2008年09月14日

<2001.9.11>復刻コンテンツ5編







当欄のカテゴリー
<2001.9.11>への


復刻コンテンツで
未掲載のものをまとめた。



以下である。




<ダモシ、怒るの図>

http://www.246damoshi.com/wtcdamoshiokoru.html



事件から数日後に描かれて
当時の
ダモシ公式サイトに掲載された、


イラストレーターによる
ダモシ怒るの図。






<事件から三日後の現場取材記>


http://www.246damoshi.com/wtcgenba.html


9.11から三日後に
現場へ出向いたダモシ&ワイフ。






<ワールド・トレード・センターが
 在った頃>


http://www.246damoshi.com/wtcremains.html



ダモシ秘蔵写真掲載による、

未だ
WTCが在った時代の風景写真と
ニューヨーク。






<WTCサイト/ガイド>


http://www.246damoshi.com/wtcsite.html

WTCがあった跡地を
訪れるためのガイド。





<WTC/ホテルのバー>


http://www.246damoshi.com/wtcbar.html


雑誌連載記事の
「ニューヨーク、ホテルのバー」
から、

9.11絡みのキタノ・ホテルを。








以上である。














posted by damoshi at 14:17| 2001.9.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

<ピアザの地熱>をめぐる








カテゴリー<2001.9.11>に、


当時の
9.11絡みのコンテンツから
新規掲載、復刻をしているが

既に
復刻されている

<最高のベースボール>で
触れている



<ピアザの地熱>に関しては、

代々の
ダモシ公式サイト及び
ダモログ読者の方であれば
既に読んだ経験があると存じるが、


そうではない読者にとっては

それ自体が
何のことか分からない
というケースがあろう。




当欄に

<ピアザの地熱>を

復刻掲載する所存である。


雑誌のページを
スキャンすることも考えられるが、

サイズ的に難しいため、

ここは
若干の加筆の上で

当欄にそのまま新規掲載する
次第である。




現物の写真画像も加える。






以下、

復刻及び若干の加筆での

<ピアザの地熱>。









:::::





2003年3月。

角川書店
<メジャーリーグ・
 オフィシャル・ガイドブック>掲載。





ベースボール・コラム9編の中の
一編

<ピアザの地熱>。








スポーツにおいて、
観る者たちが受ける感動には
二種類ある。


「予期せぬ感動」と
「予定調和的感動」。


前者は
その時の状況や背景、舞台と
パフォーマーの
純然たるパフォーマンスが
不意に
見事なまでにスイングし、
エモーショナルなシーンが
重なった時に発生。

それを予期していなかった
我々の胸を打つ。



後者は
例えば引退試合やラストマッチ、
決勝戦など
あらかじめ感動すべく状況と背景が
用意されているものだ。

その場合
観る者は「感動したい」「感動するぞ」
という明確な意志を持って
その場に臨むから、

パフォーマーとのベクトルが
合致する。

だがしかし、
そこでは観る者それぞれの
経験値の範疇を超える
感動は得られない。




2001年9月21日。

シェイ・スタジアムで行われた
ニューヨーク・メッツvs.
アトランタ・ブレーブスのゲームが、

「予期せぬ感動」に包まれた
一つである。


何となく
「凄いことになりそうだな」
という胸騒ぎはあったが、
実際にその場になって様々な要素が
激しく絡み合い、

何かに誘われるように
「予期せぬ感動」の世界へと
引き込まれていった。

スタジアムが確かに揺れる瞬間を感じる。

そんな感動を得られることは
数少ない。






*****






マイク・ピアザは
不思議なプレイヤーだ。


マイク・シュミットを
ロール・モデルとしたピアザ少年は
のちに、

最後の四割打者
テッド・ウィリアムズから
打撃指導を受けた。

メジャー入りして新人王。

野茂英雄のデビュー時には
女房役として、

またドジャースの主砲として
君臨し、

日本での知名度も高い。



キャリア11シーズンでの
通算打率は3割2分1厘と
超一流レベル。

既に347本のアーチもかけている。

ドジャースからメッツへ
移籍した後も、
主砲として何ら問題ない活躍をしている。




しかし
ピアザには何かもう一つ
物足りなさを感じていた。


要するにエモーションが
足りないのである。


過不足のない彼の成績からは、
沸き立つようなパッションと
コンペティティブ・スピリットたる
闘争心が伝わってこない。


そういった、
人生や己の生き方を投影するような
「何か」が、

彼の佇まいからは見受けられないのである。




それは
ピアザ独特の、

「トロン」とした顔つきの
せいかもしれないし、

また
その顔つきゆえに
"ゲイ"疑惑が持ち上がったりもした
ニュース性。


わざわざ昔のガールフレンドに
「彼はゲイではない」と
証明されるのも情けないし、

ロジャー・クレメンスに
頭部にぶつけられた因縁を持ちながらも、
リベンジどころか
逆にワールド・シリーズの大舞台で
折れたバットを投げつけられて
ドヤされる始末。


クレメンスに圧倒されるピアザを見て、
「何てチキンな男だろうか」
と思ったものである。





それでも
人気はピカイチ。

オールスターのファン投票でも
毎年大量得票で選ばれる。




理解できなかった。

何ゆえの
ピアザ人気なのか、と。







*****







しかしピアザはあの夜、

そんな否定的な見解を
一気にぶち壊す

驚嘆のパフォーマンスを
披露すると同時に、

ピアザの何たるかを
眼前に示したのである。



それが
2001年9月21日、
シェイ・スタジアムでの
メッツvs.ブレーブス戦である。








世界貿易センター・ビルなどを襲った
同時多発テロが起こった
9.11から十日後のその日の試合は、


テロ事件以来
はじめてニューヨークに
ベースボールが戻ってきたという、

重要な位置づけを持っていた。


その意味では、
あらかじめ
「何かあるぞ」という期待感が
充満していたのは間違いない。





もう一つこの試合を
重要たらしめた要因は、

ナ・リーグ東地区の優勝争いである。


夏も終わりかけた8月17日の時点で
メッツは、
既に自身のシーズンを終えかかっていた。




首位アトランタ・ブレーブスの
後塵を拝すこと13.5ゲーム差の三位。

しかも借金14。


もう終わった、
フォーカスは来シーズンへ

と思われても
不思議ではない状況にあった。



ところが
8月18日からメッツは
突然快進撃をはじめる。


テロによる中断を挟んでの
復帰後も勝ち続け、

この日の試合を迎える段階では、
貯金1で
アトランタとの差を5.5まで
縮めていた。




8月17日以来、
メッツは何と20勝5敗と
驚異的な強さで
追い上げてきていたのである。


そんな様々な要素を抱えた状況下で、

エモーショナル全開で
いよいよニューヨークに戻ってきての

憎きアトランタとの
直接対決


となったわけだ。







*****







ダイアナ・ロスが
<God Bless America>を唄うと、

スタジアムを埋めた
四万人強の大観衆が、

"USA! USA!"の大合唱。

振られる星条旗。


ジュリアーニNY市長(当時)や
NYPD(NY市警)、
FDNY(NY市消防局)など
救助活動の英雄たちが
グラウンドに姿を現すと、

怒濤の大歓声が
津波のようにうねりを上げた。




既に試合前から

"デキ上がって"いたのである。






試合もまた凄かった。

これぞ緊張感のある
シビアで痺れるディフェンシヴ・マッチ。


緊迫の投手戦。
1-1のまま七回へ。

アトランタ、七回表に勝ち越す。
静まり返るスタジアム。



一点リードされた
重苦しいムードの中で
迎えた
セブンス・イニング・ストレッチ。


すべてのネガティヴな
アトモスフィアを

一気に取っ払うパワーとオーラは、

ライザ・ミネリ。



ライザ・ミネリは
若い頃と変わらぬ屈託のない明るさで、


<New York, New York>を熱唱。


市長も警察官も消防隊員も
四万大観衆も

総立ちで合唱。




そして

総立ちのままに

試合は七回裏に突入。



何かが起こるアトモスフィアが
セブンス・イニング・ストレッチで
生まれ得た。



ここで
ランナーを一人出したメッツ。

一発出れば、逆転。


迎えるバッターは、

もう
これ以上の存在はいない

マイク・ピアザ。



かような
社会背景と
経過とシチュエーションで

ピアザが打席に向かう
その姿だけで、


泣き出し喚く女性。

祈りを込めて
総立ちの
四万人の大絶叫。




この不意に訪れた
絶好のエモーショナルな状況で、

ピアザはバットを振った。


ピアザのバットから
放たれた打球は、

一直線に

もの凄い弾道で
バックスクリーンのど真ん中に
飛び込んでいった。


逆転の2ラン・ホームラン。

メッツ、
七回裏に3-2と逆転。


この瞬間、
たしかにスタジアムは揺れた。







*****






この
予期せぬ感動の渦中で、


ピアザの地熱を感じていた。


ピアザが火山だとすると、
その原因の源となる
マグマの熱が地熱だ。

それをヒシヒシと感じたのである。


ピアザは点光源だったのだ。




ここぞという場面で打つのが
ピアザである


と気づいた。



それは光を放射する
点とみなされる源のみが持ち得る
強運であり、

それを引き寄せるのが


地熱の強さである。








*****








2002年8月17日。

同じくシェイ・スタジアム。


ピアザは
あれから一年ぶりに、

その隠された地熱を見せつけた。


ドジャースのサウスポー、
ペレスの

完全試合達成の野望が

オルドーニャスへの四球で
途切れた直後、


「まだノーヒッターがあるぞ」

と興奮する
満員の観客の目の前で、


ピアザは
あの時と同じ鋭い弾道と
もの凄い速度で、

ボールをレフト・スタンドへ
叩き込んだ。


ノーヒッターを砕く一発。

総立ちで狂喜する観客の中で

見てはいけないものを
見てしまった恐怖感で

身体が震えた。







人々に

予期せぬ感動と
経験値を超える感動を与えるのは、



ピアザの持つ地熱の強さの
なせる業である。



それゆえの
ピアザ人気なのだ

と気づいたのだ。









:::::







以上である。



これを踏まえて

先般復刻掲載したのが、




<最高のベースボール。
 そのゲームは
 いかにして起こり得たか>


である。




http://www.246damoshi.com/wtcgreatgame.html










mlbb.jpg



これが
メジャーリーグ・ベースボール機構
(本部ニューヨーク)の

エクスクルーシヴを得て
編集制作発行した


<メジャーリーグ・
 オフィシャル・ガイドブック>。




手もとに

残り少ないが四冊ある。


大事な宝物だ。



記事執筆から
エディトリアル、クリエイティヴまで

ダモシが編集総括をした。



ニューヨーク時代の

仲間と残した
貴重な仕事上の財産の一つ。








piazza.jpg



<ピアザの地熱>ページ。



ニッポンの"ダチ"や後輩にも

参画してもらった仕事だ。



"ダチ"にはイラストを

後輩には
主に松井秀喜の
ニッポン時代のデータ収集&分析、
記事執筆を依頼した。



彼らの手もとにも
この本はあるだろう。







ピアザは、引退。


そして

シェイ・スタジアムも

消滅するまで
あと一か月を切った。



ダモシも今はニューヨークにいない。





時代はめぐる。人もモノも動く。




だが

あの日のあの瞬間のことは

永遠に消えない。




あの試合もまた

9.11絡みの

永遠に消えない



<移動祝祭日>である。




















posted by damoshi at 13:59| 2001.9.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

9.11スペシャル面掲載告示/ダモシ新公式サイトの告示








ダモシの公式サイトは、1999年から始まった。



当初の
フリー・ウェブスペースでの
暫定稼働から、


ダモシ・ネット(damoshi.net)
ダモシ・オーアールジー(damoshi.org)


そして
ダモシ・ドットコム(damoshi.com)


と続いてきた。



新たにダモシの
公式サイトとなるのが、



http://www.246damoshi.com/


である。



どのような構成と内容にするのか。

そのあたりは
検討中であるが、


これまでとは
異なる様相で展開する予定である。





正式オープンの時点でまた
告示するが、

まずは
アドレスをお知らせする所存である。




ダモシの仲間もファンも

そして
敵も。


それぞれの用途とマインドで

憩いのひとときを
過ごして頂けると

幸いに存じているところである。



虚実皮膜の
"読み取り"要素をちりばめる

世界観は、

これまで同様に
内包する要素であることは


ノーダウトであらう。









<2001.9.11>。



ニューヨークの人とも
やりとりしたが、


いずれも

昨日のことのように

実感として
残り続けるものである。




当欄でもカテゴリーとして

暫時掲載は続けるが、

当時掲載したものを
復刻として

新しい前記のドメインに

以下を搭載した。






<2006.9.11>
五周年の追悼式典/現場レポート


http://www.246damoshi.com/91106.html




<その日の、
 美人女性記者による
 ダモシ・インタビュー>


http://www.246damoshi.com/dninterview.html





<最高のベースボール。
 そのゲームは、
 いかにして起こり得たか>

2001.9.21
ニューヨークのシェイ・スタジアム。


http://www.246damoshi.com/wtcgreatgame.html








以下、適宜復刻。



























posted by damoshi at 01:14| 2001.9.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

ダモシの2001年9月9日から9月11日:時系列








ニューヨークでの日々において
欠かすことのできないものとして、
2001年9月11日はある。



最後、<愛人>に昇華した
ニューヨーク。

ダモシにとって
ニューヨークに対して
もともと存在していた強烈なマインドに、

愛情ではなく

愛が加わり
さらに強固なものとなった起点でもある。

男女は
有事に共にいることで
愛が芽生えるというが、

9.11を共にいたニューヨーク、

そして
もとより
ワイフに猫たち。

それらとの関係が
9.11を通して
より強固なものとなった。



あの日とその直前直後を、
ダモシを中心に
時系列を追って振り返り
残しておきたい。
 
 





*****







当時
ダモシは
マンハッタンの56丁目に
あるマーケティング会社に属していた。


ミッションのひとつに
毎年恒例の9月初旬からの
マイアミ遠征があった。


7月に入るころから毎年
このマイアミ遠征の準備をはじめ、
この大仕事が終われば夏もまた終わる
といったルーティンが築かれていた。
 
 

ボールルーム・ダンス関連の
マーケティングを礎とする
各種案件だ。

メディア、ダンサーのケア、
日本からやってくる人々のケアなどまで含む。

マイアミで開催される
世界でも最大規模の
ボールルーム・ダンス・イベントの
オーガナイザーとともに、
欧米関係はもとより
収益という意味ではもっとも大きい
「日本」側の一切を取りまとめていた。
 
イベントのブロシュアに
掲載する広告を得たり
制作したりといったことから、


そのオーガナイザーと連携して
日本からの競技参加者や
観戦パッケージ客などを集め、


それらをまとめ
マイアミ側とホテルの部屋アレンジから、
日本からやってくる人々のエア手配
送迎まで旅行会社的業務的なことにも
携わっていた。
 
 
2001年は、
日本からの集客が
もっとも多く得られた年であった。
100組以上の参加者と観戦パッケージ客。

もとより
オフィスでマネージメントしている
欧米ダンサーの案件もある。

膨大な仕事量となった。

マイアミと
フォート・ローダーデールに
分散して到着する日本からの人々。


宿泊地とイベント開催地は
マイアミ・ビーチの
フォンテインブロー・ヒルトン・ホテル。
マイアミ空港からは車で約25〜35分の距離。


マイアミ空港へ
最恵国待遇として、到着便ごとに迎えに行く。
皆のバゲージが紛失していないか確認。
まさに旗を振っての添乗員の世界。
手配してあったブラジル系の
リムジン・サービス会社をうまく起用して、
ホテルまで連れていく。

そして
ホテルでのチェックインの手配などなど…。


皆がマイアミ入りしてしまえば
イベント中の日中は
華氏100度を超える中、
巨大イグアナが佇むマイアミのゴルフ場で
クライアントとゴルフに興じたり、


フォート・ローダーデールにある
カルダー競馬場に足を運んだり、


はたまたホテルと隣接している
リゾート・プールやマイアミ・ビーチで佇んだり、
繁華街のサウス・ビーチまで足を伸ばしたりなど、

いずれも
関係者と一緒ではあるが
ときには同行しているワイフと二人きりで
リラックスするひとときなどを得ることもあった。


が、
お客さんたちとホテルで顔を合わせれば捕まり

<ダモシさん。
 キー・ウエストまで行きたいのですが、
 連れていってくれませんか>

などと
有閑マダムに勘違いの依頼をされるなど
疲弊もする日々でもあった。
 
 
早朝から行われている
案件本番のイベントは毎晩、
深夜1時頃まで掛かる。


リゾート・ファッションに
ビーチ系、
スーツからタキシードと己も皆も七変化。

顔も佇まいも
それぞれが
リゾート顔からオフィシャル顔、
パーティ顔まで仮面貴族に化身する。

そんな日々。

 




0bmiami.jpg


ホテルの部屋から望む
マイアミ・ビーチ。



0bdamoshi.jpg

ボールルームの一角にて。
タキシード姿の日焼けしたブラック・ダモシ。





マイアミは大好きである。

同じ
ボールルーム・ダンスの案件では
ロンドン〜ボーンマス出張も定番だったが、

陰鬱で寒いUKは好きではない。







*****





その年、

手配した一行の中に
マイアミの後にニューヨークに立ち寄って
ニューヨーク観光をしたい
というグループがいた。

しかもそのグループは、
大事なクライアントでもあった。
メイン・クライアント社の
社長夫人もいる。



夫人とは既に
マイアミで二人きりでゴルフして
イグアナに遭遇した他
コミュニケーションは得ている。


彼らのリクエストということで、
当然ながらマイアミからニューヨーク
までの便の手配、


ニューヨークから日本への帰国便手配
ニューヨークのホテルや観光用バン
観光コースなどまでの手配を行うと同時に、

すべてにアテンドすることになった。



約30名にものぼる一行を乗せた飛行機が
マイアミからニューヨークへ行く。



その一行を
ホテル前からリムジンに乗せて見送り
ダモシはワイフと共に
マイアミを去る最後の関係者として空港へ向かい、


アメリカン航空機で
ニューヨークのラガーディア空港に戻ってきた。



それが、9月9日のことである。

未だ残暑甚だしく
暑い日だったことを記憶している。





マイアミのこの案件の頃合いは、
ちょうど
ヤンキースとボストンが
レギュラー・シーズン最後の
直接対決をし

NFLが開幕する。


それらを
ホテルの部屋でブレイク時に
"ちら見"することで、


より

9月初旬と上旬
マイアミ
ヤンキースvs.ボストン
NFL開幕

という
イメージの結びつきが
強く残るわけである。


それにこの年以降、
9.11も加わった、と。







<2001.9.9>


夕刻。

ニューヨークの
ラガーディア空港から自宅に戻る。

急いで着替えてシャワーを浴び、
ワイフを伴い
マンハッタンのキタノ・ホテルへと向かった。

先にニューヨークに到着している一行を出迎え、
手配したチャイニーズのバンに乗せて
共にディナー・クルーズの船に乗るために
マンハッタンを西へ移動する。



9月9日、快晴。
マイアミからニューヨークへ。
そしてクイーンズの自宅からマンハッタンへ。
 
 
西41丁目、
ハドソン・リバー沿いにあるピア81へ行く。

午後7時、船に乗る。


ハドソン・リバーを航行する
ワールド・ヨットクルーズの船上で
皆とディナーを食し、ダンスに興じる。


日本人がディナー・クルーズすべてを
占拠したような風情となった。


そして
その船上から
ワールド・トレード・センターを見上げ、


一行の中にいた
ヤング・ボーイ数人と
デッキでタバコをふかす。


ヤング・ボーイの


<ニューヨークに来たくなりました。
 いつかここに来ます>

という話に耳を傾けた。




この中で
この夜が
ワールド・トレード・センターを
間近で観ることが最後となった者は、

・ワイフ
・ダモシ所属先の社長とその奥方

の三名。


ワイフにとっては
2001年9月9日の夜、


真下のハドソン・リバー洋上を走る
船の上から観たそれが、


ワールド・トレード・センター
最後の勇姿となった。





午後10時。
クルーズ船は、ピア81へ戻る。


その後
キタノ・ホテルへ皆を送り届け
ダモシとワイフはタクシーに乗る。

タクシーは
深夜のクイーンズボロ・ブリッジを渡り
一路、クイーンズの自宅へ。


マイアミからニューヨーク。
ラガーディア空港からクイーンズ。


クイーンズからマンハッタン。
ハドソン・リバーのディナー・クルーズ。


そしてまたタクシーで
マンハッタンからクイーンズへ。


激動の9月9日。


ふたりが自宅に到着したのは、
午前0時を過ぎて9月10日に入ったときであった。






*****






<2001.9.10>


9月10日。

午前3時過ぎに就寝し、
午前6時前には起床。
午前8時前にはキタノ・ホテルに到着。


この日も朝から快晴。

未だ夏は終わらず、
暑かったことを記憶している。


朝から市内観光。

ダモシは自宅からキタノへ直行。
一行をホテルのロビーで迎える。


移動は
用意しておいたチャイニーズ系のバン型バス。


一行を乗せて
エンパイア・ステート・ビルを手始めに、
島までは渡らずとも
マンハッタン側のバッテリー・パークから
自由の女神を見学。


そして、ワールド・トレード・センターへ。


9月10日、午前10時頃のことである。

旅客機の激突が
9月11日の8時台ではなく、
この9月10日の10時台であったらと
当然ながら考える。


その後
サウスストリート・シーポートへ行き、
ブルックリン橋を説明。


マンハッタンを走り、国連ビルへ。

定番ルートであるが、
ゆえにルート的に効率的。





未だ9.11以前。
空はほんとうに青かった。
澄みきっていた。真っ青であった。




国連ビル内部にも
簡単なセキュリティだけで、
入ることができた時代。


女子高校生のダンサーが
いたく国連ビルに感動していた記憶がある。


いずれのルートも

エンパイアを起点に
すべてバンの中でダモシが即興で考案し、
ドライバーに指示したものである。
 
 
当然その間
車中でガイド説明をマイクで施し、

それぞれの現場では
ツアーコンダクターよろしく
観光ガイドを語り
皆の記念撮影のために
それぞれのカメラを手にシャッターを押す。




アップ・タウンへ走る。

ここは前もって予約しておいた
「寿司清」でランチをとり、


その後一行は
五番街にショッピングへ行くとのことで

ダモシは、
会社の女性社員に任務をテイク・オーバーして

一旦、オフィスへ戻った。






*****



夜。



一行は、
ブロードウェイ・ミュージカル観劇。


宿泊先のキタノ・ホテルへ迎えに行き、
同じチャイニーズのバンで
ブロードウェイまで連れていく。


観劇が終わるまで
日本食レストランで
社長と共にしゃぶしゃぶと酒で時間をつぶす。


ショーが終わる頃にふたたび劇場へ出向き、
やはりバンでホテルまで送り届ける。


一行のニューヨーク観光は、これで終了した。





彼らは翌9月11日、
朝8時台のアメリカン航空機で
ジョン・F・ケネディ空港から日本への、帰路につく


はず、であった。
 






*****





その後
キタノ・ホテルのバーで、
クライアントとミーティング。


9月11日になった瞬間は
未だそのバーにいた。



自宅に帰宅したのは
時計の針が9月11日に入ってからの、
午前1時過ぎであった。
 
 
当時、ある日系メディアに原稿を寄稿していた。


その締め切り日だったがゆえに
入浴後、一睡もせずに原稿を書いた。

なぜなら
午前4時過ぎには自宅を出て、
ふたたびキタノ・ホテルへ
一行を迎えに行かなければ
ならなかったからである。
 
 


2001年9月11日、ニューヨーク。
午前4時過ぎ。

未だ陽がのぼる前の
クイーンズはレゴ・パーク。



ダモシは自宅のドアに鍵を
しっかりと閉め、

ワイフに
<行ってくる>と言い、家を出た。



そして
車両内に誰も乗っていない
地下鉄に乗り込み、マンハッタンへと向かった。



ダモシのあの日は、
こうして一睡もしていない状態ではじまった。






<2001.9.11>



tl1.jpg


一睡もしていないから
眠い。

しかも座れているから
よけいに眠りたい。

しかし
眠くても眠れない
緊張感がある
ニューヨークの
オフピーク・タイムの地下鉄。



4AM:::::::::

自宅を出て地下鉄に。
一路マンハッタンへ。


tl2.jpg

まだ暗く
夜が明ける前の
自宅前のこの道を駅へ向かった。


tl3.jpg

ただでさえ"来ない"
ニューヨークの地下鉄。

特に来ないR線。

いつも通り"来なければ"
タクシーを飛ばそうと思っていたが、
この朝はなぜかすぐに来た。

ここからして
もう様子はおかしかった。




5:15AM:::::


グランド・セントラル駅に着いた
ダモシは42丁目を渡り
パーク・アヴェニューへ。

ここでデリで
コーヒーを買う。

たばこを吸いながら
ゆっくりとまっすぐ進めばある
キタノ・ホテルへ向かう。

そろそろ夜明けを迎える頃合い。



tl4.jpg

正面が
"グラセン"たる
グランド・セントラル駅。

目の前のストリートが
パーク・アヴェニュー。

駅からこの道を
写真で見る手前の方へ
まっすぐ進んでくる。

写真の左手にホテルはある。





5:30AM:::::


ホテル前には
チャイニーズ系バンが待機。

ドライバーへ
「ケネディ空港に行く」こと、
そして
「航空機はアメリカンである」ことを告げ、

<これが最後だから頼むよ>と挨拶。

その後ロビーに入り
続々と降りてくる一行を出迎えて
グッドモーニングの挨拶。




5:45AM:::::

テロ実行犯の二人が
ポートランドの空港セキュリティを
通過。

ボストン行き航空機に乗り込む。




5:50AM-6AM:::::


モハメド・アタ、
セキュリティ・チェックを通過。
ポートランドから
ボストンへ向かう。


tl5.jpg


ボストン行き航空機。
テロ実行犯を乗せて
ポートランドを離陸。

ダモシと一行。
ホテル・ロビーで点呼。
ホテルを出発し
一路、ケネディ空港へ向かう。



6:25AM:::::

ケネディ空港に到着。
ここまで数日付き合っていた
チャイニーズのバンとは
ここでお別れ。



6:30AM:::::

一行それぞれの
チェックインが始まる。
混んでいたことと
人数が多いことで手間どる。

ダモシもヘルプ。



6:31AM:::::

ブッシュ大統領、海沿いをジョギング。


6:45AM:::::

一行全員の
チェックインが無事、終了。

WTCから2ブロック先にある
イスラエル系の
メッセージング・サービス会社が
テロ情報を得る。



6:50AM:::::

テロ実行犯、
ボストンのローガン空港に到着。

ダモシはその間、
一行とフェアウェルの語らいの
ひとときを迎えている。

たった数日間でも
異国の
マイアミ〜ニューヨークで
不安の中、

現地にいるダモシがいたことで
安心感を得ていたことと

共に時間を過ごしたことで
培われた友情的なモードで
一人一人とお別れの挨拶を
交わしている空港内。



7:18AM:::::

他のテロ実行犯、
ワシントンのダレス国際空港で
セキュリティ・チェックに
引っかかりながらも通過を許される。




7:40AM-7:50AM:::::


ダモシと一行は別離。

一行との別れ
と共に、

ケネディ空港で見送ることで
現場に関するミッションは終了
ということで、

ダモシも安堵を得る。

<あとは、
 彼らは成田へ飛ぶだけだ>と。

<終わったな>と。


ダモシは一人、ブレイク。
レストルームで用を足し
屋外へ出て煙草を吸う。





7:59AM:::::

テロ実行犯を乗せた11便。
ボストンを離陸。



8AM:::::

ダモシ、
ケネディ空港タクシー乗り場から
タクシーに乗り込む。



8:13AM-8:21AM:::::

11便、高度35,000-ft上空で
交信が途絶える。
管制官は「ハイジャック」を疑う。



8:14AM:::::

別のテロ実行犯を乗せた175便、
ボストンを離陸。


8:20AM:::::

テロ実行犯、
11便のコックピットに侵入。

11便のFA、
アメリカン航空オフィスに
コーリングカードを使用して
機内から電話。
ハイジャックの状況を語る。

その後、11便は
劇的に飛行コースを変更。



タクシーの中のダモシ。
ドライバーは中東系。

一路、
クイーンズの自宅に向かっている。

この日は
オフィスでダモシだけ
出社しないことになっていた。

これまでの激務と、
この日の徹夜。
ミッション終了ということで
出社せず眠ることになっていた。


車中、
<妙に混んでいないか?>と
中東系ドライバーへ問うたダモシ。

出勤時間帯であるから
道路は混んでいるし
ニューヨークは常に混んではいるが、

朝早い時間帯の
しかも空港からの道である。

空港から直近で
既に異様に混んでいた。


ドライバーは無言で答えた。
何も言わない中東系ドライバーが
不気味に思えた。


tl6.jpg

自宅へ向かう
最後の幹線道路は
Queens Blvd.。

大混雑の朝だった。
途中、ドライバーは
他の車のドライバーと
怒鳴り合いをはじめるなど、

いつものことではあるが、

それに輪をかけて
この日は様子がおかしかった。

ダモシも寝ていないことと
ミッション終了の安堵で
疲れが一気に爆発し
その不機嫌度も高まってきて、

ドライバーの態度や
他のそれの横暴な運転に
声を荒げた。


とにかく早く
家にたどり着きたかった。
家ではワイフが待っている。
彼女も眠らずに
帰りを待っている。

疲れたから
早く帰って
一緒に眠りたかった。



もともと
"普通"ではないエッブリデイの
ニューヨークだが、

この日は
明らかに
"普通ではない"度が増していた

と、後になって振り返ると
より感じるわけである。






8:30-8:40AM:::::

さらに別の実行犯を乗せた77便。
ワシントンのダレス国際空港を離陸。





ダモシが見送った一行を乗せた

アメリカン航空機の
成田行きが、

ケネディ空港を離陸。





8:42AM:::::

別の実行犯を乗せた93便、
ニューアーク空港を離陸。

ニューアーク空港は
ニューヨークの
ラガーディア、ケネディと
共に

ニューヨーク圏三大エアポートであり
隣州のニュージャージーにある。


06年頭の
東京出征の帰路、

ニューヨークへ戻る際に
ダモシが利用した空港であり、

松井秀喜単独インタビューで
タンパへ飛ぶ時に
利用した空港でもある。

ここも想い出に残る空港。

松井はニューアークを利用する
ケースが多かった。






8:42AM:::::


ダモシ、自宅前に到着。



8:45AM-8:46AM:::::


アメリカン航空11便。
ワールド・トレード・センターの
ノース・タワーへ激突。


tl7.jpg




ケネディ空港を離陸して
まだ間もない
アメリカン航空機内から、

クライアント一行は
この激突を目撃。


<窓から景色を見ていたら突然…>

<何が起こったのか、とパニックに…>


後に聞く
彼らの様々な談話の一つ。



0wtc10.jpg

先般掲載した
ダモシが機内から
撮影したWTCが見える構図がこれだ。

クライアントは
当時の聞き取りによれば、

ほぼWTCと水平レベル目線で
至近距離で
目撃したと語っているから、

この写真ほど
まだ航空機は上に遠くに行っていない
段階だったのであろう。

しかし
写真の距離であっても
それを目撃したら
恐怖であることは間違いない。

それがもっと
水平レベルで近いとすれば、
彼らの当時の
驚きは言葉では言い表せぬであろう。



且つ
彼らは事前に
WTCの大きさを体感している。

それに加えての惨劇目撃。

ものものしい
<高度の実感>を
彼らが得ていたことは想像できる。







8:50AM:::::

F15戦闘機、
スクランブル発進。




9AM:::::


一行を乗せた
アメリカン航空機。

一切の機内アナウンスを封印。

高度を上げることを中止し、
超低空飛行のまま
進路を変える。

乗客への説明は
一切なし。



地上では
アメリカン航空が
「全便キャンセル」を発表。

既に空にいるクライアントの行方は
いかに。




その頃
ダモシは
家に入って顔を洗う。

ベッドルームへ。

ベッドに横になり、
ダモシの帰りを待っていた
ワイフの隣へ。

今朝の出来事を
簡単に語り、

共に目を閉じる。


その間、
テレビはつけていない。

電話はこの時点で
不通になっていたことも
気づかない。





9:03AM:::::

ユナイテッド航空175便。

ワールド・トレード・センターの
サウス・タワーへ激突。



9:06AM:::::


ブッシュ大統領、
「二棟目への激突と
 テロ」を知らされる。


ダモシが属していたオフィスの
社員は皆、
ダモシ以外出勤した頃合い。

社長以下、
事態把握の後、解散となる。

さっさと帰路につくことが
賢明である。

さもなくば、
帰ることができなくなる。


タクシーで帰る者、

子供の学校まで
迎えに行ってから
帰る者、

ブルックリン・ブリッジを
歩いて帰る者、


それぞれが
個の世界観でディフェンスに回る。


<ダモシさんは大丈夫か>

<ケネディ空港へ行っているはずだ>

<まずは安否を確認しろ>

オフィスでは
そんなやりとりが交されていた。



だが

ダモシ宅、電話不通。


だが

ダモシ、熟睡。




tl10.jpg




日本でも
後輩、友人それぞれが
ニュース・ステーションを視聴し

<ダモシの無事は確認できたのか!>

<ダモさんはどうなんだ!>

等々やりとりが交わされていた。

後輩N氏が代表となり
何度も何度も電話をかける。

後輩Nは、朝まで眠らずに
電話をかけつづけた。

ウルトラの母もメール送信。

まったく音信不通ということで
ウルトラの母は
友人などに連絡をとってもらうことを
依頼。

ウルトラの母の友人もメールを送信。



だが、

ダモシ宅の電話は不通。

ダモシ、熟睡中。






9:59AM:::::

WTCサウス・タワー、崩壊。


10:28AM:::::

WTCノース・タワー、崩壊。


tl11.jpg

tl12.jpg

tl13.jpg








*****





以降、午後4時過ぎまで。


オフィスから
また日本の友人、親などからの
電話もメールも
不通のためつながらず。


ダモシとワイフは、完全に熟睡。



ワイフはこの日、
午前11時からヘア・スタジオの
予約が入っていた。


しかし
ダモシと眠りについた数分後にかかってきた
その予約客からの
<ヘリコプターか何かが墜落して、
 地下鉄が動かないから
 キャンセルして下さい>


という電話に、
ふたたび眠りについた。


その間、
彼女もテレビはつけなかった。


<そうなのか。
 ヘリが落ちたのか>と。




現地で
テレビを観ていた人ですら、

当初は何が起こったのかを
正確には把握できなかった。





4:00PM-5:00PM:::::


東京の後輩N氏からの電話が、
やっと通じる。


彼は完全徹夜となってしまった。

氏は日本時間の夜中じゅう、
ずっと眠らずに電話をかけ続けたという。


ワイフが先に電話をとった。
その間ダモシは
まだ熟睡している。


ワイフに起こされたダモシ。

起床して
受話器を受け取り
N氏から事態の説明を受ける。


第一声は、


<大丈夫ですか!
 たいへんなことになってますよ!>

であった。


そのときの声も
今でも鮮明に覚えている。





まだ寝ぼけていたダモシは、
チャンネル<NY1>をつけて
映像に観入りながら



<よし、俺が行ってくる!>


と言った。
 
 


テロであると知ったのは
その数分後。

CNNにチャンネルを切り替えた時だった。

正確に事態を把握したダモシは
エキサイト。




既に会社からは
全員が自宅へ引き上げていた。


電話はつながらず
メールも見られない状況の中で、
クライアント一行の安否不明に焦りの色がでる。






*****







翌日、会社はクローズ。

メールが復旧。

メールを受信すると、
母親の知人という人々などからも
安否を気遣うメールが入っていた。
一件ごと返信をする。


その後は

所在の掴めなかった
クライアント一行の捜索作業や


また別のツアー・グループで
ニューヨークに滞在していた人たちの
所在確認に追われたが、



前者はトロントに緊急着陸の後
ナイアガラの滝見学に行くなど無事を確認。

後者は
当日の朝に離陸を取り止め
ニュージャージーのモーテルへ
避難したことを確認し、


またそれぞれの知人の安否も
確認したところで
正常な生活に戻っていった。
 
 


ダモシが日本へ出張に飛んだのは、
その数週間後のことだった。

当時、
皆がおびえて
日本からも企業のサラリーマンは
出張中止などチキンになる中、


怒りのダモシは
あえてアメリカン航空機を使用して
成田へ飛んだ。


そのときの
エコノミーの乗客、わずか<5人>。

ワイフは
<なにも、今、行くことはない>と泣いた。

が、
ダモシは
<今だから、あえて行く。
 俺が乗る飛行機に
 やるならやってみろ>

と言った。




そして
六本木の
チャイニーズ・レストラン富麗華で
あの時の一行の中の一人である
クライアント社長夫人と再会し、

また別の日には
9月11日になった瞬間の
ミッドナイトに
キタノ・ホテルのバーで共に
時間を過ごしていた紳士とも再会した。
 
 




東京・地下鉄サリン事件の時は、
新宿の広告代理店に属していた。


新宿に勤めていたが、
当時の被害路線である
営団地下鉄(当時)は
利用していなかった。

地下鉄サリン事件で
不特定多数を狙ったテロ事件を
間近ですれ違ったが、


9.11では
世界史に残るテロに遭遇したことになった。






*****





あの当日のことは、
今でもくっきりと
匂いまで鮮明に覚えている。

ケネディ空港からの
帰りのタクシー・ドライバーの
顔まで覚えている。


ダモシ自身

当欄に記載したような
まさに紙一重の状況であった
ことも加わり、


永遠に忘れることができない
惨事としてのイベントであり、エポック。


それが、9.11であったといえるだろう。







あの9.11の日は、
夥しい数の人々
それぞれのストーリーがある。

ダモシと9.11にも
かようなストーリー梗概がある、と。

あくまで慷概である。




知人の中には
9.11当日に
婚姻届を出すはずだった人もいる。

テロのせいで
それを出せなかった。
結局、彼らは結婚しなかった。


9.11がなければ。
婚姻届を出す日が9.10であれば。

デスティニーといえよう。







いずれにせよ
この9.11にまつわる件は、


他の人のそれも交えて、
いつか
ストーリーを書きたいと考えている。
 
 






:::::


<ストーリーに登場する
 主要ロケーション&キャスト>


マイアミ:

フォンテインブロー・ヒルトン・ホテル
マイアミ・ビーチ
サウス・ビーチ
バル・ハーバー
マイアミ空港
カルダー競馬場
ドラール・ゴルフ場
ダンサーたち
日本人一行
ゴルフ・コース内に屹立していた
巨大イグアナの大群


当時所属先の社長と夫人
マイアミのダンス団体役員


ダモシと協力して
大量のツアー客をさばいた
ブラジル系リムジン・サービス会社の
男性役員と、


派手に空港での歓迎式典を敢行した
ブラジル・サンバ女性ホステス軍団

その他





ニューヨーク:

ラガーディア空港
クイーンズのレゴ・パーク
地下鉄
キタノ・ホテル
ピア81
ハドソン・リバー
ワールド・ヨットクルーズ(ディナー・クルーズ)
ワールド・トレード・センター
エンパイア・ステート・ビル
バッテリー・パーク
サウスストリート・シーポート
ブルックリン・ブリッジ
国連ビル
イースト・リバー
寿司清
五番街

当時所属していた
レキシントン街56丁目のオフィス・ビル

ブロードウェイ
キタノ・ホテルのバー
イエロー・キャブ
クイーンズボロ・ブリッジ
ジョン・F・ケネディ空港
クイーンズ・ブルーバード
グランド・セントラル駅
パーク・アベニューのデリ
所属先の社員
日本人一行
バンのドライバーのチャイニーズ
タクシー・ドライバー
その他


東京:

麻布の
チャイニーズ・レストラン

六本木のクラブ
銀座のクラブ
そのママ
銀座のクラブのホステスたち
クライアント社長夫人
クライアント重鎮
高輪プリンス・ホテル
成田空港

後輩
友人
ウルトラの母
ウルトラの母の友人
その他












posted by damoshi at 13:51| 2001.9.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジェシカ・ラングとキングコング、と、ビリー・ジョエル








ワールド・トレード・センター
(以下:WTC)と

直接

邂逅したのが、1993年10月。





WTCを

映像で見て
強烈なインパクトを得た

初めての瞬間が、


1977年1月のことである。




ウルトラの母が

映画<キングコング>の
パンフレットに
手書きで

劇場でそれを観た日を
記載していたから分かる。




東京に復帰する

二か月前。

場所は、札幌劇場。






ダモシの

<本妻復帰>は

生涯で二度ある。



最初がこの1977年。

二度目が今夏。



いずれも

<本妻復帰>の前に
札幌にいたという因縁。



ゆえに札幌は

ダモシにとっては

単なる"お立ち寄り"の地となる、と。





台風の目として上陸し、

善くも悪くも
何かを残して


さっと

去っていく、と。




<本妻>にも

<愛人>
(ニューヨーク)にも

なれない札幌のサーガは、


ゆえに<現地妻>。



イクオール

それは、

吉行淳之介の近代名作

<札幌夫人>である、と。





だが
ダモシはけっして

"サッチョン"のように

<現地妻>に溺れることはせんよ

と。





おかげで

<本妻>の
すばらしさを
改めて認識させてくれたし、



おかげもなにもなく

もとより
<愛人>のことは
ずっと愛し続けるよ、



ありがとさん
<現地妻>よ


と。




符号と構図は

さように
成り立ってしまう、と。





まあ

<現地妻>のことは、いい。









*****








ニューヨークというものに


言い知れぬ憧憬と

強烈なる
パッションを覚えた起点は、




70年代の
<悪の帝国>時代の
ニューヨーク・ヤンキース




映画<キングコング>




ビリー・ジョエル


だった。





前二者は、
いずれもダモシが小学生時代。



後者のビリー・ジョエルは
中学時代に遡る。



ビリー・ジョエルの

<ニューヨーク52番街>や
<ニューヨークの想い>、

<ストレンジャー>
<グラスハウス>

などのアルバム群を耳に


尋常ならぬ
ニューヨークへの憧憬を抱いた
わけである。






アルバム原題名の

<52nd. Street>と
<Turnstiles>の

ジャケットに出てくる


70年代ニューヨークの

ビリビリ来るような
危険度の高い緊張感に

痺れたのである。






本妻復帰してから

ニューヨーク時代同様に
それらは部屋に出されている。






bj1.jpg



<52nd. Street>。


何が何でも、と

ダモシは遂に
三十路に入ってから


己がそこでビジネスをする。


そのオフィスの場所は、

最初が
<42nd. Street>で

その後
さらに近づいて
<56th. Street>まで

たどり着いた。








いわゆるそれは、

14歳時点で
朧げに抱いた

15年以上先への長期的ヴィジョンの


具現化だった。







bj2.jpg



こちらが
<Turnstiles>。


Turnstilesとは

ニューヨークの地下鉄の
回転バーのことである。



このバーを押して

ホームへ進むわけだが、


これが

どうしても
何が何でも


"やりたかった"。



このジャケットを常に見て、

<なんだかニューヨークは、
 人も、すんごいな…>



畏敬の念を抱いた
ティーンエイジ・ダモシ。




間にあるのが
<ストレンジャー>。



基本的に
ストレンジャーなダモシは、

普通に共感を持ったのだろう
ティーンエイジ・ブルースの頃合い。





bj3.jpg



<グラスハウス>。


針を落とせば
最初に聞こえるサウンドに
衝撃を受けた。


あの

ガラスが割れる

ガチャガチャガチャーン

という音が、


このアルバムのスタートを告げる
ゴングの音色がごとく、


威勢の良い
ロックが流れる。





*****









本題の<キングコング>に話を展開したい。




いずれにせ
<現地妻>を去る直前
<本妻>に復帰する直前に


札幌で鑑賞したわけである。



そして
パンフレットも

当然ながら残っている、と。






映画<キングコング>。



初代は、

エンパイア・ステート・ビルが

その
メイン・ストリームだった。


リメイク版の70年代キングコングの

それが、

WTCだったのである。





できたてホヤホヤということもあり、

そもそも
映画に協力的な
ニューヨークのことだから

ある意味で
WTCのプロモーション的な意味合いも
込めての


出演だったとは

容易に想像できよう。





それでも、

当時としては

(むろん今でも)

驚愕のビルヂングであるWTCは、


エンパイア以外で

唯一考えられる

キングコングに負けない存在感の強さを

誇っていたのも
言うまでもなかろう。





WTCのすごさ。

ジェシカ・ラングの魅力。

キングコングの優しき一面。



それらを見事に描いた。






そのパンフレットから

WTC絡みのスキャン画像を。








kong1.jpg



表紙。

映画への興味をそそられるデザイン。


WTC頂上に立ち
空の精鋭たちを迎え撃つキングコング。







kong3.jpg



ニューヨークで大暴れの
キングコングは、


ついに

WTCの平面を登りはじめた。


まさに
"ヒューマン・フライ"。




いずれが先か。


キングコングだ。




できてすぐの
WTCでは

多くのチャレンジャーが現れた。


すべてが完成する直前の
74年には

フランス人が
WTCのビルの間を綱渡りした。



76年に
キングコングが
おそらく史上初となる


WTC壁面登り


での頂上到達という

快挙を達成している。




ヒューマン・フライが
同じく壁を登って頂上にたどり着き

逮捕されて

罰金1ドル1セントを
支払ったのが、



77年5月。







hf1.jpg




ダモシが書いた
ヒューマン・フライの記事がある
雑誌ページ。


デザイン的に工夫して
逆向き(手にもつ雑誌をヨコにして見る)
形式を採った。



わずかだが、

左側にあるWTC写真の壁面を
登っている
ヒューマン・フライが確認できるだろう。






史上初のWTC壁面登り



頂上到達

という行為自体に、


妙な驚嘆を覚えたものである。




さらに頂上に立つキングコングと
攻撃する人間の乗る飛行機の
バトル。



そのときの映像から
漂ってくる


もはや
同じ地球上とは思えぬほどの


WTCの

異様なる高度の視覚。





小学生ダモシは、

ハマってしまったわけである。








そして、

ハマったといえば

ジェシカ・ラングである。



その潮流は

中学時代の
チャーリーズ・エンジェルでの
シェリル・ラッドや


映画<テン>での
ボー・デレクへと


成長するわけだが、




未だ小学五年生のダモシを

興奮させた
ジェシカ・ラングは、

強烈だった。




札幌劇場の座席で
ダモシは、



<ふぅ…>


<はぁ…>




ラングの美貌と

これまた
同じ地球上とは思えんぞ、

ニッポンは
いかがなものなのか?

と感じてしまう

異次元のセクシーさ。




そもそも

未だ"金髪"というだけで

えも知れぬ

興奮を享受した

"11PM"全盛時代である。




小学生とて

さように興奮したとしても

責められまい。






善悪でいえば、

絶対的な善が

"アメリカ"だった時代でもある。







パンフレットから

一枚、

ジェシカ・ラングの肢体を。




kong4.jpg



いま見ても、たまらない。





ラングはこの後しばらくしてから

<郵便配達は二度ベルを鳴らす>で、


これまた
強烈なる色を発揮した。

アカデミーも獲得した。


この映画でのラングからは
もはや
<キングコング>での

未だ
残っていた未熟さと可憐さは

完全に消え去り、



オトナの女の

もうそれは
イヤらしすぎる


〜局部の匂いすら漂ってくるような〜


ポスチャーと
アトモスフィアを

ぷんぷん

発散していて、


たいへん危険であった。





その映画や

たとえば
<ナインハーフ>などは

異性と
部屋でビデオで鑑賞すると

たいへん危険である。



経験者として

"一応"メンションしておきたい

ところである。






方々、話は飛んでいるが、



最後に

パンフレットからのスキャンとしては




やはり

キングコングが

WTCから落下して果てるところだろう。







kong2.jpg




死すキングコング。

後ろに聳え立つWTC。




ダモシはこれを

<猿の惑星>の

逆ヴァージョンと理解している。





最後、

猿に支配された星から
逃げようと

禁断の地に足を踏み入れた
チャールトン・ヘストンが、


そこで

朽ち果てた

"建造物"である


<自由の女神>を見て

絶望する。





だが

<キングコング>では、

コングが果てて

それを
見下ろすように
聳え立つ

超高層
当時世界一のWTC。





対局構図である。



まさに
その後の

WTCを中心シンボルとする

世界一の大都会ニューヨークの


さらなる経済・文化・エンターテイメントと

スーパー多民族価値観の共存

という

すべての面での

大いなる磁力を強化していく


分水嶺


でもあったのだ。











いまごろ


天国で

キングコングとWTCは

再会していることであろう。




















posted by damoshi at 02:36| 2001.9.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

WTC日本語ブロシュア









既にニッポン時間では、9.11になった。


七年前の
ニューヨークの9.11で

航空機が
ワールド・トレード・センター
(以下:WTC)
に激突するまで、


ニューヨーク時間で見て
あと約20時間である。







七年前のニッポン時間の今頃
(ニューヨーク時間の9.11前日の今頃)、


ダモシは

ニッポンからの
クライアントと共に
マイアミでのイベントから戻ってきて

そのクライアント数十人を
したがえての
ニューヨーク市内観光二日目の朝で

WTCへ行き終えたところである。







この日が近づくと毎年、

あの2001年の夏を思い出す。


マイアミ。
そして、ニューヨーク。






*****








1993年、

WTCとダモシの初邂逅時に入手した

現地に
配置されていた日本語のブロシュア。


現地の
もちろん英語のリーフレットも
持っている
(以前ダモシ公式サイトに掲載した)。




今回は
今や存在しない希少な
"日本語の"ブロシュアである。


その一部をスキャンした。







wtcbrochure1.jpg




表紙。

先般タテ位置で大きく掲載したもの。



いかにも
"写植版下時代"的なデザインである。


且つ
外国現地の外国人が作った
日本語のブロシュア的デザインである。



ひとつには、

その世界観は

<パワー>がある。



何でもセンスやオシャレさを重んじ、

センスはあるけれど
力の感じないデザインが多い現代。



その対比でもある。





先般記載の通り、

表紙は

ジェシカ・ラングとキングコング。


お見事。







wtcbrochure2.jpg



少々強引ではあるが、

やはりパワーを感じる

思いきったホワイト・スペース使い。




もとより
全体的に、

外国人が作った大元の
英語のブロシュアに
おそらくテキスト部分だけを
入れ替えたのであろう。


だから
こういった組み方が出てくる。


そもそも日本語の文字フォルムと
流れを考えると

最初からこのレイアウトになる
可能性は高くない。


英語ありき。

そこから入ると
同じ日本語のブロシュアでも
異なる世界観を享受することができる
アドバンテージがある。



しかしその場合、

英語自体をある程度
理解していなければ話にならない。



アラビックにはアラビックの
ハングルにはハングルの


それぞれ文字としてのフォルムや
意味合い、記号的な見映えなどなどが
あるからして、


本来

ニッポンが
ヴァイリンガル物の制作物を
デザインする場合に

陥る

ただ<テキスト>を差し替えるだけ

では、

おかしなものになるわけだ。



それぞれの文字の特性に
見合ったデザインというものがある。



それを考慮せずに

ただの"差し替え"で済ませるケースが
往々にしてあるが、


本来それは
やってはいけないことである。







wtcbrochure3.jpg



デザインはともかく、

このブロシュアにおいても
日本語が
かなりユニークである。


写真のページにある
ユニークな日本語をご紹介したい。





<〜〜〜〜の建設を
 おこなわせることとしたのです>



<古ぼけた
 ワシントン・マーケットが、
 その中心で
 がんばっていたのです>





しかしながら
全体的には、正しい翻訳はされていると
感じさせる。


ユニークではあるが、

失笑を買うような
誤った言葉遣いはほとんどない。



ニッポンの、

特に"ローカル地場"の
広告代理店が作る英語のそれと
比べれば、


段違いである。






wtcbrochure4.jpg




このブロシュアの
優れている点は、


observation deck
つまり展望台のガイドブック
でありながらも、


そのパートは
最後の方に1ページ存在するのみで、


その他を

WTCの誕生背景から
建築途上、

WTCの存在が
ニューヨークと世界に与える
経済面、エンターテイメント面などの
便益、


その他の紹介という

読み物的観点にウェイトを
置いている部分である。




写真で
ディテールまで見せるページの、

その見開き対向には
いずれも
ホワイト・スペースを大きく
とりながらも、


テキストで読ませる構成を
採っている点は秀逸である。



掲載している写真は
見開きでスキャンしていない。

単独ページ/ヨコ長を
そのまましている。


したがって
この画像のように
ブロシュアを見た場合、

対向面(開いたもう一方のページ)は
画像の下に来る。

その面が
ホワイト・スペースとテキストだけに
なっているわけである。







wtcbrochure5.jpg




このページの
右側の写真で、


既載した
<高度の実感>シリーズの
WTCで触れた


WTCの展望台の様子を伺うことができよう。




御覧の通り

まさにリアルに頂上であり

屋外である。







その他のページ含めて、

トータルで
中面20ページ
表周り4ページ

の24ページ構成。




サイズはヨコ長。

ヨコの長さは30cmオーバーで
タテは13cm程度ということで、


A4のタテよりもある長さと
ヨコ長フォルムであることが
相まって、


より長さを感じるつくりになっている。






なによりも


WTC本体を


表1と表4でタテめいっぱい
掲載したくなるにも関わらず、



表4は真っ白にロゴだけ、

表1は
WTCを見せずに


ジェシカ・ラングとキングコングの
クローズアップを
持ってきたあたりに、




センスを感じるわけである。






そのモノ本体を見せずとも、

それを
想起させる
シンボリックな絵を持ってくる

パワー。




そのデザインのパワーは、


WTC自体の
異次元の存在感とパワーが

あってこそ



ともいえよう。






むろん、

あの
ジェシカ・ラングとキングコングも


大きなパワーを持っていた。





かような
いずれも持ち得ていたような


パワーは、



ブランド・ヴァリューなどとは
まったく異なるものである。




ブランド・ヴァリューをも超える

圧倒的な
存在感としてのパワー。




そういうものが

ニューヨークには今でもあり、

今はなき
このWTCも
それを顕著なまでに持っていた、と。





ニッポンにも

そういう存在は

70年代まではいた。



今は皆無である。







どこかで

破天荒な要素がなければ、



キレイキレイだけのデザインや

優等生スポーツマンだけでは

面白くもなんともないのである。

































posted by damoshi at 00:47| 2001.9.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月07日

<高度の実感>ワールド・トレード・センター










新版<高度の実感>シリーズでは

今後も世界とニッポン各所を
取り上げていくが、

*横浜ランドマーク・タワー

*香港

に続く
*アトランタ
*シドニー


を飛ばして、


一気に結論たる

未だ超える存在はいない
トップ・オブ・ザ・トップを
取り上げる次第である。




むろん

それは
ワールド・トレード・センター。



東京・浜松町の
同姓同名のそれが悲しくなるほどの差。


否、

浜松町のそれも
高層ビルヂングとしては
十分に高さはある。








*****






9.11同時多発テロで崩壊した
ワールド・トレード・センター
(以下:WTC)が、


その
建物の高さはもとより、

異次元レベルの
高度の実感が


高さで勝る
シカゴのシアーズ・タワーよりも

強い

最大の理由は、



<屋外>であるということだ。





WTCは、その他

<高度の実感>を超次元とするに足る

複数を理由を持っている。







<落ちたらイヤだな>&<怖い>
という感覚を
遥かに超越する世界観




そこが世界一の大都市
ニューヨークであること



世界一の摩天楼の
超高層ビルヂングが林立する中で、
さらにひときわ高いこと




当時の情報誌や体験者のコメントで
その屋上展望台が
実に危険であることが
伝えられていたという
<恐怖の事前情報>




それを裏づける
WTC側の
<風のある日は展望台はクローズ>
という措置





ニッポンでは
お目にかかったことのない
レベルの超高層建築すべてを
上から見下ろすということ




展望台が
まさにリアルに<頂上><屋上>にあり、
それより頭上には
空以外に存在しないこと




展望台が屋外であることに加えて
一周しないと帰れないことと、
外側は
お飾り程度の手すりと
手すりより外側に
ちょっとした有刺鉄線のような
落下防止物があるだけということ





屋外ということで
視覚、嗅覚、聴覚などが
夥しい刺激を受けること




その他、もろもろである。







*****







ダモシは、

1993年10月13日から
2001年9月10日までの間に


何度もWTCへ行き、
何度か頂上へ登った。



WTC以上の
<高度の実感>の強さは、


93年10月13日以来

感じたことはない。




もとより
シアーズ・タワーも、

且つ
それを上回る
ナイアガラの滝も


"ものすごい"のは確かだが、


どうしても

相対評価として
WTCの存在があることで

次点に甘んじてしまう。





WTCはさらに、

超高層建築物としての
<高度の実感>のみならず、


それが屋上という
外である点が、

<自然>においても
それを強めているという

アドバンテージも持っている。




且つ
上述したあらゆる要因が
重なっての異次元であるからして、



今後
さらに高い超高層建築ができたとしても

あるいは
アジアやアラブの国々に
近年存在するそれらがあったとしても、



ダモシ的には
WTCを超えるのは難しいだろう

と考えている。





たとえば

チャイニーズやアラブの人々が、



1,000mレベルの高さで

わずか
直径10m程度しかない
円柱形の"ビルヂング"を建てて、


その頂上は屋外で、
強風で、揺れて、柵が申し訳程度
という中で

そこに立たせる

という展望台などでない限り、

ほぼ難しいだろう、と。



そんなビルヂングはあり得ない。

あい得ないことを
やらない限り

難しい

ということである。





高さで勝るシアーズ・タワーは

摩天楼群では
ニューヨークに匹敵する。

だが
それであってもなお

WTCレベルに
<高度の実感>が届かなかったのは、


とにもかくにも
最大理由である

<屋外>という要素が
欠けていたからでもある。







WTCを、

初邂逅の93年10月13日の
プリント写真スキャンから


主に振り返ってみたい。


あくまで
<高度の実感>に関する写真のみを
掲載する。







0wtc1.jpg


ミノル・ヤマサキの傑作を、

真下から見上げる。




その昔、

浪人生専門の寮生活を
ダモシは送っていた。


東京ネイティヴに関わらず
なぜ寮に入ったのか。


高校卒業と同時に
親が転勤になったから
ダモシだけ東京に残り
浪人生活を送ることになったからだ。

浪人時代での一人暮らしは危険だ。
だから浪人生が集まり
切磋琢磨する
厳しい寮生活を
親が求めたのも理解できる。

且つ
それは
親から離れて最初に
寮生活という集団生活を送ることで
得られる多種多様な感覚という意味で

後々振り返ると
正解だったと思っている。



その寮生活。
100人ほどが、いた。

ダモシ以外、全員がローカルから
東京に出てきた学生だ。


全員集まっての歓迎会。
ひとりひとり自己紹介。


ダモシは
<東京から来た>というのは
おかしい。


だから

<江戸から来ましたダモシです>

と挨拶した。


ダモシ以外全員、

<広島から来ました>

<熊本から来ました>と挨拶する。



懇談。

東京談義。



彼らはダモシを囲み、

西新宿摩天楼を
語りはじめた。


未だ東京都庁はもとより
大阪にすら
超高層建築がなかった時代である。


ニッポンの中で突出して
摩天楼を形成していたのが

野村ビルや住友ビルを擁する
西新宿摩天楼だった。


彼らは
東京に出てきて
西新宿摩天楼を見上げて、


大都会に出てきた実感を得た。


誰もが言った。



<あんなに首をあげて
 見上げたことはない>


と。





たしかに
西新宿摩天楼群は、

首をあげて
見上げなければならない。

それほど高い。

首が痛くなることもある。




しかし、WTC。


そもそも
ニューヨークのマンハッタンの
摩天楼自体が

既に

西新宿摩天楼を見上げる際の
首の角度を
とっくに超越し、


ほとんど顔を上げて
直角にしなければ見えない
レベルである。



それに輪をかけてWTC。


これはもう、

見上げるなどという
次元ではない。


首を直角に"後ろに"上げる
ことに加えて、

身体を反らなければ
見えない。



口を開かずに、どう処理しろと?

といった世界観。





<なんじゃ、こりゃ…>と。




とどのつまり
見上げていられないのである。

数秒しか
もたないのである。





さらに

マンハッタンの渓谷性が加わる。

まさにデス・ヴァレーである。






0wtc2.jpg





あれだけの高さを擁している。


極論すれば
どこからも確認することができる。

屹立を超越した屹立。


だが
マンハッタンという街の特性が
WTCを望む眺望に
仕掛けをもたらす。



渓谷性の高い街マンハッタン。


あれだけの高い
ビルヂングであっても、


いま見えたのに

1ブロック歩くと
隠れて見えなくなる。

しかし
五歩右の路地へ入ると

突然
バッバーンッ!
と姿を現す。



消えてはまた現れるWTC。


先端だけ見せたと思ったら

1ブロックで消え、


さらに
1ブロック進めば

襲いかかってくるかのように
そのスーパートールを
目の前にあるかのように
見せしめる。




これが、

既に

事前の

"ものすごさ"を存分に享受させ、




<頂上に行くのが、
 なんとなくイヤだな…>


という恐怖を煽る。




しかも
未だインターネットのない時代の
書籍や情報誌での体験談から得た

これまた事前情報が、


<危険>と告げる。





完全晴天と無風。


このタイミングを目指して
頂上へ。



そういう条件がまた、

ヴァリューを高めた。




ダモシがその頂上を訪れたのは
すべて、



いずれも
絶対的なサニースカイが
広がる可能性が高く、

気候的にも
ベターな季節。




そう

9月、10月である。






*****









0wtc3.jpg



自由の女神へ行く
フェリー船上から見るWTC。



そして、

いよいよ頂上へ。



まずは

頂上から見る自由の女神。




0wtc4.jpg




WTCよりもノース(上)にある

エンパイアと
ロックフェラー・センター

それぞれの屋上展望台

(いずれも屋外/頂上)

からも

自由の女神は見える。



距離的に
その二つの方が

自由の女神へ行くための
フェリー乗り場に至近距離の
WTCより、

小さく見えて良い。




だが、WTC頂上からの自由の女神は、

その高度差と

至近距離という条件が

逆にプラスに作用して、



より遠くに

より小さく

見えてしまう不思議。







0wtc6.jpg


こちらは
先に記載した写真と
微妙に構図の異なるもの。


ブルックリン・ブリッジと
マンハッタン・ブリッジ。


その二つの橋は巨大である。


あらかじめ見ている。

その巨大な橋が、
この程度か、と。






これらはすべて

窓越しではなく

外の空気を
肌で感じながら
匂いを得ながら


ナマで見ているわけである。






ノース側。


0wtc8.jpg


ワシントン・スクエア
エンパイア・ステート・ビル
ブライアント・パーク
セントラル・パーク


その他の

マンハッタンの主砲たちが
すべて

サウスの端にある
WTCから

一直線上に展開されていた
マンハッタン。


そのノース側を遠望する。





それを
普通のプリントカメラで
可能な限りズームしたのが以下。




0wtc7.jpg





一直線上だからこそ、

逆に
エンパイア頂上からも

WTCがまっすぐ正面に見えた。



それがまた

"ものすご"かった。






06年からは
ロックフェラー・センターの
屋上展望台が復活。


オープン前に
ダモシは取材で行ったが、


そこからの眺望で
悔しい想いをした。



<あぁ、WTCがあればな…>と。



ロックフェラー・センターに関しても
<高度の実感>で
取り上げるが、

そこからは

ノースは
セントラル・パークが至近に、


サウスは
クライスラー・ビルなどを
含むミッドタウンの摩天楼はもとより


一直線の真正面に
エンパイアがあるのだ。



仮にWTCが現存していれば、

それこそ
すべてを眺望することができる
点で、


その頂上は
さらにヴァリューが高かったことだろう。







*****







頂上展望台は
どうなっているのか。


残念ながら
本人とワイフ、人物記念写真以外、

俯瞰で
その場所を捉えている
写真はない。



ダモシとワイフが映っている
ものから

一枚だけ

頂上展望台の様子の一端が
分かる写真を掲載したい。





0wtc5.jpg




御覧の通り、

リアルに頂上である。
ビルヂングの一番上である。


一番上ではない位置の
フロア内にある展望台ではない。

完璧に屋外である。



そして、

前述した通り

柵が見えるだろう。

その下はもう、空である。

ギリギリ見えるか、
申し訳程度の
有刺鉄線のような防御があるが、

これは
はっきりいって

転落や落下の防止に
何の影響ももたらさない。




こういう頂上で
展望台だからこそ、


70年代に

"ヒューマン・フライ"と
名乗る男が、

WTC壁面を登っていったのである。





けっして広くはない

展望台通路。


WTCのポスチャーにしたがい

四角い通路となっていた。


通路を一周して
帰路につく。





危険すぎるため

カメラを持つ手を差し出して
真下を撮影することはできない。




真ん中あたりのフロアで降りて
窓越しに
真下を撮ることだけは

当時も
怠らなかった。




その絵がこれだ。




0wtc9.jpg





この写真だけでは
高さを実感することは難しいはずだ。



では、

この写真に写っている
左側の二つのビルヂングを
見てみたい。


メリル・リンチと
アメックスの本丸だ。



両者は

9.11で生き延びた。


ちゃんと、ある。




以下の三枚は、
二年前のものである。




空き地になっている場所に
WTCがあった。


上の、真下を見下ろした写真に
写っている二つのビルを

現在の姿で捉えるとこうなる。





0wtc11.jpg



0wtc12.jpg




高さは、どのくらいか。


"北の某"の最高峰
札幌JRタワーを簡単に凌ぎ、


東京都庁舎
東京ミッドタウン
六本木ヒルズ




ほぼ同じである。



イメージしてみたい。


東京の、

否、
ニッポンの超高層ベスト10に入る
それら三つのビルヂングを、


途中フロアから
先ほどの写真のように見下ろす
のである。




WTCが、いかに高いか。


その一端を示す相対的基準の
一つである。





0wtc13.jpg



裏側(ハドソン・リバー側)から
見る

その二つのビルヂング。

両者は
ワールド・フィナンシャル・センター
という呼称になる。









*****







最後に、

秘蔵中の秘蔵写真。



この写真は何があっても
今後も大事にしていく
という写真。


当時も
ダモシ公式サイトに掲載した。






0wtc10.jpg




ニューヨークを飛び立つ

飛行機の中から見た

WTCである。




パイロットたちは、

暗闇の中を
十数時間飛び続けて

夜明けを迎えて

ニューヨークに到着する。



彼らが

己がフライトも
そろそろ終わりに近づく時を、

そして

恍惚に浸る時を

迎えたのが、



このWTCを目にした時

だったという。


操縦室から

朝焼けに染まるWTCを見た時、


ニューヨークに着いたことを

実感した、と。






世界最大の摩天楼群たちをも

すべて
いっしょくたにしてしまう


WTCの凄みは、


空からのこの写真で分かるだろう。






むろん、

この異次元に目立つ存在感こそが

9.11での
ターゲットとなり得てしまった

ディスアドバンテージにも

なったのではあるが。









<高度の実感>シリーズは

まだまだ続く。





しかし

その
トップ・オブ・ザ・トップは、




ワールド・トレード・センター。












































posted by damoshi at 18:32| 2001.9.11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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