決められていて
<ここのアイス日本酒は美味しいのよ>と勝手にオーダーもされた。

で、<ね?美味しいでしょ?美味しいのよ>と
勝手に話を帰結させられた。

で、ほろ酔い気分で二人で深夜の銀座を歩いていると、
向こうから別の同期女性が一人で歩いてきて
ダモシとその女性を見ると
<そういうことだったんだ、へえ?>とねちっこく
品定めするように見られた。

その女性は、あだ名が"紀子さん"だった。

紀子さんこそ、最もクローズな関係になった同期女性だ。
"ほおづき市"にも一緒に行った。
というか、行かされた。
これも勝手に仕切られて、連れていかれたのである。

<ダモシ君と自分は付き合っている>と紀子さんは思っていた。

そう思われても致し方ない部分はあった。
同期=ほぼ同年齢/同年代では、
案外ダモシは奥手で学生時代からけっこう
女性に仕切られているケースが多いのである。
主体性がないというか、女性側が面倒見がいいケースが多いのだ。

でも紀子さんには
二子玉川でテニスに誘ったり、
例の日本競馬史上最高の日といえる
<90年アイネスフウジンx中野栄治のダービー>に誘ったり
とダモシが主体性を示したことがあったのだ。

要するに積極的にダモシが誘った事例。
そんなだから<付き合っている>と紀子さんが
思ったとしても致し方ないのだ。

ダモシは<付き合っていなかった>のだが。

でもダモシは明確に、或る夜、
<好きだよ>と言ってしまっていた。

ほとほと無責任な男である。

リアルな実態、本性としては
<結婚するまで>は実に無責任極まりない男で、
ある意味で、"ただの女性好き"だったのがダモシである。

本質的な性質に加えて、
世は仙道敦子が<職業選択の自由、アハハーン♪>と
CMで唄っていた女性上位が始まる端緒の時代である。
職場でも怖い怖い黒尽くめの
カラス・ファッションの先輩女性たちが闊歩していた。
そうなれば環境的にも女性上位は否めないわけだ。
女性上位になればなるほど、男は無責任になる。
無責任でいられるわけだ。

しかしそんな無責任男も、根は真面目で、
女性に対する幻想的ともいえるくらいピュアな考え方を
持っていた。コンサーバティヴなほど、に。

既に前年秋に出逢っていた今のワイフを、
未だこの春に至っても誘うことができずにいたわけだが、
心の中の本命はずっと現在のワイフだったのである。

これぞ、己が究極のタイプである、と。

あの19万人が集まった大興奮の日本ダービーという
異次元空間を身を接しながら共有したにも関わらず
〜普通、非日常的空間を共有すると恋愛感情は
 さらに高まるといわれるが〜

紀子さんに対して
<好きだよ>以上の熱烈なパッションは遂に燃え上がらなかった。

現在のワイフに、新宿高層ビル群の中の公衆電話から
酔った勢いで深夜に電話をして
<今日は俺の誕生日。で、デートしてきたよ>
とワザと言うところなどはコドモだが、
あまりにも慎重過ぎるといえるほど、
現在のワイフに対しては慎重を期していたのだ。

そんなこんなの春を過ごし、
実際の紀子さんが礼宮文仁親王と結婚した初夏には、
ダモシは"紀子さん"から離れていった。
宝塚記念でオグリキャップが沈んだウィークエンド。
正式にワイフと交際が始まった。

オフィスのラジオからは、
サザンオールスターズの<真夏の果実>が流れていた。
<稲村ジェーンを観てきたよ>と先輩が言っていた。
まだまだヒット連作していた渡辺美里の
<サマータイム・ブルース>をワイフと自室で一緒に聴いた。

真夏にバイクで二人で伊豆へ旅行をした後、
まさにトレンド的"土井たか子系"女性上司のいた会社を辞めた。

そして「渡る世間は鬼ばかり」が放送開始され、
「夜のヒットスタジオ」がその歴史に幕を閉じた秋、
新宿歌舞伎町にある広告代理店に移籍した。

移籍して初めてそのリングに上がる月曜日の前日の日曜。
1990年10月28日、東京競馬場で天皇賞・秋が行われた。

当時は馬連も馬単も三連複・単もない。
単勝か複勝もしくは枠連だけである。

ダモシが投じた馬券は一点だけ。枠連の4-4である。

大学生活最後の冬となった89年の有馬記念。
絶頂期だったオグリキャップが馬群に沈み、
ワイフとの交際の起点となったこの年の宝塚記念でも
オサイチジョージの後塵をはいしていたオグリキャップ。

<オグリはもう終わりだからね>が当時の口癖だった。

ダモシの中では、89年の毎日王冠、天皇賞・秋、マイルCS、
ジャパンカップでオグリキャップは燃え尽きていたのだ。

この秋の天皇賞もオグリキャップは見捨てていた。
本命を4枠8番メジロアルダン。
対抗を同じく4枠の7番ヤエノムテキ。
枠連は<4-4>。それに三千円。

好位で走ったオグリキャップは案の定、
最後の直線で脚色を鈍くして馬群に沈んでいく中、
最内を一気に抜けたヤエノムテキが
ゴールに突き進む中、真ん中からメジロアルダンが
もの凄い脚で追い込んできた。

青い帽子が二つ、ゴール板を駆け抜けた。
枠連配当3,530円。



*****



オグリキャップは六着惨敗。つづくジャパンカップでも十一着と
信じられない敗北を喫す。
劇的な復活を飾るのは、
辛島美登里の<サイレント・イヴ>が巷で流れていた年末の、有馬記念だ。

明らかに天皇賞・秋とジャパンカップの頃はもう衰えていた。

何となく、ブエナビスタが
このときのオグリキャップに被ってくる。

それまで惨敗はないが、衰えの影は忍び寄っていて、
それが天皇賞・秋の着外で露呈し、
つづくジャパンカップで白日の下に晒される。

ブエナビスタが今回の天皇賞・秋で
生涯初の着外に陥る可能性は否定できない。


当時のオグリほど衰えは顕著ではないが、
目に見えない(近走の着順以上の)状態の悪さがあるやもしれない。

むろん勝つ可能性も同時に高い。

ただ、流れ的には天皇賞・秋とジャパンカップで破れ、
最後の有馬記念で劇的勝利という方が
ドラマティックではある。

今回はブエナビスタに印を付けることを、やめよう。

枠連で見た場合の4-4に該当する二頭から。
最もモメンタム高い上がり馬ダークシャドウに◎。
今回のこここそ、もしかしたら唯一の勝機ペルーサに〇。

まともに勝負すれば最も強いだろうアーネストリーに▲。
シルポートとトゥザグローリーに余計な挑発をされないで
己の走りをすればこの馬が勝つのだろう。

内をうまく使って好位先行から飛び出せば
勝機は出て来ようダノンヨーヨーが、△。
状態が良いと伝わってくるローズキングダムに△。

最後の注は、やはりモメンタム上位のトーセンジョーダン。

休み明けのエイシンフラッシュ、ブエナビスタはカットした。

◎ダークシャドウ
〇ペルーサ
▲アーネストリー
△ダノンヨーヨー
△ローズキングダム
注トーセンジョーダン



posted by damoshi at 00:55| 時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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