2012年10月21日

新ブログ告知


自身のフェイスブックからの連動で、
新たなブログを開設したので告知するところである。

主題はスポーツ。

スポーツは周知の通り、勝った負けただけではない。
単なる勝ち負けを超越したところでの考察。
その勝敗の分水嶺に影響を及ぼす様々な事象。

当欄でも以前から書いている
自身が重視している
アトモスフィア、モメンタム、フロー。
それにフォーカスして
自身のスポーツ体験、アントニオ選手と関わる空手及び
格闘技、そして観てきた/観ている中での
様々なプロ・スポーツの事例などを交えて展開していく
ものである。

当欄共々ご愛顧頂ければ幸いに存じております。

題して
<Invisible Power in Competitive Sports>
〜競技スポーツにおける見えざる力〜

http://taroshimoda.seesaa.net/

また、当ブログの右バナー欄のリンクに
本名名義のフェイスブックその他を追加した。
合わせてご訪問頂ければ幸いである。
"ダモシ"からの告知である。

posted by damoshi at 01:17| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

Sep. In Review


レビュー、九月編。

今年の九月、最大のエポックは
やはりアントニオの
欲しかったタイトルの一つである
全日本選手権での優勝だ。

しかも組手(フルコン)の優勝だけではなく、
型でも準優勝。
金・銀のダブル・メダルを獲得した。

型に関しては、
これで都合6度目の準優勝。
どう見ても型最強者のひとりである
アントニオだが、型での優勝に見放されている。
今回も昨年同様、ダモシ軍怒り心頭になる
ホームタウン・ディシジョンによって銀に終わった。

<この怒りをフルコンにぶつけろ>という叱咤を
するまでもなく、本人が最も怒っている。
相変わらずヘビー級の多い闘いにあって、
今やそのヘビー級と真っ向勝負しても
力負けしなくなったアントニオがそこにいた。

七月の大一番でのナイアガラの滝炸裂に続き、
幼児時代から一貫して基本に忠実ゆえの
絶対的な武器であるローキックで、
遂に一本を獲るなど大きな進化が見られた。

もちろん勝負は紙一重。
Sink or Swimのぎりぎりの勝負を乗り切っての
見事、念願のタイトルの一つを獲得。

過去最高の報賞として、
一万五千円分のご褒美を試合後の夜、
買ってあげたのは言うまでもない。

身を削って彼の技を受けていることが
ここにひとつ結実した。
感無量のエポックとなった。

しかしまだまだ通過点。まだまだ小三。
ボクシング全国大会、
空手の全日本選手権と連続で制したことは
今後にとっても本人の大きな大きな自信となるだろう。

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092312b.jpg

自らも共に闘う。
稽古も共に闘う。
身体を張って彼の蹴りを受けている。
<やれ>ではなく、<やろう>である。

その一環が、自信の
昨秋の某国家資格試験挑戦と合格に続き
今秋のチャレンジが
キッズ・ボクシングのレフェリー&ジェッジ資格。

自らそれを得た。
キッズ・ボクシングと
ヒットマス・ボクシングの公認レフェリー&ジャッジ
と相成ったわけである。
これも九月のことだ。

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ボクサー・ライセンス証を手にするアントニオと
レフェリー&ジャッジ証ワッペンを手にし
共に記念撮影の図。

*****

九月もday by day様々な動きがあったが、割愛。
上記二大エポックが強烈だった。
未だにアントニオの全日本選手権優勝の
余韻に浸っているのは確かだ。

バカ親ゆえ、
大会を撮影していたプロのカメラマンによる
写真販売があるが、
そのサイトで選んだ写真も多く購入。
7,000円分も買ってしまう有様。
まあ、それもしょうがない。

親であり指導者でありセコンドであると同時に、
アントニオのダイハードなファンなのであるから。

もう一つ、猫だ。
当ブログの右欄のトリビュートコーナーにも
新たにバナーを追加したが、
既載の通り新たな猫の兄妹ロンとミミが死去。
その直前に新たにやってきたプーという猫は、
悪夢の連鎖を断ち切った。

ジャックと二号そっくりのプー。
彼がしっかりとダモシ国の猫一族の系譜を
今後受け継いでいってくれるだろう。

もう彼も慣れた。一員になった。
ローソン前に捨てられていた猫。
ダモシ国に来て
幸せだと本人が感じられるよう
快適に過ごさせてやりたい。
プーには長く生きて欲しい。生きるだろう。

2012年、二号とケロ
そしてロン&ミミと
計四匹の猫が相次いで亡くなったが、
その負の連鎖はプーによって断ち切られた。
九月を乗り切ったことで
同じウィルスへの感染は回避出来た。
あとは快適に、長く生きられるような
環境を国内で用意してあげることが
我々の務めだ。

PHOO0901.JPG



posted by damoshi at 22:16| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月14日

Aug. In Review


二ヶ月ぶりの学び舎への帰還である。
完全にフェイスブック主体になっている。
偽らざるところ。

でも、ダモログは原点。
そしてアクセス解析を見ると、
日々変わらず多くの方が訪れてくれている
ことに気づけば、やはり無視出来ない。
フェイスブックに来ていない
ここだけの人が
フェイスブックの友だち数から換算すると
相当多いと見る。
まだまだフェイスブックは、
世界的には利用者が多いとは言っても
ダモシの周りでは少なく、
実際、かなり近い友人にしても
まだまったくやっていない人が大勢いる。
実際、やらなければ
こちらのページも見られないのだから、
そのあたりは出来るのであれば
可能であればやって欲しいとも思うところである。

不在の二ヶ月。
八月と九月をかいつまんでレヴュー形式で
掲載するところから始めたい。

まずは八月のレヴュー。Aug. In Review。

*****

最も好きな季節が夏。七月、八月は最高だ。
身体の調子も良く、
直系遺伝子も夏休みで成長の好機。
もろもろイベントも多くなる。

トピックスを重大ニュース的に一部まとめると
以下になる。

1. アントニオ、ボクシング全国大会金メダル
2. バカ尾根登山の苦闘を乗り切る
3. 新たな猫mimi&ron、死去
4. 新大技ヴィクトリアの開発
5. 読書感想文と夏休み絵画に取り組む
6. 新日&全日30周年興行につづくプロレス観戦
 米WWE日本公演を観戦
7. アントニオ、那須で雅子妃、愛子様と遭遇

いずれも上下つけられないが、
ハードルの高さと偉業の観点から
やはりボクシングが大きいだろう。
二年越しの秘匿の計画と戦略。
満を持して臨んだわけだ。

最後の当欄に掲載した<バカ尾根>と共に
たいへんハードルが高く苦しい闘いだが
それを乗り越えたところに
直系遺伝子の成長の糧がある。
親子共有という部分でも大きな大きなエポックだ。

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box0802.jpg

自分でいうのも何だが、
ボクシングは空手とまた異なり、
ある意味で<絵になる>。
B&Wのモノクロームの世界観がフィットする。
西洋的な格闘芸術がボクシングであり、
ダモシは大好きなのである。

空手においては
大技に頼らず、
基本のローキックと突きを重視した
スタイルをアントニオは通しているが、
ボクシングも同様。
それはまたダモシズムでもある。
<基本に忠実に>。
<基本をしっかりやってから>。

ボクシングの戦略も、
徹底したボディを軸とした組み立て。
空手で相手のボディと脚を攻めて
動きを止めてから後半で大技という構図と同じで、
ボディを攻めて、アッパーやショートフックを放つ。
大技(ストレート等)はその後の話。
その戦術を見事に遂行したのがアントニオであった。

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080412b.jpg

このボクシング参戦を機に、
これまで得意とはしていなかった
空手における突きも
ボクシングパンチへ移行。
同じタイミングで彼の空手のパンチが強度を増し、
それが一つの軸となり
9.23の全日本選手権での遂に優勝につながってゆく。

*****

080912b.jpg

WWE日本公演の両国国技館にて。
アントニオも分かりやすく言っていたが
「日本のより断然面白かった」という米のプロレス。
さすがエンターテインメント大国。
ダモシも初めて生で見た米WWEに感嘆。
忌憚なく、日本のプロレスの数倍面白かった。

こういう生観戦が、
ダモシがふだんから解いている
<魅せる要素>をアントニオが理解する手助けになる。

また行くだろう。今後も行くだろう。
プロレスやボクシング観戦は。

*****

ポポ、ジャック、二号、ケロ、ローク(00年にNYで死去)
という98年に日本からNYに連れていった
猫軍団の最後の生き残りケロが逝去したのが七月。

ケロ最晩年期に新たにダモシ国にやってきた、
アントニオが選んだミミとロン。
この二匹が相次いで亡くなった。
幼児期の猫によく見られるウィルスで、だ。
共に兄妹の関係だったから同じウィルスだったのだ。
血のつながっていないもう一匹の新入り、プー。

これはそのウィルスに感染しておらず、
今も元気にダモシ国で暮らしている。
もう慣れたようで、すっかりダモシ国の一員になった。

*****

お盆明け、渋滞や乗車率150%新幹線を避けて
ワイフとアントニオは那須へ帰省した。
そこで、同時期に那須ご用邸に保養に来た
皇太子ファミリーに遭遇。

アントニオが沿道で迎えるところで
車を停めてくれ、
窓を開けた雅子妃と愛子様が
アントニオを見て手を振ってくれたそうだ。
アントニオ、夏休みの大きな想い出となっただろう。

082012A.jpg

*****

夏休みのアントニオ。
今年はダモシが大きく関わり、
全国児童読書感想文コンクール用の
読書感想文と、夏休み自由課題の絵画に取り組んだ。

絵画は学年代表として学内に展示され、
読書感想文は学校代表に選出されて
区の代表戦へ進んだ
(結果はまだ分からない。
 区を勝ち抜いて、次は市の代表戦、
 市を勝ち抜けば県の代表戦となる)。

いずれにせよ神奈川県は不公平だ。
そもそも空手の大会もそうだが、
なぜか現在の小学三年生が多く、
どの大会でも参加人数がダントツに三年生が多い。
ということは必然的にハードルも高くなるのだ。
一回勝って優勝なのと、
五回勝たないと優勝出来ないのでは、
そのハードルの差は明らかだろう。

甲子園の高校野球もそうだが、
例えば神奈川県は、
米国の陸上の世界
(=五輪で勝つより全米選手権で勝つ方が難しい)で、
あまりにも学校数や生徒数が多すぎる。
忌憚なくいえば、
全国児童読書感想文コンクールにしても
当該階級(小学校中学年)で考えても、
例えば鳥取県と神奈川県では
圧倒的な数が違う。イコール、ハードルの高さが違う。

神奈川県の場合(且つ横浜18区の場合)、
最初に
<学校内予選>があり、学校代表になるだけでも
大変なのに(アントニオはこれになった)、
次に<区>での予選がある。
それを突破しても
日本の市町村で最大の人口を誇る
ものものしいハードルの高い<横浜市>予選がある。
スーパーハードなそれを乗り越えてもなお
最後に<県>予選がある。
どないなっとんねん!と言いたくなるわけだ。
鳥取県に恨みはないが、
鳥取県のハードルの低さと
県代表という部分では同じなわけだ。
これは納得出来ない。
きっと、高校球児もそう思っているだろう。
神奈川県と大阪府は。
東京と北海道は代表枠二つだから良い。
神奈川と大阪はキツいぜよ、と。正直感じるがいかがか。

まあ、とにかく学校代表になっただけでも凄いわけだ。
よく頑張った、と大いに褒めたパフォーマンスだった。

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****

かいつまんで、という形だが、
このようなところか。

ダモシ自身は、八月も
茨城や栃木、群馬その他各所へ出かけた。

残念ながら
デイリーな部分はフェイスブックに委ねたい。
エポック的なディープな部分や考察モノなどは
変わらずダモログに掲載したい。

posted by damoshi at 00:33| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月11日

バカ尾根


今週は、GENOMシリーズの
8.4ボクシングと
昨日8.10登山をフィーチャー。

登山から。

早朝5時出発、6時20分登山開始。
登山5時間45分、下山4時間15分。
帰路の東名大渋滞で10PM帰宅という闘い。

<富士よりキツい>と
ダモシ、アントニオ、ワイフ三人とも口にした。

まずはフェイスブック寄稿分から。

:::::
GENOM-登山シリーズ第二弾。
無事に登頂と下山を終了。
22時、帰宅。

既載の通り、
登山5時間45分、下山4時間15分。
頂上での小休憩以外、合計10時間の格闘。
下山時、アントニオ選手はめずらしく泣き、
相当厳しかったようですが、フィニッシュ。

<馬鹿尾根>と悪名高き尾根を縦走するコース。
なるほど、その悪名通りで
「ん?」→「あれ?」→「あれれ?」
そして「あれっ?!」と来て、
最後は「何だこれは!」と
腹が立つほどの道でした。

富士山よりキツい。そう感じたほどです。
それもそのはず、
富士山での連続した登山における
最高標高差は五合目→九合五勺の
山小屋の約1,190m。
しかし今回はそれを上回る約1,291m。
連続して登山(及び今回は下山も)での
標高差は富士山を抜きました。

その上、
前述の通りの<馬鹿尾根>と呼ばれる
『どうしてこういう登山道になるのか?』
と理解出来ないほどの苦しい構造が重なり、
もはや体力が高い方の私もアントニオも
(特にアントニオにとってはあり得ない)
筋肉痛と張りで、
足が動かない状態になってしまいました。
帰路の東名も大渋滞。
ドライブ中、両足がつるという
危険な状態にも陥ってしまいました。

とまれ、無事に下山までを完遂し、成功。
レジャーではなく、
またもや今回も
修行、特訓と相成ってしまいましたが、
それでも子供の教育上、
最後までやり切ることの重要性を
また今回も彼は得られたことでしょう。
寝不足の中、よく頑張りました。

今夜は、本気の本気で眠ります。
リアルにこの山はもう二度と行かないでしょう。
登山と下山を一気に連動しての部分として、
とてもつらかった。もうここはイヤですね。
本当にここは<馬鹿尾根>であると思います。

山は標高の高低ではありません。
谷川岳とて2,000mに満たない山ですが、
遭難率がたいへん高いといいます。
そしてその登山の形式と登山道の形状、仕掛け、
天候等。これらによって大きく異なってきます。
それに合う合わないもまた、しかりですね。

特に下山。これがたいへん厳しいです。
ここの下山は、富士山よりたいへんでした。
:::::


そして今日、フェイスブックのみの読者も
見られるようにウェブ上に掲載した文章を、
ダモログ定番の考察モノとして以下に掲載。

写真はフェイスブックにアルバム掲載したが、
今回それもブログのみの方も見られるようにした。
出来ればアルバムの写真を見ながら
下記考察をお読み頂けると意味もより分かると思われる。

◇フェイスブックのアルバムを
以下をクリックすれば
フェイフブック未登録者も閲覧できる。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.230615887060292.48765.100003356468759&type=1&l=b89c795358

で、本編は以下。

<GENOM.2-登山-バカ尾根>:::::::

<バカ尾根>と揶揄される大倉尾根。

富士山よりキツいと感じたのは、なぜなのか。
そして、どうして苦戦したのか。
アントニオすら苦しんだ要因は?

ブログ恒例の考察シリーズを特別掲載。

往路、富士山の九合五勺に登るよりも時間を要した。
復路、富士山頂から静岡側五合目まで下山するよりも
時間を要した。

自身、山が初体験ならいざ知らず、
アントニオ含めて富士山にも登っている
(アントニオは対富士は、悪天候での撤退により
 八合目まで。とはいっても彼は八合目まで
 息も切らせず登った)。
那須岳の主峰・茶臼岳も登頂している。
そもそも、空手その他で体力もある。

にもかかわらず、という部分でのWHY。

A:
連続して登り(下りる)標高差

富士山。
静岡側五合目から九合五勺まで一気に行った。
その標高差は、1,190m。
ただこの場合、途中から高度3,000を超えるため
酸素が薄くなり苦しくなってくる。

茶臼岳。
標高1,915mの山。
七合目から車で行き、
九合目1,684m地点までロープウェイ利用。
そこから頂上まで登った標高差は231m。
それでも楽ではなかった。
ここの上りはボルケーノ特有の岩場ばかりになる。

そして今回。登山口は200m地点。町の中だ。
そこから頂上1,491mまで標高差は1,291m。

連続して登った標高差は
富士山(静岡側五合目→九合五勺)より
100m高いことになる。

山頂の標高だけで見れば、
いささか油断が心に生じるのだが
実際に登る標高差として考えると
富士登山(静岡側五合目→九合五勺)よりも
高いのである。

山小屋の主人に呟く。
<富士山よりキツい気がしますね・・・>

主人は、意を得たように応える。
<さよう。ナメたらいかんです。
 標高差はかなりありますからね>


B:登山ルートの構造

これがメインの要因であり、
このBの中に様々な要素がある上、
それぞれの要素がもたらす罠や
心身両面への悪影響が、
この大倉尾根の悪魔のような所作である。

特に様々な
アトモスフィア(大気感/空気感)が
まさに仮面貴族のように間断なく登場し
心理的に大きく疲弊させる。

多種多様なアトモスフィア=
1/ハイキングや遠足的世界観
2/岩場、崖などの苦行&危険世界観
3/上高地的高所リゾート風世界観
4/不規則ながら延々と続く階段がもたらす
  修行的世界観
5/ジャングルを往く的世界観
6/熊野古道のような石畳的静寂世界観

これらが間断なく登場する。
そして、
アップダウンの「ダウン」と
時々出てくる平地の「ハイキング」感が
大いなるアメとなって、
延々と続く「アップ」の"延々と"ぶりに
拍車がかかり、そのムチ度合いが尋常ではなくなる。

"迷惑"なのである。
あるいは奥田英朗氏の小説のタイトルのように
"無理"と言いたくなる心理状態になる。

要するに、断崖絶壁やエヴェレストの標高、
超絶悪天候、3,000mや6,000m的世界観で
酸素欠乏分水嶺ごと苦しくなる高度ではない
ことから、「楽だろう」と想像しがちな状況で、
先が(終わりが)見えない中で
延々と不規則な幅、足元が変化(石畳だったり
岩だったり土だったりその他もろもろ)する
「わざと?」と思える作りの<階段>が
続くことで、心が次第に萎えてくるのである。

<これはヒドい!なぜ階段にするのだ!>
と叫ばざるを得なくなる。

富士山のように、
晴れてさえいれば次の目標
(六合目、新七合目、元祖七合目、八合目、
 九合目、九合五勺・・・云々)を
視界に捉えながら黙々と登るのと、
先がまったく見えない
(何度も行っていれば分かるだろうが、
 ここではいずれも初体験としての比較である)
中を、延々とこれを登らされる世界は厳しい。

まさに「登らされる」気持ちになってしまうのである。

しかも忌まわしい階段が終わると、
岩場を登り、ジャングルを抜け、
一人分しか歩くところのない両側は崖という
世界も間断なく登場し、
それらを終えればまた延々と続く階段・・・。

<これはもうイジメだ!>とまた叫ぶことになる。


C:
下山時のNO-MAS的イヤイヤ

下山時はもはやノーマス!と叫び、
赤ちゃんのようにイヤイヤしたくなる。

本当にこれを登っていったのか?
と、己を逆に褒めることになる。
むろんそれは富士もそうだが、
富士よりもその感情度合いは激しい。

B要因の構造にも重なるが、
下山時も「目標」がまったく見えないのである。
ここまで行けば云々という安心感が
冨士にはある。

前述の通り「合目」ごとの到達点が見えるからだ。
悪天候で見えない場合でも
初体験の場合でも
「合目」ごとを確実に目標として登っていく
ことで、安心感が生まれる。いわばゴール感だ。

ここまでまずは行こう。
よし次はここまでだ、というふうに。

だが、大倉尾根はない。それがない。

そして、B要因の構造が
下山時に一気に心身両面のダメージとなって
襲いかかるのである。

心理的に「早く下りたい。帰りたい」がある。
予想を大幅に上回った所要時間。
天気も変わりやすい中、一時、視界不良で
ライトをつけることにもなる。
そして、日没的様相が漂いつつある。

焦りが生じる。
早く帰りたい。もう下りたい。ゴールしたい。

下山こそ、登山の最大の敵ともいえようか。

アップダウンがあった。
だから疲労しているのに
下山時でもまた登らされる。

例の階段。
これは登りよりも下りでダメージを受ける。

登りは何とか「キツイなぁ、結構」で済んでいたが、
下りは、具体的に脚、足に負担が増えてダメージを負う。

キラー・ワイフが心理面を分析した。
なぜ肉体的にも精神的にも強いアントニオが
ここまで苦しんだのか。

登山時は元気満々だったのに
下山時に泣くほど苦しんだのはなぜなのか。

「階段だ」と。

<不規則な階段が、
 自分の脚で登るというのではなく、
 階段に合わせて登らなければならないから
 精神的に追い込まれていったのだと思う。
 岩場は自分で足場を選び自分で上り下り
 する。彼は受け身が嫌いなのだ。
 すべての異なる幅と足場の階段に
 合わせざるを得ない、しかもそれは大人の幅。
 それが最大の要因でしょう。
 すべては、下りのあの階段>

と分析する。

同意する。

それにプラス、やはりゴール感だろう。

大人側が、アントニオを鼓舞するために
<もう少しだ。がんばれ>と言うのだが、
その言っている大人側にも
どこまで下りれば(登りもそうだが)
ゴールなのか、
あるいは次の目標はどこなのかを
まったく把握出来ていない。

だから言葉自体が空虚なものとなる。

最後、父親としてシュールな言葉を
投げかけるしかなくなる。

泣きながら下りるアントニオに対して

<登山は、頂上まで行くことがゴールではない。
 下山まで無傷で事故なく下り切って、
 やり切ってこそ、ゴールだぞ。
 ゴールに辿り着くまでゴールは来ないのだ。
 思いっきり、フザケルナ!と叫んでいいぞ。
 でも、やり切るのだ!>

だから、富士山でも何でも
頂上に到達した際に、毎度、達成感はないのだ。

感動とかそういうものは、ない。

あぁ、これを下りなければならないのだ、と。
それが先立つからだ。
イヤだ、と。避けたい、と。
でも、下りなければゴールには届かない。

通常、目標やゴールは「頂点」だ。
何事もそうだろう。

だが、ひとつには、
山は、頂上が必ずしもゴールではない。
人によって異なるが、
我々にとっては頂上がゴールではない。
無事に下り切ってこそ、
スタート地点まで戻ってこそ、である。

それが、「やり切った」ということになる。

(空手の試合で勝利の喜びや敗北の悔しさでの
 ものは除き)久しぶりにアントニオが泣いた
のを見た。

リアルにつらくて泣いていた。

だが、やはりそこは、やり切ったところに
大きな意義がある。

登頂し、そして下りてきた。
それをすべて己の心身すべてでやり切った。

シンプルだが、
こういうことのひとつひとつの積み重ねが
成長の糧になる。

むろん、仮に「もうイヤだ」と彼が
歩を止めた場合、
どんなに危ないところでも
きっとその場に置いていくだろう。
そういう親だということが
本人も分かっているから
それも最後までやり切るバックボーンになっている。

<ダディなら、置いていくだろうな>と
彼は分かっている。

<やり切らないと認められないだろう>ということが。

下山途中、
この登山をやり切った場合の報酬を
当初の500円から
2,000円に引き上げた。

途中で1,000円になり、
それが本人のリクエストで1,500円になり、
最後は2,000円になった。

それを認めた。

<富士山より楽勝だよ>という言葉だけで、

<バカ尾根>であることを隠匿していた
罪滅ぼしでもある。


アントニオは言った。

<自分が親になって
 子供が行きたいと言っても
 ここには来ない!>

気持ちは分かる。

我々はもう二度とここは登らない。

だが、彼はきっと行くだろう。
自分の、仮に直系遺伝子(男児)が
行きたいと言ったら、
彼は連れていくだろう。

そして、今回のことを想い出すはずだ。

人生は予告編の連鎖。
そして、すべての過去は物語になる。


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2012年08月01日

判定と組み合わせ順の陥穽


先の週末から巷では
当然のごとくロンドン五輪の話題が多くなっている。

ここまでの数日で気になることが二つ、ある。
むろんリアルタイムでフェイスブックに掲載しているが、
その二点とは以下だ。

◆判定問題(誤審からの再判定/ジュリー出現)
◆トーナメントの組み合わせ(めぐりあわせ/クジ運)

まず、前者。
リアルタイムでテレビで目撃しただけでも多い。
とりわけ柔道、そして体操。
いずれも日本絡みだ。
これが日本国内での放送で日本選手を映している
一部の中でさえ多いのだから、
全体で見ればもっと起こっているのではないか
とさえ思えてくるほど、アグリーだ。

技有りや有効の判定取消が度重なった上に、
とりわけ目に余る事象が、
柔道男子66kg級準々決勝の
海老沼選手と韓国のチョ選手の試合で起こった。

そもそも最初の旗判定で
主審・副審全員がチョ選手に挙げて
3-0でチョ選手の勝利になった自体、
What !?と言わざるを得ない判定だったが、
それに対して日本側が猛抗議。
ジュリーが登場し、協議。

そして驚愕のシーンが訪れた。
何とまあこの審判団、旗判定のやり直しをした。
びっくり、である。
そして何と今度は逆に3-0で
全員が海老沼選手に旗を挙げた。
口あんぐりである。
何をしとるのか、と。
チョ選手の肩を持つわけではないが、
これはいくらなんでもアグリーであろう。

この主審・副審合計三人の
存在証明とレスポンシビリティとは一体、何なのか、と。
どういう意識で判定を下しているのか、と。

厳しいようだが、一生に一度あるかないかの大舞台。
選手はまさにSINK or SWIMの状況で
闘いに臨んでいるのだ。
審判も、それなりの<覚悟>をもって
その任務にあたらなくてはならない。

極論すれば民間航空機のパイロットと同じである。
乗員乗客の命を預かり、覚悟を持って
操縦席に座っているはずだ。
そのくらいの覚悟を持たなければ
厳しいようだが、審判をやる資格はない。
簡単に覆す判定を下すのは、けしからん!
とダモシは率直に思うわけである。

且つそれが生む弊害が、ある。

このジュリーの存在強化と
判定の取消は、度々、試合を止める。
流れを阻害するのである。

それは、
歓喜と失意という
スポーツにおける闘う者が表現する
特有の美:<モーメント>を
度々阻害しているということである。

瞬間の美。瞬間の歓喜、失意。
ひとたび歓喜したのに、
それが取り消される。
これはどういうことだろうか?
気持ちの持って行き場がなくなるだろう。
選手は。

もちろん誤審や恣意的な判定を
正常化させる意味でのジュリーの存在は否定しない。

アントニオ選手の空手でも
度々、不可解且つUnacceptableな判定で
決勝で負けにされたケースが複数回ある。
明らかに誤審だろうというケースで
後にそれを認めたということも実際にある。
そして、どう考えても"恣意的"な判定も度々。

スポーツマンシップやらアマチュア精神などで
昔は審判に抗議することは認められなかった。
今も高校野球はもとより
子供の空手も同様だ。

だが、審判の質の低下は全体的に否めない。

だからこそそれを正すジュリーの存在や
ビデオ判定は必要性を増している。

だが、
正常化を図るためのジュリーは良いとしても、

・スポーツの機微である歓喜や失意の
 モーメントを阻害し、やり直させることで、
 "どっちらけ"をもたらしている現実

・では、そもそも主審と副審の
 存在とはなんぞや?という大いなる疑問

を、
ジュリーの存在(あるいは)
審判の質の低下が、
皮肉にも生んでいると言わざるを得ない。

はっきり言って、「しらける」わけだ。
スポーツの絶対的な魅力の一つである
<モーメント>を取り消して
なかったことにしてやり直させるという所作は、
Sink of Swimの闘いをしている
選手たちには酷である。

男子体操団体も同様だ。
これも日本絡み。
日本側の猛抗議によって判定は覆され
辛うじて、「結果銀メダル」に輝いたが、
内村選手を筆頭に
何とも後味の悪い結末を感じただろう。
見ている側も同様だ。
覆って銀になったとて、歓喜はない。
逆にひとたび結果を受けて歓喜にいたった
イギリスとウクライナを応援していた人々と
選手、関係者の心中を察すると
たいへん残念な事象と感じるわけである。

<判定>競技は大変難しいのは分かっている。
アントニオのそれで身に染みている。
だが、或る一定レベル以上になれば、
勝ったか負けたかは分かるものだ。
贔屓目抜きで、負けてるかな、と感じた場合は
負けと判定されても納得がいく。

不思議なもので、
互いに技有りなしの
紙一重の判定勝負になった
これまでの試合で、
<負けかな・・・>と感じた場合、
100%負けの判定になっている。
だが、
<こりゃあどう見ても勝ったな>と感じた場合でも
負けにされるケースも多く、
<微妙だな>と感じた場合は、
ほとんど負けにされている。

ラッキー勝利が一度もないのだが、
相手にはそういう意味でのラッキー勝利は多い。
実際、主催者の息子だのが相手の時はそうなっている。
さらに相手選手の道場の先生が主審をやっていたり、
主催者と関係のある団体の選手が相手の場合に
往々にしてこういう判定になっている。
ある意味で、短絡的な判定というか、
分かりやすいほど恣意的な判定は、
現実にあるのだ。

それが子供の、しかもドメスティックの試合ですら
あるのだ。

国際試合や五輪になれば、よりあり得る
という前提がダモシの中にはあって、
そもそも判定競技における審判に対する信頼は
まるでないといっても良いのだが、
図らずもウクライナの監督のコメントが
すべてを表していると思う。

<陸上の100mは、100m。
 でも体操だとそれが95mや105mに
 なることがある>

皮肉とエスプリの利いたコメントといえるし、
リアルな現実を表している。


*****


後者。

トーナメントにおける組み合わせ順。
クジ運あるいは
操作された組み合わせのめぐり合わせの悪さ。

これもまた厳然と闘いには存在する。

だから結果としての優勝と一回戦負けは、
常に表裏一体なのである。
むろんそれは選手の実力が一定レベル以上
であることが大前提だが。

そしてもちろん、
強い馬はどんな馬場でも強い
という理想論的格言があるように、
強い選手はどんな組み合わせでも勝つ
とスーパー・ポジティブにモノを言うこともできる。

だが、実際に闘いという舞台で
常在戦場で
SINK or SWIMの闘いをしていると
そこまで言い切ることはできないのである。

トーナメントの場合は、
<組み合わせ>が大きく結果に影響を及ぼすのは
明らかなることである。

直近では、卓球女子シングルス。
福原選手と石川選手揃ってベスト8。

が、準々決勝のそれぞれの相手は、
福原選手が世界ランク一位の選手で
石川選手が自身より下の同十一位の選手。
福原選手は破れ、石川選手は勝ってベスト4。

結果だけ見れば石川選手の方が上になる。
仮に石川選手が準決勝も勝てば
銀メダル以上になる。
破れても三位決定戦に勝てば銅メダルだ。
石川選手が上となる。

が、事はそう単純ではない。
ベスト8で闘いを終えた福原選手がダメなのか
ということにはならないのである。

女子柔道52kg級の
金メダル候補だった中村美里選手も同様。
あまりにも組み合わせ順が
悪かったとしか言いようがない。
もちろん勝てば良いのだが、
前述の通り、それは酷だ。

よりによって中村選手にとっての一回戦
(=初戦:実際には二回戦)で
金メダル候補のアン選手(北朝鮮)と
当たってしまったわけである。
アンは既に一回試合をして充分暖まっている。
アンが勝利。
結果的には中村選手は初戦敗退となった。

が、これを指して中村選手がダメなのだ
とはならない。

これもまたアントニオ選手で身に染みている。

アントニオ選手は直近の空手の大会で、
よりによって一回戦でチャンピオンと
当たった。当欄に掲載した<ザ・ショット>の
試合である。

残り二秒での
大技ナイアガラで大逆転勝ちしたのだが、
その一番にある意味で
すべての集中力を使った。
で、二回戦の対戦相手は
一回戦で普通に楽な相手に勝って消耗していない。
しかもアントニオ選手はインターヴァルなし
で二回戦を迎えざるを得なかった。
で、延長の末に結局判定で破れたわけだが、
普通にやれば負けないと素直に感じるわけだ。
且つその選手は最後まで勝ち上がった。
要するに、こういうものである、と。
これがクジ運、組み合わせ順の陥穽なのである、と。

優勝という最高の結果は、
これらも含めてすべての要素が完璧に
絡み合わなければ成り立たないということである。
特にこれに判定という微妙な世界観も介在してくる
競技の場合、その部分も鍵になってくる。

だからこそ、今年既に四度優勝を得ている
アントニオ選手はラックも多くあるということであり、
同時にまたこのような敗北や、
初戦負けというバッドラックも多くあるということである。

こういうふうにトーナメントの難しさは
厳然とあるのだ。
それを理解しなければならない。
金メダルを獲得した者だけをチヤホヤしていては、
物事の本質は何も見えてこない。

アントニオ選手の<ザ・ショット>の試合の後の
二回戦での敗北は、では、これが「二回戦負け」
と短絡的に言えるのかどうか、
ということであり、
中村選手のそれも「初戦負け」と単純に
消し去って済むのかということである。

ダモシは、アントニオ選手にこの時、
優勝と同等の価値を認めた。

中村選手も今回の五輪においては、
メダルに届かず
形としては初戦負けであるが、
決勝戦といっても良い組み合わせだったわけだから
悔しいのは大いにに分かるけれど
ちゃんと理解している人もいるのだから、
これを糧に次回に臨んで欲しいです。

仮にアン選手に勝ったとしても
アントニオ選手のように
次の試合で負けた可能性とて、あるわけなのだし。

必ず毎回組み合わせ順の悪い
アントニオ選手でリアルに身に染みているので、
特に中村選手には感情移入してしまったのである。

そのアントニオ選手の
よりによって天敵ともいえる
チャンピオンとの一回戦での激突を制した後の
二回戦での敗北。

これと同じ構図が、
ロンドン五輪フェンシング男子の太田選手と
いえようか。

これもまた、
よりによって初戦(二回戦)で
北京五輪の金メダリストとの対決となった太田選手。
しかしこれを打ち破った。

アントニオ選手と同じ構図だ。

が、次の試合で敗れてしまった。

まさにアントニオ選手と同じ構図である。

で、この選手が金メダルに輝くかもしれない。

ふたたび「要するに」ではあるが、
要するに、こういうことである。

これが闘いの機微である、と。

いわば、究極は
<(結果として)勝った者が強いのだ>
ということなのだろう。

そして言うべきこととしては、
やはり勝負は時の運も大きいということであり、

<時に勝ち、時に負け、時に雨が降る>
に行き着くのである。


*****

さあ、アントニオ選手の
ボクシング全国大会が刻一刻と迫っている。
今週末だ。

相手は皆、専門。
アントニオ選手は空手からの
異種格闘技参戦にして
初のボクシング試合。

どうなるか。
相手は学年上の公算が高い。
ボクシングだから体重階級別の闘いだから、
学年上との対決を覚悟しなければならない。
となれば、リーチでは圧倒的に不利だ。

戦法は、ひとつ。

マイク・タイソン型でいく。

正直、彼の格闘センスは高い。
そのセンスと、負けん気の強さに期待だ。

先週末、
マウスピースとボクシングシューズを買った。
そして今日、トランクスが届いた。
来年はムエタイにも臨み、
今後はレスリングや柔術も視野に入り、
本人は「プロレスもやりたい」と言い出している。

女子柔道の松本選手同様、
闘いになると目が変わるアントニオ選手。
ふだんのベビーフェイスは消える。

勝っても負けても元気よくガンガン闘って欲しい。

明日は通常の空手道場での空手稽古。
明後日の稽古は休み
別途施設を借りてボクシングの最終調整で、
ウィークエンドの闘いに臨む。

それが終われば来週は、
富士山に続く登山修行第二弾。
画像の山へ往く。

常在戦場、である。

闘いは、良い。
緊張感は、リアルにしびれる。

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posted by damoshi at 00:16| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月22日

ザ・ショット


アントニオの空手:2012年シーズンも、
先のウィークエンドでの大会で前半戦を終えた。

全11大会で優勝は4回。
準優勝や三位はなく、
ベスト4(1回)、ベスト8(1回)、ベスト16(1回)
そして一回戦負け(4回)。

09年〜11年までの過去3シーズンで、
今年は前半戦だけで既に優勝回数はシーズン・ベスト。
その代わり11年までに多かった準優勝や入賞がなく、
ひとつには決勝に進めば勝率100%という
勝負強さを見せている。

その一方で一回戦負けも既に4回。
4回のうち1回は八百長最低での敗戦。
他の3回は本来の動きと調子がまったくない時。

『あぁ、こりゃ、かなわないな
 という完敗は、ない』とダモシは言う。

もちろん勝敗は時の運もある。
その時の体調、心理的な状態も左右する。

体調が良いからといって
すべて勝てるわけではなければ、
体調が悪いからといって
すべて負けているわけではない。

優勝している際も、
圧倒的に勝っているのではなく
すべて紙一重での闘いをモノにしている。

『常にギリギリだ』(ダモシ)と。

『タイプ的には、
 ディープインパクトとか
 シンボリルドルフ系ではない。
 やはりシンザンが相応しい。
 勝つ時はギリギリという。
 で、こんなところで?的に
 あっさり負けることもある、という。
 だから試合はどんな相手でも
 いつもスリリングになる。
 善くも悪くも相手に合わせられる。
 どんな相手とでもスイングさせられる』
(ダモシ)
という特性は、やはり魅せる要素を
常に意識しているからともいえる。


:::::


NFLのプレイオフ、サッカーW杯決勝T、
夏の甲子園など、一発勝負のトーナメントには
多くの魔物が潜んでいる。

総当たり制のリーグ戦や
レギュラーシーズン・ゲーム、
あるいはベスト・オブ・セブンなどのプレイオフ
とそれらは趣が異なる。

大会:トーナメント。
一定レベル以上のこれにおける最高峰は、
<優勝>:タイトルである。
負けずに最後まで勝ち上がることである。

だが、時に<優勝>:タイトル以上の
重みと価値がある勝利がある。
<優勝>しない場合でも、
その<勝利>が優勝以上の重みがある
というケースである。

前半戦最後の大会(7.8)での
"一回戦"における
アントニオの勝利がそれに該当する。

アントニオの今後にとっても、
このジュニア空手の
ひとつの潮流においても、
大きな影響を及ぼす勝利と、その内容。

残り二秒の伝説、あるいは残り二秒の奇跡。

『レジェンド・オブ・ラスト・トゥー・セコンズ
 という感じでは』(館長)

『奇跡ではないね。
 日本語で奇跡というとムードは違う。
 偶発的でもなければ、たまたまでもない。
 出会い頭でもなければ、
 そもそもジャイアント・キリングではない。
 勝てると踏んでいたわけだし、
 その技も狙っていたわけだから。
 伝説になるレベルだから、レジェンドが合ってる。
 ただ、英語だとミラクルで通りはいい。
 違うからね、意味合いが微妙に』
(ダモシ)

ダモシは逡巡した。
そして今回のタイトルを決めた。

『内容的に1989年NBAファイナルでの
 あのマイケル・ジョーダンの
 残り三秒からの逆転シュート、
 あるいは一連のプロセスも含めれば、
 1989年NFLスーパーボウルでの
 ジョー・モンタナのドライブにイメージが近い』
(ダモシ)

ことから、最終的に

"The Shot" with 2 seconds left.

シンプル表現版では、<The Shot>となる。

『過去最高のスーパー・バウト』とダモシが語り
一回戦を勝っただけで
Wiiのゲームソフトを賞品で出したほどの、
そして一回戦を勝っただけの時点で
ダモシ・ワイフが勝って号泣したほどのエポック
="The Shot"。

一体、何が起こったのか。なぜ、起こったのか。
どういう背景があり、どういう試合だったのか。
それは、何だったのか。

<The Shot>本編を以下に掲載する。

(登場人物・団体名はすべて仮名)。



2010年、夏:::::

ジュニア空手も多種多様な
道場、団体、グループがある。
プロボクシングやプロレス同様だ。

直接打撃制のフルコンタクトから、
伝統系防具付、キック(グローブ)系から
微妙にルールが異なるその他含めて。

団体やグループごとに大会は開催される。
格闘技界はプロ含めて離合集散が多い。
フルコンタクトの雄・極真も分裂した。

基本。
フルコンタクトをやる道場と団体は
それだけをやる。
伝統系もまたしかり。

中身も組手なら組手だけ、
型なら型だけ等々。
選手も組手だけ出て、
型の試合に出たことのない者は多い。
その逆もしかり。

アントニオの場合は、
すべての団体、グループに乗り込んでいる。
闘いに臨むのも
フルコンタクト、キック(グローブ)系、
伝統系防具付までオールマイティに
闘いに臨み、そのすべての種目で優勝経験がある。
加えて組手のトップクラスはほぼ取り組まない
「型」においてもトップレベルで、
型でも試合経験が多く、
各団体が集った演武会でも大トリを務めたばかりか、
東日本大震災の被災地(宮城県)へ遠征し
鎮魂の型を現場で演武した。

何をするにも井の中の蛙を嫌う
ダモシのイデオロギーを伝承している。

フルコンタクトだけの道場や団体が集った
ひとつのグループがある。
そのグループはフルコンタクトのジュニア空手の
"ひとつの"統合体を標榜している。

他の団体も全日本選手権は開催しているが、
そのグループJALNAも毎年、
全国で地区選抜大会を行い
その勝者による全日本選手権を年に一度開催している。
JALNAに加盟している道場・団体は
とりわけそれに価値を見出している。
そして、なぜかそれらはいずれも同じスタイルでの
空手をしている。

JALNAの選抜大会を勝ち上がれば、
勲章としてのワッペンを手にすることが出来る。
それを道着の袖に縫いつける。
あくまでも「ひとつ」の強者の証。
あくまでも、「one of them」。
トップレベルの「ひとつ」の証。

アントニオは2009年の幼児シーズンには、
JALNAとの絡みを持たなかった。
JALNA以外に団体やグループは数多くあり
同様に価値ある大会も多くあるからだ。

初めてJALNAに絡んだのは2010年。

所属していた団体の中の特殊部隊に
属していたアントニオは、
離合集散により
その特殊部隊の代表・藤澤が旗揚げした団体へ移籍。

6月。移籍後初の大会に出たアントニオは、
横浜文化体育館で行われたその闘いで
準優勝を遂げる。
その前の大会(3月/前所属団体時)で
生涯初の優勝を遂げていたアントニオは、
団体の離合集散という騒動と三ヶ月の
ブランクにめげず、自身初優勝後の大会でも
準優勝という卓越したパフォーマンスを見せた。

そして、準優勝という結果よりも
大きな分水嶺がこの大会であった。

決勝戦では、この大会特有の不思議なルール
(女子は一学年下げて出場出来る
 =当時アントニオは一年生。
  一年生の部に二年生のスーパーヘビー級女子が
  出てきて勝ち上がり決勝で当たった。
  善戦したがパワーで押されて準優勝に終わった)
で破れたが、周囲もダモシもいずれも
<事実上の決勝戦>として注目した準決勝戦が
重要な大一番となっていた。

準決勝の相手は、
同じ一年生に関わらずスーパーヘビー級。
そしてJALNAの加盟道場のエースで、
幼児から既にワッペンを得ている強豪・深野。
この大会でもほぼすべての試合を圧勝してきた。

一方のアントニオは、
一回戦からすべて薄氷の勝利。
延長を制するなど常にぎりぎりの闘いでベスト4。

深野の圧勝。誰もがそう思っていた。

だが、深野は
初めて遭遇するアントニオの
<早送り空手>に翻弄される。
バランスを崩す深野。
動き回るアントニオをまったく捉え切れず
何もできない。

アントニオの十八番のひとつ
<回ってロー>が徹底的に繰り出されて
脚にダメージを蓄積させた深野は動きを止めた。

本戦引き分け。
延長戦に入っても動きを止めず、
徹底的に回ってローを打ち込むアントニオ。

判定では副審四人が2-2。
最後に主審がアントニオをとって3-2で大勝利。
喝采が沸き起こった。

この勝利でアントニオは、
館長・藤澤からご褒美のハムスターを買ってもらった。

藤澤は試合後、ダモシに告げた。

<JALNAに出てみたら>。

JALNAの申し子のひとり・深野を破ったことから、
様々な他流に出ていっている中で
未踏のJALNAにも出ていくことになったのだった。

関東代表を決める最初の選抜大会。
2010年7月中旬の日曜日に行われた。
ダモシはその前々日の金曜日から
富士登拝へ向かい、土曜日に頂上到達。
肉体的に大ダメージを受けている中で、
日曜日の選抜大会を迎えていた。

だが、ダモシが富士山で苦闘している間、
アントニオが体調を崩した。
金曜夜、ワイフがタクシーを用いて
夜間救急病院へアントニオを連れていく。

<ヘルパンギーナ>と診察された。

ダモシはそれを頂上到達時に
携帯メールで知った。

<よりによってこんなときに・・・>。

唇を噛んだ。
絶不調。呼吸もまともにできない状態で
アントニオはその闘いに臨んだ。

それでも勝ち上がる。

あと一勝。
初参戦でワッペンに手が届こうかという
位置まで勝ち進んだ。

そこで目の前に立ちふさがったのが、
拳城団のエース・秋元だった。

拳城団という道場・団体も、JALNAに加盟していた。
加盟しているどころか役員にも名を連ねている。
いわばJALNAの家族、内輪だ。

ゆえにか
大量に所属選手を送り込み、
みな同じスタイル=JALNAで勝つためのスタイル
を徹底していた。
各学年でワッペン選手を輩出。

秋元も幼児時代から既にその地位に就いている。
当然この時(一年生)も狙っている。
とりわけ拳城団という団体の中でも
多くいる一年生の中で絶対エースとして君臨。

絶不調のアントニオはしかし奮闘。
絶好調時の動きに近いキレを見せるが、
試合途中でセコンドのダモシが
秋元を見て驚いた。

『アントニオの動きについてきていた。
 これには、たまげた。
 強いという感じよりも、動きに驚いた。
 アントニオの動きについてこられる選手は
 それまでいなかったからね』(ダモシ)
という動きで、秋元は手数でアントニオを上回った。

延長にもつれる接戦。
双方とも一本も技有りがとれない。
だが判定は5-0で秋元に挙がり、アントニオは敗北した。

試合後、ダモシは初めて相手を讃えた。
秋元とその父と言葉を交わし握手を交わした。

ダモシにとってもアントニオにとっても、
初めて出逢った
「あぁ、負けたな」と思える選手だった。

もちろんそれ以前も多くの敗北を喫したが、
レベル的にも打ち破る壁としても
値する選手はほとんどいなかった。

そして何よりも
『試合が噛み合っていた。
 スイングした素晴しい試合。
 双方レベルが高く、理想的な試合』
という点が、敗北の悔しさを超えて
どこか嬉しさをも感じるところとなった。

負けて、さばさば。
しょっぱい負け方で負けたのではなく、
やれることはやって
相手もまたすばらしいという理想型が
そこに存在していた。

この時点で、
ダモシとアントニオの中に、
秋元が強烈に刻み込まれたのだった。

8月。
アントニオは別のJALNA選抜大会で活躍した後、
東北旅行で平泉中尊寺を参拝中に
同じ道場の父兄からの連絡で
ワッペンを獲得したことを知る。

所属道場としては初の快挙となった。

その選抜大会で顔を合わせて
延長にもつれこむ激闘を繰り広げたのが大貫。
大貫もまた秋元と同じ拳城団の選手だった。
秋元が拳城団のエースで
大貫が二番手。三番手に伊豆がいる布陣は、
極真会館の各道場同様に層の厚さを示していた。

対するアントニオは常に一騎当千。
アントニオは対拳城団では
秋元、大貫双方に判定延長で破れたのだ。
いずれも皆、技有りを許していないから
紙一重の闘いだったことは分かる。
そしてアントニオは掴みと面がつくという
注意をとられている分だけ
最後の判定になると負けをとられるに過ぎず
紙一重はまさに薄い差だった。

9月。
別のグループISKFの全日本選手権。
だが拳城団はなぜかこのグループの
メンバーにもなっていて、強豪を送り込んできた。

アントニオはこの大会、組手と型の
ダブルエントリー。

まずは型。この一回戦で拳城団の「型」専門のエースと
アントニオの対決があった。
型専門のエースは何という因果か
組手でアントニオを判定で破った大貫の、兄。

学年はひとつ上。
一年生のアントニオと二年生の大貫兄が相見えるのは、
この大会の規定で「型」は一〜二年混合になるという
事情があったからだ。上級生、帯も格上の大貫兄が
出した技は平安五段。
対するアントニオが出した技は平安初段。
型の格的にも学年上であることからも
明らかに大貫兄に分がある。

しかし「型」のトップクラスでもあるアントニオは、
何と大貫兄を破ってしまった。
(その後、現在まで大貫兄はどの流派の大会でも
 「型」で優勝を繰り返しているトップ選手になっている)。

その大会でアントニオは結果的に準優勝。
(翌年2011年の同大会での型でも
 不可解な判定で準優勝に甘んじた。
 だが、「実質的には優勝。判定八百長だから」(ダモシ))。

その全日本でのアントニオ戦は、大貫兄に衝撃を与えた。
大貫兄は以降、
ほぼ唯一といってよい敗北を与えた
アントニオへのリベンジの機会を伺うが
2012年夏現在まで一度も訪れていない。

さらにアントニオは同大会のフルコン組手で準優勝。
準決勝では拳城団の三番手で
対アントニオへの刺客だった伊豆を撃破。

ダブル準優勝をもって、
11月のJALNAの全日本選手権へと向かった。


2010年、秋:::::::

JALNA全日本選手権。
アントニオは一回戦で中部地区王者と当たる。

絶好調のアントニオは終始圧倒。
しかし、この団体特有の「面」が少しでもつくと
反則をとられるというルールにより注意を受けた。
相手にまったく攻めさせなかった反面、
一本とることもできず、判定になってしまう。
判定になればどんなに攻めていても
注意x1を受けていたことで敗北になる。
アントニオはまさに空手で勝って、試合に負けた。

秋元はこの大会、ベスト8に進出して闘いを終えた。
優勝者は西日本の王者。
準優勝は、6月の別の大会で激闘の末
アントニオが勝った相手の深野だった。


2011年、春:::::

アントニオの11年は、
1月の大会でのフルコン組手優勝で幕を開けた。

東日本大震災から二週間後、
アントニオが生涯初の優勝を遂げた大会が
ふたたびやってきた。
大会連覇と二大会連続優勝がかかっていた。

その大会の準決勝で、ふたたび秋元と相見えた。

前年にも増してレベルの高い両者同士の
好ファイト。
一瞬の隙をついた秋元渾身の右上段を
アントニオはさばき切れずヒット。

技有りx1の判定5-0で秋元がアントニオを返り討ちにした。

この試合で
『アントニオは確実に強くなっているが、
 秋元もまたさらに強くなっている。
 そして上手くなっている』とダモシは認めている。

だが、この試合、開始前から相当、
秋元陣営にアントニオ・アレルギーがあると
ダモシは見抜いていた。

『こっちもイヤだけど、
 あっちの方がもっとイヤだぞ、きっと』。

試合前に
怯えた目で通りすがりにダモシのことを見る
秋元の姿が何度もあったからだ。

(準決勝で当たるのか・・・)と
密に感じながら闘いをしていた。秋元は。
それがプレッシャーとなって動き自体は悪かった。

ところがそれはアントニオも同様で、
最悪の部類に入るほど動きは悪く
辛うじて勝ち上がっていた状態だった。

それでも互いが相見えると、
見違えるような闘いぶりで
観ている者にハイレベルな攻防を見せた二人。

『う〜ん、スイングするねぇ』と
ダモシも唸ったほどだった。

だが、勝てない。二度までも。
これはやがて苦手意識につながる。
大会でもしまた逢ったら
それだけでプレッシャーになってしまう。

ダモシの中にはそんな危惧があった。


2011年、夏〜冬:::::

アントニオはその後も、
他流の様々な団体、グループの大会に乗り込み、
鍛えていった。
6月には前年同様に極真系の大会で
スーパーヘビー級の深谷と再び相見えた。
舞台は決勝戦。
延長にもつれ込んだぎりぎりの攻防は、
惜しくも深谷に軍配が上がり、
前年と合わせてこれで一勝一敗のタイとなった。

その間、秋元らはほぼJALNAに集中。
そのグループに属する大会のみに出ていた。

秋元も大貫も、そして他団体だが深野も。
いずれもまたワッペンを獲得した。

アントニオ、最後のトライ。
それを阻んだのが、これもまた因縁の大貫(弟)だった。
相見えた闘いで共にワッペンを獲得した前年。
だがこの時はしかし、大貫は既に獲得していた。
アントニオはその獲得最後の機会に臨んでいた。
ところが既取得者だった大貫が
あろうことかその大会に出てきていて
壁として立ちふさがった。

忌憚なくダモシは思った。

『既に取っている者が選抜大会に出てくるのは、
 おかしいのではないか?
 取っているのに、何のために出てくるのか。
 邪魔しに来ているのか?』と。

正直なところだろう。

五輪予選にしても最終予選まで何度か機会はある。
最終予選に、既に代表権を獲得している選手が
出てくるようなものなのだ。
明らかにこのシステムはおかしい。
疑問を覚えると同時に
ダモシは言う。

『自分らのグループだけで固めたい。
 そんな思惑が感じられる。
 スタイルが皆、同じだもの。
 ああいうスタイルの空手はまた
 俺らは嫌いなのだよ』

あと一歩。
そこで大貫戦を迎えたアントニオは、
やはり差のない闘いをするのだが、
「掴み」を二度とられて注意x2となり、
それが響いての、毎度のパターンでの反則負け
=判定負け。

無念の涙を飲んだ。

◆「面」が相手の面についてしまう
◆一瞬ではあるが相手の道着を掴んでしまう

この二点は
JALNAルールで闘う上で
大きな大きな課題として残っていた。

この年、アントニオはワッペン獲得は逃した。
だが、極真会館の全日本選手権や
その他に出場し、確実に場数と鍛錬を積んでいた。

秋。
前年につづきISKFの全日本がやってきた。
そこでまたもや秋元と遭遇した。
「三たび激突」と、
最初のトーナメント表ではなっていた。
ところがなぜか組み合わせ自体が変更された。
アントニオの"山"が操作されたのだ。
秋元と分かれるように変更された。
そして秋元の山は、強豪不在になった。

同グループの連盟に属する拳城団
もしくは主催者側による
明らかに意図的な操作だった。

前年同様に「型」にも出場したアントニオ。
だが、主催者側の不手際で
小二のフルコン組手試合と型試合が
被ってしまったのである。

「型」を不可解な判定で準優勝で終えたアントニオは、
慌ただしい中で急遽、すぐに組手を試合を迎えた。
二回戦ではラフな相手の顔面パンチに激怒して
エキセントリックなバトルを繰り広げたことと
型の激闘の疲れも重なって
激しい頭痛に見舞われていた。
頭が痛めば吐き気も沸いてくる。

苦しい中での準々決勝の相手は、
拳城団ナンバースリーの伊豆。
力量はアントニオだが、
頭痛の中では厳しく、
やはり掴みを犯したことで反則負け。

遂に拳城団のナンバースリーにも敗北を喫した。

大会は秋元と大貫の決勝となり、秋元が制した。

秋元に二戦二敗。大貫にも二戦二敗。
そして伊豆と一勝一敗。

だがこのトーナメント中、
対面側で
秋元は終始怯えた表情でアントニオの試合を観ていた。
伊豆がアントニオを葬ったことで、
忌憚なく安堵した。


JALNA全日本。

今度は大貫がベスト4に入る快挙。
秋元もベスト8。
深谷はまたも準優勝。

彼らとその他の関東勢が揃って
JALNAの世界においては
トップグループを形成していた。

アントニオも一方でこの年末、
別の団体WNKFの世界選手権出場権を賭けた
全日本選抜優勝大会に推薦出場し、
見事に優勝。
2012年末に行われる世界選手権の代表権を獲得。
さらには2012年初の
また別のグループの全国大会で
フルコン、グローブ空手の二部門で優勝するなど
着実にステップアップ。

また出場が被った3月の大会では、
アントニオは一回戦負けを喫したが、
秋元はコンシステンシーを見せて
ベスト4に進出していた。

そしてJALNAの今年度の関東代表選抜大会で、
秋元は優勝。
関東王者の地位を不動のものとした。

その間、アントニオも
4月に二年ぶりに伝統系防具付ルールに参戦。
その関東大会で優勝。

好調キープで、6月には靭帯損傷の中での
あの<ガッツ>で、
WNKFの2013年選抜優勝大会代表決定戦で
見事に優勝。

互いに路線は違えど、好調をキープしたところで
この夏に差し掛かっていた。

ダモシには自負がある。

『ワッペンはあくまで団体のひとつ。
 それだけがすべてではない。
 また伝統系の人も伝統系はあくまでひとつ。
 それだけがすべてではない。
 アントニオの場合は、縛りがないから、
 全方位型で各団体のそれに出ていく勇気がある。
 種目もフルコンのみならず、伝統系防具も強いし、
 キックルール(グローブ空手)も優勝している。
 そして何よりも原点的な<型>もトップレベル。
 これこそが最強と思っている。
 JALNAはJALNAでやはり井の中の蛙。
 一貫したひとつのスタイルがあって、
 最近それが見えてきた』

<最近それが見えていた>。

ここが重要だ。

JALNAで勝つための方法論が見えてきた
というのである。

ダモシ曰く、
手数多く見えるように前のめりで
右左と突きを連発し、
途中で膝蹴り入れて、
あとはポイントになる上段を
離れ際に放つというワンパターンのスタイル。

そこではひたすらワンパターンを
スタミナとパワー良く
機械的に打ち込むことで勝ちにつながる。

ダモシの目には、
彼らの闘い方とスタイルが
本来フルコンではあってはならない
「ポイント稼ぎ」に走っているように
見えたのである。
そこでは、"上手い選手"が勝ってしまう的な。

体重別になっていない分、
明らかにパワー派の優位は否めない。

そんな中、
『いっつも最低身長、最軽量だもの。
 イヤになるぜ』
とダモシが言うが、

ダモシや藤澤はもとより
キラー・ワイフ含めて総がかりで
身体の小ささを逆に生かす戦略をとってきた。

そして何よりも、
秋元にしても大貫にしても同様に軽量級だ。
それがJALNAにおいてはトップを張っている。

JALNAの世界では四年生からは体重別になる。
他団体もそうだが、
30kg以下か30kg以上と二つに分かれるが、
そうなれば花形なのは30kg以下級になるのだ。
プロのボクシングでいえば黄金のウエルター級の世界。

動きも俊敏で技もキレる。
そのハイレベルな攻防は
少年ヘビー級ではまず見られないからだ。

四年生以降を見据えた場合、
ダモシ陣営の視野は
ヘビー級のトップ選手らではなく
秋元や大貫らになってくる。

それは他団体やグループの大会も同様で、
次第に「身体が大きいだけ」では勝てなくなってくる。
それの分水嶺がちょうど三年生くらいになる。

四年生から六年生のジュニア高学年になると
どの団体、グループの大会においても
花形は各学年二つに分かれる階級のうち
軽量級の方になってくるのである。

その分、チャンスは増える一方で、
覇権争いも苛烈になってくる。

そしてダモシは言う。

『はっきりいって全方位的に
 あらゆる団体、グループ、ルールのもとに
 出ていって闘っているアントニオこそ
 最強の一角だ。その自負は強い。
 毎回、出ていくたびに
 その流派、団体、グループの強者と闘っているのだ。
 自然と対応力は身につく。
 修羅場くぐりというやつですよ。
 それを各団体の井の中の蛙にぶつける。
 仮にこちらがワッペンがなくとも、
 毎年ワッペンの選手や今年とっている選手を
 一発完全に破れば、実力ではこちらが上となる。
 ワッペンというひとつの井の中で
 鼻が高くなっている選手や陣営がいるとすれば、
 へし折られることになる。
 こちらからすれば、
 相手がいくらワッペンをとっていようが、
 でもアントニオにやられたじゃん?
 となるわけで、実力はこちらが上となれるからね』

視野は統一王者である、と。
そう言いたいわけだ。

実際、団体内だけの
クローズ大会しかやらないところもある。
他流大会といっても
そのグループに加盟しているところがメインで
組み合わせも操作したりしている。

そんな中、
アントニオはすべて完全アウェイで出ていっている。
どのグループにも道場自体が属していないからだ。
加盟もしていないからだ。

だからこそ
親が役員や審判をやっているような選手や
グループ内の選手は怖れるのだ。アントニオを。

「危険な相手だ」と。

「何をしてくるか分からないぞ」と。

空手のスタイルもまるっきり異なるからだ。


2012年、初夏:::::

そして舞台は、
アントニオにとって久しぶりのJALNA。
その選抜大会。

今年既に秋元も大貫もワッペンを取得している。
だから、本来であればいないはずだ。

ところが、だ。

会場入りして組み合わせを見ると、
何と一回戦で、
関東代表決定戦で優勝した秋元と、
アントニオが組まれていた。

『何じゃ、こりゃ!』
『何で、出てくるのよ』

藤澤を交えて、諸手を挙げる。
しかも大貫までエントリーしている。

ダモシは動いた。
旧知だ。
秋元と大貫陣営に歩み寄り
声がけする。

『もう(ワッペン)取ってますよね?』

意図することが分かったのか、
大貫父がざっくばらんに答える。

『今日はウチの伊豆君に取らせようと・・・』

なるほど、とダモシは思う。
包囲網だ、と。

ナンバースリーの伊豆に栄誉を取らせるべく、
トーナメントで邪魔な相手を
消していく。
そのために秋元と大貫が出てきているのだ、と。

事実、大貫父は言った。

『少しでも後方支援できれば、と・・・』。

キラーワイフが陰で怒った。

『性格悪いよね。
 アントニオが取ったら、
 同じことしてやるぞ。
 普通、取った者が出てきてたら、
 取っていない者は
 "何であいつら出てきてるのよ"と感じるわね』

前述した五輪代表決定戦と同じだ。
既に獲得している者が
最終予選に出てくるのは本来論外だろう。

このあたりにも
加盟団体以外から代表者を出さぬよう
JALNA側が仕込んだ策なのだろう。
加盟団体だけで代表者を揃えたい。
何かを主宰する団体としては
そう考えるのも妥当だろう。
なにしよ「仲間」なのだから。

『いずれにせよ勝ちゃあいいんだ』
とダモシは言った。

だが相手が相手だ。分かっている。

『勝ち負けを過剰に考えなくていいぞ。
 秋元戦、集中でいけ。
 すべてを秋元戦で出せ。
 練習したこと、秋元用の動き、
 出来る技、すべて出せばそれで良い。
 楽しく暴れ回れば、それで良い。
 周りを驚かせろ。
 そしてラスト10秒になったら、
 アレだぞ、アレ。土壇場はアレだ』

ダモシはそうアントニオに声がけした。

アントニオは、
ダモシらも意外なほど冷静で
一回戦の相手が秋元と知っても
特別な意識もなければ緊張も覚えていない。
むしろ「あぁ、勝つわな」という意識が
顔に表れていた。

ダモシもキラーワイフも藤澤も、
そして何よりも当のアントニオ自身も
肩の力が奇妙な感覚で抜けた。

一回戦で秋元戦と知ってから、
良い意味で肩の力が抜けたのだった。

これは単純な意味でのリラックスといって良かった。

アントニオvs.秋元。三度目の闘い。

朝9時からスタートした大会は、
三年生の部へのエントリーが異様に多いことから、
三年生のトーナメントはメインで
最後ということになり、
延々と午後三時まで待たされることになる。

そうなることを理解したダモシ陣営は
即座にアントニオに言った。

『ずっと後だから。午後だし。
 直前まで動かなくていい。
 リラックスして待とう』


一方の秋元、大貫、伊豆ら拳城団の面々は
アリーナ中に見せつけるかのように
皆でミット打ちなど
朝一番から汗をかいている。

リラックスして秋元のミット打ちでの動きを
これみよがしに見つめる
ダモシ、アントニオ、藤澤。

それを意識しながら既にモメンタムが
ピークになっているかのように動く秋元。

秋元の動きを見た後、喫煙所に出向いたダモシ。
そこで深谷父と再会。
情報交換をする。

関東代表の決定トーナメントで
秋元が優勝したが、
そこで深谷はベスト4敗退だったという。

『秋元君、強くなった。強いですよ、今。
 こないだの代表決定戦、全部楽勝でしたよ』
と深谷父は述べた。

『そうか。一回戦で秋元君と当たりますから。
 すべてそこにぶつけますよ』とダモシは返した。

自信はあった。

今のアントニオなら勝つぞ、という。

全日本、全国レベルの大会での優勝経験は
共にある。

JALNAにおいては秋元に分がある。
JALNAの全日本での優勝経験は秋元もないが、
今年の関東では王者に輝き、
来年頭に行われる全日本出場権を得ている。

だがアントニオは
WNKFの全日本で優勝し、
その世界選手権の代表権を獲得している。
伝統系防具付の関東も制している。

そして秋元は「型」はやっていないが、
アントニオは「型」もトップクラスであり
大きな演武会で大人をも抑えて
大トリを務めている。

東日本大震災の被災地へ出向き
鎮魂の型を演武した。

『誰がやる?やってる?
 言わせてもらえば、
 特にJALNA系の選手は、
 自分が勝つことにすべてになっている。
 本来、空手はそうではないはず。
 そのあたりも、こういうことをしていても
 君らより強いし、というのを見せしめたいね』

とダモシは熱くなる。

さらに。
いずれも所属する団体のエースだが、
その中身が異なる。
強豪揃う団体のエースの秋元。
少数精鋭で一本かぶりのエースのアントニオ。

同学年や上がいてガンガン稽古できる秋元。
すべて下で稽古では受けなくてはならないアントニオ。
「型」を教えたりするのもアントニオの役目だ。
既に教える側、面倒を見る側になっているアントニオと
ガンガン自分が強くなることに集中している秋元。
『試合』という意味でのエッジは断然、秋元にある。

だがアントニオには、ダモシがいる。

受けざるを得ないことで
稽古的に不足する点を
ダモシ自らが起つことで補うばかりか、
それを超越せんと必死になっている。

己の肉体と鍛えようのない脳を差し出し、
アントニオの全身全霊の打撃を受けている。

ダモシは言う。

『俺とやっているのだよ、スパーを。
 強くならないわけがないでしょ。
 一方で下相手とはいえ
 受けるのも苦しいわけで、彼も。
 でも受けることで相手の動きが見えてくる。
 受けから攻撃に転じる一連のストーリー等、
 組立を学ぶことが出来ている』

ただ同学年とガンガン稽古するより
濃密且つ合理的な稽古をしているという自負。
さらにIDも駆使し、
相手の弱点もあぶり出す。
ひとたび相見えれば
ビデオをもってして
その相手の弱点を割り出す。

『あとは、スタイル。
 アントニオのスタイルは旧来の空手と異なる。
 明らかに違う。華麗なる魅せる空手だから。
 JALNAの空手スタイルは認められない。
 JALNAで勝つためのスタイルが見え見えで、
 誰もがポイント稼ぎに入っている。
 あれでは伝統系の方が上だ。
 伝統系にもチャレンジしたことで、
 アントニオの打撃のポイントが決まってきた。
 ムダな突きと蹴りが減ってきた。
 一方でJALNA系の選手はいま見ると
 ムダなそれが多い。そこに穴がある。
 彼らと同じスタイルで闘ったらまず勝てない。
 彼らが出来ないスタイルで驚かせて動揺させる。
 華麗なる技の空手で勝負する』(ダモシ)。


拳城団陣営は情報戦を仕掛けた。

『ウチは秋元君に勝ったことないんですよ。
 エースの彼にはなかなか勝てなくて』
と大貫母がキラー・ワイフに話しかけてきた。

既に闘いは始まっていた。

藤澤も舐めるような視線で、
ミット打ちをする秋元の正面で
その動きを見る。

ダモシは秋元父、大貫父それぞれのもとに
順番に歩み寄っては声がけする。

『時間空き過ぎですね、試合まで』と
ダモシは秋元父の様子を探る。
すると秋元父はうんざりした様子で
『困りますね』と呟く。

その直前、秋元父が秋元に
『身体動かすか』と声がけすると
『無理』とうんざりした様子で答える
秋元の姿もしっかりとダモシは見ている。

『子供は調整しにくいでしょうね』と
あえて同じ当事者目線で優しく声がけする。

『まあ当たり前だけれど、心理戦だからね。
 そういうの全部、既に試合なわけで』
(ダモシ)。

ダモシは特に、そういった心理戦を仕掛ける。

そして戦術は決まった。

・受ける
・ラスト10秒でナイアガラ

ここ最近出場している伝統系防具付で学んだ
一撃必殺にかける、と。
そして、一発も入れさせない。
引き分けに持ち込むつもりで良い。
仕掛けるのはラスト10秒。


<受ける>。

これは精神的に相手を追い込むと共に、
一発も入れさせない動態をとる意味もある。

その<受ける>練習は、
他の選手がやっていない部分であり
さんざんやってきている。

オフェンスの基点は、インロー。
そして練習している技/出来る技は、
可能な限りすべて出す。

ブレない戦術が定まった。

いざ、勝負の時が来た。

プロ同様、路線が違う。団体も違う。

単純に、どちらが強いのか。
JALNAに価値を置けば秋元が上。
だが全方位的に視野を広げれば断然アントニオ。

ある意味で他団体のエース同士が相見える世界観。
ルール、土俵は、秋元のもの。
アントニオは慣れているアウェイ。

この闘いの構図であった。


7.8.2012:::::

一回戦でのゴールデンカード。
知っている者が多い分、
多くの視線が一斉に集まる。

赤、秋元。先に入場。
白、アントニオ。気合良く押忍と叫び入場。

秋元は、ファーストコンタクトで
ややスロー気味(相手の出方を見る感じ)で
右を使う癖がある。

一年前の春の対決の際、
ファーストコンタクトで
いきなりの左上段を狙いにいく戦術を採り、
それは間一髪で決まらなかったが、
ほとんど決まった感じで成功した。

もちろん覚えていれば
アントニオが左上段を狙ってくることを
警戒するだろう。

ファーストコンタクトで選んでいた戦術は二つ。

・左上段を見せてすぐに右飛び後ろ回し蹴り。
 それがヒットせず秋元が後退して避けた場合、
 すぐさまナイアガラ-II

OR

・(前回の対決の逆で)右上段

アントニオがどちらを採るか、
向かい合った際のアトモスフィアと
一瞬の秋元の動きを見て判断する。

ゴング。

秋元の左が甘い。ゆっくりと探るように、
右上段のような動態をとる。
それを見逃さないアントニオは、
右上段をハイスピードで蹴った。
つま先がヒットして秋元の顎が上がる。

セコンドのダモシは、
『ヘイッ!』と叫び、
それがヒットした(技有りだという)ことをアピールする。
副審はいずれも赤白旗を手前で派手に交差させて
技有りにはならない旨を表明する。

gg1.jpg

『これは入っていますよ。 
 ガードできてなかったし。
 急のことで審判もびっくりしたのでしょう。
 ときどき、アントニオの動きが速すぎて
 審判がついてこられないことがある。
 いくら何でも入ってるだろというケースが
 これまでにも山ほどありますよ』
(ダモシ談)

前回の対決ではファーストコンタクトで
機先を制された秋元はすぐに体勢を整えたが、
今回は立て直せず、のっけから焦る。
オフェンスの身体バランスが崩れる。

それでもトップ選手のレベルの高さで
やや遅れながらもアジャストして
自分のリズムを取り戻そうとした。

基点はワンツーからのロー。
だが、アントニオもワンツーからのロー、
そして得意の回ってローを繰り出し、
同じ手数で同じ攻防が展開される。

開始15秒、
秋元得意のキレ味鋭い右上段が飛ぶ。
多くの選手をこれで葬ってきた。
レベルが高い上段蹴りだ。
一年前の春、それで一本とられている。

だがアントニオには見えていた。
それをカット。
カットした直後すぐに左上段を放つ。
秋元負けじとカット。

21秒経過からアントニオがいよいよ
<受け>に入る。
脇を締めて両腕を肘で曲げて広げ
相手の突きを受け始めた。

秋元がワンツーを突き、
左右に動きながらローやミドルを放つが、
左右に秋元が動くたびに
アントニオは受けの態勢のまま
秋元の正面に立つ。
正面に常に立つことで相手の攻撃が見える上、
腹筋を入れて突きを受けられるようになる。
また、上段蹴りもカットしやすくなる。

29秒、苦し紛れに秋元は
やはり十八番の右上段を放つが、
その精度の高い上段をも
きちんと正面に立っていることで
肘を使って完璧なディフェンスで入れさせない
アントニオ。

受けて捌いてそして己がワンツーと
強烈な左インローを打ち込む。
左インローが次第に秋元の動きを止めていく。

gg4.jpg

そして上段蹴り、後ろまわし蹴り、上段蹴りの
まわし蹴り連続攻撃で
秋元を後退させる。

gg3.jpg

gg2000.jpg

さらに動揺する秋元に対し、
受けながら<圧>〜プレッシャー〜
をかけるアントニオ。

明らかに秋元陣営の顔色が変わる。
『自分らのエースの強烈な攻撃を
 受けられてしまっている・・・』
『しかもエースが圧をかけられてしまっている』
『(アントニオ)はヘビー級じゃないのに』
と。

gg2.jpg

『受けるという所作はオフェンスではないけれど、
 実質的にはオフェンスですよ。
 精神的に明らかに追い込まれる。相手は。
 心理的に追い込むオフェンスですよ。
 そしてこれぞ王道』(ダモシ)

ところが50秒、副審がアントニオの反則をとる。
面が相手にくっついているというのだ。
JALNA特有の不可思議なルール。

面(頭)をつけて押し込む攻撃は反則であり
それは頷くことはできる。
だが、意図的に面をつけて押しているわけではない。
闘いの中で意図せずとも
面が一瞬くっついてしますケースはあるのだ。
その微妙な加減を判断せずに、
すぐに笛を吹き、旗を振り、
さも嬉しそうに反則をとる副審団。
グループ内の意図的な所作か?と思えてくる。

これによって
以前からJALNAで負けるケースが多いのが
アントニオだ。

注意x1。

このまま終わって判定になれば、
いくら内容で勝っていても、負けになるのだ。

57秒。試合再開。
ここでもアントニオが先に仕掛ける。

飛び込んでの、蹴り上げ式中足。
いきなり相手のチンを
ジャンプして蹴り上げる技だ。
だが、これは見せ技で
優しいアントニオは当てにいかない。
シュートマッチになれば、
これをモロに入れることはできる。
闘う相手への尊敬として
これをあえて入れないことは、流儀だ。

gg7.jpg

実際、
ダモシとのスパーでは「入れて良いぞ」
としてあるため入れてくる。
昨日も入れられた。

age.jpg


戸惑う秋元。
ただただワンツーとローという定番の動きをする。
その後スキをついて得意の右上段がパターンだ。
ところが注意x1をとられて劣勢のアントニオは
横綱相撲でまたもや<受け>る。
受けられてワンツーにもローにも精度を欠いて
有効打を放てない秋元。
アントニオは受けから攻めに転じる際に
強烈な左インローを放ち、秋元の左脚を浮かせて
ダメージを蓄積させる。

幼児時代に得意だった
・右に回ってロー
・左インロー
これが今年は完全に甦っている。

ところが1分05秒。またもや副審の笛と旗が踊る。
赤・秋元の旗も挙げた副審もいたが、
最後に主審がとったのは白・アントニオの反則。
やはりまた面だ。

『これで、(反則)とるかよぉ!』

セコンドのダモシが呆れる。

注意x2。
内容と手数、有効打の数では圧倒的な
アントニオだが、このままでは判定0-5で敗北となる。

1分16秒、試合再開。

残りは14秒。
これが最後のコンタクトだろう。

サッカーやラグビーでいえば、
プレイが途切れたらそれで終わりの世界。

ここでアントニオは突如、
伝統系防具付で採用している左構えに切り替える。

フルコンタクトだけではなく、
ボクシングと伝統系防具付も練習している中で
ダモシとアントニオが編み出した
左右両利き腕方式だ。

『上段も左上段の方が得意だ。
 顔面パンチありのグローブの場合も
 パンチ力は左構えの方がスムーズ。
 ミドルもそう。伝統系の場合、一発を決めるのは
 たいてい左構え。フルコンでも右利きでも左上段を
 強烈に出来る者の方が相対的に上』
とダモシは語る。

『必ず試合途中で構えを一回切り替えろ』(ダモシ)
と指示も出していた。

土壇場でアントニオは切り替えた。残りは14秒。
時間がない。
ブースの外にいるキラー・ワイフが叫ぶ。

『いけ!狙っていけ!』

最後のチャンスだと悟っていた。
サッカーでいうところのロスタイムに相当する。
ここで一発決めて技有りをとらなければ勝ち目はない。

技有りをとっても、注意x2を受けているから、
JALNAにおいては
その技有りの技の強烈度によっては
引き分け延長になる可能性もある。

超大技を完璧な形で決める。

それしかもはや勝つ方法はない。
引き分けに持ち込むのではなく、
ここはもう勝ちにいくしかない。

ここからの14秒は、
まさにジョー・モンタナの
<モンタナ・ドライブ>に準えることができる
一連の動きの過程になる。



1989, NFL Super Bowl:::::

第23回NFLスーパーボウル。
土壇場でシンシナティ・ベンガルズが
FGによって16-13とリードを奪う。
残り試合時間は3分10秒。
サンフランシスコ・フォーティナイナーズのQB
ジョー・モンタナにとっては
大逆転への時間としては不足はなかった。

だが、サンフランシスコ最後のドライブと思われた
それは、自陣8ヤードからという
たいへんタフなシチュエーションだった。

クレイグへパス。
時計を止めないモンタナ。
リズム良くライスへパス成功。
またクレイグへパス成功。
時計は進みつづける。
残り二分で2ミニッツ・ウォーニングで
時計が止まるまで、モンタナはパスを
投じ続ける。

再開。
自陣30ヤードではじめてラン。
続けてライスへロングパス成功。
さらにノーハドルで
畳み込むようにクレイグへパス成功。
時計は止まらない。
パスを外に投げて時計を止める。
さらにその後もパス。成功するが、
反則があって10ヤード罰退。

敵陣35ヤード付近まで攻め込みながら、
ここで痛い10ヤード罰退で
敵陣45ヤード付近(フィールドほぼ中央)
まで後退してしまう。

これは致命的とも思えた。

残り1分15秒。
敵陣45ヤード付近から
2ダウン&20という厳しい状況。

しかしモンタナはここで
ライスへ起死回生のパスを
まさに針に糸を通すかの如く場所へ通す。
キャッチしたライスは駿足生かして走り
大きくゲイン(進軍)。
敵陣20ヤードまで一気に進んだ。

残り1分03秒になり
モンタナは大きなジェスチャーで
タイムアウトをコールするが
聞き入れられず。

だが、その瞬間、テレビ画面に映し出された
シンシナティのワイチ・ヘッドコーチの顔は
引きつっていた。おそらく怯えていただろう。

<モンタナ・マジックにしてやられるのではないか>
という恐怖の予兆。

その足音が忍び寄っているアトモスフィアが
フロリダはマイアミのフィールドに
漂い始めていた。

だが、モンタナが必死にタイムをアピールするが、
時計が止まらない。

異様に早い秒数の経過。
それでも焦らずに
モンタナはすぐさまドライブ。
またもやパスを投じ、クレイグがキャッチ。
ここでようやく時計が止まった。

残り39秒。
いよいよ残り10ヤードまで迫った。

パスか、ランか。
もう、ここまでくれば
モンタナ・マジックでパスだろう。
キャッチはライスか、クレイグか。

失敗に備え(FGに備え)、
キッカーのコファーがキックの練習をしていた。

右に走りながらレシーバーを目で追う。
なかなか投げない、投げられない。
迫りくる相手ディフェンス・ライン。
間もなくサックされ捕まるかと思われた
ぎりぎりの瞬間、

モンタナはボールを投げた。

そこしかないところへ、
今しかないというタイミングで。

勢いのあるボールは
そのまま放っておけば間違いなく
ラインを飛び越えていっただろう。

意外なキャッチは、テイラー。
大きくジャンプし両腕を伸ばして
ぎりぎりのラインで見事にパスをキャッチ。

ボールをフィールドにたたきつけると
そのままサイドを割って外に出て
歓喜のジャンプ。

その瞬間、モンタナは高々と両腕を掲げた。

<タッチダウン!ジョン・テイラー!>

米テレビ中継のアナウンサーは叫んだ。

81年のNFCチャンピオンシップにおける
"The Catch"を想起させるシーンが、
また起こった。

これぞ、まさにモンタナ・マジック。


::::::


スポーツは、
その試合、その瞬間だけの問題ではない。

エキセントリックな結末や
感動的な終幕はすべて
そこに至るストーリーがあって
はじめて成立する。

すべてのエモーショナルなシーンでの
感動は、その瞬間だけのことではなく
過程があって初めて成り立つのだ。

そういう意味でも、
フットボールの持っている
<ドライブ>という
分かりやすいゲイン/進捗のストーリーが
いかに最後の瞬間を構築したかを
指し示す。

ベースボールにおける
土壇場の大逆転劇も同様。
一回からの攻防とその過程があって
そこに辿り着く。
さよならホームランには、
そこに至る過程こそが潜んでいる。

サッカーのPK決着も、
はじめからPKがあるのではなく
前後半、延長というプロセスがあって
PK戦のドラマに至る。

ボールゲーム全般にも言えることだ。

バスケットボールの頂点、NBA。
その中でも頂点を極めた
マイケル・ジョーダンもまた
モンタナ同様に
何度も感動的で驚異的なシーンを創造した。

1989年のNBAプレイオフ。
二勝二敗で迎えた第五戦。

敵地クリーブランドで残り三秒の時点で
99-100で負けていたブルズを
大逆転勝利に導いた
ジョーダンのジャンプシュート。

これが終了を告げるブザーの音と同時に
ゴールに吸い込まれた。101-100。
ブルズの大逆転勝利が決まった瞬間。

ジョーダンとブルズは以降、
90〜93年シーズンのスリーピート(三連覇)、
メジャー入りでの引退と復活を挟んでの
95〜98年シーズンで二度目の
スリーピート達成と黄金時代を謳歌した。

その間、度々、"The Shot"を見せたジョーダン。

残り何秒という世界観での
モンタナとジョーダンは、
<何かをやってくれる>
<何かをやらかす>という
味方には頼もしい、敵には恐怖の存在だった。

観ている側としては
こんなに光彩を放つ選手はいなかったのである。

かつてモハメド・アリが、
ジョー・フレイジャーに言い放った
<I am somebody. You are nobody.>
〜俺は何者かだが、お前は何者でもない〜
ではないが、

日本的にいえば「持ってる」となるのだろうが、
そういう日本的な軽薄さではないところでの
somebody。

土壇場で魅せる天性。

これがアリ(「キンシャサの奇跡」が有名)、
モンタナ、ジョーダンという
希代のスーパースターの成せる業だったのだ。


7.8. 2012:::::


最後のドライブで
左構えに切り替えたアントニオ。

伝統系防具付で学んだ
一撃必殺の態勢と間合いを計るべく
フットワークをとる。

試合再開。

先に出ようとした秋元。
だが、左構えのアントニオを見て躊躇。
躊躇したその隙を見て
アントニオは伝統系防具付で一本決めた
横蹴り気味の中足を放つ。

gg9.jpg

しかしこれはヒットさせるというよりも、
相手を出てこさせなくして
己が間合いを計るためのものである。

秋元を前に出られなくしておいて
フットワークをとるアントニオ。

セコンドのダモシは、
ここで<ラスト10!>と声がけ
しなければならないところだったが
興奮していたのか、それを忘れていた。
手に持つタイマーの存在を忘れていた。
コートの本部席に置かれて表示されている
タイムを見る余裕もなかった。

それに気づいた藤澤が大声で叫ぶ。

<ラスト10!>

残り10秒。
本人がそれを自覚しなければ
何かを狙うにも狙えない。

ハッと気づいたダモシ。

その声が耳に届いたアントニオは、
土壇場での技をいかに出すか、
それが出せる態勢にどう持ち込めば良いか
を瞬時に感じた。

Don't Think, Feel! の世界である。

頭で考えていたら追いつかない。
動態と秒刻みの時間軸の中で、
自身の経験と稽古で培った無意識
〜狙っているのだが、無意識〜
=フィーリング
で、それを成すべく。

アントニオが動かなければ、
この間合いの取り合いのまま試合は終わる。

伝統系防具付での決め技のひとつである
左ミドルキックを放つアントニオ。
それに合わせて右ミドルキックを出す秋元。
二つのミドルが交錯した。

最後のドライブ=最後のコンタクトが、始まった。

このまま普通に突き合えば秋元の勝利。

アントニオが右ボディ、左ボディを突けば
秋元は前へ出ながらミドルキックを放つ。
至近距離で打ち合う中、
アントニオが右に大きく動いた。
前へ出る推進力がこの時強かった秋元は
突然、すかされた/いなされた感じで
前のめりになった。

やや距離が開いたその瞬間、
アントニオは右上段を放った。
スウェイして避ける秋元。

だがアントニオは
右脚が着地するや否や
飛び込み気味に左ミドルを蹴り込んだ。

反応力の高い秋元は
その飛び込み気味の左ミドルに
己が身体を前のめりに
アントニオに身体を合わせる感じで
瞬間的に「圧」をかけた。

そうすれば蹴りはヒットしない。

時間はもう、ない。残り3秒。

ダモシが叫んだ。

<アントニオ、ナイアガラだよ!
 ナイアガラ!>

ここでのナイアガラが、
I か IIか IIIかは、ダモシもアントニオも分かっている。
この局面ではひとつしか、ない。

I だ。

アントニオもそれしかない、と悟っていた。
それに賭けよう、と。
最後のドライブが残り14秒から
始まった段階でアントニオはそれを狙っていた。

『分からない。自然に出た』と
アントニオは語るが、
『狙っていないはずはない』と
ダモシは語る。

『土壇場で負けていたら、
 ラスト10でナイアガラというのは、
 決めていたのだから』(ダモシ)。

圧をかけてきた秋元の身体を引き離すべく
アントニオは右のストレートを
秋元の鎖骨に打ち込んだ。

動態としては、
これも何度も練習しているものだ。

最後の賭けだった。

これで身体を少しでも引き離さなければ
<ナイアガラ-I>は出すこともできない。

その右ストレートと同時に、
秋元は右インローをアントニオの右脚に放った。

クリーンヒットはしなかったが
皮肉にもこれが
アントニオの右脚を
やや後ろに引かせることになった。

鎖骨を打たれてやや下がった
秋元の身体位置は、
ナイアガラ-Iが完璧にヒットする
間合いになった。

そして
インローを蹴られて右脚が
左脚より後ろに下がった
アントニオの姿勢は、
ナイアガラ-Iへ移行するに
最適なポスチャーとなった。

その二つの<タイミング>が
パーフェクトに重なり合った。

今だ!

ダモシが叫んだ。

<ナイアガラ!>

残り2秒。

遂に、ここしかないという
絶好のタイミングと間合い、姿勢が整った。

gg1001.jpg

左脚を軸にして
回転するように上体を沈めると共に
その左足で地面を蹴り
遠心力を用いてやや浮遊。
同時に後ろ位置から蹴り上げられた右脚が
弧を描く。

その間、わずか0コンマ数秒。

自身の視界から突然アントニオが消えた
と理解した次の瞬間、
下から突き上がり、
その突き上がったピークから
一気に流れ落ちる瀑布のように
アントニオの右脚ふくらはぎとかかとが
脳天と顔面に襲いかかってきた。

ヒットするのは脳天か顔面か。

あまりの技の速さに
棒立ちになり
両腕のガードは垂れ下がった状態の
秋元の

その顔面に、

最後は垂直にナイアガラ-Iがまともに激突した。

gg1002.jpg


<バチーンッ!>。

ヒットしたと同時に、
赤いお手玉
(試合終了を知らせる玉)が投げ入れられて
マットに着地。

試合終了を告げるブザーが鳴った。

秋元は、
ヒットされた直後、
両手を顔面の横に上げて
ガード姿勢をとったが時既に遅し。

わずかに美徳のよろめきの後、
差し上げた両手をそのままにキープし
『ガードしてました』というポーズを
見せるので精一杯。


<完璧に決まった>と
瞬時に理解したアントニオは、
すぐさま立ち上がる。

決まった瞬間、
ダモシは<へいー!入ったー!>と叫び
左腕を突き出して人差し指で
その場を指し示す。

さらに副審らを睨みつけて
<入ったー!>を叫ぶ。

柵の外で声援を送りながら
ビデオを撮影していたキラー・ワイフは
<そーっ!入ってるっ!よーしっ!入ってるっ!>
と絶叫。

gg1003.jpg

gg1004.jpg

主審は、お手玉を本部席に投げ返した後、
副審二人の旗を見て
己の胸も腕で指し示しながら
<白、イチ・ニ・サン、
 回転まわし蹴り、技有り!>とコール。

gg1005.jpg

gg1006.jpg

"回転まわし蹴り"と主審がコールしていたのを
ビデオを検証して知ったダモシ陣営だが、
それだけ主審も困惑したのだろうと察した。

いわゆる通常、部類としては
<胴回し回転蹴り>に属するナイアガラ。
だが、JALNA勢や他の団体含めても
三年生レベルでそれを出来る選手がやっている
<胴回し回転蹴り>とは
まったく異なる。

角度も、スピードも、まったく異なる。
それを少しでも感じたのだろう。
だから主審は
<胴回し回転蹴り>と言わずに
<回転まわし蹴り>と言ったのだろう。

セコンドのダモシは、
禁止されているガッツポーズを高々と右手で掲げる。

試合終了と同時の大逆転、ナイアガラ-I、炸裂。

gg1007.jpg

判定をとるまでも、ない。

<はい判定!>

副審四人全員が白を挙げる。
主審自信の裁定も交えて
主審は決着をコールする。

<はい、白、
 イチ・ニ・サン・シー・ゴ!
 白の勝ちっ!>

主審が告げる間、
秋元はうなだれて号泣。

アントニオは堂々と十字を切って、
秋元へ歩み寄り握手。

瞬間、ダモシはセコンド席からすぐに
キラー・ワイフを振り向いて<やったぞっ!>と叫ぶと、
既にキラー・ワイフは号泣。

『その顔を見たらもらい泣きした』
(藤澤)

『込み上げた。震えた』
(ダモシ)

gg1009.jpg

gg1010.jpg

:::::

最強の一角。トップランナー。
且つ強豪軍団のエース。

その秋元の攻めを
<受けられてしまった>衝撃。

そして、
残り二秒からの動態と
試合終了と同時のヒットという
ダイナミズムと、
その技がナイアガラという
エキセントリック性。

拳城団の館長と秋元父は
「やられた」というショックを隠せなかった。

試合後の挨拶では

『彼らのあんな顔は見たことない』
(ダモシ)ほどショックを受けていた。

号泣する秋元の頭をダモシは撫でた。

そのショックは推してしかるべき。

なによりも微妙な判定での敗北ではない。

技をすべて
<受けられてしまった>のである。
<さばかれてしまった>のである。

しかも、土壇場で
彼らが出来ない超大技を出されて
それが完璧な形でヒットしての一本。

ダモシは語る。

『俺が逆の立場なら
 ワッペンを返上しろ!と怒るだろう。

 この勝ちと内容は大きい。

 いくら彼と彼らが、
 JALNAの申し子で
 いっぱいワッペン持っていても、
 アントニオに完敗した。

 仮にアントニオが今後
 ワッペンは取れなくても、
 JALNA系列の彼らは、
 JALNAの大会で優勝したとしても、
 アントニオには完敗した
 という事実が残っている。

 実力ナンバー1はどっちだ?
 となった時、
 胸を張ってアントニオだと言える。

 完敗は、
 いくらワッペンを自慢したとしても
 そのJALNAのスタイルで
 強いだけでしょかも?となり、
 アントニオには勝てなかった
 という、これはずっと残るわけ。

 双方にとって大きな勝負だった。

 俺は言うね。あっちがJALNAばっかりが
 最強と仮に言った場合。
 こう言うね。

 でもアントニオには完敗したじゃないか。
 しかも技、全部、受けられてたじゃないか
 とね』

JALNAのスタイル=点数稼ぎ的な
=JALNAで勝てる方法論的な

ものを、否定したダモシがいた。

良い部分は取り入れて
アジャストしてきたし、してもいる。
が、一方で、
様々な団体のそれに出ていっている
アントニオ陣営からすれば、
ひとつのスタイルでだけ強いことが
最強のように言われるのは認め難い。

ならば、JALNA関係の選手が出来ない
まったく異なる空手をして、
完勝しよう、と。

もちろんこの日の試合も紙一重であり、
最後のナイアガラが出なければ/
出せなければ、あるいは出しても
決められなければ
あのままいけば
注意x2があった分、
どう足掻いても判定5-0で秋元の勝利になっていた。

だが、
そういった勝ち方が認められないのである。

そして内容と勝ち方としてトータルに見たら、
紙一重だが、
完勝といって良い。

それだけ
<受ける/受けられた/さばいた/さばかれた>は
精神的に与えるダメージは大きい。

仮にあのままナイアガラなしで終わって
勝利していたとしても
秋元陣営には
頭がスマートならば
大きなダメージが残っただろう。

<受けられてたじゃないか!>と。


*****


帰路、まるで優勝したかのような、
あるいは
優勝したとき以上の歓喜。

アントニオ陣営はそれでも、

『驕らず、腐らず、あきらめず』
と語り合いながら、車中にいた。


キラー・ワイフは言う。

『試合後、秋元母、
 「次は勝てるよう鍛えてきます」
 と挨拶に来たよ』とダモシに告げた。

ダモシは、

『相当、マークして来るだろう。
 だが、こっちはさらに
 あっちが出来ないこと、
 想像もし得ないスタイルや技で
 先に進む』

と凄んだ。

『少なくとも
 今日はあのスタイルの限界を
 彼らは気づいたでしょう』

というダモシの台詞は、
エスタブリッシュメントや大組織に対する
反骨心が露骨に示されていた。

今後も

『独自のスタイル。 
 誰もやらないスタイルで先鋭的にいく。
 そして魅せる要素。
 これを意識しながら出来るのはウチだけだ』

と、さらに誓った。


それでもダモシは認めている。
最大級の賛辞を送っている。

『スイングする相手。
 ハイレベルの痺れるせめぎ合い。
 四年生になれば体重別にもなる。
 彼とは同じ階級だから、
 今後もライヴァルとして闘うことになるだろう。
 そして、勝ち負けは時の運。
 今回は始まりに過ぎない。
 ハイレベルなところでの
 真の紙一重の攻防が
 期待出来る相手なのは間違いない。
 せめぎあっていければ互いにプラスになる』

gg10114.jpg


:::::


闘いから九日後、
自宅で練習するダモシとアントニオの姿があった。

ナイアガラのI、II、IIIを上回る
誰もやらないさらなる超必殺技
<ヴィクトリア>の完成への萌芽を見た。


<どんどん先へ行くよ>とダモシは胸を張った。 



posted by damoshi at 13:38| R-246 ダイアリー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

宿題 -2013-


フェイスブックに掲載したものを
そのまま転載。

2013年、来年の富士が早々に決まった。

よく見ると、
富士前日の寄稿のタイトルが
なぜか<富士登拝-2013>になっていた。
単に間違えた
(前夜も仕事が立て込んで遅くなっていて
 疲弊していたからだろう)だけなのだが、
思えば、暗示していたのかもしれない。

2012年の今年は、悪魔富士が本性を出して、
頂上踏破を阻むことを。

調べてみると皇太子浩宮徳仁親王も
初の富士登山の際に、
悪天候に阻まれて八合目で撤退したという。
そのリベンジを果たして登頂したのは
それから20年後の2008年だった、と。
その際の登山口は、ダモシ軍恒例の口と同じ。

もちろんダモシ自身は既に二度登頂しているが、
今回は特別な登山、登拝だったわけで、
アントニオとワイフにとっては
完全に富士との初邂逅で最悪のそれに遭遇し、
且つ阻まれたことになる。

既載のようにダモシ自身にとっても、
直系遺伝子との登頂は果たせなかったわけだ。

一昨日掲載のストーリーにあるような諸々が
存在しているからこそ、来年という世界観が生まれ、
もうこの段階で決定した、と。

以下、フェイスブックからの出張掲載。


*****

富士と三連休明けの仕事。
身体だるく、疲れ気味です。
まだアジャストできていない気が。

来年の富士登拝が決定。
既に仕事関係の人が、
父子での来年の初参戦を表明。
うれしいことです。

今回の富士。
仲間とのそれとは別の感情と感覚で
得るものがありました。

『宿題』というタイトルで、
今回の対富士も
スポーツノンフィクションで
ブログに長編を書きましたが、
そこでも触れた二つのポイント。

フィナーレでのアントニオ選手との会話。
<頂上はいつかな。
 宿題として残ったな>と言った
私に対して、
少しハニかみながら彼はこう答えました。
<来年ね>。

こう言われたら、
行かないわけにはいきませんね。

そしてもうひとつ。
富士は、
親子の、夫婦の、
それぞれの間にも日常では感じ得ない
新たなsomethingを与え賜うた。
そこで感じたのは、
太宰治は「富士は月見草」と言ったけれど、
今回は私は、
<富士は、崇高な時間>というものです。

この二つのワードを入れ、
今年阻んだ富士へのリベンジという意味も
含めたポスターを、
早くも作った次第。

来年は同行者はさらに増えそうです。
いいですね。
共に往くけれども、
それぞれ別の何かを感じれば。

"ウノ・マス" アゲイン!

*****

ということで、当欄にも既に
右バナーに掲載したが、
大きなサイズのそれをここに掲載したい。

2013fuji.jpg


posted by damoshi at 02:29| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月15日

宿題


フェイスブック既報の通り、
"東日本大震災鎮魂/新田次郎生誕100年トリビュート"
<富士登拝-2012->から昨日、帰宅した。

そして、既報の通り、
今回は「悪魔富士」の本性を遂に見せた富士が、
<経験したことのない暴風雨>をもってして
ダモシ軍及び同日登山者たちの登頂を阻んだ。

ダモシ&アントニオの父子同時登頂、
キラー・ワイフを含めたファミリー同時登頂
それぞれの夢は八合目で潰えた。

午前六時、撤退を決定。午前十時半、五合目に下山到着。

『共に登頂するのは、宿題として残った』。
ダモシはそう語りながらも、
アントニオの奮闘を誇り、目頭を熱くした。

当欄限定で、以下にストーリーを掲載。


:::::

富士の悪魔性。
これを見る機会が必ず来るだろう。
そう思っていた。

前二回、そのシーズンでいずれもベストの日の
登頂だったからだ。

あまりにも良すぎた条件。

海の日の三連休前の金曜日。
これが09年、10年の過去二度の富士登拝。
今年も同様に、それは7.13。

タイミングは同じだ。
その頃合いは、過去二度はちょうど「梅雨明け」。
だが今年は、その前日から九州で
<経験したことのない>大雨が降っていた。

前日確認した富士山自体の当日の天気予報は、
雨、雷。

毎回リーダーとして参加している
ヒマラヤ6,000m級経験者の
マスターKEIJIが前日、ダモシに電話をかけてきた。

<五合目でとりあえず集合して、
 あとは状況を見て撤退もありということで>。

今回のメンバーに初挑戦の
キラー・ワイフと小三のアントニオがいることを
慮ったのである。

未明。自宅の外は大雨。
朝8時半の出発時には雨は止んでいたが、
暗雲が漂っていた。

東名で御殿場まで。あとは市内を走り、
自衛隊演習場を超えて富士スカイライン。
そして五合目。

キラー・ワイフ&アントニオが
この静岡側(富士宮口)五合目まで来るのは、
08年秋以来、四年ぶり二度目。

約一時間半の高度慣れ休憩を挟み、
後から来たマスターKEIJIと合流し
12時、いざ登山開始。

その前日の登山では、
八合目までも誰も来られないほどの
悪天候。

この日も同様の悪天候が予想された中、
予約してある八合目まで行くことができるか。
そもそも天候の問題だけではなく、
肉体的にも持つのか否か。

ダモシ、先頭。二番手にワイフ、三番手でアントニオ。
オーラスにマスターKEIJIという布陣。

ダモシが先頭であれば、
必然的に超スローペースになる。
それがワイフとアントニオには大きな
アドバンテージになる。

高度が上がるごと、
超スローペースで上がっていけば
自然と高度に順応するという算段だ。

六合目、新七号目に順調に到達。

未だにダモシ恒例の<金剛杖支え>が出ない。
過去二度にはない好調ぶりが
ダモシに見られた。

途中途中、登山者や下山者と
すれ違う際に、多くの人々が
登るアントニオを見て声をかけてくる。

<え?すごいねー。何年生?>。

ほとんど、同じ質問だ。

むろん山梨側からなら大勢いるだろう。
小学生高学年や中学生で
山梨側ともなれば当たり前の光景であろう。

だが、この静岡側からの登山である上に、
この悪天候である。
苦しい闘いに彼ら自身も臨んでいる中で
小学三年生のちびっこが黙々と登っている姿に
逆に励まされている。

健脚な68歳男性とその妻がすれ違う。

<はぁ、キツイですね>と言いながらも
彼らの表情には余裕がある。
しっかり脚を踏み登っている。

<健脚ですね>とダモシが言うと、
<初めてですか?>と妻が問う。

<三回目ですよ。息子を連れて初めて今回>
とダモシ。

妻がアントニオに問う。

<何年生?>

アントニオは<三年生です>と答える。

この
<何年生?>
<三年生です>のやりとりは、
登山中、二十回は超えた。

<おじさんは100kgを背負ってるんだぞ>
と笑顔で声がけしてきた五十代と思しき
ヘビー級男性。

<まだ、(登るには年齢が)早いんじゃないかぁ?>
と挑発。

その後、
<これくらい言っておけば意地でも登るだろう>
と笑う。

ダモシはアントニオに向かって笑顔で言う。
<登ってやるぜ!って言ってやれ>。

忌憚なく、過去二度とは異なり、
軽快にダモシが登ることができた
最大の要因に、

ワイフ&アントニオが共に登っている
ということと、
自身が先頭で彼らを先導している
というポジションがあった。

彼らを守るのは己だ、と。
むろんマスターKEIJIがいるが、
父であり夫であるのはダモシだ、と。

そのポジションが、
自分自身がヘナヘナしていられない
という責任感を発露させ、
ひいてはそれが
過去二度に存在していた<甘え>を
消し去ったといえるだろう。

彼らの姿を撮影するのもダモシ自身だ、と。
俺が撮らないで誰が撮る、と。
そういう意識が、
対富士の過酷さを超越した。

先の68歳夫と妻は初の富士だ、という。

ここでも余裕のあるダモシは教えた。

<いま新七合目だったでしょう?
 この後、八合目だと思いますよね?
 でも違うのですよ。
 次も七合目で、その次が八合目ですからね>

<えっ?次、八合目ではないの?>
と目を丸くする妻。
夫はその上で苦笑している。

<私も初めての時、辟易して、
 ヘコんだのですよ。萎えました、あそこで。
 だから先に伝えておきます。
 次は元祖七合目です。あれね?見えるのが、そう。
 で、そのさらに上にずっと向こうにあるのが、
 八合目なのですよ>

彼らはそれを聞き、
覚悟を決めたかのように上を見つめ、
さらに歩を進めていった。

アントニオ。
ちびっこの彼にとって、
どれだけ他人の声がけ=<すごいねぇ>に
勇気づけられたことだろうか。

自分以外に小学生はおろか
中学生も高校生もいないのは分かっている。
そのことが
どれだけ凄いのか。
それを他人から脚を止められて
言われる度に、実感しただろう。

<すごいことに挑戦しているのだ>と。
<すごいことなのだ>と。

それも
<途中で投げ出さないことでこそ、
 すごいことなのだ>と。

自分で実感したのだ。他人から言われることで。

そして、いま、登っていることがすごいのではなく、
これをやり遂げることこそがすごいことなのだ、
ということも彼は事前に理解していたが、
さらに現場で実感したのだ。

そもそも彼は途中で投げ出すことをしない人間だ。
空手でもそれは証明されている。
しょっぱい男になるな。
赤ん坊の頃から厳しく言われている。

闘いは、最後まで投げ出さない。
ゲームが終わるまで、ゲームは終わらない。

Go the distance.最後までやり遂げろ。

これを己が通奏底音として
既に保持している中で
何に対しても挑んでいるのだが、
これまでで最も過酷な相手と闘っている
その最中に、応援してくれる人がいっぱいいる。
それは大きく彼を後押しした。

2012f1.jpg

2012f2.jpg

その時ダモシは不思議な感覚に囚われていた。

空手や日常のその他の闘いにはない現象。
それは
父親としてのダモシによる
過度な叱咤が不要な世界観がそこに展開されていたからだ。

それは「山」がもたらすものなのかもしれない。

共に登っているのだが、
闘っているのは己自身。
アントニオの姿を見ていて
ダモシ自身もそう強く感じたのである。
それはアントニオ自身も感じていた。

ここは己自身に賭けて登るのだ、と。

もちろん空手もタレント活動も、
やるのは己自身だ。
だが、セコンド等、後押しや声がけ、
アドバイスがそこに存在する。

しかし共に闘っている山、対自然の前では、
最悪な局面を除けば、
誰も助けてくれない。己自身の脚で登らなければ
何も始まらない。

それをアントニオ自身、悟ったように見えたのだ。

山:孤高の人。
そんなイメージが存在するのも頷けるのだ。

そして、一人で対峙している
その姿こそが、美しい、と。

2012f4.jpg

:::::

新七合目、そして陥穽の、罠の、元祖七合目。

上に視界に捉えることができる建物がある。
そこがゴールの八合目。

ここまでやり切ることが大切だ。
天候はちょうどタイミング良く、
この日のデイタイムにおける
悪天候の分水嶺を超えた。

八合目のゴールへ辿り着ける条件は整った。
あとは己自身にすべてがかかっている。

この元祖七合目から八合目が、
身体的に厳しくなってくる。
高度3,000mオーバーの領域に入るからだ。

明らかにダモシのペースが落ちる。
二番手を歩くキラー・ワイフも落ちる。
ワイフの口から
「くそぅ。このやろう」と台詞が漏れる。

呼吸も明らかに苦しくなる。
数十歩進んでから休憩が、
十数歩進んでから休憩に、
そのスパンが短くなってくる。

アントニオ、
未知の領域、高度3,000mオーバーに差し掛かり
さすがのアントニオの顔も歪む。

<空手の稽古の方がキツい>と言っていた
元祖七合目までの足取りは
明らかに落ちた。

立ち止まり、岩場に座るシーンが出てきた。

2012f3.jpg

ここでマスターKEIJIが動いた。

彼は一昨年の登拝時、
ダモシの異変を即座に察知して
ダモシのリュックとカメラの望遠レンズを
持ってくれたことがあった。

その再現が起こった。

アントニオのリュックを背負ったマスターKEIJI。

(内心、ダメかな・・・とも感じた・・・)
とマスターKEIJIは後に述懐したが、
ここはアントニオの分水嶺だった。

初めてダモシも声がけした。

<もう少しだ。がんばれ>。

そのダモシにもいよいよ
あの金剛杖支えという
ダモシvs.冨士における定番のシーンが訪れた。
この段階までそれが出なかったのが
好調の証だった。

途中、
<どこまでアレが出ないか。楽しみだ>
と余裕すら見せていたが、
遂に高度3,000mオーバーでそれに襲われた。

2012f12.jpg

出た、象徴的な<金剛杖支え>。

この時、ダモシは異変を感じていた。
好調の裏に、これまでにない異変。
頭痛であった。

09年、10年と比較的軽い方だった頭痛:高山病。
むろん酷い状態に陥ったものの
この段階での頭痛は初めてだった。

(頭が来てるな・・・)
(少々、頭痛が来るのが早いな)
と密に感じていた。

それでも進軍するしかない。
ゴールの八合目の建物は視界に入っている。
雲に覆われた中だが、確かに見えている。

高度のみならず、岩場も増す
元祖七合目から八合目の
(八合目〜頂上を含めた)最初の難関。

それを乗り切った。
午後四時半。八合目、到達。
既に暗闇が迫り、
この後の悪天候が予測されるアトモスフィアが
支配し始めたぎりぎりの頃合いで到着。

2012f6.jpg

さすがのアントニオもこの疲労の表情。

好調を維持してきたダモシは、
ここで安堵したのか一気にトーンダウン。
激しい頭痛に襲われてKO寸前になった。

夜食のカレーライスは完食できない。
一方のアントニオは元気で完食。
山小屋に到着したことで
アントニオに元気が出たのだが、
ダモシはこの時既に予見していた。

(いつ、彼に頭痛が襲いかかるか。
 これが問題だ。
 そして、彼がそれに耐え切れるかどうか)。

良い意味での無知。
だからこそのここまでの段階での達成感。
それがアントニオを上機嫌にさせていた。

しかしダモシは知っていた。

必ずや激しい頭痛:高山病が
アントニオに襲いかかることを。
マスターKEIJIも
<食べた後、すぐに寝ない方がいい>と
アドバイス。

過去最高の登山中の好調。
が、山小屋到着後は、
過去最悪の状態に陥ったダモシは
ほぼKO状態で六時前には横になり、
言葉を発せなくなる。

眠るしかない状態になる。

だが、常にそうだが、
眠っていても眠っていない状態。
頭が割れそうな頭痛。
地上での日常の頭痛の数十倍の強烈さが襲う。
嘔吐感も催す。

うとうとしていた中、
隣のアントニオとワイフが
ヒソヒソと話し込み
慌ただしくしていることに気づいた。

目覚めて半身になったダモシは
ワイフに問う。

<なったか?頭痛いんだろ?>。

夜九時を過ぎた頃だった。

ここからは、ほぼ全員が
少し眠っては起きるの繰り返し。
既に山小屋の外の暴風雨の音が
激しく轟いていた。

恐怖の時。

トイレへ行くために小屋の外に出るだけで
恐怖に怯える。
この悪魔富士から振り落とされてしまいそうな
暴風雨。異様なそのサウンド。

寝床から出たワイフ&アントニオは、
ここから朝まで延々と小屋入口や
特別に入れてもらった畳の小部屋で過ごし、
嘔吐を繰り返すことになる。

ワイフは一睡もせずアントニオを介抱。
ダモシとマスターKEIJIは
眠ったり起きたり様子を見に行ったりを
繰り返す。

午前二時。

本来であれば頂上アタックのために起きる時刻。

だが、小屋にいる数十人誰一人起きない。
(「無理だ」「待機だ」「危険だ」)と
ヒソヒソ皆、語り合う。

この間、アントニオは頂上アタックを
あきらめていなかった。

途中、少し声を強めたダモシの言葉を
受けていたからだ。

<皆、なるのだ。すごい頭痛だろ。
 これは皆、なるのだよ。これを耐え切るのだ>。

<俺もものすごい頭痛だよ。同じだよ。
 登れば治るんだよ>。

午前三時、午前四時、止まらない暴風雨。

マスターKEIJIとヒソヒソ語り合う。

<無理ですね>
<動きようがない>

せめて雨さえ少し収まった頃合いを見計らって
下山することを決定した。

撤退である。

それを聞いたワイフがアントニオに別室で告げた。

<頂上は行けなくなった>。

アントニオは驚くことに
この最悪の肉体状態においてさえ、
さらに
この経験したことのない
高度3,000mオーバーの地点での暴風雨を
前にしてでさえ、

『やり切る』=『頂上踏破』へ
アタックする気でいた。

<え?そうなの?残念だ>とアントニオ。
そして
<じゃあ、どこ行くの?>と
ワイフに問うた。

ワイフは答えた。<下りるんだよ>。

母親の業。彼女もまた母となってから、
ひとつひとつ強くなっている。
まさにザ・マミー。

己はまったく頭痛にならなかった。

ベイビー〜幼児期、
NYからの東京出征時に
ニッポンに来たからこそ
それにかかってしまったアントニオの
<ノロ>と<インフルエンザ>の際、
ワイフは己自身もそれを発症しながらも
たった数時間で元気になってしまった
驚異の逸話があるが、

それも母として、
幼児を看病しなければならないという
レスポンシビリティと母性がなせる業だった。

そして今回、
己自身も初めて味わう恐怖の中、
高山病の頭痛にもならず
一睡もせず
アントニオに付き添っていた。

驚異である。

アントニオも驚異だ。
以前の彼なら間違いなく、
否、小学三年生なら責められないだろう、
この状況下において
<泣く>ということが一切なかった。

泣きべそもかかず、不平も述べず、
黙々と登り、
恐怖の中での最悪の体調にも泣かず、
それでもなお
頂上アタックをあきらめていなかった強さ。

ダモシは負けたのだ。完璧に負けているのだ。

(あぁ、凄いな・・・)
意識朦朧の中、再び
うたた寝のために目を閉じたダモシは
ひとり想った。

2012f5.jpg

(山小屋到着直後のアントニオ。
 元気一杯だった。
 空手で鍛えられている体力は嘘ではない。
 彼の懸念は唯一、高山病だったが、
 その通り、肉体的にはまったく問題なかった)。

:::::

午前六時。雨は少し弱まった。

<行こう。下りよう>。

撤退。下山開始準備を始めた。
そして午前七時。下山開始。

雨は一時的に止んだが、暴風は変わらず、
霧と雲が混じり合う
一寸先は見えない状況には変わりない。

暴風にヘビー級のダモシですら
肉体そのままよろけさせられる世界。

危険な下山が始まった。

アントニオの身体であれば
簡単に吹き飛ばされてしまう。
そして岩場と崖は滑落の危険性がある。
恐怖の下山。

2012f7.jpg

下山時はマスターKEIJIが先頭。
アントニオ二番手、
ワイフが三番手で、
最後方に守護神として大きな壁になるべく
ダモシという布陣。

アントニオを、マスターKEIJIとワイフが支え
危険な崖や岩場を下りる。
吹き荒れる暴風、遮られる視界。

早くこの恐怖から逃れたい。
下山するとなれば
一刻も早くこの場から逃げたい。
焦りが出る。それを必死に抑える。

2012f8.jpg

アントニオの徳。
それは大人に好かれることだ。
いわゆる"お兄さん"や"おじさん"に好かれることだ。
素直に話を聞くからでもあり
教えられたことをすぐにマスターし実践できるからだ。
空手も覚えが早い。何でも覚えが早い方だ。
そして、よく懐く。

マスターKEIJIを完全に信頼したアントニオ。
マスターKEIJIの後を
必死についてゆく。

下山時は、時に二手になった。
マスターKEIJIとアントニオ、
ワイフとダモシだ。

恐怖の下山を続けた末、雲が少し切れた。
暴風は最後までやまずとも
雨が収まり、雲が時々切れた。

そうなるとさらにその様相は顕著になる。
ダモシもマスターKEIJIと共に往く
アントニオを、黙って放任した。

ここで、予想していなかったことが起きる。
アントニオが生まれてから
ほとんどない
<ダモシxワイフ=二人だけの時間>が
不作為に生まれたのであった。

崇高な時間に思えた。

ワイフと二人だけの空間。時間。
必死に下りるワイフを
支えるダモシ。
時に横に行き、並びながら、
語り合いながら下りる。

まさにこれは崇高な時間だった。
地上ではあり得ない世界観が
そこに漂っていた。

これもまた富士でこそ生まれた、
富士でこそ気づいた何かである。

このタフな状況下においてさえ、
アントニオを放任し
自分たち「夫婦」だけの時間を持てたことに、
ひとつにはアントニオに対する
誇らしさを覚えたのである。

先月の靭帯損傷の中、激闘を繰り広げて
優勝した『ガッツ』の際と、
先の大会での大一番での勝利
『ザ・ショット』の際に
ダモシがアントニオに言った
<またひとつ、男になったな>。

この下山している今、この瞬間まで、
その前日からの一連の彼の所作を見ていて
感じていたことを、
夫婦二人だけの崇高な時間軸の中で
二人で語り合う。下山しながら。
乱れる息で。

<またひとつ、あいつ、男になったな>。

シンプルだが、最高の気分になった。

2012f9.jpg

親を頼らず甘えず、
己の脚で下りてゆくアントニオ。
美しい、と感じた。

ワイフとダモシは
その時間を楽しむかのように
ゆっくりとゆっくりと下りてゆく。

最後の局面。

大きく先に行ったマスターKEIJIとアントニオが
下山ゴール直前の岩に二人並んで座り
ワイフとダモシを待っていた。

アントニオの顔に満面の笑みがある。

それを見て、ダモシは込み上げるものを
抑えるので必死になった。

<男になったなぁ・・・>
<憎いね・・・>
と一人で呟いた。

最後は四人揃って下山ゴール。

ダモシにとっては過去二度よりは
短い時間だが、
それでも長い長い時間の闘いは
ここに終わりを迎えた。

やり切った。やるべきことはやった。
アントニオは、やり切った。
これ以上、求めるものは何もない。
何一つ苦言も注文もない。

賞賛以外、なにひとつない。

頭上には、
今回の富士では一枚もない
絶好の風景写真の素材が
空に姿を現した。

皆で見上げた。

2012f10.jpg

また、ひとつ男になったアントニオ。

2012f11.jpg


:::::

駐車場へさらに下りていく道。

ダモシは言った。

『頂上はいつかな。宿題として残ったな』。

ダモシは内心、また
『もう二度とイヤだ』と感じていた。

そして今回の登拝に
ワイフとアントニオを連れ立ったのは
自身の自信のなさだった。
年齢的な部分もある。
強い父親として先導できるのは
ぎりぎりかもしれない、という。
対冨士に関して、は。

(早い方がいいな)とは偽らざる心境だった。
でもそれは小学二年の昨年ではなかった。
昨年なら彼は耐え切れていない。
それは一番ダモシが分かっている。

<男になった>。
このパフォーマンスが多く、
明らかに様々な面で成長著しい今年:
小学三年の今なら、という想いだった。

だが、富士はその悪魔性を存分に見せつけて
我々の頂上踏破を阻んだ。
八合目から先へは行かせなかった。

それでも前日は八合目までも受け付けなかった
わけだから、ダモシ軍のことは
受け入れたのだが、
ここですんなり頂上踏破を
させなかったのは、富士なりの配慮と
試練を与えたのは間違いない。

アントニオは空手でもそうだ。
簡単には勝たせてくれない。常に。
だが、空手でも
幼児期から初心者用の大会には出ていない。
それに出て優勝するのは容易い。
だが、それを選ばなかった。
だから優勝まで時間がかかった。

しかし高いレベルでタフな相手を
多く闘ってきているから
今のレベルがある。

それと同様に、
アントニオには平易で安易な道は、
富士もとらせなかったと見て良い。

そして同時に富士は、
弱気になっているダモシにも
宿題を残したのだ。

<父子同時登頂>は来年以降だって
あるだろ?

と。

<頂上はいつかな。宿題として残ったな>
と言ったダモシに対して、

アントニオは即座に驚くべき台詞を返した。
すこしハニかみながら。

<来年ね>。

ダモシは涙が溢れそうになった。

(今年は何回俺を泣かせるんだよ)。

忌憚なく、毎年、
すばらしい根性と奮闘をしている
アントニオだが、
今年はさらに感動を多く与えてくれている。

『ガッツ』でも『ザ・ショット』でも、

そして先般死去した猫ケロが
入院中、泣いてケロを自宅に連れて帰りたい
というワイフに対して
ダモシがふだん口にしているのと同じ
<連れて帰っても何もできない。
 ここはプロに任せよう>と諭したと
ワイフから耳にした際も。

闘いにおいても、日常の些細なことにおいても、
八歳アントニオは大成長している。
そのタイミングでの富士、
そして今度の五輪。
これらひとつひとつが今こそ
彼の成長の糧になると踏んでいる。

この富士登山と下山時の、
彼自身、放任しても安心出来るような強さ。
自覚。

ひとつひとつに、素材として提供している側
としては、何にも替え難い喜びをもって
彼は返してくれるのである。

富士。それは崇高な時間。

今年の富士登拝で得た新たな感覚と認識。

これをもって本編を締めたい。



以下、雑感。

DS2.JPG

登山中、ポーズで
恒例の<金剛杖支え>をしたダモシを見て
アントニオも演技でそれをする。
こういうことを即座にできる点
:魅せる要素も、
今年より多くの理解を深めてきている。

要するに、物事がより<分かって>来ているのだ。
八歳はある意味でその分岐点かもしれない。
ダモシ自身も何となく三年生くらいから
諸々、<分かり>始めたと記憶している。
むろん個人差はあろうが。

いずれにせよ、これもダモシにとっては
夢の<父子での金剛杖支え共演>だった。
忌憚なく、嬉しい。

DS.JPG

"それどころではない"ため、希少なツーショット。
ワイフの携帯カメラでのもの。

2012f13.jpg

過去二度恒例の下山後の
御殿場市内での温泉。
そこへも連れていって。
共に裸になって露天に入り、
食堂でランチ。至福の瞬間だ。
アントニオはダメージなく、
活発な男の子、普通の三年生に戻っている。

むろん、それでも、
ワイフとアントニオは帰りの東名で
爆睡していたが。

:::::

最後にデータ類。

この分析はまだ済んでいない。
過去二度と今回の気温、気圧、湿度の比較だ。
登山当日の一時間ごとのそのデータをグラフにした。

また、過去二度との所要時間等の比較も描いた。

fujidata2.jpg

なぜ今年が最もダモシは
ダメージ(高山病)を受けたのか。
そして、それは天下のマスターKEIJIも同じだった。
そうなった要因は何だったのか。
データから読み取れることがあるはずだ。

fujidata3.jpg

ひとつには、
過去二度との顕著な違いは「気温」。
低かった。登山中、低かった。

皆、頭痛の苛烈さが増したのが夜八時、九時
くらいだったのだが、
過去二度は気温が下がっていっていたのに対し、
山小屋到着後、今回は気温がどんどん上がっていっている。
そして、湿度は過去二度よりも高い。
これも夜になりさらに上がっている。

気温と湿度が双方、夜になって
さらに上がったのが今回の特徴といえるだろう。

気圧は、やはり高山病が酷かった09年と
ほぼ同じ数値を記録している。

だから、顕著な差異として、
今年高山病が酷かった要因のひとつに
考えられる候補としては、

<気温と湿度、双方が、
 夜の時間帯になって上がっていった>こと
が挙げられるだろう。


- fin. -


posted by damoshi at 23:08| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月13日

富士登拝-2013


リアルにダモログでフォロー出来ない状態。
ODだのではなく
シンプルに、"忙しすぎる"と言いたい。

アントニオの空手も
先の日曜日の試合では
まさに伝説的なものとなり、
フェイスブックでは逐一書いているのだが、
それはまさに
1989年の
マイケル・ジョーダンの
NBAプレイオフでの残り三秒からの"The Shot"や
同年のNFLスーパーボウルでの
ジョー・モンタナによる"The Montana Drive"を
ダモシの中では超える劇的なパフォーマンスがあった。

それは<ガッツ>同様、
スポーツ・ノンフィクションとして
ダモログオンリーで掲載するが、
それもまだ途中。
今宵もまだ仕事があるため、断念。

タイトルだけ先に。
<The Shot with 2 seconds left>。
ジョーダンの"The Shot"と同種の
残りぎりぎりここしかないところでの
大逆転劇。

今週末には掲載出来ると想像する。

そして本来はもう眠るべきだが眠れない。

明日は、否、今日はいよいよ
09年以降で二年ぶり三度目の富士登拝。

アントニオ、キラー・ワイフ同行。

しかも富士山自身の天候は、雨、そして雷。

登山口は、一般やへらへら行軍を忌み嫌い
山梨側はやはり回避。
過酷な静岡側からのそれに決定。

天候の予報上は、非常に危険な行軍になろう。
既に恐怖と緊張でピリピリしている。
今回は守るべき者が二人もいる。
そしてダモシ自身は過去二度よりも体重が増えている。
齢も重ねている。自信がない。
体重はついに89.1kgに達し、
家を追い出される90kgが目前となっている。
昨晩も空手のスパーで
アントニオの強烈な蹴りを受けて
左脚に大きなダメージを負った。

今日は危険な富士行軍になるだろう。

果たして登頂できるか。

天候に応じて、途中撤退も視野に入れて、
明朝自宅を出発だ。

富士登拝ストーリーは、過去二回同様、
当欄のみでディープにフォロー。

リアルタイムの速報はフェイスブックにて。

Good Night, and Good Luck.



posted by damoshi at 01:26| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月04日

1972→1976→2012


今夜は二編。もう一編の主題はプロレス。
久しぶりの長編で、
久しぶりのダモログ王道路線の<考察>モノ。

:::::

1972。
これはアントニオ猪木率いる新日本プロレスと
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスが
旗揚げした年。

2012。
今年だ。共に創立40周年のメモリアルイヤー。

間の1976。
これはダモシが初めて生でプロレス観戦した年。
父親と最初で最後の一緒に行ったプロレス。
ところは、札幌中島スポーツセンター。
レアだ。
団体も超レア。国際プロレス。
ラッシャー木村の金網デスマッチ。

もう一回、2012。
今年の7.1。
ダモシが初めて己が直系遺伝子アントニオと
一緒にプロレス観戦へ出かけた年月日。
新日本&全日本の創立40周年記念イベント。
ところは、両国国技館。

DSC10414.jpg

(パンフレット)

:::::

直系遺伝子="息子"と共に行く。

野球。
これはメジャーリーグが先。
ニューヨーク・ヤンキースのゲームを
旧ヤンキー・スタジアムで観た。
アントニオ三歳のバースデイ。
2006年、秋。

厳密には、それより先の
アントニオが一歳になる前の夏。
スタッテン・アイランドで執り行われた
マイナーリーグでのダモシ始球式の日が
アントニオにとっての<野球観戦>デビュー。
2004年のことである。

プロ野球は、何とまあ
ダモシのプロレス初観戦同様に
レアな札幌ドームでのゲーム。
その翌年には西武球場での西武vs.巨人戦。
ダモシが学生時代にバイトした
西武球場へ共に行くことができた。

大相撲は09年初場所。両国国技館。
横綱・朝青龍の晩年。

空手も極真館を手始めに、
緑代表率いる新極真会の東京体育館での
全世界大会の観戦も済んでいる。

競馬はやはり米国時代が先。
ニュージャージーの競馬場で。
ハーネスレースも共に観ている。
札幌競馬場、東京競馬場へも既に行っていて、
東京競馬場では幼児年長時に初馬券的中も
果たしている。

その他、もろもろ。

とりわけ野球、そしてプロレス。
この二つは特に、
ダモシにとっては己が直系遺伝子と共に
観戦に出かけることの至福は
尋常ではない。

野球は、それこそ
あの旧ヤンキー・スタジアムで経験出来た以上の
感慨は今後ないだろう。
何が何でも旧のうちに
NY在住のうちに
彼自身が記憶に残る年齢として、
ヤンキー・スタジアムに連れていきたかった。
だから、平易にいえばもう"最高"だったのである。

東京ドームの巨人戦にその感慨は皆無だ。

そしてプロレス。
遂に連れていく機会を見出したのだ。

なにしろ新日本と全日本の40周年記念合同大会だ。
出場する選手は現代のレスラーがほとんどで、
ダモシ自身も遠ざかって久しいが、
それでもテーマが「40周年」ということで、
それに対するノスタルジックな世界観が想起され、
行くならまずは今回だ、と。

そして、行ったのだ。この日曜日に。

以下、本編である。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


7.1.2012:::::

7.1 両国国技館。
新日本プロレスと全日本プロレスの創立40周年記念
合同イベントの観戦に出かけてきた。

個人的には、自身の直系遺伝子と初めてのプロレス観戦。
己が"息子"とプロレス観戦へ
一緒に出かける日が来たことへの嬉しさは
ハンパではない。

DSC1406.jpg


Summer, 1976:::::

時は1976(昭和51)年。
所は札幌中島スポーツセンター。
自身が初めて生でプロレス観戦したときだ。
ウルトラの父にねだって連れていってもらった。

当時第三の団体だった国際プロレス。
ラッシャー木村の金網デスマッチを観た。
その日、上田馬之助も登場した。
中島スポーツセンターから
ウルトラの母方の祖父母宅で待機していた
ウルトラの母と合流し、遅い時間に帰宅した。

父親とプロレスを一緒に観に行ったのは、
この一度きり。
父親自身はプロレスに興味はなかったからだろう。


4.4.1998:::::

以降は、一人で、あるいは時代時代の友人と、
アントニオ猪木引退試合(98年4月/東京ドーム)
まで適宜、観戦に出かけていた。

新日本、全日本問わず。UWFも観た。

98年4月の猪木引退をもって、
自身もプロレスからやや離れた。
世はそれと同時に総合格闘技ブーム。
プロレスラーがことごとく総合格闘家に破れた。

猪木引退時の、あの
<迷わず往けよ、往けば分かるさ>が
不安を感じていたダモシに
渡米への勇気を奮い立たせた。

あの4.4で、ダモシ世代の多くの
猪木ファン&プロレスファン(新日ファン)は
卒業した。ダモシもその一人。

次世代の長州力、藤波辰巳、ジャンボ鶴田、天龍源一郎。
さらにその後の
闘魂三銃士(武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋)、
三沢光晴、川田利明、獣神サンダーライガー、
高田延彦などで世代的にはギリギリだろう。
既にベテランである
現・三冠王者の秋山準の試合を観た
という記憶はない。

1.4.2006:::::

ダモシはニューヨーク在住。

新日本の1月4日の東京ドーム興行は、
ダモシがヤングボーイ時代からのルーティン。
恒例のイベントとして毎年出かけていた。
それも98年まで。

2006年正月。
ダモシは余儀ない東京出征で、
その前年末から東京に来ていた。

取材名目のもと、
タダで観戦に出かけた。
だが、当時の新日本はガタガタ。
観客も、昭和の時代の日本ハムvs.南海戦の後楽園球場
がごとく、ガラガラを超えて、千人くらいしかいない
最悪の状態だった。

『厳しいな、こりゃ・・・』と
新日本並びにプロレスの衰退を嘆いたものだ。

メインは、中邑真輔vs.ブロック・レスナー。
この試合もしょっぱかったが、
その他の試合もどうしようもなかった。


Spring, 1994 / Summer, 1987:::::

公式にチケットを買って一般客として
純粋なプロレス観戦に出かけたのは、
4.4.1998以来、何と14年ぶり。

両国国技館でのプロレス観戦ともなれば、
記憶を絞りに絞り出して出てきた
マニアックなWARという団体の興行で、
メインで
大仁田厚&ターザン後藤vs.天龍源一郎&阿修羅・原
というレアな試合が行われた
(ちなみにこの試合は素晴しかった)
1994年3月以来、実に18年ぶりのことになる
(国技館来場は朝青龍時代の大相撲観戦=
 2009年1月以来、3年半ぶり)。

そして、7.1の大会名。
<サマーナイト・フィーヴァー in両国>。
これは紛れもなく、
新日本プロレスがまだ全盛期で隆盛を誇っていた頃、
二日間連続で両国国技館で行われた
<サマーナイト・フィーヴァーin国技館>を
想い出させるのは容易だった。
それが、8.19&20.1987。
あの時、二日間連続で国技館へ出かけた。
そして、熱狂した。
<サマーナイト・フィーヴァー>括りでの
+<両国国技館>で考えた場合は
その1987年以来だから、25年ぶりになる。

ある意味で、何だかなぁ・・・である。
要するにダモシ自身、
言いようのないくらい齢を重ねたのである。

まとめてみる。

◆14年ぶりのまっとうなプロレス観戦
◆18年ぶりの国技館でのプロレス観戦
◆25年ぶりのサマーナイト・フィーヴァー
◆自身が子として父親と共に生観戦してから、
36年の月日を経て
今度は自身が父親として己が子を伴っての
プロレス観戦

ものものしい年数の「〜年ぶり」が並ぶ。
新日本と全日本はそして、それぞれ
創立から40年。

今や重鎮の武藤敬司(全日本プロレス会長)は
25年前のサマーナイト・フィーヴァーでは
若手で頭角を現した頃で、
メインで猪木軍に抜擢されたスター候補生。

14年前の猪木引退試合時に出ていたレスラーで
7.1にも出ていたのは獣神サンダーライガーや
永田裕志など数えるほど。

バリバリにUWF戦士でパンクラスや総合で鳴らした
総合系の船木誠勝が今や全日本の一員として
プロレスラーとして出てきていた。

その他、メイン含めてすべて現在旬なレスラーが
大勢を占めた。当然のことであろうが。


そして本題の、7.1。


7.1.2012:::::

DSC10403.jpg

<猪木、来ますかね>

隣に座る二人組が
〜明らかに同世代だということを〜
確認した上で、問いかけの声をかけた。

<いやぁ、どうっすかねぇ。
 僕らも来ないかなぁって思ってるんすけど>

<僕は猪木世代なんでね。
 そもそも猪木が好きだったので>

と語る二人組。

<僕もそうなんですけどね>とダモシ。

言わんとすることは、
互いにそれだけで良い。

左隣の二人組も
40代あるいは50代と思しきカップル
(おそらく夫婦)。

猪木世代なのは、間違いない。
猪木全盛期あるいは
長州の維新革命、
ぎりぎり闘魂三銃士まで、だろう。

"そこらへん"は、ダモシと同じだ。

周りを見れば、
仮面ライダー映画の上映館内のように
親子連れの姿も目立つ。

小さい子と両親が多い。

バトル・オブ・ジェネレーション。

仮面ライダーも競馬も、プロレスも。
もちろん野球も。
それらにあって、サッカーにないもの。

これまでの
(もしかしたら今もまだ)サッカーが
保持し得ていない特権。

それはこのジェネレーションである。

世代ごと紡がれてきたヒストリーである。

音楽にも映画にもアイドルにも、
そして鉄道にも、それはある。

連綿と脈打たれてきたヒストリーの構築。連鎖。
親から子へ。

いわゆる、あの日、あの時。
いまここに或る「現在」。
一方で同じくいまここに厳然と在る「過去」。
ノスタルジー。松明は次の世代に受け継がれつつも、
ヒストリーはしっかりと息づいている。

文化としての「昭和」へのノスタルジーが
多くの人々の心にあって、
それを提示された時の心の動きが高いことは
映画「Always三丁目の夕日」シリーズの
ヒットでも証明済みだ。

サッカーの場合、ひとつには、
釜本や奥寺でそれは難しかったが、
キング・カズが唯一、可能性がある。
あるいはドーハの悲劇。

Jリーグ発足時に若かった世代
すなわちダモシ世代だ。
この世代とキング・カズの年齢も一致する。

そう遠くない将来、
サッカーにもようやくカズを媒介として
他の文化やスポーツが持ち得る
ヒストリーに裏づけされたノスタルジーの享受が
新たな楽しみとして付加され、
ひいてはそれがそのジャンル自体の奥深さへと
つながっていくだろう。
まだ、サッカーにはそれがない。

あの時の猪木、長州、タイガーマスク、
あの時のオグリキャップ、あの時の松田聖子、
あの時の本郷猛・・・。
これと同等に
あの時のキング・カズ、
あの深夜のドーハの悲劇となる日が
やがて来るだろう。
サッカーにはもう少し時代が必要だが。


だが、いくら何でも
プロレスはノスタルジーや過去に頼り過ぎた。
観る側のマインドも切り替えが出来ていなかった。

未だに
<猪木、来ますかねぇ>と
それに期待している自分。
己が直系遺伝子に
棚橋弘至よりも猪木を見せたいと願う父親。

それはイコール、今のプロレスには
興味がないことを表している。
ならば、なぜお金をスペンドするのか、と。

だが、
結果、ノスタルジーに頼っていたのは
己自身であり、
そうであってはいけないのだなという区切りを
淡々とした中で示されて、
叩きのめされたダモシがいた。

<ん?>と。

<あれ?>と。

総力を挙げて『今』の集大成を見せるのが、
この7.1に賭けた
新日本&全日本双方の戦略だったのだ。

第一試合から、
何の脚色(合間の余計な演出)なしに
試合だけが淡々と進んでいく。

しかもその第一試合から観客のノリも良い上に、
レスラー全員が素晴しい組立てで
スイングした試合を提供する。
第一試合から沸き上がったのである。

愕然とした。

明らかに、昭和のプロレスよりも
今のプロレスの方のレスラーに
エッジがある。

正直なところ、昭和のプロレス興行は、
アントニオ猪木、ジャイアント馬場以下の
スーパースターとスターの試合がある
メインイベント以外は、
極論すれば
しょっぱい試合が多かったのである。

いわゆる前座といわれた試合の中には
当然、玄人ファンを唸らせる試合はあったが、
必ず1試合か2試合は
ため息が出てしまうような
つまらない試合、しょっぱい試合があった。

だから毎回、そういう試合の際に
休憩タイムを個々が設けたり
喫煙タイムに充てていた。

要するに、昭和の音楽(レコード)アルバムになれば
必ず、しょうもない曲が1〜2曲入っていて
そこが休みどころ
(何でこんな曲入ってるのだろう的な)
だったように、

興行の中においては
前座の第一試合からメインイベントまでの
約10試合程度の構成(音楽でいうところのアルバム)で
息抜きあるいは見るに耐えない(聴くに耐えない)
ものが1〜2は必要悪として存在していたのである。

それがある意味で「間(ま)」にもなっていた。

ところが、
善し悪しは別だが、
7.1で現在のプロレスを観て
第一試合から目の離せない試合が続いたのである。

『ふぅ・・・』とため息が漏れる試合や、
よしここで喫煙タイムだと
席を離れることができそうな試合は
ひとつもなかった。

これは驚くべきことだ。

akebono.jpg

(曙が登場したアジアタッグ選手権も、
 間断なく盛り上がった。"しょっぱい"代表格ともいえた
 曙でさえ、自身の味の出しどころを覚えた上に、
 周りもまたそれを思う存分に生かしている。
 曙のスーパーヘビー級は分かりやすぎるほどの説得力が
 技に込められている)

もちろん40周年記念大会ゆえに
現在のメンバーで考え得る好カード
(ノスタルジー派のダモシには、
 そそられるカードは事前にはひとつも
 なかったのだが)をラインナップしたといえるが、
それでもメインイベンターではない
レスラーの試合も含めて、
いずれも間のとり方も上手く
見せ方も心得ていたために、
目を引きつけたのである。

そして、この日、唯一といっても良い
ノスタルジーの登場。

40周年ということで
過去のレスラーや関係者が登場して
セレモニーがあることを想定していたのを、
淡々と「現在のプロレス」の試合だけが
進行していくだけの
〜試合内容で魅せる世界に徹していた〜
時間の中で、

全体の進行が中盤に差し掛かった頃、
突然、スタン・ハンセンのテーマ曲が館内に
鳴り響いたのである。

一斉に沸き上がる大歓声とハンセン・コール。
昭和のダモシも、周辺の観客は大喜び。

昭和の、あのハンセンならば、
このテーマ曲に乗って
カウベルを振り回しながら
勢い良くダッシュで出てきて
そのまま滑るようにリングイン。

リングインするや、右手を高く突き上げて、
人差し指と小指を天高く指し示して
大きな叫び声で

<ウィーッ!>とやる。

我々は、それを期待した。
ところが、だ。

hansen.jpg

(ハンセン、リングイン)


6.30.2012:::::

空手道場。

アントニオのスパー相手を務める。
周知の通り、
スパーといっても
ダモシは手は出さない。
いわゆる受け手である。

道場ではアントニオがエース。
アントニオより学年下がほとんどで、
昔は上ばかりだったから
アントニオ自身も稽古でのスパーでは
向かっていくことで磨かれた。
だが、下相手になると
どうしても受けがメインになる。

そうなると
アントニオ自身の鍛錬において
プラス面もある一方で
マイナス面もある。

そこで、アントニオのためにも
ダモシが起ち、自らの肉体を、
まるでサンドバックのような形で
生身の肉体をもってして「受け」るのである。
ハイキックもミドルキックも、ローも。
ナイアガラの滝のような大技も
その他の細かい技も。
実際に的確に強い打撃を当てる。
そして同学年の相手よりも大きいダモシの
上段にそれを入れられるようにすることで
プラス面の多い練習になる
ということから、だ。

063012b.jpg

<よし、来い!>と。

063012a.jpg

<300%ぶつけてこい。 
 すべて受けとめてやる!>と。

さふ。
これまでは受け切れていた。

その日の二日前から風邪をひいていた。
風邪は酷く、
風邪で病院へ行くことなど
十数年、否、何十年ぶりかという世界で
近所の内科へ行った。

そこからの回復途上にあることで
絶好調ではないという割引はあるにせよ、
この日、受け切れなかった。

脚がもつれたわけでもなければ、
流れの上で(危険回避の上で)倒れる
ことはあっても、
リアル・ダウンというのは、
いくら打撃強度が日に日に増している
とはいっても未だ小学三年生のアントニオの
それを受け切れないわけはない。

だが、受けるごとにキックの強度が増していて
肉体ダメージは蓄積されている中で
この日、ミドルキック左右の連打を
食らっている最中、突然、脚がガクッとくる感じで
ダモシはダウンした。

正真正銘の、これはダウンだ。

アントニオのオフェンスの勢い、スピード、キレ、
打撃の強度についていくことができない。

最後も、ナイアガラの滝を、予期せぬところで
出されて頭頂部にモロに食らい、ダウン。

ダモシはたいへんブルーになった。
もちろん直系遺伝子がそうして
日に日に強くなっていることを
肉体で実感出来る喜びがある一方で、
己自身の肉体の衰えを感じることは
やはりブルーになるわけだ。

<衰えたか・・・>と。

その日、整骨院で肉体ケアを施してもらう最中、
ドクターにも呟いたのだ。

<衰えを感じますね・・・>と。

063012.jpg

上段左から右へ。
下段の左端から右へつづく。
脚にきてダウンしているのが分かる。
右下のヨコ長画像は、
大技ナイアガラの滝をモロに食らいダウンの図。

年齢的には、抗えないもはや斜陽。
なにを強がったとしても、
ライジング・サンとは絶対に言えない。
肉体はもう斜陽なのである。
その斜陽の中、いかに凌いでいるか、
衰えの速度を遅くさせるか、騙せるか、という世界だ。

対富士山という部分は、
己が衰えの斜陽の中で
経験や根性などを付加させることで
肉体をカバーして、
<まだまだ元気だぜ>と心のヨリを戻す
ある意味で格好の挑戦になっているのだが、
空手のそれも同様なのだ。

現実的には、
いくら小学三年生といっても
悪党の大人がいたとして
アントニオが素で本気で蹴りを入れたら
失神させることはできるくらいには
なっている。
遊びや習い事としてではなく
「選手」としてやっているから当然でもある。

そんな蹴りや突きを、
ノーガードで防具なしで受けていることは、
己が肉体の強靭度をアピールすることにも
つながるわけだが、
一方で衰えをも感じさせられるという点で
二律背反がある。

二律背反。セザンヌと蛙は、富士山にも空手にも
潜んでいるわけである。

<俺もやはり歳をとっているのだな・・・>

<動きがやはり落ちてきているか・・・>

<脚も痛むし、なにより身体が重い。
 脚に来てるね>

と嘆く現実。

ライジング・サンのアントニオ。
斜陽のダモシ。
この構図が、顕著だ。

特に肉体を直接コンタクトする分、
微妙な、わずかな衰えをも
逃さずに襲いかかってくる。

ダモシ自身、歳をとり、衰えたベテラン。
あるいは、過去の動きは望めない
昭和のレスラー。

そんな感覚が取り巻いていたタイミング。


7.1.2012:::::


もう入ってきても良さそうな頃合い。
だが、ハンセンはまだ来ない。

と、人垣を縫うように、
ゆっくりと、のっそりとリングに
歩を進めるハンセンの姿が見えた。

まだ老人という年齢ではないが、
62歳だ。
猪木と激闘を繰り広げ、
後に全日本へ移籍しても暴れ回った
ハンセン自身の全盛期は80年代で、
年齢も30代とピークだった。
あれから30年、歳をとっていることになる。

だから、しょうがない。
しょうがないのだ。

しかし、<不沈艦>あるいは
<ブレーキの壊れたダンプカー>と呼ばれて
怖れられたあのハンセンのイメージが
あまりにも強烈であり、
せめて入場時のパフォーマンスくらいは
負担がないだろうから、
当時のままやってほしいという/
やってくれるだろう/
ハンセンはまだ元気でしょう/という
期待は、あった。期待を持っていた。

というよりも、静かなハンセンは想像していない。

リングにゆっくりと近づいたハンセンは、
脚が悪いのか、あるいは身体が重いのか、
動きがかなり緩慢だ。
のっけからもうかつてのイメージがない。

否。リングインしたらいきなり
大声で<ウィーッ!>を元気よくやってくれるだろう。
まだ淡い期待を持っていた。

だが、リングに上がるのもやっと
という感じで、
緩慢な動作のままエプロンに上がると
そのまま、あろうことか、
ロープの間を普通にまたいで
リングインしてしまった。

<あぁ・・・>。

失望が漏れる。
周りも『あれっ?』という雰囲気だ。

それでもまだ、
リングインした後、
勢い良く<ウィーッ!>をやるだろうと
期待を残していた。

しかし、リングインした後も、
すぐに右手を挙げることをしないハンセンは
「普通に」ゆっくりと歩き始めた。
大歓声が終わりそうになる。
キョトンとしているのだ。観客は。

<ウィーッ!>を、やらないのか?と。

と、微妙な数秒感の「間」があって、
<あっ、やるかな?>的な
身体アクションが一瞬見られた。

その直後、促されるように
ハンセンは、
〜決して勢い良く、ではなく〜
緩慢な動作で右手を"慎重に"掲げて
<ウィーッ!>をやった。

ハンセン自身のその叫び声は、
超満員の国技館の大観衆の
<ウィーッ!>によってかき消された。

かつてのハンセンのそれは、
大観衆のそれがあってもなお
声が轟いていた。

かつての勢いと威勢が
まるで感じられないハンセンを眼下に、
久しぶりに生で見た嬉しさ
(2.10.1990/東京ドームでの
 ビッグバン・ベイダーとの
 IWGPヘビー級選手権試合以来、
 22年ぶり=IWGPは第一回の猪木vs.ホーガンも
 旧蔵前国技館でナマ観戦している)もあるにせよ、

やはり
<衰え> <斜陽>というキーワードを
自身のそれにも重ね合わせて
ズシリと来てしまったわけである。

止めに入る若手を捕まえては
ロープに飛ばし、
跳ね返ってきたところに
至宝ウエスタン・ラリアートをぶっ放す。
受けた若手は皆、モロにそれを食らい失神。

このお決まりの様式美はもう見られない。



*****


貫禄の武藤敬司の
未だ色褪せないムーンサルト・プレス。

横浜文化体育館で行われた
ジャンボ鶴田vs.天龍源一郎
(10.11.1989)戦以来、
23年ぶりとなる生で観る三冠ヘビー級選手権。

そして、IWGPヘビー級選手権。

トリプル・メインイベントで締めくくられたとき、
時計の針は既に21時を回っていた。

muto.jpg

(世代ギリギリ、闘魂三銃士の武藤。
 久しぶりにムーンサルト・プレスを観た)

akiyama.jpg

("昔"なら微妙な組み合わせだろう
 秋山vs.太陽ケアの三冠戦だが、
 これも面白かったのだ・・・)

tana.jpg

(これも微妙だった棚橋vs.真壁という、
 ダモシ世代にまったく縁のない二人の
 IWGP戦だったが、不覚にも最後、真壁に
 大きな声援を贈っている自分がいた・・・)


17時からの、
脚色を排して(ハンセンの挨拶を除き)
淡々と熱い試合だけを見せてきたが、
それでも4時間。

長丁場で疲弊しかねないが、
すべての試合が沸き返り、隙のない
ある意味でパーフェクトともいえる試合内容で
全レスラー、観客を魅せた。



Summer Night, 2012:::::


昔のサマーナイト・フィーヴァーは
8月中旬の開催だった。
熱い熱い真夏だった。
国技館の二階席も熱気でむんむんしていた。
今もその感触は忘れていない。

翻って、2012年版の
サマーナイト・フィーヴァー。
超満員の観客はあの頃と同じだが、
密集度や熱気は
やはりあの頃に分がある。

しかし一方で、
現在の観客たちのプロレスへの接し方、
楽しみ方が微妙に当時と違う気がした。
その違いが何か。
これは答えが出なかった。
分からないのだ。具体的に何が?となると分からない。

分からないほど、違いがないのだ。
逆にいえば。
リング上で行われているプロレスも
やはりプロレスで、
現在/現代的に技とアクロバティックな動きは
増えているのは当たり前としても
基本的な部分では何ら進化も退化もしていない。

ひとつ、現在のそれが上回っているとすれば、
レスラー一人一人のキャラが立っていることと
観る側も好意的に
一人一人のキャラを楽しんでいることか。

それからリング上のレスラー同士の闘いを観ていると、
相手を生かす術の上手さは
現在に分がある気がした。

最も微妙で、下手打つとしょっぱい典型に
落ちぶれかねない新星・岡田カズチカのことを
観客総出で後押しし、
"メッキが剥がれないように"="メッキじゃないよ"
="本当に凄いんだよ"
をフォローしている。

okada.jpg

(ダモシの中でこの日のベストバウトは、
 中邑&岡田vs.諏訪魔&近藤のタッグマッチ)

この夜、レスラーの凄みとして
ダモシの目に最も強いインパクトを残した
諏訪魔(全日本プロレス)の厳しい攻めも、
岡田の力量を理解した上でのもので、
そのバランスが実に上手く図られていたのである。

かつての昭和のプロレスであれば、
もしかしたら現状の力量では
岡田はまだしょっぱいレベルに終わっている
可能性はある。
デビューしたての"谷津"になる
危険性が香る岡田だが、
微妙なラインで現代ゆえに生かされている。

だが、ダメな奴を無理矢理生かしているのではなく、
岡田も岡田で微妙な中でも
強烈な光彩を放っているのも事実で、
そこでは単に強い弱いだけでは計れないsomething
〜つまりそれがプロレスの魅力のひとつなのだが〜
が、やはりあると気づく。

とにかく、前座の選手からして皆、
放つ光彩が強い。
プレゼンテーションも上手だ。
魅せる要素の匙加減のレベルが高い。
その部分は、確かに現代的である。

そもそも、新日本の現在のトップ選手
(棚橋、中邑、真壁、岡田、後藤)は
いずれも結構これは微妙である。
唯一、真壁はダモシの中で評価が高いけれど、
全日本系の選手である
秋山準(三冠王者:ノア)や諏訪魔、太陽ケア、
元新日本だが今は全日本の武藤などと比べると
"強靭さ"や"強さ"としては後者(全日本系)に
エッジを感じてしまうわけだが、
それは実はもともとの新日本x全日本の構図が
そのまま現代にも連動していることを
改めて認識させてもらうことになった。

猪木x馬場の頃から一貫して変わらない世界。
新日本の方が強いと思っているのだが
なぜか全日本の選手は皆デカくてパワーがある。
対抗戦になると全日本に押される新日本
という構図がもともとあったのだが、
その部分も現代にも変わらず生き続けているわけだ。
全盛期の長州が全日本へ乗り込んだ際、
天龍はおろか大熊元司にまで押されたシーンが
甦ってしまうのである。

<強いな>と率直に感じるのは、いつも全日本の選手。
今回も、それは諏訪魔だったのだ。

そして、究極の驚き。
それは、
<今日の内容なら、猪木は必要ないな>と
自身が感じてしまったことである。
出番がなかった。
猪木が来ないのは必然だった。

同時に、新日本と全日本のNOWでは
<もう猪木じゃないんだな>を実感した。
(もちろん猪木はIGFという世界観で、
 今も生きる伝説として存在している)。

ハンセン以外は、猪木はおろか、
ザ・ファンクスやミル・マスカラスですら
来なかった40周年イベント。

それは裏返せば、現在の選手たちの
リアルタイムの、そのママを魅せてくれた
試合内容からしても、
セレモニーや往年のレスラー、そして猪木など
いずれも必要がなかったのだなハナから
と、大いに認めることが出来たのである。

松明は、遅ればせながら次の世代に引継がれた。
否、もうとっくにそうなっていたのかもしれない。
だが、少なくとも2006年1月4日の時点では
もう潰れるのでは?とさえ思えるほどの
ていたらくだったのだ(新日本は)。

それがこの7.1では完全に甦っていた。
どうやら企業としての収支も
続いていた赤字は解消されて
単年黒字にここ二〜三年はなっているようだ。

やはり最近なのだろう。

今の時代にマッチしたプロレス。
これは確かに構築されていた。
それは認めたい。
闘魂よりも今はプロレスLOVEが似合うのだろう。

だが、ひとつ苦言を呈するとすれば、
やはりスーパースター不在は否めない。

今の状況を続けた上で、
猪木や馬場、否、少なくとも初代タイガーマスク
くらいでも良いから
突出したスーパースターが登場することで
いよいよ完全復活と松明伝承は果たされるだろう。

野球に王&長嶋以降不在だった
スーパースターの地位にイチローが就いたように。

例えば、やはり
女子テニスのように
いつまでもクルム伊達ではダメなのだ。

DSC10412.jpg

最後に、
直系遺伝子へ買った
新日本プロレスの創設以来のロゴTシャツで締めたい。


posted by damoshi at 01:26| スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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