2010年06月19日

鉄火場にやって来たヨソ者



世の中から、
"いかがわしいもの"が失われてはいけない。

"いかがわしいもの"の中でこそ
照射される人間の性や質というものがある。

むろん、
"いかがわしいもの"と"ダークサイド"は別で、
本質的な悪に陥るものではないところでの
ぎりぎりの"いかがわしさ"こそ重要なのである。

そして"いかがわしいもの"に対する許容の可否がまた、
その人間の懐の深さを計る度合いにもなる。

逆に"いかがわしいもの"を否定するならば、
こういう物言いをつけることができる。

ダモシ的には、
蓮舫チックな仕分け人たちや
サッカーW杯南アフリカ大会の観戦ツアーに
行っているような人たちの方こそ、

信用できない、と。
人間として。

そして、彼らこそ"いかがわしい"と。

違和感を覚えるからだ。
南アフリカまでサッカーW杯を観戦しに行っている
オトナやシニアとコドモに対して
違和感を強烈に覚える上、
ブラウン管に彼らが映る度に
<毎度思うが、何だこの輩は。ほとほと、いかがわしいわなぁ…>
と思ってしまうのである。

それならば、いっそのこと、
言ってしまえば、

平日の明るい時間帯から
川崎くんだりの草競馬場に来て
"だらだらしているように"、"いかがわしそうに"
見える人たちの方が

よっぽど<人として>信用が置ける。

酔っぱらっていても、
馬券が外れて不平を述べても、
愛すべき人間性、すなわちそれは

他者を排除しない人間性であったり
他者よりも己が特別という浮世離れ感がなかったり

といったような、

ある意味で地に脚がついている風情。

だからこそ<フランク>に接することができるわけだ。

東京首都圏の東海道五十三次は川崎にある草競馬。
川崎競馬。

ここに在る人々は、
まさに
南アフリカまでワールドカップ観戦ツアーで
出かけているオトナやシニアやコドモらとの対極に位置する。

どちらの人と話がしたいか。
どちらの人の人間性から何かを見出したいか。

となれば、ダモシは圧倒的に川崎競馬である。


ダモシ版/草競馬流浪記。
笠松競馬につづく第二弾は、川崎競馬。

それはまた、
梅雨に似合うのは<紫陽花>のみならずで、

この川崎競馬/地方競馬/草競馬もまた
梅雨と大雨によく似合う空間美とアトモスフィア。



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作家・山口瞳はその昔、
地方競馬について、こう書いている。

東京競馬場などの中央の競馬場へ行く際にはない
ワクワク感が地方競馬に出かける際には存在する、と。
それはなぜなのだろう、と考える氏。

・知らない土地、知らない競馬場を見る楽しみ

・知らない馬ばかりが出てくる。馬券を買うのが一種の冒険になる。

・競馬場が小さいので向こう正面を走っていてもレース展開が分かる。
 したがって迫力がある。

とその理由を挙げている。

だが、地方競馬(公営競馬)最大の魅力は、
<インチメイト(親密)なところにあるのでは>
と説く。

<村芝居を見る安気と楽しさ>と<小博打を打つ面白さ>である、と。

さよう。

東京競馬場のGIレースともなれば、
十万人に及ぶ単位の大群衆がいる。
場のアトモスフィアも明るく、ファミリーも多い。

しかし地方競馬はせいぜい数千人が関の山。
閑散としていて静かで、
気軽に、一人で、佇みながらそこに在ることが出来る。



*****



JR川崎駅。

それはもう<JR立川駅>といっても良いほど
類似している世界観で、

"妙にデカい"。

その、妙にデカくて異様に思えるほど多い人の数。
これをかき分けて下界に降り立ち
これまた尋常ではない数が存在するバス乗り場の中で
やはり閑散としている<21>番へ向かう。

バスが鎮座しているわけだが、その前にはしっかりと
おばあさんが小さなイスに腰掛けて
<ハイ、どうぞ?>と競馬新聞の購入を促す。

こちらは、どのみち競馬場に着いたら買うさ
と思っているのだが、
長い年月の付き合いで、このおばあさんから買う人もいるだろう。

川崎はこれで良いのだ。本来は。

奇妙に近代化を押し進め、
不釣り合いなほど駅やビルを大きくした川崎。
その違和感に対して真っ向から対峙して
<昭和的いかがわしさ>(それが川崎のある意味で魅力だった)
を披露するのはもはや競馬だけか。

中途半端な、ローカル町の<街化>ほど
田舎くさい所作はないのだが、
立川にしても川崎にしても、それをやってしまったのだ。

だからよけいにドン臭く映るわけで、
本来的にはこういう町は<昭和>であり続けるべきなのだ。

既に川崎球場はない。
だが、しっかりと川崎競馬は生き残っている。

<昭和>のおばあさんが新聞を売り、
競馬場行きの無料シャトルバスには<昭和>のおじさんが乗る。

これで良い。のっけから、牧歌的だ。これで良いのだ。

中途半端に川崎は、東京首都圏の圏内にあり、
且つ近代化と巨大化を推進してきたことで
逆にドン臭くなってしまっているのだが、

それを救っているのが、地方競馬の川崎競馬である。


*****


約10分弱、バスに揺られて競馬場へ。

入場ゲートを入る直前に
おばちゃんが立っている新聞売場で立ち止まる。

<さあ、どうぞ>とおばちゃんが声がけする。

仲間が言う。
<僕はケイシュウにしようか、久しぶりに。
 まだあったんだ、ケイシュウ…>。

<はい>とおばちゃん。

仲間が言う。
<でも、もうキョウエイじゃないでしょ?>。

キョウエイ。

仲間とダモシが90年代初期を過ごした場である。
競馬専門紙と関わりのあった組織である。

ダモシは言う。
<じゃあボクは、こっちね>とダービーニュースを指差す。

そのキャッチコピーが気に入ったのだ。


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<見やすさ1番・楽しさ2倍>
<競馬の醍醐味・川崎で満喫>

ベタだ。紛れもなくこれは<昭和>である。

おばちゃんが言う。

<ありがとね。しっかり稼いできてね。いってらっしゃい>。

気分が良い。

もはやダモシは、気軽に声をかけられることがない。
どこで、でも。

ここは、
ダモシに気軽に、
軽口や好意的な声がけができる人たちがいる空間だ。


なにせ、滞在していた四時間半の間に
何人もが声がけしてきた。

ごくごく自然に。ニュートラルに。

ダモシに対して何ら好意も悪意も持たず
ニュートラルに接して、のびのびと技を出してくる
<昭和>の人々。

久しくない。

しかも、ほとんどが歳上だ。

おじさん、だ。

そもそも
おじさんと接する機会、歳上と接する機会が
年々減ってきている中である。


パドック。
普通に馬を下見していると、
隣に立って同じく下見をしているおじさんが
声がけしてきた。

<山崎は下手だな。引いてんだからさ>
<ね。あれじゃ勝てないよ>

と、普通に、その前の第二Rの件について語る。

<ええ>だの、<はい>だの、<うん>だの、
<ふふふ>だのとダモシは間の手を打つ。

おじさんの顔は、随分と穏やかで、
ある意味で日常の路上では
ダモシに対して他者が見せない親近感。

ダモシに対する抵抗感がないのだから、当然だ。

ダモシは川崎競馬に精通していないから、
騎手の名を出されても傾向を言われても
分からないから、

ただただ微笑んで優しく相づちを打つ。


スタンドで座ってレースを見ていたときも、
また別のおじちゃんが声がけしてきた。

他にも、客はいるのに、だ。

<よしそのままだ!頭は4!よし、とった!>と快哉をあげる
おじちゃん。

どうやら三連単の4-3-12の万馬券18,390円をとったようだ。

その叫びの最中から
斜め後ろに座るダモシをちら見していた
おじちゃんは、

的中と同時に
<とったぁ!>とまた叫びながら席を立った。

その直後、ダモシの目を見て喜びの顔を露出した。
ダモシはそれに優しい笑顔で返した。

南アフリカのサッカーW杯のツアー観戦しているような
オトナやシニアやコドモに対しては
絶対に見せないであろう優しい笑顔を。



雨が激しさを増してきた夜。

帰路につく前の最後のレース。
スタンドからゴール前の地上に降りてきて観戦。

雨は激しいが、一瞬、弱まった。
そこで、せっかくだからゴール前に出ていった。
庇のない屋外へ出たのだ。

すると全レースでゴール前に立ち、
実況中継のマネをして叫んでいた青年が
ダモシに声がけした。

<よいのですか?雨、降っていますよ>と。

世間的にイカれた感じの青年だが、
ダモシを前にして異様に丁寧だ。

その言葉の前置詞としてカッコ付きで
(<アニキ!>)だの(<親分!>)が隠れているような
声の出し方だった。

要するに、
雨が降っているから濡れてしまうのに
こんなところまでアニキほどの人が出てきて
よろしいのですか?

といったニュアンスの物言いだったわけである。

<いいよ。大丈夫よ>とダモシ。

青年は"さようですか"と首をすくめるが、
さらに言う。

<この馬場(ドロドロ)ですから、はねますよ?泥が。
 危ないですよ?>と。

<ここまで、はねる?>とダモシ。
<ええ、来ますよ>と青年。

青年はさらに演じる。

まさにそれはマフィア映画に出てくる、
マフィアに対して弱腰の工場長が
己が仕切る工場の職員たちを卑下して言うかの如く。


<ヤツらは、頭、悪いっすから。お気を付けください>。

ヤツらとは、騎手のことだ。
随分な物言いだなと感じたが、それは致し方ない。

強面ダモシに対して、
地場の青年が精一杯のおもてなしをしたつもりなのだろう。

明らかに、この空間に在る人々や店員とは
善くも悪くもポスチャーの異なる強面が現れたのである。

(ヨソ者だ…)とすぐに分かるだろう。

だが、そのヨソ者も、
南アフリカのサッカーW杯に観戦ツアーで出かけてきている
人々とは異なる、暗黒的なヨソ者感を漂わせている。スーツで。


<そうか>とダモシも演じて返すが、

青年はダモシにトドメを刺す。
徹底的に地場の工場長を演じ切った。

<でも心配ですね、ダンナ。
 せっかくのその、カッコイイ、スーツが、
 汚れてしまいませんかと…>。

もうこれは、完璧に<昭和の映画>の世界観である。

これが、たまらなく、イイ。



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競馬場内か、あるいは競馬場近隣のか。
いずれにせよ<店>から抜け出してきて
エプロン姿のまま競馬を楽しむ、おばちゃん。

この緩さが、良い。


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人が、ある意味で静かだ。

<ひとり>も多い。
アベックもいるが、アベックとしてのキャピキャピはなく、
いずれもワケある系だが、そこに暗さがない。

ウィークデイのデイタイムから川崎競馬場に来て
じぶんじかんをそれぞれ過ごす緩さは、
たまにあって良いのだ。

そこでこそ沸き出る人間性が、ある。


ヨソ者ダモシへの、遠慮なしの声がけは続く。

荒れた第五R。

八番人気が勝ち、五番人気が二着して、
三着には九番人気が生き残った。

分かりやすすぎるくらいに静まり返るスタンド。

これには笑いが漏れた。

皆、素直すぎるほど落胆している。
誰も言葉を発さずにボケッとしているのだ。
まるでコドモだ。シュンとしている。

だが、ダモシの斜め前にいた
また別のおじさんが、

ダモシの、ゴール直後に発した
<なにしてんの…(なんでこんな馬で決着するのよ)>
という声に反応した。

小声でブツブツ言っていたかと思えば、
振り向いてダモシに声がけを開始した。


<5-6でしょ…。ひどいね…。だいたい、なんだ、あれ…>
<え…? いかしたでしょ? そのままいかしたんだよな…>
<100万馬券じゃないのか、これ… え? 5-6でしょ…>

ダモシはやはりその間も
<ふふふ>だの、<そうね>だの、<ひどいね>だのと
相づちを適当に打っている。

掲示板に順位が出て、<5-6>ではなくて、
<10-6>であることと<5>も三着に残っていることを確認すると、
おじさんは<あ、5-6じゃないのね…>と言うが、
即座にダモシは<でも10-6でもひどいでしょ>だの、
<5も来てるから、三連複もすごいでしょ>だのと応対する。

<こんなの買えんよなぁ…>と一人、ブツブツと呟く
"しがないオヤジ"風情のそのおじさんがまた
妙に愛おしく思えてしまう。

<あぁ、昭和だなぁ…>と。



想う。

山口瞳の言は、一つには正しい、と。

曰く
<インチメイト(親密)なところ>が魅力だ、と。

対ダモシという他者の関わり方の傾向からしても、
これほど親密にダモシに接することができる人がいる
空間というものもまた、稀なのである。

親密に、あるいはそれをここでは気軽にといっても良いが、
気軽にダモシに何の気兼ねもなく
話しかけてきてクダを巻くおじさんたちが、

ダモシとしては心地よいのである。

<久しくないな…。心地よいな>と。

そして、
<歳上のおじさんたちがカワイイな…>と。

裏を返せば結局は
おじさんたちも<話を聞いてくれる>ダモシに
甘えているわけだ。

ひとりじかん、として過ごしている
いつものこの競馬場で
今宵はヨソ者が来ているのだが、

昭和のおじさんたちにとっては
ダモシを怖れることはないし怖がって
話しかけられないということはない。

彼らにとっては逆に"気のイイあんちゃん"なのである。

話を聞いてくれて
技を受けてくれそうな気のイイあんちゃんダモシ。

それを彼らは歴戦のキャリアで見抜いている。
ダモシはよい人だということを。
だから臆面なく甘えて話しかけてくるのだ。

これがダモシには妙に心地よいのである。

そして、それがまた、
草競馬ならではの空間力の成せる業である、と。


カッコつけたって、しゃあないでしょ、と。

そういう世界である。
ベタでいい、と。


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ヤングレディも、若いサラリーマンも。

いいよ。これで良いのだ。
こういうタイム・スペンドも、あっていいのだ。

人間なのだ。

否定しては、いけない。



*****



さてさて、で? どうなのよ?釣果は。

的中率1割台に喘ぐダモシのこと、
勝つわけがない。当たりまくるわけがない。

第一Rと第二Rが勝負どころだったわけで。
なにしろ六頭立てですからね。

六頭しかいないのに、
それですら当てられなければ目も当てられません、と。

で、第一Rは三連複で注文通り先勝。

しかしその後は全敗。
結局は、六戦一勝に終わり、収支はマイナス1,050円。
それに競馬新聞代500円、
ビールに焼き鳥に餃子に
川崎競馬場名物の焼きそばで1,250円。

交通費と競馬場入場料(無料券利用)を除き
締めて2,800円のコスト・スペンドと相成ったとさ。


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不的中馬券の、山。



でも、考えたい。

2,800円のチケットを買って四時間ばかり、
異空間で競馬で遊び、人間とふれあい、人間を観察できたのだ。
そして友人ともコミュニケーションすることができた。
しかも旨いB級グルメとビール付きだ。

漫然と"飲みに行く"よりも、
ダモシ的にはよっぽど良いと思っているわけである。


そもそも競馬は当たるものではない、という前提でいる。
だから、これで良い。

例えば東京競馬場などの中央は
ファミリーでのお散歩&遠足。

地方競馬は、人間観察と共に<昭和>のふれあい。

この役割分担が成立するわけである。


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名物のやきそばは、ボリュームが抜群。
味もヴェリーグッド。
見映えは普通の焼きそばだが、
食べてみると<おっ?>となる。

野球場、競馬場。それらは独自のB級グルメが楽しいのだ。



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地方競馬、草競馬というには、ある意味で立派すぎるスタンド。


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だが、一見立派に見えるこの建物があったとて、
全体に漂う倦怠感やだらだら感、いかがわしさ、
人の<良さ>感が超越し、

ここを草競馬たらしめる。



競馬の風景を。


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*****



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福山、高知、水沢、ホッカイドウなど
各地の地方競馬のガイドブックも配布されている。

これらに目を通すだけでも楽しい。

ホッカイドウ競馬は、
中央の札幌、ばんえいの帯広は行ったことがある。

福山、高知、盛岡、水沢は未踏である。
中央の福島ともども岩手は盛岡、水沢いずれも
行ってみたいと思っている。

その前に、南関東の大井以外の未踏である
浦和と船橋に脚を伸ばしてみよう。



さて、例の地場の工場長。

全レースかけていたかけ声とは、
レースがスタートすると同時に
場内実況アナウンスに合わせて

<スタートしましたっ!>と叫ぶことから始める。

レース中ずっとフォローしていたわけではないため
分からないが、

もしかしたらレース中ずっと実況を叫んでいたのかもしれない。

特異な青年だ。

だが、こういった<昭和>的な、
いかがわしい空間には
この青年のような特異な存在が必ずいたものなのだ。

現代では、そういった
ドロップアウト系、スピンアウト系や
特異系はすべて<KY>と括られてしまい、均一化の波に飲まれている。
サラリーマンが典型だ。

均一化することで己が保身に役立つ最大の防波堤
であるからだ。

KY呼ばわりされないようにすること。
これがサラリーマンを筆頭とする現代人の鉄則。

こんなだからニッポンがダメになっていく速度が
90年代から何ら変わっていないのである。

学校にも会社にも必ずいた、おかしな奴。
それが今やもう存在しないのだ。
これはニッポンの致命傷であると思う。


特異なことが悪いのか?
おかしな奴のどこが悪いのか、と。
なぜ皆一緒じゃないとダメなのだ? と。


地場の工場長ヤングボーイがなぜダモシに
平身低頭、接待的態度で臨んだのか。

ダモシが着ていたジャケットは、白。

山口瞳の書いた
川崎競馬場に関するコラムから引用してみよう。

文中、旭川や水沢などと比べて
川崎は<シビヤー(シビア)だ!>と言う
山口瞳と同行していた友人の弁が出る。

そして山口瞳は言う。

<盛夏というのはヤクザ者の目立つ季節。
 彼らは多くは、白いものを着ている>と。

旭川や水沢が遊園地で、川崎は明らかに鉄火場だ、と。


地場の工場長ヤングボーイにとって
ダモシは、

白いジャケットを着て鉄火場にやって来たヨソ者

という役柄設定だったのであろうか。



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posted by damoshi at 02:33| 草競馬流浪記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

笠松の想ひ出




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今年何冊目かの本。
今週買って、現在読んでいる本がこれだ。
文藝春秋スペシャル夏号の
<もう一度 日本を旅する>。

現代では珍しい、武骨なまでの作りだ。
グラフィックがほとんどない。
グラフィックに頼らず、
ひたすら書き手の文章を延々と掲載する。

読ませようという気概を感じさせる本(雑誌)は
近年とんとお目にかからぬため、
嬉しくもある。

膨大な数の作家や著名人が
己の旅を語る。

一方で、
松尾芭蕉のおくのほそ道を辿る<名蕉地探訪>
地方のスナック、軍事遺産、まつり、踏切など
ミクロなテーマにフォーカスをあてた特集など
読み応え十二分な内容になっている。

森村誠一氏が担当した<名蕉地探訪>では、
ダモシも感嘆し08年に当欄で特集した
栃木は大田原にある<雲巌寺>を
松島を超える名蕉地ナンバー1に推している点など、
大いに共感を得た。

当欄で雲巌寺を特集した寄稿は以下。
http://damoshiny.seesaa.net/article/103201031.html


この本の中で、
<ギャンブル・グルメ>と題して、
地方の公営ギャンブル場における
ベタなB&C級グルメを特集した記事がまた秀逸。

ギャンブルといって敬遠するなかれ。

ここで著者が書いている文章のある部分に
大いなるシンパシィを得る。

<ギャンブル場がなければ
 絶対に行かない地味でマイナーな地方都市に
 旅の目的が生まれ、
 その土地独特の知られざる名物を発見できる>。

さよう。

競馬などのギャンブルもまた
一つ視点と視野と心域を広げれば
文学的であり旅愁を大いに誘うカルチュラルな
存在へと昇華するのである。

競馬、格闘技などといった存在も
ダモログでは多く取り上げられるが、
それはギャンブルでありスポーツである一方、

れっきとした文化であるからだ。

ダモシは競馬だけはやる。
ギャンブルや遊戯でいえば
パチンコや競艇、競輪などは一切やらない。
競馬オンリーだ。

だからといって他のそれを否定するものではない。
好き嫌いとインタレストの問題なだけである。

そして競馬は、数は少ないが、
競馬場へは当然ながら年齢相応に複数出かけている。
日本国内に留まらず、である。

府中などの中央競馬は除き、
大井(東京)、川崎(神奈川)、笠松(岐阜)、
北の某国のばんえい競馬(帯広)まで。

米国では
カルダー(マイアミ)から
ヨンカース、アケダクト、ベルモントのニューヨーク勢、
メドゥランズ(ニュージャージー)まで。

それぞれに、
エリア特性がくっきりと表れている。
その土地土地の独自性が
はっきりと露呈されるのが、
一つには競馬場ともいえるのだ。

だから面白いのだ。

競馬場へ行くのもまた、
<not only ギャンブル, but also 旅>なのである。

当欄の<旅>カテゴリーにて
適宜、競馬場と旅を掲載していく所存である。

今宵はまず、1990年に訪れた笠松競馬場(岐阜)。



*****


名古屋を起点として
そこからVの字を描くように
右斜め上へ行けば犬山城やモンキーパークのある
犬山エリアへ、
左斜め上へ行けば岐阜へと流れる。

そういった位置関係がある。

そのVの字を横切る形で
中央フリーウェイと東名高速が合流した後につづく
名神高速が走っている。

1990年の6月のこと。

社会人ルーキーのダモシは
新卒デビューからわずか一ヶ月強で
出張へと出かけたのであった。

<まあとにかく俺に任しとき>と。

単独行大好き人間の面目躍如である。
ルーキーだろうが上は不要。
自分一人でへっちゃらさ、と。

歩き回った。
県でいえば愛知、岐阜、静岡。
単独行では己のペースで動くことができ、
己の判断でその範囲を延ばすこともできる。

愛知・岐阜という当初のミッション・エリアを超えて
静岡にまで脚を伸ばしたのは
己の勝手な判断であった。

だが時に、人は、組織の中においてもなお、
勝手な判断が何かを成し遂げることがある。

バットを振らなければホームランは生まれない。

それは長い出張だった。
正確な期間は覚えていないが、二週間はあったはずだ。

出張直前、現在のワイフに
彼氏がいながらも最終的にリアルな交際申込を済ませ、
己は尾張・駿河への出張へと出かけたのであった。

それこそ愛知県、岐阜県ともに広範囲に渡り
文字通り動き、歩き、汗をかいた。

名古屋市内はもとより、
主に岐阜へ出向く際は名鉄を利用した。

名鉄名古屋駅から名鉄に乗れば名鉄岐阜へ辿り着く。
名鉄という一つの路線だけで、
且つ名古屋駅以北の駅名で書けば、
国府宮、一宮、新木曽川、笠松、岐阜。

そして笠松から分離する竹鼻・羽島線沿線まで。

それこそ
<あれ?これは新幹線で名古屋の次の岐阜羽島では?>
と己自身驚くほど、
"そこまで"私鉄でとことこ動いていたのだった。

印象深いのは、竹鼻。
そしてもう一ヶ所は新木曽川(あたり)。
後者の地名は曖昧な記憶だ。
当時の手帖を紐解けば正確な地名が出てこよう。

時節は、猛暑の盛り。

後者の土地は駅から延々と30-40分歩いて
ようやく目的地の会社にたどり着いた。
まるで砂漠のように、周囲には何もない。
蜃気楼のようなものが浮き出ていた記憶がある。
その中を重たいビジネスバッグを抱えて、
汗だくになりながら必死で歩いた記憶。

前者の竹鼻は明らかなる記憶。
なぜならばそれを後押しする記録としての
写真が手元にあるからだ。


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駅前で記念に撮ってもらったものだ。
ダモシは若い。そして細い。
まだまだ大学出たてホヤホヤの
ヤングボーイの頃合いである。

ところは岐阜県は羽島市竹鼻町。
注文通りのローカル町である。

名鉄の笠松駅で分離する路線の中にある駅。

こんなローカルにまで脚を伸ばしていたわけだ。

アパレル関係。
これがクライアントのミッションだったのである。

アパレル関係、繊維関係といえば
ご周知の通り岐阜である。
あの山本寛斎も岐阜の人だ。

だから岐阜をメイン・ストリームとして
愛知・岐阜という
出張におけるフォーカスが形成されていたわけである。

静岡まで脚を伸ばしたのは、
エリア的な範疇であることと
愛知・岐阜でのミッション途中で手詰まり感を
覚えたからである。

<アトモスフィアを変えなければ>。

そう察知したダモシが
独断で静岡にまで脚を伸ばし、そして結果を出した。

ミッション的にはこの出張は、
成功に終わったわけだが、
それはそれとして、旅だ。

この竹鼻という町はかつては城下町として
どうやら栄えていたようだ。

だが、このときの記憶では、
<ずいぶん遠くへ来てしまったな…>という、
やはり何もない侘しさが漂っていた。

一方で、賑わいなくとも
なぜか暗さを感じなかったのは
駅前にいるとなぜか複数の若い女性が
入れ替わり立ち代わり歩いてきたからだろう。

そしてやはり猛暑だったからだろう。

とにかく暑かったのだ。あの初夏は。

あの初夏といえば
競馬の件で度々記載する
アイネスフウジンの日本ダービー
(猛暑の五月/史上最高入場者数のダービー)が
行われた同じ年だからである。

そのダービーが終わった
それこそ数日後に東京を発って
この出張に来ていたのだ。


竹鼻、そして
砂漠のような何もない原野を歩いている途中に
"蜃気楼のようなもの"を見た土地などを
動き回っていた出張初期から中期にかけては、

ミッションに対する結果が、
なかなか出なかった。

当然、焦りが出てくる。
焦りは、相手との闘い(交渉)などにおいて
よからぬ所作と言動を生む。

しかも相手はいずれも老獪で、
こちらはまだまだルーキーである。
さらに場所は相手のホームで
ダモシにとってはアウェイ。

厳しい、疲弊する日々。

しかも、名古屋の滞在先の電話番号を教えておいた、
交際を申し込んでいたワイフからは何も連絡が来ない。

精神的に、"参って"きていた。

そんな頃合い。

いつものように名古屋駅を起点として
名鉄に乗った。

そしてそれまでも通過していながら、
まったく気づかなかった
(その余裕がなかった)ある存在にフト
気持ちが止まった。


笠松である。



*****



<あれ?そういえば、笠松って…>。

そう。

1990年といえば、
あのオグリキャップが年末の有馬記念で
劇的なラストランを飾ったイヤーである。

まさにオグリキャップの
88年から90年にかけての激走は、ムーブメント。
大げさではなく、確かに社会現象といえるほどだった。

オグリキャップが公営・笠松競馬の出身であることは
ファンなら誰もが知っていた。

87年に笠松競馬でデビューしたオグリキャップは、
デビュー戦こそ二着に破れたが
そのあと二連勝。そして次に二着に破れた。

衝撃はここからだ。

笠松競馬場で三連勝を飾り、
中京と名古屋へ乗り込んだレースでも連勝。
笠松へ戻り三連勝と怒濤の快進撃を続けた。

笠松、中京、名古屋、笠松と続く八連勝の時、
最初の勝利を除いてすべて鞍上は、
安藤勝己。

今や中央競馬のスタージョッキーである
通称"アンカツ"もまた、
笠松競馬の人だったのである。

これは凄いぞ?と
地方・笠松から中央へ転じたオグリキャップは、
中央でもGIIIを三連勝。

これは本当に凄いぞ?となり、
今度はGIIでも負けずに二連勝。
しかも2レースともレコード勝ち。

ああこりゃ怪物かも?となって迎えた秋は
王道路線の毎日王冠(GII)でも勝って
<怪物だわ>となって、

秋の天皇賞という大一番で一番人気を背負った。

その後の快進撃と、
晩年の失速、引退レースでの劇的復活などは
言わずもがなであろう。

そのオグリキャップが、
そろそろ脚色を鈍らせてきていた90年初夏。

ちょうどその出張中に、
宝塚記念(GI)が行われて
ダモシも滞在先でテレビ視聴したが二着に破れた。
それが90年の6月10日のことである。

その日の前か後か。
それは忘れたが、いずれにせよ
オグリキャップ=笠松=安藤勝己
という記号への理解がある中で、

名鉄の車内でフト気がついた笠松駅だったのである。

ダモシは迷わず、そして咄嗟に電車を降りた。

笠松競馬場へ行くために。

そこはもう、完璧なるローカルだった。

<これが地方競馬というものか…>と、
その頃既に大井競馬場へは出かけていたが
同じ地方競馬でも
東京にあり、当時既にデートコースとしても
トゥインクル・レースが行われた大井競馬場とは大違い。


平日の真っ昼間から、だらだらと、
だらしのないオヤジたちが酒臭さを漂わせながら
競馬場内に"たむろ"し、ぶらぶらしている。

これぞ地方競馬だ、と。

駅から競馬場エントランスまでの公道は、
レースに出る馬が横切るため
車は停まる有様。

その馬は、これまた、だらだらと歩く。
停まっている車もまた急がない。
急ぐ必要がないのがローカルの特徴だ。

時間というものの単位は同じでも、
都会と地方では
そのペースは大違いである。

同じ一分でも、
ペース的に東京が30秒なら
ニューヨークが10秒。
そして地方は90秒という世界観。

まったく"やる気"というものがなくて、
当然その根底に潜んでいるはずの
覇気や鋭気も感じられない。

ただただ、だらだらとぶらぶらと。

そんな感覚、なのである。

ところが、こういった空間に身をおいたのが
正解だったのだろう。

ダモシの肩の力が抜けたのである。

<まあ、いいや。結果は気にせんと、
 ノビノビと、己の感覚と触覚でやって
 努力すれば、それでいいさ>

と。



笠松競馬に、救われたのである。




*****



或る日の夜。

滞在先にいると電話が鳴った。
ワイフからだった。

彼氏を捨てて、
ダモシのもとに飛び込んでくることにした、と。

そういう連絡だったわけだ。

ダモシは平然と言った。

<そうなることは分かっていたよ>と。

だが、内心、バクバクであり、
嬉しくて飛び跳ねたい気分だったわけだ。

当然、翌日から、さらにミッションへの覇気が
漲ってきたことは言うまでもない。

以前もちらっと記載したことがある、
東京駅での待ち合わせで
東海道新幹線で帰ってくるダモシのことを
ワイフは東北新幹線のホームで待っていたことで
交際開始後の初めての劇的な邂逅が
失敗に終わったという笑劇の事件が起こるのは
この出張の帰路のことである。


その年の年末の有馬記念。

オグリキャップの復活ラストランを、
ダモシが住む中野新橋のアパートメントで二人で観た。

今も、オグリキャップのぬいぐるみは、ある。
ジュニアの部屋に。


笠松競馬を想い出す時、
必然的にあのときの出張と猛暑、

そしてワイフからの電話がフラッシュバックする。

あれからもう二十年も経っているのか、と。

ワイフと交際を開始してからも、
今年は二十年(結婚して十八年)になるのだなぁ
と改めて感慨深いところである。


今となっての悔いがあるとすれば、
一枚も
笠松競馬場で写真を撮らなかったことである。


もう一度、行く機会はあるだろうか。
ないだろうなぁ、というのが率直なところだ。

笠松という地へ、
笠松競馬だけのために
わざわざ行くことはないと思えるからだ。

そこを巡り、何かを書いたりする仕事がない限り、
おそらく行かないだろう。


だからこそ、あのとき、あのエリアに
出張があったという幸運には感謝したい。






posted by damoshi at 02:22| 草競馬流浪記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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