2010年10月04日

悪人



久しぶりの、コンテンツ「映画」欄への寄稿。
映画は先日当欄で取り上げた<悪人>。

主演の深津絵里嬢が
モントリオールで最優秀女優賞を得たことでPR効果を高めた映画である。

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この映画は深津嬢の存在感がやはり大きい。
この女優が出ていなくとも誰かがそこそこ好演しただろうが、
深津嬢ならではの微妙な恋愛における、悲喜でいえば、
常に悲が先立つ中での一瞬の喜の表現の卓越さが光っている。

恋愛期間中の、特に燃え上がるその初動段階における
ハニームーン期はとかくハッピーハッピーになりかねないが、
深津嬢の場合、テレビドラマで昔観た<天気予報の恋人>や
<恋のチカラ>でもそうだったように、
悲喜の喜が過剰にならず、常に悲が先立って、
その悲100の中にある一瞬の1の喜であったり
歓、悦などをその目で魅せることができる。

時にそれは観ている側はドキッとさせられる。

それが映画館のスクリーンという大きな画面であればなおのこと。

主演男優で恋仲におちる妻夫木に
いきなり手を握られた時に魅せる深津嬢の顔。目。
まさに女優といえるのだろう。

深津嬢の魅力は、顔の表情と、やはりその目、瞳だろう。
涼しい目元でありながら、恋愛における
悲が先立った中での喜・歓・悦混じり合った瞳の憂いと潤み。

深津嬢の持ち味は、恩田刑事ではないのだ。


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*****


序盤、思いのほか長い時間、
ヤングボーイ&ヤングガールの、いささか"うるさく"て"軽薄な"
登場人物とそのやり取りに割かれる。

むろん既に最初から妻夫木は出てくるが、
内面的な、外には見えない"よゐこ"性は発露させつつも
男としては"しょっぱい"部類に入る。

しょっぱい男・妻夫木と、
いけすかないお坊ちゃんにピーピーうるさいヤングガール。

この展開が、深津嬢が登場することで一気に引き締まる。

深津嬢と妻夫木が出逢い、逃避行。
そして柄本明と樹木希林。
彼らがスクリーンをほとんど占めるようになってから
一気に重厚感が増す。

そのための布石が、序盤の軽薄なお坊ちゃんと
ピーピーうるさいヤングガールの
思いのほか長い登場時間だったのだろう。

刑法的には悪人に該当しない
その軽薄お坊ちゃんとピーピーうるさいヤングガールだが、
観ている者はおそらくこの二人には、好意は抱かないだろう。

だが、そのヤングガールも人の子。
愛してくれる大切に想ってくれる親:柄本明と宮崎美子がいた。

妻夫木にしても深津嬢にしても
満たされない日常の路上から飛び立ち、
悲の中の一瞬の喜ではあったにせよ
生涯最大とも思える幸福で濃密な時間を過ごすことで救われる。

樹木希林も見ず知らずのバス運転手に,救われる。
悪人の妻夫木でさえも、そこに救いがあった、と。

深津嬢の"うるさい妹"と、あの軽薄なお坊ちゃんだけが
もしかしたら映画で描かれている範囲においては救いがなかったか。

"持てる者"には救いがなく、
善人でも悪人でもいずれも"持たざる者"に救いがあった。

どんな人間でも、救いがなければ、悲しすぎる。
そういうことだろう。

"持たざる者"や"敗者"にこそ、必要な救いがある。
救いがあるからこそ、映画としてグッとくるわけだ。


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携帯時代の今、
緑の公衆電話と硬貨も絶妙な味つけとなっている。



*****


深津嬢が素晴しかったのは言うまでもないが、
映画のテーマとしては、柄本明がキーポイントだろう。

終盤に入るところで柄本明が、ボンクラな軽薄お坊ちゃんに語る教示。
ここが分水嶺であろう。

ここから一気に映画は熱くなり、
<あぁ、なるほど>と感じて、さらにスクリーンにのめり込む。

人は、大切に想う誰かがいるのといないのとでは、
己の日常に大きな違いが生まれる。

親、祖父母、夫、妻、子、恋人、そして愛人も含め、
守りたいと想える存在や
その人が笑っているだけで嬉しくなる存在がいることは、
当たり前だが幸せなことだ。

トモダチがいっぱいいるよりも、彼女や遊び仲間がいっぱいいるよりも、
たった一人だけでも大切に想える人がいることの
己にかかってくる重みが強い。

そして、大切に想える人がいるとき、それを守りたいと想うとき、
人は己が持っている潜在能力が湧き出る。覚醒する。
覚醒する機会や、その際に発揮される力は、誰しもが持っているわけだ。


二時間を超える長い映画だが、飽きさせることなく、
且つ、終盤に差し掛かる分水嶺からは一気に身体が熱くなってくる。

人間の業。それを改めて感じさせてくれる映画だ。

お薦め、だ。

http://www.akunin.jp/index.html


:::::


<悪人>はワイフと二人で観た。

二人だけで映画館で映画を観るのは、
それこそアントンが生まれる前以来だから

ニューヨーク時代にクイーンズの映画館で観た03年以来
七年ぶりのことだった。

ニッポンでワイフと
二人だけで映画館で映画を観るということになれば、
<アポロ13>以来だから1995年以来、実に十五年ぶりだった。

恐ろしいほど間隔が開いていたわけだ。

しかも邦画ともなれば映画館へ
これまでワイフと二人で観に行ったことはなく、
なんとも驚くべきことに
90年の交際開始以来、二十年経って
<映画館で二人で観た初めての邦画>ということになった。

ダモシ自身はニッポン復帰以降は、邦画ばかりだ。

昨年は<劔岳>、<ヴィヨンの妻>に一連の<仮面ライダー>。
今年も<仮面ライダー>に、今回の<悪人>。

当時(98年以前)と比べれば邦画のレベルも内容も
破格にアップしている気がするのだ。


だが、久しぶりに観たい洋画が、今ある。
<エクスペンダブルズ(消耗品軍団)>である。

http://www.expendables.jp/

スタローン、ブルース・ウィリス、
アーノルド・シュワルツェネガー以下、
錚々たるアクション・スターのオールスター。

これは、仮に吹き替えがあるのならばアントンと行きたい、と。




posted by damoshi at 23:45| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月07日

Hagetaka



ニューヨーク時代の晩年から、否、
98年までの本妻時代の晩年から、既にテレビは
NHK以外は、ほとんど観なくなっていた。

それは最近も同じ傾向。

そもそも民放の
"ひな壇芸人"などを擁した低レベルの総花バラエティや
スポーツ中継での軽薄さなどに
90年代に入ってから既に辟易していたということもあるが、

あまりにも民放のプログラムの低レベル化が
90年代以降、顕著だからでもある。

ただ騒がしいだけ。意図的で、虚しいだけの、賑やかし。

NHKのレベルの高さは民放と比べるべくもなく、
そのプログラムのみならず、撮影技術にも表れている。

さらにNHKの質の高さが顕著なのが、ドラマである。
これもまた最近に限ったことではなく
昔からのことだが、

今週、あるドラマにハマっていた。

<ハゲタカ>である。

これはダモシが在米中にニッポンで放送された
NHKの硬派ドラマの再放送。


hage1.jpg


深夜0時15分あるいは45分から連日放送され、
昨晩(今朝)の第五回〜最終回の二回分放送で
フィナーレを迎えたが、

なかなか見応えのある上質なドラマだった。

その<ハゲタカ>の映画版(昨年公開)が今宵、
そのNHKで21時から放送される。

もちろん視聴する算段だが、
テレビ番組表を見てフジテレビでは
昨年ダモシが劇場で観て感銘を受けた名画
<劔岳〜点の記>も放送されるから困ってしまう。

同じ21時から。
どちらも観たいが、<劔岳〜点の記>は劇場で観たが、
<ハゲタカ>は観ていないとなれば、

後者を観ることを選択することになろう。



*****


<ハゲタカ>のテレビ版が放送されたらしいのが、2006年。

ちょうどダモシが、あの米との最終戦争のために東京出征で
東京に長期滞在(05年末〜06年3月下旬)していた年だ。

その滞在中、雑誌の取材で、東京のイマをフィーチャー。
まさにドンピシャのタイミングで
ホリエモンが逮捕され、村上ファンド騒動も勃発していた頃合いだ。

いけすかない奴。

彼らに対するそんな想いは抱いた一方で、
対ニッポン、だらしない堕落したニッポンへのアンチテーゼ
という意味では、外国暮らし&外国目線でいたダモシとしても
少なからず理解できる側面もなきにしもあらずではあった。

今週、ドラマ<ハゲタカ>を視聴していても、
ニッポンのエリート・バンカー芝野に対してよりも
"ハゲタカ"鷲津に対するシンパシィを覚えた。

守るべき大事なものは確かにある一方で、
守るも何もそういうレベルではないところでの、
ニッポンの堕落。

後者に対する、愛国心があるからこその、怒り。

それはまたダモシも同様で、
だから異国へ飛び出したという部分もある。

戻ってきたところで、異国を経験したからこそ、
そして諸々、"普通ではない立ち位置"にあるからこそ
出来ること。

それはニッポンのため、であったりもするわけだ。

基軸を、己が生まれ育った国籍のある国としながら、
そこで甘んじて堕落に身を委ねるか
あるいは
それをあえて否定、厳しく鬼になり、
徹底的にダメなものはダメとして潰した上で
再生するか。

どちらを選ぶかは、後者の場合は、
外へ出た人間でなければ、まず不可能なことである。

それは外へ出てみて分かるが、
内にだけいれば感覚がもはや麻痺してしまうから
堕落していても気づかなかったりする。

外へ出て、外から見て、初めて気づくことは厳然とある。

そういう視点からも、海の外から戻ってきて
ニッポンを"買い叩いた"鷲津に
悪い感情を持てなかったわけである。

そして、ダモシもそうだが、鷲津の根底には、
ニッポン大好きという基本マインドが存在している。

それもまた、外に出たからこそ、
よりそういったマインドが育成される基盤にもなるわけだ。


テレビ・ドラマ版の<ハゲタカ>のラストは、さらに良かった。

抑揚のきいたNHKのドラマづくりはお見事で、
ただ騒がしいだけで、無用な賑やかしだけが横行する
民放のそれとは、まさに比較しようもないほどである。

民放は、たとえば日本テレビにしても
<視聴率が下がった下がった>というエクスキューズのもと
巨人戦の、たとえば阪神との首位攻防戦すら放送しない
という堕落ぶりだ。

放送しなければ=露出をしなければ、

ますます認知度も知名度も減り、人気も得られず、
収入も減るという悪循環になることを
気づいていないのだろうか。

プロ野球の巨人戦という、
"守るべき伝統"の一つを取りやめて、
では何を代わりに放送しているのか?となれば、

それが総花的なひな壇芸人らの下品で低レベルのバラエティとくれば、
もはや救いようがない。

低予算でプログラムを製作できるから
ああいうひな壇芸人らを大挙として使うのだろうが
芸人自身も恥ずかしくないのか?

それこそ、"そのへん"の下らぬ飲み会を
そのままスタジオに持ってきて放送しているだけだ。

また、それに乗じて阿呆なのが、
そういう番組のスポンサーになる企業である。

企業もまた、低レベル化しているのだろう。
だから楽天のように社内英語化などという
これまた低レベルな施策を採用したりするのが現れるのだろう。

売上構成で海外売上を7-8割にするという野望があるのなら、
いっそのこと本社を海外へ移転すれば良い話である。
ニッポンでの売上よりも海外のそれが重視ならば、
きちんと異国の地に構えて異国の地で勝負してこそ。
それでこそ"本物"であると、

異国の地で闘った者としてのプライドで、そう言って差し上げたい。

鷲津の気持ちは良くわかる。

ニッポンのために闘った鷲津。

ニッポンのためにニッポンの阿呆な企業を再生する
というのは、

海外での売上重視&社内英語化するより、

よっぽど全うな方法である。


21時になる。観なければ。

映画では、
ダモシの天敵でもあるチャイニーズの襲撃に、
鷲津がどう対抗するか、楽しみである。






posted by damoshi at 20:51| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月10日

閑話休題〜Always三丁目の夕日



オフィシャル事案で
東京タワーと関わりを持っている
というタイミングもあって、

今宵テレビで放送された
映画<Always三丁目の夕日>を、

この映画自体はじめて
きちんと最初から観たわけである。

そもそもテレビを、
そして映画をじっくり観る自体
珍しいことだが、

見入ってしまった。

以前一度、テレビでこの映画を目にしたが、
それはじっくりと観ていない。
流してちらっと観ていたわけである。

ムードとイメージで。


在米時代の邦画だから
そもそも公開当時は観ていないし、

その当時のニッポンでの
映画の評判も
ちらっと耳にする程度であった。


一人でじっくりと
久しぶりにカウチで寛いで
観たわけだが、

中盤から既にもう泣いていた。


昭和33年という
東京タワー完成の頃合いの時代考証風情や
ノスタルジー的要素は別として、

ダモシ的には親と子、
そして男児へのフォーカスという部分で
泣けたわけである。


<俺がこんなに泣くか?>と思えるほど。

むろん
己がジュニアがいる中で
コドモというフォーカスに
投影する部分もあってのことだろう。


ステレオタイプに
<あの時代は良かった>と括ることは
危ういところで、

当然ながら
その時代の人やモノの美しい面を
より引き立たせるからこそ映画なのだが、

時代的に、モノが少ないが、
夢や希望、そして心の豊かさは
あったであろうことは、

ダモシの己が父親を振り返っても
理解出来ることだ。

はっきりと今のニッポンには
夢も何もあったものではなく
とっくに沈没して
這い上がるパワーも失われているが、

個々では未だオトナでも夢のある者はいる。

己もその一人であると自負している。


基本、
<親><オトナ>という括りでの
コドモへのクリスマスという
フォーカスにおいては、

逆に
映画に描かれているあの頃も
今も変わりない。

コドモへのクリスマスなどを通しての
ファンタジーの提供は
子を持つ親ならば
精神性は同じである。

コドモの目の輝きも同様。

映画の中で
本を目を輝かせながら読んでいるコドモ。

それもまたあの時代だけではなく、

現代においても
ジュニアが好きな本を読んでいる時の
目の輝きと比べても何ら変わりはない。

目を輝かせて
好きなものに接して夢中になっている
コドモを見ると

何ともいえない感情が込み上げるものだ。


<かわいいな…>と。



コドモを、
"あの頃は良かった"という時代に違わず
ファンタジーや夢の輝きを受けながらも
且つ現実の世界観の中であっても
夢というダイナミズムを抱えながら
生きていくことができるように
導くのは、

時代に関係なく

親のレスポンシビリティである、と。



ただ一つ、あの頃と今の圧倒的な違いは、
どう足掻いてもあの頃に太刀打ち出来ない
現代の<揃いも揃い過ぎている>という状況だろう。

堤真一扮する鈴木オートの台詞ではないが、

<戦争は終わったんだ。何だって出来る。
 世界にだって出ていけるんだ>

というオトナのパッション。

いわば国が、そして個々が
いずれもチャレンジャーだった時代。

そこに大きな違いがあるわけだ。



それは大都会への憧憬という面でも
当時と現代の相違がある点でも同様だろう。

青森から集団就職でやってくる
学生たちが
列車の中から見える東京に

<うわぁ>と歓声を上げる。

すなわち夢の大舞台なのである。
最先端の大都市なのである。


が、今、それはない。

かつて
"北の某"の洞爺湖在住者が
札幌を称して

<やっぱり札幌は凄い大都市だ。
 洞爺から来ると、それが良くわかる>

と言った際、ダモシはキョトンとした。
溜息を漏らしてしまった。


<札幌で、か…?>と。


東京ネイティヴであり、
ニューヨークを愛人とするダモシからすれば、

それこそ

<何をスケールの小さなことを言っているのだ…>
となったのは致し方ないことだが、

同時にそれは
洞爺湖のその人にとっては
そう思うこともまた致し方ないのであろう。

ただ、互いの価値の基準が
まるでズレていただけの話である。


それは
NBAを観たこともない人が
北の某のバスケットを観て
<これこそ最高のバスケット>と
ダモシの目の前で言ってしまった
イノセントにも共通するわけで、

善し悪しは別として

それは基準値の違いである。

そういった基準値の、
いくらなんでも"世間知らず"と
言っても差し支えないレベルは別として、

当時は誰もが<東京>という秤を
持っていたであろう。

なにはさておいても

国内においては東京こそ最先端で
大都会である、という。

だからこそあの憧憬。

それはダモシが十代の頃は未だ残っていた。

地方から出てきた大学の同級生は
いずれも
東京に来て西新宿摩天楼を観て驚愕し
感動し、<さすが東京>と感じている。


しかし今、それはもうないだろう。

格差はあれど、ローカルもローカルで
立派な都会(洗練とは別の意味で)である。

高層ビルが普通にある。

当時のようなドラマティカリーなまでの
見映えの差はない。


そして映画に描かれているあの時代は、
ローカルの人のみならず
東京の人もまた
進化していく東京自身に憧憬を抱きながら
日常の路上を踏み応えのあるものとしていた
のではないか。

その指標が、天に伸びていく東京タワーだった、と。

今、新東京タワーが建てられているが
沸き立つような夢は感じない。

既にあまたあるシンボリックな建造物の中で、

単に高さの記録を超えるよう
予め設定されている意図が
丸見えだからかもしれない。


東京に憧れ、そして海の向こうに憧れた昔。

東京ネイティヴだから
東京には憧れない代わりに

ダモシはニューヨークの憧れた。

初めてニューヨークの地を踏んだときの
心のときめきと
感動は

未だに消えない。

既に二十代だったが、あの日のダモシは
目が輝いていたであろう。

そしてその輝きと高揚が
実際に住んでも、長きに渡っても
一向に消えなかった。

そこがニューヨークの凄さである。


当時の東京は、
ダモシにとってのニューヨークのように

出て来た人にとって
輝きが消えることのない大東京だったのではないか。


今の東京には(否、80年代で終わりだが)、
そういった部分での魅力は皆無だ。


だからか?

今、誰もがノスタルジーの中の東京、
ノスタルジーの中のニッポンへと
フォーカスを移行させている。

戦国、武将、城、城下町、和のアトモスフィア。

東京でいっても浅草や下町。

ダモシ自身も
東京へのフォーカスはもはや<新>ではなく
<旧>である。

玉電にしても松陰神社にしても浜離宮にしても
何にしても

オトナの遠足&お散歩での東京へのフォーカス、
ニッポンへのフォーカスは

いずれも<旧>及び<旧の変わらぬ姿と伝統>

に向かっている。


時代もそうだろう。

フォーカスが過去に向かっている。

あの頃のフォーカスが
前へ前へ、未来へ未来へ
と向かっていたのと正反対。

そこが善し悪しとは別にした
映画で描かれる時代と現代の大きな相違
ではないかと感じられるわけである。





*****




映画に出ていた薬師丸ひろ子が
良い味を出していた。

薬師丸ひろ子といえば、

ダモログのカテゴリー<事件シリーズ>既載の、
高校時代の
<恐怖のしもぶくれオンナ事件>
http://damoshiny.seesaa.net/article/109534909.html

でも登場しているように、

まさにダモシ世代の女優である。


世代に等しく、今や母親役で登場し、
これまた男児に対する母性としてならではの
優しさの投影。

これがまた秀逸で、

やはり己がジュニアへの接し方と
ワイフのジュニアへのそれの
父親と母親での違いも的確に描かれていることが

ダモシ自身また重ね合わせてしまい
落涙へと導かれてしまうわけである。


映画を観終わって
メールをチェックすると、

ケイバタイムスのメンバーから
次第に原稿が送られてきている。

その中に、一人の友人からのそれもあった。

添付を見るとイラストがある。

そのイラストが薬師丸ひろ子だった。

まさにグッドタイミング。


友人は言う。


<「野生の証明」(の薬師丸ひろ子)。

 この映画の広告を新聞で見て
 東京にはこんなにかわいい娘がいるんだぁ
 と思った中学時代。

 ちなみに薬師丸ひろ子とは同い年>。



まさしく未だ、<東京は違う>という
神話性が残っていた時代を反映する台詞でもある。


昨年からローカル各地を巡っている
現代のダモシにはもう
そういう神話性はない。

当時からなかった。

逆に<地方はカワイイ子が多いなぁ>
というのが、

率直な現在の様相で、

それこそ東京は
薬師丸ひろ子時代は実際にいたのかもしれないが、

今や東京の路上で
匂い立つようなオンナは激減しているのが
実態であり、

京都はもとより、

山梨でさえ、

そういうオンナはごろごろいるし、

ダモシの目には
何人も
普通に路上を歩いていて
地方の方が魅力的な女性は多いのが実際である。


これは何故なのか。その理由は考察中である。


とまれ、時代考証は面白いし、
決して無視出来ない事案である。


今宵、閑話休題の締めは、

その友人が描いた
<野生の証明>の薬師丸ひろ子。



h-yakushimaru.jpg








posted by damoshi at 00:50| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

映画<ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ>







太宰治は

<富士には月見草>や
<五反田は、阿呆の時代である>、

あるいは
「帰去来」での書き出し、
<人の世話にばかりなってきました。>に、

<生まれて、すいません。>等々。

それらを例にとるまでもなく

キャッチーな
分かりやすいシンプルな言葉を
用いるのが上手だ。


「富嶽百景」における
<東京の、
 アパートの窓から見る富士は、くるしい。>も
そうだ。


文章の巧いのが三島由紀夫だとすれば、
印象に残る1フレーズが巧いのが太宰ともいえるか。


太宰治生誕100年であることは
もはや周知のことであろう。


http://www.goshogawara.net.pref.aomori.jp/dazai/


太宰原作映画の公開が、今年は花盛り。


それは松本清張も同様(生誕100年)。


太宰と松本清張の誕生年が同じだった
というのは、

今年になるまで気づかなかったこと
であると同時に、

意外な感覚を覚える。




いずれにせよ今年は、

太宰モノと松本清張モノが多い。


太宰は
・ヴィヨンの妻(10/10〜)
・斜陽(10/17〜首都圏は立川にて)
・パンドラの匣(10/10〜)
が今まさに旬の公開となっている。
(「斜陽」のみ既に5月から五月雨式に公開中)。



松本清張は
この秋<ゼロの焦点>の映画が公開される。

その他、ニッポンでいえば
山崎豊子女史がまた今年お盛んで
大作<運命の人>が出版されたかと思えば、

この秋は

テレビで<不毛地帯>
映画で角川映画の大作として<沈まぬ太陽>と
目白押し。



太宰、松本清張、そして山崎豊子は
今年のカルチュラルな一つの切り口に
なっているのであろう。




当欄でも昨年以降だけでも
太宰治関係は度々掲載してきた。


太宰治と三鷹(墓所、その他)
http://damoshiny.seesaa.net/article/108799485.html

太宰治と五反田
http://damoshiny.seesaa.net/article/108796062.html


その他。







*****






今宵のフィーチャーは、

公開三日目の映画
<ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ>。




vi3.jpg



原作同様、

とにかく

男はダメ
女はすごい

を知らしめられる映画である。


そもそも太宰はダメ男だが、

とどのつまり
男はある意味で皆、ダメ男である、と。


逆説的にいえば
ダメでなければ男ではない
ともいえるわけである。


あまりに
きちっきちっとし過ぎていたり
何でも出来てしまう男は
面白みに欠けると同時に、

女にとっては魅力を感じられない
部分もあろう。



ダメな男のダメっぷりが
あるからこそ引き立つ
<しょうがないわね>
という母性本能的な包容力がある。


それを女が持っていても

男にダメっぷりがなく
完璧主義であったならば

生かす術がなくなり、


男に寄りかかるしかなくなる。



ヤングガールやヤングレディの
頃合いには

ブリッ子ではないが

ややもすると
甘えるキュートさを売りにする
ケースが女にはあるが、

それには
いささか無理がある。


大不評の
TBS系の小林麻耶ではないが、


<いい歳こいて
 いつまでそういう
 ブリっ子しているのだ>

と気色悪いぞ?

的な顰蹙を

結局は買うわけである。


あるいは
男から見ても
いい歳こいた女が
いつまでも青臭いことを宣っていると

<いつまでもそういうキャラで
 通用すると思ったら
 大間違いだぞ?>

と揶揄してしまう。




本質的に

女のキュートさは
ブリっ子で分かるように
意図的であり計算である。


それが根底にあるわけではない。



根底と本質には、

とどのつまり
新たな生命を創造し
それを産み落とし
それを守るという

包容力と強さに帰結するからして、


男女どちらが

より互いの異性への寄りかかり度が強いか
といえば、

圧倒的に男の方が
女への依存度は強いわけである。



どう考えても、


女が男に対するそれよりも

男が女に依存する度合いの方が強い。





そして

男のダメっぷりというものには
種類がある。


ダモシのダメっぷりと
太宰のそれは
全然異なる。


石田純一のそれと
鳩山由紀夫のそれもまた異なろう。



ただ、

共通するのは

子供っぽさである。


男には
誰しも
いくつになっても

子供っぽい部分がある。


リアルな子供もまた
デキのよゐこよりも
やんちゃな子供の方が
怒られる機会は多いけれど、

カワイかったりするわけだ。



<しょうがないわね>

という

女の根本的な太陽ぶりは、

そういった
男のダメっぷりの振り幅に応じて
変化するものであろう、と。



ただし、

その
子供っぽさを内包する
ダメっぷりにも限度があり、

レスポンシビリティを放棄するような
罪を犯してしまっては
取り返しがつかず


女はさっと踵を返して
愛想を尽かすであろう。



太宰のそれは

ある意味で
ダメの極地なのではあるが、

そのダメっぷりの範囲が

カワイイで収まるレベル

であったことが、


モテル

一つの要因にもなったのではないか、と。





要するに


お金や地位ではなく

本能的に動物的に
何かが惹かれ合う、触れ合う関係。


それこそがディープな所作ではないか、と。


そこでこそ男女の本質的な

心身両面での営みを
より燃えさせるのではないか、と。





結局は

何だかんだいっても
動物的に、且つ本能的に惹かれ合う
以外に、


男女が営む理由はないのである。





映画もグッド。

酒や食(モツ煮込み)が
異様に旨そうに見えるのも特徴。



さらに
松たか子が
どうしようもなく良い。


この匂い立つ色気は何だ?

と。


尋常ではない色気の
松たか子の前では

<おくりびと>で
女の匂いを発散していた広末涼子が

完全に霞んでしまった。





ダモシ的には、


映画の舞台であるJR中央線は

先般の寄稿にあるように
想い出のあるラインだけに
見ていてシンパシィを覚える。


特に

劇中の主人公夫婦である
太宰夫婦が住むのが
武蔵小金井。


映画の主舞台・中野から
JR中央線で
吉祥寺なども登場しながら


武蔵小金井駅で

松たか子が降りていく。




渡米前最後の二年を
この武蔵小金井で過ごしたダモシは、

オフィス帰り、

ワイフの勤め先のある
吉祥寺で待ち合わせて


一緒に
武蔵小金井まで帰ったことを

否応なく想起させる。



昔のJR中央線の車両も車内も、
昔の昔小金井駅もグッド。



それこそ昭和の、戦後の、東京が
洒落た舞台として描かれている。






映画のラストもまた

原作に忠実。




冒頭に記載したような
太宰治特有の
キャッチーな台詞で締められる。



予期される最後の台詞だが、


そういった
水戸黄門の印籠的な
"お約束"を前に、


松たか子が

その台詞をどういうアトモスフィアで
述べるのか、


ダモシは妙に緊張して

その直前、


つばを飲み込んだ。









vi1.jpg





vi2.jpg




(映画のパンフレットより)。







vi4.jpg



舞台となった小料理屋「椿屋」の
名物料理「モツ煮込み」が
現在、渋谷のカフェで再現されている。







:::::




・<ヴィヨンの妻>映画公式HP
http://www.villon.jp/








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2009年07月19日

劔岳-点の記-







久しぶりに
カテゴリー<映画>を記載したい。



今宵、
横浜港北エリアで

ぶらっと

ひとりじかん

で、


映画<劔岳-点の記->を観てきた。



ひとりじかんで
映画を劇場で観るのは、

ニューヨーク時代の
<9.11>以来。


<本妻>復帰以降では
先の
ジュニアと二人で出かけた

やはり同じく港北エリアで観た
<仮面ライダー・ディケード>
以来となった。




折しも、夏休み。

そして三連休の中日。

高速道路のみならず
映画館も大混雑。


といっても

ローカル都市ではない。


都市部一箇所にのみ
複合型シネマ・コンプレックスが
あるだけではないのが

田園都市&横浜である。


近隣でも

港北ニュータウンの
ノースポート・モール、
ららぽーと横浜、

あるいは
南町田の
グランベリー・モール
と、

至近距離に複数の大型シネマ・コンプレックスが
存在しているから、


客も分散するはずである、と。




いくら

・ポケモン
・ハリーポッター

というコドモ向け
夏休み映画が上映されているとはいっても


混むのはそのチケットを買う
人々が列をなす
チケット売場やグッズ売場もしくは

その上映劇場のみ


と想像していた。




だが、甘かった。


・ポケモン
・ハリーポッター

はもとよりだが、



妙に

ダモシ的俺たちの世代=アラフォー



その上の
ミドル・エイジ

シニア世代


が多い。



長蛇の列を経て、

ようやく
ダモシがチケット購入。



(<まったくポケモン軍団は…。
  この人たちがいなければ、
  もっと早く買えるのに>)

と思いながら、



<ツルギダケを一枚ね>

と女性係員に告げる。




と、女性係員。



<申しわけありません。
 実はツルギダケ、すごい人気で、
 お席ももうここしかないのですが…>



シート図を見せて
中段の右端を指差す。





<え? 混んでいるのですか?
 ツルギダケが混んでいる?
 本当に?>


<ツルギダケって人気なのですか?>


とキョトンとするダモシ。




<ええ、人気なのです…>と係員は
申し訳なさそうに言う。



なぜ

申し訳なさそうにするのか。


関係者が見たら、怒るだろう。






ダモシは、


<でも席があって、良かった。
 ええ。そこで良いですよ。
 あと駐車券ね>


と言って、チケットを購入し、

映画鑑賞者は駐車場が無料になるので
押印してもらった。





そして、

ポケモンかハリーポッターを待つ
ファミリー軍団or母子軍団の喧噪を抜けて

グッズ・ショップへ歩を進め、


そこで
ツルギダケのパンフレットを購入してから

上映ルームへと入った。









*****







ニッポン映画界を代表するキャメラマン、

木村大作。



氏が自ら監督として
メガホンをとった大作。


それが<劔岳-点の記->だ。





tsurugidake1.jpg






近年では
<極妻>シリーズで名高いが、


そもそも

・日本沈没
・八甲田山
・復活の日


などなどの壮大な大作から

・駅 STATION
・鉄道員

などの名作を

己がフィルモグラフィに重ねてきた
木村大作。



"伝説の活動屋"ともいわれる
妥協なき
本物の映画づくりは

半世紀に及ぶ。





ダモシも

<八甲田山>
<日本沈没>
<復活の日>はもとより、


<駅 STATION>まで

氏のキャメラによる映画は観ている。




特にダイナミズムを擁する

<八甲田山>や
<復活の日>などは

氏のキャメラの仕事の真骨頂でもあろう。





映画のパンフレットにある

この作品のセールスポイント。




<けっして名誉のためでもなく、
 利のためでもない。
 仕事に誇りをもって挑む男たち。
 いま、わたしたちが失くしつつある、
 日本人の心の物語である>。



さよう。



そしてこの映画のキャッチ・コピー。


これがすべて表している。




<誰かが行かねば、道はできない>。




この映画は

単なる
山岳映画、山登り映画と思ってはいけない。


実は、そうではない。


日本地図を完成させるために
命を賭けて己が仕事に挑む男たちの
ストーリー。


舞台が、山であるという世界観が

氏のキャメラも生きてくるわけだが、

根本的には

ある意味で

"地図を作るためだけに、
なぜ、そこまで命を賭けてまで…"

という

生き様/仕事/ライフ

が綯い交ぜになった映画なのである。





"ただ、地図を作るためだけに"

危険な山に登る。

しかも
未だ誰も登頂し得ていない
〜前人未到の〜頂を目指す。



地図と命は引換えにはできない。


しかし
それはどんな職業でも同じであろう。


職業に貴賤はない。

要は、己が誇りを持ってやっているか否か。



そういう意味では、

ダモシのように

何かを
少しでも売れるように
少しでもPRになるように
少しでもこちらの気概が伝わるように

そのために富士を登る場合もあるわけだ。




ただただトラックで荷物を
青森から名古屋まで運ぶだけのために

高速道路を運転する。


それも誇りを持てば、良い。



ただただゴミを運ぶためだけに
毎朝
ゴミ収集車に乗ってピックアップしていく。


それも誇りを持てば、良い。



何も

コンピュータ上で
ラクして株でお金を稼ぐだけが能ではない。




"ただただ〜のために"

というのはまた、

恋愛や結婚生活も同じである。





"ただただ、キミが生きていてくれさえすれば良い"

という究極の感情は、

愛している場合の
到達点の一つであると感じられる。





とどのつまり、


己が選択して、行動している、行為には、
なんびとも介在し得ない
誇りを持ってさえすれば、



"ただただ〜のために"で良いわけである。





映画はシンプルにそれを訴求する。



劔岳という
前人未到の頂に



<ただただ、その頂に真っ先に立つこと>

を目標にする日本山岳会と、


<ただただ、地図を作るために、
 その頂に登ること>

を目標とする主人公たちでは、


そのモチベーションとモメンタムに

善し悪しではなく

大きな差異がある。




そのシンプルな差異をシンプルに
見せてくれるから分かりやすいのである。



形だけにこだわる国側や上層部に反し、

形にはこだわらず
ただただひたすらミッション第一義で
粛々と困難に立ち向かう主人公たちの

清々しさと、


必ず

家族や親友など

味方をしてくれる理解者がいることの

大切さや有り難みをも
シンプルに描いた映画といえよう。





むろん、

舞台が山であるということでの

ダイナミズムと、


そのキャメラワークによる

これまた映像での
"苦難"の分かりやすさも

シンプル・イズ・ベストである、と。






ただの達成感や到達感、苦難を乗り越えた感を
基軸とする感動ストーリーではない
ラスト数十分の展開も

ニヤリとさせられる。




キャストの中では、

とりわけ

主人公に対して
山案内をする現地の人を演じた香川照之と、


何をやらせても
味のある

主人公の妻を演じた宮アあおいが


良かった。




むろん、

いつも良い定番の
役所広司も相変わらず好演だ。





いずれのキャストも、

めいっぱいではなく

絶妙な匙加減で

"抑え気味"
(演出上、意図的にローキーにしていたのであろう)

な演技がまた

映画を引き締めた。







tsurugidake2.jpg





tsurugidake3.jpg







映画は6/20から公開されているが、

観客動員も200万人に到達する勢いで
ヒットしているという。



コドモや若者向け映画が多い中、

これは
確かにオトナ向けの映画といえよう。



シニアの登山ブームとも相まって

今宵も
シニア夫婦や
ミドル・エイジの夫婦などが


客席に目立っていた。






tsurugidake5.jpg


<劔岳-点の記->公式ホームページは以下。
http://www.tsurugidake.jp/












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2008年11月13日

<恋の西武線シリーズ>西武新宿/殺人魚フライング・キラー









冒頭まずは、映画である。



邦題は
<殺人魚フライング・キラー>。

原題は<ピラニア2>。

ジョー・ダンテ監督の手による
<ピラニア1>があったということだ。


当時は

この映画が
続編モノであることなど
意識することもなければ、

これが
あのジェームズ・キャメロンの
映画デビュー作であることなど

知る由もなかった。






時に高校二年生。
恋の西武線時代。

ダモシにとって
この映画は、

蒼が散る時代の
淡い記憶を甦らせる、象徴的な映画である。










*****










ニューヨーク。2003年、夏。

ワイフは
お腹にジュニアを宿していた。


自宅でたまたま
テレビを観ていると、

ミシシッピ川に大量に増殖した
空を飛んで人間を襲う<巨大鯉>の
ストーリーが流れてきた。



水中からジャンプし、
空中高く飛び上がる巨大鯉。

彼らは
ボートに乗る人間に襲い掛かってきた。


その映像を観た瞬間、
急に<殺人魚フライング・キラー>を
思い出したのだ。




不意に思い出した21年前のあの記憶。











*****










当時、ダモシは恋をしていた。

"北の某"国への修学旅行。

ハコダテで
乱闘と悪行を重ねていたことで、
既に
帰国後の停学処分は決定していた。




しかし
それでも懲りないダモシは、

次の行き先だった
枯れて寂れた温泉街の
その宿で深夜、


女子部屋へ乱入した。


宿の室内電話を使用し、
オトコ好きで知られていた女子のいる
部屋へ電話。



<これから行くよ>と
仲間四人と共に、夜這い行為を働いた。


その部屋には
六人の女子がいた。

六人いればブ○もいる。

対象は限られている。



男好きの異名をとる女が
<ねえ、寝ないの?>と言った。



我々はどのような
四対四の対抗戦組み合わせをするか検討、

さらには相手側六人のうち四人は
どうやって選抜するか、協議した。



そして
いよいよ先鋒戦のゴングが
鳴ろうとしたその瞬間、

何者かの密告により駆けつけた
レフェリー(教師)に発覚し、


万事休スとなったわけだ。



行く先々で
悪行を重ねたダモシ軍に対し、

教師はその場で
腕立て伏せ1,000回を強制的に命じた。

現代で考えれば
大きな問題になりそうな暴挙だが、

時代が時代だけに、
そういった力技での教師による懲罰は
厳然と存在していたし、


そういった行為と
教師の暴君的な態度があったから、

ダモシ世代は
"校内暴力全盛世代"だったのやもしれぬし、


良く解釈すれば、

いずれも
ある意味で"しょっぱくなく"、

逃げず、


闘っていた

ともいえよう。




まあ、
現代の
猫も杓子も"しょっぱくて"、"嘘つき"
が横行している世の中とは

レベルが違うであろう。




その後もダモシは、

最終のデスティネーションである
"北の某"の首都サツポロの
ホテルで、

これまた喫煙。

そして、発覚。


"或る女"との
小学校五年生以来の再会
という約束を

翌日の
唯一の全体自由時間に
控えていたにも関わらずの

ご乱行


によって、

教師から殴打。




さらには悪いことに、

翌日の
<全生徒自由時間>が、


ダモシと
ダモシ軍の喫煙と発覚のせいで
中止という事態に陥った。


それにより
ダモシは意気消沈して、
或る女に電話で"嘘をつき"再会の
中止を告げた。

しかし
意気消沈している間もなく、


自由時間剥奪に怒った
他の生徒たちや
いわゆる"番"グループが、

ダモシ軍の部屋を襲撃するという
情報が入った。


ダモシの仲間が
伝令で知らせてきたのである。



<○○が、来るらしいぞ>

<マズいぞ>

と。



多勢に無勢は明らかだ。

こちらは一室四名。

全員が喫煙したのだが、
最後には全員が自白していたこともあり
意気消沈度は激しく、


それに輪をかけて
ダモシは
或る女との再会が消滅したことで
涙していたわけである。



一方的にヤラれるのが
オチだった。



だが、
そこがまたヤングボーイらしいのだが、

ダモシは涙を拭うと、


自らの落ち度で招いた事態
であるにもかかわらず、


或る女との再会が消滅したことへの
怒りのパッションを、

対"番"グループや
他クラスの他生徒軍団との

戦闘にぶつけるべく
マインドを切り替えた。




<よぉし、そうかい>

<来るなら来いと、言ってこい!>



狂乱ダモシを制する軍団三人。


そこへやってきた
まず先頭でいきなり"番"グループ。


まるで
今振り返れば、

長州力と橋本真也の
<コラコラ問答>の世界観で、

ブチ切れている両陣営が
狭いホテル室内で
つかみ合い&モミ合いしながら、



<テメエ、コラ>だの
<カチ食らわすぞ、オラ>だの
<お前、タコ、何だ、コラ>だのと、


もうそれはそれは
貧相なボキャ丸だしで、
罵詈雑言&手足総動員での乱闘と
相成った次第である。


そこへ
他のクラスの生徒軍団も便乗
してきたから、さあ大変。


いつの間にか
ダモシが属していたクラスの
他の部屋にいた者たちは
ダモシ軍に加勢して、

それはそれはもう
30人40人のコドモたちが

シティ・ホテルの狭い狭い室内で

<これ、逆に身動きとれんだろ>

的世界観に至り、


最終的には

ただの


おしくらまんじゅう

の様相を呈してきたぞ、みっともない。




"北の某"らしく
シャビーこの上ない
シティ・ホテルは

もはや揺れていた。


クリスマス・イヴの夜に
揺れるなら、

ホテル側もセールスが
成り立つであろうが、


ただのウィークデイであり、

しかも
団体修学旅行である。


ホテルが壊されてはたまらんぜ、と。



その
おしくらまんじゅうの中へ、

またぞろ教師軍が乱入。


ダモシは
そういう様相の中だからこそ
誰にも見られないということで、

ひざ蹴りだのエルボーを
どさくさに紛れて

喫煙を咎めて
さきほど平手打ちを
かましてきた教師へ

何度も放った。



そのうち
誰も"普通のパンチ"すら
放つことができないほど

満員電車状態&
おしくらまんじゅう

の中で、


対決構図もブレにブレ、

誰もが

そもそもの戦犯(ダモシ)
を忘れて、

ただただ
ストレス発散の場


と化したのであった。




まあ、
このストーリーもキリがないので、
このあたりでやめるとするが、

いずれにせよ、



"北の某"とは

よくよく考えれば

この時点でもう

相性は最悪だったのである、と。






とまあ、

そんなこんなの
狂乱ダモシの日々が続発し、


修学旅行の復路で
羽田エアポートに帰国して
降り立ったそのゲートに、


事前に学校側から

<無期限停学だから、
 羽田から身柄を引き取って
 そのまま自宅軟禁してください>

と通告されていた

ウルトラの母がいた。



これには参ったが、
まあ自業自得ということで
致し方なく

己を納得させた。


といふよりも、


やはりこう、
14-17歳の頃合いというものは

どこかに
焦りや苛立ちを抱えていて、

その怒りの発露を
どのように発散するかという部分で

個人差がある、と。



ダモシの
その年齢の頃合いの

"くそったれが!"という
得体の知れぬ怒りは、


そういった乱闘だなんだという
<健康的なスポーツ>に
向いただけのことである。





この話はこのあたりにして、

本題に戻りたい。









*****









帰国後
ダモシは
無期限停学処分に甘んじたわけだが、


その自宅謹慎中に
沸き上がってきた
<恋心>はday by day強まっていった。




あの
枯れた寂れた温泉街の宿で夜這いした
その部屋にいた、

一人の女性に恋をしてしまったわけだ。




悶々とした日々。

しかし
運動部の都大会には
隠密に強硬出場するなどして、

友人らとの
コミュニケーションは継続していた。


メールも携帯もない時代だが、
電話はあった時代である。



無期限停学が
条件付きで解除された。


<ちょっとでも何か>を
やらかしたら、

今度は退学だということで、



その
"ちょっとでも何か"の基準は
当時も今も分からぬが、


とにかく
<何一つ、ルールを逸脱することはするな>
<去勢されてくれ>
という指令だったのではあろう。


しかし
そんなことに<ハイ>と素直に聞く
ダモシではないから、

その後も好き勝手やったわけだが、


学校社会復帰後の
ダモシの初仕事は、

やはりその女性へのアプローチであった。




まずは戦略を練らなければ
ということで、

友人を介してマーケティング活動を開始。


・氏名
・交際している男がいるか

を筆頭に
あらゆる情報を得た。


リサーチャーからの
報告予定日がやってきた。









*****









<やめた方がよさそうだな>と

リサーチャーは言った。



なんとも困ったことに、
少林寺拳法部の猛者が彼氏らしい、と。


しかし
そんなことで怯む17歳ではない。


ダモシの恋心は止められない。




途中経過は中略するが、

効果的且つ猛烈な
プレゼンテーションの末、


見事に彼女をゲットした。
奪ったのである。



(実はダモシは本質的に、
 ワイフを含めて交際女性は
 ほとんどが"奪った"形となっている。

 だが、
 ダモシは
 自分自身は絶対に"奪われ"ない。

 己が彼女を"奪われた"ことは
 ある意味で当然、ある)。





ダモシはその間、
柔道部に所属する親友に



<彼女をゲットするために、タバコはやめるぞ>と
宣言し、それを実行していた。




そして
その彼女との初デートが、

新宿歌舞伎町での映画鑑賞であり、

ダモシは
土曜日の朝、
恋の西武新宿線に揺られて
西武新宿駅へ出かけた、と。


その日に観た
(というか、"観てしまった")映画が、



冒頭で記載した
<殺人魚フライング・キラー>だったわけだ。






不惑の今も
まだまだお尻が青いダモシだが、

今以上にさらに当時は
グリーン・ボーイの高校生。



恋愛を上手に運ぶ術など知らぬ。

異性をリードすることなんぞ
ままならぬ。


安易に、

恐怖映画を観て
彼女が<キャーッ!>と言って
腕を組んでくる、

そして映画を観た後は…

などと稚拙な戦略を立てていたわけだ。
精一杯の。





だがしかし、
そんなダモシの稚拙な目論見は、
映画開始10分で、

さらに稚拙なこの映画のせいで
台なしになってしまった。





海から飛び出してきて、

人間に襲い掛かるべく
大挙して空中を飛ぶピラニアの背中に、


<引っ張る糸>が見えた瞬間、

確かに映画館内に
笑いが起こった。



<クスクスクスッ>

<ゲラゲラゲラ>

<なにアレ、見えてるじゃん!アハハハハ!>




ダモシは
(<うぐぅぅ…>)と
ため息をつき、手で顔を覆いながら、

指を隙間から
隣に座る彼女の顔をチェックした。





もう終わりである。


映画開始から
シリアスな顔で恐怖の演出を期待しながら、
隣に座る彼女の腕に視線を浴びせていた
ダモシの立場は、ない。




<引っ張る糸>が見えた瞬間、

ダモシは
<ダメだ、こりゃ…>と思い、
身体中に汗をかきはじめた。




<こんな映画を選択し、
 連れてきた俺を
 きっと彼女は軽蔑していることだろう>

と。




彼女は、明らかに怒っていた。
顔は、見事にこわばっていた。




映画が終わり、
外に出ると夕方だった。


気まずい思いのままで
ダモシはまたもや
グリーンボーイ的な情けなさで


禁句たる


<この後どうする?>

と、
やってしまった。




最悪中の最悪台詞。

牽引できない己の弱さを
優しさのフリをして
エクスキューズする技たる

<この後どうする?>。





もう終わりである。
まだまだ強引に
リードする術も知り得なかった時代。

男としての自信も皆無だった時代。
実に青二才である。





当然、

彼女は
ダモシに目もくれず

<家に帰って
 お母さんのお手伝いを
 しなきゃいけないの>と言い、


駅へ向かっていった。



悲しいダモシは一人、

西武新宿pepeを彷徨い
西武新宿線に乗ったが
乗り過ごし、

本川越まで行ってしまうほど
ダメージを負った。









*****









その後は、
次第に彼女がダモシを避けるようになり、

ダモシもダモシなりに
<別れたくない>攻撃をしたが
効果はなく、


遂に交際24日目、
学園祭の最中、


校庭を

少林寺拳法部の男と
手を繋ぎながら歩く
彼女の姿を見つけてしまうに至り、



ジ・エンド。





敗北宣言は、
親友の柔道部の男の自宅だった。


他愛のない話をした後、
ダモシは唐突に告げた。



<タバコくれ>。


柔道部は一瞬、
キョトンとしたが

すぐに察したようであった。

笑顔を消して問う柔道部。




<そっか。
 いいのか?本当に吸ってしまって>。



ダモシは
強がりの笑顔で

<もう、いいんだよ。俺の負けだ、負け>
と言い、

タバコを受け取った。


何も言わずに
柔道部はダモシを見ていた。



ダモシは
タバコに火をつけて
思いっきり吸い込んだ。



そして
フーッと大きく
タバコの煙を吸い出したその瞬間、



何とも言えぬ<敗北感>が
押し寄せてきて、


号泣し、嗚咽した。

<ウゴォーッ…!>。






彼はその日、
ダモシを泊めてくれた。


布団を並べて暗闇で語り合った。


フト彼の言葉が途切れ、静かになった。




<寝たか?>とダモシは問うが、返答がない。



ダモシはそっと
彼の方を見た。



すると、
彼の頬には涙がつたっていた。


ダモシも
泣きそうになったが、

知らぬ顔をして、

布団を被った。









*****









<殺人魚フライング・キラー>は

封印された。



最上級の駄作だったから、
話題にもならなかったし
テレビで放映されたこともなかった。




しかし
社会人になって
結婚した年だっただろうか。



たまたまワイフと
ベッドルームでテレビを観ていたら、


まさに
<殺人魚フライング・キラー>が
流れているではないか。



ダモシは
あの17歳の秋を思い出したが、

知らん顔をして
ワイフとこの映画を観た。




何とワイフは


<キャーッ!>


<こわぁーい!>


と言って

大喜びしていた。






その瞬間、

ダモシは思った。




<あぁ、この女性と結婚して

 良かったな>



と。











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2008年08月06日

アンタッチャブル







米国で

映画の舞台として
数多く登場する都市のベスト3は、

ニューヨーク

ロサンゼルス

そして
シカゴだろう。




シカゴと結びつく
ゼネラル・インタレストの高い
アイコンといえば、


マイケル・ジョーダン
(とシカゴ・ブルズ)

アーネスト・ヘミングウェイ

摩天楼とミシガン湖

マクドナルド(発祥地)

ディープディッシュ・ピザ

リブ&ステーキ

ループ(高架鉄道)

ポップコーン

カブスとホワイソトックス

ジャズとブルース

雑誌メディア全盛時代



などなど、これもまた膨大だ。



そして

暗黒街と禁酒法

というアイコンと共に
忘れてはならないのが、

アル・カポーン
(日本名:アル・カポネ)とマフィア。




シカゴを舞台とした
一級のエンターテイメント映画は、

アル・カポーン一味と
それに闘いを挑んだエリオット・ネス軍団
を描いた

<アンタッチャブル>(1987年)。





アル・カポーン、至極の名言は


You can go a long way with a smile.
You can go a lot further with a smile and a gun.


カポーンが
いかに我が世の春を謳歌したか、
察するに値する言葉である。



カポーンを潰すためには、

オールウェイズ、Sink or Swimの
命を賭けた決意と行動が
必要だったことであろう。







*****






cg1.jpg


禁酒法下、

悪の帝王アル・カポネ軍団と
徹底的に闘った
エリオット・ネスと
その仲間たちを描いた<アンタッチャブル>。



ショーン・コネリーが
助っ人に加入することを決意して、
ケビン・コスナー扮する
エリオット・ネスに

<本当にいいのか?
 はじめたら、後戻りできないぞ?>

と念押しした上で
オフェンスを開始する場所。



そこから全面戦争が勃発。

双方、多くの血を流す。
コネリーも殺される。

怒り心頭の
コスナーと、
若く全盛期にあった
アンディ・ガルシア。



いよいよ映画はクライマックスとなる
駅でのシーンへ。

その舞台がユニオン・ステーション。




まずはそのメイン・コンコースの俯瞰図。


CG15.JPG


米国の各都市の、
たとえば長距離バスの発着場や
長距離列車のステーションは
意外にも閑散としているものである。

とりわけバスディーポなどは
<これはマズいぞ…>と思えるほど
理不尽に荒れていたりする。


フィラデルフィアその他で
デンジャラスな局面に
遭遇したことがある。

それらは
未だによろしくない場所であり、
いわゆる観光で
ふらふらしない方が得策である。


シカゴの
ユニオン・ステーションも

一日の乗降客数が
12万人いるとは思えぬほど
閑散としていた。




だが
このムードこそ、

あの
<アンタッチャブル>での危険な香りを
ぷんぷん甦らせ、
刺激を与えることはいうまでもない。



CG8.JPG


駅入口。
ここからドアを入れば、
コンコースに下りていく階段がある。






*****






映画の
クライマックス・シーンと
その場所である
駅の<階段>に入りたい。


ケビン・コスナーと
アンディ・ガルシアいずれも
プライムタイムにあったといえるほど
若く格好良かったが、

二人のハイライト・シーンともいえる
映画終盤の階段のシーンである。




精神的支柱であったショーン・コネリーを
カポネ軍団に殺されて
怒り心頭のコスナーとガルシアは、

コネリーの遺言によって示された
カポネ軍団の
帳簿係が逃亡する列車に乗るために
現れるであろうとされた

ユニオン・ステーションの入り口から
駅構内のメイン・エントランスに
降りていく階段の上で
待ち伏せする。




コスナーが階段の上。

ガルシアは
メイン・コンコースへ降りて
そのスペースで捜索待機。


階段の上にはコスナーひとり。

下からは
ベイビー・カーを
重々しくも
たどたどしく
引っ張って階段をのぼってこようと
もたつく女性。

<早く…>。

観る者の手にじわりと汗がにじむ。



カポネ軍団に護衛された
帳簿係がいつ現れるのか。


まずは
コスナーが待機していた階段の上。



CG10.JPG


先ほど掲載した駅外観写真の
外からドアを開けて入れば
この階段がある。

ここで
ドアの向こうから
現れるであろうカポネ軍団を
待ち構えたコスナー。




しかし
下を見れば、
女性がベイビー・カーを
たどたどしく上げてきている。


もし今
カポネ軍団が現れたら、
その女性とベイビーは危険な目に遭う。


ガルシアは依然、他の場所で捜索中。






CG13.JPG


すると、
現れたカポネ軍団。

コスナーは
<こいつらか…?>と
睨みをきかせるも、
確証を得ない。

カポネ軍団はこの階段を降りていく。

この写真の右側を
必死に上がってこようとする
ベイビー・カーを引く女性。




コスナーは
降りてゆくカポネ軍団と
上がってくる女性とベイビー・カーを
交互に見る。

緊迫感溢れるカメラワーク。


カポネ軍団の中の
顔にばんそうこうを貼った男が
コスナーを振り向く。

コスナーは
その男の顔を覚えていた。

これで
彼らがカポネ軍団であることの確信を得る
コスナー。


そして、銃撃戦ぼっ発。

悲鳴をあげる女性。

途中まで
上げてきたベイビー・カーの手を
離してしまう。

階段を落ちてゆくベイビー・カー。



コスナーは
カポネ軍団へ銃撃をしながらも

ベイビー・カーを追いかけて、
必死に転落を防ぐ。




<マズいぞ、これは>。

そう思った瞬間、
アンディ・ガルシア登場。

コンコース側から銃撃で
コスナーに加勢。


CG11.JPG

コスナーは、この階段中程へ。

落下した乳母車を
スライディングして
膝で押さえて守ったガルシアは、

さっと標的を定めて銃を構える。

コスナーは
泣きわめく女性へ

<大丈夫だ>と
ベイビーの無事を伝えながらも
標的へ銃を構える。


帳簿係は
この階段の中程左壁際で、
カポネ軍団の悪玉一人に
後ろから抱えられて恐喝されている。

<撃つぞ>と。




CG9.JPG


ここが
ガルシアが駆けてきて
スライディングしてベイビーを守った場所。

階段下、左端あたり。

そこから
階段中程の右壁際にいる悪玉と
それに捕獲された帳簿係へ向けて
銃を構えた。



CG12.JPG


そして
コスナーの指示のもと、

射撃の名手ガルシアは
帳簿係に傷を負わせることなく
悪玉を一発で仕留める。


帳簿係は
ヘナヘナと倒れ込み、
法廷での証言を約束した。





勧善懲悪のストーリー。

エンターテイメントのあらゆる要素が
入り込んだ名画が、

<アンタッチャブル>。






*****





シカゴ、ユニオン・ステーション。

大都市の
キー・ステーションだが、

ニューヨークの
グランド・セントラル、
ペン・ステーション
などのように、

地元のローカル地下鉄などとの
コネクションがない
完全なる長距離列車の発着駅。


映画<アンタッチャブル>の
舞台となるのは、

"East Exit"といわれる階段。



■飛行機の場合
 ユナイテッド航空など。
 ニューヨーク→シカゴ(約2時間30分)
 オヘア・エアポートからは地下鉄で
 中心部まで来てから、徒歩で。

■アムトラック
 ニューヨーク/ペン・ステーション
 ↓
 シカゴ/ユニオン・ステーション
 ワシントンDC、シンシナティなどを経由。
 所要時間=18〜30時間
(列車種類によって異なる)
 料金=$157(片道)

■ユニオン・ステーションと
 シカゴ美術館、シアーズ・タワーなどは
 徒歩20分圏内。

 マグニフィセント・マイル等、
 中心部との距離はすべて徒歩圏
 (約40-60分)。








ut.jpg














posted by damoshi at 10:33| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

恋人たちの予感








カテゴリー<映画>。


先般の
<ミスティック・ピザ>につづく
パート.2。







<ニューヨーク>

<恋愛映画>



この二つのキーワードに合致する
女優のひとりは、

メグ・ライアン。

元祖ラブコメの女王。




そのライアンが
ラブコメの女王への道へ
邁進するエントランスであり
記念碑的な作品が、


<恋人たちの予感>(1989年)。



以降ライアンは、

"ラブコメ
(orロマンティック・コメディ)の女王"
の地位に就き、

ニューヨークを舞台とした

<めぐり逢えたら:Sleepless in Seattle>

<ユー・ガット・メール:You've got mail>

はもとより、

他都市を舞台にした

<キスへのプレリュード:Prelude to a kiss>

<星に想いを:I.Q.>

などで

それを不動のものとし、

90年代にプライムタイムを迎えた。








*****







<恋人たちの予感>における

前半の
メモラブル・モーメントともいえる
代表的なシーンといえば、



<フェイク・オーガズム>だろう。




ローカルから
車でニューヨークを目指した
大学の同級生ハリーとサリー。


ニューヨークに到着して、
デリで食事をする。


そして

メグ・ライアン扮するサリーが、

大勢の客やハリーの前で

食事中にオーガズムのフェイクを演じる。


喘ぎ声をあげて
オーガズムの疑似披露をするシーンである。






その舞台が、ここだ。



kaz.jpg



Kaz's Delicatessen。




このデリは1888年、
ロシアからの移民ファミリーによって
開業されたジューイッシュ・デリ。


ダウンタウンの
ロウアー・イーストサイドにある。




ニューヨークには
かようなデリは枚挙に暇がないが、

こういった店の食がまた
五つ星レストランとは異なる次元で
スーパー美味なそれを
サーブしたりするから楽しいのである。



且つ


多民族で構成されていることで

単一民族の中で生きている上では
経験できない食事を口にすることができる。


ひいてはそれは
家庭でのメニューの幅も広がる
というプラスの効果へとつながる。



味と料理のヴァリエーションを知れば、
自身での料理の幅を広げるわけである。



30-daysで
5000パウンドのコーンド・ビーフを、

1-weekで
2000パウンドのサラミと
12,000個のホットドッグを

作り、サーブする店、Katz's Deli。





第二次大戦中、

店は
世の中の親たちを鼓舞した。


<軍にいる息子へサラミを届けよう!>

と。




要するに

"俺たちは世界中どこでも
お宅の息子が好きな食べ物を届けるぜ"

ということである。





今も店は、
世界中にそれを配送しているという。


一軒のデリが、である。


世界のどこへでも
anywhere 配送するという。





店のキャッチフレーズは、

<Katz's, that's all!>。



分かりやすく骨太である
ヒストリカル&カルチュラルなデリ。




◆Katz's Delicatessen
Price Range ★★
Breakfast $6.95-$9.10
Omelets
(Pastrami or Corned Beef) $13.40
Katz's Philly Cheesesteak $10.60
Burger $4.55




menu.jpg



ps.jpg








*****







<恋人たちの予感>は、


まさに
ニューヨーク観光映画の側面も
もっていて、


ニューヨークの四季折々の情景と

セントラル・パークや
五番街、ワシントン・スクエア等々、

その舞台も膨大にある。





ゆえに
すべてを紹介していてはキリがない。



<恋人たちの予感>から、
もう一か所を。






映画の舞台の王道であり、

世界の公園の、
これも王道たる


<セントラル・パーク>から

<ボートハウス・カフェ>を。




bh1.jpg



ハリーとサリーが

劇中、訪れて歓談する。




廉価なバーガーを食すだけでも
愉悦の時間と
リラクゼーションの時間が流れる場所。





bh2.jpg



池沿いのオープン・テーブル側が望ましい。



サタデーやサンデーなどの
ブランチ時には
満席で入ることはできない。



ディナーはむろん予約が必要である。




◆Loab Boathouse Cafe at Central Park
Price Range: ★★★★★
($50 and Up per person)
L 12PM-4PM / D 5:30PM-9:30PM
Brunch 9:30AM-4PM (Sat.&Sun.)







*****





cpark1.jpg


セントラル・パークから1シーン。



周知の通り
<世界最大の都市公園>として
ウルトラ巨大なパークである。



よって
カルチュラルな切り口も膨大にある。


映画の舞台としても、

古くは
<アパートの鍵、貸します>から

現代まで、数えきれない。



メディアで
セントラル・パーク特集を組んだ際に

レンタル・サイクルで
端から端まで探訪したのを始め、

プライベートで何度も訪れた。





セントラル・パークに関しては

別途、いつか
大きくフィーチャーする所存である。







セントラル・パークは、

まぎれもなく<公園の王道>である。






<恋人たちの予感>が

ニューヨークを舞台として
セントラル・パークが登場するのは
ある意味で当然だ。



仮にラブコメを
東京を舞台にして撮影する場合、

必ず大型都市公園を入れなければならない
という条件があったとするならば、


ポスチャーやアトモスフィア含めて
考えた場合、


日常的なサラリーマン&OL
を映すなら日比谷公園、

ファミリーモノであれば
世田谷の
駒沢公園や砧公園、
二子玉川の多摩川、

不倫モノであれば
浜離宮庭園や清澄庭園、
新宿御苑、


青春モノであれば
井の頭公園


その他が出てくるだろう。








:::::




sally.jpg
















posted by damoshi at 10:11| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月02日

ミスティック・ピザ








米国コネティカット州ミスティック。




その地の観光コピーは
見事な掛詞で成立している。



"Mystic Mystique"

<ミスティック・ミスティーク>。








*****






ミスティック・リバーが流れる地だが、

映画
<ミスティック・リバー>の
舞台とは異なる。




主人公は、ジュリア・ロバーツ。

映画は、<ミスティック・ピザ>。







*****






2000年代前半から中盤に
プライム・タイムを迎えた
ハリウッド女優といえば、

ジュリア・ロバーツ。




その時期

四年連続で

"Highest Paid Actress"
(ギャラ最高額女優)

の座に君臨した
"プリティ・ウーマン"は、



ダモシより学年で二つ下に当たるが、

いわゆる
"アラ40"世代の中でのover-40に
属している。





ロバーツの実質的な
映画デビュー作の舞台が、
このミスティックにある。




ミスティックにある"パーラー"で
ウェイトレスを演じてから
二年後、

ロバーツは
<プリティ・ウーマン>に出て
ブレイク・スルー。



その後の勢いは、周知の通りだろう。







*****







日本人観光客は
ほとんど行くことはないであろう地、

それがミスティック。





しかしそこは
最後に紹介するように
見物やランドマークが多々あることでも
筆者的には秀逸な観光地である。




二泊でも足りないくらいの、


ダモシ認定の

<観光地としての三大重要エレメンツ>

である

■エンターテイメント性
■カルチュラル性
■エデュケーショナル性

の3要素すべてを満たす観光地である。





ニューヨークとボストンの間。


長距離鉄道アムトラックで
いずれかの大都市を
ゲートシティとして訪れる方法が好ましい。




米東海岸らしい瀟洒な町並みの
港町ミスティック。



その広いエリアの中で、

ミスティック・リバーを超えた
オールド・ミスティック・タウンの
ストリートの一角に静かに佇む店が、


映画の舞台たるパーラー。






店名が、
そのまま映画のタイトルになる。



<ミスティック・ピザ>。








*****







1988年製作の米国映画。


ジュリア・ロバーツ以下、
リリ・テイラー、マット・デイモンなどが
出演した青春群像。




映画の中で
ロバーツらが
ウェイトレスとして働く店が、

そのままタイトルになっている
<ミスティック・ピザ>である。






mpiz1.jpg



mpiz2.jpg





<取材で来たのですが、
 写真を撮っても良いですか?>




ジュリア・ロバーツのような
ヤング・レディ店員に尋ねると、


<I believe so>


という
独特の言い回しで答えたレディ。


その答え方は
観光客慣れしているようでもあった。



女優を目指して
このピザ・パーラーで
働いているのであろうか。





店内は、
ニューヨークのピザ・パーラーとは
異なるムード。



どちらかといえば、
やはり郊外やローカルにある
ダイナーのような佇まいである。




mpiz3.jpg




当然ながら

店の壁には
映画関係の写真などが
額に入れられて飾ってある。




mpiz4.jpg




この店の主砲であるピザと、

ニューイングランド地方の名品
"クラムチャウダー"、

そして同じく海産物であり
且つ大好物である"フライド・カラマリ"

を頂戴した。





とにもかくにも
ミスティックの食は秀でていた。


魚介類では
当たり前のようにボストンや
ボルティモアは美味だったが、


このミスティックはまた格別だった。






mpiz6.jpg


クラムチャウダー。


これはもうボストンの天下
といえるが、

同じニューイングランド地方の
このミスティックでも
複数のレストランで食したが、

やはりいずれも美味だった。



<ミスティック・ピザ>での
クラムチャウダーもまた独特の味で
楽しませてくれた。





mpiz5.jpg


大好物のフライド・カラマリ。



たとえば
寿司ならば、
ウニなどで味の差が出たりするが、


米の海産物と料理でいえば
フライド・カラマリとクラムチャウダーで
味を計ることができる。


ちなみに
ニューヨークの
チャイニーズ・レストランでは、

味の計りとしては
フライド・ライスと
ワンタン・ヌードルスープで
確かめられる。


それらの品の味の巧拙で差が出るからだ。





いずれにせよ
クラムチャウダーと
フライドカラマリの二品は、

店によって本気で味が異なる。


ただし
ボストン、ボルティモア、
ミスティックあたりでは
そのいずれもが美味である。

美味の中の
"味のオリジナル性"を堪能
することができる品が、

これらのエリアにおける
フライド・カラマリと
クラムチャウダーである



と、ひとつには言える。









そしてレディが運んできたのが、


映画のタイトルであり
店名であり
メニューの中の主砲である


これぞ文字通りの
<ミスティック・ピザ>。





mpiz7.jpg




ピザといえば、ニューヨーク。


そして
ディープディッシュ・ピザで
名高いシカゴだが、


この店のピザは
さすがといえる味とボリュームと
(肉厚と言ってもよいほどの)

厚みを持っていた。









店舗は

ミスティックの本店の他、

同じコネティカットに
<ミスティック・ピザ2>がある。



その他、
店で食すことができるピザとは
異なるものの冷凍ピザも販売していて、

ニューヨーク近郊では
ロングアイランドのコストコで
販売されている。









店のキャッチ・コピーは、

<A Slice of Heaven>。






あのときのレディは
もう店は辞めたであろうか。



そして今はニューヨークで
ブロードウェイを目指して
ソーホーあたりのカフェで
ブランチ・タイムに働いているであろうか。



彼女たちにとって、

ミスティック・ピザは
己が出世街道を夢見る
エントランスとしての場所であろうか。




その
ピザの
ひと切れが、

彼女たちそれぞれにとっての
ヘヴン=夢の実現



つながることを

つながっていることを

心より願うところである。







特に

<アイ・ビリーヴ・ソー>と

台詞を発したレディのそれを
願うところである。








*****






米国コネティカット州ミスティック。




ニューヨークの
ペン・ステーションから
長距離列車アムトラック利用。


約二時間半の旅。



駅にはタクシー乗り場もない。

バスもない。


自身が携帯電話か公衆電話で
電話帳で調べたタクシー会社へ
電話して迎えに来てもらう。


あるいは

予約しているホテルに電話して
タクシーを依頼する手もある。



車がない場合の
基本的な移動は、
すべてタクシーになる。




エリアのお勧めエンターテイメントと
それらのオフィシャル・サイトは
以下となる。


いずれもレベルが高い。





■ミスティック・シーポート
 アメリカ海洋博物館

http://www.mysticseaport.org/



このシーポートも

スティーブン・スピルバーグ監督の
某作品での舞台になっている。




■ミスティック水族館&米探検協会


mysaq1.jpg

この水族館の
展示生物と見せ方は必見である。

特にベルーガは優美である。

http://www.mysticaquarium.org/


mysaq2.jpg




■フォックスウッズ
 カジノ・リゾート


http://www.foxwoods.com/


先住民居住区の
深い森林の中に
突如出現する巨大なカジノ・リゾート。


fwoods.jpg


カジノであるからして、
絶対に人が映ってはいけない。

メディアで関わった際も
指定の写真以外は一般人が
映っている写真を公開することが
禁止されたほど厳しい。




そして
世界最大のインディアン博物館が、

Mashantucket Pequot Museum。


これを読めるでしょうか。

ダモシは
何と発音すれば良いのか
分からなかった。


タクシーに乗り込み
勝手に想像して発音したら失笑された。


そして
タクシー・ドライバーに
正しい発音を教えてもらった。

<マシャンタケット・ピークォット>
ミュージアム。


マシャンタケットというのは
部族(種族)の名前である。

<シ>のところに
アクセントがつくようだ。

これは言いにくい。

教えられても
呂律が回らなかったものである。




しかしこのミュージアムは秀逸である。


ワシントンDCのスミソニアンにも
インディアン博物館はあるが、


こちらは
深い森林の中にあることと
先住民居住区であるという
リアリティが高いことからも
エッジにある。



pequo1.jpg


オフィシャル・サイトは、
http://www.pequotmuseum.org/


pequo2.jpg








それぞれ単体での取扱可能な
存在ではあるが、


まとめて当欄に記載した所存である。


が、

シーポート・ミュージアムと
このミスティックにある
珍しい可動橋に関しては
いずれ別途扱いとするところである。



とりわけ後者は、
ダモシが考察課題としてもいる
<橋>に
いずれ登場するだろう。






当地で宿泊したホテル。


モーテル的イン系のメジャー、
ハワード・ジョンソン。



hjhotel.jpg


ミスティックのホテル群は
おおむね駅からタクシーで
7-8分圏内に集結している。


このハワード・ジョンソン、

略して"ホージョー"もまた
ダモシ英語が通じなかった
恥辱にまみれたホテルである。



米国で英語が通じなかった
<ホテル>は、

ラスベガスの某ホテルと
この"ホージョー"だった。


とくにこの
"ハワード"のW部分の発音が
厳しく、通じなかった。


"ちゃんと"
Wを発音しなければ通じない
というティピカルな失態。


日本的英語での"ハワード"では
ほぼ100%通じないので
要注意である。







このホテルはイン系とはいえ
キレイであり、

それこそ日本のホテルとは
比較にならないほど部屋は広い。

廉価であっても、である。

むろん、プールもついている。



そもそも日本のホテルは
価格が高すぎるのである。









これからの季節、

ぜひ
ニューヨークやボストンから
お出かけになられては
いかがであろうかと、

推奨できる場所である。





最後に、

これは是非メンションしておきたい。

ここを訪れる人のために。




ダモシ経験における
"チップス系"史上最悪の味が

これである。



myschips.jpg


これは、ほんとうに参った。
ほんとうに、これは不味かった。

思い出したくないが、舌が記憶している。


これは手に取らぬ方が賢明である。









:::::




<コネティカット州ミスティック>


ニューヨークの
ペン・ステーションから
アムトラック利用で約二時間半。


ホテル街は駅からタクシー利用。



<ミスティック・ピザ>

ホテル街から徒歩約30-40分。

店舗の公式サイトは以下。
http://www.mysticpizza.com/


所在地:
56 West Main Street, Mystic,
CT 06355, USA





:::::






mpizza.jpg
















posted by damoshi at 18:16| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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