2010年01月11日

度を超しているエリア消費特性



成人式。

日本で最も大きいそれは横浜市。
大きな横浜アリーナをもってしても
二度に分けなければ収まり切らないほど。

そして今宵もまた
<オールウェイズ・ショッピング>という
ニューヨーク並みの消費パワーを伴って、
横浜18区の中でも最大の青葉&港北エリアは
どのモールやショップも超満員&大渋滞。

IKEAは遂に昨日などは入場制限するに至っている。

なぜ田園都市エリア(青葉区)と港北エリアは
これほどの消費パワーを持っているのか。

おそらくこのエリアは
その消費パワーにおいては
日本最大と言っても過言ではない。


今朝は特に酷かった。

道路は渋滞、
どの店のレジも長蛇の列。

ガンバライドの前にも
10組以上のファミリーや小学生が
群がっている。


卒業、入学、引越等
新生活への物品購入という
モチベーションは皆々様あれど、

いくらなんでも
このエリアの混雑ぶりは度を超している。


いったいこのエリアの状況は
どのようになっているのか。

マップと共に見ていきたい。




*****



日本の市町村で、
最大人口を誇る横浜市。
二位の大阪市を100万人以上も
引き離してダントツの日本一。

それを構成する主な区分は、横浜18区。
以前も掲載した。

ひとくちに<横浜>といっても
一つの市だけで見ても
エリアによって異なるのが特性。

例えば他は、
兵庫県などのように「県単位」で見た場合は
エリアごと(神戸や姫路等々)の違いは
発生するが、

「市単位」で見た場合にさえ
エリアによって様々な顔を持つということは珍しい。

一般的に<横浜>といえば、
ランドマークタワーやベイブリッジ、
山下公園などの横浜をイメージするだろう。

<横浜から来ました>と言えば、
たいていの人は
それをイメージするからだ。

だが、そうは問屋が下ろさない。

<横浜>と言っても、
一般的に描くだけの横浜で考えると
大きな間違いを生む。

エリアを大きく、
主だったところだけで分けてみるとこうなる。


A.みなとみらい21&中華街エリア

いわゆるベイブリッジやランドマークタワー
などから中華街、山下公園、外国人墓地
などを包含した旧ヨコハマ・エリア。
JRの駅でいえば桜木町、関内その他、
東急東横の横浜、みなとみらい線各駅が該当する。
横浜スタジアム、横浜文化体育館もこのエリアだ。
コンサーバティヴ。

一般的にイメージされる横浜が
これに該当する。


B.田園都市エリア

主に東急田園都市沿線の
たまプラーザ〜青葉台間。

"金妻"の世界観。

ここに住み田園都市線で
渋谷や品川を起点に
都内へ通勤通学する人(=青葉都民)が多いエリア。

基本はコンサーバティヴだが、
どちらかといえばリベラルか。

海外経験者含め外からの移民ファミリーや
30-40代ファミリーが多いことから
相対的にスノッブである。


C.港北ニュータウン・エリア

主に東急田園都市線の田園都市エリアと
横浜地下鉄ブルーライン沿線一部を俯瞰する
ニュータウン。
広義で、日産スタジアムや横浜アリーナを擁する
新横浜も含まれる。
選挙では浮動票が最も多いとされ、
30-40代ファミリー多く

やはりここも相対的にスノッビーである。
青葉区同様に外国人(白人系)が多いのもまた
特徴である。

主に都筑区だが、
一部港北区も含まれる。




一つには、B&Cには
海外居住経験などがあり
現地で外国人男性と知り合って結婚。
出産を機に帰国した女性
というパターンが
相対的に多いと思われる。

事実、幼稚園にそういうパターンの
ファミリーが複数存在する。
それ自体、
他のエリアとは異なっていることが分かる。


以前も記載の通り、
横浜18区の中では
Bの青葉区とCに該当する
(メインは都筑区だが)港北区が最も人口が多い。

その両者で60万人を超え、
横浜市全体(18区以外も含む)人口の
17%を占めている。

横浜の約1/4に近い人口が
田園都市エリアと港北エリアに
密集していることが窺える。

青葉区は
ダモシ家が現在住んでいて
ダモシの後輩家も昨年末から住むエリアで、
ニッポン全国の中での
男性最長寿エリアとして君臨。

田園都市(青葉区)も
港北ニュータウン(都筑区&港北区)も
若い世代のファミリー層がメインながらも、
長寿エリアであり、

まさに老若男女全世代入り混じった
居住エリアといえるわけである。




*****



オリジナル・マップを見てみよう。

これをポップアップで
別画面で見ながら話を進めていきたい。


mktvalue2.jpg


薄い緑で括ったエリアが
田園都市エリア&港北エリアである。

区で見れば
先述の通り青葉、都筑、港北。

東名と第三京浜という
二つのハイウェイが走り、
前者とはパラレルにR-246が走っている。

タテ・ラインには
普通の道路はあるが、
大渋滞を引き起こすような
環八や環七のような大きな道路は、
東名・町田ICと交差するR-16まで
存在しない。

アドバンテージの一つはそれだ。

タテ・ラインの
大渋滞&野暮ったい
幹線道路とJRタテ線がないことがエッジになる
(JR横浜線はあるが、エリア範疇外である)。


いつも記載している通り、
多摩川分水嶺論がこれで良くわかるだろう。

多摩川を分水嶺にして
それを超えてすぐにある
<川崎ブラックホール>。

これが川崎市に該当する。

田園都市線でいえば、
前述したダモシと
同じく青葉都民になった後輩氏の
リアル・ホームである
<田園都市沿線の世田谷エリア>

<田園都市エリア>
の間にあるブラックホールが、

川崎市区分。
駅でいえば高津、溝の口の世界観。

要するにタテ・ラインの
JR南武線で川崎へ下っていく
独特のアトモスフィア。

先般掲載の
車で川崎へ下る場合の
劣悪なる尻手黒川道路も
多摩川沿いを走るパートが出てくる。

多摩川を越えて
駅でいえば
たまプラーザから青葉台。
この世界観が田園都市エリアとなり、

横浜地下鉄の支線である
ブルーラインの数駅区分が
港北エリアということになる

(このエリアに東横線は該当しない)。

エリアには昭和大学横浜北部病院や
昭和大藤が丘病院など
大病院、救急救命センターも複数あり、

オリンピックなどの大型店や
東急ストア(東急沿線各駅に点在する店)、
成城石井などの
スーパーマーケットは膨大数あるから
割愛したところで、

ショッピング・モールや
大型家電量販店、GMSが
主だったところだけでも
どれほど点在しているかをマップで示したわけである。

距離にして半径3km程度である。

その短い距離圏内にこれだけの
大型ショッピング・ファシリティが存在
しているわけである。

その密集度は群を抜いていることが
分かるだろう。


且つ、

ローカルの場合、

大型店はもちろんあるが、
これだけの密集度がないことに加えて、
それぞれのファシリティにおける
集客力で問題が生じるが、

このエリアは
ほぼすべてのファシリティが
駐車場満車、場内超満員という状態が常時
という有様なのである。


昨日は
ダモシ軍がショッピングを終えた後の
IKEAではあまりの集客に
入場制限をし、

今朝の港北エリアのヤマダ電機などでは
開店と同時に入庫したダモシ軍が
昼前に店を後にする際には満車になっている。

駐車場といっても
いずれも大型ゆえに
地上階から2-3-4-5Fと続いた上に
屋上まで大量に入庫できる
キャパシティを擁しているにも関わらず
である。


これは異常である。

なぜこんなに人が多いのか。
そして
なぜこのエリアの人々は
オールウェイズ・ショッピングを
しているのか、と。

コドモたちの遊び道具である
ガンバライドのブースも二つあるが、
朝一番から長蛇の列。

レジも100人規模で行列を成している。

映画館とて
至近距離にある
大型モールの

・横浜ららぽーと
・ノースポートモール


ワーナーマイカル・シネマズなどの
複合シネマコンプレックスがあれど
いずこも超満員。

どのモールの
フードコートもファミリーで満杯。


これはもう
ほとんど在米中の
ニューヨークはクイーンズの
一大ショッピング・エリアである
クイーンズ・モールその他と
同じ様相を呈しているわけである。


ニューヨーク時代も
大型GMSやモールがあるエリアに
住んでいたが、

<本妻>復帰後もたまたま
そういうエリアにいる。

人の流れと消費様式が
ニューヨークのクイーンズと
この田園都市エリア&港北エリアは

とても似通っていることに気づく。


IKEAやスポーツオーソリティ、

エリア範疇外にはなるが
近距離にはCOSTCOがあるという

米同様の有様に加えて、

同じ店(オーケーストアやビバホーム、ヤマダ電機)が
至近距離の密集した中に
複数店舗を
いずれも大型店を擁しているという所作は、

それだけお客さんが分散しても
それでも超満員になって利益を生むという
エリア・ポテンシャルの高さを
証明しているわけである。


IKEA、スポーツオーソリティ、COSTCOが
存在している自体、
このエリアに上述した通り
外国人が多いことの証明でもある。



マップで分かるように、
例えばオーケー・ストア。

ダモシの拙宅から
いずれも車で10分の位置に
三つもある。

普通、三つも10分圏内に同じ店があれば
その店の客は分散することで
空くだろう。

100人いて
その100人が一店舗に来ていたのに、
三つあることで
客が三分割されてしまい、

一店舗あたりの売上は減少するだろう。
そう考えるのが普通だろう。

だが、見ている限り、
最初にあった店の客の数が
減っていないのである。

消費パワーが強烈なエリアには
至近距離であっても
同ブランドの店を複数出しても成り立ち、

それどころか相乗効果で
さらに客を呼ぶということなのであろう。

オフェンシブに出店するに耐え得るエリア。

それが田園都市エリア&港北エリア
であると
一つには言えようか。

ヤマダ電機も同様。

<本妻>復帰時点では
R-246の
拙宅から車で二分の位置にある
一店舗だけだった。

ところが一年半の間に、
最初の店から車でこれまた
わずか一分の距離に
大型ヤマダ電機が出来て、

その後にはまた
港北エリアにも超大型ヤマダ電機が出来た。


そうなるとエリア居住者の
ダモシとしては、
ヤマダ電機の選択肢が三つできることになる。

オーケー・ストアと同じ構図だ。

そのときの気分に応じて
どのオーケーに
どのヤマダに行くかを
使い分けることになる。


百貨店も東急が二つに阪急が一つ。

そして
複合モール。


これが膨大に存在する。
しかも至近距離に、だ。
青字で示したのがモールだ。

ららぽーとを筆頭に、
ノースポート・モール、
港北みなも、ルララ港北。

至近距離にこれらが密集しているにも関わらず
まったく分散しない消費パワー。

恐れ入るわけである。



むろん
"ブックオフ"もこの範疇には
多々存在していることもまた然りである。


港北エリアは
横浜も渋谷も
25分以内というアクセスの良さも手伝い、
多くの居住者を招いている。

そして
彼らは
田園都市エリアの人々と合体して、

一大消費動向を形成しているのである。


そもそも
田園都市沿線は
小学校、中学校での私立受験度合いが
高いと言われるエリアであり
富裕層が多い。

そんなエリアに
多くのショップがあれば
商売も成り立つのは当然といえるわけだが、

富裕層ではない
ダモシ家と後輩家にとっては
何とも厳しい世界ではあるが、
これが現実だから致し方ない。


全国の
マンスリーでの
世帯当たり平均消費支出額は
20万円台中盤から後半だが、

それとの相対評価でも
田園都市エリアと港北エリアは
群を抜いていることが分かる。

青葉区のそれは41.6万、
港北エリアの主舞台・都筑区は38.4万、
そして港北区も38.4万。

上述した区分けでAとしたところに
該当するエリア(38.1万)
と共に横浜の消費パワーを牽引している
ことが如実に現れているわけである。

いずれも38〜42万の範囲だ。

横浜市のそれは35万。
総じて横浜市は平均が高いと見られる。
その中でもやはり
田園都市エリア&港北エリアは高いということになる。

国内の大都市にあたる
大阪府大阪市(27.3万/最高は都島区の36万)
愛知県名古屋市(33.4万/最高は天白区の42万)
福岡県福岡市(29万/最高は博多区の34万)
宮城県仙台市(32.1万/最高は泉区の35万)

との比較でも
名古屋市の天白区が唯一
40万超えとなって肉薄するものの、
総じて横浜に及ばない。

東京都でさえ
全体(34.5万)で横浜を0.5万下回り、

特別区内最高の文京区(43万)と
都下最高の武蔵野市(44.6万)が
ようやく青葉区を上回るという状態だ。





:::::




そんなエリアだ。

皆々様、よほど収入があるのだろう。

たいした収入のない
ダモシ軍にとっては

居住エリアとしては
いかがなものかとは思うものの、

消費支出額が低い

エリアの活気がない

につながるとも考えられ、

住むならやはり
<住>の世界観で
消費動態が活発で
活気のあるエリアの方が、

破綻したところや
それ一歩手前のエリアより、



精神的には良いだろう。



なにせ、

死んでいる土地に住んでいると
己自身も死んでしまいそうになる

という傾向を

北の方の某地で
身を以て知った今となっては、なおさらだ。



活気は大切だ。

そして文化レベルも大切である。


ニューヨークは言わずもがなとして、

ニッポンでは
東京と横浜は、

インスパイアはないにせよ

上述した意味では

相対的に
アドバンテージにある

エリアということになるのである。





旅と、日常的な生活は異なる。

日常的な路上は
活気があればあるほど良い。



ニューヨークのように

日常自体が既に旅

という次元に至ることは
ニッポンでは不可能だが、

せめて活気だけは
東京と横浜は秀でている点が

救いである。








posted by damoshi at 18:11| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月03日

ブルーライトヨコハマ、環七、玉電





今や人気の高い沿線の筆頭格である
東急田園都市線。


主に分ければ

リアル東京ともいえる
山の手エリアの代表格・世田谷エリア

独立母体・二子玉川

多摩川を越えての
一部の川崎市を経て迎える

田園都市エリア

の三つになる。



つまり

・世田谷エリア
・二子玉川
・田園都市エリア

である。



ダモシは
<リアル本妻>(生誕の地/本籍)を
その世田谷エリアとし、

現在の居住地を
田園都市エリアとしている。


近しい後輩がやはり
世田谷エリアをホームとし

近しい友人が
多摩川を越えた川崎市にいる。


現在の仕事の関係者のうち
三人がそれぞれ
世田谷エリア
川崎市
田園都市エリアに点在している。



女性専用車両の件や
混雑の件、
大井町線への延伸など

度々掲載しているのが、


ダモシの<リアル本妻>及び
現在の居住地の幹線である

東急田園都市線と国道246号すなわちR-246である。








*****







昨日のオフィシャル案件打ち合わせ時。

ブレイクで喫煙室へ。

隣り合わせた人と会話。



<親のお墓が和泉にありましてね>と言う氏。

<ほぅ。もしかして和田廟所ですか?
 そこは確か樋口一葉の墓所でもありますね>
とダモシ。


聞けば、氏の(現在の居住地はダウンタウンだが)
ホームは

杉並の和田だという。


ウルトラの母が9月までいた永福町エリアだ。


<私の母親も永福町にいたので、
 ニューヨークから東京に出張で来た際は
 永福町に来ていましたよ。
 だから大宮八幡も和田堀公園も
 何度も行っていますよ>

とダモシ。


<そうですか>と喜ぶ氏。



会話は弾む。


<ご出身は、実家はどちらですか?>

<もともとは松原です>と氏が答える
松原とは

世田谷である。

東急世田谷線。



<私は上馬なのですよ>と言えば、

氏も喜ぶ。




・東急世田谷線
・上馬
・昭和

とキーワードが出れば

当然
どちらからともなく

<玉電>の話になる。




話は他にさらに展開し、
三軒茶屋や駒沢などこそ
リアル東京だの

でも
ダウンタウンの人にとっては
浅草や上野をリアル東京
として譲らないでしょうだの

昭和という意味でも
昭和のノスタルジー漂う世界観の
飲み屋や店という意味でも
やはり三軒茶屋などでしょうよだの

ああそういえば
下高井戸の商店街は
それこそ昭和の名残で
ルックスグッドですよねだの


二子玉川が
もともとの駅名は
二子玉川園だったことを
知っている人は少ないでしょうねだの


と語り合うひととき。






話を戻せば、玉電。

氏のホームすなわち東急世田谷線。

話題で出てきていた三軒茶屋や駒沢、
そして上馬。


世田谷線の起点は、三軒茶屋。

包括的なエリアでいえば
三軒茶屋、上馬、駒沢が交錯する世界観。


その世田谷線こそ

玉電の唯一の名残として現存稼働している
電車である、と。






今宵のフィーチャーは、

昭和のリアル東京・山の手の
メイン路線、玉電。






tama23.jpg







*****






玉電。


現在の東急田園都市線の礎である。


遡れば
それは1907年の開通。

その時代に
二子玉川は既に
一つの独立エリアとしてのヴァリューを
持ち始めていた。

そういったヒストリカルな背景があることで

現在の、

独立地帯ともいえるほど
二子玉川がヴァリューを持つに至っている
因がある。


多摩川を、"渡し"で渡るしかなかった時代。

路面電車は二子玉川までだった。

しかしそこに二子橋が架けられた(1925年)。

溝の口との連結が果たされ
玉電によって
多摩川を渡しで渡らずに溝の口とも済むようになる。
1927年のことだ。


二子橋という
多摩川越えの架橋の頃合いには
架橋に携わる建設関係者を相手にする
小料理屋が、現在の二子新地に闊歩した。


料亭、芸者置屋、待合のトライアングルたる
いわゆる三業種のエリアたる三業地である。

それが二子玉川側にあったのではなく
多摩川を越えた
川崎市側にあったのがミソだ。

決して
そういった類いのものは相容れない
二子玉川の姿勢が現れる構図である。




架橋の三年前、1922年には
二子玉川に
玉川第二遊園地と玉川プールがオープン。


昼間人口の二子玉川
夜間人口の川崎市側



既にこの頃には

多摩川を挟んで
いわば明と暗の構図が成立しているのだ。





二子玉川は
昔からココだけで
マーケット・ヴァリューが成り立つ
エリア・ポテンシャルを秘めていたのである。


1929年には現在の大井町線が開通。
今年までの長い間それは
二子玉川〜大井町間の路線だったが、

前述の通り
今年の夏にそれは溝の口まで延伸され

大混雑の緩和のための
ストラテジックな戦略が奏功している。




紆余曲折を経て、

二子玉川園という駅名になったのが
1954年。


その五年後、前述した三業地が廃止。

"暗"の一つが廃止されたと
歩調を合わせるかのように

多摩川以西も
田園都市構想を含めた
ハイソな世界観への変貌を果たしていく。

これまで東急が進めていた
多摩川西南新都市構想は
<多摩田園都市>構想に変更されたのである。




さらに
二子玉川を
将来の田園都市線の
センターステージとすべく

1963年に
二子玉川園駅前への
玉川高島屋の建設計画が発表された。




tama12.jpg


R-246の三軒茶屋と玉電。

1964年の
〜これはリアルに必要だった〜
〜開催する意味があった〜
東京五輪

を前にして

大拡張と大整備を施すR-246。





こうして
着々とストラテジックに

東急の手によって

現在の田園都市線は
ハイソ&セレブな人気路線になるべく

都市計画が遂行されていったのである。








*****







1966年、ダモシ誕生。

世田谷区上馬。

エリアでいえば三軒茶屋、駒沢。

駒沢オリンピック公園
環七
三宿

などのキーワードが重なるエリアである。



同年、東急はさらに田園都市構想を進め、
田園都市一帯に
<ペアシティ計画>を新たに立案。


渋谷〜世田谷エリア〜二子玉川
そして溝の口を走る

玉電も全盛期を迎えていた。


<本妻>復帰にあたり
<リアル本妻>たる本籍地と
三歳まで住んでいた上馬には出向いたが
(後日再掲載)、


まさにダモシ生誕から三歳までの時代と
玉電最後の三年間が重なる。


玉電でオフィスに通っていた
ウルトラの父の帰宅を

三軒茶屋や環七まで
ウルトラの母と共に迎えにいった
幼児ダモシ。

そのとき

環七の自動車整備工場の
ラヂオから

いしだあゆみの
<ブルーライト・ヨコハマ>が流れていたことを

はっきりと記憶している。




ダモシの中では

・玉電
・環七
・60年代末
・いしだあゆみとブルーライトヨコハマ

というワードは、


生誕年が同じウルトラマン

などと共に

幼児期の
カルチュラル・アイコンとして成立している
わけである。




その頃の、玉電。



tama9.jpg


ダモシ生誕前年の1965年は三軒茶屋駅。

渋谷〜下高井戸となっているから
これは三軒茶屋で分離する
世田谷線のラインであろう。




tama11.jpg


ダモシ三歳の1969年。

玉電が廃止される年の2月の様子は
やはり三軒茶屋。

豪雪が東京を見舞ったこの日、
玉電は運行不通になった。




tama1.jpg


1969年5月。

玉電さよなら走行。

現在の世田谷線を残し、

R-246とパラレルに
その上に首都高を建設して
東名高速につなげるプランと共に

現在の東京メトロとの連結計画が
遡上にあがり、

廃止となった。





R-246の交通量激増と
東名高速ラインへの合理的な連結としての
首都高建設、

さらには霞ヶ関や永田町を含む
都内のビジネス・ディスリクトへの
合理的な連結としての地下鉄延伸

などのために路面電車たる玉電を廃止したことは

現在のここを考えれば
理にかなっている。


一方で、

カルチュアル&ヒストリカルな
玉電という路面電車を残すという
思考でいえば

世田谷線を残したという功績もまた

評価に値するであろう。



見事なストラテジックな施策遂行だった。






tama3.jpg




・玉電の消滅

・60年代の終焉

と歩調を合わせるかのように、

ダモシもまた三歳で
<リアル本妻>を離れ、

ウルトラの父の
その後に連鎖する転勤族ならではの

旅が始まる第一弾として、

仙台へと転居していったのである。





ジュニアが
ニューヨークで生まれたという
彼にとっての<リアル本妻>がニューヨークであり、

彼もまた三歳の時に
その<リアル本妻>を離れたのもまた、


ダモシの直系遺伝子ならではの

イデオロギーと血脈の所作といえよう。



それを鑑みれば、

彼もまたいつか
己が<リアル本妻>へ往く時が来る。


そして
おそらくそのとき
ダモシはもう死んでいるであろう。


ダモシはそう予見しているわけである。









*****






tama6.jpg


玉電の物的遺産。




以下は当時の路線図、二種。


tama2.jpg


tama8.jpg



この一番下の路線図を見て頂きたい。

文字は見えるであろう。


田園都市線(旧・玉電路線)の
文化的な香りを存分に感じさせるポスチャーである。


ヨコのラインが正調・玉電(現在の田園都市線)。
タテに斜めに向かっているラインが
玉電支線で唯一の生き残りである世田谷線。


ヨコの右端が<三宿>。

一つ置いて三軒茶屋。
左へ一つ置いて上馬が見えるだろう。


これがダモシの<リアル本妻>駅。

上馬から真中を挟み次が駒沢。



現在の田園都市線は
三軒茶屋の次が駒沢になる。

上馬は
エリア的に
現在の三軒茶屋駅と駒沢大学駅の間で
双方用いることができることになる。


ダモシの近しい後輩もまた
三軒茶屋にいる。


駒沢から左へ三つ目の用賀。

ここもまた
ダモシの親戚が当時住んでいて、

近隣ということで
よく遊びに行ったことを覚えている。

年齢が比較的近い親戚ということもあり

用賀の家の縁側で
一緒にスイカを頬張っている白黒写真も
残っている。


用賀から左を見れば
二子玉川園となり、
その下に遊園地の絵が描かれているのが見えよう。


その左のブルーがむろん、多摩川である。

多摩川の上部左端には高尾山もいる
といった様相である。

渋谷はこのヨコ・ライン右端の
三宿から間もなくである。


これで位置関係は分かるであろう。


現在の田園都市エリアは
二子玉川から多摩川を越えて
左へ進み、

途中の川崎市(溝の口等)を挟んで
少しの駅を経てから


たまプラーザから始まるわけである。









*****





ダモシ幼児期の玉電。

その車体現物を見てみよう。




tama21.jpg



tama10.jpg



tama20.jpg



1955年からR-246上を走った
デハ200形。


<飛行機のように
 断面が卵の形をした>路面電車。

ぺこちゃん、いもむし
などの愛称で親しまれた。




その車内は、以下。



tama4.jpg


現代にあっても
通用する車内デザインだろう。

路面電車の車内のティピカルな様相か。






・東京五輪

を経て


・玉電消滅
・ダモシ離京

が重なった1969年。


この年、玉川高島屋がオープンする。

ニコタマダムの原型の誕生である。



70年代に入り
遅ればせながら地下鉄・新玉川線が誕生。

その名の通り
玉電の後継路線として
まずは渋谷〜二子玉川園間を走る。



79年、
その新玉川線は
当時の営団地下鉄(現・東京メトロ)半蔵門線、
田園都市線との連結運行を始める。

同年、
ヒットドラマ<金曜日の妻たちへ>が放送。

たまプラーザなど
田園都市線沿線が舞台となり

さらに路線一網はハイソ路線、人気路線への
拍車がかかる。



既に77年に<本妻>に戻ってきていた
ダモシは、

居住エリアは異ったが、

親戚がいることから
田園都市へ、

高校時代には
運動部の大会で
二子玉川などへ、


度々出かけるべく
新玉川線に乗っていた。



85年、二子玉川園がクローズ。

平成に入り路線は新時代を迎える。

二子玉川には
一時的なエンターテイメント施設として
期間限定で
二子玉川園の後継的存在の
ナムコ・ワンダーエッグをオープン。

予定期間を大きく超えて営業され
今から10年前、

ダモシ再び離京と歩調を合わせるかのように
その役目を終えた。




既に沿線ヴァリューが確立されていた
この路線は、

90年代後半から

さらに
ニコタマダムやたまプランヌなどの登場で
セレブ感が増した。



ダモシ不在の2000年、

二子玉川園駅は、

二子玉川駅へと改称されて現在に至る。









*****







当時の様子を映した写真や

玉電現物等の写真はすべて

東急が運営する
電車とバスの博物館で撮ったものである。


このミュージアムもなかなかのもので
ヒストリカルに
昔の現物が展示されている他、

コドモたちが喜ぶ
電車やバスなどの
ドライビング・シミュレーションなどもあり

大いに楽しむことができる。




最後に、

同ミュージアムから写真を数枚。





coachbus.jpg


いちいち洒脱な東急。
バスのご覧の通り。

バスのドライビング・シミュレーションでは
実際に運転席に座り
田園都市エリアの住宅街を走る。



tama22.jpg





現在の田園都市線の
ドライビング・シミュレーションや
昔の路面電車のそれもある。



tama15.jpg



tama5.jpg



tama18.jpg






tama17.jpg


昔の駅改札。




tama14.jpg


tama13.jpg



パノラマ。

二子玉川駅と二子橋、
そして多摩川の向こうに

絵で富士山が見えている。


実際に
二子玉川駅から富士山は見える。






東京の贅沢、の一つ。


それは
現在の東急田園都市線の
額面広告の某企業のコピーにもある通り、


東京タワーが眩しく
向こうを見れば富士が見えることである。


ニューヨークやシカゴと比べれば
当然厳しいが、

そこに富士があることと
富士が見えるということは

世界に御す贅沢である。


東京に五輪を持ってくることよりも

ちゃんと
東京から富士山が見える景観をこそ
整えるべく重視すべきなのである。


そういう心の豊かさをこそ

都市計画では推進していくべきであり

そういう意味でも
東京五輪に浮かれた輩には
腹が立つと同時に

オタンコナスと言いたくなるわけである。








:::


<電車とバスの博物館>

入場料100円。
川崎市宮前区。



tama16.jpg



tama25.jpg

















posted by damoshi at 15:14| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

ダモさんぽ〜たまプラ






ジュニアの咳は
今朝からはほとんど出ないという不思議
の中、


<蕎麦でも食すか。
 で、ぶらぶらするか>

と、

"ちいさんぽ"ならぬ

"ダモさんぽ"で

ジュニアが通っている道場がある

<たまプラ>を徒歩で。





showa4.jpg





昨夏もフィーチャーした
<たまプラ>。

たまプラーザ。


これまた
田園都市線ならではの
独特の世界観が広がるエリアで、


住所的には
横浜18区の青葉区は
美しが丘がメインとなる。






シロガネーゼ:白金(東京・港区)

アシヤレーヌ:芦屋(兵庫・芦屋六麓荘)

に等しく、


田園都市線の中でも

ニコタマダム:二子玉川(東京・世田谷)

あざみネーゼ:あざみ野(横浜・青葉区)

と並び
<たまプランヌ>として
"奥様系"で呼称分類されるエリアである。



シロガネーゼとアシヤレーヌが

ある意味で
誇張型消費属性が強いのに対して、

田園都市という特異性を持つ
あざみ野とたまプラーザのそれは

心理的なエクスポージャーはなく

じぶんじかんの愉悦を
自然体で楽しむスタイルが成り立っている。


それはニコタマダムも同様。



この三者の中で特に

二子玉川とたまプラーザは奇異で、

それぞれにある
高島屋と東急SCがいずれも

"普通に"高島屋と東急SCではない
格付けを持っていることでも分かる。



二子玉川の高島屋は

高島屋ではなく

玉川高島屋であり、


たまプラーザの東急は

東急百貨店もしくは東急SCではなく

たまプラーザ東急百貨店
たまプラーザ東急SC

であるという

スペシャルな存在として
鎮座ましましているわけである。



そして、いずれも駅は大きく、

それこそ
ローカルの県庁所在地の数倍
駅乗降人員も多く

周辺のエッジな店舗のレベルも数も
際立っている。



たまプラーザは特に、

田園都市ということから
緑も豊かであり

山の手の瀟酒感と
都会的なセンスに、

過不足ない緑が交錯し、

その調和が見事に図られている

希有な街といえるわけである。





showa2.jpg



showa6.jpg



showa7.jpg



showa8.jpg



showa3.jpg



showa13.jpg




ウィークエンドのブランチと
"ぶらぶら"に
最適な環境がここにある。








*****





ジュニアが通っている道場も
駅から至近だが、

そこを通り過ぎて並木道をさらに
ぶらぶら。



すると一軒の気になる店が目に留まる。



<面白そうだな。見てみるか>

とジュニアと二人店に入ると、

そこは昭和レトロ・ワールド。



今ではもう珍しい駄菓子屋さん。






showa5.jpg




店内はもう
ダモシ世代なら涙モノの逸品の数々が

当時と変わらぬ世界観で
並んでいる。



興奮したダモシとジュニアは思わず

籠を手に
そこに小さな駄菓子を一つ一つ
チョイスした。






showa12.jpg



懐かしい昭和の駄菓子の数々、

プラスα
現代のネタであるが
変わらぬ駄菓子屋の基本アイテムである

カード、ブロマイド類。






showa11.jpg



あんずボーに、きびだんご。

そして
ノスタルジー満載の
ソフトグライダー。



あんずボーは早速、冷凍庫に入れた。

かちかちに冷やして食せば、
昭和へタイムスリップ。






早速ダモシはソフトグライダーを

組み立てた。


これがまた、よく飛ぶのである。

とても
70年代(だったと思う)の代物とは思えないほど
精度が高い。


振り返れば昭和のおもちゃは
デキが優れていた。



現代のデジタルおもちゃ
(ビデオゲームなどの類い)では得られない

原始的だが

子供心を育成しワクワクさせる
おもちゃ。


手づくりのおもちゃは、

それだけで
知育玩具として
現代のそれよりも有益と思うのだが

いかがか。





showa1.jpg



昭和のおもちゃのレベルの高さは、

現代の幼児ジュニアが
興奮して
大喜びで何度も飛ばして遊んでいる
という事実を見ても

証明されよう。




これが、ほとほと、よく飛ぶのだ。

そして
飛び方が実に美しい。


まさにスカイハイといった風情である。







といったところで、


今宵の
ダモさんぽは、


たまプラーザと相成った次第である。






showa9.jpg




ニューヨーク時代に愛用していた
大きめのビジネスバッグの
修理も、

たまプラーザで今宵依頼した。


一ヶ月の入院だという。








*****





<たまプラーザ>

(そういう住所エリアはない。
 住所エリアでは、横浜市青葉区美しが丘)。




showa10.jpg




渋谷から田園都市線急行で19分。











posted by damoshi at 16:43| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

Always-246の夕日









久しぶりに
拙宅でOFFを過ごした今宵。




やはり箱根の方が暖かい。




明日は
ほとほと久しぶりに

都内を
オフィシャル案件で往く。





東京が
もっとも寒く、


激動の季節。



それは二月だった。



2.26事件と雪、

受験、など。




イメージ的にも

好意的なダークサイドが漂う。





そんな、二月の東京は

ダモシの好きな季節の
一つでもある。





だが、


箱根はもとより

ここR-246は、


どこか陽光だ。




そして永田町は今や

ダークサイドなんぞ
ありゃしない


ただのアル中が

定まらぬ視線で茫洋と佇み、



男に二言どころか百言もあるような

トップが

希薄な中身を露に

とろとろ歩くのみ。





輩は、関所へ連行されるが良い。








久しぶりのR-246、

Always-246の夕日は

そんな
アル中や日々是前言撤回な

輩どもへ怒っているのか、




ゴジラな空


であり、



帝都大戦を想起させる


燃える空。









gsora1.jpg






gsora2.jpg



















posted by damoshi at 20:52| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月05日

246の交通量&車窓から








フライデーということはあるが、

今宵の
246上りは
いつも以上に混んでいた。



<渋谷→霞ヶ関>30分


環八と交差する
世田谷の<瀬田>から
<渋谷>までも40分以上要した。



前者は10-15分
後者は20分

程度が平均ペースだから、

今宵は
かなり混んでいたといえよう。






R-246を

渋谷を通過して
霞ヶ関へ出る場合は、


R-246をひたすら走ることになる。




R-246の起点である
(甲州街道:R-20との交錯地点)

<三宅坂>までフルに走り、


そこで右折して
左に皇居を見ながら
少し進めば

そこが霞ヶ関となる。







・渋谷駅前の大歩道橋

・拙宅近隣(富士山が見える光景)

・外苑前近辺

・御殿場


などから

当欄でもR-246は取り上げたが、





今宵は

渋谷から三宅坂方面の

R-246を、


車窓からの景色と共に取り上げたい。









246h1.jpg




渋谷から走ってきて
青山学院を過ぎ、

表参道交差点に差し掛かる直前の

R-246。




かつてはヒルトン姉妹などが
キャラクターにもなっていた

サマンサ・タバサの
アド・サイン(真ん中の広告サイン)は、


木村拓哉とビヨンセ。



・タレント起用
・その組み合わせの妙
・写真のクオリティ


さえ、満たせば、

なんのことはない。


クリエイティヴとは別次元の広告。



だが
こういうヴィジュアルが都市の
様相の一端にもなるのは確かだ。




それでもマンハッタンの

広告サインには
かなわない。


ニッポンの
こういう広告の宣伝効果は
あったとしても、

そこに
ニューヨークのそれのような
クリエイティヴ・パワーは感じられない。



著名人を使わずに
いかにパワーを感じさせるかが、

一つには
クリエイティヴ・パワーであるのだが。







奥のサインは
エンポリオ・アルマーニ。


バブル末期の20代の頃、
そのスーツを好んで着ていた。


今はもう年齢的には卒業である。






手前のサインは
コズメティックのRMK。


この秋冬のコンセプトである
<80年代カラー>を広告でアピール。











*****









表参道交差点を越え、

R-246をさらに5分ほど歩いた距離に
ダモシが
新卒ルーキーで入団したオフィスがある。



東京の人なら

"ウドー音楽事務所の看板と
ブルックス・ブラザース辺り"

といえば分かるロケーション。






246h2.jpg




この写真左手に

ブルックス・ブラザースの
店舗の文字が見えるであろう。





そして

この写真に見える歩道橋。




これが

ダモシが考える

<246(の歩道橋)でキスをした>



歩道橋である。





位置的には


交差点でいえば
<表参道>と<青山三丁目>の間の

R-246にある歩道橋


ということになる。






その他

青山エリアで
R-246の歩道橋となれば、


・青山学院前

・外苑(秩父宮ラグビー場至近)



あるいは渋谷では
度々写真を掲載している


・駅前大歩道橋



等、


候補が出てくるが、



やはりそれらよりも

ラブ・ストーリーのドラマで
男女がキスする


<R-246の歩道橋>といえば

表参道と青山三丁目の間にある
歩道橋


が一歩リードか。





そもそも

R-246の渋谷以西

(世田谷/田園都市エリア)は、


タテの幹線
(山手通り、環七、環八など)
との交差や

多摩川越え

などがあり、



立体になっているか

そもそも
世田谷エリアでは
横断歩道が多く、



歩道橋自体ほとんど、ない。




青山エリア以東も

・赤坂
・永田町


と、

もうそういった
歩道橋云々の世界ではない。










*****










246h3.jpg




突然、変化した空の色。


明らかに
集中的な雨が襲ってくる予兆。







246h4.jpg





赤坂御所を左手に抱える
青山一丁目交差点付近。


クロスする外苑東通りを

右へ進めば
乃木坂、麻布、六本木、


左へ進めば
信濃町を経て四谷、新宿方面へ
流れていく。



まっすぐ往けば、

R-246起点の<三宅坂>。









246h6.jpg





<三宅坂>でR-246を終えて

左に皇居を見ながら
右へ旋回すると


そこには国会議事堂。



その背後(写真内左向こう)に見える
建物は、

赤坂プリンス。










246h5.jpg




そして

ようやく見えてきた
霞ヶ関ビルヂング(右)。







246h7.jpg




復路は案の定、雨。

間もなく三軒茶屋。



復路たるR-246下りは

逆に
珍しいほど空いていた

金曜夕刻。










東京都内の
一般道(非高速道路)に限れば、
R-246の交通量は

前述した
<瀬田>地点が第二位となっている。

(国土交通省/道路交通センサス)



都内一位は、
やはり霞ヶ関エリア
(R-1)


第三位が甲州街道の下高井戸
(環八との交差点。
 環八は少し往けば<瀬田>で
 R-246とぶつかる)。



いずれも

<たしかに>と納得できる
エリアだ。




その都内よりも上回るのが、

R-246と神奈川県でぶつかり
横浜へ流れていくR-16の

横浜市旭区エリアの3地点が
関東の第一位、第二位、第四位を占める。
(都内一位の霞ヶ関エリアのR-1は
 関東では第三位)。


その

R-16は、

R-246の上を走り
<関東の高速自動車道>における
交通量ベスト10のうち


第一位(横浜町田〜厚木間)
第六位(横浜青葉〜横浜町田間)
第九位(川崎〜横浜青葉間)

を占める<東名高速>の
出入口とリンクしている。




こうして見ると


R-246の総合的な交通量は
関東及び東京では


秀でていると考えられよう。



東京首都圏で秀でていれば
その交通量は
全国的に見てもトップといって良かろう。



ゆえの渋滞である、と。




R-246でも

横断歩道の多いエリアと

立体になっているエリアでは

同じ交通量でも
渋滞頻度は異なる。




世田谷エリアは

特に歩道橋が少ない上に、

立体も皆無

(多摩川を越えれば
 各所で立体がある)

にも関わらず、



"街"の歩行者自体が

他のエリアより多いということがあり、



<横断歩道>の数も増えるから

必然的に

車の流れは遮断されてしまい

渋滞につながっていく

というシステム構造であろう。








R-246と東名でいえば、


東北自動車道の
<矢板>に等しい


"オールウェイズなぜか渋滞"

たる存在は、



渋谷方面から西へ順に


<池尻>

<瀬田>

<江田>

<厚木>


となろう。




平塚へ行く際にも利用する

西側(神奈川方面)のR-246でいえば、

その
<厚木>まで行く間の


<長津田>であったり
各所あるが、

数値的にはたいしたことはない。





数値を見てみよう。




R-246の中でも

交通量が特に多い

都内と神奈川県の
ディテール・エリア。



まずは都内。

赤坂      71,954 41,505
南青山二丁目  71,451 47,621
渋谷駅付近   75,063 61,908
世田谷・池尻  77,050 64,408
世田谷・上馬  51,056 48,378
世田谷・桜新町 50,461 48,366
世田谷・瀬田  86,555 76,451


(数値は左が平日/右が休日。
 いずれも国交省データ)。

これを見ると
ダモシのリアル本妻である
世田谷・上馬は
さほどではなく、

やはり<瀬田>が飛び抜けていることが
分かるだろう。

慢性的渋滞

環八とのクロスロード


が背景要因の一つであろう。




そして
田園都市エリアをさらに過ぎてからの

神奈川県内では、



大和    73,242 57,625
座間    70,503 61,237
海老名   73,847 64,802
厚木・妻田 76,507 71,417
厚木・栄町 82,365 70,680





<厚木>がやはり多い。



これら
都内&神奈川のR-246
筆頭格交通量にランクインしない

田園都市エリアは

比較的交通量が少ないといえ、



単に

以前ダモシが記載したように
<立体が多く、横断歩道が少ない>

からだけではなかった


ということが考えられよう。














posted by damoshi at 21:37| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月03日

ぶらり、表参道/ニーヨンロク









まずは、

マップで

今宵の
R-246から
表参道ヒルズ駐車場への

"迂回しなければならない"

ルートと、



<ダモシx青山の関係性>を。







omotemap.jpg






今宵のルートを。


拙宅アパートメントからは

往路30分/復路15分が
まずはモデル・ケース。


表参道ヒルズへは、

246の表参道交差点からの
通常左折→右折入庫は

できない。





マップの左下。

246と書かれた方向へ行けば
三軒茶屋や二子玉川。


その246は渋谷駅を越えて
方向的に真っすぐ進めば
六本木通り、

左斜めへ進めば
そのまま246で青山、赤坂へ。



通常、

水色で示したラインの
いわゆる
<表参道>
(表参道交差点と明治通りの間)

へ行くには、

右手に青山学院を見て進んでから
ぶつかる

表参道交差点で左折する。


それを原宿方面/明治神宮方面へ
一直線に走る道。


それが表参道となる。

ストリート沿いの
右手には

甲状腺の権威たる
伊藤病院、

ニューヨーク時代の
東京出張で
対談の場として用いた
カフェ・アニヴェルセル、


表参道ヒルズなどがあり、


左手には

それこそ今や
ヴィトンだシャネルだディオールだ

がある。


(昔のシンボルは、キディランド)。





しかし

表参道ヒルズへ行くには
(その駐車場へ入るには)、


このルートは採れない。


つまり
ヒルズへは
表参道から対向車線を越えて
右折入庫ができない。



その場合どうするかといえば、

一つには
今宵ダモシが採ったように、


246を
表参道交差点をさらに過ぎてから

青山三丁目交差点で
外苑西通りを左に折れて、

それを進んでから
明治通りで左折して

原宿ラフォーレを右に見る交差点
(表参道とクロスする地点)で

左折して

表参道に入り、

そのままヒルズの前で左に
入れば駐車場

という段取りとなる。




その分、時間はロスする。

ウィークデイや
ウィークエンドの昼以降は、

渋滞等で難儀するケースとなろう。







この

いわゆるエリア青山は、

大学時代〜社会人時代を通して
これまた縁深い。



多すぎるため端折るが、


たとえば
マップで示した(1)が、

ダモシが
新卒ルーキーで入団した組織が
あった場所。



ワイフと交際を開始した梅雨、

水曜日の夜は毎週
この位置の246沿いにある

ウェンディーズで待ち合わせてから、


外苑前

渋谷

表参道

原宿

へ、それぞれデートで出かけ、


渋谷へ出たとき以外はすべて、

東京メトロ
(当時:営団地下鉄)千代田線の
明治神宮前駅から

代々木上原へ出て、

そこから彼女は
そのまま小田急線で帰り

ダモシは
代々木上原でおりてから
バイクで中野新橋まで
ひとっ走りするか、


時には
ワイフの最寄り駅まで見送ってから

ダモシ一人で
代々木上原まで戻ってくる


といった様相だった。






そんな日々を重ねて

プロポーズする

1991年の
ワイフのバースデイ。



羽田で夜の飛行機を見て

一路、青山へ。


キラー通りを走り

右手に青山墓地を擁する
対面にあった

イタリアン・レストランで
ディナー。


それが、(2)である。






キリがないので

このあたりでやめておくが、


別途後日掲載する

<原宿の想ひ出〜1984&1987>

における
大学時代の青が散る頃合いにおける


原宿エリアでのエピソードと
共に、



いわゆるヤングボーイ時代の

想ひ出のみならず、


ワイフとの
現在進行形のヒストリーの


まさにエントランスにおける

重要なエリアが

<表参道>だったわけである。






だから


ダモシ自身は

ニューヨーク時代も
昨年も
今年も

度々、表参道には来ているが、


ワイフと

そして
当時はいなかったジュニアと共に


連れ立って来ることは

今宵がファースト・タイム

ということで、



この夏からの<本妻復帰>の、

これも成せる業として

嬉しく思うところであった。





同時に

ワイフとも

1990-92年における
二年間の恋人時代を

感慨深く語り合うという

ひとときも得ることができた、と。






共に過ごした場所、

出かけた場所としては、


むろん
<ニューヨーク>は別格で

今後も
あの地を越えるところはない

といえるが、



表参道は

違った意味で、

二人のまずは初動での
関係性を深めた場所

ということでは


ヒストリー上

重要な位置を占めているのは

言うまでもない。








今はジュニアが仲間に加わっているが、


ダモシとワイフが
二人揃って目にした


十一年ぶりの

表参道・秋景色。









:::::








omote15.jpg



当時は、同潤会アパートメント。

今は、表参道ヒルズ。

まさに十年ひと昔である。






omote10.jpg



対面のブランド・ショップ群。

これも
十一年前にはなかった。






omote8.jpg



瀟酒
且つニッチであっても、

ここは日の丸が似合う
明治神宮を擁する街。


その名の通り、表参道。






それを上から俯瞰すると、



omote7.jpg



原宿方面(明治通り方面)。




omote9.jpg



表参道交差点方面(R-246方面)。








omote1.jpg




意外や意外。

高いというイメージがあるが、
表参道ヒルズの
駐車場は、


このエリアでは安い方である。


軒並み800円/1-hがベースの
このエリアにあって、

表参道ヒルズのそれは
700円/1-hである。



しかも

ホテルのドアマンのような
"ちゃんとした"
制服を着た

若い
パーキング・コンシェルジュが


三人もいる。




むろん、

この表参道側と

直接IN-OUTする駐車場であるからして

三人くらいはいなければ

歩道を歩く膨大な人々と
車道を走る車を
コントロールしながら、

スムーズな入出庫を
させることはできない。




忌憚なく、

この駐車場に関しては

運営側と係員の
迅速さとスマートさは


秀逸である。



このサービスが付加されての

700円/1-hは、

東京で考えれば
逆に破格の安さといっても良かろう。





omote11.jpg


表参道ヒルズの
ブロシュアとフリー・マガジン。







omote5.jpg



もう少し進めば、

左手に
伊藤病院とアニヴェルセル。






omote2.jpg



omotex.jpg




表参道と明治通りが

クロスする角にある

定番のラフォーレ原宿。



その前には既に

クリスマス・ツリー。








ダモシにとっての

ニーヨンロク。




それは

一つには<本妻>の

三軒茶屋-駒沢

(交差点でいうところの、
 三宿-上馬-駒沢の間)


だが、



もう一つにはやはり、


この

<青山>となる。




つまり、

交差点と
エリア・ディテールでいえば


赤坂御所の青山一丁目

銀杏並木と神宮外苑の
青山二丁目と外苑前

青山墓地&キラー通りと
クロスする南青山三丁目

新卒ルーキーで
入団した組織エリアにある
ブルックス・ブラザース本店

表参道

青山学院

宮益坂上まで



となる。






宮益坂上からの
下り坂エリアと


六本木通りと
ぶつかるエリア、


そして

渋谷駅を通過してからの

池尻あたりまでは、




どうも

首都圏の
ニーヨンロクの中でも

異質で、


ブラックホール的な感覚である。










:::::




<表参道ヒルズ>



渋谷近辺からは
車で約5-10分。


R-246の
世田谷&田園都市エリアからは
車で最短15分〜45分。



東急田園都市線&
東京メトロ半蔵門線

東京メトロ銀座線&千代田線

表参道駅から
いずれも徒歩約5-8分。


渋谷から1分。

(千代田線は
 代々木上原から5分)





















posted by damoshi at 23:55| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月31日

<青山>にて:意志のあるデザイン








東京・青山。



銀杏並木と聖徳記念絵画館
の一直線。



左に国立競技場や
明治神宮野球場、秩父宮ラグビー場、


右に赤坂御所


を抱える

その
メイン・ストリームたるエリアは


<明治神宮外苑>。




長い長い銀杏並木を過ぎて

正面に
聖徳記念絵画館を望む

その間にある

空間スペースで、

<TOKYOデザイナーズ・ウィーク>が

開催中である。







昨日と今日は
ビジネス関係者が入場する
ビジネス・タイム


ということで、


所用により

ダモシも訪れた。





ニッポン国内最大の

国際デザイン・ショー。



インテリア、雑貨、その他

世界各国から
(多いのは欧州とアジア)

クリエイティヴ作品が
エキシビットされている。




出展者は、

TOTOなどの企業から

個人のクリエイター、

美大や芸大、等。




企業が
テーマを与えて

それを形にする学生との

コラボレーション作品もある。







tokyod1.jpg




メイン・テント会場の一景。


テント室内会場は
その他もあり、


屋外はコンテナを利用した

エキシビション・スペースが
設置されている。





内部は、

いわゆる
トレードショー、ビジネスショー的

ノリではあるが、


一部で学生が絡むことで

学園祭のノリもある。




いずれも、

クリエイターにとっては

ここは殿堂にも等しい

晴れの舞台であろう。



クリエイター、出展者は

己がアート作品を展示、説明

そして
販売したりする。





tokyod2.jpg




tokyod3.jpg




tokyod6.jpg




tokyod5.jpg






ニューヨーク時代に

トレードショーやイベントに
オフィシャル案件で
出かけていたこともあり、


やはり

必然的に

こういった場では

ニッポン人以外と
コミュニケーションをとる。




且つ


ダモシ的には

やはり
ニッポンではない

外国のデザインに常に

パワーを感じてもいることから、



目も対話も

そちらに向かうことになる。





ダモシは

<意志があり>

<パワーがある>


デザインが好きなのである。



あまり

オシャレオシャレ

したものは好まない。





ポップなものも

好き嫌いでいえば、嫌いの方に入る。





そういう意味では

米はもとより、

欧州のデザインは好きなのであるが、


近年

その能力を発揮しているのが

韓国やアジアである気がする。






今宵、


ダモシの目に

もっとも留ったデザインとポスチャーが


韓国のものだった。




韓国の若いクリエイターの

ネットワークでの出展。





ダモシ好みであり、

且つ

何か活用できそうだと感じ、


早速

そのアート・ディレクターと
コミュニケーションして、


名刺をもらった。





それが何かは、

やはり言いたくないのである。



1アイディアが浮かんだから、

そのクリエイターと
コンタクトしてみたいと

感じたから、



ここでそれを盗まれないために

記載することは差しひかえたい、と。







tokyod4.jpg





ダモシ的には

もっとも

<意志>と<パワー>を感じた
デザインを

多くエキシビットしていた

韓国の若いグループのブース。





ニューヨーク時代の一時期、

韓国人の広告会社&デザイナーと
付き合いがあったが、



ラシアン(ロシア)
チャイニーズ
インド


等々、現地でも天敵の多かった

ダモシだが、



不思議となぜか

韓国とは反目したことがない。



その際も

韓国デザイナーの作るデザインは

ダモシは好きだった。











逆に

一般的な人気の高い
といわれていた

TOTOのブースは、



<こんなもんかい…>と


やはり
ニッポンの

あまりにも

キレイキレイし過ぎた

デザイン性には


インスパイアされるものはなかった。





ニューヨークで

取材等を通して
世界各国からやってきた
アーティストと邂逅したことで、


それらの

ものものしい人間性の投影とパワー

を見てきたしまったことで、


ニッポンのそれらが

どちらかといえば


<組織>や<会社>的で
パワーの乏しいものに

感じてしまうのは


致し方ないのだが、



それにしても

ニッポンのデザインは、



ある意味で


あまりにも

キレイキレイ
オシャレオシャレ


し過ぎていると


ダモシは、忌憚なく

常々思っている。





それこそ

写植版下時代の

<意気込みのある>デザインや、




<太陽の塔>のような

爆発的なデザインは、




いまのニッポンには皆無だ。





どこかで

デザイナーや
クリエイターの仕事が、



<キレイなもの>


<オシャレなもの>




作ることに偏向し過ぎていて、




個性がない、と。




デザインは本来、

絵画などの芸術に等しく


個の爆発と

個の怒りや喜びや嘆きといった

人生の投影が

あってしかるべきだ


と考えているのだが、




それがまるで、ない。




職業デザイナーとなっているのは

ニッポンの
社会では

余儀ないことなのであろうが、


それでは

厳しくいえばオペレーターであり、


イラストレーターや
フォトショップなどのソフトを


扱えれば


そこそこキレイなものは

誰でもできてしまう

ということになり、




いわゆるデザイナーとは何ぞや?


という究極の問題になってくる上、



その職種の人は今後も

雨後の筍状態で

増える一方なわけであるからして、




よりタフなシチュエーションに

なってくるのではないか、と。





背景には、環境もある。

欧米などと
ニッポンの

デザイナーやクリエイターを
取り巻く環境の差異は大きい。



ニッポンはある意味で、

クリエイターが
持っているスキルとパワーの


<最大化>を



様々な要因や縛り、手かせ足かせで

図ることができない

からである。





それはどんなジョブでもそうだが、


己のパワーを
最大化できない場合、


当然
モチベーションは下がるわけである。



そのあたりが、

ニッポンの社会
(とりわけこの場合は
 クライアントvs.こちら側)





未成熟な点である。






つくづく

ニューヨークで
インタビューした


篠原有志男さんのような
クリエイター(or 芸術家)は


スゴイ

と忌憚なく感じるわけである。




<個の投影>を

モロにやり続けているのが

あの人である、と。








tokyod7.jpg




室内にはバーやカフェも。


青山界隈の

ファッションや
クリエイティヴ関係の


"オシャレ"な人々が


こういうショーに足を運び

バーで酒を飲む


という


ある意味で

心の欲求を満たす場でもある。




その一方で、


こういう場に足を伸ばすことや

世界の作品を見ることは


インスパイアの観点からも

大事なことである。





<ちょっとイイ気分の、オトナのお散歩>



としても、



青山というロケーションも良く


・文化の日

・秋


という季節も伴い、



明日からの

一般入場において

足を伸ばしてみるのも一計。





at least,

デザイナー、クリエイターは

足を運んで

目にした方が良いであろう。




特に

世界のデザインは

美術館や博物館含めて

常に目にしておくことは、



クリエイターにとっては

マスト・イシューであると



ダモシは思う。








tokyod11.jpg



ポスチャー的にも
デザイン的にも

ユニークな


オフィシャル・バッグ。



中に各種ブロシュアやフライヤーが

入っている。







tokyod12.jpg





オフィシャル・ブロシュアと、

いかにも彼ら
(CASAブルータス)が

好みそうだな

と思えるブロシュア。



いずれも欧米的にタブロイド版。







tokyod13.jpg




韓国のグループのブロシュア(右)



<オランダのデザイン>というブック(左)。



上はユニークなポスチャーで
蛇腹になっている
海外系のリーフレット。











*****









今宵、


ダモシが帰宅すると

朝から一度も逢っていなかった
ジュニアが

待ちわびたように

出迎えてくれた。




そして

<今日も仕事がんばった?>

と問うてから、



<ご飯をつくっておいたよ>



ジュニア特製ディナーを

差し出してくれた。






tokyod14.jpg






これが

ダモシにとっては



<TOKYOデザイナーズ・ウィーク>




最優秀作品、である。










:::::





<23rd. TOKYOデザイナーズ・ウィーク>


於:青山/明治神宮外苑(その他)

入場料:2,500円

11/3まで




東急田園都市線&
東京メトロ半蔵門線

<青山一丁目>下車、徒歩7-10分。








































posted by damoshi at 23:19| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月21日

ニコタマの想ひ出/紀子さん、ニコタマ・ミーティング、SALUS









台風一過独特の

"見事な秋の青空"は
昨日の朝

ちらっと見えただけで、



今宵も雨が降ったR-246。





サンデーだったことも
忘れていたぞということで、


今宵
ビジネス・ミーティングは

なぜか
二子玉川にて。


その後、
田園都市エリアでの
ランチ・ミーティングを経て

帰宅したダモシ。






クライアントの一人が

ダモシと同じ
R-246/世田谷ネイティブということで、


"休日にも関わらずの"

いわゆる
アンオフィシャルでの
ビジネス・ミーティングの地として

二子玉川と
その後の田園都市エリアが
選ばれたわけである。




双方が
世田谷ネイティブであることと

田園都市線に
住んでいるということで

実現し得る

ニコタマ・ミーティング。




相変わらず
二子玉川の本丸
<玉川高島屋>は

ハイソなレディでいっぱい。


相変わらず
多摩川も
スポーツに勤しむ人々でいっぱい。




ダモシも
"二子玉川の多摩川"で
テニスや野球をやった。


社会人一年目の春、

同期の男と
同じく同期の女性の中で
ひときわ清楚だった

"キコさん"
(当時は紀子さんブームで、
 紀子さんに似ていた彼女を
 そう呼称していた)


争奪戦で、


ここはニコタマでしょう

ここはテニスでしょう

とばかりに、



"二子玉川の多摩川"の
テニスコートを予約して、


そこで
テニスに勤しんだ懐かしい記憶が甦る。



紀子さんに絡む逸話は
また長くなるため割愛するが、


外車でやってきて
紀子さんを助手席に乗せた
同期の男に対して、


ダモシは
意図的に単車で登場して、


お嬢様の

潜在的意識下にある
"ワルへの憧憬"を刺激する
戦略を

採用。


それがハマった、と。



ニコタマ・テニスの後は

R-246を飛ばして
湘南の海へ行き、


戻ってきての夜は
駒沢のイタリアンでディナー。



その道中、すべてで

単車に乗る
ダモシは、

一騎当千の強者を演じた。



車中、

紀子さんは

ダモシの思惑通り

ハンドルを握る
同期の男に対して



<ダモシさんの後ろに乗りたい>




延々と言っていたという。




あえて
送り届けることも
同期の男のミッションとし、

己は
単車で

<じゃあな>と去るダモシは


徹底的に演じた。


その間の

心の乱れはさにあらず。





翌日、

同期の男は言った。





<ダモシは、ズルい!>。




ダモシはイヒヒと笑って言った。


<勝つためには俺は徹するぜ>


と。





その後の

この三角関係の右往左往は

今宵は割愛。










いずれにせよ、


多摩川は多摩川でも


"二子玉川の多摩川"である

ということは、



重要なことである。



多摩川は多摩川でも
重みがまったく異なるのである。



東京の人なら、

この意味はお分かり頂けると思う。





それは

<高島屋>だから
<高島屋>なのだろう

と思ってしまうと、


<二子玉川の高島屋>は

別物の
<高島屋>だったのね?


と気付くのと
同じ差異がある、と。



要するに

"二子玉川の多摩川"

"玉川高島屋"は


ある意味で別格である

ということだ。








改めて

<玉川高島屋エリア>に行ってみて、


なんだか
以前よりもさらに
特殊エリア構造を成立させているな

という気がした。










*****








田園都市沿線のみならず

東横線を含む

<東急>沿線は、


その成立過程や
エリア・カバー含めて

普通にオシャレで
ハイソ感が漂っているのは


周知の通りだが、



全国津々浦々に存在する

エリアの
フリーペーパー&
フリーマガジンにおいても、

ダモシが手にとった中では

やはり
そのマガジンも

この沿線はしっかりしている。



なにしろ

東急が作っているわけだから
フリペといっても

そもそもお金があるわけで、


内容的にはもとより

沿線のスタイルに見合う

"ハイソ感"&オシャレなもので
なければ

意味がない。





毎月20日発行だが、

すぐになくなってしまう人気メディア。



それが

<SALUS>だ。




そのメディアの意図は

<東急沿線のスタイル・マガジン>。




webと連動して

沿線ライフの楽しみ方

を提案している。






そもそも
ニューヨーク時代の

メディア経験のあるダモシも、



<フリーで
 これをやられたら
 かなわんな>


と思えるような、



読み物も特集も
"ちゃんとした"ものを
心掛けていたが、


通常
それでは、

事業成立は難しい。


メディア事業が核ではなく

ツールとして
行う場合は

あり得るが、


メディア単体では困難が多い。


しかし

中身を

"ちゃんとする"ことは

重要である。



その点
SALUSの中身はいわずもがなで、


<フリーで、この中身か>



読者を喜ばせるし

ダモシをも喜ばせる。


読み物もしっかりしているし、
毎回
沿線の各エリアを
フィーチャーするという
定番も満たしている。



それこそ

これをフリーでやられたら、


有料の
<田園都市生活>などの雑誌は
はっきりいって
厳しいであろう、と。





東急は褒めたい。

ローカルのように

"なんだかなぁ"的な
フリーマガジンに埋没せず、


沿線の魅力を損なわずに

より
それを高めるような

いわば企業努力が見られるからだ。




これでいい、と。








ダモシが好きなコンテンツも多いが、

連載の
<名作のツボ>が面白い。読ませる。




<人間失格>など
名作文学のツボをユニークな視点で
切り取っている。



特集も全体内容も

根本的に女性向きだが、


今や
女性向けの情報の鮮度は重要
であると同時に、

男も読む
男も目を通さなければダメ

な時代である。




女性のような
市場やトレンドへの敏感さは、

男も必要なのである。








といったところで、



今宵はこれから

実に久しぶりとなる

プライベートでの酒席は、


拙宅に

やはり
同じくR-246/世田谷ネイティブの

後輩を招き、




SALUSを傍らに置き

東急沿線、世田谷などの
エリア考察から

野球、"ホシノ"、恋愛まで


大いに語り合おう



というダモシである。




今宵の酒は
ウォッカにバーボン。

トニック・ウォーターも用意した。



肴は、

ワイフのチャイニーズ料理である。




彼は今宵は拙宅宿泊し、

明日は
新横浜から




ノリに乗っている
広島カープ擁する


広島へ

旅に出る、と。










:::::






<SALUS>


毎月20日、発行。

沿線のステーション・ラック、
渋谷Bunkamura、東急百貨店にて。



発行部数は、

フリーマガジンとしては驚異の

25万部。





salus1.jpg




10月号の
沿線フィーチャーは<三軒茶屋>。


今宵のクライアント氏も
これから来る後輩も

ダモシも、

ネイティブとして共通するエリアである。







salus2.jpg






この内容と
発行部数の双方が絡み合えば、



<東急沿線の生活者に
 確実に届くメディアとして
 注目されている>


という

セールス・ポイントは、


説得力のある信じられる理由

になる。






ウェブは以下。

http://www.salus.jp/


マガジンはこのページ上部にある

MAGAZINE

をクリックする。







































posted by damoshi at 18:30| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

こどもの国から、コンニチワ








たとえば
浜離宮恩賜庭園は、

<不倫の逢瀬>
という用途にも合致する。



代々木公園は
どちらかといえば、

学生など
ヤングボーイ&ガールの
散歩デート・ユーズが
フィットする。



日比谷公園は
OLやサラリーマン的世界観に
埋没してしまう。





新宿御苑は

その意味でレベルが高く、

・ファミリーのレジャー
・"正規の"アベック
・"不倫系"アベック
・コドモたち
・学生グループ
・シニア層の趣味&散策系


などなど

あらゆるユーズを満たす。





かように

都市型公園では

それなりの分類が
なされるわけだが、


たとえば東京ディズニーランドなどの
エンターテイメント・ファシリティから

東京キッザニアなどの
エデュケーショナル&
エンターテイメント・ファシリティ、

IKEAや
ららぽーと、コストコ、H&Mまで
あらゆるカテゴリーの
ショップ&マーケット

などを包含して考えた場合でも、



ある意味で

そこに来る属性が
完全限定される場というものは

少ないだろう。




もとより
東京キッザニアのように
コドモ主体の場では、


<ファミリー>が
メインの来場者属性となろうが、



たとえば
R-246/田園都市エリアの



<こどもの国>は

見事なまでに

ファミリー100%という構図が
描かれていたことで、


ダモシの新たな考察を生んだ、と。







kodomo7.jpg






*****






根本的に
ダモシには
あまり関係ないが、


ニッポンは今週から

三度の三連休が続く。



オフィシャル案件が
立て込んでいるからして
このウィークエンドも

当然ながら
デスクに向かうわけだが、



まあ三連休の初日の今宵くらい
今週の疲れもあるから
リラックスしよう


と、


出かけたダモシ軍。



朝からまあR-246の
厚木方面は大渋滞の三連休の初日。



出かけた先は

行こう行こうと思っていた
<こどもの国>。




ダモシ自身も初の来園。





そこは
ものの見事にファミリー100%。


一度も
一組たりとも

アベックの姿は

見かけなかった。


完全無欠の

来場者属性100%=ファミリー

という世界観。





kodomo1.jpg








*****






<こどもの国>。


所在地は、横浜市。


横浜のこれに限らず、

鳥取砂丘や沖縄
その他の地に同名の

こどもの国はある。




横浜市のこれは1965年、誕生。

ダモシが生まれる前年だ。

しかし
ダモシ自身
一度も行ったことがない(はずだ)。


ここへは、

己が子供時代に
親に連れられて行かぬ限りは、

まず
ほぼ100%

自分では行かないだろう。


自分が行くとすれば
子供を持ち
且つ
その子供が幼児の段階にあり、

居住エリアも近隣であること


といった条件が満たされなければならない。





生まれてから幼児までの時代の
ダモシの居住地は、

東京・世田谷。

沿線は東急田園都市線。


こどもの国も同じ沿線で
田園都市エリア。


この共通項からして
行ったことがあっても
おかしくはない。


未確認だが、
ウルトラの母に問えば
もしかしたら
行っているかもしれない。



その幼児時代以降も
1977年の東京復帰以来、

行く機会は
ロケーション的にはあったが

行っていない理由は
ただ一つ。



そこが
<デートする場ではない>からだ。




さらに
ジュニアを持ちながらも
彼が間もなく五歳になる
今まで行ったことがなかったのは、


ジュニアが生まれたのが
ニューヨークだからだ。



そして今、

己が三歳時以来として
田園都市線に復帰したダモシが
ジュニアと共に生きている。

ジュニアの愉悦を当然考える。

しかも居住エリアが
田園都市エリアである。



となれば、


"普通に"

<こどもの国>は

行き先として
存在感を高めてきた


というわけである。





かくして、


来場者属性完全無欠100%=ファミリー


という

本来のダモシとは不釣り合いな場



足を運ぶという

事態に至るわけである。






己が東京首都圏で

幼児、学生や青春、社会人、新婚
などを過ごしながらも、


レジャーの
メイン・ストリームにある

<異性とのデート>




ここに来なかった理由は、

実際に
来てみることで
さらに理解できる。





ダモシもワイフも、

逆に
万が一ここにアベックがいたら

問いたくなる、と。




<そもそもキミたちは、
 なぜデートでここに来たのか>


と。




それほどまでに

デートには
まったく適していない場。



それがまた、



<こどもの国>の特徴である。




まあ当然だ。

名前の通り

ここは


<こどもの国>である。






<こどもための
 こどもの国であり、

 こども以上でも以下でもなく、
 ここはこどもの国だから
 こどもの国なのだ>



という

絶対的なイズムが成立する、と。









*****









広さは、新宿御苑の倍近くになる。



来場者の


己が子に
"クン付け"&"チャン付け"する


例の
おたんこなすお父さんの

皆々様は、


もうお疲れさん的様相。


あまりに広く
あまりにも甚大に歩かされることと、


100%の
ターゲット・セグメンテーションで

for <コドモ>になっているからこそ、


己自身も
楽しみを見いだして楽しまなければ、

疲れたお父さんに
劣化してしまう危険性。




それらをも
如実に試される場でもある。






kodomo2.jpg








*****







しかし、そこにB級な
アトモスフィアを察知すれば

趣が変わってくる。




<なんだろう。各所で見かけるが…>


とダモシが問う。




問うたものは、

コドモ向けの公園とは
不釣り合いな

何やら怪しげな穴だったり
蔵のような存在。


意図的に
触れられぬように隠しているような
ダークサイドが、


各所で

ダモシの目を止めさせた。


おそらく
誰も目を向けないだろう。


林や森の中、

ときどき現れる

奇妙な穴や蔵。




さらに
誰でも通るところにある

不思議なトンネル。

そのトンネルの奇妙な
ダークサイド的世界観。





<隠匿したい歴史>

を感じさせる怪しげな
アトモスフィアが興味を煽る。





帰宅後、

気になって調べてみた。

するとこの地はもともと


<東京陸軍兵器補給廠田奈部隊/同填薬所>

だったという。






<こどもの国>は

1965年の
こどもの日にオープンしたから、

1966年3月生まれのダモシとは
同級生である。



そのときまでに
弾薬庫や部隊本部、弾薬を製造した施設
などが埋め立てられたり
したのだろう。


だが
弾薬庫やその換気口
などは
今もいくつかは姿を見せている。


弾薬を運んだトンネルも
そのまま
来場者の園内通路として
用いられている。



そういった背景があるから、


<コドモ>向けであり
完全ファミリー対象の公園
でありながら、


一抹の暗さを

見せているのであろう。




ダークサイドな一面が

各所で
ちらっと見える世界観は、


ここを
オトナ自身も
楽しむことができる

一つの要素になっているかと


感じたところである。



爆薬庫その他、

当時の施設で
現存しているものは、

おそらく
取材等のユーズであれば
中に入ることもできるのだろう。






女学生たちがこの地で
砲弾をつくる作業についた、と。

その記念碑も残っている。






kodomox1.jpg



エントランス時点で、

ダモシは
何となく、


ここが

<何かを抱えていた>ムードを感じた。


古くささとか
そういう次元ではなく、


ヒストリカルな何かを抱えている
という意味での


古さを

このエントランスで察した。






kodomox2.jpg




<こどもの国>は、

横浜市と東京都町田市を
包含する。


それだけ広いということだが、

そのパークの
ある意味でセンターともいえるのが

この
中央広場である。



ここにも
何となく違和感を覚えた。


奇妙な構造なのである。

立地はもとより、
そのポスチャーと広さの観念が、


意図的な何かを前提として
成り立っている気がしたのである。


エントランスを入って

まっすぐ歩いていくと

この広場が眼下に展開されるのだが、

その構造と位置関係は
明らかにおかしい。



おそらくここに

何かがあったのだろうことを

想像させる奇妙な空間である。







残念ながら
露出に失敗して
トンネル画像は残っていない。


しかし
主に二つある
誰もが通行路として経る
トンネルも

何かおかしい。




"何か"というフレーズで
処理するわけではなく、


使用せざるを得ないのである。



あのトンネルも

何か"変"だった。



未だ夏の今宵。

そのトンネルだけが

普通のトンネル以上に
奇妙に寒かった。










*****








だが、

それらは

あくまでも

オトナが
無理矢理持ち込む楽しみ方の

一つのフォーカスである。





ここは

何かを隠匿しているかもしれない

とはいいつつも、


都会っ子の
明るい嬌声が弾ける

ポジティヴな陽光空間である

ことは言うまでもない。





以下、

<こどもの国から、コンニチワ>景を。




顔は出ないが
ダモシ・ジュニアのアントニオも

各所に登場。






kodomo3.jpg



kodomo4.jpg




おたんこなす親が、

クン付け&チャン付けの
甘い声を出して
構わぬとも、


子供だけで遊ぶことができる
空間づくりは重要である。


遊ばせておけ。

いちいち関与して
クン付け&チャン付けするなよ



おたんこなす親どもには

言いたい。



その意味では、

要素を満たしている
こどもの国。






kodomo5.jpg



まだまだ夏の東京/横浜。


川に池に、水遊び場に
子供たちがハシャぐ。






kodomo6.jpg



ファミリー100%の様相。


一方で
"ちゃんと"
東京ディズニーランド的な喫煙スペース

があるのが、うれしい。


疲れたお父さん方
首都圏の鬼嫁の皆々様、

そしてダモシ。



遊び ときどき 喫煙。







kodomo12.jpg



kodomo11.jpg




"普通に"首都圏でも

動物や自然や
乳牛からのソフトクリームは、

もはや、ある。





kodomo10.jpg



どこかの国お得意の
豊かな緑や自然も、

高尾山ではないが、

もはや普通に都会にある。






kodomo9.jpg


歩くことはたいへんだが、

ファミリーが
一緒になって
一枚岩で歩く構図を育成する意味でも


かような
レクリエーション&レジャーは
マスト・イシューである。



今年の春に
10数年ぶりに出かけて
再発見した高尾山へも、


この秋に

ジュニアとワイフを伴って
行くつもりである。






kodomo8.jpg


フリーで
チョーク・ボックスがある。


メイン・コンコースの広場地面は
コドモたちが
チョークで描いたイラストや
メッセージで

埋め尽くされている。









最後に、

筏に乗るダモシとジュニア。


ダモシにとっては
ちっぽけな旅であるが、

彼にとっては
広い園内の広い池を
筏に乗って旅するという
冒険である。


マミーと離れて
怖いダディとの旅で、

泣きべそをかいて
不安げなジュニア。




ikada.jpg




善し悪しや方向、種類は別として、

いずれの親も

とくに父親は

己が子が
己の足で旅するまでは


強い船頭


であらねばならない。





船頭ダモシの場合、

船は何度も転覆するが

そのたびに死なずに甦ると同時に

常に新大陸発見への
航海を厭わない。




善し悪しは別として、


at least
ジュニアはその遺伝子を
受け継いでいることだけは


確かである。




根本は、

人に流されないことと
媚びないことと
おもねないことである。




もうすこし彼が月日を重ねたら、

まずは
<ハックルベリー・フィンの冒険>
<トム・ソーヤーの冒険>は


ダモシ自身が読んで聞かせたい。





男はいつまでも

スタンド・バイ・ミーである、と。




やはりこれは

男親と男の子供の関係だからこそ

成り立つものであろうが。












































posted by damoshi at 21:47| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月04日

<駒沢オリンピック公園>を歩く








R-246
そして、ダモシの<リアル本妻>たる
エリア・世田谷。

その中でも

本籍の上馬近隣で
乳幼児及び幼児ダモシが
度々訪れていた駒沢公園。

正式には、
駒沢オリンピック公園。


そこにダモシは
今年の五月に"帰った"。


時の
二代目ダモログに掲載した
<オトナの散歩〜駒沢オリンピック公園>
をrevisedした上で

再掲載する所存である。







*****





日比谷公園の約三倍
代々木公園にも御す広大なパークは、

周知の通り

ニッポンの敗戦からの復興と
高度経済成長へ向かう
ウルトラ・ビッグ・イベントだった

<東京五輪>

の舞台である。





ジュニアが
三歳時まで生まれ故郷の
ニューヨークで過ごしたに等しく、

三歳時まで
生まれ故郷たる本籍地の
世田谷・上馬にいたダモシは、

ウルトラの父が朝
オフィスに行く際に
いつも寂しくて泣いたという。


ウルトラの母は毎日のように
幼児ダモシを抱いて
環七を歩いて駒沢オリンピック公園に遊びに来たり、

ウルトラの父の帰宅出迎えをした

と。







その駒沢オリンピック公園へ
足を向けたのはいつ以来か。


正確な記憶はないが、

母校の応援で
高校野球の東・東京地区予選観戦で
駒沢球場へ来ている(1994年頃)ことと

バイクに乗って
ワイフとデートで来ている(同時期)ことを
記憶しているから、


ここは94年以来として、

今年の五月に
14年ぶりに
<本妻>の中の、さらに本丸へ
足を運んだ="帰った"わけである。








まずは公園内一部の俯瞰。



koma14.jpg



駒沢オリンピック公園の成り立ちを、

現地取材で得た情報をもとに
取り上げていくことから
この寄稿をはじめたい。






*****





駒沢オリンピック公園という
エリア一帯はその昔、
私有農地だった。

その後、ゴルフ場になる。



時に大正ロマンの1912年。


未だ東京は、<東京府>だった。



その頃のエリア住所区分記載は、
東京府荏原郡駒沢村深沢。


かつての"武蔵国"荏原郡の継承である。


その
武蔵の国の時代における
荏原郡を構成していたのは、

上馬引沢村
下馬引沢村
野沢村
世田谷新町
弦巻村



深沢村の合計6エリア。




それぞれは

現在でも

上馬
下馬
野沢
桜新町
弦巻
深沢


として

東京都世田谷区の主軸で
東急田園都市線とR-246ラインを
構成している。



最上部の上馬が
ダモシのホームである本籍地で、

深沢が
現在の世田谷区駒沢公園1-1たる住所を持つ
駒沢オリンピック公園
になっている


と。





その駒沢オリンピック公園。

土地賃貸料の高騰によって
ゴルフ場が移転した後を受けて、

東京都が買収。
都市計画法によって防空緑地と指定される。

一時期
国有地になるが、

戦後になって
ふたたび東京都の手に戻り
いよいよスポーツの場として
駒沢緑地総合運動場の設置が決まる。



この1949年の
駒沢緑地総合運動場の設置決定に関しては

背景がある。




戦争によって開催地返上の憂き目を浴びた
1940年の東京五輪における
メイン会場になっていたのが、

駒沢だったのである。



幻の東京五輪として知られる40年の夏季五輪は
この駒沢公園を
メイン会場として行われることになっていた。




そのヒストリーを経ての
49年の緑地総合運動場の設置決定だったのである。

同年
早速、国民体育大会の会場になる。


その後も
サブトラックや駒沢球場の完成を経て

58年にアジア競技大会の
バレーボールの舞台となり、


ついに59年、

<64年夏季五輪>開催地が
東京に決定するに至り

駒沢公園は第二会場に選出された。



五輪開催景気に沸く中
同年ふたたび国民体育大会を開催。

61年には
東京五輪での

・ホッケー
・バレーボール
・レスリング
・サッカー

4競技6会場での

駒沢公園採用が決定。





その年の9月の
オリンピック施設の起工式と
三年後のその竣工式を通過して、



いよいよ

1964年10月、

東京五輪が開幕する。





以降、

東京都世田谷区深沢という住所区分から

同・駒沢公園1-1という
特殊表記の現在に至るまでの45年弱、


スポーツの総合公園としてだけではなく

都民及び区民憩いの名スポットとして
親しまれている。



それが駒沢オリンピック公園の

Who we areである。







*****





64年の東京五輪。

ダモシが生まれる
一年五ヶ月前に開催された。

ダモシが生まれて
この地に住んでいた67年には

ユニバーシアード大会も
駒沢で開催されている。



しかしながら
既に東京五輪の熱狂は
経産界に波及していたことで、


世のお父さんは
サラリーマン全盛時代、

お母さんと幼児は駒沢公園をお散歩

という

ある意味で
昭和の絶頂期の一時期にあったことで、

駒沢オリンピック公園は
ダモシがこの地にいた頃から
スポーツの
激しい闘いの場というよりも、

散歩と憩いの場となっていた。





その様相は現在も変わらず、

もとより
競技場では学生スポーツが盛んに
行われているが、

公園全体は
ファミリーやアベックが

静かに過ごしたり

キャッチボールや
壁打ちテニスをしたりする

都会のオアシスとして成立すると同時に、

ロケーション的にも抜群ゆえに

ドラマなどの
舞台としても度々登場することでも
知られている。









今宵は当欄にて

駒沢オリンピック公園の雑感に加えて

東京五輪の舞台を
ちらっと辿ってみたい。







*****






東京五輪といえば

ウェイトリフティングやレスリング
柔道など

ニッポン絡みで大いに沸いたが、

もっとも
ニッポン国民を熱狂させたものの
代表格といえば

<東洋の魔女>で金メダルを獲得した
女子バレーボールであろう。




その会場が、
"屋内球技場"という
レアな名前のファシリティである。


koma9.jpg




なぜ"屋内球技場"なのか。
なぜ"体育館"ではないのか。


未だ東京五輪開催が決定する前。
第三回アジア競技大会の会場となった
駒沢公園ではバレーボールが行われた。

そのバレーボール会場は
屋外施設として
試合用コートが二面あった、と。


ボール・ゲーム(球技)を行う
スポットが屋外にもあったため
わざわざここを
"屋内"と謳う球技場としたらしい。





いずれにせよ

正式名称としての
駒沢オリンピック公園屋内球技場
(当時:駒沢バレー・コート)で
行われた



東京五輪女子バレーボール決勝の
日本vs.ソ連(当時)で

文字通り
ニッポン中熱狂の渦でテレビ視聴率も
70%弱に及ぶ中、

<東洋の魔女>は勝利して、
金メダルを獲得したわけである。





*****





江戸城の
日本武道館で行われた伝家の宝刀・柔道では、

メインイベントの
無差別級で神永が
アントン・ヘーシンク
(後にプロレスラー)に苦杯をなめて

ニッポンは事実上、破れた。



格闘技の五輪競技で
ニッポンの当時のお家芸といえば
レスリング。


駒沢体育館がその舞台だった。


日本レスリング史上
フェザー級最強ともいわれる渡辺長武以下、
上武洋次郎、市口政光、吉田義勝、花原勉
の合計5人が金メダルに輝いた。

日本レスリング界が
1大会で5つの金メダルを獲得したケースは
この東京五輪しかない。


今や世界最強といわれる
日本女子レスリング陣でさえ

アテネ五輪での
吉田沙保里と伊調馨の2つだけだった。




その体育館が、これだ。


koma5.jpg




この体育館は外側を一周して見てみたい。
建築美が見事である。

時代なのか分からぬが、
60年代的建築デザインの妙が
発揮されている。

さながらそれは
ジョン・F・ケネディ空港の
エーロ・サーリネンの歴史に残る名建築
<第五ターミナル>を想起させる。


あの
今は亡きTWA(トランス・ワールド航空)の
メイン・ターミナルだった第五。

ダモシの好きなジェットブルーの
ターミナルとして生まれ変わる
ニューヨークの指定歴史建造物。

その美しいフォルムを想起させるのが
この駒沢体育館である。

ここは一見のヴァリューが高い。


koma22.jpg







*****





東京五輪の際に
サッカー会場として使用されたのが、
駒沢陸上競技場。

幻の40年東京五輪のメイン・スタジアム。



koma11.jpg


いま見ても、見事なポスチャー。


もちろん現役で、
高校サッカー全国大会から
学生の陸上競技会まで数多く
ゲームが行われている。

東京五輪での日本サッカーは奮わず。
金メダルはハンガリー。




koma7.jpg


メイン・スタジアム前で
陸上競技会へ臨む直前練習をする学生。







*****





メイン・スタジアム(陸上競技場)
屋内球技場
体育館

と共に

東京五輪の名残を留める存在が、
管制塔と聖火台。



冒頭にも管制塔は映っている。


koma24.jpg


このタワーがそれだ。
名称は、東京五輪記念塔。


五輪期間中はライトアップされ、
このタワーの下にある
聖火台に灯がともっていたようである。

見たかった。




このタワーを最端のセンターにして

右手にメイン・スタジアム
左手に体育館

ずっと向こう正面に屋内球技場

という

バランス性豊かな配置。


それぞれの競技場の建築美と
この配置を加えた
駒沢公園全体のポスチャーは、

都市景観を考えると
見事といえる。



とかく競技施設やビルヂングが
目立ちがちの
現代建築と都市計画とは雲泥の差で、

広場としての空間こそが主役という
ポリシーがあったと想像される構成である。

規模に相反して
メイン・スタジアムも体育館も
屋内球技場も

いずれも背が低い。


そして、広場が文字通り"広い場所"となっている。




当時、
絶妙なるストラテジーをもってしての
オリンピック公園の建設と整備が
施されたことを伺うことができる。



こういったポスチャーと構成ゆえに

現在にあっても
より一層の区民の憩いの広場として
存在していられるとも思えるのだ。



それもそのはず

ニッポンでも
都市景観への意識では先駆者的な
芦原義信氏が駒沢公園には関わっている
(体育館の建築デザインを担当)。


koma6.jpg


芦原氏デザインの体育館と
記念塔の構図。


これを右へ視点を移動させれば、



koma13.jpg


メイン・スタジアム。





いずれも

"広場感"を損なわない建築構成。


エリアに漂うアトモスフィアは、
赤の広場か天安門広場か

はたまた
サン・ピエトロ広場か。




このスペースは
東京で何か起こった場合の
都民の避難場所の一つとして重要性を
発揮するであろうと感じる。




そして聖火台。



koma25.jpg






*****





その他、

当欄では紹介していないが

弓道場や
東京五輪ホッケー会場となった屋外球技場、

プール、野球場などから
サッカー専用グラウンドまで
数多くの運動施設が存在している
駒沢オリンピック公園。



東京都は今、

周知の通り2016年夏季五輪へ
開催地立候補している。








都民には異論反論オブジェクション
多々あろう。

ダモシは<ネガティブ>である。



あのときの東京五輪。

ダモシは未だ生まれていないが
その時代考証は後からでもこうして
出来るし、先人の話も聞くことができる。


あの時代の
ニッポンという国が目指していた
明確なヴィジョン
<復興>と<先進国への邁進>、

<皆で頑張ってハッピーになるのだ>
という熱を背景として、

それを後押しする
勢いを決定づけるための景気付けとしての五輪

という
徹底的に明確なモチベーションの存在。





しかし今のニッポンと東京には、
それはない。

夢もない。

ただただ
大都会とローカルのそれに始まる
数多くの格差と
弱者イジメのこの現代ニッポンの
アグリーな姿があるだけだ。


そのニッポンの首都・東京で
ふたたび五輪を開催する意義と
徹底的で明確なモチベーションを
見いだすことは出来ないし感じられない。

ゆえの<ネガティブ>である。


<景気づけ>なのであれば、

何のための
誰のための
どんな
<景気づけ>なのか。

そのあたりが
現代トーキョーには必然性が見られない。



かといって、

もはや死に体の
"北"の某のような国や
ニッポンのローカルで
それをやってしまっては

自決を促すようなものである。


死に体には至っていない
ニッポンのローカル"都市"でさえ
五輪を受け入れる器も夢も
もはやない上に、

その大義名分が、ない。



トータル的に見て

ニッポン及び東京での五輪開催は
現時点では意味はない。





だが一方で
己が知事としての
デシジョン・メイカー或いは

"それを実施した"という
栄光と名誉が欲しい場合は、

"人間欲"として
東京五輪をブチ上げたくなる
気持ちも理解できなくはない。

それはそれで良い。
そういう自己顕示欲は、
ある意味で存在してしかるべきである。
特にリーダーであればなおさらだ。

あくまでもダモシが
2016年東京五輪に
"反対"ではなく<ネガティブ>な理由は
そこにある。



仮にやるなら、
もっとマシな理由づけをしてはいかがか
ということである。


手元に
駒沢オリンピック公園で入手した
<2016年東京五輪開催基本計画>
という資料がある。



そもそもダモシ理論では、

なぜ
ニッポンの代表国際空港を
成田になどせずに

羽田あるいは
臨海副都心(台場含む)にしなかったのか
と昔から感じている上に

当欄にも何度か記載したが、


この2016年東京五輪基本計画では

あろうことか
この臨海副都心が
競技会場数でいえばメインとなっている。


"東京都"の失態=臨海副都心計画の失敗を
またここで取り返そうとしているのか、と。


ある意味で過密化して
スペースのない東京では、
"ここしかない"=臨海副都心
といった世界観が垣間みられるわけである。

これではまたぞろ
例のCX某がハシャぐことが目に見えている。



東京五輪ならぬ
臨海地区五輪あるいは隔離五輪とでも
名づけてはいかがか、と。



選手村を筆頭に
"そこ"へ集約させる理由は
反対派
(都心に人が溢れることでの
 通勤などビジネス面でのマイナスや
 通勤通学における心身疲労の増加等)
封じ込めともいえる。




要するに

"あっち"に集約させれば
その面での混乱も緩和できるだろう
という読みがあるのだと推測できるわけである。



ほとほと
<五輪開催>よりも

リアルな意味での
<東京国際空港を臨海副都心に>する方が

対世界という意味でも
対国内においても

多大なるメリットを得られるという意味では
エッジにあると思うのは

ダモシだけか?

と。




関空がどうの、伊丹がどうの以前に、

ニッポンの首都・東京に
リアルな意味での代表的国際空港を
整備する

ことの方が重要である。


極論すれば
羽田あるいは臨海副都心に
日本国際空港たる
リアル東京国際空港を整備し直す

ということである。




世界の先進諸国の大都市における
ゲートウェイである
<国際空港>が

ニッポン(東京)ほど
"アホみたいに"遠く
不便で、アグリーなロケーションはない。


ニッポンが、

もはや古くさい言葉だが
<国際化>のリアルな部分で
波に乗り切れない要因の最たるものの
ひとつとして

ダモシは
<東京の国際空港(成田)のロケーションの悪さ>
を厳しく挙げている。


昔から、である。


未だに納得していないのである。

忌憚なく、<なぜ成田なのかっ!>と。
おかしいですから、本当に。



まあ、いい。
主題は異なる。

この件はまたいつか問いたい。






長くなった寄稿だが、

最終章として
雑感をお届けしたい。






*****






駒沢公園といえば、犬。


公園に限らず
このエリアは犬と同伴入店可能なレストランや
ペットショップなどが多く点在する。
ドッグ天国が駒沢公園でもある。


もとより
田園都市沿線は、

たとえば
賃貸物件であっても
ペット可物件が多い。

その点でも

沿線が
犬や猫を主軸とするペット好きが
多く暮らしているエリアの一つ

と見ることはできよう。





よって駒沢公園も
犬のお散歩が満載。

犬好きな人々のサロンでもある。




koma17.jpg


koma21.jpg



しかしそれにしても皆々様。

世田谷のこのエリアに住み、
犬まで飼っているとあれば
かなりの富裕層。

さぞかし優雅な日々を過ごしているのであろう。





koma8.jpg


メイン・スタジアムのある
"サン・ピエトロ広場"と
屋内球技場を結ぶ歩道橋の上から見た

駒沢通り。
直進して右へ向かえばやがて自由が丘。
直進を続ければ恵比寿。





koma27.jpg


東急田園都市線(東京メトロ半蔵門線乗り入れ)
の駒沢大学駅を出ると、Route-246。

R-246から
駒沢公園へ向かうタテのラインが、
R-426。その交差点は、<駒沢大学前>。

これを左へ五分ほど進めば駒沢公園となる。









雑感フォト最後は、
聖火台のある水辺の前に佇むアベック。

最初に発見したときは
ノミをとるサルかと見紛うた。



koma4.jpg


厳しい言い方だが、

公衆の面前でこういうことをするから
"そういうこと"を言われるわけである。

いずれか一人暮らしの
アパートメント室内でやりたまえ。

さもなくば
夜のブロンクスでやってみたまえ、と。




東京名物"バカップル"を見てしまった
その口直しに、


ダモシは、いつものように花を愛でた。


駒沢オリンピック公園の花<景>で
締めくくりたい。







ファン・ゴッホよ、来てくれ。

バカップルを説教しておくれ、と。



koma3.jpg


koma23.jpg



koma2.jpg



koma20.jpg


koma30.jpg















posted by damoshi at 23:47| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

<ニーヨンロクでキスをした>-1








朝からの
オフィシャル案件を終えて
東京に戻るべく
千歳空港に到着したところである。


何とまあ、
最後の札幌も
今度はディパーチャー時にも

バスでの移動と共に
<タラップ登り>をダモシは
強要されるようである。



<タラップ降り>&<タラップ登り>も

これが最後であることを
強く希望する。






カテゴリー<ニーヨンロク>では、

一般ゼネラルでいうところの
"国道246号線"を考察していくが、


そのシリーズ第一弾シリーズとして

<ニーヨンロクでキスをした>

がスタートする次第である。









*****








まずはその意図と意味を簡単に。


ニューヨーク時代に
ニッポンの後輩が送ってくれた
テレビドラマ。


その中で
中山美穂演じるエディターと
豊川悦司演じる作家の
ラブ・ストーリーがあった。


ある晩、

中山美穂は同僚の男性と
酔った勢いでキスをする。

翌日、
作家の自宅を訪れた中山は
作家にその顛末を語る。



<昨日、246の歩道橋でキスをしました>


と。




すると豊川悦司が言う。



<246といっても
 ブルックス・ブラザースの前もあれば
 ○○○の辺りもそうだし、
 ○○○○もそうだろ>


と。



つまり、

中山の頭の中には
ニーヨンロクといえば

(大枠での)<青山>という
認識があって、

他の人もそうだろうから、

青山エリアのメイン・ストリートにある
歩道橋でキスをしたのだが、

それを一気に
<ニーヨンロクの歩道橋>と言ったとしても

きっと理解されるだろう

と踏んだわけである。




だが、実際には

<ニーヨンロク>と言って
青山を思い浮かべる人ばかりではないだろうよ

というのが

豊川のロジックである。






ただ、

<ニーヨンロク>という

ある意味で一つの台詞の主体となるほどに
246は

国道の中でも
最筆頭格なカルチュラル・アイコンである

ということを物語っていることは

そのドラマの例でも理解できよう。




ニューヨークでいうところの

<フィフス・アヴェニュー>(五番街)

<ブロードウェイ>

あるいは
<マディソン・アヴェニュー>

などと


<ニーヨンロク>は、


ストリートであるにも関わらず
その名称だけで
アイコンたる


存在

といえるわけである。



それは

同じ東京でも
甲州街道ではそうならず、

同じニューヨークでも
ウッドヘブン・ブルーヴァードでは
そうならないのと同じである。







シリーズ

<ニーヨンロクでキスをした>は、

そのドラマのやりとりを基軸に、

では
それぞれ人々は

<ニーヨンロク>といえば
どこを、どのエリアを、どのあたりを
想起するのだろうか?


ということをテーマにした考察シリーズ


である。




平行して

<ダモシとニーヨンロクの想い出>

も各所ごとに掲載していきつつ、


<ニーヨンロク>絡みの店やスポットも
このカテゴリーで紹介していくという

流れとなる。









*****








<ニーヨンロクでキスをした>シリーズ:1。



後輩Aから。


彼は度々当欄に登場する
ダモシと同じ
世田谷ネイティブであり、

いわば

ニーヨンロクとの関係性は

<ど真ん中>にある人間である。





他の人もそうだが、

基本的に
ニーヨンロクといえば
真っ先に浮かぶ場所を、

一カ所もしくは
多くても二カ所に絞って頂いている。





後輩Aにとってのニーヨンロクとは、どこか。




<上馬交差点が真っ先に浮かびますね。
 環七との交差です。

 タクシー乗車時の目標だったり。

 送って貰う時はあそこで下りるわけで。

 ダモさんにも歌舞伎町時代、
 何度か送って貰いましたね。


 あとは青山通りだなあ。

 神宮帰りに歩いて、
 渋谷は未だに定番です。

 広告の想い出もあるし(^O^)>





ということである。


これをダモシが補足していく。






彼が挙げた最初は、

<上馬交差点>。



これはダモシ本籍たる
<リアル本妻>。



彼の実家も同様。

東京の環状線の中軸の一角である
<環七(カンナナ)>と
ニーヨンロクが交差する地点である。




歌舞伎町時代の広告会社で
ダモシの後にルーキーで入団した彼とは
同じセクションで
度々仕事でタッグを組んだ。

当時はバブル。
深夜まで仕事や遊びは当たり前。

酒を飲んでも車で帰るのも当たり前の時代。


ダモシの当時のダモーヴァは
度々、彼や他の後輩を自宅まで送り届けた。



当時のダモシは世田谷・上北沢(甲州街道)居住。

渋谷・六本木方面から
ニーヨンロクをぶっ飛ばして
上馬交差点で彼をおろしてから、

環七をまたぶっ飛ばして
上北沢へ戻った。






彼が選択した後者は、

大枠でのエリア青山。

中山美穂が語ったのと同じ青山である。




<ニーヨンロク>の"場所"をイメージさせるとき、

想像するだけにおいては
おそらく<青山>と回答する人が
多いであろうエリア。


それが青山である。



且つ、

青山エリアのニーヨンロクは別名
<青山通り>となる。


<青山通り>は
ニーヨンロクの起点となる
三宅坂も含むが、


これもイメージの問題だが、


<青山通り>といえば、

要するに
ブルックス・ブラザースや
ウドー音楽事務所、神宮外苑、
表参道、青山学院

などなどの

いわゆる青山エリアを想起させる。



赤坂も<青山通り>ではあるが、
赤坂や三宅坂までに至れば
その色はイメージ的に薄くなる。



要するに外苑あたりの
<キラー通り>レベルから

青山学院などを通過して

世田谷エリアとの
分水嶺となる
渋谷駅前の交差点大歩道橋までを


<下ってくる>世界観のエリアが


<青山通り>の
イメージとしての括りとなろうか。





後輩Aが選択した<青山通り>も
その世界観に入る。



彼が言っていた広告。


これも鮮明に記憶している。




彼のクライアントの
レコード会社の広告を、

<青山通り>の中でも
比較的高さのあるビルヂングの壁から
懸垂幕のように
巨大広告をぶら下げようという
企画であった。



制作が終了して、いよいよ設置。



ダモシは同行して現場立ち会いした。


共に
ビルヂングの屋上に登り
作業をしてくれるプロの技を見ていた。



そして設置が完了して、

ふたりで<青山通り>に降りて
ストリートから
そのビルヂングを見上げて


二人は悦に入った、と。



<無事に完了したな>と。









*****






といったところで、


まずは後輩Aにとっての
<ニーヨンロク>。


それは



■環七と交差する上馬交差点

■(大枠での)青山通り



となる。


むろん後者には
<青山通り>のどこか

という考察も残るが。








:::::






2466.jpg



246で、
<青山通り>エリアと
<世田谷>エリアの分水嶺となる

渋谷駅前交差点。
大歩道橋がある。

この写真で正面真っすぐ進めば
六本木へ向かう<六本木通り>、

JRの線路を越えて
さらにある大歩道橋を過ぎてから
左斜めに旋回していけば
<青山通り>となる。




2462.jpg


線路を越えてからある大歩道橋から
渋谷駅側を見る。

高架になっている部分が
東急東横線のホームである。




2461.jpg


逆側を見るとこうなる。

真っすぐの道が<六本木通り>。
上を首都高速が走る。

首都高速は
渋谷駅方面へ進めば
やがて東名高速になる。


写真で
左斜めへ進めば<青山通り>の
本丸へ入っていく。





2465.jpg


最初の分水嶺写真の逆側を望む。

これが
246が
三軒茶屋や上馬、駒沢大学前、用賀
などの<世田谷エリア>へ向かう
ストリートとなる。


さらに進めば二子玉川、

多摩川を越えてさらに進めば
<田園都市エリア>となる。






2463.jpg


今や
<青山通り>エリアに近い
246側からも

駅に入ることができるようになった。

副都心線が出来たからだ。





2464.jpg



とりわけ
田園都市線へのアクセスはスムーズになった。





















posted by damoshi at 12:39| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月29日

ALWAYS ニーヨンロクの夕日








今宵も暑いR-246。


ミーティングを終えて
田園都市線にて帰路につく車中、

最北端の
"すごい夕陽"とは種類が異なるが、

西方には
これもまた
"すごい夕景"が広がっていたのでパチリ。




<リアル本妻>復帰後、

毎日のように
この"すごい夕景"が広がっている。




拙宅アパートメントの
ノース・ウエストサイドの窓からは、

東京の八王子、日野、高尾と
遠く山梨の山々まで。


ダモシの仕事場兼個室がある側である。




サウス・イーストサイドと
サウス・ウエストサイドが

リビングと寝室のある側で、

R-246である。




後者の喧噪、

前者の
高台と広く遠くまで見渡せる視界

が、

それぞれ
ダモシのマインドを満足させる。




いずれのフォーカスも、

<ALWAYS ニーヨンロクの夕日>。







246yuhi1.jpg






明日は早朝から、一泊での札幌遠征である。

いわゆる"野暮用"があるためだ。


無事に
<現地妻>との関係の
最終清算を終えて、



"恨みっこなしで 別れましょうよ♪"

の世界観でノーサイド

となることが

双方にとっての

<Win-Win Situation>になる。





今後は

あらゆる関係は、

<Win-Win Situation>をゴールとする

<Win-Win Strategy>を基盤とすることが、



破綻目前のニッポンにおける


<個人>の旗を揚げる部分と
他者との関係性強化においては、


重要になってくるであろう。




要するに、


"大"なる組織への従属とは異なる世界観での

"No longer, belong to イズム"

を基軸とする、



仲間や信頼できる他者との


意思のチーム
意思の組合
意思のタッグ


である。








とにかく、

明日の札幌遠征。



これはもう、ダモシ・マイセルフで

<よりによって(エア)落ちないでくれよ>

と願い、


無事に今回の旅
<現地妻・清算一泊旅行>から

R-246に戻ってこられることを
激烈に願うところである。





ダモシにとってはもはや

昨春から先般の脱北までの
札幌との関係は、


十年〜二十年前のことのように
遠い昔の感覚である。




ニューヨークは

未だ昨日のことのようであるにもかかわらず…。





Anyway,


キレイに別離しようぜ、と。



さもなくば、何も始まらないよ、と。







最後に

まあ時間が追いつけばの話ではあるが、


あの

ポプラ並木と時計台だけは

写真に収めてこよう

と感じているところでもある。














posted by damoshi at 00:20| ニーヨンロク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。