2011年02月12日

大橋の左アッパー



ダモシの現在の住まいは横浜市。

現在の日本プロボクシング協会の会長である
大橋秀行の出身地は横浜市。

世代は同じ(大橋が一学年上)で、大学は同じ。

ダモシが同じ大学の五年生に未だ在籍していた
1990年2月の今ごろ。

大橋は日本中の期待を背負った世界タイトルマッチに望み、
すばらしい試合(年間最高試合賞受賞)をした上で勝ち
世界チャンピオンに輝いた。

大学卒業と春からの社会人デビューを控えた
最後の真冬の二月の今ごろ、
ダモシは中野新橋のアパートメントの自室内テレビで
この試合を観ていて、共に大喝采をあげた。


*****


大橋は過去二度、世界タイトルに挑戦して破れていた。

また、一昨日、日本人史上最速で世界王者に上り詰めた
井岡一翔の叔父・弘樹が"しょっぱい試合"で
タイのナパ・キャットワンチャイに破れて王座陥落して以降、

日本ボクシング界が陥った不毛地帯。

世はバブルに浮かれていたが、
何でもカネで解決しようという風潮は顕著で
それはボクシングの世界にも溢れ、
世界挑戦を乱発しては無惨に破れ去るを繰り返していた時代。

前述の井岡弘樹の王者陥落による
日本人王者不在期は1988年から始まり、
以降、延べ18人21試合連続してカネにモノを言わせた
特権的な世界タイトル挑戦に失敗し、

アトモスフィア的にも、
<日本ボクシングは終わった>世界観で蔓延していた。

そんな背景環境があった時代である。

ただ、その前年にも日本タイトルながら
J・フェザー級の日本タイトルマッチでの
伝説となったマーク堀越vs.高橋ナオト戦など
白眉な試合はあるにはあった。

要は、"ちゃんとした"挑戦者が、
満を持した状態="勝ち負けになる"土俵で
世界タイトルに挑戦していなかったのである。

そこで、大橋だ。

<150年に一人の天才>だった大橋は二度、世界挑戦に失敗。


・日本ボクシング界の暗黒時代に
 最後の切り札として大橋が挑む試合

・大橋自身も三度目の正直であり、
 過去二度の世界挑戦時よりも階級を一つ下げて、
 パンチの破壊力では王者を上回る中での試合

・日本人世界タイトル戦21連敗中での試合

という主たる要素が厳然と横たわった中で、
大橋は試合を迎えたのだった。

この1990年2月というのは、ニッパチの法則に逆らって
大きなイベントが続いた。

ローリング・ストーンズの日本初公演シリーズが
東京ドームで行われたが、
それもこの2月だった。

ダモシもこの公演に足を運んだ。

そして当時の世界最強マイク・タイソンが
東京ドームで
ジェームズ・ダグラスにKO負けして王座陥落したのも
1990年の2月。これもダモシは現場で観ている。

衆議院議員の選挙もこの年、2月に行われている。
自民党が圧勝。時の幹事長は小沢一郎。

世はバブル。

そんなシチュエーションである。


*****


ボクシングの殿堂<後楽園ホール>は、
異様な熱気をもって大橋を迎えていた。

WBC世界ストロー級タイトルマッチ、
王者・崔漸煥(韓国)vs.挑戦者・大橋秀行。

試合もスリリングな、激しく打ち合うバチバチの内容。

<勝てるだろう>

<今日こそ世界チャンピオンの誕生ではないか?>

<否。今日こそ、ここで大橋こそ、
 負けてはならないだろう。勝て!大橋>

といったアトモスフィアが支配する中、

当然ながらどんな試合も楽に勝てるほど甘くはない。
リーチやパンチ力でのアドバンテージを生かす大橋だが、
王者も簡単には崩れない。

試合は第9Rに決する。

大橋の強烈な左アッパーが、王者のボディにヒットした。
王者、ダウン。

総立ちの後楽園ホール。

立ち上がり、試合再開。
大橋は千載一遇の好機に焦らずに
最後のKOパンチを左アッパーと定めたかのように
王者の苦し紛れの猛攻をガードを固めて、スキを窺った。

まさに一発=左アッパーを狙うための時間が数秒過ぎた後、
狙いすました大橋の腰の回転の効いた左アッパーが
王者のボディを再びえぐった。

王者、ダウン。悶絶。もはや立ち上がることはできない。

狂喜乱舞の後楽園ホール、関係者、そして大橋。

ついに大橋の手によって
久しぶりにニッポンに世界タイトルが戻ってきた瞬間。




(決着のつく9Rの攻防)。

この大橋の左ボディへのアッパー。
ボディブロー、フックともいえるが、
空手でいうところの下突きにも該当するパンチだ。

アナウンサーは思わず<左ボディブロー!>と叫んでいるが、
やはりこれは正確にはアッパーだろう。
特にKOに至った二発目のそれはアッパーである。

説得力十分の、まさに教則ともなり得る<左ボディへのアッパー>。

この残像は、21年経った今もなおダモシに焼きついて離れない。

大橋の左アッパーこそ、
アントニオに昨冬以来伝授しているパンチの
一つのロールモデルとなっているほどである。

上述した背景環境と、実際の試合内容、
さらには最終回(終幕)での作法の説得力。

これらが合わせ重なって、
この試合もまた魅せる要素満載の闘いとなり
後世に語り継がれるものとなっている所以でもある。


今、大橋氏は冒頭記載の通り、
プロボクシング協会の会長という要職にある。

いわば貴乃花が大相撲協会の理事長になるようなものだ。

新世代として今、業界のトップに立ち活動する。
大橋氏自身はある意味で今やメタボ中年となり
ポスチャー的には別人だが、

あの時の大橋を知る世代の我々にとっては、
それで大橋の価値を下げるものではない。

逆に大橋ならしょうがない、という許しの部分も生まれる。
それほどまでに
あのときの大橋の魅せたパフォーマンスは素晴しかった
といえるわけである。

マスト・ウィン・シチュエーションをくぐり抜けて
あのとき勝ち切った大橋の偉大さは、
少しでも闘いに関わった経験があったり
現在関わっている者ならば、分かるだろう。

この試合は、年間最高試合賞に輝いたことは前述したが、
大橋はその二年前にも別の世界戦で同賞に輝いている。

その合間の1989年の年間最高試合が、途中で記載した
マーク堀越vs.高橋ナオトの日本タイトルマッチだったわけだ。




(名場面を展開したダイジェスト版)。


まだまだ、

"しょっぱくない"試合で、"ちゃんとした"試合が当時、あったのだ。

今もむろんそういう試合は多いが、
それでも亀田を含めて現在のボクサーに足りないものは何かといえば、
"こういったこと"を指しているのである。

そして、後楽園ホールの熱。

今の総合格闘技やK-1系では、ちょっとあり得ないだろう。

それだけプロレスもボクシングも、
そして例えば極真空手のオープントーナメント全日本選手権でも
<昭和>は計り知れない熱があったのである。

大相撲もまた、しかり。

放駒親方には頑張って欲しい。
親方の現役時代の魁傑をナマで観て大ファンになったのがダモシである。
魁傑には当時、サインまでもらった。

魁傑なら、ちゃんとやってくれそうな期待をしている。

大橋がボクシング界を、ちゃんと導いてくれそうなように。




posted by damoshi at 22:15| <昭和>プロ格 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1977-ザ・ファンクス



格闘技は、人間同士が行うものである。

人間だから、そこには心がある。
心を消し去ってという部分もむろんあるが、
心ある人ならば、完全にそうあることもまた難しい。

たとえば相撲で、
事前擦り合わせや金銭の発生なしに
肉体をぶつけ合う者同士の中で
片方が「今日は彼に勝たせても…」と感じて
力を抜く場合もある。

だがそれは意図的に負けたということとは
いささか趣は異なる。

たとえばコドモとの空手で、
組手の稽古をしている中で
こちらも手を抜かずにいくぞ?という姿勢の上で、
それでもコドモに自信をつけさせるために
オトナ側が「今日はこの技を決めさせてみよう」
と感じて、力を抜く場合もある。

これもまた意図的に入れさせた/負けたということとは
いささか趣は異なる。

同じ格闘技でも、
旧UWFからPRIDE、MMAに至る
"真剣勝負"を謳ういわゆる総合格闘技といわれるものの中にも、
すべてがすべてガチンコということはあり得ない。
そこには人間の心が介在するからだ。

そしてプロレス。

ニッポンが今よりも良い時代、人の心もあった時代、
しかし今よりもなお文化レベルの一部で劣っていた時代、

「プロレスは八百長」という下らない論理が横行し、
アンチ派のそれは楯となっていた。

これほどレベルの低い論はないのだが、
それに関して語り出すと長くなる上、
今さらもう説明は不要であろう。

空手にしても相撲にしてもプロレスにしても
格闘技はすべて己の力を駆使して
ぶつかり合う意味では真剣なのである。

鍛え上げた肉体と厳しい稽古があって
はじめて成り立つものであるということを
大前提として考えなければ、

テレビによく出ている"素人"コメンテーターのような
まさに三流以下レベルの解釈しか出来なくなる。
机上の空論だけで語るコメンテーターのような輩こそ、
ダモシ的には糾弾されてしかるべき存在だから、
彼らのような論にほだされてはいけない。
一般の新聞もしかり。

大相撲の一件で、テレビでも論点がズレた議論

八百長か、そうではないか

が展開されているが、
ほとほと情けないわけである。

携帯電話や直接的な会話をもってして、
大相撲において勝ち負けを<譲り合う>構図は
当然ながら八百長という解釈になるわけで、

それをもってして、
その他のすべての"ブック"や上述したような仕掛けを
八百長あるいは片八百長と捉えたり、

野球やサッカーその他のスポーツはおろか、
さも自分たちの日常ですらも
一切<八百長>や<片八百長>、
そして<ブック>やそれに準ずる心ある行為は
存在しないとでも言いたげな輩には腹が立つわけである。

毎度記載するように、
ではキミたちは人生の中で一度も
そういうことはなかったか?

いつもすべてにおいてシュートしてガチンコしているのか?

と、問いたくなるわけである。

ダモシは今回の大相撲の件はさすがに擁護できず
怒っているが、

それとは異なるものにまで議論の遡上にのせて
くだらないディスカッションもどきをして
公共の電波や紙で提示する文化レベルの低さもまた同時に

怒っているぞ!

となるわけである。

ダモシが常々提唱している
<見せる要素(魅せる要素>は人生においても
格闘技、スポーツにおいても何においても
必要であると考えているからである。

こういう問題が起こると、
必ず一般ゼネラルは<よゐこ>ぶる。

そして、さも自分は常にシュートでガチンコだと言わんばかりだ。

ナアナアを多々、行っているくせに。

ダモシから言わせれば、
そういうコメンテーターや輩こそ
オールウェイズ八百長をしているではないか
ということになるのだ。

昔の、
真剣勝負を謳う系統の格闘技が
自分らは真剣勝負(シュート)でプロレスは八百長
という打ち出しをしたことには強烈なる嫌悪感を覚えたが、

その際に故ジャイアント馬場が言い放った
<プロレスはシューティングを超えたもの>
という名言や、

アントニオ猪木の提唱した
<ストロング・スタイル>は、

すべての下らない論を破るものとして後世に残っている。

これらの言葉を理解出来ないと、
ビジネスでも恋愛でも日常的社会生活において
机上の空論を振りかざして正論や
己の身を顧みずに常識をかざるよゐこに陥るわけである。

また、それほど文化レベルの低いことはない。

ある意味で、善し悪し好き嫌いは別として
石田純一の過去の名言<不倫は文化だ>も
<プロレスはシューティングを超えたもの>に
一部で相通じる部分もあるわけだ。

そういった硬軟清濁合わせ飲む器量を持つと同時に、
<心>が介在する中での見せる要素/魅せる要素。

これこそが原初にあるべき大前提である。

八百長云々をもってして、
論の矛先を展開させることほど乱暴なことはない。

ダメなものと、そうではないものの
明らかなる線引きは必要なのであり、
またその線引きをそれぞれの心の中で自然に理解できなければいけない。

理解できない"素人"が
マスコミやコメンテーターの中には多過ぎる。
彼らが文武の中の文オンリーの属性傾向が高いから
そうなってくるわけだが、

力士からすれば、
その線引きは語らずも分かるだろうと言いたいだろう。
<お前、やってみろよ>と。まずは。

空手もしかり。やってから語れよ、と。

ネガティヴな方向で語ったり、
机上の空論で誤った論を公共の電波や紙で流すならば、
その前にやってみろよお前、と。

それはダモシも、同様に思う。

やれや、と。
やってから言えや、と。

やらんのならば、理解してからせめて語れや、と。

コメンテーターという輩やマスコミを見ていると、
そもそも論だが<敬意>が欠如していることに気づく。
彼らはその対象と競技に対する
そもそものリスペクトがない。

リスペクトがない中で語ればどうなるか?
ネガティヴにしか語ることができない
という最悪のケースに陥るのである。

<抜本的な改革を>なんぞ、誰でも簡単に言えることだ。

八百長の根絶を、と言ったとて、
言っている彼ら自身が八百長とそうではないものの
線引きもも理解していないだろう。


<昭和プロ格>コーナーで、
教示を伴う、ダモシ的な提示を二編したいところである。

まずプロレスからは、
ザ・ファンクスvs.アブドラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの
世界オープンタッグ選手権決勝戦(1977年)。

(次はボクシングから)。

コメンテーターやらその他の<よゐこ>の類いには
絶対に理解し得ないタイプの試合である。

とにかくフルで見てみ、と。
魅せる要素とは何なのか。



*****



映像を先に見てしまうと、
それに頼ってしまう。
だからリンクは後にするとして、
まずはその試合に関わる背景環境。

<連続ドラマ性>という
近年ニッポンが失って久しい昭和の良さ。

ここから始めたい。

その昔は、
<太陽にほえろ!>から<熱中時代>、
<教師びんびん物語>などに至るまで
テレビが未だマトモだった時代には多くの名作ドラマが生まれた。

昭和である。

今はもう、あり得ない。
ニッポンに帰国してきて
復活したかな?と淡い期待を抱いたが
それがムダだったことも既に気づいてしまった。

今やテレビも新聞も、<恥を知れ>レベルに陥っている。

その、昭和の良き時代の
〜テレビとテレビマンたちがマトモだった時代の〜
ドラマにはきっちりとした連続ドラマ性があった。
初回から戦略に則って
毎週ストーリーが連続していく。

連続ドラマ性がもたらす期待感は、
最終回というゴールにすべてはつながっていく。

オーガズムを最終回へ。
この明確なイズムが生きていた時代である。

平成に入って以降、ドラマは最終回が<キョトン?>
としてしまうような尻切れトンボに劣化した。

要するに作り方にムリがあるから、
連続ドラマ性を生み出せず
ひいては最終回のトンチンカンに至るという
まさしく負の連鎖である。

おそらく作っている側も、途中、判然とせずに
作っているのだろう。
結局はすべて視聴率というくだらない秤に
縛られてしまっているからである。

今ではもう<川口浩探検隊>などのような
プログラムは二度と無理だろう。
ほとほと情けない時代である。


この<川口浩探検隊>もまた、
くだんの八百長議論にも該当し得る素材である。
きっと前述した輩たちは
<川口探検隊>を楽しむ作法を持たないだろう。

きっと言うだろう。<ヤラセでしょ?>と。
それで終わらせてしまうようなタイプの人間
にとっては、格好の存在の一つが
この<川口探検隊>シリーズでもある。

金曜午後八時の世界観。
ここには<太陽にほえろ!>と共に
アントニオ猪木率いる新日本プロレスの
<ワールド・プロレスリング>があった。

猪木のこのプロレスこそ、
連続ドラマと同じで、
きちんとシリーズごとに
開幕戦から最終戦(たいてい蔵前国技館)への
一連のストーリーを展開しつつ流れていく。

観る者は来週どうなるのだろうか、
しかしそれにしても今の状態なら
最終戦でのタイトルマッチで猪木はヤバいのではないか?
等々、ワクワクドキドキする。

格闘技、エンターテイメント、スポーツ、その他の
あらゆる要素を、まるでサラダボウルのごとく包含して
突出したコンテンツを提示していたのが
アントニオ猪木だったのである。

そして、その猪木に対する昭和の巨人が、
ジャイアント馬場。

馬場率いるは全日本プロレス。
土曜午後八時はこれまた<8時だョ!全員集合>と共に
アイコンとしての
<全日本プロレス中継>が存在していた。

1977年12月。

小学六年生のダモシを興奮させたのが、
全日本プロレスが開催した
<世界オープンタッグ選手権>である。

文字通り世界最強のタッグチーム(二人組)を決める
オープン・トーナメントである
(実際にはトーナメントではなく総当たりリーグ戦)。

オープンというのは、
門戸を他団体にも開放するという意味である。

テニスのUSオープンと同じ世界である。
空手でいえば極真その他の団体が主催する
オープン・トーナメントに
他団体からアントニオが出るのに等しい。

実際には当時のプロレス界は、
馬場率いる全日本、猪木率いる新日本、
そして第三の団体としての国際プロレスがあり、
国際を除く全日vs.新日は犬猿の仲だった。

むろんプロレスは興行であり、
当時はゴールデンタイムで放送される
キラー・コンテンツでもあったため、放映権の問題もある。

"オープン"と謳い
他団体からの参加も受け付ける風を装うことで
その大会にヴァリューを付与する意図は当然としても、
全日本と日本テレビが主導するオープン大会に
新日本とテレビ朝日が参加するわけがない。

それでも、
国際プロレスからはエース・チームの
ラッシャー木村&グレート草津組が参加したことと
韓国代表としても
大木金太郎&キム・ドク組が参加したことは
"オープン"の名を汚すものではなかった。

むろんここに
アントニオ猪木&坂口征二という
当時の新日本の黄金タッグが参加すれば
当然ながら優勝候補筆頭になったであろうが、
そういった"実現不可能"な壁があったこともまた
昭和の良さの一つでもある。

<垣根を越えて>云々という名のもとに
ベルリンの壁崩壊以降、
あらゆる壁〜正義と悪の境界線も〜が
消滅してしまい、<何でもあり>になったことも
いずれも功罪相半ばするところがあるわけだ。

存在して良い壁もある。簡単に破られない壁があるべきだ。
何でもありにも限度がある。

そういった部分のぎりぎりの分水嶺は、
個々のセンスの問題になってくる。

さて世界オープンタッグ選手権。

主催の全日本からは
もちろんエースのジャイアント馬場が
次代のスター、ジャンボ鶴田との師弟タッグで参加。

米国からはドリ&テリーのザ・ファンクス。

そして世界最凶コンビの
アブドラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組。

欧州代表は
ビル・ロビンソン&ホースト・ホフマン組。

ザ・デストロイヤーも参加。

メンバー的には世界選手権に遜色のない状態に整った。

優勝争いは、
馬場&鶴田組、ブッチャー&シーク組、ザ・ファンクスの
三つ巴と見るのが、当時としては妥当であった。


そして、馬場・全日本は<上手かった>。

これほど完璧なストーリーでの連続ドラマ性と、
最高の最終回を見せたシリーズも、思い浮かばない。

馬場は開幕戦でいきなり
優勝候補同士の
自身と鶴田組vs.ブッチャー&シーク戦を持ってきた。

そして試合結果よりもむしろ、
<ザ・ファンクス>に誰もが心は奪われた。

荒れた試合の最後、
なぜそうなったのかは覚えていないし
当時も判然とはしなかったが
とにかく唐突にザ・ファンクスの弟テリーが
そこにいて、ブッチャー&シークに襲われて流血。

ゴングが鳴らされる大混乱の中で
テリーは首を絞められて白目をむいて失神したのである。

その衝撃的なシーンと唐突な事態に、
テレビを観ていて、一瞬、ついていくことができなかった。

<テリーは、いつの間に、なぜ出てきたのか…>

<なぜこんなにやられているのに、
 馬場も鶴田も兄のドリーも真剣に助けないのだろう…>

そういった疑問は覚えたものの、
あまりの衝撃的なシーンと
ブッチャー&シークの凶悪ぶりに目を奪われて、
この開幕戦の最後の光景をもってして、
ダモシはもとより
おそらく多くのファンの心理はこの時点で既に

<最終戦の蔵前国技館での
 ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シーク>

へと完全フォーカスが向けられたのだった。

ある意味で日々の優勝争いはどうでも良くなり、
度を超した極悪非道な
ブッチャー&シークの仕業に対するリベンジを
必ずやザ・ファンクスが最終戦の蔵前で果たすだろう、と。

果たしてくれ,と。応援するぜ、と。
どんな激しく爽快なリベンジが待っているのか
という期待感。

そんなムードで支配された。

シリーズは進む。

最終戦の蔵前国技館大会を迎えた。

この時点で
馬場&鶴田、ブッチャー&シーク、ザ・ファンクスの
いずれのチームも優勝の可能性を残していた。

リーグ戦を終えた馬場&鶴田は勝ち点13で首位。
最終戦のメインイベントのリーグ戦、
ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シークを迎える時点で
この両チームの勝ち点は12。

この試合の結果如何で
馬場&鶴田の優勝、もしくは同点決勝での優勝決定戦、
あるいはファンクスかブッチャー&シークのいずれか優勝
という見事なまでの、設え。

この試合が

A:30分時間切れ引き分けの場合、
  3チームが勝ち点13で並び巴戦での優勝決定戦へ

B:両者リングアウトの引き分けの場合、
  加点なしのため、馬場&鶴田の優勝

C:いずれかが勝てば、その時点で勝ち点14となり優勝

という構図にある中で、
ここまでの連続ドラマ性で鑑みれば、
普通に考えればBという結末は考えにくい。

Aは、ブッチャー&シークという凶悪コンビを鑑みれば、
あまり考えづらい。

ファンにとってはCでのザ・ファンクスの優勝こそ、
最大親和性と消費者便益を持っていたことは
疑いようがなく、まさにそれはNo Doubtだった。

且つ消費者の心理的便益を考えた場合、
ザ・ファンクスが
開幕戦のリング上で受けた屈辱を晴らすことが望まれた。


以上のような背景環境があった中での、

1977年冬の、ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シーク戦
ということになる。


*****


開幕戦での大乱闘及びテリー・ファンクの大流血:




*****


そして迎えた最終戦。東京・蔵前国技館。
現在の両国国技館の前の国技館である。

昭和のプロレスのビッグマッチといえば<蔵前>。

アントニオ猪木vs.ウィリー・ウィリアムスの
新日本対極真カラテの異種格闘技戦もここだ。

既に背景環境は整っている。

あとは消費者便益を満たすか否か。

ザ・ファンクスの入場で
早くもボルテージが上がる。

選手入場の際にテーマ曲が流れるようになった
黎明期の頃だ。それは斬新なことだった。

猪木のイノキボンバイエ一本かぶりの新日本に対し、
全日本は、錚々たる顔ぶれとテーマ曲が揃っていた。

中でも
ミル・マスカラスの<スカイハイ>と
ザ・ファンクスの<スピニング・トーホールド>は
多くの少年ファンの心を掴んだ。

<スピニング・トーホールド>の軽快なリズムに乗って、
テキサスの、いかにもアメリカ的な
ザ・ファンクスが入場。

期待感で溢れる国技館、そしてテレビの前のファン。

続いて
<吹けよ風、呼べよ嵐>に乗って
ブッチャー&シークが入場すると、
ザ・ファンクスがいきなり奇襲攻撃で
開幕戦での鬱憤を晴らしてリベンジ態勢を煽った。

会場総立ち、大歓声。

ゴング前のつかみは、完璧にOKとなった。



<あっ!シーク、出血!>

名アナウンサー、倉持隆夫さんの声が引き立つ。

<真っ白いベールが血に染まりました!
 真っ白いベールが血に染まりました!>

二度、強調するワードを繰り返すことと、
その際の抑揚。

アナウンサーもまた昭和ならではの卓越した技術。
今の、絶叫するだけのそれとはレベルが違う。
倉持&解説の山田隆コンビは郷愁を誘う。

試合も組み立て見事に進み、中盤を迎える。

ここで、ザ・ファンクスが痛快なリベンジ劇を
展開するだけならば、それは予定調和で終わってしまう。

物事には、魅せる要素には、予期せぬ感動が必要になる。

それでこそ、最大の消費者便益の享受となる。

中盤、世界最凶コンビの凶器攻撃が
ふたたびテリーを襲う。



この動画の3分30秒経過の頃合いから
ブッチャー&シークの伝説の<フォーク攻撃>が始まる。

倉持隆夫さんが
<あっ!フォークだ!フォークです!フォークですね!>
と叫べば、

解説の山田隆さんも
<フォークですね!>と呼応する。

テリーは右腕を刺され、場外で昏倒。
ここから兄ドリーの孤軍奮闘が始まる。

そしてこの試合、最大のハイライトが訪れる。

場外で包帯を巻かれるなど応急処置を施したテリーが、
リング上でブッチャー&シーク二人がかりで
痛めつけられる兄ドリーの救出にやってきた。

そして、アメリカンな所作で、左ストレートをぶち込む。

最大の見せ場であり、
ここでもう消費者便益は完璧な構図となって満たされる。

(映像の8分15秒くらいからのシーン)。


*****


試合は、ザ・ファンクスの反則勝ち。
ザ・ファンクスの優勝で幕を閉じる。



表彰式でもザ・ファンクス一色。
<スピニング・トーホールド>が鳴り響く感動の中、
満場の国技館、テレビの前のファンから
ドリー&テリーに惜しみない拍手と声援が贈られた。
(映像の4分経過の少し前から)。

テリーは目を潤ませて歓声に応える。
茶の間で観ていたダモシだが、
共に観ていたウルトラの母が涙したのを記憶している。

かくして大団円で終わった世界オープンタッグ選手権大会。

穿った見方をすれば、
これを"アングル"だの"ブック"だのとは言える。

しかしながら、そう言ってしまっては
すべてそのレベルで終わってしまう。

例えば、アントニオの空手にしても
優勝あるいは準優勝もしくは入賞という
難易度の高い結果に終わる場合においても
<アトモスフィア>というものがある。

優勝するようになっていたというのは、
<アトモスフィア>である。

何となくイヤなムードが、
会場や相手のみならず日常生活すべてにおいても
漂っている場合で、
その予感通りに望まないような負けを喫するケースも
それは<アトモスフィア>の仕業である。

心において、それらは
<優勝出来る気がする>
<優勝するようなムードだ>
という大気感としてのアトモスフィアや
その逆も、

現実的に常在戦場の日々の中では、明らかに存在する
ということが分かるわけだ。

大気感、仕掛け、構図、構成、環境マップ、
そこに関わるキャスト(人々)、モメンタム、モチベーション、
連続ドラマ性、魅せる要素、その他もろもろ多く存在する
<エレメンツ>一つ一つの積み重ねと交錯が、
スポーツや格闘技においては重要なものとなり、

結果に影響を及ぼしてくる。

興行としてのプロのそれにおいては、
お金を払って得る対価として
消費者が最大重視する

<お金を払ってこれを観る/買うことで得られる
 『得』(便益=それは物理的&心理的双方)は
 何なのか?>

に応える義務がある。

それを提供する義務が、
通常の企業が出す商品から
プロスポーツの興行においては厳然と存在する。

それを提供出来ない場合、商品回収や売上低迷、
ファン離れ、<カネ返せ>という事態につながり、
双方ハッピーにならない。

ここをまず、考えなければならないのである。

八百長だの、ブックだの、アングルだの
という安直にして単純でレベルの低い議論で
片付けるものではないのだ。

もっともっと文化レベルの高尚な世界観がそこにあるのだ。

その意味で、
一例としての
この世界オープンタッグ選手権大会と
その最終戦における
ザ・ファンクスvs.ブッチャー&シークは、

消費者便益を完璧に満たす最大化を果たし得たもの
として、後世に残る。



posted by damoshi at 14:02| <昭和>プロ格 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月04日

ザ・モンスターマン



エベレット・エディ。リングネームはザ・モンスターマン。

アントニオ猪木の格闘技世界一決定戦で初のプロの空手との対戦相手。
ダモシ中学一年生。夏休みのことだったと記憶している。
ところは日本武道館。

アリ戦の酷評を受けて迎える最初の異種格闘技戦ということで
猪木・新日本にとっても大きな賭けだった試合だ。

当然、主催者である猪木としては負けられない。
未知との遭遇であっても既に
柔道の金メダリスト、ボクシングの世界ヘビー級王者との
闘いという修羅場をくぐりぬけている猪木であったが、

それまでのプロレスの動きとは異なる
米マーシャルアーツの動きには戸惑ったはずだ。

この試合も鮮明に覚えているが、
とにかくモンスターマンのキックやパンチはもとより
その肉体の動態アクションが美しく、溜息が漏れたものだ。

試合としても、殺気を互いに隠匿した上で、
スピーディ且つスリリングな攻防と格調高い展開が白眉だった。

のちの極真空手のウィリーと比べると、
ウィリーの場合はまさにカラテであり正拳など一発の重みを
感じさせるものだったが、
モンスターマンのそれはトリッキーであることや
ヴァリエーションの妙、そしてこれぞ黒人特有ともいえるバネが効いた
華麗さを存分に感じさせたものである。

ダモシがニューヨークで黒人ボクサーと
体験的ジャーナリズムで闘った際にも感じた
黒人特有のバネ。

当ブログ内にあるその記事にも書いてあるが
黒人のパンチはぐぃ〜んと伸びてくる。一度消えて、
顔に当たる寸前で伸びてきて3Dにように襲いかかってくる。

モンスターマンの場合、さらに凄かったことだろうし、
キックまである。猪木にとっても難儀な相手だったことは間違いない。
猪木も相当疲れていた様子だったことを記憶している。


*****


猪木はたいてい相手の技を受ける。
相手を引き出すとはそういうことなのだが、
"受けた"上で試合を成立させて(スイングさせて)
魅せる要素をちりばめるのだが、

異種格闘技戦において"受ける"ことは諸刃の剣でもあり
たいへん危険なことでもある。

アリと闘ったヘビー級のプロボクサー、チャック・ウエップナーとの
異種格闘技戦でも猪木はボクシングのグラブをはめて
(正確にはオープンフィンガー・グローブ)、
パンチの応酬も見せているが、

それもボクシング的要素を試合に織り交ぜることによって
ウェップナーの凄さを引き出すという意味で採られた処置だったろう。

2000年代前半に流行して、ダモシが嫌っている「総合格闘技」が
つまらないのは、そこに"受ける"という要素がないからで、
とにかく相手を叩き潰して勝つということに特化していた点が
最大の要因でもある。

こういうものはいつか消滅するぞ、と思っていたら
案の定、ほぼ消滅状態だ。

格闘技というものは、ただ強さだけを競うものではない。
ただ強ければ良いということではない。

そこに観る者がいる限り、大相撲もそうだが、
魅せる要素は絶対的に不可欠なのである。

それもあってダモシは比較的、朝青龍に好意的だった。
大相撲に関しては正直言って野球賭博だの暴力団絡みだのは
どうでも良いことで、

ただ土俵の上で力士たちがどのように魅せる要素を勘案した
ファイトを見せてくれるかという
極論すればその一点に尽きるわけである。

そういう意味では来場所、連勝記録のかかる白鵬には
大きな期待を持っている。

異種格闘技戦という
とかく相手の技を受けると危険な闘いにおいては
アリ戦やウィリー戦のように噛み合わないケースも出てくるが、
一方でその噛み合っていないギスギス感もまた
猪木の魅力でもある。

猪木は意図的に噛み合わせないときも往々にしてあったからだ。


<格闘技世界一決定戦>という括りの中での猪木のファイトにおいて、
おそらく最も噛み合って、スイングした試合。

それがこのザ・モンスターマン戦ともいえよう。

いわば名勝負の類いである。



*****


ジュニアが幼児、小学生低学年という現在のキャリアの中で
空手で公式試合を闘っているのは周知のことだが、

その幼児、小学一年生でさえ、
いわばガチンコの闘いの中であってもなお
魅せる要素を意識していることには驚きを隠せないが、

たしかに相手に応じて、
ジュニア曰く
<相手がちょっと弱いから、"弱気"でやった>ケースが
往々にしてある。

その表現としての"弱気"というところがミソで、
けっしてそれは手を抜いたということでもなく
一般社会の誤解で揶揄される格闘技に対する"八百長"ということでもない。

ここは格闘技をかじった/やった者なら分かるだろうが、
どんな試合も、表現としての"八百長"や"手抜き"はない。
逆にそんなことをする余裕はない。

単に強さだけを競うだけではないというところでの
表現としての"弱気"。

ジュニアが示唆してくれる。

<向かい合ったとき、相手が弱そうだったから
 最初は"弱気"でいったけど、
 途中で、おかしいなと思って、"強気"でやった>。

ここでいう、強気と弱気を、
本気と手抜きというふうに短絡的に捉えてしまうと
そもそもプロレスや空手その他含めた格闘技に関する
カルチュラルな話し合いは成立しない。


そして、
試合で"噛み合う"云々というのは何も格闘技に限ったことではなく、
人間同士の日々の付き合いにおける会話や挨拶、
仕事や遊び、恋愛における人間同士の営みでも重要な案件で、

嫌いな人と同じ空間にいて、対峙しなければならなくなれば、
それこそ身構えてしまったり、会話も弾まなかったり、
あるいは無視したりということもあろう。

相手の技を受ける/相手を引き出す

相手の技に付き合わない/相手の良さに目を向けない

は、常に表裏一体だが、

格闘技という直接、肌を合わせて闘うことで
その一瞬一瞬での機微で変化する展開の中で
己が感性でそれをどう使い分けるか、対処するか。

そこが格闘技のまた素晴らしさであり、
闘う者の器量がまた試されるところであり、

その闘う者の器量によって、試合はまたどうにも転ぶという
実に高尚なジャンルなのである。



*****


そういう意味でも
猪木vs.モンスターマン戦は、

猪木がモンスターマンの技を受けて
その良さを全面的に引き出したことで、
前述の通り、殺気を互いに隠匿した上で、
スピーディ且つスリリングな攻防と格調高い展開になったのである。

最後は、猪木がモンスターマンを捕獲して
パワーボムからのギロチンドロップでKO。

だが試合はその直前の、猪木がロープ際で放った
モンスターマンへの投げで決していた。
パワーボムとギロチンドロップはとどめだった。

ロープを背に、モンスターマンを立ったまま捕獲した猪木は、
モンスターマンのアゴを右手で押して後ろに倒した。
その際、猪木は左手をモンスターマンの右脇の下から
鎖骨あたりにあてて押した。

人間の部位の中で鍛えられない弱点箇所の一つであるアゴ。
ここを基点に押し倒したのだが、
そのまま後ろに倒しただけでは受け身をとられて
ダメージを与えることはできない。

そのまま後ろ向きに倒れて受け身をとることを
させないように、左手で右脇の下から押して倒すことで、
モンスターマンはアゴがカクッと外れた状態で倒れながら
同時に押された右半身側へ身体が動きうつ伏せ状態で倒れることになる。

その際、勢い余ってモンスターマンの左腕が伸びた状態で
マットにうつ伏せに倒れるから
アゴ(首をねちがえたような状態)と同時に
その左肩にダメージを負うのだ。

もしかしたらこの時点でモンスターマンは左肩もしくは鎖骨を負傷した。

猪木がそれを見逃すわけがなく、
猪木にしては珍しくパワーボムで左肩から落下させ、
仕上げにギロチンドロップでまたそこにダメージを負わせて
KO勝ちするという見事なまでの理論的な技の流れを示したのだった。


相手の技を受け切って、仕留める際は一発で。

猪木に見られる戦法であり、
特に異種格闘技戦では
レフトフック・デイトン戦しかりウェップナー戦しかり、
前者は突如として連打した頭突きからのバックドロップで、
後者は延髄斬りからのボストンクラブで
それぞれKOしている。

仕留める時の一気呵成の決め技の連打。

何を決め技として用いるかを
相手の技を受けることで得られる相手の弱点情報をもとに
猪木は組み立てていたわけである。


<ダラダラ突きをし合うな>

<相手に付き合って打ち合うな>

とダモシがジュニアに言っている根本は、やはり猪木にある。

<決めるときは、一発だ>。

その一発のフィニッシュホールドとしての仕留め技たる大技。

これを今、数種類、特訓しているところである。








posted by damoshi at 11:41| <昭和>プロ格 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新日vs.極真



新コンテンツ<昭和/プロ格>一回目は、
昭和55年2月のアントニオ猪木vs.ウィリー・ウィリアムスの異種格闘技戦。

青少年ダモシが
戦前にドキドキした格闘技の試合というのは、
やはりアントニオ猪木のそれがダントツで多い。

どうなるか分からない。なにをしでかすか分からない。
そんなエキセントリックな香りが常に猪木にはあった。

相手の5の力を8に引き出して、その上で勝つ。
まさに猪木は相手も観客も己が掌の上に乗せて
試合をコントロールする不世出のプロレスラーだった。

昭和51年、ミュンヘン五輪柔道無差別級の金メダリスト、
ウィリエム・ルスカ(オランダ)との格闘技世界一決定戦と
同年のボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとのそれに端を発する
猪木の<異種格闘技>路線。

それは<格闘技世界一決定戦>として行われたが、
晩年のそれを除き、ルスカ戦とアリ戦の流れを汲む
正調版の<格闘技世界一決定戦>の最後となったのが、
ウィリー・ウィリアムス戦だった。



*****


ルスカ戦、アリ戦の他、ザ・モンスターマン戦など、
プロレスの試合はもとより
猪木のこの<格闘技世界一決定戦>には
底知れぬ"未知との遭遇"的なスリルがあった。

特にこのウィリー戦は、
ウィリーがあの極真空手の猛者であり熊殺しでもあったことで、

当時"ぬるま湯"と揶揄されていた
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスに対する
急進的で好戦的な"ストロング・スタイル"の猪木・新日本が
<プロレスこそ最強>を掲げる中で、

一方もまた武闘派の香り漂う極真空手が相手ということで、

それこそ真っ向対決のデンジャラスなモードが
ぷんぷん漂っていた点が、

他の試合とは大きな相違でもあった。

先般、他の寄稿で記載した例の、
<扮装したかのような奇っ怪な人々>たる
梶原一騎や黒崎健時がリングに上がり、

他流試合禁止という極真の掟を破って猪木に対峙する
ウィリーともども破門された大山茂以下、
極真関係者が、グレイシー軍団よりもずっと昔からやっていた
"グレイシー・トレイン"で入場して
リングを占拠したときのゾクゾク感は異常だった。

戦前から既に新日vs.極真という構図になり、
当時のテレビや週刊誌などもその周辺トラブルを伝えたりもしていて、
それを耳にするたびに学校で友人と
<今回ばかりは猪木ヤバいのでは?>
<いや猪木なら大丈夫だよ>などと話していたものである。

猪木サイドは、なぜか永源や藤波といった
危険な試合でのセコンドとしては
いささか優しいタイプが前面に立っていたが、
(現在YouTubeで観られる試合映像ではカットされているが)
その当時の中継で覚えているが
セコンドの優しめレスラーたちの中で
若手時代の長州力がひと際目立っていて、
極真側に<下がれコラ!>などと凄んでいたのを覚えている。

レスリング出身で、レスリングで五輪にも出た長州からすれば
空手はある意味で相反する格闘技かもしれない。
"地上最強のカラテ"への強烈なる敵対心を長州は持っていたとも
推測できるのだ。

<ヤバい試合だな>。

ダモシもそう感じていた。
特に極真側のセコンドは皆、いきり立っている。
革ジャンを着た身体の大きな外国人もいる。

立会人的にリングに仁王立ちする梶原一騎も黒崎健時も
そもそも極真側の人間だ。
そんな想いでいたダモシは猪木サイドに強力なセコンド
〜たとえば坂口征二〜が目立っていないことに不安を覚えていた。

猪木の格闘技戦といえば、
たいてい藤原喜明がセコンドあるいは帯同していた。
藤原や、アリ戦の際に猪木のセコンドについた
カール・ゴッチなどがいれば…と。

手に汗を握り、
心臓の鼓動さえ己が耳に聞こえてくるほど胸は高鳴っていた。

試合もスリリングな攻防となったが、結果は痛み分け。
猪木は肋骨を、ウィリーは腕をそれぞれ負傷してドクターストップ。

途中、一度は両者リングアウトで終わった。
だが、試合は延長された。
その際、梶原一騎が存在感を示した。

この当時の梶原一騎の影響力や立ち位置は分からぬが
いずれにせよこの試合の立会人であったわけだ。
その立会人たる梶原一騎がこの試合を続行することをマイクで宣言。
蔵前国技館(旧:国技館)の立ち見含めた超満員札止めの観衆は大喜び。

しかしテレビの前のダモシは複雑な想いでいた。

あまりにも試合が噛み合っていなかったからだ。
いわゆる"スイングしていない"両者。

互いに動きが硬く、試合自体も危険すぎる装い。

<もうやめたほうが良いのでは…>とダモシは感じていたのだ。

立会人というポジションを理解していなかった青少年ダモシは、
プロレス側の人間ではない梶原一騎が
マイクで試合続行を宣言したことに反感を抱いたのだ。

<何の権限があって、言うのか>と。

ここはプロレスのリングであり
新日本プロレスのホームであるにも関わらず、
ヨソ者=極真関係者に占領されているではないか、と。

そういう反感を持ったのである。

両者痛み分けで良かったと、結果には胸を撫で下ろしたが、
それでも後味の悪さが残った試合だったのは否めない。

エキセントリックでスリル満点の試合だったのは
言うまでもないが、

後味の悪さは、
猪木の試合を観た中でもトップレベルに位置する試合だった。

翌日、学校で不思議なほどこの試合の話題が出なかった。
あれほど戦前、毎日のように口々に
どちらが強いかと話していたのに。


結果的には、その闘い模様は、年月を経るごとに様式美とはなるのだが、
アリ戦同様に、猪木の試合で数少ない"噛み合わない試合"だったのは確かだろう。
猪木も相当やりにくそうだった。

そしてアリは別格だが、ウィリーはいささか頑固だった。
あの頑固さが、スイングしない試合になった要因の一つとも考えられる。

同じく
<格闘技世界一決定戦>における猪木の対空手でも、
ウィリー戦の三年前に日本武道館で行われた
全米プロ空手王者ザ・モンスターマンとの試合が、
技術的にもハイレベルな格闘技の試合であり
両者がまた完璧にスイングしていた絶品名勝負だっただけに、

同じ空手でも
極真のウィリーと、いわゆる米のマーシャルアーツのモンスターマンの
差異のコンパリソンという意味でも面白い。

あまりにも新日vs.極真という先鋭同士の対決構図になり過ぎたのが
猪木vs.ウィリー戦が"噛み合わなかった"、これもまた一つの要因ともいえようか。

それだけ猪木率いる当時の新日と
空手や格闘技を包含したところでの極真のヴァリューは高く、
先鋭的だったということでもある。

ウィリーを一つ讃えるとすれば、殺気だろう。

ウィリー(及びセコンド陣)が醸し出していた
あのときの殺気は、
猪木と真っ向対峙し、"噛み合わない"に値するものだった。






次回の同コンテンツでは、
今回触れたアントニオ猪木vs.ザ・モンスターマンの
格闘技世界一決定戦を取り上げたい。




posted by damoshi at 02:16| <昭和>プロ格 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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