2013年04月06日

被災地慰問の旅〜鎮魂の型演武〜


昨年に続いて3月末から4月頭にかけて
東日本大震災被災地慰問の旅〜鎮魂の型演武〜に出かけた。

今回のメインは、
宮城県の気仙沼市と石巻市
岩手県の陸前高田市など。

本名名義のFBに掲載したように
気仙沼、陸前高田を訪れた日は
一日の走行距離が709kmという過去最高を記録。
東北道走行中の福島県あたりからは雪。
気仙沼も陸前高田も雪が降りしきる厳寒の中となった。

茨城県(沿岸部の北茨城市、鹿島ほか)
千葉県(沿岸部ほか)
栃木県(各所)
福島県(南相馬、飯館村ほか)
そして
宮城県(仙台市、東松島市、石巻市、気仙沼市ほか)
岩手県(陸前高田市ほか)

へ、これまで訪れているが、
アントニオ選手の鎮魂の型演武が主体の旅では、
昨年の宮城県・石巻市、東松島市につづく
今回のやはり宮城県メイン。

岩手県・陸前高田は当初の予定になかったが、
気仙沼から、さほど遠大な距離ではないことが
現地で分かり急遽訪れることになった。

3.11直後も<復興は無理ではないか>と記載したが、
二年以上経過した今回でも
それは感じた。

シンプルに言えば、<復興していない>。<何ら変わっていない>。

一方で、
たとえば石巻市でも「JR石巻駅周辺」だけは
昨年と比べて劇的に変わった。復興したと思えた。
それこそ3.11以前のJR石巻駅周辺に戻ったのではないか
と思えた。ビジネスという部分でヒトが動いていた。
車も多く走っていた。昨年はヒトも車もいなかった。

しかし、それは石巻市がそもそも
宮城県内でも仙台市に次ぐ
第二の都市でもあったことが起因していると思われる。

<街>だったから、だ。もともと。

沿岸部はそうはいかない。
沿岸部だけではなく北上川と平行するエリアも同様。

市の中心部以外は、震災から一年後だった昨春と
何ら変わっていない。これが現実だろう。

いわば<壊滅的>ではなく、<壊滅>である。

気仙沼市や岩手県の陸前高田市などは
中心部すら、どうにもならない。

県内第二の石巻市だったからこそ、
しかもその中心部だったからこそ、
ようやく二年経って何とかという感じなのだ。

同じ市内でもエリア自体の衣食住がなくなったまま。
これがほとんどといえよう。

南相馬(福島)、東松島(宮城)の現場へ訪れた際、
有無を言わせず感じた
<これはもうダメだな>は、
今回は特に陸前高田(岩手)で感じた。

二年前、南相馬を訪れた際に感じて、思わず一人で呟いた。

<ナッシング・・・>。

それは東松島でも呟いたし、今回、陸前高田で呟いた。

はからずも、阪神淡路大震災を現地で経験した人が
先日、酒席で言っていた。

<あのときは、モノがあった。
 壊れたけれど、そこに今まであったものが
 壊れた状態であった。存在があった。
 ところが、今回は全部なくなった。
 その違いは大きいのではないか>。

さよう。

まさに私自身が呟いてしまった<ナッシング・・・>であり、
当時もこのブログに書いているが、
<何もない。何もなくなってしまった。復興は難しい>
のが実情ではないのかということで、
それは二年経ってこれか?という今回痛切に感じた部分に
合致するのである。

特に、そのナッシングの度合いを考えれば尚更だ。

2011年に3.11直後に行った仙台市沿岸部のナッシング

同じく一ヶ月後に行った南相馬(福島)のナッシング

一年後の東松島(宮城)のナッシング

二年後の今春の陸前高田(岩手)のナッシング

<二年>である。
二年経って、最初に感じた「無理だな」の根幹をなす
仙台市沿岸部と南相馬のナッシングが
そのまま陸前高田で眼前に示されてしまったのである。

壊滅的だの、という言葉はもう当てはまらないのだ。

壊滅、なのである。

だから感じる。

<復興>だのという発想ではダメで、
次元の違う話である、と。

だから<復興>という発想と考え方を超えたところで
物事を考えていかなければ
どうにもならないということである。

<復興>はすなわち、都市部に限った発想である。
壊滅したエリアをどうするのか。
それを<復興>とは異なる次元で考えなければ
おそらく何年経っても同じままになるだろう。

独立戦争を経験していない希有な国ニッポン。
存亡の危機を経ていないニッポン。

ナッシング、という何もなくなったところから
(戦後の東京のような大都市ではないところでの
 ナッシングにおいて)、
どうするのかという部分である。

以下、今春の被災地慰問の旅〜鎮魂の型演武〜の
スライドショー、写真アルバム群である。

◆スライドショー(石巻ほか)


◆スライドショー(気仙沼、陸前高田ほか)


◆写真アルバム(石巻ほか)
https://picasaweb.google.com/116419114772492623352/2013

◆写真アルバム(気仙沼、陸前高田ほか)
https://picasaweb.google.com/116419114772492623352/201302



posted by damoshi at 18:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月11日

バカ尾根


今週は、GENOMシリーズの
8.4ボクシングと
昨日8.10登山をフィーチャー。

登山から。

早朝5時出発、6時20分登山開始。
登山5時間45分、下山4時間15分。
帰路の東名大渋滞で10PM帰宅という闘い。

<富士よりキツい>と
ダモシ、アントニオ、ワイフ三人とも口にした。

まずはフェイスブック寄稿分から。

:::::
GENOM-登山シリーズ第二弾。
無事に登頂と下山を終了。
22時、帰宅。

既載の通り、
登山5時間45分、下山4時間15分。
頂上での小休憩以外、合計10時間の格闘。
下山時、アントニオ選手はめずらしく泣き、
相当厳しかったようですが、フィニッシュ。

<馬鹿尾根>と悪名高き尾根を縦走するコース。
なるほど、その悪名通りで
「ん?」→「あれ?」→「あれれ?」
そして「あれっ?!」と来て、
最後は「何だこれは!」と
腹が立つほどの道でした。

富士山よりキツい。そう感じたほどです。
それもそのはず、
富士山での連続した登山における
最高標高差は五合目→九合五勺の
山小屋の約1,190m。
しかし今回はそれを上回る約1,291m。
連続して登山(及び今回は下山も)での
標高差は富士山を抜きました。

その上、
前述の通りの<馬鹿尾根>と呼ばれる
『どうしてこういう登山道になるのか?』
と理解出来ないほどの苦しい構造が重なり、
もはや体力が高い方の私もアントニオも
(特にアントニオにとってはあり得ない)
筋肉痛と張りで、
足が動かない状態になってしまいました。
帰路の東名も大渋滞。
ドライブ中、両足がつるという
危険な状態にも陥ってしまいました。

とまれ、無事に下山までを完遂し、成功。
レジャーではなく、
またもや今回も
修行、特訓と相成ってしまいましたが、
それでも子供の教育上、
最後までやり切ることの重要性を
また今回も彼は得られたことでしょう。
寝不足の中、よく頑張りました。

今夜は、本気の本気で眠ります。
リアルにこの山はもう二度と行かないでしょう。
登山と下山を一気に連動しての部分として、
とてもつらかった。もうここはイヤですね。
本当にここは<馬鹿尾根>であると思います。

山は標高の高低ではありません。
谷川岳とて2,000mに満たない山ですが、
遭難率がたいへん高いといいます。
そしてその登山の形式と登山道の形状、仕掛け、
天候等。これらによって大きく異なってきます。
それに合う合わないもまた、しかりですね。

特に下山。これがたいへん厳しいです。
ここの下山は、富士山よりたいへんでした。
:::::


そして今日、フェイスブックのみの読者も
見られるようにウェブ上に掲載した文章を、
ダモログ定番の考察モノとして以下に掲載。

写真はフェイスブックにアルバム掲載したが、
今回それもブログのみの方も見られるようにした。
出来ればアルバムの写真を見ながら
下記考察をお読み頂けると意味もより分かると思われる。

◇フェイスブックのアルバムを
以下をクリックすれば
フェイフブック未登録者も閲覧できる。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.230615887060292.48765.100003356468759&type=1&l=b89c795358

で、本編は以下。

<GENOM.2-登山-バカ尾根>:::::::

<バカ尾根>と揶揄される大倉尾根。

富士山よりキツいと感じたのは、なぜなのか。
そして、どうして苦戦したのか。
アントニオすら苦しんだ要因は?

ブログ恒例の考察シリーズを特別掲載。

往路、富士山の九合五勺に登るよりも時間を要した。
復路、富士山頂から静岡側五合目まで下山するよりも
時間を要した。

自身、山が初体験ならいざ知らず、
アントニオ含めて富士山にも登っている
(アントニオは対富士は、悪天候での撤退により
 八合目まで。とはいっても彼は八合目まで
 息も切らせず登った)。
那須岳の主峰・茶臼岳も登頂している。
そもそも、空手その他で体力もある。

にもかかわらず、という部分でのWHY。

A:
連続して登り(下りる)標高差

富士山。
静岡側五合目から九合五勺まで一気に行った。
その標高差は、1,190m。
ただこの場合、途中から高度3,000を超えるため
酸素が薄くなり苦しくなってくる。

茶臼岳。
標高1,915mの山。
七合目から車で行き、
九合目1,684m地点までロープウェイ利用。
そこから頂上まで登った標高差は231m。
それでも楽ではなかった。
ここの上りはボルケーノ特有の岩場ばかりになる。

そして今回。登山口は200m地点。町の中だ。
そこから頂上1,491mまで標高差は1,291m。

連続して登った標高差は
富士山(静岡側五合目→九合五勺)より
100m高いことになる。

山頂の標高だけで見れば、
いささか油断が心に生じるのだが
実際に登る標高差として考えると
富士登山(静岡側五合目→九合五勺)よりも
高いのである。

山小屋の主人に呟く。
<富士山よりキツい気がしますね・・・>

主人は、意を得たように応える。
<さよう。ナメたらいかんです。
 標高差はかなりありますからね>


B:登山ルートの構造

これがメインの要因であり、
このBの中に様々な要素がある上、
それぞれの要素がもたらす罠や
心身両面への悪影響が、
この大倉尾根の悪魔のような所作である。

特に様々な
アトモスフィア(大気感/空気感)が
まさに仮面貴族のように間断なく登場し
心理的に大きく疲弊させる。

多種多様なアトモスフィア=
1/ハイキングや遠足的世界観
2/岩場、崖などの苦行&危険世界観
3/上高地的高所リゾート風世界観
4/不規則ながら延々と続く階段がもたらす
  修行的世界観
5/ジャングルを往く的世界観
6/熊野古道のような石畳的静寂世界観

これらが間断なく登場する。
そして、
アップダウンの「ダウン」と
時々出てくる平地の「ハイキング」感が
大いなるアメとなって、
延々と続く「アップ」の"延々と"ぶりに
拍車がかかり、そのムチ度合いが尋常ではなくなる。

"迷惑"なのである。
あるいは奥田英朗氏の小説のタイトルのように
"無理"と言いたくなる心理状態になる。

要するに、断崖絶壁やエヴェレストの標高、
超絶悪天候、3,000mや6,000m的世界観で
酸素欠乏分水嶺ごと苦しくなる高度ではない
ことから、「楽だろう」と想像しがちな状況で、
先が(終わりが)見えない中で
延々と不規則な幅、足元が変化(石畳だったり
岩だったり土だったりその他もろもろ)する
「わざと?」と思える作りの<階段>が
続くことで、心が次第に萎えてくるのである。

<これはヒドい!なぜ階段にするのだ!>
と叫ばざるを得なくなる。

富士山のように、
晴れてさえいれば次の目標
(六合目、新七合目、元祖七合目、八合目、
 九合目、九合五勺・・・云々)を
視界に捉えながら黙々と登るのと、
先がまったく見えない
(何度も行っていれば分かるだろうが、
 ここではいずれも初体験としての比較である)
中を、延々とこれを登らされる世界は厳しい。

まさに「登らされる」気持ちになってしまうのである。

しかも忌まわしい階段が終わると、
岩場を登り、ジャングルを抜け、
一人分しか歩くところのない両側は崖という
世界も間断なく登場し、
それらを終えればまた延々と続く階段・・・。

<これはもうイジメだ!>とまた叫ぶことになる。


C:
下山時のNO-MAS的イヤイヤ

下山時はもはやノーマス!と叫び、
赤ちゃんのようにイヤイヤしたくなる。

本当にこれを登っていったのか?
と、己を逆に褒めることになる。
むろんそれは富士もそうだが、
富士よりもその感情度合いは激しい。

B要因の構造にも重なるが、
下山時も「目標」がまったく見えないのである。
ここまで行けば云々という安心感が
冨士にはある。

前述の通り「合目」ごとの到達点が見えるからだ。
悪天候で見えない場合でも
初体験の場合でも
「合目」ごとを確実に目標として登っていく
ことで、安心感が生まれる。いわばゴール感だ。

ここまでまずは行こう。
よし次はここまでだ、というふうに。

だが、大倉尾根はない。それがない。

そして、B要因の構造が
下山時に一気に心身両面のダメージとなって
襲いかかるのである。

心理的に「早く下りたい。帰りたい」がある。
予想を大幅に上回った所要時間。
天気も変わりやすい中、一時、視界不良で
ライトをつけることにもなる。
そして、日没的様相が漂いつつある。

焦りが生じる。
早く帰りたい。もう下りたい。ゴールしたい。

下山こそ、登山の最大の敵ともいえようか。

アップダウンがあった。
だから疲労しているのに
下山時でもまた登らされる。

例の階段。
これは登りよりも下りでダメージを受ける。

登りは何とか「キツイなぁ、結構」で済んでいたが、
下りは、具体的に脚、足に負担が増えてダメージを負う。

キラー・ワイフが心理面を分析した。
なぜ肉体的にも精神的にも強いアントニオが
ここまで苦しんだのか。

登山時は元気満々だったのに
下山時に泣くほど苦しんだのはなぜなのか。

「階段だ」と。

<不規則な階段が、
 自分の脚で登るというのではなく、
 階段に合わせて登らなければならないから
 精神的に追い込まれていったのだと思う。
 岩場は自分で足場を選び自分で上り下り
 する。彼は受け身が嫌いなのだ。
 すべての異なる幅と足場の階段に
 合わせざるを得ない、しかもそれは大人の幅。
 それが最大の要因でしょう。
 すべては、下りのあの階段>

と分析する。

同意する。

それにプラス、やはりゴール感だろう。

大人側が、アントニオを鼓舞するために
<もう少しだ。がんばれ>と言うのだが、
その言っている大人側にも
どこまで下りれば(登りもそうだが)
ゴールなのか、
あるいは次の目標はどこなのかを
まったく把握出来ていない。

だから言葉自体が空虚なものとなる。

最後、父親としてシュールな言葉を
投げかけるしかなくなる。

泣きながら下りるアントニオに対して

<登山は、頂上まで行くことがゴールではない。
 下山まで無傷で事故なく下り切って、
 やり切ってこそ、ゴールだぞ。
 ゴールに辿り着くまでゴールは来ないのだ。
 思いっきり、フザケルナ!と叫んでいいぞ。
 でも、やり切るのだ!>

だから、富士山でも何でも
頂上に到達した際に、毎度、達成感はないのだ。

感動とかそういうものは、ない。

あぁ、これを下りなければならないのだ、と。
それが先立つからだ。
イヤだ、と。避けたい、と。
でも、下りなければゴールには届かない。

通常、目標やゴールは「頂点」だ。
何事もそうだろう。

だが、ひとつには、
山は、頂上が必ずしもゴールではない。
人によって異なるが、
我々にとっては頂上がゴールではない。
無事に下り切ってこそ、
スタート地点まで戻ってこそ、である。

それが、「やり切った」ということになる。

(空手の試合で勝利の喜びや敗北の悔しさでの
 ものは除き)久しぶりにアントニオが泣いた
のを見た。

リアルにつらくて泣いていた。

だが、やはりそこは、やり切ったところに
大きな意義がある。

登頂し、そして下りてきた。
それをすべて己の心身すべてでやり切った。

シンプルだが、
こういうことのひとつひとつの積み重ねが
成長の糧になる。

むろん、仮に「もうイヤだ」と彼が
歩を止めた場合、
どんなに危ないところでも
きっとその場に置いていくだろう。
そういう親だということが
本人も分かっているから
それも最後までやり切るバックボーンになっている。

<ダディなら、置いていくだろうな>と
彼は分かっている。

<やり切らないと認められないだろう>ということが。

下山途中、
この登山をやり切った場合の報酬を
当初の500円から
2,000円に引き上げた。

途中で1,000円になり、
それが本人のリクエストで1,500円になり、
最後は2,000円になった。

それを認めた。

<富士山より楽勝だよ>という言葉だけで、

<バカ尾根>であることを隠匿していた
罪滅ぼしでもある。


アントニオは言った。

<自分が親になって
 子供が行きたいと言っても
 ここには来ない!>

気持ちは分かる。

我々はもう二度とここは登らない。

だが、彼はきっと行くだろう。
自分の、仮に直系遺伝子(男児)が
行きたいと言ったら、
彼は連れていくだろう。

そして、今回のことを想い出すはずだ。

人生は予告編の連鎖。
そして、すべての過去は物語になる。


posted by damoshi at 16:15| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

宿題 -2013-


フェイスブックに掲載したものを
そのまま転載。

2013年、来年の富士が早々に決まった。

よく見ると、
富士前日の寄稿のタイトルが
なぜか<富士登拝-2013>になっていた。
単に間違えた
(前夜も仕事が立て込んで遅くなっていて
 疲弊していたからだろう)だけなのだが、
思えば、暗示していたのかもしれない。

2012年の今年は、悪魔富士が本性を出して、
頂上踏破を阻むことを。

調べてみると皇太子浩宮徳仁親王も
初の富士登山の際に、
悪天候に阻まれて八合目で撤退したという。
そのリベンジを果たして登頂したのは
それから20年後の2008年だった、と。
その際の登山口は、ダモシ軍恒例の口と同じ。

もちろんダモシ自身は既に二度登頂しているが、
今回は特別な登山、登拝だったわけで、
アントニオとワイフにとっては
完全に富士との初邂逅で最悪のそれに遭遇し、
且つ阻まれたことになる。

既載のようにダモシ自身にとっても、
直系遺伝子との登頂は果たせなかったわけだ。

一昨日掲載のストーリーにあるような諸々が
存在しているからこそ、来年という世界観が生まれ、
もうこの段階で決定した、と。

以下、フェイスブックからの出張掲載。


*****

富士と三連休明けの仕事。
身体だるく、疲れ気味です。
まだアジャストできていない気が。

来年の富士登拝が決定。
既に仕事関係の人が、
父子での来年の初参戦を表明。
うれしいことです。

今回の富士。
仲間とのそれとは別の感情と感覚で
得るものがありました。

『宿題』というタイトルで、
今回の対富士も
スポーツノンフィクションで
ブログに長編を書きましたが、
そこでも触れた二つのポイント。

フィナーレでのアントニオ選手との会話。
<頂上はいつかな。
 宿題として残ったな>と言った
私に対して、
少しハニかみながら彼はこう答えました。
<来年ね>。

こう言われたら、
行かないわけにはいきませんね。

そしてもうひとつ。
富士は、
親子の、夫婦の、
それぞれの間にも日常では感じ得ない
新たなsomethingを与え賜うた。
そこで感じたのは、
太宰治は「富士は月見草」と言ったけれど、
今回は私は、
<富士は、崇高な時間>というものです。

この二つのワードを入れ、
今年阻んだ富士へのリベンジという意味も
含めたポスターを、
早くも作った次第。

来年は同行者はさらに増えそうです。
いいですね。
共に往くけれども、
それぞれ別の何かを感じれば。

"ウノ・マス" アゲイン!

*****

ということで、当欄にも既に
右バナーに掲載したが、
大きなサイズのそれをここに掲載したい。

2013fuji.jpg


posted by damoshi at 02:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月15日

宿題


フェイスブック既報の通り、
"東日本大震災鎮魂/新田次郎生誕100年トリビュート"
<富士登拝-2012->から昨日、帰宅した。

そして、既報の通り、
今回は「悪魔富士」の本性を遂に見せた富士が、
<経験したことのない暴風雨>をもってして
ダモシ軍及び同日登山者たちの登頂を阻んだ。

ダモシ&アントニオの父子同時登頂、
キラー・ワイフを含めたファミリー同時登頂
それぞれの夢は八合目で潰えた。

午前六時、撤退を決定。午前十時半、五合目に下山到着。

『共に登頂するのは、宿題として残った』。
ダモシはそう語りながらも、
アントニオの奮闘を誇り、目頭を熱くした。

当欄限定で、以下にストーリーを掲載。


:::::

富士の悪魔性。
これを見る機会が必ず来るだろう。
そう思っていた。

前二回、そのシーズンでいずれもベストの日の
登頂だったからだ。

あまりにも良すぎた条件。

海の日の三連休前の金曜日。
これが09年、10年の過去二度の富士登拝。
今年も同様に、それは7.13。

タイミングは同じだ。
その頃合いは、過去二度はちょうど「梅雨明け」。
だが今年は、その前日から九州で
<経験したことのない>大雨が降っていた。

前日確認した富士山自体の当日の天気予報は、
雨、雷。

毎回リーダーとして参加している
ヒマラヤ6,000m級経験者の
マスターKEIJIが前日、ダモシに電話をかけてきた。

<五合目でとりあえず集合して、
 あとは状況を見て撤退もありということで>。

今回のメンバーに初挑戦の
キラー・ワイフと小三のアントニオがいることを
慮ったのである。

未明。自宅の外は大雨。
朝8時半の出発時には雨は止んでいたが、
暗雲が漂っていた。

東名で御殿場まで。あとは市内を走り、
自衛隊演習場を超えて富士スカイライン。
そして五合目。

キラー・ワイフ&アントニオが
この静岡側(富士宮口)五合目まで来るのは、
08年秋以来、四年ぶり二度目。

約一時間半の高度慣れ休憩を挟み、
後から来たマスターKEIJIと合流し
12時、いざ登山開始。

その前日の登山では、
八合目までも誰も来られないほどの
悪天候。

この日も同様の悪天候が予想された中、
予約してある八合目まで行くことができるか。
そもそも天候の問題だけではなく、
肉体的にも持つのか否か。

ダモシ、先頭。二番手にワイフ、三番手でアントニオ。
オーラスにマスターKEIJIという布陣。

ダモシが先頭であれば、
必然的に超スローペースになる。
それがワイフとアントニオには大きな
アドバンテージになる。

高度が上がるごと、
超スローペースで上がっていけば
自然と高度に順応するという算段だ。

六合目、新七号目に順調に到達。

未だにダモシ恒例の<金剛杖支え>が出ない。
過去二度にはない好調ぶりが
ダモシに見られた。

途中途中、登山者や下山者と
すれ違う際に、多くの人々が
登るアントニオを見て声をかけてくる。

<え?すごいねー。何年生?>。

ほとんど、同じ質問だ。

むろん山梨側からなら大勢いるだろう。
小学生高学年や中学生で
山梨側ともなれば当たり前の光景であろう。

だが、この静岡側からの登山である上に、
この悪天候である。
苦しい闘いに彼ら自身も臨んでいる中で
小学三年生のちびっこが黙々と登っている姿に
逆に励まされている。

健脚な68歳男性とその妻がすれ違う。

<はぁ、キツイですね>と言いながらも
彼らの表情には余裕がある。
しっかり脚を踏み登っている。

<健脚ですね>とダモシが言うと、
<初めてですか?>と妻が問う。

<三回目ですよ。息子を連れて初めて今回>
とダモシ。

妻がアントニオに問う。

<何年生?>

アントニオは<三年生です>と答える。

この
<何年生?>
<三年生です>のやりとりは、
登山中、二十回は超えた。

<おじさんは100kgを背負ってるんだぞ>
と笑顔で声がけしてきた五十代と思しき
ヘビー級男性。

<まだ、(登るには年齢が)早いんじゃないかぁ?>
と挑発。

その後、
<これくらい言っておけば意地でも登るだろう>
と笑う。

ダモシはアントニオに向かって笑顔で言う。
<登ってやるぜ!って言ってやれ>。

忌憚なく、過去二度とは異なり、
軽快にダモシが登ることができた
最大の要因に、

ワイフ&アントニオが共に登っている
ということと、
自身が先頭で彼らを先導している
というポジションがあった。

彼らを守るのは己だ、と。
むろんマスターKEIJIがいるが、
父であり夫であるのはダモシだ、と。

そのポジションが、
自分自身がヘナヘナしていられない
という責任感を発露させ、
ひいてはそれが
過去二度に存在していた<甘え>を
消し去ったといえるだろう。

彼らの姿を撮影するのもダモシ自身だ、と。
俺が撮らないで誰が撮る、と。
そういう意識が、
対富士の過酷さを超越した。

先の68歳夫と妻は初の富士だ、という。

ここでも余裕のあるダモシは教えた。

<いま新七合目だったでしょう?
 この後、八合目だと思いますよね?
 でも違うのですよ。
 次も七合目で、その次が八合目ですからね>

<えっ?次、八合目ではないの?>
と目を丸くする妻。
夫はその上で苦笑している。

<私も初めての時、辟易して、
 ヘコんだのですよ。萎えました、あそこで。
 だから先に伝えておきます。
 次は元祖七合目です。あれね?見えるのが、そう。
 で、そのさらに上にずっと向こうにあるのが、
 八合目なのですよ>

彼らはそれを聞き、
覚悟を決めたかのように上を見つめ、
さらに歩を進めていった。

アントニオ。
ちびっこの彼にとって、
どれだけ他人の声がけ=<すごいねぇ>に
勇気づけられたことだろうか。

自分以外に小学生はおろか
中学生も高校生もいないのは分かっている。
そのことが
どれだけ凄いのか。
それを他人から脚を止められて
言われる度に、実感しただろう。

<すごいことに挑戦しているのだ>と。
<すごいことなのだ>と。

それも
<途中で投げ出さないことでこそ、
 すごいことなのだ>と。

自分で実感したのだ。他人から言われることで。

そして、いま、登っていることがすごいのではなく、
これをやり遂げることこそがすごいことなのだ、
ということも彼は事前に理解していたが、
さらに現場で実感したのだ。

そもそも彼は途中で投げ出すことをしない人間だ。
空手でもそれは証明されている。
しょっぱい男になるな。
赤ん坊の頃から厳しく言われている。

闘いは、最後まで投げ出さない。
ゲームが終わるまで、ゲームは終わらない。

Go the distance.最後までやり遂げろ。

これを己が通奏底音として
既に保持している中で
何に対しても挑んでいるのだが、
これまでで最も過酷な相手と闘っている
その最中に、応援してくれる人がいっぱいいる。
それは大きく彼を後押しした。

2012f1.jpg

2012f2.jpg

その時ダモシは不思議な感覚に囚われていた。

空手や日常のその他の闘いにはない現象。
それは
父親としてのダモシによる
過度な叱咤が不要な世界観がそこに展開されていたからだ。

それは「山」がもたらすものなのかもしれない。

共に登っているのだが、
闘っているのは己自身。
アントニオの姿を見ていて
ダモシ自身もそう強く感じたのである。
それはアントニオ自身も感じていた。

ここは己自身に賭けて登るのだ、と。

もちろん空手もタレント活動も、
やるのは己自身だ。
だが、セコンド等、後押しや声がけ、
アドバイスがそこに存在する。

しかし共に闘っている山、対自然の前では、
最悪な局面を除けば、
誰も助けてくれない。己自身の脚で登らなければ
何も始まらない。

それをアントニオ自身、悟ったように見えたのだ。

山:孤高の人。
そんなイメージが存在するのも頷けるのだ。

そして、一人で対峙している
その姿こそが、美しい、と。

2012f4.jpg

:::::

新七合目、そして陥穽の、罠の、元祖七合目。

上に視界に捉えることができる建物がある。
そこがゴールの八合目。

ここまでやり切ることが大切だ。
天候はちょうどタイミング良く、
この日のデイタイムにおける
悪天候の分水嶺を超えた。

八合目のゴールへ辿り着ける条件は整った。
あとは己自身にすべてがかかっている。

この元祖七合目から八合目が、
身体的に厳しくなってくる。
高度3,000mオーバーの領域に入るからだ。

明らかにダモシのペースが落ちる。
二番手を歩くキラー・ワイフも落ちる。
ワイフの口から
「くそぅ。このやろう」と台詞が漏れる。

呼吸も明らかに苦しくなる。
数十歩進んでから休憩が、
十数歩進んでから休憩に、
そのスパンが短くなってくる。

アントニオ、
未知の領域、高度3,000mオーバーに差し掛かり
さすがのアントニオの顔も歪む。

<空手の稽古の方がキツい>と言っていた
元祖七合目までの足取りは
明らかに落ちた。

立ち止まり、岩場に座るシーンが出てきた。

2012f3.jpg

ここでマスターKEIJIが動いた。

彼は一昨年の登拝時、
ダモシの異変を即座に察知して
ダモシのリュックとカメラの望遠レンズを
持ってくれたことがあった。

その再現が起こった。

アントニオのリュックを背負ったマスターKEIJI。

(内心、ダメかな・・・とも感じた・・・)
とマスターKEIJIは後に述懐したが、
ここはアントニオの分水嶺だった。

初めてダモシも声がけした。

<もう少しだ。がんばれ>。

そのダモシにもいよいよ
あの金剛杖支えという
ダモシvs.冨士における定番のシーンが訪れた。
この段階までそれが出なかったのが
好調の証だった。

途中、
<どこまでアレが出ないか。楽しみだ>
と余裕すら見せていたが、
遂に高度3,000mオーバーでそれに襲われた。

2012f12.jpg

出た、象徴的な<金剛杖支え>。

この時、ダモシは異変を感じていた。
好調の裏に、これまでにない異変。
頭痛であった。

09年、10年と比較的軽い方だった頭痛:高山病。
むろん酷い状態に陥ったものの
この段階での頭痛は初めてだった。

(頭が来てるな・・・)
(少々、頭痛が来るのが早いな)
と密に感じていた。

それでも進軍するしかない。
ゴールの八合目の建物は視界に入っている。
雲に覆われた中だが、確かに見えている。

高度のみならず、岩場も増す
元祖七合目から八合目の
(八合目〜頂上を含めた)最初の難関。

それを乗り切った。
午後四時半。八合目、到達。
既に暗闇が迫り、
この後の悪天候が予測されるアトモスフィアが
支配し始めたぎりぎりの頃合いで到着。

2012f6.jpg

さすがのアントニオもこの疲労の表情。

好調を維持してきたダモシは、
ここで安堵したのか一気にトーンダウン。
激しい頭痛に襲われてKO寸前になった。

夜食のカレーライスは完食できない。
一方のアントニオは元気で完食。
山小屋に到着したことで
アントニオに元気が出たのだが、
ダモシはこの時既に予見していた。

(いつ、彼に頭痛が襲いかかるか。
 これが問題だ。
 そして、彼がそれに耐え切れるかどうか)。

良い意味での無知。
だからこそのここまでの段階での達成感。
それがアントニオを上機嫌にさせていた。

しかしダモシは知っていた。

必ずや激しい頭痛:高山病が
アントニオに襲いかかることを。
マスターKEIJIも
<食べた後、すぐに寝ない方がいい>と
アドバイス。

過去最高の登山中の好調。
が、山小屋到着後は、
過去最悪の状態に陥ったダモシは
ほぼKO状態で六時前には横になり、
言葉を発せなくなる。

眠るしかない状態になる。

だが、常にそうだが、
眠っていても眠っていない状態。
頭が割れそうな頭痛。
地上での日常の頭痛の数十倍の強烈さが襲う。
嘔吐感も催す。

うとうとしていた中、
隣のアントニオとワイフが
ヒソヒソと話し込み
慌ただしくしていることに気づいた。

目覚めて半身になったダモシは
ワイフに問う。

<なったか?頭痛いんだろ?>。

夜九時を過ぎた頃だった。

ここからは、ほぼ全員が
少し眠っては起きるの繰り返し。
既に山小屋の外の暴風雨の音が
激しく轟いていた。

恐怖の時。

トイレへ行くために小屋の外に出るだけで
恐怖に怯える。
この悪魔富士から振り落とされてしまいそうな
暴風雨。異様なそのサウンド。

寝床から出たワイフ&アントニオは、
ここから朝まで延々と小屋入口や
特別に入れてもらった畳の小部屋で過ごし、
嘔吐を繰り返すことになる。

ワイフは一睡もせずアントニオを介抱。
ダモシとマスターKEIJIは
眠ったり起きたり様子を見に行ったりを
繰り返す。

午前二時。

本来であれば頂上アタックのために起きる時刻。

だが、小屋にいる数十人誰一人起きない。
(「無理だ」「待機だ」「危険だ」)と
ヒソヒソ皆、語り合う。

この間、アントニオは頂上アタックを
あきらめていなかった。

途中、少し声を強めたダモシの言葉を
受けていたからだ。

<皆、なるのだ。すごい頭痛だろ。
 これは皆、なるのだよ。これを耐え切るのだ>。

<俺もものすごい頭痛だよ。同じだよ。
 登れば治るんだよ>。

午前三時、午前四時、止まらない暴風雨。

マスターKEIJIとヒソヒソ語り合う。

<無理ですね>
<動きようがない>

せめて雨さえ少し収まった頃合いを見計らって
下山することを決定した。

撤退である。

それを聞いたワイフがアントニオに別室で告げた。

<頂上は行けなくなった>。

アントニオは驚くことに
この最悪の肉体状態においてさえ、
さらに
この経験したことのない
高度3,000mオーバーの地点での暴風雨を
前にしてでさえ、

『やり切る』=『頂上踏破』へ
アタックする気でいた。

<え?そうなの?残念だ>とアントニオ。
そして
<じゃあ、どこ行くの?>と
ワイフに問うた。

ワイフは答えた。<下りるんだよ>。

母親の業。彼女もまた母となってから、
ひとつひとつ強くなっている。
まさにザ・マミー。

己はまったく頭痛にならなかった。

ベイビー〜幼児期、
NYからの東京出征時に
ニッポンに来たからこそ
それにかかってしまったアントニオの
<ノロ>と<インフルエンザ>の際、
ワイフは己自身もそれを発症しながらも
たった数時間で元気になってしまった
驚異の逸話があるが、

それも母として、
幼児を看病しなければならないという
レスポンシビリティと母性がなせる業だった。

そして今回、
己自身も初めて味わう恐怖の中、
高山病の頭痛にもならず
一睡もせず
アントニオに付き添っていた。

驚異である。

アントニオも驚異だ。
以前の彼なら間違いなく、
否、小学三年生なら責められないだろう、
この状況下において
<泣く>ということが一切なかった。

泣きべそもかかず、不平も述べず、
黙々と登り、
恐怖の中での最悪の体調にも泣かず、
それでもなお
頂上アタックをあきらめていなかった強さ。

ダモシは負けたのだ。完璧に負けているのだ。

(あぁ、凄いな・・・)
意識朦朧の中、再び
うたた寝のために目を閉じたダモシは
ひとり想った。

2012f5.jpg

(山小屋到着直後のアントニオ。
 元気一杯だった。
 空手で鍛えられている体力は嘘ではない。
 彼の懸念は唯一、高山病だったが、
 その通り、肉体的にはまったく問題なかった)。

:::::

午前六時。雨は少し弱まった。

<行こう。下りよう>。

撤退。下山開始準備を始めた。
そして午前七時。下山開始。

雨は一時的に止んだが、暴風は変わらず、
霧と雲が混じり合う
一寸先は見えない状況には変わりない。

暴風にヘビー級のダモシですら
肉体そのままよろけさせられる世界。

危険な下山が始まった。

アントニオの身体であれば
簡単に吹き飛ばされてしまう。
そして岩場と崖は滑落の危険性がある。
恐怖の下山。

2012f7.jpg

下山時はマスターKEIJIが先頭。
アントニオ二番手、
ワイフが三番手で、
最後方に守護神として大きな壁になるべく
ダモシという布陣。

アントニオを、マスターKEIJIとワイフが支え
危険な崖や岩場を下りる。
吹き荒れる暴風、遮られる視界。

早くこの恐怖から逃れたい。
下山するとなれば
一刻も早くこの場から逃げたい。
焦りが出る。それを必死に抑える。

2012f8.jpg

アントニオの徳。
それは大人に好かれることだ。
いわゆる"お兄さん"や"おじさん"に好かれることだ。
素直に話を聞くからでもあり
教えられたことをすぐにマスターし実践できるからだ。
空手も覚えが早い。何でも覚えが早い方だ。
そして、よく懐く。

マスターKEIJIを完全に信頼したアントニオ。
マスターKEIJIの後を
必死についてゆく。

下山時は、時に二手になった。
マスターKEIJIとアントニオ、
ワイフとダモシだ。

恐怖の下山を続けた末、雲が少し切れた。
暴風は最後までやまずとも
雨が収まり、雲が時々切れた。

そうなるとさらにその様相は顕著になる。
ダモシもマスターKEIJIと共に往く
アントニオを、黙って放任した。

ここで、予想していなかったことが起きる。
アントニオが生まれてから
ほとんどない
<ダモシxワイフ=二人だけの時間>が
不作為に生まれたのであった。

崇高な時間に思えた。

ワイフと二人だけの空間。時間。
必死に下りるワイフを
支えるダモシ。
時に横に行き、並びながら、
語り合いながら下りる。

まさにこれは崇高な時間だった。
地上ではあり得ない世界観が
そこに漂っていた。

これもまた富士でこそ生まれた、
富士でこそ気づいた何かである。

このタフな状況下においてさえ、
アントニオを放任し
自分たち「夫婦」だけの時間を持てたことに、
ひとつにはアントニオに対する
誇らしさを覚えたのである。

先月の靭帯損傷の中、激闘を繰り広げて
優勝した『ガッツ』の際と、
先の大会での大一番での勝利
『ザ・ショット』の際に
ダモシがアントニオに言った
<またひとつ、男になったな>。

この下山している今、この瞬間まで、
その前日からの一連の彼の所作を見ていて
感じていたことを、
夫婦二人だけの崇高な時間軸の中で
二人で語り合う。下山しながら。
乱れる息で。

<またひとつ、あいつ、男になったな>。

シンプルだが、最高の気分になった。

2012f9.jpg

親を頼らず甘えず、
己の脚で下りてゆくアントニオ。
美しい、と感じた。

ワイフとダモシは
その時間を楽しむかのように
ゆっくりとゆっくりと下りてゆく。

最後の局面。

大きく先に行ったマスターKEIJIとアントニオが
下山ゴール直前の岩に二人並んで座り
ワイフとダモシを待っていた。

アントニオの顔に満面の笑みがある。

それを見て、ダモシは込み上げるものを
抑えるので必死になった。

<男になったなぁ・・・>
<憎いね・・・>
と一人で呟いた。

最後は四人揃って下山ゴール。

ダモシにとっては過去二度よりは
短い時間だが、
それでも長い長い時間の闘いは
ここに終わりを迎えた。

やり切った。やるべきことはやった。
アントニオは、やり切った。
これ以上、求めるものは何もない。
何一つ苦言も注文もない。

賞賛以外、なにひとつない。

頭上には、
今回の富士では一枚もない
絶好の風景写真の素材が
空に姿を現した。

皆で見上げた。

2012f10.jpg

また、ひとつ男になったアントニオ。

2012f11.jpg


:::::

駐車場へさらに下りていく道。

ダモシは言った。

『頂上はいつかな。宿題として残ったな』。

ダモシは内心、また
『もう二度とイヤだ』と感じていた。

そして今回の登拝に
ワイフとアントニオを連れ立ったのは
自身の自信のなさだった。
年齢的な部分もある。
強い父親として先導できるのは
ぎりぎりかもしれない、という。
対冨士に関して、は。

(早い方がいいな)とは偽らざる心境だった。
でもそれは小学二年の昨年ではなかった。
昨年なら彼は耐え切れていない。
それは一番ダモシが分かっている。

<男になった>。
このパフォーマンスが多く、
明らかに様々な面で成長著しい今年:
小学三年の今なら、という想いだった。

だが、富士はその悪魔性を存分に見せつけて
我々の頂上踏破を阻んだ。
八合目から先へは行かせなかった。

それでも前日は八合目までも受け付けなかった
わけだから、ダモシ軍のことは
受け入れたのだが、
ここですんなり頂上踏破を
させなかったのは、富士なりの配慮と
試練を与えたのは間違いない。

アントニオは空手でもそうだ。
簡単には勝たせてくれない。常に。
だが、空手でも
幼児期から初心者用の大会には出ていない。
それに出て優勝するのは容易い。
だが、それを選ばなかった。
だから優勝まで時間がかかった。

しかし高いレベルでタフな相手を
多く闘ってきているから
今のレベルがある。

それと同様に、
アントニオには平易で安易な道は、
富士もとらせなかったと見て良い。

そして同時に富士は、
弱気になっているダモシにも
宿題を残したのだ。

<父子同時登頂>は来年以降だって
あるだろ?

と。

<頂上はいつかな。宿題として残ったな>
と言ったダモシに対して、

アントニオは即座に驚くべき台詞を返した。
すこしハニかみながら。

<来年ね>。

ダモシは涙が溢れそうになった。

(今年は何回俺を泣かせるんだよ)。

忌憚なく、毎年、
すばらしい根性と奮闘をしている
アントニオだが、
今年はさらに感動を多く与えてくれている。

『ガッツ』でも『ザ・ショット』でも、

そして先般死去した猫ケロが
入院中、泣いてケロを自宅に連れて帰りたい
というワイフに対して
ダモシがふだん口にしているのと同じ
<連れて帰っても何もできない。
 ここはプロに任せよう>と諭したと
ワイフから耳にした際も。

闘いにおいても、日常の些細なことにおいても、
八歳アントニオは大成長している。
そのタイミングでの富士、
そして今度の五輪。
これらひとつひとつが今こそ
彼の成長の糧になると踏んでいる。

この富士登山と下山時の、
彼自身、放任しても安心出来るような強さ。
自覚。

ひとつひとつに、素材として提供している側
としては、何にも替え難い喜びをもって
彼は返してくれるのである。

富士。それは崇高な時間。

今年の富士登拝で得た新たな感覚と認識。

これをもって本編を締めたい。



以下、雑感。

DS2.JPG

登山中、ポーズで
恒例の<金剛杖支え>をしたダモシを見て
アントニオも演技でそれをする。
こういうことを即座にできる点
:魅せる要素も、
今年より多くの理解を深めてきている。

要するに、物事がより<分かって>来ているのだ。
八歳はある意味でその分岐点かもしれない。
ダモシ自身も何となく三年生くらいから
諸々、<分かり>始めたと記憶している。
むろん個人差はあろうが。

いずれにせよ、これもダモシにとっては
夢の<父子での金剛杖支え共演>だった。
忌憚なく、嬉しい。

DS.JPG

"それどころではない"ため、希少なツーショット。
ワイフの携帯カメラでのもの。

2012f13.jpg

過去二度恒例の下山後の
御殿場市内での温泉。
そこへも連れていって。
共に裸になって露天に入り、
食堂でランチ。至福の瞬間だ。
アントニオはダメージなく、
活発な男の子、普通の三年生に戻っている。

むろん、それでも、
ワイフとアントニオは帰りの東名で
爆睡していたが。

:::::

最後にデータ類。

この分析はまだ済んでいない。
過去二度と今回の気温、気圧、湿度の比較だ。
登山当日の一時間ごとのそのデータをグラフにした。

また、過去二度との所要時間等の比較も描いた。

fujidata2.jpg

なぜ今年が最もダモシは
ダメージ(高山病)を受けたのか。
そして、それは天下のマスターKEIJIも同じだった。
そうなった要因は何だったのか。
データから読み取れることがあるはずだ。

fujidata3.jpg

ひとつには、
過去二度との顕著な違いは「気温」。
低かった。登山中、低かった。

皆、頭痛の苛烈さが増したのが夜八時、九時
くらいだったのだが、
過去二度は気温が下がっていっていたのに対し、
山小屋到着後、今回は気温がどんどん上がっていっている。
そして、湿度は過去二度よりも高い。
これも夜になりさらに上がっている。

気温と湿度が双方、夜になって
さらに上がったのが今回の特徴といえるだろう。

気圧は、やはり高山病が酷かった09年と
ほぼ同じ数値を記録している。

だから、顕著な差異として、
今年高山病が酷かった要因のひとつに
考えられる候補としては、

<気温と湿度、双方が、
 夜の時間帯になって上がっていった>こと
が挙げられるだろう。


- fin. -


posted by damoshi at 23:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

富士登拝-2013


リアルにダモログでフォロー出来ない状態。
ODだのではなく
シンプルに、"忙しすぎる"と言いたい。

アントニオの空手も
先の日曜日の試合では
まさに伝説的なものとなり、
フェイスブックでは逐一書いているのだが、
それはまさに
1989年の
マイケル・ジョーダンの
NBAプレイオフでの残り三秒からの"The Shot"や
同年のNFLスーパーボウルでの
ジョー・モンタナによる"The Montana Drive"を
ダモシの中では超える劇的なパフォーマンスがあった。

それは<ガッツ>同様、
スポーツ・ノンフィクションとして
ダモログオンリーで掲載するが、
それもまだ途中。
今宵もまだ仕事があるため、断念。

タイトルだけ先に。
<The Shot with 2 seconds left>。
ジョーダンの"The Shot"と同種の
残りぎりぎりここしかないところでの
大逆転劇。

今週末には掲載出来ると想像する。

そして本来はもう眠るべきだが眠れない。

明日は、否、今日はいよいよ
09年以降で二年ぶり三度目の富士登拝。

アントニオ、キラー・ワイフ同行。

しかも富士山自身の天候は、雨、そして雷。

登山口は、一般やへらへら行軍を忌み嫌い
山梨側はやはり回避。
過酷な静岡側からのそれに決定。

天候の予報上は、非常に危険な行軍になろう。
既に恐怖と緊張でピリピリしている。
今回は守るべき者が二人もいる。
そしてダモシ自身は過去二度よりも体重が増えている。
齢も重ねている。自信がない。
体重はついに89.1kgに達し、
家を追い出される90kgが目前となっている。
昨晩も空手のスパーで
アントニオの強烈な蹴りを受けて
左脚に大きなダメージを負った。

今日は危険な富士行軍になるだろう。

果たして登頂できるか。

天候に応じて、途中撤退も視野に入れて、
明朝自宅を出発だ。

富士登拝ストーリーは、過去二回同様、
当欄のみでディープにフォロー。

リアルタイムの速報はフェイスブックにて。

Good Night, and Good Luck.



posted by damoshi at 01:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

タカハシは今、どこに。


やたら警官が多かった今日。
帰宅時、最寄り駅の改札を出たところ
にも警官が二名いた。
(この駅には来ないでしょうよ・・・)。

タカハシは今、どこにいるのだろう。

今回の逃亡ストーリーの始発点は川崎。
いま読んでいる「最悪」の舞台がちょうど川崎。
さきごろ読んだ
「ゴールデンスランバー」のような
(中身は違うが)逃亡劇なのか。
贅肉や筋肉を抜きに
単純に今回のみのストーリーとして
見た場合、どこに逃げるのか、
捕まるとしたらどこで捕まるのかにも
人間の興味は少なからず向く。
過去の関連ストーリーを抜きにしたとすれば、だ。

推理小説的に、仮説を立ててみた。

川崎からタクシーに乗って<横浜市>で
降りたかもしれないというところまで
情報は公開されている。

では、仮に川崎駅前からタクシーに乗り、
都内中心部ではなく、(横浜方面だから)
北西に上がるか西へ行くかとなると、
R-15かR-1で横浜中心部へ向かうか、
R409で北上し、R-246に入って西へ向かうか。
これら3パターンからその後の足取りを推測してみた。

長くなるため、本編はブログで記したい。


*****

とフェイスブックに記載した。

そのつづき。本編をこちらに記載したい。

冒頭、
ダモシの拙宅最寄駅の改札を出たところにも
二名の警官がいたと記載し、
しかし
(この駅には来ないでしょうよ・・・)
と感じていたダモシだったが、
そうとも言い切れない。

タクシーを降りたのが<横浜市>と報道されているだけで、
どことは書かれていないからだ。
横浜市といって、誰もが想起するような
観覧車やランドマークタワー、あるいは山下公園など
だけではなく、広いからだ。
ダモシ拙宅エリアも横浜市。

その前提をまずは取り入れた上で
憶測と推測を始めたい。

前提として存在する情報は、

〇川崎からタクシーに乗り、
 <横浜市>で降りた"かもしれない"

である。

が、これより以前に
憶測と推測として前提に存在するものが

〇東京首都圏/中心部より、西へ逃げるだろう

という憶測である。
これを大前提といっても良いだろう。
だからこの大前提がそもそも誤っていれば、
これからする推測はまったく意味をなさなくなる。

しかし、この「憶測」と
その前に提示されている「情報」は
合致している。

だから、まずはこれを大前提とする。
心理的に「西へ」逃げるであろうという推測から、

A. <川崎から横浜市へタクシーでまずは向かった>
B. <そしてそこから西へ向かうだろう>
が、スタートである。

まずは、A。
<横浜市>のどこか。
警官が駅にいっということは、
東急田園都市線沿線ということも
可能性はゼロではない。

フェイスブックに記載したように、
仮に川崎の駅前からタクシーに乗って
<横浜市>方面へ向かうルートで
代表的なものは以下の三つだ。

R-15とR-1のいずれかを用いて
どんどん西へ下っていく。
<横浜市>の中心部に行くことができる
最短距離だ。

神奈川区、保土ヶ谷区、中区、西区、南区など。

一方、北上するパターンもある。
川崎から電車でいえば
例のダモシが嫌うJRタテラインの南武線の世界。
川崎駅前からR-409を走り
武蔵小杉を過ぎて溝の口へ。
ここからR-246に出る。
これを西へ進めば
たまプラーザなどが登場する
横浜都民のエリアである青葉区になる。
もしくは溝の口でR-246に出るより先に
第三京浜に乗る手もある。
第三京浜に乗れば
やはり<横浜市>のニュータウンである
都筑区や港北区などのエリアに出る。

<横浜市>で降りたタカハシ。
その降りた場所は、以下が候補になる。

Z:あくまでも一般的なイメージの横浜
 (中華街を含むランドマークタワー周り)
 (JR、東急東横、横浜地下鉄沿線含む)

Y:青葉区、都筑区、港北区などの横浜都民エリア
 (主に東急田園都市線とブルーライン等の
  田園都市エリア)

プラスαで新幹線駅のある

X:新横浜周り

<横浜市>という括りで<逃亡>を考えた場合、
且つ始発点が<川崎駅前>で
タクシーで行く
ことを考えた場合、
ダモシの中では
オールモースト横須賀市/オールモースト鎌倉・逗子
に該当する金沢区
(八景島や金沢文庫等があるエリア:京浜急行)は
あまり考えられない。

ただし、この世界観は、
頭が瞬時に回転し、
旅行業取扱主任者資格を少なくとも取得できるくらい
地理や各都道府県の位置関係、交通機関に詳しければ
可能性としては生まれてくる。
したがって、わずかにこれを残してみる。

X-Y-Z以外の、Ex.として。

Ex:横浜駅前で降りて、京急に乗り久里浜まで行った。

整理する。

Z:あくまでも一般的なイメージの横浜
 (中華街を含むランドマークタワー周り)
 (JR、東急東横、横浜地下鉄沿線含む)

Y:青葉区、都筑区、港北区などの横浜都民エリア
 (主に東急田園都市線とブルーライン等の
  田園都市エリア)

プラスαで新幹線駅のある

X:新横浜周り

そして
Ex:横浜駅前で降りて京急で久里浜へ行った

この四つだ。

それぞれでは、その後、どう動くのか。
最もイメージしやすいのが、逆にExになる。

<西へ逃げるだろう>
<横浜方面だからその後、静岡へ行くだろう>
という捜査方針は容易に想像出来るから、
その逆を突くのだ。

横浜から南へ下がり京急に乗って三浦半島へ行く。
久里浜で京急を降りる。
久里浜にはフェリー乗り場がある。

フェリー乗り場まで駅からは2km強。
充分歩くことができる距離だ。
ここでタクシーを用いてしまうミスは犯さない。
バスも用いない。
徒歩で久里浜港へ出る。
そして船に乗る。行き先は、千葉の房総。
船は千葉の金谷港に着く。
そこから内房線に乗って南へ行けば館山、
館山から先、東へ進めば鴨川、
そのまま外房線にテイクオーバーして勝浦。
行こうと思えば延々と乗継いで東端の銚子まで行ける。
ダモシ的には<銚子>は見つかりにくい気がする。
まさか<銚子>まで行くとは考えにくいこともある。
自ら仕事で<銚子>に行った際、そう感じた。
『逃亡するのに良い場所だな』と。

金谷から北上すればどうなるか。
もちろん千葉だ幕張だと行き着くが、
比較的近い木更津はどうか。
そして木更津で内房線を降りて
意表をついてそこで品川行きのバスに乗る。
逆転の発想で、首都圏入りするのだ。

捜査の裏をかくヴァージョン「Ex.」での
逃亡の果ての初動潜伏先候補として、
まずは<銚子>と<品川>を挙げたい。

一見、品川は危険な気はするが、
品川の異様なまでの人の多さは
「紛れ込む」のに丁度良い。
長く住んだであろう川崎に
何一つ愛着がないとも考えにくい。
<川崎>に何かしらつながりを感じられる
<品川>に迂回して戻ってきても
まったくおかしくはない、とダモシなら考える。

*****

次にX-Y-Zだ。
最も簡単なXから。

新横浜。これはもう新幹線だ。
東海道新幹線。
乗継ぎを重ねれば鹿児島まで行くことはできる。
だが、新幹線は相当ハードルが高い。
新横浜にせよ直行でない場合の乗り換え駅・新大阪、
あるいは博多などではカメラに収まる可能性は高い。
名古屋はもとより、途中の下車駅も危険度は高い。
おそらく<新横浜からの新幹線利用>は
逮捕されたくなかったら
まずは避けるだろう。
ここで、このXを消す。

Z。横浜中心部周り。
これをこの先、移動することを前提に考えれば、
<横浜駅>と断定しても良いだろう。

横浜駅からは様々な可能性が考えられる。
だが、Yに絡み重なってくる
横浜地下鉄で北上する
東横線で渋谷方面に戻る
あるいは
JR横浜線で北上して長津田へ出る
などは消去する。
そしてXで出てくる京浜急行で南下も消す。
(中華街等を包含する横浜高速鉄道も消し)。

残るのは

・JR
・相鉄

だ。

横浜駅に関わるメインの鉄道=JR。
・東海道線
・京浜東北線
・根岸線
そして
これが可能性を広げるのだが、
・横須賀線/湘南新宿ライン
・スーパービュー踊り子号
が、ある。

中途半端な距離感の京浜東北線、根岸線は消し。

スーパービュー踊り子号。
これに乗って逆方向へ行けば
<大宮>まで行くことができる。
そして<大宮>まで行けば、
東北新幹線という線が出てくる。
ロシアと関わりがあったタカハシのこと。
東北新幹線で青森まで行ってから
フェリーで北海道入りもあり得なくない。

ここで<函館>〜<札幌>間も浮上する。
おそらく<大宮>まで行ったら、
北海道まで行くだろう。
途中のエリアはすべて消し。

このスーパー踊子号は伊豆急下田まで行くが、
逃亡先として伊豆は相応しくない。
<逃げ場がない>印象が濃く、
逃亡するならダモシは行かない場所だ。
消し。

湘南・新宿ライン。
これも厄介だ。
宇都宮(栃木)だ高崎(群馬)だと
絡んでくるがいずれも中途半端なロケーション。
ここでも出てくる<大宮>を
やはり無視出来ない。

このラインから<大宮>を軸とした
<北海道>はかなりラインが濃くなる。
もちろん<大宮>から高崎の上越新幹線、
さらにそこから長野方面の長野新幹線も
視野に入ってくる。

<長野>が登場する。
そして上越新幹線の果て<新潟>も出てくる。

ここまでで、

〇品川(東京)
〇銚子市内(千葉)
〇北海道
〇長野市(長野)
〇新潟市(新潟)

が、残っている。
北海道は函館まで行けば
東も北も列車で端まで行くことは容易い。
だから最北端の稚内市、最東端の根室市も充分ありだ。
〇函館、札幌、旭川、帯広
〇稚内市
〇根室市
が北海道をセグメントさせた。
稚内市内、根室市内
いずれも逃亡には適している。
札幌近郊でも小樽はまずい。
逆に石狩市内、あるいは旭川へ向かう滝川市内
などは案外、盲点というか、
無頓着ゆえ気づかれない可能性は高い。

残るは<東海道本線>。
この軸はもう、静岡県だ。
潜伏する地を決めるまでの時間的猶予はない。
とことこ東海道線などローカルを乗継いで
静岡以西(名古屋、大阪、神戸等)まで行かないだろう。

静岡県。
当然ながら誰もが思う強力な逃亡先、潜伏先候補だ。
まずは東日本管内の東海道線で
逃亡先として適するのは、どこか。

<熱海>だ。

果てに行きたい心理が働くだろう。
JR東日本の東海道線の最後は、熱海だ。
ここもまた紛れることは可能だ。

JR東海管内。まさに静岡県内を
メインストリームとするエリア。
ここでで見ると、どうか。
沼津は目立つ。ここは見つかってしまうだろう。
由比、興津など案外知られていないが、
ここは歩いていると住民がちらちらと
見知らぬ人のことを見る。経験上、逃亡は無理だ。
草薙も厳しい。もちろん静岡駅周りや富士駅周りも。
小さい駅はむろん、ダメ。

ダモシが旅した中では、このエリアでは、<清水>を採る。
ここは夜も早い。
駅周りは人を"見にくい"
そして地元民が、一見の者に興味を示さない。
<清水>は逃亡先としては、一時的なら可能だ。
<清水>はイキ。

浜松はおろか、愛知県に入った豊橋は無理。
やめておいた方が良い。

ざっとこんなところか。

まとめたい。

いずれの地名は広義でのもの。

A. 品川(東京)
B. 銚子市内(千葉)
C. 北海道内
  主には、
  稚内、根室、旭川、帯広、札幌、函館
D. 長野市内(長野)
E. 新潟市内(新潟)
F. 熱海市内(静岡)
G. 清水市内(静岡)

と、いう
タカハシの逃亡先/潜伏先の
ダモシ署による推測である。

ただしA-D-E-F-Gは逃亡先だ。
潜伏先へ辿り着く前の。
既に潜伏しているとすれば
北海道が実に目星としては興味深いエリアであるが、
まだ逃亡中とすれば
上記のいずれもが可能性はイーブンにあると考える。

もちろんC-D-Eの三つに絡む<大宮>も
大いに考えられる逃亡先である。

さて、いかに。

タカハシは今、どこに。


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2012年01月15日

青空の法則


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お馴染みの、武田信玄公。
そして、この空。

<ダモシx甲府=青空>という青空の法則は、
プライベートでは一昨年三月以来1年10ヶ月ぶり、
オフィシャルを含めれば昨年四月以来9ヶ月ぶりの
甲斐国遠征でもまた生きていた。

山梨県民よりも、甲府市民よりも詳しいダモシ。

<住んでいるみたいに運転しているでしょう>
とワイフがダモシの運転中に爆笑するレベルの関係性。

それだけ甲斐国に、武田信玄に、リスペクトを示し
ディープに付き合ってきている。

信玄がアントニオに対してもダモシ軍に対しても
守護神として今や存在しているのは頷けるわけである。

こんな青空〜あのニューヨークの<絶対青空>のような〜は、
ニッポンでは甲斐国でしかダモシ軍の頭上に広がらない。
ボンクラ東京なんぞあり得ない。
越後も素晴しい青空だったが、そこは上杉謙信。

信長ヘイターのダモシにとって、
信玄x謙信はダモシ派である。
返す返すも世代がもう少し違っていれば信玄こそが
天下統一に最も近い武将だったというのはダモシ論であり、
信玄にかかっては家康も信長も相手ではなかった。

もとより、武田信玄・上杉謙信・伊達政宗派であり、
御三家の信長・秀吉・家康は大いなる疑問符をもって
ダモシはヘイトしているわけであるが、
ここまで縁近くなれば、もはや信玄は守護神である。

ということで、ファミリーでゆっくりと一日休日を過ごす
という所作がほとんど困難になっている昨今の中で
久しぶりの全員揃ってのオフでプライベートで甲斐国遠征をしてきた
サニースカイのサタデー。
例の<週山>(週末は山梨にいます)である。

そして迎えた信玄とあの青空。

<ほれ見ろ。この青空だ>とダモシはどや顔で誇った。

主目的はしかし、単なる休日のお出かけではなく、
<戦勝報告>と戦に対する心得の交錯、そして詣である。

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信玄に戦勝報告をしたアントニオ&ダモシ。

山梨。甲府。
甲府を訪れる時、まず最初に行くのがこの信玄スタチュ。
JR甲府駅前にある。

現地では待ち合わせスポットとして最も分かりやすい。
<じゃあ駅前の信玄像のところで>という世界だ。

その後、度々逗留したホテル前を通り過ぎ
武田神社へ行くコースがダモシ定番だ。

全国展開するオフィシャル事案の端緒がこの甲斐国だった。
それがニッポン復帰後に携わっている事案である。
ゼロから全国展開する上で
なぜか甲斐国でそのテストを行ったわけだが、
そのように甲斐国を舞台に闘うにあたり
最初から武田信玄にリスペクトを表し武田神社に詣でた。

以来、関わりを持っている武田神社である。

アントニオが一昨年春に初めて優勝した直後も
きっちり訪れて報告と御礼を行った。

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いつものコースを今回も辿る。

続いては甲斐善光寺。
当欄恒例の、善光寺である。

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出た。

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アントニオとワイフも二度目。
ダモシはもう十回以上訪れている。
もとよりオフィシャル事案の打合せでも訪れている。

善光寺詣でを終えれば時刻は11時半。甲府駅へ戻る。

これもまたオフィシャル事案で何度も何度も甲府で食した
ほうとうをアントニオ&ワイフに初案内するため
駅前の定番<小作>へ行く。

小作でも何度もオフィシャル事案のミーティングを兼ねて
ほうとうを食しているニッポン復帰以降だが
ダモシにとっても久しぶりとなった。

特に土曜日は厳寒だったため、最高のタイミングで
信玄の野戦食を頬張り身体を温めた。

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旨い。もうイヤというほど食した当時だが、
久しぶりとなると実に旨かった。

甲府駅前に武田信玄スタチュ、小作があり、
さらにそこから三分ほど歩けば甲府城。
高台にあり天守跡に登れば甲府市街地が一望できる。
富士は雲の中にあり稜線しか見えなかった。

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甲府城天守最上部で絶対青空をバックに。



*****


この日のメインは国重要文化財にして
ダモシのディスカバー・ジャパン認定・恵林寺。

武田信玄公墓所がある。
アントニオ&ワイフを初案内。信玄の墓参である。

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信玄墓所へ。

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手を合わせるアントニオ。その先に信玄公の墓がある。

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そして風林火山。闘いの指標。

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風林火山。
疾如風・徐如林・侵掠如火・不動如山。

疾きこと風の如く
徐かなること林の如し
侵略すること火の如く
動かざること山の如し

である。

<疾きこと風の如く>は既に幼児期から
アントニオのスタイルである。

それに今、
<侵略すること火の如く>がフェーズで加わった。

オトナになっていく過程で、空手に限らず
様々なカテゴリー(対米含む)において
彼が今後構築していき、最後には
<徐かなること林の如し>と<動かざること山の如し>に
至っていくだろう。得て欲しい。その境地を。

既に幼児時代からこれらは語って聞かせているが、
二年生の今、ようやく少し理解してきている。
特に今週の大会での闘いぶりはそれを理解している世界観が
如実に出ていた。

恵林寺、現地でもそれらを前にして語って聞かせた。

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そして、こちらは信玄の名言が刻まれた石碑。

あの、
戦勝は十分をもって下となし
七分をもって中となし
五分をもって上とする
というイデオロギーである。

<見ろ。十、勝ってしまうと、驕りになってしまうと
 書いてあるだろう>

とこれもまた語って聞かせた。

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恵林寺といえば、忘れてはならないのが<心頭滅却>である。

信玄との蜜月関係により恵林寺に入山した快川紹喜の辞世の句。
<心頭滅却すれば火も亦た涼し>。

ある意味で試合中の瞬時の対応力は、戦時においても平静な心を
どこかに持っているからこそだろう。
その部分で、既にアントニオは持っている部分がある。
これをさらにフェーズアップしていくことで、
焦って反則負けなどを回避できることにもつながっていく。


*****


目的を果たし、行くべきところへ行った後、
中央フリーウェイの復路渋滞を回避すべく
17時前には首都圏へ戻ったダモシ軍。

今回は土産で、ほうとうと甲州銘菓定番中の定番"信玄餅"を。

011412z.jpg

そして幟も購入した。

風林火山のそれを二種だ。

011412y.jpg

信玄グッズは書籍以下、かなり増えてきた。
いつかそれらもアントニオに受け継がれる。

風林火山の戦法は今後も学び、駆使していく。

プライベートのファミリーのレジャーも今や
闘いが軸になっている。

ビーチや温泉等に行かない限り、そうなってしまうのだろう。
それはそれで致し方ないところだ。

そこかしこに、闘いのイズムとその術のヒントはあり、
そのすべてに矜持があるからだ。

旅にはまた、そういったインスパイアも必要ということである。



posted by damoshi at 14:16| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月04日

Year In Review-旅-


ようやく2011年の<旅>をレヴューする。

この寄稿は、久しぶりにダモシらしさで大長編である。

なにごとも
しっかりと<レヴューする>ことは、
原発しかり、現在と未来への指針となる。

すべての過去は物語となり、すべては人生予告編。

<一期一会>などという甘ったれた観念ではなく、
旅は己の本質と向き合う営みであるという概念。

そこ(旅)には、常に初の邂逅であろうとも
どこかで見た、どこかで逢った、いつか来たという
既視感:デジャヴュがもたらす
破滅的なコンフュージョンとの闘いが潜んでいる。

だから、
ナカタやキムタクなどが知たり顔で言う前から
既に先人たちに使い古された言葉である
<旅は人生である。人生は旅である>などは、甘い。

そんな台詞は教示も何もない。甘い。

ダモシは言う。

旅はコンフュージョンである、と。

そして<一期一会>ではなく、<メビウスの輪>である、と。

supposed to beは、そこにはないのである。
旅に、supposed to beは不在。

仮にsupposed to beと安心してしまったが最後、
旅は旅先の地はどこであっても
コンフュージョンを眼前に提示する。

甘ったれていると、すぐにnot supposed to be。

ダモシに言わせれば、それが旅である。

返す返すも、高速道路の大渋滞の中を帰省する行為も、
Uターンしてくるそれも<旅>ではない。
渋滞もまた、supposed to beの範疇に他ならず、
そこに恐怖も畏怖もトキメキも皆無であり、
すべてが予定調和だから、だ。
そして阿呆どもはそんな赤信号皆で渡れば怖くない的な
大渋滞に身を置いて疑似社会参加を喜んでいるわけだ。

もう一つ、旅とは、
<赤信号、注意して渡れ>である、と。

ニューヨーク流で言えば、
赤信号は止まるものではなく、
注意しながら渡るものである。

皆と共にだらだら止まって待っているのが赤信号ではない。
そこのところ自体、ニッポンは未熟でありダメなのだ。

そもそもの通念として、

赤信号は止まるもので、
渡る場合は皆で渡れば怖くないのだよとするニッポンと、

赤信号は、
注意しながら普通に渡るものというニューヨーク。

この違いは、旅の所作においても絶大なる相違を生む。

赤信号を皆で渡ることをなぜ否定するのか。
そこに緊張感がないからである。
皆で渡れば万が一があっても
もしかしたら自分だけは助かるかもしれない
というニッポン人の得意な
安易で中途半端な第三者的ノンポリ性がどじょう的に
露呈されるからである。

そんなだらしのない所作はない、と。

そしてそんな甘ったれた感覚でいるから
有事に対応できない。

ひとりで己が自己責任をもってして
注意して進めば
赤信号を渡っている最中は、緊張感が走る。

八方から攻撃をしてくる敵に対して
背中にも目があるかのような防御と攻撃を即座にすることができる。

まあ、いい。

永遠にニッポン人は、
赤信号皆で渡れば怖くないから脱却できない。
それで、良い。

そうでいてくれなくては、揶揄と失笑の対象が減ってしまう。


*****


2011年は、宇宙の旅ではなく、ニッポン国内の旅。
昨年も多くの土地へ出かけた。

例の<ぬり絵の旅>でまずはレヴューしたい。

http://www.246material.me/nuri11.html

地図上、2011年に訪れた土地は黄色で示されている。
むろん近隣首都圏は除く。
そして逗留した地はオレンジ色で示されている。

北の某国と琉球王国を除き、
ニッポン国内で見れば

東北・関東・東海・北陸・信越・近畿・中国・九州と、
四国以外、すべて行った。

鳥取、島根を山陰としてしまえば、山陰も行っていないが、
そこは中国で括る。

四国以外、すべて行ったのが昨年だ。

<ぬり絵の旅>として昨年新たに塗られた県は、
新潟県・福井県・大分県。

新潟はともかく、福井と大分は難易度が高い県だ。
そういう意味では北陸・信越地方で
最も行きにくい〜なかなか行かない〜新潟と福井を
塗ったのは大きな収穫といえるだろう。

そして大分。ここが別府や由布院ならば特に珍しくないが、
初上陸で行った地が中津というところが面白い。
しかもここに逗留しているのだ。


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新潟は出雲崎で見る日本海。
夏の日本海は、爽やかなブルーであり、浅さも感じさせたことが
明るいムードを残した。
これが冬になると激変するのだろう。

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旅する時期は重要だ。
四季で顔を変化させる土地であればなおさらだ。
新潟の日本海側を北上し、西下し、と往復したが、
明るいイメージしか得なかった。

一部を除いて。

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柏崎原発。
時節柄、暗いイメージが増幅。特にこの様相は不気味だった。

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いくつの無人駅へ行ったことか。まさに刑事の世界だった。

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こちらは上越は春日山。
遂に今年は上杉謙信とも邂逅した。

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信玄と甲斐国にどっぷりと浸かったニッポン復帰以降の
この数年。

甲斐国の信玄とくれば、越後の謙信を無視できない。

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上越高田。
見知らぬ、行ったことのない土地で、
不意にこういう駅と光景に出逢うと
己が油断を恥じることになる。

<なるほど>と。
そして好意的な<う〜ん・・・>という唸りを発することになる。
<自分はまだまだだな・・・>と。

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これもまた既視感。だが、場所は初の高田城公園。

信玄と謙信絡みでは、最も行くべき地であるが、
ここだけはなかなか行く機会に恵まれなかった地。

それが甲斐善光寺ならぬ、信濃善光寺である。

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長野県の長野市。長野県は行ったことはあっても、
長野市には初上陸となったのも2011年。

ここには、信玄vs.謙信の戦国名勝負数え唄の舞台たる
川中島がある。

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福井県。
これはもう九州訪問時に感じた
<ニュースでいつも見ている九州の大雨は、これなのね?>
と納得した大雨を遥かに超えるリアル大雨、否、豪雨。

豪雨に遭遇の中、まったく視界がない状態で
岐阜県の大垣市から一気に福井県内をタテに駆け抜けた。
完全にムードは松本清張の世界。

そこに出てきた存在が、東尋坊に永平寺とくれば、
ダークサイドの権化か。

荒れ狂う福井県側の日本海の様相は、
真夏の新潟県側の日本海とまるで別物。

<これが日本海だぜ>と言わんばかりに、怒っていた日本海。

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東尋坊。かつては"自殺の名所"と呼ばれた。
が、今のダモシは世界を経てきている。
ダモシ、ビッグ・ディスアポイントメントは東尋坊。

2011年の旅先で最大の失望が、東尋坊。

ダモシのみならず、豪雨の中、傘をさして断崖の上に立った
シニアの夫婦。その主人が憤りを隠さずに言った。

<何だこれは。これが自殺の名所か?>

ダモシは感じた。

<死なないだろう。これでは・・・>

観光旅行で見た場合、
<ここは行くな>の筆頭に東尋坊を入れざるを得ない。

忌憚なく言いたい。
行こうと思っている人へ。
東尋坊へ行くのはおよしなさい。

時間とお金の、ムダ。

そして、永平寺。

ここは触れたくない。触れるべきアイコンには違いないが、
ここは何かを隠匿していると感じられる不気味さがある。
ここで暮らす者たちが武闘集団に思えるのである。

見映えとアトモスフィアが、である。

得体の知れぬ武闘的パワーを持っているような寺。
そんな世界観なのである。
単なる寺社仏閣・神社仏閣ではない気がしたのだ。

異様。平易な表現で、ひとことで言えば、そうなるか。

あるいは、怪奇で異境的な。

そんな世界観、そんなアトモスフィアが圧迫感を伴って
襲いかかってくる。

何かを強制されそうな空間。

単なる凄い空間、旅先で見た"建造物"として考えれば、
すばらしい空間なのだが、
あまり語りたくない。そんな心境を得たのである。
リアルタイムで当時も触れていないはずだ。

ちょっと"カチン"と来たということもある。
神社仏閣系で"そこにいる"人間にカチンと来てしまう
というケースはさすがのダモシでもほとんどないが、
ここではあった。

だが、ブチ切れを自ら収めた。

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多くの写真を撮ったが、一枚だけ掲載したい。
異境的な写真はまだ一杯、ある。
ここは、ちょっともう、行かないだろう。

ダモシ的に<何か、イヤだな・・・>と感じてしまったのである。

この
<何か、イヤだな・・・>が、
ブチ切れをあえて収めた理由でもあるのだが。

いずれにせよ、二度と行かないだろう。永平寺には。

むろん、これも豪雨と真っ暗という異常な天候時の邂逅
だったことも、背景要因としては確実に、ある。

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こちらは三国駅。
良い意味で"こんな駅"に行くとは、当然ながら
想像し得なかった。その当日、そこに行くまで。


*****


Long Time No See.

長い年月ご無沙汰で、久しぶりに交錯した地。

高校時代の部活動の夏合宿以来となる29年ぶりの再会は、軽井沢。

大学時代の後輩を訪ねて行き共に鰻を食して以来となる
21年ぶりの再会は、浜松。

ウルトラの父、母、そしてワイフ。四人で共に歩いて以来、
18年ぶりとなった犬山城。

さらには、ニューヨークからニッポンへ出張という
逆輸入で1999年に行って以来、12年ぶりとなる広島。

当然いずれもエモーショナルな再会。

広島に関しては当欄でフィーチャーしてあるが、
99年時は市内をしっかり歩いていない。
今回は、広島市の四番打者である原爆ドームと平和記念館を訪れて、
大きな衝撃を受けた。
それはダモシ認定ディスカバー・ジャパンに登録された。

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"知らなかった"広島城も訪れた。
これも無知ダモシを恥じるくらい、
<なるほどぉ・・・>な存在であった。

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*****


三月。東日本大震災を受けて仙台へ。
五月。南相馬と飯館村へ。

これは昨年に関しての行き先としては、
今後に残るエモーショナルなものとなった。

これでダモフィーロがダメージを受けて、
その後の度重なるトラブルを誘発したのは間違いない。
それだけ過酷な行軍だったわけだ。

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若林エリアを訪れた後、高台にある神社から仙台中心部を一望。
その神社も大きなダメージを受けていた。

ダモシが訪れた日は、皮肉なほど青空だった。

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こちらは南相馬の原ノ町駅。
復旧していない。電車は来ない。ただ駅はそこに在った。
そしてこの日、見事なまでの青空が皮肉にも広がっていた。

<せめて、空だけサニースカイか・・・>

ひとりで呟いた。


*****


ニッポン復帰後の旅のテーマが複数ある中で、
<信玄>絡みと共に、<松尾芭蕉>がある。

特に"奥の細道"を基軸に、東北をメインとして歩いた。
まだ東北でも訪れていない所縁の地はあるが、
昨年は新潟県内の日本海側をめぐったことで
そのエリアも踏破し得た。

未踏が残る中、先に<奥の細道むすびの地>を訪れた。
岐阜県の大垣市である。


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こちらが<奥の細道むすびの地>。
一大紀行文の最終ゴールの地である。

彼の地には今年、記念館が完成するようだ。

それにしても大垣。
ここも大垣に非はないが、
正直、<大垣に泊まる>ことがあるとは思わなかった。

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大垣駅。

この"大垣のような"、
<ここに泊まるとは到底想像できなかった>地へ逗留した
ケースが多かったのも昨年の傾向だ。


*****


<ここに泊まるとは到底想像できなかった>地へ逗留したケース。

〇岐阜県大垣市(駅でいえば大垣)
〇新潟県上越市(駅でいえば直江津)
〇滋賀県長浜市(駅でいえば長浜)
〇福岡県北九州市(駅でいえば小倉)
〇大分県中津市(駅でいえば中津)

など、だ。

中津は、とりわけ自分でもびっくりした。
喜んで行ったのだが、
まさか行くとは思わない。
その数日前まで自分が中津に行くことは想像していない。
大垣も小倉も同様だ。

昨年でいえば、長浜は唯一、
一般的に見ても<行くかもしれない>地だろう。
NHK大河ドラマ『江』があったからで、
実際に行ってみると、
ダモシの嫌いな観光客がわんさかいた。

<ほぅ、長浜。マーケット的にも凄いね>と。

滋賀県でいえば琵琶湖の北いわゆる湖北に該当するが、
湖北の主砲だろう、長浜は。

そういう意味では、小倉もまた大都市だ。
この大きなと繁華街っぷりにはまたびっくりしたものだ。
<へぇ。知らなかったよ>と。

<小倉。こんなに大きかったのか・・・>と。

小倉城があり、いわずとしれた松本清張のホームである。

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長浜の一景。

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小倉の一景。

小倉、松本清張が出てくれば、香椎が出てこよう。
名作「点と線」の舞台・香椎も訪れた。

そして香椎は福岡。

2011年、最も多く訪れた広義でのエリアは<九州>。


*****


まだ昨年の九州行の最初の頃は、ノーマルに飛行機を用いていた。
何度も書いている通り、
福岡(博多)は、奇跡的な空港→市街地のアクセスを誇っている。
飛行機での福岡上陸がベストなのは言うまでもない。

ところが。

九州新幹線が開通した途端、飛行機で行く気がなくなってしまった。

これはダモシだけの感覚だろうが、
何度も九州へ行くという中では、
新横浜から新幹線でゆっくりじっくりが好ましくなったのだ。

羽田へ行くのが面倒だ、ということもある。
新横浜が近いということもある。
だが、それが理由ではない。

複雑なのだ。

<墜ちたくない>のである。なぜか東京→福岡あるいは東京→熊本で
空路を用いて<墜ちたくない>のである。

それはニューヨーク→ボストンが感覚的に近いか。
ニューヨークとボストン間ならアムトラックで行く。
決して楽で時間も短縮されるから飛行機で行くという所作は選ばない。
なぜなら<ニューヨーク→ボストンで墜ちたくない>からだ。

これはうまく表現できないが、そういうことなのである。
分かってくれるだろうか。

とても感覚的なものである。

東京(or横浜)→九州(福岡/熊本)は飛行機を用いたために
<墜ちる>ことになった場合、
最も納得がいかないケースなのである。
ダモシにとっては。

東京→北の某(サツホロ)は<墜ちない>と感じるのである。
東京→四国(松山など)も同様。

だが、九州はダメだ。イヤなのだ。

さて、九州。

メインは福岡(博多)である。豪雨の、台風の最中にも行った。
都合四度。逗留は三度。
冬、梅雨時、初夏、そして晩夏と行った。
最後に11月に九州へ行った際は、福岡は駅だけのためカウントしていないが、
これも含めれば五度行っている。二月、五月、六月、九月、十一月。

福岡を主軸に、同県内の香椎、小倉、門司、熊本県、大分県と跨いで
九州を舞台に捜査は展開されたのである。

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博多駅が"こうなる"前の最後も博多へ行っている。
そして"こうなったら"徹底的にこの駅と付き合ったのが昨年だ。
この駅から何度も列車に乗った。

ニッポン復帰以前の、渡米前のニッポン時代には
一度も訪れたことがなかった福岡(博多)。

だが復帰以降、プライベートで初めて行き、
オフィシャル事案でも毎年のように行っていて、
昨年はピークを迎えた。

不思議な、これも縁。そして何かのサイン。
あるいはメビウスの輪。


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門司港駅。
ニッポンの駅として国重要文化財になった第一号。

駅舎内もノスタルジーそのまま。

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港エリアはまさにその名の通り門司港レトロ。

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門司まで来れば、なぜかこの関門海峡を渡らなければ
気が済まなくなる。

それは対岸からも同様。

プライベート事案で09年に福岡県側から車で海峡を越えた。

2011年。遂にその逆、下関側から海峡下を歩いて九州に入る機会を得た。

門司から門司港へ行く列車から飛び降りて
思い立ったダモシは下関へ出る列車に乗った。
長いトンネルを超えて下関に辿り着き、
下関駅から延々と歩いて、関門海峡大橋へ。
そして橋の下を歩いて海峡を越えて門司港へ戻るという所作だ。

<なぜか好きな山口県。妙に好きな下関>。

ダモシの皮膚感覚である。

気に入ったのだ。09年に初めて下関に往って。
二年ぶりの下関。
そこは県内では仙崎(長門)に次ぐ金子みすゞゆかりの地。

<こだまでしょうか>を胸に、みすゞゆかりの地を歩いた。

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関門海峡までの長い道のりだが、
市内各所にみすゞゆかりの場所があり、
そこかしこに童謡が碑に刻まれているから疲労しない。

且つ歴史的建造物やカルチュラル・アイコンが豊富である上、
現代的なタワーもあることで
市内は飽きることがない。

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手前が
現存するニッポン最古の郵便局。

その隣にあるのが、
現存最古級の鉄筋コンクリート造りのビル、旧秋田商会ビル。
ビルの一階奥には金子みすゞコーナーがある。

歩く歩く。"ものすごく"歩いた。
ようやく関門海峡大橋のたもとに辿り着く。

と、そこに勇壮なるスタチュがある。
平知盛と源義経だ。

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知盛。悲劇となった。

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義経。

とどのつまり壇ノ浦である。
壇ノ浦の戦いの壇ノ浦である。
ニッポン人なら誰もが歴史の授業で習った。

平家の終焉の舞台だ。

その下を渡って九州へ往く。

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ここが国境。

2011年、旅の主軸は九州だった。


*****


城も取り上げておきたい。
城もあまた訪れているが、2011年に初めて訪れた城も
複数存在している。

北から南へ順番に

宇都宮城(宇都宮)
千葉城(千葉)
春日山城(上越)
高田城(上越高田)
清洲城(清洲)
大垣城(大垣)
小倉城(小倉)
長浜城(長浜)
広島城(広島)
中津城(中津)

となる。

なかなか行く機会がないような城もあるだろう。

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こちらは暑い盛りの清洲城。
因縁の名古屋市街地からほど近い。
織田信長ゆかりの城である。

"清洲越し"で知られている。

鉄道と絡んだのも2011年の傾向だった。
とりわけ、やはり九州。
九州新幹線を筆頭に九州内は観光特急が多い。

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こちらは群馬県。碓氷峠に近い場所。

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かつての鉄道橋梁。国重要文化財の碓氷第三橋梁。
通称:めがね橋。


*****


大長編でのYear In Review -旅-も終わりが近づいた。

常に我々は、旅で学ぶ。
旅はまた、学び舎でもあるのだ。

最後に。

昨年訪れて未公開写真から、栃木県は足利市から
ニッポン最古の学校<足利学校>。

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*****


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旅は、出逢いではない。

冒頭記載の通り、コンフュージョンである。


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2011年12月04日

潜入捜査


今週もケイバタイムスから出張掲載。
写真は変えてあり、より多く掲載した。

ダモシ自ら、
やはり団体行動・団体ツアーは不向きであることを
あらためて感じた夜。


*****


今週の、と或る晩。

某県の某所へいつものように単独捜査に出かけた刑事ダモ。
それは官の人間に化けて民間のバス・ツアーに潜り込む
潜入捜査だった。

官の人間とは対極にいるようなポスチャーをした刑事ダモ。
いかに化けるかだが、
ある意味で見映えからして不可能。
ならば開き直れ、と。

捜査本部の面々は口々に、

『くれぐれも怒り出さないでくださいよ』
『見映えからして絶対に官の人間には見えませんから・・・』
と言い合い、笑って刑事ダモを送り出した。

『何を言いやがる。俺様は何にでも化けられる仮面貴族だ。
 千の顔を持つ男だぞ』と強がるものの、

そもそも刑事ダモには
最も苦手としている部類の<バス・ツアー>自体が大きな懸念材料
として眼前に提示されていたのだった。


*****


記載のように、化けて、観光バスによる団体旅行
すなわち<バス・ツアー>に参加してきた。
否、参加せざるを得なかった。

事情がなければ絶対に"そんなもの"には参加しない。
というか、ある意味で生まれて初めてのことだ。
修学旅行を除けば。

そして実際、修学旅行以来だろう。
"そういう観光バス"に団体で乗って皆で同じところへ行くのは。

なにしろ海外であろうがどこであろうが単独だ。昔から。
そもそも小学校六年生で既に後楽園ホールに
一人でプロレスを観に行っている。

団体行動、団体旅行が大嫌いなのである。

特に"個人旅行"で海外に行っていた頃は、
海外の観光地で出逢う旗ふりのもとゾロゾロ歩く
日本人団体旅行客は<揶揄>の格好の餌食としていた。

<アホどもが、ゾロゾロいるぞ>と。

海外在住時も、NY五番街でゾロゾロ群れを成して歩く
日本人団体観光客を嘲笑し、
NYシャネル店内でゾロゾロ来て日本語で店員にまくしたてる
これもまた日本人団体男同士を叱ったりもしたし、
ヤンキー・スタジアムで"午後の紅茶"をこぼして
破廉恥なまでにウキウキ騒ぐ日本人団体観光客に
片っ端から上段蹴りを放ちそうになり我慢するのに
大変だったくらい、忌み嫌っている。

とにかく、基本、男同士がゾロゾロ群れを成して歩く
という所作自体を、認めていない。
小学生時代から、そうだ。

だから今も普通にオフィス街でランチ時になったら
芸のなさ全開で皆でゾロゾロとポケットに手を突っ込みながら
群れを成してどこかへランチを食べにいく貧相な肉体の
サラリーマンを見ると虫酸が走るのだ。

<赤信号、一人で渡らんかい!>と。

で、やんごとなき事情があり参加せざるを得なかった
バス・ツアー。

事前の想定通り、気持ちの悪いアベックや
流行の"元気なシニア軍"や、
やっぱりいた女同士、男同士の不可思議なタッグに、
これまたやっぱり昨今どこにでも出没する
"意味不明&年齢不詳(でも若くない)なアベック"らが
大挙バスに乗り込んでいた。

隠密に最後尾の二席を単独使用で刑事ダモ用に
空けてもらっていた。

最後にバスに乗り込んで前から両サイドに座るボンクラどもを
一人一人確認しながら、最後尾へ着くのだが、
当然、皆々様の視線が集まる。

その顔には
(このツアーには参加しそうもない人だけど・・・)
(しかも一人だし。ともだちいないのかな・・・)
と書かれてある。


*****


ツアーは各所を回るのだが、当然、団体行動だ。
ルールがある。

その最たるものが集合時間だ。

一箇所下りるたびに
<20分程度>の猶予があってその時間だけ急いで観る。
で、決められた集合時間にバスに戻る。

このスタイルが、

『旅』において確固たる己のスタイルを持っている
刑事ダモにはどうにも許し難いのである。

決められた時間内に観て感じ入ることを強要されるのは
まったく相容れることができない。

刑事ダモの場合、徹底的に己の足で稼ぐ捜査だ。
そしてここだと感じたら
その瞬間が<間>(ま)である。

その<間>からじりじりと寄っていく。心を寄せていく。
そして踏み込むぎりぎりの境界線、すなわち<間境>(まざかい)を
いつ超えるか、あるいは超えて良いのか、
超えようとしたその瞬間にやられるのではないか
などなどを繊細に感じとり対象に迫ってゆく。

それが刑事ダモ流である。

まるで武道、格闘技のようだが、
絵にしても写真にしても、それは同様なのである。

間境における己の所作。

ここが鍵になる。

対象と気を合わせる、といっても良い。

そういうことは、決められた時間内で、
皆と同じ行動範囲ではまずもって不可能であり、
まったく納得もいかなければ、満足もし得ないのである。

ただただ、フラストレーションを蓄積させるだけ。

自然と、無意識のうちに、
他の人々とは一人だけ違う行動形態をとることになる。

その所作はすなわち、

<誰よりも速いペースで先頭に己を置くか>

あるいは

<あえて一番最後に己を置くか>

である。

大逃亡劇をするか、最後方に隠れていて最後に一気に出るか。

その中間は存在しない。まったく、あり得ないのだ。
自然にそうなる。

バスは最後尾。全体を俯瞰して座る。
下りていく際の所作も最後尾につけている。

が、突然スパートして一気に全員抜き去り、
ダントツの先頭でバスに戻ってくる。

この形態に収まった。
それをすることで己自身を保つことができ、
大いなるフラストレーションの中でも発狂せずに済んだわけだ。

<オレの色は出したぜ>と。

捜査がはかどったか否かは、不明だが、
ポイントは押さえた。

以下、数点。

すべて、じぶんじかんで撮っていない。
時間を区切られ、且つ大勢がいて
なかなか良いポジションもとれない中でのものである。


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*****


トランセンドvs.エスポワールシチーの二強対決。

これが明日のジャパンカップ・ダートの
一般的に提示されている構図である。

一般的なフェイヴァリットはトランセンド。
アンダードッグがエスポワールシチー。

エスポワールシチーの戦法は、<逃げ>。

だが、トウショウフリークという
よけいな<逃げ>馬が存在する。
フェイヴァリットxアンダードッグにも入り得ないレベルの
トウショウフリークのことだから
大逃げを打つと見て良いだろう。

だが、外枠15番だ。

そしてフェイヴァリットのトランセンドは大外枠の16番。

3枠6番を引き当てたことで
今回はエスポワールシチーがうまく事を運び
勝ち切る気がする。

どうせ勝てないからスタート直後だけ先頭に立って
"目立とう"と考える中学生の校内マラソン大会のコドモのノリで
トウショウフリークはかっ飛ばすだろう。
どうせ、持たない。

トウショウフリークの"目立ちたいため"だけの逃げに
惑わされずに、あわよくば自分のペースで
団体行動を避けて走って頂きたいぞエスポワールシチーを
本命◎とする。

重賞レースで二着5回と常に優等生で頑張っている
団体行動向きの馬だが勝てないだろう
ダノンカモンを二番手の〇。

武豊が"ちょっと"フローに入ってきた感があり
何かしでかす可能性を否定できない
ラヴェリータを▲。

ラヴェリータと牝馬二頭のワンツーがあっても
まったく不思議ではない
モメンタム最高潮のミラクルレジェンドと、

叩き二戦目で上積み期待のワンダーアキュートを△

最後の注は、自力とモメンタム上位のヤマニンキングリー。

大本命トランセンド。

ヴィクトワールピサのジャパンカップでの惨敗を見ると、
同じドバイWCで二着したトランセンドが
この秋既に二戦しているのが不思議だ。
それだけタフなのだろうが、どうだろうか?

ここが二戦目なら迷わずピックアップだが、
目に見えない疲労の蓄積が明日出ないとは限らない。
そうだとすれば着外も大いにあり得よう。

むろん圧勝も普通にあるだろうが、
ここは着外に沈む方をとり無印。


◎エスポワールシチー
〇ダノンカモン
▲ラヴェリータ
△ミラクルレジャンド
△ワンダーアキュート
注ヤマニンキングリー



posted by damoshi at 02:05| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

多すぎる人



なぜこのエリアのこのホテルに、
こんなにも多くの宿泊客がいるのか。

昨晩、そういった違和感を刑事ダモは抱えていた。

ほとんど、というか、すべてが男性客。20代から50代。

その疑問は早朝、解決した。

6時台に早起きし、早速、食堂へ。
ちょっとこの金額ではなかなかない廉価な宿泊代に
朝食までついていて、しかもご飯お代わり自由という高待遇のホテル。

むろんエリアがエリアだから、
リッツ・カールトンなんぞあるわけもない。

だが、ある意味で離島以外、すべてのエリアにあるのでは?
と思える東急インやルートインはここにもあった。
逗留したホテルはそれらチェーンではなく、
たいていローカルに逗留する際に選ぶのは
地元系のホテルだ。

既に早朝から食堂は超満員。
賑わっている。
皆様、朝からテンションが高い。

見れば、すべてが工事の作業服を着ていた。

分かった。

このホテルは、飯場だったのだ。

飯場で朝食を食べながら、
この後すぐに始まる工事作業の前に
英気を養っている人々の中に

スーツ姿の怖面刑事ダモが現れたものだから、
一堂、一瞬にして静まり返り、
視線を集める。

その視線は、どこか、なにか警戒したものだった。

ゼネコンの人間が、孫請けの現場まで密偵で来たのか、と。
あるいは工事現場に刑事が捜査に来たのか、と。
そんな眼差しをもって、一気に静まり返ってしまった。

そんな中、しっかりご飯をお代わりして
早朝捜査へ町を歩き回るべく
さっさと食べ終わり、食堂を後にした。

言ってしまえば申し訳ないが、
だから"こんな土地のこんなホテルが"
客がいっぱい、いたのだな、と合点したわけである。

ダモシの場合、
<こんなところに人は多くいないだろう>という
期待を常に抱く。ローカルに出ると。

が、ほとんどその期待は裏切られる。

<なぜ、こんなに人が多いのか>と。

<なぜ、いるのだ>と。

だが、よくよく考えればここはニッポンだ。
アメリカではない。
狭い狭いニッポンだ。

狭い国。どこにでも人はいるということだ。


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午前七時、中津。
東から昇った陽が建物を濃く照らし始める頃合い。

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ローカルチックな
期待通りのポスチャーを見せてくれた映画館。

その前に屹立するのは、天下の福沢諭吉である。

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ここは諭吉のリアル・ホーム。中津駅を毎日、見ている。


*****


市内を一時間ほど散策すれば、主な史跡をめぐることができる。

ここは生の感覚として、己が脚で歩くこと。
すべての旅、捜査の基本。
これを行うことで、どのローカルでも<なるほど>という部分を
掘り出すことができる。


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諭吉は生まれ落ちたのは大阪だが、
三つ子の魂を育んだのは地元の中津である。
一歳数ヶ月で中津藩に帰ったからだ。

諭吉の旧居は中津に燦然と輝く。

慶應ボーイ諸兄も是非来るべきでは?
と、大きなお世話だが、思う。

まあ、せっかくローカルから三田に出てきたのだ。
都内での遊びに忙しく、わざわざ中津まで来るヒマもないだろう。

諭吉旧居から中津川方面へ歩けば、中津城。
日本三大水城である。

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東陽を浴びる。

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中津城。これは、なかなかである。

諭吉旧居と中津城。
中津の観光コンテンツのエースと四番。

今年は桜も紫陽花も紅葉もまともに見る機会を
持つことができなかった。

捜査がたてこんでいるからだ。

住んでいる土地では見ることはできなかったが、
捜査先のローカルで一瞬、愛でる機会を持つ。
それが今年だ。

きっと東京ではもう紅葉は見ないだろう。

今年の紅葉は、銀杏ももみじも九州は大分の中津で見た。

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*****


刑事ダモは張り込んでいるつもりだったが、
相手にしっかり撮られていた。

常に単独捜査だ。いつ狙われてもおかしくはない。

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今や神父もヘッドバットをして逮捕される時代だ。
教会とて決して油断はならない。

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地道に脚で稼ぐ捜査が基本だ。
ローカルには、事件解決のヒントとなるVOWが多々ある。

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ギャル、だ。有無を言わせぬ、"ギャル"だ。

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財政破綻のギリシャのアテネは、
"確かな技術"と"豊かな感覚"がウリだ。

なるほど。

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そして最も賑わうはずの商店街は、
昨晩同様に
刑事ダモの捜査協力を拒むかのようにシャッターを閉め切っていた。

まさに真冬。横浜の1.5倍寒い中津。
白い息を吐き、手はかじかんだ刑事ダモは、
今回の捜査を打ち止めて、本部に戻る時間が来たことを悟った。


*****


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中津からソニックに乗り、小倉へ。

このソニックが、実は当初乗る予定だった便が満席で
チケットがとれなかった。

それは7時台。ワイフに購入を頼んでいたのだが、
その後もまったく満席という人気。
10時のそれにようやく空きがあったほどだ。

そもそも論だが、
ほとほとなぜこんなに人が多いのかという疑問がある。

なぜこんなに、ただの列車が満席になるのか、と。

前日の九州内の新幹線も同様。

一つには、皆、<博多へ出る>のだ。

九州の長崎、佐賀、熊本、そして大分。
この県民は博多へ出るのだ。遊びに出るのだ。

土曜日だ。朝一番から特急列車に乗って博多へ出る。

おそらく共通言語として
<博多に行ってくるけん>という世界だろう。

それはおそらく北海道の札幌以外の人々が、
<札幌に行くべ>というのに近いだろう。

東京首都圏の人は、
<東京に行ってくる>とは言わない。

埼玉の人も千葉の人も神奈川の人も
<東京に行ってくる>とは言わない。

この違いは、一つには首都・東京とその周辺における
世界観と、ローカルの相違なのだろう。

で、とてつもなくヴァリューがあるのだ。

"博多へ行ってくるけん"と"札幌へ行くべ"は
とてつもなくヴァリューがあるのだ。

きっと。

そんな熱気が充満しているのだ。車内が。

(はぁ・・・。隣、いたかぁ・・・)とため息をつく。

中津で乗り込んだら、
いかにも九州女な、きっと大分や柳ケ浦、宇佐あたりから
乗り込んできて博多へ遊びに出かけるのだろう女子が座っていた。

もちろんその女子もイヤだったことだろう。
隣にこんな刑事ダモのような男が来たのだから。

微妙な、互いに、心の中で
<(隣に)来やがった>
<(隣に)いやがった>と文句を言いつつ、
互いの存在を無視することに決めるのだ。

即座に。

その背景には、一人で静かに過ごしたい
この車中の時間を阻害されることに対する抵抗がある。

だからこそ、
<隣はいないこと>にしてやり過ごすのだ。

隣に他人がいることを認めない。一切、認めない。
いるのに、いないことにする。
一つの、方法論だ。

(心配すんな。俺は小倉で降りるから。
 その後、博多まで一人でのんびりすればいいだろ?)

と。

が、性格の悪い刑事ダモは続けて思う。

(が、小倉で俺の代わりに誰かが
 この席に乗ってくるぜ、いっひっひ)と。


で、小倉に着くわけだが、
前回の大阪乗り換えできなかった事件同様、
何だかこう、JRの切符窓口の罠なのか知らぬが、
あまりにも乗り換え時間がギリギリすぎるのだ。

もともと小倉で新幹線に乗り換えるための時間が
9分しかなかったのだが、
このソニックが中津に到着した時点で3分遅延していた。

だから6分の乗り換え時間しかない。

ため息が、また出る。

苦行かよ、と。ワザと、か? と。

刑事ダモは走る。
そして、<急いでくれ>と声がけして、
スポーツ新聞と駅弁を買う。

それも新たに抱えて、新幹線に乗り込むのだった。

だが、これがまた最悪レベルの大盛況。
自由席なんぞ、もはやお盆か年末年始と思えるほど
大興奮状態の皆々様で超満員である。

<一体、この人の多さは何なのだ!>と。

<皆々様、どこへ往くのだ!>と。

己が指定席へ歩を進めると、
最悪なことに
昨晩記載した、例の、

<意味不明&年齢不詳なアベック>が三人掛けの
通路側と真ん中に鎮座ましましていた。

(げっ・・・。よりによってからにぃ・・・)。

致し方なく

<すみません>と述べて、己が窓際に着席。

あちらもこちらも、やはり微妙な違和感と空気感が漂い、
普通に気まずいアトモスフィアが
形成されたことは言うまでもない。

スタートの博多から乗っていただろう
このアベックはきっと、おそらく、
否、間違いなく、

<窓際、誰も来ないといいね♡>

<来ないようお祈りしようよ☆>

などと言い合いながら、
密に手を握り合ったり、
気持ち悪い眼差しで見つめ合ったりしていたはずだ。

だがその祈りは虚しく最初の停車駅である小倉で、
いきなり崩れた。

しかも乗ってきたのが、最も招かざるタイプの
刑事ダモであった。

(俺もイヤだが、ざまあみろ。そんなにうまくはいかないよ?)

と刑事ダモは世界一レベルの性格の悪さを見せる。

で、彼らは新横浜でも降りなかったから、
品川か最後の東京まで行ったのだろうが、
それこそ何者だよ、という世界である。

<意味不明&年齢不詳(でも若くはない)なアベック>は
博多から新幹線に乗ってなぜ東京まで行くのか。
何の用なのか。
往路なのか、復路なのか。

お土産をたくさん持っていなかったから、往路だろう。
博多から東京に遊びに行ったのか、
あるいは何か冠婚葬祭か。

いずれにせよ、
<飛行機で行けよ、飛行機で!>と、
刑事ダモは自分のことはタナにあげて
思うのだった。

このアベック。気味悪いのだが、
刑事ダモが乗り込んでからの五時間強、
ほとんど会話をしなかった。

否、刑事ダモが目を覚ましている間は、
まったく会話がなかった。

おそらく、巨大なイビキをかいて眠っていただろう刑事ダモ。

眠っている間だけ
彼らは自分らの時間をおおいに満喫したか、
あるいは
暴言を吐いていたかもしれぬ。

<まったくうるさいイビキだね♡>

<ほんと、邪魔。せっかくの二人だけの時間が・・・>

などと言い合いながら。


旅は一期一会などというが、一期一会もくそもない。

これらのキャストは、特に出逢う必要もない面々だ。

それは彼らも同様にそう思っているはずだ。

今や新幹線も飛行機も、
隣がいるかいないかは、これも運となる。



*****



いつものごとく単独捜査のローカルの旅。

おおいなる孤独に包まれていたが、
帰宅すると
アントニオがカワイイ顔で飛びついてきた。

そして

<ダディ、あそぼぅ!>と。

家族はいいな、といつも改めて実感する瞬間である。

毎度、ホテルで朝目覚めずに客死するのではないか。
そんな恐怖を覚える齢になった。

戦場ではないが、
そういった意味では今回もまた
生きて帰ってこられたのは何よりである。

が、毎度そうなのだが、

新幹線での東京首都圏から九州圏への一気移動は、
かなり肉体的ダメージを受けるものである。

遊びなら、別だが。

隣がいないなら、それも軽減されるが。

隣がキム・ノヴァクだったら、どうだろうか・・・。


しかし、それにしても、
ニッポンがやはり狭すぎるのか、
あるいは人が多すぎるのか。

どちらなのかといえば、やはり狭すぎるのだろう。

もっと実働面積を増やすかして、

他人が邪魔に感じないレベルに広げる方が良い。

米の列車のように<広大に>するべきではないか?

あまりにも、
すべての面積が狭すぎるのだ、ニッポンは。




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2011年11月25日

諭吉のホーム



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中津だ。やはり、寂しい。

新幹線で新横浜〜熊本。
新横浜はオールモースト品川、東京。始発点と変わりない。
九州路線はあともう少し走れば鹿児島で完遂。

まずその路線。新横浜の時点で既に大混雑。
朝もはよから皆々様どこへ行くのか、じゃまくさいぞ、と。
大渋滞、大混雑、大行列ヘイターのダモシのこと。
駅のホームに指定席に乗るくせに
律儀に並ぶ日本人を見て虫酸が走るのは致し方ない。

そして、<なぜ、こんなに人が多いのか>と。

自分だけでいいよ、と。

だが、チケット購入をしておいてくれた
ワイフの好意か、
ダモシの隣だけずっと空いている。
名古屋でも京都でも、
<さすがに新大阪からは誰か乗ってくるだろう>
と思っていても誰も乗ってこない。

その間、ダモシも密に願っている。

名古屋、京都、新大阪に停車する度に、
<さあ、皆、降りてくれ。一人にしてくれ>と。

が、何なのか分からぬが、降りないのだ。皆々様。

<まさか、俺と一緒に博多まで行くのか?>と。

そんな不遜な態度で乗り続けていると、分かった。

九州まで一気に行く新幹線で、
多くの人が降りるのは、岡山と広島なのか、と。

一気に岡山と広島で降りたのだ。

客はサラリーマンだけではなく、
<一体、何者よ、この二人は>と感じてしまう
意味不明&年齢不詳なアベック
(最近コレが多いのです、実は)も、
今や世界一元気なニッポンのシニア軍団らも、
一気に降りた。

なぜ岡山で?なぜ広島で? と、これもまた不思議。

新大阪まで出張のサラリーマンは、
新大阪行きの東海道新幹線に乗るのだろう。きっと。

◆意味不明&年齢不詳(決して若くはない)なアベック

は近年各所で見られる趨勢だが、
コレがこういった列車に乗っていたりすると
年齢相応のポスチャー的落ち着きは装うものの
ウキウキを隠せず、妙にオンナは甘えたり、
オトコもオトコで妙にへなちょこだったりして、
〜共にクリエイター気取り的な〜

ドツキきたくなるのだ。

<気持ち悪いぞ、お前ら>と。

<ヘナヘナするな>と。

逆に近年、
通常のシティ内の電車の駅構内や電車内で昔よく見られた
若いブス&ブ男のアベックのいちゃいちゃが消えた。

同時に近年は、昔のいわゆるDINKS若夫婦が
朝っぱらから手をつないで出勤のため
最寄駅へスキップ的に歩いていくアホンダラな所作も減った。

これらが減少したのには何か理由があるのだろう。

お前ら今のこのご時世でそんなことしてるヒマないだろ、と。
そういうアトモスフィアが
アグリーなバカップル&不規則なアベックを消滅へと
追いやったとも一つには考えられるのだが、

一方で、厳然と最近の趨勢として、
意味不明&年齢不詳(若くはない)のアベックの
気持ち悪いポスチャーが、特に列車内で見られる。

たいてい、そういうアベックのオトコの方は、
自動車の運転が出来ない(免許を持っていない)世界だ。
当然、運動も出来ない。

オンナもふだんはオトコの上に積極的にまたがって
リードしているのだが、
旅を装った旅行に出かけて列車内で二人並んで座れば
カワイイオンナをたまには演じたくなるのか、
気持ち悪い猫なで声を出したりする。

で、二人でガイドブックを見て、ハシャぐのだ。

で、前にダモシのようなのが座っていて、
喫煙を終えて戻ってきて
己が座席に座る寸前に、ギラッと一瞥すると、
ビクッとして、二人とも会話を止めるのだ。

一瞥して二人の顔と肉体ポスチャーを確認したダモシは、
ひとり心の中で呟くのだ。

<やはりブ〇とブオトコだったか・・・。
 あぁ、気持ち悪い。喋るな、黙ってろ>

と。

で、そういうのに限って、いつまでも乗り続けている。

博多まで行く。
定番だ。
九州新幹線が出来た。
関東圏から新幹線で博多まで二人で公共的疑似個室空間で
非日常を感じよう、と目論んだバカップル。

ダモシがいなければ完璧だったことだろう。
もっと、ハシャげただろう。
あわよくばセックスもできたやもしれぬ。

まあ待て、と。ホテルまで我慢しろよ、と。
すまんが、こちとら仕事だからさ。
ちょっとピリピリしてるし、怒らせるなよ?と。

いずれにせよ最近は、そういった
何をして食っているのか、日銭は何で稼いでいるのかが
まったく不明な、存在自体も意味不明な、年齢不詳の
アベックが多いのは、実情であるが、
そんな者は放っておいて、
今年も複数回上陸している博多で乗り換えた。

その直前、見回りにきた車掌に聞いた。

<これ、博多で、さくらに乗り換えるのですが、
 乗り換え時間が五分しかないですね。
 ホームはどこですか?十分間に合うのか、
 急がなければならないのか>

と。

今年の新大阪乗り換えトラブルの悪夢を想定し、
事前に聞いたのだ。

すると
<時間があまりないですね>と車掌。

<いやいや。前回もそうでしたが、なら売らないで欲しいのですよ>
とやや怒るダモシ。

<しかしながら、乗り換えぎりぎり許容範囲です。
 ホームは15番に着きます。さくらは11番です。
 少々急いで頂けると助かります>と車掌。

急ぐレベルは、えべっさんの福男選び競走レベルなのか
あるいは点滅している青信号を渡るレベルかを再び問う。

意味不明な問いと思ったのか
車掌はそれに答えず、ただ、言った。

<あまり急がれて怪我をされるといけませんので>。

ダモシのQも意味不明だが、車掌のAも意味不明だ。

そもそも会話が成り立っていない気がする。

そして、
そもそもやはりこの
新横浜〜九州間を新幹線で移動するのは
心身ともダメージを与えるのか。

気づけばダモシの耳は、国際線のエアラインに乗って
成田に戻ってきた際のような
耳塞がり状態になっていた。

あれ?耳が聞こえにくいぞ? と。

こんなことでは、リニア新幹線なんぞ、
一般の民衆は耐えられるのか?
エコノミー症候群では済まない世界のダメージを
負うのではないか?

などと考えつつも、

<そうか、急ぐのね?とにかく>と言うと、

車掌は

<ええ。で、乗り換えるために移動する階段は、
 12号車の出口から降りられるとすぐです>

と、16号車にいるダモシに、
今のうちから12号車に移動しておけと指示した。

<はい、分かりました>と
ダモシは荷物を抱えて12号車に移動すると
客は三人しかいなかった。



*****


そして、"案外"乗り心地が良くない<さくら>に乗り換え、
熊本へ。

これも超満員だが、不思議なことに
なぜかダモシの隣だけ不在。

よっぽどダモシは"子供"以外には嫌われているようだ。

トータル5時間半の往路パート.1は終わった。

熊本駅も新しくなっていた・・・。


112511a.jpg

112511b.jpg

熊本城周辺で捜査と捜査会議を終えたダモシは、
タクシーで熊本駅にとんぼ返り。

すぐさま
また<さくら>に乗って今度は小倉へ。

今年、逗留した小倉だ。

112511c.jpg

ここまでの道のりも超満員。
ここでようやく隣が現れた。

(くそっ。隣、来やがった・・・)と舌打ちする。

(どうせなら、エバ・マリー・セイントのような美女なら・・・。
 ジジイかよぉ・・・)と嘆く。

いよいよ今日のファイナル・デスティネーションの大分県中津市へ、
特急ソニックに乗り込めば、
これもほとほと皆々様どこへ往くのか?と
不思議でしょうがないほどの超満員。

想像はしていたが、寂しい町・中津に着いた。


112511e.jpg

もの凄い駅舎にかかる駅名看板だ。
なにもここまで駅名を掲げることはないのでは?と思うが、
それもそれでどうこう、ない。

すぐにホテルへ行って荷物を置いて
捜査へ。

捜査会議を終えて、ひとり中津名物の唐揚げの聞き込み。

カウンターだけの寿司屋のような佇まいの店の前に
一人のエプロンをかけたシニア女性。

<こちらは、唐揚げを食べさせてくれますか?>と聞けば
<はい>と答える婦人。

<そうですか。では唐揚げを食べさせてください>と言い
刑事ダモは暖簾をくぐり、
地元民の怪訝そうな顔に包まれながら
カウンターの最奥に進んで着席し、

<中ナマね。あと、唐揚げね>と
いかにも九州男児なスポーツ刈りのシニア店主に言った。

店のテレビからは不毛なニュースが流れてきた。

<神父が店主に頭突きして逮捕>。

九州男児らしくスポーツ刈りに強面で
ダモシの注文に都度
<はいよ>と渋く答えて、口数少ない店主だったが、

このニュースが流れた瞬間、吹き出して笑った。
その吹き出し方が愉快で、
ダモシも「ぷっ」と吹き出した。

吹き出したといえば、その店主、
調理をまったくしない。
ダモシがオーダーするごとに
<おでんね!>
<厚焼玉子ね!>と
ダモシが店先で逢った女性(おそらく妻)に言うだけで
自分は何もしない。

これもまた不思議な光景だった。

刑事ダモは毎回、ローカルに行く度、
それぞれのローカルが提示する不思議に笑わされ、
捜査どころではなくなってしまい

一向に事件解決しないのでは?

と思えなくもないが、やるべきことはやっているから、
あとはフローで、結果は任せようといったところだろう。


疲れましたよ、今宵も。

刑事ダモは、もう横になります。

明日は10時の列車だ。
市内をまだ多く歩いていない。

明朝早起きして、

ここ福沢諭吉のホームを、早朝歩いてみたい。




posted by damoshi at 23:47| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

肥後・豊後



眠くて眠くて疲れたので、もう寝ますよ。
今朝は4AMに就寝。
"普通に"デイタイムはオフィシャル事案を済ませ、夜は道場。

空手も、三週間後の今シーズン最終戦へ余念がない。
ひとつ言えることは、確実に今、アントニオは強くなっている。
昨年末の大阪ナイトメアを受けて改造。
さらに今シーズンの不遇を受けて怒りの改造中。

その進化を今シーズン最終戦でぶつけるべく、である。

ダモシもダモシで自身が企画して産み落とした商品の
シリーズ最新作の制作中。

そもそも冬と寒さが苦手なダモシは本来であれば
冬眠に入る頃ゆえ、忌憚なく、ヘトヘト。

だが、早朝から肥後・豊後の旅である。

novtabi.jpg

見てくれ、この膨大な列車の切符を。

今年度々訪れている、これも流行をきちんと追っている
〜九州新幹線開業イヤーに頻繁にそれに乗る〜を継続遂行。

春以来の度々の九州上陸の一連のストーリーの、
捜査が最終局面に入っているということで
また飛ぶ、否、乗っていくわけである。

<九州行き>はもはや飛行機は選ばない。
そうなった。今年から。
九州に飛行機で行きたくない。

だが新幹線での新横浜〜博多はかなり疲弊すると
以前も書いた通り、相当な疲弊を見る。

それでもやめられない。九州へ行くなら新幹線だ。

明日のデスティネーションは、肥後<熊本>。
ニッポン復帰後、ここもまた複数回行っている
ウルトラの父のホームである。

熊本でオフィシャル事案のミーティングを終えたら、
休む間もなく、博多方面へ戻り、博多を通過して
小倉まで戻る。

そのまま戻れば早いが、そこからまた九州内へ逆戻り。

ファイナル・デスティネーションは、何と大分県。

ぬり絵の旅の未踏の地である豊後の国・大分に遂に初上陸。
しかも、だ。

新潟の直江津、北九州の小倉その他、
今年は<なぜ自分はこんなところの逗留しているのか>
とホテルの一室で疑問を覚えるケース=エリアが多いが、

今回も極めつけ、大分県の中津市が
ファイナル・デスティネーションで逗留地である。

夜、当地でまた打合せ。
そのまま逗留して翌土曜日に中津〜小倉〜新横浜という
行程でまた新幹線で戻ってくる、と。

"普通"、プライベートはもとより
ビジネストリップでさえ、なかなか行かないだろう中津。
誤解しないで頂きたい。博多の中洲ではない。大分の中津である。

そんな、なかなか行かないだろう地へ行くことの楽しみはある。

むろんオフィシャル事案ゆえ楽なことはないが、
それでもやはり未踏の地に行くことと、
良い意味での"そんなところに"行くことができることは、
喜んでしかるべきだろう。

6時半前に自宅を出て最初のデスティネーション熊本着は13時。
何とまあ、七時間半の旅である。

まあしかしこんなもの、あなた。

アメリカでは当たり前ですよ。
"別に"なんてことない。

飛行機で時間短縮なんぞ、楽しちゃあ、いかん。

列車で辛抱して行くことで得るものがあり、
また逆にこれが合理的な面もあるのだ。


NY時代に始まったダモログにおいては、
そもそもニッポン復帰後、当時では想像もできなかった
土地から寄稿をしているが、

今回もまたそうなる。

三年前までは当然、このダモログに
大分県の中津市から寄稿することになるとは

想像することは不可能だったのである。




posted by damoshi at 00:11| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月22日

距離感


東名なら、西は大阪までイメージすることができる。
御殿場、清水、浜松、名古屋を通るごと、
戻るべき場所との距離感をイメージできるのだ。

<あと〇時間くらいだな>と。

東北道も最果ての青森までイメージできる。
上信越道も藤岡や軽井沢はもとより、長野、そして終着の新潟上越まで。
中央フリーウェイでいえばかつて知ったる甲府を手始めに、
諏訪湖、松本まで。途中で分離して名古屋までの距離感もイメージできる。

何度も走ることで、それは可能になる。

東海道新幹線で、<三河安城を定刻通りに過ぎました>アナウンスが
車内で流れる時に得られる安心感に近いものがある。

広島までだと遠いなぁ・・・と感じる東海道新幹線は、
東京〜名古屋間の、その<三河安城を定刻通りに過ぎました>が
既視感ならぬ安心感をもたらす。

むろん、今では既に新横浜〜博多という新幹線にしては長距離をも
乗っているが。

未踏エリアを走る時、安心感が得られないのは、
<距離感>をイメージすることができないからだ。

常磐自動車道。

東京を起点に、終点は仙台とする高速道路だが、
東京から仙台へ向かう際には"普通"、使わない。
"普通"は東北自動車道を使う。

だから<東京から仙台まで>という高速道路という概念はなく、
やはり"常磐"だから茨城をメインストリームとする。
土浦や水戸、東海に日立だ。
それらを過ぎれば福島県のいわき市、さらに進んで相馬。
そして宮城県の亘理へつながってゆく。
大震災でダメージを受けたエリアが多い。

南相馬へ向かった際、常磐道は通行止めになっていたから、
東北道で二本松まで進んでから延々と山間を縫っていった。
仮に通行止めになっていなかったら常磐道を用いていた可能性はある。

だが、常磐道を用いる相対的に最大理由として存在している中での
メインのデスティネーションは<茨城県>だろう。

茨城県をメインストリームとしているのが常磐道といって
差し支えないだろう。

刑事ダモは、自身未踏の常磐道を走り、未踏エリアへ足を踏み入れた。

往路は下りるインターチェンジが分かっていて
そこまで<あと〇〇km>という表示が時々出るから
それをもってして距離感を計ることができるのだが、
問題は復路だ。

疲れている。睡魔が襲いかかっている。
空も一転、ダークスカイに装いをかえている。
早く帰りたいという気持ちもある。

だが、安心感につながる<距離感>がまったくイメージできないのだ。

常磐道。上りを走ってみる。

田野PA、水戸IC、友部JCT、岩間IC、石岡ICと次々に出てくる。

だが、それらがどこで何なのかがまったく分からない。
当然、<水戸>は誰もが知っているだろう。
だが具体的にどこにあって、水戸は東京や仙台とどれくらいの距離なのかは、
茨城県民であったり水戸市民、あるいは恒常的に常磐道を利用している人々
以外には分からないのではないか。

刑事ダモには、分からないのだ。

だからそれらのPAやICを経ても
<いま自分が東京との距離感で
 どのくらいの位置関係にいるのか>がまったくイメージできないのである。

それをイメージできないということは、

<あと五時間もあるのか・・・>や
<よし、もうすぐだ>という心の中の秤が作動しないことになり、

安心感や励みが一切ないということになり、
漫然とドライビングするという危険な様相を呈してくるのである。

それが睡魔が襲っている場合、よけいに厄介である。

<千代田石岡?だから、それ、どこよ>と。

つくばJCT、谷和原IC、守谷SA・・・。

いやいや、だから「つくば」の地名は知っているけれど、
距離感が分かりませんから!

と。

千葉に入って柏ICが登場した時点で、
何となく
<ん?近いかな?>と感じるものの、<流山IC>でまた、

ええ、ですから流山は地名は知っているし、
大学時代に仲の良かった女子が流山にキャンパスがある
大学に通っていたけれど、どこよ?距離感が分かりませんからね

ということになる。

ようやく東京外環と連動する三郷JCTに到達して、
<なんとなく・・・>的に、近いのかな?とは思うが、
ここからが長い。いよいよ延々と渋滞が始まり、
<魔の首都高あっち側>につかまってしまえば、
遠距離感しか、そこには生まれない。

<魔の首都高あっち側>とは、

六本木や渋谷、池尻、東京など東名と連動する
<山の手側>ではない<あっち側>である。

東北道で戻ってくる際も、一刻も早く抜け出して
さっさと中央環状線に入りたいと切望する
途中の<あっち側>である。

東京とは認められない側、だ。要するに。
ここがまあ酷い。事故渋滞も多ければ、
JCTが多いから、トラックはもとより不慣れな
地方からのドライバーが多く、車線変更等だけでも
渋滞を引き起こす劣悪構造である。

最新の中央環状線は、とりわけ、
<首都高のこっち側>の人々が
各地方へつらなる高速道路へ向かう際の救世主的存在で、
劇的に所要時間の合理化が果たされている点で
一定の評価をしているがしかし、

ここにも大きな問題がある。

意図的か?とさえ思える劣悪極まりない構造。

茨城からの帰路。ようやく中央環状線への分離まで辿り着くと、
数少ない中央環状線利用車たちが
これまでの鬱憤を晴らすかのように
<ダイアナ妃が事故死したトンネルのような>
中央環状線のカーチェイスに参画する。
ダモシも怒りの猛爆走。
そのうちここでダイアナ妃事故死のような事故を起こすだろう。
これは時間の問題だ。そういう構造に意図的になっている。

しかしながら<あっち側>から<山の手側>へ一気に走り抜ける
中央環状線のメリットは大きい。

一気に、新宿あたりも抜けて、さあ池尻で首都高本線に合流して
一気に東名まで行くぞ、と誰もが感じる最終局面で、
<ほぼ99.99%、止まる>。

大渋滞になる。

これが国の意図的とも思える稚拙な構造である。

毎度毎度、怒りに震え、<一体どういう頭で考えたのか!>と感じ、
車内で罵詈雑言を国に浴びせることになる。
<役人の阿呆が!あいつらは現場を知らんで頭だけで考えとるから、
 こうなるのじゃボケ!>と。

ボケカスクソとまあ酷い。

<ここの区間分の料金を払い戻さんかい!>と。

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片側二車線ある中央環状線。
当然、カーチェイスで右側車線を猛スピードで駆け抜けてゆく車たち。
バランス調整のために左車線はある。
時によけて、時に抜く。その繰り返しだが、皆、猛スピードだ。

で、たいてい<5km先渋滞注意>から警告がスタートし、
1kmごと、それは掲示される。

<またかよ>と。

最後のカーブに差し掛かる直前も直前、
まったくもって<突然>といっても良いレベルで一車線になる。
もともとの左車線側がイキて、カーブしていく。
だから右側車線(オレンジ)を猛スピードで走っていた車たちが
急停車して左車線(黄色)に入らなければならないのである。
そもそもその先も大渋滞しているから、
左側の黄色車線は塞がっている。
塞がって満員電車の中に右のオレンジ車線から一台一台入らなければならない。

しかしながら、この空間。
右車線の右側も、左車線の左側も、車が二台くらい余裕で入ることができる
不思議なスペースがある。

空間の無駄使い極まりない!

この黄色車線はやがて途中で右にもカーブして<渋谷方面>へ
流れていくのだが、
言っては何だがこの路線、渋谷方面へ行く為に利用している者は
皆無だ。

この中央環状線のルート構造において、
ここを利用して<渋谷>へ行く輩はまず考えられないのである。
なにをもってこういう構造にしているのか、と。
ほとほと役人どもには頭が下がる想いだ。
まずこの<渋谷方面>がムダ。

さあ、そしていよいよ首都高本線だ。
ここに入るまでにどれだけの無駄な時間をスペンドしているのか、と。
まさに牛歩の世界で
ようやく見えてきた首都高本線。

だが、ここがまた忌々しいのである。

東名へつながるこの首都高。
東京ICの頃には車線も米国並みになり分散するが、
東急田園都市線の世田谷ラインの頭上を走るため
ビル群の合間を縫って片側二車線のここは常に渋滞だ。

渋谷以東の霞ヶ関、飯倉、高樹町から渋谷、
そしてこの大橋JCT、池尻、三軒茶屋、用賀。
狭い狭い片側二車線を渋滞の中で走っている最中、
これまた狭い、そして助走区間がほとんどない
<入口から入ってくる車>でまたペースが落ちる。

最悪と言って良い。

もうこれ上りなんぞ、ウィークデイもウィークエンドも、
日曜の朝を除いて常に大渋滞であるぞ?
東京ICから延々と渋滞なのだから失笑を禁じ得ない路線である。

先週の空手の大会で代々木へ向かう際、
サタデーモーニングゆえ、早朝に関わらず大渋滞のサイン。
ダモシ軍は即座に判断してR-246で(高速を使わずに下で)
行くことを決めて実行。スイスイ気分良く45分で代々木競技場へ
到着したが、首都高を使っていたら開会式に間に合わなかったほど。

目的地が同じで、下(R-246)と上(首都高)で
どちらが速いかとなって、下の方が速いとなればもうそれは
<高速道路の意味>をまったく成していないことになる。

あまりにも酷いではないか、と。

とまれ大橋JCT。ここで首都高本線に合流するのだが、
とにかく中央環状線からのこの合流地点に
端を発する劣悪な構造には、毎度毎度、怒りが込み上げるところである。

<渋滞大混乱になるの、目に見えているだろうがぁ・・・>

と。

なぜこれが最初から分からないのか、と。

そんなこんなで、この日も刑事ダモは、
朝6時過ぎから夕方6時過ぎまで、
打合せ45分、取材60分、昼食20分、SAでの休憩30分以外は
トータル7時間強、ドライビングしていたわけであり、
這々の体でまたウィークエンドを迎えた今宵は、
先週同様"いっぱい"寝た。

何と23時には横になり、4時にいったん目が覚めたがすぐに眠り、
起床は9時。だからトータルで10時間睡眠と相成った。

明日は一日中、東京体育館で
全世界空手道選手権をアントニオと観戦であるから、
今宵はゆっくりと過ごしたいところである。

ケイバ・タイムスもまた、まとめなければならないが・・・。



*****


未踏の地、初上陸から。


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NHK朝の連続テレビ小説の
<おひさま><純情きらり>のロケ舞台になった学校。
あぁ・・・と、あのシーンが甦る。

特に<純情きらり>は格別に想い出がある。
ニューヨーク在住のラストイヤー。
最後だし、子供も喜ぶし、ということで
テレビ・ジャパンという現地の日本語チャンネルを申し込んだ。
多くがNHKの番組を終日流してくれていたのだが、
その年にやっていたのが<純情きらり>で、
生涯で最も熱心に観たNHK朝の連続テレビ小説だから、だ。

<おひさま>は時々ダイジェストでちらっと観た程度だが、
学校のシーンは覚えている。

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実際にこの学校は10年前まで使われていたという。
少子化の影響で全校児童が30数名に減ってしまったことで、
エリアごと二つの小学校に分散。
一時は取り壊しの動きもあったが、ドラマ等のロケ地としても
名高くなった今、もはや取り壊しはできないだろう。

こういった<昔の学校>は、行政も一体となって努力して残すべきだ。

日本人ならノスタルジーを覚える学び舎。

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山間へ往く。田圃の中の無料駐車場にダモフィーロを停め、
事件現場の検証へ向かった刑事ダモ。

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ひんやりとした空気が眠気を覚ます。
暗い長いトンネルを歩く。

山間部にある冷たい無機質なトンネルを進むと
やがてザァーザァーという音が遠くから聞こえてきた。
何かな?と思いながら歩を進めれば、
その音は爆音に化身し、なぜかトンネル内に霧状の水しぶきが。
霧吹きで水をかけられているように顔にそれが当たる。

向こうを見れば光が射している。出口か?
そう感じながらもさらに歩を進める。
右側に脱出口のような空間がある。
首を動かして、そこを見れば・・・


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日本三名瀑<袋田の滝>が姿を現した。

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<おぉ・・・>。
刑事ダモはしばし見入った。

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間もなく紅葉ピークを迎えることだろう。

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この滝はまだ、さらに下まで続いている。


滝はまた、距離感だ。

視覚、聴覚、嗅覚を夥しく刺激する要素と共に
<距離感>がその大きさの実感につながってくる。

吹割の滝、ナイアガラの滝も同様である。




posted by damoshi at 11:45| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

ディスカバー・ジャパン


負の遺産であることは言うまでもない。
だがダークサイドから目を背けないこともまた、
必要な営みであり、文化醸成になる。

ここを訪れたスエーデンの当時のパルメ首相の
<この地球上に、
 ヒロシマの名に無感覚でいることのできる人はいないでしょう>
が、すべてを語ろう。

ダモシ<ディスカバー・ジャパン>新たな第27代認定は、
原爆ドームと平和記念資料館を軸とする広島平和記念公園。

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米ワシントンD.C.のスミソニアンを思わせる
整備と区画の行き届いた公園空間。

恥ずかしながら、初めて訪れた。

広島へは、米在住時代の1999年に
ニューヨークから東京への逆輸入ビジネストリップの際、
オフィシャル事案が広島であったことから
東京〜広島間を新幹線で移動して訪れて一泊したことがある。

だがその時はホテルに入るとすぐに外出。
関係者との打合せから夜は会食。
それは朝まで続いたことから、主な観光ランドマークを歩く機会はなかった。

往時の広島市民球場も訪れていない。
安芸の宮島も訪れていない。
市内の最も賑わっているエリアで夜の会食〜宴席で歩いたのみ。

初訪問から12年ぶりの広島。
オフィシャル事案も兼ねての一泊。
合間を縫って最も観るべき訪れるべき〜MUST SEE〜な
平和記念公園へまずは向かった。

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JR広島駅近くのホテルに荷物を預け、
そこから路面電車"広電"に乗ること十数分。
繁華街の大通りを走ったそれは原爆ドーム駅に着く。

大通りのど真ん中にある電停で下り、
赤信号を待って横断歩道を渡る。
目の前にはもう原爆ドームがある。
すぐ近くには相生橋がある。

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相生橋から原爆ドームを望む。
目の前の大通りを広電が走り去ってゆく。
広島景のティピカルな構図の一つ。

この、T字になっていて目立つ相生橋が、原爆投下の照準だった。

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相生橋から原爆ドームを見る。
川を挟んで右側向こうへと平和記念公園が広がっている。

平和記念公園のエントランスは、原爆ドーム。

要するに、のっけから原爆ドームが登場するのだ。

一つのランドマーク的ファシリティとして考えた場合、
主役・四番打者・メインイベンターはたいてい
後に出てくる。

そのエリアのエントランスでいきなり主役が出て来るのが、
平和記念公園の一つの形だ。

しかし、この構造の理由を後で知る。

まずは原爆ドーム。
忌憚なく、驚いた。

机上の空論すなわち本やインターネット上で
誰もが目にしている原爆ドーム。

自身も同様。そして写真や映像で見ていることから、
より視認性と親和性、既視感が高い存在。
実際に行って現場で見たことがなくても
既視感が高いことから勝手にイメージを創り上げてしまう世界。

その事例としては、
米国であれば自由の女神やエンパイア・ステートビル。
旧ワールドトレード・センター、
ヤンキー・スタジアム、ブロードウェイ、ナイアガラの滝、
シカゴのシアーズ・タワーその他、多数。
時計台や凱旋門など諸外国のそれらも多数ある。

国内では、東京タワーを筆頭として金閣寺、
そしてこの原爆ドームが挙げられるだろう。

だが、それらはやはり実際に見てナンボである。
実際にその現場の空気感の中で己が目で見てナンボである。

一般的に、時計台が<三大がっかり>に挙げられるように、
例えば福井県の東尋坊などは
ダモシにとっては相当高いレベルでの<がっかり>であったが、
その反対もある。

想像していたものより、善くも悪くも<凄い>と。

東日本大震災後の仙台若林区、福島の南相馬・・・。
あれだけの状況と
誰もがテレビで目にしている光景という既視感
=事前イメージ、がありながらも、

ダモシをして、驚愕とショックを受けたほど、
映像との劇的な差異が、生で見ることであったわけだ。

百聞は一見にしかず、というのは、
ほぼパーフェクトに正解な訓示である。

<何だこれ・・・>的なディスアポイントメントは、
福井県の東尋坊その他多くあるが、

その逆の、スポーツでダモシが昔から取り上げている
<予期せぬ感動><予測不能のトキメキ>に等しい、

<想像以上の凄さ>を目の前にした例も数多い。

簡単な例でも、
ニューヨークのエンパイア・ステートビル。
これは誰もが一度は映像や写真で見た親和性の高い建造物。
だが、実際に見てみることをお薦めしたい。

<うわっ・・・>
<えぇっ・・・>となるだろう。

それは実際に目前にすることでしか得られない感覚である。

ダイナミズムやスケール感。
これらは実際に目の前で見ることでしか得られない。

むろんアトモスフィアも、だ。
そこに漂う匂い、風、音、色、すべてが影響を及ぼす。

ダイナミズムやスケール感での驚愕が多いのが米。

一方で、ニッポンの場合は、そのアトモスフィアが主体になる。
大きさなどではないところでの驚き。

原爆ドームは、久しぶりに<えぇっ・・・>と感じた。
<はぁ・・・>となる。
<ふぅ・・・>となる。

<あぁ、やっぱり現場で見ると違うのだな>と
その場でひとりごちた。

このエントランスでいきなり登場する原爆ドームと
接することで、既に心身には重みが加わる。
ずっしりと、ディープにヘヴィに心身が包まれる。
目頭もまた重くなり、瞳がしみてくる。


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*****


既に心身は重い。

が、橋を渡り川を超える。
そこにある休憩所で一服。
しばし平和記念公園の爽やかな空間を歩けば、リラックス。

<原爆の子の像>がある。
原爆によって白血病で死去した女性をモデルとしたスタチュ。

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公園内でリラックスしたのか、ハナからこういう心持ちなのか分からぬが、
かようなおバカさんもいたりして空気は一瞬、弛緩する。
おバカさん"ぶれる"のも、それが許されるのも、
十代後半女性まで、か。


おバカさんを尻目に公園の向こう、広がりのある空間を遠望する。
そこは前述の通りワシントンD.Cのスミソニアンの世界。
初秋の清らかな風と午後の優しい陽射しが木々の間から漏れてくる。

最端のリンカーン記念堂がごとく、正面を向いて屹立する建物が目に入る。

平和記念公園の、これが横綱。平和記念資料館。

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ゆっくりと真正面の記念館を目指して歩く。

途中に丹下健三氏デザインの<原爆死没者慰霊碑>がある。
これを中心に、原爆ドームと平和記念資料館が
一直線に並ぶ構図もまた、
ワシントンD.Cスミソニアンの
ワシントン記念塔を真ん中に、米国会議事堂とリンカーン記念堂が
一直線に並ぶ構図と同じである。

<なるほど。そうか>とまた、ひとりごちた。

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慰霊碑から原爆ドームを見る構図。

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慰霊碑から記念館を望む構図。

慰霊碑もまたセンター・ステージである。
いわば平和記念公園は、
原爆ドーム、慰霊碑、記念館の三本柱で構成されているのだ。

センター・ステージである慰霊碑の前では多くの人が
入れ替わり立ち替わり祈りを捧げる。

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*****


メインは、平和記念資料館。

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詳細は不要だ。あまりにも長くなる。
そこに展示されている品々は、夥しい。
あまりにもリアルだ。

落涙した。

特に、投下された時間帯と当時の事情ゆえ、
多くの幼い命が犠牲になり、
母親が現場に駆けつけて看取ったケースが多く展示されている。
その際の衣服、靴等の現物の夥しい数。

子を持つ親たる者としては、特に身に迫る。

投下した米が悪いのは当たり前だが、
多くの命を犠牲どころか、このような悲惨な状況を経て
失わせたのは、紛れもなくこの国、ニッポンである。

あの戦争は、ニッポンがバカだったのは言うまでもない。
何てバカなことをしたのか、当時のニッポンの<上>は、と。
憤りを避けられない。

その、<上>がバカなのは、未だ変わっていない。
つくづくアグリーな国だと感じる。

とまれ、平和記念資料館。
靖国神社の就遊館同様、落涙と激しい心の動揺を抑え切れない。

是非、世界中の人々が足を運び、己が目で見るべきだ。

あまりにも重々しい心身状態になった。
記念館を出て、噴水前にある喫煙可能なベンチに座り、
煙草の煙をため息と共に吐き出した。

そして、元のコースを戻った。

戻って、原爆ドームに辿り着いた時、分かったのだ。
この構造が。
原爆ドームという主役がのっけから出てくる理由が。


*****


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<平和の鐘>。

ここでもへらへらしながら鐘を鳴らし、
記念撮影をする女子旅のおバカさんがいた。
困ったものである・・・。

そういう姿を目にするたび、
<女子旅と名づければファッション的になるのだろうが、
 ロクなもんじゃねえな・・・この阿呆>と思うのだ。

男はもともと軽薄なのが多いが、
年々、女が軽薄になっている気がする。
女子会だの女子旅だの、何でも"そうゆうふうに"カテゴライズ&
ファッション的にして正当化しているが、
ダモシから言わせればそんなものは、
恋愛下手な彼女らのエクスキューズに過ぎない。

そもそも女子旅は、ダモシからすれば、まがい物である。
傷の舐め合いに過ぎない。

男と、のるかそるかの旅をしてみよ。
話は、それからだ。

まあ、いい。
まさに存在の耐えられない軽さな女が多過ぎる昨今である。


*****


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原爆ドームだけを、
いきなりのエントランスで見てしまうと
人によっては、もしかしたら<ふぅん>で終わるだろう。

それを許さないのが、平和記念資料館であり、
この平和記念公園全体の世界観、構図である。

公園を歩き、平和記念資料館も見た上で、再び原爆ドームに戻る。
と、そこでは無視できない心持ちになる。

あの、おバカな女子旅の女性ですらそうなるはず、だ。

原爆ドームは、エントランスで出会い頭に見て、
最後にもう一度見る。接する。
これが流儀である。

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こうして平和にのんびりとボートに乗る
ファミリーと、原爆ドームの奇妙な交錯。
これもまた現実である。

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最後に、夕方間もなく陽が落ちる頃合いの原爆ドーム。

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靖国神社の就遊館、広島の平和記念資料館。

いずれも、途中、正視できなくなった。
これ以上、まともに見ていたら/読んでいたら
落涙を隠すことはできないと感じたからである。

負の遺産であることは言うまでもないが、世界文化遺産だ。

そして
ダモシ認定ディスカバー・ジャパン。

それに相応しい、後世につなげていく重要な文化財であり、
歴史の証人である。

広島は、ここだけ訪れるだけでも大きなヴァリューがある。



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2011年09月28日

旅手帖


広島で<お好み焼き>、博多で<もつ鍋>、門司で<ふくプラフ>。
"ふく"は、"ふぐ"である。

門司は小倉と共に一大商圏の北九州市を構成。
同じ福岡県でもロケーション的に別物で、
オールモースト本州。文化圏・商圏としては下関。
だから、"ふく"。

それぞれの名物を今回も食す。

むろん、グルメ旅行でもプライベートの旅でもない。

広島〜博多〜門司をデスティネーション&エクスカージョンとする
今回の旅は終わった。

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今朝の博多駅。秋空は高く在る。

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今回逗留したホテルも見える。

博多。今年だけで四度目の訪問。三度目の逗留である。
まさに今年の旅先/逗留先ではヘヴィ・ローテーションが博多。
2-5-6月と今回9月。

何度も記載しているが、
それこそ博多はニッポン復帰後の一昨年初めて訪れて以来、
特殊な甲斐国を除けば最も多く訪れている都市になっている。
不思議な縁である。

そして、もう慣れた。旅先という感覚ではなく、
スーツを着て歩いていて違和感がなくなった。
博多は<慣れた>都市となった。
好き嫌いは別である。
でも、"嫌い"ではない。

そんな地である。

巨大な新博多駅になってからも既に三度行っている。
その三度ともその駅前のホテルに逗留している。
今や博多は天神などから人の流れが駅へと戻っている。

キャナルシティにもホテルはあり、そこにも逗留したことがあるが、
いま博多で逗留するなら駅前だ。

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間もなく帰路へ向かう。
新幹線ホームへと連なる駅構内。

博多駅は鉄道ファンにはたまらないだろう。
多くのホームに多くの観光特急、在来線が
やって来ては出発し、また滑り込んでくる。

真新しく巨大な駅にも関わらず、
なぜかそのホームには哀愁が漂っている。

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帰路で新幹線に乗り込む頃は未だデイタイム。明るい。


*****


今回は予定になかった門司行きも。

前回に続き、
やはり門司も生涯で一度も行ったことがなかったが、
今年はじめて行った上に、
今回もまた行くことになったわけだ。
これもまた不思議な縁だ。

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門司は林芙美子ゆかりの地でもある。
女史の作品に引っ掛けた喫茶店もある。

放浪記である。

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門司はオールモースト本州。下関である。
対岸すぐに下関がある。関門橋が結ぶ。
前回その下の海峡トンネルを歩いて下関から門司へ渡った。

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こんなに近い。右手に見えるが関門橋。
下関は結構好きな部類に入る街だ。
そもそも山口県が好きな部類に入る県である。

いつか仙崎へ行ってみたいのである。むろん、萩も。岩国も。

広島から岩国へエクスカージョンで行く手もあったが、
そのための時間は届かなかった。


*****


素材多数。今回もディテールをいつ取り上げることができるか。

ダイジェストで今宵掲載。

さて、帰路。
博多から一気に新横浜あるいは品川、東京。
この行程は、想像以上に疲れる。

都合5時間の長旅である。直行ではない。
乗車した<のぞみ>は博多を出て、
小倉、新山口、広島、福山、岡山、
姫路、新神戸、新大阪、京都、名古屋を経て新横浜である。
新横浜まで来れば品川も東京も違いはない。

この間、5時間である。

間違ってはいけない。<新幹線で5時間>である。

米時代も長距離列車で旅をした。アムトラックだ。
例えばニューヨーク〜ボストンは約3時間半
(勿論列車によって所要時間は異なり4時間半掛かるものもある)。
ニューヨーク〜ワシントンDCも列車で行った。
これが約2時間40分から3時間。
ニューヨーク〜アルバニー(オールバニ)は、2時間半。
これらは同じエリア=東海岸内でのことだが、
それでも広い米を象徴しているケースだが、

新横浜-博多間の距離(1,146km)を米にならせば、どうなるか。
メジャーどころで近いものを挙げれば
ニューヨーク〜シカゴ(1,270km)ということになる。

ニューヨーク〜シカゴ間は飛行機で行ったことがあるが、

新幹線での新横浜〜博多間をこれに準えることで
<こりゃ、遠いわな>と実感できるわけだ。

120kmの距離差はあれど、
先述のアムトラックでニューヨーク〜シカゴ間を走った場合、
何と19時間もかかる。

これを飛行機で見た場合、
ニューヨーク〜シカゴは約2時間強。
羽田〜博多は約2時間弱。
ほぼ同じだ。

これを鑑みれば、いかに新幹線が素晴しいかが分かる。

いずれにせよ遠い<新幹線での博多〜新横浜>。

よふやく、といった感じで新横浜に着く。

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ダモシを博多から運んできた<のぞみ>が、
品川、東京方面へ去ってゆく。

新横浜はもう真っ暗だ。

それでも新幹線が良い。
前回も新幹線を利用した。
<何となく>博多へ行く場合は飛行機という気がしないのだ。

その<何となく>の背景には、
『博多へ行く際に飛行機を選んで落ちたらイヤだな』
という心理が働いている。

なぜ to博多に関してはその心理が働くのかは、分からないが。

もう一つ。

to博多に関しては、妙に羽田空港へ行くことに
面倒くささを感じてしまうのだ。

それなら新横浜まで近いから、
そこから新幹線でゆっくり座って行こう
という気持ちになるのだ。

博多は福岡空港からも奇跡的なアクセスの良さがあるが、
問題は東京にある。
成田(千葉)は論外の最悪アクセスとして
羽田も決してアクセスが良いとは言えない。

福岡空港は、博多の奇跡といって良いほど、
大都市にしてはアクセスが良過ぎる。

正直、<羽田空港に行くには面倒くさい>のである。

それが海外へ飛ぶのであれば、羽田行きも苦ではないが、
博多へ行くとなれば
新横浜から行く方がダモシにとっては断然、
便益を満たされるわけである。

自身の旅手帖に
<博多へ行くなら新幹線>という定義が書き加えられた。


*****


http://www.246material.me/nuri11.html

最新の<ぬり絵の旅>マップである。

注釈も加えた。

今回の<広島>。
早々にフィーチャーするが、
1999年以来12年ぶり二度目の訪問&逗留だった。

そういったLong Time No Seeだったデスティネーションで
今年行った地も書きまとめた。



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2011年08月09日

2011-夏旅(1)


吾輩は、此処に在る。

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暑い。だが、さすがに涼しい。

そして何よりも<これぞリアルな自然>といえる
空気の絶対質の違い。

箱根、那須と共に避暑地としてのリアル・リゾート。

1984-夏。高校時代、テニス部の夏合宿で。
1992-夏。広告代理店時代、接待ゴルフで。
いずれもオフィシャル事案で訪れた。

逗留という部分で考えれば前者以来28年ぶり、
足を踏み入れたと考えれば後者以来19年ぶり。

いずれも久しく訪れていなかった地、軽井沢。

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*****


金曜日のオフィシャル事案を終えて夜遅く帰宅。

土曜日は遠方(二時間レベルの距離)へ早朝から
アントニオの空手大会と

慌ただしいウィークエンド。

ダモシ自身、
<親をこれだけ喜ばせたり、子を誇らしいと思わせるような
 パフォーマンスを、自分はしたことがないのではないか?>
と思えるほど、アントニオはダモシを喜ばせているが、
毎回、そう思うようにいかないことは了解済みである。

常に記載しているように、100回のうち1回のハッピー。
これが基本である。

演武会での、破格のパフォーマンスの翌週となった大会では、
久しぶりにクリーンに負けた。
要するに<負け>ときちんと認められる敗北。

昨年末の"大阪ナイトメア"以来、である。

演武会への集中の翌週。そして旅前日。
この日程的なバランス感覚も良くなかったのだろう。
要するにモメンタムである。
ここにいささか無理があった。
そしてダモシ自身にも若干、油断があった。
多少なりとも歯の生え変わり期で
歯がない/歯がぐらぐらしている状態という
微妙な心身変化もあっただろう。

勝てば本人の手柄。負ければ監督のミス。
今回は、後者である。
来月から全日本選手権シリーズが始まる上で、
ある意味で"大阪ナイトメア"以来のきっちりとした負けは
プラスになるだろう。

ダモシもまたこれでさらに燃える。
やはりエポック的な敗北があってこそ
次のフェーズへさらなるアップを図る基盤となる。

"大阪ナイトメア"以来、フェーズを上げて練習し
マイナーチェンジを施して仕上げてきたことでの成果は、
まずはこの初夏までに出すことができたわけだが、
さらに新たなフェーズへの足がかりとなるナイトメア。
それは名づけるとすれば"埼玉ナイトメア"。

この"埼玉ナイトメア"を起点に、
今後また新たなフェーズへ上げていく決意をした。
またマイナーチェンジへ向かう。
今度のマイナーチェンジはどれだけ時間を要するかも
ポイントになるが、"あっと驚く"部分を付加するつもりである。

努力、武道精神、勝負根性等々を満たす中、
さらに"技"の部分と、さらに深い心理面、精神面と共に
矜持の部分も付与していくフェーズとステージのアップである。


そんな、アントニオにとっても
いささか天狗になっていた部分もあったろう。
それを<あれっ?>というところで得たエレメンツを
逆に己自身の矜持として携えて、どういったポスチャーを
見せるのか、も大切なことであると同時に、

言っても、コドモであり、夏休みである。

<気分をしっかり入れ替えて、楽しい旅行は旅行で楽しむぞ?>
とダモシが言わずとも、
コドモはコドモらしく敗北を引きずらず、
大会から戻ってきて自宅に着けば
もう旅行モード。

そんな姿に安心しつつ、ダモシとしても
ある意味で己もまた学校レベルであるが部活で
闘いの日々だった青春時代へのエモーショナルな時間旅行
というエレメンツも抱えつつ、ワイフにとっては初の、
軽井沢への夏旅へと向かったのは、
サンデー・モーニング、6AMのことだった。


<既にお盆休み>。

今年の夏は、異常である。
そもそも大震災以降、天気まで異常。
政治はとっくに異常なニッポンだが、
曜日の関係上、組み立てが奇異になる今年の<お盆休み>。

<いったい、お盆休みっていつからよ>。

そんなマインドが支配する異常な夏、2011年。

そもそもサラリーマンではないから
組織的な<お盆休み>とは無関係だが、
それでもビジネスをしている以上、気にはなる。

ワイフにしてもアントニオにしても
<コドモにとっての夏休み>のティピカルな文化的様相である
"里帰り"を挙行するのにも世間のお盆休みがいつなのかは
気がかりである。

なぜならば、我々ダモシ国は常に、
一般社会のお盆やGW、年末年始の様相を図り、
それとは逆を往くことで
天敵の<大渋滞>回避を至上課題としているからである。

困るのだ。

皆が赤信号を一緒に渡る的世界の一斉に休みで大渋滞&
乗車率200%というのはいつかを把握しておかなければ、
へたすればそれをぴったり行動が合致してしまうという
最悪の事態に陥ってしまうからである。

ダモシ国の国家的プライオリティの一つには、

<皆と一緒の休みのタイミングに出かけない>
があるのだ。

大渋滞、大行列といった類いに遭遇したが最後、
ダモシが狂ってしまうからである。
裸の王様が狂ってしまうと手がつけられなくなる。
且つダモシだけではなくワイフもアントニオも
そういった皆と同じ休みというのを嫌う。

様々な事情〜オフィシャル事案やワイフ&アントニオの
空手大会やタレント事務所のレッスン等〜を鑑みた上で、
可能日程を割り出し、
その上でそこから<皆が休みの頃合い>とかぶる日をカットする。

そうすることで残った日が、<動く日>となる。

だが、既に土曜日の空手大会へ向かう早朝の道中。
既に、通常で考えれば"ただの土曜日"にも関わらず、
しかも朝6AMであるにも関わらず、
既に、既に、東名高速〜東京IC〜首都高〜中央環状線は
大渋滞に陥っていた。

<まったく…。こりゃあ、分かったぞ。
 もう世間はお盆休みに入ったのだよ>とダモシは愚痴をこぼす。

"ただの土曜日"で、且つ6AMなのに大渋滞。
ありえへん、となる。

それを踏まえての日曜。

普通に走れば軽井沢まではダモシ・タイムで見れば
一時間半である。

だが、6AMに出た。

前夜(土曜の夜)、
<何時に出るの?>と聞くワイフ&アントニオに
ダモシは言った。

<6時だ>。

軽井沢のエリア内を車で移動することは
あらかじめ考えていない。

どうあれ、軽井沢は大渋滞するから、
現地での足は自転車と決めてある。

ホテルに問えば、チェックイン前から自転車を使う
ことができるということで、9AMから使う予約をしていた。

9AM着を考えた場合
通常のダモシ・タイムで見れば7:30AMに出発すれば良いが、
土曜日の大渋滞を鑑みて
事前に日曜日の高速道路渋滞予測を見れば関越道と上信越道が
7AM台で既に10数kmレベルで渋滞すると予測されていた。

だからJust In Case、6AMという早出を決めたのである。

ドンピシャでそれが奏功し、
ホテルに間もなく到着という頃合いに
ダモフィーロ車内の時計を指差して

<ほれ見ろ。ぴったり9AMだろ>と

ダモシは自画自賛したのであった。


*****


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今年、自転車に乗ることができるようになったアントニオ。
拙宅から往復一時間レベルの走行は可能となっていた。
初の旅先でのタフな長距離走行へ向かう。

目論見通り、9AM過ぎには自転車にそれぞれまたがった。

結果、出発から戻りまでの時間は八時間強、
総走行距離は25kmにも及ぶ、
ある意味でこれは<修行か?><トレーニングか?>といった
様相の、さすがに軍事国家ダモシ国ならではの
ハードな軽井沢散策が執り行われることに相成った。

しかも最後、ホテルへの帰路途中、
今年の夏の異常気象の象徴である<突然の豪雨>が襲いかかり
しばしの雨宿りの後、
<キリがない。往くぞ!>というダモシの号令のもと、
豪雨の中をこれまた30分走ったり、
途中、他者と激突して転倒するなど、
アントニオにとっては初モノ尽くしの苦行があったものの完走。

<よく頑張ったぞ>と男同士、湯に浸かり、
ダモシとしても奇跡的に9PM台にベッドに横になるという、

もうこれは、オシャレな軽井沢旅行ではなく、
場所が軽井沢というだけで完全な修行だぞ
という様相の夏旅となったわけである。


未だ溜まりに溜まっている未掲載の旅があるが、
夏旅〜軽井沢を、次回の投稿から取り上げていきたい。

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2011年07月18日

AMツアー:16〜香椎


<ずいぶん寂しいところね…>。
お時はそう言った。

それが、香椎である。

香椎は、
<鹿児島本線で門司方面から行くと、
 博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある>
という香椎である。

松本清張、不朽の名作「点と線」の舞台である。

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(JR博多駅の路線図)。

博多から右へ見れば四つ目に香椎がある。
むかしはその手前の千早がなく、
国鉄と西鉄の乗り換えのための役割を香椎は担っていた。
その千早がJRと西鉄の駅を併設して生まれたことで香椎駅の
一つのロールが終わったという。

いずれにせよ、香椎である。

博多から列車に乗り、香椎を目指す。
地方の列車は何となく"国鉄"チックである。
東京や横浜などの私鉄での四駅とは趣も距離感も違う。
一つ一つ駅を経ることに価値観の高さを感じさせるのだ。

要するに田園都市線で移動する渋谷から桜新町までの移動と、
博多から香椎までの移動では、
そこに漂う重みが違う気がするわけだ。

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JR博多駅。
国内における大都市での巨大駅では、もっとも新しくなった駅だ。
文字通り、いま、博多は"ブランニュー博多"といって良い。

それだけ東日本大震災と
それに伴う種々のストレスとは無縁の世界観が全体的に漂っている。

ただ、九州にはリアル大雨、リアル豪雨がある。それは、れっきと、在る。

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だがホームへ出れば、そこには昭和アトモスフィアが広がっている。
列車と昭和。これは切っても切れない移動祝祭日のような世界観だ。
走る車輛が最新鋭になったとしても、だ。

空港同様、駅-ステーション-は、どこか切なさが伴う。
旅に必ず、ワクワクだけではない、切なさが漂うのと同じである。



*****


「点と線」。1957〜1958年に書かれた名作だ。

主に東京、香椎、札幌を舞台に、
東京駅、香椎駅、江ノ電、あさかぜ、青函連絡船、日航の飛行機、
時刻表、その他、旅情をクロスさせた多くのアイコンが登場する。

そもそもこの作品が、<旅>という雑誌で連載された小説だったからだろう。

旅というカテゴリーが持つ魅力をふんだんに鏤めている。

多くの日本人が読み、
近年もテレビ・ドラマ化されるなどメジャー中のメジャーであろう。
内容のみならず「点と線」という"コピー"も実に優れている。

「ゼロの焦点」「砂の器」と共に松本清張を代表する作品と言って良いだろう。

すべては香椎における情死体から物事が動き出す。
それに向かう過程(伏線)で東京駅13番線空白の四分間等、
一つ一つ静かに潜航する事象があってのことだが、
一気にダイナミズムが生み出されるのは香椎での情死体発見からだ。

その香椎におけるトリック。国鉄と西鉄の両方の駅が、
微妙な位置関係で離れて存在していた(している)ことが
大きなポイントになっているのだ。


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立派な、大きな香椎駅。

<ん?何だ…。しっかり街になっているではないか…>。

お時の台詞である
<ずいぶん、寂しいところね…>を期待していたが、
のっけからそれは裏切られた。

東京首都圏の京王線、小田急線、東急線などの、
世田谷エリアの駅前と何ら遜色はない賑わいである。

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<これでは永福町より賑わっているぞ?>と感じてしまう。

最新版の文庫「点と線」には文中、時折、
シーンごと挿絵がほどこされている。
だから読んでいてイメージをしやすくなっていて
全体的に読みやすくなっている。

「点と線」当時の香椎駅前は、挿絵ではこうなっている。

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寂しい町だ。街になっていない。
むろん当時は、銀座などを除けば
何処も同じく街にはなっていないだろう。

肩を並べて歩くのは安田&お時か、それとも亮子と佐山か。

いずれにせよこの二組の男女が、
国鉄と西鉄という異なる二つの香椎駅から降り、
香椎海岸へと歩を進めていった。

二組の男女がいた、ということは、当初は分からない。
刑事の地道な聞き込みと実地捜査によって分かってくる。

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西鉄香椎駅。
こちらもまた、"全然"寂しくはない。
東京首都圏の中途半端な私鉄駅よりよっぽど"開けて"いる。


当時と現在では、
国鉄香椎駅と西鉄香椎駅は、場所の大きな変更はない。

歩いてみる。ゆっくりと歩いてみる。

所要時間は、二分半。途中、信号待ちが三十秒。
それを差し引けば実質、二分で国鉄と西鉄の香椎駅間を
歩くことができる。

そんな距離感だ。

鳥飼刑事はここを六分〜八分で歩いている。
実際に鳥飼刑事は実地検証してみたことで、
<おかしい>と感じるのだ。

国鉄香椎駅下車、西鉄香椎駅下車。
その双方からの男女が目撃されている。
ただし、それが一組だけならば、国鉄で降りて
海岸へ向かう際には西鉄の駅を通るからおかしくはないが、
そこでの目撃談によって明かされる時間軸が合わなくなる。

一組の男女が国鉄香椎駅から海岸の方へ歩く途中、
西鉄香椎駅前を通過したとしたら、
その駅間を歩くのに要した時間が長過ぎるのである。

十一分。鳥飼刑事が歩いた場合とは三〜五分の誤差がある。
ダモシが歩けば二分だから誤差は九分となる。

どう考えても、そこまでの時間を要せずに、
国鉄〜西鉄間を歩くことは出来るのだ。

それが後々、「別の二組の男女」がいたという発見につながる。


*****


情死体が発見された香椎海岸。
西鉄香椎駅から徒歩約十分と、小説ではなっている。
実際に歩いてみると、ぴったり合っていた。

西鉄の香椎駅と海岸の位置が変わっていなければ、
当時も今も同じ十分で到達できる距離になるのは当然だ。

だが、香椎海岸は情死するに相応しい場所とは
到底思えない"ビーチ"へと姿を変えていた。


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このイメージは皆無な現在の香椎海岸。

その昔は万葉集にも詠われた香椎潟だったが、
今やトイザラスや大きなイオンが海岸近辺に建つ。
そして海岸は埋め立てられて近代的な湾岸地域となっている。

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開発されて高層アパートメントも立ち並ぶ。
品川や汐留、はたまたお台場か、といった世界か。

ここでお時と佐山の遺体は発見された。


*****


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海岸と香椎駅の間に交通量の多い道路が走る。
賑わっているエリアという印象である。

上北沢駅周りと甲州街道(国道20号線)というノリか。

香椎駅を見る。

ここで旅情が沸く。

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"国鉄"風情が名残を感じさせてくれる。

香椎宮があることと、都から太宰府へ至る動線上にあったことで、
香椎は古代においては多くの人が行き交ったという。


*****


今回は「点と線」の舞台の一つ、香椎を歩いてみた。

おまけに、小倉から松本清張記念館。

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松本清張といえば小倉、小倉といえば松本清張。
この二つを結ぶ一つのキーワードである。

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記念館には、松本清張が死ぬまで暮らした高井戸の家を
逝去した頃そのままの形で移築した家、部屋が見られる。

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記念館発行の冊子。

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AMツアー:15〜三たび白帝



それは、尾張と美濃の国境にある。

愛知県を北北西に進路をとり、北端へ。
木曽川を挟み、対岸は岐阜県。

水面から80数メートル上に立つのが、犬山城。

国宝。そして日本最古の木造天守であり、現存12天守の一つ。
松本城、彦根城、姫路城と共に
復元でも模擬でもない"ザ・城"としての<国宝四城>の一つ。

ここもまた松島や熊本城と同様に、特別な、エモーショナルな存在である。
己がライフサイクルの中にあるメモリーズと再び、
あるいは三たび対峙することで、甦る光景と心象。
または根底にあるすべての概念はやはりメビウスの輪。

猛暑の2011年、夏。

1988年、93年に続き,18年ぶり三度目の犬山城。

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*****


1988、夏。

復活への足がかりを模索していた頃。

例の、"7"絡みはバッド・イヤーという己が定説。
07年も97年も87年も77年もバッド・イヤーだったわけだが、
最後の07年がそうなったことでよりリアルに定説化した。

07年は北の某による拉致。
08年・夏の本妻復帰によって復活への足がかりを掴んだ。

97年はウルトラの父、死去。
98年、春に渡米が決まり、後半に渡米。
それによって復活の足がかりを掴んだ。

87年はその時点で経験した最大の失恋と、
それに端を発する何をやってもうまくいかないという
完全な失意の日々。

88年、夏。
ここで当時、ウルトラの父母が住んでいた名古屋以下、
熊本や清水(静岡)などをめぐることで復活への足がかりを掴んだ。

たいてい"7"絡みが最悪のイヤーで、
"8"絡みに復活の足がかりを掴み、
"9"絡みから勢いを増していくというディケードごとの構図だ。

以前も記載したが、だから次の"7"絡みである2017年が怖いのだ。

とは言っても、そもそもバッドなイベントが相対的に例年多く、
フルイヤー、<やることなすことすべてうまくいく>などという
世の中によく見られるヒト的傾向は、ダモシには、ない。

毎年、悪い出来事は普通に起こり、ハッピーな事象は、
まさに文字通り<瞬間>的なことである。

性善説と性悪説があれば、後者を得る。
ポジティヴorネガティヴでは、後者的な考え方。
恋の一時間は、孤独の千年。
そして良いことは悪いことの10回に一回。

そんな、そもそも論的考え方をもって生きているわけだ。

だからこそ、0.01%でも可能性があれば何とかなる
という妙な底力もあるわけだと、己自身で想う。

ある意味で、物事うまくいかなくて当たり前。
ヒトが一人から二人に、百人から二百人に増えれば増えるほど,
我欲の輪は広がるからして、
なにごとも思い通りにはいかないのが基本である。

だからといって、ギブアップしてはいけない。
面白くない。

数字上の見映えだけの問題での
0.01% vs. 99.99%であり、
結局は物事すべてフィフティ・フィフティなのである。

ゼロでない限りは、0.01% vs. 99.99%も、
70% vs. 30%も、すべてフィフティ・フィフティなのである。
うまくいく/勝つ可能性はゼロでない限りはすべて50vs.50。

そして、
なによりもゲームは、
そのゲーム自体が終わるまでは、終わることはないのである。

始まりはすべて、終わりの始まりであるというネガティヴな思考。
一方で、それは、
終わらない限りは終わらないという
究極的なポジティヴな思考でもあるという二律背反。

メビウスの輪と"セザンヌと蛙"的な二律背反の中で、
ヒトは日々の旅を歩いている気がせずにはいられない。


inuyama4.jpg

さて、犬山城。

1988年、夏。
奇妙なほどウルトラの父と共に過ごす時間があった夏だ。
既に成人していたが、未だ大学生のヤングボーイ。
いま思えば、未だコドモもいいところである。
経験も少ない甘ちゃん。

良い意味で、様々な経験や視野を得た夏でもあった。

語れば長くなる。ここは犬山城だけにしやふ。

なぜ行ったのか。
それは想い出せないが、名古屋に滞在していた夏休みの或る日。
唐突にウルトラの父と二人だけで電車で犬山城へ行った。

名鉄犬山線で。電車で行ったのを記憶しているのは、
帰路の電車内で座って二人で珍しく長時間会話した記憶が
鮮明に残っているからだ。

要するに、己が将来のイメージについてを、
己が父親に具体的に話すのはこのとき限りだったのだ。
あの時の名鉄車内での会話が、
ある意味で、最も己が父親とシュールな話をした時間だったとも
今となっては思える。

また、その頃くらいから、ウルトラの父に対して、
ダモシの心も優しくなっていたのである。
それはもしかしたらウルトラの父が齢を重ね、
己は肉体的にもオトナへ近づくプライムタイムにあるという
身体的(腕力的)な逆転があった頃合いだったからかもしれない。

抗うマインドは皆無になっていた。あの頃。
優しくなっている、と己自身で感じてしまったわけだ。
己が父親に。

ウルトラの父が倒れたのは、92年である。
その四年前の夏だから、もしかしたら、無意識のうちに、
<そろそろ>的な、生命という部分での現役引退への
トワイライトに入っているという色合いを、
ダモシが察しとっていたのかもしれぬ。

それだけ、なぜか優しくなっていたのである。

生写真で残っているが、
犬山城でのウルトラの父もダモシも、妙なほど顔が穏やかで、
優しいのである。

むろんダモシ自身もその前年から暗かったということもあるだろう。

まず第一段階での刺がとれて、
柔和さが少しばかり生まれた頃合いかもしれない。

とにかく顔つきも、そして同様に心の色も、清冽で穏やかだったのだ。
犬山城に行ったときの、ダモシもウルトラの父も。


inuyama2.jpg

名鉄犬山線。
今回乗ってはいないが、88年以来、23年ぶりに見た。


*****


二度目は、93年。

その前年92年にダモシはワイフと結婚。
同じ年の冬、ウルトラの父は倒れたわけだ。
それから97年に逝去するまで最後の五年を生きたのだが、
退院していた頃の93年・秋に、
米旅行から戻ってきたダモシ&ワイフが見舞を兼ねて
名古屋へ行き、そこでウルトラの父母とダモシ&ワイフの四人で
犬山へ出かけたのだった。

この時は、車だった。

未だこの時は、ウルトラの父が死ぬとは思っていない。
倒れて危険な状態から甦り、退院もして、
復活せんとしていた頃であり、復活すると信じていた頃だ。

だからセンチメンタルな旅ではなく、楽しい旅だった。

愛知県の犬山といえば、観光ランドマーク的に

・明治村
・モンキーセンター
・犬山城

という基本三本柱がある。

いずれも大いに堪能することができる。

特に、以前も記載したように明治村は素晴しい。

この時も、明治村〜モンキーセンターとめぐり、
最後に犬山城を訪れている。

ダモシもワイフも当然若いが、ウルトラの父母もまだ若い。

この時、88年の際に天守閣の上から眼下に広がる木曽川を見た
その逆を見ている。

すなわち木曽川沿いを歩いて、その上に屹立する犬山城を見たのだ。

そしてこの木曽川というものが、
犬山城にとって大きな大きなインパクトを持っているのである。

08年以降制定した<ディスカバー・ジャパン>に、
それ以前に訪れたものとして早々に犬山城を認定したが、
その大きなアドバンテージがこの木曽川との交錯にあるのだ。


松本城その他に等しく、恐怖の急勾配の階段を上がっていけば
頂上にたどり着く。

そして、そこからの景色を見る。

inuyama8.jpg

木曽川の向こうは岐阜県。

天守に登れば何処も絶景的な世界観はある。
それは"小田原城でさえ"、そうである。

だが、ここは傾いている。なぜか斜めになっている。

inuyama12.jpg

端的に言って、怖いのだ。

狭い空間。ダモシにとっては歩き回ることは厳しい。
そして手すりの位置が極端に低い。
普通にすぐに落ちるだろう。さらに、滑る。
ここが滑るのだ。

しかも眼下は木曽川だ。

inuyama9.jpg

inuyama10.jpg

inuyama11.jpg

<落ちたら、イヤだな…>。

あの、東伏見プールや関門海峡などで感じた気分。
またそれらなら落ちても助かる可能性はあるが、
犬山城から落ちたら助かる可能性は、ある意味でゼロだ。

「高度の実感」カテゴリーで記載してあることが、当てはまる。
超高層ではない。
逆に木曽川ではない方を見下ろせば、
<落ちても、助かるかな…>と感じられるが、
同じ高さでも、己がいる位置が斜めになっていて
滑って、手すりも低く、眼下はこの世界となれば、
実際の高さ以上の恐怖感を覚えさせる。

高度の実感が、ハイレベル。犬山城の一つのポイントである。

88年・夏の際、ウルトラの父は一切、この空間に出なかった。
一瞬だけ出て、同じ一瞬だけ出てこわごわと手すりに
つかまっているダモシを、ウルトラの父はカメラで撮った。

この時に抱いた恐怖心は、まったく変わっていなかった。

危なくてしょうがない。己が息子たるアントニオのことを、
いま仮に犬山城へ連れていっても、
絶対にこの空間へ出させない。

危なくてしょうがない。

<国宝四城>という
城にとっての最上級の格上ながらも、
アトラクション的スリルを提供する犬山城の歪さ。

ここが犬山城の魅力の一つでもある。

木曽川がそこで大きな役目を果たしているのである。

景色としても景観としても、だ。


inuyama5.jpg


<そうだった…。そうだ。怖がったのだ。あの時。
 そして今回も、足がもうダメだ。
 とても出られない>

今回は手すりに触れることさえ出来なかった。
あの時ウルトラの父が出ることさえせず、
足だけ出して身体は中に引っ込めたまま、
カメラでダモシを撮った心境が、すこし分かった。


93年・秋に、四人で歩いた際に見た光景。
木曽川から見上げる犬山城。

inuyama1.jpg

inuyama3.jpg

四人でワイワイ喋りながら、これを見た。
今回、一人、ここを歩き、見上げた。

エモーショナル犬山城。

これもまたメビウスの輪だ。


*****


88年のあの時、天守から降りたダモシとウルトラの父。

観光客がウルトラの父に声がけした。
明るい社交的だったウルトラの父は、
その観光客からカメラを受け取って撮影した。

正面で。

inuyama13.jpg

この時ダモシは、観光客の記念撮影をしてあげている
ウルトラの父の姿を写真に撮った。



:::::


inuyama6.jpg


犬山城の別称は、白帝城。



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2011年07月14日

AMツアー:14〜ぬり絵の旅



先週の<アンガーマネージメント・ツアー>総論である。

それ以前のAMからして既に掲載できないほど
エリアと素材が溜まっている上、
先週のそれも個々に取り上げるには時間がまったく追いつかない。

ゆえに、まずは先週のAMの総論である。

それこそ
<なぜ俺は銚子に来ているのか>
<なぜ小倉に逗留しているのか>という
用事があるから来ている上、己自身でもそれを選びながらも、
納得不納得の問題ではなく
それでも"異形"という点でポジティヴな意味での<?>が生まれるのだ。

それは米でいえば、
<なぜ俺はミルウォーキーに来ているのか>にも等しい。

その流れはさらに先週は加速している。

逗留先は、順番に大垣(岐阜県)、長浜(滋賀県)、浜松(静岡県)。
最後の浜松はまだしも、
大垣と長浜にそれぞれ己が逗留することになるとは、
いつものごとく数年前までのニューヨーク時代には
到底イメージすることは不可能なのである。

そういう意味での、異形。

例えば、軽井沢や箱根はもとより、
松本や水戸"でさえ"、逗留する可能性へのイメージはできる。
なぜならば一般的にもそれらは観光地であり、
<水戸へ行きます>と言っても不思議がられることはないからだ。

<あぁ、偕楽園に行くのね?>だの、<松本城へ行くのね?>となるからだ。

軽井沢と箱根vs.松本と水戸で見れば
むろん一般ゼネラル・インタレスト度の高さは前者になるが、
それでも後者が低いもののそれがゼロではない。

だが小倉、大垣、長浜となれば、一般的には、
さほどゼネラル・インタレスト度は高くないだろう。

それらへ行く(泊まる=デスティネーションとして行く)と言ったならば、
銚子同様に<WHY?>という疑問符が湧き出る可能性が増える地
ということである。言いたいのは。

それは先般の上越しかり、である。

もちろん分かった上で言っている。

小倉は北九州の大きな都市であるし
松本清張記念館もあり小倉城もある。

大垣は、奥の細道のむすびの地である。大垣城もある。

長浜となれば今が旬。
龍馬ほどの話題性はないものの
NHK大河ドラマ<江>の舞台/関連地として
今や膨大な観光客が押し寄せているばかりではなく、
そもそも観光資源が豊富だ。現存するニッポン最古の駅舎もある。
長浜城もある。

浜松は言わずもがな家康の出世城たる浜松城があり砂丘もあり、
なによりも鰻が旨い。浜松で食す鰻はリアルに旨いのである。

先の上越も同様。上杉謙信のホームであり春日城、春日神社、
そして日本三大夜桜の高田城もある。

こうして振り向けば、気づけば、すべてに城がある。

何のかんのとスーパーローカルだローカルだと
辿っているのだが、
実はすべて城がある/あった地であるという偶然。

否、必然。

無意識のうちに<城>があった/ある地を選んでいる、
そしてその地に用がある、ということになるわけだ。

個々エリア・コンテンツ及びストーリーが膨大なため、
まだまだ書くことはできないが、
ここでは冒頭記載の通り先週の総論として
振り返りを記したい。


例の行程図だ。

http://www.246material.me/tam11.html


今回は、

・東海
・近畿
・北陸

という区分エリアを踏破している。

紫のラインが行程だ。
黄色円の横浜起点に、東海道&東名高速ラインで横断。

初日は、
エクスカージョンとしての地は愛知県の犬山。
愛知県の名古屋市は避けて市内を走りヨコへ折れて
岐阜羽島を抜けて逗留先の大垣へ。

二日目は大垣を出て名神高速を横断して
新幹線同様にハブ的世界観特殊エリア<米原>でタテに変化。
北陸道を北上して一気に福井県の日本海側へ出る。
東尋坊、三国を経て内陸へ山間部を走って永平寺。
そこから北陸道を一気に南下して琵琶湖周回へ戻り長浜に逗留。

三日目は長浜から、米原を過ぎて彦根まで南下してからヨコへ。
東へ横断して戻り、ふたたび愛知県へ。
ここで高速を下りて県内を走って、
かつての愛知県(尾張)の首都・清洲へ。
その清洲を経て東名で一気に往路へ入って浜松へ下り立って逗留。

最終日は、朝から一気に浜松から自宅まで戻る。

といった全体的な構成である。

総走行距離は、千キロを超えて1,143km。
前回の長野・新潟行の850kmを悠々と、否、過酷に超えた。

しかも一日を除いて猛暑も猛暑。
除かれた一日は日本海側と完全異形な永平寺という
<奇妙な世界観>福井をめぐった日で、
まさに文字通り<これぞリアルな豪雨>に遭遇。

<同じ日本海側でも、こうも違うのか>

<何だ一体、このリアルな豪雨は>

という非日常の中を、半ば、旅の途中、夢遊病者のようになる。

例のダモシ版<ぬり絵の旅>における空白エリア。
昨年末、"滋賀県"は塗られた。

北から

・新潟県

・富山県
・福井県

・三重県

・和歌山県

・鳥取県
・島根県

・香川県
・徳島県
・高知県

・大分県
・宮崎県

が空白として残っていた。

アンガーマネージメント・ツアーでは、
先般の新潟県、先週の福井県の2エリアが塗られたことになる。

富山県と三重県は今回チャンスだったが、
それでも行くことができなかった。
やはり立地的によほどぬり絵としては塗ることが
困難なエクスカージョンということが考えられるのだ。

静岡〜愛知〜岐阜〜滋賀〜福井というルートは、
これもこれで強行軍で気狂い的ではあるものの、
立地的には可能だ。動線上だからだ。

だが、三重にしても富山にしても、
前者は愛知から<三重を目指す>ことが前提になる。
後者も<富山を目指す>前提にしなければ
なかなか到達すること(エクスカージョンで立ち寄るに)は難しい。

要するにニューヨーク在住時代の最後の夏の旅先として
<ナイアガラの滝>を選んだ所以に等しい論理になる。

つまり、そこを目指さなければ(=デスティネーションにしない限り)、
お立ち寄り/動線上にあるから寄ってみる(=エクスカージョンに適している)
ような地ではないのである。

<日本に帰国して、もし数年後アメリカへの旅をするとなった時、
 日本からわざわざデスティネーションとしては
 ナイアガラの滝へは行かないだろう。
 だから今、ニューヨークにいる今こそチャンスなのだ>

というナイアガラの滝行きの最大モチベーションである。

シカゴやラスベガス、あるいは米でなくともパリやローマは、
はたまた同じ滝でもイグアスの滝ならば、
日本からわざわざデスティネーションとして覚悟して行く地
として相応しいということになる。

十数時間かけてメインのデスティネーションとして
ナイアガラの滝へは行かないだろう。
それならニューヨークへ行くだろう、ということである。

それと同じ構図が、三重、富山あるいは、言ってしまえば、
和歌山、鳥取、島根などに描かれるのである。心象として。

且つオフィシャル事案での旅なわけだから、
三重、富山にのっぴきならない行くべき理由がなくてはならない。
それが福井や滋賀に比べて希薄だということなのである。
強烈なそれがあれば福井や滋賀に行かずに
愛知から三重に行けば良い。愛知からならばすぐに行くことができるからだ。
だが愛知から岐阜へ行かなければならないとなった時点で、
"いちいち"三重まで行くためにまた愛知へ戻って
そこから南下してということは面倒になる。
そういうロケーションなのである、三重は。

それは富山も同様だ。

当初、福井→石川→富山ときて、往路へ向かうことも考えた。
だが、富山から往路に入ることは
あまりにも過酷で、それこそ気狂いである。

なにしろ車なのだ。

日程的に次第に終わりへ(往路へ)向かうのに、
わざわざ逆に遠ざかるようなロケーションは組めない。
となれば福井以北はあきらめて素直に南下して東へ戻る
ダイレクションを採ろう、ということになるわけだ。

となると、富山は無理、となる。

こうして阿刀田高の小説<ぬり絵の旅>でも
最後に和歌山県が残っていくわけだが、
シンパシィを覚えたのは
実際に自分もこうして常に旅をする中で、

どうしても三重や富山や鳥取、島根や和歌山は
辿り着きそうもないぞ?

という感慨を抱いてしまうからである。

極論だが、覚悟をもって
そこをデスティネーションとして旅しない限り
それらへ行くことがあるとは思えない。

且つ残念ながら三重県だの和歌山県だのを
覚悟を持ってデスティネーションとするだけの
決定的な理由も存在も、ない。

例えば鳥取県。鳥取砂丘という分かりやすいアイコンがある。
だが、
せっかく覚悟を決めてデスティネーションとしての鳥取まで
わざわざ行って鳥取砂丘を訪れても
そこにあるかもしれない<ディスアポイントメント=失望>への
大きな懸念と危惧、恐怖を抱いてしまうのである。

だから、そうなったらイヤだから、
わざわざ行くこともないでしょう、となってしまうのだ。

三重も和歌山もそれなりのコンテンツはある。
前者ならば伊勢神宮その他。後者ならば世界遺産絡み。
だが、いかんせん、<そこまで行く>ことへの面倒と、
<そこまでして>まで訪れて得られるであろう
予測不能のトキメキに対する不信感(期待はずれへの懸念)の
バランスが、噛み合わないのである。

だから、わざわざ行かない、となってしまうのではないか、と。

あくまでもこれは自分の感覚のことである。
他の人はどうかは知らないし、知ったことではない。

ただ、世界はもとより、ニッポン国内も各地に住んでいるダモシだ。
そしておそらくより多くの都道府県各地に行っている方だろう。
そんなダモシでさえも、ぬり絵の旅として、
未だに残ってしまっている県があり、
それらを見るにつけ、<行かないのでは?>と思えてしまう。

これは、感覚の問題だからしょうがないのである。善し悪しではない。

今回、特に三重、そして富山は少なくともチャンスはあった。
ぎりぎりまで、せめて"三重県は立ち寄れないか"と推敲した。
だが、推敲しても、無理だったのである。
よほど縁がないのか,と。

立地的に近畿になるのに、<なぜか東海>な三重。
日本地図で観た時、この三重県を中心として
三重以東&以北はほとんど塗りつぶされた。
唯一、白く残っているのが、富山県ということになる。


最新の<ダモシ版ぬり絵の旅>図を見れば、状況が分かる。
新潟県と福井県が塗られたことで
富山以外、三重以東&以北はすべて塗りつぶされた、ということが。

http://www.246material.me/nurietabi.html

2011年は、箱根や江ノ島などの神奈川県と東京都を除き、
千葉県、茨城県、栃木県(二回)、福島県、宮城県、
新潟県、長野県、山梨県、静岡県、愛知県、
岐阜県、滋賀県、福井県、山口県、福岡県(二回)の
16県に行き(通過除く)、7県に逗留している現況である。

その逗留を市にまでセグメントすれば、
那須塩原市、仙台市、上越市、浜松市、大垣市、長浜市、
福岡市(二回)、北九州市の8市となっている。

近二年、より多くのニッポン国内へ出ている。
むろん複数回行っているところも多々ある。

この二年で空白・未踏をかなり埋めてきている。

南から、
鹿児島県、佐賀県、福岡県(近二年で五度)。
中国地方は、山口県(近二年で二度)。
初四国で愛媛県も到達。
滋賀県も二度。福井県は今回が初。新潟県も同様。
福島県に山形県も複数回。
10県、近二年で未踏の空白を塗りつぶしたことになる。

残りは10県。いよいよマジック点灯と言って良いだろう。

だが、ここからの残りの10県が先述の通り、
かなり難儀になってくると想定される。

といったところだ。

<アンガーマネージメント・ツアー>個別の掲載は別途。

それをする前にまたぞろ金曜は、
<アンガーマネージメント・ツアー>足利&安中遠征へと出る。




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2011年07月06日

また明日、旅に



"能面不倫不全院"西山だの、

"演技が下手すぎた大根役者"松本だの、

"カダフィや北朝鮮と理解し合える希代の気狂い"スッカラ菅だの、

"彼ら以上に酷い、何も手を打てない"すべての政治家だの、

まあ、相変わらずの失笑劇場ニッポン。
主要キャストは揃いも揃ってコメディアンときた。
バカにして嘲笑の素材にすれば、楽しむことができる。
下手な雛壇お笑いタレントよりマシだ。
なにせ、その「はぁ?」ぶりが度を超しているのだから。

被災者・避難者は自殺するまで追いつめられているのに、
震災とは無関係でも節電の影響か熱中症で人が死んでいるのに、
一方ではチャン・グンソクに大騒ぎする女性たちがいる…。

この国は、ここまでくればもう立派な<投げやり国家>だ。
リビアでさえ〇〇なのに、この国ときたら… と忌憚なく想う。

アンガーマネージメントの効果、か。
あるいはもう嘲笑の存在としてニッポンを見なしたか。
いずれにせよ輩に対する怒りはもう沸かない。
勝手にやっとれ、と。そういう状態である。

そんなだから、また明日、旅に出ます。
明朝から諸国行脚に出る。
アンガーマネージメント・ツアーである。

漫遊ではない。漫遊なんぞしている場合ではない。
そもそも根幹は<怒り>である。
輩には怒りを通り越して嘲笑になっているが、
その底辺ではあらゆることにブチ切れている。
それをどうマネージメントするか、である。

明日は500km近く走ることになるだろう。

今年の夏は暑い。消耗している日々だが、さらに消耗するだろう。
満員電車も疲れるが、車の運転は心底疲れる。
それでも車は飛行機や電車以上の便益を満たす。

特に地方の場合は圧倒的に車だ。

車と列車などの交通機関では、地方における利便性での差は歴然だ。

最近は、ドライビングにおいても
アンガーマネージメント効果で、必要以上に苛々しなくなった。
良いことだ。


しばし、アンガーマネージメントを続けたい。

セルフ・セラピーである。

また適宜、旅先から可能な限り掲載したい。


ちなみに、今年の富士登拝は中止した。
一つには、燃えてこない。
一つには、それをする時間が追いついてこない。

そしてもう一つ、大きな理由が、
今年トライしようと考えていた山梨口からの登山(一般的なルート)から
登っている人々の姿がニュースで流れたのだが、
彼らの姿と顔、ポスチャーから一様に
存在の耐えられない軽薄さを感じとったことが挙げられる。

忌憚なく言えば、虫酸が走ったのだ。
一般口から登る彼らのニヤけた顔やハシャいだ顔を見て。

<こんな輩と同じルートで登ることは、絶対にイヤだ>。

そう感じてしまったのだ。

対富士にでさえ、この国の人々は軽薄になっている。
そう思わずにいられない。

ニッポン人は、こんなに軽薄で、こんなにいいかげんで、
こんなに無礼で、こんなにも我欲に塗れていたのか…

と感じてしまうことが今年は例年以上に多い。
というか、それが露呈されてしまっている。

深刻に、この国、まずいと感じる。
そう率直に感じ入ってしまうのである。

ダモシは大きな七歳だから、
誰も信じないだろうが、ピュアなのである。

我欲、私利私欲、政治的思惑、組織の都合…。
こんなものばかりではないか、この国は、と。

もっと、コドモのようなピュアさで
ニュートラルに物事を見て感じて接して、ということは
絶対に必要である。


まあ、いい。



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