2011年05月07日

江戸川橋から九段下



本当にこの度の一連の
天皇皇后両陛下の被災地訪問における所作は
素晴しいと思う。

心がある。心が感じられる。
避難所にいる被災者の方々はその瞬間だけでも
救われる気持ちになるのではないか。

スッカラ菅。ほとんどその所作は認められないが、
今宵の浜岡原発の停止要請に関しては、評価したい。
むろん賛否両論あるだろうが、
ダモシは賛成であり、この所作を評価する。

ユッケ問題は深刻だ。"犯人"の実態が見えない。
遺族の心中いかばかりか。
運営会社も卸業者もアグリーな責任なすり付け合いは
いかにもこのような事態における定番だ。
一方で、国も悪い。厚労省だ。
内閣府の食品安全委員会も信用できない。
もしかして彼らもまた原子力不全不安院に等しく
食品不安委員会なのではないか?

すべてはグランド・デザインの問題であり、心の問題である。
そして国=霞ヶ関と永田町の怠慢も責めに帰すべきである。



*****



今宵は長い掲載。

アントニオの大会前恒例の三点セットでの祈願を
主題として出かけた中で、それでは毎回同じ掲載になるからして、
久しぶりの<オトナの遠足&お散歩>カテゴリーで
各所からお届けしたいところである。

エリア的なところでは江戸川橋から九段下の
オールモースト徒歩での数時間のオトナのお散歩。


*****


スタートは、護国寺。

一月の今シーズン最初の、
ばちばちのフルコンタクトの大会を前にして、
昨年までと変化させた大会前祈願の方法。

■護国寺のゴッドハンド墓参
■東京カテドラル聖マリア大聖堂での沈黙と祈り
■関口芭蕉庵でのお願い

この三点セットが早速結果が出て
優勝(組手)と準優勝(型)の金銀メダル獲得。

<ダモシx教会>の関係性はその際、掲載した。
98年頭、<もう寺社仏閣はダメだ>と
教会での祈りに変えた途端、渡米の夢が叶ったことを掲載した。
教会へ行って沈黙し、祈ろう。
アントニオの件も、そのように変えたのだ。
そしてすぐに結果が出た。
これを恒例のコースとした。

三月初旬の大会前も行ったが、当日朝にフルー発症。
アントニオは無念の欠場。

震災に端を発して、三月中旬の大会は主催者側と大モメ。
ブチ切れの不参加とその後の抗議文書発出に至る
(未決着の、継続中の事案である)。
この際は祈りには行っていなかった。

三月下旬の連覇を賭けた大会前も
祈りに行くことができず祈りなしで臨み、
組手・型ともダブル銅メダル。

四月に出場を予定していた大会は、大会開催自体が中止。
祈りに行っていない。

そして今回、だ。
しかもまさにゴッドハンドの本丸の、
その全日本選手権である。

いつにも増して力を込めたゴッドハンド墓参へ
護国寺へと出向いた。

今宵のスタートは、護国寺だ。

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既に掲載しているので詳細は省きたい。
いずれにせよ護国寺といえば護国寺だ。

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本殿は国重要文化財。

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護国寺には多くの人が眠るが、
中でも著名な人、歴史上の人も多い。

大隈重信、山県有朋、三条実美などなど。

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そしてゴッドハンド。
アントニオが今回もフォルムカードで
ダモシと同伴して墓参。

優勝を目標として全力を尽くすことを報告。
見守っていて欲しい,後押しをして欲しいと祈願。
チケットも供えた。

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命日が4月26日ということもあり、
門下生が墓参した様子がうかがえる。

そして今回は同じ護国寺に眠るもう一人、梶原一騎に逢う。
<空手バカ一代>の梶原一騎である。

ここでも来週末の大会の件を祈った。

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後年、ゴッドハンドと梶原一騎は袂を分かったとされるが、
ゴッドハンドにとって梶原一騎は
紛れもなく大きな存在だったはずだ。
<空手バカ一代>こそがゴッドハンドと極真空手にとって
大きなパブリック・リレーションズになったことは
否定できないだろう。

それだけあの<空手バカ一代>は強烈なるインパクトを
今もなお残す昭和のカルチュラル・アイコンである。


護国寺を後にして徒歩約八分。
文京区関口は東京カテドラル聖マリア大聖堂。

既載したが、青少年時代のダモシが
小沢征爾指揮のクラシック演奏会を聴いた場所。

沈黙し、その後、跪いて祈りを捧げた。


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今回のお言葉は、こちらだ。

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<どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
 何ごとにつけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
 求めているものを神に打ち明けなさい>。

ダモシは求めているものを神に打ち明けた。


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ルルドの洞窟のマリア。

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いつものルーティンでアントニオも来た。


*****


護国寺付近には講談社がある。
講談社を過ぎて関口の方へ登っていけば
東京カテドラル聖マリア大聖堂があり、
通りを挟んでその向かい側に
フォーシーズンズ椿山荘がある。

目白方面へ少し歩けば講談社絡みとして、
その創業者・野間清治氏のコレクションを展示する
野間記念館が瀟洒な佇まいを見せる一角にあたる。

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さらに三分ほど歩いて左に折れて
小径を往けば高台から森へつながってゆく。
その途中に木々高く茂り、陽射しがその隙間から射し込む
向こうに洋風建築が見えてくる。

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江戸時代から戦後にかけて在った細川家の屋敷跡。
細川家に伝来する歴史資料や文化財を公開する永青文庫。

永青文庫の門を出て左を見れば長い坂がある。
毎度通るのだが、
自転車を押しながら歩く人も案外多い。
皆、息を切らせ、牛歩で上がってくる。
厳しい階段、坂だ。


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(坂を下から見る)。

これを降りてくると関口芭蕉庵。
文字通り松尾芭蕉が一時期住んでいた庵跡である。
ここも三点セットの一つ。

だが、今宵、休園となっていた。

<うぅ…>

ダモシは呻いた。

これで事実上、三点セットが崩れたことになる。

仮にこれで
ゴッドハンド墓参と大聖堂での沈黙、祈りの二点で
今回の大会を望むべき最高の結果になったならば、
芭蕉庵は次回から外されるだろう。

だが、求める結果にならない場合、
あるいは最悪の結果になった場合、
これはもう芭蕉庵の効能が大きいと考えられるだろう。

どちらに出るか。

しかし、クローズだったとしても
その門の前からいつものように芭蕉さんにお願いした。
だから三点セットは果たせたともいえる。

微妙ではあるが…。果たして、どう出るか。


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*****


関口芭蕉庵は下に位置している。
護国寺から登ってきて東京カテドラル聖マリア大聖堂。
大聖堂から下ってきて芭蕉庵。
そこには神田川が流れている。川を渡り切れば新目白通りに出る。
しばし歩けば東京メトロの江戸川橋駅になる。
護国寺最寄駅の護国寺駅の一つ隣だ。

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途中、このような貼り紙を見た。

江戸川橋から一つ目は飯田橋。
飯場橋駅から徒歩五分の位置には
いま流行のパワースポットがある。

<パワスポ>&<縁結びの神様>とくればもうそれは
イマの女子が勇んでお出かけなさる構図。
イマの女子の消費者便益を大いに満たすは、東京大神宮。

だからか、案の定、想定通り、
もうまさにお約束とばかりに
わんさかと女子たちが境内に大挙として集合。
参拝するのに列を成す始末。


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それぞれにとって
最高のパートナーとの良縁があると良いですね。
少なくとも<男なんか>的に良縁を望まないような女子より
無邪気に真摯にそれを願う女子の方が
ダモシ的には好感が持てる。

男と女の異性としての最高のパートナーは
<出逢い><めぐり逢い>であり
デスティニーだ。

だが、そもそも異性に興味がないと、
恋愛や結婚に興味がないと、
出逢いやめぐり逢いがそこにあるのに逃すことにもなる。
それに気づかないことにもなる。

デスティニーであったとしても、人間なのだから、
己が意思は必要なのである。
そして出逢いとめぐり逢いへ向けて
日々、男として女として己を磨くことはマスト・イシューだ。
格好悪いより格好良い方がいい。
ブ〇よりカワイイ方がいい。
当たり前のことだ。

人は"普通"、顔や肉体ポスチャー、仕草などという視覚で入る。
そして声という聴覚、匂いという嗅覚などなどで入る。
だからそれも無視してはいけないのである。


東京大神宮から目白通りを歩けば靖国通りと交差する。
九段下である。左へ往けば神保町の古書街、
右へ往けば九段下の武骨なファシリティ群が登場する。

震災で問題になっている九段会館、これは必見な昭和館、
国立公文書館、国立近代美術館、科学技術館、
あまりにもヘヴィすぎる存在の靖国神社、そして日本武道館に、皇居。
錚々たるラインナップのエリアである。


九段下へ辿り着く直前、目白通り沿いにあるホテル。

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あぁ懐かしのホテル・グランドパレス。

ニューヨーク時代、
オフィシャル事案での関わっていた時期がある
ボールルーム・ダンスの世界。
欧米プロダンサーを伴い日本逆上陸で
何度かビジネストリップしてきた際に、
一度逗留(一週間程度の宿泊)したことがあるホテルだ。
2003年6月のこととはっきり覚えている。
成田に降り立った瞬間に梅雨入りしたことも記憶に新しい。

ここは日本武道館に徒歩圏。ゆえに選んだわけだ。
国内最大規模の大会に参加する
海外からの選手をケア。彼らもまたこのホテルに逗留。

上階のバーでの前夜祭も想い出される。


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問題の九段会館。
古くは軍人会館にして2.26事件での戒厳司令部。

震災の日、津波よりも真っ先に
テレビ映像で出てきた場所だ。
地下鉄サリン事件の際を彷彿とさせたあの映像。

<なぜ東京でこんなことになっているのか?>
と九段会館前で倒れる人々の映像を観て感じた。

ここは完全に管理不行き届きといわれても致し方ない。
運営している日本遺族会が訴訟されたが、
それも致し方なかろう。管理責任だ。

九段会館以外でも日本科学未来館や
ミューザ川崎シンフォニーホールその他など
ホールやスポーツ・ファシリティで天井落下が震災で起こったようだ。
耐震性の部分で再考が必要だろう。

地震が多く起こる国なのだから、その想定は出来たはずだが。
やはりこれも怠慢と油断か。世の中をナメていたのだろう。

九段会館は目白通りと靖国通りの交差点
である「九段下」から目前に見える。
そしてその「九段下」の角にあるのが昭和館。

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戦中・戦後の生活に係る歴史的資料を展示するファシリティ。
今から12年前のオープンだから、ダモシは在米中。
どうりで入館したことがないはずだ。

<おや?>と
気になるエキシビションが行われていたので入館した。

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<ポスターに見る戦中・戦後>。

なかなか興味深い逸品の数々が展示されていた。
力道山のプロレス興行、ラヂオ体操の会、
青年徒歩旅行などなどのポスター、広告から
映画宣伝ポスター、当時の雑誌までが並ぶ。

時代が時代ゆえ、企業の(商品の)ポスターも、
国の扇動ポスターも、強烈なヘッドコピーが多く見られる。

<勝つ為の統制だ!>
<お国の為に金を政府に売りませう>
<家庭鉱脈根こそぎ動員>
<名誉の負傷に変らぬ感謝>

などという運動的、供出的コピーから、

<戦後10年・・・
 お菓子ならただ甘ければ、
 ビールならただ"にがければ"
 という時代が過ぎて>

<馬強ければ、国強し>

<みんなのまごころを不幸な人々に!>

まで、まあよくぞこんな台詞をと思えるものが連発される。
その言葉の持つ迫力と
絵(デザイン)の圧倒的パワーは、

今や一億総デザイナー、一億総物書き時代への
アンチテーゼとして
善し悪しは別として大きなパワーを感じざるを得ない。

ここには善し悪しは別としたところでの、
言葉とデザインの本質的な力量の凄さがある。
現代ではそれらはまったく失われている。

戦前、戦中は、ではビールは
<ただ"にがければ">良かったといふのか…?

<馬強ければ、国強し>という競馬の宣伝ポスターも、
大いなる矛盾は禁じ得ない。
そもそもようやく今でこそ
ヴィクトワールピサのように世界で勝つ馬もいるが、
まだまだ当時は凱旋門賞やブリーダーズカップ云々なんぞ
日本競馬では視野にすら入っていなかったはずだ。

無知とは恐ろしいものであるが、
ある意味でピュアといふかなんといふか…。

それにしても
<お国の為に金を売りませふ>とは、なにごとか。

今ならまず間違いなく、<ふざけるな!>となるだろう。
誰が今のニッポンに己が稼いだお金を売るかいな、と。



*****


昭和館で面白い勉強をした後、坂を上がる。

それこそ学生時代から何度も何度も来た日本武道館である。
08年のニッポン復帰以降では残念ながら一度も来ていない。


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ゴッドハンドが
フルコンタクトの空手ゆえに
大会使用を断られた日本武道館。

今、ニッポンで空手として
なぜかオフィシャルなものとして存在しているのが
<寸止め>空手であるが、
ダモシ的にはそれはいかがなものか派である。

むろん武道としてだけで見た場合、その寸止め空手はありだろう。
だが、それだけが空手として
日本武道館を使用して全日本選手権を行っているのは
いささかアンフェアである、と。

それはNHKでも放送されるくらいなのだが、
何も知らない人からすれば
<空手をやっている>といえば
その寸止めを想起するのではないだろうか?

ゴッドハンドが大いに苦しんだ偏見の一つ。
それが寸止めvs.フルコンタクトでもあろう。
アントニオ猪木が長年追い求めた
<プロレスに市民権を>と同じ構図である。

世間の、へんてこりんな多数決の論理と
赤信号皆で渡れば怖くない的風土に後押しされた
偏見と不理解を、ゴッドハンドも猪木もそれぞれで打破した。
そのパワーたるや凄まじいと認められよう。

その根幹にあるものは、
ナアナアではなくバチバチやろうという
フルコンタクト思想でありストロング・スタイルである。


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読者諸兄の多くもこの道を歩いて門をくぐって
武道館へ足を踏み入れた経験を持っていることだろう。

国技館(特に蔵前時代)と後楽園ホール、
そしてこの武道館に関しては、
ニッポンでも数少ない
<入っていくときのワクワク感>が高い空間である。
それこそ昔の後楽園球場しかり。

それはあの旧ヤンキー・スタジアムが、
地下鉄のトンネルを超えた次の瞬間に車窓から見えた瞬間に
強烈に感じたワクワク、ゾクゾクに近いものがある。


武道館歴を簡単に振り返ってみる。

1979年8月。
プロレス夢のオールスター戦。行った。熱狂した。
この時、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が夢のタッグを結成。
最期のタッグ結成で会場はフルハウスとなった。

これ以降、プロレスは新日本、全日本何度も行った。

音楽も多い。
端緒は中学時代の甲斐バンドの武道館公演だった。

以降、ビリー・ジョエル、ボズ・スキャッグス、クリストファー・クロス、
ジャーニー、松田聖子、ホイットニー・ヒューストンその他、多数。

そして、自身の大学の入学式と卒業式。
これも武道館だった。


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そしてオフィシャル事案で関わった
ダンスのインターナショナル選手権も毎年、
武道館で開催されていた(関わっていたのは03年まで)。

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近年、スポーツも音楽もビッグイベントは
東京ドームやさいたまスーパーアリーナなどの大箱に
なってきている風潮が、興行的側面からも致し方ないのかもしれぬが、
やはり総合的な格式とヴァリューを鑑みれば
圧倒的に日本武道館だ。

なにしろダモシが生まれた年に行われた
あのビートルズの来日公演もこの武道館だったのだ。

聖地。これは東京ドームではなく、
後楽園ホールであり中野サンプラザであり
代々木国立競技場であり、日本武道館なのである。

意識が拡散し、ムードも弛緩するような東京ドームはダメなのである。


さてこの武道館がある北の丸公園内には、
東京カテドラル聖マリア大聖堂で葬儀が執り行われた
ニッポンの過去の首相のスタチュが屹立している。

吉田茂だ。

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スタチュ好きのダモシも認める出来。

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スタチュは他にもある。
武道館へ入るゲート側、北の丸公園入口に二体。

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精巧な乗馬スタチュは、
日清、日露両戦争で活躍した大山巌。
西郷隆盛の弟・従道とは従兄弟にあたる。
皇族以外の乗馬スタチュは珍しい。

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大山巌と並んで立つのが、品川弥二郎。
戊辰戦争で活躍後、政府入りして内務大臣を務めた。
制作は、高知の桂浜にある坂本龍馬スタチュも手がけた
本山白雲があたっている。


この二つのスタチュを望む位置に
靖国通りを渡る歩道橋がある。

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歩道橋から靖国通りを神保町方面へ目を向けると
遠くに東京スカイツリーの姿が見える。

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振り向けばたまねぎフォルムの武道館上部が見える。

そして歩道橋を渡り切れば、靖国神社が登場する。

今宵のオトナの遠足&お散歩のゴールだ。

むろんスーパー・ヘヴィな存在の靖国神社は
丸一日がかりでそれ単体での取り上げが相応しい。
今宵は足を踏み入れるには,既に疲れていた。


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善くも悪くも、"ものすごいオーラ"がある靖国神社。


といったところで、

護国寺

東京カテドラル聖マリア大聖堂

野間記念館

永青文庫

関口芭蕉庵

東京大神宮

ホテル・グランドパレス

九段会館

昭和館

北の丸公園

日本武道館

ゴールは靖国神社

の、オトナの遠足&お散歩は終わりとなります。





posted by damoshi at 01:43| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

スカイツリー4.2.11



先般記載の"タイミング"に合致して、
スッカラ菅が今宵、被災地へ出向いたようだ。
現場を見て彼が何を想ったか、感じたか。

自ら感じたことを発信することも必要である。
発信せよ。

現場を見ることは、何をするにおいても必須事項である。
すべて机上の空論ほど、空論はなく、空感もない。

物事はすべて現場で起こっており、
現場こそがすべてを言い表すのである。
そこで己が何を感じたか。どんなアトモスフィアを察したか。

すべてはここに懸かっている。
これは間違いないことである。
だからこそ、百聞は一見に如かずという格言があるのだ。

己自身の足とドライビングで行かずに
ヘリコプターで行ったことは評価できないが、
百歩譲って、このタイミングで現場へ出たことは
ダモシはスッカラ菅を評価する。

まだまだ<あかん。ホンマにア感>であり、
<空き感>であり、<鈍菅>であり、<とんちん菅>であり、
まさしく<スッカラ菅>ではあるが、
現場へ行ったことで彼が変わることを期待したい。

意思、感情、パッション、生き方の投影…。
そういったものがまったく伝わってこない
ニッポンの政治家。

ここをまずは変えよ。

ヒトゴト(他人事)化の甚だしいニッポン民族性と、
一億総コメンテーター化が著しい民族性を、
これを機にインプルーヴしなければならない。

<がんばろう>だの
<がんばれ>だのと言う以前の問題こそが、
最重要なのである。

<ニッポンの力を信じてる>だのと
CMでタレントに宣わせるのも
ニッポンを己自身で買い被り過ぎている
and
有事に美辞麗句を並べて悦に入っている
最たる事例である。

そんなことなどよりもまずはとにもかくにも、
<具体的に物事を動かしていく>こと。
且つ,迅速に。最高最速で。
これが<がんばろう>だのときれいごとを述べる以前の
最重要タスクなのである。

これが圧倒的にして致命的なレベルで
ニッポンが世界と比べて劣っている点であることは
ダモシが<ニッポン、ダメだわこりゃ>と強烈に感じて
渡米した90年代後半には既に悲劇的だったわけで、

それが10年経っても変わっていないのは、
救いようがないわけである。

スッカラ菅は、現場へ行ったのならば、
そこで己自身が何を感じ、何を想ったのか。
これを率直に発信すべきである。

それくらい、出来るだろう。
今夜にでもすぐにそれを発信すべし。



*****



三月は<風雲急フルー>シリーズと、
今回の<Mar,11-東北>シリーズという
内憂に始まった混乱の世界が続いた。

直接的に壊滅的なダメージを震災では受けたわけではないが、
内憂から続く一連の中で、
震災においても仙台、那須という親や親類関係の絡みも含め、
当然ながら影響はあり、

そして最後は現場へ出た。

一連の流れの中で、そもそもオールウェイズ怒っている/
常に怒りを抱えながら生きているダモシにとっても
大いなる怒りを持って過ごす日々ではある。

その怒りの最大の矛先は、<ニッポン>全体に対するものである。
これは渡米した頃に持っていた
強烈無比の<ニッポンへの怒り>にも共通する。

それを安直に、<ニッポンが嫌い>なのだということは言えない。
己がホームであり、嫌いなわけがない。
それは対北の某も同様である。
仙台や那須は言わずもがなだ。ホームの東京も、しかり。

しかし、物事や感情は好き嫌いだけでは捉えきれない。

何とも思わぬ対象には、怒りすら持ち得ぬわけだ。

好きである/嫌いなはずがない
という前提がある中では、
一歩間違うと、強烈なる憎悪になり得るという表裏一体の
歪みがある。

善くも悪くも、過敏に情緒的な面と、
その一方にある大雑把さというAB型性の二律背反/表裏一体が
ダモシイズムの根底にある。

ヒトはある意味で,誰もがそういう側面の一端は
持ち得ているだろう。

<怒り>をどう解釈し、それをどういう形で、何にぶつけるか。
しこりや怒りは、必ず消化しなければ、終わらないものである。
どう消化するのか、は個々の所作の差異となるが、
良い形でそれをぶつけることができれば、
翻って、新たな何かが生まれ得る。

<感情的になる>ことと、<怒りをぶつける>ことは、
まるっきり違うわけである。

今後も、<怒りをぶつけて>いくことになろう。
時には良い形で、時には、いささか感情的になりながらも。

さもなくば、消化できないからだ。
なにごとも、消化しなければ、精神的にも肉体的にも病に陥る。

そんなこんなの三月を過ぎ、昨日から四月になった。

ダモシはスッカラ菅たちと同様に、
昨日からスーツを着てオフィシャル事案に復帰した。
ただでさえ疲労がある中で、
昨日も、"ものすごく"疲労したが、

今宵は、気分を変えて、ウィークエンドのファミリーらしい
そんなひとときを過ごした。

一つには、事実として、
小さなコドモがいて、そのコドモは春休みなのだ。
そこのアテンションは、一国の(家庭の)リーダーとしては
これもまた欠かすことのできないことであるのだ。

アントニオが、ダモシ仙台滞在中に送ってきたメール。


◇◇◇◇◇
〇〇はいっはいごはんをたべたよ〓
だからかえってきたらゾロリのほんかってね。
どようびハグロウブかいにいこうね〓
◇◇◇◇◇


"どようびハグロウブかいにいこうね"を
土曜日の今宵、実行した。

"土曜日はグローヴ"である。
グローヴとは、ボクシング・グローヴである。

昨晩、ダモシは問うた。

<春休みに行く約束をしていた上野動物園に
 パンダを見に行くか、グローヴを買いに行くか。
 どっちでもいいぞ?どっちがいいんだ?>

と。

上野動物園と応えるものと思っていた。

ところがアントニオは迷わず、グローヴを選択した。
彼は格闘技が本当に好きなのだ。
やらされているのではなく、
空手も、隠密に自宅で行われているボクシングも、
自分が好きでやっているのだ。

それがよく分かった。

<よし、行こう>と格闘技の殿堂・水道橋へ。

ボクシングへの参戦を踏まえて、
ボクシングの練習もフェーズを上げてきているが、
そろそろ空手での異種ルールの際に使用している
所持しているグローヴではなく、
ボクシング・グローヴを与え、
ダモシもグローヴとヘッドギアを買い、
さらにフェーズを上げていく段階に来た、と。

ダモシは16オンス、
アントニオは体重規定の12オンスのそれを購入。
ダモシ用ヘッドギアと、
アントニオ用のバンテージも購入した。

アントニオのグローヴは海外のもので
輸入となるため注文した。一ヶ月後に入荷される。

ダモシの階級は、
アマではヘビー級、プロではクルーザー級で
使用グローヴの重量は10オンスだが、
それより重いものを練習で使うことでプラスになる。

これはアントニオも使うことができる。
小学一年生がより重い16オンスで練習すれば、
おのずと、大きなプラスである。

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これでダモシが跪いて、
アントニオと同じ背丈かちょっと高いくらいにすれば、
実戦的なスパーリングが可能になる。

フェーズを上げていく。

明日は、40年アニバーサリーの<仮面ライダー>映画を
二人で観に行く。

このウィークエンドは、そうやってアントニオと過ごしたい。


*****


ワイフもアントニオも、
未だ東京スカイツリーに行ったことがない。

スカイツリーの最寄駅である押上は、
田園都市エリアとは一本(東急田園都市線→東京メトロ半蔵門線)で
行くことができる。

水道橋も、一本で神保町まで出て、
都営に乗り換えれば一つ目で、
空手具含めて行きつけの格闘技ショップは
神保町と水道橋の間に位置するため、
これも一本で行くことができる。

<押上始発で座って帰ることができるから、
 この後、スカイツリーに行ってみるか>と提案。

ファミリーでスカイツリー訪問と相成った次第である。

ダモシは、オフィシャル事案で何度か既に行っている。
建築過程の中でフェーズごと
当欄にも掲載しているが、

高さで東京タワーを抜き、且つ自立式鉄塔世界一になった
段階では、はじめてである。

今宵の高さは、634m。


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高いのは、高い。実際に、高い。

だが、ワイフが、ダモシが抱いている感覚と同じことを、
初めて目にしたスカイツリーの真下で述べた。

<やっぱりNYの、
 あのワールドトレード・センターと比べると、小さい。
 存在感がまるで違う>

と。

さよう。

あの9.11で崩壊した
ワールドトレード・センターの存在の耐えられない強さと
比べてしまうと、

一般的(ニッポンにおける)なスカイツリーのそれが、
希薄なものとなってしまう。

むろんスカイツリーだけを見ていれば
(ニッポン国内の超高層建築と比べれば)高いのだが。

スカイツリーの場合は鉄塔だから、
最上部の先端部の長さが180m以上ある分、
全体の高さが634mにまで至るが、
いわば展望部の最上部は450mである。

ワールドトレード・センターの場合は、ビルヂング。
最頂部は528mで展望(屋上)が417m。

展望部に登って、景色を見てみなければ
高度の実感における差異は得られないが、
下から見たケースにおいては、

圧倒的に後者の方がアドバンテージにある。
"ものすごい"迫力と存在感は、やはり比較にならない。

しかしそれでも、周辺に超高層がないエリア性も考えれば、
例えば東北自動車道から首都高に入って間もなくの走行中からも
向こうにスカイツリーが見えた瞬間に、
視覚効果を伴って押し寄せてくる<東京に入った>感は
スカイツリーの大きなアドバンテージにはなろう。

<視認性>という意味では、
ワールドトレード・センターは
マンハッタンという超高層の集合体にあってもなお、
単独峰といえるほどのウルトラスーパーな存在感があったことで
大いなる視認性を持っていたが、

スカイツリーの場合は、富士山同様に、
完璧なる単独峰として
まさに一本かぶりで屹立することで得られる
高い視認性があるといえるだろう。

既に東京を象徴する代表格になっていると考えられるだろう。

ワールドトレード・センターも
エンパイア・ステート・ビルも東京タワーも。

いずれも<それが在る風景>として
真下や間近から見るのはもとより、
遠望する景色の中に突出して存在している光景がまた
アイコニックなものとして成立し得る。

見るエリア、位置によって、その顔もまた多岐に渡るわけだ。


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今宵も多くの観光客が、
川沿いからスカイツリーを見上げていた。

だが、さすがの高さ。
ワールドトレード・センターもそうだったが、
その建物最上部まですべてを借景として
記念写真を撮ることの難しさはある。

ダモシが見ていて、
<まず、これ、皆々様、そんな撮り方では
 全部を映すことは無理でっせ>と思えるような撮り方を
観光客の多くは、していた。

間近及び真下から
スカイツリー最上部まで捉えて
ヒトの記念写真を撮るなら、
撮る者はその地面に寝転らなければ、ほぼ無理だ。

寝転がって撮れば、真下からでも可能になる。

事例として。

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スカイツリー最上部を借景に、
ヒトを間近でアップにするケースはこうなる。

これはダモシ自身は地面に寝転がって、
地面と同じレベル=フィールドレベルの目線(ファインダー)
になっていて、ようやくこうなる。

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いずれも他ヴァージョンでは、
露出を調整して、対象としているヒトを明るくしている。
天候と時間によって、普通に撮ると
手前のヒトだけ真っ暗になってしまう。


東京スカイツリー。

いずれにせよオープンしたら、
一年は展望台へ行けないのではないかと想定している。
なにせ行列大嫌いなダモシ軍である。

行列フィーヴァーは、一年は収まらないと見ている。

行列、大群衆といえば、上野動物園。

<ほんと、(この週末)行かないで良かったよ>と
こぼすワイフ。

彼女も、行列/渋滞大嫌いである。
大混雑の場は、必ずダモシがブチ切れるため、
それも避けたいというところから
彼女も嫌いになったのだろう。

ダモシがブチ切れるから、そういう場は避ける
という暗黙のダモシ国ルールである。

休園から明けた昨日の4.1。
パンダ公開も相まって
上野動物園には何と驚くことに二万人も来園したようだ。

<ほら、見ろ>とワイフ。

三年ぶりとはいえ、
パンダは三年前まではここにいたのだ。

しかもニッポンでは上野だけではない。

それでも、以前から掲載しているように、

パンダといえば上野動物園
上野動物園といえばパンダ

というゼネラルな観念が色濃くある。

だから、外国でもパンダは見ているダモシですら、
<上野動物園&パンダ>という〜アイコン〜への
想いも強く、

<行こう>と考えているわけだ。

むろんオフィシャル事案で絡んでいることもある。

さらにはニッポンへのパンダ初上陸(1972年/上野)も
経験し、実際にその時に来て、見ているという
己自身のヒストリカルな部分へのノスタルジーもあるわけだ。

しかし、そんなダモシでなくとも、
1972年のそれと関係ない人も含めて
こんなにも多くの人々が押し寄せてくる。

未だ、<客寄せパンダ>というものは、
40年という時代を経ても変わらないということである。

明日観賞しに行く
<仮面ライダー>もそうだが、
40年経ってもなお変わらず少年たちの心を掴むわけだ。

普遍的なアイコンの力は、やはり大きいのである、と。


そして季節は、春。

本妻(東京)復帰後の春では
毎年訪れている、あざみ野の桜並木。

これも明日、行くことができれば行きたいところである。





posted by damoshi at 22:18| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月19日

東京王道



東京首都圏で小学校時代を過ごした人の、
小学校六年生時の社会科見学。

もしくは関東近県で小学校時代を過ごした人の、
やはり小学校六年生時もしくは中学校での修学旅行。

その行き先としての最もティピカルな場所。

そして、外国人観光客の東京コースやはとバスでの
ティピカルな場所。

まさにその東京王道は、以下になろう。

・浅草(浅草寺と雷門)
・皇居(二重橋エリア/江戸城)
・東京タワー

そして

・国会議事堂。

くさっても鯛。くさっても東京。
東京タワーや雷門は改めて訪れて改めて感じれば、
その素晴しさを再認識する。

あぁ、やっぱり凄いな、と。

皇居も独特のオーラがある。

そして国会議事堂は特に、
東京タワーや雷門、皇居などのように気軽に
フリーランスで入ることができるわけでもなければ
行くことも少ない場所であることに加え、

そのスケール感も相まって、

オトナの社会科見学で改めて行くことで得る再認識の度合いが高い
存在の筆頭格といえよう。

それは奈良・京都の東大寺や清水寺などに等しく、
小学校時代や中学校時代に
<たしか行ったよな>的存在の持てる特性ともいえよう。

これらはすべて、オトナの社会科見学や遠足、
そしてオトナの修学旅行に最適なアイコンでもあるのだ。

当欄では東京に関しては、
<オトナの遠足&お散歩>カテゴリーで
そういったベタな、でも、確かに改めて行くことで得られる
要素の多いアイコンや、

<行ってみなはれ、行けば分かるさ>的な、
地方から上京して東京に数年以上住んでいながら
実はニッチな東京には慣れ親しんでいても
観光や王道という部分では知らない/行ったことがない
という人は多いのだが、

そういう人たちにとっても得られるものは多いはずのアイコンを

取り上げてきてもいる。

東京の西を代表するアイコンである多摩動物公園や高幡不動、
横綱格の高尾山なども掲載した。

高尾山などはそれこそ東京ネイティヴにとっては
横綱格の存在であり、
まさに遠足で普通に行く親和性の高さも持っているのだが、
案外、地方から上京して数年東京に住んでいる人は
やはりその凄みを知らなかったりする。

六本木を知っていても高尾山の良さを知らない。

それではやはり、厳しいようだが、
<田舎者の域>を出ないのである

それこそ国会議事堂や東京タワーや雷門に、
まずは行ってみなはれ、と。


今宵の東京王道、まずは何はあっても象徴的存在であることに
疑いの余地はない国会議事堂。

一度は詣でよ国会議事堂。
東京ネイティヴの我々があの時代、
<小学校六年生の社会科見学>で行った場所。

おそらく今も行くであろう場所。

今宵のそれも大盛況。
ある意味、その集客力は恐るべし存在。


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*****


公募によって選ばれた建築。その意匠や、まさに世界。
この空間は、世界(西洋)的世界観で充満している。

<赤い絨毯の上を歩きたい>。

若者や著名人がそういう射幸心を抱いて、
やおら選挙に出馬する気持ちも理解できなくもない。


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清楚な周辺ストリートには大型観光バスが大挙として走る。
小学生、中学生が止まるところを知らぬ流れで
次から次へとやって来ては去ってゆく。

バスガイドが叫ぶ。

<トイレに行っておいた方がいいわよ!>
<次は浅草までだから、トイレはしておいてね!>

さよう。

国会議事堂→浅草寺&雷門→東京タワー。
これぞ王道コース。

どこに皇居二重橋をはさむのか。

かつても記載したが、在米時代のビジネストリップ時に、
ニューヨークから共に連れてきた米国人ファミリーを
東京観光案内した際、ダモシが設定してアテンドしたコースが、

浅草寺&雷門(浅草)→江戸東京博物館(両国)→皇居二重橋。

1990年。
ワイフとの交際初年度に、
那須からワイフの姉と姪三人の計四人が東京に遊びに来た際に
車で一日、アテンドして観光案内した際のコースが、

由比ケ浜の海(鎌倉湘南)→羽田空港→東京タワー→東京都庁舎。

東京っ子の社会科見学や関東近郊の中学生の修学旅行が
国会議事堂→浅草寺&雷門→東京タワー→皇居二重橋
という王道路線は今も変わらないだろう。

むろん東京ディズニーランド(千葉だから、正確には東京旅行ではない)や
お台場という手も、さらに地方からの東京修学旅行ではあるだろうが。

ダモシ世代の東京っ子の社会科見学は、
国会議事堂、国立劇場(能の観賞)、歌舞伎座(歌舞伎鑑賞)は
ティピカル中のティピカルであり、
遠足といえば高尾山で決まりだった。

しかし、結局は、
奈良・京都の今年の春の寄稿で記載したように
そういった小学校・中学校レベルでのそれらに対する
ダモシ自身の鮮明な記憶というものが、

まるで、ない、と。

今春、東大寺や奈良公園、清水寺に
オトナになってから再び邂逅した際に得た驚き。

それと同様の驚きが、国会議事堂にもある、と。

今宵、実にこれもまた32年ぶりの登院と相成ったことで
<なんだか、やっぱり凄いのだな…>という
感慨に至るわけである。

何だったのか、あの時の社会科見学は、と。

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季節も秋が最も良いかもしれない。
もうあと一週間か。紅葉ピークと絶対青空が重なり合う
秋最盛期が最も見映えするタイミングだろう。

それもあって社会科見学の数が異様に多かったのだろうし、
この時期、多いのだろう。

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久しぶりのダモシ最近影。
ダモシ議員が本会議場に在るならば,こういう風になるのか。

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国会議事堂の、見事な中央口からの景。

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ふだんはこのエントランス(と、この位置)は見られない。
天皇陛下や外国の首脳などが国会に来る際のみ開けられる。


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そしてもう一回、開けられる時がある。
選挙で当選した新人議員がバッヂを得て登院する記念の日に
ここがオープンされて入っていく形になる。

さぞかし新人議員は希望溢れることだろう。
なにしろさすがに一定レベルを超えたオーラを持っている建物だからだ。

張り切って、議員としての日々をスタートさせることを
後押しして余りある意匠とアトモスフィア。

が、新人議員はやがて疲弊し、現実の苦しみを味わい、
ナアナアになったり、あきらめていったりもするのだろう。
思い通りにいかないことの方が世の中多いのだが、
国会議事堂という建物の中での闘いも
多くの人にとっては、思うようにいかないことが多いのではないか。

<何か、違うな…>
<マズいな、こりゃ…>

と。

国会議事堂という凄みある建物のオーラに飲み込まれてしまうのか。

今の民主党以下、政治家を、
伊藤博文はどんな感慨をもって見つめているか。

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*****


東京王道は、まだある。

ティピカルな王道ルートでの社会科見学や修学旅行、
外国人観光では含まれずとも。

日比谷公園エリアである。

昨年の紅葉ピーク期に日比谷公園をフィーチャーした。
それ以来となる。


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ここも紅葉ピークは間もなく。来週あたりか。
来週あたりは外苑前の銀杏並木もピークになるのか?

その日比谷公園内には、ヒストリカルなアイコンがある。

日比谷野外大音楽堂と日比谷公会堂である。

前者は、日比谷野音の名でも知られる、ニッポン最古の野外音楽堂。

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錠がかかっていて観客席に入ることができなかったが、
外からステージを撮った。

日比谷野音同様に、"昭和"の色濃く残るアイコンが日比谷公会堂。

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今もなお現役だが、
日比谷公会堂の名がヒストリカルなアイコンとして知られる
最大の事件は、浅沼稲次郎刺殺事件だろう。

沢木耕太郎氏中期の名作<テロルの決算>で微細に描かれた
山口二矢による日本社会党委員長・浅沼稲次郎の刺殺事件。

その現場がこの日比谷公会堂の、ホールである。

ちょうど50年前の秋のことだ。

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東大安田講堂もそうだが、
善くも悪くも"昭和"の熱気の残り香が漂う建築物である。

一度、中のホールに入ってあの事件現場を見てみたい。


*****


最後は王道、皇居二重橋。

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今宵もまた多くの、特に外国人の観光客が喜んでいた。
ティピカルな構図ゆえ、
手前の眼鏡橋が二重橋と誤解されるケースが多いが、
二重橋は向こうの橋である。

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二重橋。

六本木や青山は10代後半から20代までで良かろう。

子供にとってもオトナにとっても
東京も地方も、ある意味でベタな<王道>こそ、である。

それでこそ、<不易流行>といえよう。


最後に、オールウェイズ246の夕日。秋ヴァージョン。
富士山とのツーショットである。

右端に,富士山がいる。見えるだろうか。


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posted by damoshi at 23:57| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

東京色づきはじめ



東京も紅葉が色づきはじめた。

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銀座は紅葉が少ない。
歌舞伎座があった場所は、すっかり面影がなくなった。

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ダウンタウン。色づきはじめている。

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ここだけ見れば外国にいるかのようだ。

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ところは上野。

上野の森美術館、
世界遺産登録を控える国立西洋美術館、国立科学博物館、
東京国立博物館、東京都美術館などなど
錚々たるミュージアムが揃っているエリアだ。

天下の上野動物園もある。

本来、ここはアカデミック・エリアであり、
米ワシントンDCのスミソニアンになり得る存在。

だが、整備の不行き届きか、戦略なき都市計画か。

残念なことにエリアは、昼から酒を呑んでフラフラしている人々や
中東系がたむろしていたり、
レベルの低い大道芸人たちのうるさい嬌声と騒音ともいえる
ラジカセからの音楽で支配されている。

なぜ徹底的にアカデミックなエリアにしないのか。

上野もまたダモシが嫌いなエリアだが、
ここがアカデミック・エリアに徹して
スミソニアンのようにきちんと整備されたら
どんなに素晴しいことかと、

ここに行くたびに、嘆くことしきりである。

キレイに切り取って撮れば掲載した写真のようになる。
が、少しでも横や手前まで映せば、
そのポスチャーは一気に劣化する。

困ったものである。

そもそも大人数で花見など嫌いだが、
ここはまた桜の季節は花見宴会の名所だ。

エリア・アトモスフィアへの嫌悪感も伴い、
まずもってここでの花見宴会には出ることはないだろう。


もうすこし戦略的な都市づくりをするべきだ。

ほとほと、もったいない。



posted by damoshi at 02:18| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

押上異空間



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東京スカイツリー。
陽炎ではない。手ブレしているわけでも、ボケているわけでもない。

川に反射する逆さ東京スカイツリーである。


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まるでメジャーリーグの本塁打王のように
day by day本塁打の数をアップデートしている過程である。

バリー・ボンズの762には届かないが、
完成した暁には634mとなり、"電波塔"としては世界一に君臨することになる。

世界一という冠への挑戦過程。
そして、相変わらず政治も経済もパッとしないばかりか
世相的にもシャープさがないニッポンにおいて
久しくなかった昭和のライジング・サンの香りを感じてか。

多くの、想像以上の多くの人々が、建設過程の東京スカイツリーの
周辺を訪れて、それを見上げて感嘆の声を挙げている。

人は皆、欧米の超高層建築を見るが如く、
一様に口をポカンと開けて、無言でそれを見上げているのだ。

その昔、地方から出てきた人が、
東京の新宿摩天楼をそうして見たように。

昔のダモシが、
ニューヨークに旅行で訪れた際に
ワールド・トレード・センターや
エンパイア・ステート・ビルをそうして見たように。


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ニュートラルに、押上というエリアの、
東京スカイツリー直近道路に、過去、これだけの人がいたことはない。

昔ここを歩いた際には、極論すれば
一人か二人とすれ違えば良い程度だった。

枯れた、寂れた。
そんなイメージがつきまとうエリアであった。

が、今、ここは超満員札止めにあと一歩といえるほど
多くの人々で賑わっている。

東京スカイツリーはday by dayその高度を伸ばし、
周辺にやってくる人々の数も日に日に増えている。

この"エリア自体"のアトモスフィアがそれに追いついていない。
それが現状であり、今後、どこまで追いつかせていくのか
という点が、以前も書いたが、ポイントになってくるだろう。

なにはさておいても、"しょせん押上"である。
その、"しょせん押上"という理解を
己の力でどう覆すか否か。ここがエリアにとっては重要だ。


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まるでローカル都市がやるように
誘致のための新たなガイドも示唆している。
"一応"追いつこうと努力はしている。

しかしこれはあくまでも臨時の看板であるべきだ。
スカイツリー完成の暁においてもこれではいただけない。

実際には、

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真下で、これだ。
こういう世界観を今後、どうソフィスティケートしていくか。
このままで良いわけが、ない。

どこぞの欧米のスラム街ではないのだ。
世界一の電波塔が屹立するエリアとしての品格を持たなければならない。

ただでさえ、アクセスが悪いのだから。

一方で、北関東の人にとっては逆にアクセスが良いか。
この部分がまた引っかかりとなってくる。

善し悪しではなく、現在、ここに容易に来られる
という点から、北関東チックな観光客が多い。
千葉、茨城系である。埼玉も含む。

それらの県人が悪いというわけではなく、
平易にいえば、いささか田舎臭い風情があるのは確かで、
そういう様相と押上というエリア・アトモスフィアが
合致してしまっている点が気がかりなのである。

エリア・アトモスフィアは、そのエリアとアクセスに大きな関係性がある。
仮にスカイツリーが二子玉川に建てば
東京の世田谷や東急沿線の田園都市系の人が多くなる。
神奈川県や静岡県系のアクセスが良い。

これだけでアトモスフィアは大きく異なってくる。

アクセスが良い方面からの人が、
そのエリアに多く集うから、
必然的にエリア・アトモスフィアも、
"アクセスが良い方面"の元来の人々が持っている風情で
支配されるようになる。

千葉にあるにも関わらずの
旧東京国際空港(現・成田空港)や東京ディズニーランドも
まったく納得がいかないが、
それらはある意味で別格としても、

東京スカイツリーという存在が、
"辛うじて東京"の押上エリアにあることには
やはり未だ納得には至らない。

<結局は東武でしょ?>という、
東京人なら分かると思われる感覚に陥るのである。

京王や小田急、東急ではないでしょう?

と。

東京スカイツリーに関しては、
ダモシ的にはそこがやはり最大のネックである。

東急が頑張ってくれて、
何とかスカイツリーを二子玉川に持ってきて欲しかった
という想いは、未だにある。

同時に話は逸れるが、
プロ野球の横浜ベイスターズにしても
核心は簡単なことで、
"あんな"野球を冒涜しているような企業ではなく、
東急あたりが面倒を見てくれて
横浜というホームを移転せずに地域振興も兼ねて
大きく育てていくようにすれば良いのである。

みなとみらい21エリアの横浜ランドマークやベイブリッジ、
そして富士山を望む位置に新たな野球場を創れば
東急としても電車と共に成り立つだろう。

そして夢も生まれるわけだ。景観美。大都市の中での野球。
そこにスターが一人でもいれば存分に成り立つ。

このあたりを核心として考えなければ、
到底、横浜ベイスターズの再建は成り立たない。
単にローカルへホームを移転すれば良いという
アンポンタンな某企業のような甘っちょろい考えでは、
ダメなのである。

あまりにも"住なんとか"という企業体は、しょっぱい。


まあ、いい。

しょっぱい輩に何を言っても始まらない。
今の民主党に何を言っても始まらないのと同じだ。



*****



最後に、東京スカイツリー景。


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スカイスクレイパーは、サニースカイこそが映える。
秋と冬こそ、最高の時節となる。
富士山眺望と同じだ。


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今宵は、タテ位置写真が多い。
当欄では珍しいが、素材の特性上、タテ位置が多くなる。

属性。

ここに来ている人の最新の属性。

ニュートラルに見て、

若いアベック  30%
サラリーマン風 30%
シニア層    30%
地元民      9%
ダモシ系     1%

といったところである。

特に目立った層はなく、いずれの層も満遍なく
東京スカイツリーには興味を持って来ている様子である。

完成した後よりもむしろ、その過程を見ておく、
そしてそれを写真に残しておく、
記念写真を撮っておく。

人々の、久しぶりのライジング・サンを再現されるような
存在を前にした渇望であろうか。


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東京タワーもそうだったことだろう。
建設中のそれと共に記念写真を撮っておけば、
文字通り記念になる。

ベイビーを連れた親子連れも多く、いた。

アントニオとワイフを伴って、建設中のサニースカイの日に、
訪れたいと忌憚なく想う"存在"である。

その"場所"(エリア)は、anyway。

ただいま、497m。





posted by damoshi at 23:20| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月16日

駅前意匠



東京の、例えば京王線、小田急線、東急線の
世田谷ラインなどの駅前は、
立川や溝の口のような中途半端で奇妙な大きさを持つ駅前と異なり
駅ビルなどがなく、商店街が賑やかで風情豊かだ。

駅前はその街の体を表す。

愛媛の松山、熊本の熊本など
その旧国鉄のメイン駅の周りが異様なほど寂しかったのには
落胆と驚きを得た昨年だが、

同じ圏内の他所や郊外へとマーケット・エリアが
移行してしまった、それはティピカルな事例といえるから
まだ救いようがある。

小さな街、否、新幹線駅として駅規模が大きいのだが
ゆえに逆に中途半端な街になっているような場所は
圏内他エリアや郊外へマーケット・エリアが移行した云々とは
別の世界で、言ってしまえばその<駅周りしかマーケットがない>
にも関わらず、その駅周りのポスチャーとアトモスフィアが
終わった感やローカル感溢れていたりすると、
これもまた溜息が出る。


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<ラグビーの街>を謳うこの街のメイン駅前には、
ラグビー坊やとラグビー・ボール、そしてH型ゴール・ポストが
スタチュとなって屹立している。

なかなかの個性的な趣だ。

しかも、一瞬、<武田信玄か?>と見紛うスタチュもある。

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駅前に象徴的に建つこれらは、
いわばその街の体を表すものである。

人も皆、この駅に集う。移動のために。
大学もあるから、この駅からバスで大学に行く学生も多い。

この駅から電車に乗る人の数は一日約三万人。
人口約二十万人の埼玉県熊谷市の、メイン駅である。


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*****



ところが、しかし一瞬にして
駅前のこの期待感を抱かせるシンボリックな存在をもってしての
ポスチャー構築は、やはりローカルの限界かというふうに
胆を落とすことになる。

リアルなポスチャーはこうなるからだ。

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ネガティヴな意味合いでの表現としての"盛り場"チックな装い。
これが駅前メイン部分になってしまう。

下半身系含む、いわゆる娯楽が悪いとはいわぬが、
駅としてそのエリアの横綱格であるべきメイン駅
(すなわち市名と同名の旧国鉄系駅:JR駅/且つ新幹線駅)が
この体たらくでは、街づくりの品位を大いに疑わざるを得なくなる。

しかもこの駅は、JR高崎線と新幹線2ライン(上越/長野)を擁する
のみならず、私鉄まである(秩父鉄道)。

だから当然、駅は大きくなるのだが、
駅内にある店舗群も、駅構内のアトモスフィアも、
そして駅前の様相も、著しくローカルの悪い事例を示している。

むろんこの地が旅のデスティネーションになることはないにせよ、
旅人を、散歩人をガクッと落胆させるに十分である。

なぜローカルはこうなってしまうのか、と。

純粋に、いつも感じてしまうのである。


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せっかくの<ラグビーの街>スタチュも、<熊谷直実>スタチュも、
まったく活かされていない。

ラグビーの街と謳うなら、それに徹したらどうなのか。
ラグビーの街と言いながら、
一方でここを<ハートフル・タウン>と言い、
さらには<チャレンジ・タウン>とも謳う。

一体ここは、

"ラグビー・タウン"なのか、"ハートフル・タウン"なのか、
それとも"チャレンジ・タウン"なのか、

何なのだ、と問いかけたくなるのである。

都市と街、町、村の訴求手法としては、失敗事例といえよう。

そのせいで、結果ここが<曖昧な町>として結論づけられてしまう。
少なくともダモシはそう感じる。

それこそ、
姑息な輩と対峙した場合、最終的には<アイ・アム・ダモシ!>で
すべての体を成すというように、

都市や街も、そういう、例えばここでいえば
<ウィー・アー・クマガヤ! ザッツ・オール!>
と言い張るくらいの方がまだマシである。

いくらハートフルなタウンです、チャレンジ・タウンです
と言ったところで、この駅前のポスチャー。

何とかしようと、もし思うならば、何とかした方が良い。
当事者がこれで良いと思うなら、このままで良いだろう。

ただ、もったいない。ダモシなら何とかしようとするだろう。

少なくともこの品位の低い駅前ポスチャーは、
本来は何とかすべきだろう。

駅前の様相は、意匠デザインである。
街も、都市も、その重要性は高い。

短絡的にスタチュを建てれば良いという発想があるとすれば、
それは意匠デザインでも何でもない。

埼玉県のノース(北部)の中核都市でこれだから
いただけないのは確かだ。

ここは絶対的な必要性がない限り
行くことはないであろう街の一つではあるが、

それでも、いずれにせよ、なにごとも

行ってみなければ分からないわけだ。
迷わず往くことで、得るものは少なからず,在る。

それは、どんな村でも町でも同様だろう。

バットを振らなければホームランは出ないのと、
キックを出さなければ当たらないのと、

それは同じである。


すべては現場に在るのだ。




posted by damoshi at 11:35| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

これが荒川?



流域面積が日本最大の川は、利根川。

今夏、千葉は銚子に入って突如現れた利根川の
その想像以上の大きさに驚いたものだ。

その利根川は長さでも国内二位を誇っている。
一方で日本最長の川は、信濃川。

とはいっても、いずれも世界三大河川の一つである
米のミシシッピ川を目にした際の衝撃には到底及ばないが。

世界と比べたらひとたまりもないため
ニッポン国内だけで見ると、
その二つの川に対して
川幅で凌駕して国内最大川幅を持つ河川、

それが荒川となる。


荒川。

都内のダウンタウンで括れば<三年B組金八先生>が思い浮かぶ。
いずれにせよ東京とはいっても"本当に東京?"と
強い疑念が生じるエリアが思い浮かぶわけだ。

つまり北区や荒川区、江戸川区などの
オールモースト埼玉、オールモースト千葉の世界観。

決して揶揄しているわけではなく、
山の手の人間のダモシからすれば相容れないだけである。
随分以前にも当欄に記載したが
<東京>という括りでの文化人類学的世界観である。

つまり山の手とダウンタウンでは東京はまったく異なる。
そしてその分水嶺を川で表現すれば
荒川人間か多摩川人間かの違いでもある、と。

エリア属性は生活形態や街のポスチャーの差異がもたらす
文化レベルや生活スタイルへの影響の大小少なくなく、
よって人種の差にもなって表れる。

同じ都民、首都圏民でもそれだけの違いは生まれるわけだから、
都道府県別であったり世界の都市別、国別に
大きな大きな違いが生まれるのは当然である

という前提的考え方である。

まあ、いい。主題と異なる。

荒川である。

同じ一つの川でも、国を跨げば、様々な顔を持つことになる。
荒川もまた、前述のような金八先生的世界観もあれば、
長瀞渓谷のような(いささか埼玉にしては不釣り合いな)アトモスフィアを
持ったりもする。


<へぇ。これが荒川?>と感じる、
荒川が好イメージに転じられる可能性を秘めた場所が、長瀞である。


この夏に訪れた東北の厳美渓、猊鼻渓には及ばぬものの、
首都圏から近い関東で手軽に景観と川下りを楽しむことができる
静寂の時を持つ場所としては、一度は試したい。


今宵、長瀞景を掲載するところである。


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これが荒川? と、
通常の荒川イメージと異なるポスチャーとアトモスフィアに
ポジティヴな印象を受けることになろう。


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上流から望めば鉄橋がある。
その鉄橋を秩父鉄道の列車が走る。SLも走る路線だ。


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ちょっとした一人旅の遠足&お散歩系だろうか。
各駅停車の旅チックな駅。


厳美渓、猊鼻渓などより
"ちゃんと"、否、"一応"観光地の装いをしたエリア。


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昨秋の川越もそうだったが、
"案外"、"一応"<観光地している>ことに驚いた。

埼玉といって侮ってはならないのだろう。


<意外なことに、ちゃんと、一応、観光地しているんだなぁ>。

現地でダモシは呟いた。





posted by damoshi at 22:53| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

たった四はいで…



マシュー・ペリー率いる黒船が来航した場所は、浦賀。
その六日後、上陸した地が久里浜。

得てして混同しやすいが、
ペリー来航=浦賀、上陸=久里浜である。

浦賀と久里浜は、広く横須賀エリアに属する近隣。
それぞれに主に幕末にかかる史跡が点在する。

お盆ウィーク。まずは久里浜からお届けしたい。


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当地にある<ペリー久里浜上陸図>。

時に1853年。

"いいくにつくろう鎌倉幕府"ではないが、
学校もしくは受験期に日本史を勉強した際の
年号暗記方法。

ペリー来航=1853年という図式を覚えるのは
"いやでござるよペリーさん"。

それまでの江戸ピリオドのニッポンは、平和も平和。
だが決して現代のような平和ボケだけに陥るのではなく、
平和の世だからこそ存分なる育成が可能となる<文化>を
見事なまでに構築した。

浮世絵に代表される、世界に誇るニッポン独自の文化。
そのレベルの高さと独創性の終焉はやはり同じ江戸時代。

それでも未だ明治・大正の世は、
欧米への羨望を、それをロールモデルとすることで
ニッポンはその時代ならではのロマン性や洋風性を演出していた。

そこまで。

ニッポンの文化レベルの高さと独創性は、そこで終わる。
以降、現代に至るまでニッポンから文化における
高いレベルでの豊かさは消失した。

その精神性も、
戦後の敗戦焼け野原からの乾坤一擲をかけていた時代から
栄光の50〜60年代にかけて存在していた
ライジング・サン的な逞しさは次第に消えてゆく。

アイコン的にも
70年代前半の三島由紀夫自決、長嶋茂雄引退で
強烈なる個性は消失の一途を辿り、没個性と
赤信号皆で渡れば怖くないへ邁進する。

最終的にはバブルが致命傷となり、
今やニッポンは復活不能なアグリーな国に成り下がっている。

個性はKYに、
協調性という名のものに赤信号皆で渡れば怖くないが助長される。
強烈なアイコンや突出した何者かも煙たがられる。

最悪の国家レベルに陥っている。

道を見ればオールウェイズ大渋滞。
そこに精神的なほんとうの豊かさは生まれようもない。

すべては、ある時期を境に陥り、
修復不能なまでにだらだらとそれに身を委ねてしまったことに尽きる。

<平和ボケ>である。

すべては日常における緊張感のなさに帰結する。

日常が既に日々是決戦の異国との圧倒的な差。

それをヨシとする考えもあろう。
だがその一方で確実にそういうアトモスフィアは
この国と国民の精神性から緊張感を奪い去った。

去勢されたのである。

<何かが起こらなければ動かない>ようになってしまったのである。

そしてその<何か>も起こらない。
仮にそれに近い何かが起こってもアクションしない。
対岸の火事ですべてを済ませようとする国民性が
出来上がってしまったからである。



*****



<泰平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も眠れず>。

見事な狂歌である。

天下太平の世の江戸時代は長く続いていたが、
遂にやってきたペリー率いる黒船艦隊。

まさにそれは平和ボケに浸っていたニッポン人の
眠りを覚ますに値する驚愕。

艦隊は、たったの四隻。
だがその四隻だけで夜も眠れぬほど驚愕に震えた。

ペリー来航。

これが鎖国から開国へ、
そして勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎らが海を渡るという
咸臨丸による開国以降の最初のオフィシャルな海外渡航へ、つながった。


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浦賀から、上陸すべく久里浜へ。


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今や平和そのもの、当時も平和そのものだったであろう
久里浜の海。

ここにペリー艦隊が上陸すべく現れた。

ペリーたちが上陸した地には今、ペリー公園というメモリアルがある。

そのエントランス付近に立つ
<泰平の眠りをさます上喜撰 たった四はいで夜も眠れず>の碑。

この碑から俯瞰して園内を見れば
そこに一本の大きな石碑が立っている。

ペリー上陸記念碑。

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石碑への文字は、初代の内閣総理大臣・伊藤博文の揮毫による。
その右手に見える建物がペリー記念館。
(記念館は無料で入館、閲覧可能)。


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上陸記念碑の裏側は英語記載。
かっこいい。


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エリア横須賀には、
現在ブレイク中の坂本龍馬絡み、幕末絡みのランドマークが点在している。

歴女あるいは幕末レディ? と思しき二人組もまた散策中。


*****


平和が悪いということではない。
平和が良いに決まっている。

戦争云々という意味での平和ではなく、
意識的、日常的な部分での平和ボケが大問題なのである。

ニューヨーク時代、9.11やブラックアウトに遭遇した。
直接的な邂逅である。

それでなくとも、異国では日常自体が既にバトルである。
闘いが連鎖し、オールウェイズ緊張感を所持することが必要になる。
それはまた、楽しい/嬉しいなどのことが起こると表裏一体で
常に意識の根底に持っていずにはいられない環境であるということである。

そしてその日常的な緊張感の個々の集合体が
ニューヨークという大都市を形成している大きな要素となる。

だから文化芸術もスポーツもビジネスも
常に高いレベルで保たれ、常に新しいものが生み出されていく。

<何が起こるか分からない>
<何かが起こるのは当たり前>という前提を意識の中に
常に持っていることが普通になっている環境と、

<どうせ何も起こらない>
<起こったってたいしたことはない>という前提の
平和ボケ環境では、

そこに生きている人々のポスチャーやイデオロギー、イズム
その他もろもろに大きな差となって現れる。

かねてから
ニッポンは何か起こらなければダメなところまできている
と考えていることは度々書いたことである。

9.11ではないが、極論すれば、
都市や国がダメージを負うような致命的にして徹底的な
<何か>が起こらないと、

この国の人々の意識は一向に変わらない、と。

危機感も皆無。"そんなんで"良いわけがないのである。

東京大空襲や広島・長崎の被爆は別議題として、
それらとは別で括れば
もしかしたらこの国が真剣に驚いたのは、

<ペリー来航>以来、ないのではないか?

とさえ思えるほどの平和ボケ。

ほとほと、いかがなものかと思わざるを得ない。

今宵もまた平和ボケの皆々様が
揃いも揃って高速道路か?と。大渋滞か?と。

逆にそれを徹底的に拒否している側とすれば、
<どんどん渋滞せえ>と願うところであるゆえ、

渋滞予測よりも渋滞距離が少ないのではないか?
といささか不満を覚えている今宵でもある。


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最後に、ペリーのスタチュを。


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今となっては、
"いやでござるよペリーさん"ではなく、

"よくぞやってくれたぞペリーさん"といったところである。


何も起こり得ないほどアグリーなニッポンで、
次に<たった四はいで…>となるほどの何かが起こるのは、

いったい、いつであろうか?


その頃には、

100歳-over所在不明者の数は
100万人をも超えるほどに至っているやもしれぬ。



:::::


あの狂歌。<泰平の〜>。

これを登場させて一つのベースボール・コラムを書いたことがある。
時に2003年。今から七年前の春。

メジャーリーグ・ベースボール機構本部公認唯一の日本語版。

<メジャーリーグ・ベースボール
 オフィシャルガイドブック 2003>より。

以下にて閲覧可能。

http://www.246material.me/yukeba.html





posted by damoshi at 18:12| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月12日

紫陽花-2010




高幡不動尊「第27回あじさいまつり」が開催中。

7,500株にも及ぶあじさいが、
1,100年余の歴史を誇る関東三不動の
高幡不動尊-高幡山明王院金剛寺境内と、
山内八十八ヶ所として知られる裏山の不動が丘を彩る。


あじさいの"見頃"的には
来週末あたりが最適かと思われるが、
それでも絶好のサニースカイの下で
初夏の光を浴びて輝く緑と共にそれを見るならば

今宵こそがベスト・ポジション。

注文通り、明日から一斉に雨の前の
最高の天気の今宵、出かけてきた。

高幡不動尊のあじさいまつりに。


2008年。ニッポン&本妻復帰直前の、
その同じ高幡不動尊のあじさいまつりを
取り上げた寄稿は、以下。

http://damoshiny.seesaa.net/article/104060160.html


高幡不動尊に関する詳細などは
一昨年の寄稿に譲るとして、

そのときの様相と写真で比べてみれば、
違いも見えて面白い。

とにかくこのサタデーは、言うことなしの天気。
"いやぁ暑いなぁ…"という言葉が出るほどの
暑さに、サニースカイ。


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平安時代初期の洋式で建てられたという
五重塔は、高さ45m。


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国重要文化財・不動堂。1342年建立。


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仁王門を境内側から見る。
室町時代の創建は国重要文化財。


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境内の最も奥まった場所にある大日堂。
新撰組の近藤勇、土方歳三の位牌がある。


広い境内、仁王門を入って左手一面が
裏山不動が丘という山と丘になっている。

そこは山内八十八ヶ所の弘法大師像がまつられ、
多くの人が遍路する。

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裏山は、高度もあり、森も深い。
光豊かな日は、緑の隙間から光が射し込み、
緑を一層輝かせる。

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*****



境内はもとより、
あじさいは
その深い森の中に山あじさいとして咲いている。


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人々は、
山内の八十八の弘法大師を巡拝し、
四季のみち、あじさいの小径を
そぞろ歩きしながら、あじさいを愛でるのだ。

咲き並ぶ
山あじさい、がくあじさい、あじさいを。


まずはティピカルなあじさい。
薄い青。

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あじさいといえば、
ダモシにとってはこの薄い青である。

長く住んだニューヨークの自宅玄関ドア前に
咲いていたあじさいが、
この色だった。

98年以前の本妻時代(二十代まで)は
あじさいに
ある意味で見向きもしなかった。

三十路の青春:ニューヨークで
あじさいは
ダモシの中に介入してきた。

未だ、本妻復帰後、鎌倉のあじさいという
<本丸>とは邂逅していない。

鎌倉は、夏と紅葉の秋には訪れているが、
未だ復帰後、あじさいの鎌倉は未踏である。
今年は行きたいと考えているが、どうか。


この薄い青、そして薄いピンク。
これが、あじさいのティピカルなものではないか。
ポスチャーもまたこの、ふんわりとまぁるい、
<あじさい>であろう。

白も良い。
白のあじさいは、
<真っ白のワンピース>を着た深窓の令嬢か。


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ふんわりとして、まぁるい。
或いは、清楚な白に、ほんのりとしたムード。

キュートな女性、おっとりとした女性、
深窓の令嬢像に、
薄い青やピンク、白のカラーリングと
あじさいのポスチャーが合致するのだろう。

だが、その中身は、毒がある。

これが、あじさいの女性的な美徳。



<ガクアジサイ>となれば、
ポスチャーはもとより
カラーリングの妙は異なってくる。

同時に、女性としての彩りもまた異なってくる。

ガクアジサイ。
その濃い青となれば、モダンガールの装いか。

一方で、そこに光が射し込めば、
一気に江の島、湘南的そして葉山的な
陽光、陽気なムードを醸し出す。


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薄い青のあじさいが雨の似合う鎌倉ならば、
濃い青のガクアジサイは
陽光煌めく湘南、葉山の世界観か。



ガクアジサイのカラーが、
濃い紫ともなればまた異なる女性像。

時にキレ者、時に妖艶。
そしてヤングレディから大人のオンナへの
脱皮への足がかり的様相など多種彩る。


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*****


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あじさいは、
そこに咲き並んでいても圧迫感をもたらすことはない。

それは、なぜなのか。

桜のような
too muchなセルフ・プレゼンテーションもない。

梅のような
赤信号みんなで渡れば怖くない的な
群集心理もない。

藤のような、いやみもない。

睡蓮と、どこか近いものがある。
その佇まいに。

何となく、静かにそこに佇んでいる感があるのだ。
あじさいも、睡蓮も。

ひっそりと身を隠すわけではないのだが、
あえて過剰にプレゼンテーションをすることもない。

普通にそこに在る、いる。
<見て、見て>と言わなくても
耳目を集めるオンナ。

そんな世界観が滲む。

深入りすると、毒を食らわば骨の髄までを超えて、
皿をも食わん、とさえ感じられるほど
濃密で危険な毒を振る舞うのだが、

そこに在る、いる、あじさいからは
一切それは感じられない。

薔薇との対比で、そこが、
あじさいに惹かれる要因の一つなのかもしれぬ。


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:::::


<高幡不動尊・あじさいまつり>

高幡不動尊にて、7月7日まで開催中。

電車利用の場合;
京王線で高幡不動駅下車、徒歩約5分。
新宿から急行利用で36分。

車利用の場合:
田園都市エリアから約50分。
(渋滞やスロードライビング・カーがいなければ、
 約30分程度)。


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posted by damoshi at 22:28| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

紫陽花睡蓮花菖蒲




森ガールや不思議系女子などが
喜びそうな季節が間もなくやってくる。

梅雨だ。

そういう女子なら
蒸し暑くとも汗ひとつかかずに
オールウェイズ飄々として、

雨の中を
"長靴"転じて"レインブーツ"を履いて
洒落た傘を手に
そぞろ歩きするなら

水滴したたらせる紫陽花、睡蓮、花菖蒲を
愛でようか。


横浜の港北エリア。
拙宅から車で10分程度の位置にある
400年の歴史を誇る古刹・正覚寺もまた、

そんな女子から、
シニア、ダモシまでを
そぞろ歩きの時間へと導いてくれる。


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日光や、松島の瑞巌寺を彷彿とさせる参道と
背の高い木立。

高窪山正覚寺という名称だけで
本尊などを除いて
それ以外は詳細は何も記載がない。

だから、どういう寺なのか分からない。


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しかし、そぞろ歩きと時節の花を愛でるのに
相応しい静謐なる場所であることは確かだ。

アトモスフィアも満たされている上、

文字通り
今の季節ならではの
紫陽花、睡蓮、花菖蒲が咲き揃っているからだ。


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古池や蛙飛び込む…
という芭蕉の句さえ浮かんでくる。


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この様相になればもうここは、モネの世界。


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古刹の装いも過不足ない。



*****


いずれがアヤメかカキツバタ
という格言があるが、

これにハナショウブを加えても良いだろう。

ハナショウブには黄斑がある。
薄い紫色のセンターにイエロー。


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ハナショウブといえば、

岩手は平泉の毛越寺、
江戸下町の堀切菖蒲園、鎌倉・明月院、
西東京は東村山の北山公園など名所は多い。

それは5月31日の誕生花。ワイフの誕生日である。



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*****



明日を最後に、
日曜日からはずっと雨になる東京首都圏。

レイニー・デイズの始まりのようだ。

明日が
雨のない中で紫陽花を愛でるチャンス。

高幡不動尊の紫陽花まつりもピークだろう。

出向く予定であるが、
ひと足先に正覚寺の紫陽花を。


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紫陽花大好きマンのダモシであるが、
それは花として好きであること以外に
雨にもフィットし得る紫陽花の懐の深さをも指している。

サニースカイが前提にあるレジャーやお散歩。

だが紫陽花の場合、
たとえ雨が降っていようとも
失望に劣化しない。

逆に紫陽花を愛でる場合は、雨が降っている方が良い
とさえいえる。

雨でも気分が陰鬱にならない。
紫陽花があれば。

陰鬱なダークスカイや雨が大嫌いなダモシをも
包み込んでくれる紫陽花。

だから好きなのだろう。



:::::


<正覚寺>

横浜市営地下鉄ブルーライン
センター南駅下車、徒歩約5分。

車利用の場合、たまプラーザなど
田園都市エリアから10〜15分圏内。







posted by damoshi at 18:43| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月03日

低い電線、立会川




江戸には、
坂本龍馬のホームである土佐藩の屋敷が
七ヶ所にあったという。

そのうち最大の面積を誇ったのが
品川下屋敷(立会川)。

1853年、黒船ペルリ来航。

土佐藩はここに警備兵を配備した。
ペルリ上陸を危惧する幕府の令により、
土佐藩の湾岸警備の
センター・ステージとなったのが、
品川区東大井にあたる立会川。

品川から京浜急行で六つ目の駅。

ペルリが初めて来航した1853年当時、
十九歳の坂本龍馬は
江戸に来て剣術の修行中だったが、
土佐藩の一員として湾岸警備に加わった。

<異国船処どころ来り候へば、
 軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候、
 其節は異国の首を打ち取り…>

と、土佐の父に一筆したためたという。

ある意味で
龍馬にとっての幕末の
エントランスの一つ。

それが立会川ともいえるのか。



京急立会川駅を出て、左へ。
奇妙に左右幅の狭い商店街に出る。

キャンペーンの旗がなびいている。
<若き日の龍馬が往く>というキャッチコピーで煽動するが、
そこにはワクワク感を覚えない。

龍馬云々以前に、
あまりにもこの街の様相が
まさに"シャビー"という言葉がうってつけと思えるほど
シャビーなのである。

さすがに東京の中でも、
いただけないエリアだけのことはある。

そもそも京急で品川から三崎方面への電車に乗った時点で
既に様子は明らかに異なる。

ニューヨークの地下鉄でいえば、
マンハッタンのアッパーウエストやイーストを
走るA,C,6番線と、
クイーンズのフラッシングへ往く7番線の違いに等しく、

東急田園都市線や京王、小田急などのラインと
京急の、アトモスフィアの差は如実だ。

善し悪しではなく、
アトモスフィアには歴然とした違いがある
ということである。


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寂れたラーメン屋はその軒先に
<龍馬餃子!>と書いた旗を掲げて、煽る。

とてもベーカリーもしくは
ブーランジェリーと呼ぶべくもない"パン屋"は、
これまた<龍馬ロール!ウチだけ!>と
窓にチラシをペタペタと貼って射幸心を煽る。


そうこうしていると、
この街を歩いていて数分で、ある奇妙なことに気がつく。




*****



ペルリ上陸を警戒する湾岸警備。

この街に流れる立会川という川が
海に流れ出るところまでが
土佐藩抱屋敷
(拝領ではなく、買入・借用していた土地・屋敷)
だったという。


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川が海に注ぐこの場所は
土佐から送られてきた物資の荷揚げの場でもあった。

警備に当たる土佐藩は、
この地に砲台を造り警備にあたった。


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龍馬を含む警備隊は、
現在の国道15号線沿いにあった
品川下屋敷を宿として、
商店街を通り抜けて、この砲台まで通勤。


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龍馬と黒船のイラストが交差する
砲台跡地。


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浜川砲台跡。

ここから海側を見れば、こうなる。


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東京湾。

位置的に、
浦賀がこの海の向こうになる。
目線は南へ浦賀へ。
京急も南下を続け、川崎、生麦、横浜を経て
金沢八景、横須賀、大津、浦賀、
久里浜、三崎へと流れていく。

横浜には龍馬の妻・お龍が働いていた
割烹料理屋の田中家があり、
大津にはお龍の墓があり、
久里浜にはペルリ上陸記念碑などがある。



*****



龍馬が通り抜けていた商店街。

そこを歩いていると
気づくことがある。

先述した、奇妙なことに気づく。


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龍馬のスタチュにしてもそうなのだが、
やたら電線が多いのである。この街は。
しかもその電線が異様に低い位置にあり、
絡み合っていて、緩んでいて、錆びている。

そもそも道幅の狭いこの街。
さほど人は多いわけではないのに
妙に圧迫感がある。

すべてが、低いのである。

錆びているだの、なんだのは、
もはやエリア的に諦めの世界観であろうから
言を持たぬとしても、

この緩んだ、錆びた、絡み合った、
低い電線が気になって気になって仕方がないのである。

端的に言えば、邪魔、なのである。

絵的にもまったくよろしくない。


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<お帰りなさい、龍馬さん>と
ウェルカムする気持ちは分かるが、
この電線は何とかならないのか。


しかも、これだ。


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<昭和の色合い>と言ってしまえば
ポジティヴな表現になるが、
ここに漂っているアトモスフィアからも
とてもポジティヴな気分にはなれない様相。

この電線は何とかならなかったのか?
と思えてしまう。


厳しい。これは厳しい。


だから
せっかくの龍馬スタチュも
先般記載の通り、

・無造作に干されたタオル
・錆びた公園の鉄柱
・緩んで、絡み合って、低い位置にある電線

が邪魔をして、
シャビー極まりない全体構図に陥ってしまう
のである。


隠して、消して、切って
といった所作を案分しながらトリミングして
ようやく、龍馬スタチュの写真は出来上がる。

さもなくば、それはあまりにもシャビーである。



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スタチュの全身像、あるいは俯瞰図。
それは不可能である。

それをやってしまうと、
何だこれは…という、あまりにもイメージが悪くなり、
立会川に申し訳ない。

せっかくここに来ている龍馬ファンの面々も、
若者は忌憚なくモノを言うが
黙って見ているシニアの方にしても

その顔には明らかに
ディスアポイントメントの装いが漏れていた。

<ふぅ…>と。

<はぁ…>と。


先般も記載したが、
もうすこしやりようはなかったのか?と
思ってしまうのであった。



*****



まあ、いずれにせよ
立会川は<龍馬ブーム>に乗って
例年ではほぼ誰も来ない
観光客やオトナのお散歩客を招き入れている。


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京急もこうして、煽っているのだから。


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posted by damoshi at 01:10| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

ゲゲゲの深大寺




松本清張の<波の塔>。

山梨の下部温泉、富士の裾野の西湖に青木ヶ原樹海、
長野の上諏訪…。

昨年、今年と訪れている地が舞台として登場する。

そして東京は調布の深大寺もまたその舞台。

調布の深大寺といえば、
今やNHK連続テレビ小説の<ゲゲゲの女房>で
ブレイク中の地でもある。

当初(島根)は冴えなかった視聴率も
舞台が調布になってから次第に上昇し、
現在は好視聴率をあげているというニュースも
GW頃から流れている。

GW期間中の5/3などは一日で三万人もの
大勢の人々がやって来たとのこと。

奈良(平城遷都1300年)
岩手の遠野(遠野物語発刊100周年)
高知(NHK大河ドラマ「龍馬伝」)

などと共に、
ドラマやアニバーサリーにちなんだ地は
やはりその集客力は強まるといったところか。


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特に、舞台が調布に移ってからは
・昭和30年代
・東京
という舞台設定を有する<ゲゲゲの女房>への
シンパシィと安心感とノスタルジーは、

ヒットの法則(昭和&東京)に沿っている点も
多くの人の耳目を集める要因にも
なっているのだろう。


また深大寺は、
その門前町や名物、寺のみならず、
神代植物公園という、
武蔵野の自然美を堪能できる
東京都がサーブする唯一のボタニカル・ガーデン
も擁することで、

・カルチュラル
・ヒストリカル
・エンターテイメント

・エデュケーショナル
というファシリティ、ランドマークの
必須事項をすべて備えることで、

多くの人々に
ここに来るモチベーションを享受する。


<オトナの遠足&お散歩>にて
<波の塔>や<ゲゲゲの女房>の舞台でもあり、
東京都内で浅草寺(浅草)に次ぐ古刹・深大寺。


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(門前町から深大寺山門を見る。
 山門は深大寺の中で最も古い建造物)。


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山門は、1695年建造。
山号は、浮岳山。


山門を入ると右手に
都内で三番目に古い梵鐘、
正面センターに常香楼を挟んで本堂がある。


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733年、満功上人の建立。本尊は阿弥陀三尊像。


本堂のある境内の見どころの一つは、
早くも色づきはじめる草木と渡り廊下の
ジャパネスクか。


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シニア女性二人組の会話も弾む。

<渡り廊下。ゲゲゲの鬼太郎で出たわよ>
<そうなの?キレイねぇ>

<あら。あなた観ていない?
 ゲゲゲの女房>
<観ていないわ>

<面白いわよ。調布が舞台だしね>
<そう。観てみるわね>


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薪能などがうってつけの深大寺と思いきや、
来週には夜、薪能が行われるという。

鎌倉もしかりだが、
寺社で夜、薪能を一度観てみたいものである。



渡り廊下の左側、
緩やかな稜線を階段で上がれば
元三大師堂がある。



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境内には
調布にゆかりのある俳人・高浜虚子の
スタチュと、句碑がある。


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遠山に 日の当りたる 枯野かな



元三大師堂から左手を
再び緩やかに登っていくと開山堂。


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暑い夏でもここは涼しいだろう。
高台、緑の木々に囲まれた一角に
ひっそりと佇む堂。


この開山堂の位置が
ちょうど神代植物公園の
深大寺側エントランスとなる。



*****



山門の手前が門前町。


深大寺に入るには、

下界(ストリート・レベル)の
門前町からの場合と、

高台の神代植物公園からの場合がある。


門前町は、門前町らしくジャパネスクの趣豊かに
蕎麦屋、煎餅屋などが軒を連ねている。



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深大寺蕎麦は、
江戸の元禄年間から名物として成り立ち、
武蔵野エリアを愛する文人墨客にも
親しまれてきたという。

調布、武蔵野を代表する郷土名物。


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門前町にて深大寺蕎麦と、そばかりんとうを購入。


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七味、一味、その他各種、
焼きたての煎餅も美味。


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白あん、黒あんが入った
揚げ饅頭と共に買って、
神代植物公園の芝生で食したい。


寺社めぐり、自然堪能、
そしてロケ地めぐりにグルメ。


深大寺と神代植物公園のタッグは絶妙。


京王線の調布駅からは遠く、
概ねバス利用になる。

バス停には多くの人が列をなす。

できれば車で訪れて、
神代植物公園駐車場に車を入れて
じっくりと公園と深大寺を堪能したい。





:::::



<深大寺>


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田園都市エリアから
川崎街道、鶴川街道、府中街道経由で約40分。

京王線調布駅からバス利用で約15分。






posted by damoshi at 16:06| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

東京競馬場探訪諸々長文記



GWの
分かり切っている大渋滞高速道路。

今宵、
ニュースで以下のような事件があったと知った。

車中、コドモがトイレを長時間我慢していた。
秩序通り並んでいて
ようやくSAに入ることができるその時、

本線から割り込んできた車があった。

それにブチ切れたドライバーは、
割り込んできた車のタイヤを
ドライバーで刺してパンクさせた。

被害者もまた、
コドモが具合が悪くなったため
休憩しようとSAに入るべく
割り込んでしまった、と。


だから言わんこっちゃない
というのが心境である。

大渋滞は分かり切っているGWに
高速道路に乗る阿呆こそ自業自得よ、と。

こちとら
田園都市から府中まで
すすいのす〜いで30分で
東京競馬場へ。

加害者として逮捕された50代ドライバーの
気持ちもよく分かる。

タイヤをパンクさせた行為は
一般的には悪いが、

そもそも割り込んだ方が悪い。

そういう秩序破りをすれば
そういう目に遭っても仕方がないのである。

ただ、
ドライバーでタイヤをパンクさせる
という所作もまた、アグリーであり、
姑息である。

怒りがあるならば、直接ぶつければ良い。

昨日か一昨日か忘れたが
拙宅近隣の道路でも
信号と横断歩道の直近に
路上停車している若僧がいて、

奴は運転席にのこのこ鎮座していたから、

ブチ切れたダモシにシメられた。

調子に乗るなよ、と。
俺にそういう所作は通用せんぞ?と。
若僧は、優しいダモシにシメられたわけである。

だがそれもその若僧のためになる。

タイヤをパンクさせられるよりも
直接シメられて泣かされて
その場をドカされる方が
後々、為になる。


そういうことである。


GW。

大渋滞になる上、
ふだん運転しない輩が大挙として
ハンドルを握るから
高速道路を避けることこそが、

賢者の知恵である。




***東京競馬場へ***


GWらしい、五月らしい、
サニースカイと今年一番の暑さのサンデー。

絶好の、
まさに<五月の東京競馬場>という
最高のシチュエーションをもってして
痛い脚を引きづりながら乗り込んだ
ダモシ軍。

川崎街道、府中街道。
快適ドライビングで、読み通りに
8時40分には競馬場周囲に到着。

今回は
なんとしても競馬場周囲の駐車場を
確保したいと目論んでいた。

脚の状態を鑑みれば
競馬場に至近の駐車場こそ
ベストであることは言うまでもない。

しかし、軒並み、
巨大複数駐車場にも関わらず
オールウェイズ満車のココ。

満車が続く。

最後に東門へ。
よふやく空きがあり、
一日2,000円の駐車料金で停める。

歩いて、通常であれば
2-3分で入場門。


開門前でも既に大勢の人。

母と子のタッグが目立つ。
やはり
戦隊ヒーロー・ショーがあるからか。


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駐車場を出て東門へ向かう。


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東のエントランスへ。
この明るいシチュエーションが
東京競馬場の持ち味だ。


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特にこの五月開催。
これが最高だ。

新緑の頃合い、
サニースカイと鮮やかな緑に府中の大欅。

青葉賞から日本ダービーまで。

この一連の期間の
東京GI連戦の時節が
東京の初夏を彩る風物詩である。

それが終われば、忌まわしい梅雨になるわけだ。




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場内へ。巨大スタヂアムが見えてくる。

<俺は牛歩だから、先に行っていいよ。
 とにかく誰よりも早く行って
 整理券をもらうことだ>

と指令を出したダモシ。

徒歩もままならない己を放置で良いから
ワイフとジュニアに
馬場内のパークへ先に行くように促した。



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今宵の
"お父さんたちが競馬場に来るエクスキューズ"
である

戦隊ヒーローのゴセイジャー・ショーの
ショー終了後の握手会の整理券をもらうためだ。

ショーは全員観られるが、
その後の握手会は順番だ。

ショーが開催される場合はいずこにおいても
同様だが、

ちゃんと順番で整理しないと
とんでもないことになり、
モメごとも各所で起こる。

そして整理券ナンバーが
後になればなるほどに
どんどん遅くなってしまい
時間的スペンドが過大になる。

<Aを取れ(一番を取れ)>ということである。


巨大スタヂアムを眺めながら
牛歩で馬場内パークへ向かうダモシの
携帯電話がなる。


<整理券はもらったよ。Aだよ。
 〇〇のあたりにいるから>と

確保した場所を伝えてくるワイフ。

芝生内、ベンチのある場所という
最高のロケーションに
シートを敷いて場所を確保した。

ベンチは、ダモシのためだ。

ベンチの目の前の芝生スペースを得れば
ベンチ共々、活用できる。

場所取りの鉄則でもある。



ダモシが到着する頃にはもう
馬場内パークは満員御礼。


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アベック皆無。
ほぼ100%、ファミリーの場所。

ファミリー同士の友人軍団から
単独ファミリー、
三世代ファミリーが占拠する場でもある。



その昔(94年頃まで)は、いた。
知っている。
その頃まではアベックが多かったのだ。

この馬場パークは。

実際、ダモシは過去
(交際しているわけではない)
複数の異なる女性と
東京競馬場には行っているが、

そのほとんどが80年代後期〜90年代中期まで。

そして、当時、
この馬場パークで
女性と腰掛けていたのである。


それがどうだ、この有様は。

もはやパーフェクトにファミリーである。



そして、この馬場内。
広大なココがすべて
人、人、人で埋め尽くされたのが
あの中野コールの日本ダービー(1990年)である。

異常大観衆19万人強を飲み込んだ
世界最高入場者数記録のダービーの日である。


今宵も、
GI開催日ではないことを鑑みれば
相当多い観客が来ていたが、

あの頃を知る者としては
"こんなもの"人が多いとは言えない。



<時代は変わったな…>と想いを馳せながら、

ダモシは
競馬新聞を広げて
ベンチに腰掛け、脚を投げ出した。




***オグリ世代が、今、親になっている***


ワイフも言う。

<こんなだったかな?>と。

ワイフとも当然、
90年代にココに来ているが、

アベック全盛だった当時と
ファミリー主流の今では
その様相はガラッと変わっている。


そして様相の変化は、
コドモも一緒になって
馬券を購入している点である。

その昔もあったものの
未だおおっぴらにはしていなかった。

だが今や、
コドモも競馬新聞を読み
予想をして
馬券を買って
己が手で払い戻しをしている。


この趨勢をどう解釈するか。

仮面ライダーやウルトラマン、
戦隊ヒーローと同じ装いに帰結する。


要するに、
ダモシ世代はバブル世代。

そして高度経済成長を経ている
過程にあるニッポンを
幼児期に過ごした世代である。

ここに世代の特性が出る。


要するに
ダモシが生まれた年に
ウルトラマンが放送開始した。

そしてダモシ世代が幼児期に
仮面ライダーが登場した。

そういったヒーロー系が続々と登場して
活況を呈する夜明けの世代なのである。

今、その当時の幼児が
親になっている。

いわゆるアラフォーである。

アラサーを除く三十代中盤世代も含む。

それらが親になっている。

仮面ライダーなどのヒーロー系に対して
最もノスタルジーと共に
己がコドモと共有するに値する
パッションを持っている世代ゆえに、

ヒーロー系が活況を呈しているわけだ。


そして、競馬。

ダモシ世代が小学生中期の頃、
その親たちが
ハイセイコーという社会現象に絡む
サラブレッドに熱狂していた。

ダモシ世代はやがて大学生になる。
すると
オグリキャップが現れた。

空前の競馬ブームがやってきて、
遂にはそのピークとして
社会人一年生の五月の日本ダービーで
あの、もはや破れれることはない
19万人強という巨大観衆を集めることになる。

日本競馬ブーム、頂点の日である。

武豊が登場して若さを武器に
ある意味でプライムタイムにあった頃でもある。


武豊、オグリキャップ。ぬいぐるみ。
ダモシら大学生を中心に
競馬場に大挙として押し掛け、

往年の競馬ファン(オヤジたち)に
煙たがられた。


そして今、我々は親になっている。


ヒーロー系、そして競馬。

それぞれ
忌憚なく最も良い時代を過ごした我々世代が
親になっている現在、

そのコドモが共に
ヒーロー系や
競馬に絡むことは

必然であるのだ。


そういう考察が、一つには出来るわけである。

要するに<時代考証>である。



ワイフが言う。

<驚いたよ。
 小学生とかが競馬新聞読んで、
 マークシートを塗っているのだもの>。


ダモシもまた払い戻しの機械に
的中馬券を入れて換金している
小学生軍団を見た。


時代は変わったのだ。

彼らの親たちであるダモシたちが
上述したような時代を生きてきた世代だから
こうなるのも、しょうがないのである。


かくいうダモシ、ワイフとて
己が小学一年生のジュニアに
競馬に関わらせているのだから。

幼稚園年長時の昨年、
ダモシが主宰している
ケイバ・タイムスの予想家陣に加入したジュニア。

昨年は一勝も出来ずにビリに終わった。
当然だ。

だが、驚くなかれ。
ちゃんと予想している今年、

今日の天皇賞・春も
最多ポイント印をもってして的中し、

現在、首位とほぼ並ぶ二位に躍進しているのである。

大のオトナが束に掛かっても
未だ一勝もしていない予想家がいるのに、
彼の方が当たっているのである。

ジュニアは5戦3勝。
ダモシと同じ勝利数であり、
獲得ポイントではダモシを上回っている。


彼の予想家ネームは、シンザン。

むろん戦後初の三冠馬にして、
史上初の五冠馬となった
ハイセイコーよりも1ディケード前に
スーパースターとなった馬の名である。


シンザン
ハイセイコー
オグリキャップ。

ここまでだろう。

ディープインパクトとダモシは、
ダモシが在米中の馬だったゆえ
何の絡みもないが、

絡みがないからというわけではなく、

東京五輪、首都高、東京モノレール、
東海道新幹線などのアイコンと共に
その時代に鉈の切れ味で五冠を達成した
シンザンや、

長嶋茂雄、巨人軍V9、
オイルショックとハイセイコー、

そしてバブルとオグリキャップほど、

社会現象、あるいは
ニッポンの"時代"を象徴するアイコンには
ディープインパクトはなり得ていない
とダモシには思えるから、

シンザン、ハイセイコー、オグリキャップと
同列に扱うことは出来ないし、
したくない。



話をジュニアに戻したい。

昨晩、言った。

<明日、自分のお小遣いから100円だけ
 持っていきなさい。
 それを200円にしよう。
 そうすればガンバライドが一枚買えるよ>

と。


<分かった>とジュニア。

ワイフは
<頼むよ?ちゃんと>とダモシに忠告。

<任しておけ。
 狙いの一発。1レースだけ鉄板を狙う>と応えるダモシ。


後輩夫婦が帰宅した後、
深夜ひとりカウチで「日刊競馬」を熟読。



(<よし、これだ>)とフィックスする。


狙いは、未勝利戦。
さほど荒れないからだ。

第2Rをピックアップ。

新聞のsuggestionも
<本命決着>と予想する。

今宵のレースの中で
鉄板と思えるものは
第1Rの5番の馬と、
第2Rの4番と10番くらいしか見当たらない。


まずは腕ならし。

ダモシは第1Rを買う。

一番人気の馬の単勝と
五番人気の馬の複勝。

そして
その馬同士の組み合わせの馬単。

一着は一番人気。
五番人気の馬がダモシの注文通り
二番手でゴールへ。

<よしっ!>。

これで決まれば30倍はつく。

だが長い写真判定の末、
その馬は三着に破れて
一番人気&三番人気で決着してしまい
ダモシの馬単は外れた。

それでも
しっかりとその馬の
複勝を買っているため的中。


<幸先いいぞ>とダモシは自信をもって
ベンチに腰かけ

<よし、次のを買うぞ?>と
ジュニアに言った。



<鉄板だ。迷わず往けよ>と推奨。

ワイフが問う。
<どっちが一番人気の鉄板なの?>と。

ダモシは
<分からん。4番か10番か>。

昨晩からの思案では、
10番の単勝馬券を
ジュニアに購入することを促す予定だった。

ジュニアは新聞を見る。

印の読み方はもう把握している。

<他の印は気にしなくていいぞ。
 このレースは鉄板だぞ>と
ダモシはsuggestionしつつも、

最終的にはジュニアの判断に
任せることにした。

彼には事前に
<本命の複勝に大きく投資する手もあるぞ?>
とは告げていた。

<下手に連にすると危ないぞ?>とも。


ジュニアは決めたようだ。

<10と4の連にするよ>。


ワイフ指導のもと、
マークシートに記入。


<さあ、行こう>と
ダモシと二人で投票所へ行き、
自分でお金とマークカードを
機械に入れさせる。


結果、10と4の馬連で本命決着。

本命決着ゆえ
ほとんど意味をなさない倍率だが、

それでも
ここにジュニア史上、
生涯初の馬券的中という
記念すべき結果と相成ったわけである。

100円を、結果1.5倍の馬連に入れたわけで、
戻ってきたのは150円だが、
それでも
ジュニアが自分の手で的中馬券を
機械に入れて払い戻しを受けたわけである。

おそらく思っただろう。

(<あれ?ダディは200円になるから
 ガンバライドが一枚買えるよ
 って言ってたのに、150円?>)

と。

ダモシは、
<当たったお祝いだ。50円あげるよ>と言い、

ジュニアの配当を200円にしてあげた。

明日その100円で
ワイフと
いつもの
たまプラーザでガンバライドをやるという。



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後々、彼のために。

今宵のプログラムと競馬新聞、
そして入場券をとっておきたい。




***ヒーロー・ショーを考察する***



ニューヨークにいたにも関わらず、
日本の他のコドモ同様に
アンパンマンを経て
三歳頃からヒーロー系へ移行したジュニア。

ニッポンに復帰して以降、
たまプラーザや
東京ドーム、横浜などで
ヒーロー・ショーは観てきた。

ダモシにとっては
親としてそういう体験をするのは
初めてだったわけだが、

何度か行っているうちに
ヒーロー・ショーの
ルーティンのようなものを
把握するようになり、

それぞれのヒーロー・ショーで、
ヒーローは同じだったとしても
主催者や仕切る側、演じる人などの
違いで、

大きな差が出ることも知った。


ルーティンといえば、

ショーの始まりを告げる
<女性司会者>の登場である。MCといっても良い。

これが、たいてい、うるさいのである。

キンキン声で
お決まりの台詞として
コドモたちをこう呼ぶ。

<オトモダチのみんな〜>。


これが結構、癇に障る。

なんでもかんでも
友達呼ばわりするなよ、と。

そして
たいていの母親は冷たい態度だ。


しかも前述した通り、
今の母親(アラフォー)は、

それこそバブル&オグリ世代で
ブイブイ言わせていたから怖い。

馬場パーク内でも
アラフォー・ママたちは
普通に競馬専門紙を手に、

昔とった杵柄か、

予想に勤しんでいる。


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当時、彼女らは
きゃっきゃっ騒いで
<オグちゃん!>とか言っていたろうが、

齢もキャリアも重ね、
出産も経たことで
さらに強靭さを増しているから
怖いものなしである。


要するに、
コドモに、ほだされない。

コドモを可愛がるのは当たり前としても
己が"じぶんじかん"や
好きなこともやるわよ?世代である。

海外にも頻繁に出かけたのも我々世代が
全盛期である。


だから、怖い。
ちょっとのことでは許さない。

キンキン声で
<オドモダチのみんな〜>とかMCが言おうものなら

<また、だ。さっさと終われ。
 コレが毎度毎度、長いのよね>だのと
憎まれ口を叩くのである。

むろん、ダモシも同様。

語りは不要、さっさとショーをやれ、と。

そもそも
スポーツ中継がうるさくなったのも
ダモシ世代の頃合いからだ。

バレーボールを筆頭に
陸上その他、
競技だけ映しとればいいんじゃ!

という世界にも関わらず、

番宣や前振り、煽りが多すぎるテレビ。

ヒーロー・ショーも、
それと同様に傾向があるのだ。


そして幼稚園の年少から年中くらいの
コドモならば
ワケが分からず
素直に<コンニチワ〜>などと応えるが、

幼稚園年長から小学生などはもはや
分かっている。

<さっさとショーをやってくれ>と。


しかも
お父さん、お母さんは
さっさと競馬をしたいのである。

エクスキューズとしての
ヒーロー・ショーなのであり、
これが主役ではないのである。

そこでムダな語りや前振りをされると
腹が立ってくるのである。

さらには暑い最中である上、
ダモシも
脚の状態があるわけだ。

<さっさと、せえよ!>となってしまうのである。



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そして問題なのは、中身(中にいる人)のレベルである。

ゴセイジャーならゴセイジャー
それぞれの中に入っている人の技量。

これが大きく、ショーの盛り上がりに影響する。


今宵、東京競馬場のそれでは
笑いが起こった。

<なんだ、あのイエローは…>と。


異様に身体が小さい上、
動きが鈍く、
キックやパンチもキレがない。

これでは
ジュニア曰く
<出ていってキックを代わりにしようかと>
思ったほど。


さらに
他のブラックやブルーも
メタボとも言って良い体型ポスチャーである上、

動きが鈍くて鈍くてどうにもならない。

一体、どうしたというのか。

むろんGW。
全国各地でショーが行われるだろう。

ある意味で寄せ集めのバイトで
東京競馬場のショーはまかなったのか?
とも思えるほどの動きの緩慢さ。

脚を負傷しているダモシですら
<俺の方がまだマシでは?>と思えるほどだから
致命的だ。


ジュニアが言ってしまった。
核心を。


<なんだかさぁ…。今日のショーね…?
 イエローのパンチもキックも
 怪獣にちゃんと当たっていなかったよ…?>。


ヤバイ、と思った。

コドモは未だ
サンタクロースを信じている。

そして
ヒーローは、フェイクであるとは分かっていても
コドモ特有のピュアさで
ファンタジーの世界への許容性が高いから、

フェイクであったとしても
そこにファンタジー性を求める。

要するに猪木vs.アリ戦の世界なのである。

フェイクが悪いのではない。
リアルが良いのではない。

先般掲載した、
ではあなたの日常、リアルばかりですか?
ということである。

フェイクだのリアルだのを超越したところに
人生は在る。

コドモであってもそれを分かっていることは
先般掲載の通りである。

コドモの空手という
リアル・ファイトの中にも
フェイクがあり、

そのフェイクが本気ではないということにもならない
ということであり、

ひいては
すべての<I Love You>が、では、
リアルですか?

ということである。

ファンタジーの世界=
それはフェイクではない。

人生や物事はすべて、虚実皮膜だから面白い。

それはジュニアですら
既に分かっている。

しかし、そこはコドモである。

ダモシも未だ、そうだが、

フェイクはフェイクでも
ファンタジーを見せて欲しいということである。

だから、
<魅せる要素>がすべての基盤になるのだ。

<魅せる要素>としての技量が劣る場合、
ヒーロー・ショーは
コドモたちに
フェイク&リアル・ファンタジーを
見せることができなくなる。


パンチやキックを
本気でやれということではない。

本気でやるという意味合いのことであり、
ケンカめいた感覚の
パンチやキックをショーでやったら
それこそコドモは引くわけであるし、

テレビ放送も成り立たない。

だが、その中であっても
魅せる要素と技術で
いかにアントニオ猪木のような技を
提示することができるのかということである。

あからさまに当たっていない
パンチやキックで
怪獣が倒れてしまうと、

それは<下手>ということになる。


今宵のショーの、ヒーローの中にいる人の
能力は、著しく下手だった。

ヒーロー・ショーだからといって
侮ってはいけない。


ここには

八百長だのフェイクだのリアルだのを
超越した、

人生の魅せる要素とその技の世界が
すべて詰まっているのである。



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冴えないイエロー。


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真打ちのレッドが
まともだったことが、救いだ。


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お姉さんに罪はない。
己が仕事を粛々とこなしているだけだ。

今宵のヒーローたちの中身の人は
やる気がなく、

ショー後の握手会にも
なかなか出てこなかった。

お姉さんもさぞかし苛立ったであろう。



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ようやく、だらだらと
テントから出てきたゴセイジャーたちと握手会。

整理券Aのおかげで、
何百人いる中で三番目に出来た。

可能な限り最速で
ヒーロー・ショーを終えることができたわけだ。

<よし、戻ろう。さあ馬券だ、馬券>と
ダモシは声がけした。



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***ダモシの勝負は?***


<明日はちょっと勝負だな>。

昨晩、後輩に告げたダモシ。

脚の負傷に対する
見舞金を持参した後輩へ、

<よし。これを元返しできるよう
 頑張ってくるよ>と語っていた。

結果は如何に。

京都などのレースも含めて
このサンデーの戦績は、


15戦4勝。

的中不的中(勝敗)を
ベットした順番に、
勝利を〇、敗北を×とすれば以下のようになる。

〇〇×〇××××××〇××××

相撲でいえば
4勝11敗で場所を終えて
前頭十二枚目に陥落といった感じである。

最終収支はマイナス3,000円。

勝ち負けのバランスを考えれば
3,000円のマイナスで済んでいるのは、
4勝目となった的中で
大きく取り戻したからである。

連敗が重なったのは、
ある意味でショー以降。
ショーという中だるみがよろしくないのは実態だ…。


最後の×は、天皇賞・春。

フォゲッタブルを鉄板と見て流したレースだ。


東京競馬場から急いで帰ってきて
テレビをつければ
ちょうど発走のファンファーレの時。

<はぁ、間に合った>と三人で見入る。

フォゲッタブルはスタートで終わった。
アグリーな出遅れ。

その瞬間ダモシは
<なにをしとるのかぁ…。これで終わったな>
と言った。

最後、六着に来たものの
ああいった出遅れをして
レースを壊しているようでは
どうにもならない。



今年のダモシの、
現時点でのトータルでの競馬勝率は、.206。

野球の打率なら二軍落ちだ。




***閑話休題***


しばし、
東京競馬場から写真を。


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***競馬博物館***


東京競馬場には、
競馬博物館がある。

だが、
欲を言えば
これはもう少し何とかなるだろう。

というよりも

もっともっと
格式高い、収蔵品と展示品の多い
博物館にした方が良いと思える。

競馬はもっとヒストリカルな展示品や
その見せ方があるはずだ。

いささか、不満だ。



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明治時代の馬券。


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第一回有馬記念のトロフィー。



例えば、
<時代とサラブレッド>として

シンザンと東海道新幹線、東京五輪
ハイセイコーとV9巨人、オイルショック
オグリキャップとゴッホとバブル時代

など、時代考証モノのコーナーや、

歴史的なレースにフォーカスをあてた
コーナーや展示など

企画力を伴ったエキシビションがあって良いのだが
何か制約があるのだろうか?


ヒストリカルな展示品にしても
こんなものではないだろう。

もっとあるはずだが、
所有者の関係でそれは困難なのであろうか?

入場料1,000円くらいとっても良いから
それこそ競馬の殿堂にするくらいの意気込みで
競馬博物館を、

鉄道博物館なみに充実させてはどうであろうか。




***競馬場はファミリー・レジャー***


競馬場は今や
ファミリーのレジャーの場である。

どちらが主役か、と見紛う。


公園、遊具、アトラクション、
そして馬場内パークの数々のイベント。

競馬(ギャンブルではなく、"ベット")は、
レジャーである。



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だが、それで良い。

お父さんも、コドモも楽しむことができるからだ。

そして
今のお母さんは、
前述の通りだから
お母さんもまた楽しむことができるからだ。

さらにいえば
馬場内パークの大勢のファミリーは、

手づくりのランチを持ってきている率が
かなり高い。

ダモシ軍は常にそうだが、
おにぎりに卵焼きにソーセージに焼きそばに
といった様相の

ティピカルなレジャーお弁当。

これがまた時代を超えて共通する
世界観として生き残っていることが、

ニッポン人として、嬉しい。


人やサラブレッドはやがて老い、死ぬが、

卵焼きだけは
リアルに永遠に存在し続ける。

昭和の時代と何ら変わらぬ姿で、

卵焼きは

生き続けているのである。


それを改めて確認することができる場は
多々あるが、

競馬場もまたその一つである。




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間もなく、<こどもの日>。

男児の日である。

鯉のぼりと、こどもの日。
これもまた時代を超えて不滅の
ニッポンのアイコンである。

親なら、
誰もが己がコドモに
幸せで楽しいこどもの日を過ごさせてあげたい
と願うであろう。




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***ダモシの脚は、悪化***



そしてダモシの脚は、悪化した。

痛みが増している。
内出血もヒドい。

それに輪をかけて
今宵の陽射しで、あろうことか日焼け。

ボンテージにシップで
ぐるぐる巻きゆえに
ズボンは履けないから
また半ズボンだったわけだが、

脚が露出していることもあり
ボンテージで保護されている箇所以外は
日焼けしてしまい、

そのせいで輪をかけて腫れてきた。

まったく困ったもので、
さらに歩けなくなってしまったわけである。


ダモシは
帰宅後、ワイフに言った。


<これはマズいわ、そろそろ。
 明日は、リアルに静養します>と。


しかも
夕方、昼寝までしてしまった。


こどもの日を前にして、
5/3の月曜日だけでも

ちょっとこう、リアルに静養しよう。

とりあえず、
そう決めたのである。

逆に
一日中、布団でごろごろしていても
良いのではないか?

そういう日があっても
罰は当たらないだろう?

と貧乏性のダモシは思う。


明朝、
スポーツ紙と一般紙を買いに行って
それを手に
横になって、だらだらと読もうと現時点では
考えている。


というよりも
この脚の状態は、

へたをすれば
富士登拝の時期を考えれば、

危険な可能性がある。

最悪、富士断念という図も
可能性ゼロではないだけに、

それは避けたい。


そのあたりも踏まえて、

一日くらい
リアルな静養はしなければならないのは

明白である。



今宵も早く寝ましょう。

でも眠る前に
しばしカウチで読書でもしたい。



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未だ途中の本。

単なる
競馬の本ではなくて

これは洒脱な紀行文。





皆様におかれましても
Have a nice holiday.

and good night.






posted by damoshi at 00:19| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月25日

鉄-後




青森など東北からの
集団就職列車でやってきた
ヤングボーイ&ヤングガールたちが、

最初に邂逅する
大都会・東京が、上野駅だった。

上野駅は、
北の玄関口と言われた。

・東北からの集団就職での上京
・上野駅

は、
高度経済成長を象徴する
これもまたニッポンのアイコンといえよう。


映画<Always三丁目の夕日>でも、
東北から集団就職列車で上京した女性が
東京タワー建設中の都内の、
自動車工場に就職して働く。

車窓から見える東京に、
同級生たちと嬌声を上げて
夢と希望に溢れるポスチャーを出していた。

映画ゆえポジティヴな所作が描かれるのは
当然として、

現実には厳しい環境と待遇もあったことだろう。

それでも
オクラホマからニューヨークに出てくる
ローカルのヤングボーイ同様に、

当時のニッポンでは
東北から東京に出てくることでの

大いなる刺激とインスパイアは
あったことは疑いの余地はない。

米映画でいえばそれは
古いが
マイケル・J・フォックスの
<摩天楼はバラ色に>となろう。


ニューヨークの、
駅としての玄関口が
ペン・ステーションと
グランド・セントラルだとすれば、

東京のそれは
東京駅と上野駅となる。


特に後者、上野駅は
東京人は逆にあまり好んで近づかないが、

50-60年代という時間軸の中で
多くの東北地方からの若者を受け入れたことでも、

その若者たち(今では元気なシニア層)の中には

己が現在居住している東京との
若かりし頃における
ファースト・コンタクトで邂逅した存在ゆえに、

言い知れぬ存在感で
今もなお残しているであろう。

別の意味での
カルチュラル&ヒストリカル・アイコン
といえるわけである。



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往時の上野駅が再現されている。


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上野駅の開業は1883年の夏。
上野と高崎を結ぶ列車の始発駅。

駅舎が完成したのは、その二年後となる。

<Always三丁目の夕日>の時代には既に
山手線の運転もとっくに始まっていて
地下鉄の浅草〜上野間も開通し、
国鉄が誕生し(1949年)ていた。

華々しい駅だったのである。


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復刻されている上野駅の駅前には
ミゼットも停まっている。

<Always三丁目の夕日>の冒頭、

工場の主である堤真一が
集団就職でやってきた堀北真希を上野駅で出迎えて
ミゼットに乗せて工場へ連れていく。

フィナーレ部分では
実家に帰省する堀北を、
工場から
やはりミゼットに乗せて上野駅まで送っていく。


上野駅といえば、
やはり津軽海峡冬景色だろう。

<上野初の夜行列車、降りたときから>
というフレーズは歴史に残ろう。

ダモシ自身の想い出における上野駅といえば、
数少ない。

そもそも東京人のダモシには
縁遠い存在だからかもしれない。

山手線で上野動物園へ行ったりという
世界観くらいだが、

やはりインパクトに残る記憶は
<修学旅行>となる。

高校時代の修学旅行である。

中学時代の修学旅行は
何度も最近記載している通り
定番の京都・奈良。

高校時代のそれは、北海道。

往路は寝台列車と青函連絡船。
復路は飛行機。

そういう行程だった。

寝台列車に乗ったのは
記憶ではそのときが初めてだった。

寝台の上部に寝たのだが
あまりの圧迫感に眠ることがままならず
気持ち悪くなった。

ようやく青森に到着して
陽射しを受けて気分も治るかと思いきや、

今度は青函連絡船上からの
津軽海峡の逆巻く波を見ていれば
これまた船酔いのダブルパンチで、

津軽海峡上へリバースという醜態を晒したわけだ。

上野駅から夜、発つ。
その何とも言えぬ暗さ。

これが妙に記憶に残っている。

それは
ニューヨーク時代の
ビジネストリップでロンドンへ行く際、

真冬の夜中のJ・F・ケネディ空港で抱いた
絶大なる恐怖感と孤独感とは異なるが、

<暗さ>という点では似通う部分もある。

特に
語弊なく
善し悪しではなく

<東北方面へ向かう>という
方向的アトモスフィアと

<夜>という
時間軸的アトモスフィアが

いずれもネガティヴな装いを持って
襲いかかるに値するシチュエーションと、

東京とはいっても
山の手の人間にとっては
"田舎"に位置する上野駅の閑散が
重なることで、

何とも言えぬ寂寥感に苛まれたのである。

それこそ
異国でさえどうこうない今となっては
話は別だが、

未だ高校生という
グリーンボーイにとっては
上野駅というだけで

何となく暗い気持ちに陥る響きだったのである。

トラウマか。

今もなお、
上野駅には良いイメージは持っていない。

出来れば避けたいエリアである。

だから
上野動物園に行くことはあっても
車で行くし、

浅草・上野方面へ電車で行く場合でも
山手線は用いずに
東京メトロを用いるという作法を採っているわけである。




*****




そして、東京駅。


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1914年、完成。

往時の、
天部のドーム奥ゆかしき東京駅が
復刻されて展示されている。

2012年の完成へ向けて現在、復刻作業中の東京駅。

意外に歴史は浅く、
未だ100年経っていないのが驚きだ。

東京駅100周年となる2014年は、
おそらくイベントが行われるのだろう。

過去、二度、
内閣総理大臣狙撃という
穏やかならぬ事件があった
(原敬総理大臣、濱口雄幸総理大臣)。

松本清張の<点と線>では
15番線プラットホームがフォーカスされた。


東京駅も案外、東京人にとっては
あまり縁がない駅かもしれぬ。

むろん東海道新幹線という切り札があることで
東京人の利用も多いが、

どちらかといえば
ビジネストリップを除けば、
やはり<帰省>ユーザーが多いのではないか。

これもまた
先に掲載したように

奈良京都への修学旅行でのユーズと
<帰省とはいえない帰省>で
度々、名古屋と往復したことでの利用が

主だ。


そもそも、やはり山の手エリアから見れば
東京駅は
上野駅同様に
アクセス的に<めんどうくさい>位置にある。

東急、小田急、京王などの
私鉄山の手路線から
東京駅へという関わりは、

いささか面倒である。

そこが中央駅としての認識では、

ニューヨークの
グランド・セントラルや
ペン・ステーションの

バランスの良いロケーションと
比べてしまうと、

やや格落ちの感は否めない。


とはいっても、
ニッポン及び首都・東京においては
くさっても東京駅である。


ダモシも、
新卒ルーキー一年目早々の
名古屋・岐阜出張の帰り、

出張中に交際開始となった
現在のワイフとの逢瀬。

東京駅着東海道新幹線を降りた
ダモシは
待ち合わせしていたワイフを
ホーム上に探すも見つからず。

ワイフはそのとき、
東北新幹線のホームで待っているという
コミカルな装いを行い、

せっかくのドラマティカリーな
交際開始して最初の逢瀬が破綻した事件。

これが東京駅の、
近現代における想い出となろう。


未だ携帯なんぞ、ない時代である。




*****



鉄道の夜明けは、新橋-横浜間。

新橋には今、
旧新橋停車場を再現した外観の
鉄道歴史展示室があり、

駅前には蒸気機関車が展示されている。


"てっぱく"では
やはり新橋停車場が復刻再現されている。


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*****



鉄道博物館が誇る
ヒストリカル・アイテムも膨大。

長過ぎてキリがなくなるため
その一部を写真と共に紹介したい。


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ヘッドマーク。


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国鉄民営化の末、誕生したJR。


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列車の模型も多々ある。
模型を見ているだけでも楽しい。



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最近、妙な違和感を覚える
女性専用車輛だが、

驚くことに
昔もこれがあったようだ。

知らなかった。

何も今に始まったことではないのだな
と改めて思ったところだが、

逆に現代における
女性専用車輛というものの
そこにいる女性たちの<感じ悪い>佇まいは、

時代の問題なのか。

あの、
現在の女性専用車輛にいる
女性たちの<感じの悪さ>は
何とかならないものかと思っている向きも
少なくないのではないか?

だから廃止論や区別論も起こるのではないか、と。


とにかく、
あの"キーッ"とした感じ悪さと
ポスチャーのアグリーさは
いただけない。

女性専用車輛に座っている
彼女らの得意満面の顔を見るにつけ
失笑を禁じ得ないこの頃ではある。

そんなに男が嫌いかい?
なら一生、男と関わるなよ?

とでも
ひとこと言いたくなるわけである。



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かつての御所トンネル
四谷隧道にあった兜。



*****



鉄道博物館の
また別の見どころは、模型鉄道ジオラマか。

それは鉄道ジオラマとしては
ニッポン最大の25mx8m。

線路の総延長は、何と1,400mもある。

それを観る観客席も多く、200。

夜明けから夜中、そして夜明け。
一日の流れを通して
鉄道の発着を見守っていくジオラマで、

スタートすると館内は暗くなり、
ジオラマ内は
一日の時間の流れに沿って
明暗彩られる。

見事な仕掛けで、大いに楽しむことができる。


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*****



そろそろフィニッシュと参りたく存じます。

鉄道博物館の魅力は、

・トレイン展示
・ヒストリカルなアイテム展示
・ジオラマ
・その他

膨大にあるが、

全体的なアトモスフィアを演出している
最大のキーポイントは、

<駅>である。

実際の駅と遜色のないポスチャーと
モード感に、その時代の色合い。

これを巧妙に意匠デザインとして
施されている点が、

ダモシ的には
このミュージアム最大の肝になっていると
感じずにはいられない。


そこに
どんなに希少価値の高い品々や
ヒストリカルなそれがあったとしても、

全体の雰囲気や空気感などといった
ムード、モードを包含したところでの
<アトモスフィア>が
シャビーなものであれば、

格落ちする。


それを分かっているのか、
魅せる要素に徹して
そういったアトモスフィア構成を
重んじた所作。

これが成功の最大のポイントであると
感じるところである。


だからこの特集の冒頭で、

実際の駅といっても遜色のない
写真を持ってきたのである。

鉄道。そして列車。
それらと駅は切っても切れない。

単に乗り物としての列車/鉄道では
カルチュラルな視点で見ても
ただの機能的便益を享受するに過ぎない。

それを超えたところで
我々人間が
列車や鉄道に対して思う"気分"が
上々になるのは、

そこに心理的便益が
しっかりと存在しているからである。


ここでいう心理的便益とは
乗降におけるそれではなく、

<駅>という空間がもたらす

人間の精神的なあらゆる機微のことである。

喜劇、悲劇。
悲喜こもごも。

人間が抱える様々な心理的な揺れを、

駅は、空港同様に

大きな心で受け止めるのである。



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posted by damoshi at 01:29| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月24日

鉄-前




駅。そして空港。
これらは出逢いと別離の舞台。

ストーリーの肉付けがしやすく、
多様なイマジネーションをかき立てる。

だから小説やドラマ、映画に
登場する頻度は高い。

日常と非日常の分水嶺の一つでもあるのが
駅や空港であり、

そこでは個々の人間の心象を、
その場のアトモスフィアに重ね合わせることをも
容易足らしめることで、

寂寥感や緊張感といった感情が露呈する。

いわば駅や空港は、
そのアトモスフィアをもってして
どんな旅にも必ず介在する
"余儀ない"観念を助長することで

人を非日常へ入り込む覚悟を与え賜う。



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鉄道博物館"てっぱく"から、
特集で掲載する所存である。

ミュージアムとしては、

米ワシントンDCのスミソニアンにある
航空宇宙博物館や
アメリカ歴史博物館に似た
カテゴリーの鉄道博物館。

ここがニッポンであることを鑑みれば、
そのレベルは高く秀で、

江戸東京博物館や明治村にも匹敵する
鉄道博物館。

鉄子や鉄っちゃんのみならず
一般ゼネラル老若男女満遍なく
受け入れることもできる上、
それぞれが
駅や列車という素材を通して
己の人生を振り返るという意味での
ノスタルジー享受の観点においても

秀でたミュージアムといえよう。

鉄っちゃんではないダモシであっても、

且つ
欧米のダイナミックなミュージアムを
多々観てきたダモシをしても、

<これは、すごいぞ?>と認められるほど。

そして撮り鉄ではないのに
都合500枚にも至る写真を撮ることを
無意識のうちに促すほど、

このミュージアムには
膨大なるアイコンと素材が集約されている。


二回に分けて、
フォーカスごとに展開したい。


まずは前編として、<トレイン>編を、
後編では、
駅や歴史素材など<ヒストリカル>編を

それぞれお届けする次第である。




*****



その前に、前振りを。

鉄道博物館とは。


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まずは、巨大。
巨大である。

ニッポンでこれは秀逸だ。



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これがシンボリックな光景。

中央メイン・ステージに
ターンテーブル。

中央にいる
C57形式蒸気機関車(1940年製造)が回転し
一周するアトラクションも行われる。


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鉄道博物館のキャッチコピー。

<ここは、人と鉄道の歴史が集う巨大空間。
 みんなの夢をのせて走ります>。

その名に偽りはない。

前述の通り、
まずは巨大な空間力に驚かされる。

<国内でこれは、驚きだな…>と。

空間のダイナミズムは世界に御す上では
必要不可欠な重要エレメンツである。
まずそれを満たしている。

埼玉という
ある意味で土地のあるエリアだからこそ、か。

ただ、
埼玉といっても大宮ベースなので
その点は首都圏からのアクセスのイージーなことが
過大な集客を誇っているポイントにも
なっていよう。

JR東日本の創立20周年記念事業の
メイン・プロジェクトとして
2007年の秋にオープンした。

未だ新しいミュージアムである。

当初の目標を大きく上回り
昨秋の開業2年時点で既に300万人の
来場者を突破している人気を誇る。


鉄道の歴史にフォーカスした夥しい展示品は
まさに世界に誇り得る。


鉄っちゃんでなくとも、
誰もが持っている既視感の中に存在する
列車の数々。駅舎、ヘッドマークに、
あまりある貴重な品々。

丸一日をスペンドするに値する場。

それが鉄道博物館である。



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まさにデジャ・ヴ。

誰の胸にも去来する、
無意識のうちの既視感と郷愁。

たまらない列車のポスチャー。



*****


前編として、その列車、車輛に
フォーカスして取り上げていく。


まずは、これだ。

既視感だ。


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右から。


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<とき>。

上越線を走っていたクハ181形式電車(1965年製造)。
このフォルムがたまらない昭和の味を出している。

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隣が、クモハ455形式電車。


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こちらも1965年製造。
昭和が40年代に入ったと同時に出来、
昭和の後半を駆け抜けてゆく。

この車輛は全国で長距離急行用として
用いられたという。



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<ひばり>(1965年製造)。
クハ481形式電車は、東北本線・仙台行きが展示。

当欄冒頭に掲載した写真もこの列車の、
ホームでのものである。

哀愁漂う昭和的世界観は、
行き先が東北方面であることで
さらに、何となく甘酸っぱいノスタルジーを誘う。

その背景要因には、
一つには、

<上野初の夜行列車…>的アトモスフィアがあろう。

古くは、東北と東京の、
デスティネーションとディパーチャーは
<上野駅>だったのだ。

(上野駅に関する写真と文章は後編で掲載)。


<ひばり>は、車内も歩いてみる。


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既に昭和40年以降の列車は、
かように快適な空間は所持していたようだ。

古くさいというよりも
広告やデザインと同じで
<昔の方が圧倒的にパワーがある意匠デザイン>
という感覚に帰結する。

列車自体のフェイスや車体フォルムにしてもそうだが、
意匠デザインとしての
当時のニッポンの感覚は
たいへん優れていると認められる。


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美空ひばりの
自身最初の最大ヒット曲<柔>が
売れたのが、

<ひばり>が製造された1965年のことである。




*****



ブルートレイン、寝台特急<あけぼの>。

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ED75形式電気機関車は、
現在も上野→青森を走っている。


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<エルム>。


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EF66形式電気機関車は、
当時の国鉄において最大の出力を擁する
高速の貨物列車用電気機関車。



*****



皇室用客車。

避暑に那須へ出向かれる際にも
鉄道を利用する天皇家。

その中でも皇族が乗車する車輛が
御料車と言われているようだ。

その初代御料車もまた展示されている。


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明治天皇専用の御料車。
国重要文化財。


初代二号車、
二代目(大正天皇専用)、
七号、九号食堂車その他、

皇族の専用客車が展示されているのもまた
ポイントの高さでもある。



*****



1872年10月14日。

ニッポンの鉄道の夜明け。
東京・新橋と横浜の間を走った。

その一号蒸気機関車。


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英国から輸入した
150形式蒸気機関車(1871年製造)は、
国重要文化財。


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こちらは二号。



ミュージアムにはその他多くの車輛が
展示されている。

首都圏の人向けだが、
旧国鉄及びJRの
中央線(オレンジ)や
京浜東北線(ブルー)の旧車輛もある。

車中に入ることもでき
往時の車内の様子を見ることができる。


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*****



ミュージアム屋上は
ちょっとしたブレイキング・スポット。

これの意味するところは何かは
すぐに分かる。

左を見れば屋上からやや下程度を
東北新幹線が走り、

右側から眼下を望めば
JRの各線が通っている。

撮り鉄にとっては最高の撮影スポットか。


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(後編では、ヒストリカル編を掲載する)。




:::::



<鉄道博物館>


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JR大宮駅からニューシャトルに乗り換え、
一つ目の鉄道博物館前駅下車。

駅から既にミュージアム。


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(駅からミュージアムまでの通路床は、
 電車時刻表になっている工夫がグッドである)。




最後に。


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シゴイチ。

ダモシが生まれた66年3月の
一ヶ月前に最後の現役が姿を消した。









posted by damoshi at 20:15| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

<オトナの遠足&お散歩>ミニ嵯峨野



タイトルにある通り、

東京は世田谷に、

<ん?嵯峨野みたいだな>と感じた
ミニ嵯峨野がある。


むろん嵯峨野の竹林のスケール感とは
相違あれど、

ちょっとした東京さんぽで
大都会にありながらも
古の風情を感じながらそぞろ歩きするに
うってつけ。


それが、延命山勝光院。



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世田谷や杉並といった
山の手エリアの
電車でいうところの私鉄タテ・ライン沿線は、

住宅地として入り組んでいる。

東急世田谷線や京王井の頭線沿線だ。

家々が密集し、
道路も狭く、凝縮された空間設計になっている。

そんな双方の沿線には
入り組んだ住宅地の中に
忽然と姿を現す寺社仏閣が多い。

首都圏山の手の寺社仏閣めぐりは、
それだけで
下町の浅草や谷根千などのそれと
趣を異なものとして

独特の世界観を演出しているケースに
出逢うことがある。

それはまた、
府中の大国魂神社や
調布の深大寺、日野の高幡不動尊などのような
地方の霊場的荘厳なる世界観ともまた異なる。

京王井の頭沿線でいえば
烏山エリアの寺町が名高い。

そして東急世田谷沿線は、
豪徳寺、世田谷八幡宮、松陰神社
そしてここで取り上げる
"ミニ嵯峨野"延命山勝光院などがある。




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1335年、吉良氏の創建という。
今から675年前の創建となる古刹だ。

境内にある梵鐘は元禄時代のものだが、
それでも世田谷区内では二番目の古さという。


梵鐘の周りには枝垂、背後に竹林。
粋な空気を流している。



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歴女か、ヤングレディが一人、
カメラを抱えて散策していた。

大小、新旧問わず、
寺社仏閣はまずはそのアトモスフィアの構成が
ポイントになる。


むろん国宝や重要文化財を擁するそれは素晴しいが、

それがなくても
"地元"的、そして、オトナのお散歩レベルとしては
十二分に堪能することができる。

静謐なる心持ちで臨めば、
清らかなるマインドが柄にもなく得られる時間。



その空間を離れても、

寺社仏閣は
余韻として様々な静謐を見せてくれる。

ここでも、家々の先にはお花さんが。

ミモザか?


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:::::



<延命山勝光院>

東急世田谷線・宮の坂下車
徒歩約8分。


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posted by damoshi at 18:25| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月06日

<オトナの遠足&お散歩>吉田松陰先生を詣でる



幕末といえば
とかくヒーロー(坂本龍馬など)への
フォーカス・ウェイトが高い。

一般ゼネラル的にもその方が
ウケが良いのであろう。

ただ、
ダモシ的には
<坂本龍馬が好きです>とか
<高杉晋作が心の師だ>とかいう
言葉や感覚には

いささか安易さを覚えてしまう。


<メジャーだからでしょ>と言いたくなるわけだ。

同時に、
本当に彼らが英雄視されるほどか?
語られる姿や言動、所作に
事後創造されたものが多いのでは?

というシニカルな疑問が普通に沸くからだ。

伝説を否定するものではない。

伝説はあくまでも伝説であり、
それに付随する素養が本人になければ
そもそも伝説も成り立たない。

昭和のプロレスがなぜ良かったかといえば、

そういた虚実皮膜の世界観を
許容する余裕と
心の豊かさが
ニッポン人にあったからでもある。


現代、なにごとも真実や事実を追い、
白黒をつけようとしたり
仕分けを明確にしようとする風潮がある。

ヒトのことをもモノ扱いして
命を軽んじたり
その価値をリストラだなんだが象徴されるように
軽んじる傾向がニッポン人の中に増えてしまった。


ヒトをヒトとも思わないくせに
オフィスや組織の中では<よゐこ>ぶり
心のセンサーを常にOFFにして
粛々とやり過ごす。

けったくそ悪い国とは今のニッポンのことをいう。


今のニッポンを嘆くであろう
歴史上の人物で思い浮かぶ筆頭は

三島由紀夫だが、

それより昔の人で
今のニッポンを見たら
どのように嘆くか話を聞いてみたい人物の
一人として、

吉田松陰が出てこよう。


幕末は何もヒーローだけではない。


ニッポンという国の未来を、

米欧などの列強のアプローチを受けて
その脅威を事実として捉えた上で

描こうとした
ストラテジストが吉田松陰ともいえよう。



<オトナのお散歩&遠足>。

今宵は、吉田松陰の眠る

東京・世田谷は、松陰神社。




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*****




はじめは八畳一間で、

人が増えると十畳半間を増築。

松陰はその部屋で
多くの子弟を教育した。

松下村塾である。


実際に松蔭が松下村塾で教鞭をとった期間は
わずかに二年半。

だが、その短期間の間に
後に明治維新において活躍する
錚々たる志士を育成した。


育成の根幹は<心>。


松蔭は、
米欧列強の渦の中で
将来のニッポンを形成するべく存在は

モノというパワーではなく、

<心>というパワーであることを示した。


現代の教育が学問ならぬ
<点数稼ぎ>に走る中で、アンチテーゼである。


心をこそ鍛え、教えるのが教育本来の
イデオロギーではないのか。

スポーツも同様だ。

教育者の組織にしても
"北の某"の教職員組合は
お金を溜め込んで
己らに有利になるように
選挙でそれを不正に用いたり、

ニッポンの歴史や領土問題を
勝手に"北の某"だけ
事実と異なる教え方を推奨するなど、

そんなことをしていると
"北の某"には非ニッポン人ばかりが育つぞ?
ならばニッポンからリアルに離脱したらええやんか?
だから北の某はダメだと言っているのだよ?

と、リアルに言いたくなるような
アグリーな教育者と組織がある現代にあって、

そして私利私欲権力欲に塗れた永田町や、
社会常識とはかけ離れた非常識な霞ヶ関などが

包括的に学ぶべき対象が、
吉田松陰と松下村塾でもあろう。



高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋、
品川弥二郎、山田顕義などなど
輝かしい面々が松下村塾を巣立ち、

やがて倒幕と
新しい近代国家としてのニッポンを形成していった。



松陰神社には、
移築された松下村塾がある。


これがまずは一つの見物である。



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さて、吉田松陰と子弟。

面白いことに、
そのゼネレーション差がなかったという。

つまり同世代だったのだ。



一方、
吉田松陰と
その師である
佐久間象山や緒方洪庵らとの差は二十歳。

2ディケード(ディケード=10年単位)分の
時代誤差があるわけだ。

つまり
たとえばダモシが
青春時代(10代として)を過ごしたのが
76年から86年の1ディケードだとする。

たとえばダモシと向かい合って座る
ヤングボーイが
現在23歳だとすれば、

彼が青春時代を過ごしたのは
97年から07年となる。


1976年〜1986年と
1997年〜2007年という
二つの異なるディケードに渡る相違は大きい。

そのヤングボーイが
ニッポンで青春時代を過ごしていた時代の
ほぼすべてをダモシは同じニッポンにいないわけだ。

それだけでももの凄い認識の違いは生まれよう。

それだけの違いがある場合、
トモダチとしては成り立ちにくい。

会話で出るべき一つのテーマである
時代考証の面で
折り合いがつかないからだ。


ところが、教師と生徒、上司と部下、監督と選手
というかかわり合いになれば
この2ディケートの差というものは、

逆にバランスが良くなる可能性があるのだ。

中途半端にカルチュラル・マターで
リンクしていない(同時代性がない)から、

ニュートラルに接することができるという意味で。


それが1ディケードだけの差であれば
反発や嫌悪が介在する可能性はある上、

同世代から1〜5歳の年齢差ともなれば
ライヴァリー等々、
中途半端な無用な感情が入り込む。

2ディケードも離れていれば
ある意味で
まっさらな状態で臨めるのではないか
と考えることができるわけである。


だからか?

現代においては
不惑の男性と二十代の女性の
不倫はもとより、

<恋人として見ることはできるか?>
という問いに、

二十代の女性側も
四十代の男性に対して"イエス"と思えるという
様態が発生しているのではないか

とも

一つには考えることはできまいか。


2ディケードの歳下側からしてみれば、
ストレートにニュートラルに
寄りかかることができやすい存在。

それが2ディケード年上の人ということでもあろうか。


そんな松蔭と、その師・佐久間象山ら。


さらには、
真剣にニッポンの将来を考えざるを得ない
という時代背景。

これらが見事に重なったことでこその
松下村塾誕生であったのではないか。



黒船ペリーの登場によって
ニッポンが米欧、西洋の脅威を
実感した初めての経験ではなく、

黒船よりも50年以上前から
諸外国のプレッシャーは
鎖国ニッポンに差し迫っていて、

一部の賢者はそれに既に初めて気づいていた。

松蔭の逆に師、先生でもある佐久間象山、
緒方洪庵らは既に気づいていた。


佐久間象山、緒方洪庵ら

吉田松陰


ここに横たわるインスピレーションは、
2ディケードのバランスのとれた
好意的ゼネレーション・ギャップ。



この流れで見れば、

後に幕末の志士となる者たちを
教育した吉田松陰と、

その志士たちの差も
2ディケードくらいの隔たりは
あったのだろうと想像することが出来る。


吉田松陰

高杉晋作、伊藤博文ら


この構図はしかし

前述の通り、
驚くことに同世代だったという
不思議が横たわっている。


子弟のみならず、
明治維新の牽引者たち、
すなわち
木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通、
小松帯刀、坂本龍馬などは皆、

松陰は同世代だったのである。


同世代の子弟(高杉晋作や伊藤博文ら)を
教育した吉田松陰。


よほどの人徳と知力があったのか。


松蔭が採った戦略<尊王攘夷>。

根本は、国家戦略である。

まさに現代の、
政府の国家戦略室という
名ばかりの世界観とは雲泥の差だったろう。


これに対して
快く思わなかった人などは
50歳(5ディケード)の隔たりがあった。

ここまでの隔たりがあるとこれはまた
ネガティヴ性ゼネレーション・ギャップ
ということになるのだろう。



松蔭は、
<ニッポン人の心>を最重要視した。


いま、確実にそれは失われつつある。

丁寧な応対や社会常識性は
備わっているものの、

生来の偽善性がもたらすものとして
<よゐこ>ぶりはますます際立ってきていて
没個性はさらに拍車がかかっているという

時代は逆行しているように思えてならない。


個性を伸ばす、個性的であれ
という教育を受けたダモシとしては
実に嘆かわしいのである。

個性よりも規律や点数稼ぎが
ここ十数年の教育では施されたのか、

なぜか奇妙に横並びで<よゐこ>が多いのが
実に不快に思えるのである。


そもそも90年代から既にニッポンは
アグリーだったが、

良くなった面が何一つ感じられないのである。

よりアグリーになっていて、
表面上は誰もが<よゐこ>だから
良くなっているように見えるのだが、

皆、本性やパッションを
隠すようになって久しいのではないか?

<よゐこ>になるべく教育され、
<よゐこ>を演じ、
突出することをせずに
飄々と粛々とやるべきことをやるという

ノンポリ。


これはニッポン、ますます厳しいぞ

と忌憚なく思うこの頃である。



<よゐこ>になったのだが、

心がなくなっている。


心がなければ、何も生み出すことはできない。

そこが
ニッポンの危うさを既に超えてしまって
出しても出しても次から次へと悪い部分が
際立ってくるという

永遠の下痢状態にあると断罪するところである。


歴女や城ブーム、その他、
昔に親しむ趨勢があるが、

そもそも城を見たり写真を撮ったり
武将について語り合うなんぞ
誰でも出来ることであり、


本質的なところでの

ニッポン人の心というものを
考えなければ

永遠の下痢は治りようがないのである。




昔はそれこそ百姓一揆を起こすほどの
パッションがニッポン人にもあった。

そういうピープルズ・パワーも
70年代が最後。


その後に始まったシラケは、
シラケを超えて諦めとなって
現代のニッポンに横たわっている。




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吉田松陰先生の
スタチュとお墓。


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*****





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松陰神社もまた、
先般掲載した豪徳寺と同じく

駅名でよく知られている。

駅名は松陰神社前。
東急世田谷線。


祭神はむろん、吉田松陰。


安政の大獄に連座して
江戸は伝馬町の獄中にて
三十歳の若さで逝去した吉田松陰。

門下生だった高杉晋作、伊藤博文らによって
当時、長州毛利藩の藩主だった毛利大膳大夫の所領で
大夫山と呼ばれていたこの場所に改葬された。

そしてその19年後、
多くの門下生たちのディスカッションによって
墓畔に社を築いて松蔭の御霊を祀り、

この松陰神社が創建された。

1882年のことである。

現在、創建118年を迎えている。



同じく松陰神社は、
松蔭のホームである山口県の萩にもある。



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<松陰神社>

東急世田谷線・松陰神社前下車、
徒歩約5分。



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posted by damoshi at 21:03| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

<オトナのお散歩&遠足>豪徳寺




豪徳寺といえば、

東京・山の手在住者並びに
大学や高校で山の手の私鉄沿線に通った
経験がある人ならば、

小田急線の駅名を
思い浮かべるのではないだろうか。

地名ではなく「存在」の名前が
駅名に使用されている場合、
ややもすれば
その存在自体よりも駅名として
名を知られるケースがあるだろう。

京王線でいえば
井の頭公園、明大前、芦花公園、高幡不動、
小田急線でいえば
豪徳寺に成城学園前、向ケ丘遊園、玉川学園前、
東急でいえば東横線は
学芸大学、都立大学、
田園都市線は駒沢大学といった具合に。

それぞれ
れっきと、例えば、
芦花公園や高幡不動尊という
立派な存在があるのだが、

その存在自体へ出かけたり
足を踏み入れたことはなくても
妙に名前を知っているというケース。

これが「存在」自体が駅名になっている場合の
ポイントになると考えられよう。


豪徳寺も、その最たるものの一つではないか。

実際の存在である豪徳寺そのものへ
行ったことがある
人の数を、

行ったことはないし
そもそもその存在自体は知らなかったり
駅名として普通に知っていて
何度も駅は乗り降りをしたことがあるなどの
人の数が、

上回っていると想定されるわけである。



豪徳寺はそういう環境にある存在だが、
れっきとした
ヒストリカルな要素満載の
立派な寺社仏閣である。



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*****



そのポイントはいくつか、ある。

まずポイントになる存在は

昨日、
ケイバタイムスからの出張寄稿で触れていた。

冒頭の写真に見える通り、
井伊直弼である。



1480年創建の古刹、豪徳寺。

その150年後、
近江彦根藩主・井伊直孝によって
井伊氏の菩提寺に。


以降、現在まで井伊直弼の墓を筆頭とする
井伊家の墓所として
国の史跡たる。


そんな、ヒストリカルな名刹なのである。


そういうダモシ自身も

小田急線に居住し大学に通っていた
経験があるにも関わらず、

且つ
沿線たる東急世田谷線とリンクしている
田園都市線(旧・玉電)が
<本妻>であるにも関わらず、

豪徳寺という駅名は知っていたものの

"豪徳寺そのもの"には

不惑世代にある現在の、昨日まで、
訪れたことがなかったのである。


実に、いただけない所作である。

そういうところの無知・未踏は、
まだまだ多々あろう。

それを埋め合わせていく作業が
ニッポン復帰以降の
ディスカバー・ジャパンの
テーマが内包する要素の一つでもある。


いくら米国のニューヨークでの
生活経験があったとて、

いくら普通の日本人は
行く機会はほとんどないであろう
英国はボーンマスへ何度も行った経験があるとはいえ、


豪徳寺に一度も行ったことがなかったとは

なにごとか。


それは
昨年になってようやく
甲斐善光寺には詣でたものの、

未だ信濃善光寺には詣でていないという
不埒な所作と同様である。

それこそ
諏訪の大社とてようやく今年訪れたレベルである。


なにをしとるのか/なにをしとったのか

といった感慨とシェイムは

一つにはあるわけだ。


まあ、いい。
実際に遅ればせながら行ったのだ。

そこで見た、感じた、撮ったことを
まとめていくことで
己自身の中にもしっかりと刻まれよう。



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*****




昨日も触れた井伊直弼。

そして豪徳寺。

端緒は安政の大獄。

井伊直弼といえば
日本史の教科書で出てきたことを
平易に思い出す。

それだけインパクトの強い
日本史教科書内の登場人物だったのだろう。

井伊直弼という名よりもむしろ
<大老・井伊直弼>の方が
既視感ならぬ親和性が高い。

いわゆる政治の権力者だった井伊直弼が
<安政の大獄>という名の弾圧を行った。

米との"不平等"条約たる
日米修好通商条約を
強権発動で締結した井伊直弼による
アンチ派の弾圧。

アンチ派の急先鋒は水戸藩。
中でも先鋭的な面々は脱藩した上で
井伊大老暗殺でのリベンジを期す。


井伊ヘイターと化した水戸脱藩浪士によって
井伊直弼暗殺となったのが
桜田門外の変として
日本史教科書で学んだ事柄。


その井伊直弼の墓がある寺が豪徳寺、
ということなのだが、

実態はどうなのか
といったところで検証が行われる
というメディアの報道があったのが
今年の年頭。


今年の1/5の
インターネット上でのニュースを以下に
転載する。



:::::

東京世田谷の豪徳寺にある幕末の大老井伊直弼
(文化十二年〜安政七年)の墓について
世田谷区教育委員会は、

墓を改修するのに伴い
地中レーダー探査を今週行うことを決めた。

桜田門外の変で暗殺された直弼の
埋葬状況の解明につながるものと期待される。

豪徳寺には直弼をはじめ
井伊家が代々治めた彦根藩の藩主6人のほか
正室側室家臣らを含め三百基以上の墓がある。

改修にあたり区教委が
先月までに現状を確認するため、
地下約二米下まで発掘したが
直弼を葬った棺おけは見つからず
レーダー探査によって棺桶の位置を特定することにした。

直弼は尊王攘夷派の志士たちを
厳しく取り締まる安政の大獄(安政五〜六年)を実行し
憤激した水戸浪士たちに
江戸城桜田門外で暗殺され首を切り落とされた。

だが大老という要職が暗殺されたことによる
幕府権力の動揺を恐れ幕府当局は、
直弼の死を約二か月間公表しなかった。

そのため死後の直弼の埋葬状況については
確定的な情報が少なく、
水戸浪士が首を持ち去ったとの説も流れている。

区教委では谷川章雄早稲田大教授(近世考古学)を
団長とする井伊家墓所調査団を組織している。

:::::


というものだ。


・発掘しても見つからなかった
・水戸浪士が首を持ち去ったとの説もある

という状況から鑑みて、

本当に豪徳寺のこの井伊家墓所に
井伊直弼のそれがあるのか否かという点に
疑問を差し挟む余地が生まれてしまった
ということが

一つには言えまいか。

豪徳寺並びに世田谷区側にとっては
ヒストリカルなこの寺を考えても
井伊直弼の墓があっても
実際に葬られていなかったとなれば
たいへんなことになる。

レーダー探査による調査をするという
並々ならぬ決意は、

他説を覆すためのものでもあろう。


その後ニュースになっていないから
未だ調査結果は出ていないか
あるいは
まったく見つかっていないかの
いずれかだろうか。


実際、現在は井伊家の墓所と
井伊直弼の墓は立ち入り禁止となり
見られなくなっている。


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墓所改修と共に
調査作業は進行中なのか。


<井伊直弼の墓はこの中ですか?>。

ダモシが覗いていると
他の散策者が尋ねてきた。

<ええ。そうだと思いますよ。
 ね、せっかくこうして来たのに、
 いかがなものですかね>

とダモシが述べると、

アラフィフと思える散策者は
微笑みながら

<せっかくね…>と言い、肩を落とした。


世田谷区教育委員会に問い合わせてみよう。

その後、調査はどうなっているのか、と。

レーダーで
井伊直弼の棺はあったのか否か、と。





*****





境内を見て回る。

仏殿、本殿、三重塔と
ランドマークは多い。



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1677年完成の、仏堂。



境内の奥にあるのが本殿。


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三重塔。



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梵鐘は1679年に作られた。




*****




豪徳寺のもう一つのポイント。
それが猫だ。
招き猫が生まれた地として
豪徳寺は<招き猫の寺>としても誉れ高い。

井伊直孝が狩りの帰り道に
豪徳寺の前を通りかかったら
猫が手招いた。

それにしたがい中に入り
休憩していた折、
天候が急変してサンダーストームになった。

井伊直孝は招き猫のおかげで
サンダーストームに当たらずに済み、
グッドラックな猫ということで
招き猫がグッドラックの象徴へ昇華したという話だ。


だから
猫観音を祀る招猫殿も豪徳寺にはある。


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ジュニアも招き猫ポーズで
"記念撮影"。




*****




江戸城、桜田門、
そして豪徳寺。

水戸藩側に立てば
今の時期なら偕楽園の梅まつりが
ベストであろうが、

東京で
桜田門外の変に触れるなら豪徳寺。


今年は桜田門外の変から
ちょうど150年目に当たる。


境内には枝垂れ桜の木が目につくから
桜の季節は
景観ともども
そのアトモスフィアは
素晴しいものになるであろうと想像する。


最後に、豪徳寺の梅を二枚。



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:::::



<豪徳寺>

東急世田谷線・宮の坂駅下車、
徒歩約三分。

小田急線・豪徳寺駅下車、
徒歩約十分。


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それにしても
井伊直弼の墓については気になるところだ。







posted by damoshi at 20:52| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日記 plus オトナのお散歩&遠足



ワイフが
心理カウンセリング事案で所用がある
ということで、

今宵のサタデー、デイタイムは
ジュニアと二人
オトナのお散歩へ出かけました。

9:30AMには拙宅を出て
戻ってきたのが4PM頃ですから
所要時間もそこそこで
歩いた距離も相当になります。

田園都市線の
駅でいうところの三軒茶屋は、
駒沢大学と並び
エリアとしてダモシの<リアル本妻>です。

いわゆる本籍地です。

現在の居住地は田園都市エリアですが、
一昨年夏に
66年に生まれてから初期の居住エリアと
同じ沿線に戻ってきたということで、

本籍地再訪に始まり、
駒沢公園や砧公園を基軸に
三軒茶屋・駒沢大学・用賀といった
田園都市線の世田谷エリアは
度々訪れています。



世田谷こそ
ダモシの中では
地理的ダウンタウンである浅草や上野よりも
<リアル東京>というところで、

現代にあっても未だその姿名残を
存分に堅持しています。


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今宵ジュニアとのオトナのお散歩は、
三軒茶屋を起点とする
ダモシ初期時代に親しんだ玉電の
唯一の名残である<東急世田谷線>沿線の
散策と決め込んだわけです。

カルチュラル&ヒストリカルな
東急世田谷線。

まさに電車でいえば
田園都市線以上に
ダモシにとってリアル本妻の路線ともいえます。


三軒茶屋と下高井戸を結ぶ
距離5kmの路面電車。

途中、交通量の多い環七を横切る際の
玉電的世界観の名残がまた秀逸な、
江の電的電車です。


田園都市線・三軒茶屋駅上にある
キャロット・タワーの最上階無料展望室からの
眺望がスタートになります。

(何度か当欄でも取り上げています)。


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西新宿摩天楼も眺望できます。

空気が澄んでいる冬の日は
普通に富士山も見ることができます。


ここから世田谷線を見てみます。


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<ほら。下に電車が走っているでしょう?
 あれに乗ってお散歩するのだよ>

とジュニアに言いました。



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田園都市線の三軒茶屋駅から
地上に出ればすぐ
世田谷線の三軒茶屋駅があります。

多くの乗降客があり、
混雑します。


三軒茶屋を出た世田谷線は、

西太子堂

若林

松陰神社前

世田谷

上町

宮の坂

山下

松原

を経て、

下高井戸で終点となります。

東急田園都市線と

小田急線(山下で)
京王線(下高井戸で)を

<世田谷>つながりでタテに結ぶことになります。



幅の狭い線路の両脇を住宅が固めている点も
江の電的であります。


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車両は二両編成。
今の時代にあって
オールドファッションドで洒脱な電車ですね。


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*****




東急世田谷線は
<世田谷線散策きっぷ>という
企画乗車券を販売しています。

当日の乗り放題で320円です。

一回の乗車が
ニューヨークの地下鉄同様に
均一料金で

140円ですから、

散策という各駅停車の旅的に
乗り降りを繰り返すならば
断然お得です。


今宵、三回乗車しましたから
通常運賃の場合は420円です。

散策きっぷを買ったことで100円
お得だったということになります。



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散策きっぷを買うと、
<世田谷沿線散策ガイド>という
リーフレットを配ってくれます。

これを開くと
沿線マップがあり散策へのランドマークが
記されているので、とても便利です。


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沿線で最も多いランドマーク。

それは
ヒストリカルな寺社仏閣です。

素材の豊かさと写真の多さ、
話題の厚みを考慮すれば
このダイアリーで記すことは不可能です。

明日、一つ一つの素材については別途
寄稿したいと思います。


世田谷線沿線に点在する
ヒストリカルなランドマークは
いずれも初めて訪れてみたわけですが、
なかなか素晴しいものがありました。


今宵はダイアリーに特化したいと思いますので
それぞれの写真は割愛します。




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電車は下高井戸方面へ進みます。

宮の坂という駅が
まずは最初のエクスカージョンとなったわけですが、

駅と隣接した空間に
往時の玉電車両が展示されています。

これは紛れもなく
1969年(昭和44年)まで
R-246を走っていたという車両ですから、

1966年(昭和41年)から
三歳時の1969年(昭和44年)までの
ダモシの世田谷居住&玉電乗車時代と

ぴったり合致する代物でした。

これを目にして
実際に中に入ることが出来るのですが
込み上げるものがありました。



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そしてこの電車のフォルム。

玉電経験がない人でも
東京や横浜などの首都圏で育った人なら
見覚えはありませんか?

さふ。

これは江の電です。


説明板によれば、
これは江の電601号という車両だそうで、

前述した通り
1969年の玉電廃止と同時に
江の電鎌倉観光(株)に譲渡されて、

1991年の廃車まで
江の電として走り続けることになったようです。

東京のノスタルジーです。




いっぱい沿線を歩きました。

某地の梅を一枚。


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*****




お昼を過ぎてしまい
ジュニアもお腹が空いたということで、

三軒茶屋に戻って
マクドナルドでランチを摂りました。

しかしそれにしても
三軒茶屋のマクドナルドは
異様に混んでいますね。

ダモシは
行列・渋滞・満員が大嫌いなので、
マクドナルドは極力避けています。

堪え性がなく
マクドナルドというものは
オーダーする際に
並ばずに済むということがゼロ%ですので、

それが特に避けたい理由です。

しかも三軒茶屋の込み具合は異常です。

レジの配列仕切りが悪く
一回目のお叱りを施してしまったのですが、

その後も
超満員の二階禁煙席の
座席配分を店員が行うほどになっていましたところ
その店員が上手に仕切れずに、

ダモシとジュニアが先に待っているのに
他の、未だ商品待ち状態の
「席とり」的なお客さんを間違って
着席を許してしまったことで
二度目のお叱りでちょっぴり怒り、

挙げ句の果てには
ジュニアがオーダーしたコーラが
飲んでみたらウーロン茶だったことで
三度目のお叱りで
またもやちょっとだけ怒った

ダモシでした。

三軒茶屋のマクドナルドは
もう二度と訪れることはないでしょう。

そもそもこの相対的な"不況"時に関わらず
儲かっているわけですから
これ以上、売上に貢献する必要はないでしょう。




*****



ジュニアとの約束で帰路、
たまプラーザにある
昭和の駄菓子屋さんに立ち寄りました。


平成のコドモたちで大賑わい。

コドモはいつの世も、
こういった10円20円といった世界の
駄菓子に心をときめかせるものなのでしょう。


ジュニアもカゴを両手に抱えて
大喜び&真剣に
商品の取捨選択をしていて、

その姿がまたカワイくて仕方がありません。


<もらったおこづかいは100円でしょう?
 それにダディが250円だけプラスしてあげるよ。
 だから350円分買うことができるよ>

と言い、

それぞれの駄菓子の箱に書いてある値段を
見て取捨選択し、

計算をしながら

"考えてモノを買う"行為をトライさせるには
うってつけなのが、

駄菓子屋さん

です。

昭和の駄菓子屋さんの知育、すなわち
エデュケーショナル要素というものは
バカにできないのです。

コドモにとってはまさにこれは
後世の想い出に残る
ヒストリカルな要素を持ちつつも、

根本は
ワクワク&ドキドキという
楽しいエンターテイメント性、

そして
お金を持って計算しながら買うという行為を
トライするという部分での
エデュケーショナル性、

それぞれ重要な三要素
すべてを兼ね備えた存在が、

駄菓子屋さん

といえるのだと

ダモシは常々想っています。

だからこの駄菓子屋さんにも
度々訪れるのです。

必ず一緒に。

そして自分で自分のお財布から
お金を数えて
おばあちゃんに差し出して
おつりをもらうという一連の行為を

後ろからアドヴァイスはすれども
自分でやらせるように心がけています。



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釣果はもっとあったのですが、
ジュニアは帰宅後早速
いくつかは食してしまいました。

選んだ商品をカゴに入れていた最後。

ポケモンのカードも売っていたので
それを欲しいと言いました。

残りが20円の時点でした。

ジュニアは
<これにする>と言って手にとると同時に
値段の書かれた箱を見ました。

そこには<60円>と書かれていました。


<あぁっ…。ダメだ…>と泣きそうになり
悔しがりました。


ここでワイフならばおそらく
割り切ってダメと通すでしょう。

ところが大甘ダモシは
ここで割り切ることができません。

微笑みが消せず
どうしても甘くなり

<どうしても欲しいならいいよ。
 俺が40円出してやるよ>

となってしまいます。

これが間違いなのか正しいのかは
おそらく誰の胸にも答えはないでしょう。

スタイルですね。



先日、ワイフとジュニアが
空手道場で一緒の母子の家に
遊びに行ったときのこと。

互いの旦那さんの話になり、

<どうして男親は男児に甘いのか>

という話になったそうだ。


<すぐに玩具とか
 子供が欲しいものを買ってあげるのよね>

とその奥方が述べられたそうで、

ワイフも激しくそれに同意したそうです。


先般リス園に行った際も
行く前に
ワイフから厳しく

<ぬいぐるみとか何も買わないでしょ>
と釘を刺されていたのですが、

結局、買ってしまいました。

しかも実際にはそれは600円だったのですが

現場でジュニアに

<300円だったことにするんだよ?
 300円という破格値のぬいぐるみだったから
 買ってあげたんだよ、ということにするから>

と口裏を合わせる始末。


駐車場に車を停めて
拙宅へ向かうエレベーターの中で
ジュニアが

<マミーに怒られないかな…>と懸念するから、

ダモシは
<だから300円ということにすれば大丈夫だよ>
と言いつつも、

やはりぬいぐるみが300円というのは
安すぎてウソっぽいかなと思い直して
改めてジュニアに

<400円にしよう。
 自分のおこづかいから100円出して、
 俺が300円出してあげたことにしよう。
 俺が説明するから大丈夫だよ>

と諭した。


そんな有様だから、

今宵も
厳しいチェックが入った駄菓子の釣果でしたが、

<こんなに買っても350円だったから>
とエクスキューズめいた台詞を
述べてしまったダモシでした。


男同士ということもあるのでしょう。

むろん
男親にとっては
女の子もかわいくてしょうがないでしょう。

でも男の子というものに対しては
自分も男であるということが
明らかな違いで存在していると思います。

リアルに直系遺伝子ということもある上、
性的に同じということも相まって
まさに自分自身の合わせ鏡のような

その内蔵までも愛してしまうくらいの
<かわいい>がある、と。


こんなに自分の子供がかわいいもので、
こんなにかわいがるとは

ほとほと2003年9月27日以前は

想像すらしませんでした。


田園都市線に二人で乗っていて
混雑しているので
空席が一つしかないと
ダモシの膝の上でだっこされて
座るジュニア。


帰路、座席が空席多々あれば
隣に座り、

<眠いよ…>と言って
ダモシの腕枕と膝に寄り添ってくる
小さい身体。

たまらないわけです。


恋人のようです。


いずれ必ず離れていきますし
身体も心も大きくなり
こういうことは出来なくなります。

反抗して、反ダモシ、アンチ父親
という世界観は必ずやってくるでしょう。

あるいは
その前にダモシが死ぬか。


頭を撫でて抱きしめられるうちは
出来るだけ
それをしたいと思うわけです。





*****




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今宵もたまプラーザは
多くの人々で賑わっていましたが、

なぜこんなに人が多いのでしょうね。

そして皆さん、お出かけが好きですね。




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最近、飲料のヴェンディング・マシーンで
よく見かける仮面ライダーやウルトラマンの
企画商品。

今宵、初めて
<仮面サイダー>を購入しましたが、

出てきたのがショッカーのデザインでした。

これがなかなか秀逸で、
デザイン的にパッケージデザインが
とても良いと感じました。

ジュニアと二人で興奮したのですが、
飲み干したそれを
<持って帰ろう>と意見が一致して、

帰宅後ジュニアがそれを丹念に洗い、
テレビの前に飾りました。

他のものも揃えたいと感じました。


お風呂に一緒に入ってから
ディナーをして、

ケイバタイムスをまとめて
テレビ東京の旅番組を見て
猫と戯れて
撮影してきた写真を整理して

今宵はのんびり過ごしました。

今宵は仕事はしないと決めていました。
明日はしなければならないでしょう。



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夜は寝静まってから
今日発行の東急のフリーマガジンSALUSと
東スポを読みました。


明日のフェブラリーSの馬券を
実際に買いに行くかどうか
まだ決めかねています。

予想はもう済んでのですが、
馬券を買うかは分かりません。



そういえば、五輪。

ジャンプ競技がかわいそうですね。
あまりにも時間が悪いですね。

予選も未明、今日の決勝も未明。
あまりにもLIVE放送の時間が悪すぎて
ジャンプ競技のエクスポージャーが
極端に少ない気がします。


五輪は開催地と日本の時差
及び
競技ごとの決勝の開催時間が

最大の問題で、

それによって
注目度も大きく違いのではないかと思えます。

フィギュア・スケートなどは
そういう意味で恵まれているのでしょうね。


また、
五輪という世界イベントです。

本来ならば自国選手絡み以外の競技も
放送するなど取り上げてしかるべきです。

アイスホッケーなどは一度も放送されないのでは?



ホッケー・ファンとしては
嘆かわしい想いを抱かざるを得ません。




それでは、おやすみなさい。

良い週末をお過ごしください。








posted by damoshi at 01:15| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月24日

乳イチョウの古刹




朝から新横浜WINDSへ
ベットで訪れた。

GI以外はめったにベットしないが、
一頭鉄板がいると思われるレースが
ひとつあったためである。

混戦よりも鉄板のいるレースであれば、
鉄板の馬から人気薄へ流せば良いから
シンプルである。

むろんそのレース以外もベットしたが、
10年度初勝利なるか楽しみである。


その前にオトナの遠足&お散歩で
野川まで足を伸ばした。

川崎市に位置する野川だが、
R-246から品川方面へドライブする際に通る
中原街道に至る分水嶺にある。

一般的なガイドでは
「中原街道沿い」とされているが、
実際には街道沿いではなく
そこから小路を入って数分走るところの高台に

影向寺という
"関東の正倉院"と誉れ高い古刹がある。



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解説によれば
その開基は740年。

聖武天皇の頃で
それは今年、遷都1300年祭を迎えている
奈良・平城京の時代だが、

ちょうど740年は
一時期、恭仁京へ遷都された年でもある。

その聖武天皇からの命を受けた
僧行基によって開かれたという
古刹も古刹である。



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1694年の創建とされる本堂(薬師堂)。

御本尊の木造薬師如来坐像と
両脇侍立像は、国重要文化財に指定されている。



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阿弥陀堂。




*****



境内でひと際目立つ存在が、
大イチョウの巨木。


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背丈はともかく、
その太さから言えば
鶴岡八幡宮を凌ぐのではないかと
感じられるほど太い"乳イチョウ"。

母乳の出なかった母親が、影向寺の薬師さまに祈願。

そのお告げ通りに
乳イチョウを煎じて飲んだところ、
乳が出るようになったというスーパースティションが
浪漫心をそそる。


樹齢は600年。高さ28m、
幹の太さはなんと8mもあるという。

鶴岡八幡宮のそれが樹齢1000年、
高さ30m、幹の太さ7mというから、

やはり太さでは影向寺の乳イチョウに分があるようだ。




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万治三年(1660年)鋳造の鐘楼。





:::::



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<稲毛薬師 威徳山 影向寺>。


JR南武線/東急東横線・武蔵小杉駅からバス利用。

車の場合、
野川交差点から中原街道へ入り
武蔵小杉方面へ走ってすぐの小路の上り道を
左に入り三分。

田園都市から約15分。








posted by damoshi at 15:23| オトナの遠足│お散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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